さまよえる異邦人

人生そのもの

2007年02月

待とう 建前バランス

やはりベクトルというものは、ハッキリ持っていたほうがいいと思いますが、自分がどうこうしようと思ってもどうにも成らない事の方が殆どではないだろうか。チャンス・タイミングが来るのを待つしかないのかもしれない。
 ジタバタしても仕様が無いが、きちんと狙うべき目標に当てはまる時は素早く対処しなければならない。

 人のバランスは、建前と建前で奥に本音をそれぞれ持っていることで均衡が取れていて、どちらかが、本音になると、本音対建前で喧嘩になる。 表と裏もよく似てるのかな。表どうしの均衡。

下々の意識

 誰でもスーパーマーケットへ行くと、「いらっしゃいませ」と言ってくれて、お客さんとして、品選び、ちょっと汚れてたりすると、「何だコレ、変えてくれ・・・」俺は客だ、買ってやってるのだという意識。 
 その人が、役所へいって、自分の税金で食わしてやってる公務員(公僕)にお願いします。税金払って、消費税払って、税務署に言って銭払うのにお願いします。
 面白いなあ。

何もない

空気や水が無いと生きられないように、銭が無いと何も出来ない仕組みに成っている。この頃、選挙事務所がアチコチ立ち各地の選挙運動が盛んになりかけた。何処からプレハブの建物費用ばかりでなく、運動員がみなボランティアとは思えんし、それでも費用はかかる。銭の出所は気になる所だ。回りまわって、税金から出るならその扱っている業者が税金から儲けている。
 何処へ行ったにしても、一部の者意外は絶対にまともな仕事や立場は無い。生きていても仕方が無い半殺しの状態で存在するだけだ。
 生き甲斐のある仕事や、生き方や人生などというものは絶対に無い。

 全く違う生き方や方法が、あるかと思えど世界中何処へ行っても何をしても、出来る限りの事で不可能な事しかない。悪い方向へはいくらでも行けるが。

生まれた事は不幸の条件の第一歩

あまりにもひどいのが現実である。それを、隣で居ても立場が違うと全く人事のように見ている。きょう、アキちゃんを見た・ヨネさんの働いてるのも見た。元の職場でまた働きたい所なんか全く無いなあ。どれだけ酷い状態かだけが思い起こさせるだけだ。そんなものが、幸せだったといえるはずもない。 もううんざりだ。中年は元々絶対に諸語とは無い。宝国を引いてるようなものだ。若くても、まともな仕事なんて無い。
 それでいて、拷問など受けながらもただ生きていろと言う。無責任な人間ばかり。いかに、生きられるかが問題であるのに。ずーと生きててろくな事が無いといい続けてきたことが一番正解な現実だろう。
 
 1 一体自分に何が出来るか
 2 一般的に辛抱とか耐えて出来る程度のものか。
 3 苦しみ悶え毎日が拷問の様な状態では続くか。続けても生きてる意味もあるの   か

(年齢により拒否されるのは、障害者になったつもりで生きなければならない)
 三段階のうちで、二段階目が程度により境界線だろうと思う。

騙され続けて30年

騙され続けて30年
 ずーと昔から、発表は嘘ばかり。大本営発表の時からマスコミはみな。それ以前の新聞雑誌や瓦版に至るまで、やらせでっちあげの嘘ばかり。
 土木事業の建築の強度なんか、コンクリートやってた時の検査データの数字が捏造なんて何処でも。(しかし、安全側での数字が多かった)現実に余分見て設定はしてあるが。関西電力のデータ改ざん・JR・不二家・パロマもリンナイも大阪ガスだってみな報告してない死亡事故なんて山ほどある。テレビやニュースのやらせなんか当たり前。非難してるマスコミ各社だって本当にいい加減。
 
 暴力団の準構成員が正社員である構成員を上回った。派遣やパートと同じようにどの世界も社会現象としてある。
 外国人の研修生の受け入れとかいってブローカーが安価な労働力としてこき使うのも昔から。一番の武器は仕事を持ってる確保する営業力。人間はいくらでもいる。


性善説で始まったら危ない

みなと同じ事やってもダメ。養老猛さんが、25歳ころから虫の研究では喰えない。というのは、口に入れるものが無い。65歳になってやっと、本が売れた。→→その間に死んでも仕方ないくらいの気持ちで続けないと・・・・焦り過ぎて何も出来ずに死ぬのも怖い。 だから、焦らず自分のきちんとしたテーマを持って続ける事こそが意味ある。そうでなかったら、本当に何もなく寂しい死を向かえることになる。

 騙されるとという事はどうなんだろう。根底に欲があって、自分だけが徳をしたいと思うからなんだろうか。
 あの豊田商事事件だってしかり、後から後へと抵当証券やら・・・まあ種類は違うが、オレオレ詐欺というのは身内のかばい。
 16歳の頃エレキギターを安く買われて今も心残り。損はしてなくても、せっかく安く売ってもらったのに、しかもまだボロだとか文句言ってる。あいつの次に、Y君のは騙された。年もいって何故。最初は、バスで通って同情してやってて、口が上手でいい青年に見えたからだが。少しひつこいなと思った時に即警戒して縁を切らねばならなかった。やる事があまりにも汚い。
 まずは、時間を切ってあわてさせるのは、いちばん危険。何時まででないとかは、時期を逃せば損もあるが、危険も大きい。

ゴミ・ 裁判異常

ゴミも考えると、在庫のように金利がついていって損すると考えたら、物は減るだろう。それと、本当のゴミくずが多い時は整理しやすいし、捨てるだけだから思い悩む事は無い。結局、手にとって使わないのに、捨てられないで置いておくだけの物が年月を経るごとに多くなって身動きが取れなくなる。

周防監督の 「それでも僕はやってない」これはインパクトがある。結局今の裁判制度は異常だという事がわかる。調書の取り方。99.9%刑事事件で訴えたら有罪。アメリカ映画で裁判物が陪審員制度で、一般にもわかる形で進行するから出来る。日本なら、裁判官の話の間に通訳がいることになる。
 戦前も戦後最初はセクハラなんて言っても、女性は誰も相手にしてくれなかった。今は何でもないのに、でっち上げで訴えられたら有罪になってしまう。充分な調査もせずに。真犯人がわからなければ証明出来ないければ有罪。反動が極端。また被害者の人権が異常でまた揺り戻しがきてるが永年かけてまた反対の反動が大きすぎなければいいが。
 今の裁判官の成りかたもおかしいし、こんな理不尽なわけのわからない事が通っている事が異常で聖域とされている。

自分を何だと思っている

 お前は何様だ
一体自分を何だと思っている。馬鹿でどうしようもない出来の悪い奴なのに、中途半端に生きるからどうしようも無くなったのかもしれない。特に秀でたものが無いのも中途半端に自分を誤魔化してきたから得られなかったのだろう。素直になれず妙に思い上がってしまったりして。今までどうして、馬鹿な生活してきたんだ。全ては遅い。
 
人間はどんな人も、見かけの様に器の大きなものでない。北海道の組合の部長から係長への降格も、酒の上での無礼講などと言っても結局は受け止める笑って流す器などは無い。だから、逆にわかっていても、表面上は謙そんしても、褒められると嬉しい。子供みたいと言われながらも本来の人間の本質は変わらない。

関係があるか否か

関係があるか、関係ないか
 実際に接するものが無くて、新聞やテレビなど関係ない記事が多い。野次馬的な記事に殆どの大衆が振り回されているのではないか。何の関係があるのだ。
 さて、自分本人の事になると全く話にならんと思うのだ。一体何が大切か。自分の立場をハッキリと認識しなければ何も成らない。一番に自分がそうして何をやらなければ成らないか、何が出来るというのだ。
 あまりにも理不尽な働く所のめぐり合わせばかりで、生きてる感じがしないから。せいぜい喰ってさえゆけたら、気持ちが落ち着く、ゆっくり絵を書いたり写真を撮ったりネットサーフィンしたり、読書やDVDでもいいし、適度なJOGしたり。昔、ワイマールの政治家であったゲーテが何とか、指物師やパン焼きマイスターなどをなんと羨む事だろう・・・・・何か国語の本に書いてあったと思う

 少なくとも、試験室の仕事をしなくなった時、全く仕事的なものは無くなったのではないか。ただ他の条件で無茶苦茶に理不尽な面のある環境ではあったけれど。仕方なく行っても、いちばん象徴的な最後は木工の資材屋でパートの時給。何時までも何年やってもこのままでは同じで、馬鹿馬鹿しいし変に気を使って意味も無い。
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