2007年11月26日

家族の幸せと排他的宗教

ひよかさん)wisdomさんが色々な種類の思想、宗教を調べた理由は、真理を探求するため、また 人を愛するためなのですね。
・・・・愛情にあふれていて、常に人とともにあるのが、Wisdomさんの特徴ですね。


w)まあ〜!
素敵な表現していただき、ありがとうございます。



ひ)ルリアゲハさんは、JWに出会い、真理をつかんだと言う思いに到達された感があります。だからこそ、現状を愁いて反JWサイトもご覧になっていらっしゃる。

お二人とも立派ですね。


w)ルリアゲハさんは、本当に素敵だと、私も思います。



ひ)わたしの場合は、JWは手段でした。真理の探求ができても、家族が、誰も幸福だと感じられない教えでは、意味が無い、だからもっと学び、研究を深めたい・・・だから、経済の事もどうしても、もっと極めなくてはなりません。そんなことでしょうか。家族が不幸では何の意味もないと言うのが、わたしがJWを捨て去れた理由でしょうか。


w)家族の本には、いいことが たくさん書いてありますね。
家族愛の基本、子育ての基本が書いてあります。
ただアメリカ文化と日本文化の差異による違和感はあります。
宗教の普遍性についても考えさせられる本です。

ひよかさんが JWの教えをどれほど実践しても なお 家族を安心させれなかった理由は JWが世間に受け入れられない特別な思想を持っていること、つまり 独尊的で排他的な性質を持ち 一般社会の文化を否定する部分、それに 加えて 輸血の問題があったのではないかと思います。

社会と調和していく宗教であるならば ひよかさんの家族は 幸せになっていた事だと思います。

社会に受け入れられない教義、受け入れられない活動体制、社会文化を否定する思想が 家族を不調和にさせて 苦しみを作り 個人の努力ではどうにもならない状況を作った。

排他的な性格を持つ宗教には よくあることです。

家族とは 仲良くやれても 宗教ゆえに、親戚とは うまくやれない、 地域とは うまくやれない、学校とは うまくやれない、という状況を作る。
教義を見れば それも 当然だと思います。

人間心としては、神とも 世俗社会とも 仲良くやれる真理の方が いいですね。でも人間が真理を作るわけではありません。

真実の神が 世俗社会を切り捨てよ、と言われるなら 悲しくても 辛くても、家族や親戚や地域に愛を実践できなくても、それに従うしかないのかもしれません。


社会を切り捨て、一部だけが 救われる、救われるために 切り捨てる、そうゆう側面もある、
それが 悲しくなるところですね。
皆で 救われる方法はないの?
私が エホバ神に尋ねる質問は それだけです。

他の神様は 皆が救われると言っています。
何故 あなただけが そう言うのですか。
あなたが そう言うから 悲しみが 渦まく。

あなたは 本当に 唯一無二の根本神なのでしょうか。

ある神様は 皆 何もしなくても救われるという。

ある神様は 先祖供養して 善人として生きればよいと言う。

ある神様は 戒名をつければ救われるという。

ある神様は お題目を唱えれば救われるという。

ある神様は ご本尊を頂いたら救われるという。

ある神様は 勉強しないて救われないという。

ある神様は洗礼を受けないと救われないと言う。

ある神様は、ルールを守らねば救われないと言う。


そして 殆どの神様は 私こそが 神だ、という。


そう言わないと、人間は愚かだから、動物や石まで拝んでしまうからね。


本当は、全部の神様は 神様なのかもしれないなぁ〜。


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◎ エホバの証人について  ―― 最近の関心事 

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コメント一覧

1. Posted by ルリアゲハ   2007年11月26日 20:35
根本神→絶対的至高者

○自分の存在は事実だかなぜ、生物は存在するのか?
進化論か創造か?
○進化論なら偶然の連続性か必要。つまり確率論が成り立たなければならない。しかし科学者のあるかたは発見されている宇宙全体の原子のかずをはるかに上回る計算値になるとおっしゃる。つまり確率を操作する知恵が存在したと結論できる
○その知恵の源を神と呼ぶならその方はどの様に出現したのか
○神はその創り主からまたその方もその創り主からそしてさらに〜
○あるいは、最後にたどり着いた神はいつから存在するのか?
神を創るかたがいないなら永遠に存在していたことになる
●根本神はこの様な思考で求めていくと
全能者、至高者、永遠に生きている、終わりがないetcなど
聖書のなかにピッタリの方がいらっしゃいますよね?
話が飛躍的?書き込み制限あるんだもん
2. Posted by ひよか   2007年11月27日 03:02
wisdomさんの分析・・・凄いです!!

宗教の究極の目標は、利己心をなくし、利他的になり、神の属性を体現できる人になることだろうと思うのです。
そのために、様々な修行をし、自己と向き合い、心の統御。思いの調整。それを第一にしていく事で、世のため人の為につかえる事が出来、日々の暮らしの中でも、光を輝かせ、生きている喜びを体現でき、自他ともに幸福になれるはず。
 わたしも、それがJWでかなうと思っていました。
ところが、JWの場合、それは第一義ではなかったのです。

3. Posted by ひよか   2007年11月27日 03:11
JWでは、エホバ神のご意志の為に、個人の福祉を、犠牲にする事が尊ばれます。
宗教の目的が、あなたを幸福にします。といいながら、実際には今の幸福ではない。いつか?そのうち、きっと誰かが?つくりだしてくれるであろう楽園での幸福です。

エホバ神のためなら、死さえも恐れない戦士を作り出すことが、本当のJWの目的です。
これほどまでに、エホバを愛するJW信者は、イエス・キリストが、殺されたと同様に自分の組織内部の宗教指導者による殺人を受け入れる、従順な人々です。
彼らは、いつか来るエホバの救いを待ち、この世は終ると、おどされながら、価値のない人の世と、隔絶されていることを感謝して、家族・親戚・学校・地域から阻害されることを迫害と呼びながら日々を淡々と生きていらっしゃるのです。

彼らは、すすんで劇場の見世物になっていると思います。そうされる事を、究極の喜びとしているからです。


4. Posted by ひよか   2007年11月27日 03:36
さて、わたしの場合はまだ道の途中です。わたしの目標であった、司会者の様に、太く短く駆け抜けていく人生は、やめました。
エホバ神をあいしながら、この地球の神々とも折り合いをつけながら、生きていきたいのです。
これは、究極のどっちつかず、最も危ない橋を渡ろうとしているのかもしれませんね。
5. Posted by はな みずき   2007年11月29日 12:10
>本当は、全部の神様は 神様なのかもしれないなぁ〜。

↑これ、これですよ!wisdomさん。
私はこの結論に達しました(^o^)丿
どの道から登って行っても、たどり着く先は同じ至高の神さま。ひよかさんいわく「空極のどっちつかず」それでいいかなって思いますね〜。何か(教団・組織)を絶対的なものにした瞬間から、世界(視野)は狭くなり、窒息しそうな気がします。

wisdomさんの記事凄いですね。ずっとコメントしなかったけど読んでました。

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