2007年04月01日

パーム・サンデーとは

 今日、4月1日は、教会の暦では、パーム・サンデー(棕櫚:しゅろの木)と呼ぶ。イエス・キリストが30歳になられて、ガリラヤ湖の周辺からスタートされ、イスラエル地域を伝道された短い公の生涯の終わりの時期に、エルサレムの都に入場された日です。この時に、町の民衆は、「ホザナ!ホザナ!ダビデの子に栄光あれ!」と歓迎しました。民衆は上着を脱いで道に敷き,棕櫚(しゅろ:パーム)の葉を打ち振り、道に敷き、イスラエル国の救世主としての期待から迎えました。ところがイエスは、凱旋将軍ではなく、一人のラビ(ユダヤ教の教師)として、騎馬ではなく、小さいロバの子に乗られて入場されたのです。

 だが、民衆は歓迎しました。なぜなら、神の国を分かりやすく説いて人々を感動させていたからです。イエスのメッセージは、第一に「神を心をつくし、精神をつくし、思いをつくして愛しなさい」、第二に「あなたの隣人を自分を愛するように愛し、助けなさい」という2つでした.また、不治の病で苦しんでいる人たちを癒されていましたので、いつでもイエスのもとには人々が家族や友人たちが病人たち、精神病の人たちを連れてきたのです。イエスは、自分が病や体の障害を癒したとは言われませんでした。必ず「あなたの罪は許された。あなた自身の信仰があなたを救ったのです」といわれました。そして、エルサレムに入場前には、家族から愛されていたラザロという青年が死に墓に葬られていたのを甦らされたことは電撃のように人々の噂になりました。ですから、このイエスを人々は自分を救ってくれるという思いの人、ローマ帝国から開放してくれる救世主というようにさまざまな思いがありました。いずれにしろ、民衆は棕櫚(パーム)の葉を振って歓迎したのです。

 イエスには、大きな目的がありました。それは神の子としての使命です。人類が退廃し、多くの人々が苦悩していました。中でも、イスラエル国のユダヤ人は神から選ばれた民、選民でしたが、ローマ帝国の繁栄の中で、属国として重い税と徴兵があり、人々は行き先のない迷える子羊のような状況にありました。神を忘れ、戒めは形骸化していました。ユダヤの僧侶たちは堕落していました。
そのような罪の中に落ち込んでいた民衆を救うために自らが、一粒の麦として死に、人々に神の愛と救いを示すことでした。このためのエルサレム入場でした。その日がパーム・サンデーなのです.イエスの受難の始まりです。今週の金曜日にイエスは十字架にかけられて死にます。そして、3日目の日曜日に甦るのです。この記念の日は、イースター(復活祭)といい、今年の教会暦では、4月8日に当たります。
 今日は、私は教会での礼拝で新約聖書の「ルカによる福音書」から牧師のメッセージを聞きました。ちょうど4月3日が私の誕生日ですから、高校生のときに教会でイエスの信仰を受け入れて48回目のパーム・サンデーとイエスの受難週を迎えます。すべては感謝の一言につきます。



wisdom_mng at 23:00│Comments(0)TrackBack(0)聖書 

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