昨日は長崎の原爆の日でした。世界的にも、マスコミも、どちらかといえば広島の原爆の日を大きく扱っていますが、以下の記事(Dionisi氏の著書)では、長崎が彼等(イルミ=カバラ=悪魔崇拝者)の第一の標的だったと伝えています。
戦前、長崎そして日本政府はフリーメーソンを追放したようです。原爆投下はその報復だったのではないかと。もちろん、日本人を大量虐殺して人体実験をしたとか、悪魔への生贄だった可能性もあります。
それにしても、悪魔崇拝者らはキリスト教徒を世界から消滅させようとしているかのようです。歴史的に見ても長崎ではカトリック教徒が多いのは確かなようですが。。。悪魔崇拝者は純粋な信仰心のあるキリスト教徒が大嫌いなようです。
ただ、非常に残念なのは、彼等が所属するカトリック教会の総本山(バチカン)が実は悪魔崇拝者に乗っ取られているということです。既に16世紀にはバチカンはイエズス会(イルミナティ)に乗っ取られていたのではないかと思います。16世紀に伝道のために初めて日本にやってきたザビエルもイエズス会です。
歴史的にもタルムード(悪魔崇拝者の教義)を基にした大量虐殺が繰り返されています。世界を支配している悪魔崇拝者がこの世から消えてなくならない限り、恐ろしいことはこれからも続くのでしょうね。

https://www.henrymakow.com/
(概要)
8月9日付け

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194589日、ファットマン原子爆弾がアジア最大のカトリック浦上教会を直撃しました。その残骸が↑こちらに写っています。


この日、5万人のキリスト教徒が暮す長崎に原爆が投下されました。

長崎の当時の人口は25万人でしたが、そのうちの73,844人が犠牲となり、74,909人が負傷しました。そして12万人以上の人々が放射能の被害を受けました。


1926
年に長崎がフリーメーソンを追放したと言う事実を見落としてはなりません。

そして1930年代に日本はフリーメーソンの活動を完全に禁止したのです。

長崎に原爆が投下されたのはその仕返しだったのでしょうか。


原爆投下の秘密について記述したDavid Dionisi 氏の著書をJames Perloff氏がレビューしました。

1945年8月に日本に原爆が投下されましたが、それは全く不必要なことでした。その時、既に日本はアメリカが提示した終戦の条件をのみ降伏することを申し出ていたのです。

なぜ、トルーマンの支配者らは日本に原爆を投下するよう命令したのでしょうか。
タルムードの支配者層の精神病理を知れば知るほど、彼等が大量虐殺を楽しんでることが分かってきます。Dionisi氏の「原爆の秘密」を読むとさらに詳しく理解できます。


16
世紀にキリスト教宣教師が日本に初めて上陸したましたが厳しい迫害を受けました。それでも徐々に長崎を中心にキリスト教が浸透していきました。当時、長崎は日本のバチカンとまで言われていたほどです。
1945年の長崎には5万人のキリスト教徒が暮していました。

86日にエノナゲイ原爆投下機が広島にリトルボーイ(原爆)を投下し、89日にボックスカー投下機が長崎にファットマンを投下しました。

12人のクルーの殆どが小倉が第一の標的であり、そこが悪天候の場合は第二の標的に投下することになると考えていたのです。しかしDionisi氏は、投下機の航路を変更し長崎に投下することにした理由を視界の悪さとしたのは長崎の原爆投下を正当化しようとする意図があると説明しています。


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ファットマン爆弾は長崎の浦上教会を直撃しました。

後にトルーマンと政府当局者らは長崎には軍事標的の三菱造船所があったために長崎に投下したと説明しましたが、ボックスカー投下機は造船所の上空を通過し3マイル(約4.8km)先にある浦上教会まで飛んで行き、そこで仕返しの爆弾を投下したのです。
その結果、教会は破壊され、造船所は全く被害をうけませんでした。1909年に設置されたハンマーヘッドクレーンが無傷のまま今でもそこに保存されています。

実は、長崎は1926年にフリーメーソンを追放し、1930年代に日本はフリーメーソンの活動を全面的に禁止したのです。その仕返しとして長崎に原爆が投下されたのではないでしょうか。


Dionishi
氏によると、サタニスト(悪魔崇拝者)らは人間の生贄(人身御供)を行います。彼等は生贄の犠牲者(死人)からパワーを得ることができると信じているのです。

長崎では7万人の原爆犠牲者(その多くがキリスト教徒)が悪魔の祭壇の上で焼却されました。

 (長崎の原爆投下の儀式主義は9.11同時多発テロとよく似ています。9.11は単に地政学的な偽旗テロ事件ではなかったのです。そこにはオカルト的特性も存在しています。)

アメリカでは地球工学による災害(人工災害)が、なぜエスタブリッシュメントの本拠地の北東部ではなくキリスト教篤信地帯(特に南部、中西部)を襲い続けているのかについて長崎はそのヒントを与えてくれています。

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日本の原爆投下について考えるとき、大抵は広島が頭に浮かぶでしょう。しかし、Dionisi氏は、広島を重視することはPTB(死の兄弟)と彼が呼んでいる者たちによる心理的策略だと言っています。

最初に原爆投下された場所は人々の印象に強く残ります。しかし第一の標的は広島ではなくキリスト教徒が多く暮らしていた長崎だったのです。

原爆投下前には更にぞっとするようなことがあったのです。それは、ボックスカー投下機が日本に向けて離陸する前にカトリックの司教とプロテスタントの牧師は、ボックスカーに対して神の加護を祈るように説得されたため祈りました。しかし実際に原爆が投下された後、両者はそれを非常に後悔しました。


また、Dionisi氏は、原爆投下を正当化する口実を造った上で朝鮮半島や他の地域を分断するために原爆が使われることに関しても伝えています。
Dionisi氏の詳しい調査により、当時、日本の科学者チームが独自に原爆を開発していたことと、後に原爆開発を北朝鮮(当時は日本の保護下にあった)に移したことが分かりました。

日本の原爆開発に北朝鮮を選んだ理由は、北朝鮮ではウランが採掘されることとChosinダムで発電ができたからです。そして最も重要な点はアメリカの爆撃機が近寄れないところだったからです。


ソ連はたった5日間だけ太平洋戦争に参戦した褒美として戦後、北朝鮮を支配下に置くことを許されましたが、カバラがスターリン(フリーメーソン)に原爆の開発計画と原料調達を指示したと同時に日本でも原爆開発を行わせるように指示したのです。

沖縄で15万人以上の犠牲者を出した沖縄戦は戦争に勝利するために行ったのではありません。米国民に、日本に対する原爆投下の必要性を納得させるためだったのです。


Dionisi
氏の著書にはピョンヤンは共産主義北朝鮮の首都となった理由やオッペンハイマー(マンハッタン・プロジェクトの科学者チームのリーダー)にスパイ容疑がかけられた理由も詳細に書かれています。
オッペンハイマーや他の科学者らは、原爆は軍事標的を爆撃するため犠牲者数を制限できると誤解していたのです。長崎に原爆が投下された後にオッペンハワーがトルーマンに語った内容(記録)が消されました。
オッペンハワーは、「大統領、私の両手が血まみれになったように感じます。」とトルーマンに語ったのです。「死の兄弟」(カバラ)は、オッペンハイマーが後に水素爆弾に反対したために彼を嫌悪し、彼をソ連のスパイであるとして彼のキャリアを破壊しました。長崎では米軍の戦争捕虜らも犠牲になりました。