2008年01月14日

ご連絡:2008 年前半にブログを移転します

遅ればせながら、新年あけましておめでとうございます。

さて、記事のタイトルにつきまして、私の仕事ブログを別のところへ移転します。

別にLivedoorが嫌いになったとかではないです(笑)。
ある程度まとまった形での自己紹介や、料金表(!)なんかも設置したく、商用のコンテンツも含めきちんと構えたいなあ、と思っています。
もろもろ準備がありますので、移転は今年の春か、遅くとも前半には行いたい考えです。のんびりですみません。

料金表というのは、まだ本当に載せるか未定ですが、お仕事を依頼してくださる方とこちらの、双方の遠慮を減らすためにあったほうがいいかな、と思い始めました。Webディレクションの仕事でフリーランス、ってなかなか得体が知れないでしょうから…。

私が普段愛用しているブログサービスの「VOX」に、間借り的にブログを設置し、暫定的に記事を書き溜めていこうと思います。
あいにくユーザー登録をしないとコメントできない仕様なのですが、時々ご覧いただけましたら幸いです。
http://midorikawaemiko.vox.com/
すでに昨年末の振り返りや、Webディレクターって何?といった記事もアップしています。
当ブログもしばらくは、このまま設置いたします。

それでは本年も、どうぞよろしくお願いいたします。

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2007年10月07日

考える行為はとても「便利」だ

昨日はセミナーイベントでした。
懇親会さらには3次会まで参加し、Web制作者の方々と濃い時間を過ごしました。

インプットそのものの印象がとても強かったので、今朝は家事をこなしながら取り止めもなく考えては消え、の繰り返し。
やはりお酒が進んでしまったので、「何気ない言葉や仕草で人を傷つけたんじゃないか」などと回想してしまいました(苦笑)。

私の話が続きますが、学生の頃より「考え過ぎ」と指摘されていました。
「気にしすぎ」や「杞憂」の類ではなく、アウトプットを前提とした思慮だったり、戦略を練るのだったら、「考え過ぎ」も役には立つでしょう。
ディレクションやプロジェクト管理といった仕事は知的労働の一形態なので、「考え過ぎ」の中身は後者になります。ならないと周囲が困ります。
(私が新米ディレクターの頃は「気にしすぎ」や「杞憂」ばかりでした)

誰かが私を「君は考え過ぎだよ」と苦笑いで指摘する際、考え過ぎている私の意識はme方向(私自身へ向かっている)で、アウトプットを生み出すために考えまくる人の意識はus方向(本人と関わる人々へ向かっている)です。
※me方向もus方向も仮にそう呼んでみました。

まあ、プライベートな場でも、後で一人になったときに意識が「me方向」にならないように軽くブレーキを踏んでおきなさいということです。

さておき、私は考えるのが苦ではありません。むしろ好きというかつきまとってきます。
なぜか。
無意識のうちに、考えるという行為が、手ぶらでも・どこでもできる便利なものと捉えているからなのだと思います。

便利…そう、コンビニ(convenience storeは便利という意味の単語convenienceから来てる)みたいに、便利なものイコール本当にその人にとっていいのか、判らない。

かといって、人が便利と思ってとっている行動に対して「やめなさい」と止められるのは抵抗があります。

ただ言えるのは、考える環境やマインドセット(上記の意識の方向)をなるだけ心地よいものにしてあげることです。

もし考えごとが多い方や、仕事で考えことに多く時間を割く方がいれば、考えている時の意識の向きを把握して、環境作りをしてみるといいと思います。

たとえば、メモの習慣や付箋紙を持ち歩く、マインドマップの書き方を覚えたり、たくさん本を読む、人によっては昼休みのトイレタイムは呼吸を整えるとか、バランスボールで身体を鍛えるというもまで含まれるでしょう。
職業意識がある人は誰でも、実践的かつ実利的な「工夫」の経験もあるので、そう難しくないと思います。

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2007年05月27日

エレベーター感

Webサイトのナビゲーションを考える際だけでなく、文章を書く時やコミュニケーション全般に言えること。

自分は何階にいて、このエレベータは何階にあって、こちらに上ってきてくれるのか、ちょっと上の階にいるけど一旦上りきってからこちらに下りてきてくれるのか。

ここ1年くらいは、これだけを念頭に仕事をしている、と言っても過言ではありません。

「空気読めよ」と人が言うように、私は「現在地と距離、読めてる?」と問いかける。そのまんま言うのではなくて(笑)、別の言葉や図絵を使って制作中のページ構成や相談してくるデザイナー、クライアントの担当者に向き合う。

Webディレクターとは、各所(制作者・クライアント・ステークホルダー)の言い分の調整役や進行管理だけでなく、物事(プロジェクト)の調節役も担う人なのでしょうね。

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2007年04月24日

watch me (if you find).

CGMマーケティングの新潮流vol.3に参加しました。
http://ameblo.jp/hatarakanai/entry-10029703363.html

最近、CGM(Consumer Generated Media、媒体側ではなくエンドユーザーが寄り集まって情報を発信する仕組みのこと)関連のプレゼン・スピーチを聞く機会が増えてきました。ブログ記事を拾い読みするのも足せば、私自身のインプット全体の1割くらいに達するのではないでしょうか。

ちなみにVOXというブログサービスでは、ユーザー同士がリンクでき、そのリンクした相手を「近所」と呼んでいます。仕事でCGMを扱う方(マーケティング担当者・広報・Webマスター)と「近所」になると類友の原則というか、現場の意見に労なく触れられ、重宝しています。

ところで、ネット上で何か書くとき、人は「誰に見てもらいたいのか」「誰に見つけて欲しいのか」という意識でブログサービスなり、mixi日記なり、書く場所を決めるものである、と私は考えます。
「見つけて」というのは書き手の存在のものを見つけて欲しいという意味と、すでに自分を知っている友人にも、個性や趣味、意外な素顔を呼ばれる何かを発見して欲しいという意味の二通りがあります。

ここで私は敢えて「誰に読んでほしいのか」とは書きませんでした。
CGMに関するスピーチ(特にサービスの宣伝もの)を聴いていると「エンドユーザーは知ってもらいたいから△△する」「読んで欲しいから▽▽する」と述べています。そして1〜数枚のスライドの後「そこで当社は(私の場合は)□□を■■して…」と事例紹介や考察へと続きます。

そこに飛躍というか、サービス提供側の力が強すぎた部分や過剰な思い入れがあるのではないか。

実際に営業の場面で、その言葉を用いてクライアントを説得し、成約に繋げるのか。
確かに、安くないコストをかけて導入してもらうので、ブロガーは表現者だ、メディアだ、くらいの言葉を用いないとクライアントを説得するのが難しいかもしれません。

話を戻すと、どんなに熱心な語りをキーボードから打っていっても「読まれる」、ことを念頭に置いている人はどれだけいるのか(もちろん原稿料をもらったり、公平性のある文章を書く場合は読まれる事を意識するでしょう)。
「読む」という語彙を用いていても、意識下では「誰かに"見て"もらう」「誰かの様子を"見る"」と置き換えているエンドユーザーは多いと推測します。
つまり認知してもらう、書き手自身の気持ちや状況をつかみ取ってもらうということ。

ブログを書くエンドユーザーは「見て」ないし「見つけて」欲しくて、そしてそうしてくれる相手のいるところで書く。「表現」という言葉には当てはまらない、ある意志がある。
日本では、log的な要素より、「見て見てー」の要素が強いのだと思います。

そして見て欲しい人に見てもらえなくなった、という理由でブログに飽きてしまった、SNSにアクセスしなくなった、もしくは新たに見て欲しい対象が生まれたからコミュニティやブログサービスを引っ越したというのはよくある話で、逆に言えばサービス提供側はユーザーの移動に対するフォローが出来たら申し分ないということ。

今日聴いたお話では、急激に起きた何らかのムーブメントに対する「機動力」がCGMの強みだいう意見がありました。マスメディアでは立ち上がりが遅いし、ピントがずれているいて対応できていないと。同意です。
機動力を維持ないし向上させながら、エンドユーザーの「見て」欲しい・「見つけて欲しい」願望をどれだけ囲っておけるのか。流失したらしたでどんな受け皿を用意しようとするのか。

「見てもらう」と「読まれる」の違いは言葉遊びのようですが、サービス提供側は的確な言葉を選ぶことで、エンドユーザー(CGMのC)の意識のベクトルを把握しましょう、と言いたいです。

当然ながら、営業の方々の努力や折衝ゆえに制作の仕事が発生します。
彼らに敬意を払いつつも、これまでよりさらに営業担当のプレゼンスキルやボキャブラリー・受注への経緯に注目したいと思いました。

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2007年03月02日

3月のイベント参加予定

今月は名古屋や大阪へ行きます。

新幹線に駆け込みちょっと居眠りをして目を覚ますと、とたんに東京での生活を客観視し始めてしまいます。
それがとてもリフレッシュになるし、自戒にもなるのです。

3月10日 CSS Nite in Nagoya 2007
3月17日 第12回WebSig会議 
3月24日 CSS Nite in Osaka 2007 春の陣

また、アップルの直営店限定のカスタマーサービス「ProCare」に加入しているので、ちょこまかとグループレッスンを受ける予定です。
Podcastにも興味があります。

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2007年02月28日

Webディレクターの気遣い考

Webディレクターと書いて「気遣いの人」とルビを振る、というのはアリでしょうか。
賛否を超えて理想論であり、
・Webディレクター≠制作職
・Webディレクター≒サービス業
という考え方です。
私のこれまでの経験や、交流会での雑談を聞く限り、そう思う人は少なからず存在しています。
(統計とっていませんが)

想像の域を出ませんが、同時にWebディレクター(以下ディレクターとします)といってもPM(プロジェクト・マネージャー)寄りにガリガリとミッションを遂行すればいい(ないし、すべき)とか、「仕切り」こそディレクターの本質だとか、プロデューサーの補助としてマメに進行管理をするものだ、と思う方もいらっしゃるでしょう。
特に最後の場合は、Webサイトの運用体制が自社で完結し、上司の権限が強い組織によく見られ、ディレクター当人もそうやって心理的にわりきっているかもしれません。

私は、Webディレクターと書いて「気遣いの人」とルビを振るのは本質であると信じている節がありますが、それはサービス業やグループセクレタリーの経験も影響しています。
そして、以前はサービスのスキルは丁稚奉公的に身につけるものだと思いこんでいましたが(ある部分では真実だと思いますが)、ようやく近年になって自分の中の「下僕っぽさ」が取れてきたと感じます。
※考えましたが、下僕っぽくなるのは性格の問題というより、結果論で、コミュニケーションのストレスや、誰かが「やらされてる」と思いこむネガティブさを、咀嚼も客観視もせず吸収し続けた結果ではないでしょうか。

昨日も、ある個人開業の方にヒアリングをしていて気づいたのですが、いまの私は
・気遣い=最適化(のために働きかけること)
と捉えているのではないか。
その方から「Webの更新を楽にして」「やりやすく」「コンテンツを整理して」と聞き出しているうちに、「最適化」という言葉が何度も出てきました。

ここでは気遣いとは最適化、心理面でいうと気持ちよく仕事をできること、と解釈します。それは大変ですが、適切にコミットして(かかわりあいに納得して)いれば、やっていて気持ちよいです。
一番実践的なのは、コミュニケーションにおいて、各メンバーのストレスや齟齬を0に近づけること(メールの書き方・送り方などなど)です。

さらに、「メンバーに発見の機会を与える・いまやっていることに発見があると気づいてもらう」ことも、最適化のうちに挙げられるのではないか。

みんな、発見することは大好きですし、発見は進歩の種であり、それ自体にセラピー的な効果もあります。

発見はいろいろな場面で起こります。たとえば、役割分担がキッチリとしたプロジェクトでは上流の(戦略を練る)レイヤーの出した仮説と、その裏付け(市場調査やユーザーテストの結果など)を、デザイナーさんやライターさんに提示してあげること。FYI(For Your Information、参考情報)のメールに気の利いた言葉を差し込んで、相手の作業が終わるころに送信すること。
発見は、きっかけこそ与えられても、相手の中で自発的に起こるものです。トップダウン式に押しつけるのではなく、依頼の根拠として・的確なタイミングで、ポジティブなショックを与え、ふだんと使っているのと違う脳の部分(彼らも想像力や制作について日々考えています)を使ってもらうこと。もしこれが実現したらと思うと、想像しただけで嬉しいし、段取りした甲斐があります。

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2007年02月17日

Webデザインの上達方法

mixiの、クリエイターやデザイナー向けのコミュニティで、Webデザイナーを始めて1年という学生さんが、デザインの上達方法を訊ねていました。

そのトピックのレスポンスの最初の3つが、情報設計の大事さを説いていることに、ちょっと驚きました。

mixiの日記なり、コミュニティのトピックを使った事のある人は体感されていると思いますが、生まれたてのトピックの初期のレスポンスは、「はいっ!」と立ちながら挙手!というような、伝えたい衝動がすごく込められているものです。

そういう初期衝動の、エネルギーの濃い段階に、制作レイヤー(デザイナーやアートディレクター)であろう回答者が情報設計を訴えるというのは、IA(情報設計・インフォメーション・アーキテクチャー)の認知度やニーズもあがってきたんだなぁと実感しました。

情報設計というのは一言でいうと、「サイトのユーザーが、つまずくことなく欲しい情報をゲットする、仕組みづくり」です。
たとえば、B公園があって、そこの最寄り駅に A駅がある。情報設計とは、A駅からBという公園までの道路を舗装したり、正確でキレイな看板を設置したり、土地勘のある人の良さそうなおばさんがいたり、ということを考えたり手配することです。

業界においてWebの情報設計は、(プロジェクト全体の)ディレクターの仕事というイメージが強いし、実践もそうだったりします。
「インフォメーション・アーキテクト」という専任の職種もあらわれ始めましたが、現状ではその人の会社での所属はディレクター部門だったり、名刺の同じ行(つまり肩書き欄)にディレクターと併記されていたりしています。
人員やコストの都合上、デザイナーがそれをやるとしたら、「ディレクター寄りのデザイナー」として位置づけられたりもします。

情報設計だけの専門の人つけてよー。と叫びたくなるくらい、知識も素養もたくさん求められるのですが、デザイナーにも基礎的な能力は求められているようです。
正しくは、もともと制作チームの中で無意識に潜在的に求められてきたことが、きちんと言葉として、必須スキルとして明言されてきたと言えます。

それはいいことだと思うし、でもますますハードルが高くなってきたなあとも思います。

さて、話を戻しますと、私ならなんと答えるか。
まず、仕事に煮詰まった場合も、極力常識人・一般人であってくれ、と言うと思います。
それは営業やディレクターやクライアントと協力しあって仕事をするためでもあるし(笑)、デザインとは人間の常識にのっとった情報の誘導・案内でもあるからです。

あとは、自分を負のスパイラルに落とす、肌に合わない精神論や自分を責める気持ちを排除すること、それが可能な環境をつくること。
Webに直結しなくても、「いいもの」「きれいだと思うもの」をよく観察こと。
好みの女の子や男の子に見とれるという意味ではなく(笑)。
そして大事なのは、同時に、いいものだけを見ようとしないこと。

きれいでわかりやすい資料・本に触れる。それらを教えてくれる、「リアル(SNSやブログ上だけの付き合いでなく、直接会って話し合いができる)」の友だちを持つ。

また、Webに限らず、クリエイターの方達がよく実践するのは、模倣です。
手書きで、良いと言われている・良いと思うサイトのレイアウトを紙に書き出してみると、体得できると思います。

最後に、「情報設計」や「情報の分類」というのは、自分の中の概念や哲学の成熟度と、常識の実践度とがいいバランスをとれるようになってからのほうが、うまくできるものだと考えています。
しかし、つまずいている新米のデザイナーさんに20代後半くらいになるまで待て、ですとか、怒られたからといって早々に「オレはセンスが無いんだ」と決めつけてしまわれるのは、残念だし妥当ではないと思います。

結論としては、タフで健全なマインドを持つこと、ある一定の期間突き詰めて作業をし続けること、よい教え手やメンターに出会ったり、求めることでしょうか。

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2007年01月20日

手の手入れをしました

いまさら、という感もありますが、初めてネイルサロンへ行きました。

もともと爪が薄く、ヒビが入りやすいに上にささくれが目立つ手でしたが、PCに向かえば必ずキーボードを打つ手を見ることになるので、「周辺視野」としての手がストレスの元になっていました。
また、手元は自分が思うよりも他人の視界に入るものです。最近は企業の社長やキャリアのある方々とお話する機会もあり、荒れた手を見せることで経験豊富な方々に対し、(私にそのつもりがなくても)「疲れているなこの人」と心配されないか、気がかりでした。

そんなことを考えさせられたきっかけは、同業者の方との新年会でした。
あるWebデザイナーさんのネイルが透明感のある、可愛らしい赤色に塗られていて、服装やメイクにマッチしているのに見とれると同時に己を振り返ったのでした。

奮発して、今までの分をリカバリーするかのようにあれこれ頼みました。
爪の形を整え、スクラブで指先まで角質を取り、爪の表面のデコボコをならし、マッサージをパックをしてから、爪にベースコートを塗り、マニキュア、トップコートと重ねていきました。
しかしプロだからこそ、の技術と効果だと判っていても、こんなに手間ひまお金がかかるとは。そんなに頻繁に通うのは無理です…。

今後もセルフケアを怠らないよう、書き残しておきます。


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2007年01月15日

カウボーイのことわざ・新年のごあいさつ

2007年の当ブログはスロースタートとなりました。

この年末年始は風邪をひき、読書に耽け、年越し蕎麦や雑煮を作っては振る舞い、神社で自分と自分に関わる人々の健康を祈り、久々に友人と会ったり里帰りしたりと過ごしました。

3連休があけてから、いくつか面会やヒアリングをこなし、「じゃあ、よろしくお願いします」と切り上げる直前にかわす言葉に、互いの本音をかいま見て「ああ仕事相手は設計書やメールではなくて人なんだよな」と当たり前のことに気づかされています。

「一生独身でいたかったら、完璧なタイプを追い求めろ」というカウボーイのことわざがあるそうです。

あいにく結婚の話ではなく(笑)、仕事の完成度と妥当性は敵同士ではないんだよ(喧嘩させるな)、ということをよく言い表しているなぁと思います。下世話な引用で恐縮です。ことに調整役・ファシリテーター的な役割を担う人間には押さえどころではないでしょうか。
昨年は「魂のこもった仕事ぶり」を褒められつつも注意された自分としては、時々このことわざを思い出し、励んで参りたいと思います。

2007年もどうぞよろしくお願いいたします。

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2006年12月31日

無関心の効果・そして御礼

今年最後のエントリーになりました。

《彼ら(情念にとらわれた人たち)は自分に義務を課し、自分をしばりつけている。自分の苦痛を愛撫しているのだ。ぼくの思うに、彼らが自分のばかげた姿にいらいらして、ますますはげしく泣き出しているあの癇の虫でもいるように泣く子供と似ている。「なんだこれは?子供が泣いているだけじゃないか」と言えば、自分を救うことができるだろう。まだ、生き方がわかってないのだ。それに、生き方というのを、人はあまりにも知らなさすぎる。ぼくはこう考ていえる。しあわせになる秘訣の一つは、自分の気分に無関心になるということだ。》
(アラン著・神谷幹夫訳『幸福論』より)

2006年は新陳代謝の激しい一年でした。
そもそも案件というのは別れというか、自分が手を引く時が必ず訪れるものです。別れを惜しむ間もなく空いたところに新しいアイデア、気づき、新しいアサインが舞い込んできました。

ずっと「ディレクターとは人を信じないことだ(クライアントやメンバーを信頼する姿勢は大前提であるが)」と頑なに信じていた自分も、秋に大量の設計書やドキュメントを作成しクライアントへのトレーニングまで行ったことで、考え方が変わりました。ある面では事実とはいえ、今思うと恥ずかしい限りです。

先日読み返したものですがアランの言葉は、今年の自分にとって言いえて妙でした。
これからも「物事を成し遂げること」について、機械的にならずに打ち込んでいけたら、と思います。
仕事内容は変わらないかも知れませんし、変わるかも知れませんが、文字情報デザイン・情報設計・プロモーション・ファシリテーションといった要素がキーワードとなりそうです。

みなさま、大変お世話になりました。
私の力不足ゆえに伝え切れなかった御礼は、来年、お会いしたときやブログでのフィードバック、仕事で恩返しさせてください。

お体に気をつけて、よいお年を。
2007年もどうぞよろしくお願いいたします。

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