<続>ネットと選挙、函館の場合
2007年04月23日
統一地方選挙後半戦が終わった。現職対前助役で争われていた函館市長選挙は、前助役で新人の西尾氏が現職の井上氏に圧倒的な大差をつけて当選という結果となった。
主要政党がこぞって支持を打ち出し、地元財界の後押しもあった現職市長に対して、西尾氏は完全な草の根選挙で戦った。徒手空拳ともいえる新人候補が頼りにしたのは、ウェブ(ブログ)という武器だった。以前別のところで書いたように、今回の選挙は告示以前の段階で西尾氏側からブログを使ったかなり積極的な情報発信が行われ、市民ブロガーも巻き込んだ議論が高密度に展開されていた。井上氏側も、それにつられる形でウェブサイトを開設したものの、ネットの使いこなしという面では明らかに西尾氏側に一日の長があった。
もちろん、ブロゴスフェア(ブログ界)の言論が今回の選挙結果に重大な影響をおよぼした、などとは思っていない。むしろ、これまで取り沙汰されてきた市政をめぐる不明瞭な状況、あるいはハコモノ行政かソフト重視かという政策をめぐる判断、それに多選を嫌った有権者の感情など、様々な要因が絡んでいるだろう。
とはいえ、結果を見ればブログ界の言論は有権者の想いのある種の先鋭的な部分を先取りしていたかのようにも見える。函館と選挙をめぐるブログ界での発言は、多かれ少なかれ現職批判の傾向が強く、結果として西尾氏支持、もしくは共感する方に傾いていたように、僕は感じた。その中からは、これまで新聞などメインストリームメディアの「フィルター」に阻まれて共有されることのなかった、匿名的ではあるけれど非常にリアリティのあるたくさんの言葉を読み取ることができた。
少数の人々が情報をコントロールする時代から、多くの人々によって情報が共有され、ダイナミックに編集されていく新しい時代へ。ウェブの世界は、いち早くそうした動きに移行している。これから、こうした参加型のウェブ的な社会構造がフィジカルな社会にも広く、そして不可逆的に浸透していくだろう。函館においてその先鞭をつけた転機として、今回の選挙は後々記憶されることになるのかもしれない。
もっとも、ウェブ的な社会構造には脆弱さもある。参加の平等性を保つための努力もまだまだだ。だから、ウェブ的なリテラシーを持った最初の市長として、西尾さんには市政における「情報デザイン」的な視点をぜひ持って欲しいと切に願う。
最後に一つ。僕自身は、西尾氏の掲げたビジョンのうち非常に共鳴できたことがある。それは、彼の政策の中に人口減少に対する危機感が強く打ち出されていたことだ。自分が昨年、「Shrinking Cities」のプロジェクトに協力したこともあって、都市の縮小問題をどうやって乗り越えていくか大きな関心を持つようになり、今春からこのテーマで新たに立ち上げたNPOをベースに様々な事業を展開していくが、このタイミングで、新市長がこうした危機意識をちゃんと持って市政に臨んでくれることを、頼もしく思う。とはいえ、僕は縮小はあながち悪いことばかりとは捉えていないので、そこに対抗するためのアプローチも、たぶん行政的な考え方・やり方とは明らかに違うところも出てくると思う。
ともあれ、新市長のもとでの4年間は、縮小都市ハコダテにとってとっても大事な時期になるに違いない。
主要政党がこぞって支持を打ち出し、地元財界の後押しもあった現職市長に対して、西尾氏は完全な草の根選挙で戦った。徒手空拳ともいえる新人候補が頼りにしたのは、ウェブ(ブログ)という武器だった。以前別のところで書いたように、今回の選挙は告示以前の段階で西尾氏側からブログを使ったかなり積極的な情報発信が行われ、市民ブロガーも巻き込んだ議論が高密度に展開されていた。井上氏側も、それにつられる形でウェブサイトを開設したものの、ネットの使いこなしという面では明らかに西尾氏側に一日の長があった。
もちろん、ブロゴスフェア(ブログ界)の言論が今回の選挙結果に重大な影響をおよぼした、などとは思っていない。むしろ、これまで取り沙汰されてきた市政をめぐる不明瞭な状況、あるいはハコモノ行政かソフト重視かという政策をめぐる判断、それに多選を嫌った有権者の感情など、様々な要因が絡んでいるだろう。
とはいえ、結果を見ればブログ界の言論は有権者の想いのある種の先鋭的な部分を先取りしていたかのようにも見える。函館と選挙をめぐるブログ界での発言は、多かれ少なかれ現職批判の傾向が強く、結果として西尾氏支持、もしくは共感する方に傾いていたように、僕は感じた。その中からは、これまで新聞などメインストリームメディアの「フィルター」に阻まれて共有されることのなかった、匿名的ではあるけれど非常にリアリティのあるたくさんの言葉を読み取ることができた。
少数の人々が情報をコントロールする時代から、多くの人々によって情報が共有され、ダイナミックに編集されていく新しい時代へ。ウェブの世界は、いち早くそうした動きに移行している。これから、こうした参加型のウェブ的な社会構造がフィジカルな社会にも広く、そして不可逆的に浸透していくだろう。函館においてその先鞭をつけた転機として、今回の選挙は後々記憶されることになるのかもしれない。
もっとも、ウェブ的な社会構造には脆弱さもある。参加の平等性を保つための努力もまだまだだ。だから、ウェブ的なリテラシーを持った最初の市長として、西尾さんには市政における「情報デザイン」的な視点をぜひ持って欲しいと切に願う。
最後に一つ。僕自身は、西尾氏の掲げたビジョンのうち非常に共鳴できたことがある。それは、彼の政策の中に人口減少に対する危機感が強く打ち出されていたことだ。自分が昨年、「Shrinking Cities」のプロジェクトに協力したこともあって、都市の縮小問題をどうやって乗り越えていくか大きな関心を持つようになり、今春からこのテーマで新たに立ち上げたNPOをベースに様々な事業を展開していくが、このタイミングで、新市長がこうした危機意識をちゃんと持って市政に臨んでくれることを、頼もしく思う。とはいえ、僕は縮小はあながち悪いことばかりとは捉えていないので、そこに対抗するためのアプローチも、たぶん行政的な考え方・やり方とは明らかに違うところも出てくると思う。
ともあれ、新市長のもとでの4年間は、縮小都市ハコダテにとってとっても大事な時期になるに違いない。
携帯電話と郊外型モールに通底するもの
2007年03月29日
3年ほど使っていた携帯電話の充電池が完全にへたってしまった。出張先でショップに出向いたところ、ポイントがだいぶ溜まっていたので、発売されたばかりの新製品に無料で機種変更することができた。
こういう仕事の割に無頓着だったが、それにしてもこの3年間の携帯電話の多機能化は今さらながら驚かされる。今まで使っていた機種は厚みが3cm以上もあって、メールと携帯サイトのブラウジング、それに僅かなアプリが使えるくらいのものだった。それが今度の機種では音楽プレーヤーにPCサイトビューアーはもちろん、カメラは200万画素を超え、ワンセグチューナーとFMラジオ、おサイフ機能も加わり、それでいて厚みは2cm、重さ130gに収まっている。
PCやネットをヘヴィに使わない人なら、「これさえあれば十分」と思わせるほどの重装備ぶりには本当に感心してしまう。おそらく、提供する側もユーザーがすべてを使いこなすとは考えていないのかもしれない。大事なのは「これさえあれば十分」と思わせることであって、その所有の安心感や利便性を喚起させることに携帯電話のマーケティングは腐心しているのだろう。
最近の仕事で、「モバイルメディアと個人や社会の関係」をテーマに様々な分野の研究者や実践家に立て続けにインタビューを行ったのだが、その中でちょっと面白い見解に出会った。消費社会をめぐる論考や分析で知られるある論客が、こんな風に言っていた。「ケータイがつくり出すコミュニケーション空間と、郊外型のショッピングモールは、どちらも『世界の狭さ』という意味で似通っている」と。
コンテンツを選択的に消費する行為に最適化した現在の携帯電話と、ショッピングも食事も映画も楽しめる快適な消費空間としてのモール。確かにそこには、奇妙な符合を感じる。しかも、おサイフケータイやQRコードといった「ユビキタス」系の機能は両者を緊密に結びつけようとしているようだ。上記の人がいう「世界の狭さ」とは、そのアーキテクチャの中の見事な集積性や自己完結性、さらにその「外側」が巧妙に遮蔽されていることを意味するのだろう。もちろん、僕らはモールや携帯というシステムの「外側」に本来の生活があって、それらは自分たちの生活のごく一部にしか関与していないことを知っている。にもかかわらず、その「内側」に取り込まれることに妙な安堵を覚える瞬間があることもまた、否定できない。
だからと言って、携帯電話や郊外型モールを一方的な批判に晒すのもあまり生産的とはいえないだろう。僕らに問われているのは、システムのあてがいぶちの使い方をどうやったら自分たち自身の手でデザインし直せるのか、ということだ。身のまわりにあるモノ・コトを「素材」「資源」として見なし、それらを自分たちのコンテクストに合わせて改変していくこと。スクウォッティング(空き家占拠)やベンディング(改造)といった実践に僕が惹かれるのは、あてがいぶちの状況を打開する戦略や戦術へのヒントがそこにあるからだ。
こういう仕事の割に無頓着だったが、それにしてもこの3年間の携帯電話の多機能化は今さらながら驚かされる。今まで使っていた機種は厚みが3cm以上もあって、メールと携帯サイトのブラウジング、それに僅かなアプリが使えるくらいのものだった。それが今度の機種では音楽プレーヤーにPCサイトビューアーはもちろん、カメラは200万画素を超え、ワンセグチューナーとFMラジオ、おサイフ機能も加わり、それでいて厚みは2cm、重さ130gに収まっている。
PCやネットをヘヴィに使わない人なら、「これさえあれば十分」と思わせるほどの重装備ぶりには本当に感心してしまう。おそらく、提供する側もユーザーがすべてを使いこなすとは考えていないのかもしれない。大事なのは「これさえあれば十分」と思わせることであって、その所有の安心感や利便性を喚起させることに携帯電話のマーケティングは腐心しているのだろう。
最近の仕事で、「モバイルメディアと個人や社会の関係」をテーマに様々な分野の研究者や実践家に立て続けにインタビューを行ったのだが、その中でちょっと面白い見解に出会った。消費社会をめぐる論考や分析で知られるある論客が、こんな風に言っていた。「ケータイがつくり出すコミュニケーション空間と、郊外型のショッピングモールは、どちらも『世界の狭さ』という意味で似通っている」と。
コンテンツを選択的に消費する行為に最適化した現在の携帯電話と、ショッピングも食事も映画も楽しめる快適な消費空間としてのモール。確かにそこには、奇妙な符合を感じる。しかも、おサイフケータイやQRコードといった「ユビキタス」系の機能は両者を緊密に結びつけようとしているようだ。上記の人がいう「世界の狭さ」とは、そのアーキテクチャの中の見事な集積性や自己完結性、さらにその「外側」が巧妙に遮蔽されていることを意味するのだろう。もちろん、僕らはモールや携帯というシステムの「外側」に本来の生活があって、それらは自分たちの生活のごく一部にしか関与していないことを知っている。にもかかわらず、その「内側」に取り込まれることに妙な安堵を覚える瞬間があることもまた、否定できない。
だからと言って、携帯電話や郊外型モールを一方的な批判に晒すのもあまり生産的とはいえないだろう。僕らに問われているのは、システムのあてがいぶちの使い方をどうやったら自分たち自身の手でデザインし直せるのか、ということだ。身のまわりにあるモノ・コトを「素材」「資源」として見なし、それらを自分たちのコンテクストに合わせて改変していくこと。スクウォッティング(空き家占拠)やベンディング(改造)といった実践に僕が惹かれるのは、あてがいぶちの状況を打開する戦略や戦術へのヒントがそこにあるからだ。
ネットと選挙、函館の場合
2007年03月22日
統一地方選挙が間近に迫ってきた。僕が住む函館でも、4月22日投票の函館市長選挙の動向が注目されている。
今回の選挙に立候補を表明しているのは、三選目を目指す現職と、前助役の2人。現職市長とかつての腹心の対決という図式になった背景には、市街化調整区域への福祉施設の建設をめぐって浮上した「疑惑」が取り沙汰されており、前助役はその過程で受けた地元経済誌からの個人攻撃を直接の引き金として市役所を辞職、今回の立候補に至った。これら一連の経緯については、以下のブログに詳しく整理されているのでご覧いただきたい。
[HAKODADI 函館の政治と経済]
http://www.doblog.com/weblog/myblog/75157
[函館のニュースな出来事。とか。]
http://www.doblog.com/weblog/myblog/17136
[NIGHT VIEW]
http://nightvievv.exblog.jp/
立候補を表明した前助役と、現職市長が対照的なのが、ネットの活用だ。前助役氏が早々にブログを立ち上げ、これまで一連の経緯に関して自らの意見表明を行ってきたほか、立候補表明後はブログの機能を取り込んだ後援会のウェブサイトが開設され、きめ細かい情報提供がなされている。一方、現職市長の方は現時点ではウェブサイトはなく、印刷物のパンフレットが確認できるのみだ。
さて、前助役陣営のサイトを一読して目を引くのは、立候補にあたり発表した非常に詳細なマニフェストだ。マニフェストを発表する候補は国政などでは珍しくなくなってきたが、函館では初の本格的なものだ。内容としては、僕がこのブログで再三取り上げてきたような「都市の縮小」に対する危機感の表出と、それに対抗するための抜本的な打開策を読み取ることができて興味深かった。このように、具体的で広範囲にわたる政策を発表しその是非を問うという、本来いたって真っ当なやり方が、ウェブというメディアの手助けによって叶ったことを、まずは評価したい。
また、上記にあげたブログの周辺や学生グループなどから、今回の選挙戦を機に公開討論会や市議アンケートを行おうという人達も出てきた。函館の選挙は、国政・地方に限らずつねに投票率が低いことが指摘され続けてきたが、ブログによって顕在化した若い世代によるこのアクションが、もしかしたら市民の政治参加のあり方を変える原動力になっていったら面白いと思う。
[「函館市長選公開討論会」を実現する若者の会 ]
http://hakodateshichosen.blog97.fc2.com/
[市議アンケートを実施する会]
http://shigi.main.jp/
[道南市民オンブズマン]
http://www.h-maneki.net/ombudsman/
YouTubeやSNSなど様々なソーシャルメディアを駆使して展開される昨今のアメリカの選挙に比べれば、函館のこうした動きは、よちよち歩きの赤子に等しい状態だ。もとより、ネットを使った政治活動は日本では制約もあるし、ネットを使いこなせる市民の層も大都市圏に比べたらまだ低く、状況的に見れば、地元財界の後押しがあって従来型の選挙戦術に長けた現職の方が優勢だとする見方は根強い。だが、ひょっとしたら…とも思う。ブログ界を含めた草の根的な支持を広げていこうとする(今風に言うなら、集合知の力を借りる)新しい選挙のかたちが奏功する可能性はあるのか? あと一カ月のあいだ、目が離せない。
(追記:070323)
上の記事をエントリーした翌日、現職市長陣営もようやくサイト開設したことが判明。直接当事者だけではなく、様々な市民によるブログも巻き込みながら、函館で初めてネットを駆使した選挙の前哨戦が始まったことになる。
(さらに追記:070323)
肝心の立候補予定者のウェブサイトへのリンクがないのはなぜ?という問い合わせをいただきました。両陣営ともサイトが揃った段階で追加しようと思っていたので、以下リンクしておきます。
[前助役側]
http://www.nishio-m.com/
[現職側]
http://www.tukuru21.com/
今回の選挙に立候補を表明しているのは、三選目を目指す現職と、前助役の2人。現職市長とかつての腹心の対決という図式になった背景には、市街化調整区域への福祉施設の建設をめぐって浮上した「疑惑」が取り沙汰されており、前助役はその過程で受けた地元経済誌からの個人攻撃を直接の引き金として市役所を辞職、今回の立候補に至った。これら一連の経緯については、以下のブログに詳しく整理されているのでご覧いただきたい。
[HAKODADI 函館の政治と経済]
http://www.doblog.com/weblog/myblog/75157
[函館のニュースな出来事。とか。]
http://www.doblog.com/weblog/myblog/17136
[NIGHT VIEW]
http://nightvievv.exblog.jp/
立候補を表明した前助役と、現職市長が対照的なのが、ネットの活用だ。前助役氏が早々にブログを立ち上げ、これまで一連の経緯に関して自らの意見表明を行ってきたほか、立候補表明後はブログの機能を取り込んだ後援会のウェブサイトが開設され、きめ細かい情報提供がなされている。一方、現職市長の方は現時点ではウェブサイトはなく、印刷物のパンフレットが確認できるのみだ。
さて、前助役陣営のサイトを一読して目を引くのは、立候補にあたり発表した非常に詳細なマニフェストだ。マニフェストを発表する候補は国政などでは珍しくなくなってきたが、函館では初の本格的なものだ。内容としては、僕がこのブログで再三取り上げてきたような「都市の縮小」に対する危機感の表出と、それに対抗するための抜本的な打開策を読み取ることができて興味深かった。このように、具体的で広範囲にわたる政策を発表しその是非を問うという、本来いたって真っ当なやり方が、ウェブというメディアの手助けによって叶ったことを、まずは評価したい。
また、上記にあげたブログの周辺や学生グループなどから、今回の選挙戦を機に公開討論会や市議アンケートを行おうという人達も出てきた。函館の選挙は、国政・地方に限らずつねに投票率が低いことが指摘され続けてきたが、ブログによって顕在化した若い世代によるこのアクションが、もしかしたら市民の政治参加のあり方を変える原動力になっていったら面白いと思う。
[「函館市長選公開討論会」を実現する若者の会 ]
http://hakodateshichosen.blog97.fc2.com/
[市議アンケートを実施する会]
http://shigi.main.jp/
[道南市民オンブズマン]
http://www.h-maneki.net/ombudsman/
YouTubeやSNSなど様々なソーシャルメディアを駆使して展開される昨今のアメリカの選挙に比べれば、函館のこうした動きは、よちよち歩きの赤子に等しい状態だ。もとより、ネットを使った政治活動は日本では制約もあるし、ネットを使いこなせる市民の層も大都市圏に比べたらまだ低く、状況的に見れば、地元財界の後押しがあって従来型の選挙戦術に長けた現職の方が優勢だとする見方は根強い。だが、ひょっとしたら…とも思う。ブログ界を含めた草の根的な支持を広げていこうとする(今風に言うなら、集合知の力を借りる)新しい選挙のかたちが奏功する可能性はあるのか? あと一カ月のあいだ、目が離せない。
(追記:070323)
上の記事をエントリーした翌日、現職市長陣営もようやくサイト開設したことが判明。直接当事者だけではなく、様々な市民によるブログも巻き込みながら、函館で初めてネットを駆使した選挙の前哨戦が始まったことになる。
(さらに追記:070323)
肝心の立候補予定者のウェブサイトへのリンクがないのはなぜ?という問い合わせをいただきました。両陣営ともサイトが揃った段階で追加しようと思っていたので、以下リンクしておきます。
[前助役側]
http://www.nishio-m.com/
[現職側]
http://www.tukuru21.com/
コンペという形態が持つ教育効果について
2007年03月15日
3年間にわたって関わってきた、モバイルメディアの研究活動が一区切りを迎えることになった。半導体メーカーのルネサステクノロジがスポンサーになった「SH-Mobileラボ」という活動だ。SH-Mobileというのは、ルネサス社の主要製品の一つで、大概の携帯電話に搭載されているアプリケーションプロセッサ。メールやウェブのブラウジングはもちろん、カメラや音楽プレーヤーやワンセグチューナー、おサイフ機能など全てをつかさどる携帯電話の心臓部といってもいい。
[SH-Mobileラボ]
http://shm-consortium.renesas.com/jpn/lab/index.html
こうした技術指向の会社がスポンサーだったにもかかわらず、SH-Mobileラボではずいぶんと自由な議論と実践をやらせてもらい、感謝している。最初の2年間は、コアメンバーが主体となって5〜10年先のモバイルの姿を概念的にプロトタイピングする活動が中心となった。モバイルを技術とビジネスという現在の原動力からではなく、都市や身体やデザイン、アートといった文脈から捉え直すこと。そして、コアメンバー自身が望む新しいモバイルの進化の姿をプロトタイピングすること。そうした目標のもと、モバイルツールと連携するコミュナル(共同的)なインテリアの試作である「ユビキターブル」や、今では存在理由が揺らいでしまった公衆電話ボックスを「どこでもドア」として再生させるアイデア、iPod的なコンテンツ消費手段ではなく環境情報を能動的にピックアップする「虫眼鏡」のようなツールといった、モバイルの多系進化の可能性を見据えた提案をまとめることができた。
そして2006年度は、セミクローズドな研究会の内部での検討から、コンセプトとプロセスを社会に対してオープンする方法として、学生を対象にしたアイデアコンペの形態をとることになり、「2029年のモバイルコミュニケーションのかたち」をテーマに様々な提案を募った。なぜ2029年かといえば、国内で携帯電話(自動車電話)が商用サービスを始めてからちょうど半世紀という設定。現在の携帯電話からの漸進的な進化を簡単に予測することができない時代における、かなり飛躍のあるアイデアを求めたかったからだ。
国内外からの数十件におよぶエントリーを一次審査で絞り込み、残った4人の学生からの提案をさらに最終審査でジャッジする。二段構えのコンペというのもなかなかハードではあるが、なおかつ今回の試みがユニークだったのは、最終審査に挑む学生諸君と僕らコアメンバーが一堂に会する合同ワークセッションを数度にわたって開催したことだ。僕らは審査員という立場も兼ねているので、個々の提案に対して細かい注文や指導に踏み込むことはできなかったが、それでも、「2029年のモバイルコミュニケーション」というテーマに対して改めて個々の関心領域から問題提起を行ったり、共通して抱えるテーマや課題に対して、随分と容赦ないダメ出しやアドバイスを行った。学生諸君もそれにめげることなく、自分なりにアイデアを練り直し、結果的にはなかなか興味深い提案が、最終審査会に揃った。
審査結果は近々、ラボのウェブサイト上で公開することになる(すでに速報はITmediaでニュース記事がアップされているのでそちらを参照していただきたい。下記参照)が、ここでは今回のアイデアコンペが持っていたある種の「教育」的な二次的効果について簡単に触れておきたい。
[ITmedia +Dモバイルの記事]
http://plusd.itmedia.co.jp/mobile/articles/0702/27/news096.html
審査員と応募者とがプロセスを共有し、ある意味「並走」「伴走」するという形態は、この種のコンペではあまり例がないかもしれない(建築のコンペなど、実用指向のものでは成立する場合はあるが)。だが、こうした並走、伴走のプロセスにこそ、大きな学びの可能性が隠れていることに気づかされたのである。そう気づかせてくれたのは、応募学生と一緒に行った「打ち上げ」の飲み会での、受賞した学生の一言だった。コアメンバーの一人が何の気なしに賞金はどう使うのか訊ねたところ、ある学生が「こうしたワークセッションを、自主開催するための資金にしたい」などという実に殊勝な答えが返ってきたのである。これには僕らも感心させられた。
いやもちろん、周りの大人に配慮しての社交辞令も混じっているのだろうが、かなりの比率で本心がそこには透けて見えているんじゃないか、と僕は感じた。彼らは大学、そして大学院とそれなりにレベルの高い教育環境に属しながらも、そこに欠けている何かを、こうしたインフォーマルな、それでいてかなり「濃い」ワークセッションの場から受け取っていたのではないだろうか。
この一連のプロセスをカタチを変えた教育活動として捉えると、ここでは、大学のような教育機関がカバーしきれない、先鋭的で同時に現場感覚にも直結したプロジェクト指向の学びの場を形成していたのかもしれない。もしかすると、新しいメディア・デザインをめぐる学びというのは、実は個々の教育機関が抱え込んでいるそれぞれのリソースだけで貫徹することは難しくて、こうした、まるで「私塾」のような場だからこそ取り組むことができる場合もあるのかもしれない……残念ながらSH-Mobileラボの活動は今年度で終了するけれど、もし同じようなプロジェクトに再度取り組む機会があったら、十分に考慮できなかった副次的な教育的機能をどう取り込めるか、ちゃんと考えて設計してみたいものだ。
[SH-Mobileラボ]
http://shm-consortium.renesas.com/jpn/lab/index.html
こうした技術指向の会社がスポンサーだったにもかかわらず、SH-Mobileラボではずいぶんと自由な議論と実践をやらせてもらい、感謝している。最初の2年間は、コアメンバーが主体となって5〜10年先のモバイルの姿を概念的にプロトタイピングする活動が中心となった。モバイルを技術とビジネスという現在の原動力からではなく、都市や身体やデザイン、アートといった文脈から捉え直すこと。そして、コアメンバー自身が望む新しいモバイルの進化の姿をプロトタイピングすること。そうした目標のもと、モバイルツールと連携するコミュナル(共同的)なインテリアの試作である「ユビキターブル」や、今では存在理由が揺らいでしまった公衆電話ボックスを「どこでもドア」として再生させるアイデア、iPod的なコンテンツ消費手段ではなく環境情報を能動的にピックアップする「虫眼鏡」のようなツールといった、モバイルの多系進化の可能性を見据えた提案をまとめることができた。
そして2006年度は、セミクローズドな研究会の内部での検討から、コンセプトとプロセスを社会に対してオープンする方法として、学生を対象にしたアイデアコンペの形態をとることになり、「2029年のモバイルコミュニケーションのかたち」をテーマに様々な提案を募った。なぜ2029年かといえば、国内で携帯電話(自動車電話)が商用サービスを始めてからちょうど半世紀という設定。現在の携帯電話からの漸進的な進化を簡単に予測することができない時代における、かなり飛躍のあるアイデアを求めたかったからだ。
国内外からの数十件におよぶエントリーを一次審査で絞り込み、残った4人の学生からの提案をさらに最終審査でジャッジする。二段構えのコンペというのもなかなかハードではあるが、なおかつ今回の試みがユニークだったのは、最終審査に挑む学生諸君と僕らコアメンバーが一堂に会する合同ワークセッションを数度にわたって開催したことだ。僕らは審査員という立場も兼ねているので、個々の提案に対して細かい注文や指導に踏み込むことはできなかったが、それでも、「2029年のモバイルコミュニケーション」というテーマに対して改めて個々の関心領域から問題提起を行ったり、共通して抱えるテーマや課題に対して、随分と容赦ないダメ出しやアドバイスを行った。学生諸君もそれにめげることなく、自分なりにアイデアを練り直し、結果的にはなかなか興味深い提案が、最終審査会に揃った。
審査結果は近々、ラボのウェブサイト上で公開することになる(すでに速報はITmediaでニュース記事がアップされているのでそちらを参照していただきたい。下記参照)が、ここでは今回のアイデアコンペが持っていたある種の「教育」的な二次的効果について簡単に触れておきたい。
[ITmedia +Dモバイルの記事]
http://plusd.itmedia.co.jp/mobile/articles/0702/27/news096.html
審査員と応募者とがプロセスを共有し、ある意味「並走」「伴走」するという形態は、この種のコンペではあまり例がないかもしれない(建築のコンペなど、実用指向のものでは成立する場合はあるが)。だが、こうした並走、伴走のプロセスにこそ、大きな学びの可能性が隠れていることに気づかされたのである。そう気づかせてくれたのは、応募学生と一緒に行った「打ち上げ」の飲み会での、受賞した学生の一言だった。コアメンバーの一人が何の気なしに賞金はどう使うのか訊ねたところ、ある学生が「こうしたワークセッションを、自主開催するための資金にしたい」などという実に殊勝な答えが返ってきたのである。これには僕らも感心させられた。
いやもちろん、周りの大人に配慮しての社交辞令も混じっているのだろうが、かなりの比率で本心がそこには透けて見えているんじゃないか、と僕は感じた。彼らは大学、そして大学院とそれなりにレベルの高い教育環境に属しながらも、そこに欠けている何かを、こうしたインフォーマルな、それでいてかなり「濃い」ワークセッションの場から受け取っていたのではないだろうか。
この一連のプロセスをカタチを変えた教育活動として捉えると、ここでは、大学のような教育機関がカバーしきれない、先鋭的で同時に現場感覚にも直結したプロジェクト指向の学びの場を形成していたのかもしれない。もしかすると、新しいメディア・デザインをめぐる学びというのは、実は個々の教育機関が抱え込んでいるそれぞれのリソースだけで貫徹することは難しくて、こうした、まるで「私塾」のような場だからこそ取り組むことができる場合もあるのかもしれない……残念ながらSH-Mobileラボの活動は今年度で終了するけれど、もし同じようなプロジェクトに再度取り組む機会があったら、十分に考慮できなかった副次的な教育的機能をどう取り込めるか、ちゃんと考えて設計してみたいものだ。
『縮小都市のサバイバルガイド』を考える
2007年03月01日
このブログの最初のエントリーで、ドイツ・ベルリンの建築家グループが主宰する「シュリンキングシティーズ」(縮小する都市)のプロジェクトについて紹介した。このプロジェクトの研究成果を報告する展覧会が、先月中旬まで東京・秋葉原で開かれていた。昨秋、僕が調査をお手伝いした函館を含む欧米日の縮小都市の現状が、映像や統計データの視覚化などで示されたほか、東京大学の大野秀敏研究室が提唱する「ファイバーシティ」という、2050年の東京へ向けての提案もあわせて展示された。
[Shrinking Cities]
http://www.shrinkingcities.com/
[縮小する都市に未来はあるか]
http://www.sfa-exhibition.com/
[ファイバーシティ]
http://www.fibercity2050.net/
会場では、建築家・都市デザイナーを中心に日替わりのトークインも開催され、僕もディレクターの一人として、「コミュニティに根ざした情報デザイン」というテーマを担当した。当日は、空間系のデザイナーはもちろんだが、ウェブやインタラクションデザイン系のデザイナーも多数参加してくださり、ささやかながら領域横断的な場ができたことはうれしかった。
トークインの前半ではまず、ゲストから簡単な活動報告をしてもらい、そのトピックと僕からの問題提起をもとに、後半で全員参加のブレーンストーミングをし、最後に全体で共有するという構成をとった。前半でレクチャーしてもらったゲストは、慶應義塾大学環境情報学部で教鞭をとる加藤文俊助教授、NPO横浜コミュニティデザイン・ラボ常務理事で『ヨコハマ経済新聞』編集長の杉浦裕樹さん、そして千葉大学大学院でデザインを学ぶ鳥巣智行さんの3人。
[加藤研究室]
http://fklab.net/
[ヨコハマ経済新聞]
http://www.hamakei.com/
[TTPPP]
http://ttppp.com/
カメラ付き携帯電話を使ったフィールドワークの結果を絵ハガキにしたり、街の人と一緒に歩いている様子をポッドキャストで配信したりという、加藤さん達の手づくりメディア的な実践。街ネタを丹念に拾ってアーカイビングするために、新聞という分かりやすいフォーマットをウェブの上に定着させようとする杉浦さん。習志野の市民一人ひとりを主役にしたポスターなど、グラフィックデザインの力を使って街をアニメート(活気づける)させようとした鳥巣さん――3人の活動は、微妙に領域が異なりながらも、小さなメディアやデザインを文字通りの媒介役として機能させ、コミュニティの内と外に新しい関係を築こうとするという点で見事に共振していた。
これらゲストからの活動報告をもとに、僕の方からは「縮小都市のためのコミュニティウェア」のアイデアを出してもらう、という「お題」を出させてもらった。全員参加のブレーンストーミングでは、地域SNS的なメディアツールのような今日的なプラン出た一方で、都市の縮小によって増え始めている空き地や「シャッター通り」化した商店街をそのままコミュニティウェアとして仕立て上げることができないかといった一風変わった提案も飛び出した。コミュニティという、抽象的なテーマ設定ではあったけれども、落としどころが具体的になっていったのは、やはり空間系と情報系の両方を横断する相互触発的な議論ができたおかげだと思っている。
今回の展覧会や一連のトークインの内容は、出版物としてまとめられる予定だが、僕は僕でまた別の企画を考えている。ユーゴスラビア内戦が激しかった10年以上前、サラエボで活動していたFAMAというグループが、戦場と化した街でいかに生き延びるかをシニカルに綴ったガイドブック風の『サラエボ旅行案内』という本。あんな感じの本が、テーマを都市の縮小に置き換えて実現できないだろうか?と。
日本の社会がこれから辿る縮小という未来。函館という縮小都市に暮らしている意味は、少しだけその未来を先取りしているということかもしれない。だとしたら、先取りしている分だけ、縮小に対抗できる知恵を紡ぎ出すココロの余裕があるという風に捉えてみてもいいだろう。そこから、どんな発見ができ、どんな新しいアイデアを生み出せるのか。『縮小都市のサバイバルガイド』は、そんなスタンスでつくってみたい。
[Shrinking Cities]
http://www.shrinkingcities.com/
[縮小する都市に未来はあるか]
http://www.sfa-exhibition.com/
[ファイバーシティ]
http://www.fibercity2050.net/
会場では、建築家・都市デザイナーを中心に日替わりのトークインも開催され、僕もディレクターの一人として、「コミュニティに根ざした情報デザイン」というテーマを担当した。当日は、空間系のデザイナーはもちろんだが、ウェブやインタラクションデザイン系のデザイナーも多数参加してくださり、ささやかながら領域横断的な場ができたことはうれしかった。
トークインの前半ではまず、ゲストから簡単な活動報告をしてもらい、そのトピックと僕からの問題提起をもとに、後半で全員参加のブレーンストーミングをし、最後に全体で共有するという構成をとった。前半でレクチャーしてもらったゲストは、慶應義塾大学環境情報学部で教鞭をとる加藤文俊助教授、NPO横浜コミュニティデザイン・ラボ常務理事で『ヨコハマ経済新聞』編集長の杉浦裕樹さん、そして千葉大学大学院でデザインを学ぶ鳥巣智行さんの3人。
[加藤研究室]
http://fklab.net/
[ヨコハマ経済新聞]
http://www.hamakei.com/
[TTPPP]
http://ttppp.com/
カメラ付き携帯電話を使ったフィールドワークの結果を絵ハガキにしたり、街の人と一緒に歩いている様子をポッドキャストで配信したりという、加藤さん達の手づくりメディア的な実践。街ネタを丹念に拾ってアーカイビングするために、新聞という分かりやすいフォーマットをウェブの上に定着させようとする杉浦さん。習志野の市民一人ひとりを主役にしたポスターなど、グラフィックデザインの力を使って街をアニメート(活気づける)させようとした鳥巣さん――3人の活動は、微妙に領域が異なりながらも、小さなメディアやデザインを文字通りの媒介役として機能させ、コミュニティの内と外に新しい関係を築こうとするという点で見事に共振していた。
これらゲストからの活動報告をもとに、僕の方からは「縮小都市のためのコミュニティウェア」のアイデアを出してもらう、という「お題」を出させてもらった。全員参加のブレーンストーミングでは、地域SNS的なメディアツールのような今日的なプラン出た一方で、都市の縮小によって増え始めている空き地や「シャッター通り」化した商店街をそのままコミュニティウェアとして仕立て上げることができないかといった一風変わった提案も飛び出した。コミュニティという、抽象的なテーマ設定ではあったけれども、落としどころが具体的になっていったのは、やはり空間系と情報系の両方を横断する相互触発的な議論ができたおかげだと思っている。
今回の展覧会や一連のトークインの内容は、出版物としてまとめられる予定だが、僕は僕でまた別の企画を考えている。ユーゴスラビア内戦が激しかった10年以上前、サラエボで活動していたFAMAというグループが、戦場と化した街でいかに生き延びるかをシニカルに綴ったガイドブック風の『サラエボ旅行案内』という本。あんな感じの本が、テーマを都市の縮小に置き換えて実現できないだろうか?と。
日本の社会がこれから辿る縮小という未来。函館という縮小都市に暮らしている意味は、少しだけその未来を先取りしているということかもしれない。だとしたら、先取りしている分だけ、縮小に対抗できる知恵を紡ぎ出すココロの余裕があるという風に捉えてみてもいいだろう。そこから、どんな発見ができ、どんな新しいアイデアを生み出せるのか。『縮小都市のサバイバルガイド』は、そんなスタンスでつくってみたい。
未来を紡ぐデジタルアーカイブ
2007年02月22日
約2カ月ぶりのエントリーになってしまった。この間、公私色々な事情で更新が滞ってしまい、読者の方々にはお詫び申し上げます。
さて今回は、函館で行っているデジタルアーカイブについての研究活動について書きたい。僕が関わっている地元のIT系活動団体である函館マルチメディア推進協議会が地域デジタルアーカイブの研究事業をスタートさせたのは2002年。04年には、「Hakodadigital」という名前でかなり大きな規模の事例発表や交流を目的としたフォーラムを行っている。そして2月下旬には、これまで静かな感じで進んできた活動の中間報告をかねて、東京から招聘したゲストの研究発表も含んだ公開ワークショップを行った。
[Hakodadigital]
http://nextdesign.cocolog-nifty.com/hakodadigital/
デジタルアーカイブの構築や公開に取り組んでいる地域は全国各地にある。先進的なところでは京都、沖縄の事例はよく知られているところだ。アーカイブするに値するコンテンツが豊富なこと――つまり長い歴史をもち、有形無形の文化財がたくさんある――はこの種の研究にとっては重要な条件だが、函館もそんな条件に恵まれた都市だ。
一例をあげておこう。今回の公開ワークショップの会場に使った函館市中央図書館は一昨年開館した新しい施設だが、明治時代に私設の図書室として産声をあげてから今日まで、この図書館に収蔵されてきた史料は膨大な数にのぼる。幕末から明治維新にかけての様々な絵図、地図、古写真、古文書、ポスター、絵はがき、はては昔の百貨店で使われていた包装紙や商品ラベルまで。こうした史料の大部分は、今まで旧図書館の書庫でホコリをかぶって陽の目を見ることはほとんどなかった。せっかくの史料を埋もれさせたままにせず、地域で共有される歴史的な記憶として活用できるようにしよう、と同館の職員や地元にある情報系の大学・公立はこだて未来大学の研究者によるコラボレーションが始まった。
[函館市中央図書館]
http://www.lib-hkd.jp/
[公立はこだて未来大学]
http://www.fun.ac.jp/
古写真などを一枚一枚丹念にスキャンしたり再撮影していく地道な作業のすえ、現在では1万3000点におよぶ史料がデジタル化がされている。上に述べた、2004年に開いたフォーラムの記録集を編集した際に、僕もこのうち4000枚ほどの絵はがきの画像データ全てに目を通す機会があったが、昭和初期の函館の、今よりもずっと活気があった街並みと、そこを闊歩するモダンな男女の姿に改めて驚いたりした。このデジタル化した画像を、再び写真パネルという「フィジカルなカタチに戻して」、市役所などのパブリックスペースで公開するパネル展も二度ほど実施した。そこでは、写真を見ながら「ここら辺に住んでいてねぇ」とか「ここに写ってるこの病院に勤めてたよ」とか、思い出話をしてくれる年配の方々がたくさんいた。デジタル化が、眠っていたマチの記憶を引き出すトリガーになるんだな、と実感できた瞬間だった。
これから函館では、ある程度蓄積されるようになったデジタル化史料を、少しずつ公開していくための術を編み出していくことになりそうだ。たぶんそこでは、未来大学で研究しているインターフェイス技術のようにデジタルなものをデジタルなまま見せていく方法も使うだろうし、地域でこの価値を共有してもらうためには、展覧会や出版物のようにいったんフィジカルなものに落とし込む作業も欠かせないだろう。もちろん、まだデジタル化されていない事物も山のようにあるので、それも丹念に貯めていくことも続けなくてはいけない。僕らと一緒に函館マルチメディア推進協議会に関わっている公立はこだて未来大学の川嶋稔夫教授は、「貯めることは、人間の“性”かもしれない」と言う。そして、「100年、1000年先を見据えながらの営みだ」とも。アーカイブとは、歴史(過去)と関わりながら、同時に未来を紡ぎ出していくための技術なのかもしれない、と思っている。
さて今回は、函館で行っているデジタルアーカイブについての研究活動について書きたい。僕が関わっている地元のIT系活動団体である函館マルチメディア推進協議会が地域デジタルアーカイブの研究事業をスタートさせたのは2002年。04年には、「Hakodadigital」という名前でかなり大きな規模の事例発表や交流を目的としたフォーラムを行っている。そして2月下旬には、これまで静かな感じで進んできた活動の中間報告をかねて、東京から招聘したゲストの研究発表も含んだ公開ワークショップを行った。
[Hakodadigital]
http://nextdesign.cocolog-nifty.com/hakodadigital/
デジタルアーカイブの構築や公開に取り組んでいる地域は全国各地にある。先進的なところでは京都、沖縄の事例はよく知られているところだ。アーカイブするに値するコンテンツが豊富なこと――つまり長い歴史をもち、有形無形の文化財がたくさんある――はこの種の研究にとっては重要な条件だが、函館もそんな条件に恵まれた都市だ。
一例をあげておこう。今回の公開ワークショップの会場に使った函館市中央図書館は一昨年開館した新しい施設だが、明治時代に私設の図書室として産声をあげてから今日まで、この図書館に収蔵されてきた史料は膨大な数にのぼる。幕末から明治維新にかけての様々な絵図、地図、古写真、古文書、ポスター、絵はがき、はては昔の百貨店で使われていた包装紙や商品ラベルまで。こうした史料の大部分は、今まで旧図書館の書庫でホコリをかぶって陽の目を見ることはほとんどなかった。せっかくの史料を埋もれさせたままにせず、地域で共有される歴史的な記憶として活用できるようにしよう、と同館の職員や地元にある情報系の大学・公立はこだて未来大学の研究者によるコラボレーションが始まった。
[函館市中央図書館]
http://www.lib-hkd.jp/
[公立はこだて未来大学]
http://www.fun.ac.jp/
古写真などを一枚一枚丹念にスキャンしたり再撮影していく地道な作業のすえ、現在では1万3000点におよぶ史料がデジタル化がされている。上に述べた、2004年に開いたフォーラムの記録集を編集した際に、僕もこのうち4000枚ほどの絵はがきの画像データ全てに目を通す機会があったが、昭和初期の函館の、今よりもずっと活気があった街並みと、そこを闊歩するモダンな男女の姿に改めて驚いたりした。このデジタル化した画像を、再び写真パネルという「フィジカルなカタチに戻して」、市役所などのパブリックスペースで公開するパネル展も二度ほど実施した。そこでは、写真を見ながら「ここら辺に住んでいてねぇ」とか「ここに写ってるこの病院に勤めてたよ」とか、思い出話をしてくれる年配の方々がたくさんいた。デジタル化が、眠っていたマチの記憶を引き出すトリガーになるんだな、と実感できた瞬間だった。
これから函館では、ある程度蓄積されるようになったデジタル化史料を、少しずつ公開していくための術を編み出していくことになりそうだ。たぶんそこでは、未来大学で研究しているインターフェイス技術のようにデジタルなものをデジタルなまま見せていく方法も使うだろうし、地域でこの価値を共有してもらうためには、展覧会や出版物のようにいったんフィジカルなものに落とし込む作業も欠かせないだろう。もちろん、まだデジタル化されていない事物も山のようにあるので、それも丹念に貯めていくことも続けなくてはいけない。僕らと一緒に函館マルチメディア推進協議会に関わっている公立はこだて未来大学の川嶋稔夫教授は、「貯めることは、人間の“性”かもしれない」と言う。そして、「100年、1000年先を見据えながらの営みだ」とも。アーカイブとは、歴史(過去)と関わりながら、同時に未来を紡ぎ出していくための技術なのかもしれない、と思っている。
シナリオにもとづくデザインの可能性
2006年12月21日
前回のエントリーで、未来を可視化する「バックキャスティング」という方法について触れた。僕自身は、望ましい未来像を共有した上で現在へと振り返り、何をなすべきかを考えていくというバックキャスティングのコンセプトに共鳴して、これまでに色んな現場でワークショップを手がけている。今日はそのワークショップについて紹介したい。
バックキャスティングで考えた未来像をより分かりやすく、より共感しやすいカタチにすること。そのために、僕は「シナリオ」という方法に注目している。シナリオを使ったデザイン手法は、ウェブサイトの構築やインターフェイスの開発といった情報デザインの分野ではかなり浸透し始めている。情報デザインの道具を、別の分野への応用・転用を図りたい、というのが僕の考えであることは以前も述べた。そこで、多様な人々が知恵を持ち寄るワークショップを通して、未来のビジョンをシナリオという形式にすることができれば、より具体性を帯び、説得力に満ちたものになるんじゃないか、というわけだ。2004年2月に地元函館で実施した「ハコダテ・スミカプロジェクト」という都市再生をテーマに据えた行政・民間共催のイベントを皮切りに、あちこちの現場でバックキャスティング+シナリオメイキングのワークショップを手がけているところだ。
こうしたシナリオの中で主役を演じるのは、「ペルソナ」とよばれる仮想のキャラクターだ。このブログ(Windows Live Journal)の金曜日分を担当している山形浩生さんが訳出した、アラン・クーパーの『コンピュータはむずかしすぎて使えない!』という本に詳しく紹介されているように、ペルソナは漠然としたユーザー像ではなく、名前や容貌や趣味など設定の厚みを持った、まさに登場人物として位置づけられる。彼・彼女=ペルソナがある時間軸に沿った経験を記述するシナリオの中に、実現すべき機能やデザインの要件を盛り込んでいくことで、開発者の独善ではなく真にユーザー視点に立ったデザインを目指そう、というのがペルソナ/シナリオ法の狙いだ。こうしたデザイン手法はすでに、マイクロソフトなどの主要ITベンダーや、ウェブサイト構築の現場などでかなり導入が進みつつある。
[ペルソナとシナリオを使ったデザイン]
http://search.live.com/results.aspx?q=%E3%83%9A%E3%83%AB%E3%82%BD%E3%83%8A%E3%80%80%E3%82%B7%E3%83%8A%E3%83%AA%E3%82%AA&mkt=ja-JP&form=QBRE&go.x=0&go.y=0&go=Search
(LiveSearch検索結果)
前述の「ハコダテ・スミカプロジェクト」では、2022年の函館で暮らす人々のシナリオをづくりを2日間のグループワークでで行った。下は小学4年生、上は70歳代の人まで文字通り老若男女が5つのグループをつくって、実際に街を歩き、暮らしている人にインタビューをし、それらフィールドワークで得た発見をもとに、未来の街での暮らしを想定するストーリーを考え、さらにそれを魅力的な提案に仕立てるべく、様々な道具と材料を使って表現をしていった。
わずか2日間で、ほとんど初めて会った人達が、世代や分野の隔てなく体験を共有し、一つの知的アウトプットを生み出す。この何ものにも代えがたい時間からは、実に様々な作品=提案が飛び出した。あるグループは、大阪から観光で訪れた夫妻が10年後に函館に移住し寿司屋を開くまでをシミュレートし、またあるグループは、高齢者が函館を「ついのすみか」として定めるにあたり未来の街並みに整備された様々な生活基盤をリアルに描出し、また別のグループは、地域の祭りの準備に忙しい子供や大人達の目線を通して、生活圏としての復活の姿を表現力豊かにプレゼンテーションした。
登場人物を決めてストーリーをつくる、という手法は、まちづくりや都市計画にそれほど強く関心がなく、また専門知識のない市民でも、比較的スムーズに共同作業に入り込むことができたという効果があったことは間違いない。また、どうしても「空間」や「建物」の議論に終始しがちな都市再生の議論を、「時間」やそこでの人の「経験」という軸に転換することで、想像力を広げ、都市に内在される様々な領域――ビジネス、教育、環境、交通、観光、アートなど――まで含めたバラエティあふれる提案につながったことも、大きな収穫だった。情報デザインの知見が都市デザインやコミュニティづくりにも役立ちうる、という確信を持つことができた。
バックキャスティングで考えた未来像をより分かりやすく、より共感しやすいカタチにすること。そのために、僕は「シナリオ」という方法に注目している。シナリオを使ったデザイン手法は、ウェブサイトの構築やインターフェイスの開発といった情報デザインの分野ではかなり浸透し始めている。情報デザインの道具を、別の分野への応用・転用を図りたい、というのが僕の考えであることは以前も述べた。そこで、多様な人々が知恵を持ち寄るワークショップを通して、未来のビジョンをシナリオという形式にすることができれば、より具体性を帯び、説得力に満ちたものになるんじゃないか、というわけだ。2004年2月に地元函館で実施した「ハコダテ・スミカプロジェクト」という都市再生をテーマに据えた行政・民間共催のイベントを皮切りに、あちこちの現場でバックキャスティング+シナリオメイキングのワークショップを手がけているところだ。
こうしたシナリオの中で主役を演じるのは、「ペルソナ」とよばれる仮想のキャラクターだ。このブログ(Windows Live Journal)の金曜日分を担当している山形浩生さんが訳出した、アラン・クーパーの『コンピュータはむずかしすぎて使えない!』という本に詳しく紹介されているように、ペルソナは漠然としたユーザー像ではなく、名前や容貌や趣味など設定の厚みを持った、まさに登場人物として位置づけられる。彼・彼女=ペルソナがある時間軸に沿った経験を記述するシナリオの中に、実現すべき機能やデザインの要件を盛り込んでいくことで、開発者の独善ではなく真にユーザー視点に立ったデザインを目指そう、というのがペルソナ/シナリオ法の狙いだ。こうしたデザイン手法はすでに、マイクロソフトなどの主要ITベンダーや、ウェブサイト構築の現場などでかなり導入が進みつつある。
[ペルソナとシナリオを使ったデザイン]
http://search.live.com/results.aspx?q=%E3%83%9A%E3%83%AB%E3%82%BD%E3%83%8A%E3%80%80%E3%82%B7%E3%83%8A%E3%83%AA%E3%82%AA&mkt=ja-JP&form=QBRE&go.x=0&go.y=0&go=Search
(LiveSearch検索結果)
前述の「ハコダテ・スミカプロジェクト」では、2022年の函館で暮らす人々のシナリオをづくりを2日間のグループワークでで行った。下は小学4年生、上は70歳代の人まで文字通り老若男女が5つのグループをつくって、実際に街を歩き、暮らしている人にインタビューをし、それらフィールドワークで得た発見をもとに、未来の街での暮らしを想定するストーリーを考え、さらにそれを魅力的な提案に仕立てるべく、様々な道具と材料を使って表現をしていった。
わずか2日間で、ほとんど初めて会った人達が、世代や分野の隔てなく体験を共有し、一つの知的アウトプットを生み出す。この何ものにも代えがたい時間からは、実に様々な作品=提案が飛び出した。あるグループは、大阪から観光で訪れた夫妻が10年後に函館に移住し寿司屋を開くまでをシミュレートし、またあるグループは、高齢者が函館を「ついのすみか」として定めるにあたり未来の街並みに整備された様々な生活基盤をリアルに描出し、また別のグループは、地域の祭りの準備に忙しい子供や大人達の目線を通して、生活圏としての復活の姿を表現力豊かにプレゼンテーションした。
登場人物を決めてストーリーをつくる、という手法は、まちづくりや都市計画にそれほど強く関心がなく、また専門知識のない市民でも、比較的スムーズに共同作業に入り込むことができたという効果があったことは間違いない。また、どうしても「空間」や「建物」の議論に終始しがちな都市再生の議論を、「時間」やそこでの人の「経験」という軸に転換することで、想像力を広げ、都市に内在される様々な領域――ビジネス、教育、環境、交通、観光、アートなど――まで含めたバラエティあふれる提案につながったことも、大きな収穫だった。情報デザインの知見が都市デザインやコミュニティづくりにも役立ちうる、という確信を持つことができた。
未来を予測する最良の方法は…
2006年12月14日
年の暮れも押し迫って、頭の中はこんがらがりながら同時に来年のことも気にかけなくてはいけなった。それにしても、もう2007年とは。あと3年もすると2010年代に突入してしまう。子どもの頃に漠然と遠く感じていた「未来」に、僕らは既に足を踏み入れている。それが、かつて思い描いていたような、あの懐かしい未来、テクノユートピアのような姿ではないにしても。
未来を予測する、あるいはデザインするという行為が、かつてほど強度を持てなくなったとしても、それをやることに意味がないわけじゃない。むしろ、確実にこうだ、と誰もが共感できる未来像が崩れ去って、それどころか未来に不安を感じさせる要素ばかりが目につく今だからこそ、あらためてもう一度、未来を考えてみる必要があるんじゃないか、と僕は常日頃から思っている。
さて、とはいっても、未来を考えるのは確かに容易なことじゃない。従来型の未来像、つまりテクノユートピア的な未来を今さら夢想したって説得力はみじんも感じられないだろう。ではどうしたらいいのか。あれこれ調べたりしているうちに、「バックキャスティング」という方法があることを知った。
[バックキャスティング]
http://search.live.com/results.aspx?q=%E3%83%90%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%82%B9%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%82%B0&mkt=ja-jp&FORM=LVSP&go.x=0&go.y=0&go=Search
(LiveSearch検索結果)
通常の未来予測は、フォアキャスティング。過去のデータの積み重ねをもとにして、現在から漸進的に未来を考えていくというやり方だ。バックキャスティングはその反対で、まず、いきなり未来のことから考え始める。たとえば、20年後はどんな社会になっていて欲しいのか? 理想像でもいいので、自分たちの望ましい未来を具体的に想起していく。その上で、未来の視点から過去=現在を振り返り、20年のあいだにどんな課題を解決したらいいのか洗い出し、どんなアクションをとればいいのかを見定めていく。
もともと、この方法を考え出したのは、スウェーデンの環境NGO・ナチュラルステップの創設者、カール・ロベールという人。環境問題への対応策を検討するところから始まって、次第に色んな分野に浸透しつつある。バックキャスティングの考え方は、実はデザインの考え方と非常に親和性が高い。モノを人はどう使い、それでどんな経験をするのか、その未来のイメージを具体的に描いた上で何をどうつくればいいのか考えていく、というのは、デザインがもともともっていた「構想」「計画」という意味を捉える上で一番大事な姿勢だろう。実際、東京造形大学の教授でエコデザインに造詣が深い益田文和さんは、僕が以前関わっていた「全国教育系ワークショップフォーラム」の中で、20年後の社会とそこでの自分の関わり方をバックキャスティングで考えるというワークを行っていた。
[益田文和ワークショップ]
http://skunkworks.jp/wsf/akagi/report3/fumi.html
僕自身は、バックキャスティングの発想に加えて、「ペルソナ」という仮想の人物がおりなす経験を物語として記述していく、シナリオメイキングのワークショップを、地元の函館はじめ色んな場所で行っている。時にはまちづくりや市民活動の関係者向けに、時にはデザイナー向けに、あるいは大学生と一緒に、設定するテーマも異なるが、そのつど新しい未来をデザインする現場は実に楽しく、刺激的だ。
パーソナル・コンピュータという道具を発明したアラン・ケイの至言に、「未来を予測する最良の方法は、未来を発明することである」(the best way to predict the future is to invent it.)というのがある。バックキャスティングは、まさに未来を「他人事」として捉えるんじゃなく、「自分たち事」として、みんなでデザインしていくために必要な道具なのだ。
未来を予測する、あるいはデザインするという行為が、かつてほど強度を持てなくなったとしても、それをやることに意味がないわけじゃない。むしろ、確実にこうだ、と誰もが共感できる未来像が崩れ去って、それどころか未来に不安を感じさせる要素ばかりが目につく今だからこそ、あらためてもう一度、未来を考えてみる必要があるんじゃないか、と僕は常日頃から思っている。
さて、とはいっても、未来を考えるのは確かに容易なことじゃない。従来型の未来像、つまりテクノユートピア的な未来を今さら夢想したって説得力はみじんも感じられないだろう。ではどうしたらいいのか。あれこれ調べたりしているうちに、「バックキャスティング」という方法があることを知った。
[バックキャスティング]
http://search.live.com/results.aspx?q=%E3%83%90%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%82%B9%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%82%B0&mkt=ja-jp&FORM=LVSP&go.x=0&go.y=0&go=Search
(LiveSearch検索結果)
通常の未来予測は、フォアキャスティング。過去のデータの積み重ねをもとにして、現在から漸進的に未来を考えていくというやり方だ。バックキャスティングはその反対で、まず、いきなり未来のことから考え始める。たとえば、20年後はどんな社会になっていて欲しいのか? 理想像でもいいので、自分たちの望ましい未来を具体的に想起していく。その上で、未来の視点から過去=現在を振り返り、20年のあいだにどんな課題を解決したらいいのか洗い出し、どんなアクションをとればいいのかを見定めていく。
もともと、この方法を考え出したのは、スウェーデンの環境NGO・ナチュラルステップの創設者、カール・ロベールという人。環境問題への対応策を検討するところから始まって、次第に色んな分野に浸透しつつある。バックキャスティングの考え方は、実はデザインの考え方と非常に親和性が高い。モノを人はどう使い、それでどんな経験をするのか、その未来のイメージを具体的に描いた上で何をどうつくればいいのか考えていく、というのは、デザインがもともともっていた「構想」「計画」という意味を捉える上で一番大事な姿勢だろう。実際、東京造形大学の教授でエコデザインに造詣が深い益田文和さんは、僕が以前関わっていた「全国教育系ワークショップフォーラム」の中で、20年後の社会とそこでの自分の関わり方をバックキャスティングで考えるというワークを行っていた。
[益田文和ワークショップ]
http://skunkworks.jp/wsf/akagi/report3/fumi.html
僕自身は、バックキャスティングの発想に加えて、「ペルソナ」という仮想の人物がおりなす経験を物語として記述していく、シナリオメイキングのワークショップを、地元の函館はじめ色んな場所で行っている。時にはまちづくりや市民活動の関係者向けに、時にはデザイナー向けに、あるいは大学生と一緒に、設定するテーマも異なるが、そのつど新しい未来をデザインする現場は実に楽しく、刺激的だ。
パーソナル・コンピュータという道具を発明したアラン・ケイの至言に、「未来を予測する最良の方法は、未来を発明することである」(the best way to predict the future is to invent it.)というのがある。バックキャスティングは、まさに未来を「他人事」として捉えるんじゃなく、「自分たち事」として、みんなでデザインしていくために必要な道具なのだ。
位置情報マッシュアップが可能にするもの
2006年12月07日
以前のエントリーにも書いたとおり、Web2.0の先に待っているのはウェブというデジタル空間とフィジカルな実空間のマッシュアップだ。そのことを改めて実感したのが、11/24に国立情報学研究所で開かれた「PLACE+」というワークショップ。位置情報、ライフログ、マッピング、ウェアラブル……といったタグに導かれたかなり“濃い”人たちが集まる場となった。
[PLACE+]
http://www.placeplus.org/
主宰したのは、ソニーコンピュータサイエンス研究所の暦本純一さんと、名古屋大学助教授の河口信夫さんの2人で、特定の学会組織に依拠するのではなく、様々な領域を横断する形で事例発表者が集まるテンポラリーな研究集会となった。暦本さんは、以前から取材などでお世話になっているインタラクションデザインの俊英。彼の研究成果は下記のウェブサイトをご覧いただくと一目瞭然で、まさに僕がずっと言ってきたフィジカルとデジタルの<あいだ>をデザインすることを一貫して追い続けてきた。その彼が、最近は位置情報にハマっていると聞いて、最初は正直言ってあまりピンと来なかったのだが、今回のPLACE+でその疑問はかなり氷解した。
[ソニーコンピュータサイエンス研究所|暦本さんのウェブサイト]
http://www.csl.sony.co.jp/person/rekimoto.j.html
ワークショップの冒頭、暦本さんは新たに始めた「PlaceEngine」という、全く新しい位置情報を検出するサービスを発表した。WiFi(無線LAN)を搭載した機器を持ち歩いて、あちこちで拾える無線の電波をもとに自分のいる場所を知ることができるこのサービスは、単にそれだけ聞くと随分とマニアックな印象を受ける。だが、WiFiの電波は今や都市空間の目ぼしいところはほとんど覆っているといっていい。その電波を手がかりに、PSPやニンテンドーDSのような携帯ゲーム、あるいはウィルコムのW-ZERO3のようなスマートフォンでも手軽に位置情報を確認することができるようになる。GPSに比べたら精度は若干落ちるが、GPSの電波が届かない屋内や地下街でも測位ができるとしたら、これは意外と、いやむしろかなり使えるものになる。そして、たとえばGoogle Mapsやブログと連動するようになれば、自分や他者のフィジカルな時空間での経験を共有する、まさにライフログ的な使い方の基盤になるものだというのが、よくわかった。
[PlaceEngine]
http://www.placeengine.com/
[ライフログ]
http://search.live.com/results.aspx?q=%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%95%E3%83%AD%E3%82%B0&mkt=ja-jp&FORM=LVSP&go.x=0&go.y=0&go=Search(LiveSearchによる検索結果)
暦本さんとともにPLACE+を提唱した名大の河口さんも、やはりWiFi電波で位置情報を知るための「Locky.jp」というサイトを開設しているが、非常に面白いのは、これらの取り組みを支えているのが、Web2.0的な集合知であるということだ。ユーザー自身が歩いて探し出した無線LANのアクセスポイントの位置情報が登録され、それが増えるごとに精度はあがっていく。Locky.jpとPlaceEngineは互いに競争・協調しながら合計ですでに数万カ所以上のアクセスポイントのマッピングが進んでいるという。
[Locky.jp]
http://www.locky.jp/
PLACE+ではこのほかにも、大学研究者や学生、あるいは民間企業など様々な立場から研究発表が相次いだ。個人的に一番興味を惹いたのは、地図会社アルプスの「アルプスラボ」の活動。ウェブ上の地図サービスはすっかりGoogleMapsにお株を奪われた感じになってきているが、なかなかどうして、彼らのラピッドプロトタイピングの数々を見ると日本の会社も頑張ってるなぁ、と感激した。また、なぜか僕も、以前つくったハコダテ・スローマップの試作版ver2.0(関心空間に視覚化のインターフェイスを組み合わせた「ContextViewer)」について説明した。スローマップは位置情報系の技術は一切使っていないが、都市生活者が自ら暮らす都市を再発見するワークショップを前提にした情報デザインの試みであり、人々の参加や体験を促す仕組みのデザインこそが、こうした「現場系」の技術を支えるはず、というのが僕の持論だ。
[アルプスラボ]
http://www.alpslab.jp/
[ハコダテ・スローマップver2.0]
http://www.kanshin.jp/hakodate/
暦本さんによると、「この種のテーマであと一回はワークショップをやりたい」とのこと。今度はぜひ、地図好きのランドスケープデザイナーやIT系に強い建築家・都市デザイナーにも呼びかけて、本当の意味でデジタルとフィジカルをマッシュアップするような議論の場ができるといいと思った。
(追記)
ライターの美崎薫さんが、PLACE+当日の詳しいレポートを書いている。こちらも是非ご覧ください。
http://journal.mycom.co.jp/articles/2006/11/25/placeplus/
http://journal.mycom.co.jp/articles/2006/11/28/placeplus/
[PLACE+]
http://www.placeplus.org/
主宰したのは、ソニーコンピュータサイエンス研究所の暦本純一さんと、名古屋大学助教授の河口信夫さんの2人で、特定の学会組織に依拠するのではなく、様々な領域を横断する形で事例発表者が集まるテンポラリーな研究集会となった。暦本さんは、以前から取材などでお世話になっているインタラクションデザインの俊英。彼の研究成果は下記のウェブサイトをご覧いただくと一目瞭然で、まさに僕がずっと言ってきたフィジカルとデジタルの<あいだ>をデザインすることを一貫して追い続けてきた。その彼が、最近は位置情報にハマっていると聞いて、最初は正直言ってあまりピンと来なかったのだが、今回のPLACE+でその疑問はかなり氷解した。
[ソニーコンピュータサイエンス研究所|暦本さんのウェブサイト]
http://www.csl.sony.co.jp/person/rekimoto.j.html
ワークショップの冒頭、暦本さんは新たに始めた「PlaceEngine」という、全く新しい位置情報を検出するサービスを発表した。WiFi(無線LAN)を搭載した機器を持ち歩いて、あちこちで拾える無線の電波をもとに自分のいる場所を知ることができるこのサービスは、単にそれだけ聞くと随分とマニアックな印象を受ける。だが、WiFiの電波は今や都市空間の目ぼしいところはほとんど覆っているといっていい。その電波を手がかりに、PSPやニンテンドーDSのような携帯ゲーム、あるいはウィルコムのW-ZERO3のようなスマートフォンでも手軽に位置情報を確認することができるようになる。GPSに比べたら精度は若干落ちるが、GPSの電波が届かない屋内や地下街でも測位ができるとしたら、これは意外と、いやむしろかなり使えるものになる。そして、たとえばGoogle Mapsやブログと連動するようになれば、自分や他者のフィジカルな時空間での経験を共有する、まさにライフログ的な使い方の基盤になるものだというのが、よくわかった。
[PlaceEngine]
http://www.placeengine.com/
[ライフログ]
http://search.live.com/results.aspx?q=%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%95%E3%83%AD%E3%82%B0&mkt=ja-jp&FORM=LVSP&go.x=0&go.y=0&go=Search(LiveSearchによる検索結果)
暦本さんとともにPLACE+を提唱した名大の河口さんも、やはりWiFi電波で位置情報を知るための「Locky.jp」というサイトを開設しているが、非常に面白いのは、これらの取り組みを支えているのが、Web2.0的な集合知であるということだ。ユーザー自身が歩いて探し出した無線LANのアクセスポイントの位置情報が登録され、それが増えるごとに精度はあがっていく。Locky.jpとPlaceEngineは互いに競争・協調しながら合計ですでに数万カ所以上のアクセスポイントのマッピングが進んでいるという。
[Locky.jp]
http://www.locky.jp/
PLACE+ではこのほかにも、大学研究者や学生、あるいは民間企業など様々な立場から研究発表が相次いだ。個人的に一番興味を惹いたのは、地図会社アルプスの「アルプスラボ」の活動。ウェブ上の地図サービスはすっかりGoogleMapsにお株を奪われた感じになってきているが、なかなかどうして、彼らのラピッドプロトタイピングの数々を見ると日本の会社も頑張ってるなぁ、と感激した。また、なぜか僕も、以前つくったハコダテ・スローマップの試作版ver2.0(関心空間に視覚化のインターフェイスを組み合わせた「ContextViewer)」について説明した。スローマップは位置情報系の技術は一切使っていないが、都市生活者が自ら暮らす都市を再発見するワークショップを前提にした情報デザインの試みであり、人々の参加や体験を促す仕組みのデザインこそが、こうした「現場系」の技術を支えるはず、というのが僕の持論だ。
[アルプスラボ]
http://www.alpslab.jp/
[ハコダテ・スローマップver2.0]
http://www.kanshin.jp/hakodate/
暦本さんによると、「この種のテーマであと一回はワークショップをやりたい」とのこと。今度はぜひ、地図好きのランドスケープデザイナーやIT系に強い建築家・都市デザイナーにも呼びかけて、本当の意味でデジタルとフィジカルをマッシュアップするような議論の場ができるといいと思った。
(追記)
ライターの美崎薫さんが、PLACE+当日の詳しいレポートを書いている。こちらも是非ご覧ください。
http://journal.mycom.co.jp/articles/2006/11/25/placeplus/
http://journal.mycom.co.jp/articles/2006/11/28/placeplus/
川崎のインターフェイス・デザイン
2006年11月30日
きのう(11/29)、川崎へ行って来た。ある企業PR誌の企画で、都市再生をテーマにした特集を組むことになり、まち歩きをして、その後にブレストで一気にアイデアをまとめるというワークショップのような半日を過ごした。一緒にまち歩きをしたのは、建築家で最近注目の「東京R不動産」というウェブサイトも主宰する馬場正尊さん、川崎在住でまちづくりのコンサルティングなどをしているサスティナブル・コミュニティ研究所の大枝奈美さん、PR誌を出している企業の広報担当者や制作会社の編集者といった顔ぶれだった。
[東京R不動産]
http://www.realtokyoestate.co.jp/
[サスティナブル・コミュニティ研究所]
http://www.susken.org/index.html
僕らが赴いたのは、川崎といって多くの人が思い浮かべそうな重工業コンビナートではなく、武蔵小杉というエリア。首都圏以外の人はピンと来ないかもしれないので簡単に説明すると、川崎は東京と横浜の間にはさまれた細長い街で、東京側の市境には多摩川が北西から南東へと流れている。沿岸部にほど近いJR川崎駅から多摩川とほぼ並行して南武線が走っていて、武蔵小杉はこの南武線と、東京渋谷から横浜へと走る東急東横線とが交わるターミナル駅一帯のことを指す。
[武蔵小杉]
http://search.live.com/results.aspx?q=%E6%AD%A6%E8%94%B5%E5%B0%8F%E6%9D%89&mkt=ja-jp&FORM=LVSP&go.x=0&go.y=0&go=Search
この武蔵小杉エリアは、いま急激な変貌にさらされている。典型的な郊外のターミナルといった風情だったのが、50〜60階建ての高層マンションが続々と建設中。ここ数年以内に再開発エリアの居住人口は5000戸1万5000人ほどにふくれあがるというのだ。実際、朝早く現場に着いてぶらぶらしていると、通勤や通学で駅に向かう人々はまるで建設現場の間を縫う抜け道のようなところを足早に歩いていた。
高層マンションが立ち並ぶエリアは、かつて企業用地だった土地で、ごく普通の低層の住宅街や駅前商店街があるフラットな既存の街並みとは明らかに一線を画する、垂直にのびる全く新しい風景だ。それに加えて、2009年には少し南側を東京方面へとのびるJR横須賀線の新駅ができるほか、川崎市初の地下鉄となる「川崎縦貫高速鉄道」も武蔵小杉〜新百合ケ丘間での開業へ向けた準備も進みつつある。
そんなドラスティックな変貌をとげるエリアに隣接して、よく整備された文化スポーツエリアである等々力緑地(Jリーグの川崎フロンターレのホームグラウンドや、川崎市民ミュージアムが立地)があり、多摩川が流れている。まるでパッチワークのような、色んな要素の混在、いや混沌というべきか。ただ、生活するにはそれなりに便利そうで、何よりも圧倒的な交通の便のよさがある。
実際に街を歩いてみると、実に色んな発見があった。せっかく多摩川沿いにありながらまるで「背を向ける」ような佇まいを見せるマンション群。首都圏郊外ではどこでもお馴染みの、だが実に整然と駅前に駐輪している膨大な数の自転車。地元にとけ込むサッカーチーム、フロンターレ。それらの発見を紡ぎ合わせるようなブレストを続けていくうちに、「川崎をインタ−フェイスする」というキャッチコピーが自然と浮かび上がってきた。
20年後の未来へ向けたそのアイデアの中心は、現在は単に市境でしかない多摩川べりを、もう一つの交通軸としてデザインし直すこと。自転車、セグウェイ、ベビーカーや車いすといった、小さくパーソナルな移動メディアでスローな移動と、しっかりと整備されている電車網での効率的な移動とをシームレスにつなぎ、同時に、今後増大する新住民(垂直にのびる街)と旧住民(フラットに広がる街)を、あるいは異なる世代や異なる人々をつないでいくような、全く新しい「コモンズとしての道」をデザインしてみたら……。もともと、川崎は東京と横浜をつなぐインターフェイスのような(その実曖昧な)イメージがあったが、川崎の中に多様なものをつなぐインターフェイス的な街路をつくり出せたら、人々の移動の経験は面白くなるんじゃないか、と思っている。
まだ生煮えのアイデア段階に過ぎないが、これから設定を煮詰めて未来のシナリオを書き、ビジュアルをつくろうとしているところだ。どんな未来を描くことになったかは、年明けにでも改めて報告したい。
[東京R不動産]
http://www.realtokyoestate.co.jp/
[サスティナブル・コミュニティ研究所]
http://www.susken.org/index.html
僕らが赴いたのは、川崎といって多くの人が思い浮かべそうな重工業コンビナートではなく、武蔵小杉というエリア。首都圏以外の人はピンと来ないかもしれないので簡単に説明すると、川崎は東京と横浜の間にはさまれた細長い街で、東京側の市境には多摩川が北西から南東へと流れている。沿岸部にほど近いJR川崎駅から多摩川とほぼ並行して南武線が走っていて、武蔵小杉はこの南武線と、東京渋谷から横浜へと走る東急東横線とが交わるターミナル駅一帯のことを指す。
[武蔵小杉]
http://search.live.com/results.aspx?q=%E6%AD%A6%E8%94%B5%E5%B0%8F%E6%9D%89&mkt=ja-jp&FORM=LVSP&go.x=0&go.y=0&go=Search
この武蔵小杉エリアは、いま急激な変貌にさらされている。典型的な郊外のターミナルといった風情だったのが、50〜60階建ての高層マンションが続々と建設中。ここ数年以内に再開発エリアの居住人口は5000戸1万5000人ほどにふくれあがるというのだ。実際、朝早く現場に着いてぶらぶらしていると、通勤や通学で駅に向かう人々はまるで建設現場の間を縫う抜け道のようなところを足早に歩いていた。
高層マンションが立ち並ぶエリアは、かつて企業用地だった土地で、ごく普通の低層の住宅街や駅前商店街があるフラットな既存の街並みとは明らかに一線を画する、垂直にのびる全く新しい風景だ。それに加えて、2009年には少し南側を東京方面へとのびるJR横須賀線の新駅ができるほか、川崎市初の地下鉄となる「川崎縦貫高速鉄道」も武蔵小杉〜新百合ケ丘間での開業へ向けた準備も進みつつある。
そんなドラスティックな変貌をとげるエリアに隣接して、よく整備された文化スポーツエリアである等々力緑地(Jリーグの川崎フロンターレのホームグラウンドや、川崎市民ミュージアムが立地)があり、多摩川が流れている。まるでパッチワークのような、色んな要素の混在、いや混沌というべきか。ただ、生活するにはそれなりに便利そうで、何よりも圧倒的な交通の便のよさがある。
実際に街を歩いてみると、実に色んな発見があった。せっかく多摩川沿いにありながらまるで「背を向ける」ような佇まいを見せるマンション群。首都圏郊外ではどこでもお馴染みの、だが実に整然と駅前に駐輪している膨大な数の自転車。地元にとけ込むサッカーチーム、フロンターレ。それらの発見を紡ぎ合わせるようなブレストを続けていくうちに、「川崎をインタ−フェイスする」というキャッチコピーが自然と浮かび上がってきた。
20年後の未来へ向けたそのアイデアの中心は、現在は単に市境でしかない多摩川べりを、もう一つの交通軸としてデザインし直すこと。自転車、セグウェイ、ベビーカーや車いすといった、小さくパーソナルな移動メディアでスローな移動と、しっかりと整備されている電車網での効率的な移動とをシームレスにつなぎ、同時に、今後増大する新住民(垂直にのびる街)と旧住民(フラットに広がる街)を、あるいは異なる世代や異なる人々をつないでいくような、全く新しい「コモンズとしての道」をデザインしてみたら……。もともと、川崎は東京と横浜をつなぐインターフェイスのような(その実曖昧な)イメージがあったが、川崎の中に多様なものをつなぐインターフェイス的な街路をつくり出せたら、人々の移動の経験は面白くなるんじゃないか、と思っている。
まだ生煮えのアイデア段階に過ぎないが、これから設定を煮詰めて未来のシナリオを書き、ビジュアルをつくろうとしているところだ。どんな未来を描くことになったかは、年明けにでも改めて報告したい。