今日は5限の授業(ゼミ)の後にも非公式の会議があり、延々続いているので、途中で出てきました(10年前は、アメリカの留学先で、まるで空襲か何かにあったような阪神淡路大震災の惨状を唖然として見ていました)。その前の週末のセンター入試は結構大変でした。土曜日は5コマの試験監督、日曜日は4コマの試験監督で、事務側が作成した全国一律の実施マニュアル通りに淡々と同じ動作、同じ文言を繰り返していくのですから。最初のうちは「ただ今から、XXの試験を始めます」というのも新鮮で良いのですが、同じことを5回も6回も繰り返していると、自分が銀行か郵便局の現金自動支払機になったような気分がします。それはさすがに辛いので少し接続詞(次に、それから、最後に)を入れたり、大事な所をポーズをおいた後にめりはりをつけて言うくらいしかできないのです。実際に、あっ、受験番号を間違えているよと仮に気付いていても、全国一律という基準を守るためには何もしてはいけないのです。ついくだらない冗談を言ったりしたくなるのですが、必死で押さえました。余計な冗談を言って受験生の緊張感が緩んでしまいケアレスミスが出る確率を上げてしまうかもしれないとか考えると、何も言えません。寒い冗談でも何でも好き勝手に言える大学院
の授業とは全然違います。幸い、自分が担当した教室では悪天候のための遅刻などは一件もなかったのですが、会場を間違えた受験生が初日に一人いて本部に行ってもらいました。まさか大学名を間違えないだろうと思うのですが、現実に居るのです。
土曜日は弁当が用意されていることを忘れて受け取れなかった弁当を日曜日はゲット。自分の研究室に持ち帰って食べました(下の画像がその昼の弁当です)。コンビニの平均的な弁当よりは具の数が多くて、冷えていることを除けば、結構美味しかったです。一番最後の公民のテストが終わった後、最後のチャイムが鳴った後に、マニュアル通りに文言を読んだ後、「みなさん、お疲れさまでした」とだけつけ加えました。やはり2日間、最大限9コマを同じ教室で過ごすと、マニュアルに黙々と従う非人称的な態度を取り続けるのは本当に辛いのです(学生の殆どが私の年齢の半分かそれ以下なんです)。数学の問題をちょっと見てみたら、プログラミングの問題が載っていて驚きましたが、選択問題のようです。今や高校生でもウェブログに携帯から書き込んでいますから、時代の違いを感じます。また、漢文の問題が「国語」の時間にいまだに出題されているのですが、中国語を日本語で読みこなしてしまう漢文を21世紀に入ってからも出題し続ける意味は何でしょうか(古典ということであれば、分からなくはないのですが)。
の授業とは全然違います。幸い、自分が担当した教室では悪天候のための遅刻などは一件もなかったのですが、会場を間違えた受験生が初日に一人いて本部に行ってもらいました。まさか大学名を間違えないだろうと思うのですが、現実に居るのです。土曜日は弁当が用意されていることを忘れて受け取れなかった弁当を日曜日はゲット。自分の研究室に持ち帰って食べました(下の画像がその昼の弁当です)。コンビニの平均的な弁当よりは具の数が多くて、冷えていることを除けば、結構美味しかったです。一番最後の公民のテストが終わった後、最後のチャイムが鳴った後に、マニュアル通りに文言を読んだ後、「みなさん、お疲れさまでした」とだけつけ加えました。やはり2日間、最大限9コマを同じ教室で過ごすと、マニュアルに黙々と従う非人称的な態度を取り続けるのは本当に辛いのです(学生の殆どが私の年齢の半分かそれ以下なんです)。数学の問題をちょっと見てみたら、プログラミングの問題が載っていて驚きましたが、選択問題のようです。今や高校生でもウェブログに携帯から書き込んでいますから、時代の違いを感じます。また、漢文の問題が「国語」の時間にいまだに出題されているのですが、中国語を日本語で読みこなしてしまう漢文を21世紀に入ってからも出題し続ける意味は何でしょうか(古典ということであれば、分からなくはないのですが)。


