2005年02月14日

「普通の少年」が起こす事件

今日の風景今ニュースを見ていたら、17歳の無職の少年が自分が卒業した小学校に侵入して、3人の教員を刺したという事件が起きたそうです。小学校が狙われる理由は簡単です。インターネットの発達等によって漠然とした根拠のない全能感を持っているにも関わらず、自らが全能感に見合うふさわしい待遇を受けていないと感じ、世の中へやり場のない怒り・敵意を持つ無職の少年が「社会の下腹」とも言うべき一番弱い小学校に攻撃衝動が向かうのだろうと思います。加害者の少年は動機については黙秘しているそうですが、「自分が何となく世の中に敵意を持っていて、その行き場のない怒りをたまたま馴染みがある小学校という、社会の中で一番無防備な場所(警察署を襲うということもたまにあったと思いますが)に向けた」ということを自分のことばで表現はできないでしょう。この事件の背景にあるのは、ひと昔前に死刑判決が確定・死刑を執行された故永山則夫が示したような目に見える階級差又は経済格差に対する人称的な怒りからは程遠い非人称的な暴発でしょう。この辺の殺人事件の性格の変化は、学生の頃に読んだコリン・ウィルソンの殺人に関する幾多の著作(『アウトサイダー』、『殺人百科』、等々)に書いてあったことだと思います。

殺人狂時代の幕開け
今回の事件は、靄の立ちこめる山の中で迷子になってしまい、どうしてよいかわからくなった無職の少年が、たまたま手にしていた機関銃を手当たり次第に乱射したような印象を受けます。被害者にとって一番やりきれないのは、加害者にとっては刺す相手は誰でも良かったということでしょう。警察の取り調べが、偶発的性格が強いように思えるこの事件を、どのような「物語」(なるほど、そりゃそうだろうとみんなに分かってもらえる筋書き)に回収するかを見守りたいと思います。高校の時の同級生が何か「過ち」を犯して警察署に連行されて警官に調書を取られたのですが、言っていないことを言ったかのように書かれてしまって唖然としたと言っていたことを思い出しました。
 警備を強化することも各自治体の予算が許す限り、対症療法としてもちろん必要ですが、全国の小学校にガードマンを配置するわけにもいかないですから、限度があるでしょう。文科省の役人にとっては、財務省に新たな予算を請求する根拠が出来たなあというところでしょうか。ニート対策で膨大な予算を要求している厚生労働省にとっても格好の口実が又増えたというところでしょうね。キャリア官僚は、職業柄、こうした事件は自分の所属する部署の予算の獲得・増額に役立つ限りにおいて関心を持つ習慣が自然に身についています。
 なぜ「普通の少年」が、という疑問も湧くかもしれませんが、そもそも充実した人称的な怒りが動機ではない以上、非人称的な暴発(=キレる)は誰に出てもおかしくないのです。道路工事などで地下を掘り下げていくと噴出するメタンガスのように。こういう言い方をすると語弊があるでしょうが、少年が固有の人格を持っているからこのような事件が起きたというのではなく、被害者が誰でも良かったというのと同じ意味で、加害者の少年もたまたま社会の地下に溜まっていると思しきガスの噴出口になっただけで、この事件を引き起こす固有な人格・固有な動機は殆ど存在しないと言っても良いでしょう。「通り魔」事件と一言で言ってしまえば、それまでなのですが、以前はごく稀にしか生じなかった偶発的な事件が頻繁に起きるようになった原因は明らかに社会的なものです。少年がゲームに熱中していたとか、小学校の教師とのトラブルがあった(かもしれない)というのは単なるトリガーなので、本質的な問題ではないでしょう。教師を刺した後で平然と煙草を吸っていたという話がそのことを示唆しています。以前、『17歳のカルテ』という映画を見ましたが、今回の事件は「17歳問題」(思春期から大人への移行という問題)でも無いと思います。続きはこちらです。

17歳の殺人者
ちなみに、工学系の単科大学で、入試の面接官を担当したことがありました。文系教官の私は専門に関する質問はできないので、「今日、朝飯は何食べたの?」とか、受験生の人間性が表面に出てくるような意表をつく質問をして下さいと事前に頼まれていましたが、この手の「ゲーマー」君(工学系の専門教官はそう呼んでいました)は、視野が狭くて指導教官ともトラブルを起こしやすいため、一般的に非常に嫌われていて、点数が高ければ仕方ないですが、ボーダーライン上にある時は、「こんなアホにうちの研究室へ来られては困る」ということで大体落としていた記憶があります。老婆心ながら、受験生の皆さん、ゲームを作りたいとかそういった類のことを大学入試の面接の時に過剰に語るのはやめた方が賢明です。自分がバランスの取れた人間性を持っていることをアピールできる自信があれば別ですが、中高年の教官はゲームだけに凝り固まった視野狭窄の学生の相手などしたくないのです。

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一時期、17歳の凶行ということで話題になったけど、 また、17歳の犯行ですか… どういう経緯で小学校を選んだのか…? 卒業生と言うのことらしいので、小学校のときに嫌な思い出があったのだろうか。 その腹いせ?鬱憤晴らし? 疑問はけっこう多い。 凶悪犯
また17歳?【コトユメDX的ブログ】at 2005年02月14日 23:18
共同通信ニュース 02月14日 16時33分 小学校侵入、教員ら殺傷 殺人未遂で17歳少年逮捕 懐古趣味を持ち出す訳じゃありませんが、ちょいと前の日本では無抵抗や非力な者をいたぶることを卑劣、卑怯とさげすんだのですが、もうそういう精神はこの国から消え失せたんでし
弱者に向かう卑屈な感情【息抜きなさし出口】at 2005年02月14日 23:30
<小学校乱入>17歳少年が教職員3人刺す 大阪・寝屋川。 また、小学校に不審者が侵入し傷害事件ですか・・・ 全く、いい加減にして欲しいですね。しかも今回は17歳の少年ということです。 被害にあったのは、教職員の男女3名で、うち2人が重体。1人が重傷のようで
またもや、小学校に。【ハサウェイの徒然なるままに・・・】at 2005年02月15日 00:23
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他人と自分と人殺しと【徒然なるままに時間のあるときにPCに向かひて】at 2005年02月15日 11:44
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ナバロンか一の谷か【blog】at 2005年02月15日 22:07
※事件に関する情報 教職員3人殺傷の17歳、引きこもりTVゲーム : Yomiuri Online 小学校乱入:17歳少年 ゲームに夢中、中1で不登校 : MSN-Mainichi INTERACTIVE ※情報元 まこなこ : 小学生教職員殺害の17歳少年は週刊ゲーム雑誌かゲームクリエイターになりたかった
寝屋川小学校教師殺害事件とゲーム【iandeth.】at 2005年02月16日 18:27
この記事を見たら、ふと寝屋川の事件のことが腑に落ちたような気がした。 「普通の少年」が起こす事件 http://blog.livedoor.jp/wnmtohoku/archives/14298242.html あの少年の人格から犯罪が発生した、とはちょっと思えなかったのだ。 だから >> こういう言い方をする
[未分類]寝屋川の事件のこと【論文職人見習漂流記】at 2005年02月16日 23:07
この記事へのコメント
TBありがとうございました。警察にしてもマスコミにしてもそうですが、事件が起きると既存の枠に押し込めないといけいないとでも思ってるんでしょうかね。なんかそんな気がしてきました。
Posted by fanta-apple at 2005年02月14日 23:21
TB有難うございます。
このような事件が頻繁に起こるようになったということは、
犯行が犯罪者個人の問題に帰結するというより、むしろ社会の問題として
捉えたほうがいいですね。
Posted by swanote at 2005年02月14日 23:51
TBありがとうございました。
TB返しさせて頂きました。

何はともあれ、子供達の安全であるはずの場所が無くなっていく事が残念であり、悔しいです。
Posted by hasway at 2005年02月15日 00:26
17歳の犯人が「担任にいじめにあった時に助けてくれなかった」と供述を始めているそうですが、取り調べを担当している刑事が適当に作ったストーリーをそのまま言わされているだけではないかと思います。「逆恨み」だとしても、一応の辻褄が何となく合いそうだからです。警察も困っているだろうと思います。間違っても「今の日本社会全体に対するわけのわからない不満が充満して、キレる寸前になったので、たまたま自分が通っていた小学校のかつての担任の先生の名前を思い出して(何か理由がなければ、今や小学校に簡単には入れませんから)小学校に行って、たまたま最初に会った教師を殺した。小学校はかつて通ったところだから勝手は分かっているし、相手は最初に会った者なら、本当は誰でも良かった」という供述を取ってはならないからです。辻褄がなかなか合わないのは当たり前でしょう。少年の問題行動とされている「週に一日二日、一人でゲーセンでゲームをしている」のが問題だ(ひきこもることはそもそもそんなに悪いことでしょうか?)というなら、今回のような突発的な凶悪事件を引き起こしかねない一見すると普通の「問題児」は今の世の中では数知れないでしょう。それが現実です。
Posted by wnm at 2005年02月15日 19:21
TBありがとうございました。
続報読んで、確かに辻褄が合わないと思いましたね。一線を越えてしまったことを彼は理解しているんでしょうか。それが大変なことだってことも彼にとってはどうでもいいことなのかもしれませんね。
Posted by glass-forest at 2005年02月15日 20:59
昨年帰国したとき、小学1年の甥っ子のところに、近所に住む幼稚園児が二人遊びにきていたんです。そしたら、この幼稚園児二人がゲームの奪い合いになって、ひとりの子が怒って「お前のことは一生許さない!」って叫んだのよ(笑) その言葉にわたしはもうビックリしてしまって、「ゲームはひとつしかないの。順番はじゃんけんぽんで決めなさいね」って割って入っちゃったんだけど、我慢も出来なければ、譲り合うことも知らない。また、うちの甥っ子はマイペース型だから、どこ吹く風で(笑)

我慢の出来ない子が多いわね。親はこうしたことを躾けなければ。学校の先生の手には負えないと思いますよ。われわれの小さいころ、親は厳しかったです。生活のルーティンをもうそれは繰り返し繰り返し。叱られることも多々ありました。その分、じじばばに甘えて、ちょうどバランスが取れていましたよ。じじばばは叱られたときの逃げ道だったわね(笑) 親たちにしっかりしてもらいたいと思います。
Posted by Leilan at 2005年02月15日 21:24
TBありがとうございました。
常に社会に滞留している、こういったことを起こす人々。そういったモノが存在していることを、我々はよりしっかりと認識する必要があるでしょうね。
でも、彼らの日常を担保したまま、一方で彼らによる犯罪を抑止するのは困難なことです。
我々は何を取捨選択するのか、そろそろ選ばねばならないのだと思います。怒りや悲しみだけでは、殺人は防げない。仕組みで人間は抑えられない。
生命がかかっている以上、米国並に、方法の慎重性を担保に大胆な権利抑制をすることが必要な日が否応なくやって来たのだと思います。
Posted by hachi83 at 2005年02月15日 23:50
TB 有り難うございます。

こいつは全てが確信犯だと思います。捕まる直前までタバコを吸ってたと言う話からは何かを成し遂げた達成感を感じている節さえ感じます。
「逆恨み」「殺すつもりはなかった」等の話も少しでも刑を軽くする為の詭弁でしょう。自分が安全に「行為」を遂行出来れば何処でもいいし誰でも良かった。
そう言うニュアンスが入っていれば「少年法」は多少なりとも擁護してくれる筈です。

おっしゃる通り、この少年は自分がやろうとしたこと、やりとげたこと、なぜそうしたか、なんでこう至ったのか、全部分ってると思います。理路整然と言葉で説明できるというような理解は出来ていないのかもしれませんが、とにかくこれがこの少年にとっての最も「リアル」な現状、今、と言うことなんでしょう。そういう理解の仕方で「全部分っている」んだと思います。言わば「体」で分っているというような・・・。

たまたまこの少年だったと言うのも同感で、みんなこの事件に関して「許せない!!」と声を大にして言っていますが、何だか居心地の悪い気持ちがします。そしてそれは自分に対しても同じで、同じ時代、空気を吸っている以上何かの切っ掛けで隣人、あるいは自分もそういったエリアに入ってしまわないか、そんな恐さすらも感じます。

これからの十何年、何十年、はこの傾向は加速する一方でしょう。行き着く所まで行ってようやく皆が痛い目をみて、「リアル」に問題の何かに気付き、反省が出来て改めてその次、が見えてくるような気がします・・・。
Posted by hardpop at 2005年02月16日 02:25
hardpopさん、こんにちは。「何かを成し遂げた達成感」が17歳の少年には確かにあったでしょう。少年が自分のやったことの意味を「体で」分かっているとのご指摘も鋭いです。普通の少年の犯罪ですから、確固たる動機も存在しません。となると、これはシンボリックな支配(小学校はその象徴でしょう)から逃れるための身体の叛乱又は復讐だったのではないかとさえ思えてきます。象徴的な支配秩序から一時的にせよ逃れたのですから、事の終わった後にほっとして一服したくなったのでしょう。彼が選ばれた理由は偶然ですから、近所にいるありきたりの見慣れた高校生でもこのような犯罪を犯す可能性が常にあるということになります。永山則夫は犯行後、獄中で自分の身体の主張を言葉化する作業を読書と『無知の涙』等の著作活動を通じて行いましたが、この17歳の少年にはそれすら無理でしょう。
Posted by wnm at 2005年02月16日 08:44
hachi83さん、コメント有り難うございます。「我々は何を取捨選択するのか、そろそろ選ばねばならない」という意見には同意する他無いです。では具体的にどうするか。米国の裕福な社会階層の人達がまとまって住んでいる一部のエリアには、私設のガードマンと住宅街を守る柵が張り巡らされ、部外者がそのエリアに立ち入る時は、われわれが今ドアホンで訪問者の顔を確認してから解錠してマンション内に入れるように、身分証明書と訪問目的を告げ、訪問先の承認を得た後に中に入れるのですが、このような人工的な隔離策もそのうち一般化するかもしれません。東京の麻布界隈や田園調布でそれが起きても少しも不思議ではありません。日本人は水と安全をタダだと思っていると一時言われていましたが、今や安全はタダではなく、金を払って購入する時代になりました。オートロック付きやカメラが付いたドアホン付きの賃貸用マンション(私が今住んでいるマンションがそうです)はそうでないマンションより家賃が高くても人気がありますから。
Posted by wnm at 2005年02月16日 08:58
Leilanさん、こんにちは。今しつけが崩壊しているように見えるのは、身体性を徹底して押さえ込んできたつけだと思うのです。体罰教師というのが最近やたらに多いですが、相手の生徒がしたことも考慮に入れずに処罰するというのはそろそろやめた方がよいと思います。正当な体罰はやはり存在します。戸塚ヨットスクールもあれだけ叩かれましたが、それなりに理はあったのです(体罰に代表される身体的なレベルでのしつけや教育を徹底して押さえ込んできたつけがあのような形で噴出したのだと思います)。私自身、父親から体罰を受けたこと(もちろん急所は外していましたが)は何度もありますが、その大半は30台半ばを遠く過ぎた今となっては有り難かったとつくづく思います。小学校の時も旧師範学校出身の女性教諭から体罰もありましたし、高校の時に授業中しゃべっている時にシーンとなったので変だなと思ってふり返ったところ平手打ちを喰らったこともありますが、その程度は手加減をして行われるのであれば、充分にありでしょう。今のように何でも直ぐに訴えるとはならなかったのです。しつけとは型をたたき込むことにつきるのです。文化的な型を押しつけられても、人間の身体は一人一人それぞれ違っているから、いずれ自ずと個性的になる他ないというのが養老孟司さんの主張ですが、その通りだと思います。個性的になる前にまず皆と同じ振る舞いができることが社会生活を営んでいく上で必要なのですが、戦後の日本の教育はシンボリックなレベルでの平等性を過度に強調することで徹底的に身体を去勢し、文化的な型を破壊する破滅的な方向で進んできましたから。脳幹を鍛えれば、ひきこもりはなくなるという戸塚さんの主張は全面的に肯定することはできませんが、戦後の日本の教育と戸塚ヨットスクールはコインの裏表のような共犯関係にあるような気がします。今の親は戦後教育を受けた世代ですから、事態は悪くなる一方でしょう。
Posted by wnm at 2005年02月16日 09:15
TBありがとうございました。
この事件が「ゲーマーであること」「いじめが原因、担任を逆恨み」のようなストーリーでまとめられると本質が見えなくなってくるのではないかと危惧しています。そう言う意味では格好の題材が揃っています。社会全体で、きちんと「人の道」を教えるようなこと、「大人」も含めてやっていかないととんでもない世の中になってしまうのではないでしょうか。
Posted by f16fightingfalcon at 2005年02月16日 23:11
f16fightingfalconさん、こんにちは。今日になってみると、やはり無差別の殺害だったようです。犠牲になった先生は運が悪かったとしか言いようがないことになりますが、ご遺族にとってはつらいでしょうね。あったかどうかすら確認できない「いじめ」や「ゲーマー」であることは何の関係もないだろうと思います。ウェブ上で、彼のぼかし入りの写真と名前が公開されていた(私も見ました)ことが問題になっていましたが、そんなに問題でしょうか。では、殺害された被害者の人権やこの加害者がいずれ出所した後で被害を受けるかもしれない人たちの人権はどうなるのでしょうか。「人権上好ましくない」という法務局の発言は、この加害者がいずれ更正して社会復帰した時の妨げになってはならないという趣旨だと思いますが、これは犯罪者でも再教育すれば、必ず更正して社会復帰できるという性善説(人間は本来善良な生き物である)が前提にあって初めて成り立つ発言です。私はこの性善説には必ずしも同意できません。善も悪も同居してせめぎあっているのが人間本来のあり方だと思うからです。政府もこの時とばかり、再犯率が有意に高いことが既に立証されている幼児を対象とする性犯罪者以外の元犯罪者の情報の開示も考えようと本音を出していますが、これは(少なくとも現時点では)行き過ぎでしょう。鈴木邦男『公安警察の手口』(ちくま新書)を読んでから余計そう思うようになりました。
Posted by wnm at 2005年02月17日 11:50