「多くの人が、他者から”大切に””やさしく”そして”丁寧に”かかわってもらいたいたいと望むことは自然なことだろう」と書いてみる。
私の場合、子どもの頃に両親から大切に扱われた記憶がない故、人からやさしくされたり子どもの頃に欲していたであろう欲求に触れられるとたちまち琴線に触れていた。
それは他者へ依存する入口だったともいえる。

現在、私のパートナーはとても丁寧に私と関わってくれている。
彼にとってその人との関わりは、文化的なこともあるだろうけれど親や親族からそのような扱いを受けてきたからだろうと想像できる。
その彼のやさしさに反応している時期があった「なぜ、こんなにやさしくされることに強く感じている自分がいるのだろう?」って。
けど本来、人は大切にされるべく生まれてきていると考えられるようになり今に至っている。
それはきっと満たされた私が、当たり前のように他者へも心からやさしく丁寧に自分と同じように接することを学んだからだといえる。
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In Wonder Garden 2017
私の生活は、3年ほど前にパートナーが加わり変化した。
皆それぞれに存在感があり、私は日本で一般的に耳にしてきた「空気のような存在」と感じたことは彼らに対して一度もない。仮に自分がそう思われているとしたら、自分の存在をも疑ってしまう。
私は現在一人の時間も認められ、パートナーとの時間も楽しみ、時間的には減ってきたけれど息子と過ごし、そして友達と過ごすひと時もある。それらは私にとってどれも心地のよい時間。
そう思える自分が育っているのは、やはり大切にされることを知ったからなのだと信じている。
過剰反応も含めて”私は何を感じているのか?”に注目する時間は、一旦動いている場所から立ち止まり自分観察するとおもしろい。
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ちっちゃなブロッコリー(スプレーフリー)
私のパートナーは、私と出会うまでの間に長い結婚生活も経験している。
夫であり、子の父親であるけれども彼は自分の時間も大切にしていたことが伺える。
ランニングの他にレーサー仕様のバイクに乗ること、射撃の競技そして建築。
現在も続けているのはランニングと建築。
そんな自分の時間を大切にしてきたパートナーは素敵に映る。
またとことん可能性を試しているところも、私のスタンスと似ているからだ。
出会いって素晴らしいと思う。全く違う国で生まれ育ち文化も異なるけれど、尊重できるからこそ一緒にいることが可能なのかもしれない。
将来、私は血のつながりはなくとも一人でも多くの人と生活を共にしたいとも考えている。
仮想でのつながりとは違う、現実の中での人とのつながり。
私の考えは、バーチャルコミュニティーでの不特定多数とは意味合いが違うことを指しています。
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白菜が巻いてきましたよ〜(スプレーフリー)
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今年の冬のサボイキャベツ(ちりめん)・白菜・ブロッコリーたち
ふと10年以上も前の話になりますが、私は息子の保育所を彼と共に選んだ。
いかに息子が遊びを楽しめて個性を大切にしてくれる保育者がいるかに注目した。
基本的には年齢分けはあったけれど、インクルーシブ(共生保育)も取り入れていて一人っ子にはとても良い刺激があったと思っている。
その保育所は、小さな畑を借りて子どもたちは土を触り育てた野菜を給食室や子どもたちが料理したりして振舞われた。
その中で私は保護者という立場ではあったものの、自分の子ども時代のやり直しというか育った部分が多くあった。
児童の中には、2世代にわたって同じ保育所で巣立ったママにも出会った。
2年間だったけれど、子どもを通して何冊も保育者とやりとりしたノートがある。
いつの日かそれらを読み返してみたいと思い、日本から海を渡るときに持参した。
私は人は死ぬまで成長できる生き物であると信じてやまない。
だからいろんな世代や異文化と関わり、年をとってからも一緒に生活できるような場所が実現したら私にとって幸せ続きな人生だといえる。
理想論かもしれないけれど、そんな生き方を実践できるように日々を大切に生きていきたいと思う Yossy でした。
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秋蒔きしたそら豆 in ポット(今のところサビ病なし)

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