Gender equality in 我が家

紛争後のgender equalityについて調査するために、とある途上国に向かっている。「現地でサーベイ調査をする」という申請書がたまたま通ったのでスタートした現地調査であるが、今回で2回目である。2013年の夏にも調査で、10日間ほどこの国を訪れている。今回は1週間ほど滞在する予定である。行きの飛行機で「僕はここで横になって寝たいから、君は前に座りなよ。前は横になれないが、広いよ。ね?」と激しい自己主張をされた以外の面白いエピソードは現時点では起きていない。

紛争後のgender equalityは、今世紀に入って学術分野でも政策分野でも最も注目を集めているテーマであるが、同テーマを調査するために、メタボ夫が直面するのは「Gender equality in 我が家」である。世界的な調査では、「妻の稼ぎが夫の稼ぎよりも多くなると問題が生じる、と思いますか?」と聞いている調査もあるが、我が家では現状を前提で考えると「なかなか上がらない夫の稼ぎまで、妻の稼ぎが下がってしまうと問題が発生する」はずである。常日頃から、「授乳以外はすべてやっている」メタボ夫にとっては、今回の調査で現地の人々にインタビューする項目にある「家事」「育児」「仕事」「代表性」などの分野の夫婦間で平等化は、我が家ではずいぶん進んでいると思っている。が、「海外出張」となると、我が家の男女平等化はてんで進んでいない。結婚ししてから、メタボ夫は5回以上海外出張しているのに、痩せすぎ妻は0回である。つまり、gender equalityを調査する今回の調査は「Gender equality in 我が家」の犠牲の上に成り立っているという、なんとも皮肉な構図となっている。

じゃあ、この場合の「平等化」はなんだろうか。選択肢としては、”廚蛤覆同じ程度、海外出張をする、海外出張をお互いに行っても、残された側はしんどいのでお互いに海外出張をしない、の2つに加えて、3こ綾伉イ濃弔気譴紳Δ呂靴鵑匹い、海外出張をしないわけには行かないので「夫婦/家族」で毎回海外出張する、の3つの選択肢があるように思う。メタボ夫の均衡解としては「夫は海外出張を控え、妻に海外出張に行ってももらい、行きやすい場所ならば、子供連れて妻についていく」かな。

とはいえ、現在進行形で生じている「犠牲」をなんとかしなければならないわけだが。やっぱり、お土産ですね。

今日のKKK:研究>>>>>>>>>>>>>>>健康>>>>>>>>>>>>>>家族
今日の一言:『奥さん、すいません。』

2015年度か・・・


・ 仕事全般

なんだか1年ぶりにぐらいに書いているのだけれども、振り返ってみて、昨年は結構しんどかった。6月ごろには大きな失敗をいくつか立て続けにして、その頃はちょっと変な感じになった。ようやく夏休みに入ったなと思ったら、論文を書かないとなぁということで休む時間があまりなかった。それが終わって一息つくまもなく秋学期は新しい授業の準備もこたえて、締め切りが連続し、そこに学務も重なった。とにかく忙しかった。頑丈がウリのLet's Noteが、このほど2年でほぼお釈迦になったのだから、結構仕事をしたんだろうと思う。とにかくこの2年間で学んだことは、業績とか贅沢なこといわずに、健康に地道に細々とでも生きていこうということだった。


・父性と母性

私が忙しい毎日のなかで必然的に起こったことは、父性と母性、父の役割と母の役割の逆転だった。夫は、「おまえは健康でいらだたず、外でしっかり稼いでいえにお金を入れてくれればいいから」というようになった。ウーマノミクスの行くつくなれのはてみたいなもんだろうか。でもそんな夫も、長期に海外にしばしば出かけていくわけで、まぁ共働きというのは持ちつ持たれつ、割れ鍋にとじ蓋でやっていくもんなんだろうな。


・社会とのつながり

 なんだかいつもなにかに追われていた気のする1年間だったけれども、そのかたわらで中高、大学、大学院時代の友達や近所の人とのお付き合いを、とても大事に考えるようになった。バリバリ働いているお母さんからも、専業主婦のお母さんからも、本当に学ぶことが多かった。夫と自分だけで子育てしているような気になっていたけれども、社会にも子供を育てていってもらうんだと思ったら、ずいぶん楽になった。持つべきものは、友だなと思う。


・ 続・宝塚の話

 いつもしているので、今回も宝塚の話。宝塚ファミリーランドの跡地がガーデンフィールズになり、それがつぶれた今、いったいその後に何ができるのか、ということが市民の間では相当話題になっていた。ご近所とも熱心にあれこれ推測しあっていたのだが、ふたを開けてみれば、イズミヤとニトリができるらしい。たいがいの反応は、「誰も来なくてつぶれればいいのに」といったところ。正確には、歌劇の学生さんの寮(分譲マンションみたいな見た目に市民騒然)、舞台倉庫、フォルクスワーゲンの販売店、そして店舗ビルができて、そのなかにイズミヤとニトリとスタバが入ることが決まっているそうだ。私は特に、「ニトリつぶれろ」と思っている。そして市役所の横、山手台では、大規模な住宅開発を性懲りもなくやっている。この4月開園の触れ込みで、バカみたいに保育園が増えた。住基カードの更新にいったら、職員が人差し指だけでパソコンを打つおじいさんで、発行に1時間かかるというようなこともあった。あと行政関係ないけど、宝塚ホテルは偽装発覚後に、食事の内容が劇的に改善し、その後また劇的に劣化するという、逆V字状態にある。まとめると、宝塚は多難だ。夫には、「だからなんでお前はここを選んだんだ、あれだけ反対したのに」と日々言われ、「自分の住んでいるところの雰囲気が好きだからいい」と言い返しているけれども、だんだん確信が持てなくなってきている。でもめげずに、これからも宝塚のことを見つめ、こちらで報告していきたい。

・ 続・保活の話

 宝塚に引っ越してくるときから、保育園のことでは本当に苦しんだのだが、まだ色々と頭を悩ませている。現在、娘と息子が別々の保育園で、市内移動したこともあり、全部の送りが完了するのに車で1時間かかる。免許のなかった私が行くときには、保育園間の移動手段が極端に限られていたので、1時間半かけてタクシーを2回使って送っていた。所得が保育関係費に消えていくという悪循環で、生活がカツカツで苦しかった。そんなこんなで、娘は来年小学校に上がるし、それを機に息子を家の近くの保育所に転園させて家計のシェイプアップの一歩を踏み出そうとなり、「第2回保活」が始まった。

 さて、この第2回保活における最大の敵は、振り返ってみると、今年から導入された新制度だった。従来の第2希望まで書くという形式から、いきなりオープンエンドで書けるだけ希望園名を書くという形式に変わった。「だったら可能性も増えていいんじゃないの」と思うかもしれない。しかしそれは、行政の事務能力が十分に優れているという前提のもとで成り立つ話なのだな、と思い知ることになる。

 そもそも転園させるためには、宝塚市の場合、「通常転所」と「リスク転所」という2つの方法がある。通常転所は今の園を退園せずに園を変わりたいと希望する方法。どこの園にも預けられなくなるというリスクは全くないものの、現状入園できているのだからということで、加点は0点になる。よって、激戦の宝塚においては転所の可能性はほぼありませんとのことだった。ちなみに息子の場合、66番目の順位ですという説明を受けた。これに対して、リスク転所だと、まずは現在通っている園への退園届けを書いて、いちかばちかの賭けに出ることになる。点数は22点ほどになりずいぶん可能性は開けるのだが、さまざまな理由で点数を上乗せしてくる上位陣との対決に負ける可能性も十分にある。「あずけるところがどこもない」という状況になる確率も、相当程度高いという選択である。

 ということで、市役所からは、「一斉入園申し込みの締め切り直前に電話をしてもらい、だいたい何人の希望者が希望園に申し込んでいるのかを確かめてから、リスク転所にするか決めてください」という説明を受け、締め切り1日前に、全ての必要書類をそろえて電話をした。そうしたら、オープンエンド形式の申込のために、「希望者の振り分けが全くできておりません。締め切り間際になって提出が増え、集計能力を超えております。順位の検討は全くつきません」と・・・。それで「あああー」となった。「かくかくしかじかの方法でクロス表、作りましょうよ」と電話で話してみたり、あの手この手で必死に粘った。「いま自分は、完全にモンスターだな」と思いながらも、引き下がったら勝負は終わりだと思って、粘れるだけ粘った。でも、結局できませんということで、リスク転所には踏み切れず。そして今も、全行程1時間の送迎が続いている。「どうしてもやりたければ、リスクをとればいいんだし、結局は自己責任、自分たちが悪いんだよな」と思う反面、「ん?でもそうなのか・・・」というところもあって、なんだか釈然としないのだが、いたしかたないので現状から少しでも改善できるように頑張るのみ。ということで、保活はまだまだ続く。
 

 最後に、今年度の目標は、家族みんなの健康、息子の転園、あと細々と仕事。また1年頑張ろう。

 

新年度の雑感と抱負など

新学期が始まった。2年目からは楽になるよ、といろいろな人に言われて、そんなことは想像できなかったのだが、確かに去年のストックがあるので、1年前の自分よりは落ち着いているなと感じる。それでも学期が本格的に始まったら、パニックを起こすのだろう。ということで、少しだけここ最近のことと、これからの抱負について書いておこうと思う。

・ 飲酒復活

1月末に、子供から風邪をもらい、副鼻腔炎になって、それを放置していたら中耳炎になった。夜中に夫に神戸赤十字まで車で運んでもらい、失神しながら鼓膜切開を受けたがよくならず、激しい頭痛がするようになって緊急入院することになった。入院して、「頭痛がすごいんです」といくら訴えても、医者は「大丈夫です、そんなもんです」というだけだった。なんとか退院したものの、様子がどうも変で日常に復帰するのに大変時間がかかった。そして経過観察ということでCTを撮ったところ、脳にまで炎症が及んでいたことが分かった。ほんとに「おいおい」という感じで、無事に生きていることができてよかったと思う。そんなこんなで年明けはさんざんだったのだが、ケガの功名というか、緊急入院のおかげで強制的に断乳ができた。当時、娘(4歳)、息子(1歳1ヶ月)が夜中ひっきりなしに母乳をせがんできて、体重も極端に落ち体力も相当落ちていた。それでたかが風邪から脳の炎症にまでいたることになってしまったのだと思う。断乳の結果、体重も徐々に増えて元気になってきた。そして、かれこれ5年ぶりにお酒が飲めるようになった!いまは生中1杯飲んだらフラフラするけれども、それでも時々外出先でグラスワインを飲んでみたり、飲み会でも「ウーロン茶で、オールフリーで」と言わなくてすむようになり、それはそれは幸せ。夫に迷惑をかけながら、ちょくちょく飲み会にも出かけるようになっている。

・ twitterについて

 所属先の大学において、SNSを利用する先生方のサークルに加盟させてもらっている。学部横断的な集まりで、研究に関しては言うまでもなく人格的にも優れた方が多く、納会などは実に楽しませていただいている。そこで中心的なコミュニケーションツールというか、交流手段になっているのがtwitterで、その利用がほぼ前提となっている感がある。足並みを揃えたいと思うのは当然のことで、私もtwitterをやってみたいなと思うようになった。研究・プライベートの情報は一切抜きで、競馬のことだけをつぶやくtwitterというのを個人的には開設してみたいなと考えたのである。だが、ここでまた夫ともめた。とにかく、「絶対にやるな」という。「お前がやるなら、俺は今年も東ティモールに調査に行くからな」と脅された。果たして、twitterを始めることと、嫁・子供をほったらかして自分だけが海外調査に行くことが取引の条件として等価なのか、というのがまずもって疑問なわけだが、夫は頑として譲らない。所属先の場合は、広報がフォローできるように研究者番号までオープンにせねばならないらしく、夫は、「お前みたいな思慮の浅い人間の発言は炎上の原因になり、最終的に失職を余儀なくされるからやめとけ」という。そう言われてみれば、確かにそうかもしれないとも思う。さらに反論しようにも夫ほど弁が立たない。仕方がないので、夢の競馬twitterデビューは、ずっと先に持ち越されそうである。

・ 海外業績

毎年言っているのだが、海外業績を出せるように頑張りたい。日本語で書くことにばかり力を入れてきたが、このままの自分ではダメだと強く思う今日この頃。査読を落とされて、どこに出しても落とされて、もうあとがない気がするというのが本音だ。「まだ私は戦ってないから」と言えるなら幸せなことだが、結構戦いに出ていまだ未勝利馬である。冗談ではなく、競馬の世界だったらとっくに馬刺しになってるころだ。でも世界は広いので、きっと私のダメ論文であっても、どこかの誰かが拾ってくれると信じたい。そう信じて地道に続けることにした、というのが新年度の最大の抱負。そして新しい論文もいくつか書き足して、今年は海外に話しに行かないといけないなと思っている。その点、夫は、どれだけ落とされてもめげずに英語で書いて、海外の学会に行ってえらいよなーと、これは純粋にそう思う。明らかに低レベルの競争なのだが、まずは夫に打ち負かしたと確信を得ることができるまで頑張ろうと思う。


・ パラノイア

人には誰でも、多かれ少なかれ気になりだしたら止まらないと言うような、ちょっとしたパラノイアがあるんじゃないかと思う。何かが無性にこわいとか、特定のことをしたり/しなかったりしたら不安でたまらないとか、他の人が見たらなんで?ということなのに、本人にとってはどうにもならないこだわりというものが、ひとつふたつはある気がする。私の場合、何かしら体調を崩すと最悪のケースを考えてしまって、癌ではないかとか、重篤な心臓や脳の病気じゃないかとかが不安になり、すぐに病院に行って検査をしてしまう(そういうと風邪をこじらせて副鼻腔炎から中耳炎なんかなるはずないだろう、ということになりそうだが、副鼻腔炎のように明白な軽症の診断がついた途端安心してほったらかしにしてしまい、夫いわく、「大きな事ばっかり気にして、小さな病気に足をとられて、結果家族を巻き込む」と怒られる)。特に、子供ができて就職もして、主たる生計者の1人になり、ローンも抱える身となってからは、こうした不安感がより強く表れるようになった。そんなこんなで、子供から病気をもらってちょいちょいお腹を壊したり、リンパが腫れたりということが2-3ヶ月に1度ぐらいはあるので、その頻度で血液検査を受けてしまう。そして1年に1度ぐらいは、結構きつめの胃腸風邪ももらうので、もういい加減ただの胃腸風邪だと思ってもよさそうなものなのだが、そのたびに消化器の重篤な疾患ではないかと不安になって胃カメラを飲んだり、便潜血の検査をしている。
 それで何の話がしたいのかというと、こうした「深刻な病気じゃないかパラノイア」のせいで、家計において医療費の負担が大きすぎるというデメリットはあるのだが、メリットとしては新しい医療技術を知る良い機会になっている。最近では胃カメラを飲む際に、体に害のない鎮静剤を打ってもらうことができ、「注射打ちますよぉ〜」と言われた5秒後にはふわふわし始めて、気がついたら横の椅子に誘導されている、というような相当楽な検査をしてもらえた(但し、検査可能な病院は要検索)。また「いきなりの大腸内視鏡はちょっと・・・」という場合には、大腸3D-CT検査というのがあり、軽めの下剤服用でCTを撮り、それをもとに大腸を3Dで再現してもらうということも可能である。また、蚊の針にヒントを得た注射針は痛みを感じにくくて驚くなど、患者が楽に検査を受けることが可能な方法がどんどん開発されているようだ。とにかく、内科医が経験に基づいて問診をするというだけでは確信を得るにいたらず、数値や画像で明白に状況を説明してもらわないと気が済まないが、検査自体は苦痛だという人にとって望ましい技術発展を多く目にしている。


・ 引越しと宝塚の没落

今月末に新しい家に引越しをする。家自体は3月末に完成しただが、その時期は引越し業者に高く吹っかけられるので4月末がいいはずだというのが夫の意見だった。それで、私が最近猛烈に悲しんでいることは何かというと、「宝塚の没落」についてである。大阪府民であった自分にとって、宝塚というのはなんとなくいいところにちがいないというイメージがあったし、実際にいまでも中心部の雰囲気は気に入っている。また1度でいいから、百貨店のある駅の近くに住みたいという夢があったので、宝塚周辺で人生の大冒険を決するに至ったわけだ。しかしここにきて、まず衝撃を受けたのが、引越し時期が決まった3月初旬からいきなり宝塚阪急が改装工事に入り、とんでもない売り場縮小が始まった。また、ファミリーランドなき後のガーデンフィールズは昨年12月に消滅し、歌劇団の団員さんの寮移転に加えて、結局マンションが建つらしい。近隣で、西宮、芦屋、東灘区の価値が高騰し、川西阪急の充実も恨めしい一方で、宝塚では土地の切り売りが猛烈に加速してマンションが林立、商業施設は極小化され、クラシックな趣の施設はどんどん整理されているのが現状である。そしてこれは何も、私が印象論で言っていることではなく、市民の間では巷間もっぱら話題になっていることで、市長の2代続けての汚職にも代表されるように本当にひどい行政の帰結なのだそうだ(うちの学部のK原先生も言っていたから間違いない!)。「じゃぁ、なんでここに住むって決めちゃったんだよ」というのが、目下の私の苦悩である。夫は、「歌劇も学校だけが宝塚に残って劇場は梅田に移り、それで没落の決定打が打たれるんじゃない?そうやって滅んでいく街を30年間かけてみていくのがいいんだよ」とか言っている。閑散としたところが好きな夫はそれでいいかもしれないが、正反対の好みの私は何か大きな失敗をした気がしてならない。


とそんなこんなで、相変わらずどうもパッとしない毎日を過ごしているが、それでも学期は始まるのでそれを乗り越えるのが先決。かたわらで地味に研究がんばるしかないな、という抱負は抱いているというのが総じての結論です。

今年を振り返って

今年は新しい職場でのスタートを切ったこともあり、いろいろなことがあった。いま学生さんのレポートの採点中なので、自分自身の1年も採点しておくとするなら、うーん48点ぐらいかなぁ。50点にも満たない不可というところか。年の瀬ということもあり、少し雑感をまとめておこうと思う。

・子供 

昨年の暮れに第2子長男が生まれ、2人の育児+宝塚への引越しに始まった1年間だった。娘は4月から、息子は10月ごろから本格的に保育園に通うようになったが、よく頑張ってくれたと思う。特に娘は、他の子供たちの比べると多い頻度で病気になったが、当初は「2週間に1度ぐらいはやられるんじゃないか」と想定していたので、月1ペースでの発熱ぐらいどうってことないと思えた。休講もさほど出さずに乗り切ることができたのは、本当に2人のおかげ。夫婦共働きで世帯収入の○○円といったことはよく聞くが、うちは家族4人働きで、年収は4人均等分割という感覚だなとつくづく思った。

 ・授業 

そんな風に子供達が頑張ってくれたにもかかわらず、母の初年度の授業パフォーマンスは最悪であったと思う。特に後期はデータ解析系の授業を2コマ担当したのだが、ある日、母相関係数と標本相関関係数の話をしているときに「あれ?」となってつまづいてから、坂を転がるように授業がうまくいかなくなった。その後少し持ち直したり、また失敗したりを繰り返していたのだが、授業評価の自由記述欄に「難しく感じた。M先生やL先生が同じ内容でもいかにわかりやすく説明してくれているかがよく分かった」というコメントがあり、2週間ほどは学校に行くのもこわいというぐらい落ち込んだ。「これだけ授業準備に力を入れてるのになんで?」ということの連続で非常に情けなく感じたが、今思うとその気負いもわざわいしたのだろう。解決策のないまま、ずーっとつづく細い廊下を孤独に歩いているような感じがするのだが、夫はそんなことで気に病んでいたら教員なんか勤まらんと怒っている。

・夫婦 

というわけで、いろいろ悩むたびに支えになってくれたのは夫だったが、夫ともバラ色というわけではなかった。1番厄介だったのは共著論文で、締め切り前1ヶ月は血を見るのではないかという壮絶さだった。理論実証両面で全くスタンスの違う2人が共著すると、あらゆるところでケチが入りほぼ喧嘩で終わった(喧嘩の詳細は省く)。とにかく夫婦で共著は絶対にしてはだめだということを学んだ。夫の学部時代の指導教員が大変理解ある方で、いろいろご配慮くださったから良かったもののそうでなかったらどうなっていたのかと危ぶまれる。この黒歴史を乗り越えて、これから論文は1人、または他の先生方と共著で書いていくことにしたい。

 ・家 

授業準備に忙しかった傍ら、年末にかけては土地の契約、古家の取り壊し、ハウスメーカーとの打ち合わせなども立て込んでいた。亡くなったおばあさんが草葉の陰で「やめとけばいいのに」といっているのか、「よかったな」と笑っているのかわからないが、どうしても拠り所がほしいと思い、自分にはめずらしく我を貫き通して購入を決めた夢のマイホーム(両家親族+夫の反対は結構すごいものでした)。まぁ身の丈相応のものなので、罰は当たらないだろう。土地を決めた後の細かい家の仕様を決めてくれたのはもちろん夫で、その点でも夫には深く感謝しているが、そういう小さなストレスの蓄積が共著作業においても爆発したのかもしれない。

 ・健康 

夫は小さなストレスをためこんでいる一方で、私も産後の体調下降から回復するのに時間が多少かかった。長女のときのようにいかなかったことで、30代は甘くないのだなと思い知らされた。糖尿予備軍と診断されたり、慢性の蓄膿になったり、頚椎椎間板ヘルニアになったりした。もう若くないんだなぁ・・・無念。

 ・研究と来年の抱負 

今年はそんなこんなで、研究が大変おろそかになった。またそういうときほど、周囲の方々は業績を着実に上げておられ、それがいっそ骨身にしみた。形にしたい研究があるのに、それをする時間がないということは本当に困ることだと思う。いままで夫に「時間がないとかいってるんなら、時間作って書けよ」とかえらそうに言ってきたが、今年は「それみたことか」というような事態だった。来年はどうなることやら・・・ひとまず海外をにらみながら、これから7−10年ぐらいで成果の出るような研究の足がかりを築きたいと思う。  


ということで総括すると、不完全燃焼感が強く、総じて50点にいかない不可といったところ。来年の暮れには、せめて「可」には達していたいなと思います。2014年はもうちょっとがんばらないと。

秋学期が始まって

今学期はデータ解析や社会調査法など、授業準備が大変な講義が増えて、一気にしんどくなった。学部が統計教育にかなり力を入れていて、手抜きが許されないからだ。いちから授業準備をしていくことは大変勉強になるし、とてもいい機会になっているのだが、学生さんが困ったときに内容をさかのぼれる資料作りが大変だったり、SPSSに慣れないといけなかったり、数式が結構頭に入っていないとダメだったりと、何かにつけて時間がかかっている。

特に資料作りは大変だなと思う。これはうちの学部の純粋にすばらしいところだと思うのだが、「学生さんに興味を持ってもらって、分かってもらってなんぼ、先生はそのために学生さんに尽くしましょう」という姿勢が徹底されているようだ。統計学FDの研究会においては、たとえばパワーポイントのスライドも、ガー・レイノルズの『シンプル・プレゼンテーション』みたいにやりましょうということが奨励されている(究極形はS・ジョブスのプレゼンのようなもの)。先生の中には、ビジュアル用のパワポは画像満載で作りこんで、詳しい数式なんかを含めた資料は別配布にしている人もいる。また硬貨を数度投げてもらって表裏の確認をしてもらい、クリッカーという最新のカウンター装置で集計して、即座に分布を表示、二項分布を体感してもらうといった取り組みまでなされている。私はというと、古典的に文字たっぷりのレジュメをもとに、ひたすらソフトウェアで実習をしてもらうという特に面白みのないやり方なのだが、それであっても準備は大変。他の先生方の取り組みに頭が下がると同時に、どうにかこうした先生方の努力が、学生さんの能力向上につながってほしいと思う(のだが、当然そうは簡単にいかないようで日夜先生方は試行錯誤されているようだし、私も端くれとして、先生方の頑張りの半分にも及ばないのだが苦悩しているという感じ)。

そして子供たちの方は、予想していたより病気もせずにがんばってくれている。先月の学会(北海道)の際にいきなり2人とも熱を出し、それでも連れて行かねばならないという事態で天を恨んだことはあったが、それ以降は目立った病気もなくありがたいことだなと思っている。それにしても12月がきたら、お姉ちゃんは4歳で弟は1歳になる。月日がたつのは早いなぁー。お姉ちゃんはどちらかというと集団生活があまり得意ではないようで、本人なりには色々とがんばってるみたいだけれども先生にはちょっと気を遣わせている模様。私も保育園の先生から言われることで一喜一憂して、娘に辛く当たってしまったりしたこともあった。夫の母に色々と心得を説いてもらって、ようやく落ち着いて子供の成長の速度を受け入れられるようになったけど、この1年間ぐらいは妊娠出産もあったし、2−3歳児の育児が少し辛いなと思った時もあった。でも落ち着いてみればなんのそので、いまは娘べったりの毎日に戻った。あと弟はとにかくかわいいっ!男の子なんてなぁ・・・と思ってたけれども、毎日、「ママのこいびとぉ〜」とかいいながら、ベタベタしまくっている。娘もむちゃくちゃかわいいが、息子はまた違ったアピールがあるなと感じる。「お母さんとしてどうなん?!」ということは重々承知だが、躾はどちらかというとパパ任せで、私は2人を溺愛しまくっている。それもこれも旦那様が、難しい方の役どころをきっちりこなしてくれているからだし、母親なのに育児のいいとこどりをさせてもらってることは本当にありがたいことだと思う(とこんな風に、旦那さまを持ち上げつつ、めちゃくちゃ喧嘩もするけれど、まぁ夫婦なんてそういうもんなんだろう)。

あと研究面では、だいたい40歳ぐらいまでにやりたいことの計画は立った。助成もそれに応じて、色々アタックしてみている(いっこうに当たらないけど・・・)。どうしてもやり遂げたいなと思うことはあるけど、「そのための時間がほしいなぁー」とか思ってる時点でダメなんだよなぁとおもったり。要は、やり遂げる人というのはどんな困難な状況にあっても、きちんと努力をされていて結果を出している。見習わないと!

 ということで授業準備、学務、家事育児で1週間息つく暇もなく、週末には何をしたのかも思い出せないよなーという毎日ではある。がんばらないと!という決意表明の後で早速の腰砕けだけれども、本音としては、今月末に学祭で1週間ほどの休みがあるのでそこで一休みしたい。もっと言うなら、子供を保育園にほっぽり出して、自分は寝れるだけ寝続けるという1日もほしい・・・。いま現在は学会で新潟に来ており、今日あたりは息抜きしておいしい海鮮もたくさん食べた。頑張りたかったり、休みたかったり、実際に遊んでしまったり、と一貫性がなくて情けないけど、今夜はもうさっさと寝て明日から頑張ろうという頼りない感じ。でもまぁどうにかやっています。

1学期が終わってみて、あとはちょっと大事な決断

新しい職場に移って、最初の1学期は自分なりに頑張ってみたものの、慣れないことも多く、周りの人に迷惑をかけたり失敗も一通りしてしまったという感じ。とにかく、同僚の先生方と学生の方に助けられて、どうにか終えることができた。いずれにせよ今後の改善点は相当あるなと思う。

保育のことでは、覚悟していた娘の病欠がさほどでもなく、本当に助かった。4月、5月、6月に高熱を1回づつ出しただけで、6月以降現在までは時折下痢が続いたり、鼻と咳があったりはしながらも、目立った発熱もなく休まずに乗り切ってくれた。学期末の忙しい時期に、娘が頑張ってくれたことがなによりありがたいことだった。そして息子はというと、姉とはどうやら正反対でおとなしい性格のようだ。黙って学校についてきて、知らないおばさん(ファミサポさん)に機嫌よくあやされて、お利口に帰宅というのを繰り返してくれた。時々保育園に行って風邪をもらってきたが、こちらも大事には至らずにすんだ。とにかく、子供に助けられた1学期間だったと思う。ただ最近は、3歳7ヶ月の娘への授乳が完全復活して、母の体は結構参っている。先日の血液検査の結果があまり良くなかったので、来学期以降はちょっと仕事と生活のバランスを考えないとなと思い始めている。

あと宝塚での新生活は楽しい。楽しくて仕方がないからと言うわけでは別にないが、宝塚で永住することに決めた。本当は実家のある北摂に帰って・・・と思っていたが、人生何があるか分からないもので、祖母が突然亡くなり、自分の人生も激変してしまったということだ。茨木への未練は大きく、こういう故郷への惜別の念を抱えながら生きていくことに、まだまだ押しつぶされそうになるというのが現状ではある。でもとにかく、全く新しい土地で家族4人、前向きに生きていこうじゃないか、ということになった。来年のいまぐらいの時期に新しいところに移る予定。こういうことは動き始めると面白いところもあって、いい息抜きになっているなと思う。

とにかく33歳になるのを目前に、人生ほんとにいろいろあるなぁと思う毎日だ。

5月になりました。

授業が始まって1ヶ月ぐらい経ち、自転車操業なりにどうにかやっているのかな、という感じ。相変わらず出勤は息子同伴。息子を連れて移動する中で、電車、バス、学内など色々な局面で、ほんとにたくさんの人に助けてもらっている。改めて、社会に子供を育ててもらっているんだなと感じる。ただ子供をつれての出勤は多少こたえているようで、先日は娘から風邪をもらい、4日間39度の熱が下がらないことがあった。授乳期の無理は禁物だなと反省した。

そんなアクシデントもあるが、大学生活全般―先生方、学生さん、環境とどれをとっても申し分ない。懇意にしてくださっている先生が、赴任前に「ここの学生はとにかく素晴らしい」と話しておられて、「そんなものかなぁ〜」と思っていたが、実際にすごいと思った。大教室の授業後にはずらっと学生さんが質問に来るし、ゼミでのディスカッションも議論が途切れることがなく、整然と議論できる学生さんが多い印象を受ける。一般的に学部生教育は大変と聞いていたが、教えることの面白さを、学生の方から逆に教えてもらっている気がする。ただ自分のキャリア自体は非常に未熟なので、早く皆に満足してもらえるところまで、こちらの実力を底上げせねばという焦りもある。

このように大学生活は概ね順調かなと思う。プライベートでちょっと変わったことというと、父の家で柴犬を飼い始めたのだが、買った翌日にその犬が脱走し、4日後に捕獲されたが、結局気性難を理由にお返しするということがあった。実は娘が大変な動物好き、なかでも犬好きで、週1〜2ペースで宝塚ガーデンフィールズに犬と遊ぶために通っている。私自身、昔は動物が苦手だったのだが、通っているうちにどうしようもなく犬がかわいくなってきて、娘と同じぐらい犬種にも詳しくなった。また宝塚ガーデンフィールズ内のドッグランは、その近所のとんでもないお金持ちが、見たこともない犬を連れて来るので、その犬と人間をともに観察するという楽しみも加わり、犬にかかわる関心がうなぎのぼりになっていた。その矢先に、父が庶民の象徴とはいえ柴犬を買ったことでテンションが一気に上がったのだが、このような事態になり本当に無念。私自身はどうしてもキャバリアがほしいのだが、賃貸暮らしではどうすることもできず、当面は我慢するしかなさそう。

新年度が始まりました

新年度のいろいろ。

・娘が奇跡的に、認可保育園に入ることができた。3月半ばに、優先順位上位の人たちからのキャンセルが立て続けに出たかららしい。あの常軌を逸した、認可外バイリンガル保育園に入れなくていいのかと思ったら、せいせいした。そんな娘は、新しい保育園に少しためらないながらもどうにか通っている。とはいえ、すごい勢いで病気をもらって、鼻水が垂れていない日はない感じ。大丈夫だろうか・・・

・それに加えて、息子がおっぱいからしか母乳を飲まないという事態に。哺乳瓶を一切拒否するので、脱水の危険があるため保育園に預けることができず、かなりうろたえた。そこで、学内の育児スペースに、三田市のファミリーサポートの人に来てもらい、子供を見ておいてもらいながら、授乳にこまめに通うということで乗り切ることになった。まずは離乳食が軌道に乗るまでの辛抱。なお、施設利用を手配してくださった学部長には感謝の言葉もない。

・新しい職場は、何もかもが恵まれすぎているぐらいで、本当にありがたいことだと思う。研究環境のどれをとっても申し分ない。先生方が非常に温かく接して下さって、この職場で本当によかったと思う。

・ただ、しいて不満を言うなら、三田市は非常に寒い。「関西のシベリア」と呼ばれているそうだ。それなら、夫の勤めている彦根は、さしあたり「関西のツンドラ」というところだろうか。とにかく夫婦で、寒冷地の東の横綱と西の横綱に通っているという感じだ。

・大教室講義をひとつ任された。春学期の間、粛々とつとめるしかない。今日は大教室講義も終わったので、少し休もうと思い、学内のカフェでお茶を飲んてみた。そしたら横の席で、履修科目について相談していた男女4人がいたのだが、そのうちの1人の女性が、「○○○子(←私の名前)って、めっちゃ性格悪そうな顔らしいで」と言っているのを聞いてしまった。それ私なんだけどなぁーと、ほんとにショックだった。お茶なんて飲みに行かなければよかった。たとえば、「授業が最低らしいで」と言われれば、「ほな直すわ」で済むけれども、顔はいまさら変えられない。そんなに性格悪そうな顔なんだと思ったら、人前に出るのが億劫になった。


色々あるけれども、これ以上ないぐらいの環境を与えていただいたので、あとは恩に報いるべく頑張るのみだと思う。

保育(3)−○活における最終的失敗

「○活」というのを最近よく目にする。就活、結婚のための婚活、妊娠のための妊活・・・だいたいこのあたりの「○活」は、どの程度熱心に活動したかは別として、なんとかやってこれたのかなと思う。だが、ここにきて保育園探しの「保活」で完全に失敗した。夫とも話したが、就活、婚活、妊活をどうにか乗り越えたとしても、最後の保活で失敗したら、かなり痛手というか、場合によったら、就活の成功や婚活の成功を放棄せねばならない事態すら起こりうる。

何があったかというと、長女の認可保育園の内定が出なかった。24人の定員中、33番目ということであふれた。申し込み締め切り前日の昼に24人中23人で、上が抜けるでしょうから大丈夫だと思いますと言われたにもかかわらずである。そして4か月の息子だけに内定が出た。3歳の長女がダメで、4か月の子供を預けるのかと思ったら、もうパニックになった(それを聞いた時、あまりにも頭がくらくらし、耳鳴りがするので血圧を測ったら150を越していた)。悪いことに、それと軌を一にして、祖父が腸閉塞で緊急手術→入院となり、父と夫は夜の付添いを交代で行うことになるなど、我が家にとってはめちゃくちゃなことばかり起こり、2月後半はてんやわんやだった。

とはいえ、4月から仕事は始まるので、「預けない」という選択肢はない。そこでいくつかのオプションを、緊急に検討せざるをえなくなった。それが以下の4つ。

(1)認可外ではあるが宝塚市指定保育所に預ける
(2)認可保育園の一時預かり+シッターを併用する
(3)私立幼稚園を受験する
(4)認可外保育園の中でもインター系の幼児教室タイプのものに預ける

まず(1)の選択肢である指定保育所だが、環境は劣悪。宝塚市が認可保育園不足を補うために考え出した悪政のひとつで、ビルの1室などの環境の悪い託児施設を指定保育所として準認可のように位置づけたものである。最低の環境なので預けたくない、という思いが先立ったが、経済面を考えると、これしか選択肢がないように思えた。しかし、大量の認可保育園から漏れた子供たちが申し込むため、各園ともに定員20人のところに60人待ちとか、補欠15番目といった扱いだった。また最終的な調整後に入れるか否かの決定が出るのも、3月25日以降ということだった。その時点で、各園に空きがなければ、娘は入園できないことになり、事実上、夫婦のどちらかが仕事をやめるか、休むかせねばならなくなる。そんなことはできない。従って、指定保育所に預けるという選択肢は消えた。

次に、(2)の方法は1番現実的に思えた。費用は掛かるが、息子には近所の私立認可保育園の内定が出ているので、そこに一時預かりというかたちで通わせ、袖の下でもなんでも使って娘をねじ込んでもらうという方法があるからだ(←穏便でない表現だが、もはやお母さん界の常識)。しかし、一時預かりだと、娘が正式に認可保育園に入園するための加算点がつかない。「袖の下」が効力を発揮するかが不確実な中、加算点を着実に貯めるということが重要であり、認可保育園の一時預かり案も却下となった。

そして(3)も考えうる選択肢のひとつではあった。以前の記事でも書いたように、私立の雲雀丘学園幼稚園については、入園試験を受けることを許可してくれていた。でも入園後に母親に求められる役割などを考えると、フルタイムで仕事をする自分には到底無理な話だった。7月までは午前で終わってお迎え、毎日お弁当(パンは不可)など、働きながら続けることはとてもできそうになく、この選択肢も消えた。

ということで、(4)の認可外のインター系保育園だけが残されたオプションとなってしまった。認可外保育園なので加算点もつき、母親の負担はさほど多いわけではない。そして何より、申し込めば入園は確実で、3月末時点で預けるところがどこもないという最悪の事態だけは避けることができた。

だが、このインター系保育園という選択肢は、それをしのぐデメリットもすさまじい。なにより料金。以前の記事でも書いたが、とんでもない額に上る。公式の月謝は10万円以下のものが公表されているが、制服費、設備費、教材費、遠足費、給食費、おやつ費、保証金、入学金、ピアニカ、粘土、クレヨン、体操服・・・とまぁ、よくそれだけ金をむしり取るなとあきれるやら、悔しいやら・・・それだけの額を払えるだけの親が預けるだけあってか、「入園式も帝国ホテルでします、それ用に指定の靴下を買って下さい、あと記念写真は7350円です」と言われた日には、極度のイライラで、嫌味のひとつも言いたくなった。とにかく息子の保育料も合わせると、1人分の給料が保育関係費用に消えてしまう。さすがに大叔母に泣きついた。そういうことも、この歳になって本当にみじめだった。

最終的に不本意な保育園を選ばざるを得ず、加算点のために形式上預けるとした息子だけに内定が出るとなった時点で、私たち家族は保活負け組になった。最低1年間は、子供の保育費のために自分たちの生活を極端に切り詰めなくてはならない。そして保活が何より精神的にこたえるのは、自分が一番かわいいと思っている子供を自分たちの手元からはなすために、必死になっている自分に戸惑うことだ。自分の側で子供をみれるなら、それが1番いい。でもそれができないから、社会に子育ての一部をゆだねる。しかし、ゆだねる先が見つからないから必死になる。必死になっている自分がふと我に返ると、子供を手放すための方法に必死になっていることに対して、自責の念に耐えられない気持ちになる・・・といった具合に、葛藤の連続でほんとに滅入る。それが、産後の不安定な時期に重なっているから余計にこたえる。少し話は脱線するが、教育関係の問題には、今後もどんどん直面していくことになる。次は小学校区のことだ。今度住む所は、何よりも小学校区を気にせざるを得なくなった。保育費用でお金を使ってしまうので、私立小学校なんて到底無理。そこで、少しでもいいと言われる校区に住みたいと思うわけだが、阪神間におけるいい小学校区は例外なく住宅バブルが起こっている。ではどこに住むことができて、どこの小学校に通わせたらいいのか・・・と考え出すと、ますます頭が痛い。でもいまは、保活失敗の傷をいやすので精一杯という感じだ。

身の丈に合わないことからくるストレス

最近、身の丈に合わないことが多いなと感じる。たとえば、能力以上の仕事を抱え込んでしまうとか。家族にも周囲にも迷惑がかかるし、近頃でも反省するようなことがしばしばあった。でもこれは自分でコントロールできることなので、極力気を付けて、ボチボチやっていけばいいんだろうと思っている。

ところがなかなか自力でコントロールしづらいこともあるというか、もはや選択済みのことを覆すことができず、どうしようもない思いをし続けねばならないこともある。それは宝塚市に引っ越したことに起因している。阪神間には親戚が多く、これまでちょくちょく遊びに行っていた感じでは、たいてい北摂の延長線上だろうと思っていた。だが実際に住んでみると、かなり雰囲気が違うことが分かった。やっぱり阪神間は特別みたいだ。そしてどうやら自分の身の丈には合ってないと思ったけれども、居を構えてしまい、子供の成長もここでと覚悟を決め、周囲にもそう言い切ってしまった手前、いまさらどうすることもできず、結構生活が苦しいなと思っている。

それで改めてなんでこんなことを書いているのかというと、今日苦い思いをしたからだ。息子の予防接種を受けに、逆瀬川にある子供クリニックに行った。住んでいるところからは少し遠いのだが、日曜日にも診療をしているということで、かかりつけにはいいかもしれないと思って、あえてそこを選んだ。そして娘の予防接種を受けに行った時の調子で、ボロボロの授乳服を着て、ぼさぼさのひっつめ髪で、息子にはあろうことか娘のお古のピンク色で毛玉だらけのカバーオールを着せて出かけた。そのクリニックは逆瀬川界隈で相当人気のところのようで、狭い院内で座るところはないぐらいの大混雑だったのだが、どのお母さんも子供もびっくりするような身なりで、品の良さが際立っていた。こういう時に、「品評会じゃあるまいし」とか、「たかが予防接種ごときにそんなに着飾って」とか思うことにより、自分を慰めるという方法もあるのだが、そんなことをしてみたところではっきりしていることは、いまの自分はみじめだということであり、つまることろ負け犬であるということだった。そしてここに住む以上、これからもこういう思いを続けていかねばならず、それゆえに身の丈に合っていないことを選択した自分がいまとなっては愚かしく思えてならない。

ちなみに予防接種は、息子が下痢気味であったために受けられなかった。母のイライラが伝染→息子はぐずりまくる→よりによって授乳室も満室だったので公衆の面前で授乳→授乳中に息子が爆音とともにウ○チをぶっ放す→ウ○チが漏れたのを変えられないまま診察室に呼ばれる→「下痢気味なので無理ですね」と言われる、という流れだった。診察の最中に、「おむつ捨てさせてもらっていいですか」と聞いたら、「普通は袋を持ってくるものですよ」と女医に真っ当にたしなめられ、それまでの疎外感とウ○チにまつわるイライラからカチンと来て、ちょっとここでは言えないような嫌味までぶつけて帰ってきた。結局のところ、屈辱と徒労の1日だった。

とにかくこういう心の醜さに向き合うときに、「あぁ自分の女の部分が辛いし、情けないな」と思う。仕事とか、家族とか焦点を絞って、「私はなりふり構わず生きる!」といさぎよく割り切ってしまえばいいのだが、やっぱり女の虚栄心とか、甘ったれた根性がどうしても捨てきれない。これからは立場上、こんな愚痴っぽいことを書いていられないのだが、最後に自分の真実の姿を告白しておこうと思ったので、書き留めておくことにする。5年後、10年後・・・と続いていった先の自分は、少しでもこういう煩悩から解き放たれ、洗練された穏やかな女性になっていたいと強く思う。

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