『雨の降る日はブログを書く日にしよう』(VOL.2)
〜スベテガ ウマク イッテイル〜
ちょうど2か月ほど前のことだ。
昨年から施設入所していた、父。
このコロナ禍で、一切の面会が許されないまま時が流れていた。
それでもなんとかライン電話で、時々その様子を知ることができた。
何かと不自由もしているだろうけれど、それでも父はいつものように明るく元気に装ってみせてくれた。
「お前さんは、誰だ(父は昨年から盲目になった)」
「俺だよ、俺。わかんないの?息子だよ。名前忘れたの?」
「オレオレ詐欺か。への太郎か」
「いいか、お前さん。人様に迷惑かけるようなことはするなよ。唄はいいぞ。いいか、辛いときは歌を唄え。
♪ ステキナ ベッピンシャンに ワシャ ホレタ ♪」
いつも、こんな調子だ。
ところが、ある日。入所していた施設からこんな連絡が入った。
(1回目のワクチン接種から2週間くらいしてからのこと)
「ここのところ微熱が続いているんです。食欲もなくて、会話もあまりなさらなくて。おしっこも少ないので、おうちの方で一度検査に連れて行っていただけませんか」
それからというもの、父は何度も施設と病院を行ったり来たりするようになった。
入院しても、施設にいても面会できなくなってしまう。
移動の最中だけが、家族に許された貴重な面会の時間なのだ。
それが、例えば救急車の中でも。
逼迫した状況でも「生きて逢える」ということの喜びには違いなかった。
コロナ急性期には、ご遺体にも逢うことができなかった多くのご家族のことを想うと胸が痛む。
こうして、ピンチの時だけでも逢えることの喜びを噛みしめよう。
ちょっと前歯がぐらぐらはしているけれど・・・。
父が入退院するようになってから、3か月近くの歳月が過ぎようとしている。
その間に、施設の待機期限の1か月が過ぎた。
父が居ないままでは、施設在所の点数が取れないのだ。
簡単に言ってしまえば、お金にならないから退所してくださいということなのだ。
「お金を払いますから、もう少し待っていただけませんか」
どうやら、制度というのはそういう問題ではないのだ。
何より、
父の病変は悪化し、おしっこを抽出するための尿カテーテルが挿入された。
誤嚥性の痰が溜まりやすくなって吸引の必要性も生じてきた。
こうなると医療的行為の体制が整ったところでなければ受け入れは不可能なのだ。
仕方ない。
でも、父さんの帰る家がなくなったわけでもなければ
「いのち」がなくなったわけでもないのだ。
齢90歳。
父さんは、まだ生きている。
生かされている。
感染予防の緊急事態宣言が明けて、街には人々が溢れだしている。
しかし、医療現場だけは渦中のまま、時が止まっているのだ。
面会が許されないまま、季節が動いてゆく。
今度、面会できる時は危篤時の呼び出しなのだ。
見えない、動けない、記憶できない、
食べることも、飲むことも、唄うことも許されない。
ないないづくしの世界の中で、
それでも父は力強く生きている。
生かされている。
見えない人の、
夜明けとは、どんなものなのだろう。
秋とは、どんなものなのだろう。
虹は、花は、カメラは、眠りは、鏡は・・・
聴こえない人の、
雨の日とは、どんなものなのだろう。
川の流れとは、どんなものなのだろう。
ギターは、歌は、くしゃみは、おならは、寝息は・・・
点滴だけで生き延びている人の、
美味しい時間とは、どんなものだろう。
お腹がいっぱいになるとは、どんなことだろう。
喉の渇きは、空腹は、味は、入れ歯は、歯ブラシは・・・
寝たきりの人の
道とは、なんだろう。
杖とは、なんだろう。
地図は、ハンドバックは、靴は、鍵は、風は・・・
” 無限耳鼻舌身意 無色声香味触法 ”
やもすれば、90歳にもなれば「仕方ありませんね」と、見離されてしまう生命。
それでも懸命に、おしっこの出ない原因、痰の切れない原因、血圧が下がった原因、血中酸素の下がった原因などを究明してくださっている若いイケメンドクターに、頭が下がる。ありがとうございます。
やもすれば「手が足りませんから」と、作業的に通り過ぎてゆく生命。
そんな状況下でも、精神誠意に声をかけてくれ、痰を吸引し、きめ細かにバイタルチェックをして、一日でも、一分でも、と「いのち」をつないで下さっている看護師さん、介護士さん、お掃除の方、父を支えてくださっている関係のすべての方々に頭が下がる。ありがとうございます。
やもすれば心無い人々の中で、哀しく寂しく息絶えてゆく生命だってある。
けれど、父は幸いにも、たぐいまれな献身的なスタッフに包まれていると感じる。
そんな出会いを与えてくださった、神様・ご先祖様に頭が下がる。ありがとうございます。
やもすれば、やけっぱち起こして、あっさりとあきらめてしまう生命だってある。
でも、父さん。
いつもいつでも「ありがとう。ありがとう」を忘れない人だから、だね。
そういう父に頭が下がる。
ボクら家族にできるのは、祈ること。
ただ毎日、祈りを届けること。
” 父さんに、痛みやかゆみ、悲しみや怒り、なによりも不安や孤独がありませんように。
家族、父さんにかかわるすべての人々の愛に包まれていますように。
スベテガ ウマク イキマスヨウニ ” と。
祈りは届いていると感じる。
そういえば、誰かが
「ヨーロッパの医療で一番大切な治療は、祈りなんだってよ」
って言っていたな。
ネイティブアメリカンの神話にも、「人は7人の人々の祈りによって生かされている」というのがあったっけなぁ。父のことを知り、今も祈りを届けてくださっている友人・知人・学生さんたちにも、ありがとうを伝えなければ。本当に皆さんありがとう。
不思議なくらい、スベテハ ウマクイッテイル(万事福治!)。
この2か月、父は何度も何度も危機的状況から甦ってきている。
その度に、ボクは「受け入れる覚悟」を決める。
そんな病室の父に遠隔見舞いの日々。
それこそが、あの夢。
「引っぱても、引っぱても、なかなか抜けない、ながーいながーいボクの前歯の夢」の理由だったわけなのだ。
もう少しの間、この夢の前歯よ。抜けないでいてくれよ・・・・。
つづく