(堺からのアピール賛同人の岡田良子さんからのご寄稿をご紹介させて頂きます)

 「中学生いじめ問題」が教員校長個人の資質・能力や家庭のしつけ、子どもたちの個人的道徳問題のように論じられ、いじめた子どもの刑事罰、家庭環境批判、教員批判、教育委員会の監視管理能力向上などを論じる流れに危険を感じます。

 「いじめ」の発生は、学校内あるいは教育環境全体の格差・競争的雰囲気にはじかれた、または負けそうな子どもたちのストレスから発するのではないか。

 教員たちが「いじめ」の深刻さに気付けないのは、教員が子どもの顔を見る暇もないほど書類作成・報告書提出などに追いまくられ、個々の子どもの顔を見たり声をかけたり授業外に一緒に雑談・くつろぎ遊ぶ時間的、精神的ゆとりがないからだと確信します。

 学級ニュースや補助教材など、以前は教員の熱意で自由気楽に作って子どもに配布していたプリントも、今は教頭・校長のチェックなしには配れないはずです。

 教育委員会は校長の学校“経営”能力を要求し、校長→教頭→学幹→主任教員→平教員のような命令服従系統の確立が要求されています。

 教員を書類とパソコンと報告書の山でしばり、自由な教育的発露を封じるのが目的ではないか・・・と穿ってしまう程、教員は事務職に追いまくられています。

 教育の目的が「子どもの人格の育成」でなく「国家に有用な人材の育成」となっている、子どもの心によりそい楽しみながら学べるのどかな学校環境つくりに情熱を傾けられた教育職が無くなってしまったことが「いじめ」深刻化の主原因だと確信します。

 学校教育の最重点課題が「国旗・国歌」の尊重敬愛であり、「偉大な歴史的先進国家」という優越意識の育成であり、教員は単に文科省の方針マニアル通りに動くロボットであれ、のような体温のない非人間的教育政策の中で、子どもの子どもらしい楽しい学校生活など問題外なのです。

 今回の「いじめ」問題表面化を、犯人捜し、個人的厳罰、さらなる教員管理、家庭道徳支配、などに利用させてはなりません。

 逆に、教育崩壊の警鐘を読み取って、教員が個々の子どもたちの生き生きとした成長を楽しめる教職に誇りと情熱を傾けられる教育現場をつくること、子どもの個性と人権が大切にされる学校つくりこそが教育政策の目標となるように改める機会です。

 能率・効率・経済効果・競争に勝つ・・の優先こそが「いじめ」の根源なのに、見当ちがいの議論がいきかっていて、本当に心配です。
                        東京都在住 岡田良子