「司法権の独立揺るがす」資料見つかる
NHKNEWSweb 4月8日 5時14分
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130408/t10013746941000.html


  昭和32年にアメリカ軍基地を巡って起きたいわゆる「砂川事件」の裁判で、「アメリカ軍の駐留は憲法違反」と判断した1審の判決のあとに当時の最高裁判所の長官がアメリカ側に1審の取り消しを示唆したとする新たな文書が見つかりました。

  研究者は、司法権の独立を揺るがす動きがあったことを示す資料として注目しています。


  「砂川事件」は、昭和32年7月、東京のアメリカ軍・旧立川基地の拡張計画に反対したデモ隊が基地に立ち入り、学生ら7人が起訴されたもので、1審の東京地方裁判所は、「アメリカ軍の駐留は戦力の保持を禁じた憲法9条に違反する」として7人全員に無罪を言い渡しました。

  1審の9か月後、最高裁判所大法廷は、「日米安全保障条約はわが国の存立に関わる高度の政治性を有し、司法審査の対象外だ」として15人の裁判官の全員一致で1審判決を取り消しました。
今回見つかった文書は、最高裁判決の4か月前の昭和34年8月、アメリカ大使館から国務長官宛に送られた公電です。

  元大学教授の布川玲子さんがアメリカの国立公文書館に請求して初めて開示されました。

  文書には、当時の最高裁の田中耕太郎長官が最高裁での審理が始まる前にレンハート駐日首席公使と非公式に行った会談の内容が記されています。
 
   この中で田中長官は、「裁判官の意見が全員一致になるようにまとめ、世論を不安定にする少数意見を回避する」などと語り、全員一致で1審判決を取り消すことを示唆していました。
 
   文書には、田中長官の発言に対するアメリカ大使館の見解として、「最高裁が1審の違憲判決を覆せば、安保条約への日本の世論の支持は決定的になるだろう」というコメントも書かれていました。

  会談当時は、日米両政府の間で、安保条約の改定に向けた交渉が行われている最中で、アメリカ軍の駐留を違憲とした1審判決に対する最高裁の判断が注目されていました。

  文書を分析した布川さんは、「最高裁長官が司法権の独立を揺るがすような行動を取っていたことに非常に驚いている。安保改定の裏で、司法の政治的な動きがあったことを示す資料として注目される」と話しています。

専門家「文書は大きな意味」

  日米外交史が専門で、東洋英和女学院大学教授の増田弘さんは、文書に記録された内容がやりとりされた背景について、「アメリカ政府は、翌年1月に安保改定を控え、在日アメリカ軍が違憲だという法的判断を認めるわけにはいかなかった。また、経済成長を重視し、軽武装でいきたい当時の日本政府にとっても在日アメリカ軍に依存する必要があった」と分析しています。

  そのうえで田中長官の発言については、「翌年の1月より前に1審判決を退けてもらいたいというアメリカの要望にも配慮しながら、そのような動きをしていたと考えられる」と指摘しています。

  増田さんは、1審判決を取り消したその後の最高裁の判断は、「日米の安全保障における重大な分岐点であり、文書は非常に大きな意味を持つと思う」と話しています。

  また、憲法学が専門の早稲田大学の水島朝穂教授は「司法のトップが1審判決を取り消す見通しを事前に伝え、少数意見も出ないよう全員一致を目指すと約束するなど、ここまでアメリカに追随していたかとあぜんとした。司法の独立が放棄されており、さらなる解明が必要だ」と話しています。


砂川事件の元被告「憤り感じる」
NHKNEWSweb 4月8日 6時34分
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130408/k10013747161000.html


  デモ隊の1人としてアメリカ軍基地に立ち入り、裁判で被告となった土屋源太郎さん(78)は新たに公開された文書について、「事前にアメリカの公使と打ち合わせをしていたのは許されないことだ。15人の裁判官が全員一致で異論もなかったことを、当時、奇異に感じたが、その背景にこうしたやりとりがあったことに憤りを感じる」と話しています。


  そのうえで、「最高裁のこの判決で、日米安保条約については司法が介入すべきでないという壁がつくられ、戦後の司法の大きな分岐点になった。その後の自衛隊や基地問題の裁判では、審理すらされないこともあり、大きな問題だ」と指摘しています。


  最高裁は「事実関係を確認できないのでコメントすることはできない」としています。


砂川事件 米軍駐留「違憲」 伊達判決
東京新聞 2013年4月8日 朝刊
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2013040802000120.html


 一九六〇年の日米安全保障条約改定で、日本政府が新条約を国会に提出する時期が延びた背景に、米軍の旧立川基地拡張計画をめぐる「砂川事件」で米軍駐留を違憲とした五九年の東京地裁判決(伊達判決)が影響したと米大使館が本国に伝えていたことが七日、機密指定を解除された米公文書で分かった。文書は、伊達判決が安保反対勢力の論拠とされかねないことを日本政府が強く懸念していたことをうかがわせる。 (北爪三記)
 

 文書は五九年八月三日にダグラス・マッカーサー二世駐日米大使が米国務長官にあてた公電。マ大使の右腕とされたレンハート公使が同年七月三十一日に文書を起案したとみられる記述もある。布川玲子・元山梨学院大教授(68)が米国立公文書館に開示請求し、一月に開示された。
 

 文書は「外務省と自民党の情報源」から得た情報として「政府が新安保条約の提出を十二月開始の通常国会まで遅らせる決定をしたのは、砂川事件の最高裁判決を晩夏または初秋までに出すのが不可能なことに影響された」と紹介。「事件は延期の決定的要因ではないが、係属中であることは、社会主義者や反対勢力に論点をあげつらう機会を与えかねない」との情報源の見方を伝えている。
 

 さらに、最高裁が伊達判決を破棄すれば「社会主義者たちは、自分たちの攻め技がたたって投げ飛ばされることになろう」と柔道に例えて分析している。
 

 安保改定に向けた日米交渉は五八年十月に始まり、反対闘争が盛り上がる中で、六〇年一月に調印された。同二月に批准案が衆院に提出され、強行採決を経て六月に発効した。
 

 一方、最高裁は調印前月の五九年十二月に伊達判決を破棄した。これに先だって田中耕太郎最高裁長官がマ大使に評議内容や見通しを漏らしていたことが別の米公文書で判明している。最高裁の裁判日程が決まったのは八月三日だが、今回の文書には田中長官が事前に「判決はおそらく十二月だろう」とレンハート公使に語ったとも記されている。
 

 今回の文書を布川さんと一緒に翻訳した国際問題研究者の新原昭治さん(81)は「五九年夏ごろを目指した新条約の国会提出が延期されたのは、『自民党の党内事情』とされてきた。当時の国会で藤山愛一郎外相も砂川事件の影響を否定していた」と説明。「今回の公電で砂川事件の影響がはっきりした。当時、安保改定阻止国民会議が伊達判決支持を掲げるなど反対運動が広がり、岸信介内閣が不安を感じたのではないか」と話している。
 

<砂川事件と伊達判決> 1957年7月8日、東京都砂川町(現立川市)の米軍立川基地拡張のための測量に反対するデモ隊の一部が基地に立ち入り、7人が刑事特別法違反罪で起訴された。東京地裁の伊達秋雄裁判長は59年3月30日、「米軍の駐留は戦力の保持に当たり、憲法9条に違反する」と全員に無罪を言い渡した(伊達判決)。検察側は高裁を経ずに最高裁の判断を求める「跳躍上告」をした。最高裁は同年12月16日、「安保条約は高度の政治性を有し、一見極めて明白に違憲無効と認められない限り司法審査の対象外」と一審判決を破棄。63年の差し戻し審で全員の有罪が確定した。

違憲破棄「全員一致願う」 砂川事件 最高裁長官、米に伝達
2013.4.8 07:18 msn産経ニュース
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/130408/trl13040807190000-n1.htm


 米軍旧立川基地の拡張計画をめぐる「砂川事件」で、米軍駐留を違憲として無罪とした東京地裁判決(伊達判決)を破棄し、駐留を合憲とした上告審判決前の昭和34年夏に、上告審で裁判長を務めた田中耕太郎最高裁長官(当時、以下同)が、面会したレンハート駐日米公使に「(最高裁の)評議では実質的な全員一致を生み出し、世論を揺さぶりかねない少数意見を回避するやり方で評議が進むことを願っている」と語っていたことが7日、機密指定を解除された米公文書で分かった。1審破棄を念頭に置いた発言とみられる。


 当時は日米安保条約改定(35年1月に調印)を目前に控えており、公文書には「もし最高裁が地裁判決を覆すなら、安保条約改定を支持する世論は決定的になる」との期待が記されていた。田中長官は34年12月の上告審判決前にマッカーサー駐日米大使と会談し「伊達判決は全くの誤りだ」と伝えていたことが既に判明している。


 公文書は34年8月3日付でマッカーサー米大使が米国務長官に宛てた公電。布川玲子・元山梨学院大教授(法哲学)が今年1月、米国立公文書館に開示請求して入手した。


 田中長官がレンハート公使と面会した時期は最高裁が裁判日程を決める直前で、長官は「判決はおそらく12月だと考えている」との見通しを漏らし、「弁護団が裁判を遅らせるべく、あらゆる法的手段を試みている」とも話していた。公電には「田中長官は口頭弁論を約3週間で終えることができると確信している」との記載もあった。


 砂川事件の元弁護団事務局長、内藤功弁護士は「裁判の機微に触れることを平気で話しており、最高裁がいかに米国に従属していたかを物語っている」と批判した。


                   ◇


【用語解説】砂川事件

 東京都砂川町(現立川市)にある米軍立川基地拡張のため測量が実施された昭和32年7月、拡張に反対するデモ隊の一部が柵を壊して基地内に入ったとして、刑事特別法違反罪で7人が起訴された。東京地裁の伊達秋雄裁判長は34年3月、駐留米軍を憲法9条違反の「戦力の保持」に当たるとして無罪判決を言い渡した。検察側は高裁への控訴を経ず、跳躍上告。最高裁は同年12月「安保条約はわが国の存立にかかわる高度の政治性を有し、一見極めて明白に違憲無効と認められない限り司法審査の対象外」と1審判決を破棄し、差し戻した。後に有罪が確定した。

砂川事件、最高裁長官が「少数意見回避願う」
2013年4月8日07時19分  読売新聞
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20130408-OYT1T00209.htm?from=ylist


 米軍旧立川基地にデモ隊らが侵入した「砂川事件」で、上告を受けた最高裁の長官が1959年、在日米大使館の首席公使に、公判日程の見通しや評議についての考え方を語っていたことを示す資料が、米国で発見された。

 これまでにも裁判をめぐって密談が存在したことを示す資料は見つかっていたが、研究者は「公判前に裁判長が自ら、利害関係のある外国政府に対して情報を提供していた証拠となる」としている。
 
 事件を巡っては、1審が「米軍駐留は憲法9条違反」として無罪判決を出した後、地検側が最高裁に異例の跳躍上告をしていた。
 
 新たに発見されたのは、当時の田中耕太郎・最高裁長官とウィリアム・レンハート・在日米大使館首席公使との密談内容を、ダグラス・マッカーサー2世・駐日米大使が米国務長官に報告した文書。最高裁の公判日程が決まる3日前の59年7月31日付で、密談の場所は「共通の友人宅」と記されている。
 
 文書で大使側は「同僚裁判官たちの多くが、それぞれの見解を長々と弁じたがる」ことが問題になると指摘し、これに対し田中長官が会談で「結審後の評議は、全員一致を生み出し、世論を揺さぶるもとになる少数意見を回避するようなやり方で運ばれることを願っている」と発言し、判決は12月になるとの見通しも語った、と記している。
 
 文書は「最高裁が政府側に立った判決を出すなら、新安保条約を支持する世論の空気は決定的に支持され、社会主義者たちは投げ飛ばされることになる」と結ばれている。