【堺からのアピール】

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【 安倍首相の戦後70周年談話、そこに潜む『真意』】《後篇》CNN


投稿日: 

『平和と繁栄』という表現を多用することで歴史に対する合理主義者というイメージを作ろうとしたが、結局失敗した
首相として日本をどこに向かわせようとしているのか?必要な見識はあるのか?という国民の疑問を解消させることはできなかった

ジェフ・キングストン / アメリカCNNニュース 8月16日

▽ 責任を徹底して曖昧にする

事実安倍首相の談話は、太平洋戦争に関わる後悔の念、そして旧日本軍が周辺国民に追わせた苦痛については、これまで日本の歴代の首相が示してきた内容と比べ、きわめて希薄なものでした。
安倍談話は日本が過ちを犯したことについて、友人がかばい合うような調子で語られています。
「靖国神社に隣接する日本の軍事博物館である遊就館の理念を、耳あたりが良いように編集しているかのようです
日本が戦争に到る事態は避けられなかった、多くの女性に過酷な運命を強いた、日本が行なうべき謝罪については歴代の首相やそのスタッフが十分以上に行ってきた、等々。」

安倍談話の中で、正確な言及が必要な個所、謝罪が必然的に求められるような過去の出来事に関わる部分については、安倍首相は努めて曖昧な言い回しに終始しています。
戦争中の侵略行為、植民地支配、そして最も問題とされている従軍慰安婦の問題について、安倍首相は詳細には語らず、こうした苦痛をアジア各地の人々に強いたという事実を率直に認めようとはしていません。

安部首相談話の公表を受け、村山富市前首相は1995年に公表され、いまや第二次世界大戦(太平洋戦争)における日本の過失を認めた公的認識として国際社会において評価がすでに確立している村山声明の方針を継承していないとして苦言を呈しました。

安倍首相は歴史書の中で日本の評価を著しく下げる記述については、その評価が確立する前に急いでページをめくってしまいたいようです。

中国に対しては外交的和解に向けかなりの努力の跡が見受けられますが、韓国政府は安倍談話の遠回しの表現、肝心な事実の欠落に憤慨しています。
韓国大統領は安倍首相の談話には不満な点が多く、史実については人々の記憶の中に生きており、隠しおおせるものではないと語りました。
従軍慰安婦問題には安倍首相は一切具体的言及も謝罪もせず、この点韓国の国内世論を軟化させるいかなる要素も見受けられませんでした。

肝心の国内では安倍首相は談話の中で『平和と繁栄』という表現を多用することで、戦争を徴発する国家権力主義者という自分に対する印象を払しょくし、歴史に対する合理主義者というイメージを確立したいと考えていたようです。

しかしどうやらそれは失敗に終わったようです。

日本イコール平和主義という、国内においても国際社会においても確立している評価、その基盤となっている平和憲法を骨抜きにすることに誰よりも熱心なのが安倍首相である。
そうした見方が大勢を占めているからこそ、日本国民は安倍政権が提案する安全保障関連法案に反対しているのです。

国民は安倍首相の『積極的平和主義』が積極的武力行使につながり、日本の将来を危うくすることを懸念しています。
安倍談話も、その後のメディアを通した様々な働きかけも、そうした懸念を払しょくするためにほとんど役には立ちませんでした。

結局のところ、安倍首相に反省の意思はないと見られることになりました。
謝罪については前任者たちがすでに行っていると表明することで、誠意についての試験には落第しました。
謝罪こそが極東地域における和解を進めるための魔法の杖だとする考え方には、賛否両論があってしかるべきです。
だからと言って、極東の安定化に日本の謝罪はもう必要ないとする考えには疑問が残ります。

今回の安倍首相の談話の内容は、8ヵ月間の間予想されていたほど謝罪姿勢や日本の侵略について、予想された程認識が後退したものではありませんでした。
しかし国際社会が必要と考える程、謙虚なものでもありませんでした。

安部首相は結局、第二次世界大戦(太平洋戦争)の戦前戦中に日本が行なった行為については曖昧な態度で終始しました。
当然ながら国民の間にある安倍首相の見識、そして首相として日本をどこに向かわせようとしているのかという疑問を解消させることはできなかったのです。

〈 完 〉
http://edition.cnn.com/2015/08/15/opinions/japan-abe-wwii-statement-analysis-kingston/index.html
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【 安倍首相の戦後70周年談話、そこに潜む『真意』】《前篇》CNN

投稿日: 

ナチスドイツの所業について『永遠の責任』を認めたアンゲラ・メルケル首相、日本軍の非人道行為についてはもう謝罪は必要ないと宣言した安倍首相

安倍首相は旧大日本帝国の非人道的行為の検証を『自虐史観』と攻撃、『謝罪外交』を否定することにそのキャリアのすべてを捧げてきた

日本はこれ以上の謝罪を行う必要はないとする安倍首相の見解は、一般国民の感情を代表するものではない

ジェフ・キングストン / アメリカCNNニュース 8月16日

その曖昧で抽象的な表現が『解釈変更』により、将来国民が考えているのとは全く別の形で運用される可能性も考慮に入れ、安倍首相が8月14日に発表した太平洋戦争終結70周年の談話については、今後各国でひとつひとつの言葉について詳細な分析が行なわれることになります。

それはまるでロールシャッハテスト(抽象的な図柄を見せ、何に見えるか答えさせることにより、その人の心理状態を判断する検査方法)です。
安部終首相が語った言葉は、そして語らなかったことは、聞く人によって自分の都合の良いように、自分が思いたいように解釈することが可能でした。

70周年談話については、日本国内ではイデオロギー的立場によってその主張は異なっていました。
安倍政権は右派に支持され、左派の批判にさらされてきました。
そして70周年談話について、右派の中でもタカ派はいなる表現であれ『後悔』という言葉の表明は許さないという立場を取っていました。

一方の左派は安倍首相の談話は心から謝罪をするという誠意に欠け、個人としての謝罪の言葉が無く、ただ単に用意された文章を読み上げているようにしか見えなかったと批判しました。

安倍首相の談話はアメリカ国内の批判を鎮静化させることに成功し、アメリカ政府内の親安倍派はもろ手を挙げて歓迎する声明を公表しました。
一方、中国政府と韓国政府は従軍慰安婦問題に関する具体的言及など、安倍首相が大切な部分を省いてしまったことについて失望を露わにしました。

安倍首相は旧大日本帝国が犯した非人道的行為を検証することを『自虐史観』と攻撃し、戦後日本の対外姿勢を『謝罪外交』だと否定することにそのキャリアのすべてを捧げてきた、歴史を歪曲しようとする立場を代表する人物です。

安倍氏は1995年に当時の村山首相が公表した村山談話を20年間に渡り批判し続け、1993年いわゆる従軍慰安婦の問題について日本の責任を認めた河野談話については、時間をかけてその信頼性を傷つける工作を続けてきたネオコン(新保守主義)の国家主義者であり、戦後日本の平和主義の対極に立つ人物です。

安倍氏は同時代のナチス・ドイツの所業について『永遠の責任』を認めたアンゲラ・メルケル首相とは対照的に、加害者としての旧日本軍の事歴を葬り去り、自分自身も、日本の将来の世代も、これ以上謝罪を続けることを要求されるべきではない、そう考える人物なのです。
しかし、日本が軍国主義日本の侵略をうけた国々と戦後共有してきた歴史観を否定し、侵略国として犯した史実を受け入れることなく、一方的に謝罪の終了を要求することは、国際社会における日本の地位を確立していく上ではかえって逆効果です。

最近行われたNHK世論調査は、第二次世界大戦(太平洋戦争)に関する日本の謝罪を否定する回答がわずか15%であったのに対し、42%の回答者は日本の戦争責任について襟を正して謝罪すべきだと考えていることを明らかにしました。
日本はすでにこれまでに充分な謝罪を行ったとする安倍首相の見解は、一般国民の感情を代表するものではないのです。

〈 後篇に続く 〉

http://edition.cnn.com/2015/08/15/opinions/japan-abe-wwii-statement-analysis-kingston/index.html
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【動画】安保法案17日夜にも成立?攻防は最終局面

2015/09/14 17:04  mbsnews
(4分30秒)⬇︎をクリック

 安保法案の国会審議が、大詰めを迎えています。野党は14日も政府答弁に納得せず、審議は度々中断。一方、政府与党は早ければ17日の夜にも法案の成立を目指す構えです。与野党の攻防は最終局面となっています。 「国会前にはきょうも安保法制に反対する人々が多く集まっています。子ども連れの家族も参加していて、幅広い世代に反対の声が広がっていることが分かります」(記者)

 国会の正門前では、14日も安保関連法案に抗議する座り込みが展開されていました。

 「ここで意思表示しないと、本当に後で後悔する」(デモ参加者)

 そして門を隔てた国会の中では・・・

 「私自身はその点についての報告は受けておりません」(横畠裕介 内閣法制局長官)

 「『私自身』なんて、個人の話は聞いてないよ!法制局長官なんだろう?ふざけるな!」(民主党 福山哲郎 参院議員)

 95日間の延長を経て戦後最も長い245日間に及んだ今の通常国会。27日の会期末まで2週間を切って最大の焦点安保法案の審議が今週、大詰めを迎えます。しかし、ここまで審議を積み重ねても、なおはっきりしない政府側の答弁に14日も野党が納得せず、審議が再三、中断したり、中谷防衛大臣が答弁の撤回に追い込まれるなどヤジが飛び交う荒れ模様の展開に。見かねた委員長が大声で注意する場面も見られました。

 「先ほどの私の発言につきましては誤解を招くもので、撤回させていただきます」(中谷 元 防衛相)

 「大事な声が聞こえないの。不規則発言をお互いにやめよう。ちゃんと審議しよう」(参院特別委 鴻池祥肇 委員長)

 また安倍総理に向けては総理としての資質を問い質す、こんな質問も飛び出します。

 「国民はですね、自分の国の総理大臣は立派であってほしいと素朴にそう思っているんですよ。少し辛口なことを申し上げます。国会審議における総理の態度も誠に残念であります。総理は自分の意に反する意見について謙虚に耳を傾けるという態度に欠け、顔をしかめ、時には乱暴な言葉を吐く。やじについても泰然と受け流す器量が見えない」(民主党 北澤俊美 副代表)

 防衛大臣も務めたベテラン、民主党の北澤議員は国会審議での安倍総理の態度を、こう質しました。当の安倍総理は「真摯に受けとめていきたい」と応じる一方で、法案については・・・

 「確かに、まだ支持が広がっていないのは事実でございますが、我々はこの法案がですね、もし成立をした暁にはですね、そして時が経ていく中において 間違いなく、ご理解は広がっていくと」(安倍首相)

 国民の支持が得られていないことを自ら認めながらも「時が経てば理解は広がる」と強調。その自信の理由は不明ですが、今の国会で法案を成立させたいという強い決意を示しました。参議院での審議時間は14日で90時間を超え、いつ採決するかが焦点になってきます。

 政府・与党は17日木曜日に特別委員会で採決。その日のうちか、または翌18日には参議院本会議で可決・成立を目指す姿勢です。ただ、自民党は16日から所属の参議院議員だけでなく衆議院議員にも速やかに国会に集まれる場所に待機するよう求める方針で、衆議院で再可決する「60日ルール」を使う可能性にも含みを残します。

 一方の野党側は早期の採決には徹底抗戦する構えで、採決の際に、わざとゆっくり歩くなどして時間を稼ぐ「牛歩戦術」を使う可能性にも触れています。

 「かつて先輩方もそういう戦術を使った。国民の皆さんから、むしろそういうことをやれと声が上がってきているのは若干の驚きを持って迎えている。相手の出方を見ながら戦術を考える」(民主党 枝野幸男 幹事長)

 採決の日程をめぐり、与野党の攻防はクライマックスを迎えることになります。


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「大阪都構想」ちょっと口を挟んで大失敗! 「菅官房長官」の後悔先に立たず〈週刊新潮〉

BOOKS&NEWS 矢来町ぐるり 5月28日(木)8時1分配信


「(橋下氏が)勝つんだろ? だから俺は言ってたんだ」。5月17日夜、NHKが〈反対多数確実「都構想」実現せず〉と速報を流す前、出口調査で賛成派優勢との情報を得ていた菅義偉官房長官(66)は、オフレコの場でこう大見得を切っていた。だが結果はご存じの通り、彼の見立てとは真逆となった。以下は安倍政権の軍師、地方行政に口出しするも赤っ恥をかくの巻――。

 ***

 政府のスポークスマンにして司令塔の菅氏は、安倍晋三総理から絶大なる信頼を得て、2年5カ月、政権ナンバー2の座に君臨し続けてきた。「影の総理」と称されることもある策士として鳴らし、今や官僚が最も畏(おそ)れる政治家とまで言われる。

 そんな彼が、今回の都構想でも策を繰り出した。安倍総理がシンパシーを抱く橋下市長を住民投票で勝たせるべく、

「『後方支援する』と言って維新に肩入れしました」

 と、全国紙の官邸担当記者が振り返る。

「4月3日の記者会見では、『二重行政をなくし、府民や市民の期待に応えることは検討すべき』と発言。5月11日にはやはり記者会見で、都構想反対のスローガンのもとに自民党大阪府連が共産党と共闘していることについて、『個人的には全く理解できない』とも言っています。どうにか住民投票で賛成派を勝たせようと、記者会見を利用して維新にエールを送ったわけです」

■「二つの傷」

 官房長官が地方行政に容喙(ようかい)することは異例で、

「『官邸が都構想に賛成している』と維新は宣伝。自民党大阪府連は、敵である維新に味方する菅長官の発言に苦虫を噛み潰していた」(在阪ジャーナリスト)

 これに対して菅氏は、

「記者会見ではないところではより過激で、『柳本(顕・自民党大阪市議団幹事長)たちは一体何をやってるんだ!』と苛立っていました」(前出記者)

 そうまでして菅氏が橋下維新を援護射撃した背景には、無論、次項で詳述するように彼らを改憲のパートナーとして重要視していた面もあるが、

「あらゆる『カード』を握っておくことが、菅さんの力の源泉だからですよ」

 こう解説するのは、さる官邸スタッフだ。

「菅さんは派閥を持っていないし、政策通というわけでもない。何が彼をここまでの実力者たらしめているかといえば、八方美人とでも評すべき全方位外交。あらゆる勢力とのパイプを持つことで、『菅の人脈は凄い』と思わせるわけです」

 さらに、このパイプ作りは別の側面も持っていて、

「安倍総理がいつコケたとしても乗り換えられるように準備しておく意味がある。例えば、石破さん(茂・地方創生相)がポスト安倍と持て囃(はや)されていた頃は頻繁に石破さんに接触し、今は野田聖子(前自民党総務会長)と会ったりしています。そうしたうちの1人が橋下さんだったんです」(同)

 その大事なカードであった橋下氏を失い、同時に野党の維新を政府首脳が応援するという奇策が大失敗に終わって、策士策に溺れるの失態を晒した菅氏。

 政治アナリストの伊藤惇夫氏はこう見る。

「今回、菅長官は二つの傷を負ったと言えます。まず、地方自治、地方分権が叫ばれているなか、中央の政治家が地方組織の意に反した行動に出たこと。もう一つは、彼の後方支援が功を奏さなかったという結果そのものです」

 小さな口出し、大きなヤケド。まさに後悔先に立たずで、軍師危うきに近寄らずとはいかなかった。

「特集 壮大なるデマ『大阪都構想』終焉の日 さらば衆愚の王『橋下徹』大阪市長」より
※「週刊新潮」2015年5月28日号


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【動画】  総統は大阪都構想に行き詰っておられるようです
(4分48秒)
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大勢の人で埋め尽くされた憲法集会の会場=3日午後2時30分ごろ、横浜市西区の臨港パークで(本社ヘリ「あさづる」から)

横浜で集会 青空に「9条守れ」と3万人

2015年5月4日 07時00分  東京新聞

http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2015050490070054.html

 日本国憲法の施行から六十八年を迎えた憲法記念日の三日、「平和といのちと人権を! 戦争・原発・貧困・差別を許さない」をテーマにした集会が、横浜市西区の臨港パークで開かれた。安倍政権が解釈改憲で集団的自衛権行使を可能にし、改憲を進めようとする中、主催者発表で約三万人が参加。その数がアナウンスされると、会場は拍手でわいた。危機感を募らせ集まった市民らは、戦争放棄をうたう九条を引き継ぐ思いを新たにした。

◆世代を超えて 思い引き継ぐ

 埼玉県ふじみ野市の団体職員塚越あゆみさん(33)は三月に生まれたばかりの長男を抱いて参加した。「今、ぼやっとしていて、いつのまにか戦争する国になっていたら絶対に後悔するから」。母と夫、子供二人の三世代で来た。「平和を守りたい思いに、この子たちを産んでからは家族を守りたいという思いが加わりました」と二人の子の顔を見た。

 母のみよ子さん(64)は亡き父が第二次世界大戦に出征し中国で戦った。「(安保法制で)自衛隊に入る人が減れば、徴兵制になってもおかしくない」と危ぶんだ。

 東京都狛江市の平井里美(さとみ)さん(53)は夫の滋さん(51)と子ども二人と参加。里美さんは来日する外国人の日本語教師。「うちの子も紛争地の子も同じ命。誰かの都合で奪われてはいけない。話し合いで解決しようとせず、なぜ戦争をと考えるのか」と政権の姿勢を疑う。

 安倍晋三首相の「わが軍発言」を受けて知人が作った「戦争法案を阻止せよ 『わが軍』を迎え討つのはわが九条」と書いたのぼりを掲げた。長男の草次郎(そうじろう)君(10)は「僕と同じ年代の子が戦争で殺されるのはイヤだな」と顔をしかめた。

 「核兵器の廃絶というのは、憲法が目指している平和への第一歩だと思っています」。青空の下、誓いの言葉が響いた。 青山学院大3年の相原由奈さん(21)=横浜市緑区=は、他の大学生2人とともに若者代表としてステージで発表した。3人は、高校時代に核兵器廃絶を訴える署名を集める「高校生平和大使」を務め、スイス・ジュネーブの国連欧州本部に届けた仲間だ。

 相原さんが平和の問題を考えるようになったのは、高2の夏。修学旅行で長崎市を訪れ、被爆者の話を聞いた。「平和のバトンを次の世代に渡してほしい」。その言葉が胸に響き、平和大使に応募し、103条ある日本国憲法の全文も読んだ。「世界平和を誓った前文や、憲法9条は世界の誰が読んでも大事と思えるのでは」。だが、大学の講義で自民党が2012年にまとめた改憲草案を習うと、9条が変更され、自衛隊は「国防軍」とされていた。

 「環境権とか新たに加えてもいい権利もあるが、9条は変えてほしくない」。相原さんはこう願いつつ、同世代の責任を語った。「今の憲法や自民党の草案をきちんと読み、変わるならどうなっていくのかと考えていくことが大事」

(東京新聞)

「すべて安倍のせい」と護憲派が横浜でスパーク  大江健三郎氏「米演説は露骨なウソ」 香山リカ氏「憲法使い切ってない…」

2015.5.3 20:30  産経ニュース


 憲法記念日の3日、各地で改憲、護憲両派の集会が開かれた中、横浜市西区の臨港パークでは「平和といのちと人権を! 5・3憲法集会~戦争・原発・貧困・差別を許さない~」(実行委員会主催)が行われた。会場には作家の大江健三郎さんら護憲派の人々が3万人以上集まった(主催者発表)。 それぞれが安倍晋三首相を「安倍」と呼び捨てで批判し、集団的自衛権反対を訴えた。

 司会を務めたのは、女優の木内みどりさん。「いろいろなグループの思いは同じではないかもしれないが、憲法を守りたいという気持ちは一緒です」とまくしたてた。

 作家の雨宮処凛さんは「この暑い中、熱中症で誰か倒れたら全部安倍のせい」と最初から"戦闘モード"。貧困問題と戦争の親和性を主張し、「戦場に行くのは貧しい人たち。(集団的自衛権行使で)命を使い捨てられるような人が国内からも生み出されるのではないか。経済や何かのために人の命が犠牲になる社会を止めたい」と訴えた。

 次いでスピーチした大江氏は、安倍首相が4月29日に米上下両院合同会議で行った演説に対し「あまりにも露骨な嘘。だが(日米両国で)はっきりとした拒否の言葉が述べられることはなく、それをどうひっくり返すかが大きな問題だ」と断じ、会場からは大きな拍手が起こった。安倍首相が夏までの安全保障関連法案の成立に決意を示したことにも「安倍は日本の国会で(そのことについて)はっきり述べて、われわれ日本人の賛同を得たことはない」と強調した。

 大江氏はさらに、この日配布されたパンフレットに書いてある「私たちは、『平和』と『いのちの尊厳』を基本に、日本国憲法を守り、生かします 集団的自衛権の行使に反対し、戦争のためのすべての法制度に反対します」というメッセージを自身の考え方の根本にあると紹介。「自分がこれだけ大勢のみなさんの前で語るのはこれが最後」と語った。

 憲法学者の樋口陽一東大名誉教授は、盟友だった俳優、菅原文太さんの「政治には2つの役割がある。ひとつは国民を飢えさせないこと。もうひとつ、絶対に戦争をしないこと」という"遺言"を引き合いに出し、「今の政治は憲法が目指してきた方向と何から何まで正反対の方向に日本を引っ張ろうとしている。憲法を壊し、自由闊達な言論を貶め、彼ら政治勢力自身の先輩政治家が作り上げてきたはずの戦後史そのものをないがしろにしている」と糾弾した。

 作家の澤地久枝さんは「私は安倍晋三とその周りにいる政治家、それから軍需産業でもうける経済人たちに絶対反対。安倍という人はアメリカに行って、国会にもかけず、選挙民にもかけず、アメリカと約束をまた結んだ。あの人は平和とか命とか大事な言葉をあんなに汚くした。政治家としては珍しい。私たちは今、あの人を引きずり下ろしてやりたいと思う」と感情をあらわにし、「戦後70年間、日本は戦死者を1人も出していない。こんな国はないんです。この次の段階になったとき、戦後70年間戦死ゼロできた歴史が切り替えられた年が2015年だった、とならないようにがんばっていく」と結んだ。参加者からは「その通りだ」「アホ政権!」などの声が飛んだ。

 精神科医の香山リカさんも「私たちはこの憲法を変えるどころか、まだ使い切ってもいない。今の憲法さえ使いこなせていない政権に憲法を変える資格はない」と持論を展開した。

 集会には民主党の長妻昭代表代行、共産党の志位和夫委員長、社民党の吉田忠智党首ら野党幹部も登壇し、「戦争立法反対の一点で協働し、安倍政権のたくらみを必ず打ち破ろうではありませんか」(志位委員長)と共闘を呼びかけた。

 生活の党と山本太郎となかまたちの山本太郎共同代表も飛び入り参加。「政府の面を被った人間たちが根底から覆そうとしているこの憲法、何が何でも守りましょう」と叫んだ。



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米議会で演説する安倍首相(YouTube「FNNnewsCH」より)


米国向けには反省、国内では歴史修正…安倍首相が米議会演説で駆使した卑劣な“二枚舌”
2015.04.30. LITERA
http://lite-ra.com/2015/04/post-1062.html


「アメリカ様とこんなになかよくなれて幸せですぅ〜」「日本が今あるのはアメリカ様のおかげですぅ〜」「これからもアメリカ様にどこまでもついていきますぅ〜」


 安倍晋三首相が米議会で語っていたのは結局、こういうことだろう。とにかくひたすら米国に媚びまくり、忠誠を誓い、あげくは国内での議論の一切ないまま、自衛隊が地球上のあらゆる場所で米軍の戦争に協力できるための安全保障法制整備をこの夏までに必ず実現すると約束してしまった。報道によれば、演説は米議会から大絶賛を浴びているらしい(映像を見た限りでは、ドヤ顔のわざとらしい称賛やサムいギャグに米議員は引き気味で、スタンディングオベーションもさほど多くなかったように思えるのだが……)。


 もっとも、安倍首相の演説がこうした内容になるのは最初からみえていたことだ。「日経ビジネス」(日経BP社)や「フラッシュ」(光文社)も報じていたように、実は今回の演説前、首相のスピーチライターである谷口智彦・内閣官房参与が訪米して、議会関係者にヒアリング。米国側が求めている内容を草稿に反映させていた。また、谷内正太郎・国家安全保障局長も3月17日、ワシントンを急遽訪問し、スーザン・ライス大統領補佐官(国家安全保障担当)と緊密な協議をしている。


 いや、たんなるスピーチの言葉だけではない。官邸と外務省はかなり早い段階から安倍首相の米議会での演説を実現するために根回しをしていたのだが、その際、米側から突きつけられたのが、集団的自衛権の容認、新ガイドラインの策定、そしてTPPの早期締結だった。


「安倍さんはとにかくおじいさんの岸信介さんを追いかけていますからね。岸さんもやっている米議会での演説をどうしてもやりたかった。そのために、集団的自衛権の容認、新ガイドラインの策定をあんなに焦っていたんですよ」(全国紙政治部記者)


 ようは、安倍首相は個人的な野心を達成するために、自衛隊や日本の農業を拙速に米側に差し出したのである。


 これでは、安倍首相こそ売国奴ではないかと言いたくなるが、この総理大臣がさらに悪質なのは、米国に受け入れられるために、歴史認識について非常に狡猾なごまかしをしていることだ。


 今回、安倍首相は歴史認識について「先の大戦への痛切な反省」「みずからの行いが、アジア諸国民に苦しみを与えた事実から目をそむけてはならない」などの発言をして、米側から一定の評価を得た。だが、その一方で、謝罪や侵略への言及を一切しなかったことについて、日本国内の保守派・ネトウヨからは「よくやった、謝罪なし」「安倍ちゃん、グッジョブ!」などと喝采を浴びている。


 実は安倍首相は訪米が決まってから、このダブルスタンダード、二枚舌作戦をしきりに用いるようになっているのだ。海外向けには反省のポーズを見せながら、国内向けには旧来の歴史修正主義的な解釈の余地を残す──。


 訪米を前にした3月、安倍首相は米「ワシントン・ポスト」のインタビューを受けたのだが、この際、従軍慰安婦を「ヒューマン・トラフィッキング」(human trafficking=人身売買)と定義し、「人身売買によって酷い目に遭い、想像を絶する苦しみと言いようのない痛みを受けた人々を思うと胸が痛む」と語った。英語の「human trafficking」は“強制的な連行”を想起させ、米国務省が慰安婦問題に関する公式見解でも使用している言葉だ。


 ところが、安倍官邸は一方の日本国内では同じ言葉を使いながら、この「強制性」とはまったく逆のことを喧伝しているのである。


 象徴的だったのが産経新聞(3月28日付)の記事だ。記事では、安倍首相が前述のインタビューで「人身売買」という表現を使った理由について、政府高官からとってきた「特別な意味はない」「人身売買には日本語の意味として強制連行は含まれない」というコメントを用いて、〈旧日本軍や官憲による強制連行説とは一線を画す意図もあったとみられる〉と書いている。


 ようは、安倍政権の情報操作を担う菅義偉官房長官みずからが、“「人身売買」には強制連行の意味はない”と産経記者に話して記事にさせているわけだ。


 さらにこの産経の記事は、〈戦前・戦中の朝鮮半島では、新聞広告などで慰安婦が募集されていたが、貧困から親に売られたり、女衒や業者にだまされて意思に反して慰安所経営者に売られたりしたケースもあった。首相の発言は、こうした事例を指している〉と続いており、従軍慰安婦に強制性はなく、あくまで民間の業者によるものだったと強調して報じている


 その後も、安倍首相は今月27日の米ハーバード大学講演後の質疑応答や、29日のオバマ大統領との首脳会談後の共同記者会見でも、この“人身売買をhuman traffickingと訳す作戦”を駆使して国内外でのダブルスタンダードを貫いているわけだが、やはりというべきか、ネトウヨたちが「売ったのも買ったのも朝鮮人」などとツイッターで広めている。


 さらにこうした文言は、ネトサポ(自民党ネットサポーターズクラブ)によりリツイートされるなどして、“安倍首相は近隣国に強気な態度を示し続けている”という印象が拡散されている始末だ。


 これは、あきらかに意図的な翻訳のトリックであり、“二枚舌”というほかない。


 さらに、今月22日に行われたバンドン会議の演説で使った「深い反省」や今回の米議会で用いられた「痛切な反省」という言葉も同様だ。どちらの言葉も英語では「deep remorse」と訳されているのだが、読売新聞によると、実はこの「remorce」は「自らの罪悪への深い後悔」「自責の念」という意味があり、“謝罪”を連想させる言葉だという。1989年9月、西ドイツのヘルムート・コール首相(当時)が先の大戦50年を踏まえてこの言葉を使った演説を行い、海外で高く評価されたこともある


 つまり、安倍首相は米国向けには謝罪のニュアンスを出しながら、日本では謝罪をしていないことを強調し、依然として歴史修正主義を貫く姿勢をアピールしているのだ。


 もちろん、安倍首相の本心は歴史修正のほうにある。国際社会の顔色をうかがって今は抑えているが、一気に戦争肯定、戦前の価値観を復活させるチャンスを虎視眈々と狙っているはずだ。


 米国はつい最近までこの安倍首相の姿勢を危険視していたが、ここにきて、その本音を承知で、この歴史修正主義思想をもつ首相を全面支持する方向に姿勢を切り替え始めた。それはもちろん、安倍首相が集団的自衛権容認、周辺事態法改正によって、地球の裏側にまで自衛隊を派兵し、米軍の戦争に協力する体制をつくりつつあるからだ。


 戦争のできる国へひた走る安倍首相と米国の一体化。恐ろしい未来はもう目の前に迫っている。
 (野尻民夫)


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首相、歴史認識で英語表現使い分け
2015/4/30 1:46 日本経済新聞
http://www.nikkei.com/article/DGXLASFS29H21_Z20C15A4NN1000/


 【ワシントン=芦塚智子】安倍晋三首相は米議会演説で、先の大戦に言及した部分で「remorse」「repentance」という2つの英語表現を使い分けた。


 日本政府は「remorse」を「反省」、「repentance」を「悔悟」と訳している。いずれも「regret(後悔、遺憾)」よりも語感が強く、米国人は謝罪のニュアンスを感じることが多い表現だ。


 首相はアジア・アフリカ会議(バンドン会議)首脳会議で行った演説と同様、先の大戦に触れた部分で「deep remorse」という表現を使った。「remorse」は、「深い悔恨」「自責の念」といった意味がある。


 1995年、当時の村山富市首相が過去の植民地支配と侵略を謝罪した戦後50年談話を発表。この談話にある「痛切な反省」や「深い反省」の英訳はいずれも「deep remorse」だった。


 真珠湾攻撃や、旧日本軍がフィリピンで米兵捕虜らを歩かせ多数が死亡したとされる「バターン死の行進」などに触れた際には「deep repentance」という言葉を選んでいる。「repentance」は「悔い改め」などと訳されることが多い。宗教上では「神へのざんげ」にも使われ、過去の非を悔い、行いを改めるという意味を持つ。


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(ブログ『大谷昭宏事務所』から転載させていただきました)


連載企画「大阪都構想を考える」その11
[番外編]続・聞いてみた大阪市職員の本音! 心配な行政サービスの切り捨てと有料化
2015年4月14日 吉富 有治
http://homepage2.nifty.com/otani-office/column/yo_071.html


今回も先週に引き続き連載企画の番外編として、大阪市職員の本音を紹介する。


―もし大阪都構想で財政難になれば市民生活はどうなるか。

事業局勤務C 最初の1、2年は、新しい行政体制への移行に伴う大混乱と新特別区長や新特別区議会の選挙などのお祭り騒ぎに紛れて、財政難がクローズアップされることはないだろう。

本庁勤務A 大阪府庁も大阪府議会も特別区に対してすぐには理不尽、高圧的といったエゲつないことはしないだろう。

区役所勤務D けれど落ち着いて来ると、果たしてどうなることか。

事業局勤務E そのときは財政問題のオンパレードになる。区民サービスを良くしようとして特別区長や特別区議会が次の選挙向けに張り切っても、いかんせんお金がない。府は府で2千億円を特別区に渡したくない。

本庁勤務A 心配なのは、ちょっと思いつくだけでもゴミ回収、道路補修、下水補修、街灯取替、公園の修繕、道路や公園の樹木の剪定(「せんてい」。樹木の枝を切って形を整え、風通しを良くすること)や草刈り、学校校舎の修繕、市民健康診断、巡回健康相談などだ。これまで当たり前にやっていた市民サービスは一体どうなるか。市民に必要なものは全て有料になるかもしれない。

事業局勤務C 極端な話、消防車や救急車も有料になるかもしれない。保育所や幼稚園の保育料などもバカ高くなる。まさかとは思うが、自然災害対策を置き去りにする可能性すらある。

区役所勤務D 区役所と地域の方々との触れ合いや安全パトロールもなくなるか、有料になるかもしれない。

区役所勤務B 総じて行政サービスは切り捨てられるか、有料になるかだろう。財政不足はいずれ職員のリストラへとつながり、そうなるとさらに行政サービスの質が下がる。一方、特別区と大阪府では住民そっちのけで予算の分捕り合戦が続く。でも、結局は府に押し切られて特別区は泣きを見るだろう。

一同 そして、こんな町に住んでいられないと住民の流出が始まる。こんなはずじゃなかったと誰もが後悔する。

事業局勤務C 財政不足で行政サービスが低下した結果、住民が大阪府外に流出する。そして特別区の税収が下がる。企業は大阪から逃げ、そのため仕事も減ってしまう。

事業局勤務E 近隣市町村の住民は大阪市内で働き、住んでいる市町村に住民税を納めている方が多い。仕事が減ると給料も減るから、近隣市町村も住民税収入が減って財政難になる。

一同 そして、そう遠くない未来に大阪府全体が大変なことになる。大阪府が府下の市町村を支えてくれれば良いが、その大阪府の借金は6兆5千億円。しかも年々増えているから、市町村も大阪府を頼るに頼れない。

―近々、住民投票のための住民説明会があるようだが。

区役所勤務B とにかく大阪市民の皆さんは具体的なことを担当者に尋ねてほしい。良いと思うことも不安なことも、また嫌なことでも、どんな細かなことでも質問すべきだ。

区役所勤務D 窓口で市民の方から将来どうなるのかと尋ねられても、きちんと答える具体的な材料が現場にはない。だから説明会で聞いてほしい。

事業局勤務C もっとも、橋下市長は「大丈夫です」とおっしゃるだろうけど。

本庁勤務A しかし橋下市長もいつまで大阪市におられるか。現にこの10年、市長交代のたびに市政方針が転換し、時の市長の約束事はそのたびに覆ってきた。それに特別区になるのなら、次の市長選挙で当選した市長が最後の大阪市長ということになる。その最後の市長の市政方針は今の橋下市長の方針と同じなのだろうか。

事業局勤務E そして市内が5つの特別区にバラバラに分割されたら、それぞれの特別区長は「選挙で選ばれた」「民意だ」と言って、橋下市長の考えと全く違うことをやり出すかもしれない。そうなると大阪都構想が描いていた当初の理想や姿から、さらに遠く離れたものになる。

一同 協定書の記載があいまいな以上、大阪市民270万人の暮らしや将来も、また大阪の未来も「あいまい」だということだ。

―なぜ橋下市長は職員に「かん口令」を発したのだろうか。

一同 市長は頭が良く、庶民の実生活もよくご存じだ。だから大阪の未来を憂う気持ちも強い。しかし、表面とは裏腹に内心では都構想のあいまいさや危険さもよくおわかりだと思う。けれど、ここまで来れば市長にも止められない。職員の素朴な声が漏れるのを市長が嫌忌されるのは、実はご自身が非常に複雑な心境だからではないか。だからテレビ出演も取材も説明会もすべて「自分が話す」となるのだろう。
(2015年4月21日掲載)


      

連載企画「大阪都構想を考える」その10 聞いてみた大阪市職員の本音
連載企画「大阪都構想を考える」その9 わかりやすい政治からの脱却を
連載企画「大阪都構想を考える」その8  賛成派の方々の取材ができなかった事情について
連載企画「大阪都構想を考える」その7 東京都世田谷 保坂展人区

連載企画「大阪都構想を考える」その6 自民党府議団 花谷充愉幹事長

連載企画「大阪都構想を考える」その5 住民にやさしい基礎自治体
連載企画「大阪都構想を考える」その4  大阪市の二重行政は本当か
連載企画「大阪都構想を考える」その3  欠ける成長戦略





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【藤井聡】大阪都構想(3)

公権力者の「詭弁」がもたらす「言論封殺」

投稿日: From 藤井聡@京都大学大学院教授


私、藤井聡は、

「~橋下市長「大阪都構想」問題について~
権力による言論封殺には屈しません」
http://satoshi-fujii.com/サトシフジイ ドットコム)

にて公表した「声明文」の中で指摘したように、今、大阪の「都構想」を巡って、激しい「言論封殺」が吹き荒れている事を感じています。

そして、この「言論封殺」が放置されたまま「都構想」の住民投票が行われれば、適正な情報が投票者に提示されないままに大阪の未来が決定付けられ、結果、必ずや大阪の人々は大きく「後悔」することとなるでしょう(目隠ししたまま道路を横断するのが、どれくらい危ないことか、と同じです)。

ところで、「言論封殺」と言えば、具体的な警察権力などをもってして、発言者を拘束してしまうことのような「物理的」なものをイメージしている方も多いかも知れませんが、それ以外にも様々なものがあります。

そんな数々の「言論封殺」の中でも典型的なものが、

「詭弁」による「印象操作」

による言論封殺です。

そもそも、「言論」というものはそれがどれだけ正当でも、「詭弁」によって簡単に「封殺」されてしまします。

そして、言論を封殺すれば、詭弁を吐いたものは容易に「印象操作」が可能となります。

ましてや「権力者」がその「印象操作」を行えば、そこに強烈な「言論封殺」の圧力が生ずることとなります。

少々わかりにくいかもしれませんので、今回の都構想を巡る「言論弾圧」の事例を一つ、ご紹介したいと思います。

───当方は先日、『大阪都構想:知っていてほしい7つの事実』
http://www.mitsuhashitakaaki.net/2015/01/27/fijii/
の原稿の中で、次の様な趣旨の指摘をしました。

「「都構想」の住民投票の「判断」において大切なものとして、【事実1】今回の住民投票で決まっても,「大阪都」にはなりません.という事実があります。投票にあたっては、少なくともこれを知っておきましょう」

これに対して、もし「反論」があるとするなら、「この事実1」は間違いだ、と指摘するか、あるいは、「この事実1は、投票の判断には何の影響もない」と指摘するかしかあり得ません。

しかし、この事実1は、紛う事なき事実です。

しかも、少なくとも私の友人達の中には、この【事実1】を知っただけで、

「えっ! そうやったん!? なんや、それやったら、なんか賛成する気が失せるなぁ」

というリアクションをする方が、本当にたくさんおられました。したがって、この当方の記述は、どこをどうやっても反論出来ない「構造」になっているのです(多くの人々は、都というものを、なにやらカッコイイものとして認識し、それが都構想支持の重要な要素をなしているんですね)。

ところが、(大阪維新の会には参加していない)箕面市長の倉田哲朗氏は、自身のホームページに掲載した、

「大阪都構想:知っていてほしい7つの事実」をマジメに考える
http://blog.kurata.tv/article/113351831.html

というブログ記事の中で、上記の【事実1】について次のように論じています。

「大阪府の名称は住民投票では変わりませんよ"って話。
・・・これを一番にもってくる時点で、正直、唖然(@_@)としました。
名称なんてどうでもいいのです。それは5年前に「『大阪"都"構想』をどう思う?」で、僕自身が「自治体呼称としてのネーミングはやはり『大阪府』が好みですが」と書いたとおり。中身が大事。
それを「事実1」とか言って最初に大々的に主張されてる時点で、学者さんが書く主張として、あまりにアホらしくてビックリしました。」
http://blog.kurata.tv/article/113351831.html

皆様、どうお感じになりますか?

この倉田氏は、当方の【事実1】で論じた議論に対して、

マジメ

にお答えになっているとお感じになりますでしょうか?

当方が「投票にはネーミングが多大なる影響を及ぼす」という「政治心理学的認識」に基づいてこの【事実1】を、市民に知らしめる必要性を論じているところ…..

倉田氏はあろうことか、「自分は大阪府が好みである。」という単なる個人の主観の話を持ち出し、その主観の話とは論理的には全く無関係の「名称なんてどうでもいい」「中身が大事」なる台詞を口にした上で、何の脈絡も無く藤井の主張が「アホらし」いと、「誹謗中傷まがい」の結論を導いておられます。

これこそ、典型的な「詭弁」です。

詭弁の重要な特徴は、
1)とにかく論理的な正当性はない、
2)しかし、「相手がバカだ」「間違っている」等の印象を与える(印象操作)、
という二点にあります。つまり、論理の様に見せかけた、論理あらざるもの、それが詭弁です。

上記の倉田氏の議論は、この2つの特徴をきれいに兼ね備えたものであり、典型的な「詭弁」だと認定できます。

そして、そうした詭弁というものは、元々の言説がどれだけ正当でも、誤っているという「イメージ」を付与できる、という「パワー」を持ちます。

この「詭弁パワー」こそが、「言論封殺」の圧力源です。

ちなみに、この倉田氏が、当方が指摘した【事実2】~【事実7】の議論についての指摘についても、全く同様の詭弁の構図を見いだすことができます。そのパターンは、次のようなものです。

1)結局、当方が指摘する「事実」については認めている。しかし、それがどうした、と論理を「すり替え」、その上で、「アホ」(引用)らしいという誹謗中傷的なイメージを当方に付与する。(事実1,2,5)

2)当方が論じている内容を無視し、一部の文章や言葉の印象だけをとらまえ、あるいは当方の主張していない事を当方が主張したと断定し、その上で、当方の主張とは無関係な論を展開し、最終的に「不見識」(引用)等という誹謗中傷的なイメージを当方に付与する(事実3、4、6、7)。

例えば、【事実4】については既に先週のメルマガ記事「大阪都構想(2)」、
http://www.mitsuhashitakaaki.net/2015/02/03/fujii-129/

にて詳細に論じていますが、その議論を完全に無視した上で論じられていますし、【事実7】については、「大阪は努力せず諦めろ」なぞという主張は一切こちらがしていないにもかかわらず(首都ならずとも、都市の成長はできるのです!)、勝手にそう解釈して当方を批難しています。

・・・・

以上の様に、倉田氏の反論は、至る所に「詭弁」が潜んでおり、以上の論証で、十分に却下できるのですが、極めつけは、最後に倉田氏は次のように述べているところです。

「(このような主張をする藤井には)正直言って、橋下市長ほか大阪の政治家が、指摘する気すら失せているだろうことは、上記のとおりよくわかります。」

つまり、箕面市長という公権力の立場にある倉田氏は、様々な詭弁を用いた議論を展開しておいて、挙げ句の果てに「『不見識』(引用)で『アホ』(引用)な主張をする藤井は、相手しなくても良い」という「印象操作」をしているのです。

つまり、このブログ記事が全体として、一つの「詭弁」の構造をなしているのです。

しかもしかも、さらに恐ろしいことは、そんな「反論のように見えるブログ記事」を、さも正当であるかのようにインターネットの世界で引用すれば、詭弁による「印象操作」がますます強化され、言論はますます封殺されていくことになります。

一般にそれは「ソースロンダリング」と言われるもので、論理の不当性と印象操作との間の距離を「より遠くに離していく」ことで、「印象操作」による詭弁パワーをより増強させていく、というテクニックです。

例えば、公党の代表、かつ大阪市長である橋下氏という「公権力者」がツイッターでこの倉田氏のブログを引用しつつ、

藤井教授の主張のでたらめさは大阪府箕面市の倉田市長がまとめてくれました。」

とコメントしておいでですが、それがまさにその「ソースロンダリング」という二人がかりのツープラトンの詭弁プレーです。この詭弁プレーを通して、「藤井の主張=でたらめ」というイメージを広く一般に普及させる事に成功しておいでなわけです。

そして、その印象操作を通して、ますます自由な言論が封殺されていくことになるわけですね。

とはいえ───私、藤井聡はこの手の公権力者達による「印象操作」を通した「言論封殺」には、徹底的に戦って参る所存です。

以上、よろしくお願いいたします!

藤井聡からのPS
高橋洋一先生が、当方が論じた「7つの事実」の一部について、反論しておいでです。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/42011
これについては既に、当方のFacebookで反論・解説させていただいていますが、
https://www.facebook.com/Prof.Satoshi.FUJII/posts/618883238212623?pnref=story
明日にはこの高橋先生の議論へのご回答も含めた、「都構想」についての短い論説を、同じく「現代ビジネス」に掲載させていただきます。乞う、ご期待!

藤井聡からのPPS
万一、以上の当方からの「詭弁の構造についての解説」に反論なさりたい方がおられれば、詭弁でなく、正当な論理でもって、如何にしてそれが詭弁で無いのかを論証ください。それは文書で十分です。というより、詭弁の有無を判定するには、文書こそが最良の形式です。ただしそれが詭弁にまみれたものなら、時間の無駄になりますから、もう二度とこの議論には参与いたしません。
(なお、 本記事の意見は全て藤井聡個人の見解であり、 関連する如何なる組織の見解とも関係ありません。)




 
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(webサイト『現代の理論』から転載させていただきました)

迷走する大阪都構想   深手を負う地域のつながり

奈良女子大学名誉教授 澤井 勝

2014/05/01

はなれた「民意」

  大阪都構想への信認を求めるとして、突然辞任しワンイッシューで再度立候補した橋下徹大阪市長。3月24日の投開票の結果、投票率は23.59%と大阪市長選では過去最低だった1995年の28.45%を4.86%も下回った。得票数は37万7472票で、前回の75万813票から文字通り半減した。有権者数に対する絶対得票率は、36.67%から17.85%に半分以下に縮んでしまった。

   そして記録的な棄権や無効票の山。次点は「白票」で4万5098票。「他事記載」などの無効票は2万2408票で、合計6万7606票。これは投票総数の13.53%になる。これもこれまで最多だった2007年の長崎市長選の7.69%より5.84ポイント上回る。

  この白票と無効票は、今回の選挙に対する市民の一つの積極的で誠実な対応だったように思える。棄権のなかにも多くの市民の誠実な姿勢を見ることができる。たとえば、3月26日の朝日新聞の声欄(大阪版)ではそのいくつかが紹介されている。

  50歳の主婦は、「『無意味な選挙するな』。出直し選挙で、こんな無効票を投じた。率直な思いを伝えたかったのだ。投票に先立ち『大阪都構想』を学ぼうと、橋下徹氏の個人演説会にも参加した。そこで大阪市の無駄の多さを知り、『市役所をぶっつぶす』と橋下氏が訴える理由が理解できた。しかし同時に、疑問も感じた。市民からは地域の公共施設の統廃合について様々な質問が出たが、橋下氏の返答はこんなフレーズが多かった。『それは都構想が実現して特別区ができた後、みなさんが決めればいいんです』。住民主導のようで聞こえはいいが、丸投げのような印象も受けた。大阪都になってから後悔しても取り返しがつかない。もっと具体的に住民目線でメリットデメリッとを示してほしかった。『住民投票』を目指すと言うが、ごり押しからは中途半端な結果しか生まれない。市民とともに、地に足がついた議論を深めていただきたい。」

  このように、橋下市長を応援してきた市民の中からも、大阪都構想を実現するためにも、住民目線からの具体像を示せという意見が強い。それに応えきれない橋下市長の暴走には不信感が強くなっている。今回の出直し市長選は、「市民の利益ではなく『維新』のために行われたように見えた」という声もある(同じく「声」欄から)。

   橋下市長自身が言っていた「ふわっとした民意」は大きく離れつつあるともいえる。橋下市長の出直し選挙という賭けは裏目に出たというのが正直なところだろう。次の手は、『公約』とも言ってきた法定協議会の議員を、都構想推進議員に差し替えるという手だが、これも選挙前とは違って、この差し替えに「民意を得た」とは言えない。橋下支持者で都構想支持者の中にも、先の「声」欄の女性のように、丁寧な議論と多くの賛同を得られる説明を求める声は少なくない。ここで議員差し替えを強行すれば、ますます「民意」は冷淡になると見るほうが自然である。空席ばかり目立つ会場での「一人相撲」の度が深くなる一方だ。

   この法定協議会で多数派を無理につくっても、次の市議会、府議会の多数派形成は、より難しくなることは目に見えている。相手をたたいて沈黙させる橋下流の威嚇、恫喝戦術は、同盟者であった公明党をより遠ざけることになっている。議会多数派を形成できなければ、すべての都構想周辺の議論はストップするか、別のものに変わっていく。都構想そのものではないが、大阪市営交通の民営化、水道事業の民営化、家庭系ごみ収集輸送事業の民営化などがその例である。大阪市廃止、新大阪府設置と特別区設置という都構想自体の議決も現在の政治状況では不可能であり、この状況は時間が経つにつれて改善する見込みはない。むしろ袋小路に追い込まれていくだけだろう。

中核市にもとうてい及ばない特別区

   都構想自体は、法定協議会での議論が進行するにつれ、その問題点も明らかになりつつある。2014年3月14日に発刊された、『大阪市廃止・特別区設置の制度設計案を批判する』(大阪の自治を考える会編著、公人の友社)を参照して見てみよう。

   基本は政令指定都市である大阪市を解体して、新大阪府と「中核市並み」の特別区に分ける。その際、まず新大阪府に移される大阪市の事務に対する批判がある。

   2013年8月9日に開催された「第6回 大阪府・大阪市特別区設置協議会」で提案された『大阪における大都市制度設計資料(パッケージ案)』によると、まず政令指定都市である大阪市の事務・権限のうち253の事務・権限が新大阪府に移されることになる。

(なおこのパッケージ案では、特別区を7区にする案と5区にする案が示されて、それをさらに相対的に税収が良い中央区と北区を分離する案とが示されていた。橋下市長はこのうち北区と中央区を分離した5区案にしぼりたいらしい)。

   移される事務の主なものは、あいりん対策、精神保健福祉センター、高等学校、特別支援学校、大学、成長分野の企業支援等、中央卸売市場、広域的な交通基盤の整備、成長戦略・グランドデザイン、港湾、雇用対策、都市計画、道路(広域交通網)、公園(広域防災拠点)、下水道、消防など。それにともない、固定資産税と法人市民税、そして特別土地保有税の3税は府税となり、府と特別区間の財政調整のための財源となる。その賦課徴収事務も、またその財源もまずは新大阪府のものとなる。新たな特別区は、これらの税を奪われる。既にここから「中核市並み」は崩れている。

   特別区に移譲される事務は、175事務。児童相談所・児童福祉施設、身体障害者更生相談所、知的障碍者更生相談所、精神障害者保健福祉手帳の交付等、小中学校教職員人事権・研修、旅券交付、大阪市内の府営住宅管理、など。

   これについて『批判する』は、まず、大阪の特別区が「中核市並みの基礎自治体」という位置づけにもかかわらず、一般市にも及ばない中途半端な「特別区」に限定されるという。特に消防、都市計画(広域)、道路(広域)、下水道、雇用対策、精神保健福祉センターなどがなくなるので、この特別区は一般市である中核市にはとうてい及ばない小規模な権限に限定される。このような新しい特別区は、あくまで新たな広域自治体である新大阪府の内部団体にとどまる。自立した基礎自治体になりえていない東京23区よりさらに低位置に押しとどめられることになる。

   この特別区の人口は、橋下市長が絞り込みたかった5区案(北区と中央区を分離)では、A区が56万1千人、B区が51万2千人、C区が58万3千人、D区が59万2千人、E区が41万5千人となっている(2011年4月1日現在)。中核市としては、金沢市(46万人)、豊中市(39万人)、姫路市(53万人)、東大阪市(51万人)、西宮市(48万人)、などに匹敵する規模だが、想定されるように都市計画事業や消防事業、下水道事業などは大きく制約されるか、持つことはできない。中途半端な事務と権限に制限されることは明らかである。

巨大な一部事務組合という怪物

   それに、特別区の仕事とされた事務のうちかなりの事務が、実際は特別区等がつくる『一部事務組合』が行うとされている。たとえば各特別区が承継する普通財産の大部分は一部事務組合で管理するとされている。そのほか、国民健康保険、介護保険、住民情報系システムに加えてその他の140システムの共同管理・処理、児童福祉説等の福祉施設、中央図書館、中央体育館、救急診療所、斎場や霊園などの設置と管理が一部事務組合にゆだねられ、特別区住民の関与は遠くなる。

   一部事務組合は、複数の自治体が一定の事務について、共同で管理し処理するために設置するもので、特別地方公共団体の一つ。議会を持つが、その議員は構成自治体の議会の議員から選出される。地方自治体の長に当たるのは「管理者」であるが、選任の方法は、「構成団体の長の互選による」とするか、「○○の長をもって宛てる」とする。すなわち、特別区の住民はごく間接的にしか関われない。組合議会の条例についての制定・改廃の住民による直接請求や議員の解職、管理者の解職などの直接請求は認められていない。

   その点は「広域連合」とは違う。広域連合は、長の選任について、構成団体の長の互選のほか、構成団体の住民による直接公選も認めているので、その裏返しで直接請求も認めている。ただし、広域連合制度ができて20年近くになるが、公選の長は一人も生まれていない。

   この法定協議会に提案された事務配分のパッケージ案における一部事務組合は、複合事務組合のようだが、きわめて巨大だ。脈絡がない多種多様な事務を管理し処理するもので、いわば「バーチャルな大阪市の復元」ともいえる。これでは、これらの多様な事務を一部事務組合に預ける特別区は、基礎自治体とは言えないような貧しいものになる。市民からすると、強大な権限を持つ新大阪府と貧相な特別区の間に、何を考えているかわからないかなり大きな第三の存在が生まれる。選挙がないので顔も見えないし、市民参加のルートがないので意思疎通ができない不思議な組織だ。

   東京都の場合、特別区の一部事務組合(うち一つは協議会)は5つしかないし、それぞれが独立した事務組合であるので、まだわかりやすい。すなわち、特別区競馬組合、特別区人事・厚生事務組合、東京23区清掃一部事務組合、東京23区清掃協議会、臨海部広域斎場組合、の5つである。

市政改革プランは弱い者いじめ

   もう一つ大きな問題は、都構想問題と並行して進められてきた「市政改革プラン」(2012年7月策定)による市政改革だ。民間が管理、運営できている分野は民間に、という主張で公立保育園や公立幼稚園の廃止と民営移管が典型だが、これも市民の強い抵抗にあっている。また問題なのは放課後児童対策として大阪市独自の事業として定着してきた「子供の家」事業を廃止して学童保育に移行する問題に表れている「公平感」である。そして、この2年間で補助金の強行的な整理の中で組織されてきた「地域活動協議会」は、従来の地域住民自治組織である振興町会(町内会自治会)とその連合会などを相当痛めつけているように思われる。あるいは文化行政の切り捨てと補助金カットの対象となった大阪市音楽団や文楽の窮状がある。

   この補助金カットの対象となった市社会福祉協議会の解体が地域福祉に大きな影を作っている。14年2月段階で、市社会福祉協議会の職員の3分の一が退職したと言われている。この退職は専門職が多いと予想される。専門職は人手不足が続いているから、他に移ることが容易なのだ。社会福祉協議会の活動に将来性を見いだせない状況になっていることが大きく影響していると思われる。

西成区の「子供の里」と「山王こどもセンター」

   大阪市の子供の放課後事業には3種類ある。(1)留守家族の小学校低学年の子供たちを夕方7時まであずかる「学童保育」(月2万円、109か所)、(2)空き教室で午後6時まで小学生を預かる「児童いきいき放課後事業」(298か所)、(3)「子供の家事業」(利用料無料、実費負担、28カ所)である。「大阪市政改革プラン」は(3)の「子供の家事業」を(1)の「学童保育」に統合するとしている。「子供の家」を利用している生活保護世帯の子供は、有料化で行き場を失う。小学校低学年生以外の幼児や小中学生、高校生も、これまでの居場所であり、気楽に立ち寄れる場所、息を抜く場所から追い出される。

   「子供の家」事業は、(1)のように小学校低学年に限定せず、0歳から18歳まで、どの年齢層も受け入れる。そして利用料は無料である。(2)のように学校の延長でもない。障害を持った子供たちも多く、利用時間は365日、24時間可能なところもある。

   特に特色があるのは西成区の「子供の里」と「山王こどもセンター」だ。(以下、さいたまユースサポートの青砥恭さんのウェブページなどから要約する。)西成区の「こどもの里」事業は、1977年フランシスコ会「ふるさとの家」の2階に、幼児から児童、小中高校生の誰が来てもいい遊び場として始まった。この場所は、青年たちや保護者にもほっとする場、学習の場、相談の場、生活の場、ともに助け合う場として機能してきた。1996年に大阪市が全児童の健全育成を目的とする事業として「子供の家事業」として発案、実施したもの。利用料は無料、指導員は2名以上を実施主体で確保することとした。補助金は学童保育の2倍を確保した。

   「山王子どもセンター」は、同じ西成区釜ヶ崎の隣接地に1916年に作られた飛田遊郭(飛田新地料理組合)の地域内にある。子どもセンターの子供の5割はひとり親世帯の子だ。施設長の前島麻美さんは大学を出て30年、ここで300人を超える子供とその親たちと関わってきたという。

父子家庭で小学校2年生から自分で食事を作ってきた子がいる。その後、窃盗などで自立支援施設に入ったが、身元引受人は前島さんだ。「家ではできないこと、たとえばセンターはみんなで食卓をかこんで食事ができる」。それが大事だという。

   このような子供の無料の居場所は、学童保育では確保できない。ハンディキャップのある若者を支え、話を聞き、受け止めるのは、コスト面からも公共的に支える必要がある。それが本当の意味での公共の役割りというものだ。それは次のような橋下流(それを支える上山信一慶応大学教授などイデオローグ)の説明とは違う。

   「『子供の家事業』と『留守家族児童対策事業』は、ほとんど仕組みは一緒なのに、『子供の家事業』の利用は無料、一方の『留守家庭対策事業』の利用は有料で、同じように行政の援助を受けながら、結果としての保護者負担に大きな違いがあることは、公平でなく、やはり補助金制度のあり方として問題だと思います」。

   ここに言う「公平」は「エセ公平」である。ハンディキャップのある人に必要とされるバリアフリー施策やアファーマティブ・アクションなど「合理的配慮」(障害者権利条約が実現するよう社会に求める原理の一つ)を否定するものだ。このような「エセ公平」の強制は、所得が低い人々の生きる権利を奪う。前島さんが橋下市長は「弱い者いじめだ」というのは、その意味でも当を得ている。

地域活動協議会の問題点

   大阪市の地域活動協議会は、2012年度からおおよそ小学校区を単位として、全市で設置を進めてきた。三浦哲司同志社大学助手(現名古屋市大助教、大阪市政調査会『市政研究』182号、『大阪市における地域活動推進協議会の設立とその課題』)によると、2013年11月末時点で、合計317の地域活動協議会が設立されている。大阪市内24区のうち19区で全地域設立が終わっている。残り5区もほぼ設置が完了している。

   この地域活動推進協議会は、すでに橋下市長の前の平松邦夫前市長時代に構想されたものだ。「校区等地域を単位として、地域住民の組織をはじめ、ボランティア団体、NPO、企業など様々な市民活動団体が幅広く参画し、民主的で開かれた組織運営と会計の透明性を確保しながら、防犯・防災、子ども・青少年、福祉、健康、環境、文化・スポーツなどの様々な分野において、地域課題に対応するとともに地域のまちづくりを推進することを目的として形成された連合組織」とされている。

   これが新しい大阪的な住民自治の基盤になれるかどうか。市民グループ「見張り番」や「24区市民連絡会」には、従来の地域振興町会に対しては、市からの手厚い個別補助金頼みで、不透明・不公平な運営を続けてきたという不信感と批判が強いようだ。これが是正されるという期待があったようだ。しかしこれは裏切られた。ほとんどの「地域活動協議会」が2013年2月から3月の短期間に設立されている。なぜそんなに短期間に設立が進んだのか。それは行政当局が2012年11月に突如、各地域で従来の個別補助金をまとめた一括補助金の受け皿として、地域活動協議会を設立しなければ2013年度からは市の補助金を受けられないとしたからである。2012年10月に各区に置かれた中間支援組織である「まちづくりセンター支部」(まちづくりのスーパーバイザー<委託>で、ある区ではアドバイザー1名、まちづくり支援員3名の体制)と区の職員の強い関与の下、十分な議論がない中で設置された地域活動協議会が多い。

   『見張り番』のブログによると、「3月6日、第2回も市役所から委託された中間支援センターのメンバーや区役所の職員によって、第1回に案内状が送られた地域社協のメンバーと町会長らが集まった。会合の案内は「規約の検討」だったようだ。主催者の説明では、前回は学習会と設立準備を兼ねた会合であったという。なぜかこの地域は勉強会も説明会もはしょって、申請書類提出に間に合わない、間に合わないと補助金が出ない、と補助金を得ることが設立の目的のようだ。」

   この校区の場合、市からの各種補助金を一括して400万。校区ごとに市の補助金は200万円から500万円といったところか。これはかなり大きな金額で、確かに既得権益化の可能性がある。

   それにしても、住民自治組織の形成の仕方としては、乱暴に過ぎる。カネはカットできるだろうが、住民からの市などへの不信感、住民同士の不信感が強く残る可能性がある。これは将来の住民自治の基盤に大きなひびを入れることになる恐れがある。

「地域福祉計画」の推進はストップ状態

   この各区の「まちづくりセンター支部」は、そのフェイスブックを見ると現在もかなり活発に動いているところもあるようだが、一方で、旧来の住民組織や各区の社会福祉協議会は弱体化しているようだ。その結果の一つの例としては、「地域福祉計画」の改定や推進がほぼ停止しつつある。

   「地域福祉計画」は、社会福祉法(2000年4月施行)に定められた計画で、住民を地域福祉の主体として初めて規定したもの。市区町村が主体で、策定は努力義務であるが、人口20万以上の都市はほぼ策定しており、3年から5年ごとに改定している。

   大阪市の場合は、第一期計画が2004年度から2008年度の5か年、第二期計画が2009年度から2011年度までの3年間で策定され、2011年には第3期計画を策定中であった。ところが、2011年11月の府知事と大阪市長のダブル選で橋下市長が生まれると、当局は原案までできていた第3期計画策定作業をストップさせたのである。この「第3期大阪市地域福祉計画」はしばらく宙づりになっていたが、昨年(2013年)11月になってようやく「大阪市地域福祉推進指針」が示された。これは、「地域福祉計画」の策定主体を「区」とし、その策定のための「指針」という位置づけである。

   大阪市の地域福祉計画の特色は、24の行政区ごとに2006年半ばに「地域福祉アクションプラン」を策定し、推進していたことにあった。こういったアクションプラン策定とその実績があることを考えれば区を地域福祉計画の実施主体とすることはあながち的外れではない。特に西成区のアクションプランは生活保護受給者の地域でのケアを組み込んだすぐれものである。アクションプラン策定委員会に生活保護部会を設け、生活保護受給者の地域清掃活動への参加を推進している。この取り組みは、従来の地域福祉論から排除されていた生活保護受給者を地域福祉の推進体制の中に位置付けたもので、現在の「生活困窮者自立支援制度」の考え方につながるといってもよい。現状では、西成区は他の区に先駆けて、2013年5月に「第3期西成区地域福祉アクションプラン」を策定し、事業を展開している。

    しかし、市全体からすると、第3期地域福祉計画策定の中止は、おおきなダメージであったようだ。各区のアクションプランのホームページを検索したところ、現在もウェブページの更新と発信を続けている区は、西成区、北区、天王寺区、西淀川区、淀川区、鶴見区、港区の7区ではないかと思われる。他の区はリンク切れだったり更新が2年以上止まっている状況で、アクションプランとしては活動が見えなくなっている。

   さらに、地域福祉計画のパートナーである社会福祉協議会は極めて弱体化しているようだ。大阪市社協も第3期地域福祉活動計画の策定を中止し、それに代えて3013年3月に「地域福祉活動を進めるための大切な視点」を作成するにとどまっている。そして「地域福祉アクションプラン」では各区社会福祉協議会が基本のパートナーだが、かなりの区社協で、アクションプランとの連携が切れているような印象である。

おわりに

   大阪市を巡っては、来年、2015年4月の統一地方選に向かって、住民投票が行われるか否かが一つの争点である。住民投票が実現しないときは、その統一地方選で、維新が市議会、府議会の過半数をとれるかが次の争点になる。いずれにしてもこの先も「都構想」の制度設計の問題点を明確にする作業は続けなければならない。

   それに、3月18日に国会に提出された「地方自治法改正案」には、「政令指定都市制度の改革」が入っている。これは地方制度調査会の答申(2013年6月25日)「大都市都市制度の改革及び基礎自治体の行政サービスの提供体制に関する答申」を受けたものだ。中心は政令指定都市の行政区の改革で、行政区の分掌事務を条例で定め、総合区の設置を可能とする。総合区長の議会の同意を得た選任、など都市内分権をすすめる。中核市の要件を20万に引き下げて特例市は中核市に統合する。新たな広域連携のため広域連携協約制度を創る。小規模自治体向けには「事務の代替執行制度」を設ける。

  「都構想」自体は、膨大なエネルギーを浪費しながら、燃え尽きていくことも考えられる。後には、地域や団体に深い傷跡を残しながら。大阪府市統合本部の大阪市からの出向職員と大阪府職員は一緒に夕食をとることはないという。西成区の地域福祉アクションプラン推進委員会での乾委員長(西成区社会福祉協議会会長)は、2012年7月の第20回委員会の冒頭のあいさつで、次のように述べている。「現在大阪市政の改革が進められており、地域の活動やコミュニティづくりの基盤となる様々な団体の運営が困難な状況になりつつあり、区自身も数年先にはどうなるかという課題もあるが、地域がなくなるわけではなく、今後も私たちが地域のコミュニティづくりを進めていくことに何ら変わりはない。」

   われわれもまた、地域のつながりをゆっくりとふかめ、広げていくことを大事にしたいと思う。率直な議論を基礎にしたまちづくりが進められるよう期待しながら、大阪を見守っていきたい。


さわい・まさる

1942年生まれ。東京大学大学院経済学研究科博士課程修了。地方自治総合研究所、北九州大学教授を経て、1997年奈良女子大学教授。現在同名誉教授。大阪市政調査会会長。著書えmnに『現代の地方財政』(有斐閣)、『自治体雇用・就労政策の新展開(公人社)、『自治体改革第二ステージ、合併新市計画の作り方』(ぎょうせい)など。

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日本で広がるナショナリスト的風潮―中韓との対立で
THE WALL STREET JOURNAL 2014年 2月 27日 17:00 JST
http://jp.wsj.com/article/SB10001424052702304227204579408363522000826.html

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                                                                          Agence France-Presse/Getty Images

東京都知事選に出馬した田母神俊雄氏


【東京】日本では第2次世界大戦中の特攻隊員を賛美する映画が2カ月にわたり興行収入のトップを記録している。東京の書店では、日本の近隣諸国を非難する書籍のコーナーが設けられている。そして、「ネトウヨ(ネット右翼の略称)」と呼ばれ過激なナショナリスト的な思想を持つ匿名の投稿がツイッターやチャットページで急増している。


 中国と韓国との緊張が高まる中で、第2次世界大戦に対する後悔の念によって長年かけて形成されてきた日本の世論が変わりつつある兆しが各地で見られている。


 周辺海域での中国政府の武力威嚇に対する脅威や、今後の日本経済に対する不安から、ナショナリスト的な感情や近隣諸国への不信感、時には強い敵意をあらわにする人が増えている。 


 民主党の辻元清美衆議院議員は「これは差別じゃないかとか、激しい嫌悪感とか、今まで押さえ込んできた感情や思想がふたを開けて飛び出してきている。日本中で同じようなリズムを持った人が、自分は正しかったと、振り子の共振作用のように発言している」と述べた。


 日本では平和を守ろうとする考え方が深く根付いており、右傾化はまだ始まったばかりにすぎない。しかし、主に30代と40代で、米国のティーパーティー(茶会党)と共通点もある強硬な保守的思想を持つ人が増えるにつれて、こうした右寄りの風潮が日本の政治にも影響を及ぼし始めている。 


 今月上旬に行われた東京都知事選で、外国人たたきで有名な右翼団体のトップを務める元航空幕僚長の田母神俊雄氏は、日本の主要メディアが同氏を泡沫候補と見なしていたにもかかわらず、予想外に大量の票を集めた。朝日新聞の出口調査によると、20代の回答者の24%が田母神氏に投票した。


 今までよりはっきり意見を言う少数の国家主義者の台頭で、東アジア諸国だけでなく、米国の当局者の間でも懸念が広がっている。中には、これが東アジアの緊張を悪化させ、中国と日本が衝突するリスクを高めかねないと危惧する声もある。


 米国のダニエル・ラッセル国務次官補(東アジア・太平洋担当)は先の議会証言で、日中関係が「極めて悪化している」ことを引き続き憂慮していると述べ、両国に「緊張を緩和させ」、「言葉遣いのトーンを抑えるよう」呼び掛けた。


 日本と中国の戦闘機や監視船が尖閣諸島近くでにらみ合いを続けていることを受けて、バイデン米副大統領など他の米政府高官も危険な衝突のリスクに警鐘を鳴らしている。 


 日本の多くの当局者と政治家は国内の世論の変化について、別の解釈をしている。彼らは戦時中の問題をめぐり中国と韓国はいつまでも不当に日本を批判していると考えており、これに国民がようやく反応し始めただけだと話す。また、中国と韓国は戦時中の残虐行為に対する謝罪と償いをしようとする日本の再三にわたる努力を認めようとしないと訴えている。


 中国と韓国はこうした見解をはねつけている。両国の首脳は、日本政府は歴史をゆがめているとして批判し、1年2カ月前に安倍晋三首相が就任して以来、同首相との二国間の会談を拒否している。


 韓国の上級外交官であるキム・ジュンハ氏は1月の国連会議で「日本の主要政治家らが最近、歴史修正主義の立場で過去の悪事を否定、ひいては正当化しようとしていることは遺憾だ」と述べた。


 政府系シンクタンクの中国社会科学院の日本専門家、楊伯江氏は、中国共産党機関紙「人民日報」の24日付論説で、安倍政権下の日本は、第1次世界大戦前のドイツや第2次世界大戦前の日本が犯した過ちを繰り返しているようだと指摘。「このことは人類が再び戦争の底なし地獄に引きずり込まれないように、平和を愛する世界の国々の警戒心をあおるはずだ」と述べた。

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中国と韓国に「親しみを感じない」と答えた人の割合


 中国と韓国でも、近年はナショナリズムが台頭している。だが、日本が第2次世界大戦で侵略国だった歴史を考えると、最近の日本の状況はとりわけデリケートだ。日本で最後にナショナリズムが急激に台頭した時期は1920年代と30年代で、その後、日本は戦争に突入した。当時、日本は関東大震災からの復興と世界的な景気後退に苦しんでいた。


 当時とは異なり、現在の日本は成熟した民主主義国家で、数十年間にわたり世界平和に貢献してきた。自衛隊は厳しい文民統制下にある。多くの政治学者は、振り子がナショナリズムの方向へ振れ続けるなら、日本社会にはそれを押し戻す柔軟性があると指摘する。ちょうど80年代と90年代に地域の緊張が今と同様に高まった時のようにだ。


 大半の日本人にとって、地域的な対立は最大の関心事ではない。日本経済新聞が24日に掲載した世論調査によると、安倍首相にとって最も重要な政策課題は国家安全保障だと回答した人は全体のわずか6%しかなかった。それに対して、38%が社会保障だと回答し、30%が経済改革だと回答した。


 その一方で、多くの日本人が自らが置かれた状況により不安を感じていることは確かだ。昨年10月の内閣府調査では、「中国に親しみを感じない」と答えた人の割合が回答者の81%に達し、過去最高となった。この割合はわずか4年前には59%、20年前には40%だった。昨年の別の世論調査では、回答者の40%が韓国に対する考え方が前年より悪化したと答えた。その多くが戦後処理をめぐる韓国側からの日本に対する批判をその理由に挙げている。


 こうした漠然とした不安感は大衆文化にも広まっている。週刊誌などは韓国や中国を攻撃する衝撃的な見出しで競い合っている。週刊文春の最近の特集記事の見出しは「韓国の暗部を打て」だった。また、週刊新潮では「大嘘承知で反日プロパガンダ!」との見出しが躍った。


 また、書籍の売り上げランキングによると、中韓両国の経済破たんを予測する本、例えば「破綻する中国、繁栄する日本」や「サムソンの真実」などが飛ぶように売れている。


 さらに、米国への敵意もゆっくりと首をもたげてきている。米国が中国と経済的な結びつきを強化していることを背景に、日本の政府関係者や議員らは、仮に日本が中国の攻撃を受けた場合、米国が果たして日本を守ってくれるかどうかについて懐疑的になっている。 

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                                                                                                                  Reuters

12月26日に靖国神社を参拝する安倍首相

 中には、米国が近隣諸国との関係で日本に自制するよう圧力をかけ続けていることを鬱陶しいと見る向きもある。また、戦犯も合祀(ごうし)された靖国神社に安倍首相が参拝したことを受け、オバマ政権が首相に苦言を呈したことを特に苛立たしく感じた向きも多い。


 衛藤晟一首相補佐官は動画サイト「ユーチューブ」に投稿したビデオメッセージ(後にこのメッセージは削除された)で、米国が公式に「失望した」と表明したことに触れ、「むしろわれわれの方が失望した。米国はなぜ同盟国の日本を大事にしないのか」との不満を表明した。


 米国務省当局者は26日、「米国は日本との深くて長期的な同盟関係にコミットし続ける」と述べる一方、安倍首相の靖国神社参拝については米国の立場を「とても明確に」示したと述べた。


 日本のナショナリスト的な傾向は特に若者の間で目立っている。


 時事問題を扱う月刊誌「WiLL」は「世界の嫌われ者、韓国」や「中国は一線を越えた!」といった人々の注目を集めるナショナリスト的な見出しで知られているが、この2年間で発行部数が30%増え、10万近くに達したという。花田紀凱編集長によると、今や読者層の40%が20代から30代の若者で、女性にも多く読まれている。50歳を超える男性が大半だった以前から様変わりしているという。


 そんな中、若い保守派の中核となりつつある政治家が安倍首相を支持している。


 その1人が就職斡旋会社の経営者から政治家に転じた宮崎謙介氏(33)だ。


 宮崎氏は「われわれの若い世代には、自分たちの国に対して誇りをもてない人、将来に対してネガティブな思いを持っている人が多い」としたうえで、「自分たちの国が侵略をした国だという自虐的な歴史観を徹底的にすりこまれてきたからだと思う」と述べた。



 そうした若手議員は個人としての影響力は限られているものの、集団としては安倍首相の挑戦的な外交・防衛姿勢に影響を及ぼしている。日本の憲法では軍の役割を自衛のみに厳しく制限しているが、首相は米国などの友好国が敵の攻撃を受けた場合に自衛隊が反撃できるよう憲法見直しに向けた動きを推進している。


 首相による年末の靖国神社参拝は、若者の間での人気の高さを一段と裏付けることになった。参拝は近隣諸国の怒りを買ったものの、朝日新聞が昨年行った世論調査で30代の回答者の60%が参拝を支持すると答えた。全体の割合と比較してはるかに高い数字だ。


 また、春の例大祭に靖国神社を参拝した議員の数は168人と、前年の81人から大幅に増え、過去最高となった。


 そうした中、第2次世界大戦時の特攻隊員を題材にした映画「永遠の0」はヒットしている。興行通信社によると、「永遠の0」は国内映画ランキング(観客動員数)で今月初めまで8週連続トップとなった。


 首相をはじめとする同映画のファンは、若者に戦争の残虐性を伝える機会になると称賛している。


 一方、悲劇的な政策の過ちによる無益な死を美化するものだと批判する人たちもいる。


 この映画のヒットをきっかけに、日本の戦時のイメージをもっと前向きにとらえたいと考える人たちの期待に応えた特攻隊関連の展示会がちょっとしたブームを呼んでいる。映画のロケ地となった旧筑波海軍航空隊史跡は映画公開に合わせて記念館として期間限定で公開されている。パイロットをモチーフにしたイメージキャラクターも作成され、12月20日のオープン以降、来場者は1万人以上に上る。

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                                                              Hisashi Murayama for The Wall Street Journal

「永遠の0」の映画ポスター 


 映画の原作となった同名のベストセラー小説の著者で首相の友人でもある百田尚樹氏は最近、NHKの経営委員に任命された。しかし、任命から間もなく野党議員の批判にさらされることになった。1945年の原爆投下と東京大空襲を「大虐殺」と呼び、米国を厳しく非難したことが大きな一因だ。


   こうした社会的潮流の変化は、2012年12月の衆議院選挙で安倍総裁率いる自民党が圧勝して以来、国会における首相の支持基盤強化に一役買っている。自民党の119人の新人議員の多くが今、首相が議場で日中や日韓関係について見解を示すたびに拍手喝采を送っている。


 それら議員は連立与党政権が国会で過半数を十分維持するのに貢献している。首相の支持率は50~60%と歴史的高水準にあり、最も異論のある政策を除き、従来中国との密接な関係を支持している党内のリベラル派からも首相はほとんどプレッシャーを受けていない。


 日本大学の岩井奉信教授(政治学)は「今の自民党は安倍さんの言うように動く」とし、「安倍さんに文句を言う人がいないから、どんどん物事が決まってゆく」と指摘した。


 新人議員の1人、武藤貴也衆議院議員(34)は大学教授になる道を断念した後、政治の世界に入った。「最もタカ派の議員の1人」を自称する同氏は、日本は米国に頼らなくても中韓に対して自ら防衛できる十分な能力を持つべきだと考えている。


 武藤氏は「アメリカがスーパーパワーだった時代は終わり、日本を守れなくなる時代がくる」とし、「防衛は自前でやらなくてはならない」と述べた。


 そのために日本はどうすべきか尋ねたところ、最もナショナリスト的な議員の間でさえ依然異例とされる答えが返ってきた。それは「核武装」だった。

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奥下 ボーナス明細 ツイッター.jpg














奥下 9月休暇 願 ツイッター.jpg

















(西谷文和さんの『イラクの子どもを救う会ブログ』から転載させていただきました)

橋下市長の特別秘書 奥下剛光氏の冬期ボーナス
2013年12月28日 19:41
http://www.nowiraq.com/blog/2013/12/post-449.html


  年末ギリギリになって、大阪市役所から情報公開請求していた文書が開示された。それは橋下市長の特別秘書である、奥下剛光氏に支給された冬期ボーナス明細だ。

  557,966円。毎月の給与が453,631円なので、その2、05か月分、つまり92万9943円が予定の支給額だった。実際にはこの額の60%、55万7966円が支給された。なぜか?

  彼は2013年6月21日から7月21日まで、「一身上の都合」で休職し、さらに9月1日から9月30日まで、やはり「一身上の都合」で休職したので、40%減額されたのだ。6~7月の休職は、参議院選挙で日本維新の会の選挙運動をしていたからであり、9月は堺市長選挙で、維新候補の応援をしていたからであろう。念のため言っておくが、奥下秘書への給与もボーナスも税金だ。日本維新の会、あるいは橋下氏個人から給与が出ているわけではない。

 問題点を列挙してみよう。

 1 特別秘書で一般職員ではないが、選挙のたびに1か月、合計2か月も休職することが、なぜ認められるのか? 橋下市長は一般職員には常々「政治活動をするな」と厳命を飛ばし、外回り勤務の後、10分だけ喫茶店で休憩した職員を懲戒処分にしている。ならば、奥下秘書の休職は、認められず、2か月も仕事を休んだのなら、最大級の懲戒処分を受けるべきではないのか?

 2 奥下秘書にはタイムカードもなく、業務記録もない。そもそも大阪市の秘書の仕事をしているのか、維新の会の仕事を手伝っているのか、何をしているか分からない状態で、毎月45万3千円の給与が支払われている。雇用主は大阪市長だ。これでは雇用責任が問われる。業務日誌はないが、彼の行動を垣間見ることができる。それはツイッター。12年末は日本維新の会共同代表としての橋下氏にくっついて全国遊説をしていたようだ。ちなみにこの時は(私たちが騒いでいなかったので)、休職もせずに、選挙の手伝いをしていたようだ。

 3 そもそも特別秘書を雇う理由が見当たらない。市役所には一般職員の秘書がいるし、半年の間に2か月も休暇が取れる秘書を、なぜわざわざ条例まで作って税金で雇用しなければならないのか

 4 給与とボーナスの支給額に驚く。休職していなかったら、年末に92万円プラス45万円で、137万円!特別秘書は課長待遇だそうだ。タイムカードもなく、業務日誌も書かずにすんで、2か月も休暇が取れるほど「自由な」職場で、普段は市役所の維新議員団控え室でダベっていて、この報酬。

 橋下市長は、「大阪市立の保育士の給与が高すぎる。だから民間委託にする」と言う。私は、保育士は子どもの命を預かり、発達に責任を持ってくれる貴重な仕事なので、公務員として給与を保証し、人材を確保すべきだと思う。むしろ民間保育士の給与が劣悪すぎると思っている。給与水準を低い方に合わせて切り下げてきたから、ブラック企業がはびこり、出口の見えない消費不況に陥っているのではないか。

 子どもの命を預かり、女性の社会進出を支えてくれる保育士の給与が切り下げられようとする一方、自分の特別秘書には税金で大盤振る舞いの報酬を与え続ける。こんな大阪市でいいのだろうか?橋下という人物をトップに選んでしまったことに、後悔する人がますます増えてくるだろう。

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7月14日Tネット総会チラシ








































自民党改憲草案を前にすると、橋下妄言も織り込み済み、

維新も安倍政権も歩調を合わせ役割分担のもとに、

再び天皇制を利用せんがために改憲に向かって突入態勢に

入りつつあるように思えます。

 

私は、「君が代強制条例」及び「教育条例」下、「不起立」で挑み、

戒告処分、減給処分、さらには再任用までも拒否されましたが、

一点の後悔もありません。むしろ、改憲が現実的な日程となった今、

憲法を武器に「君が代強制条例」の不当性を問うていくことが

被処分者の責任とさえ思っています。

しかし、闘うためには多くの方々のお力が必要です。

「不起立」の闘いを改憲阻止の闘いに結びつける為にも、

下記集会に是非ともご参加くださいますようよろしくお願いします。

なお、チラシを添付しますので拡散にもご協力いただければ幸いです。

 

教育基本条例下の辻谷処分を撤回させるネットワーク(Tネット)第2回総会


714日(日)午後6時~8時半

◆エルおおさか709(本館7F)


◆講演「君が代を憲法で強制したい安倍壊憲――憲法・メディア・天皇制」

(講師山口正紀さん:

人権と報道・連絡会世話人、壊憲NO!96条改悪反対連絡会議共同代表)

◆参加費¥500

講師の山口正紀さんは大阪府堺市出身。1997年より『週刊金曜日』に「人権とメディア」を隔週連載。

 

1973年に東京読売に入社。当時の読売は、今では想像もつかないほど自由だった、

しかし、現在の読売新聞グループ会長兼主筆の渡辺恒雄氏が1984年から元日の社説を

担当し始める“独裁”以後、自由な紙面が失われていったとのこと。   

 

1977年、皇太子(現在の天皇)一家栃木県訪問をトップニュースで書けとの指示を拒否。

「天皇への敬語報道はすべきでない」が山口さんの持論。戦争中、捨て石とされた沖縄、

原爆被害に遭った広島、長崎、今も差別の中にある在日の人たちの中には

天皇に許し難い感情を抱く人が少なくない。

「敬語報道の不適切さを、読まされる身になって考えるべきだ」と主張。

社内で大問題になり、1年後「処分」として突然の異動の発令を受ける。

本社に移ってからも、天皇下血から「崩御報道」に至る8889年の「自粛強要」報道を憲法違反だと社内で批判。

天皇には敬語、被疑者は呼び捨て悪人視。福沢諭吉の言葉をもじって「ペンは人の上に人(天皇)をつくり、

人の下に人(非人権対象である事件被疑者)をつくる」から新聞はダメなんだと確信。 

2003年末にフリージャーナリストの道を選ぶ。



 

「壊憲」の時代だとひしひしと感じる昨今。

9条の前に、まず改正手続きのハードルを下げる96条が狙われている。

また、危機をあおるために中国、朝鮮を利用していないか。

米軍再編の中で日本財界が求める自衛隊の自由な海外派兵の行く末は……。

新聞を中心としたメディアが本気になって調査報道すべき事案はいくらでもある。

翼賛報道のままでは「戦争ができる神の国」に戻ってしまうと、

山口さんには、世の中の危険な動きがクッキリと浮かび上がっている。

参考:下記レイバーネット記事

http://www.labornetjp.org/news/2013/0109yamaguti/

 

参考:自民党改憲草案より

(国旗及び国歌)

第三条 国旗は日章旗とし、国歌は君が代とする。

2 日本国民は、国旗及び国歌を尊重しなければならない。


 

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橋下氏、責任論は早くも封印?…都議選惨敗でも
読売新聞 6月24日(月)9時6分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130624-00000204-yom-pol

 東京都議選に初めて挑戦した日本維新の会は、橋下共同代表のいわゆる従軍慰安婦問題などを巡る一連の発言のあおりで惨敗した。

 躍進した昨年の衆院選から一転、失速した党勢に党内には危機感が広がるものの、「橋下氏抜きで参院選は戦えない」との声が大勢を占め、責任論は早くも封印されそうだ。

 34人を擁立した維新の会。午後9時過ぎから東京都港区の党国会議員団本部で記者会見した山田宏・都総支部代表は、「厳しい結果になるのではないか」と厳しい表情を見せた。

 報道陣から、党幹部の責任問題を問われた平沼赳夫国会議員団代表は、「次の参院選に向けてしっかりやっていけばいい」と強調。橋下氏の発言については「影響があったから選挙の状況が悪くなったという見方はしていない」と述べた。

 会見場に石原共同代表は姿を見せなかった。橋下共同代表も、戦没者追悼式出席のため訪問していた沖縄から、夜には空路で大阪に戻ったが、記者の問いかけには応じずじまい。

 松井幹事長は23日午後7時頃、大阪市内で記者団に、橋下氏の発言の影響について、「後悔はない。言わない方が選挙に有利かもしれないが、言わなければならない」と擁護した。

 20日には「(改選前3議席を)下回れば敗退」「選挙の責任は幹事長が取るのが筋だ」と語っていたが、この日は、「党のメンバーが『最後までやれ』と言うなら逃げないのが橋下氏の考え方だ」「『逃げることなく、戦え』と言われれば、ぼろぼろになってもやる。僕の役割は代表を支えること」と述べ、橋下氏と自身の辞任は不要だとの考えを示した。

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橋下氏の辞任発言に維新内部はシラケムード
2013年03月04日 11時00分
http://www.tokyo-sports.co.jp/nonsec/115751/

 日本維新の会の橋下徹共同代表(43)が2月28日、「共同代表のポジションにしがみつくつもりは毛頭ない」と辞任をほのめかしてひと騒動が起きている。日銀総裁人事をめぐって維新国会議員団から「口を出すな」と言われたことに反発。生みの親である橋下氏の発言に維新内部はてんやわんやかと思いきや「話題づくりでしょ」とシラケムードが漂っている。。


 政府は黒田東彦アジア開発銀行総裁(68)を日銀総裁に、岩田規久男学習院大教授(70)を副総裁にする人事案を固めていた。これに対し、橋下氏は「総裁を民間人(岩田氏)にするのが維新の哲学に合う」と表明。しかし、国会議員団は政府案を評価し、橋下氏とあつれきが生じていた。


 一部の議員が「口を出すな」と語ったことが橋下氏の耳に入り、28日に「口を出すなというなら維新にはかかわらない」と絶縁宣言。「ポジションにしがみつかない」と共同代表を辞めるとも言いだした。


 維新関係者は「これは議員団の方が現実的。元官僚だから一律にダメというのは既存の政治と同じ。これまでの野党のように何でも反対はしないというのも維新の哲学でしょう。最近は維新の話題でも橋下氏が中心になることは少なくなっていたから、目立つために騒いだだけじゃないのか」と分析している。


 別の関係者はもっとシラケ気味でこう話す。「石原慎太郎氏と組んだことを後悔しているんじゃないですか。分裂して石原維新が自民党と選挙協力でもしてくれれば、今後の選挙がラクになるんじゃないかと期待する議員もいますよ」


 辞任騒動は「口を出すな」と発言した議員が橋下氏に謝罪したことで、「だいたい解決した」(橋下氏)と終了。とんだ茶番に終わった。

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(千田善氏(元日本代表通訳)のブログ『オシムの伝言』から転載させていただきました)


「体罰」がなぜ容認されてきたのか(日本のスポーツ界・社会において)

2013/02/ 00:21 著者 千田善
http://info.osimnodengon.com/?eid=542


 みなさま、いかがお過ごしですか。
大阪の市立高校のバスケ部キャプテンの自殺から23日でちょうど1カ月。

自殺した生徒の親御さんが顧問の教師を暴行容疑で告訴、また同校体育科の入試が中止の方針から普通科に振り替え実施になったり、橋下市長の方針も二転三転、議論を呼んでいます。



少し長いですが、きょうは「体罰/暴力」について。



「体罰」という表現が使われていますが、キャプテンは過失や規則違反について「処罰」を受けていたわけではないので、「体罰」ではなく教師による「暴力」です。しかもほかの部委員への「見せしめ」として、ついうっかりではなく意図的継続的に顔や頭を数十回ずつ叩かれていたとのこと。



問題は、体罰がいいのか悪いのかではない(これは、悪いに決まっていて、1947年制定の学校教育法でも、身体的懲罰の禁止が規定されている)。



どうして21世紀まで「体罰の是非」が議論になる状況が続いてきたのか、法律で禁止されているにもかかわらず、本音(非公式)の部分では「愛のムチ」とか「精神力を鍛えるために必要/やむを得ない」などの容認論が、なぜまかり通ってきたのか。



橋下市長じしん、以前から「体罰容認主義者」だったことは有名ですが、今回の自殺が発覚した後になっても、「試合中にビンタをすることはあり得る。僕が受けたビンタは愛情だった」(10日)などの発言を繰り返し、男子生徒の両親と面会した12日になって初めて「頭をはたくとか、気合いをいれるために刺激を与えるぐらいは(かまわない)、という思いがあったが、甘かった。猛省している」と立場を変えました。



ぼくも父親として自分の子どもが小学生の時に手を挙げた経験があり、それを深く反省・後悔しています。そういう気持ちから、学校でも、スポーツの場でも、会社でも、体罰という名の暴力は良くないと訴えたい。殴ったりするだけでなく、大声でどなりつけたり(肉体的暴力に準ずる行為)、ののしったり(言葉の暴力)することも、子どもや選手たちを深く傷つけることなのだと、とくに指導者の方々には理解してもらいたい。



オシムさんは指導者と選手の関係(教師と生徒にも置き換え可能でしょう)を、「リスペクト」という言葉で表現しました。尊敬、尊重、一人前の人格として接する、などの意味があります。生徒が先生を尊敬しろとだけいうのでなく、反対に教師(指導者)も生徒(選手)をリスペクトせよといいます。

試合の相手もリスペクトせよ、とオシムさんはいいましたが、この場合の意味は過度に恐れたり軽視するのでなく、客観的に観察しろという意味(もちろん、対戦相手なしに試合は成立しないので、同じ競技の仲間として尊重するべし、というリスペクトの本来の意味も含む)。



オシムさんは「考えて走るサッカー」などを唱えましたが、上達するには自分で考える以外にない。強制されてやるのでは、うまくなろうという意欲もわかないし、こうすれば勝てる/有利になるという知恵もはたらかない。体罰(暴力)で従わせるのではなく、理解し、納得することこそ、サッカーを好きになり、自分で考え、喜んで努力する近道でしょう(バスケットも、ほかの競技も、勉強も同じ。好きこそものの上手なれ、と名言にもある)。



オシムさんは(見かけはちょっとこわいけど)褒めて伸ばすタイプの指導者でした。トレーニングのメニューも、自分でアタマを使って考えるように(当日の天候やコンディションにあわせ)工夫したものでした。選手たちは「アタマが疲れる」と最初はグッタリしていましたが、慣れるにつれて、「この練習をしていれば、自分たちはスゴイ選手になれる」と、叱られないためにではなく、自分の意志で、意欲的にのぞんでいました。



体罰は指導者として未熟だから、という意見もよく耳にします。しかし、経験をつんで優秀な指導者に成長していけば手を挙げなくなるかといえば、おそらく年齢とは関係ない。思わずカッとなってしまうのとも、少し違う。また、選手に手を挙げれば勝てるというのならば、どんな用具で身体のどの部分をどの程度の強度で叩くのが効果的かなど(笑)研究が進んでいるはず。そうした研究が存在しないというのは、体罰/暴力には効果がない証拠。



体罰・暴力とははっきり決別するべきです。生徒(選手)にたいしても、今まで間違っていたと、はっきりあやまってた方がいいと思います。先生には愛を感じたなどと体罰に「理解」を示す(容認の)傾向のある生徒たちは、殴られなくても自分のアタマを使って向上する方策を、自分で考えるようになってほしいものです。競技者はワンステージ、レベルアップしましょう。



体罰(暴力)は、競技力(学力)向上に役に立たないだけでなく、選手たち(子どもたち)を深く傷つけます。体罰のルーツは、旧日本陸軍や封建時代の儀礼にあると考えられますが、それらが、日本社会の一部で保存されてきた。まさか「しごき」がまだ残っているとは思いたくないですが、理不尽な上下関係、先輩への絶対服従などの「しきたり」は(だいぶ少なくなってきてはいるが)一部の体育会系といわれる組織で耳にします。



学生食堂で食事中、遠くから先輩が歩いてくるのを見つけたら、食事を中断して「気をつけ」をして、先輩が着席するまで待っている、という話など某サッカー部の実話として最近聞いて驚いたこともあります。こういう「しきたり」が体罰やしごきと関係があるのかどうかはともかく、理屈では説明できない(理不尽だという)点では、精神主義・根性論などと共通の土台にのっているように思われます。



日本のスポーツ界(社会全般?)がいつごろから「根性主義」から脱却しはじめたか。



マンガやアニメでは、スポ根ものの代表が「巨人の星」(1966~71年「少年マガジン」連載)だとすれば、それに代わる野球マンガ「タッチ」(1981~86年「週刊少年サンデー」連載)の登場か。あるいは、スポ根に批判的だった水島新司さんの「野球狂の詩」(1972~76年「少年マガジン」)がその中間に登場していますから、おそくとも1980年前後がマンガ界(アニメ界)の「脱スポ根」の節目といえるかもしれません。



しかし、スポーツの現場では、精神論はまだまだはびこっており、「練習中に水を飲んではいけない」などの非合理主義・理不尽な習慣は、さらに10年ほど残ります。改善策がはじまったのは1990年代に入ってからでした。



日本体育協会がプロジェクト研究事業として、「熱中症事故防止に関する研究」をスタートさせたのは1991年。その後、1994年には熱中症予防の原則を「熱中症予防8か条」としてまとめ、具体的なガイドラインとして「熱中症予防のための運動指針」を発表。それ以降(地域的/競技別的な差はある)少年サッカーの「給水タイム」導入など、練習中には積極的に水分を補給しようということになる。いままでと正反対。でも、これで現場はすっきりと、「熱中症予防」の方向に動きました。



「練習中の給水」と「体罰/暴力」とを同じ文脈で議論できるかはともかく、給水問題と同じように、元巨人の桑田投手がやられた(いま批判している)尻(けつ)バット禁止とか、体罰/暴力禁止のためのプロジェクトを体協が研究し、文部科学省として通達でも出していたら、どうだったでしょうか。逆に問えば、なぜ、体罰/暴力関係では給水問題と同様な科学的なアプローチが取られなかったのか、つくづく残念でなりません。



熱中症では、生徒や選手に死者が出ていた。体罰/暴力でも出ていたはず。そして、今回あらためて、高校のバスケ部キャプテンが生命を絶った(身をもって抗議した)事件を無駄にしてはならないでしょう。



長くなってしまいましたが、機会があれば、また何か書きたいと思います。

(千田)

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維新、石原氏「東軍」が役員人事“制圧” 25日議員総会は波乱含み
zakzak 2012.12.22
http://www.zakzak.co.jp/society/politics/news/20121222/plt1212221438007-n1.htm


 衆院第3党として国政に本格参戦した日本維新の会(維新)の国会議員団の役員人事が、ほぼ固まった。石原慎太郎代表ら旧太陽の党出身者の「東軍=旧太陽」と、橋下徹代表代行の大阪維新の会系の「西軍=旧維新」の間で確執が広がるなか、最初の“合戦”ともいえる人事は、旧太陽が制した。25日の両院議員総会で正式決定するが、異論が出れば維新の内ゲバが改めてクローズアップされそうだ。


 固まった人事は、石原慎太郎代表の下に、平沼赳夫国会議員団代表と松野頼久幹事長が留任。片山虎之助参院議員が政調会長、藤井孝男衆院議員が選対委員長兼総務会長、小沢鋭仁元環境相が国対委員長にそれぞれ就任する。


 衆院選で当選した維新の衆院議員は54人で、旧太陽14人、旧維新40人に色分けできる。石原、平沼、片山、藤井の4氏は旧太陽で、松野、小沢両氏は旧維新だ。旧維新が3倍近い人数を持つのに、党運営の主導権を旧太陽が握った形だ。


 政調会長人事では、水面下で駆け引きがあった。関係者は「旧維新は当初、政調会長で桜内文城氏の続投を狙った。しかし、桜内陣営に選挙違反の逮捕者が出たこともあって、旧太陽が推薦した片山氏で押し切られた」と解説した。


 維新内部では、原発などの主要政策で石原氏と橋下氏のズレが目立つ。政策を外部に発信する責任者である政調会長を押さえたことで、旧太陽の政策が維新の政策として有権者に浸透し、旧維新が異を唱えて混乱する場面もありうる。


 来夏の参院選の候補者調整を担当する選対委員長に藤井氏が就く点もポイントだ。


 橋下氏は来夏の参院選で、民主党やみんなの党を糾合して自民、公明党に対抗する戦略を描いている。しかし、みんなの党の渡辺喜美代表は、旧太陽との「離婚」を橋下氏らに求めており、旧太陽は自民党との連携も視野にいれている。在阪ジャーナリストは「候補者選考や選挙協力で維新内部で路線対立が起きるのは確実だ。維新は分裂含み」と明言した。


 20日に旧太陽との合流を後悔する発言をした東国原英夫氏は21日、「党内融和に腐心する」と軌道修正した。いつまでガマンできるか。

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「ブラック企業」が日本の若者を使いつぶす
 若年層の労働問題に取り組むPOSSE代表の今野晴貴氏に聞く
日経ビジネス 2012年12月18日(火)
http://business.nikkeibp.co.jp/article/interview/20121214/241015/?rt=nocnt

 12月に入って、2014年度新卒者の採用活動が本格的に始まった。今年も不況が続く中、「正社員」としての採用は狭き門にある。そんな現状に乗じるように、正社員として採用するが、過酷な労働条件で働かせ、身体や人格が壊れるまで使いつぶし、自己都合退職に追い込む「ブラック企業」が横行している。

 若者層の労働・貧困問題に取り組むNPO法人(特定非営利活動法人)POSSE(ポッセ)代表で、『ブラック企業』(文春新書)の著書がある今野晴貴氏に、ブラック企業の実態と、増加している背景などを聞いた。

(聞き手は西頭 恒明)


――企業の不正行為には法令違反や会計操作、反社会的勢力とのつながりなど様々なものがありますが、今野さんは「ブラック企業」をどう定義していますか。


今野:「従業員に違法な働かせ方をする企業」と定義しています。もともとは、ものすごい長時間勤務が続くことによって体を壊す人が多く、「35歳定年説」とまで言われるIT(情報技術)業界で使われ始めた言葉が、ここ数年、インターネットなどを通じて広がりました。今ではIT関連だけでなく、小売りや外食、介護など幅広い業界に見られます。



今野 晴貴(こんの・はるき)氏
1983年宮城県生まれ。2006年、中央大学法学部在籍中に、都内の大学生、若手社会人を中心にNPO法人POSSEを設立し、現在、代表を務める。一橋大学大学院社会学研究科博士課程在籍。著書に『マジで使える労働法』(イースト・プレス)、『ブラック企業に負けない』(共著、旬報社)など
(撮影:的野 弘路、以下同)

――確かに、著書の『ブラック企業』(文春新書)には実名こそ挙げていませんが、勝ち組のグローバル企業として知られる企業の事例も出ていますね。


今野
:実感としては、2010年頃から急増してきました。私たちPOSSEは若者層の労働・貧困問題に取り組むNPO法人(特定非営利活動法人)として2006年に設立しましたが、2年ほど前から就職の内定を受けた学生が「この会社はブラック企業ではないか」と相談してくるケースが見られるようになりました。「今、ブラック企業で働いているんですが…」という労働相談も多く寄せられます。本人だけでなく、親や恋人などが相談に来ることも珍しくありません。


 長時間勤務やサービス残業といった問題自体は以前からありました。仕事が厳しいという点では似ていますが、これまで多くの会社は時間をかけて若手を育てようという意識は持っていたのではないでしょうか。ブラック企業が従来と異なるのは、長期雇用を前提とせずに新卒者を「正社員」として採用し、違法な労働条件で働かせ、身体や人格が壊れるまで使いつぶす点にあります。一人ひとりの人材を時間をかけて丁寧に育てようという意識はありません。従来の日本型雇用や労務管理とは全く異なる企業が出てきたということです。

「選別型」と「使い捨て型」の2パターン

――具体的に、新入社員をどのように使いつぶすのですか。


今野
:新卒者の採用では大きく2つのパターンが見られます。


 1つは、とにかく大量に採用して厳しい業務を与え、使える人材だけ残してあとは辞めさせる「選別型」です。退職金は1円たりとも払いたくないので、パワハラやセクハラ、いじめなど様々な手を使って、自己都合退職に追い込むのが特徴です。


 POSSEが相談に乗ったケースには、カウンセリングと称して「自分がダメな理由」について何度もリポートを書かせるといったものがありました。人格まで否定されるような状況に耐えられなくなり、自分から辞めていくように仕向けるのです。うつ状態に陥ってしまう人も多く見られます。

 もう1つは「使い捨て型」です。こちらは長時間低賃金労働で社員を縛るのが特徴です。募集や内定の際に提示した初任給に比べて、実際に入社してから支払われる給料があまりに低いんですね。


 本にも取り上げた大手外食チェーンの場合、新卒者の最低支給額を月額19万4500円と記していましたが、これは80時間の残業をして初めて得られる金額でした。本来の最低支給額は12万3200円、時給にすると770円ほどにとどまります。そうした中、過労死しても不思議ではないほどの長時間労働が常態化していました。


 「選別型」にしても「使い捨て型」にしても、ブラック企業は社員が辞めたらまた新しく補充すればいいとしか考えていないのです。

「正社員」という待遇でつけ込む

――不況で就職難という雇用環境が拍車をかけているのでしょうか。


今野
:正社員として採用しているところがポイントです。企業を何社も訪問してもなかなか内定がもらえず、焦りを感じている学生にとって、正社員として採用してもらえるというのは非常に魅力的です。ブラック企業に入社してしまったと分かっても、「正社員なのだから」と過酷な労働環境を我慢して受け入れようとする人も少なくありません。そういう弱みにつけ込んでいるんですね。


 親御さんの意識に問題がある場合もあります。ブラック企業に入ってしまった人が親に相談すると、「この不況の時代に、せっかく正社員として入ったんだから」と頑張って働くように説得してしまうんですね。そのように説得した結果、お子さんを死に追い込んでしまい、とても後悔されている人もいます。


 私は「ブラック企業でいじめやパワハラを受けている」と相談に来た人に、頑張って働き続けるよりも、辞めてしまうのが正しいとアドバイスしますね。新入社員を使い捨てるような会社のパワハラ上司に対し、態度を改めるように指導・警告したとしても効果は期待できません。


 あと、可能なら残業代をきちんと支払ってもらってから辞めること。そのために就労時間などの記録を自分できちんと取っておくことです。


――本人や親としたら、どうやってブラック企業かどうかを見分ければいいのでしょうか。


今野
:まずは契約書の中身に嘘やごまかしがないかをきちんと確認することです。例えば、基本給が長時間の残業代込みになってはいないか。基本給と労働時間の関係が明確ではない場合は、ブラック企業の可能性があります。また、募集時と内定時、本契約の際に話がころころと変わる会社も危ないですね。

――例えば、新卒者の1年後、あるいは3年後の「離職率」を企業に公開させるようにすれば、問題のある企業が浮かび上がりませんか。


今野
:1つの指標として参考にはなると思います。ただ、離職率の高さだけでブラック企業を見分けるのは難しいのではないでしょうか。


 これに関連して言うと、各大学のキャリアセンターなどが学生の就職実績を「就職率何十%」といった数値でよく示していますね。でも、就職率だけが独り歩きすると、どの会社でもいいから送り込めばいいと、ブラック企業の横行を助長する恐れがあります。大学には就職率とともに、その後の離職率も追いかけて公表してもらいたいですね。

企業と社員の信頼関係を失わせる問題と捉えよ

――どうすればブラック企業の横行を防ぐことができますか。


今野
:労働時間規制を厳格にするのは1つの方法です。企業の競争力がますます低下するのではないかと危惧する見方もありますが、それは別のやり方で解決すればいい。ただ、こうした法規制以上に大事なのは、経済界や社会がブラック企業を社会の敵だと捉え、一致して行動することです。


 ブラック企業の存在は、企業と社員の信頼関係を破壊しかねません。自社には関係のないことと見過ごすのではなく、業界でまとまって入社契約時のガイドラインを作るなど、適正化を求めていくべきです。時間とコストをきちんとかけて人材を育てようとする企業と、違法な長時間を低賃金で働かせ、社員をどんどん使い捨てていくブラック企業が、同じ条件の下で競争するのは極めて不公平です。


 また社会にとっても、少子化が進む中で、貴重な若者という人材をブラック企業に使いつぶされてしまうのは大きな損失です。ブラック企業対策は日本の国家的なプロジェクトにすべきくらいのテーマなのです。

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脱原発の都知事を
「脱原発の都知事を」市民ら擁立模索 住民投票実現目指す
東京新聞 2012年11月5日 朝刊
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2012110502000106.html

写真
都知事選の候補者擁立に向けて話し合う参加者ら=4日、東京都千代田区で
 
 東京都の石原慎太郎前知事の辞職に伴う都知事選に、脱原発のグループが候補者を擁立する動きを水面下で進めている。参加者の多くは、昨年三月の東京電力福島第一原発事故をきっかけに、政治にかかわろうと活動する人たち。千代田区内で四日、会合を開き、参加した約五十人が候補者擁立に向けて話し合った。 (都政取材班)


 「原発についてわれわれ都民の意見を聞いてくれる人を選びたい。恥ずかしい話ですが、前回の都知事選はだれに投票したか覚えていない。今回は当事者として候補者選びにも取り組む」。会合に参加した目黒区の会社員遠藤淳一さん(48)はこう話す。


 遠藤さんは、原発の是非を問う都民投票条例の制定のため今年一月から署名集めに参加。「署名が集まっていないと聞き、何かしなくちゃと飛び込んだ」。目黒区内の全駅前にある商店街を回り、協力を求めた。


 三十二万筆の有効署名が集まったが、六月の都議会で否決された。遠藤さんは、その後立ち上がった市民グループ「『原発』都民投票の会」に参加。政治的中立を掲げる会とは別に、個人として候補者選びにかかわる。

 前回の都知事選は、原発事故の約一カ月後に行われ、石原氏が四選。遠藤さんは「あの時は、強いリーダーシップのある石原さんでいいという雰囲気で、原発をどうこうする思いはなかった」と後悔する。それが、突然の辞職で「再びチャンスが回ってきた」という。


 脱原発のグループが都知事選にかかわるのは、東京電力の主要株主の都が東電に脱原発を迫ったり、原発の是非を問う住民投票の実現を目指したりするほか、衆院選の前哨戦として世論の流れを変えたいという考えから。


 四日の会合では、貧困問題に携わる団体の幹部や、市民派の弁護士らの名前が挙がった。会の名称を「私が東京を変える」とし、週内にも候補者を絞り込む方針だ。


 呼び掛け人の市民団体「みんなで決めよう『原発』国民投票」事務局長の今井一氏(58)は「これまで一部の知識人や政治家が候補者を選んできたが、われわれ市民の手で決めるべきだ」と意義を語った。

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“人形遣い”の器量は、分からないもので分かる
日経ビジネスONLINE 2012年7月13日(金)
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20120712/234415/

小田嶋 隆(おだじま・たかし)
 

小田嶋 隆 
1956年生まれ。東京・赤羽出身。早稲田大学卒業後、食品メーカーに入社。1年ほどで退社後、小学校事務員見習い、ラジオ局ADなどを経てテクニカルライターとなり、現在はひきこもり系コラムニストとして活躍中。近著に『人はなぜ学歴にこだわるのか』(光文社知恵の森文庫)、『イン・ヒズ・オウン・サイト』(朝日新聞社)、『9条どうでしょう』(共著、毎日新聞社)、『テレビ標本箱』(中公新書ラクレ)、『サッカーの上の雲』(駒草出版)『1984年のビーンボール』(駒草出版)などがある。ミシマ社のウェブサイトで「小田嶋隆のコラム道」も連載開始。


 この半年ほど、文楽協会と橋下徹大阪市長の間のやりとりをなんとなく観察していたのだが、事態は、どうやら、最終局面に到達しつつある。


 違法ダウンロード刑罰化法案について、私が当欄に原稿を書いたのは、手遅れになってしまった後のことだった。この点について、私は、ちょっと後悔している。もう少し早い段階で、何かできることがあったのではなかろうか、と、そう思うと残念でならない。 


 なので、文楽については、状況が流動的なうちに、思うところを文章にしておきたい。


 役に立つかどうかは分からないが、コラムの連載枠を与えられている人間は、せめて、人々に考える機会を提供するべく、できる限りの努力を払わねばならないはずだからだ。

 橋下市長は、補助金をカットする決意をすでに固めているように見える。
 報道によれば、文楽協会とその技芸員が、市長への非公開の面会を求める方針を固めたことについて、橋下
市長は、以下のように反応している。

《これを受け、橋下市長は「公開か非公開かは市民を代表する僕が決める。文楽の特権意識の表れだ。私学助成費のカットのときは高校生だって堂々と公開の場で意見を言っていた。非公開なら補助金は出せない」と述べ、技芸員が公開での面会に応じなければ、補助金を全額カットすることを強調した。》7月10日 産経新聞(リンクはこちら
 

 記事を見る限り、技芸員は、公開の場で自分たちの主張を市長に向けて訴えることを求められている。つまり、公衆の面前で、ディベートの達人である橋下市長を論破できないと、補助金の存続は難しいわけだ。


 きびしいハードルだと思う。


 自分自身の話をすれば、私は、言葉を扱う仕事をしている人間だ。その意味からすれば、技芸員の皆さんよりは多少口が達者なはずだ。が、カメラの前で、橋下市長を論破し去る自信があるかと問われれば、そんな自信は、ひとっかけらも無い。


 相手は、長らく「論破」ということを職業にしてきた人間だ。のみならず、テレビカメラの前に立つことを半ば習慣化した日常を送っている。とすれば、「公開の場で」という条件は、一見、オープンかつ公正であるように見えるが、実際には、まったく非対称な要求なのである。


「ほら、檻の扉を開けてやるから、ライオンと交渉して肉を分けてもらえよ」


 と言われたとして、一介の飼い猫に何ができるというのだろう。


 協会は、「話を聞いてくれ」と言っている。市長は「リングに上がれ」と答えている。これは、対話ではない。デキの悪い脚本だ。世話物でも心中物でもない。こういう一方が一方をなぶるだけの筋立ては、とてもではないが、他人様(ひとさま)にお見せする芝居には仕上がらない。


 最初に立場をはっきりさせておく。
 私自身は文楽の良い観客ではない。というよりも、正直に申し上げるなら、私は、これまでの人生の中で、文楽というものを一度も観たことがない。だから、好き嫌いを言う以前に、まったくの無知蒙昧だ。そういう境地に立っている。


 が、無知でありながらも、一応の意見は持っている。私は、大阪市が、これまで通り、文楽に対して補助金を支給することを希望している。


 仮に、支給を見直すのだとしても、手順というものがあるはずだ。
 いきなり全額をカットするのは、策として乱暴に過ぎる。


 コトは何百年も続いてきた技芸の存続にかかわる問題だ。とすれば、それに見合った時間をかけて議論するのがスジだ。そう思えば、年限を限って、短兵急に結論を求める話でもないではないか。


 私が、自分では観劇した経験さえ持っていない文楽について、擁護する立場で見解を述べようとしていることについて、疑問を投げかけるムキもあるはずだ。


 文楽に特段の愛着を持っているわけでもないオダジマが、文楽協会の側に立つのは、何か癒着があるからではないのか、とか。あるいは、要するにオダジマは、橋下市長の施策にはとにかく反対したいだけなのだ、とか。
 
 違います。


 私は、文楽協会とは何のかかわりもない。
 利害関係も無い。擁護することで得るはずのものも無い。
 橋下市長がきらいだからという理由で文楽の問題にケチをつけているのでもない。


 もとより、好き嫌いはある。
 が、好き嫌いは、政策への評価とは別だ。そこのところを一緒にしないように、私は、つねづね、自分に言い聞かせている。


 事実、私は、橋下市長がやろうとしていることのいくつかについては、共感を抱いてもいる。たとえば、橋下さんが、刺青職員の問題に踏み込んだ点などは、大いに評価している。調査の方法が極端であることや、ものの言い方にケレンが目立つことなど、細かい点を挙げれば、反発を感じる部分はある。が、橋下さんが、刺青の問題にかぎらず、大阪市のタブーに当たる部分に果敢に手を突っ込んでいる点については、大筋において敬意を持って見ている。


 けれども、文楽についての、あのやり方には賛成できない。


 選挙民が、市政についてのある部分を市長に負託したことは間違いない。
 が、市民は、自国の歴史に連なる文化や芸術についての評価を、市長の個人的な好みに委ねたわけではない。
 あたりまえの話だ。
 市長が芸術に対してできることは、チケットを買うことだけだ。


 人の上に立つ人間は、自身の感情的な好悪について、極力クールであらねばならない。
 なぜなら、政策(すなわち市民の生命と財産の帰趨)が、投票や議決によってではなく、為政者の好みに沿って動くのだとすれば、それは明らかな恐怖政治だからだ。
 別の言い方をするなら、好きなもの対してフェアな距離を保ち、嫌いなものに対して残酷にふるまわないことが、権力者に課された最低限の条件だということになる。
 
 ブッシュ大統領(息子の方)は、かつて、何かの席で、ブロッコリが嫌いである旨を述べたことで、全米のブロッコリ農家に盛大な抗議を受けたことがある。


 私は、大統領と同じく、ブロッコリが苦手なので、その発言には部分的に喝采を送っていたのだが、一連のやり取りの後、ホワイトハウスに乗り付けて、その前庭にトラック一杯のブロッコリをぶちまけたブロッコリ農家の人間の口から、「大統領には個人的な好き嫌いを吐露する権利なんか無いはずだ」という主旨の言葉が吐き出されるのと聞いた時には、なるほど、と思ってちょっと反省した。


 誰もが、正直さを評価される場所に立っているわけではない。身に備わっている権力が大きければ大きいほど、政策に持ち込んで良い私情の分量は小さくなる。そう思って振り返ってみるに、天皇家の人々は、何事につけて、何かを攻撃する言葉を決して漏らさない。市長にもぜひ見習ってもらいたい態度だ。

 世界には様々な芸術がある。大阪のような古い町には、当然、多様な文化遺産が残されている。


 とはいえ、大阪市民のすべてがそれらの文化に愛情を抱いているわけではないし、全員がその真価を理解しているわけでもない。私自身とて同じことだ。私が関わりを持っているのは、世にあまたある文化芸術のうちの、ほんの一部のそのまた断片にすぎない。


 逆に言えば、私個人は、世にある膨大な芸術作品のほとんどすべてとまったく無縁なままに、じきにこの世界から消えることになっているわけで、そう思えば、多くの人々にとって、文化や芸術は、そもそも不要なものなのである。


 だから、自分が文楽を解さないことについて、私は、不勉強だとは思っても恥であるとは考えていない。大切なのは、この先、自分が文楽と個人的な関係を取り結ぶのであれそうでないのであれ、私がそれを尊重しようと思っていることだ。


 つまり、文化や芸術に関わる時に肝要なのは、「自分が理解できないもの」に対して、いかに寛大であることができるかということなのである。なんとなれば、世界にある文化や芸術は、そもそも多くの人間にとって「皆目わからない」ものだからだ。


 私だけではない。世界一のスーパーディレッタントであっても、世界中の文化芸術の半分すら味わい尽くすことはできないはずだ。芸術というのは、そういうふうに、「選ばれた少数者に向けて」作られているものだ。


 誤解してはいけない。
 ここで言う、「少数者」とは、「芸術のわかる高級な少数者」という意味ではない。


 「すべての芸術を理解する文化人」と「芸術を解さない下層民」がいるというふうに考えてもらうととても困る。


 私が言おうとしているのは、「ある芸術はある一群の人々にしか理解されず、別の芸術は別の少数者にしかわからない」ということだ。わかりにくいかもしれないが、ぜひわかってほしい。どっちにしても、芸術は、「みんなにわかる」ようなものではない。にもかかわらず、一部の人々にとっては「それ無しには生きていけない」ほど貴重なものなのである。


 ということはつまり、芸術の大半は、大半の人間にとって、理解不能だということになる。


 しかしながら、にもかかわらず、あるいはそうであるからこそいやがうえにも、それらは、尊重されなければならない。自分から見れば意味不明でも、一部の人々にとっては、全人生を傾けるに値する価値を持っている。そこのところを尊重しないのであれば、人類に文化が必要な理由が根底から失われてしまうからだ。


 逆の立場に立てば、自分が心から支持している何かを、世間の人は、ほとんどまったく評価していないということでもある。


 だから、どんな作品であっても、単純な多数決を取れば、必ず、「必要ない」に投票する人間が多数を占める。そういうものなのだ。


 私自身は、オペラもわからないし文楽もわからない、一部の芸術には敵意を抱いていたりさえする。


 が、一方において、世間の大半の人間がハナもひっかけない商業音楽を偏愛していたりもする。そうした屈折や偏愛こそが、要するに文化なのである。


 とすれば、こうしたものの価値を、売上高や観客動員数だけで決められてはかなわないではないか。


 無論、商業音楽や商業演劇の中には、橋下市長が主張するように、競争の中で磨かれるものもある。市場原理で淘汰されることで品質を維持しているタイプのエンターテインメントもある。


 が、「文化」「芸術」という枠組みの全体からすれば、市場原理が通用するのは、むしろ例外だ。テレビのような巨大な商業装置に向けて作られた作品を基準に、その他の地付きの芸術を評価されるのは御免だ。このコラムにしても、だ。


 なかでもとりわけ、文楽のように何百年の時代をくぐり抜けてきた技芸は、さらに別の枠組みで考えてあげないといけない。


「文楽だけを特別扱いにするのか」


 と、橋下さんは言うかもしれない。
 その通り。
 特別扱いにするのである。


 芸術は、商業主義や市場原理の枠組みから外れているだけではない。民主主義や平等主義とも別の原理で動いている。


 文楽は、時代の風雪を耐えてきた技芸だ。
 だからそれは、現代の人間には、簡単には理解のとどかない演目になってしまっている。


 しかしながら、そのにわかにはわかりかねる、得体のしれない言葉の奥深くには、われわれの言語の根にあたる部分が保存されている。これは、とても大切なことだ。


 私がなんとなく記憶しているのは、三島由紀夫が、浄瑠璃への偏愛を語る文章の中で、「意味の分からない言葉」から伝わってくる何かについて、彼には珍しく、とても執拗に主張していたことだ。


 私には、三島が言っていることの半分ほどしか理解できなかったのだが、彼が、「時代を経た言葉には意味を超えた何かが宿っている」という、神秘思想(しかも、それは「言葉」では伝わらないと言っていたような気がする)を懸命に伝えようとしていたことだけは了解できた。


 ともかく、あの、古今の日本語のすべてに精通しているかに見えた三島由紀夫のような達人が、死期を間近にして、幼少期に親しんだ浄瑠璃の神秘を必要としていたことは、銘記されてしかるべきことだと思う。


 このような、国民文化の言わば古層に当たるものに、市場主義、オープン志向、グローバル化、競争原理、フェアネス、ビジネスマインド、エンターテインメントみたいなものを当てはめるのは、暴挙である以上に、ナンセンスだ。


 古いものを新しいものさしで評価するとどうなるか。
 古いものが新しく生まれ変わるわけではない。
 単に古いものの価値が毀損されるだけだ。


 たとえばの話、大阪城を、あるいは桂離宮でもいいが、現代建築の基準で再評価したら、間違いなく、失格建築ということになる。強度、経済性、スペース効率、居住性、あらゆる点で、まったく基準を満たすことはないはずだ。と、即刻取り壊さなければならないのだろうか。


 違う。
 古い建物は、古い基準で評価しなければならない。
 というよりも、ある程度以上時代のついたものは、古いというだけですでに価値を持っているというふうに考えなければならない。


 つまり、特別扱いが必要なのだ。

 大阪城を壊して更地にするには、半月もあれば事足りるだろう。

 が、同じ場所に同じ大阪城を建てることは二度とできない。


 現代建築の粋を結集すれば、もちろん、破壊前の大阪城と似た建物を再現することは不可能ではない。

 が、「現代建築の粋を集めて再現した破壊前の大阪城によく似た建造物」は、破壊前の大阪城の半分の価値すら持っていない。なぜなら、それはどんなによくできていても、ニセモノだからだ。

 歌って踊れるいかつい男たちのグループは、大阪ドーム満員にすることができる。
 でも、10年後に同じ数の客を集められるかどうかはわからない。20年後ということなら、まず無理だろう。
 文楽は、もちろん大阪ドームを満員になんかできない。大阪城ホールもあぶない。
 が、文楽の客は、20年たっても、そんなに減っていないはずだ。


 20年前から比べて、ほとんど減っていないのだし、200年前からずっと、絶えることなく一定数のお客を喜ばせてきたその技芸には、不滅の価値が宿っているからだ。


 テレビ・ドラマの世界で、100年後を睨んだ芝居をしている俳優がいるだろうか。
 100年前を踏まえた演出を引き継いでいる番組があるだろうか。
 文楽はそれをやっている。
 とすれば、こういうものに補助金を出さずに何に出すというのだ?


 私のコラムには、補助金は要らない。
 三百年後も、要らない。
 生原稿の残らない21世紀の古文書は、どうせ、電子の藻屑になって、影もカタチも残らないだろうから。


(文・イラスト/小田嶋 隆)


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(長野県中川村村長・曽我逸郎さんの村議会答弁です。どこかの市長と比べること自体が失礼ですね。中川村役場のHPからの転載です。[驚くことに、この村役場のHPでは、村長と市民が、ベーシックインカムについて議論を交わしています。http://www.vill.nakagawa.nagano.jp/index.php?f=hp&ci=10117&i=10580])

村議会6月定例会
「国旗と国歌について村長の認識は」との一般質問を頂きました
2012年6月12日 長野県中川村村長 曽我逸郎
http://www.vill.nakagawa.nagano.jp/index.php?f=hp&ci=10685&i=11049

タイトルなし

 中川村議会6月定例会で、高橋昭夫議員から、「国旗と国歌について村長の認識は」という一般質問を頂いた。
 一問一答方式のため、受け答えはやりとりの流れに応じた“アドリブ”になっていき、正確に再現することは難しいので、頂いた通告と私の答弁原稿を以下に掲載する。


<一般質問通告>
 小・中学校の入学式や、卒業式の席で、村長は(壇上に上る際、降りる際に)国旗に礼をされていないように思います。このことについて村長のお考えをお聞きしたい。


<答弁原稿>
 たいへんありがたい質問を頂戴しました。ご質問の件については、村民の皆さん方の中にも、いろいろ想像して様々に解釈しておられる方がおられるかもしれません。説明するよい機会を与えていただきました。感謝申し上げます。

 私は、日本を誇りにできる国、自慢できる国にしたいと熱望しています。日本人だけではなく、世界中の人々から尊敬され、愛される国になって欲しい。
 それはどのような国かというと、国民を大切にし、日本と外国の自然や文化を大切にし、外国の人々に対しても、貧困や搾取や抑圧や戦争や災害や病気などで苦しまないで済むように、できる限りの努力をする国です。海外の紛争・戦争に関しても、積極的に仲立ちをして、平和の維持・構築のために働く。災害への支援にも取り組む。
 たとえて言えば、日の丸が、赤十字や赤新月とならぶ、赤日輪とでもいうようなイメージになれば、と思います。
 世界中の人々から敬愛され信頼される国となることが、安全保障にも繋がります。

 これは、私一人の個人的見解ではなく、既に55年以上も前から、日本国憲法の前文に明確に謳われています。


日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。


 そして、憲法前文は、次のような言葉で締めくくられています。


 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓う。


 しかし、現状はまったく程遠いと言わざるを得ません。日本国は、名誉にかけて達成すると誓った理想と目的を、本気で目指したことが、一度でもあったのでしょうか。

 東京電力福島第一原発による災害では、国土も、世界に繋がる海も汚染させました。たくさんの子ども達が、かつての基準なら考えられない高汚染地域に放置されています。そしてまた、安全基準も確立しないまま、目先の経済を優先して、大飯原発の再稼動を急いでいます。放射性廃棄物をモンゴルに捨てようとしたり、原発の海外輸出まで模索しています。
 明治になって日本に組み入れられた琉球は、抑止力のためという本土の勝手な理屈で多くの米軍基地を押し付けられ、さらにまた美しい海岸をつぶして新たな米軍基地を造ろうとする動きがあります。イラク戦争に協力し、劣化ウラン弾で子どもたちが苦しめらることにも、日本は加担しました。兵器輸出の緩和さえ模索しています。
 他にも、福祉を削り落として、貧困を自己責任に転嫁するなど、言い出せばきりがありません。ともかく今の日本は、誇りにできる状態から程遠いと言わざるを得ません。

 しかしながら、誇りにできる状態にないから、国旗に一礼をしない、ということではありません。完璧な理想国家(twitterで誤字を指摘頂いた。多謝)はあり得ないでしょう。しかし、理想を目指すことはできる。しかし、そのそぶりさえ日本にはない。それが問題です。
 
 もっと問題なのは、名誉にかけて誓った理想を足蹴にして気にもしない今の日本を、一部の人たちが、褒め称え全面的に肯定させようとしている点です。この人たちは、国旗や国歌に対する一定の態度を声高に要求し、人々をそれに従わせる空気を作り出そうとしています。
 声高に主張され、人々を従わせようとする空気に従うことこそが、日本の国の足を引っ張り、誇れる国から遠ざける元凶だと思います。
 人々を従わせようとする空気に抵抗することによって、日本という国はどうあるべきか、ひとりひとりが考えを表明し、自由に議論しあえる空気が生まれ、それによって日本は良い方向に動き出すことができるようになります。
 人々に同じ空気を強制して現状のままの日本を肯定させようとする風潮に対して、風穴を開け、誰もが考えを自由に表明しあい、あるべき日本、目指すべき日本を皆で模索しあうことによって、誇りにできる日本、世界から敬愛され信頼される日本が築かれる。日本を誇りにできる国、世界から敬愛される国にするために、頭ごなしに押しつけ型にはめようとする風潮があるうちは、国旗への一礼はなるべく控えようと考えております。

<以上、初回答弁の原稿>


<一問一答のやりとりの最後(要旨)>
Q:村長は子供たちが国旗に礼をしないようになる方がいいと考えているのか?

A:教育内容について行政から口を挟むことは控えるべきだと考える。なにをどう教えるかは、教育委員会の管轄である。国旗に対して、どういう態度を取るべき、とか、取るべきでない、とか、これまでも申し上げたことはないし、今後も申し上げるつもりはない。


<新聞記者(信濃毎日新聞、長野日報)との取材でのやりとりの最後(要旨)>
Q:子どもたちには、どうあって欲しいと思っているのか?

A:いろいろな人がいて、いろいろな考え方があるのだな、と感じてもらえれば嬉しい。その上で、自分はどう考えるのか、じっくり検討して欲しい。こういう態度を取らねばならないと、ただひとつの形しか提示しないのは問題。型にはめようとするのはよくない。「まぁ、この場は空気を読んでこう振る舞うのが大人だし…」というような対応を積み重ねた結果、曾て、場の空気に絡め取られ戦争に向けて後戻りできない状況に陥り、後悔したのではなかったか。どういうものであれ、自分の感じ方、思いを気安く表明できる「空気」を創っていくことが大事。それによって、互いに議論が深まり、理想の日本、あるべき日本、目指すべき日本が模索され、その結果が皆に共有されていけば嬉しい。
(以上、転載終わり)

他にも、曽我村長の市民へのメッセージがあります。
「国体の護持」について(尖閣諸島の事例にも関係して)
中川村戦没者戦争犠牲者追悼式 式辞

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がんばっペン:多様性こそ社会 /茨城
毎日新聞 2012年05月31日 地方版
http://mainichi.jp/area/ibaraki/news/20120531ddlk08070159000c.html

 大阪市で行われた全職員を対象としたタトゥー(入れ墨)調査を、私は疑問に感じている。調査をしなければ分からない程度であれば人目に付くこともなく、職務に支障が出るとは到底思えない。調査の発端は、児童福祉施設の職員が腕の入れ墨を児童にあえて見せたこと。入れ墨の有無ではないはずだ。


 私は米国留学中にタトゥーを入れた。もちろん今も体にある。人種差別を批判する米国の音楽を好きになり、タトゥーに興味を持った。米国でファッションとして浸透していることもあった。同時に、社会問題に関心を抱くきっかけにもなった。そのおかげで今の私がある。取材の時は人目に触れない服装を心掛けている。タトゥーを彫ったことを後悔したことはない。


 タトゥーを入れている人は日本社会では少数派。嫌悪感を感じる人が多くいるのも分からなくはない。しかし、なぜレッテルを貼って管理する必要があるのだろうか。自分が嫌いなものを排除すれば、楽だろう。しかし、そういう社会を望むのならば、ロボットの社会を作ればいい。


 日本には四季がある。春夏秋冬、違う表情を見せる。人間も、それぞれが違うからこそ面白い。私は、そう思う。【杣谷健太】

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(雨宮処凛さんのブログ「雨宮処凛が行く」より転載させていただきました)


第230回

芸能人家族の生活保護問題に思う。の巻

 芸能人の母親の生活保護問題がメディアを騒がしていることは皆さんもご存知の通りだ。


 まさに先週、「生活保護を受けられなくての死」の現場を取材してきただけに、この騒動が何をもたらし、結果的に何を残すかを考えると、暗澹たる気分に包まれる。


 発端は、週刊誌報道。そこに自民党の「生活保護に関するプロジェクトチーム」(座長・世耕弘成氏)の片山さつき議員が「不正受給の疑いがある」と厚生労働省に調査を求め、騒動は大きくなる。そうして小宮山厚生労働大臣は25日、「親族側に扶養が困難な理由を証明する義務」を課すなどの生活保護改正を検討する考えを示す。この問題は「一芸能人のスキャンダル」的なものから「生活保護」全般を巡る政治的な問題に発展してしまった。


 そうして「生活保護」に関するバッシングが続いている。


 もう、このことに関しては何度も何度も何度も書いてきたので、過去の文章「205万人の命」などをお読み頂ければと思う。


 この原稿には、過去に生活保護を受けていたAさんという女性が登場する。彼女の「自殺を一度も考えずに生活保護申請をした人は一人もいないのではないか」という言葉が、ずっと胸の中に残っている。


 自殺。ここ数年貧困問題にかかわってきて、あまりにも多く耳にしてきた言葉だ。


 だからこそ、私は姉妹「孤立死」事件の調査で訪れた札幌での記者会見でも、「自殺」について触れた。申請に同行したり、相談を受けたりする中で、当事者の人から「自殺」「死」という言葉を聞かなかったことは一度もないからだ。人は仕事を失い、生きるためのお金を失い、場合によっては住む場所を失い、頼れる人間関係を失った時、同時に「生きる意欲」も失っていく。そんな時、「最後のセーフティネット」として生活保護という制度があることを伝えると、人によっては「自分なんか死んだ方がいい」と口にし、またある人は「本当に申し訳ない」と言いながら、「もう自殺するしかないと思っていた」と告白する。


 貧困問題にかかわる人の多くは、少なくない「死」を間のあたりにしている。路上で凍死してしまった人の遺体の第一発見者になったり、自殺死体の発見者になったり。09年末から10年お正月まで開催された「公設派遣村」でも死者が出た。50代の男性が亡くなったのだ。公設派遣村を何度か訪れ、顔見知りの入所者もできていた私にとって、「あの中から死者が・・・」という現実は、あまりにもやれきれないものだった。


 貧困問題にかかわる前にはメンヘル問題を取材していたことから、「死」は決して遠いものではなかった。何人もの友人・知人の葬儀に参列した。「生きづらさ」をこれ以上ないほどこじらせて自ら命を絶った人の中には、かなりの生活困窮が背景にあった人もいた。経済面での不安がもう少し解消されていれば違う結果になったのでは、という思いは今も強い。しかし、生活保護にはいつもバッシングがつきまとう。そしてそのことが、時に本人を追いつめていく。あまり知られていないことだが、生活保護受給者の自殺率は、それ以外の人たちの自殺率よりずっと高い。多くの人は「働けない自分」「国のお世話になっている自分」を責めている。自分を責め続けている人には、たった一言の心ない言葉が死への引き金になってしまう可能性が充分にある。


 今回、小宮山大臣は「扶養が困難ならその証明を義務づける」という考えを示した。このことで蘇ったのは、25年前の餓死事件だ。前回の原稿で姉妹餓死事件に触れたわけだが、姉妹が亡くなった白石区では25年前にも3人の子どもを持つ39歳シングルマザーが餓死する事件が起きている。この時、白石区役所は「離婚した前の夫の扶養の意思の有無を書面にしてもらえ」と女性に告げた。まさに「扶養できないならそれを証明しろ」と言っているわけだ。しかし、別れた夫にそんな書面を提出してもらうことは簡単なことだろうか? 別れた夫に限らず、複雑な家族関係を抱える人は多い。結果、シングルマザーの困窮は放置され、餓死してしまった。「証明」を義務づけることは、このような事態が再び引き起こされる可能性を充分すぎるほど孕んでいる。


 最後に。現在の生活保護バッシングの背景に見えるのは、「自分より得・楽している人がいるのは許せない」という気分だ。このことについては「『誰かが自分より得・楽してるっぽい』問題」 として過去に書いたので、こちらも参照してほしい。

 また、今回、自民党の「生活保護に関するプロジェクトチーム」が大きな注目を集めたわけだが、私自身は「こいつらが得・楽してるからdisれ!」というかけ声をかける人の言うことは絶対に信じないようにしている。特定の層を攻撃し、多くの人にガス抜きのネタを与え、「よくやってくれた」「スッキリした」という人を増やし、自らの存在感をアピールして得をするのは誰なのか。それを支持した人の中からは、のちのち自らが困窮状態に置かれた時に「自分で自分の首を締める」ような結果になったと後悔する人が現れるのではないか。そして「disれ」とかけ声をかける人は、どんな政治的策略にもとづいてそういったことをしているのか。

 私自身も、現在の生活保護制度がそのままでいいと思っているわけでは決してない。特に「出口」に向けての制度があまりにも貧弱だと思っている。しかし、バッシングは大抵の場合「ガス抜き」で終わってしまう。これをきっかけに、建設的な議論に発展していくことを願ってやまない。

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(ブログ「海鳴りの島から」から、転載させていただきました。この妄言と醜態を橋下徹は絶賛しています
http://blog.goo.ne.jp/awamori777/e/ccc8c762186c9b65312e560638422cc5

(以下、転載)
石原東京都知事の妄言と醜態
2012-04-19 23:36:33
 
 石原慎太郎東京都知事が、尖閣諸島を東京都が購入する、と米国ワシントンで発表した。米国保守系シンクタンク・ヘリテージ財団における講演会でのことだ。にわかにマスコミは大騒ぎして、県内紙まで自治体首長に緊急アンケートを採っているのだが、石原知事と地主の交渉の経緯など事実関係をもっと取材し、石原知事の意図、行動の背景を調査・分析することに、マスコミはまず力を入れるべきではないだろうか。


 この問題を考えるうえで大切なのは、政局がらみで内向きの議論にならないことだ。外の視点から見れば、今回の石原発言はどのような意味を持つのか。そのことを検証することが重要だろう。その点で、石原知事は大きな誤りを犯している。日本政府が公式見解として、尖閣諸島に関し領土問題は存在しない、と明言しているにもかかわらず、領土問題は存在している、というメッセージを諸外国に発しているからだ。

 東京都は尖閣諸島から遠く離れ、歴史的に関わりが薄い。そういう島々の土地を都が購入すると、この時期にどうして突然、石原知事が米国で発表するのか。石原知事が乗り出さなければいけないほど、日本にとって尖閣諸島は不安定な状態なのか。中国の影響力はそれほど拡大しているのか。日本政府の公式見解とは裏腹に、尖閣諸島の実効支配は危うい状態にあるのか。石原知事の発言は、日本の周辺国をはじめ諸外国にそのような疑問を抱かせるものだ。

 石原知事は、領土問題という慎重かつ丁寧に扱うべき問題について、みずからの政治的思惑から派手なパフォーマンスを演じ、都民や都議会にも知らせずに得手勝手な「外交」を行っている。国に買い上げさせるのが目的なら、周辺国を刺激しない慎重なやり方もあったはずだ。しかし、石原知事はあえて挑発的なやり方を選んでいる。もっとも、中国政府からすれば、尖閣諸島が領土問題としてあることを、石原知事が世界に宣伝してくれたことになる。

 中国側はこれまで、琉球国に派遣された冊封使が残した記録から先占権を主張し、尖閣諸島を自らの領土としてきた。それに対し、日本の強みは実効支配していることにあるのだが、石原知事は都の購入を大々的に打ち上げることで、現時点では実効支配が脆弱なものであるかのような印象を広める愚を犯している。


 尖閣諸島に関しては、ベトナムやフィリビンなど中国との領土問題を抱え、東シナ海、南シナ海における中国の軍事力、権益の拡大に危機感を持つ東アジア諸国との連携、協力体制作りが、日本にとって重要な課題と言われてきた。領土をめぐって二国間で対立する時、周辺諸国の理解と支持は大きな力となるからだ。そのための地道な作業を現場で積み重ねている人達が大勢いるだろう。

 仮に東京都が尖閣諸島を購入しても、そのような外交活動はできない。むしろ懸念されるのは、実際に東京都が購入し、石原知事が尖閣諸島に上陸するなどのパフォーマンスをやってナショナリズムを煽ることがあれば、日本に侵略された歴史を持つベトナムやフィリピンなどの東アジア諸国が警戒心をいだき、日本に距離を置きかねないことだ。それを喜ぶのもまた中国政府であり軍部である。

 石原知事や橋下徹大阪市長など、右翼・タカ派政治家たちの威勢のいい発言やナショナリズムを煽るパフォーマンスは、日本国内では通用しても、東アジア諸国には通用しない。河村たかし名古屋市長が南京大虐殺を否定し問題となったが、政治家が歴史認識をめぐる問題発言を反省もなく繰り返しながら、北朝鮮の人工衛星打ち上げに際しては、中国の働きかけをあてにする。そういう厚顔な日本の対応を、東アジア諸国はどう見ているか。


 沖縄は先週、北朝鮮の人工衛星打ち上げを利用したPAC3配備で揺れた。先週末から今週にかけては、その撤収作業が連日報じられている。それが終わらないうちに、今度は石原発言によって尖閣諸島が注目され、「領土問題」として再び先島地域に関心が集まっている。

 中山義隆石垣市長は、以前から話を聞いていたとし、尖閣諸島の「共同所有」の意思を示すなど、石原知事に積極的に応えようとしている。その対応ぶりを見ると、PAC3配備に連続する石原発言のタイミングは偶然とは思えない。今回の石原知事による東京都の尖閣諸島購入問題は、先島への自衛隊配備の地ならし第2弾の意味も持っている。

 しかし、尖閣諸島問題は、先島に自衛隊を配備し、中国に対抗する軍事力を強化すれば、解決できるというものではない。ベトナムやフィリピン、インドネシアなど東アジアの諸国と連携を取りつつ中国と交渉を重ねるという外交能力こそが重要となる。その時に問われるのは、日本の侵略戦争による加害の歴史を反省し、覇権主義や排外的ナショナリズムに抑制的であるという外交姿勢を示すことだ。

 悪意と侮蔑を込めて中国を「シナ」呼ばわりする石原知事に、東アジア外交などできはしない。石原知事の発言を持てはやし、共同歩調を取る政治家も同じである。むしろ、尖閣諸島をめぐる問題をこじらせ、日中間の対立を激化させる結果にしかならないだろう。その結果として東シナ海で軍事的緊張が高まれば、実害を被るのは東京都民ではなく沖縄県民である。


 沖縄側は石原知事に乗せられることなく、琉球国以来の独自の歴史をふまえて、尖閣諸島問題に対処すればいい。本来は沖縄県が所有すべき島であり、県として購入運動を進めれば、賛同する県民は多いはずだ。沖縄も東京都に土地を所有しているから東京都が尖閣諸島を購入するのも問題ない、個人よりも東京都が所有した方が安心、などと安易に言っていると、大きな後悔をすることになる。

 石原知事がやろうとしているのは、どこにでもある島、土地の購入ではない。一つ扱いを間違えば一触即発の事態となりかねない「国境の島」を、自らの政治運動の道具として利用しようとしているのである。中国と対立を引き起こすことで排外的ナショナリズムを煽り、日本の政治を大きく右旋回させようという意図が透けて見える。

 それはまた、中国との軍事的対立を作り出し、軍需産業の利益を上げたい米国保守グループの意思でもあるだろう。ヘリテージ財団における石原知事の講演は、かつて『NOと言える日本』という本を共同執筆した右翼政治家が、米国保守の力を後ろ盾に中国に吠えているにすぎないことを自己暴露している。何という醜態だろうか。

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映画鑑賞会  「“私”を生きる」~元都立三鷹高校校長・土肥信雄さんをお招きして

  • 2012年4月1日  16:3018:00

  • 神戸映画資料館内シネマカフェチェリー, 神戸市長田区腕塚町5丁目5番1 アスタくにづか1番館北棟2F 201
  • ==========================
    ■□■市民社会フォーラム第25回映画鑑賞会のご案内■□■
                   「“私”を生きる」
       元都立三鷹高校校長・土肥信雄さんをお招きして
    ...
    日 時 4月1日(日)16:45~18時頃
    会 場 神戸映画資料館内シネマカフェチェリー
      http://kobe-eiga.net/access/
    交流会の参加費不要(1ドリンク注文制)
    協 力 神戸映画資料館

     “教育現場での言論と思想の統制”に抗う3人の教師たちの姿をみつめるドキュメンタリー「“私”を生きる」が、神戸映画資料館で3/30(金)~4/10(火)の日程で公開され、4/1(日)には当日鑑賞者対象に、この映画で取材を受けた元都立三鷹高校校長・土肥信雄さんの記念トークが開催されます。
     この記念トーク終了後、神戸映画資料館と連携して、土肥さんを囲み交流会を主催いたします。

     事前申し込み不要ですが、人数把握のためご連絡いただければありがたいです。
    civilesocietyforum@gmail.comまで

    ■神戸映画資料館の同日関連企画
     記念トークイベント 土肥信雄さん 13時40分の回終了後 
     (参加無料/要当日鑑賞チケット/13:40の回鑑賞者が優先)
      トークイベントは当日10時から整理券配布されます
     お問い合わせは神戸映画資料館(http://kobe-eiga.net/)まで

    ■「“私”を生きる」(2010/138分/DV)
    監督・撮影・編集:土井 敏邦  編集協力:(株)らくだスタジオ・森内 康弘
    製作:「"私"を生きる」制作実行委員会  配給・宣伝:浦安ドキュメンタリーオフィス、スリーピ
    山形国際ドキュメンタリー映画祭2011 出品
    [公式サイトより]
     近年、教育現場では教師たちの言論が厳しく統制され、卒業式・入学式では 「日の丸・君が代」が強制されているが、それらの「教育統制」の巨大な流れに毅然と抗い、“教育現場での自由と民主主義”を守るため、弾圧と闘いながら “私”を貫く教師たちがいる。
     「自分に嘘をつきたくない。生徒に嘘をつきたくない」
      ―― 根津 公子(元中学校教員・家庭科)
     「炭鉱の危険を知らせるカナリヤの役割を担いたい」
      ―― 佐藤美和子(小学校教員・音楽専科)
      「今言わなければ後悔する。その後悔だけはしたくない」
      ―― 土肥 信雄(元三鷹高校校長)
     2011年11月の大阪市長選で橋下徹前知事が当選するなか、11月28日には 出演者のひとり、根津公子さんの君が代不起立による停職処分取消訴訟の最高 裁弁論が行なわれ、その最高裁判決が2012年1月16日に、そして1月30日 には同じく出演者の土肥信雄元都立三鷹高校校長の非常勤教員採用拒否訴訟の 地裁判決が予定されており、その動向が注目されている。彼らの真摯な思いは、 果たして行政を、教育を動かすことができるのか。3人の今後に目が離せない。
      これは「教育」問題や「日の丸・君が代」問題を論じるドキュメンタリーではない。
      日本社会の“右傾化” “戦前への回帰” に抵抗し、“自分が自分であり続ける” ために
      凛として闘う、3人の教師たちの “生き様”の記録である。
                                        土井敏邦

    ■土肥信雄さんプロフィール
     1948年京都府生まれ。元都立三鷹高校校長。現在、法政大学、立正大学非常勤講師。
    72年東京大学農学部卒業。商社勤務を経て、通信教育で教員免許取得後、小学校、高校教諭。
    2002年都立神津高校校長、05年より都立三鷹高校校長。09年定年退職。
    校長現職中に「職員会議において職員の意向を確認する挙手・採決の禁止」(通知)の撤回を東京都教育委員会に要求。
    09年度非常勤教員不合格(97%合格)。
    その後、「学校の言論の自由」と「非常勤教員不合格」について東京都に損害賠償を求め訴訟を起こすが、2012年1月30日の東京地裁判決では全面敗訴。
    現在、東京高裁に控訴中。著作に「それは、密告からはじまったー校長vs東京都教育委員会―」(七つ森書館、2011年)など。

    ■神戸映画資料館へのアクセス
    http://kobe-eiga.net/access/
    神戸市長田区腕塚町5丁目5番1 アスタくにづか1番館北棟2F 201
    ※国道2号線(または高速高架)と大正筋商店街(たいしょうすじ しょうてんがい)の交差点角にあるエスカレーターで2Fへお越しください。
    ※同ビル3Fの中華料理「神戸飯店(こうべはんてん)」さんが目印です
    (1)JR(大阪および姫路方面)からは 新長田下車、南へ徒歩5分
    (2)神戸市営地下鉄西神山手線からは 新長田下車、南へ徒歩5分
    (3)神戸市営地下鉄海岸線からは 駒ヶ林 下車、徒歩5分
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    映画『“私”を生きる』

    http://doi-toshikuni.net/j/ikiru/

    予告編(youtube)がご覧頂けます。
    http://www.youtube.com/watch?v=OGJzOHOFUkI&feature=youtu.be

    監督:土井敏邦

    DVDご注文

    大阪(十三):シアターセブン
    2012年1月28日(土)~2月17日(金) シアターセブン

    1/28(土)~2/10(金) 10:30-12:48
    2/11(土)~2/17(金) 19:00-21:18

    (「シアターセブン」は「第七藝術劇場」と同じビルにあります)

    KAVCホール(神戸アートビレッジセンター
      「“私”を生きる」上映会&トーク
       2012年2月18日(土) 13:00~「ハシズムは日本をどこに導くか」
    お話し(上映終了後)
    講師  池田 知隆さん(追手門学院大学客員教授)
    ゲスト  武 慎太郎さん(元堺市立中学社会科教員)


    映画『“私”を生きる』とは

    東京都の教育現場で、急激に“右傾化”が進んでいる。卒業式・入学式で「日の丸・君が代」が強制され、教師たちの言論は、厳しく統制されてきた。

    その「教育の統制」の巨大な流れに独り毅然と抗い、“教育現場での自由と民主主義”を守るため、弾圧と闘いながら、“私”を貫く教師たちがいる。

    これは「教育」問題や「日の丸・君が代」問題を論じるドキュメンタリーではない。

    日本社会の“右傾化”“戦前への回帰”に抵抗し、“自分が自分であり続ける”ために、凛として闘う、3人の教師たちの“生き様”の記録である。


    根津公子(中学校教員・家庭科)

    卒業式・入学式の「国歌斉唱」で不起立を続け、3年にわたり、「6ヵ月の停職処分」を受けてきた。「『教員を続けるために起立しては』と言われるけど、私は『今の状態は危ない。上からの命令に黙って従うことは恐ろしい明日を創ってしまう』と子どもたちに身体ごと訴え、伝えていく責任があります。それが今一番必要な教育だと思っています」
    nezu[1]


    佐藤美和子(小学校教員・音楽専科)

    キリスト者として、天皇制につながる「君が代」伴奏を拒否し、何度も理不尽な異動を強いられてきた。「辛いと感じる自分の存在に意味があると思えるようになりました。カナリヤが炭鉱の危険を知らせるように、強制がもたらす苦しみ、今の学校の危険、この国が進む方向の危険を知らせる役割を担うことができれば幸せだし、それが私の役目だと思えてきたんです」
    sato[1]


    土肥信雄(元三鷹高校校長)

    都教育委員会による学校現場への言論統制に、現職の校長として初めて公に異議を唱えた。「教育がどんどん右傾化している。言論の自由がなくなったときに、戦前の日本に戻るのではないかという恐怖心があります。以前は不安でも言えなかったが、今言わなければ、あの時の一点になっていなければ後悔する、その後悔だけはしたくなかったんです」
    dohi[1]

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