June 12, 2006

名古屋ケントス その5

初日のレコーディングも無事終了。

我々レコーディング・スタッフは、
ここ数ヶ月、頻繁に名古屋を訪れてる丹羽くんの、
「ま、私についてきて下さい。」
の自信たっぷりの言葉に促され、
いざ『ひつまぶし』を食さん、
と後についていった次第。

その前に、
この丹羽くんという人、
ちゃんと説明しなくてはいけませんね。

彼は、私の大学のサークルの2年後輩。
現役時代は、
メイナード・ファーガソンばりのハイ・ノート
でブイブイ言わせた、素晴らしいトランペット奏者でした。

その後ワーナーに入り、
主に洋楽のプロモーションを手がけ、
現在もフリーでいろんなプロジェクトを手がけてる、
なかなかのやり手です。

と言うと、いかにもダンディーな業界人を連想しますが、
その風貌は、いささかドラエモン風。

鳥はまったく食えず、
(せっかくの名古屋なのにもったいない)
肉が大好き。
したがって当然のことながら、
ぽっちゃりとした小太り体型で、
それはそれでなんとなくチャーミング。
性格極めて温厚で、
私は、学生の頃から
実に可愛がってあげてるのです。(ほんとか?)

今回のレベルスも、
彼が発見して、
それをミューチャーというレコード会社に売り込み、
彼はそのバンドのマネージメントをやる、
というのが役目。

彼の後を、
餌を求めた子犬のようについていく面々は、

レコード会社のディレクター田中くん、
(彼はWAXもタタヤンも担当です。)
うちのディレクターのショーちゃん、
エンジニアの須藤くん、
(彼も女子十二楽坊、スタジャン、WAXなど、
 ここんとこずっと私の相棒。)
それに、ライブ・レコーディングの機材&オペレーター
をお願いした、「ムーヴ」という会社の人たち3人、
それに私の総勢7人。

いくつもの路地を越え、
大通りを横切り、
また路地に入り、
これを越え。

彼は、「もうすぐです、もうすぐ。」
と言うのですが、
これがなかなか着かない。

せっかちでわがままな私。
「こんな距離だったら、
 タクシーでも良かったんじゃないの?」
とさっそくダダをこねる。

すると、ツアー・コンダクターの丹羽くん、
何言ってんですか、しゅんさん。
 そんな距離じゃないですよ。
 それに、我々くらいの年になったら、
 歩かなくちゃだめですよ、歩かなくちゃ。」

ま、それもそうだ、
と、
小奇麗で、
酒のさかなも豊富で、
粋ないでたちの料亭を想像する私は、
しぶしぶ歩いてついていったのであります。

そうこうするうちに、
大きな通りに出ました。

きれいなビルの立ち並ぶ通りで、
銀座で言えば4丁目。
ニューヨークなら、5番街はティファニーのあたり、
を連想させるようなところ。

その一角に、
「松坂屋」というデパートがあります。

そして丹羽くん、
何を思ったか、
「さ、着きました。」
と、この「松坂屋」に
スタスタと入っていくではありませんか。

「デ、デパート?」
と私。

「そうですよ。ここの10階。
 うまいですよ、ここの‘ひつまぶし’は。」
と、丹羽くん。

つづく

SHUN MIYAZUMI

さ、これからライブだ。
サッカーに興味のない方は、
ぜひお集まり下さい。

「日本チャチャチャ・ブルース」
でもやって、盛り上がりましょう。
(ちょっとヤケ気味…)

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2006 エッセイ 

June 10, 2006

クレージー・キャッツのお話

2002年6月13日(木) No.11
『クレージー・キャッツ』のお話

小学校4、5年生の頃(昭和36,7年?)
『シャボン玉ホリデー』という人気バラエティーに、
突然変なオッサン達が登場、
あるうたを唄い始めました。

みなさんご存知の『スーダラ節』。

いやもうビックリ!
「なんだなんだこの歌!」と口あんぐり。
翌日学校ヘ行くと、みんなこの話題で持ちきり。

以来我々男子生徒はみな、
右手をブラブラと例のあのスタイルで
『スースースーダララッタ〜♪』と植木等のマネ。
そしてそれを冷ややかな目で眺める女子達。
 
こうして「ハナ肇とクレージー・キャッツ」、
というより“植木等”は、
私のなかで強烈なデビューを果たしました。
 
普通流行歌というのは、
時代とともにその鮮度が失われていくものですが(特に詞)
この『スーダラ節』という歌は今だに不滅です。

なぜでしょう?

それは見事に人生哲学と、
人間の煩悩そのものを言い当ててるからなのです。

     ちょいと一杯のつもりで飲んで♪
     いつの間にやらハシゴ酒♪
     気がつきゃホームのベンチでゴロ寝♪
     これじゃカラダにいいわきゃないよ♪
     わかっちゃいるけどやめられねえ♪
     ア、それ!

ときて、
例の♪スースースーダララッタ スラスラスイスイスイ♪
に突入していくわけですが、
(ああ、メロディーをお伝えできないのが、なんとも歯がゆい)
どうです?今だになんにも変わってないでしょ。
 
40年も前にできた歌ですよ。

 実はハナ肇とクレージー・キャッツというのは
、実力のあるジャズのコンボで、
はじめはお笑いなんかやりたくなかったらしい。
(谷啓なんかは「スイングジャーナル」誌の人気投票で
 いつも3位以内にいるトロンボーン奏者だったのです)。

植木等という人も実は真面目な人で、
こんな歌を唄うのが嫌で嫌で、
最後は父親に相談に行ったらしい。
(この人の実家は三重県のとある寺。
 つまりお父さんは住職さん。)
 
で、そのお父さんが詞をみて開口一番!
「おい等、この詞はすごい。
 人間の煩悩を見事に言い当ててる。ぜひ唄いなさい。」
 と勧めてくれたとか。

彼らの秘めたるボードビリアンの才能を見抜いて、
ギャグ・バンドに仕立て上げた、
渡辺プロダクションの企画力。
東芝の名(名物?)プロデューサー渋谷森久さん
(この人のお話もいずれ)、
青島幸男、萩原哲晶の作詞作曲コンビ。
そして、このお父さん。
 
見事なスタッフワークを後ろ盾に、
クレージーはこの後、歌にTVに映画に、
華々しい活躍をしていったのです。
 
『わかっちゃいるけどやめられねえ』か…。

見事です!

(感想 2006/6/10)
ワールド・カップ初戦
「ドイツ-コスタリカ」戦
みなさん観ました?

いきなりすごい試合でしたねえ。
イチローも絶好調だし。

こりゃ、仕事にならんわい。

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〜2005 エッセイ 1  

June 09, 2006

またまた映画の話

2002年6月6日(木) No.10
またまた映画の話

めっきり夏めいてきました(早すぎる)が、
皆さま如何お過ごしでしょうか。

とは言っても世の中サッカー一色ですね。
「日本-ベルギー」戦は私も興奮しました。
で、このまま勝ち進むと、
今月のライブはバッチリ重なってしまいます。
う〜ム…複雑。

でもサッカーはビデオに収録して、
スタジャンのほうにお越しいただけるものと、
淡く希望をいだきながら、
またまた映画の話。
 

昭和30年代の終わりから40年代にかけての映画界は、
東宝の時代だったのでしょうか。

黒沢明や稲垣浩のリアルな時代劇、
に夢中になりつつも、
一方で、カップリングとしての、
数々の娯楽シリーズがこれまた大好きでした。
 
まずは森繁久弥の『社長シリーズ』。

いかにも大会社の社長にぴったりの森繁さん。
でもこの社長、どこか頼りなくてちょっとエッチ。
出張ともなると必ず銀座のママ(淡路恵子)か、
若いホステス(団令子)を誘うのですが、
嗅ぎつけた奥さん(久慈あさみ)に先回りされていつも失敗。

脇役も適役ぞろいで、
社長の浮気をフォローしつつも、
どこか間の抜けてる重役に、有島一郎と加東大介。

出張ともなると、
芸者を上げてのドンチャン騒ぎしか頭にない、
部長の三木のり平。

インチキ・ブローカーで、
いつも変な日本語を話すフランキー堺。

このドタバタにいつも困り果てながら、
ちゃんと巻き込まれていく社長秘書に小林桂樹、
その奥さんに司葉子。
そして、ストーリーはいつもワンパターン。
 
余談ですがこの社長、
私が敬愛する某音楽事務所の社長に
どこか似てるところがあって、
いつも妙な親近感を覚えます。
 
これらの俳優に伴淳三郎を加えた、
『駅前シリーズ』というのも人気ありましたが、
これは私にはイマイチ。

やはり森繁という人は商店街のオヤジよりは、
「社長」のほうがピッタリのようです。
 
それから加山雄三の『若大将シリーズ』。

スポーツ万能、作詞作曲に唄、
ピアノにエレキ・ギター(なんとトラディショナルな響き)
まで弾いちゃう出来すぎ野郎。

田中邦衛扮する青大将と、
マドンナ(星由里子)を取りあうのですが、
もちろん勝負になりません。

当時僕ら男子生徒(中学生)のなかには、
加山若大将にでもなったつもりで、
「ふたりを〜ゆうやみが〜♪」(『君といつまでも』)
なーんて気取りながら唄ってるやつが大勢いました。

ちょうどケンさん(高倉健)のヤクザ映画を
見終わったチンピラが肩をいからせて出てくる、
あれと一緒です。

そしてこれもいつもワンパターンの展開。

この日本娯楽映画におけるワンパターンの美学が、
続く「寅さん」に結実しちゃうのでしょうか。
(いささか評論家風)
 
でもなんといっても極め付きは、
ハナ肇とクレージー・キャッツ!
というより、
植木等を中心とする『クレージー・シリーズ』。
この続きはまた来週!

(感想 2006/6/9)
そうか、4年前のちょうど今頃でしたか、
「ワールド・カップ 日韓協同開催」は。
月日の経つのは早いものです。

今日からですね。
ドイツ大会。
日本がんばれ!

なあんて言いながら、
来週6/12(月)は、
「ALL OF ME CLUB」でピアノ・トリオ・ライブ!

「日本-オーストラリア」戦と、
バッチリ重なってしまいました。
ガクッ。

でも、若いシンガーが、
いっぱい遊びに来てくれそうなので、
がんばります。

サッカーに負けないぞー!

(実は観たい…)

SHUN MIYAZUMI

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〜2005 エッセイ 1  

June 07, 2006

名古屋ケントス その4

06/6/6

6がみっつ並ぶという不吉な一日も、
何ごともなく過ぎ去りました。
みなさん、
大事ないですかあ?

というわけで、
名古屋ケントスのつづき。

4月2日(日)
いよいよ、レベルス
レコーディングの初日です。

前日も夜中の2時半までライブをやってたというメンバー。
眠そうな目をこすりながらお昼の12時に集合。
客のいないケントスでは、
朝早くから録音スタッフが、
万事抜かりなくセッティング。

で、私が要求したことは、
普段のライブの倍以上の音量で、
ガッツむき出しで演奏すること。

いつもの営業では、
お客さまに、うるさすぎないよう、
適度な音量で演奏してる彼らゆえ、
最初はかなりとまどいがあったようですが、
「ガッツだ!」「元気がないぞ!」
を、アニマル浜口のように連発する私に乗せられて、
次第にヒート・アップ。

きょうのところは仮歌の双子ちゃんにも、
いつものライブのように、
踊ったりしながら、メンバーを乗せるように指示。

私も、踊ったり、指揮したり、走り回ったり、
とにかく若々しくて、活きのいい演奏を引きだすため、
老体にムチ打って、
体中で音楽を表現しまくってたわけです。

最初は硬かったメンバーも、
次第に慣れてきて、
いい感じの演奏になってきました。

曲はすべてオールディーズ。
私が子供の頃に慣れ親しんだ名曲ばかりで、
ディレクションしながら、
こっちも熱い熱い。

ザ・ピーナッツの「恋のフーガ」「恋のバカンス」
「素敵な16才」「バケーション」「ボーイハント」

いやあ、懐かしいですなあ。
これを、当時はもちろん生まれてもいない人たちが、
今目の前で熱い演奏を繰り広げてる。

正直、
この仕事は誰にも渡したくない、
と思いました。

ほとんどノー・ブレークで11曲。
取り終えたところで、タイム・アップ。
お店は夜の営業があるため、
急いで片づけて、
きょうのところは終了。

終わったらメンバーも私もグッタリ。

でも、順調なすべり出しです。

あしたもがんばりましょう、
ということで、メシ。

私「丹羽くん、どこ連れてってくれんの?」
丹羽「名古屋といえば‘ひつまぶし’。
  ま、私についてきてください。」

つづく

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2006 エッセイ 

June 06, 2006

映画の話、その6

2002年5月31日(金) No.9
映画の話、その6

5/25の慶応カルア会(サテンドール)、
5/30「J」のライブも無事終了。
来週ちょっと演奏活動はひと休み。
もっとも世の中ワールド・カップで、
ちょっとしたお祭り騒ぎかもしれませんね。

今回も映画の話、その6。

昭和30年代も後半になると、
東映時代劇にかわって、
もっとリアリティーのある時代劇に、はまって行きました。
殺陣まわり時、バサバサっと音のするあれです。

それを生み出したのが黒沢明。
そう、あのクロサワ! 

時代考証もメイクも、
現存する江戸時代のモノクロ写真を見るようなリアルさ。
なにせ館の前に陣取り、風に砂じんが舞うシーン欲しさに、
1週間もカメラを回しっぱなしにするという徹底ぶり。

三船敏郎の豪快な演技とあわせて、すっかり魅せられ、
あれほどお世話になった東映ものも、どこかに行っちゃいました。
 
ま、ここで有名な黒沢作品を論じるのも野暮ってもんですし、
単に一ファンとして、
勝手に私の好きな黒沢映画ベスト・ワンを、
選ばせてもらうと、

それはですね、
『椿三十郎』って映画なんですよ。
 
例えば『七人の侍』も、それは凄い。
でも凄すぎて、しかも長いので、
リピートするには相当の心構えがいる。

モノクロのほうが絶対リアルなので『影武者』でもない。
時代劇のほうが絶対いいので『天国と地獄』でもない。
娯楽性がないといやなので『生きる』でもない。

となると絶対コレ!
 
この映画、有名な『用心棒』
(マカロニ・ウエスタンのモデルになったやつ)の続編。
ある藩の家老の不正を正すために立ち上がった
頼りない若手藩士たちを、
見るに見かねて助っ人するハメになった一素浪人の話。

ユーモア・センスも抜群で、とにかく楽しい。
迫力も満点。
そして黒沢映画に欠かせない佐藤勝さん(有名な現代音楽家)
の音楽もバッチリ。

そしてあのラスト・シーン!
 
三船と仲代達矢の対決シーン。
なが〜い沈黙のあと、
キーン!という耳をつんざくような効果音とともに、
勝負は一瞬にして決まります。
そして仲代の胸からブワ〜ッと吹きだす血。

初めて映画館で見たとき(小学校5、6年だったかな?)
心臓が飛びだしそうでした。

いやあこのリアルさじゃ、
東映時代劇がすたるのも無理はないと
幼心に思ったものです。とにかくカッコいい〜!
 
で、当時は映画は必ず2本立て。
黒沢は東宝なのですが、
そのカップリングの娯楽作品がこれまた傑作ぞろい。
『社長シリーズ』『若大将シリーズ』『クレージー・シリーズ』などなど。
次回はそんなお話。

(感想 2006/6/6)
うわっ、6がみっつ並んでる。
不吉な…。
今日はみなさん、
気をつけましょう。

「オーメン」を観たことあるひとしか、
分かりませんか?

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〜2005 エッセイ 1  

June 03, 2006

東映時代劇はミュージカルだった

2002年5月23日(木) No.8
『東映時代劇はミュージカルだった』の巻

さて今週は、《東映時代劇はミュージカルだった》の巻。

昭和32〜35年(私が小学校低学年の)頃、
私の最大の娯楽は東映時代劇を見ることでした。

場内が暗くなり、スクリーンにあの、
岩場に波が打ち寄せて三角の【東映】マークが登場すると、
もう血わき肉躍り、小さな胸は高鳴りっぱなし。

当時の俳優はみな映画会社専属だったのですが、
それにしても東映の抱えてるラインナップのすごいこと!
そして各々がちゃんと当たり役を持っている。

まず御大の片岡千恵蔵の『遠山の金さん』
市川歌右衛門は『旗本退屈男』
ちょっとお兄さん格、
大友柳太朗の『丹下左膳』もカッコ良かった。

それから活きのいい若手、中村錦之助の『一心太助』。
(彼は「森の石松」なんかやらせても、
 ちゃきちゃきで爽快そのもの。)

ここで大久保彦左衛門を演じてるのが好々爺、
月形龍之助。
その彼の当たり役は何と言っても『水戸黄門』。
この月形という人は剣道も6段の腕前で、風格がある。

だいたい黄門さまといえば先の副将軍でしょ。
このくらい気品がないと…。
TVのシリーズなんてみなそのへんの
“酒場のおやじ”みたいのばっかし。
それと、この人は悪役をやらせても実にうまい。

この月形黄門がしたがえてる助さん、格さんに
里見浩太朗と東千代之介という二枚目。
で、道中唄なんか歌っちゃう。
(これって、ミュージカルのスタイルですよね。)
 
そして何と言っても私が一番シビれてたのが、大川橋蔵!
美剣士をやらせたら天下一品で、
『新吾十番勝負』シリーズなんて全部見ました。
哀愁味のある声と雰囲気で、すごい人気でしたね。

この人は股旅物も得意で、
『旅笠道中』では、鳥追い女にふんした美空ひばりが、
これまた道中唄っちゃったりする。
でも今思うとストーリーなんかお構いなしの歌だったりして。
笑っちゃいますけど、おおらかだったんですね。
 
悪役には山形勲か進藤英太朗。
女優陣は、
主役級にキュートな丘さとみと桜町弘子。
品のいい若奥方に大川恵子。
威勢のいい江戸っ子鳥追い女の千原しのぶ。

それからおっちょこちょいな堺駿二(堺正章のお父さん)も
名わき役として、いい味してましたなあ。
 
で、年に2本、(お正月とか夏休みとか)
このオールスターが勢ぞろいの共演ものがある。
出し物は『清水次郎長東海道』か『忠臣蔵』。
それから夏にはご親切にも怪談物。
(『四谷怪談』とか『番町皿屋敷』とか。)
怖いくせに、こんなのもぜーんぶ見ました。

最初は父に連れられて行ってたんですが、
出し物が変わるたびに、
映画館の前で、一人物欲しそうに看板見てたら、
ある日映画館のオジサンが、
「いいよ坊や、入んなよ。」と入れてくれたりして。
以来、ほとんどをタダで見ることができました。。
いい時代だった…。
 
そして、最後は決まって江戸のお祭りシーン。
みんなで“ソレソレ”と、
ミュージカルよろしく唄って踊っているうちに、
(どうです。東映時代劇って、立派なミュージカルなんですよ!)
カメラが上の方にズームしていくと、
これまた決まって富士山。そのむこうから【完】の文字がやってくる。

このワンパターン。
このワンパターンに憧れて何度劇場に足を運んだことか。
 
思い出すも興奮のあまり、ものすごい長さになってしまいました。
ご容赦。
(しかし、この話、40以下の人にはチンプンカンプン?)


(感想 2006/6/3)
このあたりから、
俄然このエッセイも、
バカバカしさが露呈されてきます。

「話がオヤジくさいから、もう読まない。」
と、去っていった女性ピアニストもいれば、
「おもしろいからもっと書け!」
という激励のメールも寄せられたりして、
かなりの問題作だったんでしょうね、これは。
(おおげさな)

SHUN MIYAZUMI

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〜2005 エッセイ 1  

オンチは楽器がうまくなる

きのう、
ベースの河野氏からのメールで知ったのですが、
カシオペアのキーボード奏者、
向谷実くんが、
オンチは楽器がうまくなる
という本を出しました。(草思社)

その中の「名プロデューサーとの出会い」(P.208)
というくだりで、
私のことを書いてくれてます。

ちょっと照れくさいくらい、
褒めすぎなのですが、
ま、ここは素直に喜びましょう。

随分会ってないけど、
今度メシでも奢らなきゃいかんかなあ。(笑)

何はともあれ
むかちん、
どうもありがとう!

with Mr.Mukaiya

おっと、、若い!

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マイ・インフォメーション 

June 01, 2006

名古屋ケントス その3

4月1日
いよいよレコーディングのため、
夕方の「のぞみ」で名古屋にのりこむ。

私は新横浜からが便利なのですが、
名古屋までたったの1時間23分で着いてしまう。
すごい時代になったもんですねえ。

さてこのレベルスというオールディーズ・バンド。
とにかく「名古屋ケントス」では凄い人気で、
月曜から土曜まで、
毎晩5ステージのライブをこなすという、
(金、土は6ステージなので終了は夜中の2時半)
超ハードな毎日を送っているバンド。

130席もある大きなライブ・ホールなのですが、
週末などはいつも満員。

双子の可愛い姉妹がメイン・ヴォーカル、
(そう、まるで現代の『ザ・ピーナッツ』なのですよ。)
さらにはギターの二人も時々ヴォーカルを取ったり、
『ベンチャーズ』物のインストも交えたりの、
バラエティに富んだ、かつスピーディーな構成で、
聴くものを飽きさせない。
しかもみな若い。
つまり後付けオールディーズ・バンド。

そして驚いたことに、
演奏がはじまると、
ステージ前の通路に、ドバーっとお客さんが立ち並び、
ヴォーカルの女の子のつけた振り付けを真似しながら、
踊り狂うのです。

もちろん曲はすべて50年代、60年代の
アメリカン・ポップス。
その時代が青春の50〜60才くらいの人ならわかる。
ところが、
若い20代の人たちも、おじさんおばさんに混じって、
ぎんぎんに踊って、大騒ぎ。

宣伝主体のレコード会社、
「ミューチャー・コミュニケーションズ」が
着目したのが、
ライブを見てわかりました。

そこで方針変更、
このライブの熱い雰囲気とグルーブを出すには、
慣れないレコーディング・スタジオで、
ヘッドフォンを付けた緊張感の中でやらすより、
この「ケントス」で、客のいない昼間、
ライブ・レコーディング機材を持ち込んでやるほうが、
彼らも普段通りのリラックスした感じで演奏ができ、
結果いいものになりそうな気がして、
レコード会社、お店にもお願いして、
このスタイルで行かせてもらうことにしたのです。

それに結構な広さだし、
天井も高いし、
臨場感のあるいい音が録れそうな気もしましたし。

録音は明日からですが、
エンジニアの須藤くん、
それにライブ録音チームの3人に、
まず会場とバンドの雰囲気を見てもらうために、
先乗りしたわけです。
もちろん企画立案者でマネージメント担当の
丹羽くんも一緒。

あしたは、ミューチャーのディレクター田中くんと、
私の相棒ショーちゃん(湯浅昭二)大先生が、
来ることになっております。

つづく

SHUN MIYAZUMI

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2006 エッセイ 

May 31, 2006

ジャズと映画のお話

2002年5月15日(水) No.7
『ジャズと映画』のお話

5/11(土)は、日頃お世話になってる
佐藤(宏)さんのバースデー・パーティーに、
スタジャンとともにゲスト出演してきました。

笈田(敏夫)大先輩やら、
仲間のミュージシャンもたくさんいて、
いささか緊張気味でしたが、つつがなく終了。
 

さて、今週のご勝手エッセイは『ジャズと映画』のお話。

昭和44、45年頃(私が高3から大学に入ったあたり)、
東京12チャンネル(今のテレビ東京)で毎週金曜日、
『テレビ・ミュージカル劇場』なる番組がありました。
しかも、ゴールデン枠で、
1940年、50年代のアメリカのミュージカル映画が毎週。
 
ちょうどジャズに興味を持ち始めてた頃なので、
覚えたばかりのスタンダード曲が
オリジナルの形で出てくると、もう興奮。

ハンバーグを焼きながらお兄ちゃんがノー天気に唄う
『ON A CLEAR DAY』や、
旅芸人一座が移動中、列車のデッキで恋仲の二人が唄う
『THEY SAY IT'S WONDERFUL』などなど。

「へえー、この曲はこんなシーンで唄われてたのか」とか,
「なんだ、こういう意味の唄だったんだ」とか、
感心することしきり。
勉強にもなりましたし、大いに楽しませてもらいました。

後に唄のシーンだけを編集した『ザッツ・エンターテイメント』
(パート1,2,3)なるものが発表され、
大いに話題になりましたが、
まさにこうしたミュージカルの名場面集を集めたもの。
まだの方はぜひご覧になって下さい。
まさにこれがジャズ・スタンダードの原点!

でも本当はオリジナルで見るほうが、
ストーリーもわかっていいんですけどね。
ただ、探すのが大変かも。
 
ジャズのスタンダード曲というのは、
実はミュージカルでヒットしたものを、
コード進行がアドリブに最適なので、
ジャズメンが好んで取り上げて出来たものなのです。

それにしてもアメリカの、
映画や音楽の奥の深さには今さらながら敬服。
なぜなら、半世紀も前の唄を、
今も日本(世界)のどこかで、
毎日、誰かが、唄ったり演奏したりしてるんですから。
かくゆう私達も…。

いやあ、長くなったのでまた来週。

(感想 2006/5/31)
笈田敏夫さんもその後お亡くなりになりましたねえ。
ほんの数年前のエッセイなのに、
随分昔のことのように思われます。
佐藤さんはいまだに怪気炎ですが。(笑)
いつもありがとうございます。

SHUN MIYAZUMI

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〜2005 エッセイ 1  

May 29, 2006

名古屋ケントス その2

今日はいい天気だな。
久しぶりに散歩したくなり、
駒沢公園をぶらぶらして来ました。

それにしても、今年の5月は雨続きでしたね。
この後梅雨、猛暑と来られたらたまらない。
もう少し初夏のさわやかさを味わいたいものですが…。

さて、「名古屋ケントス」の続き。

3月上旬、
この名古屋プロジェクトのお話をいただいたとき、
真っ先に頭に浮かんだのが、
山本屋の味噌煮込みうどん

名古屋はずいぶん久しぶりですが、
昔から私は、名古屋といえばコレ。
私のプロフィールにも、
好きな食べ物B級のなかに、
堂々と位置している逸品で、
「おお、またあれが食えるのか。」
と感慨ひとしお。

こしこしの麺、あつあつのスープ、
太い箸で、やけどをしないように味わう。
いやあ、楽しみだ。

さっそく、この企画を立てた丹羽くん、
レコード会社のディレクター田中くんと
3人で名古屋に行き、
「ケントス」でレベルスの演奏を聴き、
彼らとのコミュニケーションを計り、
綿密にレコーディングの作戦を立てる。

その打ち合わせの結果、
どうやら4月は4、5回行ったり来たりになりそう。
「これは、いったい何回味噌煮込みうどんが
 食えるのやら。」
もう、私の胸は高まるばかり。

翌日、スタジオを見学に行き、
空いてる日をブックしたあと、
即座に私たちはタクシーに乗り、
「山本屋の本店に行って下さい。」

私の記憶にあるかぎり、
「山本屋」の本店は二階屋の日本家屋。
風情もあるし、
今いろいろ支店ができてるが、
やはりここが一番美味い、
という地元の人のおすすめがあったようにも思う。

ところが、

案内されたのは、
街中にある普通の近代的な建物。

で、そのお味ですが、

昔のような感動がない。

こっちの舌がぜいたくになったのか。

いや、そうではあるまい。
昔はもっと麺にコシがあったし、
箸も太かったし、もっと味わい深かった。

ように思う。

しかし、表にはちゃんと、
「山本屋本店」
と書いてある。

つづく。

SHUN MIYAZUMI

そういえば、今日は私の誕生日ではないか。
今宵は「A'TRAIN」にでも行って、
静かに祝ってやろうかな…。

woodymiyazumi at 13:19コメント(5)トラックバック(0) 
2006 エッセイ