June 2006

June 30, 2006

名古屋ケントス その7

6/28(水)の「代々木ナル」
CHIHARU(チハル)とのライブにお越しのみなさん、
ありがとうございました。

盛り上がりましたねえ。
お客で来た、はたけやま裕(PER)にも
即席パーカッションで参加してもらったり、

ピロリ菌退治でモヤモヤしてたものが、
一気に爆発、燃焼してしまいました。
やっぱチハルのヴォーカルはご機嫌!
次回このコラボは10/25(水)に再演です。

きょうは恒例、学芸大「A'TRAIN」
ミッドナイト・セッション。
これまた、燃えまっせ〜。


『名古屋ケントス その7』

私の脳裏をよぎった嫌な思い出とは…、

学生時代、私と丹羽くんが
同じサークルに所属していたことは先に述べました。

それは、ジャズのビッグ・バンド。
そして仕事やコンサート、あるいは練習などが終わると、
私たちは先輩、後輩入り乱れて、
よく徒党を組んで飲みに行ったものです。

もっとも頻繁に行ったのが、渋谷は道玄坂小路にある、
『麗郷』という大きな台湾料理や。

ここで大きな丸テーブルを二つくらい占拠して、
名物の‘腸詰め’やら‘がつ炒め’やら‘焼きビーフン’を注文、
さらには、やれビールだ、やれ紹興酒だ
などを浴びるように飲みながら(安かったんです)、
ジャズの話やら、女の話などを夢中になって語り合う。

そんな中、

この丹羽くん、

「しゅんさん、僕‘卵スープ’頼んでいいですかあ。
 あと‘麻婆豆腐’と’ごはん’もいいですかあ。」
と聞いてくる。

「にゃにい〜?」
と思いつつも、
別にひとりくらいそんなのがいても意に介さないから、
「好きにすれば。」
とそっけなく答えて、
またドンチャン騒ぎに参入。

するとこの丹羽だけが、
ひとり満足げな笑みを浮かべて、
‘卵スープ’と‘麻婆豆腐’でメシを食う。


そんな光景が、
今ありありと思いだされたわけです。


「いかん」と私はあせり、
「丹羽、‘御飯’の前に、
 ‘ビール’と‘つまみ’を頼もうよ。」と懇願。

すると丹羽(もはや呼び捨てになってる)、
さらりと、
何言ってんですか、しゅんさん。
 ここの御飯は量が多いんですよ。
 ‘つまみ’なんて頼んだら、
 食べきれなくなりますよ。」

と言ってのける。

なおも抵抗する私、
「でもね、あしたの録音が終わったら、
 すぐさま撤収してみんな帰るんだから、
 いわば今日は打ち上げだろ?
 やはり乾杯くらいしないと。」

すると丹羽、あっけらかんと
「ま、それもそうですね。」と言い、店員に大声で、
「すみませ〜ん、ビール4本。」と注文してくれた。

「しめた、時間は稼げた。
 さ、田中、ショーちゃん、‘つまみ’だ、‘つまみ’」
とメニューを見てるとき、
本当にものの5分で、

「おまちどうさまー。」
と、その‘ひつまぶし’(定食)8人前はやって来た。

丹羽、得意げに
「ねえ、しゅんさん、言ったでしょ。
 ここは回転が早いって。
 頼んだら、こうやってすぐに来るんですよ。
 これも人気のひとつでしょうかね。」
と言い、

「さてみなさん、
 これから‘ひつまぶし’の正しい食べ方をお教えします。」
とのたもうた。

(つづく)

SHUN MIYAZUMI

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2006 エッセイ 

June 25, 2006

名古屋ケントス その6

ピロリ菌退治終了。
この間ずっと禁酒。

いやあ、長い1週間でした。
ストレス溜まりまくり。
まるで「もぬけの殻」状態。
ワールド・カップが無ければ発狂していた。

今週からガンガン行きますよー。
さらに、
そんなストレスを一気に吹き飛ばすライブが2本。

6/28(水)は「代々木ナル」
素敵なヴォーカル、CHIHARU(チハル)とのコラボ。
今年2回目ですが、これは必見ですよ!
この日はサッカーも無いし。

6/30(菌、じゃなかった金)は
恒例「学芸大 A'TRAIN」のミッドナイト・セッション。
さ、みんな集まれ集まれ。

そうそう、このブログでは、
過去のエッセイを掘り起こしてますが、
随時、当時の写真なども掲載していきます。
(なかなか探すのが大変なのですが。)

早速、ブログ・メニュー「インフォメーション」
カシオペア向谷くんの本の紹介記事のところに、
若き日の私と向チンの写真を載せておきました。

若い!


『名古屋ケントス その6』

ちょっと間が空きましたが続きです。

「まさか?」
とは思いましたが、
丹羽くんが案内した場所は、
まぎれもなく松坂屋デパートの10階にあるレストラン街。

明るく健全な雰囲気の大きなフロアの一角に、
「ひつまぶし」と書かれたそのきれいなお店。
表には順番を待つお客が10人ほど待っている。
さらに入り口には、大きく「禁煙」と書かれてある。
(ちなみに私は煙草もこよなく愛しております。)

私「おいおい丹羽よ、本気かね。
  それにこんなに並んでるし、他行かない?
  俺は別に‘居酒屋’でもいいんだよ。
  しかもここ禁煙だしさ。」

とやんわり丹羽くんを牽制。

すると丹羽くん、ひるむことなく

何言ってんですか、しゅんさん。
 ここは回転がいいから、こんなのすぐですよ。
 それに煙草なら、あそこに喫煙室がありますから、
 そこでいっぷくしていて下さい。
 番になったら、呼びに行きますから。」

と、隅っこにあるガラス貼りの喫煙室を指さす。

「しょうがねえな。
 ま、‘ひつまぶし’ってのもお初だし、
 あれだけ丹羽が、美味い、美味いというのだから、
 ここはおつきあいするか。
 ま、美味い酒やつまみもあるだろうから。」

と、半ばあきらめて、ひとりプカプカやっておりました。

するとほんの10分くらいで、
ミューチャーの田中くんが呼びに来た。
確かに早い。
でも、これは私にとっては逆に嫌な予感…。

中に入ると、これがまあ大きくて、明るくて、
客はほとんど家族連れかカップルか
おばさんの集団か、品のいい初老の紳士。

その中に、
半分は薄汚れたTシャツにジーンズ、
あとはいかにも業界っぽい若いのに、
得体のしれないオヤジ(私)が加わった、
大のおとなの8人組。

けっこう違和感があると思うのですが、
丹羽くんはそんなのおかまいなし。


ここで‘ひつまぶし’について説明。

辞書をみると
「蒲焼きにしたウナギの身を細かく刻んで、
 ネギ、山菜などを御飯の上に混ぜたもの。」
とある。

hitsumabushi

ま、とりあえずビールとつまみだな。
どれ、つまみは何があるんだろうと、
田中やショーちゃんとメニューを見はじめたとき、
何を思ったのか丹羽くん、
すぐさま店員を呼んで、
「ひつまぶし(定食)8人前、お願いしまーす。」
と、のたもうた。

私、このとき、
嫌な思い出が脳裏をよぎったのでした。

つづく

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2006 エッセイ 

June 21, 2006

渋谷森久という人のお話

2002年7月8日(月) No.15
渋谷森久という人のお話

Mr.Shibuya

私が大学を卒業してアルファという会社で
新米ディレクターとして仕事を始めた頃(昭和49年頃)、
東芝レコード(現EMI)に渋谷森久さんという、
大プロデューサーがいました。

この渋谷さん、アルファの村井さんと仲がいいらしく
(アルファ創設者の村井邦彦氏は、
 社長であるばかりか有名な作曲家でもありましたから)
しょっちゅうアルファにも来ていた。
 
当時の業界は、レコードというものは
レコード会社のディレクターが作るもの。
したがって、ヒット・アーチストを持ってるディレクターは
肩で風を切って歩いてる。

逆はみじめです。
いくらいいもの作っても、
宣伝や営業から「ホントに売れるの〜?」
と疑心暗鬼の目で見られる。
 
渋谷さんの場合、
越路吹雪、加山雄三の「若大将」シリーズ、
そしてあの「クレージー・キャッツ」シリーズを
立て続けにヒットさせたわけですから、
その鼻息の荒さは天下一品。

彼がアルファに来ると、決まって社長の村井さんが、
「渋チャン、うちの若いディレクターに、
 ヒット作りの極意を教えてやってよ。」と来る。
すると得意満面の渋谷さんのご高説が始まるわけです。

ところでこの渋谷さん、
おそろしく大男!
そんなに太ってはいないのですが、185センチくらいはあった?
そして30才前後にして、頭髪がほとんど無い!!
わずかに残ってる横のほうも白髪なので、
どう考えても60才以下には見えない。

それから声がでかく、しゃべりだしたらとまらない。
おまけにそっ歯なので、彼が口角泡吹いてしゃべりだすと、
彼の机のまわりは、たちどころに唾の海。
性格は極めて豪放磊落!
“ハゲ”も自らジョークにして笑い飛ばします。
例えばこうです。

「宮住、このあいだ○○のパーティーに行ったらよー、
 △△さん(老紳士)がよー、
 “ところで、渋谷さんは陸軍ですか、海軍ですか?”
 って聞きやがってさあ、ワッハッハッ。」

さらに、
「このあいだ、風邪で寝込んじまってよー、
 しょうがなく医者に来てもらってさあ、
 で、往診終わったらその医者が女房によー
 “お父さん、もう大丈夫ですよ”だって。
 ワッハッハハッハ。」

こんなこともあったそうです。
『時間ですよ』で有名なドラマ・プロデューサー久世光彦氏
とも親交があって、
とある飲み屋の客の役で出演することになった渋谷さん。
おシャレな帽子を買って意気揚々と撮影現場に。
するとそれを見た久世さんが開口一番、
「シブ!お前何考えてんだ。
 俺はお前のその頭がほしかったんだぞ!!」
 
音楽プロデューサーとしての渋谷さんは、とにかくアイデア・マン。
乗ってるときの彼は手がつけられません。

70年代後半のディスコ・ブームの頃、
低音の男の声で、
♪サンフランシスコ・ハッスル♪
なんてのが流行ると、
すかさず城達也(FM『ジェット・ストリーム』で有名)
さんを連れてきて、
♪いい娘にあったらドキッ♪(伊藤咲子)

♪アリ!ヴォンバイエ!♪
が流行るとすかさず、
♪猪木!ヴォンバイエ!♪

もっとも、外すことも多く、その外し方も又ダイナミック!
フュージョン(当初は“クロスオーバー”と言ってた)が
流行りだした頃、
村田英雄さんのバックに
ニューヨークのジャズ・フュージョン・グループ『スタッフ』
のようなサウンドをくっつけて
♪クロスオーバー浪曲♪(6枚組)なるものを
お作りになったそうですが、
果たして売れたのでしょうか?
 
東芝の社員でありながら、CMなどのアルバイトも公然と。
(♪今なんどきですか? ハイ!ラーメンどきよ♪
 なんてのも彼のアイデアです。)

劇団「四季」の音楽監督もやってたので、収入もたっぷり。
いつもルイ・ヴィトンのアタッシュ・ケースに、
中の小物までぜーんぶヴィトン。
その頃業界で「ゲーハのルイ・ヴィトン」
といって分からない人はモグリとされていたほどの有名人。
 
ストリングスのレコーディングがあると、
アレンジャーも指揮者も横の椅子に座らせて自分で指揮をする。
(音大出でも指揮の勉強をしたわけでも何でもないのに)

こんなこともあったそうです。

ある日、アシスタントのN君を呼んで、
「おい、これ今度の加山の新曲だ。
 これをレゲエでやれ。これからはレゲエの時代だ。」
するとN君
「大丈夫ですか?加山さん怒りますよ。」
渋谷さん
「大丈夫。俺がよく話しておくから。」

いいのかなと思いつつも命令に従い、
恐る恐るそのオケを加山さんに届けたN君。
案の定翌日、カンカンに怒った加山さんから渋谷さんに電話。
「シブ!何だあのアレンジは?」
すると渋谷さん悠然と、
「いやあ、悪い悪い、ありゃぜんぶNの一存でやったんだよ。
 まったく若い奴は困るよね。
 すぐ直させるから、心配しないで。」

こうしてみると、
彼がクレージー・キャッツをプロデュースした
というのは当たり前すぎるほどの出来事であって、
むしろ、彼こそがあの植木等を介して作られたキャラクター
であったのかもしれないと、最近思うようになりました。

植木さんって、真面目な人だそうですし。
ひょっとして青島(幸男)さん、
あれって、渋谷さんがモデルじゃないんですか?

『無責任一代男』の歌詞なんて、
まったくもって渋谷さんがそのまま当てはまるんですけど…。

そんな渋谷さん、2、3年前にお亡くなりになりました。
まだ50代だったのでは?
若かったんですよ。本当に。

プロデューサーとして大事なのは、
きちんとした音楽を作るだけではなく、
遊び心を持つこと。もっと遊べ遊べ!
これがいつもの彼の口癖でした。
 
面白可笑しく書かせていただきましたが、
ヒットを作れる人というのはああいう人なんだなあと、
今だに自分はあの域にまでは達してないんじゃないだろうか
などとも思ったりします。

そして、ああいう職人がいなくなったなあ、
とこれを書きながら妙にセンチメンタルな気分…。

もっとも当の渋谷さん、今ごろ天国で
「おい宮住、俺がいないと思って好き勝手書きやがって。 
 ま、でも俺様のことをそれだけ書けるってことは、
 お前も少しはマシになってきたのかなあ。ワッハッハ。」
と高笑いしてるのでは。

心からご冥福、お祈り申し上げます。

(感想 2006/6/21)
これも長いなあ。
それにしても、酒飲みて〜。
ドンチャン騒ぎしたい〜。

あと2日だ…。

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〜2005 エッセイ 1  

June 20, 2006

クレージー・キャッツの話 最終回

2002年6月28日(金) No.14
「クレージー・キャッツの話」最終回

クレージーの唄が人生哲学であり、
人間の煩悩を見事に言い当ててると
再三再四言ってきましたが、極め付けがコレ!

『ホンダラ行進曲』!!
子供の頃は、
なんてことない一連のあほ・ソングだと
思ってましたが、
いやあ、この唄は深い!

年を取るにしたがって、
もっと早くこの唄の真の意味に気づいていれば、
数々の失敗のいくつかは防げたのではないかと後悔。
ホントです。

   ひとつ山越しゃ ホンダラッタホイホイ♪
   もひとつ越しても ホンダラッタホイホイ♪
   越しても越しても 
   ホンダラホダラダホイホイ♪

どうです?
「勝って奢らず負けて腐らず」の人生哲学が、
浮き彫りになってくるじゃありませんか。
そしてサビ!

   どうせこの世は ホンダラッタホイホイ♪
   だからみんなで ホンダラッタホイホイ♪

(合唱)
   ホンダラダ ホンダラダ
   ホンダラホダラダホイホイ♪
   ホンダラホダラダ ホンダラホダラダ♪
   ホンダラホダラダホイホイ♪
   ホンダララッタ ホンダララッタ♪
   ホンダラホダラダホイホイ♪♪

まいった…。

「わかっちゃいるけどやめられねえ」に始まり、
「とかくこの世は無責任」
「そのうち何とかなるだろう」ときて最後は、
「どうせこの世はホンダラッタ ホイホイ」

今の時代に必要なのは、
この開き直りであり、
この明るさではないでしょうか。

それから彼らが作り出した流行語
「無責任」「ゴマすり」「ショボクレ」「サバ読む」
「C調」「およびでない」「ガチョーン」
これ、今でもぜーんぶ生きてます。

流行語というのは必ず死語になる。
これが宿命。
しかし、このクレージー語録は死語にならない。
だからこそ人間哲学であり煩悩であるという
結論に達するのです。

そして、この一連の唄の詞を書き、
これらの言葉を産みだしたのが、
あの青島幸男さん。
青島さん、あんたは偉い!!
こんな偉大な人を
東京都知事なんかにしちゃいけません。
選んだ人、反省しなさい!

あなたは宗教家になるべきだ。
あなたが「アホダラ教」なる教団を作られたなら、
私は即座に入信します。

そして、この一連のヒット曲の背景には、
東芝レコードのプロデューサーだった
渋谷森久という人が、
大きく関与しています。
次回はその渋谷さんという人のお話。
おもしろいですよー。
 
(感想 2006/6/20)
毎晩サッカー見過ぎで眠い。
でもピロリ菌退治で、
今お酒飲めないから、
ちょうどいいかもしれません。

でも、そろそろ盛り場が恋しい。
あと、三日…。

SHUN MIYAZUMI

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〜2005 エッセイ 1  

クレージー・キャッツの続編

2002年6月19日(水) No.12
「クレージー・キャッツ」の続編

『スーダラ節』が人間哲学と、
人間の煩悩を見事に言い当ててると先週書きましたが、
その後のヒット曲の数々も、
今思い出すと見事にこれに当てはまります。

『五万節』『ドント節』『ハイ!それまでよ』

『ドント節』とはこんな唄です。

  サラリーマンは〜 気楽な稼業と〜きたもんだ!♪
  (ここまでがスロー。ジャズでいうところのヴァース)
  二日酔いでも 寝ぼけていても♪
  タイムレコーダ ガチャンと押せば♪
  どうにか格好がつくもんさ♪
  ハッ チョッコラコイとパーにはなりゃしねえ♪
     あっそれ!
  ドンと行こうぜ ドンとね♪
  ドンガララッタ ドントドント 行きましょう♪

今こんな感じでやってたら即リストラでしょう。

それから『無責任一代男』

この頃から植木等といえば、
「無責任!」というイメージが定着。

この唄はすごい!
こうです。(ああメロディーも伝えたい…)

   おーれーはこの世で一番♪
   無責任と言われた男♪
   ガキの頃から調子良く♪
   楽して儲ける スタイル!

この唄のどこが哲学かというと、
それはラスト・コーラスにちゃんと…。

   人生で大事なことは♪(ほら、人生ときた)
   タイミングにC調に無責任♪
   とかくこの世は無責任♪
   コツコツやるやつあ ごくろうさん!

すごい。
30代のときに、
この曲の意味をもっと把握しておけば良かったなあ。

それから、『日本一のゴマスリ男』 
(ゴマスリという言葉も確かこの頃出来たのでは…)
これはこうです、

   ゴマをすり〜ま〜しょ みんなでゴマをね♪
   口からでまかせ 出放題♪
   手間もかからず 元手もいら〜ず♪
   すれ〜ば〜 す〜るほ〜ど〜
   チョイと(チョイと)チョイと(チョイと)
   チョイと(チョイと)チョイと(チョイと)
   春がく〜る〜〜〜♪

で、みんなで
   ハっ えらいやつあ おだてろ
   ゴマすってのせろ♪
   す〜れ すれすれ ゴマすれホイホイ!ッと♪
これは反面教師の唄。

「モーレツ社員」なんて言葉が流行ってた60年代。
高度経済成長の合言葉に踊らされてた、
日本サラリーマン諸氏に対する警鐘と取れなくもない。

『ショボクレ人生』てのも傑作。

『黙って俺についてこい!』なんてのもあった。

   ゼニのないやつあ 俺んとこへ来い♪
   俺もないけど なんとかするさ♪

   見〜ろよ青い空 白い雲♪(???)
   そ〜のうち何とか な〜るだろ〜♪

とまあ、なんとも無責任な…
でも落ち込んだとき、
随分この唄には助けられました。

これらをタイトルにした映画もいっぱいあって、
ほとんど見たんじゃないかな。
どれもこれも腹の皮がよじれる程傑作でした。

その昔、やはりクレージー信奉者の大瀧詠一氏と
こんな話だけで、
朝の6時まで盛り上がった亊がありました。

それから私の中学校の頃からの親友のO氏とは、
カラオケで『クレージー・メドレー』なるものを
3回連続で一緒に唄い、
4回目を断られたこともあります。
単にコミック・バンドでは片付けられない、
奥の深さがあるんです。クレージーって。

(感想 2006/6/19)
長いですねえ、コレ。
自分ひとりで、盛り上がってる感じ。
ところで私、
現在ピロリ菌退治で、禁酒中。
ただいま三日目。

つらい…。

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〜2005 エッセイ 1  

June 12, 2006

名古屋ケントス その5

初日のレコーディングも無事終了。

我々レコーディング・スタッフは、
ここ数ヶ月、頻繁に名古屋を訪れてる丹羽くんの、
「ま、私についてきて下さい。」
の自信たっぷりの言葉に促され、
いざ『ひつまぶし』を食さん、
と後についていった次第。

その前に、
この丹羽くんという人、
ちゃんと説明しなくてはいけませんね。

彼は、私の大学のサークルの2年後輩。
現役時代は、
メイナード・ファーガソンばりのハイ・ノート
でブイブイ言わせた、素晴らしいトランペット奏者でした。

その後ワーナーに入り、
主に洋楽のプロモーションを手がけ、
現在もフリーでいろんなプロジェクトを手がけてる、
なかなかのやり手です。

と言うと、いかにもダンディーな業界人を連想しますが、
その風貌は、いささかドラエモン風。

鳥はまったく食えず、
(せっかくの名古屋なのにもったいない)
肉が大好き。
したがって当然のことながら、
ぽっちゃりとした小太り体型で、
それはそれでなんとなくチャーミング。
性格極めて温厚で、
私は、学生の頃から
実に可愛がってあげてるのです。(ほんとか?)

今回のレベルスも、
彼が発見して、
それをミューチャーというレコード会社に売り込み、
彼はそのバンドのマネージメントをやる、
というのが役目。

彼の後を、
餌を求めた子犬のようについていく面々は、

レコード会社のディレクター田中くん、
(彼はWAXもタタヤンも担当です。)
うちのディレクターのショーちゃん、
エンジニアの須藤くん、
(彼も女子十二楽坊、スタジャン、WAXなど、
 ここんとこずっと私の相棒。)
それに、ライブ・レコーディングの機材&オペレーター
をお願いした、「ムーヴ」という会社の人たち3人、
それに私の総勢7人。

いくつもの路地を越え、
大通りを横切り、
また路地に入り、
これを越え。

彼は、「もうすぐです、もうすぐ。」
と言うのですが、
これがなかなか着かない。

せっかちでわがままな私。
「こんな距離だったら、
 タクシーでも良かったんじゃないの?」
とさっそくダダをこねる。

すると、ツアー・コンダクターの丹羽くん、
何言ってんですか、しゅんさん。
 そんな距離じゃないですよ。
 それに、我々くらいの年になったら、
 歩かなくちゃだめですよ、歩かなくちゃ。」

ま、それもそうだ、
と、
小奇麗で、
酒のさかなも豊富で、
粋ないでたちの料亭を想像する私は、
しぶしぶ歩いてついていったのであります。

そうこうするうちに、
大きな通りに出ました。

きれいなビルの立ち並ぶ通りで、
銀座で言えば4丁目。
ニューヨークなら、5番街はティファニーのあたり、
を連想させるようなところ。

その一角に、
「松坂屋」というデパートがあります。

そして丹羽くん、
何を思ったか、
「さ、着きました。」
と、この「松坂屋」に
スタスタと入っていくではありませんか。

「デ、デパート?」
と私。

「そうですよ。ここの10階。
 うまいですよ、ここの‘ひつまぶし’は。」
と、丹羽くん。

つづく

SHUN MIYAZUMI

さ、これからライブだ。
サッカーに興味のない方は、
ぜひお集まり下さい。

「日本チャチャチャ・ブルース」
でもやって、盛り上がりましょう。
(ちょっとヤケ気味…)

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2006 エッセイ 

June 10, 2006

クレージー・キャッツのお話

2002年6月13日(木) No.11
『クレージー・キャッツ』のお話

小学校4、5年生の頃(昭和36,7年?)
『シャボン玉ホリデー』という人気バラエティーに、
突然変なオッサン達が登場、
あるうたを唄い始めました。

みなさんご存知の『スーダラ節』。

いやもうビックリ!
「なんだなんだこの歌!」と口あんぐり。
翌日学校ヘ行くと、みんなこの話題で持ちきり。

以来我々男子生徒はみな、
右手をブラブラと例のあのスタイルで
『スースースーダララッタ〜♪』と植木等のマネ。
そしてそれを冷ややかな目で眺める女子達。
 
こうして「ハナ肇とクレージー・キャッツ」、
というより“植木等”は、
私のなかで強烈なデビューを果たしました。
 
普通流行歌というのは、
時代とともにその鮮度が失われていくものですが(特に詞)
この『スーダラ節』という歌は今だに不滅です。

なぜでしょう?

それは見事に人生哲学と、
人間の煩悩そのものを言い当ててるからなのです。

     ちょいと一杯のつもりで飲んで♪
     いつの間にやらハシゴ酒♪
     気がつきゃホームのベンチでゴロ寝♪
     これじゃカラダにいいわきゃないよ♪
     わかっちゃいるけどやめられねえ♪
     ア、それ!

ときて、
例の♪スースースーダララッタ スラスラスイスイスイ♪
に突入していくわけですが、
(ああ、メロディーをお伝えできないのが、なんとも歯がゆい)
どうです?今だになんにも変わってないでしょ。
 
40年も前にできた歌ですよ。

 実はハナ肇とクレージー・キャッツというのは
、実力のあるジャズのコンボで、
はじめはお笑いなんかやりたくなかったらしい。
(谷啓なんかは「スイングジャーナル」誌の人気投票で
 いつも3位以内にいるトロンボーン奏者だったのです)。

植木等という人も実は真面目な人で、
こんな歌を唄うのが嫌で嫌で、
最後は父親に相談に行ったらしい。
(この人の実家は三重県のとある寺。
 つまりお父さんは住職さん。)
 
で、そのお父さんが詞をみて開口一番!
「おい等、この詞はすごい。
 人間の煩悩を見事に言い当ててる。ぜひ唄いなさい。」
 と勧めてくれたとか。

彼らの秘めたるボードビリアンの才能を見抜いて、
ギャグ・バンドに仕立て上げた、
渡辺プロダクションの企画力。
東芝の名(名物?)プロデューサー渋谷森久さん
(この人のお話もいずれ)、
青島幸男、萩原哲晶の作詞作曲コンビ。
そして、このお父さん。
 
見事なスタッフワークを後ろ盾に、
クレージーはこの後、歌にTVに映画に、
華々しい活躍をしていったのです。
 
『わかっちゃいるけどやめられねえ』か…。

見事です!

(感想 2006/6/10)
ワールド・カップ初戦
「ドイツ-コスタリカ」戦
みなさん観ました?

いきなりすごい試合でしたねえ。
イチローも絶好調だし。

こりゃ、仕事にならんわい。

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〜2005 エッセイ 1  

June 09, 2006

またまた映画の話

2002年6月6日(木) No.10
またまた映画の話

めっきり夏めいてきました(早すぎる)が、
皆さま如何お過ごしでしょうか。

とは言っても世の中サッカー一色ですね。
「日本-ベルギー」戦は私も興奮しました。
で、このまま勝ち進むと、
今月のライブはバッチリ重なってしまいます。
う〜ム…複雑。

でもサッカーはビデオに収録して、
スタジャンのほうにお越しいただけるものと、
淡く希望をいだきながら、
またまた映画の話。
 

昭和30年代の終わりから40年代にかけての映画界は、
東宝の時代だったのでしょうか。

黒沢明や稲垣浩のリアルな時代劇、
に夢中になりつつも、
一方で、カップリングとしての、
数々の娯楽シリーズがこれまた大好きでした。
 
まずは森繁久弥の『社長シリーズ』。

いかにも大会社の社長にぴったりの森繁さん。
でもこの社長、どこか頼りなくてちょっとエッチ。
出張ともなると必ず銀座のママ(淡路恵子)か、
若いホステス(団令子)を誘うのですが、
嗅ぎつけた奥さん(久慈あさみ)に先回りされていつも失敗。

脇役も適役ぞろいで、
社長の浮気をフォローしつつも、
どこか間の抜けてる重役に、有島一郎と加東大介。

出張ともなると、
芸者を上げてのドンチャン騒ぎしか頭にない、
部長の三木のり平。

インチキ・ブローカーで、
いつも変な日本語を話すフランキー堺。

このドタバタにいつも困り果てながら、
ちゃんと巻き込まれていく社長秘書に小林桂樹、
その奥さんに司葉子。
そして、ストーリーはいつもワンパターン。
 
余談ですがこの社長、
私が敬愛する某音楽事務所の社長に
どこか似てるところがあって、
いつも妙な親近感を覚えます。
 
これらの俳優に伴淳三郎を加えた、
『駅前シリーズ』というのも人気ありましたが、
これは私にはイマイチ。

やはり森繁という人は商店街のオヤジよりは、
「社長」のほうがピッタリのようです。
 
それから加山雄三の『若大将シリーズ』。

スポーツ万能、作詞作曲に唄、
ピアノにエレキ・ギター(なんとトラディショナルな響き)
まで弾いちゃう出来すぎ野郎。

田中邦衛扮する青大将と、
マドンナ(星由里子)を取りあうのですが、
もちろん勝負になりません。

当時僕ら男子生徒(中学生)のなかには、
加山若大将にでもなったつもりで、
「ふたりを〜ゆうやみが〜♪」(『君といつまでも』)
なーんて気取りながら唄ってるやつが大勢いました。

ちょうどケンさん(高倉健)のヤクザ映画を
見終わったチンピラが肩をいからせて出てくる、
あれと一緒です。

そしてこれもいつもワンパターンの展開。

この日本娯楽映画におけるワンパターンの美学が、
続く「寅さん」に結実しちゃうのでしょうか。
(いささか評論家風)
 
でもなんといっても極め付きは、
ハナ肇とクレージー・キャッツ!
というより、
植木等を中心とする『クレージー・シリーズ』。
この続きはまた来週!

(感想 2006/6/9)
そうか、4年前のちょうど今頃でしたか、
「ワールド・カップ 日韓協同開催」は。
月日の経つのは早いものです。

今日からですね。
ドイツ大会。
日本がんばれ!

なあんて言いながら、
来週6/12(月)は、
「ALL OF ME CLUB」でピアノ・トリオ・ライブ!

「日本-オーストラリア」戦と、
バッチリ重なってしまいました。
ガクッ。

でも、若いシンガーが、
いっぱい遊びに来てくれそうなので、
がんばります。

サッカーに負けないぞー!

(実は観たい…)

SHUN MIYAZUMI

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〜2005 エッセイ 1  

June 07, 2006

名古屋ケントス その4

06/6/6

6がみっつ並ぶという不吉な一日も、
何ごともなく過ぎ去りました。
みなさん、
大事ないですかあ?

というわけで、
名古屋ケントスのつづき。

4月2日(日)
いよいよ、レベルス
レコーディングの初日です。

前日も夜中の2時半までライブをやってたというメンバー。
眠そうな目をこすりながらお昼の12時に集合。
客のいないケントスでは、
朝早くから録音スタッフが、
万事抜かりなくセッティング。

で、私が要求したことは、
普段のライブの倍以上の音量で、
ガッツむき出しで演奏すること。

いつもの営業では、
お客さまに、うるさすぎないよう、
適度な音量で演奏してる彼らゆえ、
最初はかなりとまどいがあったようですが、
「ガッツだ!」「元気がないぞ!」
を、アニマル浜口のように連発する私に乗せられて、
次第にヒート・アップ。

きょうのところは仮歌の双子ちゃんにも、
いつものライブのように、
踊ったりしながら、メンバーを乗せるように指示。

私も、踊ったり、指揮したり、走り回ったり、
とにかく若々しくて、活きのいい演奏を引きだすため、
老体にムチ打って、
体中で音楽を表現しまくってたわけです。

最初は硬かったメンバーも、
次第に慣れてきて、
いい感じの演奏になってきました。

曲はすべてオールディーズ。
私が子供の頃に慣れ親しんだ名曲ばかりで、
ディレクションしながら、
こっちも熱い熱い。

ザ・ピーナッツの「恋のフーガ」「恋のバカンス」
「素敵な16才」「バケーション」「ボーイハント」

いやあ、懐かしいですなあ。
これを、当時はもちろん生まれてもいない人たちが、
今目の前で熱い演奏を繰り広げてる。

正直、
この仕事は誰にも渡したくない、
と思いました。

ほとんどノー・ブレークで11曲。
取り終えたところで、タイム・アップ。
お店は夜の営業があるため、
急いで片づけて、
きょうのところは終了。

終わったらメンバーも私もグッタリ。

でも、順調なすべり出しです。

あしたもがんばりましょう、
ということで、メシ。

私「丹羽くん、どこ連れてってくれんの?」
丹羽「名古屋といえば‘ひつまぶし’。
  ま、私についてきてください。」

つづく

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2006 エッセイ 

June 06, 2006

映画の話、その6

2002年5月31日(金) No.9
映画の話、その6

5/25の慶応カルア会(サテンドール)、
5/30「J」のライブも無事終了。
来週ちょっと演奏活動はひと休み。
もっとも世の中ワールド・カップで、
ちょっとしたお祭り騒ぎかもしれませんね。

今回も映画の話、その6。

昭和30年代も後半になると、
東映時代劇にかわって、
もっとリアリティーのある時代劇に、はまって行きました。
殺陣まわり時、バサバサっと音のするあれです。

それを生み出したのが黒沢明。
そう、あのクロサワ! 

時代考証もメイクも、
現存する江戸時代のモノクロ写真を見るようなリアルさ。
なにせ館の前に陣取り、風に砂じんが舞うシーン欲しさに、
1週間もカメラを回しっぱなしにするという徹底ぶり。

三船敏郎の豪快な演技とあわせて、すっかり魅せられ、
あれほどお世話になった東映ものも、どこかに行っちゃいました。
 
ま、ここで有名な黒沢作品を論じるのも野暮ってもんですし、
単に一ファンとして、
勝手に私の好きな黒沢映画ベスト・ワンを、
選ばせてもらうと、

それはですね、
『椿三十郎』って映画なんですよ。
 
例えば『七人の侍』も、それは凄い。
でも凄すぎて、しかも長いので、
リピートするには相当の心構えがいる。

モノクロのほうが絶対リアルなので『影武者』でもない。
時代劇のほうが絶対いいので『天国と地獄』でもない。
娯楽性がないといやなので『生きる』でもない。

となると絶対コレ!
 
この映画、有名な『用心棒』
(マカロニ・ウエスタンのモデルになったやつ)の続編。
ある藩の家老の不正を正すために立ち上がった
頼りない若手藩士たちを、
見るに見かねて助っ人するハメになった一素浪人の話。

ユーモア・センスも抜群で、とにかく楽しい。
迫力も満点。
そして黒沢映画に欠かせない佐藤勝さん(有名な現代音楽家)
の音楽もバッチリ。

そしてあのラスト・シーン!
 
三船と仲代達矢の対決シーン。
なが〜い沈黙のあと、
キーン!という耳をつんざくような効果音とともに、
勝負は一瞬にして決まります。
そして仲代の胸からブワ〜ッと吹きだす血。

初めて映画館で見たとき(小学校5、6年だったかな?)
心臓が飛びだしそうでした。

いやあこのリアルさじゃ、
東映時代劇がすたるのも無理はないと
幼心に思ったものです。とにかくカッコいい〜!
 
で、当時は映画は必ず2本立て。
黒沢は東宝なのですが、
そのカップリングの娯楽作品がこれまた傑作ぞろい。
『社長シリーズ』『若大将シリーズ』『クレージー・シリーズ』などなど。
次回はそんなお話。

(感想 2006/6/6)
うわっ、6がみっつ並んでる。
不吉な…。
今日はみなさん、
気をつけましょう。

「オーメン」を観たことあるひとしか、
分かりませんか?

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〜2005 エッセイ 1  

June 03, 2006

東映時代劇はミュージカルだった

2002年5月23日(木) No.8
『東映時代劇はミュージカルだった』の巻

さて今週は、《東映時代劇はミュージカルだった》の巻。

昭和32〜35年(私が小学校低学年の)頃、
私の最大の娯楽は東映時代劇を見ることでした。

場内が暗くなり、スクリーンにあの、
岩場に波が打ち寄せて三角の【東映】マークが登場すると、
もう血わき肉躍り、小さな胸は高鳴りっぱなし。

当時の俳優はみな映画会社専属だったのですが、
それにしても東映の抱えてるラインナップのすごいこと!
そして各々がちゃんと当たり役を持っている。

まず御大の片岡千恵蔵の『遠山の金さん』
市川歌右衛門は『旗本退屈男』
ちょっとお兄さん格、
大友柳太朗の『丹下左膳』もカッコ良かった。

それから活きのいい若手、中村錦之助の『一心太助』。
(彼は「森の石松」なんかやらせても、
 ちゃきちゃきで爽快そのもの。)

ここで大久保彦左衛門を演じてるのが好々爺、
月形龍之助。
その彼の当たり役は何と言っても『水戸黄門』。
この月形という人は剣道も6段の腕前で、風格がある。

だいたい黄門さまといえば先の副将軍でしょ。
このくらい気品がないと…。
TVのシリーズなんてみなそのへんの
“酒場のおやじ”みたいのばっかし。
それと、この人は悪役をやらせても実にうまい。

この月形黄門がしたがえてる助さん、格さんに
里見浩太朗と東千代之介という二枚目。
で、道中唄なんか歌っちゃう。
(これって、ミュージカルのスタイルですよね。)
 
そして何と言っても私が一番シビれてたのが、大川橋蔵!
美剣士をやらせたら天下一品で、
『新吾十番勝負』シリーズなんて全部見ました。
哀愁味のある声と雰囲気で、すごい人気でしたね。

この人は股旅物も得意で、
『旅笠道中』では、鳥追い女にふんした美空ひばりが、
これまた道中唄っちゃったりする。
でも今思うとストーリーなんかお構いなしの歌だったりして。
笑っちゃいますけど、おおらかだったんですね。
 
悪役には山形勲か進藤英太朗。
女優陣は、
主役級にキュートな丘さとみと桜町弘子。
品のいい若奥方に大川恵子。
威勢のいい江戸っ子鳥追い女の千原しのぶ。

それからおっちょこちょいな堺駿二(堺正章のお父さん)も
名わき役として、いい味してましたなあ。
 
で、年に2本、(お正月とか夏休みとか)
このオールスターが勢ぞろいの共演ものがある。
出し物は『清水次郎長東海道』か『忠臣蔵』。
それから夏にはご親切にも怪談物。
(『四谷怪談』とか『番町皿屋敷』とか。)
怖いくせに、こんなのもぜーんぶ見ました。

最初は父に連れられて行ってたんですが、
出し物が変わるたびに、
映画館の前で、一人物欲しそうに看板見てたら、
ある日映画館のオジサンが、
「いいよ坊や、入んなよ。」と入れてくれたりして。
以来、ほとんどをタダで見ることができました。。
いい時代だった…。
 
そして、最後は決まって江戸のお祭りシーン。
みんなで“ソレソレ”と、
ミュージカルよろしく唄って踊っているうちに、
(どうです。東映時代劇って、立派なミュージカルなんですよ!)
カメラが上の方にズームしていくと、
これまた決まって富士山。そのむこうから【完】の文字がやってくる。

このワンパターン。
このワンパターンに憧れて何度劇場に足を運んだことか。
 
思い出すも興奮のあまり、ものすごい長さになってしまいました。
ご容赦。
(しかし、この話、40以下の人にはチンプンカンプン?)


(感想 2006/6/3)
このあたりから、
俄然このエッセイも、
バカバカしさが露呈されてきます。

「話がオヤジくさいから、もう読まない。」
と、去っていった女性ピアニストもいれば、
「おもしろいからもっと書け!」
という激励のメールも寄せられたりして、
かなりの問題作だったんでしょうね、これは。
(おおげさな)

SHUN MIYAZUMI

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〜2005 エッセイ 1  

オンチは楽器がうまくなる

きのう、
ベースの河野氏からのメールで知ったのですが、
カシオペアのキーボード奏者、
向谷実くんが、
オンチは楽器がうまくなる
という本を出しました。(草思社)

その中の「名プロデューサーとの出会い」(P.208)
というくだりで、
私のことを書いてくれてます。

ちょっと照れくさいくらい、
褒めすぎなのですが、
ま、ここは素直に喜びましょう。

随分会ってないけど、
今度メシでも奢らなきゃいかんかなあ。(笑)

何はともあれ
むかちん、
どうもありがとう!

with Mr.Mukaiya

おっと、、若い!

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June 01, 2006

名古屋ケントス その3

4月1日
いよいよレコーディングのため、
夕方の「のぞみ」で名古屋にのりこむ。

私は新横浜からが便利なのですが、
名古屋までたったの1時間23分で着いてしまう。
すごい時代になったもんですねえ。

さてこのレベルスというオールディーズ・バンド。
とにかく「名古屋ケントス」では凄い人気で、
月曜から土曜まで、
毎晩5ステージのライブをこなすという、
(金、土は6ステージなので終了は夜中の2時半)
超ハードな毎日を送っているバンド。

130席もある大きなライブ・ホールなのですが、
週末などはいつも満員。

双子の可愛い姉妹がメイン・ヴォーカル、
(そう、まるで現代の『ザ・ピーナッツ』なのですよ。)
さらにはギターの二人も時々ヴォーカルを取ったり、
『ベンチャーズ』物のインストも交えたりの、
バラエティに富んだ、かつスピーディーな構成で、
聴くものを飽きさせない。
しかもみな若い。
つまり後付けオールディーズ・バンド。

そして驚いたことに、
演奏がはじまると、
ステージ前の通路に、ドバーっとお客さんが立ち並び、
ヴォーカルの女の子のつけた振り付けを真似しながら、
踊り狂うのです。

もちろん曲はすべて50年代、60年代の
アメリカン・ポップス。
その時代が青春の50〜60才くらいの人ならわかる。
ところが、
若い20代の人たちも、おじさんおばさんに混じって、
ぎんぎんに踊って、大騒ぎ。

宣伝主体のレコード会社、
「ミューチャー・コミュニケーションズ」が
着目したのが、
ライブを見てわかりました。

そこで方針変更、
このライブの熱い雰囲気とグルーブを出すには、
慣れないレコーディング・スタジオで、
ヘッドフォンを付けた緊張感の中でやらすより、
この「ケントス」で、客のいない昼間、
ライブ・レコーディング機材を持ち込んでやるほうが、
彼らも普段通りのリラックスした感じで演奏ができ、
結果いいものになりそうな気がして、
レコード会社、お店にもお願いして、
このスタイルで行かせてもらうことにしたのです。

それに結構な広さだし、
天井も高いし、
臨場感のあるいい音が録れそうな気もしましたし。

録音は明日からですが、
エンジニアの須藤くん、
それにライブ録音チームの3人に、
まず会場とバンドの雰囲気を見てもらうために、
先乗りしたわけです。
もちろん企画立案者でマネージメント担当の
丹羽くんも一緒。

あしたは、ミューチャーのディレクター田中くんと、
私の相棒ショーちゃん(湯浅昭二)大先生が、
来ることになっております。

つづく

SHUN MIYAZUMI

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2006 エッセイ