October 2006

October 28, 2006

私と映画音楽「たんぽぽ」

10/27(水) 「代々木ナル」
CHIHARU(チハル)とのライブにお越しのみなさん、
ありがとうございました。

いやあ、燃えました。
やはり彼女のジャズは本物ですね。
ついついこっちも本気で乗っかってしまう。

実に楽しい。

次回このセッションは、1/31(水)です。
まだの方、ぜひ!


さて今日は、
伊丹十三監督の映画 『たんぽぽ』
のお話。


さっき調べたら、
「1985年公開」となってましたから、
ちょうど私がアルファを辞めて、
フリーになった頃のことですね。

(といっても、もう20年以上も前の話か。
 月日の経つのは早いものだ…。)


またまた村井邦彦さんから、
「おい、しゅん、また映画音楽やるぞ。
 手伝え。」
と電話がありました。

『お葬式』という映画で、
一大センセーションを巻き起こした、
伊丹十三監督の、
新作映画の音楽制作です。

わーい。

さっそく村井さんと、
調布の撮影所に伊丹さんを訪ね、
上がったばかりのラッシュを見せてもらい、
監督と入念な打ち合わせ。


いやあ、
この映画は最高でしたね。

私のような素人でも、
ラッシュを観た段階で、
「こりゃヒット間違いなしだな。」
と確信しました。


ある雨の夜、
タンクローリーの運ちゃん(山崎努)が、
とある、さびれたラーメン屋に飛び込む。

小学生の男の子をかかえた母親(宮本信子)が
一人で経営してるのだが、
その店のさびれ方のひどさと、
ラーメンのまずさに驚く。

そしてひょんなことから、
このラーメン屋の再生に力を貸すことになり、
ついには、行列のできるお店にまで仕上げて、
最後は西部劇『シェーン』よろしく、
颯爽とタンクローリーに乗って去っていく。

その間に、
『食』をテーマにした、
いろんなエピソードを、
面白可笑しく交ぜていくというコメディーで、

そのアイディアとドラマ作りのすごさに、
「やはりこの監督はすごい才能だな。」
と驚いたものでした。


さて、この映画の音楽は、
「クラシックでいきたい」
というのが監督の希望。

そして、メイン・テーマは、
リストの『前奏曲』という曲。

これは、
「生は死への前奏曲である。」
という思想のもとに作られたらしい、
リストの有名な管弦楽曲。

そういえば、
最後のタイトル・ロールの画面は、
母親が赤ちゃんに乳を飲ませる、
というシーンでしたね。

「人間の最初の食事は、
 母乳である。」
という意味だったんでしょうかね。


「このリストの前奏曲だけは決定。
あとはおまかせします。」
と伊丹監督。


さあ大変。

村井さんも私も、
クラシックは大好きですが、
何でもかんでも知ってる、
というほどではない。

すると村井さん、
「そうだ!
 東芝EMIのHさんを仲間に入れよう。」
とひらめいた。

このHさん、

確かにすごいクラシック・マニアで、
その知識の豊富さと、
レコードのコレクションは、
驚くべきものでした。


一度彼のお宅にお邪魔したのですが、
家中どこへ行ってもレコードが山積み。

なんでも、
20,000枚以上はあるらしい。

特にすごいのが、
「室内楽」の分野で、
庭にある蔵のなかに、
約6,000枚という膨大な量のレコードがあった。

「これ全部『室内楽』なんですよ。
 特にベートーベンの‘弦楽四重奏曲全集’は、
 世界で発売されてるものは、
 すべて揃ってるんじゃないかな。」
とHさん。

確かに、ひとつのグループで、
10何枚組かはあろうかというベートーベンが、
ずらーっと30数種類揃ってた。

ただ、
「でもこれって、興味のない人にとっては、
 ただのガラクタにすぎないんでしょうね。」
と、ポツリと寂しそうにおっしゃったのも、
妙に印象的ではありましたが…。


「ガラクタだなんて、とんでもない…。」
と私は思う。

ただ、
稼ぎのほとんどが、
‘酒代’に消える私から見れば、
なにやら別の世界から来た不思議なお方、
のように見えたのも事実、

ではありました。


そしてHさんは、
「マーラーを中心に組み立てたら、
 いいんじゃないかな。」
ともおっしゃる。

それまでマーラーの交響曲は、
「やたら長い。」という理由だけで、
なんとなく敬遠してた私でしたが、

あらためて聴いてみて、
確かにこれはピッタリかもしれない、
と思いました。

おかげさまで、
以来私は熱烈なマーラー愛好家。

そういえば、
スピルバーグの映画音楽を一手に担う、
ジョン・ウィリアムスも、
いたるところでマーラーの香りがプンプン。

マーラーの音楽にある「劇的」要素や、
ドラマチックなオーケストレーションが、
映画にはピッタリなのかもしれません。


このHさんの助言を参考にしながら、
「このシーンには、
 マーラーの第五交響曲の2楽章の冒頭。」
とか、
「このシーンには、
  第六交響曲の4楽章のこのあたり。」
などなど、

毎日毎日ミーティングを重ねる、
村井さんとHさんと私。

そしてようやくプランが完成して、
監督のオーケーをもらう。


余談ですが、
先日WOWOWで、久しぶりに、
この『たんぽぽ』を観たのですが、

キザなやくざに扮した役所広司と愛人が、
ホテルの一室で、
卵の黄身をつぶさないように、
交互に口移しするという、
アホなシーン。

そこに流れるのは、
有名なマーラー第五の4楽章のアダージオ。
(映画『ヴェニスに死す』でも使われ、
 一躍有名になった官能的なバラード。)

そのアホなシーンに、
真面目くさったマーラーが朗々と流れることで、
逆にアホらしさが倍増してることに、
今頃気がついた私。

「ああ、コメディーにクラシックというのは、
 こういう逆の効果を生むんだな。」
と、それを狙った伊丹監督のすごさに、
今さらながら感心したのでした。


ということで、
音楽プランもでき、
いよいよレコーディング。

ですが、

長くなったので続きは次回。


なんか、
ラーメン食べたくなってきた。


SHUN MIYAZUMI


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2006 エッセイ 

October 23, 2006

もうひとつの「火の鳥」

先日、私の「初レコーディング仕事」の話を書きました。

今日は、私の「初担当アーティスト」のお話です。


1974年。

なにもわからないまま、このレコード業界に飛び込み、
映画音楽「子連れ狼」の録音で、
みるも無惨な‘初ディレクション’をやってのけてから、
まだほんの数日後のこと。

今度は、上司のA課長から、
「宮住くんには制作の仕事をやってもらう。
 とりあえず 『火の鳥』 と 『小坂忠』
 というアーティストのディレクターをやるように。」

というお沙汰がありました。


ディレクターというのは、
今でいうプロデューサーのことですね。

そのアーティストが売れるような作品を作ったり、
作らせたりしながら、
一方ではスタジオで、
予算をにらみながら的確なディレクションをして、
レコーディングをすみやかに進行させる。

もっともアルファの場合は、
社長の村井邦彦さんが絶対的なプロデューサー。

最初の2、3年は、
村井さんの仰せのままに、
ただスタジオ・ワークだけをつかさどる、
文字通り‘ディレクター’という仕事でした。


さあそこで、私の担当になった 『火の鳥』。
(『小坂忠』さんのお話はいずれ。)

といっても、
前回書いた映画『火の鳥』とは、
なんの関係もありません。

関西で少し人気のあった、
当時流行りの‘ 和製フォーク・グループ’。

フォークとはいえ、
演歌っぽいニュアンスで唄うところが、
当時演歌では絶対的な力を誇ってた、
ビクターの目にとまるところとなり、
デビューと相成ったようです。


そのデビュー曲は、
『男と女のブルース』

なぜか彼らのオリジナルではなく、
作曲:村井邦彦、作詞:なかにし礼
という黄金コンビ。


でも、この曲、
私が担当になったときにはもう出来ていた。

したがって私の初仕事は、
制作会社アルファを代表して、
その宣伝会議に出席すること。

私ひとりでは不安だろう、ということで、
(あたりまえです。)
当時アルファで、
『ガロ』というグループのディレクターをやってた、
加藤さんという先輩がついて来てくれました。


朝10時に、青山にあるビクター本社に行くと、
全社員が集まって‘朝礼’をやってる。
私たちは当然待たされる。

偉そうな人が、
入れ替わり訓示を垂れたあと、
全員でビクターの社歌を合唱する。

そのとき私は、
ちょうど私たちの目の前にいたひとりの‘おっさん’、
に目がとまりました。


もうすぐ定年だろうというお年のその方は、
ずいぶん大柄で、頭は禿げ上がっており、油テカテカ。
腰には白い手ぬぐいをぶらさげ、
よれよれのシャツにだぶだぶのズボン。

さながら、東映時代劇の悪役の風貌。
そう、進藤英太郎さんにちょっと似てる。

そして誰よりも大声で、
声高らかに「ビクター〜♪ ビクター〜♪」
と唄う。

彼の席の前にいる若い宣伝マンの後頭部には、
このおっさんの唾が、
情け容赦なくふりそそぐ。

加藤さんは小声で、
「あのおっさんが ‘Y’っていう名物宣伝マンよ。
 ビクターひとすじ、演歌ひとすじでな、
 マヒナ・スターズや橋幸夫のころからいるのよ。
 当然‘ヒラ’なんだけどな、
 怒らせるとやばいから気をつけろよ。」
と、ヒソヒソ。


やがて朝礼が終わり、
ビクター側の制作担当の‘S’さんがやってきて、
「やあ、ようこそ。
 では宣伝会議を始めましょう。」
と、会議室に通される。

そのとき、
このプロジェクトの宣伝担当が、
さっきの ‘Y’ というおっさんであることを知り、
なんか嫌〜な予感。

そして会議。

集まったのは、
私たちと‘S’さんをのぞくと、
ほんの2、3人の宣伝マン。

‘Y’さんは、怒って、
「おい‘N’はどうした、‘T’はどうした。
 みんな会議だって知ってるだろ。」
と言うと、

「じゃ、僕が呼んで来ます。」
「いや、僕が呼んできます。」
と、出席している連中が軒並み退席。

そして入れ替わりに別の人が来るのだが、
呼びに行った人は帰って来ない。


加藤さんは心配そうに、
「しゅん、こりゃビクターやる気ないぞ。」

言われなくたって、
いくら新米の私でもそのくらいのことはわかる。


30分後、ようやく5、6人が揃い、
一応形にはなったところで、

‘Y’さん得意げに、

「えへん、ではこれから『火の鳥』の
宣伝会議を始めます。」

と、おもむろに黒板に向かって、

「火の鳥:雨の日のブルース」
と書いた。

ビクター一同大爆笑。


加藤さん小声で、
「しゅん、こりゃ売れねえぞ。」

「のようですね。」

これが私の記念すべき‘初・宣伝会議’。


案の定売れませんでした。


しかし、せっかく契約したんだし、
いいものは持ってるグループなんだから、
私は担当者として、
なんとかもう一回勝負させたい、

と懇願し、
今度は彼らのオリジナルで、
アルバムを作らせてもらいました。

これが私の記念すべき‘初・プロデュース作品’。


でも…、

それから何度かビクターに足を運ぶものの、
『火の鳥』のサンプル盤は、
その辺りにうず高く積まれているだけ。

つまり誰も動いていない。

それを ‘Y’さんに恐る恐る言おうものなら、
「うちはちゃんとやってるよ。
  お前みたいな新米に何がわかんの?
  売れないのはお前の制作が悪いからよー。」
と大声で叱られる。


『赤い鳥』や『ガロ』が解散目前。
『荒井由実』がデビューしたばかりで、
まだ一向に売れていない、

いわば‘新興音楽制作会社’アルファの悲哀を、
いきなり感じたものでした。

そして私にとっては、

またしても苦いデビュー…。


こうして、

残念ながら、

アルファが仕掛けた『火の鳥』は、
ミシェル・ルグランさん、深町純さんのサントラ、
そしてこのフォーク・グループと、
3作いずれもが惨敗、
という結果に。


永遠の生命をもたらすという『火の鳥』。

巨匠手塚治虫さんの普及の名作ですが、

ひょっとすると、
この鳥は実在していて、

その名前で一儲け企むような我々俗人には、
やはり微笑んではくれないのかも、
しれませんね。


最近、そんな気がしてきました。



さあ、10/25(水)は、久しぶりに、
CHIHARU(チハル)とライブだ。

素晴らしい女性ジャズ・シンガーですよ。
どうぞ「代々木ナル」にいらしてください。

お待ちしています。


SHUN MIYAZUMI


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2006 エッセイ 

October 20, 2006

私と映画音楽「火の鳥」

今、私の手元にある、
『レコード・コレクターズ』(10月号)には、

「77年暮れ、アルファ・アンド・アソシエイツは、
アルファ・レコードとして再出発した。」
と記載されています。

(そうか、あれは77年だったのか…。)


そして、アルファが、
『火の鳥』 という映画に投資したことも、
その主題歌を、フランスの大作曲家、
ミシェル・ルグランに依頼したことなども。

(そうだった、そうだった。)


きょうは、その 『火の鳥』 のお話です。


ある日、我々は会議で、

東宝が、巨匠手塚治虫さんの大作『火の鳥』
の映画化権を獲得したこと、
監督は名匠と言われている市川崑監督、
アニメではなく俳優による実写、
その映画に、アルファも投資することになったこと、

などを聞かされました。


社長の村井さんは、
「映画投資はリスクも大きいけど、
当たれば、収入も、
レコードのヒットとはケタが違うのよ。
ま、‘ハイ・リスク、ハイ・リターン’
 ってとこかな。ハハハ。」
と威勢がいい。

そして、その映画の劇音楽、
すなわち「サウンド・トラック」の制作担当には、
私が任命されたのです。


アニメじゃなく実写というのが引っかかるし、
あの口ぶりじゃ「億単位」の投資だろうな、
といささか不安な私でしたが、
新米の私が口をはさむ立場でもなく、

「わかりました。」と一言。


映画は、
あの長大な叙事詩 『火の鳥』の中の、
古代の日本が舞台になっている 「黎明編」。

配役は、
若山富三郎、由美かおる、田中健、
といった人たち。


私は原作を暗記するほど読んだのち、
撮影現場に市川崑監督やプロデューサーさんを
何度も訪ね、
台本を見ながら入念な打ち合わせ。

その結果これは、
シンフォニー・オーケストラを使った、
壮大なものにしたいと思いました。

もちろん派手好きの村井さんも全く同感。


実は、私は子供の頃から映画音楽が大好き。

なかでもとりわけ、
『ベンハー』 『エルシド』
といった古代ローマやスペインを舞台にした、
超スペクタクル映画のサン・トラが大好きでした。

ミクロス・ローザ作曲・指揮による、
ローマ交響楽団が演奏する雄大な序曲は、
それこそレコードの針がすり切れるくらい、
聴いたものです。

Ben Hur


私は絶対これでいきたいと思い、
ポップスの世界で活躍してるものの、
芸大作曲科で学んだ、
深町純さんに作曲を依頼しました。

演奏は新日本フィル・ハーモニー管弦楽団。


いやあ、このレコーディングは鳥肌ものでした。

ショスタコーヴィチの交響曲を思わせるような、
壮大なスケールの素晴らしい音楽、
そして彼も入念に台本を研究していて、
いろんな場面、場面に、
的確な音楽を丁寧に書き込んである。

全体には50分を超えようかという大作で、
これだけでもアルバムとしての聴きごたえは充分。


さらにそれを私は、
「このシーンにはこの音楽のこの部分を約5分。」
「このシーンにはここからここまでを約2分。」

といった具合に、
細かく台本に書き込んで、
音源と一緒にプロデューサーに渡しました。

さあ、あとは映画の完成を待つばかり。


常陸宮殿下・妃殿下もご列席の試写会で、
舞台挨拶に立った市川監督は、
「編集のため、この4日は徹夜の連続。
 ようやくさっき完成して、
 どうにかこの試写会に間に合いました。」

(それは、それはご苦労さまでした…。)

そしていよいよ映画が始まる。


が、

「……。」

「なんじゃこりゃ……。」



私は批評、評論のたぐいは好まず、
ましてや人さまの作ったものを批判する、

という行為は極力慎んでおりますが、

この映画の場合は、
投資までしているアルファ、
つまりクライアントに属する一員として、
言う権利はあると思うので、
言わせてもらいますが、

これは ‘歴史的愚作’
といってもいい代物だと思います。


さらにひどいのは音楽の扱いで、

深町さんの音楽は全くといっていいほど登場せず、
ミシェル・ルグランの書いたほうの、
それもごく3分くらいのものを、
ろくに考えもせず、
適当に何カ所か貼付けてあるだけ。


補足しますと、
このルグランの音楽は、
映画製作の話が具体化する以前に、
イメージだけで作ったもので、

この映画の音楽としては、
深町さんのものこそふさわしい。

いくら編集に時間がかかったとはいえ、
これは音楽というものを冒涜する行為だ、
と私は思いました。


気の毒なのは深町さんで、
映画の半分くらいのところで、

「 FU○K ! 」
と吐き捨てるように言い残して、
顔を真っ赤にして退場していきましたね。


当然ながら、映画は大コケ。

ルグランさんのレコードも、
深町さんのサン・トラ盤も、

まったくといっていいほど売れず。


このプロジェクトは、

‘ハイ・リスク、ノー・リターン’

になってしまったようです。


 〜 映画はこわいですねえ、
   はずれるとこわいですねえ、

   はい、もう時間来ました。
   それでは皆さん、

   サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ 〜

(最後は淀川長治さん口調でお願いします。)


SHUN MIYAZUMI

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2006 エッセイ 

October 17, 2006

私と映画音楽「子連れ狼」

毎日いい天気ですね。
さわやかで本当に気持ちがいい。

このまま冬が来なけりゃいいのに…。

さて、

ここんとこ映画音楽の話が続いてますが、
話ついでに、
『私と映画音楽』 と題して、
いくつか面白いエピソードをご紹介したいと思います。

きょうは、

私の記念すべき ‘初・レコーディング’
のお話です。


私が大学を卒業して、
ひとまずジャズ・ピアニストの道をあきらめて、
このレコード業界に入ったのが1974年。

そこは、
作曲家の村井邦彦さんが社長をつとめる、
「アルファ&アソシエイツ」という音楽原盤制作会社。
(後に「アルファ・レコード」というレコード会社に
 出世。)

当時は所属している‘ユーミン’もまだ売れてなくて、
社員が10人くらいの小さな会社でした。


まだ社会人‘一週間目’で、
業界のことなど、なーんにも解らず、
ただ漠然と会社に行ってるだけの私でしたが、
突然、村井さんから、
「しゅん、明日は日曜日だけど仕事だ。付き合え。」
という命令が下りました。

言われるままに、朝早く起きて、
麻布にある「アオイ・スタジオ」というところに行く。

するとそこでは、
ドラム、ベース、ピアノ、ギターといったリズム隊に、
弦楽器、管楽器、和楽器、ハープ、などなど、
大勢のミュージシャンが、
レコーディングの準備をしている。


「俺は何をすればいいのだろう。」
と、ひとりポカーンとしてるところへ、
村井さんが元気に登場。

「やあ、しゅん。おはよう。
 これから ‘子連れ狼’ という映画音楽の録音だ。
 君は調整室に入って、ディレクターをやるのよ。」

「デ、デ、ディレクターって何やるんですか?」

「録音の進行をやればいいだけよ。
 簡単、簡単。 さ、行った、行った。」

「……。」


なにも解らないまま、その調整室とやらへ。

そこは、宇宙戦艦ヤマトの操縦室のような部屋で、
わけのわからない機械がいっぱい。

ガラス越しに見る向こうの大きなスタジオでは、
さっきのミュージシャンたちが準備を終え、
今まさにレコーディングの開始を待ってるところ。

大きなテープ・レコーダーの前にいる、
アシスタント・エンジニアらしき人からは、
「さ、どうぞ。」 と言われたので、
仕方なく私は、
そのディレクター席とやらに座る。

となりには、
「よろしくお願いします。」
と、多分この方がレコーディング・エンジニア。

そして、後ろを見ると、
なんと主役の若山富三郎さんはじめ、
「勝プロダクション」の関係者がソファにずらり。

この頃から、ひたいにはあぶら汗。
胸はドキドキ。


すると指揮台に立ってる村井さんが、
「しゅん、こっちは準備OKだぞ。早く始めろ!」

「始めろ!」 たって…。

どうすりゃいいのだ…。


するととなりのエンジニアさんが、
ニコニコしながら、
「こちらも準備OKですから、
 どうぞ始めて下さい。」と、
卓からニョッキリ出ているマイクらしき物を見る。

私は、
「そうか、これで何かしゃべればいいんだ。」
と、そのマイクに顔を思い切り近づけて、
「ではみなさん。よろしくお願いしまーす。」
と叫んだ。


すると、

中のスタジオの人たちが一斉に、


「うわ〜〜〜っ!」と付けていたヘッド・フォンをはずし、
ハラホロ・ヒレハレの大騒ぎ。

「ばかやろー。鼓膜が破裂するじゃないかー!」
と怒号の嵐。


「あの、スタジオのマイクはとても感度がいいので、
 顔など近づけなくても、よく聞こえるんですよ。」
と親切なエンジニアさんは教えてくれる。

「こりゃ、新米の、ど素人だな。」とばかり、
テープをまわすアシスタント君はクスクス。

(今はマイクは調整卓に内蔵されてるので、
  こんなことにはなりませんが…。)


私は平謝りに謝って、
なんとかレコーディングの開始までこぎつける。

そしてスタジオの中には、
大きなスクリーンが用意されていて、
「子連れ狼」のシーンを見ながら、
みなさん村井さんの指揮に合わせて演奏開始。

「始まった…。」
と私も一息。

ところが、開始早々30秒くらいのところで、
私はギターのノイズらしきものを発見。

しかしかまわず録音は進むので、
「いいのかなあ。」と思いつつも、ついつい放置。

さて演奏が終わって、
「しゅん、どうだった?」
と村井さん。

私は例のギター・ノイズのことをおそるおそる言う。

途端に、
「ばかやろー、じゃそのとき止めろよ。」
と、またまたミュージシャンたちから怒号の嵐。


その後も、

「しゅん、どうだった?」
「いや、なんというか、
 まあ、いいんじゃないでしょうか。」

「まあいいとは、なにごとだー。
 お前それでもディレクターかー!」
とミュージシャンたち。


「しゅん、どうだった?」
「あんまり良くないのでもう一回行きましょう。」

「どこがどう気に入らないんだ。
 納得いくように説明しろよ。」
とミュージシャンたち。

(こりゃいじめだな…。)


後ろで見守る若山さんはじめ、
「勝プロ」の関係者も、
「こんなやつで、大丈夫かなー?」
と心配そう。


てな感じで、

惨憺たるものでした。

これが記念すべき(?)私の、
‘初めて’のディレクター仕事です。

ずいぶん乱暴な話でしょ。

ですよ。

村井さん。


でも、なにがなんだか解らないままに録音を終え、
しょげかえってる私に、
村井さんは優しく、

「しゅん、おつかれ。
 これ勤務外の仕事だから、ギャラあげるよ。」
と、5000円くれ、
「実は来週もあるんだ。
 こんどは ‘野獣死すべし’ という映画なんだけど。」

「えー、またですかー?」 と私。

(これ、後の有名な松田優作さんのじゃなく、
 藤岡弘というひとが主演した映画で、
 あまりヒットしませんでした。)

でも2回目は、少しはまともに出来ましたよ。

私も少し 「弦楽パート」 も書いたりして。


それにしても村井さんって、
映画音楽にも、
並々ならぬ情熱をお持ちだったんですね。

そして私といえば、
この「野獣死すべし」でも、
5000円のアルバイト料をいただきました。


社長自らアルバイトで映画音楽を書き、
社員にそれを手伝わせてバイト料をくれる。

このいい加減さは、
まさに私にピッタリ。


「ひょっとすると…、こりゃ、
  面白い世界に飛び込んだのかもしれないぞ。」

惨憺たるデビューから一週間後には、
早くもそんな予感に胸躍らせる、

ピカピカの一年生の私、


でした。


SHUN MIYAZUMI


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2006 エッセイ 

October 13, 2006

続・座頭市と私

10/11(水)の 『ALL OF ME CLUB』
SUITE VOICE との共演も無事終了。

たくさんのお客さんで大いに盛り上がりましたね。

それにしても、
「マンハッタン・トランスファー」
のレパートリーが中心の彼女たちの譜面は、
なかなかに手強く、
いつも緊張感でいっぱい。

でもうまくいったときの達成感は格別です。

次回、このジョイントは、07年1月24日(水)です。


さて、
3年前に書いた『座頭市と私』をリニューアルしたら、
勝新太郎さんのことを、
もう少し書いてみたくなりました。

というわけで今日は、


『続・座頭市と私』


勝さんの代表作といえば、
なんといっても 『座頭市』。

日本映画を代表する大傑作シリーズですね。

しかし、
勝さんという人の持ち味からみれば、
むしろ 『兵隊やくざ』 のほうが、
より実像に近いのではないかと思っています。


学もなく、やくざあがりで喧嘩っ早く、
しかも女好き、酒好きの
でもいっぱしの正義感はある二等兵(勝さん)が、
規律の厳しい軍隊で巻き起こす様々なトラブル。

なぜかそれを必死でかばう、
東大卒のインテリ上等兵(田村高広)。

そしてこのどうしようもない二等兵は、
この上等兵殿の言うことだけは、
不思議によく聞く。

でもついに堪忍袋の緒が切れた二人は、
悪辣な上官どもをぶん殴って隊を脱走、
そしてそのまま珍道中。

というハチャメチャなシリーズでしたが、
そのひっちゃかめっちゃかの、
二等兵に扮した勝さんの
「やんちゃ坊主」ぶりが、

なんだか 勝新太郎そのもの、
という感じがしてならないのです。


それが証拠に、
彼は一度ハワイに行く飛行機の中で、
大麻を所持していることが発覚して
逮捕されました。

なんでもパンツの中に隠し持ってたとか。

もちろん保釈金を払ってさっさと出て来ましたが、
その直後、記者連中に囲まれての受け答えを、
TVで見ていた私は、
腹がよじれるほど笑ってしまいました。


記者「勝さん、大麻所持とは本当なんですか?」
勝 「いやね、なにがなんだか、
   俺にもさっぱり解らないのよ。」

記者「でもパンツの中に大麻があったんでしょ?」
勝 「そこよ。そこが一番解らないところなのよ。」

記者「じゃなんですか、
   大麻が勝手に歩いて、 
   勝さんのパンツの中に入っていったとでも?」
勝 「そこよ。そうとしか考えられないんだけど、
   そこが不思議なところなのよ。」

などと、
もっともらしいしかめっ面をして答える勝さん。

メモを取る女性記者なんかは、
クスクス笑ってましたね。

質問する記者連中も、
あまりのバカバカしさに
「やってられないよー。」
と思ったに違いありません。

こんな人にかかったら、
法律もお手上げですよね。


さて話を、‘座頭市’に戻しましょう。

私が手がけたフジTV 『座頭市物語』には、
実はすごい主題歌があったのです。

勝さんの提案で実現したのですが、

なんと、

「勝新太郎と石原裕次郎のデュエット」!


本当はレコードのジャケットをお見せしたくて、
家捜ししたのですが、
残念ながら発見できませんでした。

どうも私は、
昔からレコードやCDの管理が悪く、
自分が作ったものですら、その多くを所持していない。

やったらやりっぱなし、
過去は振り返らない、
という性格に生まれてきたようです。


いずれにしてもそのジャケットは、

画面の左半分が座頭市の勝さん、
右半分が侍姿の石原裕次郎さん、

というもの。


ところが、これ、
厳密な意味でのデュエットではない。

だって二人は一度も、
一緒にレコーディングなどしていないのです。


まず私が、アルファのスタジオで、
勝さんの唄をレコーディングする。

そしてロビーで待機している、
テイチクのディレクターのTさんに、
マルチ・テープを渡す。

それを彼が持ち帰って、
テイチクのスタジオで、
今度は石原さんの唄をレコーディング。

そして再びマルチ・テープをもらった私が、
アルファ・スタジオでミックス・ダウン。


すごいですねえ。

昭和を代表する大スターのお二人の、

風格とプライドを見せつけられる、

ひとこまでした。


本当に惜しい人を無くしました。

私は、

勝新太郎のような偉大な役者は、
今後もそう簡単には出て来ないのではないか、

そう思います。



えっ?

「ところでそのレコードは売れたのか」

ですって?


「そこよ。
 そこが俺にも、
  
 さっぱり解らないところなのよ。」


SHUN MIYAZUMI


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2006 エッセイ | 〜2005 エッセイ 1 

October 10, 2006

座頭市と私

きのうの 『ALL OF ME CLUB』 にお越しのみなさん、
ありがとうございました。

祝日なのにすごい入りでしたね。
楽しんでいただけましたでしょうか。

次回このトリオは、11/13(月)です。


おっと、その前に、

明日(10/11)は、
素敵な女性コーラス・グループ、
「SUITE VOICE」との共演があります。

私のスポーツ・ピアノは、
中一日ではきついのですが、
頑張ります。

どうぞいらして下さい。


さて今日は、
かつて大好評(?)だった過去ログの再登場です。


2003年2月17日(月) No.36
『座頭市と私』


1977、8年頃だったと思います。

アルファのディレクターとして、
少しは仕事らしい仕事ができはじめていた頃、

社長の村井(邦彦)さんが、
「おい、『座頭市』 の音楽をやることになったぞ、
 手伝え!」と言ってきました。

何でも、
映画で大評判の 『座頭市』 をフジテレビがTV化。
その音楽を村井さんが作曲、
そのディレクションを私にやれ、
と言うのです。


さっそく村井さんと一緒に京都へ。
「太秦(うずまさ)」という撮影所での撮影現場や、
できあがったばかりのラッシュを見せてもらい、
勝新太郎さんやスタッフの皆さんと打ちあわせ。

打ちあわせが終わると、
勝さんが京都での定宿としてる
「フジタ・ホテル」というところで3人で食事。

その食事の間も、
勝さんはほとんど芝居の話。
口角泡を飛ばしながら、
熱っぽく演技と作品に対する思いを伝えてきます。

「ここで、こう、市がさあ。
  パっと抜き打ちぎみにバサッ!と」

などと殺陣の真似をすると、
あまりの迫力に思わず腰が浮いて、
椅子から飛び上がらんとする私。

そんな凄みがありましたねえ。

「やはり一流の役者は違う。」
とつくづく思ったのでした。


性格は極めて豪放磊落。
巷で言われてるとおりの方です。

新米の私にも、とてもよく接していただきました。

私が痩せていると言っては,
ご自分の肉をどんどんこっちの皿によこします。
(信じられないでしょうが、
 当時の私は52、3キロしかない痩せっぽちでした。)

「君はもっと食わなきゃダメだ。」
と言ってはどしどしよこす。

ありがた迷惑な話です。


この「フジタ・ホテル」というところは、
東京でいえば 「オークラ」 クラスの超一流ホテル。

で、食事中にボーイが、
何度か勝さんのところにメモを持ってくる。

その度に勝さん。
「よしっ!」とか「ありゃあ〜」とか熱く反応。

何がなんだか解らない私は、
「あのお、さっきから何やってるんですか?」
と恐る恐る聞いてみる。

するとメモには「大洋6-5阪神」とか書いてある。

なんと ‘野球賭博’ だったんですねえ。


食事が終わると勝さん、
意気揚々と、
「さあ祇園へ行こう!」

美しい美女たちに囲まれて、
またまた朝まで、
熱い ‘演技論’ にお付き合い。

上機嫌の勝さん、
「おい、ここの酒と女は最高だろ?」
「ええ、そうですね…。」
と若き日の私。

ありがた迷惑な話です。


それでも、翌朝は早くから元気に撮影に臨む。

東京でもそうですよ。
銀座の超高級クラブで朝まで飲んで、
そのまま朝いちばんの新幹線で京都へ。
そして撮影。

いやあなんという ‘タフさ’ でしょうか。


それから、

一度京都で、
珍しく勝さん自らが運転するご自慢の
‘ムスタング’ に同乗させてもらったことがあります。

すると勝さん、
一方通行の小道を逆に進んでいくではないですか。
もちろん飲酒です。

出口にはしっかりおまわりさんが、
怖い顔をして、いました。

おまわり「ちょっとちょっと、一方通行だよ、
 だめじゃないか」
と、運転席を覗き込むやいなや、
「えっ?、あっ…、これは失礼しました。」

勝さん、何事もなかったように、
「あっ、一方通行なの。そりゃ悪かったな。」
と、今来た道を逆に後戻り。

こんな亊が許されるのも、
この人くらいなもんですかねえ。


こうして何度か京都と東京を行ったり来たりして、
『座頭市物語』 の音楽は、
どんどん作られていったのでした。

思えば楽しい日々でした。

予算が少なくて大変でしたが、
後に様々な劇音楽を制作することになる私にとって、
この経験は本当に勉強になりました。

そして何より、
「勝新太郎」という凄い役者の、
真の人間にも触れることができたことは、
何にもまして尊い経験だったと思います。

先年、惜しまれてお亡くなりになりましたが、
あの豪快な生き方では、
無理からぬことではないでしょうか。


そんな勝さんにひとつだけ不満があるとすれば、
ついに最後まで私の名前を、
ちゃんと覚えてもらえなかったことでしょうか。

ある時は、「宮内(みやうち)くん」
ある時は、「吉住(よしずみ)くん」
そしてある時は、「宮口(みやぐち)くん」


こんなこともありました。

日比谷通りを田町の方へ向かって、
知人の車で走ってるときのことです。

さっきから ‘S字型’に、
とんでもない蛇行運転で前を走ってる、
見覚えのある ‘ムスタング’ を見つけました。

ちょうど増上寺の前の赤信号で停まったので、
急いで横に追いつくと、
やはり勝さんが乗ってました。

車の窓を開けて「勝さあ〜〜ん!」と私。
すると気づいてくれた勝さん、開口一番、


「おおっ!魚住(うおずみ)くん!!」

「……。  なんちゅう運転してるんですかあ〜?」

「さっきから、どっち行こうか迷ってたのよー!」


「……。」


慎んで、ご冥福をお祈り致します。


(感想 2006/10/10)


勝さんの当たり役は、
なんと言っても 『座頭市』 ですが、

私は 『兵隊やくざ』 も大好きでした。

思い出しついでに、
もう少し勝さんのことを、

書いてみようかな。


(ところで、「007 ロシアより愛をこめて」
 のところに、
 その時のショーン・コネリーの写真が、
 掲載されてました。
 うちのショーちゃんの、憎い演出?)


SHUN MIYAZUMI


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〜2005 エッセイ 1  

October 06, 2006

映画とマナー その2

すごい雨だな。
台風も二つ来てるそうですから、
みなさんどうぞ今日はお気をつけて。

さてきょうも「映画とマナー」と題しまして、
前回のつづきであります。


映画好きの私が、
いつしか映画館に行かなくなったもう一つの理由は、

映画が完全に終わってないのに、
がさがさと席を立たれる、

あれが嫌になったからです。


一例をあげると、

『ラスト・エンペラー』

日本陸軍に利用され、
時代に翻弄された最後の満州皇帝「薄儀」

年老いたかつての‘皇帝’も今ではただの市民。
チケットを買って、
自分の住居だった「紫禁城」に行き、
玉座のうしろに隠してあったコオロギを、
たまたまそこにいた少年に見せ、
かつて自分が国王であったことを証明する。

がらっと同じ場所が今になり、
観光ガイドが、
「最後の満州皇帝‘薄儀’は○○年にここで生まれ、
 ○○年に死にました。」
とツアー客に説明、


その瞬間、

ジャーン♪

坂本龍一の素晴らしい音楽が、
朗々と鳴り響く。

そして画面はタイロル・ロールに変わり、
スタッフやキャストの紹介が延々と続く。

私は思わず目頭が熱くなり、
感動的な音楽にうち震えながら、
この長大な叙事詩の余韻に浸る。

ところが…、

お芝居が終わった途端、
あっちでもこっちでも、
がさがさと席を立ち、

「ジョン・ローンってかっこいいいよね。」
だの、
「坂本さんも素敵ー。」
だの、
ペチャクチャ、ペチャクチャ。


 「あのね、
  映画っていうのはね、

  この文字が全部消えて、
  音楽が鳴りやんで、
  場内が明るくなる、
  ここまででひとつの作品なんですよ。

  それに監督は、
  その映画のために書かれた一番いい‘音楽’を、
  このラスト・シーンのために用意して、
  お客さんに余韻と感動を、
  じっくり味わっていただきたい、

  そう思って作ってるのに、
  ここで立ち上がって帰ってしまうのは、
  その映画を観てないのと同じなんですよ。」

と私は言いたいのだが、
その数があまりにも多いので、
いつも悔しい思いをすることになる。


ましてや、
前回書いた‘くそガキ’のように、

「なんかあ、超つまんないって感じー。」
(こういう経験もいっぱいありますが…。)

なんて言われたら、
感動している私が、

阿呆みたいではありませんか。


アメリカではこんなことはありません。
TVでも、最初からロールの最後まで、
ノーCMで完全に放送します。

それが制作者に対する礼儀だからです。


今ではDVDやビデオで、
容易にお茶の間で楽しめるようになりましたが、

我々日本人って、
レンタル・ビデオが出現する以前は、

映画館に行かない限り、
TVの「洋画劇場」なる番組しか、
洋画に触れることのできませんでしたね。


時間の都合で、ズタズタにカットされ、
いいところで情け容赦なくCMが入り、
お芝居がおわるとさっさと解説者が出てくる、

この悪癖に慣らされちゃったのかもしれませんね。


私がもっとも腹立たしかったのは、

「日曜洋画劇場」かなんかでやった、
バーバラ・ストレイザンドの

『追憶』


不自然なカットにも耐え、
情け容赦のないCMの割り込みにも耐え、
下手なアフレコにも耐えながら観ていたのは、

ひとえに、

ラスト・シーンの、
あの素晴らしい歌手バーバラが唄う『追憶』の、
あの感動に浸りたいから、
ただその一点にあったのです。

そしてやってきたラスト・シーン、

「さあ感動するぞー。」
と身を乗り出してTVに集中。

そしてバーバラがゆっくりと美しい声で唄い出す…、

「メーモリー〜♪」

と、その瞬間、

パッと淀川(長治)さんが現れて、
「はい、良かったですねえー、
 バーバラ・ストレイザンド、きれいですねえー。」

「……。」


またしても、

ぬお〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜(怒)!!


私はこれを編集したTV局のスタッフを、
呪い殺してやろうと思いました。


ということで、

私はもっぱら家で、
誰にも邪魔されることなく、

DVDやビデオで映画を楽しんでおります。

そういう意味では、

いい時代になったのかもしれません。


きょうは、

「オヤジの小言。」

でした。

長くてすみませんです……。


さてさて、
10/9(月)は、
恒例 「六本木 ALL OF ME CLUB」
で、ピアノ・トリオ・ライブです。

若手シンガーも交えて、
いつも大いに盛り上がっています。

祝日(体育の日)ですが、
私の演奏も自称「スポーツ・ジャズ!」

うん、こりゃいい。
つじつまが合った。

どうぞいらして下さい。


SHUN MIYAZUMI

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2006 エッセイ 

October 04, 2006

映画とマナー

きのう(3日)の「代々木ナル」にお集りのみなさん、
ありがとうございました。
すごい盛況でしたね。

井口真理ちゃん、
初のジャズ・クラブ・ワンマン
がんばりました。

はたけやま裕姉さんも、
どんどんエンターテイナーになってくなあ。

いいことだ。

次回、12/20(水)に再演決定です。


さて、

前回、『007 ロシアより愛をこめて』 の最後に、
ショーン・コネリー主演の映画 『ロシア・ハウス』
のことを書いたら、
こんな話を思い出したので、

きょうはそれを書きます。


『ロシア・ハウス』

この映画で、
コネリーと恋におちるロシア女性を演じたのが、

ミシェル・ファイファー(MICHELL PFEIFFER)
という美しい女優。

そしてミシェル・ファイファーといえば、
私は真っ先に、

『恋のゆくえ/ファビラス・ベイカー・ボーイズ』

という映画を思い出します。


落ち目のピアノ・デュオ・グループに参加する、
ジャズ・シンガーに扮して、
見事唄まで唄ってしまうという熱演ぶりは、
アカデミー賞主演女優賞にノミネートされたそうです。

全編に流れるジャズ・スタンダードの名曲、
淡いタッチの美しい映像、

なかなかに素晴らしい大人の映画でしたね。


でも私にはちょっと腹立たしい思い出が…。


この映画を、
日比谷にある映画館に観に行ったときのことですから、
1990年か91年あたりの話だと思います。

さっき調べたら、1989年製作とありましたから。


平日の昼間にしてはけっこう混んでいて、
館内はほぼ満席。

もちろん半分は音楽映画の要素もありますから、
私は大いに楽しみながら観ていました。


すると、映画が始まって30分くらい経ったころ、
すぐ後ろの若い(まだ10代じゃないかな)カップルが、
‘カッパ・エビセン’ か ‘ポテト・チップ’ かなんかを、
ボリボリ、クシャクシャ、ガサガサと、
大きな音をたてながら食べ始める。

さらに、
映画がつまらないのか、
クチャクチャとくだらないことをしゃべり始める。

しばらくたっても、
まわりの大人が誰も注意しないので、
私は思わず後ろを振り向き、
「あのさー、もうちょっと静かにしてくんない?」
とささやきました。

すると女のほうが相方の男に向かって、
「静かにしろってぇ〜。」
男は黙って、
「うん。」


これだけか…。

「すみません。」
の一言もない…。


それからしばらくはおとなしかった。

でも、しばらくするとまた、
「ボリボリ、クシャクシャ、ガサガサ」
とお菓子を食べる音、袋から取り出す音、
そして、
くだらないおしゃべりの連続。


ロマンチックないい映画なのに、
完全にムードをぶち壊された私は、
ふりむきざま、
今度はやや強い調子で、

「あのさー、うるさいんだよー。」

と言ってやった。


ところが今度も、
女は悪びれもせず男に向かって、
「うるさいってぇ〜。」
(‘さ’を強調し、最後の‘ぇ〜’をだらしなく言う
 今風のギャル語で)
男は黙って
「うん。」


またしても、

これだけ……。


ほんのちょっと、おとなしくなるものの、
10分もするとまた、
ボリボリ、クシャクシャ、ガサガサ、
ペチャクチャ。


普通に注意しても、
一向に効き目がないので、

今度はかなり怖そうな顔をして、

「うるさい!!!」

とおどかしてやった。


ところが…、

私が画面に向かうと、
この女は小声で男に向かって、
こう言ったのです。

「このひとー、なんかあ、怒ってるって感じー。」

「……。」


この映画のラストシーンは、
あの名曲『マイ・ファニー・バレンタイン』。

ミシェル・ファイファーの切ない唄をバックに、
みんなが散り散りに去っていく、
という印象的なシーン。

こいつらのおかげで、
不愉快な思いもしたけれど、
なんとかその美しい余韻だけは楽しもうと、
画面に集中してたら、

まだ映画は終わってないのに、
まだ映画は終わってな〜〜いのに〜〜、
そのカップルは席を立ち、
がしゃがしゃと帰り支度。

おまけに、
この女は、
またしても、
大きな声で男のほうに向かって、

「なんかあ、この映画、超つまんないって感じー。」


ぬお〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!

普段温厚な私ですが、
ついに切れた。

「お前らは、ガキ向けの漫画でも見てろ。
  それがお似合いだあ!」

「……。」
(キョト〜ン)


映画がまだ完全に終わっていないのに、
ガサガサと席を立たれる、

あれも嫌ですねえ。


「映画は映画館で観るもの。」
が持論の私でしたが、
このあたりの時期から、

私は次第に映画館に行くのを、

ためらうようになってしまいました。


SHUN MIYAZUMI


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2006 エッセイ 

October 01, 2006

007 ロシアより愛をこめて

2003年2月9日(日) No.35
007 ロシアより愛をこめて

007

007-SonoSheet
  (懐かしのソノ・シート!)


本場アメリカからやってくるアクションTV映画が、
大好きだった少年時代。

しかし、そんなものを吹き飛ばすような
超弩級のアクション映画が、
スクリーンに登場。

クラスの男どもも大騒ぎしていましたが、
私も完全に魅せられてしまいました。


『007 ロシアより愛をこめて』

TVでは味わうことのできないど迫力、
スリル満点の凄いアクション・シーン、
初めて見るヨーロッパの美しい風景、
そして、中学生の私にはいささか刺激が強すぎる
お色気シーンの数々、
ジョン・バリーのカッコいいテーマ・ソング、
マット・モンローの唄う甘い甘い主題歌。

いやあ、もう何もかもがビックリ。
完全にノックアウト!


で、実はこれシリーズ2作目だったんですね。

最初は『007は殺しの番号』(原題「ドクター・ノオ」)

これは日本ではあまりヒットしなかった。
私もあとから観ましたが、
まだまだ実験段階といった感じの出来。

しかし、

この2作目で、
すべてがスケール・アップ。

マット・モンローの唄う美しい主題歌とともに、
一大センセーションを巻き起こしました。


さらに3作目『ゴールド・フィンガー』
でその人気は最高潮に!
全世界が興奮のるつぼ。

全身金粉を塗られて横たわる美女の、
センセーショナルなポスターと、
シャーリー・バッシーの、
パンチのある主題歌に魅せられて、
何度観たことでしょうか。

続く『サンダーボール作戦』では、
当時絶好調の
トム・ジョーンズが唄ってましたね、
主題歌を。

アクション映画なのに、
その主題歌は美しいバラード。
しかもこれがまたみな大ヒット。

かなりエッチなジェームズ・ボンドさんの、
雰囲気を見事にかもしだしてる上に、
映画宣伝効果も抜群で、
これは今で言うところの、
「タイアップ」
の‘はしり’だったのではないでしょうか。


この、007こと‘ジェームズ・ボンド’に扮するのが、
ショーン・コネリー!

ずっと後になって、
あれがカツラと知った時はショックでしたが、
それまで無名の俳優だっただけに、
「なんてカッコいいやつが出てきたんだ。」
とみな一様に驚き。

だいたいジェームズ・ボンドというやつは、
すべてに秀でた諜報部員であると同時に、
強くてかつ‘スケベ’でなくてはならない。

「ボンド・ガール」なる言葉も流行ったほど、
お色気シーンも満載。

ところが、
この両方を兼ね備えた役者は、
そうはいない。

それが証拠に、
ショーン・コネリーがボンド役を辞してからは、
どれもこれも今イチ。

例えばロジャー・ムーア。

家族思いの真面目なパパ、
という感じで、
日本でいえばさしずめ児玉清か宝田明のイメージ。

最近のピアス・ブロスナンも華奢すぎる。
相手の狡猾な大男と
互角に渡り合えるとは思えない。


ボンドといえば、
何よりも脂ぎってる女大好きスケベ男なんだが、
女に溺れると見せかけて
ちゃっかり任務は遂行しちゃう。

もちろん、男らしさ、強さ、クールさ、
も兼ね備えてなくちゃいけないのは
言うまでもないこと。

当時も今も、
これほど当たりのボンド役はいませんね。

最近では、
マシュー・マコノヒーなんて雰囲気だけど、
ちょっと線が細いかな。

日本では故田宮二朗。
彼しかいない。
惜しい人を亡くした。


改造を加えた名車アストン・マーチンを
さっそうと乗りこなし、
最先端のアイディアを駆使した小道具とともに
単身敵地に乗り込み、
その陰謀をズタズタに破壊する。

そして最後は絶世の美女とよろしくフィナ〜レ!

憎いなあ。

思春期の少年からみたら、
こんなカッコ良くて、憎いやつはいませんよ。


ショーン・コネリーは今でも
渋い性格俳優として活躍中。

ジェームズ・ボンド一辺倒にされたくない、
と、人気絶頂にあって、
スパっと本来の禿頭を披露してボンド役を辞退。

その姿勢はあっぱれではあるものの、
ファンとしては、
あと5、6本は観たかったなあ、
というのが本音です。


このシリーズは今も続いていて、
相変わらずの豪華絢爛さは保っているものの、
CGなんか駆使しちゃってるから、
なんか‘スーパーマン’を見ている感じ。

本来の人間くさい娯楽作品としては、
この3作には、到底およびません。

私の中のジェームズ・ボンドは、
ショーン・コネリーだけで充分。


永遠に悪ガキのアイドルです。


(感想 2006/10/1)

人気絶頂ジェームズ・ボンドを、
スパっと捨てたショーン・コネリーですが、
その後もいい仕事をしてますね。

むしろ今のハゲのコネリーのほうが好き、
という女性も、
私の周りにはいっぱいいます。

そのなかでも特に私が好きなのが、

『ザ・ロック』
(罠にはめられて牢獄暮らしの元諜報部員が、
 ‘釈放’を条件に、
 乗っ取られた難攻不落の刑務所に挑む。)

と、

『ロシア・ハウス』
(引退してポルトガルでのんびり暮らす
 元諜報部員が、
とあるスパイ事件の解決のために担ぎ出されて、
 単身ロシアへ、というラブ・サスペンス。)

ということは、

やはり、引退しても、
コネリーには諜報部員が一番合ってる、
と言ったら、

コネリーさんに叱られますかねえ…。


さて、10/3(火)は、
ファミリー・アーチストでも紹介している、
井口真理という素敵なシンガーと、
「代々木ナル」でライブです。

ベースは河野秀夫、
それに、今や大人気の美人パーカッション、
はたけやま裕、
そして私のピアノというバック。

透明感のある美しい声です。

どうぞいらしてください。


SHUN MIYAZUMI

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〜2005 エッセイ 1