November 2006

November 30, 2006

シャーロック・ホームズとエルキュール・ポワロ その2

めっきり寒くなってきましたね。

そんな寒い寒い冬の夜は、
部屋を暖かくして、
ミステリーなんぞいかがでしょうか。

と、むりやりこじつけたところで、

前回の過去ログの続きです。



2003年3月2日(日) No.38
シャーロック・ホームズとエルキュール・ポワロ その2


私の大好きなふたりの名探偵、
シャーロック・ホームズとエルキュール・ポワロ。

そのキャラクターの違いについては、
前回述べたとおりですが、
きょうは作者である、
コナン・ドイルとアガサ・クリスティーのお話を少し、
してみたいと思います。


ホームズ物には、
4つの短編集と4つの長編があります。

で、

短編のほうが断然面白い。

事件そのものが風変わりでいて、
でもホームズが解決してしまうと、
「なあんだ」という物ばかりなのですが、
よくあの短い中にあんなにうまくまとめられるものだと、
いつも感心してしまいます。


そこへいくと長編は、
『バスカヴィルの犬』をのぞいては、
だいたい2部構成になっています。

1部で事件とその解決。
2部ではその事件が起きた時代背景や人間模様が、
歴史小説のように語られる。

もともとこのドイルというひとは、
時代小説が本来一番書きたかったようで、
そのために一度ホームズを抹殺したこともある
のですから致し方ないとしても、

やはりホームズの魅力はなんといっても、
珠玉の短編集にあるのではないでしょうか。


一方、
現在日本で入手できるアガサ・クリスティーの作品は、
長編66冊、短編集13冊、戯曲6冊。

その長編物の内訳は、
ポワロが33冊、ミス・マープルが12冊、
トミーとタペンスの冒険物5冊、その他16冊、
とこうなります。

前回も言いましたが、
ポワロ(というよりクリステイー)の魅力は、
なんといっても「犯人当て」ですから、
どうしても登場人物の多い長編のほうが断然面白い。


ここで、
こうした古典推理小説に馴染みのない方のために、
ちょっと楽しみ方をアドバイス。


例えばどこの本屋にもある「ハヤカワ・ミステリー」
の文庫本でこれらを手にしたとします。

すると最初に開いた、
カヴァーのところに登場人物がずらっとでています。

最初の100頁くらいは、
本文に誰かが登場したら、
カヴァーに戻り
その人物の位置関係を確認して下さい。

例えば本文に、
「グラディスがお茶をもって…」とあると、
すぐカヴァーに戻り
「グラディス・ナラコット……ルーム・メード」
と確認する。

すべて外人の名前ですから、
よほど頭に入れておかないと、
あとあと面白みが半減します。

この100頁くらいを克服すると、
あとはポワロやマープルになったつもりで、
クリスティーの仕掛けた罠を見破り、
自分なりに推理していくのです。

しかし大半はクリスティおばさんの勝利ですが…。

ちなみにカヴァーの登場人物欄に
でていない人が登場した場合、
その人は絶対「犯人」ではありません。


それにしても、
このアガサ・クリスティーという人の創作力には
今さらながら恐れ入ります。

たいてい一作でも傑作があると、
その作家はそれだけで後世に名を残しています。

ガストン・ルルー「黄色い部屋の謎」、
クロフツ「樽」、

といったように。

「巨匠」といわれてる
ヴァン・ダインやディクスン・カー
にしたところで、
真の傑作は4つ、5つといったところでしょうか。


そこへいくとクリスティおばさんの66の長編のうち、
スパイ冒険物といくつかを除けば、
3分の2くらいは傑作と呼べるのではないでしょうか。

スパイ冒険物。
あれだけはいけません。

微笑ましいけど、
全然リアリティーがなくて漫画みたい。

ポワロでも「ビッグ4」なんてのがありますが、
ポワロが、
まるでジェームズ・ボンドのごとき活躍をする。

でも、いくらなんでもこりゃ無理というもの。


唯一「トミーとタペンス」という
おしどり探偵の冒険物がありますが、
このふたりのキャラクターが可愛くて、
これはこれで楽しい。

それに、ポワロもマープルも初登場の時から老人。
以来何十年もずっと年を取らないのに、
(いったい最後は何才なんだ?)

このトミーとタペンスは、

「秘密機関」の時は20才そこそこの恋愛カップル、
最後は70才をすぎた老夫婦、
と、これだけが
時代にあわせて年を取っていくのも面白い。


さて、アガサ・クリスティーといえば

「アクロイド殺人事件」
「オリエント急行の殺人」
「ABC殺人事件」
「そして誰もいなくなった」

などが代表作とされています。

事実私もこれらを学生の時に読み、
それで事足りたと思ってました。

ところがどっこい、

もっと凄いのがめじろ押しなのです。


次回はそんな私が推奨する、
クリスティーの名作の数々を、
ランキング形式でお送りしたいと思います。


(つづく)



(感想 2006/11/30)

話は全然変わりますが、


月曜日に病院に行って、
いろいろ検査をしてきました。

そして、

自分でもビックリなのですが、

すべて正常値。


中性脂肪も、肝機能も、血糖値も、

ぜーんぶ正常。

γ-gtp(肝機能)なんか、
たったの40。

お酒飲まないひととおんなじ数字。


医者からは、

「宮住さん、驚きました。
 これ30代の数字ですよ。
 節制のたまものですね。」

と言われました。

おホホホ。


知り合いに見せたら、
みんな、

「これはおかしい。」
「他の人の数字じゃないの?」
「それヤブ医者じゃないの。」

とまあ、
わめくわめく。

ウシシ。


というわけで、

親からもらった健康な体に感謝しながら、

12月も、

大いに頑張りたいと思います。



SHUN MIYAZUMI


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〜2005 エッセイ 1  

November 27, 2006

シャーロック・ホームズとエルキュール・ポワロ


11/24(金)の学芸大「A'TRAIN」

盛り上がりましたねえ。
ありがとうございました。

あの小さなお店に、
いったい何人入ったんでしょうか?

2nd ステージでは、
オーストラリアから来たサックス奏者や、
女性シンガーなんかも飛び入りの、
さながら日豪交流セッション。

結局終わったの、朝の4時頃でした。

みんな元気だなあ。

次回は、12/29(金)
今年の弾きおさめです。

また盛り上がりましょう!


さて今日は、久しぶりに過去ログの登場です。


2003年2月24日(月) No.37
シャーロック・ホームズとエルキュール・ポワロ


タイトルを見ただけで、
さっさと引いちゃう方もいそうですが、
実は私、
子供の頃から大の推理小説ファン。

それもハードボイルドとかスリラーではなく、
単純な謎解き、犯人当て、
みたいなのが好みです。

となると、
どうしてもイギリスの古典物。

その中でも、
このふたつが、
やはり私の中では群を抜いています。


1983年、
カシオペアを連れて、
初めてロンドンに行くことになった時、

中学校のとき夢中になった
『シャーロック・ホームズ』の文庫本を、
すべて持参しました。

ハイド・パーク、ケンジントン、
オックスフォード・ストリート etc.
暗記するほど親しんでいたその場所に、
初めて立った時の感激。

イギリス人が好んで飲む
「パブ」のなまぬるい黒ビール。

実在はしないものの、
おそらく『ベイカー・ストリート221B』のモデル
になったあたりに佇みながら、
あたかもホームズになったかのような気分で、
ひとり自己陶酔していました。

日本と違って、
戦争で焼けた街をそのまま再現しただけあって、
充分に当時の雰囲気を味わうことができます。


ホームズが活躍したのは、1890年〜1910年頃。
主な乗り物は馬車か汽車。
通信は手紙か電報です。

これがポアロ(1920年代〜70年代)になると、
自動車、地下鉄、飛行機、電話と多岐にわたり、
そのぶんトリックも多様をきわめる。


探偵のキャラクターとしても、
ホームズとポワロは随分異なりますねえ。


ホームズの場合、
最初に依頼者が「なんか風変わりな事件」を持ち込む。

警察でも相手にしないような、
子供だましのような話の中に、
実は依頼者がとんでもない危険にさらされてる、

これを見事に発見して解決する、
てのが多い。

いわば「謎解き」ですね。


かたやポワロは、
初めに殺人事件が起きる。

で、ごっそりいる容疑者を、
最後は一堂に集めて真相を得意げにご披露、
そのまま真犯人を追いつめてしまう、
というのが多いですねえ。

後の探偵小説の先駆者ともいえるスタイルですか。


風貌は、

ホームズが長身のハンサム。
ポワロはチビで禿げの小男。

モルヒネとたばこを愛する、
ストイックで不健康な芸術家肌のホームズに対し、

美味しい料理とワイン、
ご自慢のヒゲと身だしなみと健康に、
ことのほか気を使うポワロちゃん。


とにかく足を使って現場を見、
凡人が見落としてる手がかりを探し出し
推理していく ‘行動的な’ ホームズに対し、

与えられた状況と手がかりを、
部屋でパズルのように構築しながら、
‘頭のなかで’ 解決していく物ぐさなポワロちゃん。

といずれも対称的です。


ちなみにこの両方を合わせ持ち、
すべてにカッコ良すぎる探偵が
ヴァン・ダイン作によるファイロ・ヴァンス氏。
(このお話もいずれ)


ところで、

ときどきNHKでやってますでしょ。

イギリスBBC制作の「ホームズ」と「ポワロ」

あの、グラナダTVが作った『シャーロック・ホームズ』
のビデオ(全23巻)は全て購入しました。

実に素晴らしい出来栄えです。


普通、原作に慣れ親しんだ物の映画化、TV化は、
幻滅させられることが多いのですが、
これは見事です。

原作に忠実、
時代考証も場所の設定も、登場人物も、
私が子供の頃から描いていたイメージそのままです。


そして何よりホームズ役のジェレミー・ブレットさん。

先年惜しまれて亡くなりましたが、
世界中から「これ以上のホームズ役はいない」
と絶賛されたのは至極当然。

皆さんもぜひご覧になってください。

ただし日本語吹き替えバージョンはダメです。

伝統的ブリティッシュ・イングリッシュも
ジェレミーさんの素晴らしいセリフ言い回しも
味わう亊ができません。

大体が「ワトソン君」と君付けなのがいかさない。

ジェレミー・ホームズはいつも
「ワトソーン!!」と吐き捨てるように言ってるのに…。


そこへいくと、
デヴィッド・スーシェ扮するところの
『エルキュール・ポワロ』シリーズはいまイチかな。

スーシェさん自体は
そんなにかけはなれたイメージではないのですが、
金のかけかたといい、
脇役の演技のクオリティーといい、
「ホームズ」シリーズには到底及びません。


まさにBBCが、
シェークスピア、ビートルズと並んで世界に誇る、
イギリス三大エンタテインメントのひとつ、
『シャーロック・ホームズ』にかける執念、
みたいなものを感じるのです。


(つづく)


(感想 2006/11/27)

久しぶりにこれ引っ張り出して、
改めて気がついたのですが、
4、5年前はまだ「ビデオ」の時代だったんですね。

今だったら、絶対DVDで揃えるなあ。

だってビデオ23巻というと、
すごい場所取るんですよ。

この10年のテクノロジーの進歩は、
すさまじいもんです。

ホームズもポワロも、
さしずめ今だったら、
パソコンの前にすわって推理、

といったところでしょうか?


SHUN MIYAZUMI

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〜2005 エッセイ 1  

November 17, 2006

私と映画音楽 最終回

ぶるぶる。

めっきり寒くなってきましたね。
風邪も流行ってるようだし、
みなさん、くれぐれもご自愛ください。


さて、きょうは「私と映画音楽」シリーズの最終回。


これまで長々と書いてきたように、
若くして、
いくつもの映画音楽に携わってきた私ですが、
欧米に比べると、
あまりに音楽の重要性を軽んじている、
としか言えない日本の映画界に次第に失望、

「もう映画はいいや。」
と思い始めていた80年代の後半、

とてつもなく素晴らしい話が舞い込んできました。


ある日、
A嬢という、私と同い年の女性が、
突然私を訪ねてきました。

このA嬢、

私が学生時代にピアノを弾いていた、
K大ライト・ミュージック・ソサエティ、
というジャズ・オーケストラのライバル・バンド、

W大ハイ・ソサエティ・オーケストラ、
のピアニストだった女性。

そして、なんと彼女は今、
当時新進気鋭の映画監督として、
脚光を浴びていた、
Y.M.氏の細君だというではありませんか。

卒業以来10数年ぶりの突然の訪問にも、
今をときめくY.M.氏の細君であるということにも、
大いに驚いた私でしたが、

彼女の話の内容には、
もっと驚かされました。


A「実はね、Mの次作の音楽プロデューサーを、
  宮住君にやってもらおうと思って来たのよ。」
私「いや、それは光栄だなー。
  でもどうせ予算はあんまりないんでしょ。」

と、今までの経験から、
素直に喜びを見せずに、
やんわりと探りを入れてみた。

ところが、

A「いやMはね、音楽も大変重要だと言ってね、
  1000万くらいは用意できる、
  って言ってるんだけど…。」
私「い、い、1000万!?」

この金額は、
今まで私が携わった物の中では、
断トツ、破格の数字でした。

私は、
それだけあれば、
相当面白いこともできるし、
今まで消化不良気味だった映画音楽の仕事の、
うっぷん晴らしもできると思い、
すぐさまこの話に飛びつきました。


私「いや、さすがにY.M.さんだな。
  実は映画音楽もずいぶんやったけど、
  正直失望してたところなのよ。」

と、
いつも少ない予算で苦労させられたこと、
あるいは折角素晴らしいものを作っても、
映像の編集ばかりに時間をさいて、
結局はおざなりに使用された「火の鳥」の、
苦い思い出なんぞをとうとうとしゃべった。


するとA嬢、

大いに理解、同情してくれて、

A「そうなのよ。だから日本映画はだめなのよ。
  Mはそういうことがよくわかってて、
  だからこそ、
  しっかりした音楽プロデューサーが必要だ、
  予算もしっかりかけなくてはいけない、
  って言うのよね。」


我が意を得たり!

もう私は嬉しくて、
彼女を誘って飲みに出かけました。


そして学生時代の思い出話にはじまり、
映画論、
素晴らしい数々の映画音楽の話、
欧米と日本の映画関係者の
音楽に対する認識の違い、

などを大いに語り合い、
大いに賛同しあい、

なんとも幸せな時間を過ごしたのです。


で、

ここでやめておけばよかった。


気持ちよく酔っぱらいはじめ、
話の内容にも大いに満足、
かつ普段から相当に思い上がってる私は、
調子に乗りすぎて、

このあと、

とんでもないことを喋ってしまったのです。


私「ところでAよ。」
A「なあに?」

私「これは極端な例だが、
  もし俺が最終編集済みのラッシュを見て、
  この映画には1曲の音楽も必要がない、
  そのほうがこの映画は当たる、価値があがる、
  と判断した場合でも、
  その1000万円は俺にくれるかね?」
A「どういうこと?」

私「例えば、『アニー・ホール』
  というウディー・アレンの映画があるだろ。」
A「ええ、大好きよ。」

私「実はあの映画には、音楽は1曲しかない。
  音楽が無いままドラマだけが淡々と進み、
  ちょうど真ん中あたりまできたときに、
  突然ウディーの恋人役のダイアン・キートンが、
  場末の、客もまばらなジャズ・クラブで、
  アップライトのピアノをバックに、
  バラードを切々と唄い出すんだ。」
A「それで?」

私「そこで初めて我々は、この彼女が、
  売れないジャズ・シンガーであることを知る。
  それをたまたま見ていたポール・サイモンが、
  君の唄は素晴らしい、とほめ、
  ロスの豪邸に招待する。
  そしてこれがこの二人の破局の始まりさ。」
A「だから?」

私「あたりさわりのないBGMは別にして、
  最後まで音楽はこれ1曲しか登場せず、
  最後のタイトル・ロールで再びこの唄が流れる。
  つまり他に音楽が無いからこそ、
  この1曲が我々の心を揺さぶるのだ。
  そしてこの映画は、
  アカデミー賞を総なめにした。」
A「だから何が言いたいのよ。」

私「つまり、
  音楽が無いからこそこの映画は素晴らしい。
  これを判断するのも、
  音楽プロデューサーの感性であり、
  結果映画がヒットしたときに、
  そのように導いたのも、
  音楽プロデューサーなわけだから、
  当然その報酬は受け取るべきだ、
  と、こう言いたいわけよ。」
A「……。」

私「映画監督と音楽プロデューサーが、
  そういう感性で信頼関係を作ってこそ、
  欧米に負けない映画が出来るんだよ。
  なあに、Y.M.さんくらいの人だったら、
  わかってくれるさ、ハハハ。」
A「わかった、Mに話してみるわ。」

そして、これは日本の映画の新しい夜明けだ、
今日は本当に素晴らしい一日だった、

と、上機嫌でA嬢と別れ、
意気揚々と帰路についた私でしたが、

それ以後、

彼女からなんの連絡もなくなったことは、

言うまでもありません。

……。


口はおそろしい…。

以来、
好むか好まざるかは別にして、
私と映画音楽は、
まったく無縁のものとなってしまいました。

そして、伊丹十三さんと「寅さん」をのぞいては、
日本映画もまったく見なくなってしまいました。

しかし、

「いつかは…。」

という思いだけは、
しっかり胸に持っておりますよ。


(おわり)


このシリーズも長かったですね。
お疲れさまです。


SHUN MIYAZUMI

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2006 エッセイ 

November 14, 2006

私と映画音楽「海外編」その2

きのう(11/13)の六本木 『ALL OF ME CLUB』
ピアノ・トリオ・ライブにお越しのみなさん、
ありがとうございました。

珍しく、初めてのお客さんが多かったのですが、
最後はいつものように盛り上がりましたね。

完全燃焼!

したがって、毎度のことながら、
今日は ‘もぬけの殻’ 状態の私。


次回このセッションは、
12/11(月)です。



さて、
いい映画、ヒットした映画は、
みんな音楽もいい。

というお話の続きです。


前回書いた後にも、
いくつか思い出しましたよ。


『禁じられた遊び』『鉄道員』
といったヨーロッパ映画。

この音楽がどれほど観衆の涙をさそったことか。


『小さな恋のメロディー』のビー・ジーズ
『卒業』のサイモン&ガーファンクル

彼らの名曲の数々が、
映画の大ヒットに大きく貢献したことは、
言うまでもありません。


私が一緒にお仕事をさせてもらったこともある、
フュージョン界の大物、
デイブ・グルーシンさんも、
今やアメリカ映画音楽に欠かせない重鎮ですね。

『トッツィー』『黄昏』『ザ・ファーム』etc.

いずれも彼の、
洗練された華麗なピアノが印象的でした。


『荒野の用心棒』に代表される、
エンニオ・モリコーネの
マカロニ・ウェスタンの音楽も、
これらを1級の娯楽映画に仕立てましたよね。


『地獄の黙示録』では、
ワーグナーの「ワルキューレ」が使われてました。
クラシック音楽の起用という意味では、
ヴィスコンティの『ヴェニスに死す』
のマーラー・アダージオと並ぶ、選曲の勝利。

さすがコッポラ。


さて一方で、

もしあの映画にあの音楽がついてなければ、
はたして ‘名画’ と呼ばれたかどうか、

といった作品も、
私のなかではいくつかあります。


例えば、
『第三の男』

あのアントン・カラスのチターの名曲じゃなく、
普通の劇音楽だったら、
あれほどヒットしたでしょうか。


『死刑台のエレベーター』

ジャズ・トランペットの巨匠、
マイルス・デヴィスの名を世界的に知らしめた、
フランス映画ですが、

その内容は、

ある社長夫人が社員と不倫関係に陥り、
亭主たる社長を二人して殺害するが、
思わぬドジをふんだことから破綻する、

という、
「火曜サスペンス劇場」程度のもの、
としか思えないのですが…。
ジャンヌ・モローは素敵でしたがね。

でもなんといってもこの映画の主役はマイルス。


それから、
『タクシー・ドライバー』

当時、世界有数の犯罪都市という、
レッテルを貼られていた街、ニューヨーク。

その危険な香りがプンプンの、
しかしなんとも魅力的なあの街の雰囲気を、
映画全体を、

名ジャズ・サックス奏者トム・スコットが、
実に官能的なサウンドで支配していました。

でも、もしあれが普通の劇音楽だったら…。

この映画で一躍トップ・スターになった、
ロバート・デ・ニーロを、
あの音楽が後押しした、
といったら言い過ぎでしょうか。


そして、
『ラスト・タンゴ・イン・パリ』

さえない中年男(マーロン・ブランド)が、
思わぬ若い女を手に入れて、
日夜セックスに明け暮れる、
というだけの映画で、

当時その、あまりに過激な性描写で話題となった
『ラスト・エンペラー』でも有名なイタリアの巨匠、
ベルトリッチの作品。

この音楽は、
アルゼンチンのサックス奏者、
ガトー・バルビエリ。

彼の音楽もまた、素晴らしいものでした。


特にクライマックス。

次第にストーカー的なこの男が怖くなってきて、
パリの街を逃げ惑う女。
それを追いかける男。

女はたまたま、
アルゼンチン・タンゴ・ダンスの発表会をやってる、
とある会場に逃げ込む。
しかし男も後を追ってこの会場に。

そして何組ものカップルが、
厳粛かつ官能的なタンゴで踊ってる間を、
追っかけっこ。

そのとき、
このガトーの咆哮するサックスがむせび泣く。
タンゴとジャズ・サックスの咆哮という、
相容れない音楽のミックス、
そして映像美。

もう鳥肌が出るほどの感動でした。


ん?


あれ?

なんかおかしくなってきたぞ…。


ということは、
これはやはり名画なのかな?


そういえば、
これらを作った監督はみな、
名監督と言われてる人ですね。

いかん、自爆してきた。


ひょっとすると、
私のような凡人には、
一見して平凡に思えるテーマでも、

監督からすれば、
人間の複雑にしておろかな煩悩、
深層心理を伝えたいのかもしれない。

そのため、
音楽のもつ劇的な力を利用して、
その映画を一見感動的なものに仕上げた、

のかもしれませんね。


いや、深いなあ…。


ま、かくあるように、
欧米(特にアメリカ)の映画関係者は、
音楽の重要性がわかっている、

ということです。

そこへいくとわが日本は…。


しだいに映画音楽の仕事に、
情熱を失いかけてた80年代後半、

そんな私に、
とてつもなく素敵な話が、
舞い込んできました。


次回はこの映画音楽シリーズの最終回として、
結局はトンチンカンな結末に終わった、
私らしい、そんなお話をしてみようかと、
思っています。


ところで、
前回の最後に書いた「牡蠣」

美味かったですよー。

場所は品川駅アトレの4F。

有名なニューヨークの、
グランド・セントラル・ステーションにあった、
「オイスター・バー」の姉妹店。

これ、

おススメです!

ただし、絶対、

要予約。


SHUN MIYAUZMI


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2006 エッセイ 

November 08, 2006

私と映画音楽「海外編」

軽い気持ちで「映画音楽」の話を始めたら、
いろんなこと思い出してきて、
これも長期連載になっちゃいましたね。

ま、‘勢い’ ということで、
もう少しおつきあいくださいませ。


私は、
人類が創り出した最高のエンタテインメントは、
『映画』ではないかと思っております。

いいものにはどんどんお金を注ぎ込んで、
観客からすればそれこそ、
夢のような世界に誘(いざな)ってくれる。

美しいロケやセット、
名優たちの熱演、
大道具、小道具、美術、照明、
素晴らしい脚本、見事なカメラ・ワーク、

こうしたすべての要素がうまく合わさったとき、
いつの時代にも愛される ‘名画’、
というものが生まれるわけですね。

人類が創り出した、
最高の贅沢ですよ、
これは。


そのなかでの ‘音楽’ の役割。

これも大変重要な要素であるはずです。


しかし前回書いたように、
私の経験からいくと、

日本の映画関係者の ‘音楽’ に対する認識は、
欧米に比べてあまりにも低い、
と言わざるを得ません。

映画全体の製作予算のなかでの、
音楽費の割合の低さが、
それを物語っています。

今は知りませんが、
当時は間違いなくそうでした。


ある時、撮影所で、
たまたま机の上に無造作に置かれている、
他の映画の「予算表」なるものを、
盗み見したことがあります。

上から順に、
監督の報酬、出演者のギャラ、など、
びしーっと細かく数字が並んだ一番下に、

いちば〜〜ん最後に、

「音楽:○○円」
と、スズメの涙みたいな数字が計上されていた。

「……。」


そんなとき、

「映画音楽」の仕事に、
情熱を失いかけてた80年代半ば、

あのスピルバーグの 『E.T.』 が公開されました。

音楽はもちろん、ジョン・ウィリアムス。

『ジョーズ』に始まり、
『スター・ウォーズ』『インディ・ジョーンズ』などなど、
スピルバーグやルーカスには欠かせない、
素晴らしい映画音楽の作曲家ですね。


その記者会見の席上、
監督のスピルバーグはこう言ったのです。

「この映画でも私は、
 もうこれ以上は無理、というところまで編集して、
 それをジョン(ウィリアムス)に渡しました。
  作曲の時間は3ヶ月与えました。

  するとどうでしょう。

  音楽がついていなかったラッシュの段階では、
  誰も泣かなかったのに、
  音楽がついた後の試写では、
  みんな泣いたのです。

  音楽の力はなんと偉大なことでしょうか。」

と、ジョン・ウィリアムスを讃え、
その報酬は興行収入の3%。


「もう、全然考え方が違うなあ。」

と、このときほど、
アメリカという国が羨ましかったことは、
ありません。


そう、
このように、
「映画」と「音楽」は切っても切れない仲なのです。

いい映画、
ヒットした映画は、

みんな、

音楽もいい!


『ライムライト』(チャップリン)
にはじまり、

『カサブランカ』(AS TIME GOES BY)
『風と共に去りぬ』(タラのテーマ)
『慕情』『めぐり逢い』

『史上最大の作戦』『大脱走』
てな大作でも、
そのテーマ・ソングは、
しっかり映画とは別に大ヒットしました。


大作といえば、
『アラビアのロレンス』『ドクトル・ジバゴ』

これを書いたのはモーリス・ジャールという人。

『アラビアのロレンス』なんて、
サントラ盤も買っちゃいました。

ティンパニの序奏に始まり、
オーケストラが勇壮なテーマを奏でると、
画面いっぱいに壮大な砂漠が拡がる。

もうそれだけで、
じわーっと感動の私。


『ティファニーで朝食を』の「ムーン・リヴァー」
『シャレード』『酒とバラの日々』『ピンク・パンサー』

これらは全部、
ヘンリー・マンシーニという人の作品。

このひとも偉大だなあ。

ヘンリー・マンシーニといえば、
『ひまわり』も泣けましたね。
『ロミオとジュリエット』も彼。
余談ですが『刑事コロンボ』も彼。


『明日にむかって撃て』の「雨にぬれても」
こればバート・バカラックの名曲。
続編『スティング』での、
スコット・ジョプリンのストライド・ピアノも、
映画を盛り上げるのに、
重要な役目をしていました。

サスペンスの巨匠ヒッチコックの、
『知りすぎていた男』では、
ドリス・デイの唄う「ケ・セラ・セラ」が、
事件解決の重要なカギを握っていました。

『ゴッド・ファーザー』では、
残酷な殺戮シーンと、
せつない音楽のミス・マッチが、
おそろしいほどの効果をあげていました。


もう数え上げると切りがありませんね。

それから、
音楽が映画を盛り上げるだけでなく、
逆に映画をヒットさせる役目を果たしたものだって、
たくさんあるのです。

いや、ひょっとすると、

映画自体は大したことないのに、

音楽のおかげで ‘名画’
の仲間入りをしてるものだって、
あるかもしれませんよ。


次回はそんなお話です。



さて、11/13(月)は、
六本木 『ALL OF ME CLUB』
で、ピアノ・トリオ・ライブです。

先月(10/9)は祝日ゆえ、
来られなかった方も多かったと思います。

ぜひ、お待ちしてます。


さあ私はこれから、
友人の奢りで、
「オイスター・バー」に牡蠣を食いに出かけます。

く〜〜〜っ、楽しみ!


SHUN MIYAZUMI


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2006 エッセイ 

November 03, 2006

私と映画音楽「たんぽぽ」その2

伊丹十三監督の映画 『たんぽぽ』

この映画の音楽はクラシック。

その音楽プランもようやく出来上がり、
監督のOKももらい、
さあレコーディングだ、
と張り切った矢先、

ここで大きな問題にぶちあたる私たち。

予算がない。


「またか…。」


村井さんのお手伝いで、
いくつかの日本の映画音楽に携わりましたが、
いつもびっくりするのは、
映画製作費のなかでの音楽費の割合が、
信じられないくらい低い、

ということでした。


『座頭市』しかり、
この『たんぽぽ』しかり。

勝新太郎さんや伊丹さんの、
作品に対する熱い思いを伺って、
「よーし。」
とヤル気まんまんになっても、

その直後プロデューサーから、
「監督はああおっしゃいますが、
 予算はあんまりありませんから、
 そこんところはひとつよろしく。」
と、やんわり釘を刺されるのです。


ちなみにここで提示された音楽費では、
とうていシンフォニー・オーケストラなど、
雇えるはずもない。

当時東京には、
プロのオーケストラが6つあったのですが、
そのなかの一番ギャラの安い団体ですら、
全然不可能。
交渉の余地なし。

ましてやマーラーなどという、

プロの団体をもってしても、
最高の演奏技術が要求される
音楽をやるわけですから、
とても学生のオーケストラでは無理。

もちろん著作権上の問題で、
カラヤンやバーンスタインといった人の演奏を、
レコードから勝手に拝借、
というわけにもいかない。


困ったあげくに、
ここで村井さんが窮余の一策。

サウンド・トラック盤の発売権を譲渡して、
東芝EMIから、
いくばくかの予算を持って来た。

なんとかこれで成立。
ま、私のギャラも出ることにはなりました。

よかった、よかった。


こうして、
ようやくこぎつけたレコーディングの日。

場所は早稲田にある「アバコ・スタジオ」

指揮は小泉ひろしさん
演奏は「東京シティ・フィルハーモニー管弦楽団」


そしてこの日は、
私のディレクションの腕が問われる日。

マーラーのような巨大な曲を演奏するには、
最低でも80人の楽団員が必要。
この大人数をとりまとめて、
膨大な数の曲を、
時間内に録りきらなくてはならない。

この頃には、
こうしたレコーディングもずいぶん経験していて、
当初に比べると、
ずいぶん面の皮が厚くなってきてた私ですが、

でもなかなか緊張するもんなんですよ、

これが。


まずスタジオの空気を明るくしなくてはいけない。

演奏者に、
気持ちよく最高の演奏してもらわなければならない。

しかしダメな演奏には
堂々とダメ出しをしなくてはならない。
しかも根に持たれないように、
納得してもらえるように。

どのあたりでOKを出すか、NGを出すか、
そのタイミングも瞬時に判断が要求される。

約束の時間は一分でも押してはならない。

もちろん録りこぼしは許されない。

緊張。勝負…。


そんな中、いよいよレコーディングが始まりました。
メイン・テーマの、リスト『前奏曲』から。

ま、この辺はさほど難しくないのでスムーズ。


そしてやってきましたマーラー。

まずは交響曲第五番 第4楽章のアダージオから。

さすがにこの辺りの曲になると、
楽団員のみなさんにも緊張が走る。

緊張がミスを生む。

「ううむ…、もう一回行きましょう。」
「ああ、惜しい。
 今のはちょっと修復不可能です。
 もう一回行きます。頑張ってください。」

いくら後でトラック・ダウンでバランスを取るにしても、
同時録音ですから、
致命的なミス音が他の楽器にかぶったりする。

すると他の部分が良くても、
残念ながら、最初からやり直し、

と、こうなるわけです。


見学に来た伊丹監督も心配そう。

「どう? 時間通り録れる?」

そんな雰囲気が伝わると、
ますます楽団員のみなさん硬くなる。


こうして何度目かのテイクで、
「このあたりで手をうつかな。」
という演奏が録れた。

しかし完璧ではない。

後にトラックダウンで、
うまく処理すればなんとか行けるだろう、
という私の個人的判断です。

それに、いくら抜粋とはいえ、
まだまだマーラーの難曲はいくつも残ってる。

演奏を終えた楽団員のなかには、
疲労も見えるし、
もう一回かなあ、という不安そうな表情も見えるし、
練習時間さえあれば、
もっといけるのに、
といった悔しさもみてとれる。


さあ、こういったケースが一番難しい。
「とりあえずOK」をどう言うか。

「まあ、いいんじゃないでしょうか。」
と言えば、
かつて『子連れ狼』のデビュー戦のときのように、
「‘まあ、いい’とはなんだ! バカにするな。」
と怒られるかもしれない。

露骨に「最高です。」
とも言えない。
本人たちも、
時間さえあればもっといけるのに、
と思っているはずだから。

「時間がなくなるから、
 この曲はこの辺で手をうちます。」
とは、
むろん言えない。

ここで気分よく、
次の曲にスムーズに移っていただくためには、
なにか気の利いた ‘OKの出し方’
が必要でした。


そのとき、私の口からとっさに出たフレーズ!


これはうまく行きましたね。

私の人生のなかでも ‘名言’
といっていいかと思います。


途端に、スタジオの中がぱっと華やぎ、
楽団員のみなさんのなかに、
どっと笑いが起き、

リーダーは苦笑いをしながら、

「未熟者ですみません。
 次の曲からはもっと頑張ります。
 なんとかトラック・ダウンで、
 上手く聞こえるようにお願いします。」

そしていっぺんになごやかな雰囲気になり、
困ると私はこのフレーズを2度3度と使い、
そのつど緊張がほぐれ、笑いが起き、
スタジオはスムーズに進行。

無事に時間通り、
録り終えることができました。


さて、私はなんと言ったでしょう?

これ、多分どの世界でも、
使えますよ。


私は、こう言ったのです。

「みなさんはご不満でしょうが、
 私にはとてもいい演奏に思えました。」

とね。



それにしても、
この日本映画界の、
音楽に対する価値観の低さは、
次第に私から、
映画音楽の仕事への興味を、
失わせることになっていきました。

そこへいくと、
アメリカはいいですねえ。

次回は羨望をこめてそんなお話を。


SHUN MIYAZUMI


woodymiyazumi at 18:04コメント(0)トラックバック(0) 
2006 エッセイ