December 2006
December 28, 2006
日光
一昨日はすごい雨でしたね。
みなさん、大事ありませんか?
私は25日(月)、
久しぶりに日光に行ってまいりました。
日光は霧降高原にある、
「山の上レストラン」というところで行なわれた、
「スイート・ボイス / クリスマス・コンサート」
にピアニストとして参加。
普段こうした「ピアニストのみの参加」
という仕事は、
あまりやらないのですが、
スイート・ボイスちゃんの、
「いいところですよー。
食事もお酒も抜群ですよー、ウフ。」
という甘い誘惑に心動かされて、
行ってしまった。
とまあ、こういうわけです。
デレデレ。
でも、本当にいいところでした。
美しい山並み。
壮大な霧降(きりふり)の滝。
まるで北斎の画を観ているかのような、
素晴らしい景観に囲まれた西洋風の館での、
楽しいコンサート。
そして、コンサート終了後は、
主催者のみなさんに、
本当に美味しい食事や極上のワイン、
手作りの、それこそ舌がとろけてしまうケーキ、
などをいただいてしまう。
翌朝も、
社長、支配人はじめ、
スタッフのみなさんの、
心温まる「おもてなし」は続く。
同じ系列の、
「西洋料理 明治の館」
というところで、
テレビでも紹介された、
有名な「オムライス」をいただいたり、
これまた極上のチーズ・ケーキを
「おみやげ」にいただいたり、
もう、なんとお礼を言っていいやら…。
本当にありがとうございました。
そうそう、
その「明治の館」で、
(本当に明治時代に建てられた、
西洋風の立派な館)
素晴らしい「蓄音機のコレクション」も、
見せていただきましたよ。
エジソンが開発した第一号の蓄音機、
(当時はディスクではなく、
筒のようなものをこすって音を出す)
に始まって、
アメリカのビクターやコロンビアの一号機、
日本で最初に作られたもの、
などなど、
おびただしい数の蓄音機のコレクション。
実際の音も聴かせてもらいました。
若き日のシナトラや、
ビング・クロスビーの歌声、
パティ・ペイジの「テネシー・ワルツ」の、
オリジナルSPなど。
これまた幸せなひとときでしたね。
スイート・ボイスちゃんにも、
「ありがとう」
と言わなくては。
ところで、
これって、
「なんでも鑑定団」が値段をつけたら、
いったい、いくらになるんだろう…?
そんなバカなことを考えながら、
でも、何ともすがすがしい気分で、
大雨の中を、
帰ってきた次第です。
さあ、
12/29(金)は、
学芸大「A'TRAIN」で、
今年最後のライブです。
文字どおり、
今年の「弾き納め」。
大いに盛り上がりましょう!
そして今年の私のブログも、
これで最後です。
今年も本当にお世話になりました!!
今年の私は、
ひとことで言えば、
「種まきの年」
かな。
でも、
本当に素敵な出会いが、
たくさんありましたね。
前途有望な若手シンガーも、
たくさん知ることができました。
来年は、
こうしたなかから、
一人でも多く、
世に出してあげられるべく、
めいっぱい頑張るつもり。
さらに来年は、
満を持して、
素晴らしい「大型新人グループ!」
をデビューさせるつもりでもいます。
お楽しみに!
年明け最初の私のライブは、
1/8(月・祝)
「ALL OF ME CLUB」
ピアノ・トリオ・ライブです。
そして、
2007年が、
みなさんにとって、
素晴らしい一年になりますように!
どうぞ、
よいお年をお迎えください。
感謝をこめて!
SHUN MIYAZUMI
みなさん、大事ありませんか?
私は25日(月)、
久しぶりに日光に行ってまいりました。
日光は霧降高原にある、
「山の上レストラン」というところで行なわれた、
「スイート・ボイス / クリスマス・コンサート」
にピアニストとして参加。
普段こうした「ピアニストのみの参加」
という仕事は、
あまりやらないのですが、
スイート・ボイスちゃんの、
「いいところですよー。
食事もお酒も抜群ですよー、ウフ。」
という甘い誘惑に心動かされて、
行ってしまった。
とまあ、こういうわけです。
デレデレ。
でも、本当にいいところでした。
美しい山並み。
壮大な霧降(きりふり)の滝。
まるで北斎の画を観ているかのような、
素晴らしい景観に囲まれた西洋風の館での、
楽しいコンサート。
そして、コンサート終了後は、
主催者のみなさんに、
本当に美味しい食事や極上のワイン、
手作りの、それこそ舌がとろけてしまうケーキ、
などをいただいてしまう。
翌朝も、
社長、支配人はじめ、
スタッフのみなさんの、
心温まる「おもてなし」は続く。
同じ系列の、
「西洋料理 明治の館」
というところで、
テレビでも紹介された、
有名な「オムライス」をいただいたり、
これまた極上のチーズ・ケーキを
「おみやげ」にいただいたり、
もう、なんとお礼を言っていいやら…。
本当にありがとうございました。
そうそう、
その「明治の館」で、
(本当に明治時代に建てられた、
西洋風の立派な館)
素晴らしい「蓄音機のコレクション」も、
見せていただきましたよ。
エジソンが開発した第一号の蓄音機、
(当時はディスクではなく、
筒のようなものをこすって音を出す)
に始まって、
アメリカのビクターやコロンビアの一号機、
日本で最初に作られたもの、
などなど、
おびただしい数の蓄音機のコレクション。
実際の音も聴かせてもらいました。
若き日のシナトラや、
ビング・クロスビーの歌声、
パティ・ペイジの「テネシー・ワルツ」の、
オリジナルSPなど。
これまた幸せなひとときでしたね。
スイート・ボイスちゃんにも、
「ありがとう」
と言わなくては。
ところで、
これって、
「なんでも鑑定団」が値段をつけたら、
いったい、いくらになるんだろう…?
そんなバカなことを考えながら、
でも、何ともすがすがしい気分で、
大雨の中を、
帰ってきた次第です。
さあ、
12/29(金)は、
学芸大「A'TRAIN」で、
今年最後のライブです。
文字どおり、
今年の「弾き納め」。
大いに盛り上がりましょう!
そして今年の私のブログも、
これで最後です。
今年も本当にお世話になりました!!
今年の私は、
ひとことで言えば、
「種まきの年」
かな。
でも、
本当に素敵な出会いが、
たくさんありましたね。
前途有望な若手シンガーも、
たくさん知ることができました。
来年は、
こうしたなかから、
一人でも多く、
世に出してあげられるべく、
めいっぱい頑張るつもり。
さらに来年は、
満を持して、
素晴らしい「大型新人グループ!」
をデビューさせるつもりでもいます。
お楽しみに!
年明け最初の私のライブは、
1/8(月・祝)
「ALL OF ME CLUB」
ピアノ・トリオ・ライブです。
そして、
2007年が、
みなさんにとって、
素晴らしい一年になりますように!
どうぞ、
よいお年をお迎えください。
感謝をこめて!
SHUN MIYAZUMI
December 23, 2006
エロール・ガーナーの思い出 その3
メリー・クリスマス!
といいながら、
例年この時期は、
ほんと忙しい…。
20日は「代々木ナル」井口真理ライブ。
久々、はたけやま裕ねえさん
のパーカッションも相変わらずご機嫌!
21日は、
「ケネディクス」
という素晴らしい会社のX'mas・パーティーで、
先日ご紹介した「スイート・ボイス」と、
楽しくライブをやってきました。
いやあ彼女たちは、
実にエンターテイナー。
盛りあげ方が、
本当にうまい。
おかげでこっちも、
ノリノリでした。
その「スイート・ボイス」ですが、
24日(日)のイブは、
横浜駅「スカイ・ビル」10Fのレストラン・フロアで、
「スペシャル・クリスマス・ライブ」
を行ないます。
(18:00〜18:30 / 無料)
お近くにお住まいの方、
よろしかったら、
覗いてみてはいかがですか。
さて今日も、エロール・ガーナーのお話。
2003年3月31日(月) No.42
エロール・ガーナーの思い出 その3
朝の6時。
オーストラリアに旅立ったガーナーを見送ったあと、
あまりの感動に、
どうにもまっすぐ帰る気になれなくて、
私はひとり渋谷に出て時間つぶし。
10時になると、
当時よく通ってた、
道玄坂小路にある「デュエット」
というジャズ喫茶に、
開店と同時に飛び込み、
コーヒーとトーストを注文。
そして、
ガーナーの中でも名盤中の名盤といわれてる、
『コンサート・バイ・ザ・シー』
というアルバムをリクエストしたのです。
そこは3階建て構造になっていて、
ジャケットがスルスルと下から上がって来ると同時に、
ものすごい爆音で音がなり始める。
雰囲気も良く、
私のもっともお気に入りのジャズ喫茶でした。
さてこの有名なライブ・アルバム。
録音状況は必ずしもいいとはいえないのですが、
拍手の中から、
彼得意の力強い、しかも人を食ったようなイントロ、
そしてハッとする弱音でテーマが奏でられる
『I REMEMBER APRIL』
で始まります。
さっきまでのアフター・セッションと違って、
これぞガーナー・スタイルの真骨頂!
もういきなりガーナーもお客さんも乗り乗り。
続く『TEACH ME TONIGHT』では、
さながらひとりビッグバンドのような豪快さ。
そして、なんとまあ粋なこと。
そして、そして、4曲目。
来ました、来ました!
このアルバムの白眉ともいうべき、
歴史的名演奏の、
『枯葉』!!!
なんたる独創性、
なんたるスケールのデカさ、
なんたる美しさ。
長いイントロが終わって、
テーマが出て来たとき、
不覚にも涙ポロポロ…。
数時間前目の前にいた、
あのガーナーの真の偉大さに、
改めて圧倒されてしまいました。
長いジャズ体験の中で、
涙がとまらないなどという感動は、
後にも先にもこのときだけでしょう。
「デュエット」を出ると、
さっそく近くのヤマハでこのアルバムを購入。
以来今日まで、
おそらく最も数多く聞いたアルバムが、
これでしょうね。
アナログ時代に2枚を聞きつぶし、
CD時代になってからも、
家のみならず、
よく飲みに行く店でも、
相変わらずリクエストしたりして、
聞いています。
というわけで今日は、
これからガーナーを聞いてみよう、
と思った方のために、
私がお薦めする、
ガーナーのアルバムを、
何枚かピック・アップしてみました。
まずは、もちろん、
『コンサート・バイ・ザ・シー』!

(オリジナルLP・ジャケット)
それから、
この人がいわゆる「スタンダード」
を弾いてるアルバムは、
他にも山のようにあります。
で、良く言えば「駄作」はひとつもありません。
でも言い換えれば、「全部一緒」です。
スタイルそのものが個性なのですから。
ですから、これを聞いて、
もっとガーナーのスタンダードが聞きたくなったら、
自分の知ってる曲がたくさん入ってるのを
選べばいいのではないでしょうか。
ま、有名な『ミスティー』の、
自作自演は押さえておくべきでしょうが。

それよりも、ここでは、
あまり知られてない異色作をご紹介します。
『パリの印象』

このエロール・ガーナー、
実は、当初アメリカの評論家たちの間では、
「カクテル・ピアノ」とバカにされ、
あまり評価されなかったそうです。
そして傷心のあまりフランスに行ったらしい。
ところが、
さすが「芸術のパリ」ですね。
フランスの人達は、
いち早くこの才能を認め、
「芸術大賞」なんか与えて讃えたそうです。
そのニュースを聞いて、
後から徐々に本国でも認められた、
といういきさつがあるらしいのです。
そんな「フランス」に、
感謝の意味をこめて作った、
2枚組のアルバム。
『ラ・ビアン・ローズ』や『ムーラン・ルージュ』
といったフランスの名曲を、
得意の「ガッガッ」や「トイタタトイタタ」スタイルで、
華麗に弾きまくってます。
各面の最後には、
ハープシコード(チェンバロ)も演奏していて、
これがまた、フランス映画の「パリの裏街」
みたいな哀愁が漂ってて、
ほんとイイ感じ!
それから、
もっと異色作で、
『FEELING IS BELIEVING』

(オリジナルLP・ジャケット)
これは、
スティービー・ワンダーの『FOR ONCE IN MY LIFE』
ビートルズの『YESTERDAY』
といったポップスのヒット曲ばかりを、
あのスタイルでユーモラスにやっています。
実に楽しいアルバムです。
ほんとに人間好きな、
あったかいハートの人だったんだなあと、
しみじみ思いますよ。
さあ、これで、
今日からあなたも、
ガーナー・フリーク!
(おしまい)
(感想 2006/12/23)
私が、毎晩のように飲みに行ってる、
学芸大のジャズ・バー
「A'TRAIN」
そこのマスターのKさんも、
大のガーナー・ファン。
そして、
初めて買ったガーナーのアルバムが、
この『ミスティー』
だったそうです。
そして、
その後数年間、
ジャケットを眺めながら、
ずっと、こう思ってたそうですよ。
「エロール・ガーナーって、
ずいぶん綺麗な女性なんだなあ…。」
ハハハ。
そんなバカな。
SHUN MIYAZUMI
December 19, 2006
エロール・ガーナーの思い出 その2
偶然の一致ですが、
今年の私のブログは、
なぜか現実の出来事と、
リンクしてしまうことが多い…。
松山商業の話を書いたら、
それ以来となる「決勝戦再試合」
「ジェフ・バクスターと牛丼」を書いたら、
吉野家の牛丼が解禁になる。
この間、牡蠣の話を書いたばかりなのに、
今度は「ノロウイルス」で大騒ぎ。
(小原さん、大丈夫でっか?)
ということは、
次は「宝くじに当たる夢」のお話
でも書きましょうかね…。
さて、前回のつづきです。
2003年3月24日(月) No.41
エロール・ガーナーの思い出 その2
世良譲さんの、
「ガーナーを連れてくる」
という一言に期待をふくらませて行った、
「E」というお店では、
結局お目当てのガーナーに会うことが出来ず、
しかも終電にも乗り遅れ、
仕方なく時間つぶしに行った、
六本木の「N」というお店に、
実はなんと、
ガーナーがいた!
そのお店は、
ピアノ・カウンターの他にテーブルがいくつかの、
30人も入ったら満員、
という小さなジャズ・バー。
「ALL OF ME CLUB」をご存知のかたは、
あれを真四角にして、
少し小さめにした感じをご想像下さい。
ベースは鈴木良雄さん(チンさん)だったでしょうか、
鈴木勲(おまスズ)さんだったでしょうか。
ドラムは誰だか忘れましたが、
とにかく噂を聞いて駆けつけた
日本人プレーヤーを相手に、
ノリノリで演奏していたのです。
で、オーナーのTさんが私のために、
ピアノ・カウンターの席を、
一つ用意して下さいました。
ということは、
私とガーナーの距離は、
ほんの1、2メートル。
目と鼻の先。
おお!
なんたる幸運!
なんたる幸せ者!
さて、
こうした「アフター・セッション」のガーナーですが、
驚いたことに、
例の「ガッガッガッ」という、
独特の左手のガーナー・スタイルは、
いっさいやりません。
バド・パウエルに代表される、
ビ・バップからモダンジャズにいたる、
オーソドックスなスタイルで終始演奏。
しかもそれが、
なにをやっても、
上手い!!
上手すぎる!!!
「枯葉」だって、
名盤「コンサート・バイ・ザ・シー」
のあのスタイルではなく、
私たちが普通やる『タラッタッタ〜♪』の感じ。
アドリブもよどみなく、
ウィントン・ケリーやトミー・フラナガン、
ソニー・クラークなんかより、
ずっと、上手いのでは…。
(ただし例のうなり声は一緒。)
なによりも私は、
「なあんだ、普通にちゃんと弾けるんだ!」
とビックリしましたね。
そして、
「普通に弾けた上に、
強烈な個性がないと大スターにはなれない。
やはりアメリカってのはどえらい国だなあ…。」
としみじみ思ったのでした。
とにかく菅野さんはじめ、
みんなが乗せまくるもんだから、
この日のガーナーさん、
終始ご機嫌そのもの。
休憩中は、赤い飲み物、
(「トマト・ジュース」だったのでしょうか?
「ブラディー・マリー」だったのでしょうか?)
を飲みながら、
いろんな人の話や質問に、
嫌な顔ひとつせずニコニコ笑顔で
応対するのです。
ちっともスターぶらない。
人間的なスケールも超一流。
心の広い、人間味のある、
素晴らしい人物でもありました。
ゆえにあんなに暖かい音楽が出来、
世界中の人から愛されたのでしょう。
こうして、
「休憩しては、また演奏」
を繰り返すこと何度か。
なんと朝の6時まで、
弾きっぱなしだったのです。
リクエストしたって、
何だって知ってる。
すぐにやってくれる。
それを、たった水割り1杯400円で、
至近距離で堪能させていただいた私。
幸せすぎる夜でした…。
そして、菅野さんがガーナーさんを、
羽田空港(当時の国際線はまだ羽田)
まで送っていくことになり、
我々は外に出て手を振りながら、
お見送りしたのでした。
これが、
彼の生涯における、
たった一日の、
日本滞在だったのです。
なぜならその数年後、
50代そこそこ、
という若さで、
この稀代の名ピアニストは、
この世を去ってしまったのですから…。
(つづく)
(感想 2006/12/19)
当時の六本木は、
本当に静かな街でしたね。
ディスコも、クラブも、キャバクラも、
いっさい無し。
ケバい若者も、
怪しげな、ぽん引きのお兄さんも、
ほとんどいなかった。
そして、
あちこちに「粋なジャズ・クラブ」が点々。
先日、
忘年会で賑わう六本木の、
すさまじい人の群れを見て、
ふと、そんな昔を、
思い出してしまいました…。
さて、12/20(水)は、
「代々木ナル」
井口真理とのジョイント・ライブです。
透明感のある、
とても美しい声です。
ベースは「竹馬の友」エディー河野、
そして「美人パーカッション」はたけやま裕、
それに私のピアノ、
というトリオがお相手。
どうぞいらして下さい。
SHUN MIYAZUMI
December 15, 2006
エロール・ガーナーの思い出
たまにはジャズのお話もしないと…。
2003年3月15日(土) No.40
エロール・ガーナーの思い出

今日は、
独特のスタイルで
一世を風靡した名ジャズ・ピアニスト、
エロール・ガーナーのお話です。
若い人には馴染みがないかもしれませんが、
ものすごいダイナミズム、
強烈な左手のビハインド・ザ・ビート、
お色気たっぷりに弾くメロディー・ライン、
ユーモア・センス、
豪快なスイング感、
と、まあこれほどスケールの大きなピアニストは、
他にはいません。
名曲「ミスティー」の作曲者としても有名ですね。
大学一年の頃(ジャズを勉強しはじめたころです。)
私が夜な夜な修業に訪れていた、
六本木の「N」というお店には、
菅野邦彦さんという、
それはそれは素晴らしいピアニストが、
毎晩ご機嫌なプレイを繰り広げていました。
当時の六本木には、
朝までやってるジャズ・クラブが多く、
このお店も、
早い時間仕事を終えてのジャム・セッションや、
菅野さんの演奏を聞きに来るミュージシャン達が、
深夜になると集まってきて、
いつも朝までごったがえしていたのです。
そんな菅野さんの私へのアドバイスは決まって
「ガーナーを聞け!」「ガーナーはいいよ。」
というものでした。
でも、その頃の私はまったくの初心者。
ゆえに、
トミー・フラナガン、ウィントン・ケリー、といった
オーソドックスなモダン・ジャズ・ピアノ
ばかり研究していましたから、
正直エロール・ガーナーのスタイルには
まだピンとこないものがありましたね。
そういう菅野さんも、メインは、
ハンプトン・ホーズ、フィニアス・ニューボーン
といった軽快にスイングするスタイル。
ただし時折、
ガーナーの独特な左手の奏法やら、
バラードにおけるエッチな旋律の歌わせ方などで、
ガーナー・スタイルの素晴らしさも、
大いにアピールしてはいました。
そんなエロール・ガーナーが来日。
新宿厚生年金会館で、
たった一日だけコンサートを開きました。
ま、あらゆるジャズ・ピアニストの中でも
別格の大物ですから、
チケットはあっというまに完売。
もちろん貧乏学生の私に、
手が出る金額でもありません。
ところが六本木界隈には、
「コンサート終了後、
どうやら世良譲さんが、
(ご自分が毎晩演奏してる)「E」というお店に、
ガーナーを連れて来るらしいよ。」
といううわさが流れはじめていました。
有名なジャズ・ピアニスト世良譲さんも、
実は大のガーナー・フリーク。
若輩の身ながら、
11時頃、恐る恐るその六本木の「E」
というお店のドアを開けた私。
うわさとは凄いもので、
「ひょっとしてガーナーが来る」
を聞きつけたお客さんで早くもいっぱい。
日野皓正、元彦ご兄弟はじめ、
有名なミュージシャンもいっぱい。
しかし、
ガーナーはいない…。
なんでも、
翌朝一番の飛行機で、
オーストラリア公演に行かねばならぬ。
ということで、
どうやら世良さんの『拉致カンキン』は
失敗に終わったらしいのです。
で、当の世良さん、
よほど悔しかったのか、
酔っぱらってベロベロになりながら、
やけくそのように、
ガーナーの真似で弾きまくっていました。
そのうちお客さんも一人帰り、二人帰り…。
でもその「世良ガーナー」も素晴らしいもので、
うっとりと聞いてるうちに、ハッと気づいたら
終電の時間が過ぎているではないですか。
「仕方がない。「N」にでも行って、
菅野さんのピアノでも聞いて、始発で帰ろう。
あそこだったら水割り1杯400円で
ねばらせてくれるし…。」
と思い、
そのお店までとぼとぼ歩いてドアを開けると、
これがまたいつもより凄いお客さんの数。
さらに峰厚介さん(サックス)や
鈴木良雄さん(ベース)、鈴木勲さん(ベース)
といった有名ミュージシャンもいっぱい。
当のハウス・ピアニストの菅野さんまでが、
客席から「イェーイ!!」
と演奏中のピアニストに向かって叫んでる。
「いったい誰が演奏してるんだろう?」
とステージの方を見ると、
なんと!
エロール・ガーナーが演奏していたのです!!
(つづく)
(感想 2006/12/15)
当時の六本木は、
ジャズ・ピアノを勉強するには、
最高の街でしたね。
今のジャズ・クラブのように、
毎日いろんな人が演奏したり、唄ったり、
というスタイルではなく、
どのお店にも、
ハウス・バンドがいて、
夜な夜な素晴らしい演奏を聴かせてくれる。
しかもミュージック・チャージなんか無し!
貧乏学生の私には、
本当にありがたい環境でした。
「N」の菅野邦彦さん
「E」の世良譲さん
の他にも、
「P」の杉野喜知郎さん
「B」の山本剛さん
「M」の大野三平さん
こうした名ピアニストの演奏を聴くために、
これらの店を、
ほぼ毎晩のようにハシゴしていた私。
そして、
帰りはほとんど始発電車。
こんな生活でした。
そんなある日、
父が恐そうな顔をして、
こう言いました。
「毎日毎日、
夜になると出かけて、朝帰り。
お前は泥棒か!!」
「……。」
SHUN MIYAZUMI
December 12, 2006
忠臣蔵と私 その2
きのうの「六本木 ALL OF ME CLUB」
にお越しのみなさん、
ありがとうございました。
バラエティーに富んだ、
いろんな歌手が歌いに来てくれて、
楽しゅうございました。
次回、このトリオは、
1/8(月・祝)です。
新春弾き初め!
またお待ちしています。
さて、前回のつづき。
2003年12月14日 No.62
忠臣蔵と私 その2
元禄15年(1702年)12月14日
赤穂浪士47名は、
本所松坂町にある吉良上野介邸を襲撃。
見事、
主君浅野内匠頭の無念を晴らしたのであった。
ということで、この日は、
日本人にとって記念すべき一日なのである。
なんで?
ん?
そうか。
今の若い人には、「忠臣蔵」などといっても、
ピンと来ないかもしれませんねえ。
しかし、この一大叙事詩は、
現代人が忘れかけてる「人情」というものを、
いろんなエピソードを通して、
訴えかけているのです。
前回書いたように、
中学時代からの親友の小原氏と私は、
毎年この季節になると、
「忠臣蔵」を酒の肴に、
あきれかえる友人たちを尻目に、
熱く熱く飲みまくるのですが、
そんな、
数ある「忠臣蔵」エピソードのうち、
我らのなかで、
もっとも話題にのぼる一編がコレ。
「垣見五郎兵衛」のお話。
バカにしないで、
ぜひ一度聞いていただきたい。
ということで、
はじまりはじまり〜〜。
一年半あまり、世間の目をごまかしながら、
遊興生活を繰り返してきた大石内蔵助は、
ついに討ち入りの決意をし、
わずかの供を連れて、
同士の待つ江戸ヘ向かいます。
そしてとある宿場で、
「日野家用人 垣見五郎兵衛」
と偽り宿泊。
ところが運悪く、
そこに本物の垣見五郎兵衛一行が通りかかる。
激怒した垣見は、
一目散に大石の部屋へ怒鳴り込む。
垣見「そ、そのほう何者じゃ!
なにゆえ拙者の名を語る!!」
大石「これは異なことを。
拙者こそまことの垣見五郎兵衛。
お手前こそ、どちらのご仁であらせられるか。」
垣見「なにを!この期に及んで、よくもまあ白々しい。
事と次第によっては容赦はせぬぞ!!」
とまあ、えらい剣幕。
垣見の家来共も一様に憤慨。
皆、刀の柄に手をかけている。
襖の向こうでは、逆に大石の家来共が、
いざというときのために、
これまた刀の柄に手をかけ、
かたずを呑んで二人のやりとりに耳を傾けている。
こうした押し問答の末に、
大石はこう切り出します。
大石「仕方がない。
どうしても拙者が垣見五郎兵衛
でないと言い張るなら、
今その証拠の書を、したためますゆえ。」
と言って、硯箱と筆を持ってこさせる。
ところが、
その硯箱に彫ってある紋所は、
なんと、
『播州赤穂 浅野家』のそれ!
垣見は一瞬驚き、そして考えます。
「ということは、
もしやこの男が噂の大石内蔵助では?
その大石が偽名を使う危険を犯してでも
江戸に入ろうとしている。
ということは……。」
全てを察知した垣見は、突如笑いだし、
バツ悪そうに頭を掻きながら、
「いやあ、これはまいった。
悪いことはできぬもんでござるのお。
そう、その通り。
お手前こそが、まことの垣見五郎兵衛殿!
そうと分かればここは退散退散。
いや、悪気は無かったのじゃ。
ひらにお許しを!!」
そして、
訳が分からずきょとーんとしてる家来たちを追い払い、
「これは拙者には不要の物でござる。」
と、本物の通行手形を大石に渡し、
「見事ご本懐を!」
と、深々とお辞儀をして退散するのです。
大石も深々と頭をたれ、
襖の向こうの大石の家来たちも、
ひざまずき、頭をたれ、
そしてその目には、
皆、溢れんばかりの涙が…。
クウ〜〜ッ!!
どや、ええ話やろ?
ということで、
人情味溢れる江戸の昔に思いを馳せながら、
今日もまた酒を飲む私であった…。
おしまい。
(感想 2006/12/12)
ところで、
残念ながらこのお話は、
歌舞伎のための作り話のようですね。
かつて、
箱根関所跡の博物館で、
「播州赤穂 大石内蔵助」
と、書かれた当時の通行名簿を見ましたから。
ちゃんと実名で通過していました。
実は幕府公儀はちゃんとわかっていた。
わかっていて、やらせた。
という説もあります。
「真珠湾」も「9.11」も、
アメリカ政府は、
事前にわかっていた。
わかっていて、やらせた。
とも言われてますね。
いつの時代も、
政治は魑魅魍魎…。
SHUN MIYAZUMI
にお越しのみなさん、
ありがとうございました。
バラエティーに富んだ、
いろんな歌手が歌いに来てくれて、
楽しゅうございました。
次回、このトリオは、
1/8(月・祝)です。
新春弾き初め!
またお待ちしています。
さて、前回のつづき。
2003年12月14日 No.62
忠臣蔵と私 その2
元禄15年(1702年)12月14日
赤穂浪士47名は、
本所松坂町にある吉良上野介邸を襲撃。
見事、
主君浅野内匠頭の無念を晴らしたのであった。
ということで、この日は、
日本人にとって記念すべき一日なのである。
なんで?
ん?
そうか。
今の若い人には、「忠臣蔵」などといっても、
ピンと来ないかもしれませんねえ。
しかし、この一大叙事詩は、
現代人が忘れかけてる「人情」というものを、
いろんなエピソードを通して、
訴えかけているのです。
前回書いたように、
中学時代からの親友の小原氏と私は、
毎年この季節になると、
「忠臣蔵」を酒の肴に、
あきれかえる友人たちを尻目に、
熱く熱く飲みまくるのですが、
そんな、
数ある「忠臣蔵」エピソードのうち、
我らのなかで、
もっとも話題にのぼる一編がコレ。
「垣見五郎兵衛」のお話。
バカにしないで、
ぜひ一度聞いていただきたい。
ということで、
はじまりはじまり〜〜。
一年半あまり、世間の目をごまかしながら、
遊興生活を繰り返してきた大石内蔵助は、
ついに討ち入りの決意をし、
わずかの供を連れて、
同士の待つ江戸ヘ向かいます。
そしてとある宿場で、
「日野家用人 垣見五郎兵衛」
と偽り宿泊。
ところが運悪く、
そこに本物の垣見五郎兵衛一行が通りかかる。
激怒した垣見は、
一目散に大石の部屋へ怒鳴り込む。
垣見「そ、そのほう何者じゃ!
なにゆえ拙者の名を語る!!」
大石「これは異なことを。
拙者こそまことの垣見五郎兵衛。
お手前こそ、どちらのご仁であらせられるか。」
垣見「なにを!この期に及んで、よくもまあ白々しい。
事と次第によっては容赦はせぬぞ!!」
とまあ、えらい剣幕。
垣見の家来共も一様に憤慨。
皆、刀の柄に手をかけている。
襖の向こうでは、逆に大石の家来共が、
いざというときのために、
これまた刀の柄に手をかけ、
かたずを呑んで二人のやりとりに耳を傾けている。
こうした押し問答の末に、
大石はこう切り出します。
大石「仕方がない。
どうしても拙者が垣見五郎兵衛
でないと言い張るなら、
今その証拠の書を、したためますゆえ。」
と言って、硯箱と筆を持ってこさせる。
ところが、
その硯箱に彫ってある紋所は、
なんと、
『播州赤穂 浅野家』のそれ!
垣見は一瞬驚き、そして考えます。
「ということは、
もしやこの男が噂の大石内蔵助では?
その大石が偽名を使う危険を犯してでも
江戸に入ろうとしている。
ということは……。」
全てを察知した垣見は、突如笑いだし、
バツ悪そうに頭を掻きながら、
「いやあ、これはまいった。
悪いことはできぬもんでござるのお。
そう、その通り。
お手前こそが、まことの垣見五郎兵衛殿!
そうと分かればここは退散退散。
いや、悪気は無かったのじゃ。
ひらにお許しを!!」
そして、
訳が分からずきょとーんとしてる家来たちを追い払い、
「これは拙者には不要の物でござる。」
と、本物の通行手形を大石に渡し、
「見事ご本懐を!」
と、深々とお辞儀をして退散するのです。
大石も深々と頭をたれ、
襖の向こうの大石の家来たちも、
ひざまずき、頭をたれ、
そしてその目には、
皆、溢れんばかりの涙が…。
クウ〜〜ッ!!
どや、ええ話やろ?
ということで、
人情味溢れる江戸の昔に思いを馳せながら、
今日もまた酒を飲む私であった…。
おしまい。
(感想 2006/12/12)
ところで、
残念ながらこのお話は、
歌舞伎のための作り話のようですね。
かつて、
箱根関所跡の博物館で、
「播州赤穂 大石内蔵助」
と、書かれた当時の通行名簿を見ましたから。
ちゃんと実名で通過していました。
実は幕府公儀はちゃんとわかっていた。
わかっていて、やらせた。
という説もあります。
「真珠湾」も「9.11」も、
アメリカ政府は、
事前にわかっていた。
わかっていて、やらせた。
とも言われてますね。
いつの時代も、
政治は魑魅魍魎…。
SHUN MIYAZUMI
December 07, 2006
忠臣蔵と私
きょうは、過去ログの中から、
季節がら、
こんなものを引っ張り出してみました。
2003年12月06日 No.61
忠臣蔵と私
師走(しわす)だなあ。
(加山雄三「君といつまでも」の感じで言って下さい。)
僕は師走になるといつも燃えるものがあるんだあ。
それは、
忠臣蔵!
ご存知赤穂浪士47士が、
主君、浅野内匠頭の無念を晴らすため、
宿敵、吉良上野介邸を襲撃。
見事本懐を遂げるという、
江戸の昔から日本人の心を揺さぶり続けてきた
感動の物語。
何を隠そうこの私も、やはり日本人。
子供の頃から、
この季節になると、
いや燃える燃える。
実はこのエッセイにも何度か登場している
私の中学時代からの親友小原氏。
彼とは、今でも時々酒を酌み交わすのですが、
本当に、
どんな話題でも酒の肴になってしまうほどの仲。
そんな二人が、
12月になると決まって、
「忠臣蔵」の話に花が咲く。
O「討ち入りの際、
近隣の武家屋敷が47士応援のために、
灯をともしてあげるだろ。
あれ泣けるねえ。」
M「おうおう。
でも赤穂城明け渡しの際の、
脇坂淡路之守と内蔵助のやりとり。
あれも渋いぞえ。」
O「そうさな。
脇坂が、
『大石、してそちの本心を聞かせてはくれまいか?』
すると大石、
『本心もなにも、もうそれがしも年。
どこぞへ仕官でもして、
家族と共に、のんびりと過ごしまする。』
と、はぐらかし、脇坂の目をじっと見る。
M「すると脇坂が、大石の心中を察して、
『大石、できることならそなたとわしと
入れ替わりたいものよ。』
あれだろ?」
O「クー〜。ええ話やなあ〜。」
ちなみに小原氏。
酒が進むにつれ、
どんどん関西弁になります。
O「内匠頭が切腹するとき、
介添人がふと足を止め
『浅野殿、見事な桜でござるのお』
とある場所を見る。
M「内匠頭がなにげにそこへ視線をやると、
そこには国元へ、殿の最後を報告をするため、
特別に入ることを許された家臣が、
『殿〜。』
と涙をいっぱいにためて、ひざまずいている。」
O「クワ〜〜〜ッ。オヤジもう1本酒!!」
O「でも、なんといっても
『南部坂雪の別れ』やろ。」
M「そうそう。
討ち入りの前の夜、
大石が瑤泉院(内匠頭の未亡人)
を訪ねるんだよな。」
O「おう。
で、喜んだ瑤泉院が、
『大石、ではいよいよ亡き殿のご無念を
晴らしてくれるのですね。』
と来るわな。」
M「それ。しかしあくまで慎重な大石は、
それでも油断することなく、
『いや仇討ちなど滅相もない。
この度仕官が決まりましたので、
そのご報告と、お別れに参りました。』
と、申し訳なさそうに頭を下げる。」
O「そや。
すると瑤泉院は怒って、
『大石!見損なったわ。この不忠者。
顔もみとうないわ。
さっさと立ち去れい!」
M「うんうん。
すると大石は、
『では、これにて失礼つかまつります。』
と寂しそうに‘一本の巻物’を渡して立ち去る。」
O「で、大石が去ってしばらくして、
瑤泉院がその巻物を開くと?」
M「そこには47士の連判状があった!!」
O「キ〜〜〜〜〜〜、オヤジ酒無いでえ!!!」
さらに話は進んで、
大石では長谷川一夫が良かっただの、
吉良は何といても月形龍之介だの、
江守徹の大石はアカンだの、
内匠頭は誰が1番だの、
不破数右衛門は誰だの、
堀部安兵衛は誰がいいだの、
おんなじ話を、
毎年、毎年飽きもせず酒の肴にして、
飲みまくるのです。
我らが友人の多くは、
そんな場面に何度も遭遇。
その度に、
半ばあきれ、
しかしあまりのバカバカしさと、
いい年したオヤジが二人、
口角泡を飛ばして話すその風景を、
最後は微笑ましく見ながら、
夜はどんどんふけてゆく。
もうかれこれ40年近くもやっているでしょうかねえ、
コレ。
アハハ。
酒は楽し。
赤穂浪士バンザイ!
日本バンザイ!
そんなバカな我らが、
数々ある「忠臣蔵」のエピソードの中で、
もっとも話題に上る感動の一編。
次回はそれを行ってみたいと思います。
(感想 2006/12/7)
この小原さん。
牡蠣が大好き。
この季節になると、
毎日、
いや「毎食」
牡蠣を食べています。
「きょうはここのカキフライ」
「きょうはあそこの生ガキ」
そして、
ひと冬に4回は、
牡蠣に、
あたる。
のたうちまわる。
しかし毎食、
いろんなところで食べるわけですから、
どこの、どの牡蠣にあたったか、
わからない。
これを繰り返しております。
みなさんも、
いくら好きとはいえ、
食べ過ぎには注意しましょう。
さて、12/11(月)は、
今年最後の「六本木 ALL OF ME CLUB」
ピアノ・トリオ・ライブです。
忘年会も兼ねて、
パーっと盛り上がりましょう。
歌手のみんなも、
唄いに来てね。
SHUN MIYAZUMI
季節がら、
こんなものを引っ張り出してみました。
2003年12月06日 No.61
忠臣蔵と私
師走(しわす)だなあ。
(加山雄三「君といつまでも」の感じで言って下さい。)
僕は師走になるといつも燃えるものがあるんだあ。
それは、
忠臣蔵!
ご存知赤穂浪士47士が、
主君、浅野内匠頭の無念を晴らすため、
宿敵、吉良上野介邸を襲撃。
見事本懐を遂げるという、
江戸の昔から日本人の心を揺さぶり続けてきた
感動の物語。
何を隠そうこの私も、やはり日本人。
子供の頃から、
この季節になると、
いや燃える燃える。
実はこのエッセイにも何度か登場している
私の中学時代からの親友小原氏。
彼とは、今でも時々酒を酌み交わすのですが、
本当に、
どんな話題でも酒の肴になってしまうほどの仲。
そんな二人が、
12月になると決まって、
「忠臣蔵」の話に花が咲く。
O「討ち入りの際、
近隣の武家屋敷が47士応援のために、
灯をともしてあげるだろ。
あれ泣けるねえ。」
M「おうおう。
でも赤穂城明け渡しの際の、
脇坂淡路之守と内蔵助のやりとり。
あれも渋いぞえ。」
O「そうさな。
脇坂が、
『大石、してそちの本心を聞かせてはくれまいか?』
すると大石、
『本心もなにも、もうそれがしも年。
どこぞへ仕官でもして、
家族と共に、のんびりと過ごしまする。』
と、はぐらかし、脇坂の目をじっと見る。
M「すると脇坂が、大石の心中を察して、
『大石、できることならそなたとわしと
入れ替わりたいものよ。』
あれだろ?」
O「クー〜。ええ話やなあ〜。」
ちなみに小原氏。
酒が進むにつれ、
どんどん関西弁になります。
O「内匠頭が切腹するとき、
介添人がふと足を止め
『浅野殿、見事な桜でござるのお』
とある場所を見る。
M「内匠頭がなにげにそこへ視線をやると、
そこには国元へ、殿の最後を報告をするため、
特別に入ることを許された家臣が、
『殿〜。』
と涙をいっぱいにためて、ひざまずいている。」
O「クワ〜〜〜ッ。オヤジもう1本酒!!」
O「でも、なんといっても
『南部坂雪の別れ』やろ。」
M「そうそう。
討ち入りの前の夜、
大石が瑤泉院(内匠頭の未亡人)
を訪ねるんだよな。」
O「おう。
で、喜んだ瑤泉院が、
『大石、ではいよいよ亡き殿のご無念を
晴らしてくれるのですね。』
と来るわな。」
M「それ。しかしあくまで慎重な大石は、
それでも油断することなく、
『いや仇討ちなど滅相もない。
この度仕官が決まりましたので、
そのご報告と、お別れに参りました。』
と、申し訳なさそうに頭を下げる。」
O「そや。
すると瑤泉院は怒って、
『大石!見損なったわ。この不忠者。
顔もみとうないわ。
さっさと立ち去れい!」
M「うんうん。
すると大石は、
『では、これにて失礼つかまつります。』
と寂しそうに‘一本の巻物’を渡して立ち去る。」
O「で、大石が去ってしばらくして、
瑤泉院がその巻物を開くと?」
M「そこには47士の連判状があった!!」
O「キ〜〜〜〜〜〜、オヤジ酒無いでえ!!!」
さらに話は進んで、
大石では長谷川一夫が良かっただの、
吉良は何といても月形龍之介だの、
江守徹の大石はアカンだの、
内匠頭は誰が1番だの、
不破数右衛門は誰だの、
堀部安兵衛は誰がいいだの、
おんなじ話を、
毎年、毎年飽きもせず酒の肴にして、
飲みまくるのです。
我らが友人の多くは、
そんな場面に何度も遭遇。
その度に、
半ばあきれ、
しかしあまりのバカバカしさと、
いい年したオヤジが二人、
口角泡を飛ばして話すその風景を、
最後は微笑ましく見ながら、
夜はどんどんふけてゆく。
もうかれこれ40年近くもやっているでしょうかねえ、
コレ。
アハハ。
酒は楽し。
赤穂浪士バンザイ!
日本バンザイ!
そんなバカな我らが、
数々ある「忠臣蔵」のエピソードの中で、
もっとも話題に上る感動の一編。
次回はそれを行ってみたいと思います。
(感想 2006/12/7)
この小原さん。
牡蠣が大好き。
この季節になると、
毎日、
いや「毎食」
牡蠣を食べています。
「きょうはここのカキフライ」
「きょうはあそこの生ガキ」
そして、
ひと冬に4回は、
牡蠣に、
あたる。
のたうちまわる。
しかし毎食、
いろんなところで食べるわけですから、
どこの、どの牡蠣にあたったか、
わからない。
これを繰り返しております。
みなさんも、
いくら好きとはいえ、
食べ過ぎには注意しましょう。
さて、12/11(月)は、
今年最後の「六本木 ALL OF ME CLUB」
ピアノ・トリオ・ライブです。
忘年会も兼ねて、
パーっと盛り上がりましょう。
歌手のみんなも、
唄いに来てね。
SHUN MIYAZUMI
December 04, 2006
アガサ・クリスティー名作ランキング
早いもので、もう12月か。
あとひと月、
「終わりよければすべて良し」
になるように、
頑張らねば…。
ということで、
ホームズとポワロ・シリーズの最終回です。
2003年3月8日(土) No.39
アガサ・クリスティー名作ランキング
アガサ・クリスティーの生みだした探偵は、
エルキュール・ポワロ以外にもいくつかあります。
そのなかでも有名なのが、
ミス・マープルというおばあちゃん。
実は私、
若い頃はこのマープルばあさん、
あまり好きではありませんでした。
イギリスの片田舎で、
編み物かなんかしながら推理する、
などというシチュエーションが、
どうにも男の私には、
かったるい。
しかし年をとったせいか、
最近では妙にこのばあさんに親近感を覚えます。
近くにこんな人がいたら、
さぞや素敵でしょうね。
しょっちゅうお茶かなんか飲みに行って、
いろいろ話すうちに、
人生や人間関係のヒントなんかもらえたりして。
何度も言うようですが、
クリスティーの創作力、アイディアは、
枯れることがありませんでした。
独創的なトリック、意外な真犯人、
その殺害方法、動機。
真相が分かったうえでもう一度読み直すと、
実はちゃんとヒントはちりばめられている。
「なあんだ、ちゃんと書いてあるじゃないか。」
しかし読者を困惑させる罠が
幾重にもしかけられていて、
我々凡人には、
なかなか真相にたどり着くことはできません。
「意外な真犯人」だろうと思って、
一番犯人らしくないやつに的をしぼっていても、
はぐらかされる。
そしてふたつとして同じ手口のものがない。
見事です!
といったところで、
お約束どおり、
私の推奨する
「アガサ・クリスティー名作ランキング」
行ってみたいと思います。
ただし、あまりにも有名な
「アクロイド殺人事件」
「オリエント急行殺人事件」
「ABC殺人事件」
「そして誰もいなくなった」
は除外しました。
私よりもっと熱心なクリスティー・ファンから
「なんであれが◯◯位なんだよー」
とお叱りを受けそうですから。
では行きます。
第01位 「エッジウェア卿の死」(ポワロ)
第02位 「予告殺人」(マープル)
第03位 「三幕の殺人」(ポワロ)
第04位 「蒼ざめた馬」
(決してこれを読んで、
この方法を真似してはいけません。
でも凄いアイディア。)
第05位 「ポワロのクリスマス」(ポワロ)
第06位 「葬儀を終えて」(ポワロ)
第07位 「鏡は横にひび割れて」(マープル)
第08位 「第三の女」(ポワロ)
第09位 「邪悪の家」(ポワロ)
第10位 「死者のあやまち」(ポワロ)
ええいもっと行っちゃえ。
第11位 「カリブ海の秘密」(マープル)
第12位 「白昼の悪魔」(ポワロ)
第13位 「メソポタミアの殺人」(ポワロ)
第14位 「魔術の殺人」(マープル)
第15位 「ナイルに死す」(ポワロ)
(これ実は映画を先に見ちゃったんだなあ。
故に面白みが半減。
ちなみにクリスティー物の映画は、
「オりエント急行殺人事件」を除いては、
ロクな物がありません。
でも、あれだけはキャスティングが凄くて、
それだけで楽しめました。)
第16位 「親指のうずき」(トミーとタペンス)
(スパイ冒険物のおしどり探偵シリーズの中で、
唯一推理小説的醍醐味があって好きです。)
第17位 「ゴルフ場殺人事件」(ポワロ)
第18位 「死との約束」(ポワロ)
第19位 「ひらいたトランプ」(ポワロ)
(ただしこれ、
「コントラクト・ブリッジ」
をご存知ない方には
お薦めしません。)
第20位 「無実はさいなむ」
いやあ、もうきりがない。
こんなところにしておきましょう。
ちなみに短編では
有名な「検察側の証人」と
「三匹のめくらのネズミ」が、
やはり秀逸です。
どうぞ、みなさんも、
だまされたと思って、
一度お読みになってみてはいかがですか。
(感想 2006/12/04)
シャーロック・ホームズの生みの親、
コナン・ドイルは実際、
無実なのに有罪になった人から依頼を受け、
独自の調査により真相をあばき出し、
真犯人を見つけ、
依頼人を救ったという話が、
一度ならず二度も、
あるそうです。
ますますもって、
イギリスの「国民的英雄」となったわけですが、
実はドイルそのものが、
名探偵だったわけですね。
ではもしアガサ・クリスティーが、
実際の犯罪を企んだとしたらどうでしょう。
おそらくは、
そのほとんどが、
完全犯罪になったでしょうね。
そのくらい緻密な犯罪方法が、
どの作品にもちりばめられていて、
しかもそれを解明するには、
大変な知恵が要求されるわけですから。
小説家でよかったですね。
おお、こわ。
SHUN MIYAZUMI
あとひと月、
「終わりよければすべて良し」
になるように、
頑張らねば…。
ということで、
ホームズとポワロ・シリーズの最終回です。
2003年3月8日(土) No.39
アガサ・クリスティー名作ランキング
アガサ・クリスティーの生みだした探偵は、
エルキュール・ポワロ以外にもいくつかあります。
そのなかでも有名なのが、
ミス・マープルというおばあちゃん。
実は私、
若い頃はこのマープルばあさん、
あまり好きではありませんでした。
イギリスの片田舎で、
編み物かなんかしながら推理する、
などというシチュエーションが、
どうにも男の私には、
かったるい。
しかし年をとったせいか、
最近では妙にこのばあさんに親近感を覚えます。
近くにこんな人がいたら、
さぞや素敵でしょうね。
しょっちゅうお茶かなんか飲みに行って、
いろいろ話すうちに、
人生や人間関係のヒントなんかもらえたりして。
何度も言うようですが、
クリスティーの創作力、アイディアは、
枯れることがありませんでした。
独創的なトリック、意外な真犯人、
その殺害方法、動機。
真相が分かったうえでもう一度読み直すと、
実はちゃんとヒントはちりばめられている。
「なあんだ、ちゃんと書いてあるじゃないか。」
しかし読者を困惑させる罠が
幾重にもしかけられていて、
我々凡人には、
なかなか真相にたどり着くことはできません。
「意外な真犯人」だろうと思って、
一番犯人らしくないやつに的をしぼっていても、
はぐらかされる。
そしてふたつとして同じ手口のものがない。
見事です!
といったところで、
お約束どおり、
私の推奨する
「アガサ・クリスティー名作ランキング」
行ってみたいと思います。
ただし、あまりにも有名な
「アクロイド殺人事件」
「オリエント急行殺人事件」
「ABC殺人事件」
「そして誰もいなくなった」
は除外しました。
私よりもっと熱心なクリスティー・ファンから
「なんであれが◯◯位なんだよー」
とお叱りを受けそうですから。
では行きます。
第01位 「エッジウェア卿の死」(ポワロ)
第02位 「予告殺人」(マープル)
第03位 「三幕の殺人」(ポワロ)
第04位 「蒼ざめた馬」
(決してこれを読んで、
この方法を真似してはいけません。
でも凄いアイディア。)
第05位 「ポワロのクリスマス」(ポワロ)
第06位 「葬儀を終えて」(ポワロ)
第07位 「鏡は横にひび割れて」(マープル)
第08位 「第三の女」(ポワロ)
第09位 「邪悪の家」(ポワロ)
第10位 「死者のあやまち」(ポワロ)
ええいもっと行っちゃえ。
第11位 「カリブ海の秘密」(マープル)
第12位 「白昼の悪魔」(ポワロ)
第13位 「メソポタミアの殺人」(ポワロ)
第14位 「魔術の殺人」(マープル)
第15位 「ナイルに死す」(ポワロ)
(これ実は映画を先に見ちゃったんだなあ。
故に面白みが半減。
ちなみにクリスティー物の映画は、
「オりエント急行殺人事件」を除いては、
ロクな物がありません。
でも、あれだけはキャスティングが凄くて、
それだけで楽しめました。)
第16位 「親指のうずき」(トミーとタペンス)
(スパイ冒険物のおしどり探偵シリーズの中で、
唯一推理小説的醍醐味があって好きです。)
第17位 「ゴルフ場殺人事件」(ポワロ)
第18位 「死との約束」(ポワロ)
第19位 「ひらいたトランプ」(ポワロ)
(ただしこれ、
「コントラクト・ブリッジ」
をご存知ない方には
お薦めしません。)
第20位 「無実はさいなむ」
いやあ、もうきりがない。
こんなところにしておきましょう。
ちなみに短編では
有名な「検察側の証人」と
「三匹のめくらのネズミ」が、
やはり秀逸です。
どうぞ、みなさんも、
だまされたと思って、
一度お読みになってみてはいかがですか。
(感想 2006/12/04)
シャーロック・ホームズの生みの親、
コナン・ドイルは実際、
無実なのに有罪になった人から依頼を受け、
独自の調査により真相をあばき出し、
真犯人を見つけ、
依頼人を救ったという話が、
一度ならず二度も、
あるそうです。
ますますもって、
イギリスの「国民的英雄」となったわけですが、
実はドイルそのものが、
名探偵だったわけですね。
ではもしアガサ・クリスティーが、
実際の犯罪を企んだとしたらどうでしょう。
おそらくは、
そのほとんどが、
完全犯罪になったでしょうね。
そのくらい緻密な犯罪方法が、
どの作品にもちりばめられていて、
しかもそれを解明するには、
大変な知恵が要求されるわけですから。
小説家でよかったですね。
おお、こわ。
SHUN MIYAZUMI