January 2007

January 29, 2007

私をスキーに連れてかないで その5

金曜日の「学芸大 A'TRAIN」も、
盛り上がりましたねえ。

みなさん遅くまで、
(というか、朝早くまで)

お疲れさまでした。

来月もお待ちしてますよー。


というわけで今日も、

「骨折ストーリー」のつづきです。



2004年02月11日 No.69
私をスキーに連れてかないで その5


1979年1月。

「大森日赤病院」の、
整形外科病棟にかつぎ込まれて、
早や2週間。

左足はギプスでしっかり固定され、
松葉杖を使って、
「用足し」や「タバコを一服」などに、
ひとりで行く亊ができるようになると、

もう誰も面会に来てくれなくなりました。

したがって、
3食のメシ以外、
なんにもやることがない。

退屈極まりない。


そこで、

これを機に、
本格的に読書でもしてみようかと、
思ったわけです。


初めのうちは、
週刊誌やら軽い推理小説、
なんかを読んでたのですが、

それも、なんかもったいない。

せっかくだから、なにか長〜い物、
普段ではあまり読めないような物を、

と思い、

まずは、
司馬遼太郎の「竜馬がゆく」
を買ってきてもらいました。

文庫本にして全8巻。


土佐の高知に生まれ、
大きくなってからも愚鈍で有名な、
郷士のせがれ坂本竜馬が、

たいして期待もかけられないまま、
剣術修業のため、
江戸に向かうところから、
この物語は始まります。


最初のうちは単なる時代小説かなと、
軽い読み物のつもりで、
鼻くそかなんかをほじくりながら読んでいた。

ところが、

黒船が来航し、
勝海舟を知り、
「これからは剣の時代ではない!」と悟り、
ついには脱藩して京に赴くあたりから、

が然私は、
この小説にハマってしまいました。


司馬氏の文章は実に巧みで読みやすい。

かつ、話のひとつひとつが、
生き生きとしていて、
感心させられたり、
うるっとさせられたり。


朝6時に看護婦に起こされ、
メシが来るまでペラペラ。

先生が回診に来るまでの時間もペラペラ。

昼飯までの数時間も、
午後も、
夕食後、消灯までの数時間も、

ただひたすらに、
ペラペラとページをめくる私。

ひとつの本がけっこうぶ厚いのですが、
一日一巻のペースで、
あっという間に読んでしまいました。


いやあ、感動しましたね。

坂本竜馬って、

こんなにスケールのでかい男だったんだ…。


当時の私は27才。
レコード・プロデューサーとして、
少しはサマになってきたのかな、
という時期。

しかし、

この坂本竜馬を、
プロデューサーと見たてるなら、

古今東西、
こんなにスケールのでかいプロデューサーは、
いませんね。


一介の脱藩浪人、
つまり「フリー」の身でありながら、

仲の悪い薩摩と長州を同盟させ(薩長同盟)、
幕府に、政権を朝廷に帰させる(大政奉還)、
などという大仕事を、

みごとに一人でやってのけた。

しかも、
大政奉還後の新政府の陣容を考えたり、
五箇条の御誓文の原案となる
「船中八策」を考案したり、

明治維新や日本の近代化は、
この男なくしてはありえなかったのです。


いわば、
日本という、
「国をプロデュース」したことになる。


そして自分は、
その権力側に座ることには、
なんの興味もない。


なによりも、ビックリしたのは、
その‘行動力’ですね。

この人、
わずか33年という短い生涯の間に、
江戸と京の間を、
いったい何度往復したんだろう?

ほとんどが‘歩き’なのに。

あるいは、
きょう長崎にいるかと思うと、
突如薩摩(鹿児島)に現れたり、
自在に船まで操り、

どこまでも行ってしまう。


出不精の私には、

考えられない…。

坂本竜馬くん、

あんたはえらい!


それまでの私といえば、

ここまで長い小説を読んだこともなければ、
「人生」とか「人間関係」とかいうものを、
そんなに真剣に、
考えたこともありませんでしたから、

感動、
と同時に、

大きな衝撃を受けましたねえ。


「これは、いいものに出会った!!」


退屈しのぎに始めた読書でしたが、

今後の入院生活に、
大きな楽しみが得られそうな、

そんな予感。


(つづく)



(感想 2007/1/29)


この時期、

私は‘チョビひげ’をはやしておりました。

理由はただひとつ。

おひげの手入れだけでも、
若干の「暇つぶし」にはなるからです。


『ショーシャンクの空に』という映画のなかで、
(この映画、好きだなあ。)

主役のティム・ロビンスが、
一生懸命「石の彫り物」を作るシーンがある。

そして、
渋い相方のモーガン・フリーマンがこう言う。

「囚人は暇つぶしのためなら、
 何だってやる。」

病院も一緒ですね。


さあ、
1/31(水)は「代々木ナル」
でライブ。

私の大好きな女性ジャズ・シンガー
『CHIHARU(チハル)』
との競演です。

彼女のジャズは、まさに本物!

まだの方、

ぜひ一度体感してみて下さい。



SHUN MIYAZUMI


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〜2005 エッセイ 2  

January 25, 2007

私をスキーに連れてかないで その4


いやあ、きのうの「ALL OF ME CLUB」は、
盛り上がったなあ。

みなさん、ありがとうございました。

ライブが終わってからも、
みんな帰らず、
スイート・ボイスやメンバー、
残ったお客さんたちと延々酒盛り。

さながら、
場所をそのまま借りて新年会、
といった感じでしたね。

結局帰ったの3時。


若いサラリーマン諸君も、
いっぱい残っていたけど、
きょうは眠いだろうなあ。


というわけで、
次回、このスイート・ボイス・セッションは

4/6(金)です。


それにしても、
思ったことは、

「健康とはありがたい」

ということ…。



2004年02月01日 No.68
私をスキーに連れてかないで その4


1979年の1月。

手術が終わり、
一週間で抜糸が終わり、
ひざから下をギプスで固定。

松葉杖を与えられ、
用足しも自分で行けるようになり、
タバコも、
ロビーまで行って吸えるようになりました。

しかし、
まだまだここから約2ヶ月の入院生活。

なんとか楽しみを見つけなくてはなりません。


「そんな私の日課」


朝の6時。

部屋の明かりがパーっとついて、
看護婦さんが、
「皆さん、朝ですよ〜!」と入ってきて、
「変わりありませんか?」と聞いてくる。

変わりありませんよ。

「整形外科」ってのは、
内臓は元気なのだから。

動くのが不自由なだけなのです。


そして、

7時に食事、
8時に検診が終わると、

もうなんにもやることが無い。


そこで、
まず下の売店で、
週刊誌、スポーツ紙をごっそり買い込む。

一週間ぶりに、
世間の様子を知り、
その後、
病室の人達とぺちゃくちゃ世間話。


そうこうするうちに、
12時の昼飯が運ばれてくる。

元気な整形外科病棟では、
この3度の食事だけが、
何よりの楽しみです。

なるべく時間をかけて、
ゆっくり食べる。


するとまた、
なにもやることが無い。


そこで、
ロビーにタバコを一服しに行くと、

「おっ、将棋をやってるな!」

そう、
初老のおっさんが二人で、
将棋をやってます。

で、
とりあえず、
これを見学することにしました。


ところが、
これが、

すご〜いヘボ将棋。


私も別に大したことはないし、
ちゃんと習ったことはないにせよ、
簡単な定石くらいは、
いくつか知っていたので、

そのお二人を見てると、
つい言いたくなってしまい、

よせばいいのに、

「あのお、そこは、
 桂馬で受けたほうがいいのでは…」
などと、余計なアドバイス。

でも、
「だよね、君若いのになかなかやるね。」
とか言われると、
ちょっと嬉しい気分。


すると今度は、
相手方のおっさんが、
とんでもない手を指す。

「ああ、それだと飛車が死んじゃいますよ。
 ここは、まず一回歩で受けて、
 それからこうしてああして」
などと、
さらに調子に乗ってしまう私。

すると、

最初は機嫌よく指していたお二人の顔が、
次第に険しくなっていくのが分かります。

「これはまずい!」
と察し、
そーっと退散して、
部屋に戻る。


午後の3時になると「面会時間」。

最初のうちは、
会社(アルファ)の連中やら、
いろんな人が心配して、
見舞いに来てくれました。

おかげで、退屈がしのげる。

でも、それもほんの2週間だけで、
そのうち面会者も来なくなると、
またまた退屈極まりない午後が続きます。


そして夜になる。

6時の晩飯を食べ、

「そうだ!
 きょうはボクシングの世界戦がある。
 久しぶりにテレビでも見に行こう。」

と、
下(一階ロビー)のTVのある所ヘ行ってみると、

そこは、
爺さんばあさんの溜まり場。

みんなでなごやかに、
「水戸黄門」かなんか、
観ている。

「チッ」と舌打ちして、
仕方なく病室に帰る私。


こんな生活が続きました。

そして次第に、

「なんとかしなければ。
 折角こんなに自由な時間があるのだから、
 なんかしなければ…。」

と、あせりが芽生える。


そんなある日、

「そうだ。
 こういう機会だから、
 思いきって、
 なが〜い小説でも読んでみよう。」

と、ひらめいた。


翌日、

司馬遼太郎「竜馬がゆく」
の文庫本(全8巻)を、
買ってきてもらいました。


これ、これ。

これが、

この入院生活を、
有意義なものにしてくれた、

始まりだったのです。


(つづく)



(感想 2007/1/25)


ヒッチコックの映画『裏窓』
というのをご存知ですか?

事故で足を骨折したカメラマンが、
退屈しのぎに、
自分のアパートの裏窓から見える、
人間模様を覗き見する楽しみを覚える。

そのうちに、
ある事件を目撃して…、

という、
コミカルなサスペンス物なのですが、


あの気持ちわかるなあ。


それほど、
動けないというのは、

退屈なものなのですよ。


さあ、
1/26(金)は、
学芸大「 A'TRAIN 」
でライブ。

動ける幸せを感じながら、


大いに盛り上がりたいと思います。



SHUN MIYAZUMI


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〜2005 エッセイ 2  

January 22, 2007

私をスキーに連れてかないで その3


私には絶対無理と思われる職業(もの)


1.「高層ビルの建築現場で働く人」「パイロット」
 
  (高所恐怖症だから)

2.「F-1レーサー」「新幹線の運転士」

  (スピード恐怖症だから)

3.ウィンター・スポーツの選手



2004年01月21日 No.67
私をスキーに連れてかないで  その3


新年早々、スキーで骨折。

なんとも情けないスタートとなった、
1979年のお正月。


そう、今となっては笑い話。


しかし、

その時は真っ青でありました。


当時は大森に住んでまして、
したがって担ぎ込まれた病院は、
「大森日赤病院」
というところ。

そして、すぐさま手術!

なんでも、
折れた骨が離れてしまってるので、
ボルトで固定、くっつくまでギプス、
約2ヶ月の入院、リハビリに2ヶ月、
社会復帰は春。

などという、
残酷な診断が下されたのです。

(手術をしなくても直るのですが、
 それこそ新潟の医者が言ったとおり、
 一年はかかるんだそうです。
 「とんでもない!」
 ということで、あっさり手術に同意。)


さて、
初めて体験する「手術」なるものも無事終了。

いやあ、その夜は地獄でしたね。
麻酔が切れると、
傷口が痛いの何のって。

一晩中唸っておりました。


でも翌日になると、
不思議と痛みも消え初め、

そうなると、

ようやく周りの景色も見えてきます。


私がいたのは、
「整形外科」6人部屋の廊下側。

奥の窓側には、
腰を悪くして入院している人が二人。
高知出身で、牢名主のような風格のNさんと、
畳職人のMさん。

お二人とも、
もう半年もギプス・ベッドで寝たきりだそうです。


それから、
Sさんという初老の方に若いのが二人。
(私もその時は27才でしたが、彼らはもっと若い。)

その若い方のK君は、
バイクで鎖骨を折っただけなので、
こいつが一番ふらふら病院中を歩き回れる。

面会時間は3時なので、
ちょっとした用達(雑誌や新聞を買ってくるとか)は、
みな彼に頼んでるようでした。


起床は6時、消灯は9時。

朝6時になると、
パーっと明かりがついて、
看護婦さんたちがにぎやかに動き回ります。

体調ほかの様子を聞き、
体温をはかり、
洗面の手伝いをしてくれ、
7時には食事。
そのあと、部長先生の検診。


私の場合、約一週間で抜糸、
その後にギプスで固定。
したがって一週間は、
ベッドから一歩も出られません。

さあ、困ったのが「用足し」です。

小便のほうは何とか一人でできますが、
大きいほうとなると、そうはいかない。

いやでも看護婦さんのお力を借りねばならない。

しかも私、
今も昔も快食快便体質ですから、
毎朝決まった時間に、
ちゃんとお迎えがくる。

しかし、
恥ずかしがっててもしょうがないので、
がんばって一週間を乗りきりました。


畳職人のMさんなどは、
これがいやでいやで、
つい我慢しちゃうもんですから、
10日に一度は「浣腸の刑」にあってましたねえ。

お気の毒に…。


そんなある日、
Mさんが、しみじみと聞いてきました。

「宮住さん、よく毎日毎日、ちゃんとできるねえ。
 私なんか、
 度胸がないというか、恥ずかしくて、
 考えただけで、
 出るものも出ないんですよ。」

それに対して、
私はこう答えました。

「こういうのを‘くそ度胸’って言うんでしょうか。」


「……。」


おっと、失礼!!



さあ、一週間がすぎました。

晴れて抜糸も終わり、
ギプスで固定、
松葉つえを与えられ、
ようやく自力で歩くことも、
用足しに行くことも、
できるようになりました。


こうなると、覚悟を決め、
与えられた入院生活を楽しむ方法を
見つけなければなりません。

なにせ、
歩くのが杖頼りで不自由なほかは、
いたって元気なのですから。

私の病室仲間も同じです。

動けないほかは、
いたって元気そのものですから、
いやあうるさいのなんの。

まあこれが「整形外科」のいいところ。

これが、内科病棟だったら、
病状が悪くなる人もいるわけですから、

こうはいきませんよね。


といったところで、次回は、
私のその後の「楽しい(?)入院生活」
のあれこれです。


(つづく)



(感想 2007/1/22)


かつて(2004年)、
これを書いた翌日が、
たまたま「代々木ナル」でライブ。

そそっかしいお客さんの一人が、
心配そうに、
こう聞いてきました。

「シュンちゃん、
 足折ったんだって?
 大丈夫?
 ピアノ弾けんの?」

「……。」


わたしゃ、ちゃんと、
「1979年のお正月」
って書いてあるのに…。


というわけで、
今は2007年の1月22日です。

お間違えなきように。

私はピンピンしております。


1/24(水)は、
「六本木 ALL OF ME CLUB」で、
スイート・ボイスと元気にライブです。

彼女たちのために、
渾身の力をふり絞って書き下ろした、
「超大作」も、
初めてご披露致します。


どうぞ、いらして下さい!



SHUN MIYAZUMI


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〜2005 エッセイ 2  

January 18, 2007

私をスキーに連れてかないで その2

きのうは寒かったですねえ。


でも…

今年は…

やはり暖冬!


こんなに寒い日は、
まだ数えるくらいしかない。


どう考えても、

地球はおかしい。


真冬のニューヨークが22°!?

真冬のフランスのスキー場で桜が咲く!?


世界の指導者のみなさん、

真剣に考えないと、

地球はやばいですよー…。



2004年01月11日 No.66
私をスキーに連れてかないで  その2



1979年の元旦。

生まれてはじめて、
正月を自宅以外で過ごすことになった私。


いや、ほんとはね、

行きたくなかったんすよ。


前回も書いたとおり、
私は「滑るもの」が大の苦手。

それに、
寒いじゃないですか、
スキー場って。
(滑らないからか?)

夜の宴会だけは楽しいとしても、
昼間をどうやって過ごせばいいのか…。

けっこう憂鬱な気持ちのまま、
なんとなく、
新潟県は六日町のスキー場に、
到着してしまいました。


ま、その日の夜は、
みんなでトランプやったりして、
それなりに楽しく過ごす。

そして、

朝がやって来ました。


「あの、俺、
 今日は部屋で寝ててもいいかなあ?
 きのう飲みすぎちゃったし…。
 みんな、楽しんできてよ。ダメ?」

「なに言ってんのよ。ほら、早く仕度仕度!」

と家内やみんなに促されて、
しぶしぶゲレンデへ。


仕方がない。
こうなったら覚悟を決めました。

男の子だ。

強がって、

「今回は足の一本も折るくらいのつもりでやるもん。」
と、みんなに宣言。

みんな、
「おお、その意気! その意気!」

そして、リフト券を大量に買い込み、

いざ出陣。


でも、
山頂につくやいなや、
みんな私を置いて、
さっそうと滑り出す。

「冷たいなあ…。」

ひとりつぶやく私。

「なあに、スキーなんて簡単、簡単。
 みんなにできて、
 俺にできないことはないさ。」

と開き直り、

自分をはげまし、

目の前を軽快に滑っていったスキーヤーを、
見様見まね、

ついに、

滑り出してしまった。


ところが、

これが、

思ってたよりも急な傾斜で、
ぐんぐんスピードが上がる。


その数秒後!


ちょっとした‘こぶ’にひっかかった私は、

ものの見事に転倒。

不幸にも、そのまま、
スキーの板がはずれることなく二転三転…。


そして、気がついたときには、

左足に強烈な痛みを覚えていました。


心配した、スキーヤーたちのひとりが、
レスキュー隊の人達を連れてきてくれました。


「あ、こりゃ完全に折れてるな。」


「ガ〜〜〜〜〜〜ン……。」


何度もいうように、

生まれてこの方、
正月に遠出をしたのは、
このときが初めて。


だから、言わんこっちゃない…。


私の嫌な予感はみごとに的中し、

さらに、診てもらった地元の医者は、
「こりゃ複雑骨折。
 ま、社会復帰までに一年はかかるな。」

と、あまりに残酷なことを、
軽々と言ってのける。


青ざめましたねえ。


みなさんも、
普段と違うことをするときは、
くれぐれもお気をつけ下さい。

ましてや、

「足の一本も折るくらいのつもりでやる。」
などという不吉なことは、

絶対に言わないほうがよろしい。


こうしてこの年は、

「病院生活で幕を開ける」

という、


まことにおそまつなスタート、

と相成ったわけであります。


(つづく)



(感想 2007/1/18)


先日、

「スイート・ボイスと日光に行ったお話」
を書きましたが、

そのときご一緒した、
ベースの藤田わたるさんは、

大のスキー好き。

インストラクターもやってるほどの、
腕前だそうです。


たまたま日光で、
スキーの話題になったので、
私の、
このバカな顛末を話したところ、

大笑いで、

「そりゃ、災難でしたな。
 スキーなんて、
 めったに骨折するもんじゃないんですがねえ。」


その藤田さん、

このお正月に、

スキーで、

腕を骨折したそうです。


アハハハ。


おっと、笑っちゃいけない。


「猿も木から落ちる。」
か…。


みなさんも、
気をつけましょうね。


藤田さん、お大事に!



SHUN MIYAZUMI


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〜2005 エッセイ 2  

January 16, 2007

臨時ニュース!


きのうの訃報から一転。

きょうは素敵なお知らせです。


このブログでもご紹介し、

そのレコーディング秘話、
名古屋 ↔ 東京 ‘珍道中’ のあれこれを、
エッセイ「 名古屋ケントス1〜10
にも書きまくった、

あのオールディーズ・バンド!


Revels.CD


『 gemi II with REVELS 』

が、


なんと、


1/26(金)

TBS『 筑紫哲也 NEWS 23 』

に出演します。


しかも、
彼らのホーム・グラウンド

「 名古屋ケントス 」

からの生中継で、
2曲をご披露。


もちろん全国ネットです。


おおよその時間帯は、
24:20〜24:30
(つまり、明けて1/27ですね)

どうぞ、ご覧になって下さいませ。


ただし、

私はその時間、

「 学芸大 A'TRAIN 」

で、

狂乱ライブの真っ最中。


ビデオを仕掛けて、
臨もうかと思ってます。

ライブにいらっしゃる方は、
どうぞビデオのご用意を!


毎日、こんなニュースばかりだと、

いいなあ…。



SHUN MIYAZUMI

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2007 エッセイ 

January 15, 2007

哀悼 マイケル・ブレッカーさん

今朝の新聞を見てビックリ!

「名テナー・サックス奏者の、
 マイケル・ブレッカーさん死す」

とある。

まだ57才。

若い、若すぎる…。


私はかつて、
アルファのディレクター時代に、
「深町純&ニューヨーク・オールスターズ」
というライブ・アルバムを作ったことがあります。


NYAllStarsLive


「ニューヨーク・オールスターズ」


今思い出しても、
すごいメンバーでした。


ランディ・ブレッカー(TP)
デヴィッド・サンボーン(AS)
マイク・マイニエリ(VIB)
スティーヴ・カーン(G)
リチャード・ティー(P)
アンソニー・ジャクソン(B)
スティーヴ・ガッド(D)

そして、このマイケル・ブレッカー(TS)


フュージョン時代を先駆けた、
スーパー・スターたち。

この手の音楽が好きなひとが見れば、
信じられないような顔合わせでしょう。


これを他に例えると、
アメリカのバスケット・ボール協会(NBA)が、
バルセロナ・オリンピックに送り込んだ、あの

「ドリーム・チーム」

そんなイメージでしょうか。


いずれにしても、
すごい顔ぶれでしたね。

演奏もすごかった…。


毎日、
それこそリハーサルから、
彼らの演奏を間近に聞くことができ、
本当に幸せな仕事だったのですが、

このマイケルさんのプレイも、
それはそれは素晴らしいもの。

「火を噴くサックス」
とはこのことですかね。

フレーズ、音色、テクニックetc.

格の違いを見せつけられたものです。


グラミー賞を11回も取ってるんですね。


謹んで、
ご冥福をお祈りいたします。


きょうは「私をスキーに連れてって」
の続編を書こうと思ったのですが、

思わぬ訃報に接したゆえ、
おバカな話はやめておきます。

一日、喪に服することにしました。


合掌。



SHUN MIYAZUMI

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2007 エッセイ 

January 11, 2007

私をスキーに連れてかないで

お正月気分も抜けて、

世の中、
ようやく動き出した感じですね。

私も新年早々、
なんだかバタバタ…。


というわけで、
今年最初のエッセイは、
3年前のお正月に書いたやつを、
リニューアル。


「スキーのお話」

です。



2004年01月04日 No.65
私をスキーに連れてかないで


スキーと私。

なんだか全然イメージが湧きませんね。


その通りで、
実は私、
ウインター・スポーツはからきしダメです。

「滑る」という種類のスポーツ・センスは、
まったく体内に持ちあわせていないみたい。


こう見えても、
けっこう運動神経はあるほうで、

子供の頃から、
「駆けっこ」は学年でもトップ・クラス、
球技も、「野球」を除けば、
バスケ、バレー、ドッジ・ボール、
‘なんでもござれ’なのですが、


「滑る」スポーツだけは、

ダメ!


子供のころ、
一度だけ友達のローラー・スケートを
借りて履いてみたところ、
1メートルも進まないうちにスッテンコロリン。

後頭部をしこたま打ちました。

かなりの脳細胞が破壊!?

その後遺症は、
今でも続いています。


したがって、

高校の時、
クラスメートの女の子に、
アイススケートに誘われたときは、

本当に困りました。

悩みに悩んだあげく、
行ってはみたものの、
やはりダメ。

スケート・リンクの塀に手をかけて、
友達が気持ちよさそうに滑ってるのを、
ぼう然と眺めているだけ。

そして、ほとんど動かないから、

寒いのなんの。

あげくの果てに、女の子からは、

「宮住くん、たまには滑ろうよー。
 あたしが手を持っててあげるから大丈夫よ。
 怖くないから。さあ、ほら!」

「……。」


これでは、
描いていたストーリーとまるで逆ではないか!?


スキーも同様です。


初めてスキー場に行ったのが中3の時。
すごく上手いおじさんが連れてってくれたのですが、
何をやっても転んでばかり。

ボーゲンすらまともにできない。

右からだとうまくターンできるのですが、
左からだとまったくダメ。

したがってS字形に進んでいかないのです。

初めは懇切丁寧に教えてくれてたおじさんも、
イライラしはじめ、
最後はバカにした笑みを浮かべて、
さっさと滑りに行ってしまいました。


社会人になってからも、何回か行きましたが、
やはりダメ。


ただし、あの「アフター・スキー」ってやつは、
楽しいですね。

それだけはわかる。

温泉にはいって、
酒を飲み、麻雀やゲームをし、
みんなでワイワイ騒ぐ。

これは完全に得意分野。


しかし、

朝になって、
みんながスキー仕度をはじめると、
もう憂鬱。

結局スキー場でも、
ほとんど木の下で座り込んでるから、

やはり寒いのなんの。


したがって、
結婚した最初のお正月(1979年)に、
友人や家内に、
「スキーに行こうよ」
と誘われたときも、

私は全然乗り気ではありませんでした。

「あのさあ、
 俺、正月は家でダラダラってのが
 一番好きなんだけど…。
 コタツに入って、ミカンかなんか食べながら、
 テレビでも見るってのが、
 好きなんだけど…。」

と、めいっぱいの抵抗。


しかし、


許してもらえない。


仕方なく、

ウエアを買い込み、
靴を買い、

生まれて初めて、

お正月に出かけることになりました。


そしてあの、


運命的な日を迎えることになるのです。


(つづく)



(感想 2007/1/11)

先日の「ALL OF ME CLUB」
にお越しのみなさん、

ありがとうございました。

祝日にもかかわらず、
歌手のみんなもいっぱい来てくれて、
楽しゅうございました。

ま、ほとんどが身内で、

さながら‘新年会’のようでは、
ありましたが。


次回、このトリオ・ライブは、
2/12(月・祝)です。


ん?

また祝日か…。


「セカンド・マンデー」って、
よく祝日と重なりますねえ。

いつから、こうなったの?


SHUN MIYAZUMI


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〜2005 エッセイ 2  

January 04, 2007

私の10大ニュース 2006

Oshogatsu 1

みなさん、

明けましておめでとうございます。

お天気にも恵まれ、
穏やかな、
いいお正月だったのではないでしょうか。


というわけで、

今年もみなさんにとって、

素晴らしい一年でありますように!


私も、
プロデュースにライブに、
例年以上に、がんがん行きますよー。



そんな私のブログ、

今年最初の更新は、


『 私の10大ニュース 2006 』!


2006年の私は、
どんな年だったのでしょうか?

これをいってみたいと思います。


1.『健康診断で、すべての値が正常。
  医者から、「こりゃ30代の人の数字ですよ。」
  と言われた!』

 (11月のエッセイ「ホームズとポワロ その2」参照。)

  ただしその後、別の検査で、
 「血圧は相変わらず高い」と診断されました。
  世の中そんなに甘くない…。


2.『長年の宿敵、ピロリ菌退治!』(7月)

  しかし、その間、
  一週間に及ぶ「禁酒生活」は地獄でした。
  ワールド・カップがなければ死んでいた!?


3.『このブログの、一日の訪問者数が、
  170を超える日があった!』

 (9月。「白線流し(学園紛争 最終回)」の直後。)

 「おおッ、俺の読者も増えたものよ。」
  と喜んだのもつかの間、
  その後の調べで、
 「TOKIO 長瀬」や「松山商業」
  の検索で引っかかったのが大半、と判明。
  ガクッ。


4.『学芸大「BOOK OFF」の“お年玉抽選会”で、
  なんと「特賞」が当たる!』(1月)


  店員の、
 「おめでとうございます。特賞です!」
  のひと言で、
  店内にいた客が一斉にこっちを見る。
  なんたる優越感!
  しかし賞品は、ただの「マガジン・ラック」。


5.『韓国の歌姫「WAX」に‘ガチョ〜ン’を教える!』

  彼女には他にも、‘なぬッ’ ‘こりゃ一本とられた’
  などなど、変な日本語をいっぱい教えました。
  実に見事にやってのける、
  私の可愛いギャグの弟子です。

  今年は彼女を唄でヒットさせ、
  同時に変な‘新語’をもあみだして流行らせ、
 「流行語大賞」を狙うつもりです。


6.『敬愛する青島幸男さん亡くなる!』(12月)

  エッセイ、
 「クレージー・キャッツのお話続編最終回
  でもさんざん書きましたが、
  この人は本当に天才でした。
  もちろん‘ガチョ〜ン’も彼の作。
  ある時期、政治家になったのだけが惜しいなあ。
  合掌!


7.『ジダンの頭突き!』
 (7月。W杯決勝、対イタリア戦での出来事。)

  これを見て、
  我々には分からない、人種差別の根深さを、
  まざまざと思い知らされたのでした。
  なくそう「人種差別」! 
  なくそう「いじめ」!
  なくそう「お腹(なか)のぜい肉」!


8.『BS番組が見られなくなった!』(夏頃から)

  となりの駐車場に突如現れた一本の木。
  私の家のBS電波を見事にさえぎり、
  冬になってもその葉っぱは、
  青々と茂っております。

  おかげで、私はBS番組が見られなくなった。
  4月のMLB開幕までには、
  なんとかしないと…。(切実)


9.『六本木「三州屋」閉店!』(12月)

  芋洗い坂にあった、
  魚の美味しい、大きな居酒屋「三州屋」が、
  突如閉店してしまいました。
  あの極太「焼きたらこ」が、
  もう食えないのかと思うと、
  さみしい…。


10.『とっても素敵な「男性コーラス・グループ」
   が出来ました!』(8月)


   最後はちょっと真面目なお話。

   現在「グループ名」募集中です!



やれやれ。


しかし、

こんなもんかなあ…。


ちょっと冴えない感じですかね。



さあ、

2007年も始まりました。

今年は、
どんな「10大ニュース」になるんでしょうか。


大いに期待しましょう!


なにはともあれ、


本年もよろしくお願い致します。


Oshogatsu 2

SHUN MIYAZUMI

woodymiyazumi at 19:06コメント(11)トラックバック(0) 
2007 エッセイ