March 2007
March 30, 2007
レコード買いまくり時代 その4
春だ、春だ。
花見だ、花見だ。
わあい、わあい。
というわけで、
行ってまいりました。
目黒川に花見に。
しかも二晩続けて。
おかげで、
きょうの私は、
いまだほろ酔い気分。
いい気分のまま、
きょうは「学芸大 A'TRAIN」
のミッドナイト・セッション。
休養充分!
はじけますよ〜。
2003年6月12日(木) No.51(後半)
レコード買いまくり時代 その4
あれは、
高校2年の冬だったでしょうか。
次々に登場する、
アメリカやイギリスの、
ロック&ポップスの新星たち。
まさにニュー・ウェイブ、
音楽の新しい波。
クラシックそっちのけで、
すっかりとりこになってしまった私ですが、
とりわけ、
私の心をガッチリつかんでしまったのが、
「ドアーズ」
というバンド。
ジム・モリソンの官能的な歌唱。
オリジナリティーに溢れた作品。
オルガンとギターの、
新鮮なコンビネーションのサウンド。
そのデビュー・アルバムを
初めて聴いたときの衝撃は、
今も忘れられません。

なかでも一番惹かれたのが、
レイ・マンザレクのオルガン・プレイ。
大ヒット曲
『LIGHT MY FIRE』(ハートに火をつけて)
で、延々と繰り広げられるオルガン・ソロ。
従来のポップス&ロックにおける、
‘間奏’の常識を打ち破る長さ、
そしてソロの中身の完成度の高さ。
新鮮な驚きと不思議な感覚。
この不思議な感覚はどこから来るのか…?。
ある日私は、
こうした音楽に詳しい同級生のひとり
H君に、
おそるおそる、
こう聞いてみました。
私「あのね、
ドアーズのオルガン・ソロなんだけど、
あれって全部レイ・マンザレクが‘作曲’したの?」
H「ばかだな、ありゃアドリブだよ。」
私「ア、ア、アドリブってなに?」
H「即興演奏のことだよ。」
私「そ、そっきょう?」
H「おまえ、そんなことも知らなかったのかよ。」
私「……。
ほかにも、こんな風に、
即興でやってるものがあったら、
教えて欲しいなあ。」
H「じゃ、ジャズ聴けば。」
私「ジ、ジャズ…?」
それに追い打ちをかけるように、
さらに私に衝撃を与えた、
バンドがありました。
「BLOOD, SWEAT & TEARS」
(ブラッド・スウェット&ティアーズ)

通常のロック・バンドの編成に、
トランペットやサックスといった、
ホーン・セクションが加わったサウンドは、
今まで聴いた事もない新鮮なもの。
さらに、
『SPINNING WHEEL』(スピニング・ホイール)
という曲の間奏は、
なんとジャズの4(フォー)・ビートで演奏される。
時折聞こえる不協和音も、
見事にサウンドにマッチしている。
聞くところによると、
これも、
‘ジャズ・ハーモニー’
というやつらしい。
「またしても、ジャズか…。」
「ジャズ…。」
「JAZZ…。」
「これは、‘ジャズ’というものも、
真剣に聞いてみねばなるまい。」
そう思った私は、
さっそくレコード店に行き、
H君が推薦する、
知的ピアニスト、
「ビル・エヴァンス」のベスト盤と、
「ウエス・モンゴメリー(ギター)」
と「ジミー・スミス(オルガン)」
が共演してるレコードを購入。
そして、
これが、
私の運命を決めてしまうことになろうとは。
ビル・エヴァンスのアルバムの一曲目
『Beautiful Love』(ビューティフル・ラヴ)
に針をおろしたその瞬間、
私の体に電流が走りました。
「これだ。俺が求めていたのはこれだ!
俺はこれをやる〜〜!!」
芸大を目指して毎週鎌倉まで、
ピアノのレッスンに通っていた私でしたが、
翌日さっさとこれを辞め、
‘ジャズ’にひた走っていくことに、
なるのです。
(このシリーズおわり)
(感想 2007/3/30)
桜満開で、
浮かれ気分の私ですが、
その一方で、
今週は悲しい出来事もありました。
私のプロフィールを見た方は
ご存知でしょうが、
私が「こころの師匠」と仰ぐ、
植木等さんが、
3月27日 お亡くなりになりました。
享年80才。
そういえば先日、
「わかっちゃいるけどやめられねえ」
というタイトルで、
エッセイを書いたばかり。
またしても予言しちまったか…。
それにしても、植木さん
あなたは偉大でした。
あなたから教わった、
「無責任」「C調」「ゴマすり」「ホラふき」
「わかっちゃいるけどやめられねえ」
「およびでない」
こうした教えを胸に、
少しでもあなたに近づけるよう、
これからも頑張ります。
どうぞ天国で、
見守っていてください。
ん…?
なにはともあれ、
合掌…。
ところで、
私の最愛の父が亡くなったのが、
1999年の3月27日
そして、やはり80才だった。
これも何かの縁か…。
SHUN MIYAZUMI
March 27, 2007
レコード買いまくり時代 その3
桜はまだか。
早く花見がしたいのに…。
ところで、
とある事により、
先週の金曜日から閉店していた、
学芸大「A'TRAIN」ですが、
3/29(木)から営業再開だそうです。
よって、
翌30日(金)の、
私と河野秀夫(ベース)による、
恒例「ミッドナイト・セッション」は、
予定通り開催です。
常連、ご近所にしか通じない、
「ライブ・インフォメーション」
でした。
桜も、そのあたりが満開…?。
2003年6月12日(木) No.51
レコード買いまくり時代 その3
中学のとき、
クラシックにハマってしまった私。
今の私の、
スポーツ・ジャズ・ピアノしか知らない方は、
意外に思われるでしょうが、
そうなんです。
なかでも、
オーケストラ、大編成のもの、
が好みでしたね。
ま、これは今も同じか。
交響曲、協奏曲、管弦楽曲、宗教曲。
大編成でしか味わえない、
ダイナミック・レンジの広さ。
音圧、迫力。
アレンジの妙。
リズムの面白さ。
スコア(総譜)を手に入れて、
毎日、夢中になって聞いていました。
それが高校に入ると一転、
洋楽ポップスにハマっていきます。
もちろん‘雑食’ですから、
中学のときも、
ちゃんとヒット曲は押さえていましたよ。
ビートルズ、ローリング・ストーンズ、
に代表されるグループ・サウンドの数々。
(グループ・サウンド!
いいですねぇ、このレトロな響き)
また、アメリカのビルボード・チャートは
常にチェック。
FMをエア・チェックして、
テープに録音して、
自分なりのチャートを作って、
楽しんでいました。
しかし、買うのは
もっぱらクラシック。
ポップスは、友達から借りるか、
FMのエア・チェックで事足りると思ってた。
それが、
高校になると、
クラシックそっちのけで、
洋楽ポップスに夢中になってしまいます。
なぜでしょう?
それはですね、
この頃から、ロック&ポップスが、
飛躍的に、
音楽的になっていったから。
思えば私の青春時代は、
まさに1960年代。
シクスティーズ!
ビートルズ出現以来、
彼らを中心に、
ポップスが一番輝いてた時代。
でも私の中学時代のビートルズは、
まだ‘アイドル’というイメージが強かった。
他の洋物もそんな感じ。
ま、私からみれば、
アメリカやイギリスの‘歌謡曲’
くらいにしか思わなかった。
でも、ビートルズが、
『リヴォルヴァー』や『サージェント・ペッパー』
といった完成度の高いアルバムを
発表したあたりからは、
ちょっと、これは、
恐るべしだなあ、
てな感じに思えてきたわけです。
さらに、この頃から、
素晴らしいアーティストや楽曲が、
次から次へと登場。
特に、1968年くらいからの、
‘アート・ロック’と呼ばれる
ムーブメントには驚かされましたね。
(私が高校2年生の頃)
まさに、
ロックが‘アート’(芸術性)を帯びて来た。
それにあわせて、
演奏力の飛躍的進歩。
それまでの私は、
エレキ・ギターといえば、
寺内タケシが一番うまいと思ってました。
ほんとです。
♪テケテケテケテケ♪
イエ〜イ!
それが、
「クリーム」のエリック・クラプトン
「ジミ・ヘンドリックス」
「レッド・ツェッペリン」のジミー・ペイジ
などを最初に聞いた時は、
ほんとビックリ!
フレーズはカッコいいし、
みな凄いテクニック!
ほかにも、
「ジョン・メイオール」のブルース・ギター
「アイアン・バタフライ」
「バニラ・ファッジ」
「ヤードバーズ」
といった、
‘ニュー・ロック’(アート・ロック)なバンド。
「ボブ・ディラン」
「サイモン&ガーファンクル」
「ジョニ・ミッチェル」
らの斬新なフォーク・ソング。
「フィフス・ディメンション」
「アソシエイション」
らの洗練されたコーラス。
「アレサ・フランクリン」
「オーティス・レディング」
といったR&B。
「バート・バカラック」
「セルジオ・メンデス & ブラジル 66」
らのお洒落な世界。
てな具合に、
素晴らしい音楽が、
続々と登場してくる。
「ええい、
クラシックなんて、
年をとっても聴けるじゃないか。
今はこれを追いかけよう!」
今思えば、
大正解の選択でしたかね。
それにしても、
いい青春時代だった。
いい時代に生まれた。
……。
そんなわけで、
私の定期購読誌も、
当然のように、
『レコード芸術』から『ミュージック・ライフ』
に変わりました。
さあ、
そんな中、
とりわけ私が、
いちばんハマってしまったバンド。
それは、
「ドアーズ」
というわけで、次回は、
この「ドアーズ」の話をしたいなあ…。
(つづく)
(感想 2007/3/27)
「ニッポン放送 / オールナイト・ニッポン」
毎晩、
深夜の1:00〜3:00(時には5:00)
パーソナリティーの素敵なおしゃべりと、
最新のポップス情報。
高校時代の私の良き友であり、
音楽の先生。
特に、
糸居五郎さんがパーソナリティーの月曜日は、
かかさず聴いてましたね。
眠い眼こすりながら。
「夜更けの音楽ファン、こんばんは。
GO! GO! GO〜〜〜!!」
そして、
ハーブ・アルパート&ティファナ・ブラス
『Bitter Sweet Samba』
が軽快に流れる♪
洋物ポップスやロックが、
一番輝いてた時代。
「深夜放送」が、
高校生にとって、
一番の‘癒し’だった時代。
懐かしい!
今、あんな番組、
あるのかなあ。
というか、
今の子供って、
ラジオなんて聴いてるんか…?
SHUN MIYAZUMI
早く花見がしたいのに…。
ところで、
とある事により、
先週の金曜日から閉店していた、
学芸大「A'TRAIN」ですが、
3/29(木)から営業再開だそうです。
よって、
翌30日(金)の、
私と河野秀夫(ベース)による、
恒例「ミッドナイト・セッション」は、
予定通り開催です。
常連、ご近所にしか通じない、
「ライブ・インフォメーション」
でした。
桜も、そのあたりが満開…?。
2003年6月12日(木) No.51
レコード買いまくり時代 その3
中学のとき、
クラシックにハマってしまった私。
今の私の、
スポーツ・ジャズ・ピアノしか知らない方は、
意外に思われるでしょうが、
そうなんです。
なかでも、
オーケストラ、大編成のもの、
が好みでしたね。
ま、これは今も同じか。
交響曲、協奏曲、管弦楽曲、宗教曲。
大編成でしか味わえない、
ダイナミック・レンジの広さ。
音圧、迫力。
アレンジの妙。
リズムの面白さ。
スコア(総譜)を手に入れて、
毎日、夢中になって聞いていました。
それが高校に入ると一転、
洋楽ポップスにハマっていきます。
もちろん‘雑食’ですから、
中学のときも、
ちゃんとヒット曲は押さえていましたよ。
ビートルズ、ローリング・ストーンズ、
に代表されるグループ・サウンドの数々。
(グループ・サウンド!
いいですねぇ、このレトロな響き)
また、アメリカのビルボード・チャートは
常にチェック。
FMをエア・チェックして、
テープに録音して、
自分なりのチャートを作って、
楽しんでいました。
しかし、買うのは
もっぱらクラシック。
ポップスは、友達から借りるか、
FMのエア・チェックで事足りると思ってた。
それが、
高校になると、
クラシックそっちのけで、
洋楽ポップスに夢中になってしまいます。
なぜでしょう?
それはですね、
この頃から、ロック&ポップスが、
飛躍的に、
音楽的になっていったから。
思えば私の青春時代は、
まさに1960年代。
シクスティーズ!
ビートルズ出現以来、
彼らを中心に、
ポップスが一番輝いてた時代。
でも私の中学時代のビートルズは、
まだ‘アイドル’というイメージが強かった。
他の洋物もそんな感じ。
ま、私からみれば、
アメリカやイギリスの‘歌謡曲’
くらいにしか思わなかった。
でも、ビートルズが、
『リヴォルヴァー』や『サージェント・ペッパー』
といった完成度の高いアルバムを
発表したあたりからは、
ちょっと、これは、
恐るべしだなあ、
てな感じに思えてきたわけです。
さらに、この頃から、
素晴らしいアーティストや楽曲が、
次から次へと登場。
特に、1968年くらいからの、
‘アート・ロック’と呼ばれる
ムーブメントには驚かされましたね。
(私が高校2年生の頃)
まさに、
ロックが‘アート’(芸術性)を帯びて来た。
それにあわせて、
演奏力の飛躍的進歩。
それまでの私は、
エレキ・ギターといえば、
寺内タケシが一番うまいと思ってました。
ほんとです。
♪テケテケテケテケ♪
イエ〜イ!
それが、
「クリーム」のエリック・クラプトン
「ジミ・ヘンドリックス」
「レッド・ツェッペリン」のジミー・ペイジ
などを最初に聞いた時は、
ほんとビックリ!
フレーズはカッコいいし、
みな凄いテクニック!
ほかにも、
「ジョン・メイオール」のブルース・ギター
「アイアン・バタフライ」
「バニラ・ファッジ」
「ヤードバーズ」
といった、
‘ニュー・ロック’(アート・ロック)なバンド。
「ボブ・ディラン」
「サイモン&ガーファンクル」
「ジョニ・ミッチェル」
らの斬新なフォーク・ソング。
「フィフス・ディメンション」
「アソシエイション」
らの洗練されたコーラス。
「アレサ・フランクリン」
「オーティス・レディング」
といったR&B。
「バート・バカラック」
「セルジオ・メンデス & ブラジル 66」
らのお洒落な世界。
てな具合に、
素晴らしい音楽が、
続々と登場してくる。
「ええい、
クラシックなんて、
年をとっても聴けるじゃないか。
今はこれを追いかけよう!」
今思えば、
大正解の選択でしたかね。
それにしても、
いい青春時代だった。
いい時代に生まれた。
……。
そんなわけで、
私の定期購読誌も、
当然のように、
『レコード芸術』から『ミュージック・ライフ』
に変わりました。
さあ、
そんな中、
とりわけ私が、
いちばんハマってしまったバンド。
それは、
「ドアーズ」
というわけで、次回は、
この「ドアーズ」の話をしたいなあ…。
(つづく)
(感想 2007/3/27)
「ニッポン放送 / オールナイト・ニッポン」
毎晩、
深夜の1:00〜3:00(時には5:00)
パーソナリティーの素敵なおしゃべりと、
最新のポップス情報。
高校時代の私の良き友であり、
音楽の先生。
特に、
糸居五郎さんがパーソナリティーの月曜日は、
かかさず聴いてましたね。
眠い眼こすりながら。
「夜更けの音楽ファン、こんばんは。
GO! GO! GO〜〜〜!!」
そして、
ハーブ・アルパート&ティファナ・ブラス
『Bitter Sweet Samba』
が軽快に流れる♪
洋物ポップスやロックが、
一番輝いてた時代。
「深夜放送」が、
高校生にとって、
一番の‘癒し’だった時代。
懐かしい!
今、あんな番組、
あるのかなあ。
というか、
今の子供って、
ラジオなんて聴いてるんか…?
SHUN MIYAZUMI
March 22, 2007
レコード買いまくり時代 その2
春ですね。
卒業式、入学式、入社式。
桜の開花とともに、
期待に胸ふくらませる初々しい若者たち。
そうした光景を眼にするのは楽しい。
私にもそんな時代がありました。
あたりまえだ。
そんな私が、
このレコード音楽業界に生息し始めて、
今年で早や34年になります。
で、この業界に入ってからは、
CD、レコードというのは、
あまり買わなくなってしまいました。
なぜか?
もらえるからです。
いわゆるサンプル盤ってやつですね。
宣伝用の。
いろんなレコード会社に、
友達を持つようになると、
「これ、ちょうだい。
あれ、ちょうだい。」
てな具合に、もらえちゃう。
ところが、不思議なもんで、
もらった物というのは、
あまり聴かないんですね。
いくら良くても。
自分の財布をはたいて買ったものは、
それが、たいして良くなくても、
「なんとかいいところを探そう。」
なんとか元を取ろう。」
と思って、
一生懸命聴くんですね。
やっぱ、タダはいけませんね、
タダは。
ということで、
私が少ないお小遣いをためて、
一生懸命レコードを買っていた、
少年時代のお話。
の、つづきです。
2003年6月5日(木) No.50
レコード買いまくり時代 その2
幸か不幸か私は、
どんなジャンルの音楽でも、
スンナリ受け入れてしまう。
そんな私の雑食性は、
レコード・ファンとしては甚だ迷惑な特性。
それでも、その時々で、
メインとなるジャンルはありました。
たとえば、
小学生のときは、
歌謡曲&日本のポップスが中心。
(今でいうところの‘J-POP’)
中学ではクラシック。
高校では洋物ポップス&ロック。
大学ではジャズ。
これらを軸にしながら、
日々、種々雑多な音楽を聴き、
レコード蒐集に、
明け暮れていたのです。
そう、中学のときは、
クラシックだったな…。
以前、『学園紛争』
というエッセイのときにも書きましたが、
中学の1、2年は、
三重県の四日市というところにいました。
父親の転勤のせいで。
そしてそこでは、
ブラスバンドに入部、
クラリネットを吹いていました。
意外にも。
そのブラスバンドのレパートリーに、
ドヴォルザーク「新世界から」
という曲の抜粋があったのですが、
(第4楽章だけですが)
「けっこうカッコイイなあ」
と思った私は、
この曲の全曲版を購入。
そして、これが、
そもそもの始まりでした。
「ケルテス指揮
ウイーン・フィルハーモニー管弦楽団」
の、このアルバムには、
ご親切に、
全曲のスコアもついていたのです。
初めて見た、
オーケストレーションというものの実態。
「へえ、これがシンフォニーってやつか…。」
鬼のように書き込まれた、
音譜の数に、
なんとも新鮮な驚きを覚えた私は、
その日から、
ガキのくせに、
なまいきにも、
『レコード芸術』などという専門誌にはまり、
NHKのクラシック番組を聴き、
自分でリストを作って、
次々と新しいレコード購入に、
夢中になっていったのです。
さて、この四日市という街。
私が行く数年前に
あの「伊勢湾台風」が上陸。
大きな被害を受けました。
で、レコード店に行くと、
そのときに水につかったレコードが、
おそろしいほど安い値段で置いてあった。
アルバムが200円とか100円とか。
これは、子供の私には大助かり。
なにせ曲をいっぱい知りたい時期なので、
演奏の出来不出来は二の次。
こうしたラッキーな廉価盤を、
せっせせっせとためこんでいったのです。
ラッキー!
不謹慎だけど。
でもあとから思えば、
なかなかの名盤もありましたね。
ホロヴィッツの「熱情ソナタ」やら
リヒテルの「ブラームス・ピアノ協奏曲」
などなど。
それでも、
欲しいものは次から次へと出てくる。
お小遣いとのバランスは、
なかなか追い付かない。
そこで私は、
クラスの中で仲の良かった二人を、
猛烈にクラシック・ファンに洗脳。
たとえばその月、
カラヤンの「ブラームス・交響曲1番」と
シェリング(Vn)の
「ベートーベン・ヴァイオリン協奏曲」と、
ワルターの「田園」
が欲しい場合、
そのふたりに、
しつこくその素晴らしさを説き、
(聴いてもいないのに)、
一枚ずつ買わせてから、残りを自分が買う、
という作戦に出ました。
そしてまわし聴き。
でもたいてい、
自分の買ったものが一番不作
でしたが…。
それでもクラスでは、
「音楽博士」という異名を持っていましたから、
私が熱心に勧めるものは、
不安ながらも信用したんでしょうね、
このふたり。
ポップス物は、
たいていクラスの誰かが持ってるので、
借りて、テープに録音させていただく。
このように、
他人をちゃっかり利用しながら、
自分の欲求を満たしていくという、
このあつかましい、
私のトム・ソーヤー的思考法は、
どうやらこの時期に目覚めた、
のかもしれません。
(つづく)
(感想 2007/3/22)
前回私は、
「家ではクラシックしか聴かない」
と書きました。
クラシックというのは、
業界全体からみれば、
小さなマーケットですから、
サンプル盤というのを、
ほとんど作らないんですね。
だから買うしかない。
買ったものは、元を取ろうと、
一生懸命聴く。
ま、こういうことでしょうな。
ん?
なんか、
けちくさい話になってきたので、
きょうは、このへんで…。
SHUN MIYAZUMI
March 17, 2007
わかっちゃいるけどやめられねえ
きのう、
2007年3月16日(金)の日記。
今日は、久しぶりに、
これといって何もない日なので、
ゆっくり昼頃起きる。
今週もなんだか忙しかった。
それに、
この2週間のライブ・ラッシュの疲れが、
まだ残ってる。
やはり年かな。
ま、
月末の「A'TRAIN」までライブはないので、
しばらくはピアノの鍵盤を見るのもやめよう。
休養だ、休養。
と、
仕事の業務連絡を何本かしたあと、
午後は散歩をしたり、
昼寝をしたり、
のんびり過ごす。
夜は「代々木ナル」へ。
美人若手シンガーの大城蘭嬢を、
ママに紹介。
ついでに、5/22「 jammin' Zeb 」
ライブの打ち合わせ。
そこへ友人の栗本さんが合流。
3人で「代ナル」でメシを食う。
いつもは出演者なので分からなかったが、
ここの料理は、
こんなに美味かったのか。
そして、きょうのライブは、
なんと、CHIHARU(チハル)だった。
私の大好きなジャズ・シンガーだ。
共演は、
先週も一緒にライブをやり、
そのあと中野の「焼き鳥屋」で朝まで痛飲した、
パーカッションのはたけやま裕。
それに、初めてだけど、
城田有子さんというピアニスト。
で、どちらかというと、
ラテン&ポップスがメインのライブ。
金曜日ということもあって、
ほぼ満席の盛況。
私とやる時のCHIHARUは、
ジャズ・スタンダードばかりなので、
「こういうCHIHARUも新鮮だなあ。」
と感心。
それにしても、
やっぱ彼女はうまい。
最高だ。
蘭ちゃんも、びっくりしていたなあ。
2ステージをたっぷり堪能したあと、
9時半頃店を出て、
蘭ちゃんと別れて、
栗ちゃん(栗本さん)と学芸大へ。
ちょっと飲み足りないので、
栗ちゃんと二人で、
「きんちゃん」でさらに食ったり飲んだり。
ここも、
安くて美味くて大好きな店。
12時頃栗ちゃんと別れ、
いつものように、
ひとりで「A'TRAIN」へ。
金曜日なので、
ここもほぼ満席。
常連の仲間たちと、
楽しく語らい、2、3杯飲んで、
「今日は休養日のつもりだから、
飲み過ぎないうちに早く帰ろう。」
と、勘定を払ったところへ、
私の相棒のベーシスト、
エディー河野こと河野秀夫が来る。
「えっ、もう帰んの。」
と河野。
「じゃもう一杯だけ」
と私。
「しかし、激しいライブ週間だったなあ。」
と河野。
「そうそう、少し休めないと、
俺のスポーツ・ピアノはきついよ。」
と私。
「そうだよ、もうそんなに若くないんだから、
適度な間を空けてやんなくちゃ。」
と河野。
などと、30分ほど語らい、
「じゃ、今度こそ帰ろう。」
と席を立ちかけた1時半頃、
なんと、CHIHARUが来た。
「おや?
面子がそろっちゃいましたよ…。」
と思うまもなく、
河野さんは、
もうベースの支度をしている。
CHIHARUも、なんだか、
やる気まんまんの表情。
「じゃ、久しぶりにやるかー。」
と、
1/31「代ナル」以来の3人で、
セッションが始まってしまった。
さあ、もういけません。
なんたって、
このメンバーで始まったら、
もう止まりません。
アドリブの応酬。
ほとんどバトル。
スイング!スイング!
で、結局、
10分くらいの休憩を挟んで、
3時頃まで1時間半、
「代ナル」一晩分くらいのライブを、
やってしまった。
お客はみな、ヤンヤヤンヤ。
「きょうは来て、得した。」
と口々に。
そりゃ、そうだ。
ノー・チャージで、
CHIHARUが聴けたんだから。
その後、みんなで飲みまくり。
そのうち、
「うちは2時閉店なんだから、
もう、みんな、お願いだから、
帰って〜〜〜〜〜。」
というマスターの悲鳴が、
何度も聞こえたので、
「しょうがない、帰るか。」
と、店を出たのが4時。
この日のCHIHARUは、
二晩分のライブをやったことになるな。
でも、
「まだ歌い足りな〜〜い。」
って顔してた。
おそるべきやつだ…。
若さか。
きょうの私は、
廃人だというのに…。
それにしても、
「わかっちゃいるけどやめられねえ。」
とは、よく言ったもんだ。
ジャズは麻薬だな。
(おしまい)
というわけで、
エッセイのつづきは、
次回にします。
一回とばし。
SHUN MIYAZUMI
March 13, 2007
レコード買いまくり時代
ライブ三昧とは、
まさにこのこと。
スポーツ・ピアノの連続で、
指や腰が痛いっす。
しかし、
我ながら、
よくやったものだ。
2/22「代ナル」の ちゅうまけいこ & 佐藤有介
2/23「A'TRAIN」の デュオ
2/28「ALL OF ME CLUB」の jammin' Zeb
3/6 「代ナル」の jammin' Zeb
3/8 「代ナル」の 新人女性ヴォーカル・ナイト
3/12「ALL OF ME CLUB」の ピアノ・トリオ
そして、
3/7〜9「新宿スペース・ゼロ」
日本美容専門学校 卒業イベントでの、
jammin' Zeb ステージ・プロデュース
ふ〜ッ…。
しかし、
どのライブも、
本当にたくさんの方にいらしていただき、
盛り上がっていただき、
私は幸せものです。
ぐしゅん…。
というわけで、
月末までライブは、
ちょっと休憩。
みなさん、
おつかれさまでした。
私は今日から、
通常営業に戻ります。
で、今日は、
こんな過去ログの
リニューアル。
2003年5月26日(月) No.49
「レコード買いまくり時代」
小学校2年のとき、
我が家に出現した画期的なもの。
『レコード・プレーヤー!』
でもそれは、
「オーディオ」
などという立派なものではなく、
ただのターン・テーブルから音が出てくる、
‘低音’などちっとも出ない代物。
でも、
この装置の出現によって私は、
急速にレコード・ファンとしての道を、
歩み始めるのです。
まず、親にねだって、
最初に買ってもらったレコードが、
ハイドンの「おもちゃの交響曲」と、
三橋美智也の「古城」
(変な組み合わせだ…)
そしてその次が、
トスカニーニの「ベートーベン・運命」と、
森山加代子の「月影のナポリ」と、
三波春夫の「一本刀土俵入り」
(なんだ、この組み合わせは…?)
私のプロフィールでどなたかが、
‘雑食性’という表現をしておられますが、
確かにこんなデタラメな買い方をみると、
こんなガキの時代から、
早くも私の‘雑食性’は、
芽生えていたようです。
ジャンルに関係なく、
どんな音楽でも
スンナリ受け入れてしまう私の特性は、
プロデューサーになってからは
大いに効果を発揮するのですが、
レコード・コレクターの立場では、
甚だ迷惑な特性と言えます。
私たちの子供時代は、
今ほど娯楽が多くなく、
したがって、
音楽好きの子のお小遣いは、
すべてレコード購入に消えてしまいます。
しかもほとんどの子は、
ある一定ジャンルしか聴きませんから、
購入にあたっての選択肢も、
シンプルなのです。
たとえば、
歌謡曲しか聴かないA君。
次は加山雄三「旅人よ」にしようか、
水原弘「君こそわが命」にしようか、
迷ってる。
洋物ポップスの好きなB君は、
モンキーズ「デイドリーム・ビリーバー」か、
ローリング・ストーンズ「サティスファクション」
にしようか、
迷うわけです。
私たちがお小遣いで購入できる枚数は、
せいぜい月にシングルが1、2枚。
お年玉を回したりして、
時々アルバムが一枚も買えればいいほう。
ところが私の場合、
中学時代を例にとると、
「今度は、ベームの「田園」にしようかな。
待てよ、ママス&パパスのアルバムもいいな。
ジャッキー吉川&ブルー・コメッツのベスト
も捨てがたいし…。
でもここは、
セルジオ・メンデス&ブラジル66だ。
いや、やっぱりナット・キング・コールだろ。」
てな具合で、
たった一枚しか買えないアルバムに、
こんなに選択肢がある。
これが高校時代になると、
「さあ試験も終わった!ドアーズ買うぞー。
待てよ早まるな、
もうすぐビートルズの新譜が出るぞ。
オーティス・レディングのアルバムはよさそう。
カラヤンの「ブラームス」は必聴だろ。
「マイルス・イン・トウキョウ」は絶対聴きたい。
でも、アズナブールのシャンソンもいいなあ。
森進一「冬の旅」の入ったライブも良さそうだ。」
……。
大学に入ってからも、
ジャズしか聴かないK君や、
クラシック一辺倒のSさんが、
うらやましくてなりませんでした。
しかしこればかりは、
どうあがいても仕方がない。
親からもらった特性、
音楽の「雑食性」を呪いながら、
私のレコード・ファンとしての道は、
果てしなく続いていくのでした。
(つづく)
(感想 2007/3/13)
現在も、
私の「雑食」は健在(?)です。
私の本業は、
音楽プロデューサーですから、
CDをプロデュースするにあたっては、
やはりマーケットの大きい、
ポップな物を追い求める。
しかし家では、
クラシックしか聴きません。
そして演奏するのは、
もっぱらジャズ。
そういえば、
食い物だって、
何だって食う。
いろんな物に、
好奇心、やたら旺盛。
やはり私は、
雑食性生き物。
か…。
SHUN MIYAZUMI
March 08, 2007
みんな野球少年だった その2
3/6(火)「代々木ナル」
『jammin'Zeb』
のライブにお越しのみなさん、
ありがとうございました。
早々と予約でいっぱいになり、
ご覧になれなかった方もかなりいた、
と聞きました。
これから、
ひとりでもたくさんの方に
観ていただきたいので、
いろんなライブ・プランを考えなくては、
と思っているところ。
どうぞ今後とも、
よろしくお願い致します。
さあ、今日(8日)も「代ナル」
今度は若い娘シンガー3人がお相手。
久しぶりに、
はたけやま裕お姉さん(PER)とも競演。
そして、3/12(月)は、
「六本木 ALL OF ME CLUB」
恒例のピアノ・トリオ・ライブ
ベースはいずれも、
話題の(?)河野秀夫さん。
どうぞ、いらして下さい。
(詳細は、このブログの
「最新ライブのご案内」を
ご覧下さい。)
それにしても、
最近、
ピアノばかり弾いてる気がする。
いいのかな…。
2005年10月29日 No.122
「みんな野球少年だった」その2
前回、
私が生涯に、
たった一度だけ輝いた、
夢のような、
野球の試合のことを書きました。
そう、
今思いだしても、
身震いがするような活躍。
きょうはその続き。
中学3年の夏休み。
いよいよ地区別対抗の
野球大会が始まりました。
何度も言いますが、
前日の練習試合で、
獅子奮迅の活躍をした私、
なんとこの試合では、
5番ファーストに格上げ!
5番つうたら、あんた、
クリーン・アップでっせ。
強打者が座る打順ですよ、
強打者が。
しかも、
試合前のキャッチ・ボールでも、
軽快に相手の構えるミットに、
スポスポとストライクを投げる私。
「こりゃ、
今まで隠れていた野球の才能が、
ついに開花したかな」
と、本気で思いましたね。
さあ、試合開始。
「今日もヒーローはいただきだ、
フフフ…。」
と、ほくそ笑みながら、
最初の打席が回ってきました。
相手ピッチャーは下手投げ。
ロッテの渡辺俊介のようなタイプ。
下からスーッと球が浮き上がってきます。
1球目 空振り
2球目 空振り
3球目……
空振り。
あえなく3球三振。
そして、
次の打席も、
その次の打席も、
3球三振…。
バットにかすりもしない。
一方、投手陣といえば、
我がチームのエースは、
1回から火だるま。
ボカスカに打たれて、
あっという間に7点を献上。
次のピッチャーもストライクが入らず、
たまに入ったやつをカキーンと打たれる。
見るも無惨な、
ワン・サイド・ゲーム。
ここで、
何を思ったのか我がチームの監督、
「ピッチャー交代、宮住!」
と私の名を呼びました。
さすがにこの時だけは、
「このオッサン、ついに血迷ったかな。」
と思いましたね。
そりゃ、
試合前のキャッチ・ボールでは、
コントロール良く投げてましたよ。
でも、ピッチャーなんてやったことないし、
「大丈夫かな」
と不安な気持ちでマウンドに向かう私。
やっぱり、
です。
コントロール良く、
手頃なスピードで投げ込まれる私の球は、
まるでバッティング投手のように、
カキン、カキンとはね返されます。
相手のチームの連中からは、
「おい、もっとヘボが出てきたぞ。」
とか、
「お前の球なんか、
目つぶっても打てるぞぉ。」
とか、
情け容赦のないヤジの嵐。
きのうきょう、中学生になったような、
チビの1年生にもボコボコに打たれ、
さらにまた、
えげつないヤジの連発。
結局、一死も取れず、
スゴスゴと降板。
チーム・メートや監督は、
きのうとうってかわって、
冷ややかな目で私を見る。
結局この試合、
16-0でコールド負け。
しかも我がチームは、
相手のサブマリン投手に、
‘完全試合’を喫する完敗。
うつむきかげんで、
元気なく帰宅した私に、
母はこう言いました。
「あんた、どこか具合でも悪いの?
きのうはあんなにはしゃいでたのに。」
それからの数年、
何回かは、野球の試合に出ましたが、
およそ活躍らしい活躍は皆無。
いったい、
あの日は何だったのでしょう?
こうして、
野球が好きで好きでたまらない、
この哀れな少年は、
「野球はやるものじゃなくて観るもの。」
とうそぶく、
熱心な、
‘野球観戦オタク’の道を歩むのです。
「ああ、
なんでそんな球が打てねえんだよ、アホ。」
とか、
「下手投げってのは、
ボールを上から叩くんだよ、ボケ。」
とか、
「早くピっチャー代えろよ、
このヘボ監督。」
といった、
罵声をあげながら、
時には球場で、
時には飲み屋で、
夢中になって、見続ける。
でも、これが一番平和なのかも
しれませんね。
(おしまい)
(感想 2007/3/8)
話はまた『jammin'Zeb』
に戻って、
きのう、今日、明日の3日間。
彼らは、
「日本美容専門学校」
の卒業イベントに、
ゲスト出演。
大きなホールで聴く、
彼らの美しいハーモニーは、
また格別。
というわけで、
今日はダブル・ヘッダーですわ。
ふうー…。
SHUN MIYAZUMI
『jammin'Zeb』
のライブにお越しのみなさん、
ありがとうございました。
早々と予約でいっぱいになり、
ご覧になれなかった方もかなりいた、
と聞きました。
これから、
ひとりでもたくさんの方に
観ていただきたいので、
いろんなライブ・プランを考えなくては、
と思っているところ。
どうぞ今後とも、
よろしくお願い致します。
さあ、今日(8日)も「代ナル」
今度は若い娘シンガー3人がお相手。
久しぶりに、
はたけやま裕お姉さん(PER)とも競演。
そして、3/12(月)は、
「六本木 ALL OF ME CLUB」
恒例のピアノ・トリオ・ライブ
ベースはいずれも、
話題の(?)河野秀夫さん。
どうぞ、いらして下さい。
(詳細は、このブログの
「最新ライブのご案内」を
ご覧下さい。)
それにしても、
最近、
ピアノばかり弾いてる気がする。
いいのかな…。
2005年10月29日 No.122
「みんな野球少年だった」その2
前回、
私が生涯に、
たった一度だけ輝いた、
夢のような、
野球の試合のことを書きました。
そう、
今思いだしても、
身震いがするような活躍。
きょうはその続き。
中学3年の夏休み。
いよいよ地区別対抗の
野球大会が始まりました。
何度も言いますが、
前日の練習試合で、
獅子奮迅の活躍をした私、
なんとこの試合では、
5番ファーストに格上げ!
5番つうたら、あんた、
クリーン・アップでっせ。
強打者が座る打順ですよ、
強打者が。
しかも、
試合前のキャッチ・ボールでも、
軽快に相手の構えるミットに、
スポスポとストライクを投げる私。
「こりゃ、
今まで隠れていた野球の才能が、
ついに開花したかな」
と、本気で思いましたね。
さあ、試合開始。
「今日もヒーローはいただきだ、
フフフ…。」
と、ほくそ笑みながら、
最初の打席が回ってきました。
相手ピッチャーは下手投げ。
ロッテの渡辺俊介のようなタイプ。
下からスーッと球が浮き上がってきます。
1球目 空振り
2球目 空振り
3球目……
空振り。
あえなく3球三振。
そして、
次の打席も、
その次の打席も、
3球三振…。
バットにかすりもしない。
一方、投手陣といえば、
我がチームのエースは、
1回から火だるま。
ボカスカに打たれて、
あっという間に7点を献上。
次のピッチャーもストライクが入らず、
たまに入ったやつをカキーンと打たれる。
見るも無惨な、
ワン・サイド・ゲーム。
ここで、
何を思ったのか我がチームの監督、
「ピッチャー交代、宮住!」
と私の名を呼びました。
さすがにこの時だけは、
「このオッサン、ついに血迷ったかな。」
と思いましたね。
そりゃ、
試合前のキャッチ・ボールでは、
コントロール良く投げてましたよ。
でも、ピッチャーなんてやったことないし、
「大丈夫かな」
と不安な気持ちでマウンドに向かう私。
やっぱり、
です。
コントロール良く、
手頃なスピードで投げ込まれる私の球は、
まるでバッティング投手のように、
カキン、カキンとはね返されます。
相手のチームの連中からは、
「おい、もっとヘボが出てきたぞ。」
とか、
「お前の球なんか、
目つぶっても打てるぞぉ。」
とか、
情け容赦のないヤジの嵐。
きのうきょう、中学生になったような、
チビの1年生にもボコボコに打たれ、
さらにまた、
えげつないヤジの連発。
結局、一死も取れず、
スゴスゴと降板。
チーム・メートや監督は、
きのうとうってかわって、
冷ややかな目で私を見る。
結局この試合、
16-0でコールド負け。
しかも我がチームは、
相手のサブマリン投手に、
‘完全試合’を喫する完敗。
うつむきかげんで、
元気なく帰宅した私に、
母はこう言いました。
「あんた、どこか具合でも悪いの?
きのうはあんなにはしゃいでたのに。」
それからの数年、
何回かは、野球の試合に出ましたが、
およそ活躍らしい活躍は皆無。
いったい、
あの日は何だったのでしょう?
こうして、
野球が好きで好きでたまらない、
この哀れな少年は、
「野球はやるものじゃなくて観るもの。」
とうそぶく、
熱心な、
‘野球観戦オタク’の道を歩むのです。
「ああ、
なんでそんな球が打てねえんだよ、アホ。」
とか、
「下手投げってのは、
ボールを上から叩くんだよ、ボケ。」
とか、
「早くピっチャー代えろよ、
このヘボ監督。」
といった、
罵声をあげながら、
時には球場で、
時には飲み屋で、
夢中になって、見続ける。
でも、これが一番平和なのかも
しれませんね。
(おしまい)
(感想 2007/3/8)
話はまた『jammin'Zeb』
に戻って、
きのう、今日、明日の3日間。
彼らは、
「日本美容専門学校」
の卒業イベントに、
ゲスト出演。
大きなホールで聴く、
彼らの美しいハーモニーは、
また格別。
というわけで、
今日はダブル・ヘッダーですわ。
ふうー…。
SHUN MIYAZUMI
March 02, 2007
みんな野球少年だった
2/28(水)「 ALL OF ME CLUB 」
「 jammin' Zeb 」の初ライブに、
お越しのみなさん、
ありがとうございました。
満員札止めの中、
最後まで盛り上げていただき、
おかげさまで、
上々のスタートが切れたのではないか、
と思っております。
これからが本当に楽しみな、
若い若いグループです。
どうぞ今後とも、
よろしくお願い致しまする〜〜。
さて、いよいよ3月。
そろそろ各地で、
オープン戦も始まりますねえ。
「 野球観戦狂 」の私には、
たまらない季節がやってきます。
というわけで今日は、
こんな話題を、
引っ張り出してみました。
2005年09月22日 No.119
「 みんな野球少年だった 」
私が幼い頃、
男の子は、
みんな野球が大好き。
学校の放課後、
グラウンドで、
その辺の空き地で、
公園で、
川っぺりで、
ちょっとした路地で、
とにかくスぺースがあって、
数人の男の子が集まると、
すぐに野球が始まる。
学校や公園など広い敷地では、
軟式ボール。
狭い場所では、
フニャフニャのゴムボールで、
いわゆる、
「 三角ベース 」というのを楽しむ。
おお、三角ベース!
なんというレトロな響き。
若い人は知らないですかね?
ベースは一塁と三塁しかなく、
ピッチャーが投げたボールを、
手で打って、
猛然と一塁に向かって走る。
毎晩、暗くなってから、
泥まみれで帰るもんですから、
母親からは、
毎日のように、
叱られてました。
しかし私、
野球は、
へたくそです。
スキーのお話のときにも言いましたが、
こう見えても、
私は実は、
なかなかの運動神経の持ち主。
特に中学以降、
短距離を走らせたら、
まず学年でもトップ・クラス。
このことは、
このエッセイにもたびたび登場する、
中学1、2年の時同じクラスだった小原氏が、
証言してくれるはず。
球技も、
バレー・ボール、ドッジ・ボール、
バスケットなんぞは得意。
でも野球は下手…。
取ったり、投げたり、走ったり、
は、いいとしても、
打つ方がからっきしダメ。
どんなチームでも、
7番とか8番といった
下位しか打たせてもらえないし、
人数が多いときはたいてい補欠。
でも大好き。
好きなものは好き。
そんな私が、
生涯で、たった一度だけ、
輝いた試合がありました。
中学3年の夏休み。
地区別対抗野球大会に
出場したときのことです。
来るべき大会を前にして、
私の所属するチームは、
大会前の練習をしていました。
バッティング練習で、
空振りばかりをしてる私のところに、
「 コーチ 」と称する
ひとりのおっさんがやってきました。
「おまえねえ、そんなプロみたいに
大上段に振りかざしたって、
打てるわけねえよ。
バットを寝かして、当てにいってみろよ。
軟式だから、当たりゃ飛ぶんだから。」
と、アドバイスしてくれました。
そして翌日は、
グラウンドを借りていた、
聾学校の生徒達と練習試合。
大して期待もされてない私は、
7番ファーストで先発。
その第1打席。
私は、
おっさんコーチのアドバイス通り、
バットを横に寝かして、
とにかく当てにいくつもりで振りました。
ところが!
打球はライトのはるか頭上を越え、
体育館の上を越える大ホームラン。
夢見心地でホームインの私。
でも監督もチーム・メイトも、
「 ふん、どうせまぐれ当たりよ。」
といった冷たい反応。
そして迎えた第2打席。
またしても!
「 カキーン!」
という快音を残して、
打球はセンターに向かって伸びる、伸びる。
「バッター宮住、打ちました。
おっと、これまた大きい。
センター、バック、バック!
しかし打球はぐんぐん伸びる。
入りました!ホームラン!
宮住、2打席連続ホームランです。」
とにかく私の打った球は、
センターの遥か向こうの、
校舎の2階の窓ガラスを突き破る、
大ホームラン。
監督も、コーチのおっさんも、
チーム・メートも、
みな口あんぐり。
というか、
当の本人が、
一番ビックリだわさ。
その後も絶好調の私は、
ヒットは打つわ、
盗塁はするわ、
キャッチャーが球を後逸する間に
すかさずホームに駆け込むわ。
獅子奮迅の活躍とはこのこと。
こうしてこの試合、
私の活躍によって、
この、私の、活躍によって、
大勝利を収めたのです。
さあ、家に帰ってからも、
興奮は冷めやりません。
思い出すたびに、
口元がニンヤリ。
風呂に入っても、
明日の本大会に備えて、
手首のマッサージをしたりしながら、
何度も何度も、
余韻を楽しんでいました。
いやあ、まさに、
私の人生最良の日。
夢のような一日…。
そして、翌日の本大会初日。
スッキリさわやかな朝を迎えた私。
「さ、きょうも、
ガツンとやってやるかな、
ガツンと。」
こんな感じで、
意気揚々と、
試合のあるグラウンドに、
向かったのでした。
(つづく)
(感想 2007/3/2)
話は全然変わりますが、
一昨日の、
このブログの訪問者が、
260という、
凄い数字になっていました。
何事かと思ったら、
こんなニュースを発見。
自分が開いている
ダンス教室の生徒の女性 (20)
に性的暴行をしたとして、
モダンダンスのダンサーとして知られる
河野秀夫容疑者 (60) が、
警視庁杉並署に強姦容疑で
逮捕されていたことが分かった。
(2007年2月27日13時43分 読売新聞)
私がいつも一緒に演奏している、
ベーシストと、
まったく同姓同名の、
エロダンサーが逮捕。
というお話。
「 河野秀夫 ダンサー 」
という検索で大量にひっかかった、
というわけです。
すごい時代ですね。
インターネット時代…。
それにしても、
我が友、河野秀夫君。
さぞや、
迷惑だったでしょうな。
同情しますよー。
アハハハ。
SHUN MIYAZUMI
「 jammin' Zeb 」の初ライブに、
お越しのみなさん、
ありがとうございました。
満員札止めの中、
最後まで盛り上げていただき、
おかげさまで、
上々のスタートが切れたのではないか、
と思っております。
これからが本当に楽しみな、
若い若いグループです。
どうぞ今後とも、
よろしくお願い致しまする〜〜。
さて、いよいよ3月。
そろそろ各地で、
オープン戦も始まりますねえ。
「 野球観戦狂 」の私には、
たまらない季節がやってきます。
というわけで今日は、
こんな話題を、
引っ張り出してみました。
2005年09月22日 No.119
「 みんな野球少年だった 」
私が幼い頃、
男の子は、
みんな野球が大好き。
学校の放課後、
グラウンドで、
その辺の空き地で、
公園で、
川っぺりで、
ちょっとした路地で、
とにかくスぺースがあって、
数人の男の子が集まると、
すぐに野球が始まる。
学校や公園など広い敷地では、
軟式ボール。
狭い場所では、
フニャフニャのゴムボールで、
いわゆる、
「 三角ベース 」というのを楽しむ。
おお、三角ベース!
なんというレトロな響き。
若い人は知らないですかね?
ベースは一塁と三塁しかなく、
ピッチャーが投げたボールを、
手で打って、
猛然と一塁に向かって走る。
毎晩、暗くなってから、
泥まみれで帰るもんですから、
母親からは、
毎日のように、
叱られてました。
しかし私、
野球は、
へたくそです。
スキーのお話のときにも言いましたが、
こう見えても、
私は実は、
なかなかの運動神経の持ち主。
特に中学以降、
短距離を走らせたら、
まず学年でもトップ・クラス。
このことは、
このエッセイにもたびたび登場する、
中学1、2年の時同じクラスだった小原氏が、
証言してくれるはず。
球技も、
バレー・ボール、ドッジ・ボール、
バスケットなんぞは得意。
でも野球は下手…。
取ったり、投げたり、走ったり、
は、いいとしても、
打つ方がからっきしダメ。
どんなチームでも、
7番とか8番といった
下位しか打たせてもらえないし、
人数が多いときはたいてい補欠。
でも大好き。
好きなものは好き。
そんな私が、
生涯で、たった一度だけ、
輝いた試合がありました。
中学3年の夏休み。
地区別対抗野球大会に
出場したときのことです。
来るべき大会を前にして、
私の所属するチームは、
大会前の練習をしていました。
バッティング練習で、
空振りばかりをしてる私のところに、
「 コーチ 」と称する
ひとりのおっさんがやってきました。
「おまえねえ、そんなプロみたいに
大上段に振りかざしたって、
打てるわけねえよ。
バットを寝かして、当てにいってみろよ。
軟式だから、当たりゃ飛ぶんだから。」
と、アドバイスしてくれました。
そして翌日は、
グラウンドを借りていた、
聾学校の生徒達と練習試合。
大して期待もされてない私は、
7番ファーストで先発。
その第1打席。
私は、
おっさんコーチのアドバイス通り、
バットを横に寝かして、
とにかく当てにいくつもりで振りました。
ところが!
打球はライトのはるか頭上を越え、
体育館の上を越える大ホームラン。
夢見心地でホームインの私。
でも監督もチーム・メイトも、
「 ふん、どうせまぐれ当たりよ。」
といった冷たい反応。
そして迎えた第2打席。
またしても!
「 カキーン!」
という快音を残して、
打球はセンターに向かって伸びる、伸びる。
「バッター宮住、打ちました。
おっと、これまた大きい。
センター、バック、バック!
しかし打球はぐんぐん伸びる。
入りました!ホームラン!
宮住、2打席連続ホームランです。」
とにかく私の打った球は、
センターの遥か向こうの、
校舎の2階の窓ガラスを突き破る、
大ホームラン。
監督も、コーチのおっさんも、
チーム・メートも、
みな口あんぐり。
というか、
当の本人が、
一番ビックリだわさ。
その後も絶好調の私は、
ヒットは打つわ、
盗塁はするわ、
キャッチャーが球を後逸する間に
すかさずホームに駆け込むわ。
獅子奮迅の活躍とはこのこと。
こうしてこの試合、
私の活躍によって、
この、私の、活躍によって、
大勝利を収めたのです。
さあ、家に帰ってからも、
興奮は冷めやりません。
思い出すたびに、
口元がニンヤリ。
風呂に入っても、
明日の本大会に備えて、
手首のマッサージをしたりしながら、
何度も何度も、
余韻を楽しんでいました。
いやあ、まさに、
私の人生最良の日。
夢のような一日…。
そして、翌日の本大会初日。
スッキリさわやかな朝を迎えた私。
「さ、きょうも、
ガツンとやってやるかな、
ガツンと。」
こんな感じで、
意気揚々と、
試合のあるグラウンドに、
向かったのでした。
(つづく)
(感想 2007/3/2)
話は全然変わりますが、
一昨日の、
このブログの訪問者が、
260という、
凄い数字になっていました。
何事かと思ったら、
こんなニュースを発見。
自分が開いている
ダンス教室の生徒の女性 (20)
に性的暴行をしたとして、
モダンダンスのダンサーとして知られる
河野秀夫容疑者 (60) が、
警視庁杉並署に強姦容疑で
逮捕されていたことが分かった。
(2007年2月27日13時43分 読売新聞)
私がいつも一緒に演奏している、
ベーシストと、
まったく同姓同名の、
エロダンサーが逮捕。
というお話。
「 河野秀夫 ダンサー 」
という検索で大量にひっかかった、
というわけです。
すごい時代ですね。
インターネット時代…。
それにしても、
我が友、河野秀夫君。
さぞや、
迷惑だったでしょうな。
同情しますよー。
アハハハ。
SHUN MIYAZUMI