April 2007
April 29, 2007
ジャズまくり時代 その5
いい天気ですね。
本当に爽やか。
しかも、
待ちに待ったゴールデン・ウィーク!
私が一年で、
最も好きな季節。
快適に過ごしたいものですね。
さて先週は、
2本のライブをやりましたよ。
4/24(火)「代々木ナル」
CHIHARU (VO) とのコラボ。
4/27(金)「学芸大 A’TRAIN」
恒例ミッドナイト・セッション。
どちらも、
大勢のお客さんに、
熱心に耳を傾けていただき、
本当にありがとうございました。
このライブの模様も、
またまた友人の「途夢♪待人」さんが、
ご自身のサイトで、
詳しく書いておられますので、
どうぞお読みになって下さい。
(WJJというコーナーです。)
それにしても途夢さん、
いったい月に何本、
ワインを飲むんだろう?
でもジャズとワイン。
いい趣味ですよね。
私は、
演奏のときは、
もっぱらスコッチ・ウィスキーの水割り。
ふだんは焼酎の麦茶割り。
関係ないか…。
2003年10月22日 No.57
ジャズまくり時代 その5
「K大ライト・ミュージック・ソサエティ」
の先輩たちが、
演奏旅行に行ってる間に、
私は二人の偉大なジャズ・ピアニストを、
知ることができました。
ひとりは大沢保郎さん。
そしてもうひとりは、
菅野邦彦さん。
今から35年以上も前のことです。
特に、
六本木「N」というお店で初めて聞いた、
菅野さんのプレイは、
本当に衝撃的でしたね。
自分が最もやりたかったスタイル。
ご機嫌にスイングするし、
タッチは綺麗だし、
言うことなし!
さて、
かつて、
『エロール・ガーナーの思い出』
でも書きましたが、
当時の六本木には、
たくさんのジャズ・クラブがあり、
そこには必ず、
‘ハウス・ピアニスト’がいたのです。
今のように、演奏家が、
「きょうはこの店、明日はあの店」
という感じで、
移動するのではありません。
さらには、この「N」のように、
夜中に演奏が始まり、朝まで、
といったお店も、
少なくありませんでした。
そして、この菅野さんは、
ミュージシャンの間でも
カリスマ的な存在でしたから、
深夜になると、
早い時間の仕事を終えて、
彼のピアノを聞きに、
あるいは一緒にセッションをしに来る、
ジャズメンの溜まり場、
と化していました。
これも刺激的でしたねえ。
昼間は、
家で練習したり、
レコードのコピーをしたり。
夜遅くなってから、
いそいそと六本木に繰り出し、
菅野さんや、
その仲間の素晴らしいプレイヤー達、
の演奏を生で聞き、
始発電車で帰って、
少し寝てまた練習。
夜はまた六本木へ。
この時期の私は、
ずーッとこんな生活を送ってました。
親父に、
「毎日毎日、
夜になると出かけて、朝帰り。
お前は泥棒か!」
と言われていたのは、
この頃のことです。
ところで、
今はジャズといえば、
唄が主流。
でも当時は、
あまりジャズ・シンガーはいないし、
素人でジャズ・ヴォーカルをたしなむ人も、
ほとんどいなかった。
演奏の主流は、
「ピアノ・トリオ」でしたね。
思えば、
これも有り難かった。
特に六本木には、
菅野さんの他にも、
名手と呼ばれるピアニスト達が
あちこちの店で、
‘ハウス・ピアニスト’として弾いている。
世良譲、山本剛、杉野喜知郎、大野三平、
といった人たち。
こういった人達のお店にも、
しょっちゅう行って、
修業させてもらってました。
これも、
『エロール・ガーナーの思い出』
のときに書きましたね。
こうして、
こんな生活に、
ドップリつかってしまうと、
とてもライトなど続けられるわけもなく、
また戻る気もなくなり、
一年生の途中で早々とリタイヤした私は、
夜の六本木のジャズ・シーンに
‘謎の大学生’として、
存在していくことに、
なるのでした。
(つづく)
(感想 2007/4/29)
ところで、
CHIHARUも、
着々とファンを増やしているようですね。
「もっともっと知られていい」
と思っていたシンガーだけに、
嬉しい気がします。
うんうん。
いいことだ。
そんなCHIHARUファンに、
耳よりなニュース!
5/11(金)
私のホーム・グラウンド
学芸大「A'TRAIN」で、
『CHIHARU / A'TRAIN スペシャル』
なるライブが実現します。
バック・メンバーは、
私のピアノと河野秀夫氏のベース。
9時半からXステージ。
ミュージック・チャージ¥1,500
(TEL:5721-8833)
これはお得だ。
白熱の夜、必至!
さらにさかのぼって、
GW明けの5/8(火)には、
「代々木ナル」で、
私の好きなもうひとりのシンガー、
美しい美しい、
ちゅうまけいこ
とのコラボがあります。
ベースが、これまた、
佐藤有介という、
素晴らしい若手。
これも楽しみです。
さらに、この日の午後は、
新鋭男性ヴォーカル・グループ
『 jammin' Zeb 』が、
「渋谷CCレモン・ホール(旧渋谷公会堂)」
で行なわれる、
「DANKS ヘアー・ショー」にゲスト出演。
私がこのためにアレンジした、
『オペラ座の怪人メドレー』
を唱うことになっています。
うわあ、
なんだか忙しそう。
このGWは、
体力温存だな…。
SHUN MIYAZUMI
本当に爽やか。
しかも、
待ちに待ったゴールデン・ウィーク!
私が一年で、
最も好きな季節。
快適に過ごしたいものですね。
さて先週は、
2本のライブをやりましたよ。
4/24(火)「代々木ナル」
CHIHARU (VO) とのコラボ。
4/27(金)「学芸大 A’TRAIN」
恒例ミッドナイト・セッション。
どちらも、
大勢のお客さんに、
熱心に耳を傾けていただき、
本当にありがとうございました。
このライブの模様も、
またまた友人の「途夢♪待人」さんが、
ご自身のサイトで、
詳しく書いておられますので、
どうぞお読みになって下さい。
(WJJというコーナーです。)
それにしても途夢さん、
いったい月に何本、
ワインを飲むんだろう?
でもジャズとワイン。
いい趣味ですよね。
私は、
演奏のときは、
もっぱらスコッチ・ウィスキーの水割り。
ふだんは焼酎の麦茶割り。
関係ないか…。
2003年10月22日 No.57
ジャズまくり時代 その5
「K大ライト・ミュージック・ソサエティ」
の先輩たちが、
演奏旅行に行ってる間に、
私は二人の偉大なジャズ・ピアニストを、
知ることができました。
ひとりは大沢保郎さん。
そしてもうひとりは、
菅野邦彦さん。
今から35年以上も前のことです。
特に、
六本木「N」というお店で初めて聞いた、
菅野さんのプレイは、
本当に衝撃的でしたね。
自分が最もやりたかったスタイル。
ご機嫌にスイングするし、
タッチは綺麗だし、
言うことなし!
さて、
かつて、
『エロール・ガーナーの思い出』
でも書きましたが、
当時の六本木には、
たくさんのジャズ・クラブがあり、
そこには必ず、
‘ハウス・ピアニスト’がいたのです。
今のように、演奏家が、
「きょうはこの店、明日はあの店」
という感じで、
移動するのではありません。
さらには、この「N」のように、
夜中に演奏が始まり、朝まで、
といったお店も、
少なくありませんでした。
そして、この菅野さんは、
ミュージシャンの間でも
カリスマ的な存在でしたから、
深夜になると、
早い時間の仕事を終えて、
彼のピアノを聞きに、
あるいは一緒にセッションをしに来る、
ジャズメンの溜まり場、
と化していました。
これも刺激的でしたねえ。
昼間は、
家で練習したり、
レコードのコピーをしたり。
夜遅くなってから、
いそいそと六本木に繰り出し、
菅野さんや、
その仲間の素晴らしいプレイヤー達、
の演奏を生で聞き、
始発電車で帰って、
少し寝てまた練習。
夜はまた六本木へ。
この時期の私は、
ずーッとこんな生活を送ってました。
親父に、
「毎日毎日、
夜になると出かけて、朝帰り。
お前は泥棒か!」
と言われていたのは、
この頃のことです。
ところで、
今はジャズといえば、
唄が主流。
でも当時は、
あまりジャズ・シンガーはいないし、
素人でジャズ・ヴォーカルをたしなむ人も、
ほとんどいなかった。
演奏の主流は、
「ピアノ・トリオ」でしたね。
思えば、
これも有り難かった。
特に六本木には、
菅野さんの他にも、
名手と呼ばれるピアニスト達が
あちこちの店で、
‘ハウス・ピアニスト’として弾いている。
世良譲、山本剛、杉野喜知郎、大野三平、
といった人たち。
こういった人達のお店にも、
しょっちゅう行って、
修業させてもらってました。
これも、
『エロール・ガーナーの思い出』
のときに書きましたね。
こうして、
こんな生活に、
ドップリつかってしまうと、
とてもライトなど続けられるわけもなく、
また戻る気もなくなり、
一年生の途中で早々とリタイヤした私は、
夜の六本木のジャズ・シーンに
‘謎の大学生’として、
存在していくことに、
なるのでした。
(つづく)
(感想 2007/4/29)
ところで、
CHIHARUも、
着々とファンを増やしているようですね。
「もっともっと知られていい」
と思っていたシンガーだけに、
嬉しい気がします。
うんうん。
いいことだ。
そんなCHIHARUファンに、
耳よりなニュース!
5/11(金)
私のホーム・グラウンド
学芸大「A'TRAIN」で、
『CHIHARU / A'TRAIN スペシャル』
なるライブが実現します。
バック・メンバーは、
私のピアノと河野秀夫氏のベース。
9時半からXステージ。
ミュージック・チャージ¥1,500
(TEL:5721-8833)
これはお得だ。
白熱の夜、必至!
さらにさかのぼって、
GW明けの5/8(火)には、
「代々木ナル」で、
私の好きなもうひとりのシンガー、
美しい美しい、
ちゅうまけいこ
とのコラボがあります。
ベースが、これまた、
佐藤有介という、
素晴らしい若手。
これも楽しみです。
さらに、この日の午後は、
新鋭男性ヴォーカル・グループ
『 jammin' Zeb 』が、
「渋谷CCレモン・ホール(旧渋谷公会堂)」
で行なわれる、
「DANKS ヘアー・ショー」にゲスト出演。
私がこのためにアレンジした、
『オペラ座の怪人メドレー』
を唱うことになっています。
うわあ、
なんだか忙しそう。
このGWは、
体力温存だな…。
SHUN MIYAZUMI
April 22, 2007
ジャズまくり時代 その4
皮肉なもので、
この「ジャズまくり時代」
を書きはじめてからの2週間というもの、
私はほとんど、
ピアノにさわっていません。
ま、本業が忙しくなってる、
という結構な状況ではあるのですが、
それにしても今週、
4/24(火)は「代ナル」で、
楽しみなCHIHARUとのコラボがある。
ちょっと心配になってきましたねえ。
というわけで、
きょうは久しぶりに、
ピアノの練習でもしようかな。
まさか、
忘れてないだろうなぁ、
ピアノ…?
2003年7月10日(木) No.53(後半)
ジャズまくり時代 その4
私の大学1年の夏。
合宿を終えると、
先輩たちはそのまま、
演奏旅行に出かけました。
当時は地方遠征も多く、
こんなことも、
こうした有名音楽サークルの、
人気の理由のひとつだったのですが、
今はほとんど無いようですね。
今の現役は、
かわいそうだな。
その遠征には、
将来を嘱望されている1年生も、
何人か同行したのですが、
いまだに、
ジャズらしきものを何も弾けない私は、
まったく相手にされず、
お家でお留守番。
しかし、
これがラッキーでした。
この1ヶ月は、
奴隷生活から解放され、
ようやく、
思う存分練習が出来る!
「さあ、やるぞ〜!」
先輩の高尾さんから写させてもらった、
菊池雅章さんのジャズ理論書を研究し、
トミー・フラナガン、
ソニー・クラーク、
ウイントン・ケリー、
レッド・ガーランド、
といった、
オーソドックスなピアニストのレコードを、
次から次へとコピー。
そして、
レコードに合わせて、
一緒に演奏してみる。
こんな毎日が始まりました。
でもね、
ジャズって、
ほんと難しい。
いくら練習しても、
我ながらすごい‘イモ’で、
全然サマになっていないのが解る。
自己嫌悪の毎日。
乗り方もハーモニーも、
何かが違う?
特にジャズでは、
8分音符の跳ね方が、
本当に難しいんです。
そしてこれが、
ジャズ特有の‘スイング’
というやつ。
黒人は生まれつき持ってるものですが、
我々日本人には無い独特の‘乗り方’。
これが一番やっかいでしたね。
ちっともできなくて、
毎日泣きながら練習しました。
一日8時間くらい練習したでしょうか、
あの頃は。
でも、自分では、
全く納得いかなかった。
早くも壁にブチ当たった、
そんなある日、
ある友人が、
一人のピアニストを紹介してくれました。
大沢保郎さんという、
ビーバップ・スタイルの名手で、
その筋では有名な人です。
その時は、
銀座の、とあるクラブで、
ピアノ・トリオで演奏していました。
小粋にスイングする、
趣味のいい彼のピアノに魅せられた私は、
勝手に弟子入り宣言。
でも、その大沢先生、
親切に教えてくれたりはしない。
ただし、毎日見学することだけは、
許してくれました。
で、昼間は家で練習して、
夜は銀座のクラブのカウンターに座って、
彼のトリオの演奏を聴く。
彼の指使いを間近で見る。
‘百聞は一見にしかず’
とは良く言ったもの。
それまでの謎が、
少しずつほぐれていきます。
そうこうするうち、
仲良くなったベースの人が、
銀座での仕事を終えたあと、
今度は六本木の「N」というジャズ・クラブに、
連れて行ってくれました。
(おや、なにやらこの店、聴いたことが?)
そうです。
このエッセイの過去ログ
「エロール・ガーナーの思い出」
にも登場した、
あのお店です。
そして、
そこで弾いていたピアニストが、
菅野邦彦さん。
私が今でも「心の師匠」と仰ぐ、
名ピアニスト。
彼のピアノは、
その後の私のジャズ・ライフに、
本当に影響を与えましたね。
まあ、いろんな意味で。
(つづく)
(感想 2007/4/22)
これをお読み下さってる、
若い人たちに申し上げます。
ここで言う「銀座のクラブ」とは、
正真正銘、
ホステスのおネエさんがいっぱいいる、
あの‘クラブ’のことです。
クから右下がりに‘クラブ’と発音する。
みなさんがよく踊りに行くであろう
‘クラブ’は、
一直線に、
アクセントをつけずに発音しますね。
お間違えなきよう。
それにしても、
未成年の分際で、
こんなところに出入りしていた私は、
やはり不良…?
良い子のみなさんは、
絶対、
真似をしないように。
SHUN MIYAZUMI
この「ジャズまくり時代」
を書きはじめてからの2週間というもの、
私はほとんど、
ピアノにさわっていません。
ま、本業が忙しくなってる、
という結構な状況ではあるのですが、
それにしても今週、
4/24(火)は「代ナル」で、
楽しみなCHIHARUとのコラボがある。
ちょっと心配になってきましたねえ。
というわけで、
きょうは久しぶりに、
ピアノの練習でもしようかな。
まさか、
忘れてないだろうなぁ、
ピアノ…?
2003年7月10日(木) No.53(後半)
ジャズまくり時代 その4
私の大学1年の夏。
合宿を終えると、
先輩たちはそのまま、
演奏旅行に出かけました。
当時は地方遠征も多く、
こんなことも、
こうした有名音楽サークルの、
人気の理由のひとつだったのですが、
今はほとんど無いようですね。
今の現役は、
かわいそうだな。
その遠征には、
将来を嘱望されている1年生も、
何人か同行したのですが、
いまだに、
ジャズらしきものを何も弾けない私は、
まったく相手にされず、
お家でお留守番。
しかし、
これがラッキーでした。
この1ヶ月は、
奴隷生活から解放され、
ようやく、
思う存分練習が出来る!
「さあ、やるぞ〜!」
先輩の高尾さんから写させてもらった、
菊池雅章さんのジャズ理論書を研究し、
トミー・フラナガン、
ソニー・クラーク、
ウイントン・ケリー、
レッド・ガーランド、
といった、
オーソドックスなピアニストのレコードを、
次から次へとコピー。
そして、
レコードに合わせて、
一緒に演奏してみる。
こんな毎日が始まりました。
でもね、
ジャズって、
ほんと難しい。
いくら練習しても、
我ながらすごい‘イモ’で、
全然サマになっていないのが解る。
自己嫌悪の毎日。
乗り方もハーモニーも、
何かが違う?
特にジャズでは、
8分音符の跳ね方が、
本当に難しいんです。
そしてこれが、
ジャズ特有の‘スイング’
というやつ。
黒人は生まれつき持ってるものですが、
我々日本人には無い独特の‘乗り方’。
これが一番やっかいでしたね。
ちっともできなくて、
毎日泣きながら練習しました。
一日8時間くらい練習したでしょうか、
あの頃は。
でも、自分では、
全く納得いかなかった。
早くも壁にブチ当たった、
そんなある日、
ある友人が、
一人のピアニストを紹介してくれました。
大沢保郎さんという、
ビーバップ・スタイルの名手で、
その筋では有名な人です。
その時は、
銀座の、とあるクラブで、
ピアノ・トリオで演奏していました。
小粋にスイングする、
趣味のいい彼のピアノに魅せられた私は、
勝手に弟子入り宣言。
でも、その大沢先生、
親切に教えてくれたりはしない。
ただし、毎日見学することだけは、
許してくれました。
で、昼間は家で練習して、
夜は銀座のクラブのカウンターに座って、
彼のトリオの演奏を聴く。
彼の指使いを間近で見る。
‘百聞は一見にしかず’
とは良く言ったもの。
それまでの謎が、
少しずつほぐれていきます。
そうこうするうち、
仲良くなったベースの人が、
銀座での仕事を終えたあと、
今度は六本木の「N」というジャズ・クラブに、
連れて行ってくれました。
(おや、なにやらこの店、聴いたことが?)
そうです。
このエッセイの過去ログ
「エロール・ガーナーの思い出」
にも登場した、
あのお店です。
そして、
そこで弾いていたピアニストが、
菅野邦彦さん。
私が今でも「心の師匠」と仰ぐ、
名ピアニスト。
彼のピアノは、
その後の私のジャズ・ライフに、
本当に影響を与えましたね。
まあ、いろんな意味で。
(つづく)
(感想 2007/4/22)
これをお読み下さってる、
若い人たちに申し上げます。
ここで言う「銀座のクラブ」とは、
正真正銘、
ホステスのおネエさんがいっぱいいる、
あの‘クラブ’のことです。
クから右下がりに‘クラブ’と発音する。
みなさんがよく踊りに行くであろう
‘クラブ’は、
一直線に、
アクセントをつけずに発音しますね。
お間違えなきよう。
それにしても、
未成年の分際で、
こんなところに出入りしていた私は、
やはり不良…?
良い子のみなさんは、
絶対、
真似をしないように。
SHUN MIYAZUMI
April 18, 2007
ジャズまくり時代 その3
毎日鬱陶しいですね。
雨ばかり。
しかも肌寒い。
しかし、私は浮き浮き。
なぜか?
電器屋さんのおかげで、
BSが復活したから。
さすがプロですね。
ここぞ、という場所を、
あっと言う間に探し出し、
あっと言う間に工事してしまいました。
というわけで、
9ヶ月ぶりに、
我が家に大リーグが戻ってきました。
ウシシ。
さて今日も、
私の大学時代のお話。
2003年7月10日(木) No.53
ジャズまくり時代 その3
ま、そんなわけで、
憧れの「ライトミュージック・ソサエティ」に、
入ることは入りました。
それにしても、
当時のライトのスケジュールは、
半端じゃない。
週3回(月、水、金)の練習の他に、
コンサートやダンス・パーティーの仕事が、
月に20本近くもある。
その度に、我ら1年生は、
必修科目があろうが、
試験があろうが、
情け容赦なく担ぎ出される。
そんな環境ですから、
先輩たちの中には、
留年を余儀なくされている人も、
いっぱいいましたね。
この辺が、
名門クラブのつらいところか。
しかし、
まったくもって、
本末転倒もいいところの集団だ…。
さてこの、
「ダンス・パーティー」とは何かというと、
学内のいろんなサークルが、
金稼ぎのために、
ダンス・パーティーを主催し、
パーティー券を売り、
そこに、いっぱい男女が集まって、
交際の場を拡げるというもの。
今で言うところの、
「合コン」
てやつですか。
これが、
けっこう大きなホールで、
頻繁に行なわれていた。
しかも優雅に。
そして、そのバックの演奏に、
我らライトのような、
ジャズのビッグ・バンドが呼ばれるわけです。
演奏するのはもっぱら、
「グレン・ミラー楽団」のようなダンス・ナンバー。
それが、
ライトの資金源になる。
しかも、学生の分際で、
かなりの荒稼ぎ。
今はこんなのありませんね。
というか、
親のスネかじりのくせに、
当時の学生は、
なまいきでしたね。
でも、いい時代でした。
で、こういう仕事があると、
楽器運びは、
もちろん1年生の仕事。
これ「トランポ」(Transportationの略)
って言うんですが、
これが、もう、もう、大変だ。
今は楽器車があるそうなのですが、
当時はタクシー3台で運ぶ。
3人一組になって「部室」から、
楽器や譜面、
(レパートリーが千曲くらいありますから、
これがまた重い!)
を外へ運び出し、
タクシーを拾う。
しかし、ほとんどのタクシーは、
楽器の山を見て乗車拒否。
なんとか止まってくれたタクシーも、
行き先が近いと、また拒否。
ニューヨークならさしずめ、
「Fuck You!」
とののしられ、
相手にもされない、
って感じ…。
そのうち集合時間は迫ってくる。
あせります。
万一遅刻などしようものなら、
先輩からこっぴどく爆弾が落ちる。
ま、先輩のみなさんも、
1年の時はやってきてるのだから、
言い訳もできませんしね。
この「トランポ」が嫌で、
当初40人くらいいた新入生も、
一人やめ、二人やめ。
一か月も経つと12、3人に減っていました。
すると、
この「トランポ」の順番が、
あっという間に廻ってくる。
これ本当に、
きつかったですね。
(現役諸君!
専用楽器車で運べるなんて、
君らは恵まれてるのよ。)
さらに、
先輩たちの練習の時は、
「新曲の写譜」という仕事が待ってる。
スコアからパート譜に書き写す仕事。
でも、
しだいに不安と不満がつのる私。
「これじゃあ、
練習する時間なんて、
ぜんぜん無いじゃないか…。」
「いったい何時になったら、
練習できるんだろう…?」
そして、
そんな毎日ですから、
ピアノもいっこうに、
上手くなりません。
そんなわけで、
夏合宿のころには、
新入生は10人前後に減っていました。
7人もいた‘ピアノ志望’も、
私一人になっていました。
「しめた!
これで3年後のレギュラーは俺のものだ。」
ところが、ある先輩から、
「一人しかいなくても、
イモだったら、
他から連れてくるから。」
と言われ、
これまたガーン!
夏合宿のあとの演奏旅行でも、
まったく期待されていない私は、
どこへも連れて行ってくれません。
しかし、
今思えば、
これが幸運でしたね。
先輩たちが演奏旅行に行ってる1ヶ月間は、
晴れて解放。
私が待ちこがれてた練習時間が、
ついに、
やってきたわけです。
(つづく)
(感想 2007/4/18)
こうして、
当時のライトを振り返ってみると、
まるで「体育会」のようでしたね。
4年生は国王。
1年生は奴隷。
ま、こんな感じでした。
私の「スポーツ・ピアノ」は、
こんな体育会的環境から生まれた?
どうでしょう。
関係ないかな?
そういえば、
4/24(火)は「代々木ナル」
大好きなシンガー、
CHIHARU(チハル)とのコラボです。
「スポーツ・ジャズ」満開だぜ!
SHUN MIYAZUMI
雨ばかり。
しかも肌寒い。
しかし、私は浮き浮き。
なぜか?
電器屋さんのおかげで、
BSが復活したから。
さすがプロですね。
ここぞ、という場所を、
あっと言う間に探し出し、
あっと言う間に工事してしまいました。
というわけで、
9ヶ月ぶりに、
我が家に大リーグが戻ってきました。
ウシシ。
さて今日も、
私の大学時代のお話。
2003年7月10日(木) No.53
ジャズまくり時代 その3
ま、そんなわけで、
憧れの「ライトミュージック・ソサエティ」に、
入ることは入りました。
それにしても、
当時のライトのスケジュールは、
半端じゃない。
週3回(月、水、金)の練習の他に、
コンサートやダンス・パーティーの仕事が、
月に20本近くもある。
その度に、我ら1年生は、
必修科目があろうが、
試験があろうが、
情け容赦なく担ぎ出される。
そんな環境ですから、
先輩たちの中には、
留年を余儀なくされている人も、
いっぱいいましたね。
この辺が、
名門クラブのつらいところか。
しかし、
まったくもって、
本末転倒もいいところの集団だ…。
さてこの、
「ダンス・パーティー」とは何かというと、
学内のいろんなサークルが、
金稼ぎのために、
ダンス・パーティーを主催し、
パーティー券を売り、
そこに、いっぱい男女が集まって、
交際の場を拡げるというもの。
今で言うところの、
「合コン」
てやつですか。
これが、
けっこう大きなホールで、
頻繁に行なわれていた。
しかも優雅に。
そして、そのバックの演奏に、
我らライトのような、
ジャズのビッグ・バンドが呼ばれるわけです。
演奏するのはもっぱら、
「グレン・ミラー楽団」のようなダンス・ナンバー。
それが、
ライトの資金源になる。
しかも、学生の分際で、
かなりの荒稼ぎ。
今はこんなのありませんね。
というか、
親のスネかじりのくせに、
当時の学生は、
なまいきでしたね。
でも、いい時代でした。
で、こういう仕事があると、
楽器運びは、
もちろん1年生の仕事。
これ「トランポ」(Transportationの略)
って言うんですが、
これが、もう、もう、大変だ。
今は楽器車があるそうなのですが、
当時はタクシー3台で運ぶ。
3人一組になって「部室」から、
楽器や譜面、
(レパートリーが千曲くらいありますから、
これがまた重い!)
を外へ運び出し、
タクシーを拾う。
しかし、ほとんどのタクシーは、
楽器の山を見て乗車拒否。
なんとか止まってくれたタクシーも、
行き先が近いと、また拒否。
ニューヨークならさしずめ、
「Fuck You!」
とののしられ、
相手にもされない、
って感じ…。
そのうち集合時間は迫ってくる。
あせります。
万一遅刻などしようものなら、
先輩からこっぴどく爆弾が落ちる。
ま、先輩のみなさんも、
1年の時はやってきてるのだから、
言い訳もできませんしね。
この「トランポ」が嫌で、
当初40人くらいいた新入生も、
一人やめ、二人やめ。
一か月も経つと12、3人に減っていました。
すると、
この「トランポ」の順番が、
あっという間に廻ってくる。
これ本当に、
きつかったですね。
(現役諸君!
専用楽器車で運べるなんて、
君らは恵まれてるのよ。)
さらに、
先輩たちの練習の時は、
「新曲の写譜」という仕事が待ってる。
スコアからパート譜に書き写す仕事。
でも、
しだいに不安と不満がつのる私。
「これじゃあ、
練習する時間なんて、
ぜんぜん無いじゃないか…。」
「いったい何時になったら、
練習できるんだろう…?」
そして、
そんな毎日ですから、
ピアノもいっこうに、
上手くなりません。
そんなわけで、
夏合宿のころには、
新入生は10人前後に減っていました。
7人もいた‘ピアノ志望’も、
私一人になっていました。
「しめた!
これで3年後のレギュラーは俺のものだ。」
ところが、ある先輩から、
「一人しかいなくても、
イモだったら、
他から連れてくるから。」
と言われ、
これまたガーン!
夏合宿のあとの演奏旅行でも、
まったく期待されていない私は、
どこへも連れて行ってくれません。
しかし、
今思えば、
これが幸運でしたね。
先輩たちが演奏旅行に行ってる1ヶ月間は、
晴れて解放。
私が待ちこがれてた練習時間が、
ついに、
やってきたわけです。
(つづく)
(感想 2007/4/18)
こうして、
当時のライトを振り返ってみると、
まるで「体育会」のようでしたね。
4年生は国王。
1年生は奴隷。
ま、こんな感じでした。
私の「スポーツ・ピアノ」は、
こんな体育会的環境から生まれた?
どうでしょう。
関係ないかな?
そういえば、
4/24(火)は「代々木ナル」
大好きなシンガー、
CHIHARU(チハル)とのコラボです。
「スポーツ・ジャズ」満開だぜ!
SHUN MIYAZUMI
April 14, 2007
ジャズまくり時代 その2
大リーグが、
面白そうですねえ。
でも私は、
観ることができない。
ぐしゅん。
今年のお正月にも書きましたが、
となりの駐車場に、
突如現れた大きな木が、
私の家の‘BS電波’をさえぎってるから。
そろそろ、
ダメもとで、
電器屋さんにでも、
相談してみようかな…。
2003年7月4日(金) No.52(後半)
ジャズまくり時代 その2
とりあえずK大に合格し、
憧れの『ライト・ミュージック・ソサエティ』に入部し、
言われるがままに、
渋谷の『銀亭』という小料理屋に行ってみると、
大勢の現役の先輩たちに交じって、
ものすごい数の新入生が、
緊張の面持ちでいました。
そして、
いきなり先輩たちから、
ものすごい量の‘酒の洗礼’を受けました。
断ろうものなら、
「お前、あいつの酒は受けて、
俺のは受けないってぇの?」
と、情け容赦なく酒が注がれる。
言っておきますが、
私はこの時まだ、
18才。
さあ、帰りが大変でした。
電車に乗ってもすぐに気持ち悪くなり、
降りて吐いて、
次の電車を待って乗るものの、
でもまた気持ち悪くなって、
次の駅で降りて吐く。
一駅ずつ、この繰り返し。
ヘロヘロになって家にたどり着いたのを、
きのうのことのように、
覚えています。
私は思いました。
「えらいところへ入ったもんだ…。」
さてこの、
『ライト・ミュージック・ソサエティ』
‘日本最古の学生バンド’を誇る、
名門中の名門クラブだけあって、
牧田清志教授
(「牧義雄」というペンネームで、
ジャズ評論家としても有名な人。
もうお亡くなりになりましたが。)
を名誉会長に、
北村英治(クラリネット)
いそのてるヲ(ジャズ評論家)
本田俊夫(ジャズ評論家)
さんらをはじめ、
そうそうたるOBが名を連ねています。
特にピアノがすごい。
三保敬太郎
鈴木邦彦
村井邦彦
鈴木宏昌
大野雄二
(敬称略)
作曲家やピアニストとして、
当時の音楽界を席巻していた、
ビッグ・ネームがずらり。
さらに他の楽器でも、
神保彰(「カシオペア」のドラム)など、
プロになった逸材も豊富。
長野オリンピック「ジャンプ団体」の放送で、
「原田立て立て、立ってくれー!」
の名アナウンスで一躍名をあげた、
NHKスポーツ・アナの大御所、
工藤三郎も、
私の2年後輩で、
トロンボーンを吹いてました。
ま、これは余談ですが。
さあ翌日は、
初めて先輩たちの練習を見学。
きのうのドンチャン騒ぎとは、
打って変わって、
真剣きわまりない練習。
前年度の、
「TBS大学対抗バンド合戦」
でも全国優勝し、
いろんな学生バンドのコンクールでも、
常に優勝を争う、
というだけのことはあって、
それはそれは、
素晴らしい演奏を繰り広げていました。
さらに驚いたのは、
レギュラーのメンバー以外にも、
大勢の先輩がいて、
廊下や中庭で、
サックスやトランペットやトロンボーンの練習を、
真剣な面持ちで、やっている。
聞くところによると、
このなかには、
4年生もいっぱいいるらしい。
例えば、
トランペット、トロンボーンは、
各々4人までがレギュラー。
でも、
翌年のレベルが下がる、
ということで、
4年生は二人までがレギュラーで、
あとは3年生が一人と2年生が一人。
もちろん、
ピアノ、ギター、ベース、ドラム、
といったリズム・セクションは、
レギュラーは常に一人。
厳しいですね。
いきなり現実を、
思い知らされました。
「俺で大丈夫かな…?」
その後、
「パート別に1年生集合」
のコール。
もちろん私は、
‘ピアノ志望のコーナー’へ。
すると、レギュラーで4年生の、
高尾さんという人が、
「ジャズは、こうやって弾くんだよー。」
とばかりに、
いきなり、
レコードでも聴いてるかのような、
すごいプレイをやってのけた。
感動とともに、
ますます不安になりましたねえ。
「俺、大丈夫かなあ…?」
さらに不安になったのは、
1年生のピアノ志望だけで7人もいたこと。
で、高尾さんに、
「みんな一曲ずつ何か弾いてみな。」
と言われたのですが、
私だけはまだ、
なんにも弾けませんでした。
上手い方から6番目くらいのヤツでも、
『イパネマの娘』くらいは弾けたのに。
私だけが、
ジャズらしきものを、
な〜んにも、
弾けない。
「この7人で、
たった一つのレギュラーの椅子を争うのか…。」
さらに聞くところによると、
仮にレギュラーになれても、
後輩に、もっと上手いのが入ってきたら、
すぐにチェンジらしい。
ま、このへんが「名門」と言われるゆえんか。
「……。」
本当に、
えらいところへ入ったもんだ……。
(つづく)
(感想 2007/4/14)
当時は、
この「ライト」のような‘ビッグ・バンド’が花形で、
大学で音楽をやる連中の憧れの存在、
だったのですが、
今は、なかなか人が集まらない、
ようですね。
しかたなく、
他の大学の上手いプレイヤーを、
いわゆる「友軍」として連れて来て、
なんとか運営しているようです。
そういえば、
私の「A'TRAIN」セッションにも、
現役の「ライト」の連中が、
よく来ますが、
そのなかには、
東大のサックス奏者がいたりする。
厳しくはあったものの、
いい時代だった、
と言うべきか…?。
SHUN MIYAZUMI
April 09, 2007
ジャズまくり時代
4/6(金)「六本木 ALL OF ME CLUB」
スイート・ボイスとのライブに、
お越しのみなさん、
ありがとうございました。
満員御礼の盛り上がり。
大変楽しゅうございました。
ところで、
3/30「東京ミッドタウン」
がオープンして、
あの辺は一変してしまいましたね。
とにかく、
人の多さにビックリ。
大学生の頃から、
六本木は私にとって、
「ジャズの原点。
第二のふるさと。」
みたいな存在なのですが、
夜はにぎやかでも、
昼間なんて閑散としていた。
それが、
昼飯時なんて、
どこもいっぱい。
並んで待ってる。
あの辺で長い間、
頑張ってきた飲食店のみなさんには、
さぞや「我が世の春」
でしょうかね。
さて、
「レコード買いまくり時代」
の続編シリーズです。
今度は、
私の大学時代を、
回顧したいと思います。
2003年7月4日(金) No.52
ジャズまくり時代
私の大学4年間は、
まさに、
‘ジャズ一色’
ジャズ…。
JAZZ…。
いい響きですねえ。
‘あの音楽’をひと言で表すのに、
これほど適切な言葉は、
他に見つかりません。
最初に考えた人は、
ノーベル賞もんです。
「レコード買いまくり時代」
でも書きましたが、
子供の頃から、
音楽大好きで、
しかも雑食で、
ありとあらゆる音楽に手を出してきた私は、
高2の冬には、
ついに「ジャズ」にまで、
たどり着いてしまいました。
ビル・エヴァンス・トリオの華麗な演奏にしびれ、
インプロビゼーション(即興演奏)の世界に驚き、
‘ジャズ’&‘ジャズ・ピアニスト’
という言葉に、
完全に魅せられてしまった私は、
それまでの、
芸大進学希望をさっさと取りやめ、
「特にジャズが盛んだ」という大学、
‘K大’と‘W大’をターゲットに絞り、
とりあえず猛勉強開始。
幸いにも‘K大’に合格した私は、
あらゆる学生ジャズ・バンドの中でも、
特に「名門」と言われている、
『ライト・ミュージック・ソサエティ』
というジャズ・オーケストラに憧れ、
何があっても、
ここに入部しようと思いました。
入学式が終わるやいなや私は、
キャンパスいっぱいに繰り広げられている、
いろんなサークルの勧誘を、
次から次へと断り、
「LIGHT MUSUC SOCIETY」
「ライト」
「LIGHT」
の文字を探しては、
ウロウロ、キョロキョロ。
あっち行き、こっち行き。
「ライト、ライトはどこだ、ライトは…。」
と口走りながら、
懸命に探しました。
でも、これが、
なかなか、
見つからない。
その間も、
いろんなサークルの勧誘は、
ひっきりなしに続きます。
「来たれ、テニス部へ!」
「どうだ、山岳同好会に入らんかね。」
「俳句同好会に入りませんか〜。」
「君、軟式野球部なんかどうかね。」
しかし私は、
そのつど、こう聞き返します。
「あのお…、
ライト・ミュージックはどこでしょうか…?」
ところが、
「ライト」
のひと言を出すたびに、、
どのサークルの人も一様に、
急にあきれた表情になり、
不機嫌になり、
「ライト?ふん。」
とか、
「知らんねえ。」
という冷たい反応。
そして、
さっさと私は無視され、
他の学生の勧誘に切り替わる。
ちょっぴり不安になりましたねえ。
「なるほど、確かにライトは有名なようだ。
でも、あんまり良く思われていないみたいだな。
ひょっとしてジャズって、
不良がやる音楽、だなんて、
思われてるのかも…。」
でも、そんなことにもめげず、
ひたすら「ライト」の文字を探す私。
すると、
向こうの方から、
へんな看板を掲げた2、3人の集団が、
腰をふりふり、
やって来ます。
近づいてきたので、
その看板をよーく見ると、
横たわった裸体の女性が、
ウインクをしながら、
こうつぶやいてる、
ヘタクソな漫画が描かれてました。
「ライトよ〜ん!
来てね〜ん!
ウッフン!」
「……。
やっぱ不良だ…。」
しかし、なぜか、
私のフィーリングには、
ピッタンコでしたね。
感動すら覚えました。
「すごい…。
さすがライトだ。
ジャズだ。
とんでる!」
私はさっそく、
「あのお、入部したいのですが…。」
すると、その先輩、
「あ、そう。
君入りたいの。
じゃ、あそこで名前書いてってね。」
と、遠くの、ある場所を指さす。
その指定された場所へ行って、
ノートに記帳すると、
「来週、渋谷『銀亭』という料亭で、
新入生歓迎会をやるから来なさい。」
と言われました。
「アハハハ。
いきなり酒席かよ。」
やっぱ、不良だ…。
(つづく)
(感想 2007/4/9)
そういえば、
今日(4/9・月)も、私は、
「六本木 ALL OF ME CLUB」
で演奏です。
毎月、第二月曜日恒例の、
「ピアノ・トリオ・ライブ」。
どうぞ、いらして下さい。
そしてここは、本当に、
「東京ミッドタウン」
のすぐ近くにあるんです。
「東京ミッドタウン」から、
いちばん近い‘ジャズ・クラブ’。
これからまた、
新しい出会いが増えそうな、
そんな予感がしますね。
ワクワク…。
ところで、
この「東京ミッドタウン」
のオープンに合わせて、
それまで400円だったカレー・ライスを、
800円に値上げしたお店がありました。
あーた、
そりゃちょっと、
やり過ぎじゃありませんかね。
SHUN MIYAZUMI
スイート・ボイスとのライブに、
お越しのみなさん、
ありがとうございました。
満員御礼の盛り上がり。
大変楽しゅうございました。
ところで、
3/30「東京ミッドタウン」
がオープンして、
あの辺は一変してしまいましたね。
とにかく、
人の多さにビックリ。
大学生の頃から、
六本木は私にとって、
「ジャズの原点。
第二のふるさと。」
みたいな存在なのですが、
夜はにぎやかでも、
昼間なんて閑散としていた。
それが、
昼飯時なんて、
どこもいっぱい。
並んで待ってる。
あの辺で長い間、
頑張ってきた飲食店のみなさんには、
さぞや「我が世の春」
でしょうかね。
さて、
「レコード買いまくり時代」
の続編シリーズです。
今度は、
私の大学時代を、
回顧したいと思います。
2003年7月4日(金) No.52
ジャズまくり時代
私の大学4年間は、
まさに、
‘ジャズ一色’
ジャズ…。
JAZZ…。
いい響きですねえ。
‘あの音楽’をひと言で表すのに、
これほど適切な言葉は、
他に見つかりません。
最初に考えた人は、
ノーベル賞もんです。
「レコード買いまくり時代」
でも書きましたが、
子供の頃から、
音楽大好きで、
しかも雑食で、
ありとあらゆる音楽に手を出してきた私は、
高2の冬には、
ついに「ジャズ」にまで、
たどり着いてしまいました。
ビル・エヴァンス・トリオの華麗な演奏にしびれ、
インプロビゼーション(即興演奏)の世界に驚き、
‘ジャズ’&‘ジャズ・ピアニスト’
という言葉に、
完全に魅せられてしまった私は、
それまでの、
芸大進学希望をさっさと取りやめ、
「特にジャズが盛んだ」という大学、
‘K大’と‘W大’をターゲットに絞り、
とりあえず猛勉強開始。
幸いにも‘K大’に合格した私は、
あらゆる学生ジャズ・バンドの中でも、
特に「名門」と言われている、
『ライト・ミュージック・ソサエティ』
というジャズ・オーケストラに憧れ、
何があっても、
ここに入部しようと思いました。
入学式が終わるやいなや私は、
キャンパスいっぱいに繰り広げられている、
いろんなサークルの勧誘を、
次から次へと断り、
「LIGHT MUSUC SOCIETY」
「ライト」
「LIGHT」
の文字を探しては、
ウロウロ、キョロキョロ。
あっち行き、こっち行き。
「ライト、ライトはどこだ、ライトは…。」
と口走りながら、
懸命に探しました。
でも、これが、
なかなか、
見つからない。
その間も、
いろんなサークルの勧誘は、
ひっきりなしに続きます。
「来たれ、テニス部へ!」
「どうだ、山岳同好会に入らんかね。」
「俳句同好会に入りませんか〜。」
「君、軟式野球部なんかどうかね。」
しかし私は、
そのつど、こう聞き返します。
「あのお…、
ライト・ミュージックはどこでしょうか…?」
ところが、
「ライト」
のひと言を出すたびに、、
どのサークルの人も一様に、
急にあきれた表情になり、
不機嫌になり、
「ライト?ふん。」
とか、
「知らんねえ。」
という冷たい反応。
そして、
さっさと私は無視され、
他の学生の勧誘に切り替わる。
ちょっぴり不安になりましたねえ。
「なるほど、確かにライトは有名なようだ。
でも、あんまり良く思われていないみたいだな。
ひょっとしてジャズって、
不良がやる音楽、だなんて、
思われてるのかも…。」
でも、そんなことにもめげず、
ひたすら「ライト」の文字を探す私。
すると、
向こうの方から、
へんな看板を掲げた2、3人の集団が、
腰をふりふり、
やって来ます。
近づいてきたので、
その看板をよーく見ると、
横たわった裸体の女性が、
ウインクをしながら、
こうつぶやいてる、
ヘタクソな漫画が描かれてました。
「ライトよ〜ん!
来てね〜ん!
ウッフン!」
「……。
やっぱ不良だ…。」
しかし、なぜか、
私のフィーリングには、
ピッタンコでしたね。
感動すら覚えました。
「すごい…。
さすがライトだ。
ジャズだ。
とんでる!」
私はさっそく、
「あのお、入部したいのですが…。」
すると、その先輩、
「あ、そう。
君入りたいの。
じゃ、あそこで名前書いてってね。」
と、遠くの、ある場所を指さす。
その指定された場所へ行って、
ノートに記帳すると、
「来週、渋谷『銀亭』という料亭で、
新入生歓迎会をやるから来なさい。」
と言われました。
「アハハハ。
いきなり酒席かよ。」
やっぱ、不良だ…。
(つづく)
(感想 2007/4/9)
そういえば、
今日(4/9・月)も、私は、
「六本木 ALL OF ME CLUB」
で演奏です。
毎月、第二月曜日恒例の、
「ピアノ・トリオ・ライブ」。
どうぞ、いらして下さい。
そしてここは、本当に、
「東京ミッドタウン」
のすぐ近くにあるんです。
「東京ミッドタウン」から、
いちばん近い‘ジャズ・クラブ’。
これからまた、
新しい出会いが増えそうな、
そんな予感がしますね。
ワクワク…。
ところで、
この「東京ミッドタウン」
のオープンに合わせて、
それまで400円だったカレー・ライスを、
800円に値上げしたお店がありました。
あーた、
そりゃちょっと、
やり過ぎじゃありませんかね。
SHUN MIYAZUMI
April 04, 2007
あっと驚くタメゴロ〜〜♪
ここんとこ、
植木等さんを偲んで、
昔の映画
『無責任シリーズ』
ばかり観ております。
バカ笑いしたり、
感傷的になったりしながら…。
でも今観ても、やっぱ最高!
かつてこのエッセイでも書きましたが、
『クレージー・キャッツ』というのは、
ある種‘時代の寵児’でしたね。
強烈な存在でした。
そんなとき,
今度はふと、
リーダーのハナ肇さんが演じるところの、
ある強烈なキャラクターを、
思い出してしまいました。
これも高校のときでしたが、
ある日、
それまでのTVの常識をはるかに超えた、
90分という長さの、
とんでもないバラエティー番組が出現。
しかも生放送。
洒落たギャグやコントの連発に、
それこそ90分笑いっぱなし。
明日は試験だっちゅうのに、
あまりの面白さに、
「あと少し…。」
「このコントだけ…。」
と、自分に言い聞かせながらも、
結局は最後まで見るハメになる困った番組。
それは、
『巨泉・前武のゲバゲバ90分』(日本テレビ)
こりゃホント傑作だった。
そのなかで、
ひとつのコントが終わって、
CMの直前になると、
突如、変なオヤジが登場する。
ときにはドテラを着、
ときにはヒッピーの格好をし、
TVの前に座り、
この『ゲバゲバ』を見ながら、
大笑いしている。
(最初はいつも向こう向き)
そして、突然こちら側を振り向き、
こう叫ぶのです。
「あっと驚くタメゴロ〜〜〜♪」
これだけ…。
これだけなのに抱腹絶倒。
そしてこれが‘ハナ肇’。
で、先週の金曜日のこと。
まさにこの‘タメゴロー’も真っ青の、
あっと驚くことが、
あったのです。
「A'TRAIN」のライブの前に、
腹ごしらえと景気づけの一杯のために、
学芸大の、
とある小料理屋に飛び込んだ
私と友人の栗ちゃん。
いつもはすいてるお店なのに、
この日はけっこう混んでいて、
カウンターの席に案内される。
そこへ、ひとりの小柄な老人が現れ、
「ここ、空いてますか?」
「ええ、どうぞどうぞ」
と、隣りの席の荷物をどける私。
そしてこの人、
日本酒の熱燗と‘しめさば’を注文。
美味そうに飲みながら、
「こちらは、はじめてですか?」
と気さくに話しかけてくる。
「いや、ときどき来るんですがねえ。」
と私。
「そうですか、
私は週に5回は来てるんですよ。
なにせ3年前に女房に死なれて、
人恋しいってやつですかね。」
と、その老人。
「そうですか。そりゃお寂しい。」
と私。
「でも、一人暮らしも
けっこういいもんですよ。
ま、最近年のせいか
耳が遠くなった以外は、
いたって元気ですからね。」
と言い、
たちどころに2本目の酒を注文。
いたって明るい。
確かに、耳に補聴器は付けている。
しかし、肌の色はつやつやで、
おつむりは薄いものの、
シワひとつなく、
しゃべる言葉も実に明晰。
ま、70才くらいか、
ひょっとすると60代後半かな、
と、私は思いましたね。
毎日欠かさず、
日本酒5合は飲んでると言うし、
引退して悠々自適の初老の人、
くらいにしか思わなかった。
ところが私が、
「奥様はおいくつで亡くなられたんですか?」
と聞いたところ、
この人、
「ええ、88才でした。」
と答えた。
「ん……?。
じゃ、先輩はおいくつなんですか〜?」
と、おそるおそる聞くと、
この人、平然と、
こう答えたのです。
「この間、101才になりました。」
なぬっ!?
ひ、ひ、
101才…?
「あっと驚くタメゴ〜ロ〜〜〜〜〜♪」
あたしゃ確信しましたね。
このひと絶対、
ギネス・ブックに載りますよ。
だって、まだ20年くらい、
軽くいけそうだもん。
いやあ、元気をもらいました。
この人に比べたら、
私なんてまだ、
鼻タレ小僧。
青春まっ盛り。
人生これからだ、
と思った。
「酒は百薬の長。」
とも、おっしゃってたし。
ときどきお会いしなくちゃ…。
というわけで、
4/6(金)は『SUITE VOICE』
4/9(月)は『ピアノ・トリオ』
ともに、
「六本木 ALL OF ME CLUB」
でのライブ。
(詳細は「最新ライブのご案内」に)
どうぞ、青春まっ盛り(?)の私の、
溌剌としたプレイを、
聴きにいらして下さいませ。
それにしても、
ホント驚いたぜ、タメゴローよ…。
SHUN MIYAZUMI