June 2007

June 29, 2007

サド・ジョーンズ & メル・ルイス・オーケストラ その2


<偉大なジャズメンたち・シリーズ>

サド・ジョーンズ & メル・ルイス・オーケストラ その2


これは私見ですが、

私にとって‘最高のジャズ’とは、
次の4つの条件を満たしたもの、
を言います。

くどいようですが、
あくまで私見です。


1.強力にスイング(グルーヴ)する。

2.サウンド(ハーモニー)が斬新である。

3.インプロヴィゼーション(ソロにおける即興演奏)
  が、クリエイティヴ(創造的)かつ熱い。

そして、
私にとってはこれが最も重要なのですが、

4.文句無く楽しい!


この「サド・メル・オーケストラ」が、
私にとって‘最高のジャズ’たる所以は、

まさにこの4条件をすべて満たしてるから、
なんですね。

しかもすべてが、
トップ・レベルの水準で…。



1965〜66年頃。

それまで月曜日はお休みだったはずの、
ニューヨークのジャズ・クラブ・シーンに、
突如出現した、
謎のビッグ・バンド。

老舗ジャズ・クラブ『ヴィレッジ・ヴァンガード』
の月曜の夜に繰り広げられる、
今まで聴いたことのないような、
強烈なバンドの演奏(サウンド)は、

あっという間に話題になり、

ニューヨークのジャズ・ファンは、
この‘MONDAY NIGHT’
に殺到したのです。


T&M V.Vanguard

T&M M.Night


ここに掲載した2枚のアルバムは、
その時のライブを収録したもの。

その後10年近くにわたって、
世界のジャズ・シーンに君臨した、
この偉大なバンドの、

最盛期、最強メンバーによる熱い演奏と、
観客の熱狂ぶりが聴ける、
名盤中の名盤なのですが、

なぜか日本では、
CD化されておりません。


理由はわかりませんが、

「カウント・ベイシー楽団」や
「グレン・ミラー楽団」
のように、
リーダーはもとより、
メンバーが全員変わっていても、
いまだに演奏活動を続けているバンドと違って、

素晴らしいプレイヤーたちの、
‘個性’が創り出していた集合体であったこと、
その大半が故人となってしまったこと、

などにより、

「今更CDで出しても、
 売れるんかね。」

というレコード会社の判断なのでしょうか。


だとしたら、嘆かわしい…。



当時、
この「サド・メル」に狂喜したのは、

ジャズ・ファンだけではありません。

日曜日の昼下がりには、
ニューヨーク最大の公園、
『セントラル・パーク』
にも、ときどきその勇姿を現し、

全盛期には、
なんと50万人もの人が熱狂した、
と言われています。

いくら無料とはいえ、
およそ‘ジャズ’というジャンルで、
50万人もの聴衆を集める…。

そんなバンドは、

もはや空前絶後でしょうね。



さて、

このバンドの魅力は、
大きくわけて、
2つあります。


ひとつは、

サド・ジョーンズの作品の素晴らしさ。

前にも書きましたが、
彼の作・編曲家としての才能は、
ベートーベンを代表とする、
クラシックの偉大な作曲家と比べても、
なんらひけをとるものではありません。


もうひとつは、

個々のプレーヤーの素晴らしさ。

今、この2枚のアナログ盤に記された、
メンバー・プロフィールを見ているのですが、
改めて、

「よくもまあ、
 こんな凄いメンバーが揃ったことよ。」

と感心してしまいます。


ゆえに、
今聴き直しても新鮮かつ、

「これが40年も前の音楽か!」

と驚嘆してしまうほどの、
クォリティーなわけです。

……。


いかん、

ますます興奮してきた…。


(つづく)



さて、

今日、6/29(金)は、
2ヶ月ぶりに、

「学芸大 A'TRAIN」
ミッドナイト・セッションです。

偉大な先輩たちにあやかるべく、
熱い演奏になるといいなあ…。

お待ちしてます。



SHUN MIYAZUMI

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偉大なジャズメンたち | 2007 エッセイ

June 25, 2007

サド・ジョーンズ & メル・ルイス・オーケストラ


いやあ、
忙しい一週間でした。

四国から帰ってから、
疲れをとる間もなく、
朝早くから夜遅くまで、

‘働きおじさん’の毎日。


で、きょうは久しぶりに、
待望のお休み、

ということで、

のんびり、
ブログの更新でも、

させていただきますか。



<偉大なジャズメンたち・シリーズ>

サド・ジョーンズ & メル・ルイス・オーケストラ


ML&TJ


もし私が誰かに、

「あなたにとって、
 最高の‘ジャズ’とは何(誰)ですか?」

と尋ねられたら、

私は迷わず、
こう答えると思います。

「それは、サド・メル です。」


1974年の春。

私の大学時代のサークル
「K大ライト・ミュージック・ソサエティ」
の卒業コンサートに、

あのサド・ジョーンズが来てくれたことは、
再三述べました。


実はあの翌日、
ところも同じ、
芝「郵便貯金ホール」では、

このサドがリーダーのビッグ・バンド、

「 サド・ジョーンズ & メル・ルイス・オーケストラ 」
(通称サド・メル)

のコンサートがあったのです。

もちろん私たちは、
全員揃って見に行きましたよ。


いやあ、凄かった…。


いまだかつて、
あれほど凄いジャズ・コンサートには、
お目にかかったことがありませんね。

あの時の感動と興奮は、
今も私のなかに、
強烈に残っています。

文句無く、

私の生涯ベスト・スリーに入る、

コンサートです。



カウント・ベイシー楽団の、
花形トランペッターとして、
名を馳せていたサドは、

一方で、
凄腕のコンポーザー&アレンジャー
としても有名な存在でした。

そして、

ベイシー楽団の仕事の合間を縫って、
新しい発想に基づく斬新な作品を、
せっせと書きためていたそうです。


ある日サドは、
それらの作品群を、
おそるおそる、
御大のベイシーさんに見せました。

しばらくの間、
それらのスコアに目を通していた
ベイシー親分は、

ため息まじりに、
こう言ったそうです。

「いや、実に素晴らしいよ、サド。
 でも、こりゃうちのバンドじゃどうかな…。

 これをやるには、
 もっと若くて、
 テクニックの旺盛なメンバーじゃないと、
 無理じゃなかろうか…。」


あの、
天下のベイシー楽団をもってしても、
完璧な演奏は不可能と思われるほどの、

高い水準の作品群だったわけですね。


ベイシー楽団を退団した彼は、
この音楽を世に問うべく、
あらゆる方法を模索。

そしてついに、
友人でもある名ドラマー、
メル・ルイスと意気投合。

当時、ニューヨークで活躍していた、
名だたるプレイヤーを、
ごっそり集めて、

リハーサルにまでこぎつけました。

1965年頃のこと。

ただし、
みんなバンド・リーダー級の連中ですから、
なかなかスケジュールが合わない。

みんな生活かかってますもんね。


ところが、

幸いにも、

当時、
ニューヨークのジャズ・クラブは、
月曜日がお休み。
(今は知りません)


そこで、
月曜日に集まって練習。

そしてそのまま、

有名なジャズ・クラブの老舗、
「ヴィレッジ・ヴァンガード」
に出演したところ、

またたく間に、
ニューヨーク子のハートを、
ガッツリとらえてしまいました。


これが、あの、

歴史的な、


『MONDAY NIGHT』


伝説の、


はじまりでした…。


(つづく)



サド・メルの話を始めると、
一回じゃ済まないだろうな、

とは思ってましたが、

やはり…。


ジャズに興味の無い方には、
申し訳ないのですが、

ま、私にとっては、
神のような存在ですから、

次回も、
勝手に興奮させていただきますが、

なにとぞ、


ご容赦…。



SHUN MIYAZUMI

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2007 エッセイ | 偉大なジャズメンたち

June 19, 2007

四国


この週末、
四国に行ってきました。

なんと30年ぶりです。


かつて、
「松山商業」というエッセイにも書きましたが、

私の母の実家は、
香川県の「庵治(あじ)」というところ。

「庵治石」と「平家の落人村」として有名な、
瀬戸内海に面した風光明媚なところ、

でした。


夏休みになると、
いつもこの‘おばあちゃん家’を訪れ、
美味しい‘瀬戸内の魚’や‘うどん’をいただき、
すぐ裏の海での海水浴や、
船を借り切って、瀬戸内の釣りに興じる。

これが少年時代の私の、
何よりの楽しみだったのです。


でも、
社会人になり、結婚をし、子供もでき、
仕事やら何やら追われるうちに、

気がついたら、

30年という、

膨大な時間が過ぎていました。


しみじみ感無量…。


ところで、

なんで行ったかといいますとね、

これまた、
エッセイ「松山商業」シリーズにも登場した、
私のひとつ年下のいとこ、

‘おさむちゃん’

の長男の結婚式に参列するため。

幸い、3日ほど時間が取れたので、
思い切って行くことにしたわけです。


で、せっかくだから、
飛行機じゃ味気ない。

懐かしい旅の景色を楽しもう、
と、新幹線で行ったわけですが、

あまりの速さに、

それどころではない。


昔だったら…、

朝の10時頃家を出発。
東京駅から岡山まで5時間半、
そこから、
ローカル線で宇野までタラタラと1時間。

さらに、
「宇高連絡船」という船に乗り換え、
瀬戸内の船旅が約1時間。

高松からタクシーに乗り約1時間、
険しい山道を越えると、
ようやく海が見えはじめ、

‘おばあちゃん家’に着くころには、
もう日が暮れかかってる、

といった感じでしたね。


ところが今回は、

私の家から新横浜まで30分。
すぐに来た「のぞみ」で岡山まで3時間。
「マリン・ライナー」という快速電車で、
瀬戸大橋を渡り、
高松まで1時間弱。

家を出てから4時間半後には、
もう高松駅にいましたよ。


そして、駅もその周辺も、

何もかもが変わっており、

まるで私は浦島太郎…。


そこから‘おさむちゃん’の車で、
海岸線を約20分も走ると、
なんとそこは、
もう庵治。

ところが、
家のすぐ裏に広がっていた海がありません。
(これも「松山商業」に書きましたね。)

あたり一面、
埋め立てられたあとに出来た、
住宅街。


……。


改めて、
30年という月日の長さを、

思い知らされました…。


さて、
翌日は朝から結婚式。

幸せそうな若いカップルを見るのは、
ほんとにいいもんです。

披露宴では、
‘おさむちゃん’に頼まれて、
一曲ピアノを弾きました。
(星に願いを)

ところが、

光栄にもアンコールをいただき、
さらにもう一曲。
(THE WEDDING)


そして、
幸せな気持ちと、
懐かしさと、
複雑な思いが交錯したまま、

きのう帰って来た、

とまあ、こういうわけです。


おさむちゃん、
おめでとう!

新郎のタケシ、
新婦のタカコちゃん、
お幸せに!

そして、
みなさんお疲れさまでした。

またひとつ、
素敵な思い出を、
ありがとうございました。


それにしても、

変わらないのは、

雄大な屋島と、
瀬戸内海の島々の静かな佇まいと、
海に落ちていく夕陽の美しさ。

源平合戦のころから変わらない、
風景ですかね。


30年か…。


長いなやはり……。



SHUN MIYAZUMI


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2007 エッセイ 

June 14, 2007

サド・ジョーンズ その2


6/11(月)をもちまして、

1年2ヶ月に及んだ、
恒例「 六本木 ALL OF ME CLUB 」の、
ピアノ・トリオ・ライブも、

ひとまず終了の運びとなりました。


最後にふさわしく、
本当にたくさんのお客さんが、
駆けつけてくださり、

感無量です。

グシュン;。


いつも歌いに来てくれた、
若手シンガーのみなさん、

常連の佐藤さん、

高校時代の学友のみなさん、

社長以下、
お店の従業員のみなさん、

ありがとうございました。


しばらく休憩したあと、
またなにか、
おっぱじめるつもりですので、

そのときはまた、

よろしく、

で、ございます。


さてさて、

前回から始めた、

「 偉大なジャズメンたち 」

シリーズ2回目。



サド・ジョーンズ その2


1974年の春。

私たちの卒業コンサートに来てくれた、
偉大なジャズメン&コンポーザー、

サド・ジョーンズ。

T. J.

(おそらく、
 サド・メル・オーケストラを指揮してるもの。
 ガッツ石松ではありません。)


彼に会えただけでも幸せなのに、
その数週間後に発売された、
ジャズ専門誌
『 スイング・ジャーナル 』で、
彼によって書かれた、
このコンサートの感想文を読んでビックリ!

私は狂喜しましたね。

要約すると、
こんな内容です。


「先日、日本を代表する、
学生ビッグ・バンドの演奏を数曲聴いた。

 正直、日本の学生ジャズ界の
 水準の高さに驚いた。

 特にリズム・セクションは、
 世界的レベルだと思う。」


ビッグ・バンドにおけるリズム・セクションとは、

ピアノ、ベース、ギター、ドラム
のことを言います。

ということは…?

私も入ってるじゃありませんか!

お世辞とはいえ、
嬉しくないわけがありません。


大学4年当時、
私の両親は、
またしても父親の転勤で、
金沢にいました。

私は興奮気味に電話で、
このことを母に伝えました。

すると母は、
さっそく本屋に行ったそうです。

そして、
『 スイング・ジャーナル 』を見つけ、
そのページを一生懸命探した…。

ところが!

周りにいた若者たちが、
不思議なものでも見るかのように、
ジローっと母を眺めていたそうなんですね。


アハハ、

そりゃそうだ。

ネギとか、
大根とかが、
にょきっと出てる買い物袋を持った、
‘普通のおばさん’が、

こともあろうに、

ジャズ専門誌
『 スイング・ジャーナル 』を、
立ち読みしてる。

確かに、
ちょっと不思議な光景ですわね。


その若者たちは、
こう思ったでしょうね。

「 このオバハン、何者? 」

さすがに母も、
いたたまれなくなって、

そそくさと店を出たそうですが。

……。



ま、そんなことはさておき、

話をサド・ジョーンズに戻しましょう。


トランペッターとしても有名な彼ですが、

それにも増して彼の、

コンポーザー(作曲家)
アレンジャー(編曲家)

としての才能は、

今なお、
ジャズの歴史に燦然と輝く存在、
ではないかと、
私は思っております。


というより、
私から見れば、

ベートーベンやブラームス、
マーラーやバルトークやストラヴィンスキー、
などと比較しても、
決して劣るものではない。

ジャズに限っても、
わずかにデューク・エリントンくらいが、
比較対象かな、
と思えるほど、

それほど私は、

彼の音楽を崇拝しております。


その彼の才能が遺憾なく発揮されたのが、

あの伝説のビッグ・バンド、

『 サド・ジョーンズ & メル・ルイス・オーケストラ 』


通称、サド・メル。


次回は、この、
サド・メルの話を、

熱く語ってみたいと思います。

というより、


語らせて下さいな。



SHUN MIYAZUMI


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2007 エッセイ | 偉大なジャズメンたち

June 08, 2007

サド・ジョーンズ

6/6(水)の「 代々木ナル 」
『 jammin' Zeb 』ライブにお越しのみなさん、
ありがとうございました。

予想をはるかに超えるお客さんの入りで、

立ち見を余儀なくされた方、
また今回も、
お断りをせざるを得なかった方、
大勢いらっしゃいました。

この場を借りまして、
深くお詫びを申し上げます。

今後、一人でも多くの方に、
ますます楽しんでもらえるよう、
ライブ・プランを
しっかり立てなくてはいかんなあ…。


と、大いに肝に銘じたところで、


きょうは、


新シリーズ

『 偉大なジャズメンたち 』


私の大好きな、偉大なジャズメンと、
それにまつわるエピソードなどを、
私らしく、
面白可笑しく書いてみたいと思います。


その一回目は、


『 サド・ジョーンズ 』


エッセイ「 ジャズまくり時代 」の最終回で、
私の学生生活最後の演奏会
「 K大ライト・ミュージック・ソサエティ 」
の卒業コンサートの写真を掲載しました。

1974年3月のことです。

場所は、
芝「 郵便貯金ホール 」


実は、この会場には、
ひとりの偉大なジャズメンが、
お客さんに混じって、
私たちの演奏を聴いていました。

その人の名は、

サド・ジョーンズ!
( Thad Jones:1923-1986 )


50年代には、
カウント・ベイシー楽団の名トランペッター、
兼、凄腕のアレンジャーとして大活躍。

その後コンボでもいくつかの名盤を残し、
66年に、あの伝説のビッグ・バンド
『 サド・ジョーンズ & メル・ルイス・オーケストラ 』
を結成。

全世界を興奮の渦に巻き込んだ、
偉大な偉大なジャズメンです。


このサド・ジョーンズ。

有名な「 ジョーンズ3兄弟 」のまん中。

お兄さんが、
名ピアニストのハンク・ジョーンズ

弟が、
ジョン・コルトレーン・カルテットのドラマー、
エルヴィン・ジョーンズ

まったくもって、
凄いファミリーですね。


折しも彼は、
この『 サド・メル(通称)オーケストラ 』
を率いて来日中であり、

そこを、
日本における友人で、
我がライト・ミュージックの名誉会長でもある、
牧田清志医学部教授が、
(「牧 義雄」というペン・ネームで、
  ジャズ評論家としても有名 )
コンサート会場に連れて来た、

とまあ、こういうわけですね。


私たちは、
何も聞かされてなかったもんですから、

コンサートが終わって、
幕が下りたステージ上に突然、
彼が‘満面笑み’で現れたときは、
本当にビックリしました。

これはそのときの写真です。


with TJ 1

画面向かって右端にボンヤリ写ってるのが私。
画面向かって、サドの左で大笑いしてるのが、
今も私のベースの相棒、河野秀夫氏。


ええい、もう一枚。

with TJ 2
          【拡大版

画面向かって、
サドのすぐ右下にいる美少年(?)が私。
画面下のほうに牧田先生。
右のほうには、
やはりライトの先輩で、ジャズ評論家の、
いそのてるヲ氏と本多俊夫氏の姿が…。


それにしても、

私たちのアイドル、
憧れの、サド・ジョーンズさんは、
スターぶらない、
本当に気さくな人でしたね。

終始ご機嫌で、
我々一人一人に、
暖かい激励の言葉をかけてくださいました。

「良かったよ、良かったよ、ウンウン。」


さらに、

それから数週間後に発売された、
ジャズ専門誌
『 スイング・ジャーナル 』には、

このコンサートの感想記が、
彼によって書かれていたのですが、

そこには、

私(たち)を狂喜させるような内容が、


書かれてあったのです…。


(つづく)


さて、6/11(月)は、
六本木「 ALL OF ME CLUB 」にて、
ピアノ・トリオ・ライブです。

「 ライブのご案内 」にも書きましたが、
種々の事情により、
このライブは、
今回をもちまして、
しばらくお休みとします。

ということで、

最後にふさわしく、
ガンガン盛り上がるつもりです。

歌手のみなさんも、
どしどし歌いに来て下さいね。


ところで、

私の思い出の写真ときたら、
圧倒的にモノクロが多いですね。

もうカラーはあったと思うのだが…。


ううむ、

年を感じる…。



SHUN MIYAZUMI



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2007 エッセイ | 偉大なジャズメンたち

June 03, 2007

国技館

きのう(6/2)は、
さながら『相撲デー』

旭鷲山の「引退・断髪式セレモニー」

Kokugikan 2

Kokugikan 1

私は、
朝の9時から夕方6時頃まで、
ずっと『両国国技館』にいました。


午前11時半。

光栄にも、
jammin'Zeb の「君が代」から、
セレモニーは始まりました。

場内が暗転になり、
その後司会者の紹介とともに、
土俵上のジャミンにスポットがあたる。

美しかったですよ。

そして、

実に立派に歌ってくれましたね。

館内は割れんばかりの拍手、歓声。


Kokugikan 3


さあ、この日の仕事はこれだけ。

午前中で終わり。


あとは、ジャミンとともに、
一般のお客さんに混じって枡席で、
「断髪式」「幕内力士の取組み」、

そして、久しぶりに揃った、
‘東西の’横綱による「土俵入り」
(白鵬はこれが「国技館」初の土俵入り)

などを堪能させてもらいました。

やはり横綱は、
二人いないとつまらないな、
などと思いながら。


Kokugikan 4
   (旭鷲山関の髪を切る新横綱・白鵬)

Kokugikan 5
        (横綱対決!)


その後パーティーにも参加。

間近にいる「朝青龍」「魁皇」「白鵬」
といったスーパー・スターたちを見て、
まるで子供のようにはしゃぐジャミンの連中。

「アハハ、まったく子供なんだから。
 しょうがないなあ。」

などと、大人ぶって、
ニコニコしていた私ですが、
実はこっちも童心に帰って、
すっかりミーハー気分。

内心はドキドキと興奮のひととき。

ジャミンに悟られないように、

「あっ、魁皇だ!大きいなあ。」
「あれはかつての横綱、旭富士ではないのか。」
「安馬ってけっこうデカイなあ。」

などと、赤ら顔で、
秘かにときめいていたのですが、

ジャミンは知るまい。

ウッシッシ。


おっと、もうバレたか…。


でも、

私だけではありませんよ。

なぜか乱入してきた、
私より年上の‘栗ちゃん’も、
童顔だけど、けっこうなお年の、
‘湯浅のショーちゃん’も、

いい年して、
子供のようにはしゃいでいました。


プロフィールにもあるように、
実は私は、
相撲も大好き。

歴代横綱がスラスラ言えるくらいの角通。

そして、
ナマの相撲は、
本当に久しぶりだったのですが、

この日、
私はふたつのことを再認識しました。


ひとつは、

今や相撲界は、
完全に‘モンゴルの時代’
であるということ。

館内には
「モンゴル語」が飛び交ってました。

日本のデブの若者諸君、
もっとガンバレ!


もうひとつは、

お相撲さんというのは、
いくつになっても、
我々男子を、
‘少年’に戻らせてしまう、

ということですね。

不思議です。


そんなわけで、

いい一日でした。


また、行きたくなりました。

どなたか誘って下さい。


できれば今度は、


「砂かぶり」の特等席で…。



SHUN MIYAZUMI

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2007 エッセイ