July 2007
July 29, 2007
阿波踊りはジャズだ
いやあ、
ライブはいいもんですねえ。
改めて実感しました。
7月の私は、
ほとんどレコーディングの毎日。
レコーディング・スタジオという、
密閉された空間で、
わずかばかりのスタッフと、
緻密な音作りに明け暮れる毎日。
そうした中での、
久々のライブ2連発ですから、
いや、楽しいのなんのって。
何とも言えぬ‘開放感’を満喫しました。
まずは、
7/26(金)の「代々木ナル」
CHIHARUとのコラボ。
例によって、
「途夢♪待人」さんが、
熱く感想記を書いてくださってますが、
まさに「筋書きのないドラマ」とは、
このこと。
最後は譜面すら来なかった。
アハハ。
「何でも好きにやって下さい」の、
CHIHARUの自由奔放さも、
いいですねえ。
お客さんもみな素晴らしく、
心から盛り上げていただき、
本当に楽しいひとときでした。
ありがとうございました。
次回このセッションは、
10/30(火)です。
そしてきのうは、
月末恒例「学芸大 A'TRAIN」
ミッドナイト・セッション。
これまた大盛り上がり。
プロ、アマ入り乱れての、
大競演。
最後は、
なつかしい「深町純」さんまで、
乱入してきたりして…。
そして、
「お願いだから、もう帰って〜〜。」
のマスターの悲鳴に促されて、
店を出たのが、
またまた朝の5時すぎでした。
ふう〜…。
みなさん、
お疲れさまでした。
また来月、
お目にかかりましょう。
さてさて、
‘開放感’と言えば、
これにまさるイベントは、
ありませんなあ…。
「踊るあほうに見るあほう。
同じあほうなら、
踊らにゃそんそん♪」
というわけで、
きょうからは、
日本の夏の偉大な風物詩、
「阿波踊り」のお話です。
2003年4月15日(火) No.44
阿波踊りはジャズだ
私が物心ついた頃、
私の父は、
「日本電建」
という会社に勤めていました。
いわゆる「月賦でマイ・ホームを」
というシステムを先駆け、
戦後急成長した建築会社、
だったようです。
昭和33年の秋。
私が小学校1年の時、
父はこの会社の徳島支店長に赴任。
当然幼い私も、
くっついて行ったわけですが、
この徳島というところ。
まず思い浮かぶのが、
‘すだち’
‘ゆず’でも‘ポンカン’でもなく、
日本料理に欠かせない、
絶妙の味の柑橘類。
これ、
徳島でしか出来ない物だそうですね。
それから、
‘鳴門のうずしお’
さらに、
「さわやかイレブン」
「山びこ打線」
で全国的な人気チームとなった、
‘池田高校’の野球。
でも、
なんと言っても徳島といえば
‘阿波踊り’!
この、
「リオのカーニバル」
とも比較される夏祭りは、
毎年8月、
お盆時期の4日間に開催。
昼夜を問わず、
それこそ市民が狂ったように踊り、
全国から毎年100万人以上が訪れるという、
「日本最大のお祭り」
とも言えるビッグ・イベント!
父の転勤のおかげで、
私も2年間、
実際に体験することができました。
いやあ、この凄さ、素晴らしさは、
じかに体験した人じゃないと、
わからないでしょうね。
この期間、
徳島の市民は、
自分の関連するいずれかの団体に、
もれなく参加。
そして各々の団体は、
その団体名の下に、
「連」という文字をつけて参加します。
「徳島大学連」
「○○商店街連」
といったように。
父の所属する「日本電建」
ももちろん参加。
したがって、その名前は、
「日本電建連」
好奇心旺盛、
おっちょこちょいの、
幼い私も、
参加させてもらいました。

(下のほうにいる‘あほうなガキ’が私です)
さて、
ひとつの団体は、
大きく3つに分けられます。
まず、お囃子組。
チンドン屋みたいな、
太鼓、鳴り物、三味線、笛。
それから女性群。
身内に女性が足りない時は、
近所の八百屋のおばさんやら、
社員の人の娘さんやらをかき集める。
まあみなさん踊りたいから、
どんな『連』も2、30人なら
あっという間に集まります。
女性は編み笠を深々とかぶり、
手を前のほうで動かしながら、
足を小刻みに刻んで踊ります。
どんな不細工なひとでも、
(失礼)
編み笠に顔が隠れてるので、
みんな可愛く、色っぽく見える。
ホントです。
そして男どもは、
共通の浴衣で、
片手にうちわを持って、
ちょっと腰を引きぎみに、
大胆にリズムを取って踊りながら、
ゆっくりゆっくり行進していくのです。
市内には、
こうした「連」だけで、
何百もあるのでしょうね。
本番の一週間くらい前から、
仕事や授業が終わると、
みんなで浴衣や着物
(もちろん女性も共通のユニフォームです)
に着替えて練習。
というより、
地元の人達、
この頃から、
もう仕事なんて、
手に付かない様子でしたね。
そして、
「日本電建連」の提灯を、
高々とかかげた人を先頭に、
当日の朝、
我らは隊列を組み、
さっそうと街に繰り出して行くのでした。
(つづく)
(感想 2007/7/29)
そういえば、
去年の今頃このブログは、
「高校野球・松山商業」の話で、
勝手に盛り上がってましたねえ。
あれから早や1年か…。
月日の経つのは、
早いものだ…。
さ、きょうは選挙だ。
今回は棄権しないで行くぞー。
みなさんも、
「誰がやっても一緒だよ。」
なんて言わずに、
行きましょうね。
SHUN MIYAZUMI
July 22, 2007
ハンク・ジョーンズ その2
ご心配おかけしましたが、
ようやく腰も治ったようです。
(そんな気がするだけですが…。)
ということで、
今週のライブ2連発、
7/26(木)「 代々木ナル 」
大好きな‘CHIHARU’との競演
7/27(金)「 学芸大 A'TRAIN 」
ミッドナイト・セッション
では、
いつも以上に、
‘腰ふり満開’
で臨みたいと思います。
スイングしなきゃ損損!
ということで、
お待ちしてますよー。
<偉大なジャズメンたち・シリーズ>
ハンク・ジョーンズ その2
デビューから半世紀以上も経った今なお、
精力的な演奏活動を続けている、
名ピアニスト、
ハンク・ジョーンズ。
さっき調べたら、
1918年7月31日生まれ、
となってましたから、
もうすぐ89才ですね。
しかし、
そのプレイぶりは、
「今のほうが、
若々しいんじゃないの?」
と思えるほど、
相変わらずエネルギッシュ。
恐れ入りました。
腰なんか痛めてる場合じゃない…:。
そして前回も書きましたが、
その参加したレコードの数も、
ジャズ・ピアニストとしては、
もうひとりの名人、
「トミー・フラナガン」と並んで、
史上最も多いのではないでしょうか?
とにかく膨大な数です。
そうそう、
トミー・フラガンと言えば、
こんな話を思い出しました。
私の友人のサックス奏者、
土岐英史(ときひでふみ)くんが、
ハンク・ジョーンズに会ったときの話です。
どんなセッションも、
どんな相手でも、
楽々とこなしてしまうハンクに、
土岐くんは、
「いったいあなたは、
何曲くらい知ってるんですか?」
という質問をしました。
するとハンクは、
平然と、
「そうだね、
10,000曲くらいは、
譜面を見なくても弾けるかな。
ANY KEY(エニー・キー)で。」
と答えたそうです。
ちなみに‘ANY KEY’とは、
12のKEY(調性)全部ということです。
CからBまで。
い、い、10,000曲…;?
しかもエニー・キーで…;?
私の場合だったら、
せいぜい数百曲…?
(そんなに知らないかも)
しかもエニー・キーだったら、
0(ゼロ)かもしれないなあ…?
土岐くんも、
さすがに驚いたそうですが、
彼はめげない。
「おそらく、これは誰も知るまい。」
という曲名をあげて、
「じゃ、もちろん○○という曲も、
知ってるんですよね?」
と、追い打ちをかける。
するとハンクさん、
何事もなかったように涼しい顔で、
「いや、さすがにその曲は知らないが、
おそらく、トミー・フラナガンだったら、
知ってると思うよ。」
「……。」
アメリカの、
エンターテインメント界の層の厚さと、
そのなかで、
ずっとトップでやってきたひとたちの、
並々ならぬ努力と凄さを、
思い知らされたような話でしたね。
さて、
そんな私も、
一度だけ、
このハンクさんに、
お会いしたことがあります。
80年代の半ば頃でしたか、
カシオペアを連れて、
ニューヨークに、
レコーディングで行ってた時のこと。
たまたまその日はオフだったので、
みんなで‘ヴィレッジ’というところへ、
ジャズを聴きに繰り出しました。
で、最初に腹ごしらえを兼ねて、
とあるレストラン・バーに入った。
そこに出演していたのが、
ハンク・ジョーンズ・トリオ。
小気味よくスイングする、
彼の軽やかなピアノを聴きながら、
美味しい食事(ほんとはマズかった)
と酒を楽しむ、
若き日のカシオペアと私。
そして、
ワン・ステージが終わると、
このハンクさん、
各テーブルのお客さん、
ひとりひとりに、
愛想良く挨拶回り。
「Welcome!(ようこそ)」
「Did you enjoy?(楽しかった?)」
「Have a good time!(楽しんでってね)」
そしてついに、
私たちのテーブルにやって来ました。
私たちは、
この大先輩に敬意を表して、
とりあえずナイフとフォークを置いて、
立ってお迎え。
するとこのハンクさん、
私の顔を見るなり、
ニコッと笑って、
渋〜い低音で、
こう言ったのです。
「OH! You look Jazz!」
(おお、お前、ジャズの顔してるな!)
すると、
カシオペアのキーボード向谷くんが、
つたない英語で、
「そ、そうなんです。
か、彼は学生時代、カレッジ・バンドで、
ジ、ジャズ・ピアノを弾いてたんです。」
と、すかさずフォロー。
しかしハンクは、
ニコニコ笑って、
片手でそれを制し、
「I know. I know.(わかってる。わかってる。)」
そして再び私の方を見て、
「You look Jazz!」
その後、
一通り挨拶回りをすませると、
このハンク・ジョーンズさんは、
私のとなりの席に戻って来て、
「日本のジャズはどうなってる?」
とか、
「サダオ・ワタナベは元気か?」
などなどと、
楽しそうに、
次のステージまで、
ずっと話し込んで行ったのです。
嬉しかったですねえ。
これ、
自慢話のように聞こえたら、
大変申し訳ないのですが、
私にとっては、
‘宝物’にも等しい、
大切な思い出話です。
先日は、
101才にして、
今だに毎晩飲み歩いてる、
元気な爺さんの話を書きました。
(「あっと驚くタメゴロ〜」)
このハンクさんも、
100才を超えても、
元気に弾きまくってるんじゃ、
なかろうか…。
そんな気がしてきましたね。
でも、こうなったら、
‘ギネス’をめざして頑張れ、
と言いたいところ。
こうして、幸運にも、
有名な「ジョーンズ3兄弟」のうち、
長男のハンクさん、
次男のサドさん、
には、
お会いすることができた私ですが、
こうなりゃ、
末弟のエルヴィン・ジョーンズさんにも、
お会いしたかった…。
(2004年に他界)
もっとも、
今の私を見たら、
間違いなく彼は、
こう言うでしょうね。
「OH! You look Woody Allen!」
(おお、お前、ウディ・アレンの顔してるな!)
(おわり)
今回のシリーズはこれで、
とりあえずひとくくり。
また折りをみて、
こうしたジャズメンの、
よもやま話を、
私らしく書いてみたいと思ってますので、
そのときはまた、
よろしく、
で、ございます。
なお、かつて書いた、
「エロール・ガーナーの思い出」
というお話を、
この「偉大なジャズメンたち」
というカテゴリーにも入れておきました。
‘まだ’の方は、
どうぞご覧になってください。
それにしても、
老人パワー。
すごいです…。
負けちゃいられまへんな、
こりゃ……。
SHUN MIYAZUMI
July 15, 2007
ハンク・ジョーンズ
やっちゃいました…。
ギックリ腰…。
これで、通算3度目。
MLBオールスター戦で、
イチローが打ったランニング・ホームランに、
思わず興奮。
「行ったあ〜〜!」
と、勢い良く立ち上がった瞬間に、
ギクッ…。
ところが幸いにも、
わが陣営に、
「鍼灸師」の免許を持つスタッフがいて、
翌日‘鍼’をやってもらったところ、
かなり良くなりました。
(かつて「名古屋ケントス」というエッセイで、
私に、得意満面で「ひつまぶし」を食わせた、
あの丹羽くんです。)
ま、とにかく私は、
腰をやられると、
完全にお手上げ。
ピアノも弾けないし、
座ってアレンジをするのもつらい。
ということで、
途方に暮れかかったのですが、
助かりました。
丹羽くん、ありがとう。
でもまだ完治したわけじゃなく、
油断は禁物。
(実はまだ、長く座っているとつらいのです。)
来週も忙しいですからね。
がまん、がまん…。
というわけで、
この週末はおとなしくしてます。
台風も来てることだし。
さて、前回まで、
熱く熱くサド・メルを語ったついでに、
(‘ついでに’と言ってはなんですが)
そのサド・ジョーンズのお兄さん、
「ハンク・ジョーンズ」のお話を、
きょうは、
してみたいと思います。
<偉大なジャズメン・シリーズ>
ハンク・ジョーンズ
(1918〜 )

ビ・バップ全盛の頃から今日まで、
精力的な演奏活動を続けている、
名ピアニストです。
サドのときにも書きましたが、
このハンクは、
有名な「ジョーンズ3兄弟」の長男。

次男があの、
サド・ジョーンズ
(1923〜86)

そして末弟が、
ジョン・コルトレーン・
カルテットのドラマー、
エルヴィン・ジョーンズ
(1927〜2004)
いやあ、改めて、
凄いブラザーズですよ、
これは。
ルックスは、
あまり誉められた兄弟ではありませんがね。
アハハハ。
でも、
音楽家としては、
3人とも、
ジャズの歴史に燦然と輝く存在です。
そして、
下のふたりが早々と世を去ったのに、
この長男のハンクだけが、
88才にしていまだ健在。
(もうすぐ89才…?)
先日、
私の友人の音楽プロデューサー、
伊藤八十八(やそはち)さんのオフィスで、
彼が主宰するレーベル、
「88(エイティ・エイト)レーベル」
(まんまやないか)
のアーティスト、
「ティファニー(Tiffany)」
という女性ジャズ・シンガー、
の新譜を聴かせてもらいました。
ピアノが、このハンクさん。
いやあ、
「これが90近い爺さんのプレイかよー。」
とビックリするような、
若々しい、
エネルギッシュなピアノを、
弾いてましたね。
1918年生まれというと、
私の父(1999年に他界)
と同い年ですからね。
驚きました。
敬服の極みです。
でも、
もともとこの人は、
リーダーになって、
がんがんバンドを引っ張る、
といったタイプではなく、
どちらかというと、
人のバックに廻って、
小気味よくサポートをする、
といった、
職人芸を聴かせるのが持ち味。
どちらかというと、
‘通’好みの、
渋い存在ですかね。
一度だけ、
お会いしたことがあるのですが、
やはり、
人柄も実に温厚でした。
とにかく、
唄の伴奏なんか、
実に上手い!
したがって、
参加したレコードの数も、
ハンパじゃない。
同類のピアニストで、
やはりこれも‘名人’の誉れ高い、
「トミー・フラナガン」と並んで、
史上もっともたくさん、
レコード・ジャケットに名前が載った、
ピアニストではないかと思います。
評論家ではないので、
詳しいことはわかりませんが…。
そういえば、
それにまつわる、
面白い話があるのですが、
ちょっとまた腰が痛くなってきたので、
それは次回に…。
(つづく)
そういえば、
最近忙しさにかまけて、
ちっとも運動してませんでした。
そのせいでしょうか。
このギックリは…。
腰が治ったら、
また「駒沢公園」でも、
歩かなくちゃ。
でも、
これから暑くなるし…。
あっ 痛ッ…。
まいったな…。
……。
SHUN MIYAZUMI
July 08, 2007
サド・ジョーンズ & メル・ルイス・オーケストラ その4(最終回)
7/4(水)の「代々木ナル」
にお越しのみなさん、
ありがとうございました。
久しぶりに大人なムード。
ちゅうまけいこさん、
素敵でした。
また、やりましょう!
7/6(金)は「秋葉原・初音鮨」
jammin' Zeb のライブ。
定員50人と聞いていたのですが、
なんと80人ものお客さんで、
カウンターの中までギッシリ。
これがほんとの、
‘すし詰め’
……。
おっと失礼。
なにはともあれ、
最後まで盛り上げていただき、
本当にありがとうございました。
また、お会いしましょう!
そしてきのうは、
ジャミンのレコーディング。
というわけで、
きょうは、
いささかグッタリ・ムード、
ではありますが、
元気よく、
サド・メル話の最終回、
といきましょう。
<偉大なジャズメンたち・シリーズ>
サド・ジョーンズ & メル・ルイス・オーケストラ その4
(最終回)
私が‘最高のジャズ’として、
今なお敬愛してやまない、
サド・メル楽団。
(正式には、
THAD JONES・MEL LEWIS / JAZZ ORCHESTRA )
その最盛期、最強メンバーの、
『 VILLAGE VANGUARD 』における、
2枚のライブ・アルバム(67年、68年)が、
日本においてCD化されていないのは、
かえすがえすも残念ですが、
幸いなことに、
ほぼ同時期に制作された、
素晴らしいスタジオ録音盤が2枚あって、
どうやらこれはCD化されているようです。
ライブの熱気こそ無いものの、
録音も素晴らしく、
今聴いても、
「これが40年近くも前の作品…?」
と感心させられてしまいます。
1枚目は、
『 CENTRAL PARK NORTH 』(69年)

「セントラル・パーク・ノース」
(セントラル・パーク公園の北側)
とは、すなわち、‘ハーレム’のこと。
タイトルも粋だなあ…。
この時期、早くも、
ロック・ビートを取り入れた曲もあったりして、
サド・ジョーンズの並々ならぬ創作意欲、
がうかがえます。
特に、
『 Quietude 』という優雅な曲の、
ローランド・ハナのピアノ・ソロは絶品!
もう1枚は、
『 CONSUMMATION(極点)』(70年)

堂々たる風格の作品で、
超一流レストランでのディナーのような、
高級感を味わうことができます。
有名なサドのオリジナル、
『 A CHILD IS BORN(誕生)』は、
これが初演…?。
さて、
前回も書きましたが、
70年代の半ばくらいから、
この偉大なバンドにも、
翳りが見えてきます。
相つぐ主力メンバーの脱退により、
しだいにその質が低下。
そして、あろうことか78年には、
当のリーダーたるサド・ジョーンズが、
メンバーにひと言も告げずに退団。
単身デンマークに渡り、
そのままコペンハーゲンで、
86年に、
帰らぬ人となってしまいました。(享年63才)
もう一方のリーダー、メル・ルイスは、
残されたメンバーをまとめ、
『メル・ルイス・オーケストラ』
と改名して演奏活動を続けますが、
再びかつての輝きを取り戻すことは、
ありませんでした。
そして90年、
そのメルも、
これまた61才という若さで他界。
今では、
黄金期のメンバーの大半が故人…。
こうして、
「サド・メル」の名前は、
知る人ぞ知る、
‘伝説のバンド’として、
歴史の彼方に、
消え去ってしまいました。
悲しいことに、
今はその名前すら知らない、
ジャズ・ファンも多かろうと思います。
でも、
本当に素晴らしいバンドでした。
今日ご紹介した、
現在日本で入手できる2枚のアルバムを、
聴いていただければわかります。
特に、
これからジャズをやろうとする若者には、
なおさら聴いてもらいたい。
「あなたたちが生まれる前に、
もう、こんな凄いことをやってた人たちが、
いたんだよ。」
ということを、
知ってもらうためにも…。
ともあれ、
サド・ジョーンズのアレンジは、
今なお私の追い求める、
最高の‘アレンジ’であり、
最盛期のメンバーによるプレイの数々は、
今なお私の理想とする、
‘ジャズ演奏’であることに、
変わりはありません。
“ わがサド・メルは、永遠に不滅です。”
(ん?どこかで聞いたことのあるフレーズ…?)
と、
本来なら、
ここで終わるはずでした。
ところが最近、
私のお仕事のパートナー、
‘湯浅のショーちゃん’が、
インターネット上で、
とんでもない映像をみつけてきました。
たった3分ほどですが、
まさに最盛期のサド・メルをとらえた、
ライブ映像です。
わずか3分ですから、
ほんとにほんとに‘サワリ’、
ほんの‘片鱗’しか、うかがえませんが、
最盛期のサド・メルは、
ほとんど映像が残ってないので、
これは貴重です。
著作権上は違法なのでしょうが、
敢えてここに掲載します。
ひとりでも多くの方に、
私の熱い思いを、
届けたいという、
願いをこめて…。
というわけで、みなさん。
どうぞご覧になって下さい。
これが、
在りし日の、
『サド・ジョーンズ & メル・ルイス・オーケストラ』
です…。
SHUN MIYAZUMI
にお越しのみなさん、
ありがとうございました。
久しぶりに大人なムード。
ちゅうまけいこさん、
素敵でした。
また、やりましょう!
7/6(金)は「秋葉原・初音鮨」
jammin' Zeb のライブ。
定員50人と聞いていたのですが、
なんと80人ものお客さんで、
カウンターの中までギッシリ。
これがほんとの、
‘すし詰め’
……。
おっと失礼。
なにはともあれ、
最後まで盛り上げていただき、
本当にありがとうございました。
また、お会いしましょう!
そしてきのうは、
ジャミンのレコーディング。
というわけで、
きょうは、
いささかグッタリ・ムード、
ではありますが、
元気よく、
サド・メル話の最終回、
といきましょう。
<偉大なジャズメンたち・シリーズ>
サド・ジョーンズ & メル・ルイス・オーケストラ その4
(最終回)
私が‘最高のジャズ’として、
今なお敬愛してやまない、
サド・メル楽団。
(正式には、
THAD JONES・MEL LEWIS / JAZZ ORCHESTRA )
その最盛期、最強メンバーの、
『 VILLAGE VANGUARD 』における、
2枚のライブ・アルバム(67年、68年)が、
日本においてCD化されていないのは、
かえすがえすも残念ですが、
幸いなことに、
ほぼ同時期に制作された、
素晴らしいスタジオ録音盤が2枚あって、
どうやらこれはCD化されているようです。
ライブの熱気こそ無いものの、
録音も素晴らしく、
今聴いても、
「これが40年近くも前の作品…?」
と感心させられてしまいます。
1枚目は、
『 CENTRAL PARK NORTH 』(69年)

「セントラル・パーク・ノース」
(セントラル・パーク公園の北側)
とは、すなわち、‘ハーレム’のこと。
タイトルも粋だなあ…。
この時期、早くも、
ロック・ビートを取り入れた曲もあったりして、
サド・ジョーンズの並々ならぬ創作意欲、
がうかがえます。
特に、
『 Quietude 』という優雅な曲の、
ローランド・ハナのピアノ・ソロは絶品!
もう1枚は、
『 CONSUMMATION(極点)』(70年)

堂々たる風格の作品で、
超一流レストランでのディナーのような、
高級感を味わうことができます。
有名なサドのオリジナル、
『 A CHILD IS BORN(誕生)』は、
これが初演…?。
さて、
前回も書きましたが、
70年代の半ばくらいから、
この偉大なバンドにも、
翳りが見えてきます。
相つぐ主力メンバーの脱退により、
しだいにその質が低下。
そして、あろうことか78年には、
当のリーダーたるサド・ジョーンズが、
メンバーにひと言も告げずに退団。
単身デンマークに渡り、
そのままコペンハーゲンで、
86年に、
帰らぬ人となってしまいました。(享年63才)
もう一方のリーダー、メル・ルイスは、
残されたメンバーをまとめ、
『メル・ルイス・オーケストラ』
と改名して演奏活動を続けますが、
再びかつての輝きを取り戻すことは、
ありませんでした。
そして90年、
そのメルも、
これまた61才という若さで他界。
今では、
黄金期のメンバーの大半が故人…。
こうして、
「サド・メル」の名前は、
知る人ぞ知る、
‘伝説のバンド’として、
歴史の彼方に、
消え去ってしまいました。
悲しいことに、
今はその名前すら知らない、
ジャズ・ファンも多かろうと思います。
でも、
本当に素晴らしいバンドでした。
今日ご紹介した、
現在日本で入手できる2枚のアルバムを、
聴いていただければわかります。
特に、
これからジャズをやろうとする若者には、
なおさら聴いてもらいたい。
「あなたたちが生まれる前に、
もう、こんな凄いことをやってた人たちが、
いたんだよ。」
ということを、
知ってもらうためにも…。
ともあれ、
サド・ジョーンズのアレンジは、
今なお私の追い求める、
最高の‘アレンジ’であり、
最盛期のメンバーによるプレイの数々は、
今なお私の理想とする、
‘ジャズ演奏’であることに、
変わりはありません。
“ わがサド・メルは、永遠に不滅です。”
(ん?どこかで聞いたことのあるフレーズ…?)
と、
本来なら、
ここで終わるはずでした。
ところが最近、
私のお仕事のパートナー、
‘湯浅のショーちゃん’が、
インターネット上で、
とんでもない映像をみつけてきました。
たった3分ほどですが、
まさに最盛期のサド・メルをとらえた、
ライブ映像です。
わずか3分ですから、
ほんとにほんとに‘サワリ’、
ほんの‘片鱗’しか、うかがえませんが、
最盛期のサド・メルは、
ほとんど映像が残ってないので、
これは貴重です。
著作権上は違法なのでしょうが、
敢えてここに掲載します。
ひとりでも多くの方に、
私の熱い思いを、
届けたいという、
願いをこめて…。
というわけで、みなさん。
どうぞご覧になって下さい。
これが、
在りし日の、
『サド・ジョーンズ & メル・ルイス・オーケストラ』
です…。
SHUN MIYAZUMI
July 03, 2007
サド・ジョーンズ & メル・ルイス・オーケストラ その3
暑くなってきましたねえ。
しかし、
そんなもん、
ライブの熱気で吹き飛ばしてしまえ!
というわけで、
今週は2本のライブ。
7/4(水)は、
「代々木ナル」で、
大好きな美人シンガー、
『ちゅうまけいこ』
と競演。
7/6(金)は、
秋葉原「初音鮨」で、
男声コーラス・グループ
『jammin' Zeb』
ぜひ、ご一緒に、
暑気払い…!
(詳細は「最新ライブのご案内」を。)
さて今日も、
「もっと熱い男たち」
のお話。
<偉大なジャズメンたち・シリーズ>
サド・ジョーンズ & メル・ルイス・オーケストラ その3
このバンドは、
サド・ジョーンズの作・編曲が素晴らしい、
ということは言うまでもありませんが、
それに加え、
個々のプレイヤーの力量が、
ケタ違い!
例えば、
「カウント・ベイシー楽団」や
「グレン・ミラー楽団」
の譜面が、
ここにあるとします。
もちろん、
オリジナル・メンバーと、
‘全く’同じような、
素晴らしい演奏をすることは不可能ですが、
ちょっと優秀なプレイヤーが集まれば、
‘似たような’サウンドにはなりますね。
ところが、
「サド・メル」は、
そうはいかない。
アンサンブルはなんとかなっても、
ソロ(アドリブ)が違うのです。
ただ上手いだけではない。
‘名人の落語’を続けざまに聴かされてるような、
そんな味わいがある。
そしてみんな、
個性豊かで、
テクニックが凄くて、
熱い!
興味のない方にも、
ちょっと我慢していただくとして、
ここで全盛期の、
代表的なプレイヤーを挙げてみましょう。
トランペットでは、なんといっても、
「スヌーキー・ヤング」
ベイシー楽団のリード・トランペッターを、
長年に渡って務めた名手です。
アンサンブルでは、
強烈なハイ・ノートで
トランペット・セクションを引っぱり、
一方では、
古今亭志ん生の‘くるわ話’を思わせるような、
茶目っ気たっぷりの色っぽいソロで、
楽しませてくれます。
トロンボーンでは、
バルブ・トロンボーンの名手、
「ボブ・ブルックマイヤー」
驚愕のプレイヤー、
「ガーネット・ブラウン」
あたりが代表的。
特に「ガーネット・ブラウン」は、
前回ご紹介したアルバム、
『LIVE AT VILLAGE VANGUARD』の中の、
『A THAT'S FREEDOM』という曲で、
人間業とは思えないような、
すさまじいソロを吹いています。
サックス・セクションは、
ちょっと信じられないような顔ぶれですね。
アルトが、
クインシー・ジョーンズ楽団でも活躍した、
「ジェローム・リチャードソン」と、
「ジェリー・ダジオン」
テナーに、
後にモダン・クラリネットの分野で、
革新的なアルバムを発表し、
グラミー賞にも輝いた、
「エディ・ダニエルス」
ジョン・コルトレーンの後継者と言われた、
「ジョー・ファレル」
ファレルが抜けたあとにも、
これまた若手のホープとして話題になった、
「ビリー・ハーパー」
そしてバリトンに、
ハリー・カーネイ、ジェリー・マリガンと並んで、
3大バリトン・サックス奏者と言われている、
「ペッパー・アダムス」
最後に、
リズム・セクションが、
これまた凄い。
一方の旗頭、
「メル・ルイス」のドラムは、
‘スカッと爽やか’
‘決めバッチリ〜’
といった、
そんじょそこいらの、
‘ビッグ・バンド・ドラマー’
とは、ひと味もふた味も違う、
コンボとビッグ・バンドを混合させたような、
複雑かつシャープなサウンドを叩き出します。
この「メル・ルイス」の新しい奏法が、
このバンドのサウンドを、
他のバンドとは違う域にまで高めてる、
と言っても過言ではありません。
それから、
「あーた、
ひとりで半拍くらい先に行ってんじゃないの?」
というくらいのビートで、
ぐいぐいバンドを引っ張る、
強烈なベースの、
「リチャード・デイヴィス」
そして、
酌めどもつきぬ名人芸の味わいを聴かせる、
「ローランド・ハナ」
のピアノ。
この人は、
小編成のコンボよりも、
ビッグ・バンドに廻ったほうが、
ずっと面白い。
この辺の才能を見抜いて起用したあたりにも、
サド・ジョーンズの並々ならぬ嗅覚が、
うかがえます。
というわけで、
いささかマニアックになっちゃいましたが、
本当に凄い布陣です。
まさにオール・スター。
NBAバスケット・ボールの
「ドリーム・チーム」
も真っ青…。
そして、
こんな凄い連中を自由奔放に操る、
リーダー、
「サド・ジョーンズ」
の指揮ぶりが、
実にカッコいい!
「スマイリー小原」なんかより、
ずっとカッコイイ〜〜!!
(ん…。誰それ…?)
こうして一時期、
世界中のジャズ・ファンを湧かせた、
サド・メル楽団でしたが、
70年代の半ばあたりから、
しだいに翳りが見えてきます。
各人が、
‘バンド・リーダー’としても充分な、
実力派の連中ですから、
そのうち、
ひとり抜け、ふたり抜け。
その度に新しいメンバーを補充するものの、
やはり質の低下は否めません。
スター軍団のもろさでしょうね。
特に、
ピアノの「ローランド・ハナ」が抜けてからは、
私から見れば、
‘普通に上手いバンド’
に、なってしまいましたね。
そういう意味でも、
前回ご紹介した、
2枚のライブ・アルバムこそは、
まさに最盛期の、
最強メンバーによる、
夢の饗宴でした…。
これをCDにして発売しないとは、
何事だ!
文化的損失だ!
と私は言いたい。
なによりも、
早く出してくれないと、
私の持ってるアナログ盤が、
すり切れてしまうではないか…。
(つづく)
次回はいよいよ、
悲しい結末を迎える、
最終回です。
グシュン;。
SHUN MIYAZUMI