August 2007
August 25, 2007
坂東英二さん
佐賀北高校。
お見事でした!
下馬評どころか、
誰も注目しなかった、
県立の進学校が、
次々と‘野球強豪校’を破る姿は、
本当に感動的でした。
まさに、
「高校野球の原点」
を見る思い。
そして、
あの決勝戦の、
劇画を見るかのような、
ドラマチックな満塁ホームラン。
永遠に語り継がれるチーム、
そして決勝戦でしょうね。
さて、
今を去る事、約50年前。
甲子園には、
こんなヒーローもいたのです。
2003年5月20日(火) No.48
坂東英二さん
ここんとこ、
阿波踊りのお話で、
かってに盛り上がってしまいましたが、
阿波踊りといえば、
徳島。
そのときにも書きましたが、
私は父親の転勤のため、
小学校の2、3年生を、
徳島で過ごしました。
この徳島という街。
駅を出ると、
中央にずーっと芝生を敷き詰めた、
ロータリーが続いています。
左右に道路。
そして正面に小高い山が見えるのですが、
これは眉山(びざん)といいます。
かつては蜂須賀の殿様の
居城があったのでしょうね。
今はロープウエイがあったりして、
市民の憩いの場所です。
その眉山のふもとに、
父の勤めていた、
「日本電建」の社屋と社宅があり、
私はそこで暮らしておりました。
そんな昭和34年の秋のこと。
その会社の前の、
芝生のロータリーに、
二人の徳島出身のプロ野球選手が、
シーズン・オフのトレーニングに来ていました。
ひとりは、
阪急ブレーブス(今のオリックス)の、
広野選手。
(のちに中日、巨人で活躍した広野選手のお兄さん)
そして、
もうひとりは…、
前年(昭和33年)の夏の甲子園で、
徳島商業のエースとして大活躍。
準々決勝では、
歴史に残る「魚津商業」との熱戦で、
延長18回を投げ再試合。
疲労のため惜しくも準優勝に終わりましたが、
そのオフ、
鳴り物入りで中日ドラゴンズに入団。
一年目からすばらしい活躍をした、
郷土の英雄。
その人とは…?
そうです。
今やタレントとして大活躍の
坂東英二さん。
さあ、
坂東選手を見つけた私ら子供たちは、
もう大騒ぎ。
「うわあ、坂東さんだ!」
さっそく駆け寄って、
腕にしがみつくわ、
背中に飛び乗るわ。
でも当の坂東さんたち、
いやな顔ひとつせず、
ドッジボールやらバレーボールやら、
眉山のふもとでの鬼ごっこやら、
毎日、毎日遊んでくれたのです。
子供好きな、
いい人たちだったんでしょうね。
彼らも本当に楽しそうでした。
ある日私は、
またまた坂東選手を発見。
その日は、
彼ひとりで、
黙々と、真剣なまなざしで、
トレーニングをしていました。
私もひとりでしたが、
おそるおそる、
「こんにちは。」
と歩み寄ると、
「やあ、君か。」
とニコニコ。
さらに、
何を思ったか坂東さん、
「ボク、
家に連れてってやろうか。」
と言ってくれたのです。
そして、
うちの両親のところへ来て、
了承を得ると、
彼は私をタクシーに乗せ、
彼の実家へ、
連れて行ってくれました。
サインボールをもらい、
いろんな野球の話をしてもらい、
お母さんの作ってくれたソバまで、
ごちそうになり、
それはそれは至福の時をすごし、
帰りもちゃんと家まで、
送り届けてくれたのでした。
夢のようなひとときでしたが、
一体全体、
なぜあれほどまでにやさしくしてくれたのか、
私にとっては今だに、
大きな謎です…。
ご存知のように、
今や彼は、
押しも押されもしない、
芸能界の大物。
私も同じような業界にいるので、
いつかはお会いして、
このときの話でもしたいなあ、
と思っているのですが、
叶うことなく、
こんなに長い年月が
経ってしまいました。
……。
そんなわけで、
阿波踊り…。
坂東英二さん…。
たった2年の在住でしたが、
徳島という街は、
本当に忘れることのできない街です。
さらにこの2年間は、
あらゆる意味で、
私にとっては、
革命的な2年間だったようです。
私のプロフィールにもあるように、
学校の「持ち物調査」によって、
期せずしてオルガンを手にし、
‘音楽’の勉強をはじめたのがこの頃。
我が家に「レコード・プレイヤー」が来たのも、
この頃。
それから、
かつても書きましたが、
「東映時代劇」にしびれ、
タダで映画館通いをしていたのもこの頃。
我が家にテレビが入り、
それまでラジオでしか知らなかった
栃錦や若乃花や大鵬の勇姿を、
目の当たりにしたのも、
この頃。
これまた過去ログにある、
アメリカの「TVアクション・シリーズ」に
夢中になったのもこの頃。
プロ野球では、
新人長嶋茂雄の華麗なプレーや、
王貞治のホームランに酔いしれ、
坂東さんとの出会いで、
「野球大好き少年」になったのも、
みな、
この頃。
こりゃまさに、
私の人生における、
文化大革命の時期だったんですね…。
それはそれは、
夜寝るのがもったいないくらい、
毎日、毎日が新鮮な、
そんな日々でした。
ということで、
来年あたりは、
これまた30年ぶりに、
行きたくなってきました、
徳島…。
なんたって私にとっての、
「文化の聖地」
のようですから…。
(おわり)
(感想 2007/8/25)
その佐賀北高校の、
決勝戦の相手、
広陵の監督が、
試合後に語った「判定への不服」が、
大きな問題になってるようですね。
2チャンネルでも、
すごいコメントの嵐。
昨夜、あまりに面白くて、
ずっと読んでたら、
朝になってしまいました。
いかん…。
ま、8-2で、
この監督が不利のようですね。
ただし中には、
匿名をいいことに、
とんでもないことを書いてるヤツもいましたが…。
私は、あえてコメントしませんが、
素直に勝者を讃えることのできない
指導者を見て、
あの学校の子供たちが、
どう育っていくのか。
そこだけが心配…。
野球にも、人生にも、
‘ればたら’は無いのに。
……。
SHUN MIYAZUMI
August 19, 2007
桐生第一
甲子園も、
いよいよクライマックス。
新鮮なベスト8が出揃いましたね。
ところで、
前回の私の予想は大ハズレ。
というか、
「帝京」「常葉菊川」「大垣日大」
なんかも押さえてるあたり、
ちょっぴりずるい予想なんですけどね。
アハハハ。
でも東北勢、
強いと思ったんだけどなあ…。
この異常なまでの暑さに、
やられちゃったかな。
さてこのブログ、
昨夏は、
「松山商業」のお話で、
大いに盛り上がったわけですが、
今年は、
こんな高校を、
回想してみました。
1999年の夏…。
私は野暮用もあって、
群馬県桐生市の知人を訪ねました。
この年、
甲子園の群馬代表は、
「桐生第一高校」
かつては織物の町として栄えた桐生も、
ここ数年は、
深刻な過疎化が進んでいるそうで、
そういえば、
どこでも賑わうはずのメイン・ストリートも、
ここだけは、
人もまばら…。
そのなかで、
「頑張れ! 桐生第一高校」
と掲げられた垂れ幕だけが、
寂しそうに、
風にゆらゆら揺れていました。
ところが、この桐生第一。
ここまで快進撃で、
私が東京を出る直前に観た3回戦では、
優勝候補の静岡を4-3で破り、
見事ベスト8に勝ち残っていたのです。
私は、桐生に着くなり、
地元の人たちに、
「すごいねえ、桐生第一。
優勝するんじゃないのぉ。」
ところが、みなさん、
「まさか、ゆ、優勝だなんて…。
もうそろそろ終わりますよ。」
と、かなり弱気。
それもそのはずで、
群馬代表は、
それまで春夏通じて、
一度も全国制覇がありません。
しかし、
エースの正田(日本ハム〜現・阪神)を中心に、
攻撃力も多彩で、
私は本当に、
「このチームはおそるべし。」
と思っていましたから、
「そうかなあ。
もっと自信持っていいと思うんだけどなあ…。」
と、あまりの気の弱さに、
ちょっぴり苛立ったものの、
ここは、おとなしくしていた。
さて夜は、
魚が美味しいという、
とある大きな割烹に案内されました。
カウンターのなかで、
大将らしき人が魚をさばきながら、
ほぼ満員のお客たちと、
もっぱら高校野球の話をしている。
奥の座敷もほぼ一杯で、
やはり野球の話に花が咲いてるようだが、
どうも私には、
消極的な話ばかりが聞こえる。
「そろそろ終わりだろうな。」
「いやあ、よくやったんじゃないの。
なんたって、ベスト8だもん。」
「……。」
私のとなりの夫婦に話しかけたところ、
「実は息子が桐生第一の野球部にいましてね。
明日は甲子園に応援に行くんだけど、
ま、明日あたりで終わりでしょうがね。」
と、これまた超弱気。
さあ、もういけません。
プロフィールにもある私の性格
「小心にして大胆」
が、にわかにその実体を現し、
さらに、
酒が進むと大口をたたく、
心の師匠「植木等」なみの、
無責任極まりない私の悪癖が、
むくむくと顔を出してきました。
私は店内を見渡し、
大きな声で、
「えへん、みなさん!
私は東京から来たよそ者です。
だから客観的に物が見えます。
しかも私は、
自他ともに認める野球通です。
その私からみれば、
現在残った8校のなかでは、
桐生第一が最強ですよ。
優勝確率70%。」
と、やってしまった…。
すると、
お店にいたお客さんが、
一斉にこっちをみます。
「ほんとに、桐生は勝てますかねえ。」
という質問が奥座敷から。
私「ええ、間違いありませんね。
私は春夏優勝校を全部言えるんですよ。
正田のカーブは一級品です。
高校生では打てません。」
と、自信満々に、
その奥座敷の紳士を指さす。
そのうち、お酒を持って、
「先生」などと言いながら、
お酌をしに来る人もいる。
「先生、ま、ひとつ一杯。
そうですか、桐生は勝ちますか。」
私「あっ、こりゃどうも。
ええ。さっきは70%と控えめに言ったけど、
本心は90%ですね。
唯一の心配は、正田の疲れだけど、
彼はクレバーだから、
省エネ投法も、ちゃんとわきまえてますよ。
アハハハ。」
なにが、アハハハだ。
もうこうなると、
植木師匠も真っ青の無責任ぶり。
私「私は元阪急の山田投手とも知り合いでね。
ま、相当の野球の試合を見てるわけですよ。
間違いありません。
優勝は桐生です!」
とまあ、
ただの野球観戦オタクにすぎないのに、
知ったかぶりの知識を、
もっともらしく、
次から次へとひけらかす。
すると、
いつの間にか目の前に、
うまそうな、
「大トロの刺身」と
「焼きタラバ蟹」の足が数本。
私「ん? 大将、これなに?」
大将「お客さん、サービスだ。
食べてくれ。」
こうしてお店は、
いつしか私の独壇場。
……。
そして、
みなさんの笑顔と拍手に見送られ、
すっかり気持ちよくなった私は、
「桐生第一バンザ〜イ!」
「桐生バンザ〜イ!」
と叫び、
意気揚々と店を後にしたのでした。
翌朝。
すっかり正気に戻った私は、
事の重大さに気づき、
おそるおそる、
ホテルの部屋のテレビをつけました。
「桐生第一 4-0 桐蔭学園」
ふう〜…。
もし負けていたら、
生きて桐生を出れないところだった…。
そそくさとチェック・アウトを済ませ、
逃げるように帰ってきた私でしたが、
その桐生第一は、
その後も勝ち続け、
見事に全国制覇を成し遂げたのでした。
ああ、よかった…。
この年は、
そんな思い出の夏でしたね。
それにしても恐いのは、
飲んで気が大きくなったときの、
私の悪癖。
これまた、
「わかっちゃいるけどやめられねえ。」
か。
……。
SHUN MIYAZUMI
August 15, 2007
阿波踊りはジャズだ その4(最終回)
ほんと暑いですねえ。
みなさん大事ありませんか。
それにしても、
今年も高校球児諸君、
やってくれてますよ、
こんな炎天下で毎日、
野球。
ま、仕事の関係で、
去年ほどは見られないものの、
それなりに今年も、
楽しませてもらってます。
なにせ野球オタクですからね。
さて、
一通り全校が姿を見せたところで、
ちょっと早いですが、
そんな野球オタクの、
大胆優勝予想!
私、そろそろ、今年あたり、
東北に初の優勝旗が、
行くんじゃないかと、
思うんですよ。
ズバリ、
「仙台育英」か「青森山田」
西に強豪が少ない今年は、
絶好のチャンス。
立ちはだかるは、
「帝京」と、
春の覇者「常葉菊川」
ダーク・ホースに、
「神村学園」と「大垣日大」
どうでしょう?
はずれたらごめんなさい。
そういえば、
「常葉菊川」のユニフォームって、
「ニューヨーク・ヤンキース」
にそっくりですね。
そのせいか、
やけに強そうに見える。
ま、ここに勝ったところが、
優勝でしょうね。
さて今日は、
「阿波踊り」の最終回。
きのうもニュースでやってましたね。
ただ今、真っ最中のようです。
行きたい……。
2003年5月6日(火) No.47
阿波踊りはジャズだ その4(最終回)
さて、この4日間というもの、
徳島という街は朝早くから夜遅くまで、
例のお囃子が鳴り止むときはありません。
どの連も、お囃子組がいるわけですから、
街中がこのサウンド‘一色’
といっても過言ではない。
そう、今にして思えば、
徳島の人は、
お囃子やら三味線やら笛やら、
演奏できる人が、
ほんとにたくさんいるわけですね。
これだけでも凄いことですよ。
立派に、
文化を継承してらっしゃる。
そして、
駅の近くの大きな商店街の一角には、
観光客用に桟敷スタンドが設けられています。
何人くらい収容できるのでしょうか、
左右に階段状に設けられた、
このメインスタンド。
実はどの連も、
一日に一度は、
ここを通ることになってるのです。

街中で一緒に踊るのも良し。
ここから見物するも良し。
「踊るあほうに見るあほう」
とはよく言ったもの。
このスタンドから、
次々にやって来るいろんな連の踊りを見るのが、
これまた楽しい。
中には本当のプロの集団(連)まであるのです。
海外にまで遠征してるグループまである。
「のんき連」「阿呆連」「蜂須賀連」といった、
プロの踊りもまた、
均整がとれた、
それはそれは見事なものです。
そして、
一見代わり映えのしない踊りが、
プロアマ入り乱れてやってきても、
まったく飽きることがない。
不思議です。
その昔、
私の敬愛するジャズ・ピアニスト
菅野邦彦さんが、
一曲4時間、
という「ブルース」を演奏した場面に、
遭遇したことがあります。
もうノリノリで、
手がつけられなかった。
ご機嫌にスイングしながら、
アドリブも尽きることがない。
何かが乗り移ったかのような、
ある種狂気の世界に、
鳥肌が立つような感動を覚えました。
阿波踊りの狂躁も、
それに近いものがある、
と私は思います。
強烈なリズムと、
不思議なサウンドに魅せられて、
取り憑かれたように踊り狂う人、人、人。
狂乱の一大絵巻。
これは、
ジャズの魔力に近いものがある、
のではないでしょうか。
秩序と混沌。
静寂と狂躁。
相反するものが見事に混ざった、
素晴らしい世界ですね。
一度社会人になって、
アルファ・レコードの先輩、後輩3人を引き連れて、
「阿波踊り」見学に徳島を訪れたことがあります。
「どういう反応するかなあ?」
と心配だったのですが、
みな、
「鳥肌!」「感動!」「目頭が熱くなった!」
というものでした。
みなさんも、
ぜひ一度行ってみて下さい。
そしてじかに、
体感して下さい。
絶対お薦めです。
世界遺産にすべきだ…。
(おわり)
(感想 2007/8/14)
もうひとつ、
私が‘ジャズ’を感じる日本の伝統芸。
それは、
津軽三味線。
あのグルーヴ感も強烈ですね。
独特の3連の乗り。
そして、
ペンタトニック・スケールを駆使した、
インプロビゼーションの嵐。
(ちょっと専門的ですみません。)
私がピアノ以外で、
演奏したいなあと思うのは、
あれですね。
もう無理かな…。
SHUN MIYAZUMI
August 10, 2007
阿波踊りはジャズだ その3
夏まっ盛り。
高校野球も始まったし、
街中が開放感にひたってる。
暑いのは、こたえますが、
私には大好きなシーズンです。
しかし、
今年の私の夏は、
仕事、仕事の毎日。
夏休みやお盆休みの話をしている人が、
ちょっぴりうらやましくもありますが、
ま、そんな年があってもいい。
やりがいのある仕事だし。
そう自分に言い聞かせて、
元気に乗り切りましょう。
そういえば、
これを書いてた2003年の夏も、
忙しかったなあ…。
出来たばかりのレコード会社、
「プラティア」に友軍として参加し、
女子十二楽坊の来日、デビューに合わせて、
毎日あわただしい日々を送っておりました。
4年前か…。
2003年4月28日(月) No.46
阿波踊りはジャズだ その3
ちょっと専門的になりますが、
ジャズには、
「ペダル奏法」というのがあります。
低音をずっと同じ音にして、
上のほうを、自由なコードやメロディー、
で奏でていくというものなのですが、
うまくいくと、
何とも不思議な世界を作る亊が出来ます。
オリエンタル・ムード、大陸的なムード、
自由自在です。
阿波踊りの音楽には、
その手法が存在してると言えなくもありません。
チャンチャチャッチャ チャンチャチャッチャ
というノー天気な、
それでいて強烈にグルーヴする、
リズム隊と三味線隊の通奏低音の上に、
ピーヒャララ ピーヒャララ ♪〜♪
の笛が、
まったく違う調性で奏でられる。
さらに、
またまたそれとは違う調性で、
テンポも無視したゆったりした歌が、
その上に重なっていく。
しかし、
そうしたまったく違った音楽の要素が、
見事に調和し、
なんとも不思議かつ、
独特の世界を作っている。
その独特のサウンドに合わせて、
取り憑かれたように皆が踊りまくる…。
このような、
決め事と、
フリーな感覚の組み合わせの妙は、
ジャズの最も面白いところなのですが、
阿波踊りには、
ちゃんと、
それがあるのです。
さて、
かつて「私と映画音楽」のときにも書きましたが、
その昔、
『ラスト・タンゴ・イン・パリ』という映画がありました。
(マーロン・ブランド主演)
大胆な性描写で話題にもなった、
『ラスト・エンペラー』で有名な、
ベルトルッチの作品ですが、
私に言わせれば、
年を取ることに恐れを抱く中年男が、
若い女を追いかけるというだけのもので、
あまり感動はしませんでした。
ただし、
クライマックスで、
男が、逃げる女を追いかけて
「タンゴ・ダンスのコンテスト」
をやってるお店に迷いこむシーン。
あれだけは、すごかった。
鳥肌が立ちました。
何組ものカップルが、
大まじめな顔をしてタンゴを踊ってる。
そして、
ジャッジャッジャッジャッ!
という規則的なタンゴ・リズムの上に、
ガトー・バルビエリという、
アルゼンチンのジャズ・サックス奏者の、
官能的な咆哮するテナーが、
まったく関連性もなく朗々と鳴り響く。
その不思議な組み合わせの、
音楽が流れる中、
逃げ惑う女と追いかける男。
しかし、そんなことは無関心に
踊りまる多くのカップル。
女たちの官能的な衣装や動きや表情。
この相反するいくつもの要素が、
奇妙に重なり合っての、
ある意味‘狂気’の世界。
すごいものでした。
ま、このシーンだけでも
ベルトルッチの天才を証明できるなあ、
と、思ったのですが、
阿波踊りにも、
そんな全く相反するものが同居していて、
それが、あの不思議な感動を、
呼び起こすのではないでしょうか。
そんな気がします…。
一日中踊っていても、
あるいは他の人達が踊ってるのを見ていても、
飽きることがないんですね。
すごい…。
(つづく)
(感想 2007/8/10)
話は、女子十二…に戻りますが、
その「プラティア」というレコード会社。
(後に、ミューチャー・コミュニケーションズ
と社名変更)
ご存知の方も多いと思いますが、
先日、
3億4000万の負債を背負って、
破産宣告しました。
4年前に、
彗星のように現れ、
あっという間に隆盛を極めた会社が、
こんなにも早く崩壊するとは。
……。
なんか、
やるせない気持ちですねえ…。
あの狂騒は、
いったい何だったんでしょう…?
落ち着いたら、
ゆっくり酒でも飲みながら、
話でもしましょうよ。
ね、
T本さん…。
SHUN MIYAZUMI
August 05, 2007
阿波踊りはジャズだ その2
暑中お見舞い申し上げます。
と言いながら、
私は早くも夏バテ気味…。
しかも、
あまりの忙しさで、
ここんとこブログの更新も、
週一回がやっとこさ。
(あいすみませぬ。)
さらに、
改めてスケジュールを見てみると、
私、この夏は、
「お盆休み」どころか、
休みもほとんどありません。
……。
というわけで、
「阿波踊り」の話を書きながら、
せめて夏休みの、
‘気分’にだけでも、
浸ってみることにします。
2003年4月22日(火) No.45
阿波踊りはジャズだ その2
昭和34年の夏。
徳島市。
小学校2年生の私にとって、
初めて体験する「阿波踊り」
ついにその日がやってきました。
父の勤める会社「日本電建連」
に参加させてもらった私も、
笑顔の母親たちに見送られて、
颯爽と街に繰り出しました。
いやあ、
やってるやってる。
あっちでもこっちでも。
この4日間、
交通はすべて遮断されますから、
道路でも、ロータリーでも、商店街でも、
それこそありとあらゆるところで、
チャンチャチャッチャ チャンチャチャッチャ
ピーヒャララ ピーヒャララ♪〜♪
「○○銀行連」「○○同好会連」「○○大学連」
「○○デパート連」「○○商事連」
「○○商店街組合連」etc.etc.
それこそ何十、何百という連が、
あっちでもこっちでも、
踊り狂っています。
さながら、
町中が
「リオのカーニバル」
どのグループも、
「○○連」と書かれた提灯を掲げ、
めいめいがお揃いのゆかたを着て、
お囃子組を先頭に、
女たちは、
編み笠を目深にかぶって、
手と足を細かくリズムを取りながら、
きちんと整列したまま踊り、
その後を男たちが、
うちわを片手に、
ちょっと腰をかがめて、
大股でゆっくりリズムを取りながら、
勝手気ままに踊る。
チャンチャチャッチャ チャンチャチャッチャ
ピーヒャララ ピーヒャララ♪〜♪
幼少の私も、
今まで味わったことのない楽しさ、
不思議な感動に包まれながら、
大人たちに交じって、
見様見まねで、
その輪のなかに、
自然に溶け込んでいました。
そう、不思議な感動…。
たった2年間の体験とはいえ、
この不思議な感動は、
幼い私の心に、
強烈に残ることになりました。
その感動が忘れられず、
社会人になってからも、
もういちど見に行ったのですが、
やはり、
鳥肌ものでしたね。
なんども目頭が熱くなったのを、
覚えています。
以来、
「なぜだろう?」
「いったいこの不思議な感動は、
どこから来るのだろうか?」
というのは、
私にとって、
大きな謎だったのですが、
最近になって、
実はあの、
「お囃子組が奏でている音楽」
あの音楽こそが、
「阿波踊り」特有の感動を、
呼び起こしてるのではないか、
と考えるようになりました。
まず、
チンドン屋のごとき、
太鼓、鐘、鳴り物軍団が、
あの、
チャンチャチャッチャ チャンチャチャッチャ
というリズムをきざむ。
このリズムは、
かなり強烈です。
そのリズムに合わせて、
三味線のお姉さん達が、
(もちろんこれも編み笠、鳥追い女スタイル。
むむ、色っぽい…。)
3つの音(例えばG-A♭-G-F)という、
シンプルな音階を、
リズミックに奏でます。
ジャズ用語に例えると、
もうこれだけで、
充分に‘スイング’してる。
その上に、今度は笛です。
(E♭-D-C E♭-D-C E♭-D-C-D-C-A♭)
といった、
ちょっとせつないマイナーの日本音階を、
ピーヒャララ ピーヒャララ ♪〜♪
この、
一見不可思議な調性とリズムとメロディが、
妙にマッチングして、
あの、
自然に体が動いてしまう魔力を生む、
のではないでしょうか。
さらには、この
チャンチャチャッチャ チャンチャチャッチャ
ピーヒャララ ピーヒャララ♪〜♪
の一定リズムの上には、
ご丁寧に、
歌まであるのです。
高い女性の声で、
ゆったりと、
しかも別の調性から入る。
「阿波の〜 とのさま〜 蜂須賀公が〜
今に〜 残せし〜阿波〜おどり〜 ♪」
そのゆったりとした歌にもおかまいなく、
バックは、相も変わらず、
チャンチャチャッチャ チャンチャチャッチャ
ピーヒャララ ピーヒャララ♪〜♪
そして最後に、
やっとこのリズムに合わせて、
「踊るあほうに見るあほう
同じあほうなら 踊らにゃそんそん♪」
と来る。
凄いです。
強烈です。
なんとも不思議なムードです。
一度聞いたら頭から離れません。
そして、なんだか、
じわーっとした感動につつまれます。
ある種の麻薬にも似た、
「反復性」の魔力。
あたかも、
ジャマイカの黒人が、
単純なリズムとコードの、
「レゲエ音楽」に狂喜するような、
ジャズにも似た、
そんな響き…。
……。
(つづく)
(感想 2007/8/5)
そういえば先日、
偉大な作詞家、
阿久悠さんが、
お亡くなりになりました。
私も、
若い頃に何度か、
一緒にお仕事をさせていただきましたが、
あの鋭い眼で、
ギョロっとにらまれると、
思わず縮み上がったものです。
我々の業界では、
詞の一行目を、
「つかみ」
と言います。
一行目で、
いかに大衆の耳を掴めるか、
という意味なのでしょうが、
この「つかみ」という点では、
この人の右に出るひとは、
いないでしょうね。
「上野発の夜行列車 降りた時から」
(津軽海峡冬景色)
「お酒はぬるめの燗がいい」
(舟歌)
「あなた変わりはないですか」
(北の宿から)
うまいですねえ。
70才か、
まだお若いのに…。
謹んで、
ご冥福をお祈り致します。
SHUN MIYAZUMI