January 2008
January 29, 2008
演歌と私 その3
いやあ、寒いですねえ。
めったに風邪などひかない私も、
さすがにこの週末は、
寝込んでしまいました。
おかげで、
仕事の予定が、
大幅に狂ってしまうハメに。
今日から、
巻き返さないとヤバい。
……。
といいつつ、
すぐに仕事する気にもなれないので、
エッセイの更新。
今を去ること、
約30年以上も前のお話です。
2005年03月14日 No.104
演歌と私 その3
有線全国チャートで見事ベスト10入りした、
快調、たかしな真君。
そして、
『涙の海峡』
お次は、
名古屋を重点的に攻めよう
ということになりました。
なぜなら名古屋には、
東芝では演歌を売らせたら‘天下一品’
Nさんという、
名物プロモーターがいたからです。
東芝というレコード会社は、
どちらかというとポップス系が得意。
演歌の得意なビクターやコロムビアと違って、
どちらかというと、
演歌にはあまり力を入れない。
それでも、
城卓也『骨まで愛して』
克美しげる『さすらい』
黒木憲『霧にむせぶ夜』
などなど、
ときおりヒット曲は出しておりました。
それらのヒットに、
大きく貢献したと言われるのが、
ベテラン・プロモーターの、
この、Nさん。
ならばこれは、
たかしな君と合流して、
ぜひご挨拶をせねば、
と思い、
すぐに出張申請。
すると上司のA課長が、
「いやそんなことだったら自分も行く。」
と言うのです。
当時のアルファはまだ、
「アルファ・アンド・アソシエイツ」
という名の原盤会社。
後にレコード会社に出世するのですが、
当時は制作のみ。
宣伝、販売は、
大きなレコード会社と契約して売ってもらう、
という規模の会社。
それでも、
ガロ、赤い鳥、ユーミン、吉田美奈子など、
後のニュー・ミュージック界を
リードするアーティストが多数在籍。
時代の先端を行く、
おシャレな作品が話題の会社でした。
ところが、
このA課長だけは、
実は大の演歌好き。
酔うといつも、
ぴんから兄弟の「おんなの道」を唄いまくる。
当然のように彼は大乗りです。
「シュン、偉い!!
俺はアルファに入って、
初めて興奮する曲に出会ったぞ。」
「……。」
そんなわけで、
A課長と名古屋へ珍道中、
と相成りました。
駅に着くと、
さっそく、たかしな君と合流して、
まずは東芝の名古屋営業所へ。
そして噂のNさんにご挨拶。
ニコニコ顔のNさん、
開口一番、
「いやあ、この曲は売れますぞ。
さっそく有線回りをしましょう。」
と、市内あちこちの有線放送所へ。
そして、
有線嬢のみなさんにご挨拶。
有線というところは、
歌手が挨拶に行けば、
かならず一回はかけてくれます。
その後はリスナーのリクエスト、
ということになるのですが、
有線嬢が気に入れば、
リクエストがなくても、
かけてくれるんだそうです。
さては、
イケメンで物腰の柔らかい、
たかしな君。
あちこちのベスト10入りは、
彼の功績によるものも多いのでは、
と、思いましたね。
その後も、Nさんに連れられて、
ラジオ局、テレビ局、新聞社、
などを精力的に回り、
この日のキャンペーンは終了。
「さあ、夜も更けた。
仕事はこのくらいにして、
パーッと飲みに行きましょう。」
とNさん。
まずメシを食い、
Nさんの行きつけのスナックへ。
ここでNさん、
得意の「骨まで愛して」を熱唱。
(ちなみに当時のカラオケは、
8パックのカセット)
たかしな君はもちろん「涙の海峡」。
A課長はおハコの「おんなの道」。
私もヘタな唄を一曲。(何だか忘れました。)
みんなで飲んで唄って
ドンチャカドンチャカ♫
Nさん、ますます上機嫌になり、
「いやあ、気分がいい。
もう一軒行きましょう、もう一軒。
ママお勘定。」
するとA課長、
「いやここは私共におまかせを。」
Nさん、
「悪いですなあ、じゃ次は私が。」
と、こんどはおネエちゃんのいるクラブへ。
ここでも唄って、騒いで、
ドンチャカドンチャカ♪♪♫
以下、私とNさんの会話。
N「しかし、君は若いのにいいもの作るねえ。
さすがアルファだ。
実にアイディアがいい。」
私「いや、そのぉ…、
ちょっと面白がって作っただけでして…、
ええと、はい…。」
N「ご謙遜、ご謙遜。
うちの演歌のディレクターなんて、
最近ロクなもの作りゃしない。
あなたの爪のアカでも飲ましたいものですよ。
ガハハハハ〜。」
私「いや、あのぉ…、実は私、
演歌というのはそんなに詳しくなくて…。
ちょっと興味本位で作っただけの…。
あのぉ…。」
N「いや、サウンドがいい。
演歌もこうした、
新しいチャレンジをして行かなくちゃ。
ガハハハハハ〜〜。」
私「いや、その、私元来、
ジャズとか、ポップスとかの方が、
あの、なんというか、ま、得意というか…。」
N「いや、そういう人が演歌を作ってくれる。
A課長!
演歌の未来は明るいですな。
ガハハハハハハハハ〜〜〜。」
ここで、
調子にのったA課長が割り込んでくる。
A課長
「そうですとも!
この宮住は、当社のホープでして。
これからもどんどん、
演歌を作らせますから。」
私「(よけいなことを……)」
N「いやあ、痛快、痛快!!
さ、あしたも早いんでしょ。
ママ、お勘定。」
すると、またしてもA課長
「いや、ここも私が。」
「課長大丈夫ですか?
ここ高そうですよ…。」
と私。
A課長
「大丈夫、大丈夫。
いっぱい仮払いしてきたし、
どうせあした一番で帰るんだから。」
ちなみに、当時我々庶民は、
「キャッシュ・カード」というものを、
持ってはいませんでした。
支払いはすべてキャッシュの時代。
キャッシュ・ローンもサラ金も無い時代。
でも、
Nさんの悪乗りをみて、
すっかり嬉しくなったA課長。
仮払いの金を、
惜しげもなく、ほぼ使い果たし、
「さ、あしたは早い。帰って寝るぞー。」
と、3人ともフラフラの千鳥足で、
宿泊先の名古屋ステーション・ホテルへ、
戻ったのでした。
おやすみなさーい。
zzz…。
朝が来ました。
すっかり二日酔いの3人は、
隣接している名古屋駅へ。
すると…、
駅の構内に入るやいなや、
こんな看板が、
大きく貼りだされていたのです。
「本日ストライキのため、
すべての運行は、
ストップしています。
運転再開のメドは立っていません。」
「ん?。
新幹線が動いていない…?。
……。」
(つづく)
(感想 2007/1/29)
そういえば、
この週末。
我がジャミン・ゼブも、
名古屋、大阪で、
プロモーション・キャンペーンです。
テレビやFMの出演。
新聞の取材etc.
盛りだくさんのスケジュールが、
組まれてるようです。
がんばってきてくださいよー。
私はお留守番。
しっかり、アレンジしますからねー。
(の、つもり…。)
SHUN MIYAZUMI
January 22, 2008
演歌と私 その2
テレビの力はすごいですねえ。
フジテレビ『 FNNスピーク 』(1/17)
テレビ朝日『 題名のない音楽会 21 』(1/20)
のオンエア後、
ジャミン・ゼブ・ブログの訪問者数は、
大爆発です。
さらに、
「初めて見た」という多くの方からも、
たくさんの“応援メッセージ”、“出演依頼”
を頂きました。
ありがたいことです。
ますます、
頑張らねば…。
と言いながら今日も、
私の若かりし頃のお話です。
これは、
ちょっぴり苦い思い出…。
2005年03月05日 No.103
演歌と私 その2
海峡越えてくあ〜なた〜♪
私を捨ててくあ〜なた〜♪
私の、
初の演歌プロデュース作品、
『涙の海峡』をひっさげて、
たかしな真(しん)君は、
元気に全国キャンペーン
に出かけました。

すると何週間か経って、
東芝から嬉しいニュースが、
飛び込んで来たのです。
なんと、
あちこちの有線で、
‘ベスト10’入りしてるというのです。
しかも神戸や宇部では、
1位にランクされてるというではありませんか!!
こりゃひょっとするとひょっとするぞ…?。
東芝もアルファも、
急に色めき立ってきました。
もしかすると、
新米ディレクターの私にとって、
初の大ヒットになるかもしれない…。
こうなると、
私も何か応援しなくては……。
さて、ここでひとつ質問です。
今、ヒットを作るための宣伝施策のひとつに、
「カラオケ」がありますね。
でも、まだ「カラオケ」が、
そんなに普及していない当時。
それに類する媒体、
(と呼べるかどうかは別にして)
があったのですが、
さて、それは何でしょう?
……。
答えは…?
そう、「流し」。
当時、新宿あたりの酒場街に行くと、
ギターをかついだお兄さんがいっぱいいました。
これが「流し」。
スナックや焼き鳥屋にすーっと入ってきて、
「お客さん、一曲いかがです?」
すると酔ったお客が、
何かリクエスト。
それをギターを弾きながら、
唄ってあげるのです。
時にはお客の好きな唄を伴奏してあげる。
一曲100円か200円で。
この「流し」を、
うまく活用できないだろうか…。
そこで、またしても、
東芝の大プロデューサー、
渋谷森久さんに、
相談を持ちかけました。
すると、
そっ歯をむき出しにして、
つばきを飛ばしながら、
彼はこう言ったのです。
「そりゃ、宮住なあ、
新宿の大久保徳次郎のところに行きな。
奴は「流し」の総元締めよ。
奴が乗ったら、
新宿界隈の「流し」が唄いまくってくれるぜ。
ただし気難しい奴だから丁重にな。」
さっそく私は、
会社に稟議をきって、
いくらばかりかの謝礼と、
レコードと、譜面を持って、
歌舞伎町にある,
彼の定宿に出かけました。
そこは大きな、
古びた焼鳥屋。
手前にカウンターとテーブル。
そして奥が畳座敷になってます。
その座敷の一番奥に、
たった一人で、
ドカーンとあぐらを組んで、
いましたよ、いましたよ!
大久保徳次郎さん。
(徳二郎さんだったかな?ごめんなさい)
おそるおそる私は、
座敷にあがって、
深々とお辞儀をし、
冷や汗たらたらで、
こう切り出しました。
「あのお、私、
ディレクターになってまだ駆け出しの、
若輩者の、ふつつか者でございますが…、
こ、このたび、
生意気にも演歌を作りまして、
ええ、まあ、お気に召しましたら、
な、何とぞご支援を賜りたく……。」
なにせ、
曲はコテコテの演歌には違いないが、
サウンドといえば、
当時流行りの、
シルヴァー・コンベンションもどきの、
‘サンフランシスコ・ディスコサウンド’
のパロディ。
ドラムは、ドンツクドンツク。
ワウのかかったエレキ・ギターが‘ワカチュク’。
黒人のお姉さんばりのコーラスぎんぎん。
若気のいたりで、
面白可笑しく作っちゃった、
極めて‘無責任’な問題作。
ひとことで言えば、
和菓子の上に、
生クリームをかけたような異種混合物。
「バカヤロー!これのどこが演歌だ!
出直してこい!」
と言われても仕方ないような代物。
それでも大久保老人、
目を閉じて、
蓄音機から流れる音をじっと聞いている。
(そう「蓄音機」という表現がぴったり。
とてもオーディオ・セットという感じではない。)
ハラハラ、ドキドキしながらじっと座ってる私。
もじもじ…。
すると聞き終えた大久保さん。
こう切り出しました。
「いやあ、なかなかいい曲ですなあ。
あなた、お若いのに、
こうした演歌に挑まれるとは見上げた根性だ。
よろしい! 協力しましょう。」
と言って、
店の若いのを呼びつける。
「オイ、◯◯をすぐに呼べ!」
ホッと胸をなでおろす私…。
すると10分足らずで来ましたよ、
◯◯さん。
「◯◯、この曲の譜面を600部刷って、
みんなに配って、覚えるように言え。」
と大久保老人。
「ヘイ!」
と立ち去る◯◯さん。
当時、新宿界隈だけで、
5、600人もの「流し」のお兄さんがいたそうです。
「カラオケ」の普及で、
真っ先に職を失ったのは、
この人達でしょうか…。
余談ですが、
あの北島三郎さんも、
「流し」の出身。
たまたま業界の人に酒場で出くわして、
その素晴らしいノドをスカウトされたそうですね。
さて、こんなことをやってる間も、
「涙の海峡」は、
全国の有線でガンガン上昇!!
一ヶ月後には、なんと、
全国チャートで、
‘ベスト10’に入ったのです。
発売日を目前にして、
我々の興奮は、
ますますエスカレートしたのでした…。
(つづく)
(感想 2008/1/22)
それにしても、
寒い…。
ぶるぶる。
いよいよ、
冬本番ですかねえ…。
でも、
寒い冬には、
なぜか演歌が、
よく似合うんですねえ。
北国、雪、熱燗のお酒、鍋、おでん、焼き鳥、
カラオケ・スナック、港町、悲しい女…。
えっ?、
わかったようなこと言うな、
ですって?
はい、すみません…。
SHUN MIYAZUMI
January 16, 2008
演歌と私
あっと驚くタメゴロ〜〜!
またかよ〜。
今度は何…?
いやね、
今日もまた私のブログの訪問者数が、
凄いことになってるんです。
現在、夜の11時で、
早くも230!?
ジャミン・ゼブの間違いではないのか…?
で、調べてみたら、
またまた『タモリ』
でした。
「日経トレンディネット」というサイトに、
『タモリ3 戦後日本歌謡史』
のお話とともに、
私のブログが紹介されてるんですね。
それによると、
『タモリ』『タモリ2』
『ラジカル・ヒストリー・ツアー』
という3枚のアルバムが、
先月、CDで再発されたそうなのです。
そのうち、
最初の2枚は私のディレクター作品。
1977年、78年の発売と、
書いてありましたね。
どっちも現在、
オリコン50位以内にランクされてるそうです。
しかし、
『タモリ3 戦後日本歌謡史』
この発売だけは、
やっぱり、
だめ!
なぜダメかは、
「このブログをお読み下さい。」
というわけなのですね。
奇遇ですなあ…。
去年の9月に、
この『タモリ3 戦後日本歌謡史』
を書いたときには、
こんな騒ぎになるとは、
想像もできませんでした。
まったくの偶然です。
私のブログは、
えてしてこういう偶然が起こる。
……。
今年は、
なにが起きますことやら…。
こうなると、
『タモリ』『タモリ2』のお話も、
いずれ書かなくてはいけませんね。
その前に、
今年は、
こんなお話からいきましょう。
やはり同じ頃、
私がプロデュースした、
『演歌』
のお話です。
冬には演歌が、
よく似合う…?
2005年02月27日 No.102
演歌と私
プロフィールには載せませんでしたが、
実は私、
過去に一度だけ、
‘演歌’をプロデュースしたことがあります。
今を去ること約30年前。
アルファのディレクター時代。
まだ24才の、
青二才の頃でした。
当時アルファの取引銀行だった、
「第一勧業銀行」
(今、なんていうの?)
そこの一社員が、
仙台に転勤になった。
望郷の念にかられた彼は、
ある一曲の演歌に心うたれ、
毎夜毎夜、
近所の居酒屋で、
その曲を歌っていたそうなのです。
まったくヒットはしておらず、
おそらくは誰も知らないであろう、
とあるコロムビアの女性演歌歌手が、
歌っていたその曲のタイトルは…、
『涙の海峡』!!
(作詞:鳥井実、作曲:猪俣公章)
海峡越えてくあなた〜♪
私を捨ててくあなた〜♪
ところが…!
その唄は、
静かなブームを呼び、
有線にリクエストが殺到しはじめ、
仙台では、
ひそかなヒットになりつつあった。
そんなエピソードが、
銀行のお偉いさんから、
アルファ社長、村井邦彦さんに、
伝えられました。
好奇心旺盛な村井さん、
そしてアルファが、
これをほっておくわけありませんね。
「おいシュン、これやれ。
ただし、ちゃんと、
アルファらしさ、新しさは残すんだぞ。
普通には、やるなよ。」
またです…。
でも、面白そうだったので、
やることにしました。
ま、「普通にやるな」
と言ってくれてるわけだから、
どうやっても、
大目にみてくれるだろう、
と、考えたあげく、
東芝の大プロデューサー、
「クレージー・キャッツ」のヒットを連発した、
渋谷森久さんにも相談した結果、
私の選んだ作戦は…、
‘ディスコ演歌’!!!
(何とも‘色物’っぽいコピーですなあ。
今にして思えば…。)
これぞ‘演歌’のなかの‘演歌’
という古くさい曲を、
当時流行りの、
ディスコ・サウンドにのっけてやっちゃえー、
という、
これぞ‘無責任’企画。
唄ってもらったのは、
それまで関西フォークを唄ってた、
‘たかしな真(しん)’という、
カッコいいお兄ちゃん。
ポンタ(村上)だの、
岡沢章(ベース)だの、
バリバリのスタジオ・ミュージシャンを集めて、
アレンジの川口真さんと、
ワル乗りしながら、
作ってしまいました。
そしたら、意外にも、
アルファの販売元の東芝が、
大乗り!
これまた悪乗り…!
事務所までつかまえてきて、
全国的に大キャンペーンをやるというのです。
そんなわけで、
この「たかしな」君。
黒のタキシードにスニーカー。
胸に赤いバラを刺した、
斬新なコスチュームに身を包み、
2ヶ月にも及ぶ、
全国キャンペーンに出かけたのでした。
当時はまだカラオケが無い時代。
各地の有線の放送所に押しかけ、
むりやりかけてもらったり、
レコード店での店頭演奏。
夜はスナックやバーを廻っての売り込み。
私も1、2度付きあいましたが、
無名の歌手ゆえ、
たいていは冷たい反応。
本当に大変な努力がいるわけです。
ヒットを出すということは…。
でも事務所のマネージャー、
地元の東芝の宣伝マン、
みんな、がんばってましたね。
ディレクターとか、
プロデューサーとか呼ばれると、
つい自分が偉くなったような気がしてた、
生意気盛りの私でしたが、
この体験は、
いろんな意味で、
本当に勉強になりました。
さて、
書いてくうちに、
どんどん記憶が蘇ってきましたよー。
次回をお楽しみに…。
(つづく)
(感想 2008/1/16)
かつて、
「ジャズまくり時代」
でも書いたように、
私が学生時代の六本木は、
静かな街でした。
そして、
お洒落なジャズ・クラブが、
あちこちに…。
それから、2、3年後。
六本木は、
まるで別世界に、
なってしまいましたね。
あちこちに、
ディスコ、ナイト・クラブ、
そしていかがわしい風俗店が、
見る見るうちに増えていく…。
これは、
そんな頃のお話です。
懐かしみながら、
更新しちゃいます…。
SHUN MIYAZUMI
January 10, 2008
私の映画ベストテン 2007
きょうは、
新春企画第二弾!
去年、私が観た映画のなかから、
印象に残ったものを、
ランキング形式で、
お送りしたいと思います。
映画好きの私は、
例年、100本くらい観るのを
目標にしているのですが、
昨年後半は多忙につき、
半分くらいしか観ることができませんでした。
でも、
なかなかに素敵な作品が、
いっぱいありましたね。
まだご覧になってない方、
どうぞ参考にしてみて下さい。
ただし、
ほとんどはレンタルDVDで観たものなので、
古いものもたくさんあります。
映画通の方からは、
「なあんだ、それ随分昔の作品だよ。」
とお叱りを受けるかもしれませんが、
あくまで、
‘私が初めて観た’
ということで、
ご容赦。
1.ゴスフォード・パーク(Gosford Park)
1930年代のイギリス貴族とその従者たちの、
複雑な人間模様が見事に描かれています。
まるで、アガサ・クリスティの如き世界が、
絢爛豪華な画面いっぱいに繰り広げられる。
英演劇界の名優がずらりと登場。
即興でやったという食事シーンなどなど、
見どころ満載です。必見!
2.インサイド・マン(Inside Man)
文句無しに面白かった。
これぞ究極の完全犯罪!「頭いい〜〜。」
『ゴスフォード・パーク』でも渋い演技を魅せた、
クライヴ・オーウェンに、
デンゼル・ワシントン、ジョディ・フォスター
といったオスカー俳優が見事に絡んで行きます。
監督は鬼才スパイク・リー。
3.フォン・ブース(Phone Booth)
ニューヨークの昼下がり。
ある日何気に立ち寄った電話ボックスに、
かかってきた一本の電話。
「電話を切ったら殺す!」
見えない敵に、次第に追い詰められていく男を、
コリン・ファレルが見事な一人芝居で魅せます。
これ観て、一発で彼のファンになりました。
4.サイドウェイ(Sideways)
ワイン好きの人にはたまらない映画でしょうか。
ワイン好きのダメ男と、
親友のプレイボーイ男が、
‘人生の寄り道’と洒落こんだ珍道中。
主役のポール・ジアマッティが、
いい味の演技を見せてくれています。
普段見れないカリフォルニアの田園風景も、
新鮮でした。
5.ターミナル(The Terminal)
トム・ハンクスは、こうした、
ちょっと間抜けな、それでいて憎めない、
ひょうきんな役をやらせたら天下一品ですね。
『フォレスト・ガンプ』は言うに及ばず、
『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』の、
冴えない刑事役も素敵でした。
そこへいくと『ダヴィンチ・コード』の、
真面目くさった役だと、逆に不満が残るのです。
「別に彼じゃなくてもいいのに…。」
6.ボーン・アイデンティティ(The Bourne Identity)
マット・デイモン主演のアクション映画。
続編の『ボーン・スプレマシー』も観ましたが、
アクション系では、この二つが一番良かった。
ヨーロッパの美しい景色も満載で、
ピアス・ブロスナンの007より、
ずっと楽しめました。
7.カポーティ(Capote)
トルーマン・カポーティの名作『冷血』。
これが誕生するいきさつを描いた伝記映画。
暗い映画ですが、
なんと言っても主役の、
フィリップ・シーモア・ホフマンの演技。
圧倒的でした。素晴らしい!
オスカー取ったのかなあ?
8.彼と彼女の第2章(Forget Paris)
1995年の作品だそうです。友人に借りました。
『アナライズ・ミー』『アナライズ・ユー』で、
コミカルで軽妙な演技を披露してくれた
ビリー・クリスタルが監督、主演した、
ロマンティック・ラブコメディー。
どこかタッチがウディ・アレンに似てて好きです。
かつて『愛と青春の旅立ち』で、
リチャード・ギアの恋人役を演じていた
デブラ・ウィンガーが年をとってて、
いい女になってるんだなー、これが…。
9.マッチスティック・メン(Matchstick Men)
これ2003年の映画。
で、びっくりしたのが煙草吸うシーンの多いこと。
最近では希有なこと。
主役のニコラス・ケイジも、共演者も、
果ては娘(?)に到るまで、
みんなパカパカ、プカ〜〜ッ。
これって舞台はロスでしょ?
……。
その逆が『サンキュー・スモーキング』という映画。
「煙草アカデミー」に勤める男が、
‘禁煙ブーム’に敢然と立ち向かう。
私なんぞ「そうだ、いけいけ〜〜」とエール。
ところがこの映画。
煙草吸うシーンは一回も無いんですね。
……。
10.プロデューサーズ(The Producers)
悩んだあげく、最後の一本はこれ。
「えー、なんでー?」
そう、確かに、こんなくだらない映画も珍しい。
喜劇なのに、笑えないギャグの連発。
大げさなクサい芝居の品評会…。
でもね、 これって
「絶対に失敗するミュージカルを作ろう!」
がストーリーなのです。
すると映画全体にも、そのトリックが…。
そう思ってもう一度観ると、
やはり製作者のしたたかな作戦が読み取れる。
エンタテインメントに関しては、
あなどれませんよ、
アメリカという国は…。
いやあ、10本選ぶのって大変だー。
他にもいい映画いっぱいあったのですが、
きりがないので、もうヤメ。
今年は、どんな映画にめぐり会うのでしょうか。
楽しみです。
しかし、
暇な夜に、ひとり映画を観て、
こうしてランキング。
私もかなり‘おたく’ですかね。
ちょっと暗いかも…。
SHUN MIYAZUMI
January 04, 2008
私の10大ニュース 2007


明けましておめでとうございます。
今年も晴天に恵まれ、
穏やかな、
いいお正月でしたね。
今年も一年、
よろしくお願い致します。
というわけで、
去年に引き続き、
こんな‘幕開け’といきましょう。
『 私の10大ニュース 2007 』
2007年は私にとって、
どんな年だったのでしょうか。
1. どこまで行くのだ“ 禁煙ブーム ”
5月。親父の墓参り(甲府)に行くため、
中央本線の特急「 あずさ号 」に乗るものの、
「 JR東日本では、3月より全車両禁煙です。」
のアナウンスを聞いて愕然…。
楽しいはずの旅行が、一転して‘イライラ’の旅。
その後も、
10月の「 ぱしふいっくびいなす号 」の船旅。
(エッセイ「 ぱしふいっくびいなす号航海記 」参照)
丸の内(千代田区)のジャミン・ライブの際の
「 喫煙所探し 」と、
後半は、煙草のストレスが最高潮に達しました。
今年も、ますますエスカレートするんでしょうね、
‘禁煙ブーム’
……。
2. エロ・ダンサー、河野秀夫 逮捕(2月)
平穏な私のブログに、突如飛び込んで来た
‘248’という膨大な訪問者数。
でもほとんどが、「 ダンサー河野秀夫逮捕 」
を検索して引っかかってきたものと判明。
私の相棒のベーシストと同姓同名のダンサーが、
わいせつ容疑で逮捕されたらしい。
人騒がせなやつだ。
しかし、ライブにおけるMCネタには、
事欠きませんでしたね。
(すまん、河野)
3. 植木等さん逝去(3月)
私が‘心の師匠’と慕う植木等さんが、
お亡くなりになりました。
うう、悲しい…。
前年の青島幸男さんに続いて、
またひとり偉大な人を失いました。
今年は、彼の出演映画すべてを手に入れ、
再度観るつもりです。
4. あっと驚くタメゴロー(4月)
このタイトルで、エッセイにも書きましたが、
地元学芸大の居酒屋で、
‘101才の老人’と一緒に飲みました。
この爺さん、まだまだ元気そのもので、
一日5合の日本酒を飲んでおります。
めざせギネス!
5. 30年ぶりに四国に行く(6月)
これもエッセイ「 四国 」に書きましたが、
いとこの息子の結婚式に参列するため、
30年ぶりに母の故郷を訪れました。
まるで‘浦島太郎’の心境でしたが、
相変わらず瀬戸内海は、
美しかった…。
6. 佐賀北高校、さわやか全国制覇(8月)
夏の甲子園。
下馬評最下位、無名の進学校「 佐賀北 」が、
いわゆる‘野球校’という強豪を次々となぎ倒し、
見事全国制覇。
これぞミラクル!
前年の‘ハンカチ王子’に続いて、
‘さわやか旋風’吹き荒れる。
今年は音楽界にも、
‘さわやか旋風’が吹くといいのですがね。
(ん?意味ありげ…)
7. イチロー、「 MLBオールスター 」でMVP(7月)
彼が打ったランニング・ホームランに興奮し、
「 やった〜〜! 」と飛び上がった瞬間、
私はギックリ腰をわずらいました。
ところでこのイチロー、
昼メシは、毎日‘カレーライス’だそうです。
毎日…。
完璧をめざすプロフェッショナルとはいえ、
なにも昼メシまで徹底する必要は、
ないと思うんですがねえ…。
8. 「 タモリ3 戦後日本歌謡史 」(9月)が大反響!?
この「 タモリ3 戦後日本歌謡史 」というシリーズを、
書いてからというもの、
私のブログの訪問者数は激増しました。
調べてみると、
いろんな方が、
「ここに当事者だった宮住氏のブログがある。
これは必読です。」
といった推薦をされてるんですね。
すごいですね、インターネット時代。
ちょっと複雑な気もしますが…。
さて、最後の二つは、去年の10大ニュースを受けて、
9. 六本木「三州屋」復活!(10月)
前年、突然閉店して私を哀しませた、
肴の美味い居酒屋「 六本木 三州屋 」が、
別の場所で復活しました。
私の大好きな「 焼きタラコ 」や「 すじこおろし 」
そして「 生タマゴ 」の無料サービスも健在です。
ただし、今度の店は狭い。
10人も入ればいっぱいです。
だから、場所は教えません。(せこいぞ!)
「 東京ミッドタウンのそば 」
とだけ、言っておきましょうか。
10. ジャミン・ゼブ号 好発進(10月〜)
去年の今頃は、
まだグループ名も決まっていませんでした。
それが、
あれよあれよという間にメジャー・デビュー。
その後の活躍は、彼らのブログ(ZEBLOG)の、
「History」をご覧いただければわかります。
おかげさまで、
素晴らしいスタートになりましたね。
今年が本当に楽しみです。
さあ、2008年。
今年はどんな年になるのでしょうか。
みなさん、
素晴らしい一年でありますように!
はじまり、はじまり〜。

SHUN MIYAZUMI