April 2008

April 28, 2008

東京ドーム・前編


ゴールデン・ウィークも間近。

そして毎年、
この季節になると、

TVの前で、
プロ野球中継にかじりつくことが、
多くなります。


プロフィールにもありますが、
私は大のスポーツ観戦オタク。

なかでも野球が、

一番のお気に入りです。

毎日、NHKのBS放送でやってる、
メジャー・リーグ中継は、
時間の許すかぎり観ております。

(許さなくても、観る場合もある…。)


メジャー・リーグ…。

今年も興味は尽きませんねえ。


イチローは、
今年も200安打打つのだろうか?

松井秀喜の膝はどうなんだろう。
完治したのか?

新加入の福留(カブス)、黒田(ドジャース)は、
活躍できるのだろうか?

くう〜、たまらん…。


そんなメジャー・リーグの開幕戦が、
なんと今年は、
日本で行なわれました。

3月25日、26日の両日。
場所は「東京ドーム」。

みなさん、
よくご存知ですね。


昨年度ワールド・チャンピオン
「ボストン・レッドソックス」
      対
西海岸の名門チーム
「オークランド・アスレチックス」


その開幕セレモニーで、
わがジャミン・ゼブが、
光栄にも、
二日間にわたって、
両国国歌を唱うことになろうとは…。


3月は、
本当に大舞台の連続だったジャミンですが、

なかでも極めつけは、

やはりコレでしょうね。


時間がかなり経ってしまったので、
話題としてはどうかな、

とも思ったのですが、

こんな話は、
そうそうあるもんじゃ、
ありませんからね。

一応、記念に、

レポートしておこうと思います。



3月25日(火)

野球の練習が始まる前に、
セレモニーのリハーサルをやりましょう。

ということで、
我々は朝10時に、
「東京ドーム」集合。

人気のないドームの、
5万人を収容するというスタジアムの、
人工芝に足を踏み入れた瞬間、

レンセイは、
「な、なんだコレ〜。」

コージローは、
「ち、ちょっと、マジかよ〜。」

と、興奮気味。


そして、マイクを渡されて、
アメリカ国歌をア・カペラで歌いだした、
その瞬間、

ワーン、ワーン、ワーンと、
ドーム中に響き渡る残響。


 080325 Dome 05


最初は、音をとるのに、
四苦八苦という感じでしたね。

そんな光景は、
3/27に放送された、
フジテレビ「FNNスピーク」でも、
紹介されておりました。


 080325 Dome 02


そして、

私は、といえば、

「ああ、本当に、
 やつら、ここで唱うんだ…。」


何とも言えない、
身震いがするような感動に、
しばし呆然。


しかし、

私が舞い上がってはいけない。

いけない…。


私は感動と身震いを胸にしまいこみ、
平然とした表情で、
かつ、彼らの緊張をほぐそうと思い、

こう言いました。

「いいか、本番は、
 みんな楽しむんだぞ。
 こんな機会は、
 滅多にないんだからね。」

するとリーダーのコージローが、
メンバーを代表して、
とびきりの笑顔で、

「ええ、もう十分楽しんでます。」

(……。い、いい度胸だ…。)


ところが、ここに、

もうひとり楽しんでる男がいました。


わがスタッフの、
Y浅ショージこと、
ショーちゃん。

この男も、
私に負けず劣らずの、
野球オタク。

さっそく3塁ベンチに入り、
監督になりきったポーズで、

「おい、シモン。
 一枚撮ってくれ。」

「……。」


 080325 Dome 01


そんな、

約30分のリハーサルも無事終了。


ここで、いったん解散して、
夕方5時に再集合。

早くもドームには、
どんどん人が集まり始め、

まさにお祭りムード一色。


そして私たちは、
パスをもらって、
「関係者入り口」から、
中へ入る。

そのまま地下通路から、
グラウンドに出ることができるので、
メンバーを楽屋に入れると、

私は、すぐさまグラウンドに。


 080325 Dome 03


「おお…!」

目の前で、
オークランド・アスレチックスの選手が、
バッティング練習をしている。

一塁側のベンチ前には、
レッドソックスの選手たちが、
キャッチ・ボールをしたり、
ストレッチをしたり。

それを取り巻く、
多くの報道陣や野球関係者。

その中に、

私もいる…。


私もいる〜!


「おっと、そこにいるのは東尾ではないか。」

「おお、後ろにいるのは、
 フランコーナ(レッドソックスの監督)だ。」

「あ、ラミレスがいるぞ。
 うわー、オルティーズだ。
 でっかいなあ…。」


はい、もういけません。


私、この音楽界、芸能界には、
長く生息しておりますゆえ、
身近に芸能人がいても、
なんの感慨も起きませんが、

野球選手がいると、

もうダメです。


その瞬間に、

顔は赤らみ、
胸の鼓動は高鳴り、

一(いち)少年に逆戻り。

「あ、あの〜、
 サ、サインしてください…。」

などと、
口走ってしまいそうになる。


ましてや、

普段テレビでしかお目にかかれない、
世界のプレイヤーたちが、
すぐ、目の前に、
手の届くところにいるんですからね。


と、そこへ、
ジャミンの連中もやってくる。

「おお、本物だ。
 すげえなあ。
 でかいなあ。」

と、これまた感動のご様子。


ええ、彼らはいいんですよ。

彼らは。

若いんですからね。


でも、いい年とったオッサンが、
赤ら顔で、
興奮してちゃ、
話になりません。

ここでも私は、
ぐっと感情をこらえて、
さも、何事でもないかのように、

「ハッハッハッ、
 いやあ、君たちも、
 いい経験をしてるねえ。」

などと、
悠然と口走る。


しかし、内情は、

まったく逆です。

アハハハ。


そんなとき、

またもY浅ショージこと、
ショーちゃんが、

バッティング・ケージのところに立ち、
さも、スポーツ・キャスターのような顔で、

「おい、シモン。
 一枚撮ってくれ。」

「……。」


 080325 Dome 04


そんな間にも、

お客さんはどんどん増え、


場内の熱気は、

否が応でも、


高まっていくのでした…。


(つづく)



ちなみに、
わが愛するスタッフ、
Y浅ショージこと、
ショーちゃん。

(ほとんど、匿名になっていない…。)

神奈川生まれ育ちのくせに、
熱狂的‘トラキチ’です。

そして、
彼が球場に応援に行くと、
まず‘絶対’と言っていいほど、

阪神は、

負ける。

可哀想なくらい、
阪神は勝てません。


一度、

阪神に久しぶりに優勝のかかった試合が、
横浜球場でありました。

途中経過をTVで見ていると、
3回を終って、
7-0で阪神リード。

「よかった、よかった。
 今日こそは勝てそうだ。
 さぞやショーちゃんも、
 お喜びだろう。」


ところが、

4回くらいから、
横浜の猛反撃が始まり、
1点、また1点と追い上げられ、

あろうことか、

9-7で、
逆転負けを喫してしまったのです。


私は、

「もしや…?」

と思い、

彼に電話しました。


「ねえ、ショーちゃん。
 もしかして今日、
 横浜球場に行かなかった?
 それも4回くらいから。」


すると彼、

驚いたように、
こう答えたのです。

「どうして、知ってるんですかー?」


「……。」



SHUN MIYAZUMI



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2008 エッセイ | jammin' Zeb インフォメーション

April 20, 2008

ジャカルタ その6(最終回)


長々と続いたジャカルタ・レポも、
今日が最終回。

そんな折、

またまたタイミング良く、
こんな番組に出演することになりましたよ、
ジャミン・ゼブ。


3月25日(金)
NHK BS-1
「アジア・クロスロード」(16:40〜17:58)

「アジアに響け 4人のハーモニー」
ということで、
ジャカルタ道中記を中心に、
15分くらいの出演だそうです。

お時間のある方、
どうぞ、見てやって下さい。


さあ、
そんな道中記の最終日は、

いったい、
いかなることが、

待ち受けていたのでしょう…。



「ジャカルタ・レポート その6(最終回)」


感動のライブから一夜明けた、

3月10日(月)


昨夜のライブ終了後、
プロモーターのWirastiさんから、

「明日早朝に、
 FMの取材を一本お願いします。」
と言われていたので、

朝8時。

眠そうなジャミン共々、
ロビーに集合。


ところがです。

彼女から渡された、
今日のスケジュール・メモを見て、

一同仰天!


なんと…、

FMの‘生放送’出演が3本、
有名女性誌の取材、
ジャカルタ新聞の取材、

などなどが、

タイム・スケジュールとともに、
びっしり書き込まれており、

ホテル戻り時間は、
夕方の6時、

と、なっている。

……。


彼女曰く、

昨夜のライブには、
地元メディアの人も多数来ており、

みなさん、
ジャミンのライブに感心し、
急遽、
出演や取材がバタバタと決まった、
と言うのです。


いやあ、
これは喜ばしいこと。

どうせ、
飛行機は深夜の0時だ。
時間はたっぷりある。

「よし、行こうじゃないか!」

とばかりに、

彼女が手配してくれた、
2台の車に分乗して、

意気揚々と、
ホテルを出発したのでした。


最初に到着したのは、
インドネシアでも最大と言われている、
FMステーション。

『DELTA FM』

それは、
丸の内、日比谷、
といった感じの、
オフィス街の一角にある、
近代的なビルの中にありました。


さっそく、
今日の番組のDJの男性がやって来て、

「こんにちは、ジャミン・ゼブ。
 いやあ、きのうのライブは、
 素晴らしかったよ。(Marvelous!)
 さ、いろんな話を聞かせてくれよ。」

080310 Jakarta 1

そして、メンバー、
彼とともにスタジオに入り、
番組スタート。

080310 Jakarta 2


この番組は、
インドネシアでも人気の音楽番組で、
スラバヤを始め、
6大都市でもネットされてるそうです。


ここでも、
会話はすべて英語。

したがって、
ジャミン・チームは、
今日もレンセイが主役です。

普段は、
たどたどしい日本語で、
悪戦苦闘のレンセイが、
メンバーを代表して、
嬉々としてインタビューに答えてる樣は、

頼もしくもあり、
可笑しくもありましたね。


番組は、
4曲のオンエアを含め、
30分にも及ぶ、
素晴らしいものでした。

さっそく、
これを聴いた、
地元の大手コンサート会社から、
局に問い合わせがあったそうです。

いいぞ…。


それにしても、
今日のジャカルタは、
いい天気だこと。

080310 Jakarta 3


お次は、
車を飛ばすこと約1時間。

080310 Jakarta 4

ぐっと庶民的な雰囲気の街並の中にある、

『radioA 96.7FM』


ここは、
ブースが、
飛行機のコックピットのような、
模型の中にある、
こじんまりしたFM局でした。

080310 Jakarta 5

DJは可愛い女の子。

彼女の英語も、
実に流暢だ。

「ハーイ、みんな昨日のジャワ・ジャズ、
 行ったかなー?
 きょうは、そんなジャワ・ジャズに出演していた、
 ジャミン・ゼブが来てるよ。

 ハーイ、ジャミン・ゼブ。
 きのうは盛り上がったねえ。」

080310 Jakarta 6

そして、
楽しいトークの後、
またしてもア・カペラのリクエスト。

もちろん、
喜んでご披露するジャミン。


『BYE BYE BLUES』
を歌い終えると、
それまでデスクで仕事をしていた局員が、
一斉に立ち上がって拍手。

前の放送局同様、
私も、いろんな人から声を掛けられましたが、

まあ、みなさん、
英語がお上手です。

まるで母国語のように喋る。

これには、
本当に驚きました。


さてお次は、

再び都心に戻って、

『999 Fm』

ここも近代的なビルの中にある、
見晴らしのいいスタジオ。

080310 Jakarta 7


この番組のオンエア中、
リスナーの若い男の子から、
電話が入って来たので、
DJの女性がつなぐ。

DJ「ジャミン・ゼブ、
  ◯◯君から電話が入ってるんだけど、
  喋ってあげてくれる?」
ジャミン一同「もちろん!」

◯◯君「こ、こんにちは、ジャミン・ゼブ。
    ぼ、ぼくは◯◯です。
    きのうのジャワ・ジャズは最高でした。
    こ、こんどは、いつ、インドネシアに、
    来てくれますかぁ?」
(ちょっと緊張気味)

レンセイ「ハーイ、◯◯君、ありがとう。
     まだ決まってないけど、
     また絶対来るからねえ。」


すると今度は、
△△ちゃんという、
若い女性からファックスが入ったそうだ。

それをDJが読み上げる。

「こんにちは、ジャミン・ゼブ。
 ジャワ・ジャズ感動しました。
  (…中略)
 また絶対、ジャカルタに来てねー。」

レンセイ
「△△ちゃん、ありがとう。
 これからもジャミン・ゼブを応援してねー。」


(おいおい、
 こりゃ、アイドル・スターだぜ…。
 どうなってんの、ジャミン…?)
             

ここで、やっと休憩。

時計を見ると2時。

そういえば、
メンバーも私も、
朝から何も食べていない。

Wirastiさんがお気に入りの、
美味しいインドネシア・レストランに、
連れて行ってくれました。

ジャミン一同、

「やったー!」


私も、昔から、
インドネシア料理大好きですからね。

ひそかに小躍りしました…。

(ウッシッシ)


というわけで、

いただきまーす。

080310 Jakarta 8


はい、ごちそうさまでした。


「さあ。急ぎましょう。」

お次は、
有名な女性誌を数多く出している、
出版社に向かう。

と、ここで、

私はあることに気がつきました。


ジャカルタの道路は、

信号がない…。


大都市ジャカルタは、

東京に負けず劣らず、
ものすごい車の量で、
どこへ移動するにも、
かなりの時間を要するのですが、

それにしても、
信号というものを、
一度も見た事が無い。

何キロかにひとつくらい、
歩道橋があるのみ。

いったい歩行者は、
どうやって道路を横切るのでしょうか。

今もって謎です…。


さて、そんなことを考えてる間に、
車は出版社に到着。

ここは静かな、
住宅街の中にありました。

車を出ると、
夕方なのに、
まだまだ暑い、暑い。


さて、ここは、

こんな本をはじめ、
数多くの人気女性誌を発売している、
大手の出版社だそうです。

080310 Jakarta10

ここでのインタビューも、
つつがなく終わり、
記者の女性と記念撮影。

080310 Jakarta 9


そして最後は、
再び都心に戻り、

ジャカルタ新聞の取材。

080310 Jakarta11


ようやく、

ようやく、

日本人記者による、

日本語のインタビューです。


ここで、

それまで、
たどたどしい英語でがんばってきた、
コージローとスティーブが、
息を吹き返しました。

明るく、楽しそうに、
ペラペラと、
インタビューに答える傍らで、

「エエト、アノー、
 ニホンゴ、シャベルトキハ、
 チョット、キンチョーシマスネー。」

と、いつもの汗だく状況に戻ったレンセイの、
あまりの変わりようが、

可笑しくもあり、
可愛くもあり。


笑っちゃいけないんだけど、

アハハハ、

笑ってしまいました。


そして、

シモンは…、


いつも同じ。


どこでも同じ。


穏やかに、
ニコニコしながら、
静かに、
みんなの会話を聞き、

日本語の質問を受けると、

「えっ、あ、はい。
 ぼそぼそ。
 あははは。」

英語の質問では、

「Yes,well,
 ボソボソ。
 Ahaha.」

渋い低音で、
ゆったりと英語で答える。


アハハ、

いいぞ、シモン。


こうして長い一日が終了。

そして最終日も、
Wirastiさんの素晴らしい仕切りのもと、

充実した一日となったのです。


さらに、

ホテルに戻るタクシーの中で、

今回、唯一お目にかかってなかった、
インドネシア名物の、
ある物にも、
遭遇することができました。

それは…?


そう、

スコール。


突然、
なんの前触れもなく、
シャワーのような雨が、

ドバーーーーーッ。

あっというまに、
道路は川のようになっていく。


しかしドライバーは、
平然と水しぶきをあげながら、
無表情に運転。

さながら、

「水中翼船が行く」

状況でしたね。

ちょっと恐かったですが…。


夜の7時頃、
ようやくホテルに戻ると、
ジャズ・フェス事務局の人が、

「雨のため、
 空港への高速道路が渋滞しています。
 ちょっと早めに出ましょう。」

と言うので、

部屋に戻って、
あわててパッキング。


スタッフのみなさんの、
あたたかいお見送りを受けながら、

一同バスに乗って、
空港へ向かったのでした。


深夜0時発の、
ガルーダ・インドネシア便は、
成田までの直行でした。

(ふ〜、助かった。)


ガラガラの飛行機の中では、
みな勝手に席を移動し、

ただただ爆睡…。


3月11日 午前8時半。
成田空港に到着。

ただちに解散。


ええ、

これが今回の全行程でした。

お疲れさまでした。


そして、

みなさん、

本当にお世話になりました。


また来年も、
行けるといいですねえ。


そうなるように、

ジャミン・ゼブも、
ますます頑張ることでしょう。


もちろん、

この私も…。


Thank You Jakarta!

See You Agai〜〜〜〜n!!


(おわり)



はい。

これをお読みくださったみなさんも、
お疲れさまでした。

ホント長かったですねえ。

すみません…。

早く書かないと、
忘れちゃいそうで…。


さてさて、

東京に着いた私のもとに、
最初にかかってきた一本の電話。


それは、

3月25日、26日。
「東京ドーム」での、
アメリカ大リーグ開幕戦における、
ジャミン・ゼブ「日米国歌斉唱」決定!

と、いうものでした。


いいのか、ジャミン?

順調すぎないか?

……。


というわけで、

次回は、

そんなお話でもしてみましょうかね。


なにせ私、

野球オタクですからね。


違った視線から、


面白可笑しく実況中継…?。



SHUN MIYAZUMI



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2008 エッセイ | jammin' Zeb インフォメーション

April 15, 2008

ジャカルタ その5


最近、また、
血圧が上昇気味ですわい。

優雅な船旅で、
身も心もまったりして帰って来た私を、
‘レコーディング’という、
ハードな仕事が、

待ちかまえておりました。

しかもその間、
激しいライブが一本。


あまりの環境の激変に、
私の血圧君もビックリ、

と、いうことでしょうか。

やれやれ…。


ま、少しお酒を控えて、
健康管理に気を配りながら、
(似合わな〜い)

アルバム制作に精を出したい、
と、思っております。

がんばるぞ〜!


さあ、ジャミン・ファンのみなさん。

お待ちかね、
ジャカルタの続編です。

ジャミン・ゼブの初海外ステージの時間が、
迫ってきましたよ…。



「ジャカルタ・レポート その5」


3月9日(日) 夜7時

予定時刻を、
かなりオーバーして、
ようやく前のバンドの演奏が、
終りました。

さあ、
フェスティバル・クルー、スタッフ総出で、
ジャミン用にステージ転換です。

その間、
ドアは空きっぱなしですから、
自由にお客さんが出入りする。


クローズにしたまま、
入念なリハーサル、
というわけには、
いかないようですね、

どうやらこれは…。

この辺が、
新人のつらいところです。


20分くらいで、
大急ぎで、
楽器、マイク、ステージの転換が終わり、
バンドのサウンド・チェック。

とりあえずリハーサルの体制が、
整ったところで、

ようやくステージに、
ジャミン・ゼブの4人が登場。


すると…、

会場のあちこちから、

「うお〜…。」

といった、
ざわめきが起こる。


それまで、
ステージの方を向いて、
いろいろ指示を出していた私ですが、

そんなざわめきに、
驚いて振り返ると…、

さっきのバンドでは、
ガラガラだった会場が、

どんどん、人で埋まっている、
ではありませんか。

(……。)


そして、
リハーサルの一曲を始めたら、
早くも拍手と歓声。

あわてたレンセイが英語で、
「すみません、これリハーサルです。
 本番はもう少し待って下さいネ。」
と言うと、

どっと笑い声。

場内には、
とても暖かい空気が、

満ち溢れていました。


ここで早くも、
司会者がステージに上がり、

「みなさん、お待たせしました。
 次のステージは、
 日本から来た素敵なグループ、
 ……、」

と、やりかけたので、

私は、あわててストップ。


「ちょっと、ちょっとー、
 たったこれだけかよ、リハーサル。
 まだサウンドも出来てないし、
 もうちょっと、やらせてよー。」

すると、
別のコンサート・スタッフの女性がやってきて、

「いや、もうお客さんはいっぱいだし、
 随分押してるし、
 始めてください。」

(押したのは、前のバンドであって、
 ジャミンではないではないか…。)


実はこの日、

インドネシアで人気のある、
『Andien(アンディエン)』
という、

若い女性ジャズ・シンガーとの共演も、
一曲予定されておりました。

その彼女とは、
さっき、
「はじめまして」
をしたばかり。

一回も合わせたことがない。

いくらなんでも、
彼女とのジョイント曲くらいは、
リハーサルをやらないと、
彼女も不安だろう、
と思い、

それだけは、
やらせてもらうことにしました。

曲は「Smile」


これは、
私の勝ちでしたね。

だって、
彼女に用意されていたマイクは、
接触不良で、

音が出なかったんですから。


そんなわけで、

本当は、
もっとリハーサルをやりたかったところですが、

ま、これも‘フェスティバル(祭り)’
ということか、
やりながら修正していくかと、
ここはあきらめ、

司会者に、OKのサイン。


満を持していた司会者の、
「ジャミン・ゼーーーーーーーーブ!!」
の高らかな声とともに、

ドラム・ロールが始まりました。

一曲目は、
「Take The "A" Train」

そして、
ラテン・ビートに変わって、
ステージ上のジャミンにスポットがあたると、

場内は、もう大歓声。

「イエ〜イ。」
「ピーー〜〜。」
「キャー〜〜。」


(受けてる…。)

080309 Jakarta 7


そして、
お客さんも、
どんどん増える一方で、

あっという間に、
立ち見が出る状況に、
なってしまいました。

これには、
「嬉しい」を越して、
本当にビックリしましたね。

そして、
女性を中心に、

圧倒的に若い人が多いのにも…。

080309 Jakarta 6


凄い拍手、歓声のなか、
一曲目が終わり、
すぐさまドラムは、
激しいロック・ビートに変わる。

間髪を入れずレンセイが、

「Hello, Everybody !
We're jammin' Zeb.
From Tokyo, Japan !!」

そして流暢な英語で、

「みんな、楽しんでってねー。
 2曲目は、シクスティーズ(60's)の名曲だよ。
 FUN…、FUN…、FUN…!」
とやると、

場内手拍子、足踏み、歓声。

もう最初から、

すごい盛り上がりになってしまいました。


ア・カペラになると、
拍手は、さらにすごいものに。

プロモーターのWirastiさんによると、
こちらの人は、
特にジャミンの‘ア・カペラ’に、
大きな期待をしていたようです。

「You've Got A Friend In Me」では、

インドネシアで発売された、
アルバム『Smile』を片手に、
一緒に口ずさむ女性がいたり、

各人がソロを取り出すと、
「コージロ〜〜!」
「シモ〜〜〜ン!」
といった黄色い声が起こったり。

……。

(これは、現実なのか。
 ここは本当にインドネシアなのか…。)


とても、
これが初めての海外ライブとは思えない、

いつもの東京でのライブではないのかと、
錯覚するような、
観客の熱狂ぶりに、

不思議な感覚と、

鳥肌が立つような感動を覚えました。


「Smile」では、
現地の人気歌手
『Andien』との共演に沸き、

080309 Jakarta 8


「So In Love」でも、
日本と同じように大喝采、

「You Raise Me Up」では、
レンセイのソロが終った瞬間、
まだ曲が終っていないのに、
まだバンドはエンディングをやってるのに、
「ウワ〜〜〜ッ」
という大歓声と拍手。

そして、
いつものように、
「When I Fall In Love」
で、最高潮のエンディング。

すごいアンコールのなか、
「Bye Bye Blues」
の強烈なア・カペラに再び、
沸きに沸いて、

この日のコンサートは、
すべて終了しました。

(大成功だ…。)


終ってからがまた大変でした。

ステージを降りたジャミンの4人めがけて、
女性を中心にお客さんが殺到。

サインに、記念写真に、握手に、
嫌な顔ひとつせず応じるジャミンも、
いつもにも増して、

嬉しそうでしたね。

080309 Jakarta 9

ええい、もう一枚。

080309 Jakarta 11


このままでは、
次のバンドのステージが組めない、

ということなので、
別の会場に移して、
ここでもサイン会。

080309 Jakarta 13

新しくファンになった人たちとの、
こうした記念撮影も、
ひっきりなしに行なわれました。

080309 Jakarta 10


次の写真は、
そのサイン会場にあった、
CD売り場なのですが、
よーく見て下さい。

中央に、
もうわずかしか残っていないのが、

『 jammin' Zeb / Smile 』

です。

080309 Jakarta 12

嬉しいですねえ。


帰りがけに、
すれ違った若い女性たちが、
「あっ、ジャミン・ゼブよ。キャー。」
と、掛け戻って来て、

「スミマセン。写真一枚いいですかー。」

080309 Jakarta 14

こんなシーンも、
何度かありました。


この後メンバーは、
ホテルの部屋で着替え、

また、一リスナーに戻って、
最後のジャワ・ジャズを、
心ゆくまで堪能したそうですが、


疲れきった私は、

部屋に戻って、

静かにひとり、


乾杯…。


大成功と言っていい、
ライブの余韻を、

いつまでも楽しんでいました…。


(つづく)


きょうもまた、
長くてすみません。

これから、
レコーディングも佳境に入り、
いつ更新できるかわからないので、

一気にいっちゃいました。


で、予告をしちゃうと、

この翌日もまた、

素晴らしいことが、
待っておったのです。


ああ、これも、

早く書きたい…。


SHUN MIYAZUMI



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2008 エッセイ | jammin' Zeb インフォメーション

April 07, 2008

ジャカルタ その4


まだ揺れてます…。

竜宮城後遺症てやつでしょうか。

どなたかもおっしゃってましたが、
‘プチ浦島太郎’というやつでしょうか。


夢のような船上生活から、
なかなか現実に戻れず、
ボ〜ッとした毎日なのですが、

若いジャミンは、
どうなのでしょう?


それにしても、
すごい1ヶ月でしたね。

数えたら、
東京に半分くらいしか、
いませんでした。

そして、
ジャミン・ゼブにとっては、
数々の国際舞台。

よく無事に乗り切れたもんだ…。


おかげで、
ブログの更新もままならず、
大変失礼致しました。


ま、今月は遠征がありませんからね。

ゆっくり、楽しく、
いろんなことを、
更新していきたいと思ってます。


さて今日は、

時計の針をちょっとだけ戻して、

ジャカルタの続き、
と、まいりましょう。

ええと、

3月8日からだったかな…。



「ジャカルタ・レポート その4」


3月8日(土)

よく寝ました。
11時くらいまでグッスリ。

ご機嫌なイギリス風バスタブで
まったりして、
いつものレストランに行くと、

ハービー・メイソンがいた。


かつて、
ベナード・アイグナーの思い出 その5
にも登場した、
世界的名ドラマーです。

渡辺香津美やカシオペアなど、
私との仕事も多く、
懐かしい気持ちいっぱいで、
声をかけました。

「ハービー!」


最初は、
私の風貌が、
あまりにも老けていたため、
「誰だろう?」
と、キョトーンとしていましたが、

そのうち思い出したようで、

「イエー、イエー、イエ〜〜〜イ、
 シュ〜〜ン!」

と熱いハグハグ。


ここで彼と、
しばらく立ち話をしたあと、

「今夜、ライブ見に行くから。」
と言うと、

「おお、そりゃ嬉しい!」


そんな感動のご対面の後、
ジャミン・ゼブご一行樣が、
仲良くランチを食べていたので、
そこに合流。

080308 Jakarta 1

(写真:手前4人がジャミン。
    右奥がサックスのかわ島崇文、
    左奥がピアノの朱恵仁。)


みな一様に、
きのうのジャワ・ジャズの凄さに、
興奮していましたね。

サックスのかわ島などは、
大好きな、
スムース・ジャズ系のプレイヤーが、
10人あまりも出ていたらしく、

それらを、
ハシゴに次ぐハシゴ。

だったようです。


「宮住さん。
 きのう僕が観たライブを、
 東京で、お金払って観たら、
 楽に3万円は越しますよー。」

と、興奮気味。

「そりゃ良かった。
 じゃ今回、
 お前はノー・ギャラでいいな。」

と言うと、

「そりゃ、ないッスよー。」


ま、そりゃそうだ…。


みんなで楽しくランチの後、

今日もジャミン組は、
これといって何もないので、

「じゃ今日も、
 せいぜい楽しんでちょうだい。」

と、解散。

帰りがけに、
渡辺香津美を見つけたので、
ここでもパチリ。

080308 Jakarta 2


午後は、
ビクターJ氏と、

明日のジャミン・ライブの段取りや、
今宵遅れてやってくる、
ベースの有介(佐藤)、ドラムの昭仁(吉川)
の迎えのケアなどを、
ジャズ・フェス事務局と打ち合わせ。

それが終ったら、
もう何もやることがないので、
夜に備えて、
お部屋で酒を飲んだり、
まったり昼寝をしたり。


そうこうするうちに夜。

さっそく会場に行くと、
きのうよりも凄い人の数。

どのホールも、

ロビーも、

人、人、人…。


そして、

きょうもすごいプログラムが、
組まれています。


前回も書きましたが、
一番大きな「PLENARY」というホールでは、

「JOE SAMPLE & THE CRUSADERS」
(18:00〜19:15)
「THE MANHATTAN TRANSFER」
(20:30〜21:45)
「GEORGE CLINTON “FUNKADELIC”」
(23:00〜0:30)

次に大きな「EXIBITION HALL B STAGE 1」では、

「JODY WATLEY」
(19:00〜20:15)
「MEYSA LEAK」
(22:00〜23:15)

おお、メイサ・リーク!
この人も最近話題の女性シンガー。
こんな人まで来ていたか…。

と、遠くから一枚パチリ。

080308 Jakarta 3


「ASSEMBLY 1」というホールでは、

「TETSUO SAKURAI」(櫻井哲夫)
(18:00〜19:15)
「TERUMASA HINO」(日野皓正)
(19:45〜20:45)
「KAZUMI WATANABE」(渡辺香津美)
(21:30〜22:30)

と、日本人アーチストが続いた後、
この日のトリは、

「THE HARVEY MASON TRIO」
(23:30〜0:30)


他にも、

最近スティービー・ワンダー二世と話題の、
「RAUL MIDON」(ラウル・ミドン)

「MATT BIANCO」(マット・ビアンコ)

素晴らしいキューバン・ピアニストの、
「OMAR SOSA」(オマール・ソーサ)

そして、
「BOBBY COLDWELL」(ボビー・コールドウェル)


などなど。


ふ〜。

いったい、
どれを見ればいいんじゃい?

といった、
贅沢さですね、
コレは。

……。


10時頃、
いったんホテルに帰り、

無事に到着した、
ベースの有介と、
ドラムの昭仁を、
ロビーで出迎える。

「やれやれ。 
 これでジャミン組も勢揃いだ。」

と、安堵し、

荷を解いた彼らに、
この凄いジャズ・フェスの雰囲気を見せるべく、
再び会場に行き、
ひととおり案内。


バークレーにいたことのある、
吉川昭仁も、

「僕はニューポート・ジャズ・フェスティバル
 にも何回か行きましたが、
 これほどではなかったですよ。
 こりゃ世界最大じゃないですかねえ。」

と、度肝を抜かれた様子でした。


こうして、

この日も私はライブ三昧。


最後は、
相変わらずの、
ハービー・メイソンの、
スーパーなドラミングを、
心ゆくまで堪能して、

地下通路を、
ホテルに向かったのでした。

途中、
ジョージ・クリントンの、
‘おむつファンク’に圧倒された
レンセイにバッタリ。

汗びっしょりで、

「スゴカッタデスネー。
 ジョージ・クリントン。
 ミマシタカー?」

と興奮していたのが、

印象的でした。


オヤスミナサーイ…。

……。



と、ここで、

本来は終る予定でした。


が…、


あまりにも更新していなかった‘お詫び’に、

翌3月9日の様子を、
少しだけ追加レポートしようと思います。


あの‘運命的な一日’の、

始まりだけでも…。

(ま、ここで、
 お茶など飲んで、
 一服して下さい。)


では、いきます。



3月9日(日)

「JAVA JAZZ FESTIVAL 最終日」

いよいよこの日は、
ジャミンの初海外ステージです。


12:00にロビー集合。

プロモーターの、
Wirasti(ウィラスティ)さんの仕切りで、
現地FM局のインタビューが2本。
ホテルの一室を借りて、
行なわれました。

080309 Jakarta 1


驚いたのは、

インドネシアの人は、
ちゃんとした教育を受けた人は、
みな英語が堪能ということ。

こういった番組も、
英語とインドネシア語を交えて、
行なわれます。


「ハーイ、きょうは日本からのゲストだよ。
 今宵、ジャワ・ジャズ・フェスに出演する、
 ジャミン・ゼブの4人だ。
 こんにちは、ジャミン・ゼブ。」

ここでが然、力を発揮するのが、

言うまでもなくレンセイ。


日本のこうした番組では、

「エエト、アノー、
 ニホンゴ、シャベルトキハ、
 チョット、キンチョーシマスネ。」

と、汗だくで応対する彼ですが、
海外では逆です。

水を得た魚のごとく、
立て板に水を流すがごとく、

ペラペラと質問に応じる。

ま、あたりまえですが。


でも、他の3人も、
頑張ってましたね。

たどたどしくも、
立派に英語で、
受け答えしていました。


(頼もしい…。)


2本目の番組では、
ナビゲーターの女性のリクエストもあり、
ア・カペラを一曲ご披露。

こうした光景は、
日本でも、
よく見られるのですが、

海外にいっても、
状況は何ら変わらない、
ということを、
再認識したのです。

「うわー、すごーい!
 みんな、聞いたかな?
 これがジャミン・ゼブだよ。
 きょうは、絶対ジャワ・ジャズ、
 行かなくちゃねー。」

080309 Jakarta 2


(頼もしい…。)


こうして、
インタビュー(ラジオ出演)も、
なにごともなかったように、
つつがなく終わり、

あとは、
夜の本番を待つばかり。


思い思いの午後をすごし、
夕方再集合。

ちょっと早めに会場に行くと、
プロモーターのWirastiさんが、
「何枚かCDにサインしておいてください。」
と言うので、

さっそく、
会場前にあるCD売り場でサイン。

080309 Jakarta 3

ええい、もう一枚。

080309 Jakarta 4


会場(Merak 1&2)では、
前のバンドが演奏していますが、
やはりここだけは、

寂しい入り。

2、300人のホールですが、
30人くらいしかいない。

本当に、
地下にあるここだけは、

場所が悪い。

新人だから、
仕方ないけど…。


しかし、
若いジャミンは、
いたって元気です。

「なあに、僕らは、
 お客さんがいようがいまいが、
 一生懸命演奏するだけですよ。
 アッハッハッ。」


(頼もしい…。)


そして、

会場入り口まで、
メンバーを連れて行き、

記念の写真を一枚。

080309 Jakarta 5


(いざ、出陣!!)



不安と期待と感動が入り交じった、


複雑な心境の私、


でした…。



(つづく)



ああ、長かった…。

ゆうに2回分は、
ありましたかねえ。

でも、ジャミン・ファンのみなさまには、
期待のもてる次回に、
なったのではないでしょうか。


とりあえずきょうは、

こんなところで。


ふーっ…。



SHUN MIYAZUMI



woodymiyazumi at 03:06コメント(22)トラックバック(0) 
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