March 2009

March 30, 2009

かまくら


「ジャミン・ゼブ春の陣」

前半戦終了。

ホッ…。


でも、充実の日々でした。

疲れなど、
これっぽっちもありません。


3/26(木)の大阪では、
普段、あまりお目にかかれない、
関西のジャミン・ファンの方々と、
いろんなお話が出来ました。

大阪でも、
ファンミやりますからね。
楽しみにしていて下さい。

待っててやー!



3/28(土)は、
「鎌倉芸術館大ホール」

鎌倉ユネスコ主催の、
チャリティー・コンサート。

世界的なプリマドンナ、
サイ・イエングアンさんとの、
ジョイント。


いやあ、彼女は素晴らしい。
モーツァルトの歌劇『魔笛』の中の、
「夜の女王のアリア」

絶品でした。

超絶技巧。
コロラトゥーラの名にふさわしい、
堂々のソプラノを聴かせて下さいました。

そして、私がアレンジした共演の3曲も、
つつがなく終わり、
暖かい拍手をいただき、

これまた、

ホッ…。



そして、昨日(3/29)は、
「第一回ファン・ミーティング in 東京 二日目」

みなさんの、
楽しそうな、
幸せそうなお顔を見ているうちに、
こっちまで、

ポッカポカ。

♡♡♡


ま、これも、

ホッ、ホッ、ホッ

の一日でしたね。



みなさん、

本当に、ありがとうございました。


後半戦も、

頑張りますよー。


はい。


というわけで、

きょうは、


こんなテーマを選んでみました。




『かまくら』


2009年1月24日。


私は、約40年ぶりに、
鎌倉を訪れました。

「鎌倉ユネスコ」の新年会に、
ジャミン・ゼブとともに、
ご招待を受けたのです。


協会のみなさんの、
暖かいおもてなしを受け、

スタッフの女性の引率で、
「鶴岡八幡宮」を参拝し、

初めて、
大仏様のご尊顔を拝し、
高徳院の広々としたお座敷で、
美しい庭園を眺めながら、
お茶やケーキをいただくという、

それは、それは、

至福の時間を、
過ごさせていただいたのです。


そんな鎌倉は、

相変わらず、

「小京都」の味わい。


伝統を愛する、
昔ながらの街並みは、
40年前と、

何ひとつ、
変わってはいませんでした。


懐かしかったですねえ。


40年前というと、

私は、高校生でした…。



恥ずかしながら、

その頃の私は、
秘(ひそ)かに、
芸大進学を目指しておりました。


そして、

ごく普通の、
都立高校に通っていた私は、
その学校の、
進路指導の先生から、

「芸大に行きたければ、
 芸大の教授に習わなくては、
 合格はおぼつかない。」

と言われ、

鎌倉にお住まいの、
とある「東京芸大教授」の門を叩き、
毎週、レッスンを受けに、
通っていたのです。


毎週日曜日。

世田谷の実家から、
電車とバスを乗り継ぐこと、
2時間。

たった1時間の、
「ピアノと作曲」のレッスンを受けるために…。

そして、また、
2時間かけて、
家に帰る。


雨の日も、
風の日も、
雪の日も、

日曜日になると、
休むことなく、

鎌倉まで通う、

紅顔の美少年。

(……?)



それは、ほぼ2年間にも、
及んだでしょうか。

私にしては珍しく、
よく続いたもんです。


しかし…、

しだいに私の中には、

ある種の疑問が、

沸き起こっていきました。



その日のレッスンで、私は、
ベートーヴェンのソナタを、
弾いていました。

ベートーヴェンの音楽は、
内面に、強烈なリズムを秘めており、
ただ綺麗に、お上品に弾くだけでは、
彼のパッションを表現することは、
できません。

と、私は思っていました。

(今でも思ってますが)


ま、ジャズでいうところの、
「グルーヴ」ですね。

「グルーヴ」を持った音楽です。


ですから、

当然のことながら、
弾いているうちに、
私はノッていく。
体が動いてしまう。

グイグイ、グイグイ。

ルンルン、ルンルン。


そのうち…、

私の右肩は上がったり下がったり。
姿勢は崩れ、
時に唸り、
時に「イエ〜イ」てな声が自然に出たり、

さながら、
キース・ジャレットのような奇態になりながらも、
(もちろん、
 あんなにカッコ良くはありませんが…)

そんな感じで、
夢中になって演奏する私。

(いいぞ、きょうは調子いいぞ。ウシシ)


♪♪♪



すると…、

その芸大教授。

私の肩を思い切り叩き、

怖〜い顔をして、

「君、姿勢がなっとらん。
 やり直し!」

(ちっ、せっかく乗ってたのに、ブツブツ…)



仕方なく、最初からやり直す。


しかし、またノリノリになる。

のけぞり、鍵盤にうずくまり、

肩は動き、腰は浮き、

もうもう、

メチャメチャの姿勢で、

私のベートーヴェンは疾走する。


♪♪♪



すると、またしても、

禅の和尚さんのような、

「喝〜〜!」が飛ぶ。

右肩に痛みを覚える。

 「姿勢がなっとらん!!」

(けっこう、いい演奏だと思うんだけどなあ…?)



ま、最後の方は、

ずっとこんな感じでしたね。


そして、ついに先生から、
厳し〜いお言葉。

「君は、基礎が出来ていないようだね。
 芸大はちょっと無理じゃないのかねえ。」

「……。」



私は落胆。

「俺には、音楽は向いてないのだろうか…。」

「芸大なんて、全くお門違いなんだろうか…。」



そんな、ある日のこと。
 

何気(なにげ)にテレビを見ていたら、

ある女性司会者が、

「次は、○○トリオの皆さんの演奏です。
 曲は、『枯葉』。」


それは、
ジャズのピアノ・トリオの演奏でした。

初めて聴く、
実に新鮮な音楽。

なんと、
浮き浮きするようなミュージック。


♪♪♪



なによりも、

そのピアニストの弾いてる様(さま)が、
まるで、

鏡を見ているようでした。


「アハハハ、この人、
 俺とおんなじじゃないか。」



これが、

私とジャズとの出会い。


時を同じくして、

ビル・エヴァンスやウエス・モンゴメリーとも、

出会う。

体に電流が走る。


私は、すぐに、
その教授に電話をして、
辞める旨を伝えました。

きっぱりと路線変更です。

(俺には、ジャズの方が合ってそうだ…。)


ま、そこから先は、

過去ログ、
「レコード買いまくり時代」〜
「ジャズまくり時代」

をお読み下さいませ。


なにはともあれ、

あれから40年…。

……。



それ以来の鎌倉でした。


そして、一昨日…。


私の書いた、
クラシックとジャズの、
ごちゃ混ぜのようなアレンジを、

世界的ソプラノのサイさんと、
美しいチェリストの水谷川さんと、
わがジャミン・ゼブ君が、

会場いっぱいに、
響かせてくれている…。


感無量でした。



今思えば、

鎌倉こそが、

私にジャズを知らしめてくれた場所、

だったのかもしれません。


彼(彼女)らの演奏を聴きながら、

そんな、遠い、
ちょっぴり苦(にが)い昔に、
思いを馳せていた私でしたが、

おかげさまで、

あれもこれも、

いい想い出になりましたね。



「鎌倉(かまくら)」


また行きたいな…。



「ここ、美味しいんですよ。」

と、美しい女性スタッフお薦めの、


『お汁粉(しるこ)屋』も、



結局行けなかったし…。



SHUN MIYAZUMI

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2009 エッセイ 

March 21, 2009

フィニアス・ニューボーンJr.


私が、

若い頃から、

ずっと、不思議に、思っていたこと。


それは…、

「フィニアス・ニューボーンJr.は、

 なぜ売れなかったんだろう…?」



私から言わせれば、

「テクニック凄し!」
「スイング感抜群!」
「アドリブ、超カッコいい!」

と、三拍子揃った、
理想的な、素晴らしい、
“ジャズ・ピアニスト”なのに、

なぜか、


売れなかった…。



残念ながら、

今の若いミュージシャンでも、
その存在を知っているのは、
ごくわずかでしょう。

よほどのジャズ通や、
凄腕コレクターを除いては、
ほとんど「知る者無し」の、

伝説のピアニスト…。


これは、私にとっては、

「世界七大不思議」に入れても、
おかしくない出来事です。

(おおげさな)



ですから、

ここ数日、
このブログに寄せられた、
多くの女性たちからの、

「フィニアス観ました。カッコいい!」
「フィニアスの『Lush Life』しびれました。」
「フィニアス、のけぞりました。」
「フィニアス、いけてますねえ。」

といった、
数々の賛辞の投稿には、

本当に驚きました!


昔から、
数少ない「フォニアス信奉者」
を自認している私にとっては、

この上もなく、
嬉しい出来事でしたが…。


そして、

これによって、

長年にわたる、私の謎が、


ようやく解けました!


「彼は、
 生まれて来るのが、
 早すぎたのだ。」


(単純すぎないか)




<偉大なジャズメンたち・シリーズ>


『フィニアス・ニューボーンJr.』

 Phineas Newborn Jr. (1931-89)

PNJ


バド・パウエルを創始者とする、
いわゆる、
「ビー・バップ系」の名ピアニストで、

『Here Is Phineas』というアルバムで、
颯爽と登場したときは、
まさに、
「バド・パウエルの再来!」

と、騒がれたそうです。


しかし…、

商業的には、
多くの成功をおさめることは、

できませんでした。


同年代にデビューした、

やはり、
同じバド・パウエル系列にある、
他の名ピアニストたちは、

それこそ、各々が、
「ヒット・アルバム」
と言われる作品を持ち、
それを世に認められ、

後世にまで名を残す、
華々しい活躍をしたのに…。


トミー・フラナガン「Overseas」

レッド・ガーランド「Groovin'」

レイ・ブライアント「Golden Earrings」

ウィントン・ケリー「Kelly Blue」

ソニー・クラーク「Cool Struttin'」

ハンプトン・ホーズ「The Trio」

etc.etc.


ま、これらは、

「ジャズ・ピアノのバイブル」とも言うべき、
素晴らしい名盤揃いであることに、

間違いはありませんが、


が、

が…、

(くどい)


フィニアスが世に残した、
いくつかのアルバムが、

これらに劣るとは、

私には、
到底思えません。



そんな、フィニアス・ニューボーン。


不幸にも、

青年時代から、
精神障害で、
入退院を繰り返していたといいますから、

それも、
大いに影響したのでしょう。


加えて、

前述したライバルたちが、
次々と成功をおさめていくのを尻目に、

ちっとも人気が出てこないあせりも、
あったのかもしれません。


なにしろ、
強烈なテクニックの持ち主ですから、

全盛期には、
とあるジャズ・クラブで、
右手を高々と上げて、

「どうだ、俺の上手さを見ろ!」
とばかりに、
左手だけで、
超高速のブルースを、
延々と弾いてのけたそうですが、

こうしたことが、逆に、
みんなの反感を買ったとも、
言われています。


アルバムを発表しても発表しても、

売れない。

人気が出ない…。


そして晩年は、

ご多分にもれず、
彼もまた、
酒びたりとなり、

ついには、

精神障害に加えて、
アルコール中毒でも、
入退院を繰り返す。

……。



私は、

彼が死ぬ直前に発表した、
最後の「ソロ・アルバム」
も聴きましたが、

全盛期を知るものにとっては、
「それはそれは哀れ」
というしかない、
ひどいアルバムでした。


指はもつれ、
ミスタッチは相次ぎ、

「これが、あの、フィニアス…?」

と、思えるほどの、
信じられないような出来…。


最後は、

身も心も、

ボロボロだったのでしょう。


そして、そのまま、

58年の生涯を終えることに。

……。



つくづく、

不運な、

「薄幸の天才」と言わざるをえません。



しかし、

しかし…、

(くどい)


今もなお私は、

彼のピアノ・スタイルを、

心から崇拝しております。


彼の“ジャズ・ピアノ”は、

私の理想とするものであり、

私のなかでは、

永遠のアイドルなのです。


「ビバ、フィニアス!」なのです。



というわけで今日は、

「これからフィニアスを聴いてみよう」

という方のために、


私が推薦する、

3枚のアルバムをご紹介します。

(パチパチパチ)


いずれも、

1950年代後半から、
60年代の初めにかけて、
録音されたもので、

まさに、
フィニアスの絶頂期。

ぜひとも、
多くの方に聴いてもらいたい、
作品ばかりです。


在りし日の、

「フィニアス・ニューボーンJr.」の…。



1.『We Three(ウィー・スリー)』


We 3


 名ドラマー、ロイ・ヘインズの、
 リーダー・アルバムとなっていますが、
 内容はまさに、
 「Phineas Newborn Jr. Trio」
 
 一曲目の『Reflection』から、
 もうもう、あまりのカッコ良さに、
 のけぞります。

 せつないメロディー、
 抜群のアドリブ・センス、
 そして、しだいに、
 マシンガンのような指さばきが炸裂!

 時に豪快に、時に小気味よくスイングする、
 フィニアスの魅力が、
 これ一発で、おわかり頂けると思います。

 『After Hours』
 というスロー・ブルースも最高でした…。


2.『Here Is Phineas
   (ヒア・イズ・フィニアス)』


Here Is P


 ニューヨークは、セントラル・パークの、
 池のほとりに佇む、若きフィニアス。
 この美しいジャケットを眺めながら、
 それこそ、擦り切れるほど聴きました。

 一曲目の『Barbados』という、
 チャーリー・パーカーのブルースから、
 いきなり度肝を抜かれます。

 コロコロと、猫が鍵盤の上で、
 じゃれるような軽快なテーマ。

 「おや、可愛い始まりだなあ。」
 と、思いきや…、
 しだいに、
 彼のスーパー・テクニックが、
 スーパー・インプロヴィゼーションが、
 鍵盤狭しと疾走をはじめ、

 最後は、強烈なブロック・コードが、
 じゅうたん爆撃のように、
 「ダダダダダダダー」
 と襲ってくる。
 
 まいりました…。


3.『A World Of Piano
   (ワールド・オブ・ピアノ)』


A World Of P


 彼のスタイルを一言で言うと、
 「ハードボイルド」

 強烈なテクニックとスイング感で、
 聴く者を圧倒する、
 極めて男性的なピアノなのですが、
 このアルバムには、
 それが、最も顕著に表れています。
 
 豪快かつ爽やかに疾走する、
 スリリングな彼の演奏を、
 聴き終わったあと、

 「スポーツに汗を流した」
 にも似た爽快感が残るのは、
 私だけ…?

 今、とあるブログで話題の、
 「Lush Life」は、このアルバムに、
 収められています。
 
 
♪♪♪♪♪



ああ、それにしても、

人生は非情だなあ。


上手くても駄目なのかなあ…。


いや、彼の場合は、

上手すぎたのかな…?


ああ、また、


解らなくなってきた…。


……。



SHUN MIYAZUMI







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2009 エッセイ | 偉大なジャズメンたち

March 16, 2009

ビリー・ストレイホーン その2


一昨日「丸の内オアゾ」で、
ある、ジャミン・ファンの女性から、

「フィニアス・ニューボーンの動画、
 You Tubeで観ましたよ。
 すごいカッコいいですね〜。」

と言われ、ビックリ!


メカ音痴の私は、
まだそれを観ることはできませんが、

この世に、
そんなものが存在するということを知って、
本当に嬉しくなってしまいました。


動いてるフィニアスなんて、

まったく、見たことありませんから…。



「フィニアス・ニューボーンJr.」


およそ“テクニック”ということにかけては、
あの、オスカー・ピーターソンをすら、
凌駕するだろうと思われる、
強烈な、極めて男性的な、

ジャズ・ピアニスト。


若い頃から、
彼の10数枚に及ぶアルバムは、
ほとんど揃えるという、
熱狂的な「フィニアス患者」の私ですが、

彼もまた、
素晴らしい実力を持ちながら、
ついに名声を勝ちとることのできなかった、
悲劇の天才プレイヤーです。

今では、

よほどのジャズ好きのおっさん以外は、
おそらく、誰も知らない存在、
なのではないでしょうか…。


ですから、

前回のエッセイを書いた後、
何人かの女性のコメントの中に、

「フィニアス・ニューボーン」

の名前が出て来たときには、
同様の嬉しさを覚えたものです。

(フィニアスの名前を、
 共有できるなんて…。)


ま、いずれ彼にも、

このコーナーにご登場願わねば、
と思っておりますが、


その前に…、


もう一人の不遇の天才、

「ビリー・ストレイホーン」と、

名曲『Lush Life』のお話の続きを、


「一世一代の恥」とも言うべき、

私の失敗談を交えて、


お話ししておかねば…。


あ〜あ…。




<偉大なジャズメンたち・シリーズ>



『ビリー・ストレイホーン その2』


Billy Strayhornの名曲、

『Lush Life(ラッシュ・ライフ)』
を、初めて知ったのは、

私が、大学生のときでした。


かつて『ジャズまくり時代』
というエッセイにも書きましたが、

その頃の私は、

六本木や赤坂に、
「ジャズのお勉強」と称して、
毎夜毎夜出没する、

いけな〜い大学生でした。


そんなある日のジャズ・クラブで、
私が師と仰ぐ、
名ピアニストの菅野邦彦さんが、

突如、この曲を弾き始めたのです。


それは、

この世のものとは思われぬほど、
美しいバラード。

そして、
鳥肌が立つような、
官能的な演奏でした。


「く〜〜、俺も、この曲弾きたい。」

さっそく、譜面を手に入れた私は、
身の程知らずにも、

この曲の猛特訓を開始したのです。


が…、

全然、面白くならない。

まったく、サマにならないのです。


「フィニアス・ニューボーンJr.」
のレコードも聴いてみましたが、
全然、あんな雰囲気にならない。

コードも、メロディも、
なに一つ間違ってないのに、

私の弾くそれは、

まったくの別物。

てんでお話にならない代物。


(……。)



私は悟りました。

「これは、未熟な若僧に弾ける曲ではない。
 もっと人生経験を積んで、
 人間的に熟したら、
 もう一度挑戦しよう…。」

そう諦(あきら)めて、
いったんお蔵入り。


そして、25才くらいのとき、
再び挑戦したのですが…、

やっぱり、

つまらない。

(なんだかなあ…。)



さあ、30才になりました。

「そろそろ、上手く弾けるのではないかな。」

そんな、淡い希望のもとに、
再度、この譜面を引っぱりだしたのですが、

またまた、惨敗。

(くそ、この未熟者め…。)



こうして、

「挑戦してはお蔵入り」

を繰り返していた私ですが…、


35才にもなろうかという、

ある日のこと。


久しぶりに、

この曲を弾いてみたところ、

なんか、しっくり行くんですね。


弾いていて、
実に気持ちがいい。

我ながら、
“美しい”と思えるような演奏が、
出来ているような、

そんな気がしたのです。


ゆったりとしたテンポも自由に操れ、
メロディもコードも、
雰囲気も、ダイナミクスも、
思うがままに、

しっくりと演奏出来ている…。

指先と精神が、
ついに一体になった気がしたのです。


「ヤッタ〜、ヤッタ〜、ヤッタ〜!!」

私は、部屋中を飛び跳ねました。

「ついに、この曲をマスターしたぞ。
 ウシシシ。」



そんな頃です。


とある結婚式に参列した私は、

「なにか、
 ピアノを1曲演奏してくれませんか。」

という依頼を受けました。


もちろん、私が選んだのは、

この覚えたての、

『ラッシュ・ライフ』

♪〜〜〜〜〜〜〜♪



ま、満足のいく出来栄えだったでしょうか。

たくさんの拍手をいただき、
意気揚々と、
テーブルに戻る私。


何度も言うようですが、

この曲は、
ドラマチックな展開が何度もあって、
「コンサート効果」も抜群なんですね。


こうした、
晴れやかな席にも、
ピッタリ合うと信じて疑わない私は、

その後も、
こうした結婚式の披露宴で、

何度か、この曲を演奏しました。


調子に乗って。



そんな、ある日のこと…。


やはり、後輩の結婚式に呼ばれた私は、

スピーチとピアノ演奏を、

ダブルで依頼されたのです。


ピアノ演奏は、
『ラッシュ・ライフ』に決めてましたが、

こうした、お固い席で、
「スピーチ」というのは、

どうも苦手な私。


考えがまとまらないのに、
無情にも順番がやってきて、
司会者から紹介を受けた私は、

「ええい、どうなってもいいや。」
とばかりに開き直り、

こんなことを、

ペラペラと喋り始めたのです。


「ええ…、これから弾く曲は、
 『ラッシュ・ライフ』という曲です。
 ラッシュ・アワーのあの‘ラッシュ’ですね。
 慌ただしく殺到するという意味でしょうか。

 ま、これを拡大解釈すると…、

 人生は慌ただしい。
 あっと言う間に終わってしまう。
 たから、一日一日を大事に、
 今このひと時を大切にしましょう。

 そんな教訓があるんですねえ。

 きょうは、新郎新婦のお二人に、
 そんな気持ちと願いを込めて、
 この曲を演奏したいと思います。」
 

そして、演奏…。

♪〜〜〜〜〜〜〜♪



拍手喝采。

参席者のみなさんの笑顔、
感心したようなため息、
笑顔、拍手、笑顔、拍手…。


自分のテーブルに戻っても、

あちこちから賞賛の声は、

鳴り止まぬ。


「いやあ、良かったですよー。
 感動しました。」

「あ、そうですか。それはどうも…。」

と、ポリポリ頭をかく私。


「ほんと、素敵だったわ〜。
 お話も、お上手だこと。」

「いや、まあ、それほどでも、
 あははは。」

と、照れ笑いの私。



と…、

そこへ、

品のよさそうな、

一人の初老の紳士が現れて、


「あなたねえ。
 あれ、全然、意味が違いますよ。
 間違っても、
 おめでたい結婚式で演奏するような曲じゃ、
 ありませんよ。」


こう冷たく言い放って、

立ち去った。


(シラ〜〜〜〜)



でも…、

「もしや」と思い、

家に帰った私は、

すぐに英和辞典を開いてみました。


すると…、


あろうことか私は…、


LとRを間違えていたんですね。


(タラ〜〜〜〜〜)


私が喋ったラッシュ・ライフは、
「Rush Life」

でも、この曲の本当のタイトルは、
「Lush Life」

そして、「Lush」とは、

「飲んだくれ」「酒びたり」「放蕩」


そんな意味だったのです。


(サオマツ…)



「穴があったら入りたい」

とは、このことです。


いやあ、

私のほうこそ、
いい教訓になりました。

いろんな意味で。


もちろん、

結婚式で、この曲を弾いたのは、

このときが最後です。

……。



さて、ビリー・ストレイホーン。

彼の父親は、
飲んだくれの、貧しい工場労働者で、
幼い頃からビリーは、
虐待を受けたと言います。

18才のときの彼は、
そんな父親に皮肉をこめて、
こんな曲を作ったのでしょうか…?


成人してからも、
同性愛が認められなかった時代に、
ホモ・セクシャルという理由で、
世間から迫害を受けたそうです。


また、音楽家になってからも、
結局は、
デューク・エリントンの一書生として、
彼のポケット・マネーで生計をたてるという、
不遇の人生…。


そして、ついに、
彼が望むほどの富と名声を、
得ることはできませんでした。

あれだけの才能を持ちながら…。


そして、

彼自身も、

いつしか、酒とタバコに溺れ、

食道がんで、
51才という短い生涯を終えるのですが、


それは、図(はか)らずも、

18才の時に書いた、

『Lush Life(飲んだくれ人生)』

を、実践してしまうことになりました。



深い曲です。

人生の美しさと哀しさを併(あわ)せ持った、

素晴らしいバラードです。


おそらく、私にとって、

「これで完璧だ!」
などという演奏は、
望むべきもないのでしょうが、

完成しないまでも、
ずっとずっと、
愛し続けていきたい曲であることに、
間違いはありません。


未熟でもいい。

ウィスキーの水割りを飲みながら、

気の合う仲間たちの前で、

いつまでも演奏し続けていきたいなあ、


そう思える曲です。



そんな私も、


また、



『Lush Life』


……。



SHUN MIYAZUMI

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2009 エッセイ | 偉大なジャズメンたち

March 11, 2009

ビリー・ストレイホーン


たまには、

真面目に(?)

ジャズの話でもしようかな…。


こう見えても、

一応、音楽屋のブログですからね。


みなさんの「脳細胞」を、

これ以上損傷させるのも忍びないし…。



さてさて、

このブログの左上、

『カテゴリー別アーカイブ』の中に、

‘偉大なジャズメンたち’

というコーナーがありますね。



これは、


「かつて、幸運にも私がお会いしたことがある」

あるいは、

「その人から多大な影響を受けた」


あるいは、

「すごい人なのに、あまり知られていない」

「もっともっと評価されていい」


そんな、私なりの偉大なジャズメンを、
取り上げてみようと、
設けたコーナーなのですが、

きょうは、久しぶりの登場です。


たまには真面目な音楽話もしないと、

いけないと思いまして。


いいのかな…?


いいですよね…?


ね…。




<偉大なジャズメンたち・シリーズ>



『ビリー・ストレイホーン』

Billy Strayhorn(1915-67)


  Billy


デューク・エリントン楽団の、
テーマ・ソングとして、
あまりにも有名な、

『Take The ‘A’ Train』(A列車で行こう)


ジャミン・ゼブも、
結成当初から唄わせていただいてる、

名曲中の名曲ですが、


実はこれ、

デューク・エリントン御大の曲ではなく、

ビリー・ストレイホーン
という作曲家の作品なんですね。



インターネットで調べてみると、

この、

「ビリー・ストレイホーン」という人…。


黄金期のエリントン楽団に、
数々の楽曲を提供した、貴重な作曲家であり、
アレンジャー。

ときには、御大に代わって、
ピアノを弾いたり、
ショーやラジオ番組の音楽監督も務めた、
と言いますから、

エリントンや楽団にとっては、
きわめて重要な人物であったことが、
わかります。


『Chelsea Bridge(チェルシー・ブリッジ)』

という曲も大好きだし、

一説には、

『Satin Doll(サテン・ドール)』
『C-Jam Blues(Cジャム・ブルース)』

といった、有名なエリントン・ナンバーも、

彼の作品と言われています。


しかし…、

今もなお、
「ジャズの歴史」に燦然(さんぜん)と輝く、
デューク・エリントンさんの、
華やかな名声に比べると、

彼のそれは、
ほとんど‘‘無名”に近いもの、
と言わざるを得ません。


なんとなく、

「エリントンの影武者」的な、

不遇な人生を送った、
『孤高の天才』
といった印象を、

ぬぐい去ることができません。



でも…、

私のなかでは、

ビリー・ストレイホーンという存在は、

あの一曲だけで…、


そう、“あの一曲”だけで、

永遠に不滅なのです。



その曲とは、


『Lush Life(ラッシュ・ライフ)』

……。



なんという味わい深い曲でしょうか…。

静かな佇(たたず)まいの中にも、
人生の、様々な人間模様(もよう)が、
万華鏡のように、
出ては消える…。

美しくも哀しい人間模様が…。


こんなドラマチックな、
スケールの大きなバラードは、

ちょっと類がありません。


ベートーヴェンやブラームスの、
晩年のピアノ曲と比べても、
なんら引けをとらない、

深い感動と美しさにつつまれた、

名曲です。



そんな、

『Lush Life(ラッシュ・ライフ)』


ナット・キング・コールも、
愛唱していたといいますし、

有名な、
ジョニー・ハートマン(Vo.)と、
ジョン・コルトレーン(T.Sax)
が共演したアルバムでも、
聴くことができますので、

興味のある方は、
ぜひ聴いてみて下さい。


そうそう、

私の大好きなピアニスト、
「フィニアス・ニューボーンJr.」も、

『A World Of Piano』

という名盤のなかで、
素晴らしい演奏を聴かせてくれますよ。

これもぜひ!

(これらは、今でも、
 容易に手に入れることができます)



そして…、

僭越(せんえつ)ながら私も、
この曲は、
今でも、好んで演奏しております。

身の程知らずにも…。


ま、とにかく、

最初のヴァースの一音目から、
いきなり、ニューヨークの摩天楼に、
瞬間移動したかのような、

そんな錯覚に、
私は陥(おちい)ります。


そして、

次から次へと襲ってくる、
ドラマチックな展開に、

演奏中、
感動のあまり、
思わず涙が出ることも、

しばしば、あるのです。


テクニックというよりは、
高いレベルの表現力が必要な曲なので、
大変な集中力が必要ですが、

だからこそ、
うまく演奏できたときの快感は、
また格別です。

なんとも言えない、
達成感があります。


いやあ、

すごい楽曲ですわ。



もちろん、こんな、おっかない曲、

「人生の絵巻物」のような、
とんでもない曲。

若い頃は、
まったく弾けませんでした。


メロディもコードも、
わかっていながら、
表現が追いつかない。
全然、サマにならない。

あまりに、人間が未熟で…。


でも…、

こうして年をとればとるほど、
なんとなく、
どんどん“サマ”になってくるような、
そんな気がするから不思議です。

もちろん、

自己満足でしょうがね…。


でも、

驚くべきことに、

ビリー・ストレイホーンが、
この曲を書いたとき、

彼はまだ、

18才。

(……。)



ま、この事実だけでも、

彼が「真の天才」だということが、
わかりますね。


ああ、おっかない、おっかない。



そんなことも知らずに、


その昔私は、

大変な失態を、

演じ続けていたことがあるのですが、


ああ…、


思い出すだけでも、



恥ずかしい…。




(つづく)



これまで平気だったのに、

今年は私も、
「花粉症」の仲間入りでしょうか。


特に、今日はひどかったなあ…。

お目目うるうる真っ赤っか。
くしゃみ連発。
お鼻ぐしゅぐしゅ。

……。



あ、そうだ。

くしゃみで思い出した。


その昔、

「くしゃみ」まで、
バンド用語でやった、

馬鹿なヤツがいました。

(また、その話かよ)



これ、難しいですよ。

あまり、おススメしませんけど。

鼻を痛めそうですから。


こう、やるのです。


「ハ、ハ…、ハ……、ハ………、

 ションハク〜〜〜〜〜〜!」



(おそまつ…)



SHUN MIYAZUMI


woodymiyazumi at 02:35コメント(13)トラックバック(0) 
2009 エッセイ | 偉大なジャズメンたち

March 03, 2009

バンド用語 その3 最終回


賛否両論うずまく(?)

『バンド用語講座』


いよいよ、今日が、

最終回です。


(ええ、もう終わり〜。)

(ああ、よかった。)


(つまんな〜い。)

(パチパチパチ)



……。




『バンド用語 その3 最終回』


1文字。

たとえば「め(目)」の場合。

どうやるか…?

きょうは、ここから始めましょう。


こう、やるのです。


まず、

「め」を伸ばしてみて下さい。


「め〜〜〜〜〜〜〜え」


すると、
最後の母音が「え」で終わりますよね。

その、「え」の音から逆戻りする。


つまり、

「エーメ」


これでいいのです。


ただし、これは、
そんなに種類がありません。


ひ(火)=「イーヒ」
け(毛)=「エーケ」
ち(血)=「イーチ」
じ(痔)=「イージ」

あたりが、
頻繁(ひんぱん)に、
使われておりましたかね…。

(なんか、汚い)

(ですな)



それから、

ご質問のあった、
「みみ(耳)」
のような場合ですが、

これも、簡単です。


通常、「ミミ」の発音は、
後の「ミ」が上がりますよね。
まず、これを真っ平らにする。
「イントネーション平らの法則」

さらに、二文字の場合は、
間に横棒を一本入れる。
めし(飯)=「シーメ」のように。

この二つの法則を組み合わせて、

「ミーミ」


ただ、それだけのことです。


ま、何でもかんでも、
逆(さか)さまにしないと気がすまない、
ごく一部の、
「バンド用語偏執狂」を除いては、

さすがに、
ここまではやりませんでしたがね。



さて、次に、

「ラッパ」のように、

間に小さい「ッ」が入るものは、
どうやればいいのでしょう。


「パッラ」じゃ、

言いにくいですよね。

なんか、間が抜けてるし、

カッコ悪いし…。


このような場合は、

「つ(ツ)」の促音(そくおん)である、
小文字の「っ(ッ)」を、

大文字の「つ(ツ)」に戻して、

ハッキリと発音するのです。


つまり、

「パツラ」


これで、
言いやすくもなるし、

バカバカしさも倍増します。


まっさお(真っ青)=「サオマツ」
まっくろ(真っ黒)=「クロマツ」
けっこん(結婚)=「コンケツ」
いっぱつ(一発)=「パツイチ」
びっくり(吃驚)=「クリビツ」


そう、こんなのもある。

びっくり仰天!=「クリビツテンギョウ!」


誰が最初に考えたのか、
わかりませんが、

まさに、これなどは、
「バンド用語」の歴史に、
燦然と輝く名作ではないかと、
私は思っています。


あとは、

「サクケツ」=けっさく(傑作)

なんてのも、ケッサクだったなあ。

アハハ。



ん…?

なんだか、
どんどん汚くなってきた気がするので、


もう、このくらいに、

しておきましょう。



いずれにしても、この時代は、

ジャズ・ミュージシャンや、
ライト・ミュージックの仲間が集まると、

毎日毎日が、こんな会話なのでした。


「おい、ケーサ、ミーノしようぜ。」
 (おい、酒飲もうぜ。)

「おれ、ネーカないから、スイヤなとこな。」
 (俺、金無いから、安いとこな。)

「ここのメンラー、けっこうマイウだよ。」
 (ここのラーメン、けっこう美味いよ。)

「ンシュ、ちょっとイーヒかして。」
 (シュン、ちょっと火貸して。)

「ん…? サクイ…。誰かエーヘしただろ。」
 (お下品なので、訳しません。)



私の大学4年間は、

ジャズにまみれると同時に、
こんな、おバカな言語にもまみれる、
4年間だったわけですが…、


毎日毎日、こんな会話をしてるとね、


こんな、嘘のような、

信じられないようなことも、

起きてしまうのです。



ある夏の日の夜のこと…。

そう、あれは、
たしか日曜日でした。


大手町「サンケイ・ホール」での、
ダンス・パーティーの仕事を終えた、
我々ライト・ミュージックの4年生は、
5、6人の徒党を組んで、

銀座の方へ向かって、
歩いておりました。


なにせ、暑いし、
演奏を終わったばかりで、
喉(のど)はカラカラだし、

とにかく私たちは、みんな、

ビールが飲みたかった。



ビールは、バンド用語では、

「ルービ」と言います。


誰かが、こう切り出す。
「ああ、ルービ、飲みたいなあ。」

すると、別の誰かが、
「いいねえ、ルービ、ぐい〜っと。」

そのうちに、みんな、
「どこかに無いの、ルービ飲める店。」

「まったくだ、ルービ、ルービ、ルービ。」

「おーい、ルービ、飲みてえ〜〜〜。」

「ルービ、ルービ、ルービ、ルービ。」



しかし…、

「大手町」はオフィス街ですから、
日曜日は、閑散としている。

人っ子一人いません。


すると、誰かが、

「あった〜〜!!」

と、大声で叫んで、
遠くの方にあるビルのネオン・サインを、
指さした。


私たちは、狂喜しました。

確かにそれは、

まぎれもなく、

屋上に「ビア・ガーデン」があるビルだ。


そう信じて疑わない私たちは、

そのビルのあるところまで、
喜び勇んで、
行ってみたのですが、

相変わらず、その辺りにも、
人っ子一人いません。


しかも、目指したそのビルは、

なんと、


宝石屋。


……?



不審に思った私たちは、

もう一度、
屋上がよく見えるところまで下がって、

よーく、そのネオンを見てみました。


すると…、


そこには…、


こう書いてあったのです。



「ルビー」


……。



信じられないかもしれませんが、

これ、本当の話なのです。



これと、似たような話を、

北杜夫さんの著書、
『どくとるマンボウ青春記』で、
読んだことがあります。


氏は、学生時代、
ドイツの大文豪、
「トーマス・マン」を、
神のように崇拝していました。

『トニオ・クレーゲル』
『ヴェニスに死す』
『魔の山』
etc.etc.


寝ても覚めても、
頭の中は、
トーマス・マンのことでいっぱい。

「トーマス・マン、トーマス・マン、
 トーマス・マン、トーマス・マン、
 トーマス・マン…。」


そんな彼が、

ある日、
とあるレストランの前を通りかかったとき、
思わず、

「ドキッ!」

とした。


なぜ、ドキッとしたのか、
しばらく解らなかったのですが、

やがて、そのお店の看板を、
よーく見ているうちに、
謎が解けました。


その看板には、

こう書いてあったそうです。


「トマト・ソース」



アハハハ。

でも、よ〜くわかります。


私たちの場合も、

毎日毎日、
あんな言葉ばかり使ってたもんだから、

思考回路が、
ウニのようになっていたのでしょうね。

洗脳というのは、おそろしい…。



冒頭にも申し上げました通り、

この「バンド用語」。

今では、ほとんど「死語」です。

今の若いミュージシャンは、
誰も使いません。


ま、そのほうが賢明です。

「JAZZ」そのものが、

なんとなく、
アンダー・グラウンドな感じが、
しますものね。


しかし、この時代は…、

私たちアマチュアのみならず、

プロ(ロープ)の、
先輩ミュージシャンたちも、
みーんな使っておりましたから、

日本全国、
およそジャズ(ズージャ)をやる人間にとっては、
完全に、

「生活の一部」に、なっていたんですね。



愚かな時代と言うべきか…。


微笑(ほほえ)ましい時代と言うべきか…。


あるいは、



無邪気な時代と言うべきか…。



……。



(おわり)




そうだ!

越前jazz殿のご質問に、
お答えするのを忘れておりました。


「がっき(楽器)」は、
この法則でいくと、

「キツガ」

しかし、なんか冴えないですね。


でも、一応、音楽のクラブですから、
無い訳にはいかない。

そこで誰かが、
「キーガでいいんじゃないの。
 みんな、わかるよ。」

ま、こんな感じで、
適当に決まったんじゃないでしょうか。


法則やルールと、
響きの可笑しさやくだらなさが、
矛盾した場合は、

可笑しさ、くだらなさのほうを優先する。

これも、
「バンド用語」の鉄則です。

(やっぱ、いい加減)



それはそうと、


早く越前で、

ジャミンのライブをやりたいものですなあ。


ね、


ハチローさん。



SHUN MIYAZUMI

woodymiyazumi at 12:34コメント(27)トラックバック(0) 
2009 エッセイ