September 2009

September 27, 2009

夏の6週間 その8


1991年8月3日。

ロス・アンジェルスに到着した私を、
待っていたのは、

それはそれは、
ゴージャスなホテル!


その名も、

『リッツ・カールトン
    /マリーナ・デル・レイ』



ロスで、5ツ星ホテルというと、

『ビヴァリー・ヒルズ・ホテル』
 (イーグルスの「ホテル・カリフォルニア」
  のモデルになったところ)

『ビヴァリー・ウィルシャー・ホテル』
 (映画「プリティー・ウーマン」
  の舞台になったホテル)


そして、市の中心部、
パサディナにある、
 
『リッツ・カールトン』

あたりが有名なのですが、


その『リッツ・カールトン・ホテル』の、
2番目のホテルとして、

海沿いのヨット・ハーバー
「マリーナ・デル・レイ」に、

つい最近、出来たんだそうです。



とりあえず、
部屋に荷物を置きに行くと、

そこは、広々とした、
贅沢(ぜいたく)なツインの一人使用。


そして、バスルームだけで、
ちょっとしたビジネス・ホテルの、
一部屋分くらいある。

床はもちろん大理石。

(うわあ、ゴージャスだなあ…。)



ベランダに出てみると、

右手には、
太平洋の碧碧とした海が広がり、
おびただしい数のヨットやクルーザーが、
停泊している。

そして真下には、
大きなスイミング・プールに、
ジャグージー。

その向こうには、
何面かのテニス・コートまである。


私にとって、
ロスでのレコーディングは、
これが6回目になるのですが、

こんな豪華なホテルに、
泊めてもらったことは、
一度もありません。


(こりゃ、予算は大丈夫なんだろうか…?)


今回、
ツアー・コーディネーターを頼んだのは、

元カシオペアの事務所にいて、
海外レコーディングの経験が豊富な、
A井くん。


で、私は、ちょっぴり心配になり、

彼の部屋に電話をしてみました。


すると彼曰(いわ)く、

「いや、ちょっとしたコネがありましてね。
 一泊450ドルの部屋が、
 200ドルで借りられたんですよ。
 伊東さんクラスの方を、
 安っぽいホテルにはお泊めできませんからね。
 気に入っていただけましたか?」


私はひとこと、

「でかした!」



夜、ベランダに出て、
爽(さわ)やかな夜風を浴びながら、
美しい月明かりに照らされた、
白いヨットの群れや、

ホテルの照明に、
鮮やかに映し出された、
プールやジャグージーを眺めていると、

寝るのがもったいなくなるような、

そんな感じです。


(こりゃ、ゆかりさんも、
 満足してくれるだろう…。)


そんな、素晴らしい環境のなかで、

いよいよレコーディングの始まりです。


♡♡♡



翌8月4日と5日は、
リズム録(ど)り。

スタジオに行ってみると、
私の予想を上回る、
そうそうたる顔ぶれのミュージシャンが、
勢揃いです。


Grant Geissman:ギター
Larry Steelman:キーボード
Kenny Wild:ベース
Bernie Dresel:ドラムス


有名なフュージョン・バンド
「シー・ウインド(Sea Wind)」
のベーシスト、
ケニー・ワイルドを筆頭に、

いずれも名の知れた、
名手ばかり。


思った通りの素晴らしい演奏でしたね。


2日間で、
難なく10曲を録(と)り終えると、

翌日は待望の、

ストリングス(弦楽器)のダビング。


♪♪♪



それまでの、
私のロス・レコーディングといえば、

ほとんどが、“バンド物”。


渡辺香津美&リー・リトナー・バンド
(『ベナード・アイグナーの思い出』参照)

吉田美奈子&モータウンの強者(つわもの)達
(『犬猿の仲 その2』参照)

三好鉄生&ジェフ・バクスター・バンド
(『ジム・インガーとロックン・ロール』
       &
 『ジェフ・バクスターと牛丼』参照)


そして、

カシオペア。

etc.etc.



したがって、

本場アメリカの、
ストリングスのスタジオ・ミュージシャンが、
どんな演奏をしてくれるのか…。


これは今回、

私が最も期待かつ注目していたところです。

……。



いやあ、やっぱり素晴らしかった♪♪

なんで、こんなに違うんだろう…?


ま、この話をし始めると、

長くなるので、

今回はやめておきますが、


いずれにせよ、

指揮者のスージー片山さんの、
見事な棒さばきのもと、

優雅で、美しいことこの上ない、
ストリングスのサウンドが、

昨日までに録り終えた、
リズム・セクションに、
彩(いろど)りを添えて行く。

(スージーさんは、
 日系アメリカ人の女性チェリスト。
 あの、ジョン・ウィリアムスのもとで、
 スピルバーグの映画音楽にも、
 携わっているんだそうです。)



さらに、翌日は、

シンセサイザーや、
生(なま)のホーン・セクション、
女性コーラスなどで、
サウンドの足りないところを補充すると、

このアルバムのバッキング・トラックは、
たったの4日間で、

私の描いていたイメージを遥かに超える、

素晴らしく美しいものに、
仕上がったのです。

(満足、満足、大満足…。)



こうした、
素晴らしいミュージシャンを集めてくれたのは、

ロス在住の日本人和楽器奏者、
松居和(まつい・かず)さん。
(キーボード奏者、松居慶子さんの旦那さん。)


A井くんといい、
和さんといい、

本当にいい仕事をしてくれましたね。

感謝、感謝です。


ま、うまくいく時というのは、

得てして、こうしたもの。


♡♡♡



さて、

レコーディングは、
毎日、午前中から始めて、
夕方の6時には終了します。


レコーディングを終え、
ホテルにいったん戻った、
私とA井くんは、

ゆかりさんやマネージャーのY田くん、

それに、

今回ジャケット撮影のために同行していた、
スタイリストのS木さん、
ヘア&メイクのA本さんらと合流し、

食事に出かけます。



で…、

私は、

海外に出かけると、


和食はあまり好みません。


なぜか?

もったいないからです。



せっかく海外に来たのだから、

その土地で評判の、
あるいは人気のある、
いろんな物が食べてみたい。


日本に帰れば、
いつでも食べられる和食は、
なるべく避けて通りたい。

これは、

ゆかりさんも同じ意見でした。



さあ、ここでも、
A井くんは大活躍。

松居慶子さんのプロジェクトも手伝っている、
A井くんは、
最近のロス事情に詳しい、詳しい。


「今日は、あそこのイタリアンに行きましょう。」
とか、

「ここの、シーフードは、
 最近評判ですよ。」

てな具合で、

美味(おい)しそうなレストランを、
ちゃんと調べぬいてありました。


そして、それらはみな、

ズバズバ当たっていたのです。


というわけで、

ここでも私たちは毎晩、

美味しい料理に舌鼓をうちながら、

楽しいひとときを過ごすことができました。

(A井くん、またしても、でかした!)



ところが、


ところが…、


明日からは、

あの方が合流することになっている。


そう、

あの、

O社長が…。



不安なものがありませんか…?


「ぜったい、和食しか嫌(いや)だ。」

と言うような予感がしませんか…?



私たちはみな、

イヤ〜な予感を抱いていたのですが…、


その予感は、


やはり、


当たっていました…。


……。



(つづく)




最近の「ソフト・バンク」のCMで、

「スマップ」が携帯電話を耳に当てる仕草で、
踊りながら唄うというのがありますが、
ご存知ですか?


「木村拓哉って、
 やっぱりすごいタレントだなあ…。」

と、感心しながら、
いつも見ているのですが、

あの曲は、
『ロコモーション』という曲なんですね。


あのCMで使われているのは、

1960年代の終わりから、
70年代の初めにかけて大活躍した、
アメリカのハード・ロック・バンド、

「Grand Funk Railroad」
のバージョン。


アメリカで、60年代に、
最初に大ヒットしたのは、
「リトル・エヴァ」
という女の子が唄ったバージョン。


作曲は、あの、大巨匠、
「キャロル・キング」



で、日本でも大ヒットしたのですが…、


と、このときのロスで、私は、

とんだ記憶違いから、

とんでもないことを、

ゆかりさんに言ってしまいました。


 「ゆかりさん、
  『ロコモーション』て曲あったでしょ。
  ♪さあさあダンスのニューモード〜♪
   
  あれ、僕、好きだったなあ、
  子供のときね。
  弘田三枝子さんの…。」


すると、ゆかりさん、

軽蔑したような眼差(まなざ)しで、
バカにしたようなような表情で、
私を見つめながら、

 「失礼ねえ。
  あれ、あたしよ。
  ヒット賞もらったのよー。」


  (……。)



あははは。


口は災いのもと…。


……。



SHUN MIYAZUMI
  

woodymiyazumi at 19:51コメント(16)トラックバック(0) 
2009 エッセイ | マイ・ディスコグラフィー

September 21, 2009

夏の6週間 その7


『夏の6週間』

いったい、どんな曲なのでしょう。


1960〜70年代に大活躍した、
アメリカの女性ポピュラー・シンガー、
「ヴィッキー・カー(Vikki Carr)」が、

泣きながら熱唱して、
話題を呼んだというバラード曲、

なんだそうです。



「ヴィッキー・カー」といえば、

日本では、
『It Must Be Him』という曲が有名で、
私が中学生のときには、
ラジオでよく聴きましたね。

ハスキーで、パンチのある、
歌唱力抜群の美人シンガーです。


そんな彼女の、
“実話にもとづく歌”とも言われているのが、
この、

『夏の6週間』
(原題:Six Weeks Every Summer)



離婚によって裁判所から、
一人娘の親権を奪われた、
ひとりの「女性シンガー」が、

「夏の6週間」と「クリスマス」だけは、
娘に会うことを許される。


そんな哀しい、
母親の心情を歌った曲なのですが、

中間部には、
こんなセリフまであります。


 「あの子と別れて、私はまた向き合うの
  …まぶしいライトと拍手に
  顔はほほえんでも 心は死んでるの
  夏とクリスマスのお休みまでは…
  耳を離れない あの子の呼び声ー
  “ママ ただいま!”
  夏の6週間とクリスマスだけの母親」


そして、歌はこう結びます。

  ♪あの子がこっそり 残していった
   手紙をみつけて 夢中で読むの
   “会えなくてもあたしは ママが大好き”
   幼い言葉が 涙でにじむ

   なんにもいらないわ 毎朝あの子が
   “おはよう ママ!”って
   笑ってくれたら♪

   (日本語詞:山川啓介)



この曲の存在を知ったO社長は、

ゆかりさんに、
この曲をステージで歌わせ、

人知れず、涙ながらに、
感動していたらしいのです。


 (私もなんどかステージで拝見しましたが、
  さすがに、
  ゆかりさんくらいの実力と経験がないと、
  表現できないだろうなあ、
  と思わせるような高いレベルの楽曲ですね。
  それは、熱唱というより、“熱演”…。)



そんな『夏の6週間』を愛してやまない、
O社長は、

今回のアルバムに、
この曲を、
どうしても入れるべきだ、

と強く主張。



まあね、

「一人娘を持つ女性シンガー」
という共通点だけで、

自分勝手に感動してしまうあたりが、

実は、一見豪快にして、
本当はロマンティストの、
O社長たるところなのですが、


でも…、


当のゆかりさんは、

クールなゆかりさんは、

そんな“情”に流されたりはしない。


ゆ「あら社長、
  あの曲はステージで映(は)える曲よ。
  今さらCDで聴く曲じゃないわね。
  はい、却下。」

と、いとも簡単に一蹴してしまった。

……。


しかし、O社長も食い下がる。

O「そうかなあ。
  あれ、お客さんにも評判いいんだよー。
  しかも、ゆかりの『夏の6週間』は、
  まだ一度もレコード化されてないじゃないか。
  今回が、いいチャンスだと思うけどなあ。」


でもゆかりさん、

まったく相手にしない。


ゆ「今回はポップスの曲で行くんでしょ。
  他の曲とのバランスも悪くなるし、
  これはダメね。」

と、一向に受けつけない。


仕方なくO社長、

O「そうかあ、ダメかあ…。」

と、あきらめて退場。


その後ろ姿は、

ちょっぴり寂しそうではありましたが…。

……。



ま、私にしてみれば、

どっちでもいい曲でしたがね。

やっても、やらなくても。


確かにO社長の言うとおり、

この曲を唄う、
ステージでの、
ゆかりさんのパフォーマンスは、

なるほど素晴らしいものではありますが、


他の曲とのバランスを見る限り、

「なんでこの曲がこのアルバムに…?」
という違和感がないとも言えない。


で、私は、この場合は、

ゆかりさんの意思を尊重しようと、

あえて自分の意見は言いませんでした。


♡♡♡



さて、

10曲が出揃いました。


私は、その10曲のリストを眺めながら、

「これは、○○にアレンジ頼もうかなあ…。」
とか、

「これは、あんな感じでやろうかなあ…。」
とか、

サウンドの方針を、
あれこれ考えていました。



と、そんなとき…、


またしても、

O社長から電話が…。


O「宮住くん、お願いがあるんだけど。」

M「なんでしょう。」


O「『夏の6週間』をやるように、
  ゆかりを説得してくれないかなあ。
  俺、ゆかりのアレ聴くと、
  涙が出てくるんだよ。
  ゆかりが唄うあの曲、大好きなんだよ。
  宮住くんが説得してくれたら、
  ゆかりはOKすると思うんだけどなあ…。」


しかし、こればかりは、

「ハイ、わかりました。」
とは、言えません。

私は、丁重にお断りをしました。


M「いや、社長、それはダメですよ。
  今回は彼女の意思も尊重して、
  選曲したんです。

  その彼女が乗り気じゃない曲を、
  やらせることによって、
  せっかくの、
  いい雰囲気が壊れる恐れもありますよ。

  いい曲だとは思いますが、
  強烈なシングル候補という曲ではないし、
  その役目は、
  ちょっと僕には酷ですねえ。」


O「でもさあ、今回はロス・レコーディングだろ。
  アメリカの素晴らしいミュージシャンの演奏で、
  『夏の6週間』を録音するのが、
  俺の夢だったんだよ。
  ねえ、なんとかゆかりを説得してよ。
  ね、お願い。お願い。お願い。」


とまあ、

まるで駄々(だだ)っ子。

……。


しかし、やはり私は、

丁重にお断り。


M「お気持ちはわかりますが、
  やっぱりその役目はどうも…。

  この場合は、
  やはり社長自らおやりになるのが、
  一番だと思いますがね。

  いや、なに、
  社長の情熱をお伝えすれば、
  ゆかりさんも、
  きっとわかってくれると思いますよ。」


O「そうかあ、ダメかあ…。」


と彼は、またしても、

寂しそうに電話を切る。


ま、仕方ありませんね。


……。



ところが、数日後、

O音楽事務所から送られてきた、
最終選曲リストを見て、

ビックリ!


なんと、あの、

『夏の6週間』が、

入っているではありませんか!!



O社長、やりましたね。

ゆかりさんの説得に、
見事成功したんですね。

パチパチパチ。


しかし、一抹の不安もあったので、

私はO社長に電話。


M「社長、やりましたね!
  ゆかりさん、
  “うん”って、言ったんですね。」

O「まあな…。
  大変だったけどな…。」


M「でも、大丈夫でしょうねえ。
  現場で、“やっぱり嫌だ”
  なんて言わないでしょうねえ。」

O「いや、それはないよ。
  ゆかりもプロだからねえ。
  “やる”と言ったら、しっかりやるさ。
  じゃ、しっかり頼むよ。
  いいもの、作ってくれよ。
  俺もあとから行くからさあ。」


「えっ、来んの?」

と、言いかけたが、

これは思いとどまる私。


♡♡♡



さあ、そんなわけで、

その10曲を私は、

私が選んだアレンジャーに振り分ける。


特に今回、

ストリングス(弦楽器)は、
極めて重要だと考えていましたから、

私が、
「弦を書かせたら、日本ではこの人…。」
と、日頃から敬愛していた、
前田憲男さんと倉田信雄くんを中心に、

若手のアレンジャーも、
大胆に起用して、
方針を事細かに説明して、

アレンジを発注。


こうして出来上がったスコア(総譜)を、
細かに検証して、
問題がないことを確認した後、
写譜にまわす。


やがて出来上がったパート譜を、
念のため一部ずつコピー。

その譜面は、

膨大なものになりました。


その膨大な譜面を、
衣服や身の回りの物と一緒に、
ボストン・バッグに詰め込んだ私は、

「よし!」とばかりに、

意気揚々と、


ロス・アンジェルスに向かって、


飛び立ったのでありました。


 
1991年8月3日のことでした。


……。



(つづく)




みなさん、

「シルヴァー・ウィーク」は、
いかがお過ごしですか。

(誰がつけたの、このネーミング…?)


仕事が山積みで、
どこへも行くあてのない私の、
唯一の息抜きは、

このエッセイを書くこと。


きっと、
同じような方もいらっしゃると思い、

きょうは、思いっきり、
長編でいってみました。

まあ、
お茶でも召し上がりながら、
ゆっくり楽しんで下さい。


さあ、このあと舞台は、

ロス・アンジェルスです。


(いっぱし、小説家気取りか、おまえは)



SHUN MIYAZUMI


woodymiyazumi at 21:38コメント(20)トラックバック(0) 
2009 エッセイ | マイ・ディスコグラフィー

September 14, 2009

夏の6週間 その6


イチロー、やりましたね!

9年連続200本安打の、

メジャー新記録!!


これまた、

100年以上にわたって、
誰も達成したことのない、
大記録です。

パチパチパチ。


いったい彼は、
どこまで行くのでしょうか。

どれだけの記録を、
残すのでしょうか。


何度も言うように、
彼の最終安打数を見届けるまでは、
絶対死ねませんね。

ええ、長生きしなくては…。



そんなイチロー選手が、

私が応援していた、
「オリックス・ブルーウェイブ」に、
(前身はあの、阪急ブレーブス)
さほど注目されることもなく、
入団したのが、

1991年のことでした。


きょうは、


まさに、


その頃のお話です。




『夏の6週間 その6』


あれは、

1991年の初夏でしたか…。


ある日、

O社長から、
1本の電話をもらいました。

もちろん、
伊東ゆかりさんの新作に関する話です。


それは…、

「1980年代を中心とした、
 アメリカン・ポップスのヒット曲に、
 日本語の詞をつけて、

 本場ロス・アンジェルスで、
 あちらの一流ミュージシャンを使って、
 レコーディングをする。

 そんなアルバムを、
 『アルファ・レコード』(私の古巣)から、
 発売することになったので、
 よろしくね。」

とまあ、そんな内容でした。



「ロスか…。
 確かに、本場アメリカの、
 素晴らしいミュージシャンのサウンドと、
 彼女のヴォーカルがうまくブレンドしたら、
 エレガントな、
 素敵なアルバムになるだろうな…。」


「うん、これは面白そうだ!」

ということで、

「やりましょう、やりましょう。」
と、私は二つ返事。


特にストリングスのサウンドは、
日本とアメリカでは、
全然レベルが違いますからね。

ま、それだけでも、
私にとっては、
大いに楽しみな企画です。


♪♪♪



そんなわけで、

私たちはさっそく選曲に入りました。


とくに今回、
いつになく積極的だったのが、

ゆかりさんのマネージャーのY田氏。


彼は、
80年代のAOR系のバラードが大好きらしく、

デヴィッド・フォスターやら、
ボズ・スキャグスやら、
バリー・マニロウやら、
カーリー・サイモンやら、

自分のご自慢のライブラリーの中から、
ゆかりさんに合いそうな曲を、
100曲近くもカセットに編集して、
持って来るほどの熱の入れよう。


さらに、私がビックリしたのが、

当のゆかりさん。


普段こうした選曲に関しては、

「おまかせするわ〜。」
てな感じで、

淡々と、飄々(ひょうひょう)と、
クールに、人まかせの方なのですが、

今回ばかりは、
「私も選曲に参加したいなあ。」
ときた。

(珍しいこともあるもんだ…。)



ということで、

ゆかりさんと、Y田氏と、私は、
O音楽事務所の会議室で、
何度も何度もミーティングを重ねる。


Y田「シカゴの○○なんてどうですかねえ。」

ゆ「あれは、絶唱型の歌でしょ。
  あたしには合わないと思うけど。」


み「○○を軽いボサかなんかでやったら、
  面白いかも。」

ゆ「だったら、△△のほうが、
  いいんじゃない?」


Y田「バーバラ(ストレイザンド)なんて、
   どうでしょうねえ。」

ゆ「やーだー。あんなに上手く唄えないわよ。
  それに今回は日本語でしょ。
  ダメ。却下。」


み「一曲くらい、スタンダードもありじゃない?」
  ガーシュインとか。」

ゆ「ガーシュインだったら、○○が好きだわ。」


とまあ、

こんな会話をしながら、
オリジナルの音源を聴きながら、

楽しい選曲会は続く。



それにしても…、

1983年の初仕事から、ここまで、
4、5枚の彼女のアルバムを、
プロデュースしてきた私でしたが、

こんなふうに、
楽しそうに選曲の話をしたり、
音楽の話をするゆかりさんを見たのは、

初めてです。


ま、それだけ彼女も、

この企画を楽しみにしている、

ということでしょうね。



こうして、

何度目かのミーティングで、
ようやく最終的な10曲が決まりそうな、


そんな時、


そんな時…、


またしても現れた…、


あの、O社長が。


……。



いつものように、

カンラカンラと明るい笑顔で、
会議室に入って来た、O社長。

「やあ、みんなやってるねえ。
 ゆかり元気?
 宮住くん、ご苦労さん。
 どうY田、決まった?」


そして、
いつものように、
“軽〜い感じ”で席に着くと、

「どれどれ、選曲リスト見せてよ。」


私は、ほぼ決まった選曲リストを、

社長に渡す。


すると…、

一瞬にして、

O社長の顔が曇った。


そして、

「納得いかない」といった感じで、

こう言ったのです。



「なんだ…?

 『夏の6週間』が、

 入ってないじゃないか。」


……。



(つづく)




ようやく登場しましたね。


『夏の6週間』

……。


そうなんです。

これ、曲のタイトルだったんです♪


というわけで、

この長いシリーズも、

いよいよ第二部に突入です。


それにしても、
どなたかがおっしゃってたように、

確かに最近の私は、
長編小説家にでも、
なったかのような気分…。

アレンジも、
次から次へと大作ばかりだし…。


でもね、

楽しいし、なによりも、

達成感は格別ですからね。


はい、がんばって書きますよ。


ジャミン君たちにも、

がんばってもらいましょう。



ん?


そういえば…、


あっちは、



なにやってんだろう…?



SHUN MIYAZUMI


woodymiyazumi at 12:51コメント(18)トラックバック(0) 
2009 エッセイ | マイ・ディスコグラフィー

September 09, 2009

夏の6週間 その5


ああ、やっと更新できた…。


いや、本当に忙しいのです。


でも、近い将来、
この忙しさは、
ジャミン・ファンのみなさんには、
大いに喜んでもらえる忙しさではないかと、

確信しておるのですが…。

……♪



というわけで、

明日もがんばろうっと。


おっと、その前に、

お待ちかね、


O社長のつづきでしたね…。




『夏の6週間 その5』


伊東ゆかりさんが所属する、
O音楽事務所の社長室には、

ここから生まれた、
いろんなヒット曲のトロフィーの他に、

私の目を引くものがありました。



それは…、


……、


巨人軍(読売ジャイアンツ)に関する、

さまざまな物。


王選手のサイン・ボールや、
長嶋選手のサイン入り色紙。

巨人の優勝ペナントやら、
マスコット人形やら、
V9ナインが勢揃いしたパネル写真やら、

もうもう、
ありとあらゆる「ジャイアンツ・グッズ」が、
飾られているのです。


聞くところによると、
この社長。

1965年〜73年にかけて達成した、
巨人の日本シリーズ9連覇、
(いわゆるV9)

その立役者の一人で、
川上監督の名参謀と言われた、
牧野茂ヘッド・コーチとも、

親交があったらしいのです。


そのせいか、

巨人の応援歌やら、
選手個々のテーマ・ソングなど、

こと巨人の音楽に関する物は、
すべて、このO事務所が制作。


そして、

そのカセット・テープは、
毎年、何十万本も売れて、
けっこうな収益があったそうなのです。


つまり、

巨人こと「読売ジャイアンツ」は、

O事務所の大事なお得意先だったわけです。


そして、この部屋は、

言ってしまえば、

「巨人の巣」

「巨人の巣窟」



しかし私は、

かつて『山田投手と私』でも書いたように、
熱烈な阪急ファン。


阪急にとっての巨人は、

リーグは違えど、
V9時代に、日本シリーズで、
何度も煮え湯を飲まされてきた、

いわば憎(に)っくき好敵手。


ですから私は、
当初からこの事務所では、
「野球の話は一切すまい。」

と、心に決めておりました。


♡♡♡



そんな、1985年のこと。


1985年というと、
真っ先に思い出すのが、
あの、
「御巣鷹山 日航機墜落事故」

本当に痛ましい、
悲しい出来事でしたね。

……。



そして、

もう一つビッグ・ニュースがありました。


それは、

あの、

「阪神タイガース」の優勝!



「巨人のライバル」
「伝統の一戦」
な〜んて言われても、

勝つのはいつも巨人で、

弱〜い阪神は、
なんと21年間も優勝していない…。


その阪神が、

なんと、

優勝したのです!!



もう、大阪は大騒ぎでした。

嬉しさのあまり、
道頓堀から飛び込んで、
一命を落とす若者まで現れる始末。


そして、
私の周りでも、

これまで虐(しいた)げられてきた、
阪神ファンたちは、
一挙に大爆発。


優勝の瞬間、

ちょうど私は、
レコーディング中だったのですが、

周りにいるトラキチたちのために、
そのレコーディングも中断して、
その優勝シーンを、

何度も何度も、
スタジオのロビーのTVで、
見せられることに…。



さて、その翌日。

ちょっと意地悪な私は、
O社長をからかってやろうと、
たいした用もないのに、
事務所を訪れました。

こんなチャンスは、
滅多にありませんからね。


そして、
O社長が現れると、
ちょっぴり皮肉をこめて、
こう言いました。

「社長、阪神が優勝しましたねえ。
 巨人は惜しかったですねえ。
 むふふふ…。」



すると、この社長。

とんでもないことを言ったのです…。


「そうなんだよ、宮住くん。
 阪神が優勝したんだよ。
 いやあ、きのうは嬉しくてね。
 俺は思わず泣いたよ。」

(……?)


私はすぐに反論。

そして、
デスクの後ろに飾られてある、
おびただしい数の巨人グッズを指差して、

「あ、あの、社長、
 なにを言ってるのかわからないんですが…。
 社長は巨人じゃないんですか?」


するとO社長。
悪びれもせず、
ぬけしゃーしゃーと、
こう言った。

「ああ、あれね。
 あれは商売よ。
 なんてったって巨人は人気あるからね。
 ビジネス、ビジネス。
 
 でもね、本当は俺ね、
 大の阪神ファンなの。
 子供の頃から、
 熱烈なトラキチなのよ。

 ああ嬉しいなあ。
 優勝だ、優勝だ。
 アハハハハハ。」

(……。)



私は、このときも、

大きな声で、

こう言いたい衝動に駆られました。


「社長。
 
 やっぱりあんたは、

 相当な“無責任男”ですよ。」


てね…。



(つづく)




はい、きょうのお話も、

内緒です。

アハハハ。


ただし、

一部のゆかりさんファンには、

バレてるという噂も…。


……。



SHUN MIYAZUMI



woodymiyazumi at 17:57コメント(15)トラックバック(0) 
2009 エッセイ | マイ・ディスコグラフィー

September 01, 2009

夏の6週間 その4


昨夜は私も、遅くまで、

総選挙の開票速報を見てました。

ああ、眠い…。


でも、
予想どおりとはいえ、
すごい結果になりましたね。

ま、いずれにせよ、
一日も早く、
景気が回復することを祈りましょう。


民主党のみなさんには、
「責任ある政治活動」
を、頑張ってもらいたいと、
思います。


そう、責任ね。

無責任はいけませんよ。

無責任は…。


“無責任”は…。


……。




『夏の6週間 その4』


さて、

伊東ゆかりさんが所属する、
O音楽事務所の、
O社長とは、

いったい、
如何(いか)なる人物なのでしょうか。


今日は、それを、
徹底解明してみようと思います。

(もちろん、ご本人の許可など、
 いただいておりませんが、
 どうせインターネットなんぞ
 無縁の人でしょうから、
 ま、大丈夫でしょう…。)



まず、おそろしく大男。

シモンくらいあるのではないか。

恰幅(かっぷく)もよく、
まさに、社長の貫禄十分。

私より、10〜15才くらい年上でしょうから、
食べ盛りの少年時代に、
あの、食糧難の「戦争」を体験しているはず。

なのに、
この育ちっぷりは、
大いに謎…。


それから、

芸能プロダクションの社長というのは、
一般に、強面(こわもて)の、
ヤクザまがいの人が多いのですが、

この社長は、
いたって優しいジェントルマンで、
いつもニコニコ。

物腰も柔らかく、
あまり人に対して、
“怒る”という光景を見たことがない。


ただし、声はデカい。

ちょっと歪(ひず)んだ音色の、
大きな声で部下を呼ぶさまは、
「鐘が割れる」といった表現がピッタリ。

まさに迫力満点。


髪の毛は当時から薄く、
しかもオールバックにして、
ポマードで固めてあるので、
年齢よりも、ずっと老(ふ)けて見える。

しかし、これが一方では、
貫禄につながっているとも言える。


部下の面倒見もよく、
結婚式の仲人(なこうど)を引き受けた回数が、
当時にして、早くも8組。

うち、4組が早々と離婚したそうですが、
本人は、いたってあっけらかんと、
「勝率5割!」
と、高らかに自慢。


小さなことは一切気にしない。
もっと気にしていいことでも、
全然気にしない。

言い換えれば“大物”。

だから血液型は、
絶対O型だろうと、
私はみています。


車も、
「リンカーン」「キャデラック」といった、
バカでかいアメ車が好み。

(ああ、何から何まで大(O)だ…。)



ただし…、

こんな豪快なキャラのくせに、

音楽の趣味は、
いたってデリケート。

甘く切ない調(しら)べの、
「洋楽系ムード・ミュージック」がお好き。

とくに、カントリー、タンゴ、
そして、シャンソンあたりを語らせたら、
結構うるさい。


「ディナー・ショー」というジャンルを、
日本で確立したとも言える、
立志伝中の人物。

当時は、この事務所を通さないと、
ディナー・ショーが成立しないほどでした。


菅原洋一『知りたくないの』
スサーナ『アドロ』
ロス・インディオス『別れても好きな人』

あたりが、

この事務所から生まれた、
この社長の“趣味”を見事に反映した、
代表的ヒット曲でしょうか。

(敬称略)



ちょっぴりお人好しで、
ちょっぴりおっちょこちょいで、
ちょっぴりトンチンカンなところもあって、

それが、たまらない人間臭さを、
かもしだしている。

じつに愛すべきキャラを持った人です。

(でも…、ちょっぴりエッチでもあるので、
 そこは要注意。)



そう、それで思い出しました!

かつて、昭和30〜40年代に大ヒットした、
東宝映画の『社長シリーズ』

あの、最高のコメディー映画の中で、
森繁久彌さんが演じる、
あの「社長」さん。

あんなイメージが、
ぴったりかもしれません。


モーニング娘の、
「ニッポンのシャチョーさんも、
 イェイ、イェイ、イェイ♪」
という唄を初めて耳にしたとき、

私が、真っ先に思い浮かべたのが、
この、O社長のことでした。


人情味があって、
涙もろいところもある。

でも、それでいて、
何度も言うように、

と〜っても“無責任”。


とまあ、こんな人物です。
 

(いいのかな、ここまで書いちゃって。
 ちょっと心配になってきたぞ…。
 ……。
 ま、いいか。アハハ。)


♡♡♡



さて、そんなわけで、

1983年以来、私は、
この事務所の社長室に、
頻繁(ひんぱん)に出入りすることに、
なるのですが、

そこには、

音楽業界の、
どこの会社の社長室にも飾られてあるような、
数々の「ヒット賞」のトロフィーの他に、

もうひとつ、


私の目を引くものがありました。


それは……?



(つづく)




あははは。

駄目ですよ、
O社長に言いつけちゃ。

この後も、
ケッサクなお話が満載なんですから。


そっとみんなで、
楽しみましょうね。

無責任、無責任っと。

……。



さあ、今日から9月。

この夏、
「高校野球」と「世界陸上」で、
多大な時間を使ってしまった私ですが、

そのツケが廻ってきて、

いよいよもって、
大忙しとなりそうです。


でも、これから、
楽しいライブやイベントが、
目白押しですからね。
(追ってインフォメーション)


頑張りがいがあります。

ええ、ありますとも。


めざせ、

責任ある音楽活動!


(やれよ)



SHUN MIYAZUMI



woodymiyazumi at 00:16コメント(20)トラックバック(0) 
2009 エッセイ | マイ・ディスコグラフィー