November 2009

November 30, 2009

ノーマン・シモンズ 中編


私の学生時代から、
「アルファ」に入った頃。
(60年代後半〜70年代)


女性人気ジャズ・ヴォーカルと言えば、
まず、ビリー・ホリデイ(1915ー59)。

それに続くのが、
「四女王」とも言うべき4人の現役。


すなわち、

エラ・フィッツジェラルド
カーメン・マクレエ
サラ・ヴォーン
アニタ・オデイ


これが、自他ともに認める、
人気を兼ね備えた「実力派」の評価でしたね。



この中で、

唯一、白人で、
しかもルックスも抜群で、

まさに「天から二物を与えられた」
とも言うべき幸運の女神が、

『アニタ・オデイ』
というシンガーでした。


A.O.
ANITA O'DAY(1919−2006)


セクシーなハスキー・ヴォイス。

抜群のアドリブ・センスとスイング感。

類いまれなるテクニック。


代表作は、

オスカー・ピーターソン・カルテットと共演した、

『ANITA SINGS THE MOST』
 (アニタ・シングズ・ザ・モースト)

というアルバムでしょうか。


これまた、

私が学生のときから愛聴してきた、
名盤中の名盤です。


Sings the Most


あの、スーパー・テクニックの
オスカー・ピーターソンと、
堂々とわたり合える歌手は、

そうはいませんね。

超快速『S'Wonderful(ス・ワンダフル)』は、
まさに、火を噴くような熱演。


前回ご紹介した、
『Carmen McRae / In Person』は、
現在、かなり入手が困難なようですが、

この、アニタのCDは、
今もなお人気抜群のようですから、
容易に手に入ると思います。


ぜひ、聴いてみて下さい。

胸がスカっとする爽快感があります。



さらには、

ジャズ・ファンの間では、
もはや伝説ともなっている、

『真夏の夜のジャズ』という音楽映画。


そのなかで、

映画『マイ・フェア・レデイ』よろしく、
大きな帽子をかぶり、
スカートを風になびかせながら、
爽快に歌い上げるアニタの、

『Sweet Georgia Brown』
 (スイート・ジョージア・ブラウン)


A.O.2


いやあ、

その格好よさといったらありません!



まさにアイドル。

まさに歌姫。

実力も美貌も富も名声も、
全部手にした“幸運の女神”。


眩(まぶ)しいばかりの歌手人生…。


♪♪♪



そのアニタが、

来日しました。

1975、6年の頃だと思います。



当時私は、
「アルファ」で、レコード・プロデューサー
の道を歩んでいましたが、

とはいえ、
趣味としてのジャズ・ピアノも、
あい変わらず続けていました。

仕事の合間をぬって、
ジャズ・クラブで演奏したり、
ジャム・セッションに参加したり。


そんな私が、
当時いちばん頻繁に通っていたのが、
六本木にあった、
「Ballentine(バレンタイン)」

というお店。



そんな、ある日のこと。


その「Ballentine」に、

なんと…、

あの、アニタ・オデイがやって来て、
「ミニ・ライブをやる!」

という噂を聞いたのです。


私は狂喜しました。



さあ、待ちに待った当日。

私は、懇意にしていただいてた、
マスターのTさんにお願いして、

ピアノ・カウンターの、
ピアニストと鍵盤を真横に見ることのできる、
私にとって、最高の場所を、
陣取ることができました。


そのお店は、

50人も入ればいっぱいの、
本当に小さな、縦長のジャズ・クラブ。

しかし、噂を聞いて駆けつけた、
常連のジャズ・ファンで、
お店はたちどころにいっぱい。

早くも熱気に溢れています。



やがて…、

拍手、歓声がどこからともなく起こり、

あの、アニタ・オデイと、
バックのピアノ・トリオの面々が登場。


私のすぐ真ん前にピアニストが座り、
その後ろにドラムとベース。

そして、その横に、
アニタ・オデイがマイクを持って、
スタンバイしました。


ステージも狭いので、
窮屈そう。

いずれも、
手を伸ばせば、
触ることのできる至近距離です。


……。



まあ、今だったら、

ちょっと考えにくいシチュエーションですね。


「代々木ナル」や「All Of Me Club」
といった小さなジャズ・クラブの、
一番前の席で、

世界的なアーティストの演奏が、
ナマで聴けるようなもんですから。


かつて書いた、
「エロール・ガーナーの思い出」
のときもそうでしたが、

当時の六本木では、
来日した世界的なジャズ・プレイヤーが、

コンサート終了後に、

平気で、
こうしたセッションをやっていたのです。


いい時代でした…。


♪♪♪



さあ、演奏が始まる。


ピアノ・トリオがイントロを始める。

アニタが唄いだす。


間近に見る、世界の演奏。



もうもう、鳥肌もんでした。


私は、よほど興奮していたのでしょう。

なんの曲をやったのか、

まったく記憶にありませんから。

アハハハ。



バックのピアノ・トリオも素晴らしく、

「これが世界か…。」

と、ただただ感心するばかりです。


特に、同じピアノをやる人間にとって、
目の前で繰り広げられている、
黒人ピアニストの演奏は、

まさにお手本のようなジャズであり、
理想的な「歌伴(うたばん)」でした。


アニタの歌もさることながら、

私は、鍵盤と彼の指さばきを、
食い入るように見ていたのです。


(うまいなあ…。)



こうして、2、3曲を、
たちどころに唄い終えると、

アニタは、

やんややんやの歓声の中、
メンバーを紹介。


「じゃ、きょうのバック・メンバーを
 紹介するわね。

 ドラムは○○。イエーイ。
 ベースは△△。イエーイ。

 そして、ピアノは…」



その後にコールされた名前を聞いて、

私はめまいがするような興奮を覚えました。



「ピアノは、


 ノーマン・シモンズ!!」



(つづく)





これ、本当は、

2回で終わるつもりでした。


だから前回、
「前編」ってクレジットしたのですが、

アニタ・オデイの話をしていたら、
いろんなことを思い出してきて、

「中編」などという、
司馬遼太郎氏の小説のようなタイトルに、
なってしまいました。

アハハハ。


ま、次回もお楽しみにということで。

……。



ところで、

金曜日(11/27)の「A'TRAIN」も、
盛り上がりましたねえ。


近くのお店で演奏していた、
ベースの佐藤有介も乱入してきて、
久しぶりに一曲共演しましたよ。

こういうハプニングがあるから、
やめられませんね。


いらして下さったみなさん、

ありがとうございました。

次回は、12/25(金)の予定です。



さあ、明日からは、

しばしピアノを忘れて、

「ジャミン・ゼブ 冬の陣」に集中します。


最高の形で、

2009年を締めくくりたいと思っています。



ガオ〜〜〜〜〜!

(またしても、雄叫び)



……。



SHUN MIYAZUMI



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2009 エッセイ | 偉大なジャズメンたち

November 22, 2009

ノーマン・シモンズ 前編


『ノーマン・シモンズ』
というピアニストを知ってる方は、

かなりの“ジャズ通”ではないでしょうか。


ヒットしたリーダー・アルバムも無いし、
有名なジャズ・ジャイアント達との共演も、

あまり聞いたことがありません。



しかし、何を隠そう、この人は、


稀代の「歌伴(うたばん)」の名手なのです。


(註:歌伴=歌の伴奏)



N.S.
Norman Simmons(1929〜)


私が彼のピアノを最初に聴いたのは、

大学1年生のとき。


かつて『ジャズまくり時代』というお話を、
長々と書いたことがあります。


ジャズがやりたくて、
ジャズ・ピアノが上手くなりたくて、
K大の「名門ジャズ・オーケストラ」に入部。

それから、
卒業までのジャズ三昧の毎日を、
延々と綴(つづ)ったお話なのですが、


その私が、

まさにジャズを始めたばかりの頃。


とある1枚のアルバムを聴いて、

私は大変な感銘を受けました。



そのアルバムとは、


『Carmen McRae / In Person』
 (カーメン・マクレエ / イン・パーソン)

InPerson


女性ジャズ・ヴォーカルの巨匠、
「カーメン・マクレエ」が、
65年にシカゴのジャズ・クラブで録音した、
ライブ盤なのですが、

その冒頭の、
『SUNDAY(サンデイ)』
という曲のイントロを聴いて、

ガ〜〜ン!


なんと小気味よいピアノ・トリオの演奏。

そして、
そんな、粋なトリオをバックに、
豪快にスイングするカーメンこそ、

これぞ、ジャズ・ヴォーカル!

これぞ、ジャズ・ヴォーカルの女王!!


2曲目の『What Kind Of Fool Am I ?』
というバラードでは、
切々と、情感たっぷりに歌い上げ、

続く『A Foggy Day』では、
快速テンポで、
自由奔放なアドリブを混ぜながら、
リスナーに息をする間も与えない。


そして、

このアルバムの白眉とも言える、

『I Left My Heart In San Francisco』
 (思い出のサンフランシスコ)


トニー・ベネットのオリジナルをも、
凌駕するのではないかと思われる、
カーメンの圧倒的なヴォーカルと、

それを支えるピアノ・トリオ…。


♪♪♪



いやあ、

あまりの素晴らしい歌と演奏に、

私は、しばし呆然としてしまいました。


とりわけ、

絶妙なバッキングで、
カーメンを支える「ピアニスト」のプレイは、

私が憧れていた、
まさに、これぞ、


「歌伴(うたばん)のお手本」


……。



それが、

ノーマン・シモンズでした。



それ以来、このアルバムは、

私のバイブルとなってしまいました。


ああ、どのくらい聴いたでしょうか…。



来る日も、来る日も、
このアルバムから聞こえてくる、
カーメンのうねるようなグルーヴに酔いしれ、

ノーマン・シモンズの、
見事なバッキングに、
ただただ感心するばかりの毎日。


(上手いなあ…)



そして、

中本マリさんをはじめとする、
ジャズ・ヴォーカリストのバックで、
ピアノを弾くときは、

この、ノーマンのピアノを思い浮かべながら、

自分なりに、
切磋琢磨していたわけです。


♫♫♫



時は流れて、

私も社会人。


『ジャズまくり時代』でも書いたように、
ジャズ・ピアニストになる夢は捨てて、

アルファという会社で、
「レコード・プロデューサー」
の道を歩み始めていた私でしたが、


そんなある日…、

なんと私は、

このノーマン・シモンズさんと、


運命的な出会いをすることになるのでした。



ああ、


思い出しても胸がときめく…。


……。




(つづく)





今年は、

例年に比べて、

冬の到来が早いような気がしませんか?


寒いのが苦手な私ですから、

もう少し秋を楽しんでいたかったな…。

……。



でも、冬といえば、

まさに「ジャミン・ゼブ」の季節です。


「九段会館」のセット・リストも決まり、

メンバーの猛特訓も始まりました。


まさに『X'mas Fantasy』

のタイトルにふさわしい中身だと思います。


さらには…、


おっと、それ以上言うと、

楽しみが半減するので、

きょうはこのくらいで。


……。



さ、明日は遠征だ。


朝が早いので、

今宵は深酒禁止。


タバコもやめようかな…。


(けっこう、真面目に考えてます。)



ううむ…。


………。



SHUN MIYAZUMI


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2009 エッセイ | 偉大なジャズメンたち

November 15, 2009

ジム・ホール


『ジム・ホール』という、

ジャズ・ギタリストがいます。

hall
Jim Hall(1930〜)


ビ・バップの昔から今日まで、
センス抜群のプレイを聞かせる、
白人ジャズ・ギターの大御所ですが、

学生時代、
私が彼の演奏を聞いて、
腰を抜かすほどビックリしたのが、

あの、ビル・エヴァンスと共演した、
有名な2枚のアルバムでした。


そのアルバムとは、

『Undercurrent(アンダーカレント)』

『Intermodulation(インターモデュレーション)』



ロマンチックかつ優雅なプレイで、
今なお絶大な人気を誇る、
名ピアニストのビル・エヴァンスと、

これまた繊細かつ知的なプレイで、
ビル・エヴァンスに真っ向勝負を挑んだ、
ジム・ホールとのデュオは、

まさに、最高の“名人芸”のぶつかり合い。


これぞ、

歴史に残る“名盤中の名盤”といっても、

差し支えないのではないでしょうか。



『Undercurrent』

under

「水面下に浮かぶ女性」という、
美しいモノクロのジャケットも、
話題になりましたが、

まずは1曲目の
「My Funny Valentine」
を聴いてみて下さい。

これぞ、究極のインタープレイ!


圧巻は、
エヴァンスがソロを取っているときの、
ジム・ホールのバッキングですね。

ベースのランニングと、
一拍ごとに目くるめく変化する、
内声の美しいコード・ワークを、
いっぺんにやってしまう。

まさに、
“神業(かみわざ)”とは、
このこと。



『Intermodulation』

inter

このジャケットも好きだなあ。

二人の名人が、
絶妙のインタープレイを繰り広げているサマが、
軽妙に描かれている素敵なイラスト。

ここでも、1曲目の
「I've Got You Under My Skin」から、
いきなり二人の演奏に引き込まれていきます。


選曲がポップなので、

ジャズ初心者の方は、
こっちのアルバムから入ったほうが、
いいかもしれませんね。



ま、なにはともあれ、

この2枚のアルバムを聴くと、

いつも私には、
いろんなシーンが浮かんできます。


まるで、美しい映画を観ているような…。

あるいは、
人生の節目、節目の素敵な出来事が、
目の前に浮かんで来るような…。


本当に、素晴らしいアルバムです。


たった、二人だけで、

こんな感銘を与えられるとは…。



そして、

ともすれば、
ビル・エヴァンスの華麗な名声に、
隠れがちですが、


ジム・ホールという、

こんな凄いギタリストがいたんだなあと、
(おっと、まだ現役でしたね…。)

きっと、おわかりいただけると思います。


みなさんも、

ぜひ聴いてみてください。


♪♪♪




とまあ、普通のブログなら、

これで終わるところでしょうが、


このブログの読者のみなさんは、

そんな“オチ”のない終わり方では、
許してくれそうもありませんね。(笑)



ということで、

最後は、このジム・ホールさんにまつわる、
ちょっとした小話を…。


と言っても、

ご本人には、
なんの関係もありませんが…。



それは、

『夏の6週間』の話から、

何年か経った頃。


あのY田君に代わって、
当時、伊東ゆかりさんのマネージャーをやってた、
K村君から聞いたお話。

あ、またゆかりさんの登場です。

(シ〜〜〜ッ)



ある日のこと。

仕事で福岡に向かう飛行機のなかで、
伊東ゆかりさんは、

あのジャズ・シンガー、中本マリさんと、
バッタリ遭遇。

(中本マリさん。
 そういえば、もう一年になりますね。
 ジャミン・ゼブとの競演。
 私のおねえちゃんのような人。

 何の事だかわからない方は、
 2008エッセイ「中本マリさん」をどうぞ。)



ゆ「あら、マリちゃん、お久しぶり。
  マリちゃんも福岡でお仕事?」

マ「そうなのよ。
  これから福岡で、
  ジム・ホールと一緒に、
  コンサートがあるのよ。
  ゆかりちゃんは?」


ゆ「あたしは、相変わらず、
  ディナー・ショーよ。」

マ「あら、そう。
  ねえ、もし良かったら、
  コンサートが終わったあと、
  一緒にお食事でもどう?」


ゆ「いいわねえ。
  じゃ、仕事が終わったら電話するわ。」

マ「待ってるわー。」


てなことで、

福岡空港に到着後、
二人は別れた。



さて、ディナー・ショーが終わって、
楽屋で化粧を落としながら、

ゆかりさんは、
マネージャーのK村君を呼んで、
こう言いました。


(ちなみに、当時は、
 まだ携帯電話の無い時代。)


ゆ「K村さん、悪いんだけど、
  マリちゃんに電話してみてくれる。
  彼女も、今日、福岡のどこかで、
  コンサートやってるのよ。」

K「わかりました。
  なんという会館でやってるんですか?
  すぐに電話帳で調べますが。」


ゆ「ええと…、
  なんて言ったかな、
  あの会館…、
  ええと…、
  あのホール…、
  なんとか言うホール…、
  なんとかホール…、
  ええと…、
  ……、
  ………、

  そう、思い出したわ!

  ジム・ホールよ!!」



お後(あと)の支度(したく)が、


よろしいようで。



(おわり)





アハハハ。


マリさんも、ゆかりさんも、

立派に「無責任党」で、

やっていけますよねえ。


(シッ、内緒ですよ、内緒…。)


……。




さて、私は、この一週間で、

新しい「クリスマス・ソング」を、

3曲も書きましたよ。


セット・リストを考えるのが楽しみです。


これは、

楽しい12月になると思います。



「ビタミンJ」欠乏症の方も、

いらっしゃるようですが、

もうしばらくのご辛抱です。



というわけで、

めっきり寒くなってきましたが、


みなさん、どうぞ、


ご自愛くださいませ。



(責任ある終わり方)


……。



SHUN MIYAZUMI


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2009 エッセイ | 偉大なジャズメンたち

November 07, 2009

無責任教育講座 最終回


え〜、私は、

過去2回にわたって、

“無責任”の持つ効用、利点について、

みなさんにお話をしてきました。



一回目は、

「“無責任“を上手に使うことによって、
 苦境や困難から脱することができる」

といういうお話でしたね。



♪とかくこの世は無責任♪

♪そのうちなんとかなるだろう♪


を、呪文のように唱えることによって、

他(ほか)でもない、私自身、
どうしようもない苦境や困難から、
見事に脱出できた経験が、
何度もあるのですから…。


みなさんも、
ぜひ参考にしてみて下さい。



二回目は、

「思わぬクリエイティブな発想が生まれる。」

というお話でした。



私は、アレンジや作曲に煮詰まると、
とにかく自分を、
“無責任”に、“無責任”に、追い込みます。


「ええい、人がなんと言おうと知るか。
 楽しけりゃいいじゃないか。
 やったもん勝ちだー。」

と、開き直ることにしています。


すると…、

大胆なアイディアが生まれ、
煮詰まりが解消され、

思いもよらぬ、
素敵な作品になることが、
まま、あるのです。


ジャンルは違えども、
これも、ぜひ参考にしてみて下さい。



そして、今日は、

“無責任”は、

“人生に潤(うるお)いを与えてくれる”

という観点に立って、


いくつかの事例を挙(あ)げて、

お話してみようと思います。


エヘン。


(と、ここで水を飲む)




さて…、


有名な大手芸能プロダクションの、
K会長という方がいらっしゃいます。

一介のマネージャーから、
叩き上げで大出世。
見事に財をなした、
これまた立志伝中のスゴ腕の大物です。


で、この方の特徴は、
とにかく、
何でもかんでも、

ほめる!


ほめて、ほめて、ほめまくる、ほめちぎる。


部下がデモ・テープを聞いていると、
いつの間にやら、
その背後にスッと現れ、

「いいねえ、それ。」
「あ、それもいいねえ。いいよ、いいよ。」


別の部屋で、
別の部下が出来上がった音を聞いている。

と今度は、そこにも現れ、
ロクに聞きもしないで、

「いやあ、いいねえ。いい。いい。
 いいよ、それ。」


誰かが、音を聞かせに、
会長室に行っても、
それが良かろうが悪かろうが、

「いいねえ。いいよ、いいよ。
 うん、いい、いい。」


と、とにかく、

「いいよ、いいよ。」

のオン・パレード。


(ただし、
 お金をかける必要のない時だけですが…。)



と、このように、

この方の“無責任”も、

相当なハイ・レベルな訳ですが、


でも、部下にしてみれば、
やりがいがありますよね。


人間、
ほめられるのが嫌な人なんて、
いません。

けなされたり、文句を言われたり、
重箱の隅をつつかれたりするより、
ずっとやる気になる。

もっと頑張って、
もっとほめてもらいたくなる。


で、そんな中から、
ついにヒットが生まれる。


その担当者は、
会長に報告に行きます。

「会長、あれ、売れて来ましたよ。」



こんな場合、このK会長。

“それがどうした”、とばかりに、

いつも平然と、

こう言うんだそうです。


「だから、俺は言ったじゃないか。

 “これ、いいよ”って。」


……。




私が社会人になったばかりの、
駆(か)け出しの頃。

ビクター・レコードに、
N取締役という、
音楽業界でも有名な人物がいました。


この方のアダ名は、

『業界のアル・カポネ』


そのスジの方たちとも、
平気でおつきあいをする、
これまたスゴ腕の大物です。



ある日私は、
社長のお使いで、

このカポネのところに、
行くことになりました。


いやあ、
さすがに噂どおり、
ぞ〜っとするような迫力でしたね。


でも、せっかくのチャンスですからね。

私は勇気をふりしぼって、
こんな質問をしてみました。

「あのお…、
 ヒット・シングルというのは、
 どうやったら作れるんですかあ?」


すると、このカポネ、

豪快に笑いながら、
こう言いました。


「ガハハハ、君。
 100枚くらいシングル盤を作るとねえ、
 1枚くらいは当たるんだよ。
 その1枚の利益で、
 残りの99枚の赤字を埋めるのさ。
 ガハハハハ。」


ここまでくると、

“無責任道”も、

もはや、芸術の領域ですかね。


……。




私の努めていた「アルファ・レコード」の、
兄弟会社に、
「アルファ・ミュージック」という、
音楽出版社がありました。


ある日の午後、そこに、
Aというセールスマンが、
飛び込みで入ってきて、

フライパンやら鍋やら圧力釜やら、
のセールスを始めた。


ところが…、

その語り口調が面白いのと、
人柄がなんともホンワカしていたので、

そこの責任者のG氏は、
こう言ったんだそうです。


「おまえ、セールスうまいねえ。
 どうだ、それ全部買ってやる代わりに、
 そんな仕事さっさとやめて、
 うちの社員にならんか。」


すると、このAくん。

「わかりました。」
とばかり、
そのまま、そこに住みついて、

二度と元の会社に、
戻ることはありませんでした。


ま、雇う方も、雇われる方も、

なんとも“無責任”というお話。


……。




これと似たような話が、

私にもありましたね。


あれは、私が、

念願の事務所を構えた、

1985、6年くらいのことでしたか…。



ある日の夕方、
一人の若いセールスマンが、
事務所にやって来ました。

それは、
「相場の先物買い」
とか何とかいう物のセールス。


ま、私は、
そんな物には何の興味もないし、
素人がうっかり手をだしたら、
ひどい目に遭(あ)う。

ということも、
うすうす知ってはいましたが、


その日の夕方が、
メチャメチャ暇だったのと、

その男が、なかなかに愛嬌のある、
面白そうな男だったので、
暇つぶしに、
ちょっと、からかってやろうと思い、

「じゃ、いいよ。
 30分だけ話を聞いてやるよ。」

と、その男を事務所に上げました。



さて、その男は、

鞄の中から、
会社のパンフレットと、
今、その会社がプッシュしているという、
「小豆(あずき)」の相場の先物買い、
に関する資料を取り出し、

一生懸命、
プレゼンテーションを始めたのです。


相変わらず、
興味なんてサラサラ無い私は、

「ふ〜ん、ふ〜ん」
と、真面目に聞いてるフリをしながら、

鼻毛かなんかをぬきながら、
その男の喋ってる様(さま)を、
じっと眺めておりました。


ま、私の“無責任”も、

なかなか隅には置けませんね。

アハハハ。



さあ、その男は、
喋るだけ喋ると、
こう締めくくりました。


男「どうです、社長。
  おわかりいただけましたか?

  一口100万円からですが、
  これは、おいしい話ですよ。
  絶対、儲かりますよ。」



ここで、ようやく私が、
重い口を開けた。


私「絶対、儲かるの?」

男「ええ、絶対です。」


私「100%?」

男「ええ、100%です。
  私にお金があったら、
  絶対投資しますがねえ。」



ここで私は、

さっきから考えていた、
なんとも意地悪な作戦を、
実行に移すことにしました。


私「絶対、儲かるんだね。」

男「間違いありません。
  100%、儲かります。」


私「じゃ、こうしよう。
  100万円を君に貸すから、
  君がやりたまえ。

  それで、儲けは、
  山分けにしようじゃないか。
  君は、出資金ゼロだ。
  こんな、おいしい話はないだろ?

  ただし、万が一失敗したら、
  元金の100万円だけ返してくれればいい。
  利息はいらない。

  でも、100%間違いないんだったら、
  そんな心配することないか。
  アハハハ。」



すると、その男、

ちょっと弱気になって、

男「い、いや、
  絶対ということは、
  な、ないかもしれませんが…。」


さあ、ここぞとばかりに、
私は突っ込む。

私「えっ?
  さっきから君は、何度も、
  これは絶対だ、100%だ、間違いない、
  て、言ってるじゃないか。」



と、その男、

急に返事をしなくなり、

キョロキョロと、
私の事務所を見回し始めた。


ここは、
一応音楽事務所ですからね。

オーディオ・セットやら、
ビデオ・デッキやら、
レコード盤やらCDなんかが、
無造作に置かれてあります。



で、その男、
今度は、こんな質問をしてきたのです。


男「ところで、社長は、
  何のお仕事をしているんですか?」

私「見ての通り、音楽の仕事だよ。」


男「というと?」

私「レコード(CD)を作ったり、
  コンサートのプロデュースをしたり。
  ま、そんな仕事だよ。」



すると男は、
真面目な顔で、こう言ったのです。


男「あのお、社長。
  僕を雇ってくれませんかねえ。」

 
  (……。)



私は、思わず大笑い。

そして、こう言ってやりました。


私「アハハハ。
  君も、相当に無責任だなあ。
  気に入ったよ。

  気に入ったけど、
  残念ながら、君を雇う余裕はないんだな。」



こう言って、
丁重にお帰りいただいた訳ですが、

でも、それは、なかなかに、

爽(さわ)やかな別れでしたよ。


彼も、にこやかな顔をして、
帰って行きましたね。

いい思い出です。


その後の、彼の幸運を、

祈らずにはいられません。


………。




とまあ、

“無責任”は、

かくも人生に素敵な潤いを与えてくれるのです。



このように、“無責任”とは、

粋な遊び心であり、
人生のチャーム・ポイントであり、
豊かな発想の源であり、
人生を楽しくする知的ゲームであり、
苦境や困難から脱出する『武器』でもあるのです。



ただし、初めに申し上げたとおり、

3つの原則を守ることが絶対条件です。

1)人を傷つけない
2)人に迷惑を与えない
3)人に損害を与えない



これをもってしても、

O音楽事務所の、
O社長が、

いかに、“無責任使いの名人”
であったかが、

おわかりいただけたと思います。



でも、この3原則を守らないと、

今度は、みなさんが、

世間から非難を浴びることになりますからね。


“無責任”は、

時に『凶器』にも早変わりするので、

くれぐれもご注意下さい。



というわけで、みなさん。


大いに“無責任”に磨きをかけて、


人生を楽しく過ごそうではありませんか。



ご静聴、


まことに、ありがとうございました。



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  パ…チ…パ
  チ…
  パ…?
  ……?
  
  …………??


……………………。




(『無責任教育講座』 おわり)





いやあ、

またしても、大長編になっちゃいました。

アハハ。


というわけで、

もう疲れたので、

今日もエピローグは無しです。


……。




さ、明日は、

新しい「クリスマス・ソング」でも、

書こうっと。


「九段会館」を、

思いっきり楽しくしたいのでね。



では、お休みなさい。


次回は軽めにいきます。



zzz…………。



SHUN MIYAZUMI

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2009 エッセイ 

November 01, 2009

無責任教育講座 その2


エヘン。

お待たせいたしました。


今日もまた、

「無責任の持つ効用」について、

私なりに、いろいろお話したいと思います。


  (パチパチパチ)

  (よっ、待ってました!)


……。



え〜、前回は、

「“無責任“を上手に使うことによって、
 困難や苦境から脱することができる」

というテーマで、
植木等さんのヒット曲を例にあげ、
お話しましたね。


♪わかっちゃいるけど やめられない♪

♪とかくこの世は無責任♪

♪そのうちなんとかなるだろう♪


素晴らしいですねえ。

(いや、ホント、無責任極まりない…。)



でも…、

こうした、

なんとも“無責任”な唄の持つ“極意”を、
悟(さと)ることができれば、

人は、
絶対前向きに頑張っていけると、
私は今もなお、
確信しております。


間違いなく、
鬱(うつ)病なんかは、
退治できるのではないかと、
思っております。


とかくこの世は、

無責任なんですから。


♡♡♡



さて、

“無責任”には、

もう一つの効用、利点があります。


それは…、

「思わぬクリエイティブな発想が生まれる。」

ということ。


……。



え〜、前回、

みなさんから頂戴した、
たくさんのコメントの中に、

「無責任とは、
 “柔軟”あるいは“臨機応変”
 に近いのでは…。」

というご意見がありました。


これもあるとは思いますが、

私はさらに踏み込んで、

「“無責任”とは、

 無邪気な“遊び心”である。」

と言ってみたいですねえ。



私は常々、

「芸術には“遊び心”が不可欠ではないか」

と、思っております。


一例をあげましょう。


ユニークな作品やピアノ・スタイルで有名な、
セロニアス・モンクのDVDの中に、
こんなシーンがありました。

それは、モンク氏の新曲の、
レコーディング・シーン。


汚い、書きなぐりの譜面を見た、
トランペット奏者が、
モンク氏のところに質問に行きます。

「あの〜、モンクさん。
 この音は、B♭でしょうか?
 それとも、Bでしょうか?」


するとモンク氏。

ぶっきらぼうに、こう答えます。

「どっちでもいい。」



私は、ブラウン管の前で、

大笑いしました。


「アハハハ、無責任だな〜。」



でもね…、

この“無責任”さが、

モンク氏特有の、
強烈な“遊び心”であり、

今だに世界中で愛される、
モンク・ミュージックの原点なのです。


おそらく…、

この曲を初めて聴いた、
“責任感の強い”音楽評論家は、
眉をひそめて、
こう言ったでしょうね。

「これは、理論からかけ離れた、
 デタラメに近い無意味な音だ。
 これ一つをとっても、
 彼が、原始的な、無教養の、
 とるに足らない音楽家であることが解る。
 ビル・エヴァンスの爪の垢(あか)でも、
 煎じて飲むべきだ。」


しかし…、

大衆が熱狂的に支持し始めると、
彼は、途端に手のひらを返して、
こう言うはずです。

「これこそ、
 大都会の喧噪と矛盾、
 あるいは人の世の不条理を、
 見事に表現した音である。
 この音一つをとっても、
 モンクの天才は疑いようがない。」

とね。


しかし当のモンク氏は、

やはり、こう言うでしょうね。


「どっちでもいい。」


アハハハ。


(と、ここで水を飲む)




もうひとつ音楽のお話。


ベートーヴェンの『交響曲第3番“英雄”』

その第一楽章には、
驚くべきサウンドが2カ所、
含まれています。


中学生のとき、

それまで「音楽」の授業で、
バッハやモーツァルトの、
美しい古典音楽ばかりを聞かされ、

ツェルニーのピアノ練習曲や、
ハイドンのピアノ・ソナタを練習していた私は、

この、『英雄交響曲 第一楽章』の、
とある部分に、
打ちのめされました。


それは、276小節目。

強烈な、
「ピャー、ピャー、ピャー〜♪」
という不協和音の全体合奏から、

弦楽器だけが、
「ジャッ、ジャッ、ジャッ〜♪」
と、これまた、
今まで聞いたことのない、
不協和音のサウンドに繋がっていくあたり。


これ、今のジャズ理論だったら、

「Fmaj7/A」ー「B7(♭9)」ー「B7」

と、簡単に説明できますが、
(トップをFとEでぶつけてるところは凄いが…)


あの時代(200年前)では、

聴衆の度胆(どぎも)をぬく
「悪魔の奏でるハーモニー」
のようなもの、
だったに違いありません。


さらに、

147小節目と550小節目には、
ジャズ理論でもなかなか表現できない、
3連打の強烈なハーモニーによる、
全体合奏があります。


強いて言うと、

「Adim(addB♭)」(147小節)

あるいは、
「A♭dim(addE♭)」(550小節)

というコード・ネームに
なるのでしょうか…。

(専門的ですみません)



これ、

ベートーヴェン以前の作曲家はもとより、

彼のそれまでの作品の中にも、
ここまでの強烈な不協和音は、
ありません。

ある種の革命的な、
発想ではなかったでしょうか。


ま、今のジャズ音楽に慣れ親しんだ私たちには、
スリリングで心地よい、
ハーモニーなんですがね。



でも、1804年の初演当時。

この曲のスコアを見た、
ベートーヴェンの先生や仲間は、
こう言ったと思います。

「ベートーヴェン君、
 このサウンドは危険だ。
 悪い事は言わない。
 もっと美しいハーモニーに書き直すべきだ。
 素晴らしい曲なのに、
 なんで、こんな冒険をするんだね?」


それに対して、
偉大な、敬愛なるベートーヴェンは、
こう思ったに違いありません。

「だって、やりたかったんだも〜ん。」


……。



そうなんです!


評論家がなんと言おうと、

理論から逸脱した音であろうと、


作る方からしたら、

「どっちでもいい」

ことであり、


「やりたかったんだも〜ん」

のひと言で、

こと足りるのです。



この“無責任さ”こそ、

偉大な“遊び心”であり、

クリエイティブな創作には、

必要不可欠なことではなかろうか…。


と、私は思うのです。


エヘン。
 

(と、ここで水を飲む)




え〜、私は、

音楽はともかく、

美術に関しては、かなりの音痴であります。



お恥ずかしい話ですが、

ピカソの『ゲルニカ』を、
初めて見たとき、
私はこう思ったのです。

「これ、子供のイタズラ書きかな…?」


ダリや岡本太郎先生の作品も、

最初は笑ってしまいました。

(失礼)



しかし…、

何度も見ているうちに、

私はその中から、
なんとも言えない、
“遊び心”を感じてしまいました。


私に言わせれば、

それらは、
やりたい放題、自由奔放の、
極めて“無責任”な抽象絵画であり、

“遊び心”満載の、
「人がなんと言おうと知るか」式の、
極めて“無責任”な彫刻ではないか、

と…。


だから、偉大なんだとも…。



ですから私は、

これから子供に美術を教える先生方に、

ぜひお願いしたいことがあります。


ピカソの『ゲルニカ』を、
子供たちに見せるとき、

「みんな、この絵を書いたピカソという人は、
 20世紀を代表する、
 偉大な天才画家なんですよ。
 よーく見てごらんなさい。
 この構図。このバランス感覚。
 そして、宇宙的な視点から見た物象表現。
 素晴らしいでしょ。
 これぞ天才にしか描けない作品なんですよ。」

などとは、
指導しないでいただきたいのです。

それが真実でも…。


そうすれば子供たちの中に、

「そうかあ…。
 そう言われてみれば、
 確かに天才だなあ…。
 とても僕(私)たち凡人には、
 描(か)けないよなあ…。」

といった、
あきらめの気持ちが生まれてしまいます。



でも、こう言ってみたらどうでしょう。

「みんな、この絵をどう思う?
 あら、このお馬ちゃんはなあに?
 アハハハ、変なお顔だこと。
 おや、この獣(けもの)は何かしら?
 へたっぴすぎて、なんだかわからないわ。
 それに、この不細工な人の顔はどうよ?

 これが、偉大な芸術って言われてるんですよ。
 オホホホ。

 ねえ、こんな絵だったら、
 みんなにも描けるんじゃない?
 ありのままに描くんじゃなくて、
 心の命ずるままに描けばいいのよ。
 無責任に、遊び心をもって、
 描きたいように描けばいいのよ。」


こんなふうに、

“無責任に”指導してみては、

いかがでしょう。


そうすれば、

子供たちの中から、

次々と偉大な画家やクリエイターが生まれ、


日本にも、

芸術の華が咲き乱れるのではないか、

と、私は思うのですが…。


……。



おや、もう時間だ…。



(つづく)




金曜日(10/30)の「A'TRAIN」も、

盛り上がりましたねえ。


みなさん、

ありがとうございました。

また、来月もね…。



さあ、明日から、

またまた大忙し。

ジャミン漬けの毎日。

がんばりますよー。



ということで、

今回は「オチ」なしのエンディング。


たまには…。



SHUN MIYAZUMI

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2009 エッセイ