December 2009

December 30, 2009

町から町へ


はじめに、

前回のクイズの答えです。


その1)「北の宿から」

その2)「上を向いて歩こう」


はい、みなさん正解でしたね。

素晴らしい!


パチパチパチ。



あ、そうだ!

シューベルトの「交響曲第九番(ザ・グレイト)」
の冒頭の2小節は、

『紺碧の空』
でしょうかね、solさん。

高田馬場にある某大学の応援歌…。

……?



とまあ、こんなことをして遊んでいる間に、

今年も残すところ、

あとわずかとなってしまいましたね。


時の経つのは早いものです。


私も、大掃除を残すのみ。

……。



さて、

今年、私はジャミン・ゼブのために、

『町から町へ』
(NOUS VOYAGEONS DE VILLE EN VILLE)

という曲をアレンジしました。


私が敬愛するフランスの作曲家、
ミシェル・ルグランが書いたミュージカル、
『ロシュフォールの恋人たち』
の中に出てくる軽快なナンバーなのですが、

振り返れば、
今年のジャミン・ゼブと私は、
まさに、

そんな一年だったように思います。


そう、

町から町へ…。

……。



12月だけをとってみても、

横須賀、岐阜、船橋、牛久、名古屋、
茅ヶ崎、山形、群馬…。

いやあ、忙しい毎日でしたね。


春先には、
2度の大阪遠征もありましたし、

10月には、
初めて北海道(札幌)にも、
行くことができました。


そして、行く先々で熱烈歓迎。


おかげさまで、

とても充実した一年だったように思います。


♡♡♡



さあ、これで、デヴュー以来、
17都道府県で、
唄うことができたわけですが、

2010年には、
どこまで飛躍できるのでしょうか。

どんな「町から町へ」が、
待ち構えているのでしょうか。

……。



そんな来年のことを考えると、

本当に、ワクワクしてしまいますね。


2年ぶりのニュー・アルバム。

あんな企画やこんな企画。

あんなコンサートやこんなイベント。

……。



もう、やりたいことが、てんこ盛りです。


そして、全国にジャミンの輪を拡げながら、

ジャミンを愛してくださるみなさんと、

今年以上に素晴らしい一年を、

過ごしたいものです。



は〜やくこいこい

おしょうがつ〜。


♪♪♪



ということで、

今年も本当にお世話になりました。


来年も、

素敵なアレンジや企画に、

どんどん精力的に取り組んでいきますからね。


期待していてください。


あ、このブログもね。



そして、2010年がみなさんにとって、

素晴らしい一年になりますように。


よいお年をお迎えください。


See You Next Year!



SHUN MIYAZUMI

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2009 エッセイ 

December 27, 2009

亡き王女のためのパヴァーヌ 後編


1987年○月○日。

ラヴェルの死後50年が過ぎ、
その楽曲の著作権は消滅しました。


私は、念願だった、
『亡き王女のためのパヴァーヌ』
のメロディーをサビに使って、
新しい日本語の「ポップ・バラード」を制作。


「いやあ、いい曲が出来たなあ。
 ウッシッシ。」

と一人、ほくそ笑んでいました。



ところが…、

その話を耳にした、
とあるレコード会社の法務の人から、
思わぬ、衝撃の事実を、

知らされたのです。


「シュンちゃん、
 それは危険だなあ…。
 日本とドイツとイタリアの作曲家は、
 あと10年くらいは、
 ラヴェルの曲を使えないはずだよ。
 やめといた方が無難だよ。」


(な、なんで…?)



日本、ドイツ、イタリア…。

……。


この3国に共通することとは、
何なのでしょう…?


日独伊…。

……?



そうか!

この3国は、

第二次世界大戦における、
戦争犯罪国なんですねえ。


何でも、

戦時下において、
連合国側の作家の著作権を保護しなかった、
という理由で、

この3国には、
あと10年近いペナルティーが科せられた、

というのです。



つまり、

アメリカやイギリスの作曲家は、
もう、この曲を、
勝手に使うことができる。


しかし、

日独伊3国の作曲家は、
あと10年待たなければならない。



『亡き王女のためのパヴァーヌ』


なにせ、
あれだけのメロディーですからね。

10年のうちには、
アメリカやイギリスの作曲家が、
ちゃっかり取り入れて、
素敵な曲を作るに決まっている。


すると、
その曲の権利は、
その作曲家のもの。

それを知らないで、
うっかり使用すると、
今度はその作曲家から訴えられる。

……。



戦争の傷跡は、

こんなところにまで及んでいたんですねえ。


もはや、こうしたアイディアは、

日本人の音楽家には、

永遠に不可能であることを、

思い知らされたのでした。

……。



はい、こんなお話でした。

ちょっと暗い結末でしたね。



では最後に、

ちょっと気分直しに、

クイズでもいきましょうか。



その1)

ショパンの『ピアノ協奏曲第一番』

その第一楽章の、
有名な、甘く切ない第二旋律。

これって、
都はるみさんの、あるヒット曲に、
そっくりなんですが、

さて、その曲とは…?



その2)

ベートーヴェンの『ピアノ協奏曲第五番(皇帝)』

その第一楽章の、
雄大な主旋律。

このメロディーから、
装飾音を取り去ると、
坂本九さんの大ヒット曲になってしまいます。

さて、その曲とは…?


考えてみて下さい。



年内、あと一回くらい更新予定です。



(おわり)




前回、

たくさんのコメントをいただいておきながら、
多忙のあまり、
ロクにお返事もできず、

大変失礼致しました。


久しぶりに、
自宅のPCの前で、
楽しく読まさせていただいております。



そうか…、

『4×4(フォー・バイ・フォー)』


「カシオペアvsリー・リトナー・グループ」


そういえば、
あの中でも、
『パヴァーヌ』やってましたね。

よほど好きだったんでしょうね、私…。


でも、すっかり忘れておりました。

アハハハ。


私の場合、
どちらかというと、

成功した話より、
失敗した話のほうが、
よく覚えているんですね。



それから、

私の書いた『New York Life』の中にある、
ガーシュインのフレーズを見抜いた、
TOMATOさん。

お見事です。


『ラプソディ・イン・ブルー』の一節を、
ちょっとだけお借りしました。

あれで、一気にニューヨーク・ムードに、
なれましたね。

偉大なガーシュイン様に乾杯!


あっ、著作権法には、
まったく引っ掛かりませんので、
ご安心下さい。


♪♪♪



さて、今年も残りわずか。


これから、
のんびりと今年を振り返りながら、

今月、あまり出来なかった「忘年会」を、
親しい友人たちと、
楽しみたいと思っています。



飲むぞー。


ガオ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!



(もういいから…)



SHUN MIYAZUMI


woodymiyazumi at 14:36コメント(19)トラックバック(0) 
2009 エッセイ 

December 20, 2009

亡き王女のためのパヴァーヌ 前編


フランス印象派の大作曲家、

ラヴェルの書いた、

『亡き王女のためのパヴァーヌ』

という曲をご存知ですか?



Maurice Ravel(モーリス・ラヴェル)
(1875〜1937)


私の大好きな作曲家の一人ですが、

どちらかというと、
メロディ・メーカーというよりは、
「サウンドの魔術師」ですかね。

緻密で万華鏡のような、
まばゆいばかりのオーケストレーションが、
圧倒的です。


そのラヴェルの、数ある名曲のなかで、

『ラ・ヴァルス』
『ダフニスとクロエ』
『ボレロ』

あたりと並んで、
私のお気に入りの一曲が、

この、

『亡き王女のためのパヴァーヌ』



美しいメロディ。

哀愁感漂うサウンド。

良質の絵画を観ているような品の良さ。



で…、

若き日の私は、

この曲に日本語の詞をつけて、
ヒットさせてやろうと、
秘かに企(たくら)んでおりました。


♪♪♪



楽曲の著作権は、

その作家の死後50年で消滅します。


50年経てば、
権利がフリーになるわけですから、

誰でも勝手に、
その旋律を使うことができる。



有名なクラシックの曲に詞をつけて、
ちゃっかり“自分のモノ”にしてしまった例は、

過去にいくつもあります。


私が少年の頃に日本でも大ヒットした、
ナンシー・シナトラが歌う、
『レモンのキッス』は、

ポンキュエッリという人の書いた、
『時の踊り』という曲です。


女性ジャズ・シンガー、
サラ・ヴォーンが大ヒットさせた、
『ラバーズ・コンチェルト』は、

バッハの『メヌエット』です。


ラテンの名曲で、
日本では、ザ・ピーナッツがヒットさせた、
『情熱の花』は、

ベートーヴェンの、
『エリーゼのために』



今年のジャミン・ゼブのコンサートで、

7月の「品川教会」や、
つい先日の「九段会館」で、
お客のみなさんと一緒に歌った、

ビリー・ジョエルの
『This Night』
のサビの旋律は、

ベートーヴェンの
『ピアノ・ソナタ 第八番「悲愴」』
の第二楽章のメロディに、
詞をつけたものなのです。



すると…、

あの曲の権利は、

今はビリー・ジョエルが持っている。


それを知らないで、

あのメロディを勝手に使うと、

今度は、ビリー・ジョエルから、

莫大な著作権料を請求される。


という、

なんとも摩訶不思議な現象が起きてしまうのです。



つまり、

早くやったもん勝ち。

……。



で、私は、

『亡き王女のためのパヴァーヌ』が、

フリーになるのを待っていました。


ラヴェルが死んだのは、

1937年です。


すると…、

1987年には、

すべてのラヴェルの楽曲が、

フリーになります。


使い放題です。

ウッシッシです。


こうして、

1987年○月○日。


さあ、カウント・ダウンだ。


3、2、1…、



はい、50年が過ぎました。



私はさっそく、

当時、懇意にしていた、
作曲家の上田知華ちゃんと、
作詞家の岩里祐穂ちゃんを呼んで、

この『亡き王女のためのパヴァーヌ』
のメロディをサビにして、
新たに日本語のポップスを作るよう、
依頼をしました。

そして、それを、
伊東ゆかりさんに歌ってもらおうと、
思っていたのです。


数日後、

狙いどおりの素敵な楽曲が出来ました。


そして、

しっかりお金と時間をかけて、
華麗なストリングスまで入れて、
立派なオケも出来上がりました。


(うん。こりゃ売れそうだ。
 ウッシッシ。)



ところが…、


ところが……、


………。



(つづく)




それにしても、

ずいぶん更新が途絶えてしまいました。


いやあ、本当に忙しかったもんで…。


なにせ、

きょう(20日)が、

12月に入って、

“最初のお休み”だったくらいですから…。


ふ〜…。



でも、充実の日々でした。

素晴らしいコンサートも、

新しい出会いも、

いっぱいありました。


来年が、

ますます楽しみになってきました。



さあ、あとひとふんばり。


今週は、

温泉ライブ2連発(山形、群馬)の後、

25日(金)の学芸大「A'TRAIN」で、

今年のピアノの弾き納め。


それを乗り切れば、

ようやく一段落です。


ようし!



ガオ〜〜〜〜〜〜〜〜!!!



(最近、“オチ”もワン・パターンだな…。)



SHUN MIYAZUMI


woodymiyazumi at 23:55コメント(19)トラックバック(0) 
2009 エッセイ 

December 08, 2009

ノーマン・シモンズ 後編


「ピアノは、

 ノーマン・シモンズ!!」


世界的なジャズ・シンガー『アニタ・オデイ』が、
そう紹介したとき、

私は思わず、

「うそだろう…?」
と、まさに椅子から飛び上がらんばかり。


いやあ、本当に驚きました!

……。



まさか、アニタが、

あのノーマン・シモンズを連れて来ているとは、

まったく知りませんでしたからね。


(この人が、ノーマン・シモンズだったのか。
 どうりで上手い訳だ…。)



Norman Simmons
(ノーマン・シモンズ)


私がジャズを始めた、
大学生のときから、
それこそ何度も何度も聴いた名盤、

『カーメン・マクレエ / イン・パーソン』


その中で、

「これぞ歌伴のお手本」とも言うべき、
いぶし銀のようなプレイを聴かせる、
ノーマン・シモンズのピアノは、

ずっと私のバイブルであり、
心の師匠でもあったのです。



その彼が、

今、私のすぐ目の前で、
演奏している。

手を伸ばせば、
触れるようなところで…。


今まで、レコードでしか知り得(え)なかった、
本物のジャズ・ピアノ。
本物の歌伴(うたばん)。

しかも相手は、
あの世界的なアニタ・オデイ。

これが狂喜せずにいられましょうか。



そして、

アニタには申し訳ないのですが、


それからというものは、
歌はほとんど耳に入らず、

私は、もう食い入るように、
そのピアノ・プレイばかりを、
見続けていたのです。


何しろ「生きたお手本」が、
目の前で演奏しているのですから。


「いやあ、いいコード弾くなあ…。」

「なるほど、そこはそう弾くのか…。」

「おっと、粋な間(あい)の手だなあ…。」

「ううむ、そういう押さえ方もあったか…。」

「こりゃ歌いやすいだろうな、歌手は…。」


とまあ、感心しながら、

鍵盤ばかり見ていた私。


♪♪♪



こうして、

約1時間にも及ぶ、
素晴らしいミニ・ライブは、
あっという間に終了。

私にとっての夢のような時間も、
あっという間に過ぎてしまいました。



ライブが終わると、

アニタの周りには、
ジャズ・ファンのおじさま、おばさまで、
たちどころに黒山の人だかり。

なにせ、大スターですからね。


たくさんの花束や、
思い思いのプレゼントを手にしたアニタは、

満面の笑みで、一人ずつていねいに、
ファン・サービスにつとめておりました。



で、私はというと…、

ノーマン・シモンズの後を、

金魚の糞のように、
付いてまわっていた…。


「なんでも形から入れ」
というのが私の持論ですからね。

「盗める物は、なんでも盗んでやれ」
とばかりに、
まるで背後霊のように、

ピタッと彼のそばから離れない。



そうこうするうちに…、

どこかのタニマチ風のおじさんが、
「ノーマンを連れて、
 ピアノ・バーへ繰り出そう」
と言いだした。

「いいわね、いいわね。」
とばかりに、
3、4人のご婦人も参加の意思表明。


もちろん私も、
「あ、あの、
 ぼ、ぼくも行ってもいいですかあ。」
とおねだりして、
連れてってもらうことになりました。

(ヤッター!)



そして、到着したのが、

永田町は、
自民党会館のすぐそばにある、
ピアノ・バー。

時間は、
深夜の0時を過ぎていたように思います。


そこは、
円形の小さなお店で、

真ん中にグランド・ピアノが、
デーンと置いてあり、
周りにテーブルとソファがいくつかある、
といった、ちょっとリッチな感じのバーでした。


そして、みんなで、

カンパーイ!


ノーマンさんも、
すこぶるご機嫌の様子。

楽しそうに、
お酒を飲みながら、
タニマチやご婦人方と、
会話を楽しんでいましたね。



と、そのうち…、

私の存在に気づいたノーマンさんが、
こんなことを聞いてきました。

「ところで君は、何か楽器はやるの?」


私は、勇気をふりしぼって、
こう答えました。

「え、ええ…、ピアノを少々。
 学生時代はプロをめざしてやってたんですが、
 今は、レコード会社に就職して、
 プロデューサーの卵みたいな仕事を、
 やってるんです。」


すると、ノーマンさん、

「どうだい、一曲、
 聞かせてくれないか。」

ときた。



(ガーン!)

……。



途端に緊張が走った私でしたが、

でも、こんなチャンスは、
そうあるものではありませんからね。

せっかくだから、
何かご指南でもいただければ幸い…。


というわけで私は、

厚かましさを承知の上でピアノに向かい、
一曲演奏を始めました。


当時の私は、

まだ23、4才の青二才。


もう破れかぶれですが、

とにかく一生懸命演奏しました。


ノーマンさんも、

真剣に聴いてくれてるようでした。


♪♪♪



こうして1曲、

なんとか弾き終えました。


もう、緊張で、

汗びっしょりです…。



すると…、


信じられないことが…、

起きたのです。

……。



ノーマンさんが急に立ち上がり、

ニコニコしながらピアノのそばにやって来て、

「どうだ、一緒に演奏しないか。」

と言ってくれたのです。


そして、ピアノの椅子を二人で分け合い、

彼が主に低音部分を受け持って、

連弾が始まりました。



信じられない出来事です。


夢のような出来事です。



こうして、

彼の伴奏で私は、
ブルースを、
自分の力の限り弾く。


すると、ノーマンさんは、

「イエーイ! いいぞ、もっといけ。」

「ダメダメやめちゃ。
 もう1コーラスいこう。」

と、懸命に乗せてくれるのです。


私がソロを終えると、
今度は、彼が低音部でソロを取り始め、
私が上の方で伴奏する。

そのうち、緊張もほぐれ、
私もついノリノリに。

彼も、なんとも楽しそうに、
演奏を続ける。


そして、一曲終わると、

「いやあ、いいねえ君。
 もう一曲やろう。
 あの曲は知ってるかい。
 OK。じゃイントロは僕が弾くから、
 テーマを頼むよ。」


そして、私がソロを取りだすと、

「イエーイ! イエーイ!
 いいぞ、いいぞ、ゴキゲンだぞ。」

と、またまた乗せてくれるのです。



コンサートを終え、

ミニ・ライブを終え、

もう、かなり疲れてるでしょうに、

彼は、私との連弾をやめようとしない。


「もう一曲いこう。」

「よし、今度はあの曲をやろう。」

「イエーイ! もっと続けろ。
 いいぞ、いいソロだぞ!」



こうして、時計の針は、

2時を廻り、

3時を廻り、


私とノーマン・シモンズさんとの連弾は、

約3時間近くにも及び、

終わったときには、

朝を迎えようとしていたのです。


……。




さて、すべての演奏が終わると、

彼は満面の笑みで立ち上がり、

私に握手を求め、

こう言ってくれました。


(これ、自慢話のように聞こえたら、
 ごめんなさい。
 でも、事実なんです…。)


「君のブルースは本物だ。
 最高だ。
 君は、ピアノをやめてはいけない。
 どんな仕事に就(つ)こうが、
 ジャズ・ピアノだけは続けて欲しい。」

「……。」



もちろん、お世辞でしょうが、

でも私にとっては、

涙が出るほど嬉しいお言葉でした。



以来私は、

ジャズ・ピアノと、

ジャズの研究だけは、

細々と続けていたのです。


この、彼のひと言だけを支えに…。



そして、それが、

30年後に、

ジャミン・ゼブのプロジェクトに繋がったことは、

言うまでもありませんね。



ノーマン・シモンズさん♪



私の人生の恩人と言ったら、


言い過ぎでしょうかねえ…。



……。




(おわり)






さあ、怒濤の冬の陣が始まりました。


横須賀、岐阜、

そして、


ジャーン!


九段会館!!



準備万端整いました。

万全のコンディションで臨みたいものです。


熱い盛り上がりをお願いします。


そして九段を、

感動で一杯にしましょう。



やるぞー!


ガオ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!


(まただ…)


……。



SHUN MIYAZUMI


woodymiyazumi at 14:22コメント(23)トラックバック(0) 
2009 エッセイ | 偉大なジャズメンたち