July 2010
July 31, 2010
ベビー・フェイス
いやあ、あちら(Zeblog)でも始まりましたね。
『しまうま航海記』
謎のレポーター、
マルコメXさんの力の入った紀行記。
写真をふんだんに使った、
かなり本格的なもので、
しかも激しい頻度で公開しそう。
ですから、
今後「紀行記」はあちらにまかせるとして、
ここでは、
この旅の間に感じた印象的な出来事をいくつか、
私なりに振り返ってみようと思います。
きょうのテーマは、
「白人女性から見た日本男性は、
童顔(ベビー・フェイス)に見える?」
ん? なんですかねコレ?
はい、こんなことがありました。
7月3日
シアトルへ向かうデルタ航空内でのことです。
ご承知のように、
「デルタ航空」というのは、
アメリカの飛行機会社です。
ですから、
パーサーもスチュワーデスも、
ほとんどアメリカ人。
そんなアメリカ人スチュワーデスのお姉さんが、
食事を運んできて、
「何かお飲物は?」
はい、私はビール。
そして、
私の隣に座っていたコージローは、
「赤ワイン下さい。」
と言いました。
すると、
そのお姉さん、
コージローの顔をまじまじと見て、
「あなた、20才(はたち)過ぎてるんでしょうね。」
と聞いたのです。
これ、ビックリしましたね。
彼は今年29才です。
日本だったら、
こんなこと言われたことないはずです。
ま、確かに可愛い顔はしてますが、
でも、間違っても未成年には、
絶対見えません。
とても、不思議な気がしました。
お次は、アンカレッジでのこと。
前回も掲載しましたが、
この写真をもう一度見て下さい。

右側に赤いネオンで「OPEN」
という文字が見えますね。
(クリックで拡大できます)
これ、酒屋なんですね。
じつは、私、
アンカレッジの街へ出たら、
絶対にお酒を仕込もうと思っていました。
「飛鳥II」の船内では、
すべての食べ物(「高級寿司屋」を除く)と、
ソフト・ドリンク(コーラを除く)は、
すべて無料です。
しかも、
夜中を除いては、
いつでも何かしら食べられるし、
いつでも飲む事ができます。
朝食は「和食」か「洋食バイキング」
昼食は「日替わり」のメニュー
(「麺類」だったり「うなぎ」だったり)
か、「洋食バイキング」
夕食は毎晩「日替わり」のフル・コース
(和食の日もあれば、フランス料理もあれば、
まあまあ、毎日結婚式の披露宴のような、
ゴージャスさですの。おほほほ。)
さらには、
11F「リド・ガーデン」というところへ行くと、
「ハンバーガー」だの「ざるそば」だの「焼きそば」だの、
いつでも食べられる。
夜食も23:30までオーケー。
「うどん」「そば」「おにぎり」「パン」「フルーツ」
また、6Fの「ビストロ」というところでは、
ケーキやお菓子やフルーツなどが、
やはり、いつでも食べられます。
飲み物も、な〜んでもタダ。
どこでコーヒーやジュースを飲もうと、
ぜ〜んぶタダ。
だから…、
私は恐れていたのです。
たとえば朝食。
5Fの「メイン・ダイニング」では和食です。
11Fに行くと「洋食バイキング」がオープンしています。
これ、時間的に、
両方食べることも可能なのです。
昼も同じ。
さらには間食に夜食。
で、2年前、
初めて「飛鳥II」に乗ったとき、
なんと、ジャミンのメンバーのなかに、
1日に8食、
食ったやつがいるのです。
え〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!?
……。
あれ? なんの話でしたかね?
……。
そうだ、お酒の話だった。
そんな素晴らしい「飛鳥II」さんですが、
アルコールだけは、
お酒だけは、
有料なのです。
それも、
普通に陸と同じようなお値段です。
「生ビール」700円とか。
「ウイスキー水割り」800円とか。
船内には「バー」もいくつかありますが、
そんなところで毎晩酒量を満たしていては、
お金がいくらあっても足りません。
(そりゃ、飲み過ぎだからだろ)
ショップにもウイスキーのボトルは売ってますが、
好きなものがあるかどうかは、
わからない。
ここへ来るまでの空港で手に入れることも可能ですが、
今回は荷物が多いので、
なるべく目的地(スワード)の最短距離で、
手に入れたい。
となると、
ここアンカレッジしかありません。
はい、というわけで私は、
食事のあとここへ寄って、
ウイスキーのボトルを1本買おうと、
心に決めておりました。
あら、レンセイ君も、
同じ考えだったの?
あれ、コージローさんも?
ええっ? スティーブも?
おいおい、シモンもかよ。
……。
というわけで、
私たちはお店に入って、
「どれにしようかなぁ?」
で、私が決めかねてるとき、
レジのほうが何やら騒がしい。
「何ごとか」と行ってみると、
レジのお姉さんが、
「あんたたち、未成年でしょ。
だからお酒は売れないわ。」
と、言ってるようなのです。
レンセイとコージローは、
運良くパスポートを持っていたので、
すんなり買えましたが、
スティーブとシモンは、
パスポートを持っておらず、
どう説明しても信用してくれません。
そうですかねえ…?
スティーブ、未成年に見えますかねえ…?
彼も今年28才ですよ。
結局彼らは、
往復で30分もかけて、
もう一度パスポートを取りに、
ホテルまで戻るハメになったのですが、
これも、なんとも不可思議な出来事でした。
さらに、
「飛鳥II」の船内には、
私の大のお気に入りスポットがあります。
それは、
『シガー・バー』
そこに、初めてシモンを連れて行ったときも、
同じことが起きました。
そこのウェイトレスちゃんは、
クロアチア人の可愛い子。
で、シモンが、
「ジントニック下さい。」
と言うやいなや、
「あなた、20才(ハタチ)過ぎてますか?」
……。
ジャミン・ゼブの4人が、
童顔なのでしょうか。
それとも、
白人女性から見て日本人は、
子供っぽく見えるのでしょうか。
今もって、
私のなかでは謎です。
……?
ちなみに、
我々グループのなかで、
最高のベビー・フェイス(童顔)は、
なんといっても、
マネージャーの、
Y浅ショーちゃんです。
彼はおそらく今でも、
アメリカの酒屋では、
パスポートの提示を求められるでしょうね。
アハハハ。
ショーちゃん、
もうすぐ50才になるんだっけ?
うっそ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!??
SHUN MIYAZUMI
July 24, 2010
白夜(アンカレッジの夜)
かつて、
アメリカ東海岸やヨーロッパへ行くには、
必ずと言っていいほど、
ここを経由していた、
アンカレッジ(Anchorage)空港。
私の記憶によれば、
成田から7時間ほどのフライトのはずでした。
ところが…
送られて来たチケットは…、
まずシアトル(Seattle)まで8時間飛んで、
5時間のトランジットの後、
アラスカ・エアライン(Alaska Airlines)に乗り換えて、
さらに3時間のフライト。
所要時間16時間という、
えらく手間のかかるものでした。
時の流れを感じずには、
いられませんね…。
だからきっと、
「アラスカうどん」なんて、
もう無いんだろうな…。
……。
というわけで、
はい、ようやく到着しました、
アンカレッジちゃん。
空港の外へ出てみると、
ぶるるる、
こりゃ寒いわい。
出迎えに来ていただいた、
「郵船クルーズ」さん手配のバスに乗り、
とりあえず、
今宵1泊するホテルに向かう。
15分ほどで到着。
おや…、
これは…、
なかなか素敵なホテルじゃありませんか。
というわけで、
さっそく写真を1枚パチリ。

で、
うまい具合にお腹も減っていたので、
荷物を部屋に入れた私たちは、
とりあえず街に繰り出そうじゃないか、
ということになりました。
(見た感じ、この辺りにはなにもない)
さあ、ここで、
が然、力を発揮するのが、
英語の得意なレンセイ君。
(あたりまえだろ)
そしてこのとき、
私はレンセイに、
「アメリカ隊長」の称号を与えました。
「エヘン。
いいかい、レンセイ。
きょうは君が隊長だ。
さっそくフロントに行って、あのお姉さんに、
お薦めのレストランを幾つかと、
その行き方を聞いてくるのだ。
できればシーフード料理がいいな。
ここはアラスカだからね。」
「ワカリマシタ。
マカセテクダサイ。」
と言うやいなや、
彼は意気揚々とフロントへ駆けて行った。

数分後、
ニコニコ顔で戻って来たレンセイくん。
「ハイ、ワカリマシタヨ。
ココカラアルイテ 15フンモイクト、
ダウンタウンデス
イイオミセガ タクサン アルミタイデスヨ」
と、ご丁寧に地図までもらって来てくれました。
「でかしたぞ、レンセイ!」
とりあえず褒められて、
嬉しそうなレンセイくん。
いやあ、素晴らしいチームですね。
どこへ行っても、常に適材適所。
完璧な布陣だ。
アハハハ。
というわけで、
喜々としてナビを務めるレンセイ君の後を、
金魚のフンのようにくっついて行く私たち。
「エエト、アノムコウアタリガ、
ダウンタウン ミタイデスヨ
サ イキマショ イキマショ」

「エエト、コノミチヲ マガッテ ト…」

「ハイ ミナサン コッチデスヨ コッチ コッチ」

そして、
フロントのお姉さんが、
地図に赤丸を付けてくれた幾つかのお店のなかで、
私たちが選んだのは、
わりと大衆的な、
オープンな感じのシーフード・レストランでした。
メニューを見ると、
どれも美味しそうなシーフードがズラリ。
カニ、エビ、サーモンetc.
く〜〜〜ッ。
大して高くなさそうなので、
それらをごっそり注文して、
さあ、いただきまーす。
……。
う、
う、
うま〜〜〜〜〜〜〜〜い!!
えっ?
料理の写真がないじゃないか、
ですって?
あたりまえです。
この人たちと食べるときに、
「写真を撮る」などという、
悠長なことをしている暇はありません。
危険極まりないことです。
なにしろ、
ハイエナがエサに群がるようなスピードで、
「あっ!」という間に、
無くなってしまうんですから。
こっちも空腹ですからね。
ええ、必死ですよ、必死。
というわけで、
あっという間に、
ほら、こんな感じです。

なぬっ!?
まだ足りないだと。
まだ食う気か…?
……。
しょうがないなあ…。
じゃ、最後に肉でもいくか。
というわけで、
ええい、きょうは大奮発。
特大スペアリブだ!
わ〜い、いただきま〜す。

で、これも、
あっという間に…、

あ〜あ…、、
あ、あ、…、
……。。。
(画像はすべてクリックで拡大。
というか、拡大すると、
面白さが倍増します。)
ところで…、
このレストラン、
ずいぶんと明るいでしょ。
時折、陽の光が降り注ぐオープン・レストラン。
日本だったら、まだ午後の3時とか4時。
そんな感じですか。
でも…、
このとき…、
実は…、
……??
驚いちゃいけませんよ。
なんと…、
夜の10時なんです。
え〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!?
そう、白夜(びゃくや)ね。
ニューヨークやロサンゼルスでも、
この季節は日没が9時くらいで、
最初は、随分と驚いたものですが、
そんなの可愛いもんです。
結局、夜らしい夜になったのは、
深夜の1時くらいでしたか。
そして、
これから約10日間、
我々はこの“白夜”というものを、
イヤというほど味わうことになるんですね。
だから本来なら、
「こうしてアンカレッジの夜は更(ふ)けていった。」
と締めくくりたいところなのですが、
「こうしてアンカレッジの夜は、
いつまでも更けないのであった。」
これが正解です。
地球は広い…。
……。
(つづく)
それにしても暑い。
暑い、暑い、暑〜〜〜い!!!
あちこちで、
熱中症で倒れる方が続出とか。
そんな中、
明日は越谷で屋外フリーライブ。
みなさん、
暑さ対策は万全で、
お出かけ下さいね。
かつても書きましたが、
私が思うに、
暑さに負けない食べ物は、
「鍋焼きうどん」か「釜揚げうどん」
暑さには熱さで対抗するのです。
「暑さなんかに負けないぞー」
と、汗だくになって、
食って、食って、食いまくるのです。
(やっぱり食うんだな)
ん?
……。
SHUN MIYAZUMI
PS:さっき、マネージャーのY浅ショージ君から
連絡がありまして、
あしたは屋内だそうです。
ホッ…。
July 19, 2010
アンカレッジ
アンカレッジ(Anchorage)というのは、
アメリカ合衆国の最北端にある、
アラスカ州の州都です。
そして、
アンカレッジの名前を聞いて、
「ああ、懐かしい…。」
と、即座に反応する人は、
おそらく年配の方でしょうね。
今の若い人には、
あまり馴染みのない地名ではないでしょうか。
でも、
1970年〜80年代、
私がアルファ・レコードにいた時代、
ニューヨークやロンドンへ出かける時は、
今のように直行便など無く、
このアンカレッジを経由、
1〜2時間の途中休憩の後、
(おそらく給油のため)
再び飛行するというのが、
最短コースでした。
そんな時代、
このアンカレッジ空港に降り立つと、
真っ先に目に飛び込んでくるのが、
「アラスカうどん」
という “のぼり”。
ま、
今や日本料理は、
アメリカ人の間でも大ブームで、
ニューヨークなんか行っても、
困ることはありませんが、
当時は、
ひと苦労でした。
やっとの思いで見つけても、
2、30代の若者には手の出ない、
高級日本料理屋だったり、
「ラーメン」の、「メ」の字が、
左右逆の怪しげな店だったりで、
とても入る気がしない。
そんな感じでしたね。
ところで、
昨年『夏の6週間』
というお話でも書きましたが、
私は海外に出ると、
あえて日本食を好みません。
せっかくのチャンスなのだから、
その土地、その土地の美味しいものを探して、
食べ歩きたい。
これは、当時も今も、
私の変わらぬポリシーです。
しかし、
レコーディングという長丁場で、
3〜4週間も海外にいますとね、
やはり、
日本食は恋しくなる。
それも、
「うどん」「そば」「カツ丼」「カレーライス」
といった、
庶民的な日本食がね。
そんな、日本人の弱みにつけこんだのが、
この「アラスカうどん」という代物。
どう見ても、
日本人が作ってるとは思えない代物。
そして、
これが、
やはり、
とてつもなく、
まずい…。
これのどこが「うどん」じゃい、
と言いたいくらいまずい。
……。
しかし、
日本食に飢えてる私たちは、
思わず手を出してしまう。
あと7時間も我慢すれば、
日本へ帰れるのに、
ちゃんとした「うどん」が食べられるのに、
思わず注文してしまう。
そして…、
あ〜あ…、
あ、あ……。
そんな、
思い出のアンカレッジを、
再び訪れることになりました。
しかも、
かつては空港内までだったのが、
市内で1泊することになったのです。
4月4日に横浜を出港した豪華客船、
『飛鳥II ワールド・クルーズ2010』
最後のエンターテインメントとして、
ジャミン・ゼブがご指名を受けたのです。
行程は、
7月4日、
アラスカは「スワード」の港で乗り込み、
ベーリング海を渡り、
ロシアを経由して、
7月15日横浜までという航路です。
はい、
というわけで、
行ってまいりました。
写真もいっぱい撮ってきました。
アラスカ、ロシアといった北の大地。
凍りつくようなベーリング海。
そして、
「竜宮城」とでも言いたい、
豪華客船での優雅な毎日。
で、
せっかくのチャンスですからね。
これからしばらく、
このブログとゼブログでは、
視点を変えて、
この航海記を、
たくさんの写真を掲載しながら、
お送りしてみようと思います。
まずは、小手しらべに、
こんな写真を1枚。

どうです。
私にしては、
よく撮れてるでしょ。
今後が期待できるでしょ。
というわけで、
もう1枚、

(画像はクリックすると拡大)
あははは。
シマムの真似。
(これ、楽しそうだな)
(つづく)
さて、昨日(7/18)、
ジャミン・ゼブ「DVD Shooting Live」
にお越し下さったみなさま。
熱い声援に拍手に盛り上がり。
本当にありがとうございました。
おかげさまで、
映像も音も、
迫力のある、
満足のいくものが収録できたのではないかと、
思っております。
さ、これから私は、
映像の編集に立ち会い、
音の完成のためにスタジオにこもり、
素晴らしい作品を完成させるために、
この夏を頑張ります。
すさまじい「夏の陣」ライブの間隙をぬって、
頑張ります。
夏バテなんかしている暇はありません。
「ガオ〜〜〜〜」
炸裂です。
……。
それにしても、
暑いな…、
ニッポン…。
恋しいぞ、
アラスカ…。
……。
SHUN MIYAZUMI
July 10, 2010
海の上のピアニスト
みなさん、こんにちは。
東京を出て、早や一週間が過ぎました。
なんだか東京でも豪雨があったみたいですね。
お見舞い申し上げます。
そう、昨日あたりから、
NHKのニュースも入るようになって、
そちらの事情も手に取るようにわかります。
サッカーの決勝が、
「スペインーオランダ」というのも、
ちゃ〜んと知っています。
すごい時代ですねえ。
ただし、著作権の関係で、
動画は見ることができません。
残念。
さて今宵は、このクルーズ最後のショー。
明日から4日間は、
完全にオフとなりますが、
なあに私は、
この鬼マネージャーは、
遊ばせやしません。
午後は毎日、
新曲の練習、練習、練習!
というわけで、
海の上からは、
とてもお金がかかるので、
きょうはこのへんで失礼致します。
さ、リハーサルがはじまるぞ。
SHUN MIYAZUMI