November 2010

November 28, 2010

トミー・リピューマ その3


1978年。

私が1974年に大学を出て就職した、
「アルファ&アソシエイツ」という、
小さな小さな原盤会社は、

この頃には、
「アルファ・レコード」という、
立派なレコード会社に成長していました。


赤い鳥、ガロに始まり、
荒井由実、ハイ・ファイ・セット、タモリ、吉田美奈子、
といった注目のアーティストを次々世に送り、

社員の数も急激に増え、

今では「A&M」という、
アメリカを代表する洋楽レーベルを扱うほどの会社に、
成長していたのです。



で、早くも余談ですが…、

「A&M」というレコード会社は、
まさに、「アルファ」のお手本とも言うべきレーベル、
レコード会社でしたね。


「ハーブ・アルパート&ティファナ・ブラス」
でお馴染みのトランペッター、
ハーブ・アルパートさんと、

超一流のビジネス・マンであるところの、
ジェリー・モスというおじさんが作った、

趣味のいい、常に最先端のサウンドを発表し続ける、
理想的とも言えるレコード会社でした。



そう、もうおわかりのように、

「A&M」とは、

アルパートのAと、
モスのMを文字ったネーミングなんですね。


セルジオ・メンデス&ブラジル66
カーペンターズ
クインシー・ジョーンズ
ポリス、スティクス、チャック・マンジョーネ
ピーター・フランプトン、ジョー・ジャクソン
etc.etc.


こんな人たちの音楽と青春時代を過ごした方も、
多いのではないでしょうか。

むろん私もそうですが…。


♪♪♪




さらに余談ですが、

ええと、あれはいつのことだったかな…。


1980年の12月だったでしょうか…。

……。



それは、

カシオペアのアメリカ・デビューが決まり、
彼らとレコーディングのため、
ロスに長期滞在していたときのこと。


私とカシオペアのメンバー4人は、

この「A&M」社のクリスマス・パーティーに、
光栄にもご招待を受けたのです。



いやあ、

ハリウッド映画や「刑事コロンボ」でしか見た事のない、
華やかな本場アメリカ上流界のパーティー。


なんと、

本物の「グレン・ミラー楽団」が、
優雅に演奏するなかを、

(といっても当のグレン・ミラーさんは、
 とっくにこの世にはいませんがね。)

美しく着飾った紳士、淑女が、
華麗にダンスを踊ったりしている。


まさに、目も眩むような華やかさ。


まだ20代の、
アジアからやってきた、
私ら小僧どもは、

どう身を対処していいのかわからず、
只只おろおろしておりました。



しかも、

クインシー・ジョーンズを筆頭に、
名だたるミュージシャンが、
あちこちで談笑している。


「うわっ、○○だ。」
「おい、あそこに△△がいるぞ。」
「ぎゃー、□□だ。誰かサインもらって来てよ。」

とまあ、
食事も酒もそっちのけで、
完全にミーハーなお上(のぼ)りさん集団の私たち。

……。



そんな中、

美しいドレスに身を包んだ女性たちに囲まれて、
格好よく振る舞う一人の長身の美男子が、
ひときわ目を引きましたね。

というか、
その男が行くところ、
キャーキャーと女性たちが追っかけていく。


それが、

ハーブ・アルパートさんでした。


映画俳優かと思わせるようなルックス、長身。

しかもヒット連発の著名なミュージシャン。

しかも有名レコード会社の副社長で超お金持ち。


もてないわけがありませんよね。


クソッ…。

(天は二物どころか、
 何物与えたのだこの男には…。)



いやあ、でもホント、

格好よかったですよ、

ハーブ・アルパートさん。



そうだ、だんだん思い出してきたぞ。


これはカシオペアの4枚目のアルバム、
『Eyes Of The Mind』
のレコーディングのときの話です。

(と、昔のアルバムを見てみると、
 1980年ロス・アンジェルス録音とありましたから。)


サウンド・プロデューサーは、
かの名ドラマー、

ハービー・メイソン氏でしたね。



そうそう、またまた余談ですが、

このときアルファは、
調子にのって、
アメリカにまで進出しようとしちゃったのです。


その名も『アルファ・アメリカ』


ま、これが結局は大失敗で、

逆に寿命を縮めることになったのですが、

その時はそんなこと知る由もなかった…。



で、わがカシオペアも、

そんな『アルファ・アメリカ』から、

アメリカ・デビューという光栄を授かったのでした。



そんな『アルファ・アメリカ』の社長に就任した、
ボブ・フィード(だったかな…?)とかいう人の家で、
これまた豪華なパーティーが行われるというので、

私も、ハービー・メイソン氏の車で、
お邪魔することになったのでした。

(ほんと、アメリカ人て、
 パーティーが好きだな。パーリィーが…。)



で、これがまた、

ハリウッド映画そのもの世界。



彼の家は、

ベルウェアという、
ビバリー・ヒルズと並ぶ、
ロスを代表する高級住宅地の山頂にありました。


曲がりくねった坂道を上って行く左右には、
映画でしか見た事のないような高級住宅が立ち並ぶ。


その度にハービーが、

「シュン、あれ、ハービー・ハンコックの家だよ。」

とか、

「あれは、バリー・マニロウの家だよ。」


と教えてくれるのですが、


この頃には、


「ふん、それがどうしたの…。」

て感じで、

もう慣れっこになってましたね。


さすがの私も。

……。



でも、到着したボブ社長の家が、

やっぱりすごかった…。


ベルウェアの頂(いただき)からは、
眩いばかりのロスの夜景が一望。


そして、

家に呼ばれたフランス料理のシェフたちが、
腕によりをかけた料理を次から次に作り、

ボーイたちがそんな料理やワインやお酒を運び、
招待された紳士、淑女らが、
あちこちで、グラス片手に楽しそうに談笑している。


これがまたハリウッド映画そのもの。



クソッ…、

ここでも私たちは、

アジアから来た小僧で、
おとなしくしていなければならんのか。

……。



「コロンボさ~ん、
 きっとこのなかに犯人がいるよ~。
 早く来てちょうだ~い。」

とでも言いたい心境の私。



と思うでしょ…?



ところが、

もうこの頃には、
厚かましい、態度のでかい、
いつもの私を取り戻していましたよ。



そんな時、

私は、

プール・サイドから夜景を眺めている、

一人の若い女性に気がつきました。



私はワイン・グラス片手に、その女性に近づき、

「ハーイ、
 マイ・ネーム・イズ・シュン、
 あなたお一人ですか…?」

と、英語で話しかける。

(あたりまえだ)



すると彼女も、

まんざらでもなさそうな感じで、

ニコニコ話かけてきたのでした。

(ウッシッシ)



と、そこに…、


ボブ・ジェームスという、
有名な作・編曲家でキーボード奏者が現れ、

私たちの中に割って入り、
彼女を口説き始めた。

(むむ、これはまずい…。
 おっさんとはいえ、
 やつも有名人だ。金もどっちゃり持ってるし…。)



ところが…、


ジャーン!


この勝負、私の勝ち~~~!!



彼女は私の手を取り、

「あたし、今シュンと飲んでるの。
 悪いけど、あっち行ってくださる~。」

と、あの天下のボブ・ジェームス氏を、
「シッシッ」と追っ払ったのです。


あは、

あははは、

あははははははははははは。


( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \


(最近、連発しすぎだな…)


……。




ん…?


まてよ…、


なんの話でしたっけ…?


……??




おっと、そうか、



トミー・リピューマの話でしたね…。



……。




(つづく)




昨日は一日廃人でした。

というのも、
前の日(金曜日)が、
月末定例「A'TRAIN」ライブだったから。


いやあ、飲んだ、飲んだ。

ピアノを弾いた印象があまりなくて、
飲んでどんちゃん騒ぎばかりしていたような…。


いいんでしょうか…。

……。


ま、いいか。

あははは。



そんな私の月一ライブですが、

12月は変則スケジュールです。


12/31(金)はすでにお店がお休み。

12/24(金)はジャミンのお仕事なので、
これもダメ!


ということで、

12/28(火)の変則開催となります。

(7:30開店 8:30スタート
 は変わらず。)


どうぞ、お間違えのなきよう。



さ、明日は早起きして名古屋出張だ。


山本屋の「味噌煮込みうどん」

食べたいな…。


食べれるかな…。


……。



SHUN MIYAZUMI

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2010 エッセイ 

November 21, 2010

トミー・リピューマ その2


私が大学を卒業してすぐに入社した、
『アルファ・レコード』

(入社したときは「アルファ&アソシエイツ」
 という小さな原盤会社)

には、一つのジンクスがありました。


それは、

「アルファが紀伊国屋ホールで1週間興行をやった
 アーチスト(プロジェクト)は、必ず成功する!」

というものでした。



今もあるのかな?

新宿の「紀伊国屋書店」

……。



その7階に、

「紀伊国屋ホール」という名の、
300人も入ればいっぱいの、
小さな劇場がありました。

普段はお芝居とか落語とか、
ま、ちょっとした文化的な出し物が主で、
音楽のコンサートというのは、
あまり無かったような気がします。


そこでアルファが最初にやったコンサートが、
荒井由実とハイ・ファイ・セットの、
ジョイント1週間興行。


さっき調べたら1975年となっていましたから、
ユーミンもまだブレイク前ですね。

「赤い鳥」が分裂して、
「ハイ・ファイ・セット」が誕生してすぐの頃。

ユーミンとセットで“一石二鳥ヒット”を狙った、
“アルファらしい”といえばいえる企画ですかね。



でも私、これって、

あまり覚えてないんですね。


おそらく、

入社2年目の、ぺぇぺぇの私は、

当日券の販売だの、
切符の“もぎり”だの、
レコードやグッズの販売だの、
弁当の手配だの、

ま、雑用にこき使われていたのでしょうね。


なにせ、
「アルファ&アソシエイツ」というのは、
小さな小さな会社でしたから。

でも、
「みんなで力を合わせて一緒に作り上げる」
という、家族的な雰囲気を持った会社でした。


ん? 

なんだか「シュン・コーポレーション」という会社と、
どこか似ているぞ…。

社長が雑用にこき使われるあたりも…。



ま、それはさておき、
このイヴェントは大成功でした。

この後、ユーミンもハイ・ファイ・セットも、
スター街道をまっすぐに歩んでいったわけですから。



さあ、これに味をしめたアルファ。

翌1976年には、
「MINAKO WEEK」という名の1週間興行で、
吉田美奈子の売り出しにかかりました。


これは私が担当ディレクターでしたから、
よく覚えています。

細野晴臣、大滝詠一、山下達郎、大貫妙子といった、
当時台頭してきていた、
ニュー・ミュージックの精鋭とも言える人たちが、
日替わりでゲスト参加して下さり、

毎日大いに盛り上がりました。



これは余談ですが、

この吉田美奈子のレコードの販売は、
東芝EMIではなく、RCAという会社でしたね。


で、毎日コンサートが終わると、
アルファ・スタッフvsRCAスタッフによる、
麻雀大会。

もちろん「雀豪」で知られる私は、
アルファ代表としてこれに参加。

新宿の「雀荘」で、
毎晩終電ぎりぎりまで、
「会社の名誉」と「売り上げの争奪」をかけた、
壮絶な戦いが繰り広げられたのでした。

(すごい余談だな…)



でもまあ、これも大成功。


だから、またまた味をしめたアルファちゃん。


翌年(1977年)には、
「タモリ&東京ヴォードヴィルショー 1週間興行」

などという奇妙奇天烈な企画を敢行。



かつて、
「タモリ/戦後日本歌謡史」というお話でも書いたように、
タモリは当初レコード・デビューだったのです。

そんなタモリを売り出そうと、
アルファは、
こんな大胆な作戦に打って出たわけです。



でも、これも大当たりでした。

ラジオの深夜放送で話題になっていた、
あの謎の怪人「タモリ」の、
「四カ国語麻雀」や「ハナモゲラ落語」が、
ナマで見られる。

ということで、
チケットはたちまち完売。


このときも制作担当は私。

1部が東京ヴードヴィルショーで、
2部がタモリの、

二本立て興行。


いやあ、この1週間も面白かったです。

( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \


(ひとりだけ思い出し笑いすんな!)



タモリの芸の数々も最高でしたが、
「東京ヴォードヴィルショー」という喜劇集団が、
これまた最高にケッサクでした。

当時はまだ無名の、
佐藤B作さんや、花王おさむさんや、
魁(さきがけ)三太郎さんらが繰り広げるギャグは、
まさに抱腹絶倒。


そうそう、

その「東京ヴォードヴィルショー」の演目で、
私は音楽監督に任命されたのでした。

(パチパチパチ)


なあに、

拍手なんかする場面じゃあありません。


音楽監督と言っても、

彼らのコントの味付けをする音楽を考えて、
いろんなレコードを引っぱりだしてきて、
「ここはこれ」「この場面はこれを使って下さい」

とまあ、
映画で言うところの「音効(おんこう)さん」
の役割を務めただけ。

(音効:音楽効果)



しかし…、

それだけではつまらない。

私は満足できない。


せっかくだから、なにか、
こう、ぱ〜っと、
面白いことがやってみたい。



そこで着目したのが、

男達が仕事を終えて、銭湯で汗を流しながら、

「あ〜あ、こんな風呂じゃなくて、
 ぱ〜っとトルコでも行きてえなあ。」

「いいねえ、おれも行きたくなったぞ〜。
 どうだ、これから、みんなで、
 ぱ〜っと行くか。トルコでも。」

という、おバカなシーン。



ちなみに「トルコ風呂」というのは、
当時流行(はや)っていた風俗店のこと。

トルコ大使館から、
「トルコという国名のイメージを損ねる」
というクレームがきて、
今は別の名前で呼ばれてるそうです。



えっ?

そんな説明なんかいらないから先へ行け、

ですって?


あっ、そう。。

(ちなみにこの部分のコメントは不要です。)



ということで、
演出の高平(哲郎)さんの注文もあって、

このシーンを長大にして、
15分くらいのミュージカルにして、

もっとバカバカしくしようではないか、
ということになった。



やった、やった。

ラッキー、ラッキー。

これで面白くなる。


私は、K大ライトのOBで、
当時アレンジャーとしても活躍していた、
田辺信一さん(故人)と協力して、

この部分を、
壮大なミュージカルに仕立て上げました。


こんな感じです。


下手の方から、男達が、
映画「ウエストサイド物語」さながら、
指パッチンしながら、

「トルコ、トルコ、トルコ、トルコ♪」

とやって来る。


すると、上手の方からも、

「トルコ、トルコ、トルコ、トルコ♪」

と、負けじとジェット団のような男達が登場。


最後はそこに働く女性達も加わって、

「トルコ万歳♪ トルコは素晴らしい〜♪
 この世はトルコ〜♪ トルコ、トルコ、トルコ〜〜〜♪♪」

と、歌って踊っての大合唱。


「ウエストサイド物語」も真っ青の、
「コーラス・ライン」や「42nd.Street」に負けず劣らずの、

感動のミュージカル巨編が出来上がったのでした。


そんな、この曲のタイトルは、

その名もずばり、


『トルコ行進曲』


♪♪♪




さあ、すっかり楽しくなった私は、

毎日のように、
高田馬場にある彼らの稽古場を訪れ、

この『トルコ行進曲』の完成に、
心血を注ぎました。


メロディを自ら歌って聞かせ、
コーラスを指導し、動き方の指示を出し、

本来、歌は得意ではないみなさんに、
口移しのように音楽を吹き込み、
振り付けをアドバイスし、

立派な作品に仕上げたのでした。

エヘン。



さあ、いよいよ初日を迎えました。

会場の「紀伊国屋ホール」は、
溢れんばかりの若者でいっぱいです。


そして、もちろんコンサートは大成功。

『トルコ行進曲』も素晴らしい出来でした。


「トルコ万歳♪ トルコは素晴らしい〜♪
 この世はトルコ〜♪ トルコ、トルコ、トルコ〜〜〜♪♪」
 トルコ万歳♪ トルコは永遠の楽園〜♪
 さあみんなで、トルコへ行こう〜〜〜〜〜〜〜〜♪♪♪」



舞台裏でも、やんやの大受け。


と言いたいところですが…、


なんと…、


1部を務めた「東京ヴォードヴィルショー」の公演時間が、
1時間15分もオーバーしてしまいました。

……。



楽屋ではさっそく反省会。

そこにやってきた、
お笑い界では泣く子も黙る有名なプロデューサーが、
大幅なシーンのカットを進言。


そして、あろうことか、

真っ先にカットされたのは、

あの、

『トルコ行進曲』でした。



労せずして15分も節約できる、

という理由でね。


あ〜あ〜、、、


……。



もしも、このブログをお読みの方のなかに、
あの日、あの場面をご覧になった方がいたら、

それはもう、
奇跡に近いラッキーですよ。


なぜなら、

その後、この曲は、
一度も上演されていないのですから。


たった一度っきりの上演…。


人生とは厳しいもんですねえ…。


……。




ええと…、



何の話でしたかね…?




おっと、そうか…、



トミー・リピューマの話でしたね…。



……。




(つづく)





毎年この季節になると、

各地で「クリスマス・ツリー点灯式」

というのが行われます。


あれ、いいですねえ。

なんかこう、

世の中がぱ〜っと明るくなるような感じ。


ジャミン・ゼブも、

今年は2度お呼びをいただきました。


ジャミンの歌で、

ぱ〜っと世の中が明るくなるといいなあ、

そんな願いをこめて、

こうしたイヴェントには積極的に参加しております。



そんなわけで、

そろそろクリスマス・ムードになってきましたよ〜。


ジャミンも、

ぱ〜っと、いっぱい、曲を仕込みましたよ〜。


年の瀬を、

ぱ〜っと楽しく過ごしましょうね〜。



きょうは、


ぱ〜っと、のオン・パレード…。



(ちょい悪、お下劣、ご容赦)


……。



SHUN MIYAZUMI

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2010 エッセイ 

November 14, 2010

トミー・リピューマ


私自身が、
同じような稼業を営んでいることもあって、

音楽プロデューサーについて「ああだこうだ」と語るのは、
いささか気がひける思いがするのですが、

ま、たまにはそんな話題もいいかなとも思い、

きょうは、こんな人を採(と)りあげてみました。



トミー・リピューマさん。
(Tommy Lipuma / 1936年7月5日〜)


アメリカを代表する、
有名な音楽プロデューサーです。


一口に「音楽プロデューサー」と言っても、
その仕事の内容は千差万別で、
なかなかその定義付けや評価は難しいのですが、

この人の場合は、
ひと言で言ってしまえば、

偉大な「商売人」ですかね。



作曲、編曲や、演奏をするといった、
音楽家タイプの仕事人ではなく、

レコード会社上がりの、
企画マンであり、制作マンであり、
しかも宣伝プランが優れており、

売れそうなアーティストを発掘しては、
優秀な音楽家と組み合わせて、
独自のサウンドやコンセプトにまとめあげて、
ヒットさせてしまう、

といったタイプのプロデューサーです。


ま、それはそれで、

すごい職人とも言えますがね。



得意分野は、

ジャズ、ボサノヴァ、AOR、

といった、いわゆる大人の音楽。


「お洒落で洗練された都会の音楽」

というのが売り。


だから、
私から見れば、
まさに偉大なお手本であり、

近づくことすら容易でない、
すごい大物であり、

ヒット・アルバムを星の数ほども持つ、
うらやましいくらいのお金持ち。


ま、私のように、
興味のあるものは、
何でもかたっぱしから手を出すという雑食ではなく、

終始一貫していますね。


「この分野は彼にまかせておけば安心」
というイメージを、

見事に作り上げました。



クインシー・ジョーンズ(Quincy Jones)
フィル・スペクター(Phil Spector)
アリフ・マーディン(Arif Mardin)

らと並んで、

私の大好きなプロデューサーであり、

アメリカのポップ・ミュージック界に燦然と輝く、
大プロデューサーです。



そんな彼を一躍有名にしたのは、

ジョージ・ベンソンの『Breezin’』というアルバム、
でしたか…。


マイケル・フランクスも彼の仕事。

『Antonio's Song(アントニオ・ソング)』
なんて甘い甘いボサノヴァ・タッチの曲を、
覚えてる方も多いと思います。

ああいうのやらせると、
彼の右に出る人はいませんね。


最近では、

ナット・キング・コールをあの世から呼び戻し、
娘のナタリー・コールとデュエットさせた、
『Unforgettable』という前代未聞の企画を成功させ、

全世界に大きな衝撃と感動を与えました。


ダイアナ・クラールという、
カナダの美人ジャズ・シンガーを世に送り出したのも、
この人の仕業です。



ま、そうした作品のあれこれについては、

いずれゆっくり掘り下げてみるとして、


そんなトミー・リピューマさんに、

私は光栄にも、

お会いしたことがあります。



あれは、

1978年の暮れのことでしたか…。



私はアルファのディレクターとして、

いわゆる『フュージョン・ミュージック』の制作に、

毎日精を出しておりました。



このブログでも、

過去そうした話題をランダムに書き綴ったので、
興味のある方は覚えてらっしゃるのではないでしょうか。

渡辺香津美&リー・リトナーとジェントル・ソウツ
深町純&ニューヨーク・オールスターズ
ベナード・アイグナー、吉田美奈子、
大村憲司、横倉裕&デイヴ・グルーシンetc.etc.


いやあ、
まだ20代の若僧のくせに、

よくもまあこんな大物アーティストたちと一緒に、
仕事をさせてもらったもんだと、

今にして思えば、
アルファという会社の、
「怖いもの知らずさ」と「大胆さ」に、
冷や汗タラタラの思いがするのですが、

ま、それも「若さ」というやつなのでしょう。


私も若かったが、

アルファという会社も若かった。

……。




そう、そんなアルファが、

この時期(70年代後半)は、

「『フュージョン』という音楽を売り出そう」

という一大目標を掲げておりました。


そして、

その制作を一手にまかされたのが、

僭越ながら、

この私というわけ。



ホント、大胆だなあ…。

と今更ながら思いますね。


失敗しても知らないから…。



そして、

そうしたフュージョン系のアーティストを集結させて、
新宿にある「紀伊国屋ホール」というところで、

『アルファ・フュージョン・フェスティバル』

とかいう、
確かそんな名前のライブ・フェスティバルが、
1週間に渡って繰り広げられたのでした。


ただしカシオペアは、

まだデビュー前だったので、

参加させませんでした。



そのとき、

このトミー・リピューマさんも、

自身がA&Mのなかに立ち上げたフュージョン・レーベル
「ホライズン(Horizon)」の新人アーティスト、
ニール・ラーセンのライブをサポートするために、
来日していたのです。


当時このA&M社のレコードは、
アルファが日本での販売を扱っていたために、
社長の村井邦彦さんと、このトミーさんは、
とても仲がよく、

不肖この私にも紹介してくれたのでした。


いやあ、緊張しましたねえ。

なにせ相手は大物ですから。

ドキドキ…。

……。



そんなトミー・リピューマさんが、


数あるアルファの出演者のなかで、

「ん? これは?」

と、特に注目したアーティスト(グループ)。


「これは売れるよ。」

と太鼓判を押したアーティスト。



それは…、


それまでの彼の音楽性やキャリアからすると、

じつに意外な名前でした。



それは…、


イエロー・マジック・オーケストラ(Y・M・O)


という名のグループでした。


……。




(つづく)





先週末は愛知県の岡崎で行われた、

「岡崎ジャズ・ストリート」


そして、この週末は、

岐阜県は各務原(かがみはら)というところにある、
「村国座」という、
130年の歴史を持つ芝居小屋での、
ジャミン・ゼブ・コンサートに同行してまいりました。


どちらも、
たくさんのお客さんに、
熱狂的な拍手をもって迎えられました。

みなさん、ありがとうございました。


なんだか、

一気に中京地区に活動を拡げた感がありますね。


そして、この先も、

なんだかそんな感じが続きそうなのです。


楽しみです。

はい。

♪♪♪



それにしても、

いささか疲れましたね…。


でも、

そんなことを言ってられないスケジュールが、

これからも続きますが…。



ああ、また栄養ドリンクが手放せない季節だ…。


う〜む…。


……。



SHUN MIYAZUMI

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2010 エッセイ 

November 03, 2010

ジャミン・ゼブ『裏・ガーデン』その6


ジャミン・ゼブの初DVD
『SWEET SWEET LIVE』が発売になって、
早や1週間が経ちました。

みなさん、
もうご覧になっていただけましたか。


先日の新百合ケ丘のフリー・ライブでも、
ファンの方から、
いろんな反響がありました。

どれも楽しいものばかりです。


「1日6時間も見ちゃいましたよ〜。」

「見過ぎて、擦り切れちゃうよ〜。」

「毎日家に帰るのが楽しみなんですよ。」

「何度見ても飽きないですねえ。」



なかには、

「私、映ってたんです。だから、
 私が死んだら一緒に棺桶に入れてくださいね。」

な〜んてのもあったようです。


( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \



ま、いずれにしても、

おおむね良好のようでひと安心です。


山野楽器さんのDVD販売ランキングでも、
見事第1位にランクされたようで、
まずは、幸先よいスタートと言えますかね。

http://www.yamano-music.co.jp/




はい、これから頑張ってプロモーションして、

ジャミンを知らない人たちにも、

どんどん見てもらいましょう。



と、そんなときに、

こんな話題でいいのでしょうか。

……。



でも、このシリーズ、

最後まで行ってませんでしたからね。


あのまま終わってしまうのもどうか、

と思いまして、


いささかタイミングを逸した感はありますが、


きょうは、ちょっとだけ、

『Garden』を振り返ってみることにしましょう。



--------------------------------------------------
♪MOONDANCE(ムーンダンス)♪
--------------------------------------------------

この曲は、

結成当初からの古いレパートリーなんです。


ちょっとこれを見てください。

----------------------------------------
1st Set

・Lazybones
・How High The Moon
・It Had To Be You
・Waltz for
・You Raise Me Up
・Moondance
・Fun, Fun, Fun

2nd Set

・You've Got A Friend In Me
・Paradise Cafe
・When We Make A Home
・Take The 'A' Train
・Seasons
・Yesterday
・When I Fall In Love

Encore:

Bye Bye Blues
----------------------------------------


じつはこれが、

ジャミン・ゼブが初めて人前で演奏した、
ライブのセット・リストなんです。


2007年2月28日。

六本木のジャズ・クラブ
「ALL OF ME CLUB」というところでのライブでした。


ね、ちゃんと入ってるでしょ。

『MOONDANCE』



それが、3年後の今年(2010年)になって、
ようやくCDに収められることになった。

これは、表の解説でも述べましたが、
シモンの成長が大きいんですね。


リードはコージローですが、
このアレンジでは、
ベースのランニングが大変重要なパートになっています。

野太い声で、
グイグイみんなを引っぱっていく迫力ある低音が、
たまらなく重要なんですね。


だから、シモンの成長を、
待った甲斐があるというものです。

最近のシモンは、
ソロにベースに大活躍ですからね。



そして前回も述べましたが、

『Take The 'A' TRAIN』
『You Raise Me Up』
『When I Fall In Love』

といった人気曲も、
ちゃんと名を連ねていますね。


これらは、最新DVD『SWEET SWEET LIVE』で、
ようやく、その成長を、
見せる(聞かせる)ことが出来ました。

なんとも嬉しい限りです。


それにしても懐かしい…。


といっても、

まだ3年前なのか…。



はい、この曲はこのくらいの話題しかありません。


ご容赦。


……。




---------------------------------------------------
♪カケラたち〜KAKERATACHI〜♪
---------------------------------------------------

これも、結成当初のレパートリーです。

レンセイが来日して、
ようやく4人のメンバーが揃い、

練習を始めた頃にアレンジをしました。


この曲を作曲したのは、
松倉サオリちゃんというシンガー・ソングライター。


かつてファンハウスというレコード会社に所属。

そのとき、
ディレクターをやってたWという男が、
ある日彼女の最新デモ・テープを聞かせてくれました。


そのなかに、

この『カケラたち』は入っておりました。


いやあ、なかなかの才能だと思いましたね。

とくに、サビが英語になっていて、
これはジャミンにピッタリだと思い、
アレンジしたわけです。



いやあ、このアレンジは、

なかなか独創的ではないかと自負しています。



まず、前半部分は、

わりと原曲に忠実。


いわゆるJ-Popの手法で、
オーソドックスな展開。



しかし、

ピアノ・ソロが終わると、
いよいよジャミンならではの、
一筋縄ではいかない世界が待ち受けています。


霧に覆(おお)われた、
幻想の森に迷いこんだ少年が、
いつまでもそこから抜け出せないでいる。


そんなイメージですかね。


いろんなパーカッションが、
これでもかこれでもかと登場。

不思議な世界感を演出します。



ま、なにはともあれ、

松倉さんの美しくも抽象的な詩の世界を、
うまく音楽でカバーできたらいいなあ…。

黒澤監督の映画『夢』のような世界を、
なんとか音楽で表現できたらいいなあ…。


そう思い、

かなり力を込めて書きましたね。



そして…、

さまざまなパーカッションの展覧会が終わると、

ようやく霧が晴れてきます。


ジャミンの美しいコーラスが、

再びくっきりと姿を現します。



このあたりは、

何度聞いてもゾクゾクします。


私だけかな…。



そして、ドラムの強烈なフィル・インで、

圧倒的なクライマックスに…。


小さな子供の世界が、

なんともダイナミックな作品になったというわけでした。



このアレンジをライブで再現するのは、

なかなか大変ですね。


ま、次の課題といったところでしょうか。



ちなみに…、

私にサオリちゃんを紹介してくれた、
このWという男。


この男の顔は、
漫画「巨人の星」に出てくる、
左門豊作(こんな字でしたかね…?)にソックリ。


それもそのはずで、
彼、徳島県の池田高校出身なんですね。


池田高校といえば、かつて、

「さわやかイレブン」
「山びこ打線」

の愛称で甲子園を湧かせた、
高校野球の強豪校ですね。


そして、このW君も、
もちろん野球部出身。


そして、なんと、

畠山、水野で全国制覇を成し遂げた時の、
レギュラー三塁手なんですね。


すごいなあ…。



えっ?

『カケラたち』と、なんの関係もないだろ、

ですって?



おっとそうか、、、


……。




はい、

というわけで、

『Garden』の表と裏。


ようやく完成致しました。


長い道のりでした。

……。




えっ?

『SWEET SWEET LIVE』の裏はいつか、

ですって?



いえいえ、

前回のが裏なんです。


表は書くまでもないでしょう。



みなさんの方が、

ずっとお詳しいはずですから。

……。




さ、いよいよ「冬の陣」に突入ですね。


きっと楽しいことが、

いっぱい待っていますよ。



あんなことも…、


こんなことも…、


アレも…、


コレも…、



……。




(おわり)




おっ、

「Zeblog」が更新されてますね。


彼ら大阪に行ってたんですね。



そうか、

きょう(11月3日)は、

「文官の日」でしたか…???



私はお留守番でした。

作曲とアレンジに没頭しておりました。

♪♪♪



作曲は難しいですねえ。

時間をかければいい曲が出来るとは限らないし…。


でも2曲も書いちゃいましたよ。


年内には発表する予定ですがね。

1曲はクリスマス・ソングです。

詞は日本語。


どんな反応があるんでしょう…?



楽しみなような…、


怖いような…、


ドキドキ…、


……。



SHUN MIYAZUMI

woodymiyazumi at 20:33コメント(11)トラックバック(0) 
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