January 2011

January 30, 2011

深町純さんの思い出 その2


1978年という年は、

よくよくアルファにとって意味のある年だったようです。


昨年末、このブログで6回にわたって連載した、
「トミー・リピューマ」というシリーズでは、

この年、新宿紀伊国屋ホールで行われた、
『アルファ・フュージョン・フェスティバル』で、
「フュージョン」という音楽を売り出しにかかる。

その中から、
「YMO」というバンドが世界進出の足がかりを作る。


そんなことを延々とお話しました。

(うんうん…)


「カシオペア」という若いバンドも、
デビューに向けて、
毎日レコーディングに明け暮れておりました。

(そうだった、そうだった…)


そういえば、私が結婚したのもこの年でした。

(関係ないだろ)



ま、ある意味、

アルファが最も輝き始めていたのが、


この1978年だったのかもしれませんね。


♪♪♪




そんな1978年の春、深町純さんは、

アルファから大変な名盤を世に送り出しました。


『On The Move』

4109070516


2009年に、ようやくCDで再発され、
伝説の名盤として、フュージョン・ファンの間では、
大いに話題になっているようですが、

CD化が遅すぎましたね。

でもまあ、けっこうなこと…。

……。



いやあ、

ニューヨークから帰って来たばかりの深町さんから、
このアルバムのラフ・ミックスを聞かされたときは、
本当に驚きました。

スティーヴ・ガッド(ドラム)
ウィル・リー、アンソニー・ジャクソン(ベース)
リチャード・ティー(ピアノ)
ランディ・ブレッカー(トランペット)
マイケル・ブレッカー(テナー・サックス)
デヴィッド・サンボーン(アルト・サックス)
etc.etc.



キラ星のごときスター・プレイヤーたちの、
素晴らしい演奏にも目を見張らされましたが、

何よりも、
そこに収められた楽曲とアレンジには、
本当に感心してしまいました。


私も当時、ニューヨークには、
毎年のように行っておりましたが、

そんなニューヨークという街の雰囲気を、
これほどまで見事に表現したアルバムを、

私はそれまで知りませんでしたから…。



ケネディ空港に降り立ったときのワクワクするような気分、
マンハッタンの雑踏、おびただしい人種の群れ、
世界最先端のファッション、高級ブランド店、
有名レストラン、バー、ディスコ、車のクラクション、
忙しく街を闊歩するサラリーマンやOL、
夕暮れどきの美しいセントラル・パークetc.

いやあ、実に見事に描ききっています。



決して才能を見くびっていたわけではありませんが、

どちらかというと「過激でエキセントリックな音楽家」
というイメージでしたから、
こんなメロディアスな一面も持っていたのかと、
私は彼を見直してしまいました。


「深町さんて、意外とロマンチックな人だったんですね。
 アハハハ。」

「やっと分かったか、遅いよ君。
 ガハハハハハハ。」

(それを言わなきゃいいのに…)



もっとも最終的には、
硬質で過激なマスタリングをやっちゃったため、
(当時はカッティングと言いましたが…)

高音ばかりが耳につく、Hi(ハイ)上がりの、
ちょっと薄っぺらい仕上がりになってしまった…。

ラフの方が、中低音がふくよかで、
ずっといい音していたと、
私はちょっぴり残念な思いでした…。


だから私は文句を言う。

「なんで、あんなペチャペチャな音にすんのさ。
 せっかくいい音で録れてるのに、もったいない。
 ぶつぶつ…。」


すると深町さん、
それがどうしたとばかりに胸を張って、

「俺の音楽なんだから、
 俺が好きなようにやったっていいだろ。ふん。」

と居直る。

(本当は後悔してるくせに…)



ま、でも、それが深町さんなんですよ。

やっぱり過激派なんですね。


ガハハハ。


♪♪♪




さて、そんな名盤が出来たんだから、

じゃあ、これを日本でもお披露目しようじゃないか、

ということで企画されたのが、


『深町純&ニューヨーク・オールスターズ・ライブ』

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はい。この2枚組も今や伝説となっております。


いやあ、すごいライブでした。

前述したスター・プレイヤーたちが、
4日間にわたって毎夜毎夜繰り広げる、
世界最高レベルの演奏の数々は、

今思い出しても、
鳥肌もんの凄(すさ)まじさでしたね。


このライブ・レコーディングから仕上げまでは、
私が担当しました。



で…、

このライブが行われた会場というのが、

今考えるとケッサクもケッサクなんですよ。


なんと…、

プロレスやボクシングの “メッカ”

『後楽園ホール』だったのです。


ええ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ッ!!

(最終日だけは「郵便貯金ホール」)


楽屋は、
普段はプロレスラーやボクサーたちの控え室…。

あちこちの壁には、
戦いの後の血がべっとり…。

……。



そんな中でのライブ・レコーディング。


ま、この話をはじめたら、
1年中書いてなきゃいけなくなるので、
興味のある方はCDを聞いていただくとして、

その中から一つだけ、
印象的なお話をしておきましょう。


最後の「Love Play」(だったかな…)と言う曲で、

世界最高のドラマー、
スティーヴ・ガッド氏が、
延々と10分以上にも及ぶドラム・ソロを聞かせます。


で、最後の方で、
ものすごいテクニカルな部分が延々と続く。

スネアもハイ・ハットもタムタムもシンバルも、
神業のような音数とスピードで圧倒する。

もうもう十手観音のごとき神業…。


だから当然のように、
客席は興奮につつまれて大拍手、大歓声。

わ〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!?!?



でもね…、

じつはドラマーでもある、
Y浅ショージくんは、
こんな質問をしてきました。

「宮住さん、確かにあのガッドのドラムはすごいけど、
 拍手が起こるほどですかねえ…?
 山木(秀夫)さんや、神保(彰)さんでも、
 あのくらいは楽に叩けると思うんですけど…。」



でしょうね。

あの場にいなくて、
レコードの音だけを聴いていたら、
そうした疑問が起きても不思議ではありません。


でも、私は見たのです。


あのとき、

スティーブ・ガッドは、

右手を高々と上にあげ、


左手だけで、あのソロを叩いていたのです。


……。




そんな、キラ星のようなプレイヤーたちが輝いてた時代。


アルファがますます輝きを増していた時代。



深町純さんにとっても、


一番輝いてた時代かもしれません…。


……。




(つづく)





えっ、もう1月も終わりなんですか…?


ついこの間、

お正月を迎えたばかりだというのに…。

時間が過ぎるの早すぎませんか…?


今、自分が一番言いたいことです。

(これ流行りそうだな…)



いずれにせよ、

社長業や雑務に追われて、

まだ1曲も書いてませんよ…。


年が明けてから。



ううむ…。

いかん…。

あせって来た…。


明日から隠(こも)らないと…。


2月が勝負だな…。


でも、飲みたいしな…。


……。



SHUN MIYAZUMI

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2011 エッセイ | マイ・ディスコグラフィー

January 23, 2011

深町純さんの思い出


年末のこと。


「ピアノに生きピアノに死す
   ~深町純メモリアル~」(TOKYO FM)

という1時間番組がオン・エアーされました。


昨年末、64才という若さでお亡くなりになった、
作・編曲家でキーボード奏者の、
深町純さんを偲ぶ特集番組でした。

お聞きになった方、いらっしゃいますかね…。


井上陽水、小柳ゆき、森雪之丞、和田アキラといった、
生前彼と親しかった人たちの思い出話を交えながら、
彼の残した数々の作品を聴く、

といった内容の番組だったのですが、

この私にもお声がかかり、
少しだけですが参加して、お話させてもらいました。


なにしろこの私、

年末は、ものすごい忙しさで、
残念ながら、
お葬式に参列することもできませんでしたから…。


「シュン坊、冷たいなあ。ガハハハ。」

と、例によって明るい笑い声と共に、
あの世から、
声が聞こえてくるような気はしていましたが…。

……。



なので今日は、

私なりに、ゆっくり故人を偲んでみようかなと思います。

ラジオではしゃべれないことを中心に。

(ガハハハ)


♪♪♪




さて、そんな深町純さんは、

東京芸術大学作曲科の出身。

(待てよ、中退だったかな…。)



いずれにせよ、

当時、クラシック至上主義の「芸大」から、
こっちの世界(ポップスやジャズ)に来る人は、
本当に珍しく、

よっぽどの変わり者じゃないか、
いや、ひょっとすると落ちこぼれかも、
というのが世間一般の評価でしたかね。


その後、坂本(龍一)君が続き、
今では珍しくも何ともなくなりましたが、

当時では、本当に珍しいことでした。



でも、これが、
新し物好き、変わり者大好きのアルファの目にとまり、

私が入社した1974年あたりには、
新進気鋭の編曲家、キーボード奏者として、
「ガロ」をはじめとする、
いろんなアルファのセッションに参加していました。



で、ケッサクだったのが、

私が入社してまもなくの、
NHKホール「北島三郎コンサート」。


これ、なんと、
アルファ主催だったのです。

そしてアレンジが、
深町純さん。

(なんじゃ、それ…???)



片やニュー・ミュージックの若き旗頭として、
業界に旋風を巻き起こしはじめていたアルファ。

片や泣く子も黙る演歌の大御所。


誰が見ても「水と油」のコンサート。

誰ですか、こんな変てこな企画考えたの…?



で、案の定、

リハーサルはモメにモメる。


そりゃあそうです。

シンセサイザーかなんか持ち込んで、
「函館の女」のバックで、
プニュ~~~ッと変なサウンドをかき鳴らすんだから。


「あのお、その音、耳ざわりで嫌なんですけど。」
と北島さんがクレーム。

「そうだっ!」とばかりに、
怖そうなお兄さんたちが
ドヤドヤっとステージに駆け上がって深町さんを取り囲む。

(あわわわ。。。)



しかし、深町さんは動じない。

「わかりました、わかりました。」
と、すぐに、北島さんが気に入るように軌道修正。


「やれやれ…。」

と、胸をなでおろしたのもつかの間、
次の「加賀の女」では、

バルトークのピアノ・ソナタかなと思わせるような、
難解なピアノ・ソロを奏でた後、
「さあ、これで歌い始めて下さい。」
とばかりに、北島さんに目で合図。


「あのね。そんなイントロじゃ、入れませんよ。
 これは演歌ですよ、演歌。」
と、又しても困った表情の北島さん。

「おい、深町!」
と、すかさず強面(こわもて)のおにいさんたちが、
又しても、ドヤドヤっとステージに。


私はまだ、
何も業界のことなんか知らない青二才でしたが、
プッと吹き出しそうになりました。

「面白い会社だなあ、アルファって…。」



そして、

頼む方も頼む方なら、
受ける方も受ける方です。


演歌なんて聞いたこともないくせに、
よく受けますよね、そんな仕事。

私なら絶対断ります。


私は、心の中では、
もちろん北島さんに同情しておりましたね。


でも、深町さんは超然としている。

「それがどうした…」とばかりに涼しい顔をしている。


「面白そうな人だなあ、深町さんって…。」


これが、

私の深町さんに対しての第一印象…。


♪♪♪




さて、

かつて、
「タモリ戦後日本歌謡史」というお話でも触れましたが、

アルファという会社は、
新しいことにはどん欲で、
とにかく怖いもの知らずの無鉄砲さがありました。


この深町さんも、
言ってしまえば「怖いもの知らず」の典型。

自分に絶対の自信を持っておりましたね。


だから波長が合ったんでしょうね。

アルファと深町さん。


翌1975年にはアーチスト契約までして、
「六喩」というタイトルの、
おっそろしくマニアックなアルバムを作ることになります。



ま、今にして思えば、

これが日本における、最初の、
本格的なフュージョン・アルバムかもしれませんね。


で、その担当ディレクターには私が選ばれました。
新入社員も同然のペーペーの私が…。


ポンタ(村上)、憲司(大村)、小原(礼)、
モツ(浜口茂外也)、村岡健(タケル)さん、

といった、
強者(つわもの)のサムライたちを集めて、

ものすごい過激で、
テクニックの頂上決戦とも言えるようなアルバムを、
平然と作って、
涼しい顔をしておりました。



私は、おそるおそる彼にこう聞いたのを覚えております。

「あのお、深町さん…。
 すごい音楽だとは思いますが…、
 こんな過激でマニアックなアルバム…、
 いったい誰が買うんでしょうねえ…?
 大丈夫ですかねえ…?」



すると彼、タバコを吹かしながら、

平然とこう言ってのけました。


「ガハハハ。
 1枚も売れないかもね。
 ま、俺の音楽を理解出来るやつが、
 そういるとは思えないからね。
 ガハハハハハハハハハハ。」


良くも悪くも、

そんな人でした。



自分に自信があるから、
辛辣なこと、嫌みなことなど、
ズケズケ言ってのける。

(そういえば、顔もどこか「イヤミ」に似てたなあ…。)


でも、私が同じように辛辣なことを言っても、
「ガハハハ」と笑い飛ばして、
全然怒ったりはしないんですね。


やっぱり自信があったんでしょうね。


自信過剰とも言えなくはありませんが…。


その頃の写真です。


恥ずかしいから拡大しないで~~。


Scan 1


……。



(つづく)





いやあ、先週はご心配をかけました。

やはり、
ノロ・ウィルスかロタ・ウィルスに感染したようです。

回復が早かったからロタの方かな…。


お見舞いのコメントも頂戴し、
恐縮でございます。

私もシマムもすっかり元気になって、
仕事を始めておりますので、
どうそご安心を。

(ん? シマムは昨晩帰ってないな…。
 回復早すぎだぞ。)


残念ながらママには感染しませんでした。

(ん??)



そんなわけで、

少し予定が狂いましたが、

明日あたりからモリモリ仕事をしないと…。


おかげさまで3月の「STB 139」4Daysの、
ファン・クラブ先行予約も、
かつてない数のお申し込みをいただきましたし…。

新曲、たくさん書かないとね。


ガオ~~~~~~~~~~ッ。


(新春初吠え)


……。



SHUN MIYAZUMI

woodymiyazumi at 15:38コメント(18) 
2011 エッセイ | マイ・ディスコグラフィー

January 14, 2011

私の映画ベストテン 2010


この企画も今年で4年目になります。


が…、

今回はあまり自信がありません。


なぜならば、

去年はあまり映画を観れなかったから。

……。



理由の一つは、
忙しくて、家でじっくり映画を観る、
という時間が持てなかったからです。

もう一つは、
「DVD オペラ・コレクション」鑑賞に、
多くの時間をさいてしまったためです。

なにしろ25本くらい観ましたから。

オペラちゃん。



でもね…、

せっかく始めた企画だし、
本数は少なくても、いい映画はかなりありましたから、

やっぱり、やることにしました。


では、さっそく、いってみましょう。


ジャーン!



『私の映画ベストテン 2010』




1.しあわせの隠れ場所
 (The Blind Side)

  何の予備知識もなく観たのですが、
  なんとも素敵なアメリカン・ドリームでした。

  サンドラ・ブロックが、この作品で、
  アカデミー賞主演女優賞を取ったのは当然。
  彼女の息子役の少年にもあげたいくらい。
  メチャ楽しい奴だよ君は。あはは。

  さらに、最後のタイトル・ロールを見て、
  2度ビックリ!

  これって実話だったんですね。
  素晴らしい…。



2.キャデラック・レコード
 (Cadillac Records)

  これも実話をもとにした音楽映画。
  1950年代に一世を風靡したレコード会社
  「チェス・レコード」の誕生から崩壊までが、
  実に見事に描かれています。

  主演は「戦場のピアニスト」の、
  エイドリアン・ブロディとビヨンセ・ノウルズ。

  マディ・ウォーターズ、リトル・ウォルター、
  エッタ・ジェイムス、チャック・ベリーといった、
  往年の黒人ミュージシャンたちが実名で登場。

  なんておじさん泣かせの映画なんでしょう♪



3.クララ・シューマン愛の協奏曲
 (Clara Schumann)

  今度はクラシック。
  大作曲家シューマンとブラームスに愛された、
  シューマンの妻でピアニストの、
  クララ・シューマンのお話です。

  実話をもとにしたドイツ映画ですが、
  ブラームス役の男優がメチャかっこいい。
  絶対実物よりいいはずです。

  音楽家としては、
  夫より、断然ブラームスの方が上だから、
  きっとクララちゃん、葛藤したでしょうね。

  わかる、わかる、うん、うん…。



4.ビヨンド・the・シー
 (Beyond The Sea)

  ああ、これ探してたんです。
  やっと見つけました!
  これまた実話の音楽映画。

  1950年代にすごい人気を誇りながら、
  37才という若さでこの世を去ってしまった、
  超イケメンのジャズ&ポピュラー・シンガー、
  ボビー・ダーリンの伝記映画。

  ケビン・スペイシーが上手いのなんの。
  これもオスカーもんの演技だと思うけど…。

  いずれにしても昨年は音楽映画の当たり年でした♪



5.天使と悪魔
 (Angels & Demons)

  名優トム・ハンクス主演で一昨年話題になった、
  「ダヴィンチ・コード」の続編ともいうべき映画。
  
  でも私的には、断然こっちのほうが面白かった。

  美しいバチカンの風景もたっぷり見られるし、
  ローマ教会内部の複雑な人間模様も興味深いし、
  スリリングな展開や、
  結末のどんでん返しも唸らせるし…。

  一級品の娯楽映画であることは、
  間違いないのではないでしょうか。



6.サブウェイ123 激突
 (The Taking Of Pelham123)

  娯楽映画といえばこの人。
  私の大好きなデンゼル・ワシントンの新作は、
  ジョン・トラボルタとの激突。

  スリル満点のパニック映画ですが、
  二人の名優が、いや見せる、魅せる。

  デカ(刑事)をやらせても、
  ギャングをやらせても、
  その辺のさえないオッサンをやらせても、
  ホント上手くて感心します、デンゼルさん。

  あの笑顔が、たまらなく好きだなあ…。



7.ザ・バンク/堕ちた偶像
 (The International)

  もう一人、最近お気に入りなのが、
  クライヴ・オーウェン君。

  「ゴスフォード・パーク」
  「ボーン・アイデンティティ」
  「インサイド・マン」

  と、徐々にその存在感を確かなものにし、
  ついに主役級が立派に務まる、
  押しも押されぬ大スターになりましたね。

  これまたスケールの大きな娯楽映画。
  共演のナオミ・ワッツちゃんも綺麗でした。



8.きみがぼくを見つけた日
 (The Time Traveler's Wife)

  これ7月の「飛鳥II」のお船の上で観ました。

  いやあ、いい恋愛映画でした。
  「ゴースト」「ワン・モア・タイム」に通じる、
  いわゆる時空もの。

  自分の意志ではないのに、
  突然タイム・スリップをしてしまう哀れな男と、
  彼が愛してやまない一人の女性。

  喜劇タッチなんだけど、
  ラスト・シーンでは不覚にも涙ポロポロ…。



9.96時間
 (Taken)

  あのリュック・ベッソンが制作、脚本の、
  スーパー・アクション映画。
  主演はブライアン・ミルズ。

  凶悪なアルバニア人の人身売買組織に捕われた、
  愛娘を救出するためにパリに飛び、
  96時間しかない時間の中で、
  懸命に犯人グループを追い詰めていく元CIA工作員。

  でね…、
  この男が、メチャ強いんですよ。
  向かうところ敵無しの格闘家。

  スティーブン・セガールとゴルゴ13と、
  三つどもえの頂上決戦をやらせてみたい…。


 
10.マッチ・ポイント
 (Match Point)

  これ、入れていいのかずいぶん悩みました。

  少し前の映画で、
  ウディ・アレンの監督、
  スカーレット・ヨハンソンの主演と聞けば、
  見ない訳にはいかないのに、
  なんか躊躇しておりました。

  ウディ・アレンの中では、
  「ウディ・アレンの重罪と軽罪」に近い犯罪もの。

  ま、結末を言うと面白くないので、
  このくらいにしておきますが、
  観ても損はないかもしれません…。




とまあ、こんな感じの2010年でございました。


今年は、もっと観たいと思っております。

やっぱり映画って、いいですもん。


でも、忙しそうだしなあ、

今年も。

……。



えっ?

外で飲むのを減らせば楽勝じゃないか、

ですって?



そうなんですけどね…。


それが出来ればいいんですがね…。


それがねえ、


なかなかねえ…、


……。



SHUN MIYAZUMI

woodymiyazumi at 18:18コメント(12)トラックバック(0) 
2011 エッセイ 

January 04, 2011

私の10大ニュース 2010



  2011Usagi2


みなさん、

明けましておめでとうございます。


昨年も大変お世話になりました。


おかげさまで、

波瀾万丈の2010年、そして怒濤の12月も、

なんとか乗り切ることが出来ました。


この勢いで2011年も、

全国各地にジャミンの歌声を響かせるぞ~、

と、決意も新たに新年を迎えた私めにございます。


どうぞ本年も、

相変わらずのご支援、ご声援のほど、

よろしくお願い申し上げます。


 2011Hatsuyume



さて、今年もこの話題からスタートです。

すっかり恒例になってしまいましたね。

「私の10大ニュース」シリーズ。



2010年の私は、どんな1年だったのでしょうか。


さあ、思い出してみましょう。


ええと…、


(年のせいか、最近もの忘れが激しい…)


2011Usagi




『私の10大ニュース 2010』



1.「ジャミンは大物だ」を再認識(4月)

 私は飛行機が苦手です。

 でも仕事上、年に何回かは乗らなくてはならない。

 で、4月に札幌に遠征したときのこと…。

 北海道は前夜から悪天候で、
 「強風のためひょっとすると引き返す事もあります」
 のアナウンスにも覚悟の上で乗り込んだ私たち。


 案の定北海道上空に入ると、いやあ揺れる揺れる。
 もうすぐ着陸だというのに左右に揺れまくる。

 「あ~あ、あ、あ、あ~~、あ、ふう~…。」
 機内の乗客もみな、あぶら汗タラタラの面持ち。

 私以上に飛行機嫌いのY浅ショーちゃんは、
 もうもう顔面蒼白で、今にも泣きそうな表情。
 私も、神にでも祈りたい心境でじっと手を合わせる。


 ところが…、

 ジャミン・ゼブの4人だけは…、

 「グーグー、zzz、ガオ~~、ムニャムニャ…、」

 (大物だ…)

 「ドスン!」
 なんとか無事に着陸できた衝撃音で、
 何ごともなかったかのように目を覚ましたのでした。

 (大物だ…)



2. 私の競馬は健在だった!(5月)

 2009年、私は「競馬はロマンだ!」というお話を、
 延々と書き綴ったことがあります。

 「ど素人のくせに、私はよく中穴馬券を当てる」
 「そんな私の馬券の買い方のあれこれ」

 などを、えらそうに書き綴ったのを、
 覚えてらっしゃる方も多いと思います。


 それを読んだ何人かの方に誘われて、
 何年ぶりかに「東京競馬場」に出かけた私でしたが、

 いきなりのレースで38.2倍、
 最後のほうでも30.2倍というレースを的中させ、
 あの話がハッタリではないということを、
 見事証明したのでした。

 あははは。


 もっとも相棒のY浅ショーちゃんには、
 「そんなところで運を使ってどうする!」
 と叱られましたが…。

 (ごもっとも)



3. アナログTVとデジタルTVには時差がある(6月)

 昨年最大のスポーツ・イベントといえば、
 なんと言っても「サッカー・ワールド・カップ」ですね。
 日本チームの大活躍、ホント素晴らしかった!

 その日本が決勝トーナメント入りを決めた、
 運命のデンマーク戦でのこと…。
 あれは確か、深夜の3時半がキック・オフでしたか…。

 で、私の家のリビングは、未だアナログ・テレビです。
 でも隣のふすま越しの、息子シマム君の部屋には、
 えらそうに、どでかいデジタル・テレビがあります。


 さて前半、

 本田選手が見事にフリー・キックを決めました。
 「やった~~~~~~!!」
 私は、深夜だというのに、興奮して大声をあげる。

 すると…、5、6秒して…、あっちの部屋から…、
 「おお~! やった~!!」
 と、シマム君の叫び声。
 
 「……?」


 さらにその数分後、今度は遠藤が決めた!
 「やった~~~~~~~~~~~!!!」と私。

 すると、5、6秒して、シマムが、
 「すげえ~~~!」

 「……???」


 私はこのとき知ったのです。
 アナログTVとデジタルTVには時差があるということを。

 ちなみに、遠藤がフリー・キックを決めたとき、
 シマム君のテレビでは、まだ蹴る前だったそうです…。

 (平和だ…)



4. 初めてロシアに降り立つ(7月)

 私の父は若くして満州に渡り、
 牧場を3つも経営するほどの成功を収めたそうです。

 が、終戦直前にソ連軍が突如侵攻してきて、
 すべての財産を没収された上に、
 捕虜として3年も極寒のシベリアに抑留され、
 命からがら裸一貫で帰還したと聞きました。


 そんな父の思い出がいっぱい詰まったロシアの大地に、
 私は初めて降り立ちました。

 「飛鳥II」クルーズの寄港地、
 ペトロパブロフスク・カムチャッキー。

 感無量のものがありましたね。


 レンセイのウォッカ買いに付き合っただけでしたが…。

 (平和ってすばらしい~♫)



5. 興南高校(沖縄)春夏連覇(8月)

 いやあこのチームは素晴らしかった。

 投手力、打力、走力、守備力、ゲーム運びetc.
 どれもが傑出していて、お手本と言ってよく、
 まさに歴代優勝校のなかでも、
 最強チームの一つと言っても過言ではありません。

 なによりも素晴らしいのは、
 昨今の野球留学ブームなんのその、
 すべて地元の子たちで結成されたチームであること。

 そして、プロ野球のドラフトにかかるような、
 傑出した選手は一人もいないのに、
 チーム・ワークとすさまじい練習で勝ち取った優勝、
 これが心を打たれましたね。

 高校野球はこうでなくてはいけない。

 前回(1998年)松坂投手を擁して春夏連覇した、
 横浜高校の名将、渡辺監督をもってして、
 「これほどのチームは見た事がない。」
 と言わしめたのですから。

 いやまったく、同感、同感、うん、うん。

 ……。



はい長くなりそうなので、

ちょっと休憩。

またまたこんなお絵書きちゃん。


2011Fuku



あははは、楽しいなこれ。

ちょっと絵がでかいけど、

ま、いいや、

面白いから。


あははは。



では後半。



6.「池尻」と「池尻大橋」は違うんだぞ(9月)

 あれは9月6日のこと。

 「はこね学生音楽祭」にゲストで招待を受けたジャミン。 
 この時は新宿から小田急バスでの移動でした。

 で、スティーブ、シモン、レンセイは新宿から。
 私とY浅ショージとコージローは、
 「池尻大橋」から乗り込むことになっていました。
 そっちのほうが家から近いから。


 さて私は、地下鉄「池尻大橋」駅を出ると、
 迷う事なく国道246に沿って玉川方面に歩くと、
 おお、そこに、
 「池尻」と書かれた小田急の停留所があった!

 間もなくコージローがやって来て、
 さらにショーちゃんも、
 私たちがいるからここに間違いないだろうと、
 この3人はなんら疑う事なくバスを待っていたのでした。


 しかし…、実は…、
 渋谷寄りに「池尻大橋」という、
 もうひとつの停留所があったのです。

 こっちが正解。

 だから私たちは、そのバスに乗れませんでした。


 さあ大変。

 私たちは学芸大までタクシーを飛ばし、
 東横線で菊名まで行き横浜線で新横浜、
 新横浜から新幹線で小田原、
 小田原から小田急線で箱根湯本、
 そして箱根湯本からタクシーで仙石原、
 という大変な思いをして、
 なんとかリハーサルの途中に間に合うができたのでした。
 
 あ~あ…。

 みなさんも気をつけてくださいね。

 (社長と副社長とリーダーが何やっとる!)



7. タバコ20カートン買い占める(10月)

 10月1日にタバコが値上げになりました。

 シマム君はこれを機に禁煙しました。
 (時々ごく稀に吸ってるようですが…)

 私は、愛煙する「Lark 1 ultra one」を、
 なんと20カートンも買い占めました。
 (60,000円も払って…)

 すると…、
 綺麗に並んだカートンが愛(いと)おしくなり、
 結果的には節煙の効果に至っております。


 でも私は政府に言いたい。

 タバコ税が欲しいのなら「値上げ」は逆効果だよ、と。

 「国民の健康」を気遣うのなら、
 老人介護の問題や福祉対策をなんとかしろ、とね。
 年金問題もね。

 そう思いませんか?



8. チリ炭坑落盤事故の33人無事救出(10月)

 昨年、もっとも感銘を受けたニュースはこれでした。

 でも、私がこの中にいたら、
 間違いなく一命を落としてたでしょうね。
 だから32人になってたはずです。

 なにしろ私は、
 高所恐怖症(だから飛行機嫌い)に加えて、
 とてつもない閉所恐怖症だからです。

 ましてや、真っ暗な、地下600メートルの穴ぐらでしょ。

 考えただけでもゾ~~~ッ。

 イヤ~~~~~~ッ。


 ま、そんなことはともかく、

 一人、また一人と、
 カプセルから引き上げられる度に拍手喝采。
 そして感動で胸が熱くなりましたね。


 このときばかりは、

 「チリよ。今だけは…、彼らが全員救出されるまでは…、
  絶対に地震は来てはならぬ。」

 と、聖者のように呟(つぶや)きながら、
 固唾(かたず)を飲んで見守る私でした。

 二日酔いで「う~ッぷ」とか言いながら。

 ……。



9. 我が家にどろぼうが…(12月)

 記憶に新しいところですが、
 我が家にどろぼうが侵入しようとしました。

 幸い未遂に終わりましたが、
 タイミングがずれていたら、
 いかにキック・ボクシングのジムに通ってるとはいえ、
 私の妻の身の上はどうなったか…、、、

 こえ~~~~~~~~。(シマム風に)


 ですから、もう私の家には、
 金目のものはなにもありません。

 警戒も怠ることなく万全です。

 だから入っても無駄です。

 泥棒のみなさん、おわかりですか。

 無駄なんですよ、ウチに入ったって。

 ええっ、わかってんの?

 ねえ…。

 (誰にむかって書いてるんだ、このブログは!)



10.「ジャミン・ゼブ号」大進撃!

 おかげさまで、2010年もジャミン・ゼブ号は、
 順調に航海を続けることができました。

 とくに7月、
 「飛鳥II」クルーズを終えてからの快進撃は、
 私の目から見ても素晴らしいものがありました。

 迫力も増し、エンターテイメントぶりも急成長、
 たくましさを加えたこの軍団は、
 全国どこへ行っても大喝采を浴びたのでした。


 いったい「飛鳥II」で何があったのでしょう。

 何がそんなに彼らを変えたのでしょう。


 そういえば、

 あの「飛鳥クルーズ」の航海記は、
 マルコメXさんが詳しく綴ってらっしゃいましたね。
 ゼブログで。

 今度マルコメさんに会ったら聞いてみようっと。

 ……。




というわけで、

2011年も始まりました。


今年はどんな年になるのでしょうか。

なんとかいい年にしたいですねえ。


みなさんにとりましても、

素晴らしい1年になりますように。


 
Oshogatsu 2



おっ、

また出たな、

なさけない顔の「招き猫」め。


ここんとこ毎年出てきますね。


でもね…、

この猫ちゃんが登場してから、

調子いいんですよ。


ひょっとすると、

本当に「招き猫」かも…。


だから名前を付けてあげましょう。

大募集~~~~~。


でございます。



ではでは、


今年もよろしくお願い致します。



SHUN MIYAZUMI


woodymiyazumi at 19:53コメント(15)トラックバック(0) 
2011 エッセイ