February 2011
February 26, 2011
方向音痴は遺伝する その3
あれは私が、
小学校5年か6年生の頃のこと…。
私の通っていた小学校では、
新しい体育館が建設されておりました。
それは「校倉(あぜくら)造り」とでも、
言うのでしょうか。
建物の下が空間になっていて、
そこには、おびただしい数の大きな石が、
無造作に所狭しと置いてある。
そして、その行き着いた先が、
おそらく、ひな壇下になっているのでしょう。
さて、ある日の放課後のこと。
暗くなってきたので、
その日の工事はもう終了していました。
それを見届けた、
私を含むクラスの悪ガキども3、4人は、
この体育館下の石の間をくぐり抜けながら、
誰が最初に「ひな壇下」までたどり着き、
まだ完成していない体育館の内部に入れるか、
そんな競争をすることになりました。
(ようし、負けないぞ〜。)
もちろん「立ち入り禁止」なのは、
みんな百も承知です。
しかし…、
まだ見ぬ新しい体育館の内部を見てみたい好奇心と、
薄暗くなった中で、
迷路のような石と石の間を、
這(は)うように目的地までたどり着くという行動は、
子供の冒険心をくすぐるには、
格好の獲物であったわけです。
(わ〜い、わ〜い。)
そんなわけで、
本や漫画でしか読んだことのない、
洞窟、ダンジョンを征服するかのような、
ワクワクするような喜びを胸に抱きながら、
あたかも、
ジュール・ヴェルヌの小説の主人公や、
アルセーヌ・ルパンにでもなったような気分のまま、
私たちは体育館の下に潜(もぐ)り込んだのでした。
しかし…、
それは…、
思っていたよりもずっと窮屈で…、
いくら子供とはいえ、
屈(かが)んだまま這(は)うように進んで行くのは、
大変困難な道であることがわかりました。
(探検というのは、思ったよりも大変なんだなあ…。)
そのうちに外は、
あっというまに夜になってしまいました。
(あれれ…。)
したがって、
私たちが忍び込んでいる空間も、
もはや真っ暗に近い。
そんな中を、
手探りで石と石の間を、
窮屈な姿勢のままゆっくり進む私たち…。
……。
まあね、
いくら暗いとはいえ、
まっすぐに、まっすぐに進みさえすれば、
そんなに時間がかかるわけもない。
それが証拠に、
10分くらいしてから、
「やったあ! 着いたぞー! 一番乗りだ! 」
という声が遠くの方から聞こえましたから。
「くそ、先を越されたか。」
と、ちょっぴり悔しい思いはしましたが、
私も懸命に前に前に進んで行く。
「このまま、まっすぐ進んで行けば、
僕ももうすぐゴールだろう…。」
そうこうするうちに、
「わーい、着いたぞー!」
「僕も着いたぞー。
ということは、宮ちゃんがビリだ。
あははは。」
という嘲(あざけ)りの声…。
(そう、私はこの頃、
宮ちゃんと呼ばれていたのでした。)
ところが…、
その声を聞いたとき…、
私はとてつもない不安に襲われたのです。
なぜならば、
それが 、
“遥(はる)か遠くから” 、
聞こえてきたからです。
ということは…、
やつらがゴールした地点からは…、
私はまだまだ遠いところにいる…。
……。
ひょっとすると私は、
まっすぐに進んでいないのかもしれない…。
……。
私はあせる…。
冬だというのに汗がしたたり落ちるのがわかる。
(いかん、早くここから脱出しなくては…。)
おのずと這っているスピードが上がる。
すると、石に頭をゴツン。
(痛っ…。)
とっくにゴールした仲間たちも、
ちょっぴり心配になってきたようで、
「おおい、宮ちゃーん、どこにいるんだ〜。」
と、大きな声で叫んでいる。
その声が「右ナナメ前」から聞こえてきたので、
私はその声のした方へ向きを変え、
またひたすら前に進む。
しかし、進めども進めども、
いっこうにゴールは見えてこない。
そのうち、また石に頭をゴツン。
(あ、まただ。痛いなあ…。)
と、そのとき、
今度は「左の後ろの方」から、
「おおい、宮ちゃ〜ん、大丈夫か〜。」
の声。
ん…?
右ナナメ前に向かってるはずなのに、
なんで左の後ろから声がするのだ…?
……???
ようやく私は、
事の重大さがわかってきました。
(僕は完全に方向を失っているのだ…。)
わすか11、12才の子供が味わう、
生まれて初めての恐怖体験です。
僕はもう、ここから出られないのではないか…?
そんなのいやだ〜〜。
助けてくれ〜〜。
……。
私はもがく。
その度に石に頭をゴツン。
仲間たちの声が、
右から聞こえたから右に行けば、
今度は左の方から聞こえる。
(な〜んで…?)
前から聞こえたから前に進めば、
今度は後ろの方から声が聞こえる。
(な〜〜んで…??)
私は恐怖のあまり、
心臓の鼓動はドキドキ…。
顔からはあぶら汗がしたたり落ちる…。
あせっているから、
その後も、何度も石に頭をゴツン。
(もう、痛いよ〜。ぐしゅん。)
そして、
もがけばもがくほど、
彼らの声とは反対の方へばかり進んで行く私…。
な〜んで…?
な〜〜んで…??
なあ〜〜〜〜〜〜〜んで…???
……。
それからしばらくして、
ようやく私はゴールに到達しました。
ホッ…。
と思ったら、
それは、
スタート地点だったのですが…。
……。
でも、
ようやく外へ出ることができた私のところへ、
心配した仲間たちが駆け寄って来る。
そして、
私を見て、
「あっ、こりゃ大変だ。
宮ちゃん、顔が血だらけだよ。」
「……。」
そう、
私は石に頭をぶつける度に、
血だらけになっていたのを、
あぶら汗と勘違いしていたのです。
連絡を受けた教師に連れられて、
すぐに病院に担ぎ込まれた私は、
頭を7針も縫う大手術。
そして、
あわててやって来た母親と教師からは、
鼓膜が破れそうな勢いで、
こっぴどく叱られました。
「泣きっ面に蜂」とは、
まさにこのことですね。
あははは。
(自虐的笑い…)
ま、今にして思えば、
これが、
私が「方向音痴」であるがゆえの、
最初の恐怖体験であったわけです。
そして、
「方向音痴」というのは、
かくも痛い思いをすることもあるのです。
あ〜あ…。
な〜んで…?
……。
(つづく)
昨夜の「A'TRAIN」にお越しのみなさん。
ありがとうございました。
ライブも最高に楽しかったのですが、
何よりも10日ぶりの酒が、
美味(うま)かった〜〜〜〜!!
で、今日、
膝がまた悪化してないか、
心配だったのですが…、
……、
大丈夫でした。
順調に回復しておりました。
ホッ、
ホッ、
ホッ…。
でも念のため、
きょうは「ノン・アルコール・ビール」ね。
まだ完全に治ったわけではありませんから。
あと、もう少し…。
もう少し…。
……。
SHUN MIYAZUMI
February 19, 2011
方向音痴は遺伝する その2
「方向音痴」が医学的にみて、
病気の一種だとしたら、
私は間違いなく重症患者ではないか、
時々、そう思うことがあります。
なにしろ、左右の感覚が全くでたらめ…。
自分では右だと信じているのに、
実は左だった。
ここは絶対左だと思ったら、
どっこい右だった。
……。
しかも始末が悪いことに、
私は人の後ろを歩くのが嫌いときている。
自分が先頭を切って歩かないと気がすまない。
困った体質です。
だから、ずいぶんと、
いろんな人に迷惑をかけてきました。
と、思う…。
……。
例えば、
みんなで知らない土地を歩くとする。
すると、目の前が分かれ道になっている。
しかし私は、
「たぶんこっちだろう!」
と、迷う事なく一本の道を先頭を切って歩き始める。
他のみんなは、
「そうかなあ…?」と思いつつも、
あまりに私が “自信ありげに” スタスタ歩くもんだから、
不安ながらも渋々付いて来る。
そしたら…、
行き止まり…。
ありゃ〜〜〜〜〜。
こんなこともザラです。
わははは。
(ん…?)
大阪でもありましたね。
地元の友人たちに連れられて「焼肉屋」へ。
「ああ、美味しかった。」
と、勘定を済ませた私は、
「さ、駅に戻ろう。」
と、店を出るや右に出て、勝手に歩き始めました。
すると後ろから、
「宮住さ〜ん、どこ行くんですか〜?
駅はこっちですよ。反対ですよ〜。
さっき、こっちから来たでしょ〜。
もう忘れはったんですか〜。
しかも、知らない土地で、
自分からさっさと歩き始めるなんて、
珍しいお人でんなあ〜。」
と、お声がかかる。
(……。)
ジャミン・ゼブの4人やY浅ショージは、
既(すで)に、そんな私を熟知しております。
だから、私が勝手に歩き出したりしても、
もはや、絶対に付いて来たりはしません。
初めのうちは、
私が間違った方へ歩き出すと、
「社長、そっちじゃありませんよ。
こっちですよ。」
とか、
「宮住さん、どこ行くんですか?
駅はこっちですよ、こっち。」
などと、親切に教えてくれたもんですが、
今では、声すらかけてくれません…。
……。
とくに長年の相棒のY浅ショーちゃんは、
まったくと言っていいほど、
私の方向感覚を信じておりません。
というか、もはや、
バカにしまくっております。
ま、ずいぶん被害を被ったでしょうからね。
わからなくもありません。
わははは。
(ん…?)
しかし…、
私の悪い癖は一向に治らないのです。
ジャミンの仕事が終わっても、
相変わらず私は、
勝手に「こうだ」と決めた道を歩き出す。
ところが…、
どんどん歩いて行くうちに、
周りに誰もいないのにふと気づいた私は、
不安になって後ろを振り返る。
すると…、
あの5人は…、
私に背中を向けたまま…、
知ら〜んぷりで…、
とっとと、向こう(反対側)に向かって、
どんどん、歩いて行くではありませんか…。
なんという、冷たい連中でしょうか。
情けというやつを持ち合わせていないのでしょうか。
……。
あせった私は、
「おおい、待ってくれ〜〜。」
と慌てて走って、やっとのことで追いつく。
ふう、ふう〜…。
とまあ、こんなことも日常茶飯事なわけです。
わははは。
(ん…?)
だから…、
信じられないかもしれませんが…、
私たちの間では、
こんなことも起こりうるのです。
あれは一昨年のことでしたか…。
私とショーちゃんは、
大崎にある、
デザイン事務所を訪れることになっていました。
ところが、先方からもらった地図が、
めちゃくちゃ解りにくい。
しかも駅からは相当距離がありそうだ。
……。
抜群の方向感覚を誇るショーちゃんですら、
「いやあ、こりゃ解りにくいなあ。
これ、けっこういい加減な地図ですねえ。」
と、しばらく考え込んでしまうような代物。
となると私には、まったくお手上げです。
私一人だったら、
何年かかっても目的地には到着しそうもない…。
……。
しかし、そこはさすがのショーちゃん。
「たぶんこっちでしょう。
ま、何はともあれ行ってみますか。」
と、歩き出した。
私は金魚の糞のように付いて行くしかない…。
しばらく行くと、
道が左右に分かれていました。
ここでショーちゃんが、
はたと考え込む。
「ううむ…。まいったなあ…。
これはどっちに行ったらいいんだろう…?
まったくこの地図は信用できないなあ…。」
「どれ貸してごらん。」
とここで私が、偉そうに、
彼からその地図を取り上げ、
助け舟を出そうとする…。
そのときです!
ショーちゃんが私にこう聞きました。
「そうだ! 宮住さんはどっちだと思いますか?
右か左か、どっちだと思います?」
私は地図とにらめっこしたあげく、
確信を持った結論に達しました。
「うん、これは右だよ。
間違いないと思う。」
すると、ショーちゃん。
「じゃ、左ですよ。間違いありません。」
と、さっさと私を置いて左に歩き出したのです。
……???
そしてそれは、
正解だった。
(……。)
さて、そのまま私たちは順調に目的地に近づく。
そうこうするうちに、
またしても道が分かれていました。
ここでもショーちゃんは考え込む。
「ううむ…。これはどっちかなあ…?」
そして、またしても私に聞きました。
「宮住さん、今度はどうでしょうね。
右か左か、どっちだと思いますか?」
「どれどれ。」
と地図をもらって考えに考えた私は、
「今度は左だな。うん左だ。
間違いないと思う。」
すると…、
あいつ…、
あのショージのやつ…、
「そうですか。左だと思いますか。
じゃ、間違いなく右ですよ。
右に行ってみましょう。」
と、ぬかしやがった。
……。
しかし…、
それは…、
またしても…、
残念ながら…、
大正解だったのです!!
なあ〜んで…?
……???
(つづく)
毎日、頑張って「整骨院」に通っております。
禁酒も早や4日めです。
おかげで、
ほんの少しずつではありますが、
良化しているようです。
ま、例年ヒマな2月で良かったです。
これが12月だったら、
病院なんか行く時間もありませんからね。
禁酒も大丈夫です。
ええ、力強い味方を手にしましたからね。
なんだと思いますか?
それはね、
ジャーン!
ノン・アルコール・ビール!!
「アルコール・ゼロ」ながら、
のどごしと味はビールそのもの。
今までバカにしていましたが、
充分代用品になることが判明。
これで、がんばれます。
なんとか25日(金)までには、
治すぞ〜〜。
ガオ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!
(ちょっと哀れ…)
……。
SHUN MIYAZUMI
February 15, 2011
方向音痴は遺伝する
私は、自他共に認める方向音痴です。
それも、
かなり、
ひどい…。
もしも、「方向音痴の世界選手権」なるものがあったなら、
私は、まず間違いなくメダル圏内でしょうね。
一例をあげるならば、
ジャミン・ゼブの仕事で初めて行く場所には、
一度たりとも、
ちゃんと行けたためしがありません。
事前にもらった地図を何度も確認し、
地図のとおりに歩いているつもりなのに、
絶対と言っていいほど、
違う道を歩いているのです。
な~んで…?
ましてや、
即売用のCDを何十枚も担いで歩く時は、
なおさら悲惨です。
あれ、重いんですから。
地図には「駅から徒歩5分」と書いてあるのに、
私は、20分も30分も、
「富士の樹海」に迷いこんだ哀れな旅人のごとく、
その辺をただただ徘徊するばかりなのです。
困り果てた私は、
少しばかりの怒りを込めて、
ついにマネージャーのY浅ショーちゃんに電話をする。
私「ショーちゃん、あの地図間違ってない?
全然着かないんだけど…。」
シ「何でですか? あんなにわかりやすいのに。」
私「ふん、どうせ、みんなも迷ってると思うよ。」
シ「いいえ。みんなちゃんと来てますよ。
レンセイもおんなじ地図を見て、
ちゃんと来ましたよ。」
私「……。」
なぜだ…?
オーストラリアで育ったレンセイが行けて、
なぜ私だけが行けないのだ…?
こんな事が、
許されていいのだろうか…。
……。
2008年5月の白井市のコンサートのときもそうでした。
私は、確信を持って、
地図が指し示す道をひたすら歩く。
重いCDの入ったバッグを肩に担いで…。
しかし…、
行けども行けども、
目的地のホールは見えてこない。
仕方なく私は、
もう一度逆戻りをして、
その辺のコンビニに立寄り、
地図を見せて、
私の歩いた道が間違ってなかったことの同意を得る、
の、つもりが…、
「ああ、お客さん、
そりゃ反対ですよ。
こっち、こっち、
こっちの道を行くんですよ。
ほら、地図にもそう書いてあるじゃないですか。」
「……???」
2008年9月の南大沢の時もそうでした。
私は地図に書いてある目印を、
一つ一つ確認しながら歩いて行く。
「ええと、その左にイトー・ヨーカドウがあって、
よしよし、あった、あった。
で、そこを左だな。
よし、この道で間違いあるまい。」
ところが…、
行けども行けども、
どんどん駅から遠ざかるではありませんか。
「駅から徒歩5分」と書いてあるのに、
私は、もう20分近くも歩いている。
……。
私は不安になって、
ついに、その辺を歩いている地元の人に地図を見せ、
聞いてみることにしました。
すると、またしても、
「ああ、そこなら反対ですよ。
あなた反対側を歩いてますよ。
あっち、あっち、
あの道をまっすぐ行くんですよ。」
「……???」
重い重いCDのバッグを担いで、
やっとの思いで到着した私は、
またしてもショーちゃんに皮肉の一つも言いたくなる。
私「ショーちゃん、あの地図わかりにくいよ。
あれじゃあ、みんな、ちゃんと来れないだろ。」
シ「そうですかねえ。みんな来てますよ。
レンセイも迷わず時間どおりに来ましたけど。」
私「……。」
2009年11月の飯田橋「NHK肺がん撲滅キャンペーン」
2010年1月横浜にぎわい座「ワークショップ」
どちらも、
駅の反対側をひたすら歩いておりました。
駅で待ち合わせをしているとおぼしき、
何人かのジャミン・ファンの女性たちから、
「あっ、先生、そっちじゃありませんよ。
会場は逆ですよ。
こっちに行くんですよ。」
と、教えてもらって、
恥ずかしながら “Uターン” なんてことも、
一度ならず、二度、三度…。
いやいや、
もう、こんなことは、
数えきれないほどあります。
な~んで…?
な~んで、
私だけが、
ちゃんと行けないの…?
……???
そうだ!
私が最近膝(ひざ)に苦痛を覚えるようになったのは、
私が、人よりも余計に歩いているからなのだ。
重い重いCDを担いで、
Y浅ショージよりも、
はるかに長い時間を歩いたからなのだ。
そうだ、そうだ!
おい、ショーちゃん、
どうしてくれる。
これは、立派な職業病ではないか!!!
しかし…、
そう言うと彼は…、
嫌らしい笑みを浮かべながら、
いつも冷たく、こう言い放つのです。
「でも、レンセイはちゃんと来てますよ。」
……。
(つづく)
いやあ、昨夜の東京はすごい大雪でしたね。
みなさん無事に帰れましたか?
私は…、
あぶないところでした。
武蔵小杉の、とある場所で、
ジャミンの次のアルバム用の、
プリ・プロを作っていたのですが、
9時頃、ちょっとタバコを吸いに表に出たら、
もうもうすごい雪ではありませんか。
ショーちゃんの車も、
雪に埋もれて、運転不可能な状況になりつつある。
私たちは大慌てで作業をストップし、
ショーちゃんに駅まで送ってもらい、
東横線に乗り、学芸大で降り、
「TSUTAYA」でDVDを返し、
メシも食わずにタクシーを待つ。
「A'TRAIN」に行きたい気持ちは山々なれど、
ほら、こんな足の状態ですからね。
私の家は、
都立大学駅からは徒歩15分。
学芸大学駅からは徒歩20分。
しかもどちらも登り坂。
今の膝の状態では、
歩くのは絶対不可能です。
「八甲田山雪の行軍」よろしく、
吹雪の中で一命を落とすかもしれません。
……。
必死でした…。
「早くタクシーよ来い…。」
「早く空車よ来い…。」
ひたすら念じたあげく、
ようやく1台捕まえることができました。
ホッ…。
本来なら、
「A'TRAIN」で、
雪見酒と興じたはずなのに…。
悔し~~~~~~~~~い!
ああ、健康な体が恋し~~~い!
……。
えっ?
たまには酒抜き生活もいいんじゃないか、
ですって…?
まあね…。
……。
SHUN MIYAZUMI
February 05, 2011
深町純さんの思い出 その3 最終回
『私と映画音楽 火の鳥』(2006年エッセイ)
というお話を覚えてらっしゃいますか。
市川崑監督の実写による映画(手塚治虫・原作)に、
アルファが莫大な投資をし、
あまりのひどい出来栄えに映画は大コケしてしまった…。
そんな顛末のお話でしたね。
でも、音楽は素晴らしかったのです。
深町純さん作曲、
新日本フィル・ハーモニー管弦楽団演奏による、
50分にも及ぶ音楽は、
まさに、
ショスタコーヴィッチのシンフォニーを彷彿とさせる、
雄大な渾身の力作。
改めて彼の才能を見せてもらった感じがしました。
なのに…、
映像の編集に時間がかかりすぎて、
その素晴らしい音楽は、
ほとんど適正に使われることなく、
付け焼き刃程度の扱いでしかなかった…。
怒り狂った深町さんは、
試写会の途中で憤然と席を立つ。
……。
ま、そんな苦々しい思い出話だったのですが、
興味のある方は、
ぜひ今一度読んでみてください。
そのレコーディング時に、
こんな、面白い(?)、エピソードがありましたよ。
快調に進んでいた録音が、
ある場面までやってきたときに、
突然深町さんが、
「ちょっと止めて。今、変な音がしたよ。
ちょっとチェックしてくれる?」
と、不機嫌な様子でストップをかけた。
「すみません、今のところ、
もう一度演奏してみて下さい。」
と私が、仕方なく指揮者に要請をする。
もう一度演奏が始まる。
すると…、
やはり同じところで深町さんが、
「ほら、そこだよ。やっぱり変な音がしたよ。
シュン坊も、聞こえただろ。
ね、ね、おかしいよ、その音は。
僕はそんな音書いてないよ。」
と、私にスコア(総譜)を見せて、
どうしても引き下がろうとしない。
時間も迫ってるし、
ま、確かにそこだけは、
ちょっと違和感のあるハーモニーではあるものの、
たった1音だし、一瞬にして通り過ぎるし…、
「別にいいじゃないの、先に行きましょうよ。」
と私は深町さんに妥協を促すのですが…、
やはり芸術家なんですね、彼。
そういう時だけは、
絶対に譲ろうとしません。
あたりまえか…。
で、仕方なくその部分を、
何度も演奏してもらうのですが、
やはり同じ事の繰り返し。
(ううむ…。困った。一体なにが起きてるのだ…?)
そのうち、新日フィルの面々や指揮者も、
しだいに不機嫌になってきてるのが、
手に取るようにわかる。
ううむ…。
そして、
深町さんのご機嫌ナナメは最高潮に達し、
スタジオ中が、いや~な空気に包まれる。
私も、ダダっ子のような “先生” が面倒くさくなって、
ついに、こんなセリフを吐いてしまいました。
「いいじゃないか、書いたと思えば。」
すると…、
深町さん…、
怒ったのなんの。
顔を真っ赤にして、
「き、きみ、な、なんてことを…。
ぼ、ぼくの芸術に対して、
し、し、失礼じゃないか。ぶつぶつ…。」
あははは。
自分こそ、普段から、
人に向かって失礼なことを、
ぬけしゃあしゃあと言いまくってるくせに…。
と、可笑しくなって、
もっとからかってやろうかと思ったのですが、
可哀想なのでやめました。
で、仕方なく私は、
その部分のスコアを彼から借りて、
スタジオの中に入り、
各パートの譜面と見比べる作業を始めました。
怒った深町さんは、
プイッと、どこかに消えてしまったので…。
(もう、子供みたいなんだから…。)
おそらく、
第二ヴァイオリンかヴィオラあたりに、
その変な音がありそうだ、
と睨(にら)んだ私は、
入念な検証の結果、
ついに、その謎を発見しました。
なんと…、
ヴィオラの、ある小節で、
確かに、
スコアにはない音が書かれてあったのです。
しかし…、
よ~く見てみると…、
それは…、
書かれたのではなく…、
写譜屋さんがこぼしたインクが、
見事に五線紙の上に、
さも、音のようにポトリと落ちて、
音符のオタマジャクシのような形になっていたのです。
あはは。
( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \
(これ、久しぶりだな)
こんなこともあるんですねえ。
なつかしい思い出です。
……。
♪♪♪
さて、私がアルファを辞めてフリーになったのが、
1983年のこと。
このときの詳しいいきさつは、
『夏の6週間』(2009年エッセイ)
というお話の冒頭で書きました。
それから20年という月日が流れました。
深町さんとのお仕事も、
フリーになってからは、
まったく縁が無くなってしまいました。
とある音楽大学の教授になった、
という噂は聞いておりましたが…。
……。
そんな深町さんと、
7、8年前のこと。
中目黒のトンカツ屋でバッタリ再会しました。
素敵な女性とご一緒でしたね。
うふふ。
そのときの会話。
ふ「おや、シュン坊、お久しぶり。
ずいぶん老けたねえ。」
(しまった、先に言われたか…)
み「あんただって、髪の毛真っ白になっちゃって…。
人のこと言えないでしょ。」
ふ「ガハハハハ。」
(相変わらず、余裕だなあ…)
み「そうだ! 今、大学の先生やってんだって?」
ふ「あっ、君は情報が遅いねえ。
そんなの、もう、とっくにクビになったよ。
ガハハハハ。」
(何えばってんだろ…?)
み「なんでさ?」
ふ「まいったなあ。
君は何にも知らないんだなあ。
ほら、あれで、あれやってて、あれ吸ってて、バレて、
逮捕されたのさ。
ガハハハハハ。」
(いつかはそうなると思ってたけど…)
み「また~?」
ふ「「また~?」って、失礼だなあ、相変わらず君は、
僕は初犯だよ、初犯。
ガハハハハ。」
(笑ってる場合か…)
み「じゃ、今何やってんの?」
ふ「なあ~んにも…。
仕事なんか何にもないさ。
ガハハハハハハ。」
(なんだなんだ、この開き直りは…)
私は思わず、隣の女性に言ってやりました。
み「ねえ、こんな男の、どこがいいんですか…?」
すると深町さん。
ふ「ガハハハハハハ。
君のような凡人には、わからないんだよ。
僕という人間の底知れぬ魅力がね。
ガハハハハハハハハハハハハ。」
み「……。」
とまあ、相変わらずの怪気炎でした。
後ろめたさなんか、
これっぽっちも感じさせませんでした。
良い子のみなさんは、
絶対に真似してはいけないところも、
いっぱいありましたが、
この自信、強気こそが、
良くも悪くも彼の魅力…。
私は、そんな彼が、けっこう好きでしたね。
♫♫♫
そして2年前のこと。
この頃は、
祐天寺で、
ライブ・ハウスのオーナーをやってると聞きました。
そんな深町さんが、
月に一回の学芸大「A'TRAIN」の私のライブに、
突然乱入してきました。
せっかくなので1曲演奏してもらったのですが、
相変わらずの深町タッチでしたね。
決してジャズでもなく、
アドリブをするでもなく、
強烈な打楽器のようなリズムを、
ガンガン弾いてただけの演奏でしたが、
これが、あの深町さんなんですから。
「相変わらずの迫力だなあ…。」
と、懐かしく聴いておりましたね…。
……。
そうこうするうちに、
ふ「さ、そろそろ店に戻ろう。
シュン坊、楽しかったよ。」
と席を立つ深町さん。
私は、表まで送って行きました。
ふ「シュン坊、ぜひ今度、僕の店にも、
遊びにおいでよ。」
み「うん。一度行かなくちゃと思ってたんだ。
近いうちに絶対行くね。」
ふ「ああ、待ってるよ。
じゃあね。」
そして、握手をして、
サヨナラしたのですが、
いい笑顔をしておりましたね。
そして…、
それが…、
最後になってしまいました…。
……。
湿(しめ)っぽい哀悼の表現を、
彼は嫌うでしょうから、
こんな形で回想してみましたが、
やはり、
寂しいですね…。
……。
もっとも、
当のご本人はあの世で、
先に逝ったギターの大村憲司君らと、
楽しくセッションでもやっているのでしょうか…。
きっと、そうなんだろうな…。
ね、深町さん。
……。
バイバイ…。
合掌。
(おわり)
ノロ・ウィルスのお次は、
左膝の関節痛で苦しんでおります、私…。
病院で診てもらったら、
年齢からくる、
軟骨の状態の変化がもたらすんだそうです。
病院でもらった「痛み止め」の薬と、
薬局で買った「コンドロイチン」とかいう薬と、
「これも効きますよ」という漢方の薬と、
毎日飲んでるのですが、
一向に良くなりません。
トイレに行くのも一苦労の哀れさです。
あ~あ…。
還暦を前にこの試練…。
……。
そんなのイヤ~~ン。
トホホ…。
しゅん…。
がぉ…。
明日こそ…、
書こ…。
……。
SHUN MIYAZUMI