August 2011

August 30, 2011

ビル・エヴァンス大研究 その5


1959年『Kind of Blue』の名盤を最後に、

マイルス・デヴィスとビル・エヴァンスのコラボは、
たったの7ヶ月で幕を閉じることになります。


一説によると、

マイルスを「黒人の英雄」「帝王」「神」と崇拝する、
マイルス・ファン、黒人ジャズ・ファンからの、

相当に強い反発もあったようですね。



その後マイルスは、

ハービー・ハンコック(ピアノ)
ロン・カーター(ベース)
トニー・ウィリアムス(ドラム)

といった、

新しい感覚を持った素晴らしいトリオを手に入れ、
「モダン・ジャズの帝王」の名を欲しいままに、
疾風怒濤のごとく60年代を駆け抜けます。



一方のビル・エヴァンスも、

スコット・ラファロ(Scott LaFaro)という、
稀代の天才ベーシストと出会うことになります。

(もちろん、この人も白人で、
 これも当時では珍しいことでした。
 しかもこれが、なかなかのイケメンくん。)


で、このラファロのベースがまた、

当時の常識をくつがえす驚異のプレイ。


それまでのベースのスタイルというのは、
一拍ずつ「ボン、ボン、ボン、ボン」
と、いわゆる4ビートを刻む、
ウォーキング・ベースが主流です。

つまり、トランペット、サックス、ピアノといった、
他の器楽奏者が演奏しやすくするための、
裏方(うらかた)さんなんですね。


ところが彼は、

おそろしいテクニックをもって、
どっちが主役かわからないような、
8部音符や16部音符といった早いパッセージを駆使して、
他の奏者たちに挑んでいきます。

いわゆる「バカテク」。


当時はどこを探しても、
こんなベースはいませんでした。

まさに、ジャズ・ベースに新たな可能性を示した、
これまた稀代の革命児だったのです。

今日のジャズ・ベースは、
彼の存在なくしては語れませんね。



さあ、このラファロ君を見つけたときのエヴァンスさんは、

おそらく狂喜したでしょうね。



彼の生涯をかけてのテーマは、

「対話」(Conversation)

ではなかったかと、私は思っています。


誰か一人が主役になるのではなく、
常にプレイヤーたちがお互いの内面に向かって、
対話を仕掛けていく。


そんな “インタープレイ” をめざす彼は、
しかるべき相棒がいないときは、
ご丁寧に、

『Conversations With Myself』

なんてアルバムまで作っているんですから。


(3台のピアノを一人で多重録音。
 自分の中で対話をしていくという、
 ナルシストちゃんのエヴァンスならではの実験作。

 でも、これも名盤です。
 そう、エヴァンスには駄作がないんだなあ…。
 これもすごいことです。)



ところが、

これぞ願っていた最高のベーシストが、

いた!


自分のバックで、淡々と4ビートを刻むだけじゃない、

おそるべきテクニックで自分に向かってくる、

驚異の若者が。

……。



そして、

そんなスコット・ラファロを相棒に、

自己のピアノ・トリオの完成をめざして、

「Riverside (リヴァーサイド)」というレーベルに、
素晴らしい4枚のアルバムを残すわけですが…、


なんと、そんな絶頂の61年に…、

相棒のスコット・ラファロが…、

自動車事故で死んでしまう…。

……。


25才という若さでした。

(惜しい…。本当に…。)



ショックのあまり、

ビル・エヴァンスはそれから1年間、

まったくピアノが弾けなくなってしまったそうです。


わかります…。

わかりますよ、エヴァンスさん…。



その4枚のアルバムをご紹介しておきましょう。

いずれもエヴァンスの最高傑作と呼び声の高い作品です。

(ただし、くどいようですが、ビギナーの方は、
 「タウン・ホール」「ウィズ・ストリングス」といった、
 「Verve」時代のものから入ることをお薦めします。)



『PORTRAIT IN JAZZ』

_SS500_

1. Come Rain Or Come Shine
2. Autumn Leaves
3. Autumn Leaves (Mono)
4. Witchcraft
5. When I Fall In Love
6. Peri's Scope
7. What Is This Thing Called Love
8. Spring Is Here
9. Someday My Prince Will Come
10. Blue In Green (take 3)
11. Blue In Green (take 2)


『Explorations』

_SS500_

1. Israel
2. Haunted Heart
3. Beautiful Love (Take 2)
4. Beautiful Love (Take 1)
5. Elsa
6. Nardis
7. How Deep Is The Ocean
8. I Wish I Knew
9. Sweet & Lovely
10. The Boy Next Door


『Waltz for Debby』

_SS500_

1. My Foolish Heart
2. Waltz for Debby (take 2)
3. Detour Ahead (take 2)
4. My Romance (take 1)
5. Some Other Time
6. Milestones
7. Waltz for Debby (take 1)
8. discussing repertoire
9. Detour Ahead (take 1)
10. My Romance (take 2)
11. Porgy (I Loves You, Porgy)


『Sunday at the Village Vanguard』

_SS500_

1. Gloria's Step (Take 2)
2. Gloria's Step [Take 3]
3. My Man's Gone Now
4. Solar
5. Alice in Wonderland [Take 2]
6. Alice in Wonderland [Take 1]
7. All of You [Take 2]
8. All of You [Take 3]
9. Jade Visions [Take 2]
10. Jade Visions (Take 1)


上の2枚はスタジオ録音。

下の2枚はライブ盤です。


いずれもエヴァンスとラファロの、

火を噴くようなインタープレイを聴くことができます。


そして、

このライブ・レコーディングの10日後に、

スコット・ラファロは、

短い生涯を閉じることになるんですねえ。


ああ、


なんてことだ…。


……。



(つづく)




「世界水泳」が終わり、

「夏の甲子園」が終わったら、

今度は、

「世界陸上」ですか…。


いやあ、まいったなあ。

いつになったら創作モードに入れるのだ、

宮ちゃんたら。


あははは。

ふにゃふにゃ。


ふにゃ〜〜〜〜ん。


(ごまかすな!)


ん…?



SHUN MIYAZUMI

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2011 エッセイ | 偉大なジャズメンたち

August 24, 2011

ビル・エヴァンス大研究 その4


Miles Davisの名盤『Kind of Blue』について、

もう少しお話してみようと思います。


このアルバムが発表されたのは1959年です。


それまでの「ビーバップ」スタイルや、
「スタンダード・ジャズ」が物足りなくなった、
“モダン・ジャズの帝王” ことマイルス・デヴィスは、

このアルバムにおいて、
「モード・ジャズ」という新たな理論を開発し、
アドリブの可能性を無限に拡げただけでなく、

黒人が生み出した偉大な芸術であるジャズを、
革新的なコンテンポラリー・ミュージックとして、
さらに強烈にアピールしていくことになります。


その起点にもなったアルバム。


これが歴史的名盤と言われる所以なのですが、

そんな、ブラック・コンテンポラリー・ミュージックの、
歴史的な意味合いを持つレコーディングのピアニストに、

なぜ白人のビル・エヴァンスが呼ばれたのでしょう…?



私の推論はこうです。

「他にいなかったから」

……。



ご承知のように、

アメリカで黒人が参政権を勝ち取ったのは、
1964年のことです。


まだ50年にも満たないんですねえ…。



その5年前に、

この『kind of Blue』は作られたわけです。

白人ピアニスト、ビル・エヴァンスの参加によって…。


それまでも、
ガーシュインやベニー・グッドマン(クラリネット)ら、
多くの白人が、人種の垣根を越えて、
ジャズの世界で活躍をし始めてはいましたが、

マイルスとなると話は別。


彼こそは、

“黒人の” 偉大なカリスマであり、

英雄であり、

帝王なのですから。



そして、彼の白人嫌いは有名です。

彼は、死ぬ間際まで、
南アフリカのアパルトヘイト(人種差別)政策を、
痛烈に批判していました。

「南アフリカのことを考えるとヘドが出る。」



しかし、

彼はビル・エヴァンスを迎えた。

……。



本当は黒人でいきたかったんでしょうね、

マイルスさん。


それまで彼のバンドで弾いていた、

レッド・ガーランドやウィントン・ケリーといった、
バド・パウエル系、
ビー・バップ・スタイルのピアニストでは、
もはや飽き足らないマイルスは、

必死でピアニストを探したと思いますよ。


新しい感覚の黒人ピアニストをね。

(これぞバッチリ!
 こんなピアノを待っていたのよ!!
 そんな「ハービー・ハンコック」を手にするのは、
 この数年後のこと…。)


しかし、当時は、いなかった。

……。



ま、それほどエヴァンスの感覚は新しかったわけです。


そして、エヴァンスもまた、
帝王マイルスからの誘いは、
ほっぺをつねりたくなるような出来事ではなかったか…、

と、私は思うわけです。

なんたって、相手はジャズのカリスマなんですから。


そして、あの歴史的名盤は生まれた。

……。



これは凄いことです。


人種差別が当たり前、
黒人に選挙権のない時代に、

ジャズの世界では、

「白人は黒人に学び、黒人は白人に学ぶ。」



素晴らしいではありませんか!


音楽の力は、

政治の世界なんかより一足も二足も早く、

人種の壁など取り払っていたのです。


パチパチパチ。



えっ、

今日は真面目すぎてつまんない、

ですって…?



まあ、まあ、

そんな日もあります。


ということで。。。



ま、これからもジャズのお話は、
折にふれ、書くでしょうから、
このくらいのマメ知識も必要ではないかと思い、

あえて書かせていただいた次第であります。



白人のクラシック音楽も、

黒人の作ったジャズも、

いいものはいい。


人種の垣根なんか超えて、

みんな仲良くいこうじゃないの。

(そうだ、そうだ)



だから私、

「jammin' Zeb」(ジャムするシマウマ)

というネーミングは、とても気に入っているんです。


「覚えにくい」
「舌噛みそう」

などという反論もありましたが、

ええい、かまうもんかということで、
採用したわけなんですね。

ワンワン。


ん?

……。




さ、次回は、

その後のエヴァンスが、

どうなっていったかのお話。

……。



えっ、

前回の答えは?

ですって…?



そうでした、そうでした。

レンセイくんアレンジ「Summertime」でしたね。



Miles Davis『Kind of Blue』の1曲目は、
「So What」(それがどしたの?)という曲です。


ビル・エヴァンスのフリーなイントロが終わると、
低音のベースがテーマを弾き始めます。

♪ミ・ラ・シ・ド・レ・ミ・ド・レ・ラ♪

するとトランペットをリードとした3管が、
♪シーラッ♪と受ける。


レンセイは、ここをオマージュとして使ったのです。


場所はシモンのソロが始まって5小節目。

♪I know that you're gonna be crying♪

すると、他の3人が♪So what?♪と受ける。


はい、この部分でした。


こんな遊びも楽しいですよね。



ちなみに、

このシモンと、
続くスティーヴのソロ・パートの詞やメロディは、
原曲にはありません。

レンセイが新たに書き加えたものです。



がんばりましたね、彼。


なにしろ1年がかりの労作ですからね。


もっと早く仕上げてもいいんだよ、


ね、レンセイ。


……。



(つづく)




8/17、18、20、21

4日間にわたって繰り広げられた、
「jammin'Zeb / STB139 飛び石4Days!」


おかげさまで、
大盛況のうちに終えることができました。


思えば、大震災で延期になってから5ヶ月。

「これが終わらないと、
 新たなスタートが切れない‥。」

「とにかく無事で終わって欲しい…。」


その一念で迎えたライブだっただけに、
ホッとしました。


そして、
みなさんの熱狂ぶりや満面の笑顔を見て、
改めて音楽をやれる喜びを実感した次第でございます。

私は幸せ者です…。


みなさん、

本当にありがとうございました。


♡♡♡



というわけで、

なんか肩の力がスーッと抜けた感じです。


新しい曲のアレンジもしなくちゃ、
とは思うのですが、

なんか、力が抜けちゃって…。


ふにゃふにゃ。


ふにゃ〜〜ん。


……。



SHUN MIYAZUMI

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2011 エッセイ | 偉大なジャズメンたち

August 15, 2011

ビル・エヴァンス大研究 その3


あれは、1970年代の終わり頃だったでしょうか。

当時のクラシック界で、
「帝王」と呼ばれ人気を独り占めしていた大指揮者、
ヘルベルト・フォン・カラヤンが、

これまた「世界最高のオーケストラ」の呼び声高い、
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団を率いて再来日。


私は毎晩のように、
テレビでその演奏を観て(聴いて)いたのですが、

そこにはドキュメンタリー・タッチで、
楽屋裏も紹介するといったお宝映像も、
ふんだんに盛り込まれておりました。


で、そのなかの一シーンに、
私は思わず大笑い。


インタビュアーの男性が、主(おも)だった楽団員に、
こんな質問をして回っているのです。

「カラヤンは本当に帝王だと思いますか?」


ん?

質問する方も勇気がいりますが、
はたしてみなさん、
ちゃんと答えてくれるのでしょうかねえ。


なんたって「帝王」なんですから。

世界に君臨する最高権力者なんですから、カラヤンさん。

みなさん、へたなこと言えませんよ〜。

あははは。



というわけで、その答えや如何に。

(演奏楽器の記憶は曖昧ですが、お許しを。)



まずは一人の “年輩の” ヴァイオリン奏者。
真面目一徹、厳格そうなおじさん。
そのおじさんは気難しそうな顔をして、こう答える。

「もちろんだとも。
 天才とはああいう人のことを言うんだね。」

(まあ、そう言うだろうな〜。)



さて、インタビュアーは、
今度は “もっと年輩の” チェロ奏者にマイクを向ける。

ま、はっきり言ってしまえば、“おじいちゃん”。
おじいちゃんチェリストは胸を張ってこう言う。

「そう、カラヤンはまさに帝王だよ。
 彼の背中には後光が射しているじゃないか。」

(ま、これも予想の範囲内かな…。)



お次は、ちょっと若めのホルン奏者。

で、この人の答えがケッサク。
私は、こんな答を待っていたのです。

彼はニコニコしながらこう答えました。

「いや、カラヤンは帝王じゃないね。
 帝王とは、ベッケンバウアーのことさ。
 アハハハ。」

(ちなみにベッケンバウアーとは、
 当時世界一と言われていたドイツのサッカー選手。)



そして極めつけは、若いトランペット奏者。

彼はまじめな顔をしてこう言ったのです。


「カラヤンが帝王だって?
 とんでもない。
 真の帝王は、マイルス・デヴィスだよ。
 僕たちは、みなジャズのコンボをいくつか作って、
 練習の合間にジャズを勉強してるんだ。
 いや、マイルスは本当に偉大だ。」

(す、すごい…。)

……。



どうです。

さすが世界最高峰のオーケストラ団員ではありませんか。

粋ですねえ、この遊び心。


ということで、久しぶりにやりますかね。


( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \


(ん…?)




はい前置きが長すぎました。


でも、私が何が言いたいかというと、

真に優れたクラシック演奏家の多くは、

しっかりジャズを認めているということなのです。



ま、このあたりのお話は次回にまわすことにして、

さっき話が出たマイルス・デヴィスという人は、
「モダン・ジャズの帝王」
と呼ばれています。


「クール」
「ビー・バップ」
「ハード・バップ」
「モダン・ジャズ」


次々と新しい発想で、
ジャズ界に旋風を巻き起こす、
偉大な革命家とも言える彼が、

50年代の最後には、
こんなアルバムを発表して、
さらに世の中を驚かしてしまいました。


『MILES DAVIS / Kind Of Blue』

_SS500_

1. So What
2. Freddie Freeloader
3. Blue In Green
4. All Blues
5. Flamenco Sketches
6. Flamenco Sketches (Alternate Take)


この歴史的なアルバムでマイルスは、

いわゆる「スタンダード・ジャズ」といった、
コード進行に基づくアドリブという概念を捨て、

「モード・ジャズ」という新たなスタイルを確立。


1960年代を、疾風怒濤のごとく駆け抜けました。



まあ、興味があったら聴いてみて下さい。

特に1曲目の「So What」という曲は、
今ではジャズのバイブル的存在とも言えましょう。


ただし、これは辛口です。

クールです。

甘みを排した男の世界です。

ハードボイルドな大都会の夜です。


ワインよりはドライ・マティーニが合いそう。

水割りよりはストレート・ノー・チェイサー。

(くう〜、きつそう…。)


決してビギナー向きではありませんが…。

……。



さらに、このアルバムには、

もうひとつ、

驚くべきことがあります。


メインのピアノが、

あの、

ビル・エヴァンスだからです。


もちろん他は、

ジョン・コルトレーン、
キャノン・ボール・アダレイ、
ポール・チェンバース、

といった当時を代表する、
凄腕の黒人ミュージシャンばかり。


でも、ピアノはエヴァンス。

……???



マイルス・デヴィスとビル・エヴァンス。

どう見たって水と油ではありませんか。


片や、黒人ジャズの革命家であり黒人のアイドル。

黒人によるコンテンポラリー・ミュージックの推進者。



片や、クラシック音楽をジャズと融合させ、

クラシック至上主義の多くの白人をして、

ジャズに目を向けさせた人物。


「スタンダード」に新しいハーモニーやフレーズで、

みずみずしい息吹を与えたロマンティスト。


どう見たって、

水と油だ…。

……。



実際、ビル・エヴァンスの加入は、
多くの黒人ファン、マイルス・ファンから猛反発を受け、
わずか7ヶ月でエヴァンスは退団したそうですが、

そのわずかな間に生まれたこの作品が、
今や歴史的名盤として、
世界中のジャズ・ファンから愛されている。


なんとも不思議かつ皮肉な現実です。


面白いですねえ。


でも、わかるような気が…、


それはですね……、



えっ、


もう時間?



そんな…、、、


……。



(つづく)




6/12の「ZEBLOG」でレンセイが、
「Musical Jokes」というお話を書きました。

ジャミン・ゼブ・ファンの中には、
読まれた方も多いのではないでしょうか。


その中で彼は、
「Summertime」のアレンジのなかに、
Miles Davisのある楽曲の1部分を、
オマージュとして採用したと言っております。


それは、
この『Kind Of Blue』というアルバムの中にあります。

次回は、その種明かしをしますが、
みなさんも考えてみて下さいね。



さ、今週は待ちに待った「STB139 飛び石4Days!」

熱い、熱い、1週間になりそうですね。


くう〜、


燃える〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!


……。



SHUN MIYAZUMI

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2011 エッセイ | 偉大なジャズメンたち

August 03, 2011

ビル・エヴァンス大研究 その2


ビル・エヴァンスという人は、
自分の将来を決めるにあたって、

「クラシックの道に進むべきか…。
 それともジャズをやるべきか…。」

ずいぶん悩んだんだそうです。


私なんか、即決でジャズを選びましたが…。

(一緒にすんな!)


ま、彼の場合は、
クラシックの世界でも十分やっていけるだけの、
技量を持っていたんでしょうね。


しかし、ジャズをやってくれて良かった…。

つくづく思います。

……。




ご承知のように、

ジャズはアメリカの黒人たちによって作られました。


過酷な労働と人種差別に苦しむ黒人たちが、
わずかな余暇に、めいめい楽器を持ち寄って、
日々の苦しさから解放され自由に音楽を楽しむ。

それがそもそもの起源です。


したがって、
当初クラシック至上主義の白人たちからは、
原始的な音楽と蔑(さげす)まれたのでしょうが、

次第にその音楽の素晴らしさは、
白人も認めざるを得ない状況になっていきます。


その最大の功労者は、

ジョージ・ガーシュインでしょうか。


白人の中流家庭に育った彼は、
早くからジャズの素晴らしさを認め、

「ポギーとベス」という、
黒人世界を描いた、黒人だけによるミュージカルを書き、
周囲の猛反対と妨害に敢然と立ち向かい、
ニューヨークの一流劇場で公演することに成功しました。



そして、もう一人の功労者が、

このビル・エヴァンスではないか、、、

私はそう思うわけです。



1950年代の半ばに、
彼が颯爽とジャズ・シーンに登場したとき、

今までのジャズにはなかった、
都会的で洗練された知的なプレイは、
大いに話題になりました。


そして、

「ジャズは不良の音楽」

と、敬遠、軽蔑していた多くのクラシック・ファンからも、
注目されるようになっていくのです。



ジョージ・ガーシュインが初めてパリを訪れたとき、

ラヴェル、シェーンベルグといった、
当時のヨーロッパを代表する大作曲家たちが、
こぞって彼に面会を求めた話はあまりに有名です。

バルトークやリヒャルト・シュトラウス、
ストラヴィンスキーといった大作曲家たちも、
早くからジャズの素晴らしさを認めていました。



そしてビル・エヴァンスの存在もまた、

クラシックを学ぶピアニストたちをも、
“ジャズに目を向けさせる”
大きな原動力になったのでした。



なんたって、

彼らが出現した頃のアメリカは、

まだ、黒人に選挙権のない時代ですからね。


「これジョージ、
 そんな黒人の子と遊んではいけません。
 これ、あんた、あっち行きなさい。シッ、シッ。」

「まあビルったら、嫌ですねえこの子は。
 なんでジャズなみたいな不良な音楽をやってるのざます?
 音楽はクラシックざましょ、クラ〜シックよ。
 さ、早くあなたの素敵な素敵な、
 モーツァルトやショパンを聴かせてちょうだい。」

「……。」


とまあ、そんなひどい時代。



そんな時代に、
いち早くジャズの素晴らしさを認め、

黒人だけのための音楽と思われていたジャズに、
“アカデミック” な要素を加えて、
芸術的な価値を高めていったこの二人の功績は、

国民栄誉賞ならぬ、
世界人類栄誉賞でも差し上げたいくらいの、
快挙なのであります。


この二人がいなかったら、

はたして今のジャズはどうなっていたのか…。


もちろんジャミン・ゼブの音楽も…、、

……。




ん…?

なんだか今日は硬い話になってますねえ。

いけません、いけません。



でもまあ、ビル・エヴァンスの登場は、

そのくらいのセンセーショナルな出来事であった、

と、私は言いたいわけです。


私が史上最大のジャズ・ピアニストと認める、
あの、キース・ジャレットでさえ、

ビル・エヴァンスがいなかったら、
果たしてあのスタイルを築きあげられたかどうか…。

……。



というわけで、今日はここまでにしておきますね。


最後は、

こんなアルバムをご紹介しようかな。


私の大好きなシンガー、トニー・ベネットと、
ビル・エヴァンスが、
二人だけで奏でる、極上の大人の世界。

最高にお酒が美味しくなる1枚です。


『Together Again/Tony Bennett & Bill Evans』

_SL500_AA300_

1. The Bad and The Beautiful
2. Lucky To Be Me
3. Make Someone Happy
4. You're Nearer
5. A Child Is Born
6. The Two Lonely People
7. You Don't Know What Love Is
8. Maybe September
9. Lonely Girl
10. You Must Believe In Spring


どうです。

この、粋な男二人の名人芸。

(し、し、渋いかも…。)


ただし…、

このアルバムには欠陥があります。


あまりの心地よさに、

すぐに眠くなってしまうことです。


では、おやすみなさい。


zzz……。



(寝るな、仕事だろ!)


……。。。



(つづく)




遅ればせながら、

7/29(金)学芸大「A'TRAIN」にお越しのみなさん。

ありがとうございました。


ラモーナ(ロペス)も久しぶりに乱入してきて、

大人の歌をたっぷりと聴かせてくれましたね。

最高に楽しい夜でした。



さて、

今週は、なんだかんだ、

ジャミンの仕事で忙しくしております。


先週は「世界水泳」に夢中になりすぎて、

創作がおろそかになりましたからね。


週末からは、

遅れを取り戻さねば…。



えっ?

週末からは「高校野球」が始まるぞ、

ですって?



むむむ…、


それは困った…、


……。。。



SHUN MIYAZUMI

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2011 エッセイ | 偉大なジャズメンたち