October 2011
October 23, 2011
ルーツ
私はプロ野球観戦が大好き。
かつてこのブログでも、
「山田投手と私」というエッセイを書き、
一部で、ちょこっとだけ盛り上がりましたね。
山田投手といえば、
70年代、阪急ブレーブス黄金時代に大活躍した、
大エース投手、
あの、山田久志投手のことです。
(現在、阪神の次期監督の候補になってるそう…)
というわけで私は、
昔は阪急ブレーブスの大ファンでした。
その後、オリックスに身売りされても、
イチローという不世出の選手が出現したため、
そのままオリックス・ファンとして、
何度も球場に足を運んだのでした。
オリックスのメガホンと小旗を持ってね。
アハハハ。
ま、今となっては懐かしい思い出です。
ただし、そのイチローがメジャーに行ってからは、
特に応援するチームもないので、
今は時々テレビで見るくらいですか…。
……。
で、なんでこんな話を始めたかというと…、
「日本のプロ野球選手には珍しい名前が多いなあ…」
と、思い始めたからなんです。
例えば、
その昔、一世を風靡した、阪神タイガースの掛布選手。
その後も私は、
掛布(かけふ)という名前の人に会ったこともなければ、
新聞やテレビで見たこともありません。
もっと昔には、
景浦(かげうら)、別当(べっとう)など、
阪神には珍しい名前の “強打者” がズラリ。
逆に広島カープには、
珍しい名前の “大投手” がたくさんいましたね。
安仁屋(あにや)、外木場(そとこば)、
そして、北別府(きたべっぷ)。
みな当時は「エース」と呼ばれた大投手ばかり。
私が少年時代の東映フライヤーズ(今の日本ハム)には、
毒島(ぶすじま)なんていう、
変てこな名前のスラッガーもいました。
まだまだいますよー。
衆樹(もろき:阪急)
当銀(とうぎん:阪急)
仰木(おうぎ:西鉄)
玉造(たまつくり:西鉄)
西園寺(さいおんじ:東映)
本屋敷(もとやしき:阪急)
天保(てんぽ:阪急)
才所(さいしょ:巨人)
法元(ほうもと:中日)
源五郎丸(げんごろうまる:阪神)
湯舟(ゆふね:阪神)
音(おと:中日)
最近では、
丸(まる:広島)、梵(そよぎ:広島)
なんて名前も、
ちょっと普通ではお目にかかれませんね。
で、
なぜこんなことを言いだしたかというと、
私の家系も相当に珍しい名前だからです。
……。
まず母方。
このエッセイにも何度か登場した母の故郷は、
四国は香川県にある、庵治(あじ)というところ。
雄大な屋島を仰ぐ、美しい瀬戸内海に面した、
平家の落人村として知られる小さな漁村です。
そして、その実家の姓は、
「兜(かぶと)」というのですから、
ま、屋島の戦いで源氏に敗れて、
命からがら逃げのびた「平家の落ち武者」と考えて、
まず間違いはありますまい。
では父方はどうか…。
「宮住(みやずみ)」という名前も、
かなり珍しいように思えますね。
そんな父の生まれ故郷は、
これまた四国は愛媛県にある、
伊予吉田というところなんだそうです。
「なんだそうです」とはまた、
ずいぶん無責任な言い方で申し訳ないのですが、
父が小学生のときに没落し、
一家離散の憂き目にあったそうなので、
今は存在しないからなのです。
したがって、そのルーツは、
生前の父の話を鵜呑みにするしかないのですが、
こっちはどうやら「源氏の落ち武者」らしい…。
平清盛によって滅ぼされた源氏の落ち武者たちが、
瀬戸内海を西へ西へ、
豊後水道から四国の最西端に逃げ延びた場所が、
宇和島という市の北に位置する、
「伊予みかん」の栽培で有名な、
伊予吉田という小さな村。
……。
少々ややこしくなってきましたが、
わかりやすく言うと、こういうことです。
まず初めに、
平家が源氏を滅ぼす。
源氏の落ち武者たちはあちこちに逃げ散り、
そのひとつが伊予吉田に逃げた父のご先祖の宮住さん。
その後、源頼朝が再び旗を挙げ、
今度は平家を屋島、壇ノ浦に追い込み、
滅ぼしてしまう。
その時、香川県の庵治に逃げ込んだのが、
母の実家の兜さんのご先祖さま。
つまり私のご先祖は、
どっちも「落ち武者」ということになります。
そう私は「落ち武者」同士の末裔。
なんとも寂しい感じがしますなあ。
あははは…。
(力のない笑いだ…)
ということは、
私のルーツはまぎれもなく、
南国四国ということになりますね。
まてよ…、
元々はどっちも京(京都)にいたのかな…?
ううむ…?
ま、どっちでもいいや。
あはは。
いずれにしても、そんな父の実家は、
当然私が生まれた頃には、
もはや存在しておらず、
物心ついても、
転勤の多い父の仕事の関係上、
あちこちに移動するという生活環境でしたから、
残念ながら、私そのものには、
「四国が故郷」という感覚はありません。
父方の先祖の墓参りはおろか、
そんなものが存在するのかすら知りません。
……。
さらに、四国での生活はというと、
松山に1年(幼稚園)
宇和島に1年半(幼稚園〜小学校1年の秋)
徳島に2年半(小学校1年の秋〜3年)
つまりこの5年間しかないわけですから、
「私は四国の出身です」というのも、
なんだか四国に人に申し訳ないような気がします。
……。
とすると…、
一体私はどこから来た…、
何者なんでしょうか…?
さらには、
この音楽大好き人間、
音楽がなければ到底生きていけない人間は、
一体いかなる環境から生まれ育ったのでしょうか…?
ということで、
ここからしばらく私は、
「自分探しの旅」に出ることを決意致しました。
この先いかなる悲しい現実を知らされようと、
どんなアホなご先祖様に遭遇しようと、
決してひるむことなく、
自分を見つめてみようと思い立ったのです。
ちょっぴり恐いけど…。
むむ……。
大丈夫か……。
……。
(つづく)
おかげさまで、
「jammin' Zeb / STB139 4days」
4周年記念ライブも、
大盛況のうちに終えることが出来ました。
本当に、4日間とも大変な盛り上がりで、
いつのまにかジャミンも、
「ああ、こんなにも、
たくさんの方に愛されるグループになったんだなあ…。」
と、感無量の毎日でございました。
みなさん、ありがとうございました。
♡♡♡
というわけで、休む間もなく、
今週からはいよいよクリスマス・シーズンに向けての、
準備、練習に入ります。
28日(金)には、
さっそく「クリスマス・ツリー点灯イベント」
もありますしね。(イオンモール川口前川)
まてよ…。
その日の夜は、
私の「A'TRAIN」ライブではないか…。
ということは、私は掛け持ち…。
ひえ〜〜〜〜〜〜〜〜っ。
(といいながらヤル気まんまん)
むふふ。
……。
SHUN MIYAZUMI
October 16, 2011
ビル・エヴァンス大研究 最終回
あれは、1973年のことだったんですねえ。
1973年というと、私は大学3年生。
かつて「ジャズまくり時代」というお話にも書きましたが、
その頃の私は、
プロのジャズ・ピアニストになりたくて、
夜な夜な六本木や赤坂のジャズ・クラブに入り浸り。
大学などそっちのけで、
ピアノの修行や、演奏活動に明け暮れていた、
不良学生真っ盛り時代。
そんなとき飛び込んできた嬉しいニュース。
あのビル・エヴァンスが初めて来日するというのです。
すぐさまチケットを入手した私は、
芝公園の近くにある「郵便貯金ホール」の最前列に陣取り、
胸躍らせながら彼の登場を待ちました。
幸いにも検問で発見されなかった録音機器を、
カバンの中でそっとセットしながら…。
(良い子のみなさんは真似しちゃいけませんよー。)
「どんな弾き方をするんだろう…?」
(ドキドキ)
「どんな曲をやってくれるんだろう…?」
(ワクワク)
そして、場内の明かりが落ち、
司会のアナウンスでメンバーが一人一人登場です。
「ドラム、マーティー・モレル!」
(パチパチパチ)
「ベース、エディ・ゴメス!」
(パチパチパチパチパチ)
そして…、
「ピアノ、、、 ビル・エヴァンス!!!」
(パチパチパチパチパチパチパチパチパチ)
みなさん黒のタキシードに身を包み、
それはそれはクラシックのコンサートのような、
厳粛なムードの中での登場でした。
エヴァンスもまた、
あの「Bill Evans at Town Hall」のジャケット写真の如く、
髪をオール・バックにし、
優雅にピアノの前まで歩いて来て、
ピアノの端に左手を置いて、
丁寧におじぎをする。
そう、ここまでは、
まったくクラシックのコンサートと同じ雰囲気です。
場内みんな固唾をのんで見守っている。
たくさんの女性ファンも緊張の面持ちで、
ステージを見つめています。
そして彼は、
おもむろにピアノに向かい、
静かに両手を鍵盤の上に乗せた…。
……。
と、そのとき、
彼がとったポーズは…、

私は思わず「イエーイ!」と叫んでしまいました。
(やっぱりジャズだ…。)
でも、やっぱり、
エヴァンスはエヴァンスでした。
美しいタッチ。
ロマンチックなフレーズ。
優雅なハーモニー。
レコードでしか知らなかった本物のエヴァンスが、
この夜も素晴らしい演奏を繰り広げたことは、
言うまでもありませんね。
今思い出しても身震いがするほどの感動でした。
♪♪♪
さて、その後の私は、
ジャズ・ピアニストになるのを断念。
アルファというレコード会社に入社し、
ポップスやニュー・ミュージックやフュージョン、
といったレコード制作の道を選ぶことになります。
で、これがまた面白くて、
ついついジャズを忘れがちな毎日だったのですが…、
そんな1980年の9月に、
再びビル・エヴァンスが来日するというニュースを、
知りました。
その頃は結婚もしており、
ときどき家で、
ジャズのレコードをかけていた程度の私だったのですが、
普段あまりジャズには関心を示さない彼女が、
「ビル・エヴァンスだったら行きたい。」
と言うので、
「こりゃ珍しいこともあるもんだ…。」
と、コンサートのチケットを2枚手にして、
来日を楽しみにしていたのです。
ところが…、
その来日を1週間後に控えたある日の新聞を見て、
私は愕然としました…。
「ジャズ・ピアニスト、ビル・エヴァンス氏死去。
享年51才。」
「………。」
長年にわたる飲酒と薬物使用で、
彼の体はボロボロになっていたんだそうです。
最愛の妻だったはずの夫人を捨て、
別の女性と出来てしまったがために起きた、
妻の自殺が原因か…。
最愛の兄の謎の拳銃自殺が原因か…。
彼の友人は、こうも言っています。
「彼の死は、時間をかけたゆるやかな自殺だ。」
「……。」
私のような凡人に、
彼の心の中を推測することは不可能ですが、
ジャズに新風を吹き込み、
あらゆる角度からジャズの可能性を大きく前進させた、
いわば革命児、先駆者、創造主とも言うべき、
彼の私生活は、
実はおそろしく孤独で、
生涯をかけての内面との戦いだったのでしょうか…。
かつての偉大な芸術家たちがそうであったように…。
……。
さ、まだまだ書きたいことはたくさんありますが、
今回はこのへんにしておきましょうか。
最後は彼の遺作ともいうべき、
この上もなく美しいアルバムを聞きながら、
この偉大なピアニストを偲びたいと思います。
なんといっても「秋」は、
エヴァンスを聴くには最高の季節ですからね。
『You Must Believe In Spring』

1. B Minor Waltz
2. You Must Believe In Spring
3. Gary's Theme
4. We Will Meet Again
5. The Peacocks
6. Sometime Ago
7. Theme From M*A*S*H
8. Without A Song
9. Freddie Freeloader
10. All Of You
かつて「トミー・リピューマ」というお話でも、
紹介させていただいたこのアルバムは、
死地に向かうエヴァンスの、
究極の美であり、最後のお別れとも言うべき、
最高の名演ではないでしょうか。
今の彼の魂が安らかならんことを祈って…。
ご愛読ありがとうございました。
……。
(ビル・エヴァンス大研究 おわり)
さあ、今週はいよいよ始まります。
『jammin'Zeb / STB139 4Days』
「ちょっぴり大人で、シックでエレガントな秋の夜」
ううむ…。
大きく出たなあ…。
期待度マックスだなあ…。
責任重大…。
……。
というわけで今回は、
今までのジャミンにはなかった、
さまざまな新しい試みにも恐れず挑戦。
新曲、まさかの曲、おなじみの曲が、
どんな色合いで登場してくるのか…。
わくわく…。
……。
では、みなさん、
STBでお会いしましょうね。
久しぶりに吠えてみようかな…。
ガオ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!
(……。)
SHUN MIYAZUMI
October 08, 2011
ビル・エヴァンス大研究 その9
「ビル・エヴァンス大研究」も、
気がついてみると9回目になるんですねえ。
本当はもっと短い連載のはずだったのですが、
私が最初にジャズの洗礼を受けた人だけあって、
やはり思い入れが強いのでしょうか…。
ついつい長〜いお話になってしまいました。
でもまあ、ここまできたら最後まで行っちゃいましょう。
ジャズに興味の無い方には、
つまらないお話かもしれませんが、
あと少しだけおつきあい下さいませ。
さて、ビル・エヴァンスのサウンドの魅力は、
ひとつには華麗なアドリブ・フレーズ。
そして、それにも増して重要なのが、
考えぬかれたコード・チェンジによって作り出される、
優雅なジャズ・ハーモニーのロマンチックな世界です。
クラシックの名ピアニストたちをも唸らせた、
彼独自のハーモニー感覚は、
古いスタンダード曲に新たな魅力を与え、
再び現代に甦らせたといっても過言ではありません。
一例をあげましょう。
このシリーズの1回目に紹介した、
『Bill Evans at Town Hall』というアルバムの1曲目、
「I Should Care」という曲の最初の部分ですが、
これって、原曲はこんなコード進行です。
F♯m7(♭5)/ B7 | Em7 / A7 |
Dm7 / G7 | C |
これをエヴァンスは、
こんなふうに変えてしまいました。
C7(6)/ B7(6) | B♭7(6)/ A7(6)|
D7(♯9)/ G7(6) | C(6・9) |
原曲では4度進行、エヴァンスのは半音進行。
その代わり左手の3和音が、
“4度の形”でスライドしながら下降して行くという、
斬新なアプローチを試みています。
(お近くにピアノのある方は、
下から「B♭・E・A」つまり「シ♭・ミ・ラ」
という3和音を押さえてみて下さい。
これをこの形のまま半音ずつスライドさせるのです。)
こうすることによって、
この古い古いミュージカルのスタンダード曲が、
見事にコンテンポラリーなサウンドに、
生き生きと変身したのです。
エヴァンスは、このように、
モダンなコード・チェンジを加えることによって、
次々とスタンダード曲をより魅力的にしていったのですが、
それは特にバラード曲において、
素晴らしい効果をあげることになりました。
というわけで、
ここからはジャミン・ゼブのお話。
じつは私もジャミン・ゼブのアレンジをするにあたって、
ビル・エヴァンスの「手法」を、
時々参考にさせてもらっています。
例えば、
アルバム『Garden』に収められている、
「Polka Dots And Moonbeams」という曲。
これはエヴァンス自身も演奏しておりますが、
原曲はいたってシンプルです。
F / Dm | Gm7 / C7 |
(A country dance was being held in a garden)
F / Dm | Gm7 / A7 |
(I felt a bump and heard an oh beg your parden)
これをエヴァンス風に変えるとこうなります。
F / Dm7 |B♭ / C7(11) |
Am7 / Dm7 |Gm7 / Em7・A7|
ま、こんなのは序の口。
さらにコードは次第に複雑に変化をし、
最後の部分なんかは、
もう1拍ずつコードが変わる展開。
転調こそしてはおりますが、
ざっとこんな感じです。
G・D/F♯・Em・G/D |
(Now in a cttage built of)
Cmaj7/ C♯7(11)・F♯7|
(ilacs and laughter)
Bm・F♯/A♯・Dm7/A・G7(6) |
(I know the meaning of the)
C(6) / F♯m7(♭5)・B7 |
(words ever after)
そして優雅なクライマックスに突入していく。
どうです。
最初の形と最後のそれは、
もはや全然別の次元にいることが一目瞭然ですね。
しかもメロディーはまったく同じなのに…。
(そう、メロディーはまったく同じなんだ…。)
もちろんこれは、
エヴァンスの完全なコピーではなく、
私自身の創作によるコード・チェンジも、
随所に含まれています。
そんなときでも、まず私が考えることは、
「今のエヴァンスだったら、
ここをどういう風に変えるかなあ…?」
ということ。
そう、こうしたバラードのアレンジをするときには、
やはりエヴァンスを意識してしまうことは否めませんね。
コードを細かく分解することによって、
また素敵なテンション・ノートを加えることによって、
より緻密で、
よりロマンチックで、
そして、
よりドラマチックな世界が作れるのですから…。
こうしたアプローチは、
エヴァンス大先生によって、
大いに学ばせていただきました。
エヴァンス先生ありがとう!
そしてそのアプローチは、
ジャミン・ゼブのビロードのようなサウンドにも、
実にうまくブレンドするのです。
「都会的」「洗練された」「上品な」「ビロードのような」
ジャミン・サウンドもまた、
こうした表現をされることがままありますが、
よくよく分析してみると、
エヴァンスを意識したコード分解の恩恵と、
言えなくもありませんね。
もちろん、どの曲もというわけではありませんが、
主にバラード曲をアレンジする場合、
例えば、
「Alfie」(『Garden』)
「The Christmas Song」(『Gift』)
「Someone to watch over me」(『Dream』)
などでは、
なんとか「エヴァンスになりきろう」と試みる私…。
「ううむ…。
ここはエヴァンスだったらどう展開するだろうか…?」
「まてよ、このコードは平凡だな。
エヴァンスだったらどんなコードを使うだろうか…?」
などと暗中模索…。
そして苦しみ、苦しみ、苦しみぬいて、
そのあげく、
素敵なコード・チェンジや展開が閃いたときの喜びは、
筆舌に尽くし難い喜びが待っています。
「やったー! やったー!
これだ、これだ、これだ!
わーい、わーい、わ〜〜〜〜〜い!」
と部屋中を狂喜乱舞で踊り狂ってる私の姿は、
知らない人が見たら、
相当おかしな人間に思われることでしょうね。
あははは。
知るか。
あはははははははははは。
ん…?
でね…、
かなり手前味噌になりますが、
その最も顕著な例は、
やはり『Garden』に収められている、
「Nuos Voyageons de Ville En Ville」(町から町へ)
という曲でしょうか。
もちろんこれは私の独断で書いたアレンジですが、
今にして思うと、
よくもこんな面倒くさいアレンジをしたもんです。
(あのときのエネルギーはどこから生まれたんだろう…?)
特に、テーマが終わって、
短いピアノのインターバルのあとに延々と繰り広げられる、
「ダダバダ ダダバダ ダダバ
ダッダッダッ ダッダッダッ」
ではじまる、
すごい「コーラス・ワークの品評会」のような部分は、
気が狂いそうになりました。
(あ〜あ、なんてもん始めちゃったんだろう…?)
しかしもう、ここまで書いたら後へはひけない。
と、ここにエヴァンスの姿がこつ然と登場する。
「くそ、このあとどう展開するんだ…。
エヴァンスだったらどう逃げ切るんだ…?」
「ああ煮詰まった。
エヴァンス先生助けて下さい。
あなただったら、
ここはどんなコード進行でいきますか?」
「まてよ、ここはこっちのほうがカッコいいな。
うん、きっとエヴァンスだったらこうするだろう。
うん、そうだ、うん、うん…。」
とまあ、こんな感じで、
何かに取り憑かれたように夢中で書き上げたのでした。
ふう〜…。
……。
もっとも、エヴァンスが今生きていてこれを読んだら、
「くくく。君もまだ未熟だね。
僕だったら、ほら、こういうサウンドを使うね。」
と言われるかもしれませんが、
まあ、それはそれで仕方のないこと。
ますます精進あるのみですがね。
ぽりぽり…。(と頭をかいて逃げよう…)
ん…?
……。
あら、かなり専門的な話になってしまいましたね。
ま、エヴァンス大先生の偉大さを、
少しでもご理解いただければ幸いと思い、
あえて書かせていただきました。
ご容赦…。
もし、ジャス・ピアノを習ってる方や興味のある方で、
これを読んで、
さらに詳しく知りたい方がいたら、
どうぞ月末の「A'TRAIN」ライブにお越し下さい。
時間のある範囲で、
私のわかる範囲で、
レクチャーいたします。
それにしても、
ビル・エヴァンスのピアノが、
一番似合う季節は、
やはり「秋」じゃないでしょうか。
夏の華やかさや喧噪から解き放たれ、
一抹の哀愁と寂寥感が漂う秋。
センチメンタルでメランコリーな彼のピアノ・サウンドが、
なぜか心にしみてくるのは、
私だけでしょうかね…。
そしてジャミンもまた、
10月18日から始まる「STB 139」4Daysにおいて、
そんな秋を思わせる曲をたくさん用意致しました。
ちょっぴり大人で、シックでエレガントな夜を、
うまく演出できたらいいのですが…。
……。
さあ、このシリーズもいよいよ次回が最終回。
これまた有終の美を飾れますでしょうか。
(責任重大だぞ…。)
ううむ…。
……。
(つづく)
先週の土曜日は、
6時に起きて高崎遠征。
翌日曜日は、
やはり6時起きで名古屋。
そして明日(10/9)は、
これまた6時起きで初の岡山、倉敷遠征です。
まさに「町から町へ」を実践している、
わがジャミン軍団。
でも、たくさんの新しい出会いは、
本当に素晴らしいことですね。
幸せを感じながら、
大いに湧かせて来たいと思っております。
がお〜〜〜〜!
そして、美味しい物との出会いもね。
ウッシッシ。
ダラ〜〜〜〜〜。
(よだれ)

(本日のおまけ。
今回やっと食べられた名古屋のきしめん。
美味しかった〜〜〜〜〜〜。)
ダラダラ〜。
(よだれ)
……。
SHUN MIYAZUMI