November 2011
November 23, 2011
ルーツ その5(最終回)
私の祖祖祖父は、宮住千代吉さんという名前でした。
千代吉(ちよきち)ですって…?
いやあ、あなたも、
けっこう遊び人の名前ですなあ。
あははは。
そう、この人ですよ。
自分の子供に音太郎(おとたろう)なんて、
軟弱な名前をつけた張本人は。
世の中、維新の嵐が吹き荒れている江戸末期に、
まあ、なんてお気楽な名前をつけたもんでしょう。
とすると、この人も…、
小唄や長唄や三味線にうつつをぬかし、
夜な夜な、遊び歩いていたのでしょうか…。
お酒も大好きだったのでしょうか…。
おそらく、そうなんでしょうね。
じゃなきゃ、
音太郎なんて名前をつけたりしないはずです。
ま、あくまで私の想像ですが…。
「あ〜ら、千代さん、ちょっと飲んでかない?
得意の小唄が聞きたいわ〜。」
「だめよ〜、千代さん、そんなお店に入っちゃ。
うちで飲んでってよ、うちで。
三味線も用意してあるわよ〜。うっふん。」
「千代ちゃんたら〜、こっちよ、こっち。
今日の肴は美味しいわよ〜。
さ、早く上がって、上がって。」
とまあ、音太郎の時と同じような光景が甦る。
……。
でも、やっぱり、
そんな画(え)しか浮かびません。
多分そうです。
いや、そうに決まってる…。
……。
となると、
この「千代吉」という名前をつけた先代は、
はたして、どんな名だったのでしょうか…。
……?
ところが…、
残念ながらこれ以前の戸籍は、
発見出来なかったそうです。
やれやれです。
逆に私はホッとしました。
さらにさかのぼってみたら、
宮住遊蔵(ゆうぞう)だの、
宮住酔吉(すいきち)だの、
果ては、
宮住飲ン兵衛(のんべえ)
なんてご先祖さまにも遭遇するかもしれなかった…。
ふ〜…。
しかし…、
これで宮住という家系の何たるかが、
おぼろげながら浮かんできましたよ。
……。
さて、このシリーズの冒頭で私は、
「宮住家は元々、源氏の落ち武者なのだ。」
と言ってはばからない、亡き父の話を書きました。
で、もしそれが本当だとすれば、
いや「本当だ」と仮定してみるならば、
私の説はこうなります。
ということで、私は、
遠い遠い平安の時代に思いを馳せてみる…。
……。
平清盛率いる平家に追われた我が先祖の宮住さんは、
瀬戸内海から豊後水道を、命からがら舟で逃げのび、
四国の最西端、
風光明媚で自然の幸に恵まれた、
伊予吉田(愛媛県)という温暖な所にたどり着いた。
その後、
奢(おご)る平家が圧倒的な武力で世を制圧するが、
やがて源頼朝の成人を待って、
全国の源氏は、再び頼朝の号令のもと立ち上がり、
今度は逆に平家を屋島、壇ノ浦に滅ぼしてしまう。
しかし…、
宮住家は立ち上がらなかったのです。
……。
戦(いく)さよりも、
歌舞音曲(かぶおんぎょく)を好み、
酒を愛し、
美味しい肴に舌鼓をうち、
何よりも美しい自然と、
この風光明媚な土地を愛した。
これが、
宮住家のたどった道だったのではないでしょうか。
幸い、伊予(愛媛)という所は、
政治の中心から遠く離れており、
いかなる政変が起きようとも、
あまり影響を受けないですむ土地でもあります。
戦国時代にも立ち上がらず。
天下分け目の関ヶ原もまるで興味なし。
明治維新もどこ吹く風。
「戦さで手柄を立てるより、こっちの方が楽だも〜ん。
政治なんか興味ないも〜ん。
お酒の方が楽しいも〜ん。
美味しいもん好きだも〜ん。」
とまあ、
そんな姿勢を貫いたのではないでしょうか。
そして時は流れて…、
千代吉や音太郎という遊び人(想像)が生まれ、
しかも音太郎は酔っぱらって風呂で溺れ、
新太郎は酒で家を没落させ、
音重がオルガンに鍵をかけ、
父清繁が都々逸(どどいつ)を唸(うな)る…。
いやいや、
なんという人たちなのだ…。
なんと困ったDNAなのでしょう…。
ううむ…。
しかしまた、その一方で、
私の音楽好きやそれなりの能力もまた、
この軟弱な家系の産物だとすれば、
これはこれは、
なんとも皮肉な巡り合わせではありませんか。
……。
でも、よくよく考えてみれば、
音楽の創作や演奏に、
「遊び心」は不可欠です。
そして、私の中にもあるであろうこの「遊び心」が、
千代吉や音太郎、
いや、その先代や、そのまた先代たちから、
脈々と受け継がれてきたとすれば、
これはこれで、
大変有難いDNAと言うべきなのでしょうね。
最近、特にそう思うようになってきました。
……。
おや、もう時間ですか…?
では、そろそろ空想の世界から現実に戻って、
今宵も酒を飲むとしますか。
なんといっても「酒」や「遊び」は、
明日の創作の糧(かて)ですからな。
わっはっは。
では、出かけるとしましょう。
さ、今宵はどこに行こうかな。
あ〜、それ〜、それ〜〜〜〜〜〜〜っと♪
(「血は争えぬものじゃのぉ…。」)
↑
ご先祖さまたちのつぶやき…。
Twitter…。
えっ…?
何か聞こえました…?
……???
(ルーツ おしまい)
いやあ、こんなことを書いてる間に、
もう11月も終わりなんですねえ。
時の経つのは早いもんです。
そして、今週の金曜日は、
月末恒例「A'TRAIN」ライブではありませんか。
でも、また楽しくなりそうですね。
どうぞお出かけください。
「あ〜、それ〜、それ〜〜〜♪」っと盛り上がりましょう。
(「どんなライブなのじゃ…?
ワシらも連れてってくれぬか。」)
えっ…?
何か聞こえました…?
……???
SHUN MIYAZUMI
November 16, 2011
ルーツ その4
私の祖祖父の名前は、宮住音太郎さん。
そう、音太郎(おとたろう)。
プッ。
ずいぶん軟弱な名前だこと。
みなさんは、この名前から、
どんな人物像が浮かぶでしょうか。
……。
私の想像はこうです。
酒好きであることは、
祖父の話や父、そして私や息子をみても、
まず間違いはありますまい。
(いやな家系だな…)
さらには、
小唄や長唄の稽古にうつつをぬかし、
三味線なんかも上手に弾いたかもしれない。
(ま、俗にいう優(やさ)男…)
でもって、
毎晩のように遊興費を持ち出しては、
飲み歩く。
(つまり遊び人…)
「あ〜ら、音さんじゃないの。
ちょっと寄ってかない?」
「おや、お○○ちゃん。
そうねえ、じゃちょっと飲んで行くか。」
「ねえねえ、音さんったら、
そんな店やめて、こっちにいらっしゃいよ〜。
いつもの上手な小唄を聞かせてちょうだいな。
ね、音さん。うっふん。」
「お△△ちゃんにそう言われちゃあ、
しょうがねえなあ。
じゃ、ちょっくら上がらせてもらうよ。」
「まあ、音ちゃんじゃないの。
うちに来てよ〜、うちに。
きょうは美味しい肴があるのよ〜。
久しぶりに音ちゃんの長唄が聞きたいわ〜。」
「おっ、そりゃ美味そうだな。
じゃぁ今宵は、お□□ちゃんちにしようかな〜。
うししし。」
とまあ、どう考えても、
こんな人物像しか浮かびません。
そして気前良くポンポン金を使うので、
そこそこの人気者でもあったことでしょう。
これも、その子孫どもを見れば明らかです。
ん…?
そして、
ここが重要なところなのですが、
小唄、長唄、三味線などの腕前も、
かなりの物だったのではないでしょうか。
おい、音太郎、
さては、けっこうモテたな?
ん…?
ということは、
酒がたたって早死にした祖父の新太郎同様、
この人も、
まともな死に方をしていないのではないか…?
そんな不安が頭をよぎります。
で、私は母に聞いてみることにしました。
「ねえ、お母さん、
この音太郎って人は、
どんな死に方をしたんだろうねえ。」
すると、こんな返事が返ってきました。
「なんでも、
酔っぱらって帰って来て、
家族がとめるのも聞かずにお風呂に入って、
心臓麻痺だか脳卒中で死んだらしいわよ。」
やっぱりです。
どうしようもない家系です。
あ〜あ…。
……。
しかし…、
私の音楽好きや、
少しばかりはあるかもしれない音楽的な能力は、
この音太郎さんから受け継いだのではないか…。
……。
このときから私は、
そう信じて疑わなくなりました。
小唄や長唄も音楽には違いない…。
そうでないと、つじつまが合わない…。
……。
そう言えば、
死んだ父も「都々逸(どどいつ)」
とやらだけは滅法好きで、
酔うとよく唸っておりましたが、
子供心にも、
「へえ〜、音程がしっかりしてるなあ…。
なかなかやるもんだなあ…。」
と感心して聞いていた記憶があります。
これも、祖父ゆずりだったのでしょうか…。
きっと音楽が大好きな人だったのでしょうね。
音太郎さん。
孫に「音重」という名前をつけたのも、
この人だったのではありますまいか。
そもそも…、
「音太郎」などというふざけた名前をつけた、
その先代がいけないわけで、
よくよく考えてみれば、
音太郎さんにはなんの責任もありません。
そんな音太郎さんが生まれたのは、
「万延元年」と戸籍には書いてありました。
万延元年(1860年)というと、
明治維新前夜。
勝海舟や福沢諭吉らが、
咸臨丸に乗ってアメリカを訪れた年です。
国内では維新の嵐が吹き荒れ、
幾多の英雄たちが、
歴史に名を残していった時代です。
土佐の坂本龍馬、中岡慎太郎、武市半平太。
長州の桂小五郎、高杉晋作、宮部鼎蔵。
薩摩の西郷隆盛(吉之助)、大久保利通。
エトセトラ、エトセトラ…。
みな凛々(りり)しい名前ばかりではありませんか。
そんな激動の時代に生まれた子に、
「音太郎」などという軟弱な名前をつけたのは、
どこのどいつだ!
きっとそいつも、
お気楽な遊び人の名前に違いない。
軟弱な名前に違いない。
(そうだ、そうだ。)
というわけで私は、
おそるおそる、
戸籍をもう1枚めくってみました。
と、そこには、
こう書かれてありました。
宮住音太郎 父:宮住千代吉 母:○○
ち、千代吉(ちよきち)だと…?
(やっぱりな…)
……。
(つづく)
いやあ想像以上に、
凄いものを見せてもらいました。
いろんな意味でね…。
サッカー「日本×北朝鮮」戦(@平壌)。
私は、野球ほどサッカーは詳しくないのですが、
「アウエーで戦うのは難しい」という意味が、
初めてわかりました。
そこへいくと、夜のプロ野球日本シリーズ、
「中日×ソフトバンク」戦は、
平和でしたなあ〜。
今日も白熱した、いいゲームでした。
えっ、
お前は今日一日何をしてたんだ、
ですって…?
たしかに…。
……。。。
SHUN MIYAZUMI
November 09, 2011
ルーツ その3
私は幼稚園の後半と小学校1年生の秋までを、
愛媛県の宇和島という所で暮らしました。
宇和島…。
四国の最西端に位置し、
父の生まれた「伊予吉田」からもほど近い、
温暖な気候に恵まれた城下町です。
そして、宇和島といえば、
私は、なんといっても「ジャコ天」が大好き。
あれは、本当に美味しいですねえ。
ダラ〜〜。
(よだれ)
その宇和島に、
父の2つか3つ年上のお兄さんが住んでいました。
そして、
そのおじさんの名前が、
音重(おとしげ)というのです。
ううむ…。
音重…。
こ、これは…、
英語に直訳すると、
「Harmony」(ハーモニー)ではありませんか。
ひょっとして、
この名前をつけた人物は、
よほどの音楽好きだったのでしょうか…。
あるいは音楽家か…。
……。
私のルーツを探る旅に、
ひと筋の光が見えてきたような気がしてきましたよ。
では、父の父、すなわち私の祖父にあたる人は、
なんという名前なのでしょうか…。
と、これが、
宮住新太郎(しんたろう)というんだそうです。
なにしろ酒が大好きで、
それがたたってか40代の若さで死んでしまう。
おかげで家業は没落、一家は離散。
ために小学校までしか教育を受けられなかった父は、
ずいぶんと、この新太郎さんを、
恨んでいたようです。
(だめじゃないか、新太郎!)
生前の父はよく、こうボヤいておりました。
「新太郎さんは無責任だよ。
いっぱい子供を作ったくせに、
あんなに早く逝っちゃうなんてさ。
だからお母さんのおキクさんも、
ずいぶんと苦労をしてね。
戦後間もなく死んでしまったよ。
これも若かったな…。」
(そうか…。私の祖母はおキクさんというのか…。)
でもね、お父さん。
お言葉ですが、そう言うあなたも、
けっこうな酒好きでしたよ。
あははは。
えっ?
俊介、お前もじゃないか、
ですって…?
そういえば…。
……。
待てよ…、
息子のあいつも…、
……。
なんか、いや〜な感じがしてきました。
いや〜なDNAが受け継がれているような気が…。
ううむ…。
……。
ちなみに私の父は、清繁(きよしげ)といいます。
ま、この名前も、
あまり音楽のにおいはしませんね。
すると頼みの綱は、
どうしても音重さんということになる。
そういえば…、
幼稚園のとき、
その音重さんの家に遊びに行くと、
たしか「足踏みオルガン」がありましたね。
1956、7年当時、
「足踏みオルガン」などというものは、
学校の体育館か講堂にあるものであって、
一般家庭ではまずお目にかかれないものでした。
ところが…、
この音重さんという人が、
大変な倹約家。
ま、悪く言えばケチ。
だから、
この「足踏みオルガン」にも鍵をかけていて、
私は弾かせてもらえない。
あげくの果てに、こうです。
「おじさん、1回でいいから弾かせてよー。」
「だめだ。お前が弾くと減るから。」
(そんなもんが減るか!)
そして、その家から、
オルガンの調べが聞こえてきたことは、
一度もありません。
とどのつまり、この音重さんも、
とくに音楽好きというわけでもなかったようです。
では…、
なんで…、
そんな名前がついたのでしょうか…。
……。
そんな疑問を抱いたまま月日は流れる。
そして、1999年の3月に、
私の父は亡くなりました。
80才でした。
あわただしい葬儀の合間を縫って、
母は、父の故郷から、
一通の戸籍謄本を取り寄せました。
役所へ届けるために必要なんだそうです。
そして私はこの時、
宮住家の戸籍を、
初めて見ることになりました。
宮住家の歴史…。
……。
すると…、
ああ、ありました、ありましたよ。
宮住清繁 父:宮住新太郎 母:キク
(これだな、新太郎というのは…。)
そして私は、
おそるおそる、
もう1枚めくってみる。
とそこに…、
あっと驚くような名前が記されておりました。
それは、
新太郎さんのお父さんの名前です。
つまり私の祖祖父の名…。
そう、そこには、
こう書かれてありました。
宮住新太郎 父:宮住音太郎 母:○○
お、音太郎(おとたろう)だと…?
なんだ〜、その名前は〜〜!?
……???
(つづく)
今年の11月は、
例年になく仕事が少ないです。
「もっとライブをやってくださ〜い。」
というファンのお声もたくさん頂戴しますが、
「こっちだってやりたいんですよ〜。」
とお答えするしかありません。
これも震災の影響でしょうね。
クリスマス・イルミネーションの点灯式といった、
派手なセレモニーは自粛しましょう。
そんな空気が流れているのでしょうか。
ま、それも仕方ありません。
こういうときは気持ちを切り換えて創作です。
そしてレコーディングだ。
どんどん楽曲をためていきましょう。
明日のためにね。
そうだ!
そうだ、そうだ!!
そうだ、そうだ、そうだ、そうだ、そうだ!!!
(やや自虐的か…..)
……。
SHUN MIYAZUMI
November 01, 2011
ルーツ その2
私は小さい頃から音楽が大好きでした。
というか、
大好きだったそうです。
ん…?
母親に連れられて「銭湯」に行くと、
「雪の降るまちを」などというマセた歌を、
ガキのくせに、大きな声で歌っていたそうです。
その度に、一緒に湯舟につかっているおばさん達から、
「あら、そんな難しい歌をよく歌えるわねえ。」
とお誉めにあずかって得意になっていたと、
よく母に言われました。
そういえばあれ、
短調と長調が代わりばんこに出て来る、
なかなか難しい曲なんですよね。
(へ〜…、そんな曲歌ってたんだ…。)
ふ〜ん…?
小学校に入ると、
音楽の授業で聞かされた、
ハイドンの「おもちゃの交響曲」というのにハマり、
そのレコードがどうしても欲しくて、
「そんなものはいらん。」
という父親に何度も何度もせがんで、
ついにレコード・プレイヤーとやらを手に入れてしまう。
ピアノ(というか最初は電子オルガン)を習い始めたのは、
小学校の2年生のときです。
そのあたりのいきさつは、
私のプロフィールにも詳しく書いてありますが、
このときも父親は渋々(しぶしぶ)だったような気が…。
……。
中学校に入ると、
「レコード買いまくり時代」というお話にも書いたように、
音楽がないと生きていけないほど夢中になり、
ありとあらゆる音楽をむさぼるように聞きました。
クラシック、ビートルズ、モータウン、ボサノバ、
カンツォーネ、シャンソン、タンゴ、ラテン、
グレン・ミラー、ナット・キング・コール、
歌謡曲、ハナ肇とクレージー・キャッツ…。
もうなんでもあり。
早くも雑食の傾向ありあり。
高校では、
ドアーズ、クリーム、ジミヘン、レッド・ツェッペリン、
といったニュー・ロック、アート・ロックにハマり、
そして最後はジャズに狂う。
だから大学ではジャズまくりの毎日…。
そして社会人になってからも、
音楽プロデューサーという名の下に、
いろんな音楽制作に携わり、
今日に至る。
……。
つまり、
まさに音楽漬けの人生だったわけです。
(まだ終わってないぞ)
だから…、
私はよく、こんな質問をされます。
でも、その度に、
私はこう答えるのです。
「宮住さんのご両親は、さぞや、
大変な音楽好きでいらっしゃるんでしょうねえ。」
「いいえ。」
「……。」
「宮住さんの家系には、
きっと優れた音楽家が、
たくさんいらしたんでしょうねえ。」
「ぜんぜん。」
「……。」
「宮住さんは小さい頃から、
さぞや素敵な音楽に囲まれて、
お育ちになったんでしょうねえ。」
「まさか。」
「……。」
そうなんです。
両親はおろか、
親戚中を見渡しても、
およそ音楽好き、音楽に関係のありそうな人は、
皆無といっていい家系なのです。
……。
まずは母方ですが…、
男6人、女4人という大所帯の3女に生まれた母は、
私がピアノを弾いていても、
ステレオに耳を傾けていても、
まったくと言っていいほど無関心…。
そのほとんどが香川県に住んでいる、
おじさん、おばさんの家に行っても、
ステレオやピアノ、オルガンはおろか、
およそ音の出るものに出会ったことがない。
唯一、
母の2つ下の妹の美智子さんというおばさんが、
石原裕次郎が大好きで、
彼のシングル盤を小さなプレイヤーで聴いていた…。
ま、そんなことくらいしか記憶にありません。
すると…、
私の音楽好き、
あるいは少しばかりは持ち合わせているであろう、
音楽的な能力は、
どうしても父方にそのルーツを探すしかありません。
しかし…、
父もまた、
音楽ファンとは言い難い人でした。
というか、
私が音楽の道に進むのを、
終生反対しておりました。
「ピアノなんて女がやるもんだ。」
「男は格闘技だ。剣道をやれ、いや柔道でもいいぞ。」
「音楽でメシが食えるか。」
「音楽なんて聴いてるヒマがあったら、
勉強しろ、勉強。」
とまあ、小さい頃から、
こんな暴言の数々。
ですから、
父方の兄弟、姉妹にも、
ま、ほとんど期待はできませんね。
(父もまた、男5人、女4人という大所帯の、
3男と聞きました。
昔は子だくさんだったんですねえ…。)
となると私は、
突然変異なのか…。
それとも、どこぞから拾われて来た、
孤児なのか…。
(そういえば父は、
私が悪さをすると、
よくこう言って私をなじっておりました。
「お前はどうせ拾って来た子なんだから、
どこへでも行って、好き勝手に暮らせ。」)
しかし…、
待ってくださいよ…。
私は、
父の2つか3つ上のお兄さんに、
こんな名前の人がいるのを思い出したのです。
そのおじさんは…、
そう、たしか、
こんな名前でした。
宮住 音重。
……。
音重(おとしげ)だと…?
ううむ…。
……。
(つづく)
先日、北杜夫さんがお亡くなりになりました。
私、学生の頃から大ファンでした。
「どくとるマンボウ航海記」
「どくとるマンボウ途中下車」
「どくとるマンボウ青春記」
暗記するほど読みましたね。
あの独特のユーモア・センスが大好きでした。
厳格だったという父、斎藤茂吉から、
あのようなユーモアに溢れた子供が生まれるとは…。
これも反動なのでしょうか。
私の父も厳格で頑固一徹な人でした。
だから私も反動でこんな人間になりました。
あははは。
ん…?
待てよ…?
私の息子は、
なんか私にソックリちゃんですよ。
反動しなかったのでしょうか…?
ううむ…。
わからん…。
……???
SHUN MIYAZUMI