December 2011
December 31, 2011
ゆく年くる年
大晦日に、
「これだけは絶対観なくちゃ!」
と心に決めている番組…。
それは、
NHK「ゆく年くる年」(23:45〜0:15)。。
特に感慨深いのが「ゆく年」の方ですかね。
子供の頃から、これだけは欠かさず観ています。
全国各地のお寺や神社を中継で結び、
住職たちによる「除夜の鐘」の儀式や、
新年を迎えようとする各地の「今」が映し出される。
日本の風物詩とも言えるこの番組を見ていると、
普段はチャランポランな私も、
なぜか厳粛な気持ちになってしまうのです。
「ゴ〜〜〜ン♪」
「ゴ〜〜〜ン♪」
普段「信心深い」とはほど遠い無神論者の私も、
このときばかりは、
「来年はいい年でありますように!」
な〜んて、
厚かましくもテレビに向かって、
手を合わせたりしちゃうのです。
でも、この一瞬だけ。
0時を過ぎると、すぐに我に帰ります。
あはは。
初詣なんか行かないし、
(寒いから)
お正月らしいことはなんにもしない。
(面倒くさいから)
そして、行きつけの学大のお店が始まる日を、
心待ちに数える…。
(ええと、あと3日、あと2日、あと…)
でもね、
今年はちょっと違う思いがあります。
「来年は!」「来年こそは!!」という前に、
まずは、
「生きてること」「元気で今年を終えられること」
その安堵感のほうが大きいのです。
というわけで、
今年は例年以上に厳粛な気持ちで、
観させていただこうと思っております。
「今」をこうしていられる幸せをかみしめながら…。
……。
みなさん、
今年も1年ありがとうございました。
来たる年も、
みなさんに喜んでいただけるよう、
素敵な音楽作りに精一杯頑張りたいと思います。
2012年版「ジャミン・ワールド」に、
どうぞ、ご期待下さい。
よいお年をお迎え下さい。
感謝…。
SHUN MIYAZUMI
December 24, 2011
ルネ・シマール その3(最終回)
1974年の「第三回東京音楽祭」において、
その美しいボーイ・ソプラノで熱唱し、
見事にグランプリを獲得、
一夜にしてアイドル・スターになってしまった、
カナダの美少年ルネ・シマール君。
さあ、この年の後半から、
翌75年にかけてのルネ旋風は、
それはそれは凄いものでしたね。
デビュー曲の『ミドリ色の屋根』を皮切りに、
リリースするシングルやアルバムはみな、
オリコン・チャートの上位にランク。
そして、そのプロモーションのために来日すると、
どこで嗅ぎつけたのか、
宿泊先のホテルや、はたまたアルファのビルの前までも、
小さな女の子たちが大勢待ち受けていて、
さながらビートルズやベイ・シティ・ローラーズの如く、
キャーキャーと大騒ぎ。
「ルネ〜〜」「ルネ〜〜」「ルネ〜〜〜〜」
「……。」
ところが…、
1975年の後半になると、
早くも、その人気に翳(かげ)りが出て来ました。
無理もありません。
常に日本にいるアイドルたちと違って、
彼はカナダに住んでいるのですから。
アイドルというのは、
一度売れたら、テレビやラジオ、
あるいは芸能雑誌や新聞など、
とにかくメディアに出続けなければなりません。
(そう、出続けること)
でないと、すぐに忘れられたり、
次々と現れる他のアイドルに、
その人気を奪われてしまいます。
でも、ルネの場合には、それが不可能です。
日本人アイドルと比べたら絶対的に不利です。
「このままルネは終わってしまうのか…」
アルファ上層部は頭を抱える。
……。
と、そんな時、
素晴らしい企画が舞い込んで来たのです!
♡♡♡
翌1976年には、
カナダのモントリオールで、
オリンピックが開催されます。
その主題歌を、
ルネが歌うことが決まったというのです。
これはナイスな企画ですね。
打つ手がなくなっていたCBSソニーも、
これには大乗り。
で、これは私が担当することになりました。
曲は村井さん自らが書く。
いい曲でしたよ。
「Welcome to Montreal ♪
Welcome to Montreal ♪ 〜〜」
今でもこの部分だけは口ずさむことができます。
スポーツの祭典にふさわしい、
明るく、力強い感動をもった曲でした。
それにふさわしい荘厳なオケも出来上がりました。
タイトルは『モントリオール賛歌』!!
(だったかな…?)
ま、いずれにしろ、この曲をルネが、
あの張りのある美しい声で歌ったら、
大ヒット間違いなし!
誰もがそう信じて疑いませんでした。
歌入れ録音はカナダで。
そしてこれには、
CBSソニーの金塚さんという女性ディレクターに、
立ち会ってもらいました。
その数日後、彼女は帰国。
そして、アルファのスタジオで、
「みんなで出来上がった音を聴きましょう。」
ということになりました。
わくわくですねえ。
ワクワクワクワク。
♪♪♪
ところが…、
「ん…? なにこれ…?」
「こ、これ、ルネなの…?」
「これは誰…?」
そうなんです。
スピーカーから流れて来る声は、
およそルネの美声とはかけ離れた、
ダミ声の、しかも全く “少年の声” ではない。
「……???」
すると、金塚さんが、
うつむき加減で、
元気のない声で、
こう言ったのです。
「変声期なんですよ…。」
「……。」
ああ、これでは発売中止もやむをえませんね。
そして、日本における「ルネ・プロジェクト」も、
もはやここまでということになってしまいました。
残念ながら…。
……。
そう、少年にはこれがあったんですね。
私はこの時、
ウィーン少年合唱団を描いた映画、
「青きドナウ」というのを思い出しました。
あそこも、変声期を迎えた少年は、
退団しなければならないんですね。
非情だ…。
ううむ…。
……。
それから7、8年が経ちました。
私がアルファを辞めたのが1984年ですから、
その少し前のことです。
あのルネに、
ナタリーという妹がいて、
これが、風貌といい、声といい、歌唱力といい、
当時のルネにソックリだというのです。
そしてアルファは、
再び『東京音楽祭』を舞台にして、
「夢よもう一度作戦」を展開することになりました。
これも私が担当することに…。
これが、そのときに作ったシングル盤です。
ね、そっくりでしょ、ルネに。
声もそっくりだし、歌もうまかったんですよ。

しかし残念ながら、
今回はなにも起こりませんでした。
世の中、そんなに甘くはないということでしょうか…。
……。
最後に、そのときのエピソードをひとつ。
ナタリーが来日するとすぐ、
私は彼女をアルファの会議室に呼んで、
ミーティングを持つことにしました。
出席したのは、
村井社長の秘書でフランス語の堪能なE女史、
そして現場でフランス語の通訳をお願いする女性、
それに、ナタリーのマネージャーらしき青年、
そして、ナタリーと私の5人。
ここで私は、
明日からのスケジュール、
レコーディング楽曲、
東京音楽祭での段取りなど、
細部にわたって丁寧に説明をしていきます。
それを、通訳の女性が、
マネージャーらしき青年に伝え、
さらにその青年が、子供のナタリーに、
もっとわかりやすいように説明していく。
とまあ、こんな感じで進められていきました。
そして1時間あまり。
ミーティングもつつがなく終わり、
「さあ、明日からがんばりましょう。」
ということで散会。
そして私は、
そのマネージャーらしき青年と初めて握手。
青いジャンパーを着た、
どちらかというと目立たない地味な感じの青年です。
私は彼に、こう尋ねました。
「ところで、あなた、お名前は…?」
すると彼は、ニコッと笑ってこう答えたのです。
「ルネです。お忘れですか…?」
「……。」
(おわり)
12/22、23「@恵比寿ガーデン・ホール」における、
ジャミン・ゼブ『X'mas Fantasy 2011』
も、つつがなく終えることができました。
メンバーの思い、スタッフの思い、
そして、みなさんの思いがひとつになった、
心暖まる素晴らしいライブだったように思います。
本当にありがとうございました。
さ、明日は、山形の「あつみ温泉」で、
今年最後のライブです。
なんだか今年も大雪みたいですね。
でも、どんな手段を使っても行きますよー。
みなさん待ってて下さいね。
それが終わると、
27日(火)は「A'TRAIN」で、
今年最後の私のピアノ・ライブ。
今月は変則開催ですので、
くれぐれもお間違えのなきように。
気がついたら…、
今年も、あとわずか…、
か…。
……。
SHUN MIYAZUMI
December 17, 2011
ルネ・シマール その2
「東京音楽祭」か…。
なつかしいですねえ。
その年の国内外のトップ・アーティストたちが、
東京は『日本武道館』に一堂に集まり、
最も優れた楽曲とパフォーマンスを競うという、
なんとも絢爛豪華で贅沢なイベントでした。
その当時、
「テレビ音楽業界のドン」と畏(おそ)れられていた、
TBSの大プロデューサー渡辺正文さんが提唱し、
1972年に始まった音楽祭で、
その第一回のグランプリは、
雪村いづみさんの歌った「私は泣かない」という曲。
聞くところによると、
これもアルファが絡んでいたそうです。
私がアルファに入社した1974年の第三回からは、
急激にその規模も巨大になり、
世の注目を浴びるようになったようです。
しかも、この年は、
スリー・ディグリーズという大物が、
「天使のささやき」という楽曲でエントリー。
また、特別ゲストに、
フランク・シナトラが参加するということもあって、
外国の音楽メディアもどっちゃり来日。
そして日本からは、
布施明、五木ひろし、ザ・ピーナッツ、
といった人気歌手たちが本戦出場。
いやあ、まさにお祭りムード一色です。
「ドン渡辺の春、ここに来たれり」という感じですかね。
(ここだけの話ですが…、
この渡辺プロデューサーという人ね…、
怒るとね…、
ギョロ〜っと凄い目をひんむいて、
あたりかまわず大声で恫喝するんです。
恰幅もよく、
まるで映画『ゴッド・ファーザー』の、
ドン・コルレオーネみたい。
だからアダ名は “ギョロなべ” と裏では囁かれている。
いやあホント、恐かったですよ、怒らせるとね。
だけど…、頭は…、ヅラ…。)
わ〜っ、言っちゃった。
どうしよう、どうしよう…。
……。。。
ま、いいか。
どうせ天国までは聞こえまい。
それに私、けっこう可愛がられてたし。
あははは。
というわけで、
この年のグランプリの本命は、
なんといってもスリー・ディグリーズです。
ま、今の言葉でいうところのガチ。
ガチもガチ。
ガチガチの大本命。
だから…、
各レコード会社は、
グランプリは早々にあきらめ、
それに続く金賞、銀賞狙いで、
様々なプロモーションや審査員対策に奔走。
とまあ、そんな感じだったようです。
……。
ところが…、
わがアルファがエントリーした、
カナダの無名の少年ルネ君が、
予想を大幅に覆(くつがえ)して、
なんと、グランプリを獲得してしまった!
そして表彰式で、
フランク・シナトラさんから、
グランプリのトロフィーを渡されると、
その愛らしいお目目からは大粒の涙がポロリ。。。
「わ〜〜〜〜〜〜〜っ。」
またまた場内、割れんばかりの大拍手。
でも、なにはともあれ、
これから私がお世話になる会社にとっては、
最高の結果になったわけですから、
よかった、よかったです。
めでたし、めでたしです。
うんうん。
♡♡♡
というわけで翌朝、
鼻歌なんぞ歌いながらお気楽気分で出社してみると…、
と……、
これが大変なことになっていました。
……。
とにかく、会社中の電話という電話が、
鳴りっぱなしなのです。
そして私より早く出社していた先輩たちが、
汗だくになって電話を取って応対しています。
(何ごとなの…?)
すると総務のS課長が大声で、
「宮住くん、何をモタモタしてるんだ!
早く君も電話を取ってくれよ。
もう朝から大変なんだから。」
「……???」
で、仕方なく私も1本の電話を取る。
「はい、アルファ&アソシエイツです。」
すると電話の向こうから、
小学生か、はたまた幼稚園かと思(おぼ)しき、
可愛らしい女の子の声で、
「ルネいますか〜。」
「……。」
私は、仕方なくこう答える。
「ル、ルネはここにはいないんですよ〜。」
すると、その女の子も負けてはいない。
「じゃあ、ルネはどこにいますか〜。」
「……。」
そんな間にも、
デスクの上の電話という電話は鳴りっぱなし。
リ〜ン、リ〜〜ン、リ〜〜〜〜ン、リ〜〜〜〜〜〜ン。
リ〜ン、リ〜〜ン、リ〜〜〜〜ン、リ〜〜〜〜〜〜ン。
リ〜ン、リ〜〜ン、リ〜〜〜〜ン、リ〜〜〜〜〜〜ン。
「あのお、ちょっと待っててね、
別の電話も鳴りっぱなしだからね。
はい、アルファ&アソシエイツです。」
と、また別の電話を取ってみると、
これまた女の子の声で、
「あの〜、ルネは今何してますか〜。」
「あのねえ、ルネはここにはいないんですよ。」
「じゃあ、どこにいるんですかあ?」
「……。」
そして、どの社員もみな、
同じような受け答えで苦闘しているのでした。
総務のS課長も、Mさんも、T女史も、
社長秘書のE女史も、
制作のA課長も、N君も、S君も、
ディレクターのAさんも、Kさんも、
録音課のY課長も、Sさんも、K君も、
みんなみんな、
「ルネは、今ここにはいませんよ〜。」
の応対に大わらわ。
そうなんです!
これはもう「パニック」といって差し支えありません!!
なにしろ取る電話、取る電話、みな、
「ルネ」「ルネ」「ルネ」「ルネ」「ルネ」……。
キャ〜〜ッ、助けてくれ〜〜〜。
(だめ)
で、学校が昼休み時間になると、
そのパニックはさらに凄いものになりました。
今のように携帯電話の無い時代ですから、
みんな学校の近くの、
公衆電話からかけてくるんでしょうか…。
「ルネは何が好きですか〜。」
「ルネは今、何食べてますか〜。」
「ルネは今日何時に起きましたか〜。」
「ルネの好きな食べ物はなんですか〜。」
「ルネの好きな番組はなんですか〜。」
あのね!
いい加減にしなさい!
と言いたいところですが、、、
彼女たちに情けは無い。
……。
次から次へと情け容赦なく襲って来る電話の嵐。
(す、すごい…。)
ひどいのになると、
「あの〜、ルネと代わってください。」
「…‥…。」
あのね、
あーた、フランス語しゃべれんの?
そう、カナダといっても、
ルネの住むケベック州はフランス語圏なのです。
もう、この大胆さといったら…。
……。
そんな中、
またしても電話を取ると、
「バカヤロー、お前の会社はどうなってんだー!
朝から全然電話が繋がらないじゃないか!
いいかげんにしろ!!!」
「あー、やっと繋がった。
いったいアルファはどうなってんのよ。
例の件はどうなってんのよ。えっ。
ちょっと村井社長に代わりなさい。
えっ?いない?
バカヤローーーー!!!!」
たまに、繋がった仕事の相手先からは、
こんなお叱りを受けるありさま。
なにしろ携帯の無い時代ですからねえ。
……。
こうして、
この日のアルファ・スタッフは夜遅くまで、
誰一人まともに仕事をさせてもらえず、
食事にも行けず、
ヘロヘロになるまで、一日中、
少女たちのお相手をさせられたのでした。
あ〜あ…。
……。
もしも、これを読んでる女史のなかで、
あの時、アルファに電話した覚えのある方は、
大いに反省しましょうね。
私たちは、
まるで仕事にならなかったのですからね…。
(ブツブツ…)
……。
というわけで、
大学を卒業して音楽業界に入ったばかりの私は、
このとき…、
“一夜にして生まれるアイドル・スター” の凄まじさを、
嫌(いや)というほど思い知らされたのでした。
ふ〜…。
……。
(つづく)
ああ、やっと更新できました。
事故もあったし…。
でも、おかげさまでこの2週間、
最高に充実した日々を送らせていただきました。
名古屋地区では、
たくさんの新しいお客さんとの出会い。
久しぶりの手羽先ちゃんとの出会い。
(また30本食ったぞ〜。わははは。)
さらに、一昨日、昨日は、
これまた本当に久しぶりに、
関東圏のジャミン・ファンのみなさんに、
お目にかかることが出来ました。
至福のひとときでした。
感謝…。
……。
そして、
いよいよ、
12/22、23日「@恵比寿ガーデン・ホール」
『X'mas Fantasy 2011』が迫ってきましたね。
いろんなことがあった、
いろんなことが “ありすぎた” 2011年を、
最高の形で締めくくりたいと思っています。
ジャミンと私たちスタッフの今年の総決算です。
みなさん、来て下さいね。
感動の一夜(二夜?)をご一緒しましょう!
というわけで今宵は、
久しぶりに吠えたいと思います。
月に向かって…。
ガオ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!
(お前はオオカミか…)
……。
SHUN MIYAZUMI
December 04, 2011
ルネ・シマール
あれは、1974年の3月だったでしょうか…。
卒業も決まり、
4月からは「アルファ&アソシエイツ」という、
レコード制作会社に就職の決まっていた私は、
これといって刺激的なこともなく、
昼寝をしたり、鼻毛を抜いたりと、
まあ、なんとも退屈な日々を送っておりました。
そんな時、
そのアルファの社長でもあり、
「翼をください」(赤い鳥)や、
「ある日突然」(トワ・エ・モア)など、
数々のヒット曲でも有名な作曲家の村井邦彦さんから、
「ちょっとしたデモ・テープを作るから、
ピアノを弾いてくんない?」
という電話をもらいました。
呼ばれたのは、
ちょうど卒業コンサートを終えたばかりの、
私が所属していたサークル、
「K大ライト・ミュージック・ソサエティ」の、
レギュラー・リズム・セクションの面々。
ドラムがS君(4年)
ギターがA野君(2年)
(かつて「犬猿の仲」というエッセイにも登場)
ベースは今も私の相棒、エディ河野(4年)
そしてピアノが私(4年)
というメンバーでした。
場所は、芝浦にあった「STUDIO ’A’」
真新しい、とても立派なレコーディング・スタジオで、
新進気鋭のアルファの「ホーム・グラウンド」
とも言うべきスタジオなんだそうです。
ということで、
「ま、他にやることもないし、
暇つぶしに行ってみるか〜。」
とまあ、お気楽な気分で出かけて行った私。
もちろん、
この後(のち)、このスタジオで、
数々のレコード制作をやることになろうとは、
この時の私は知る由もありません。
……。
さて、スタジオに入った私たちは、
1枚の譜面を渡される。
そこには、こう書いてありました。
『ミドリ色の屋根』
(詞:さいとう大三 曲:村井邦彦)
そして、そこには私たちの他に、
この曲を歌う一人の女性シンガーもいました。
そして、レコーディングが始まる。
♪♪
いやあ、いい曲ですねえ〜。
両親の別離に胸を痛めた、いたいけな少年が、
一生懸命ママを励ますという歌のようです。
「泣かないで〜、僕がそばにいるから〜♪」
私は心をこめて弾く。
なんともいい気分で弾かせてもらう。
ルンルン。
何故ならば、
その時、ヘッドフォンを通して聞こえて来る、
その女性シンガーの声と歌唱力が、
なんとも素晴らしいから。
♪♪♪
で、あとからわかったことですが、
その女性シンガーは、
「赤い鳥」のメンバーで、
後の「ハイ・ファイ・セット」のリード・ヴォーカル、
山本潤子さんでした。
(そりゃうまいわけだ)
さて、レコーディングも順調に終わり、
コントロール・ルームに戻ると、
社長の村井さんが何人かのスタッフに、
きめ細かく指示を与えておりました。
「○○君、すぐにこの音を音楽祭事務局に届けるように。」
「△△さんは、譜面と一緒にカナダに送ってね。」
「□□君は、CBSソニーに連絡するように、頼むよ。」
と、どうやらこれはあくまでデモ・テープで、
実際に歌うのは、
ルネ・シマールという、
10才にも満たないカナダの少年なんだそう…。
そして、6月に行われる、
TBS「東京音楽祭」というビッグ・イベントに、
エントリーするんだそうです。
それにしても…、
デモ・テープごときに、
天下の「赤い鳥」の山本潤子さんを使うなんて、
なんとも凄いファミリーなんだなあ、
アルファって…。
私は、ちょっと身震いがするような思いでした。
(へ〜、俺、こんな会社に入るんだ…?)
……。
その翌月の4月に、私はアルファに入るわけですが、
そのときはまだ小さな原盤制作会社。
ユーミンのデビュー・アルバム「ひこうき雲」も、
まだ全然陽の目を浴びず、
サンプル盤がどっちゃりと、
オフィスに山積みされていましたね。
その後ヒットが繋がって、
「アルファ・レコード」
というレコード会社に昇格するものの、
このときのアルファは、
まさに手作り、手探りで、
新しい音楽作りに励んでおりました。
6月の「東京音楽祭」をめざして作られた、
このルネ(ルネ・シマール)のシングル盤も、
当時アイドルを売るのに絶対的な力を持っていた、
CBSソニー(現ソニー・ミュージック)で、
販売してもらうことになっていました。

(左上にCBS SONYのロゴ、右下にALFAのロゴ。
なつかしい…。)
そして、
いよいよ「東京音楽祭」(@日本武道館)が始まります。
駆け出しの私は、
現場には連れて行ってもらえず、
自宅のテレビで応援です。
TBSの放送を食い入るように見ていた私は、
その出演者の顔ぶれの凄さに仰天!
そしてグランプリの大本命は、
スリー・ディグリーズ「天使のささやき」。
カナダの無名の少年ルネなんて、
無印もいいところです。
(こりゃ、小さな敢闘賞あたりが関の山だな…)
が…、
が……、、
が〜〜〜〜〜〜〜〜、、、
(ん?)
このルネ君、
小さい頃から聖歌隊で鍛えた美しいボーイ・ソプラノで、
日本語の歌詞もなんら問題なく、
実に堂々と歌いきったではありませんか。
場内、もう割れんばかりの拍手です。
そして…、
なんと…、
大番狂わせもいいところの…、
グランプリまで取ってしまったのです!!
(へ〜、やったじゃないか〜…)
でもまあ、入社して早々、
これはめでたい出来事ではありませんか。
しかも、そのデモ・テープ制作に、
この私もひと役買っているのだ。
私の将来も明るいかもしれない。
うんうん…。
(ん…?)
そして翌朝、
いつものようにお気楽気分で会社に行った私ですが、
なんと…、
これが…、
大変なことになっていたのです。
……。
(つづく)
テレビといえば、
12/2の生放送、
NHK「〜震災に負けない〜お元気ですか日本列島」
に出演した、わがジャミン・ゼブ。
震災からうまれたオリジナル曲『Rise』を、
これまた見事に歌ってくれましたね。
私は別のスタジオで、
編集の仕事をしていたのですが、
この時だけは作業を中断して、
ワンセグ携帯で見させてもらいました。
NHKスタッフのみなさんの中には、
徹夜であのセットを作って下さったり、
CGの制作をして下さったり、
大変なご苦労があったと聞きました。
「少しでも、被災地のみなさんに、
喜んでもらいたい。」
そんな、心のこもった、
素晴らしい番組でしたね。
みなさん、ありがとうございました。
……。
それにしても…、
見てる方も緊張しましたわ〜い。
でも、無事に大役がはたせてよかったです…。
だから今日は、
ホッとひと息の休日でした。
昼寝をしたり、鼻毛を抜いたり、
のんびり過ごさせていただきました。
(何年経っても、変わらんのぉ〜)
あ〜あ、
でも、もう終わりか、お休み…。
(何を言うか、これからが佳境だろ12月は!)
おっと、そうか…。
……。
SHUN MIYAZUMI