October 2012

October 23, 2012

大相撲小研究 その3


自慢じゃありませんが私、

歴代横綱を全部スラスラ言えるんですよ。


初代「明石志賀之助」から70代「日馬富士」まで、
ぜ〜んぶソラで言えちゃう。

先日も試してみましたが、
よどむことなくスラスラと言えちゃいました。



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これは、7代横綱「稲妻雷五郎」ですな。

江戸は文化・文政の頃に大人気だった強豪横綱。

130勝13敗 勝率.909とは、あっぱれな生涯成績です。



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はい、こちらは、
15代横綱「初代・梅ヶ谷藤太郎」ですね。

明治の初期に活躍した大横綱。

雷電には及びませんが、
116勝6敗 勝率.951は、これまた、あっぱれあっぱれ。


えっ?

そんなくだらないこと覚えて、
なんの足しになるんだ、

ですって?


いやいや、あながちそうとも言えないのです。

あれは昭和36年(1961年)の秋でしたか…。

……。


この年私は小学校4年生。

今まで何度も書いてきましたが、
私は小学校4年から中学2年まで、
父の仕事の関係で、
三重県の四日市というところに住んでいました。


その四日市に、
大相撲の巡業がやって来たのです。

学校のグラウンドでの野外開催でしたが、
これが私が初めて体験する相撲観戦でした。


そして父に連れられるまま座ったその場所が、
なんと土俵下の一番前。

いわゆる「砂かぶり」という特等席でした。


その、私の座っている場所のすぐ前には、
呼び出しのリーダー格のおじさんがずっと居て、
進行をつかさどっていました。

当然のことながら私は、
すぐそのおじさんと仲良くなる。

というより、
子供の分際であまりに相撲知識の豊富な私に、
おじさんが興味を持ってくれたというのが、
正しい見方でしょうか。


「いやあ、坊やは何でもよく知ってるねえ。」

「おや、そんなことまで知ってるのかい?
 こりゃまいったなあ。あははは。」

「そう、そうなんだよ。
 今の決まり手はそれでいいんだよ。
 ちゃんと上手を取っていたからねえ。
 すごいねえ坊やは。感心だねえ。」


得意満面な私。


こんな会話をしながらも、

取り組みはどんどん進んで、

いよいよ幕内力士が登場。


そして、忘れもしません。

このとき相撲人気を二分していた、
若き新横綱の二人が、
土俵入りを披露したのです。

47代横綱「大鵬」と48代「柏戸」でした。


初めて見るその勇姿に、
私は圧倒されてしまいました。

特に大鵬のピンク色に染まった肌の美しさは、
テレビではまったく想像できていなかったもので、
「ああ、これじゃあ人気が出るのも無理はないなあ。」
と幼心に思ったのでした。


というわけで、
なにもかもが新鮮で興奮状態の私は、

土俵入りが終わって、
幕内力士の取り組みが始まるまでの休憩時間に、
その呼び出しのおじさんをつかまえて、

なまいきにも、
今度はこんなことまでやってしまったのです。


「おじさん、僕、歴代の横綱全部言えるよ。
 やってみてあげようか。」


そして、

明石、丸山、綾川、谷風、小野川、阿武松、稲妻……、

……、栃錦、若乃花、朝潮、大鵬、柏戸。


と、当時一番新しい柏戸までの48人を、
スラスラ〜と言ってのけたのです。


おじさんはもうビックリ。

「いやあ、坊やは本当にすごいねえ。
 そんなに相撲が好きだなんて、
 おじさん、嬉しいなあ。」

そして、

「坊や、あまりに感心だから、
 ちょっとご褒美をあげるよ。
 待っててね。」

と言って、どこかへ消えた。


そして、しばらくして戻ってきたおじさんは、

「はい、これあげるよ。」

と言って、


なんと!

4枚のサイン入りの色紙をくれたのです。

……。



それは、

時の寵児で人気絶頂、新横綱の二人、

「大鵬」「柏戸」


栃錦引退後、孤軍奮闘で相撲界を支えてきた大横綱、

「初代・若乃花」


そして、未来を嘱望される若手のホープ、

「佐田の山」

(後に50代横綱になるが、このときはまだ関脇)


こんな凄い力士たちのサインを、
もらって来てくれたのです。


私は狂喜しました。

「お、おじさん、ありがとう。
 僕大切にするからね。」


そのときの、呼び出し衣装に身を包んだおじさんの、
ニコニコとした笑顔は、
今も忘れることができません。


その後もテレビの相撲中継では、

あのおじさんがいつも映っていました。

なんたって、いつも土俵下にいるんですからね。


私はテレビの画面に向かって、

「あ、おじさんだ。おじさんがいる。
 おじさ〜〜〜〜〜ん。」

といつも手を振っていました。


それを見ていた母が、

「あんた、頭がおかしくなったんじゃないの?」

と、怪訝そうにつぶやく。


「あははは、あんたなんかにゃわかるまい。
 この僕の偉大さが。
 あはははははははははははは。」

……。



そうそう、こんなこともありました。

これは大人になってからの話ですが、

とある居酒屋に飛び込んだときのこと。


その店の壁に、
歴代横綱の名前がズラーッと並んでいたのです。


私は店主にこう聞きました。

「オヤジ、相撲好きなのかい?」

すると店主は、

「ああ好きだねえ。
 相撲が始まると仕事が手につかなくてね。」


さあ、ここでも私の自尊心がむくむくと頭をもたげる。

「どうだいオヤジ、
 後ろの壁に書いてある歴代横綱、
 見ないで全部言ってやろうか。」


そして、ここでも、

明石、丸山、綾川、谷風、小野川……、、、

と、そのときの一番新しい横綱まで、

よどむことなくスラスラと言ってのけたのです。


店主はビックリして、

「いやあ、こりゃ驚いた。
 でも嬉しいねえお客さん。
 これサービスだ。
 やっておくれよ。」


と、「刺し盛り」とビールを1本、

タダで出してくれたのです。



どうです。

つまらないと思えることでも、
なにか一つ特技を持つと、
このような恩恵を授かることもあるのです。


イギリスの詩人、ウィリアム・ブレイクは、

こんな言葉を残しております。


「愚行を固執すれば賢者となるを得ん」



ポール牧さんの「指パッチン」も、

これに類するのでしょうかねえ。

……。


おっと、いけない。

故人に対して失礼極まりない発言でした。

あぶない、あぶない…。

……。



そういえば…、

昭和36年といえば…、


私、この年の春から今年(平成24年)の夏にかけて、

甲子園の春・夏優勝校も全部、

スラスラ〜っと言えるんですよ。


やってみましょうか。


ええと、昭和36年は、
春が「法政二」で夏が「浪商」。

37年は春・夏とも「作新学院」で、

38年の春が「下関商」で…,

夏が…、

……、、、



えっ?


もういい?



はい。


……。



(つづく)





10/16・17・19・20・21の5日間、

「STB139」で繰り広げられた、
『jammin'Zeb / 5th Anniversary』スペシャル・ライブも、
無事、大盛況のうちに幕を閉じることができました。


おかげさまで、
春をさらに上回る観客動員数で、
連日最高の盛り上がりとなりました。

お越し下さったみなさん、
本当にありがとうございました。


5年前に比べ、はるかに成熟した、
『Smile』や『You Raise Me Up』に、
5年間の確かな歩みを感じることができましたね。


素晴らしいメンバーと、

いつも熱心に応援下さる暖かいファンのみなさんと、

これからも素敵な時間を共有できるように、

ますます頑張らなくてはと思う次第であります。


今後とも、よろしくお願い致します。



とはいえ、感傷に浸ってる時間はありませんね。


今週の金曜日は早くも次のコンサート。
(横浜・関内ホール)

そして、週末は岐阜・各務原の遠征が待っています。



というわけで、

とりあえず体がバキバキなので、

今日はマッサージにでも行こうかなと思っています。


年内まだまだ仕事が山積みですからね。


体力勝負になってきましたからね、今年は。



大丈夫かな…。


もつかな年末まで…。


……。



SHUN MIYAZUMI

woodymiyazumi at 12:58コメント(19)トラックバック(0) 
2012 エッセイ 

October 06, 2012

大相撲小研究 その2


江戸時代の大相撲興行を描いた浮世絵。

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力士は言うに及ばず、
観客までがみな「チョンまげ」には、
笑えますよねえ。

ま、当たり前の話ですが…。


ちなみに対戦しているのは、

天明、寛政年間の相撲人気を二分した、
四代目横綱の「谷風梶之助」と、
五代目横綱の「小野川喜三郎」
なんだそうです。

(写真は拡大可です)


ところで…、

もうひとつの珍光景は、
この絵のなかに、
女性が一人もいないことです。


不思議ですねえ…。



相撲は今や女性にも大人気。

テレビで見ると、
艶やかに着飾った和服のお姉さまたちが、
いつもいっぱい見受けられるのに、
ここには一人もいません。


何故なんでしょうねえ…。

……??


ま、これには、いろんな説があるようですが、

私は単純にこんなことではないかと考えています。


つまり、

「相撲取りはモテる!」


だから世の男どもがやっかんで、

「行かせない! 見せない!」


ん…?



昔の大相撲は年に2回しか開催されなかったそうです。

しかも一場所がだいたい10日くらい。


したがって当時は、
「一年を20日(はつか)で暮らすいい男」
なんて言われていたそうですね。

しかも強豪で美男力士ときたら、
そりゃあもういろんなお座敷に引っ張りだこ。

おい、ずるいぞ、君たち…。



そして、
一度でも生(ナマ)で相撲観戦をした方なら、
おわかりでしょうが、

相撲取りの肌というのは本当に綺麗なんです。


それも番付が上の方、
体の大きい強豪になればなるほど、
肌も綺麗になっていくんですねえ。

私が直接見た中でも、
大鵬、2代目若乃花、白鵬なんてのは、
男から見てもうっとりするような美しさでした。


背も高く、バランスのとれた体型。
ルックスも良い上に肌が白い。

その白い肌が、
仕切りが近づいてくるうちに、
高揚感からか、次第にピンク色に染まっていく。

そこに、艶やかな紫のまわしなんか締めると、
それはそれは、
浮世絵から出て来たような美しさなのです。


江戸時代に、多くの浮世絵師が描いた絵(版画)が、
歌舞伎役者のそれとともに、
売れに売れたというのもうなずけますね。

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ということで、
女性が相撲にハマったら、
たまったもんじゃない。

そう考えた世の男どもが、
なるべく女性には見せないように、
意地悪したんじゃないでしょうか。

……。



ま、真相はどうあれ、堅い話は抜きにして、

そう考えるのもまた楽しいではありませんか。


町人文化が一気に華開いた、
江戸時代中期に思いを馳せる…。

これも相撲という歴史あるスポーツだからこそ出来る、
楽しい空想ですね。



空想といえば、

古今東西、
史上最も強いお相撲さんは誰なんでしょう…?

私は秘かにこの人ではないかと考えています。

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大関「雷電為右衛門」(らいでん ためえもん)

江戸は寛政から文化の時代にかけて(1790〜1811)、
無類の強さを誇ったという、
超強豪力士。


当時、日本男性の平均身長が150cm行くか行かないか、
と言われていた時代に、
197cm、170kgというバケ物のような大きさ。

その上に、
浮世絵でもわかるように、
筋肉隆々とした体格で、
生涯の成績が254勝10敗、勝率.962という凄まじさ。

年に2場所あるかないかの時代に、
優勝27回というのは、
ちょっと信じられないような数字ですね。


この雷電だけは、
あまりに危険なので、
使ってはいけない禁じ手がいくつかあったそうです。

「さば折り」
(相手の胴に外側から両手を回して、
 ぐっと手許に引くと相手がのけぞってしまう技。
 ところが雷電がこれをやると、
 相手の背骨が折れてしまって命が危ない。
 だからあんただけは禁止。)

「かん抜き」
(相手の両腕を外側から挟み込むようにして力を入れる。
 痛いから相手はたまらず土俵を割る。
 しかし雷電がこれをやると、
 本当に両腕が折れてしまう。
 だからこれもあんたは禁止なのよ。)

「張り手」
(雷電が相手の顔を思い切り張り飛ばすと、
 相手は土俵の下に吹っ飛んでしまう。
 打ち所が悪いとこれも絶命の危険性がある。
 だからあんただけは絶対禁止〜〜。)


まだ、他にもあったようですよ。

こんな力士と対戦させられる相手が、
気の毒になってきますよね。

私だったらすぐに自分から転んじゃいますね。

命がいくつあっても足りないから…。

やれやれ…。


もし禁じ手がすべてOKだったら、
10の負けなど無く、
全勝していたんではないでしょうか。

ただし、命を落とした力士が、
何人いたか…。

……。



ちなみにこの雷電さん、
横綱にはなっていません。

最高位は大関のままで、
これまた相撲の歴史の七不思議と言われてるようです。


ま、横綱が番付の「地位」になったのは、
明治時代からで、
江戸時代は単なる名誉職だったそうですから、

強いことは比類ないが、
名誉には値しない人だったのでしょうか。


そういえば、すごい酒豪だったようです。

やはり酒飲みは低く見られるのですかねえ…。


ん…?


樽酒を3つ、

一晩で飲み干したという伝説もあるそうですよ。


本当かなあ〜…。


と言うことは、
お金もしこたま持っているということですね。

強い上にお金持ち。



そりゃ、モテるわ。


ふん…。


……。



(つづく)




野球も面白いですねえ。

今日から、
アメリカ大リーグのポスト・シーズンも始まりました。


ダルビッシュの「テキサス・レンジャーズ」は、
残念ながら負けてしまいましたが、

ヤンキースに移籍したイチローは、
念願かなっての進出です。


これから約1ヶ月。

ワールド・チャンピオン目指して、
熱い、熱い戦いが繰り広げられます。


アレンジや作曲をはじめ、
たくさんの仕事を義務づけられている私には、
非常に危険な季節がやって来ました。

しかも、
秋の肴や酒がこの上もなく美味しい、
とても誘惑の多い、危ない季節の到来です。


どうする宮住…。


大丈夫か宮住…。



ううむ…。


……。。



SHUN MIYAZUMI

woodymiyazumi at 17:44コメント(18)トラックバック(0) 
2012 エッセイ