December 2012

December 31, 2012

年末のご挨拶


みなさん、

今年も大変お世話になりました。


12月28日、岐阜での仕事を最後に、
2012年の活動の全てを、
無事に終えることができました。

ジャミン・ゼブの、
デビュー5周年の年を飾るにふさわしい、
実りの多い、本当に充実した1年だったと思います。


特に関東以外の各地でも、
その活動基盤を大いに拡大できたのが、
何よりの収穫でしたね。

盛岡、仙台、庄内、鶴岡、いわき、福島、
佐野、高崎、長野、金沢、岡崎、名古屋、
岐阜、各務原、京都、三木、広島、宇部、福岡、、、

などなど、
本当にいろんな場所に、
彼らの美しいハーモニーを届けることが出来ました。

来年は、どんな素敵な出会いがあるのでしょうか。


さらに…、

「ア・カペラ」だけのステージや、
シンフォニックなホールでの新しい試み、

また、NHK-TVの全国放送における、
“ジャミン風” 日本の唱歌のご披露や、
長野県の県歌のリ・アレンジ、
岐阜県各務原市のイメージ・ソングの制作、

といった、
今までにはなかったジャパ〜ンな活動も盛りだくさん。


2013年も大いに楽しみなところです。


というわけで、

みんなで年末のご挨拶といきますか。


「みんな、来年もがんばろう!」

「イエ〜イ!!」


20121216 A


あら…?
 
なんか違うんじゃないの?

マフィアのファミリーじゃないんだから…。

このグループは上品さが売りなんだから…。


はい、もう一回やり直し。

いきますよ〜。


「みんな、来年もがんばろう!」

「イエ〜イ!!!」


20121216 B


ううむ…。

……。。。



ま、何はともあれ、

来年も一層のご支援のほど、

よろしくお願い申し上げます。


2013年がみなさんにとりまして、

素晴らしい年になりますように。


どうぞ良いお年をお迎え下さい。


感謝をこめて…。



SHUN MIYAZUMI



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2012 エッセイ 

December 23, 2012

やまがた その2


過去に何度も書いて来ましたが、
私は父の仕事の関係で、
幼い頃から “転校生” でした。

なにしろ、幼稚園、小学校、中学校、高校と、
「入学した学校」と「卒業した学校」が全部違うのです。

入った学校をそのまま卒業したのは大学だけ。


これって、
かなり珍しい経歴の持ち主ではないかと思いますねえ。

ま、自慢になるかどうかはわかりませんが…。

……。



そんな私が、
中学3年から高校1年の終わりまでの2年間、
暮らしていたのが「山形市」。

それは生まれて初めて体験する『雪国』。。


私にとって、

いろんな意味で忘れることのできない土地です。


そして私には、

『雪国』に暮らす人の大変さがよくわかるのです。



あれは1966年の3月上旬でしたか…。

今を去ること46年も前のこと…。


上野から特急で5時間半もかかって山形に向かう時も、
福島を過ぎたあたりからはず〜っと雪でした。

「トンネルを抜けたら雪国だった。
 夜の底が白くなった。」

まさにあれです。


車中、南国(四国)生まれの母が、
曇りガラスを手でこすっては、
すっかり暗くなった外を眺めながら、

「どこまで行っても雪ですねえ…。」
と切なそうに呟いた光景は、
今も忘れることが出来ませんね。


こうして、朝早く三重県の四日市を発ち、
やっとの思いで到着した夜の山形駅は、
古い木造建築で、
構内を淡く照らす裸電球がぽつり…。

NHK朝の連ドラ「おしん」や「すずらん」
そのままの寂しい光景でした。


こうして私の「雪国」での奮闘が始まりました。

……。



まず、私の住んでいた所は、
奥羽本線沿いにある古い一戸建ての社宅。

そして線路の向こう側は見渡す限りの広大な畑。
遥か遠くに、わらぶきの家や、
昔風の民家がポツリポツリ。

天気のいい日は美しい「月山(がっさん)」
が見える日本風の田園風景。

でも、これでも立派な山形市内なのです。

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そこから歩いて約20分。

私が通うことになった山形6中という中学校も、
田んぼの中にポツリと建っておりました。

裏は山。

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校内マラソン、駅伝なんかも、
田んぼのあぜ道、山あいの坂道などがコース。

学校はこれまた古い木造の二階建てで、
教室の暖房は石炭ストーブ。

冬はみんな弁当をストーブで暖めます。

それから女の子はスカートではなくズボン。
これも寒いんだから仕方ありませんね。


ま、このように、

東京から北に行ったことのない私にとっては、

なにもかもが初体験…。

……。



さらに困ったことに、

言葉が全然わからない。


したがって、

みんなの輪の中に入っていけません。


転校なんか慣れてるから平気だったのに、
これには正直落ち込みました。

今思うと、
いじめにもあっていたかもしれない…。


けっこう生意気でしたからね。

休み時間、体育館から帰って来たら、
私の教科書やノートが鞄と一緒に、
窓の外の雪の中に、
捨てられていたこともありました。


仕方ない…。

なるべく本来の性格を押し殺して、
目立たないように地味にやっていこう。

私はこう決意しました。


ま、それでも目立ってしまうのが、

私の困ったところではありますが…。

(親を恨むぞ…)



さらに、追い打ちをかけるように、
厳しい受験地獄が待っていました。

(こうなったら勉強するのだ。
 勉強しまくって嫌なことを忘れるのだ。)


というわけで、

私の人生の中で、
これほど勉強したことは、
後にも先にもありませんね。


「しもやけ」に悩まされながら、
寒い寒い雪の中を、
自分を奮い立たせて学校に行き、
なんとか懸命にみんなの中に溶け込みながら、

中学3年の1年間を過ごしました。


さて、なんとか希望高に入った高校の1年間は、
バスケット部に入ったものの、
あまりに下手くそなのでボール磨きばかりの毎日。

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(最後列のどこかにいるので拡大して探してみて下さい。)


あとは、すきま風がピューピューと入り込む、
旧制中学の古い木造校舎の寒かったことしか、
思い出せません。

だから高校1年の3月、
再び東京の地を踏んだときは、
正直ほっとしました。

……。



それから40年あまり…。

私が山形に来ることはありませんでした。


中学の卒業名簿にも、
私一人だけ「行方不明」となっていたそうで、
クラス会に呼ばれることもありませんでした。


ところが、2005年の冬に、
仕事で山形を訪れることになり、
偶然にもこの時のクラスメートの一人がそれを知り、

なんでも5、6人のクラスメートが、
一席設けるからぜひ来てくれと言うのです。


これを断っては男じゃない。


というわけで、感動に打ち震えながら、

40年ぶりに降り立った山形の地。


ところが…、

あの山形駅が…、

モダンな鉄筋の近代建築に様変わりで、
断じて「おしん」や「すずらん」のそれではない。

(む…。)



さらに…、

私の住んでいた家…。

これも立派な洋風の建物になっている。

(ううむ…。)



そして、線路の反対側の畑と田園風景に至っては…、

これまた立派でモダンな民家が立ち並び、
ここは世田谷か、たまプラーザか、
といった感じの住宅街が果てしなく広がる。

(な、なんだ、これは…。)


かつて奥羽本線は単線で、
線路をまたいで向こう側の畑は、
我が家の犬(ゴンタロー)の散歩に好都合だったのに、

山形新幹線の誕生で複線になり、
おまけに鉄柵で囲われてまたぐことが出来ない。

(……。)



感傷に浸るはずだったのに、

大きな肩透かしの連続でした。


がっかりした私は、
今度は中学校に行ってみることにしました。

ところが…、
これまた近代的な建物に…。


しかも周りは全部近代的な住宅街で、
これまた田んぼなんかどこにもない。

裏山も消え去っていました。


「ここはどこ…? これは何…?」

私が駅伝で走った田んぼのあぜ道は、
どこに行ってしまったのだ…???



仕方なく最後に、わずかな期待を持って、
1年だけ在籍した高校に行ってみました。

あの旧制中学の伝統的な木造校舎だけは、
残っていてくれ…。

……。



ああ、これもダメでした。

これまたヨーロッパ風のモダンな建物になっていて、
当時のことなんかまるで思い出せません。


40年という月日はおそろしい…。

まるで浦島太郎になった心境でした。

ま、当り前といえば当り前なんでしょうが…。

……。



それにしても山形市って、
素敵でモダンな大きな街になってるんですね。

街を歩く若者のファッションも、
飛び交うきれいな標準語も、
東京とちっとも変わらない。


いやあ、私ひとりが老いた、

ということだったのでしょう。

……。



複雑な心境のまま、

懐かしい級友の待つお店に行ってみることにしました。


でもみんな暖かく歓迎してくれました。

風貌は変わっているものの、
話していくうちに、
あの時代にタイム・スリップ。

次第に思い出がよみがえってきました。


料理もおいしかったし、
2軒目のスナックでは、
当時流行ったGS(グループ・サウンズ)の歌を、
みんなで大声で唄いまくってきました。


本当に楽しかった。

思いきって行ってよかった。

というより、
もっと早く行くべきでした。


辛い思い出もあったけど、

ぜ〜んぶ吹き飛んでしまいました。


だから、あの頃の風景は、

私だけの思い出として、

そっと胸にしまっておくことにします。


♡♡♡



最後に、長くなったついでに、

興味深いお話をひとつご披露しましょう。


私は2005年のその時まで、
全く知らなかったのですが、

級友たちから聞かされて、
腰が抜けるほどビックリしたことがあるのです。


あの時…、

私が山形6中の3年2組に転校したちょうど同じ時…、

3年6組に、北海道からやってきた、
もうひとりの転校生の少女がいたんだそうです。

つまりこの年の転校生は私とその子の二人だけ。


その子も私同様、
慣れない言葉や風習にとまどい、
孤独な環境の中で、
望郷からくる寂寥感を味わったんだそうです。

そして一年後、共にこの中学校を卒業。

そして私と同じように、
わずか2年で山形を後にし、
再び北海道に戻ったそうです。


その話を聞いた私は、
東京に戻って来るなり、
押し入れの中に放り込んであるはずの、
この学校の卒業アルバムを探してみました。

失礼ながら私には、
当時のその子の記憶は全くありませんが、

たしかにそこには、
今見てもすぐにそれとわかる子が写っていました。


この少女、

後にシンガー・ソングライターとして大成功。
今でもニュー・ミュージックの女王として、
絶大な人気を誇っています。


彼女が写っている集合写真の右ページには、


中島美雪と書いてありました。


……。



(おわり)




金沢、福島とハードな遠征から帰ってまいりました。


そして、

ようやく2日間の休みがとれ、

久しぶりにこんなものを書いていたら、

今回は大長編になってしまいました。


あいすみませぬ。

あはは…。。。



さて、今週は今年最後の「A'TRAIN」ライブがありますね。

12月27日(木)という変則開催です。

みなさん、お間違えになりませぬように。


さらに「A'TRAIN」のホーム・ページが出来たようです。

http://atrain-jazz.com

Facebookにも連動出来るようなので、

「いいね」や「コメント」で盛り上げて下さいね。



「A’TRAIN」宣伝普及担当委員長より



ん…?



SHUN MIYAZUMI

woodymiyazumi at 20:05コメント(17)トラックバック(0) 
2012 エッセイ 

December 12, 2012

やまがた


この週末は、山形に遠征してまいりました。


東京駅を出発する頃は、
小春日和のようなお天気でしたが、
福島を過ぎ、米沢あたりまで来ると…、

突然の銀世界。

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国境の長いトンネルを抜けると雪国だった。


ん…?

どこかで聞いたようなフレーズだぞ。

……。


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そして山形市を通過。

ここは私が中学3年、高校1年の2年間、
暮らしたことのあるところです。

なつかしいです。

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まあ、この辺りでは、

こんなことをして遊んでる余裕があったのですが、

次第に内陸の豪雪地帯に入っていくと…、

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うわあ、すっげえ雪。

恐いような吹雪で、
新庄から余目に向かう電車も大幅に遅延。

今宵の庄内「響ホール」のコンサートに、
無事にたどり着けるのか心配になってきました。

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平然と外の風景を撮影しているように見える、
この男の表情も、
さっきの写真とは大違いなのがわかりますね。

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この地方では、
これから長い長い冬が始まるわけですね。

雪国に暮らす人々の大変さを、
あらためて思い知ったわけです。

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ま、こんな難行軍の末、
なんとか無事に「響ホール」に到着しました。

今回で3回目となる「響ホール」ですが、
冬の開催は初めてです。

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でも、この吹雪の中、
お客さんは来てくれるのでしょうか…。

今度はそれが心配になってきました。


聞くところによると、
新潟からの日本海側ルートは、
強風のため電車が運行しておらず、

残念ながらトンボ帰りで、
新潟から帰京されたファンの方もいらしたとか…。

気の毒なことをしました…。


それでも開演近くになると、
楽しみに待っていてくださった地元のみなさんが、
わんさか押しかけてくださって、

いつものように大盛況のライブになりました。

ああ、良かった…。


お馴染み山形のジャミン・ファンにも、
たくさん会うことができたし、

6月に熱烈大歓迎してくれた、
鶴岡の女子高生もいっぱい来てくれたし、

「先日次男を出産したんですが、
 その子に『シモン』という名をつけました。」
という女性から嬉しい声をかけられたりで、


ここ山形にもしっかり足跡を残してきたんだなあ、

と確かな手応えを感じたコンサートになりました。

♪♪♪



終演後は、

いつものようにスタッフのみなさんが、
打ち上げをやって下さったのですが、

こんな大雪なのに、
みなさん平然と車で移動する様には、
本当にビックリしましたね。

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ま、なにはともあれ、お疲れさまでした。

みなさんありがとうございました。

♡♡♡



その翌日は、

同じく「響ホール」にて、
『HIBIKI ボイスアンサンブル コンテスト 2012』
が開催されました。

私もジャミンも審査員として参加したのですが、
鳥取、秋田、神奈川、埼玉、山形、鶴岡、
といった各地から20団体近くがエントリー。


いずれも質の高い、
素晴らしい歌声を聞かせていただきました。

みなさんに賞をあげたいくらいで、
審査員というのは荷が重いなあと感じましたね。

こんどは辞退させてください。

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そして雪に埋もれた「響ホール」を後にし、

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雪で凍った道をいつもの倍近くの1時間半もかけて、

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ようやく「新庄駅」に到着。

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こんな凍えるような寒さの中、
街頭に立って演説をしている、
衆議院選挙の立候補者の声が、
高らかにこだましておりました。

誰も聞いてないけど…。


北国の政治家のみなさんは、

こんなところまで大変なんだなあ…。

……。

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雪国か…。


冒頭にも書きましたが、
私も少年時代の2年間を、
雪深き山形市で過ごしたことがあるのです。

だから雪国の人の気持ちは、
よ〜くわかるのです。


次回はそんなことを回想してみようかな…。


これでも苦労したんですから。


ほんとに…。


……。



(つづく)




いやあ、すっかりご無沙汰してしまいました。


あわただしい毎日を送っているうちに、

気がついたら今年もあとわずかなんですね。


そして、今週末(12/15、16)は、いよいよ、

『ジャミン・ゼブ X'mas Fantasy 2012』
 (@日本橋三井ホール)

が開催されますね。


今年最後の東京でのビッグ・ライブです。

疾風怒濤の如く全国を駆け巡ってきた、
わがシマウマ軍団が、
どんな有終の美を飾ってくれるのでしょうか。


どうぞ、楽しみにしていて下さい。

おそらく終演後は、

みなさんの心がポカポカになっていることでしょう。


さらに、12/16(日)の最終日には、

メンバーのみならず、

この日のために、
スタッフ一同も新しくオーダー・メイドした、
ブラック・スーツで、
ご挨拶したいと思っております。

もちろん私も。

あの男も。

あいつも。



キャ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ッ!!!



ん…?


……。



SHUN MIYAZUMI

woodymiyazumi at 16:47コメント(12)トラックバック(0) 
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