November 2014

November 15, 2014

四日市 その4


1961年〜66年。

私が四日市で過ごした5年間。

まさに60’sの全盛期。


それは、私の中の「文化」が、
一挙に華開いた5年間でもありました。

ついでに、
私の中の「いたずら心」と「遊び心」も、
すくすくと育ってくれた5年間。

(ん…?)


そう、今にして思えば、
小学校4年〜6年の3年間は、
どうしようもない「悪ガキ」でしたね。

私。

あははは。


ただし、
「人を傷つけたり」「弱いものいじめをしたり」
そんなことは断じてしません。

どちらかというと、
「大人をからかう」
「天真爛漫にいたずらを楽しむ」

ま、そんなことに生き甲斐を感じてたようです。


これは、
私の住んでいたところの、
通りを挟んで真ん前にあった、
「橋本外科病院」の現在の写真。

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今や、道路も拡張され片側2車線となって、
ずいぶんとモダンな風景になりましたが、
昔はこんな感じでした。

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そして私は、

この病院に何度かつぎこまれたことか…。


取っ組み合いのケンカで傷だらけになると、
はい「橋本外科」。

登っちゃいけない木から落ちてケガをすると、
ほれ「橋本外科」に行って来なさい、と母。

かつて書いた、
「方向音痴は遺伝する」(2011)という記事で、
入っちゃいけない工事中の体育館の下に潜入して、
血だらけになって頭を7針も縫ってもらったのも、
この「橋本外科」でしたね。


いやあ、お世話になりましたね、橋本先生。

もうとっくにいないのでしょうが…。

で、その頃の、くそガキの私。

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ああ、やっぱり生意気そうな顔してますね。


学校でも立たされてばかりでした。

親がせっかく習い事に行かせても、
ことごとくクビです。


「この子は預かれませんから引き取って下さい。」

ソロバン塾、習字塾、オルガン教室、、、

ことごとく教師がどなり込んで来て、
母親にガミガミと文句を言ってるシーンを、
何度見たことか。

(母よ許せ)


学校から帰ると、宿題なんかそっちのけで、
横の空き地でキャッチボール。

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一人の時は、
父の会社のビルの壁にボールをぶつけて、
跳ね返って来た球でバッティング練習。

これも、父の会社の人たちから、
「壁に当たる音がうるさくて仕事の邪魔」
と、文句を言われてましたが、

そんなことはおかまいなし。


そんな懐かしい空き地も、
今はきれいな駐車場になってましたね。

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昔日の感慨ひとしおです。

……。



さて、「いたずら坊主」の話に戻って,

小学校4、5年の2年間は、
ダイちゃんと亀井くん(カメ)という子と、
おもにつるんで悪さをしてましたが、

ダイちゃんはどちらかというと見張り役でしたね。

実行犯は主に私。


で、5年生の終わりには、
「今年1番悪かった子は誰でしょう」
などという、ふざけた教師のアンケートに、
クラス中の男女が一斉に手をあげて、

「宮住く〜ん!」


そう、栄えある「ベストわんぱく賞」を、

受賞したのです!

(なに胸張ってる)


しかし、考えてもみて下さい。

私が強面(こわもて)の番長かなんかだったら、
報復を恐れて、
誰も手なんか挙げないんじゃないでしょうか。


「つまりこれも人気者の証しだな。」

と、どうしようもない、くそガキの私は、
ニヤニヤ笑いながら喜んで受け入れましたね。

(サイテーだ…)

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(2階の私の部屋から見た景色)

なつかしい…。

……。



さて、こんなこともありました。

放課後、グラウンドで、
平らな石を探して、
遠くまで飛ばす遊びをしていたところ、

飛び過ぎて、
職員室の窓ガラスをガチャーン!


すぐさま顔を真っ赤にした男の先生が出て来て、
「こら〜、誰がやったんだ、こっちへ来い!!!」

私は仕方なくその教師のもとへ。


「またお前か、どうする気だ!」

私はすぐさま、

「弁償します。」

と答える。


するとその教師は、輪をかけて怒りまくり、

「バカヤロー! それが答えか!
 お前に弁償できるわけないだろ。
 親がするんだろうが!!」


「じゃ、どう言えばいいんですか?」

と私。


すると、その先生、

「子供はな、、、
 『もうしません』て言うんだ!!!」


な〜るほど。

そういう答えがありましたね。


人生何ごとも勉強です。

ええ。

(やっぱりサイテーだ…)



さらに、6年生になると、
医者の息子のタモツが転校してきました。

そして、このタモツは、
私に輪をかけての悪ガキ。


すっかり意気投合した私とタモツは、

さらに「いたずら」を加速していきます。


当時「イタズラの天才」という本がありました。

とあるイギリス人の書いた本なのですが、
私たちはすっかりこの本に魅せられ、
考えられる限りのイタズラで、
大人をからかっていました。

「自動車のタイヤの空気を抜いたり」

「教室の時計を操作して、
 始業時間を遅らせたり」

あはははは。


そんなタモツも、
今やこんな大病院の院長先生。

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見張り役のダイちゃんは、
いずれも現役で東工大に二人、
東大に一人合格という、
まあ、なんとも出来過ぎた3人の男の子の父です。


でもね、私、

この頃に養われた「いたずら心」「遊び心」は、
その後の私の音楽に立派に生きている、

と、かたくなに信じております。


「遊び心」のない音楽なんてつまらない。

それが私の持論です。


次回はそんなお話も交えて、

華やかな60'sを回想してみたいと思います。



最後に、そんな私たちの修学旅行の写真。

もう、どれが誰だか、おわかりですね。

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ちなみに、
このシリーズの冒頭にもご紹介した、
これが現在の3人。

なんら関係のない、あのご仁を除いて…。

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えっ?

私だけがどれだか分からない?

ですって??


ううむ…。


そうかも…。


……。。。



(つづく)



まずは、
前回の記事へのたくさんのコメント、
ありがとうございました。

同じく元四日市市民の方からも…。

なんだか嬉しいですね。


そして、こうして昔の写真を見ていると、
幼い頃の、いろんなエピソードが、
昨日のことのように思い出されます。

父がカメラ好きでしたから、
昔の写真はいっぱい残っているんですね。


そのうち、
写真を撮るのも、撮られるのも、
億劫になってしまったので、

社会人になってからの写真の方が、
圧倒的に少ない私…。

今となっては、
ちょっぴり後悔かな…。

……。



さて、来週は、

待ちに待った「西日本ツアー」です。


福岡、広島ではコンサート経験がありますが、

熊本、大分、松山では初のジャミン・ライブ。


「遊び心」満載で、

大いに楽しみたい、

楽しんでもらいたい、

そう思っております。


ぶるるるる…。


(武者震い)


……。



SHUN MIYAZUMI

woodymiyazumi at 12:04コメント(10)トラックバック(0) 
2014 エッセイ 

November 08, 2014

四日市 その3


1961年(昭和36年)の春。

私は両親に連れられて、

四日市にやって来ました。


小学校4年になろうかという時です。


その前の父の赴任地は徳島でした。

小学校1年の秋から3年までの、
2年半過ごした徳島で、
大人に混じって「阿波踊り」に興ずる、
幼い私の姿は、

「阿波踊りはジャズだ〜2005年エッセイその2〜」
という記事でご覧になれますので、
興味のある方はぜひ。

ちょっと恥ずかしくもありますが…。

あはは。


その徳島から、
船や電車を乗り継いで、
はるばるたどり着いた四日市。

ここで私は、
5年という長い月日を過ごすわけですが、

それは、私の中の「文化」が、
一気に華開く5年間でもあったわけです。

……。


名古屋から乗り込んだ、
快適な2階建て車両の近鉄特急に、
まずは大興奮。

「うわぁ、2階建ての電車だ…。」

今も残るその車両は、
すぐさま当時にタイム・スリップです。

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かつて東海道53次の宿場町でもあった四日市。

ここに降り立った瞬間から、
なんかモダンで明るく、開放的で、
私にピッタリの町のような感じがしてましたね。

そして、その感は見事に当たっておりました。


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突き当たりが近鉄四日市駅ビル。


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このあたりに洋画、邦画の映画館が二つあって、
それこそ毎週のように通ったものです。

そして、その向こう側を、
賑やかな商店街が縦に延々と続きます。

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レコード屋、本屋、素敵なレストラン。

それこそ「私の文化」を育(はぐく)んだ、
懐かしい繁華街は、
ほぼこの周辺に密集しておりました。


そんな、

近鉄四日市駅と国鉄(JR)四日市駅を結ぶ、
広い道路の中間点あたりが、
私の住んでいたところ。

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ちょっとアルバムの台紙が見えてますね。

ううむ、撮影やや失敗か…。

(失礼しました)

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あら、家の前は、
まだ舗装もされておりませんね。

そして対角線の向こうに見える、
あの3階建てのビル…。

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おお、あのビルもまだあったんですね!

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父の会社と、このビルだけが、
昔のままの姿で存在しておりました。

なんか感動です…。

……。



さて、当時の四日市といえば、

公害でも有名な工業都市。


湾岸に無数に並ぶ工場の煙突から出る白い煙。

そして時おり町全体を襲う、
アンモニアのような不快な臭い。

「四日市喘息(ぜんそく)」
なる言葉が流行ったのも、
この頃でした。


しかし、活気がありましたね。

ちょうど高度経済成長真っただ中にあって、
街中に活気があふれていました。

だから、成長真っただ中の私も、
そんな臭いなんか、
へっちゃらのちゃ〜らちゃら。


「世の中が見え始めた」
多感な小学生後半の私には、

なにもかもが新鮮で面白く、
毎日が楽しくて楽しくて仕方ない、

そんな日々でしたね。

そして、そんな時代でした。


さて、

毎朝家を出て右にまっすぐ、、、

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そして、この川を渡り、
くねくねと5分くらい歩いたところが、
私の通っていた小学校。

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あ〜あ、こんなにモダンになっちゃって…。


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私らの頃は、こんなんでした。

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しかも、これは、
私が6年生のときに竣工した新校舎と体育館。

私が転校した頃は、
まだ古い木造の2階建て。


これは卒業写真。

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この写真の男子最後列の左端が私です。

そして、最後列右端が、
前々回紹介したタモツで、
前から2列目右から2番目がダイちゃん。

面影ありますか。

あはは。


さあ、この仲良し3人組を中心に、

私の華やかな「四日市ライフ」が始まりました。


どんな子供だったんでしょうね、私…。


ま、ひと言で言えば、

「やんちゃ坊主」。


言葉を変えれば、

「悪ガキ」。

あははは。


それも相当の…。


あはははは。


ん…。。



(つづく)




読売新聞の朝刊では、

一日おきにジャミンのライブ広告が、
派手に掲載されているようですね。

嬉しいかぎりです。


ここに、
キョードー横浜さんも加わって、
こちらも活気のある年末になりそうですね。

わっしょい、わっしょい!


そして、来週からは待望の西日本ツアー。

おそらく、ジャミンの歴史上、
もっともハードな遠征になろうかと思いますが、
がんばって乗り切りたいと思います。

わっしょい、わっしょい!!


まずはそのために栄養補給ですね。

おいしいお酒に肴。

そう、秋は酒の肴が最高ですからね。


わっしょい、わっしょい、わっしょい!!!


(おい)


ん…?



SHUN MIYAZUMI

woodymiyazumi at 17:47コメント(8)トラックバック(0) 
2014 エッセイ