February 2015
February 22, 2015
四日市 その6
ジャミン・ゼブの新しいCD、
昨年の5月、
『STB 139』でのラスト・ライブを収録した、
アルバムが完成しました。
イエ〜〜イ!
短期集中。。。
渾身の力を振りしぼって仕上げたため、
正直疲れました…。
首も肩もボリボリ…。
年ですかねえ〜。
でも、出来栄えには満足です。
ま、内容に関しては、
追って詳しく解説したいと思いますが、
まずは締め切りに間に合って、
ホッ…。
というわけで今日も、
「四日市」シリーズのつづきです。
この街には、まだまだ、
書きたいことがたくさんありますから。
ええ。
……。
私にとって「四日市」の思い出というのは、
すなわち、
60年代の思い出ということになりますね。
60年代。
60’s。
なんとも素晴らしい響きですね。
戦後の混乱から立ち直り、
国民の生活水準も、文化レベルも、
一気に華開いていった時代。
そんな時代に、
多感な思春期を迎えたわけですから、
面白くないわけがない。
幸せな時代に生まれました。。。
まずは、
テレビ番組が格段に面白くなりましたね。
我が家にテレビがやって来たのは、
小学校2年生のとき。
とはいっても、
まだ小さな白黒テレビですがね。
徳島にいた頃です。
でも、この四日市時代(1961年〜)には、
日本国中、テレビが、急速に、
娯楽の中心になっていきました。
NHKの「大河ドラマ」が始まったのも、
この頃でした。
「花の生涯」「赤穂浪士」「太閤記」…。
おかげで歴史が大好きになって、
学校の社会の授業もルンルン。。。
日曜の夜のお楽しみ、
「てなもんや三度笠」「シャボン玉ホリデー」
と続くこのシリーズは、
なんと70%という視聴率だったそうです。
伊東ゆかりさん、ハナ肇とクレージー・キャッツ、
といった渡辺プロダクションのタレントが、
大活躍のバラエティーや歌番組も楽し〜〜い。
「コンバット」「ベン・ケーシー」といった、
アメリカのドラマも全部見てました。
「チロリン村とくるみの木」
「ひょっこりひょうたん島」
こんな人形劇も楽しかったなあ…。
さらには、
大鵬、柏戸が大活躍の大相撲。
長嶋、王のプロ野球。
サッカーこそ、
今ほどの騒ぎではありませんでしたが、
スポーツ番組も楽しみで、楽しみで…。
振り返ってみると、
家ではテレビばかり観てましたねえ。
家で勉強したという記憶は、
まずありませんね。
小学生時代は…。
もちろん、
誰も学習塾なんて行ってませんでした。
当時の子供は、
それが当たりまえでしたね。
放課後は遊べ、遊べ。
夜はテレビ、テレビ。
それでも、
テレビからいろんな物を吸収し、
知らず知らず社会勉強を積み重ねていった、
と言っては大げさですかね。
大好きだったクレージー・キャッツ、
植木等さんの歌った曲の数々、
「わかっちゃいるけどやめられねえ♪」
(スーダラ節)
「ガキの頃から調子良く、
楽して儲けるスタイル♪」
(無責任一代男)
「そのうち何とかなるだろう〜♪」
(黙って俺について来い)
「どうせこの世はホンダラッタホイホイ♪」
(ホンダラ行進曲)
などの名(迷)フレーズは、
今でも私のバイブルです。
人生の哲学です。
(ん…?)
それに反して、
今の子供は可哀想だなあと思いますねえ。
学校が終わったらすぐに塾、塾、塾、
勉強、勉強、勉強…。
私らの時代は、
ドロンコになって遊んだり、
鬼ごっこをしたり、
野球やドッジボールを楽しんだり、
家ではテレビ三昧の毎日。
そして海の向こうからは、
『ビートルズ』という、
もの凄い人気のバンドが登場というニュース。
ああ、もう、
書いても書いても書ききれない、
文化の撩乱…。
そんな、
高度経済成長真っただ中の活気溢れる日本、
そして、開放的な四日市の街では、
「悪ガキ」でも充分に人気者になれる。
テレビと、この時代と、この街のおかげで、
私は今日の自分を、
うまい具合に形成出来たのではないか、
そう思っております。
調子よく。
ラッキーでしたかね。
……。
さて当時、私を育(はぐく)んだ、
もう一つの趣味が、これでした。

そう切手収集。
かつて「私のコレクション」(2009)
というお話でもふれましたが、
当時この「切手収集」は、
大変なブームになりました。

私たち小学生も、
少ないお小遣いを工面して、
美しい記念切手を、
1枚、また1枚と購入しては、
楽しんでいたのです。

「関門海峡開通記念」
「北陸トンネル開通記念」
「マナスル登頂」
一つ一つの新しい出来事が、
美しい記念切手になっていく。
これもまた、平和と文化の象徴、
国が日々豊かになっていく、
そんな60’sの産物だったのでは、
ないでしょうか。

1964年「東京オリンピック」が、
間近になって来た証しもありますね。

そしてピア〜ノ。
悪ガキゆえ、
ソロバンも、習字も、
習い事はすべてクビになりましたが、
このピア〜ノだけは、
なんとなく続けておりました。

そのおかげでか…、
中学に上がってからは、
強烈に音楽にめざめていきました。
ついには、
音楽家を志すまでになってしまいました。
はたしてそれは、
良かったのでしょうか…。
ううむ…。
……。。。
(つづく)
2月って短すぎませんか〜。
もう最終週ですかぁ〜…。
ということは、
いろいろ支払いの時期では、
ありませんか〜。
ひえ〜〜〜〜〜〜ッ。
でもまあ、今月もなんとか乗り切って、
2/27(金)には、
楽しく「A'TRAIN」ライブといきますか。
春も、もうすぐ。
(ハックショ〜〜〜〜ん)
おっと、その季節でもあったか…。
ううむ…。
微妙…。
SHUN MIYAZUMI
February 07, 2015
四日市 その5
みなさん、
寒中お見舞い申し上げます。
外も寒いですが、
年が明けてからというもの、
毎日嫌なニュースばかりで、
心までも冷えきってしまいますね。
やれやれ…。
……。
でもまあ、元気を出して、
音楽の力を信じて、
前向きに行こうではありませんか。
(そうだ、そうだ)
というわけで今日は、
私が多感な少年時代の5年間を過ごした、
「四日市」という街、、、
昨年の秋以来中断していた、
その頃のお話を、再開したいと思います。
そして今回は、
その5年間を、
この悪ガキとともに歩んだ、
あるパートナーのお話です。
1961年(昭和36年)の春。
私たちが四日市に引っ越したとき、
父は、前任の支店長さんから、
一匹の犬をもらい受けました。
その方は、
滋賀県の大津支店に赴任したのですが、
そちらでは犬を飼うスペースがないため、
そのまま、その犬を飼って欲しいと、
頼まれたそうです。
その名を「権太郎(ゴン太郎)」と言います。
愛称「ゴンちゃん」。
これは、父が、そのゴンちゃんを、
散歩させているときの写真です。

左の通路の奥に犬小屋が見えますね。
あそこが彼のお家でした。

次の写真は最近のものですが、
この通路には金網の柵がありますね。
でも当時は、
下が数十センチほど空いていたのです。
ゴン太郎くらいの大きさだと、
鎖につながれたままでも、
ゆうに隣の空き地(今は駐車場)と、
行ったり来たり出来たのです。

さて、小学校4年生の私は、
このゴンちゃんを、
とても可愛がりました。
もともと犬好きでしたからね。
彼もしだいに私たちに慣れて、
見る見るうちに、
我が家になくてはならない、
存在になっていきました。
ところが、ある朝のこと…。
私がゴン太郎に、
朝の挨拶をしに行ったところ…、
……、、、
なんと、ゴン太郎は、
空き地で、
血まみれになって、
死んでおりました。
もっと強い大きな野犬に、
噛み殺されたようです。
鎖につながれたままだったので、
逃げるに逃げられなかったのでしょう。
金網下のスペースが、
仇(あだ)となったわけです。

私は嘆き悲しみました。
1週間くらい、
泣いても泣いても涙が止まらない。
そんな毎日が続きました。
そんな私を不憫に思ったのでしょうか…。
「どうしようもない悪ガキだけど、
案外可愛いところもあるんだな。」
と、思ってくれたのでしょうか。
ある日父が、
「俊介、新しい犬を飼おう。」
と、ペット・ショップに、
連れて行ってくれたのです。
そして、買って来たのが、
この犬。
名前も、そのまま、
「権太郎」と名付けました。
そう「ゴン太郎 II世」です。
そして今度は、
空き地に出入り出来ないように、
金網の下のスペースを、
コンクリで埋めてくれたのです。
怖い親父でしたが、
案外可愛いところもあったんですね。
あははは。

実は…、
私と父がペット・ショップに行ったとき、
大きな柵で囲まれた中には、
何匹もの小犬がいたのですが、
ほとんどの犬は私たちに無関心でした。
しかし、この犬だけが、
すごい勢いで私のところにやって来て、
しきりに私に「抱け、抱け」と迫るのです。
その目は、
「僕を飼え、僕を飼ってくれ。」
と、訴えているように見えたのです。
父は、他の犬に興味があったようですが、
私は即座に、この犬に決めてしまいました。
「僕、絶対この子がいい!!!」
どうですか。
愛くるしい表情の中にも、
「絶対にチャンスを逃がさない。
幸せは自分の力でつかみ取る。」
そんなしたたかさが、
見えてくるようではありませんか。

以来私たちは、大の仲良し。

そして、
開放的な四日市の街で、
スクスクと育っていった私とともに、
このゴン太郎も、
スクスクと育っていきました。

高度経済成長真ただ中、
60'sという、
私の中の文化が一気に華開いた、
素晴らしい時代。
「世の中が面白くて仕方ない。」
そんな、自由奔放な毎日を送る私に、
歩調を合わせるように、
この犬もまた、
自由奔放に毎日を楽しんでおりました。

人間の食べるものは何でも食べる。
「たくわん」も「焼きいも」も大好き。
おそらく、
「自分は人間である。
それも、相当にラッキーな人間である。」
そう、思っていたに違いありません。
まるで「大人を大人と思わない。」
生意気盛りの、悪ガキの、
自分を投影してるかのようで、
私は、このゴン太郎が、
本当に大好きでした。
夜は放し飼いにしてあげたので、
ボールをくわえては、
この通路を元気いっぱいに走り回る。
そんなゴン太郎の絶頂期もまた、
この四日市だったのでしょうね。
人なつっこい顔をしながらも、
どこか人間をからかってるような表情。
なんとも得意げですよねえ。
ん、待てよ…?
これって、誰かに似てませんかねえ…??

そうだ!
こいつだ!!
ゴン太郎が少年時代のパートナーなら、
このご仁は、ここ20数年の私のパートナー。

やっぱり、
「類は友を呼ぶ」
のかな…。
……。
(つづく)
どうでしょう。
少しは癒されて頂けましたでしょうか。(笑)
殺伐としたニュースが多い、
今日この頃、
私もゴン太郎を思い出しているうちに、
元気になりました。
さあ、やるぞ〜!
いい音楽作るぞ〜!
エイ、エイ、オ〜〜〜〜〜!!!
(……。。。)
SHUN MIYAZUMI