October 2020
October 17, 2020
筒美京平さんのお話 その2
筒美京平さんの訃報を聞いてから、
5日めになります。
そして、私の中では、
日を追うごとに悲しみが広がっています。
今、私の手元には、
こんな8枚組のCDがあります。
『HISTORY
Kyohei Tsutsumi 1967〜1997』
私が筒美京平さんから、
直々にいただいたものです。
今となっては、
大切な宝物ですね。
サイン貰っとけば良かった…。
彼が活躍した頃は、
アナログの時代。
いわゆる「ドーナツ盤」と言われた、
シングル盤が全盛の頃でした。
しかし、今はCD、デジタルの時代。
そこで、
彼の偉大さをもっともっと知ってもらおうと、
各レコード会社が協力し合って、
彼が残した膨大なヒット曲を8枚のCDにまとめ、
新しくマスタリングをほどこし、
(つまり発表当時よりも音質を良くし)
後世に伝えようと企画されたものです。

今も各テレビ局は、
彼の追悼特集を組み、
彼の残した作品を紹介し続けています。
一緒に仕事をされた方や、
音楽業界の人ならば、
とっくに分かっていたものの、
こうして改めて紹介されることによって、
世間一般にもその凄さが分かって頂けたかなと思うと、
これはこれで嬉しくなってしまいます。
「え〜? これもそうだったの?」
「これも筒美さんの曲?」
「うわあ、あれも、これも、それも、そうなの?」
「凄すぎますね〜」
今週は、行く先々で、
会う人、会う人、
みな同じような反応をされておりました。
今更ながら、本当にそうですね。
「ブルーライト・ヨコハマ」に始まる
これら膨大なヒット曲の数々は、
もうこれだけで立派な「昭和歌謡史」とも言えます。

全盛期には、
月に40曲もの作曲をし、
しかもアレンジも全部手掛けていたんだそうですから、
すごい働き者ですね。
そして、どっちゃり稼いで、
立派に二人の息子さんを育てられた。
すごいお父さんです。
1970年代の中頃、
萩田光雄さんが登場してからは、
アレンジこそ信頼できる萩田さんに任せたものの、
「ヒットを作るんだ」と作曲に向かうあくなき執念は、
おそらく病に倒れるまで、
ずっと持ち続けてらっしゃったのではないかと思います。
おそらく、世界を見渡しても、
こんなに働いた音楽家は、
そうはいないのではないでしょうか。
ジョージ・ガーシュイン、
コール・ポーター、
クインシー・ジョーンズ、
ううむ……。
彼をそこまで突き上げた原動力とは、
何だったんでしょうね?
そんなことを考えながら、
先日改めて、
これらの楽曲を次から次へと聞くうちに、
涙が溢れて止まらなくなってしまいました。
(先生、頑張りましたね。
いや、頑張りすぎですよ〜。)
……。
2002年に「筒美京平さんのお話」というのを書いて、
このブログには2006年の7月に掲載しましたが、
http://blog.livedoor.jp/woodymiyazumi/archives/50410196.html
そこにも書いた通り、
先生には、本当に可愛がってもらいました。
今でも「なぜなんだろう?」
と不思議に思うことがよくあります。
「なぜ私が?」
…。
歌謡曲とは一線を画していた私とは、
音楽のジャンルも違うし、
一緒にお仕事なんかほとんどしなかったのに、
なぜかしょっちゅう呼び出されていましたね。
「宮住君、今日◯◯軒のローストビーフ食べに行かない?」
「今日は◯◯でお寿司食べようか?」
「◯◯の中華はどう?」
「あそこのステーキ美味しんだよ。」
そして会話の内容は、ほとんど音楽談義です。
学生時代、
ジャズ・サークルでピアノを弾いてたあたりは、
私とおんなじ経歴だから、
親近感があったのでしょうか。
私がいたアルファの制作方針などの話や、
いろんな洋楽曲の解釈などが、
面白かったのでしょうか。
私がフリーになって、
ソニー・レコードとプロデュース契約を交わし、
宮沢りえさんやTOKIOの仕事をするようになると、
それこそ親身になって、
芸能界のいろんなことを教えていただきました。
「あの事務所はこうやると上手くいくよ。」
「ああいった歌手は、こういう点に気をつけて。」
このセーターも先生から頂いたものです。
「GIORGIO ARMANI」
もう、もったいなくて着れないな…。

訃報を知った10/12(月)の夕方には、
テレビ朝日から電話があって、
「羽鳥慎一モーニングショー」に、
お恥ずかしながら、コメント出演してまいりました。
これも、私の書いたブログを見ての、
出演依頼だったようです。
ネット時代。
すごいですね。

先生との思い出話は山ほどあるのですが、
最後にひとつだけ。
「また逢う日まで」「ブルーライト・ヨコハマ」
「木綿のハンカチーフ」「魅せられて」
といったメガヒットに隠れながらも、
私が愛してやまない、
3つの筒美作品をご紹介したいと思います。
「粋なうわさ」(ヒデとロザンナ)
「雨だれ」(太田裕美)
「あなたを・もっと・知りたくて」(薬師丸ひろ子)
こうした、
コケティッシュな小歌にこそ、
筒美京平の真髄がより発揮されてると思うのは、
私だけでしょうか。
甘酸っぱくて、可愛くて、
そしてほんのちょっぴり、
オシャレ。。。
この3曲は、
筒美京平でなくては書けませんね。
そう言えば、
この薬師丸ひろ子さんの曲が発表された直後、
ニコニコしながらこう話されてましたよ。
「宮住君、あれ聴いてくれた?
よく出来てるでしょ。
うふふふ。」
謙虚な先生にしては珍しく、
「ほめて」と、ドヤ顔をされていました。(笑)
本当にお疲れ様でした。
ゆっくりお休み下さい。
そして、私がそちらへ行っても、
また誘って下さいね。
まだ、ずっと先でしょうが…。
合掌。。。
SHUN MIYAZUMI
と、そうこうするうちに、
今日10月17日は、
ジャミン・ゼブ13回目の誕生日!
さあ、そろそろ気持ちを切り換えて、
来週はいよいよ西日本ツアーです。
GO! GO! GO!
(わくわく…)
SHUN MIYAZUMI
October 11, 2020
復活
ジャミン・ゼブ9ヶ月ぶりのコンサート、
ようやく開催することが出来ました!
2020年10月10日は、
きっと忘れることの出来ない1日になるでしょうね。

まずは、
横浜「関内ホール」にお越しいただいた皆さま、
ありがとうございました。
そして、
「これ以上は出来ない」くらいの、
万全の安全対策でご協力いただいた、
キュードー横浜、ホール関係の皆さまにも、
厚く御礼申し上げます。
ジャミン・ゼブのライブ、
ようやく『復活』です!

やれやれです。

思えばこの9ヶ月。
新型コロナの影響で、
流したコンサートやイベントは数知れず…。
本当に悔しい思いをしてきました。
それでも、
いろんな方のご尽力により、
ようやく開催できることになったところへ、
今度は直前になって思わぬ難敵が出現したのです!
そう、台風!!!
木曜日の夜の天気予報では、
こんな感じになっていました。

なんと、関東直撃ではありませんか!
ううむ…。
「今回もダメなのか!?」
……。
今回、私たちは再スタートにあたり、
このライブを、
「初心に帰ろう」「2回目のデビュー」
と位置付けておりました。
初期のアルバム、
「SMILE」や「DREAM」の中から、
たくさんの曲を復活させたのも、
そうしたことからです。
と、そこへ、台風の襲来。
やれやれ、
こんなものも『復活』なのか!?
……。
そうなんです。
思い出しました!
デビューの頃も、
大きなコンサートやイベントが近づくと、
決まって台風が接近していたのです。
ファンの間では、
「嵐を呼ぶ男たち」という、
あまりありがたくない異名もいただいていました。(笑)
しかし、当日になってみると、
なぜか台風は回避、進路を変えてくれ、
毎回無事に開催出来ていたのです。
(実際、昨年秋の東京FMホールまでは、
12年間奇跡的に難を逃れて来ました。)
今回も、
もしかして…、
と、翌日の天気予想を恐る恐る見てみると…、、、

はい、台風は大きく南下し、
無事に何事もなく開催することが出来ました!
またしても奇跡が起きたのでした!!!

ということで、
ライブも復活!
台風の進路を変えるジンクスも復活!(笑)
ま、毎回、こううまくいくとは限りませんが、
今回に関しては本当に助かりました。
皆さんの祈りも通じたのでしょうね。

というわけで、
コンサートは本当に素晴らしかったです。
いろんな諸事情で、
まだまだ会場に足を運べない方も沢山いらっしゃり、
かつての賑わいまでには、
かなりの時間がかかることでしょうが、
まずは最初の一歩を踏み出すことが出来ました。
お次は10/22〜31の西日本ツアーですね。
大分、熊本、岡山、福岡、広島、大阪、岡崎。。。
素敵なツアーになりますように。
皆さん、待ってて下さいね。
(台風来るなよ!!!)
そして、首都圏でのお次は、こんなコンサート。

徐々に復活の狼煙(のろし)。
あとはコロナのみなさん、
早く消えて下さい。
祈。
……。
SHUN MIYAZUMI