September 24, 2006

ジム・インガーとロックンロール  その2

2003年1月8日(水) No.32
ジム・インガーとロックンロール その2

Jim & Miyazumi

わが友、ジム・インガー

とにかくこの男と私、

国境を越えて、
ここまでウマがあうヤツも珍しい。


彼からみれば私は、
他の日本人とは違う‘極めてアメリカ人的’な、
自由奔放なやつに見えてるようです。

自分の仲間のミュージシャンに紹介するときも、
「彼はアメリカ人とおんなじ、
 普通の日本人とは違うから安心しろ。」
というような紹介の仕方をする。

すると彼(彼女)らも、
「ハ〜イ、シュン!」
とたちまちフレンドリーにふるまってくれる。

もっともそういう時はいつも、
「日本人って、なんか嫌われてるのかなあ」
と複雑な気持ちにはなりますけど…。


ところで、
私がロスに滞在するときは、
まずこの男に連絡をします。

理由は、

ただ面白いから。


例の伊東ゆかりさんのプロジェクトでは、
2年続けて、
リッチな『リッツ・カールトン・ホテル』
に泊まったのですが、

毎晩毎晩うれしそうにやって来ては、
今流行りのところへ連れて行ってくれたり、
帰りは送ってくれたついでに、
私の部屋のミニ・バーの酒を全部飲んで、
平気で運転して帰る。

毎回チェック・アウトの酒代をみて、
腰をぬかしそうになりますが…。


帰国の前日、
荷造りをしてるときにもやってきて、
バスローブだのドライヤーだの
詰め込もうとするので、
さすがにそれは、かたくなに拒否しましたが、

それもそのはずで、

彼がマイケル・ボルトン
という歌手と一緒に来日した時は、
毎日ツインの一人使用をいいことに、
使わない浴衣(ゆかた)をせっせとためこみ、
みんなのお土産にしたそうです。

こういうデタラメさも、
ミュージシャンならではですね。

ただし、
良い子の皆さんは絶対マネをしないように。


その来日のときの話。

日本をよく知らない他のメンバーは、
言葉が通じないことに怯えて、
毎日ホテルの、
何の変哲もない、
しかも高いだけの朝食を食べて、
絶対おもてには出なかったそうです。

しかしこの男には私が
『立ち食いそば』
なるものを教えてあったので、
ひとりで赤坂の街をぶらぶら、

たった1ドル(当時のレート)で、
うまい‘そば’や‘うどん’や‘カレーライス’を
毎日堪能してたらしい。

あとから、
「お前のおかげだ」と盛んに感謝されました。

彼も日本の食い物は、
大絶賛でしたね。


私がアメリカ的なら、
やつは日本的。

ま、生まれてきた国は違えど、
根本的には似た者同士ってやつでしょうか。


そんなジムも、

さすがに『カラオケ』の普及には
むかついてましたねえ。
ライブの仕事も随分侵食されてきてたようです。

さらに今は打ち込みやシンセサイザー全盛の時代。
スタジオの仕事も減ってる、
とボヤいてました。

ああいった、伝統的な、
いかにもアメリカ的な素晴らしいミュージシャンが
その仕事場を追われていく。

なんかさみしい気もします。


「もし俺がロスからいなくなってたら…」といって、
故郷ニューヨーク州バッファローの電話番号も、
一応聞いてはありますが、

元気でミュージシャンをやっていて欲しいものです。


ということで、
再び彼と仕事できる日を夢見て、

私も頑張らねば…。


それまで生きてろよ、

ジム・インガー。


(おわり)


(感想 2006/9/24)

1984年
「ロサンゼルス・オリンピック」


開会式のクライマックスで、
100人のピアニストが同時に、
ガーシュインの『ラプソディー・イン・ブルー』を弾く、
という素晴らしいシーンがあったのですが、

覚えておられる方も、
多いと思います。


実はあの中に、
このジム・インガーもいたのです。


なんでも、
ロサンゼルス中の、
プロのピアニストというピアニストが、
総動員されたらしい。


私はその時ニューヨークにいたのですが、
事前に彼からそのことを聞いていたので、
スタジオのテレビを食い入るように見ながら、
彼を探しました。

「おそらく、これだな。」
と思える人物を、
階段の中央付近に見つけましたが、

白いタキシードを着て、
真面目くさって弾いてる様が、
なんとも似合わなくて、
可笑しかった。


でも、
ああいう立派な物もちゃんと弾けるんだなあ、
と、妙に感心したことを、

今でもはっきり覚えています。


SHUN MIYAZUMI

woodymiyazumi at 11:00コメント(2)トラックバック(0) 
〜2005 エッセイ 1  

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コメント一覧

1. Posted by さいとー   September 24, 2006 23:29
>「彼はアメリカ人とおんなじ、
 普通の日本人とは違うから安心しろ。」

言い得て妙。
ふんふんと頷いてしまった。
2. Posted by SHUN MIYAZUMI   September 25, 2006 12:37
当時は「エコノミック・アニマル」とかいって、
日本の商社とか嫌われてた時代だったからねえ。
食文化だけはちゃっかり取り入れるくせに。(笑)

私は転校生だったから、
その土地の風習やら人間関係やら食事やらに、
すぐにとけ込んでしまう体質があります。
しかも楽天家だし。

この適当な‘おバカ’かげんが、
アメリカのミュージシャンに受けるのかも。
ハハハ。

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