September 07, 2007

タモリ3「戦後日本歌謡史」その2


9 / 5(水)& 6(木)の「代々木ナル」
『 jammin'Zeb 2days 』
にお越しのみなさん、

ありがとうございました。


両日とも満員の大盛況。

特にきのう(6日)は、
台風直撃のなか、
ほとんどキャンセルもなく、
最後まですごい盛り上がり。

みなさん、
無事に帰宅されましたでしょうか…。

でも本当に、

ありがたいことです。

グシュン;。


そのジャミンの情報は、
このブログでも
随時インフォメーションしていきますので、

ときどきチェックして下さいませ。



さて、きょうも、

タモリの話。



タモリ3 「戦後日本歌謡史」 その2


現在市販されている音楽専門誌
「レコード・コレクターズ 9月号」に、

『アルファ最大の問題作とは?』
といった形で紹介されている、

このアルバム。


いったい、
いかなる物だったのでしょうか…。


1978年頃。

私がまだ、
アルファにいたときの話です。


タモリを我々に紹介し、
今や‘お笑いの世界’では、
重鎮のプロデューサー、
高平哲郎さんから、

一本の電話がありました。


「宮住、面白い企画があるんだけど、
 乗らない?」


なんでも、

戦後最初のヒット曲「リンゴの唄」に始まり、
78年当時の最大の人気歌手、
山口百恵までの歌謡曲のヒット30数曲を、
全部‘パロディー’にしてタモリに歌わせ、

その曲間を、
大橋巨泉やら、竹村健一やら、
東北から集団就職でやって来た名もない一青年、
などに扮したタモリが、

もっともらしく、
そのヒット当時の世相を語る、

という壮大な構想。


お調子者の私は、
一発で乗った。

新しくて面白いものが大好きな社長、
村井邦彦さんも、

乗った。


かくして、
私と高平さんは、
すぐさま選曲に入る。

詞は高平さんが担当。

「リンゴの唄」→「サンゴの唄」
「野球小僧」→「お灸小僧」
「憧れのハワイ航路」→「たそがれのオワイ航路」
「東京ナイトクラブ」→「東京ホストクラブ」


「夕焼けトンビ」(三橋美智也)なんて、
こうでした。

「夕焼けトンビ」

夕焼けぞらが真っ赤っかあ〜
トンビがくるりと輪をかいた
ホ〜イのホイ
そこか〜らこっちが
見える〜かあ〜〜い♪

     ↓

「ぐらぐらコンブ」

ぐらぐら釜が真っ赤っかあ〜
コンブがくるりと輪をかいた
ホ〜イのホイ
底か〜らこっちが
見える〜かあ〜〜い♪


次々と出来上がっていく、
こうしたバカバカしい詞に、

今度は、
今は亡き鈴木宏昌(コルゲン)さんと一緒に、

原曲がにおいながらも、
ちょっと、なんか、違うぞ、

といったメロディーを付けていく。


そして今度はスタジオで、
原曲とそっくりなアレンジを、
スタジオ・ミュージシャンに
演奏してもらい、

タモリには、

灰田勝彦やら、岡晴夫やら、三橋美智也やら、
フランク永井やら、松尾和子などなどの、
オリジナル歌手になりきってもらって、

唄入れをする。


こうして私は、
数曲が出来上がった時点で、
社長の村井さんに聴いてもらいました。


いやあ、もう大受け。

社内の会議でもバカ受け。


こうして、

前年の77年に、
『タモリ』というアルバムで、
レコード・デビューし、

(そう、タモリは最初、
 レコード・デビューだったのです。
 今の彼からは想像もつかないでしょうが…。)

その後またたく間に茶の間の人気者となった、
タモリの、
セカンド・アルバムとして企画した、
このレコーディングは、

どんどん進んで行きました。

楽しかったなあ、コレ。



ところが…、

ここで大問題が起こってしまいました。


当時のアルファは、
「アルファ・アンド・アソシエイツ」という、
小さな原盤制作会社。

したがって、
その販売、宣伝は、
「東芝EMI」に委託しておりました。

その東芝から、
クレームが来たのです。


「これを発売するのは、無理です。」


理由は、

「全レコード会社を敵にまわす。」

というもの。
  


今は、
作詞家、作曲家はフリーですが、

昭和30年代までは、
レコード会社の専属でした。

ビクターの吉田正さん、
コロンビアの古賀政男さん、

といったように。


その先生方のお作りになった名曲を、
面白可笑しく変えてしまい、

ある意味茶化し、
ある意味バカにしながら、
やっちゃうわけですから、

重大な「名誉毀損」にあたる。


なおかつ、
現著作権は各レコード会社にあるのだから、
きちんとした許可をもらわなくてなならない。

おそらく許可すまい。


このへんの事情も、
「レココレ」には詳しく書いてありましたね。


当時東芝を代表するプロデューサーで、
アルファの作品をこよなく愛してくれていた、

あの渋谷森久さん

かつてブログにも書きましたが、
「ハナ肇とクレージー・キャッツ」の、
一連のコメディ・ソングを、
世に送り出した、

あの破天荒な、ハチャメチャな、
渋谷さんまでもが、

「クニ(村井さん)、シュン(私)、
 こりゃ危険だ。
 わるい事は言わない。
 これはヤメたほうがいい。」

と、止めに入ったくらいですから、

この企画の強烈さが、
わかろうというものです。


やむなく、この企画をあきらめ、
より安全な企画で、
『タモリ2』を発売した私たちでしたが、

その「アルファ・アンド・アソシエイツ」は、
その直後、
「アルファ・レコード」というレコード会社に、

出世しました。


販売こそ、
ビクターに変わりましたが、

制作に加え、
宣伝の機能も持ち、
以前よりはずっと、
「発売」に関する発言権を持ちました。


そんなある日、

社長の村井さんが、

「シュン、
 あれ面白いから作っちゃおう。
 続きをやりなさい。
 責任は俺が取るから。」

と、言って来たのです。


心配よりも何よりも、

私は狂喜しましたね。


あんな面白い仕事が、


再開できるわけですから…。



(つづく)



ところで、

この7日間で、

私は4回もライブをやりました。


私のスポーツ・ピアノ・スタイルでは、
これは自殺行為ですね。

きのうも、
演奏の途中から、
血圧が急上昇するのが、
わかりましたよ。

年かな。

自重しなくては…。

トホホ。


というわけで、


しばし休養…。



SHUN MIYAZUMI


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2007 エッセイ | マイ・ディスコグラフィー

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コメント一覧

1. Posted by 只野 通行人   September 08, 2007 00:02
5 有り難うございます。冗談を具現化するだけなら、スタジオやライブで歌えばいい。形に残したいなら私家版のテープを作ればいい。
「止めておくべき」という周囲の忠告とは裏腹に、村井氏と宮住氏の口から「やっぱり止めようか・・・」という弱気は一言も見つからない。思うに、慢性・停滞化した音楽業界に爆弾を落としたかったのでは!? 私は御二人が「サムライ」に見えてきました!
2. Posted by ayu   September 08, 2007 00:27
書き込み、失礼します。
昨晩のジャミンの台風ライヴ、お疲れ様でした!!
ジャミンのコーラスは勿論なのですが、宮住さんのピアノと佐藤さんのベースが本当に素敵で、いつも惚れ惚れしています。。。
3. Posted by asa   September 08, 2007 00:34

このブログを拝読してからライブに伺うと、楽しさ倍増です。

5日の代ナル、唐獅子牡丹は拝見できませんでしたが、久しぶりの腰振り演奏を拝聴・拝見し、大満足しました。
そして。小さい頃から大好きなS&Gの、あの『スカボロフェア』を、あぁも劇的にアレンジして歌われては…
興奮のあまり、J'Zのブログに3連続でカキコしてしまいましたわ。

話変わって、昨日、かの名テノール=パバロッティが亡くなりました。
今一度、あの甘い深い美声が聴きたかったです。
あれこれ後悔せぬよう、聴きたいものは聴かねば!観たいものは観ねば!
4. Posted by SHUN MIYAZUMI   September 08, 2007 10:55
只野さん>

そんな大それた気持ちでやったんじゃなくて、
お遊び感覚、お祭り感覚で、
わいわいやっちゃった、と思うのですが、
結果的には‘爆弾’を落とすことには、
なっちゃいましたね。(笑)


ayuさん>

いつもありがとうございます。
無事に帰れたようですね。
よかった、よかった。
これから、若いピアニストたちも、
どんどん登場していきますので、
こちらの応援もよろしくね。
ま、オヤジもたまには弾きますが…。(笑)


asaさん>

あの「スカボロ」は、
書くのも大変だったけど、
演奏するのも大変。
終わるといつも、
「ふ〜、無事に終わったか…。」
と、安堵します。
なんか、自分で寿命を縮めてるような気が…。
ジャミンは若いから、楽しそうだけどね。(笑)

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