2006 エッセイ

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December 28, 2006

日光

一昨日はすごい雨でしたね。

みなさん、大事ありませんか?


私は25日(月)、
久しぶりに日光に行ってまいりました。

日光は霧降高原にある、
「山の上レストラン」というところで行なわれた、
「スイート・ボイス / クリスマス・コンサート」
にピアニストとして参加。


普段こうした「ピアニストのみの参加」
という仕事は、
あまりやらないのですが、

スイート・ボイスちゃんの、

「いいところですよー。
 食事もお酒も抜群ですよー、ウフ。」

という甘い誘惑に心動かされて、
行ってしまった。

とまあ、こういうわけです。

デレデレ。


でも、本当にいいところでした。

美しい山並み。
壮大な霧降(きりふり)の滝。

まるで北斎の画を観ているかのような、
素晴らしい景観に囲まれた西洋風の館での、
楽しいコンサート。


そして、コンサート終了後は、
主催者のみなさんに、
本当に美味しい食事や極上のワイン、
手作りの、それこそ舌がとろけてしまうケーキ、

などをいただいてしまう。


翌朝も、
社長、支配人はじめ、
スタッフのみなさんの、
心温まる「おもてなし」は続く。


同じ系列の、
「西洋料理 明治の館」
というところで、

テレビでも紹介された、
有名な「オムライス」をいただいたり、

これまた極上のチーズ・ケーキを
「おみやげ」にいただいたり、

もう、なんとお礼を言っていいやら…。


本当にありがとうございました。



そうそう、

その「明治の館」で、
(本当に明治時代に建てられた、
 西洋風の立派な館)

素晴らしい「蓄音機のコレクション」も、
見せていただきましたよ。


エジソンが開発した第一号の蓄音機、
(当時はディスクではなく、
 筒のようなものをこすって音を出す)
に始まって、

アメリカのビクターやコロンビアの一号機、

日本で最初に作られたもの、

などなど、
おびただしい数の蓄音機のコレクション。


実際の音も聴かせてもらいました。

若き日のシナトラや、
ビング・クロスビーの歌声、

パティ・ペイジの「テネシー・ワルツ」の、
オリジナルSPなど。


これまた幸せなひとときでしたね。


スイート・ボイスちゃんにも、
「ありがとう」
と言わなくては。


ところで、

これって、

「なんでも鑑定団」が値段をつけたら、

いったい、いくらになるんだろう…?


そんなバカなことを考えながら、
でも、何ともすがすがしい気分で、
大雨の中を、

帰ってきた次第です。



さあ、

12/29(金)は、
学芸大「A'TRAIN」で、

今年最後のライブです。

文字どおり、
今年の「弾き納め」。

大いに盛り上がりましょう!



そして今年の私のブログも、
これで最後です。


今年も本当にお世話になりました!!


今年の私は、
ひとことで言えば、

「種まきの年」

かな。


でも、
本当に素敵な出会いが、
たくさんありましたね。

前途有望な若手シンガーも、
たくさん知ることができました。

来年は、
こうしたなかから、
一人でも多く、
世に出してあげられるべく、

めいっぱい頑張るつもり。


さらに来年は、
満を持して、

素晴らしい「大型新人グループ!」
をデビューさせるつもりでもいます。

お楽しみに!


年明け最初の私のライブは、

1/8(月・祝)
「ALL OF ME CLUB」
ピアノ・トリオ・ライブです。


そして、

2007年が、
みなさんにとって、

素晴らしい一年になりますように!


どうぞ、

よいお年をお迎えください。


感謝をこめて!



SHUN MIYAZUMI


woodymiyazumi at 13:03|この記事のURLComments(5)TrackBack(0)

November 17, 2006

私と映画音楽 最終回

ぶるぶる。

めっきり寒くなってきましたね。
風邪も流行ってるようだし、
みなさん、くれぐれもご自愛ください。


さて、きょうは「私と映画音楽」シリーズの最終回。


これまで長々と書いてきたように、
若くして、
いくつもの映画音楽に携わってきた私ですが、
欧米に比べると、
あまりに音楽の重要性を軽んじている、
としか言えない日本の映画界に次第に失望、

「もう映画はいいや。」
と思い始めていた80年代の後半、

とてつもなく素晴らしい話が舞い込んできました。


ある日、
A嬢という、私と同い年の女性が、
突然私を訪ねてきました。

このA嬢、

私が学生時代にピアノを弾いていた、
K大ライト・ミュージック・ソサエティ、
というジャズ・オーケストラのライバル・バンド、

W大ハイ・ソサエティ・オーケストラ、
のピアニストだった女性。

そして、なんと彼女は今、
当時新進気鋭の映画監督として、
脚光を浴びていた、
Y.M.氏の細君だというではありませんか。

卒業以来10数年ぶりの突然の訪問にも、
今をときめくY.M.氏の細君であるということにも、
大いに驚いた私でしたが、

彼女の話の内容には、
もっと驚かされました。


A「実はね、Mの次作の音楽プロデューサーを、
  宮住君にやってもらおうと思って来たのよ。」
私「いや、それは光栄だなー。
  でもどうせ予算はあんまりないんでしょ。」

と、今までの経験から、
素直に喜びを見せずに、
やんわりと探りを入れてみた。

ところが、

A「いやMはね、音楽も大変重要だと言ってね、
  1000万くらいは用意できる、
  って言ってるんだけど…。」
私「い、い、1000万!?」

この金額は、
今まで私が携わった物の中では、
断トツ、破格の数字でした。

私は、
それだけあれば、
相当面白いこともできるし、
今まで消化不良気味だった映画音楽の仕事の、
うっぷん晴らしもできると思い、
すぐさまこの話に飛びつきました。


私「いや、さすがにY.M.さんだな。
  実は映画音楽もずいぶんやったけど、
  正直失望してたところなのよ。」

と、
いつも少ない予算で苦労させられたこと、
あるいは折角素晴らしいものを作っても、
映像の編集ばかりに時間をさいて、
結局はおざなりに使用された「火の鳥」の、
苦い思い出なんぞをとうとうとしゃべった。


するとA嬢、

大いに理解、同情してくれて、

A「そうなのよ。だから日本映画はだめなのよ。
  Mはそういうことがよくわかってて、
  だからこそ、
  しっかりした音楽プロデューサーが必要だ、
  予算もしっかりかけなくてはいけない、
  って言うのよね。」


我が意を得たり!

もう私は嬉しくて、
彼女を誘って飲みに出かけました。


そして学生時代の思い出話にはじまり、
映画論、
素晴らしい数々の映画音楽の話、
欧米と日本の映画関係者の
音楽に対する認識の違い、

などを大いに語り合い、
大いに賛同しあい、

なんとも幸せな時間を過ごしたのです。


で、

ここでやめておけばよかった。


気持ちよく酔っぱらいはじめ、
話の内容にも大いに満足、
かつ普段から相当に思い上がってる私は、
調子に乗りすぎて、

このあと、

とんでもないことを喋ってしまったのです。


私「ところでAよ。」
A「なあに?」

私「これは極端な例だが、
  もし俺が最終編集済みのラッシュを見て、
  この映画には1曲の音楽も必要がない、
  そのほうがこの映画は当たる、価値があがる、
  と判断した場合でも、
  その1000万円は俺にくれるかね?」
A「どういうこと?」

私「例えば、『アニー・ホール』
  というウディー・アレンの映画があるだろ。」
A「ええ、大好きよ。」

私「実はあの映画には、音楽は1曲しかない。
  音楽が無いままドラマだけが淡々と進み、
  ちょうど真ん中あたりまできたときに、
  突然ウディーの恋人役のダイアン・キートンが、
  場末の、客もまばらなジャズ・クラブで、
  アップライトのピアノをバックに、
  バラードを切々と唄い出すんだ。」
A「それで?」

私「そこで初めて我々は、この彼女が、
  売れないジャズ・シンガーであることを知る。
  それをたまたま見ていたポール・サイモンが、
  君の唄は素晴らしい、とほめ、
  ロスの豪邸に招待する。
  そしてこれがこの二人の破局の始まりさ。」
A「だから?」

私「あたりさわりのないBGMは別にして、
  最後まで音楽はこれ1曲しか登場せず、
  最後のタイトル・ロールで再びこの唄が流れる。
  つまり他に音楽が無いからこそ、
  この1曲が我々の心を揺さぶるのだ。
  そしてこの映画は、
  アカデミー賞を総なめにした。」
A「だから何が言いたいのよ。」

私「つまり、
  音楽が無いからこそこの映画は素晴らしい。
  これを判断するのも、
  音楽プロデューサーの感性であり、
  結果映画がヒットしたときに、
  そのように導いたのも、
  音楽プロデューサーなわけだから、
  当然その報酬は受け取るべきだ、
  と、こう言いたいわけよ。」
A「……。」

私「映画監督と音楽プロデューサーが、
  そういう感性で信頼関係を作ってこそ、
  欧米に負けない映画が出来るんだよ。
  なあに、Y.M.さんくらいの人だったら、
  わかってくれるさ、ハハハ。」
A「わかった、Mに話してみるわ。」

そして、これは日本の映画の新しい夜明けだ、
今日は本当に素晴らしい一日だった、

と、上機嫌でA嬢と別れ、
意気揚々と帰路についた私でしたが、

それ以後、

彼女からなんの連絡もなくなったことは、

言うまでもありません。

……。


口はおそろしい…。

以来、
好むか好まざるかは別にして、
私と映画音楽は、
まったく無縁のものとなってしまいました。

そして、伊丹十三さんと「寅さん」をのぞいては、
日本映画もまったく見なくなってしまいました。

しかし、

「いつかは…。」

という思いだけは、
しっかり胸に持っておりますよ。


(おわり)


このシリーズも長かったですね。
お疲れさまです。


SHUN MIYAZUMI

woodymiyazumi at 18:14|この記事のURLComments(0)TrackBack(0)

November 14, 2006

私と映画音楽「海外編」その2

きのう(11/13)の六本木 『ALL OF ME CLUB』
ピアノ・トリオ・ライブにお越しのみなさん、
ありがとうございました。

珍しく、初めてのお客さんが多かったのですが、
最後はいつものように盛り上がりましたね。

完全燃焼!

したがって、毎度のことながら、
今日は ‘もぬけの殻’ 状態の私。


次回このセッションは、
12/11(月)です。



さて、
いい映画、ヒットした映画は、
みんな音楽もいい。

というお話の続きです。


前回書いた後にも、
いくつか思い出しましたよ。


『禁じられた遊び』『鉄道員』
といったヨーロッパ映画。

この音楽がどれほど観衆の涙をさそったことか。


『小さな恋のメロディー』のビー・ジーズ
『卒業』のサイモン&ガーファンクル

彼らの名曲の数々が、
映画の大ヒットに大きく貢献したことは、
言うまでもありません。


私が一緒にお仕事をさせてもらったこともある、
フュージョン界の大物、
デイブ・グルーシンさんも、
今やアメリカ映画音楽に欠かせない重鎮ですね。

『トッツィー』『黄昏』『ザ・ファーム』etc.

いずれも彼の、
洗練された華麗なピアノが印象的でした。


『荒野の用心棒』に代表される、
エンニオ・モリコーネの
マカロニ・ウェスタンの音楽も、
これらを1級の娯楽映画に仕立てましたよね。


『地獄の黙示録』では、
ワーグナーの「ワルキューレ」が使われてました。
クラシック音楽の起用という意味では、
ヴィスコンティの『ヴェニスに死す』
のマーラー・アダージオと並ぶ、選曲の勝利。

さすがコッポラ。


さて一方で、

もしあの映画にあの音楽がついてなければ、
はたして ‘名画’ と呼ばれたかどうか、

といった作品も、
私のなかではいくつかあります。


例えば、
『第三の男』

あのアントン・カラスのチターの名曲じゃなく、
普通の劇音楽だったら、
あれほどヒットしたでしょうか。


『死刑台のエレベーター』

ジャズ・トランペットの巨匠、
マイルス・デヴィスの名を世界的に知らしめた、
フランス映画ですが、

その内容は、

ある社長夫人が社員と不倫関係に陥り、
亭主たる社長を二人して殺害するが、
思わぬドジをふんだことから破綻する、

という、
「火曜サスペンス劇場」程度のもの、
としか思えないのですが…。
ジャンヌ・モローは素敵でしたがね。

でもなんといってもこの映画の主役はマイルス。


それから、
『タクシー・ドライバー』

当時、世界有数の犯罪都市という、
レッテルを貼られていた街、ニューヨーク。

その危険な香りがプンプンの、
しかしなんとも魅力的なあの街の雰囲気を、
映画全体を、

名ジャズ・サックス奏者トム・スコットが、
実に官能的なサウンドで支配していました。

でも、もしあれが普通の劇音楽だったら…。

この映画で一躍トップ・スターになった、
ロバート・デ・ニーロを、
あの音楽が後押しした、
といったら言い過ぎでしょうか。


そして、
『ラスト・タンゴ・イン・パリ』

さえない中年男(マーロン・ブランド)が、
思わぬ若い女を手に入れて、
日夜セックスに明け暮れる、
というだけの映画で、

当時その、あまりに過激な性描写で話題となった
『ラスト・エンペラー』でも有名なイタリアの巨匠、
ベルトリッチの作品。

この音楽は、
アルゼンチンのサックス奏者、
ガトー・バルビエリ。

彼の音楽もまた、素晴らしいものでした。


特にクライマックス。

次第にストーカー的なこの男が怖くなってきて、
パリの街を逃げ惑う女。
それを追いかける男。

女はたまたま、
アルゼンチン・タンゴ・ダンスの発表会をやってる、
とある会場に逃げ込む。
しかし男も後を追ってこの会場に。

そして何組ものカップルが、
厳粛かつ官能的なタンゴで踊ってる間を、
追っかけっこ。

そのとき、
このガトーの咆哮するサックスがむせび泣く。
タンゴとジャズ・サックスの咆哮という、
相容れない音楽のミックス、
そして映像美。

もう鳥肌が出るほどの感動でした。


ん?


あれ?

なんかおかしくなってきたぞ…。


ということは、
これはやはり名画なのかな?


そういえば、
これらを作った監督はみな、
名監督と言われてる人ですね。

いかん、自爆してきた。


ひょっとすると、
私のような凡人には、
一見して平凡に思えるテーマでも、

監督からすれば、
人間の複雑にしておろかな煩悩、
深層心理を伝えたいのかもしれない。

そのため、
音楽のもつ劇的な力を利用して、
その映画を一見感動的なものに仕上げた、

のかもしれませんね。


いや、深いなあ…。


ま、かくあるように、
欧米(特にアメリカ)の映画関係者は、
音楽の重要性がわかっている、

ということです。

そこへいくとわが日本は…。


しだいに映画音楽の仕事に、
情熱を失いかけてた80年代後半、

そんな私に、
とてつもなく素敵な話が、
舞い込んできました。


次回はこの映画音楽シリーズの最終回として、
結局はトンチンカンな結末に終わった、
私らしい、そんなお話をしてみようかと、
思っています。


ところで、
前回の最後に書いた「牡蠣」

美味かったですよー。

場所は品川駅アトレの4F。

有名なニューヨークの、
グランド・セントラル・ステーションにあった、
「オイスター・バー」の姉妹店。

これ、

おススメです!

ただし、絶対、

要予約。


SHUN MIYAUZMI


woodymiyazumi at 15:56|この記事のURLComments(0)TrackBack(0)

November 08, 2006

私と映画音楽「海外編」

軽い気持ちで「映画音楽」の話を始めたら、
いろんなこと思い出してきて、
これも長期連載になっちゃいましたね。

ま、‘勢い’ ということで、
もう少しおつきあいくださいませ。


私は、
人類が創り出した最高のエンタテインメントは、
『映画』ではないかと思っております。

いいものにはどんどんお金を注ぎ込んで、
観客からすればそれこそ、
夢のような世界に誘(いざな)ってくれる。

美しいロケやセット、
名優たちの熱演、
大道具、小道具、美術、照明、
素晴らしい脚本、見事なカメラ・ワーク、

こうしたすべての要素がうまく合わさったとき、
いつの時代にも愛される ‘名画’、
というものが生まれるわけですね。

人類が創り出した、
最高の贅沢ですよ、
これは。


そのなかでの ‘音楽’ の役割。

これも大変重要な要素であるはずです。


しかし前回書いたように、
私の経験からいくと、

日本の映画関係者の ‘音楽’ に対する認識は、
欧米に比べてあまりにも低い、
と言わざるを得ません。

映画全体の製作予算のなかでの、
音楽費の割合の低さが、
それを物語っています。

今は知りませんが、
当時は間違いなくそうでした。


ある時、撮影所で、
たまたま机の上に無造作に置かれている、
他の映画の「予算表」なるものを、
盗み見したことがあります。

上から順に、
監督の報酬、出演者のギャラ、など、
びしーっと細かく数字が並んだ一番下に、

いちば〜〜ん最後に、

「音楽:○○円」
と、スズメの涙みたいな数字が計上されていた。

「……。」


そんなとき、

「映画音楽」の仕事に、
情熱を失いかけてた80年代半ば、

あのスピルバーグの 『E.T.』 が公開されました。

音楽はもちろん、ジョン・ウィリアムス。

『ジョーズ』に始まり、
『スター・ウォーズ』『インディ・ジョーンズ』などなど、
スピルバーグやルーカスには欠かせない、
素晴らしい映画音楽の作曲家ですね。


その記者会見の席上、
監督のスピルバーグはこう言ったのです。

「この映画でも私は、
 もうこれ以上は無理、というところまで編集して、
 それをジョン(ウィリアムス)に渡しました。
  作曲の時間は3ヶ月与えました。

  するとどうでしょう。

  音楽がついていなかったラッシュの段階では、
  誰も泣かなかったのに、
  音楽がついた後の試写では、
  みんな泣いたのです。

  音楽の力はなんと偉大なことでしょうか。」

と、ジョン・ウィリアムスを讃え、
その報酬は興行収入の3%。


「もう、全然考え方が違うなあ。」

と、このときほど、
アメリカという国が羨ましかったことは、
ありません。


そう、
このように、
「映画」と「音楽」は切っても切れない仲なのです。

いい映画、
ヒットした映画は、

みんな、

音楽もいい!


『ライムライト』(チャップリン)
にはじまり、

『カサブランカ』(AS TIME GOES BY)
『風と共に去りぬ』(タラのテーマ)
『慕情』『めぐり逢い』

『史上最大の作戦』『大脱走』
てな大作でも、
そのテーマ・ソングは、
しっかり映画とは別に大ヒットしました。


大作といえば、
『アラビアのロレンス』『ドクトル・ジバゴ』

これを書いたのはモーリス・ジャールという人。

『アラビアのロレンス』なんて、
サントラ盤も買っちゃいました。

ティンパニの序奏に始まり、
オーケストラが勇壮なテーマを奏でると、
画面いっぱいに壮大な砂漠が拡がる。

もうそれだけで、
じわーっと感動の私。


『ティファニーで朝食を』の「ムーン・リヴァー」
『シャレード』『酒とバラの日々』『ピンク・パンサー』

これらは全部、
ヘンリー・マンシーニという人の作品。

このひとも偉大だなあ。

ヘンリー・マンシーニといえば、
『ひまわり』も泣けましたね。
『ロミオとジュリエット』も彼。
余談ですが『刑事コロンボ』も彼。


『明日にむかって撃て』の「雨にぬれても」
こればバート・バカラックの名曲。
続編『スティング』での、
スコット・ジョプリンのストライド・ピアノも、
映画を盛り上げるのに、
重要な役目をしていました。

サスペンスの巨匠ヒッチコックの、
『知りすぎていた男』では、
ドリス・デイの唄う「ケ・セラ・セラ」が、
事件解決の重要なカギを握っていました。

『ゴッド・ファーザー』では、
残酷な殺戮シーンと、
せつない音楽のミス・マッチが、
おそろしいほどの効果をあげていました。


もう数え上げると切りがありませんね。

それから、
音楽が映画を盛り上げるだけでなく、
逆に映画をヒットさせる役目を果たしたものだって、
たくさんあるのです。

いや、ひょっとすると、

映画自体は大したことないのに、

音楽のおかげで ‘名画’
の仲間入りをしてるものだって、
あるかもしれませんよ。


次回はそんなお話です。



さて、11/13(月)は、
六本木 『ALL OF ME CLUB』
で、ピアノ・トリオ・ライブです。

先月(10/9)は祝日ゆえ、
来られなかった方も多かったと思います。

ぜひ、お待ちしてます。


さあ私はこれから、
友人の奢りで、
「オイスター・バー」に牡蠣を食いに出かけます。

く〜〜〜っ、楽しみ!


SHUN MIYAZUMI


woodymiyazumi at 16:43|この記事のURLComments(4)TrackBack(2)

November 03, 2006

私と映画音楽「たんぽぽ」その2

伊丹十三監督の映画 『たんぽぽ』

この映画の音楽はクラシック。

その音楽プランもようやく出来上がり、
監督のOKももらい、
さあレコーディングだ、
と張り切った矢先、

ここで大きな問題にぶちあたる私たち。

予算がない。


「またか…。」


村井さんのお手伝いで、
いくつかの日本の映画音楽に携わりましたが、
いつもびっくりするのは、
映画製作費のなかでの音楽費の割合が、
信じられないくらい低い、

ということでした。


『座頭市』しかり、
この『たんぽぽ』しかり。

勝新太郎さんや伊丹さんの、
作品に対する熱い思いを伺って、
「よーし。」
とヤル気まんまんになっても、

その直後プロデューサーから、
「監督はああおっしゃいますが、
 予算はあんまりありませんから、
 そこんところはひとつよろしく。」
と、やんわり釘を刺されるのです。


ちなみにここで提示された音楽費では、
とうていシンフォニー・オーケストラなど、
雇えるはずもない。

当時東京には、
プロのオーケストラが6つあったのですが、
そのなかの一番ギャラの安い団体ですら、
全然不可能。
交渉の余地なし。

ましてやマーラーなどという、

プロの団体をもってしても、
最高の演奏技術が要求される
音楽をやるわけですから、
とても学生のオーケストラでは無理。

もちろん著作権上の問題で、
カラヤンやバーンスタインといった人の演奏を、
レコードから勝手に拝借、
というわけにもいかない。


困ったあげくに、
ここで村井さんが窮余の一策。

サウンド・トラック盤の発売権を譲渡して、
東芝EMIから、
いくばくかの予算を持って来た。

なんとかこれで成立。
ま、私のギャラも出ることにはなりました。

よかった、よかった。


こうして、
ようやくこぎつけたレコーディングの日。

場所は早稲田にある「アバコ・スタジオ」

指揮は小泉ひろしさん
演奏は「東京シティ・フィルハーモニー管弦楽団」


そしてこの日は、
私のディレクションの腕が問われる日。

マーラーのような巨大な曲を演奏するには、
最低でも80人の楽団員が必要。
この大人数をとりまとめて、
膨大な数の曲を、
時間内に録りきらなくてはならない。

この頃には、
こうしたレコーディングもずいぶん経験していて、
当初に比べると、
ずいぶん面の皮が厚くなってきてた私ですが、

でもなかなか緊張するもんなんですよ、

これが。


まずスタジオの空気を明るくしなくてはいけない。

演奏者に、
気持ちよく最高の演奏してもらわなければならない。

しかしダメな演奏には
堂々とダメ出しをしなくてはならない。
しかも根に持たれないように、
納得してもらえるように。

どのあたりでOKを出すか、NGを出すか、
そのタイミングも瞬時に判断が要求される。

約束の時間は一分でも押してはならない。

もちろん録りこぼしは許されない。

緊張。勝負…。


そんな中、いよいよレコーディングが始まりました。
メイン・テーマの、リスト『前奏曲』から。

ま、この辺はさほど難しくないのでスムーズ。


そしてやってきましたマーラー。

まずは交響曲第五番 第4楽章のアダージオから。

さすがにこの辺りの曲になると、
楽団員のみなさんにも緊張が走る。

緊張がミスを生む。

「ううむ…、もう一回行きましょう。」
「ああ、惜しい。
 今のはちょっと修復不可能です。
 もう一回行きます。頑張ってください。」

いくら後でトラック・ダウンでバランスを取るにしても、
同時録音ですから、
致命的なミス音が他の楽器にかぶったりする。

すると他の部分が良くても、
残念ながら、最初からやり直し、

と、こうなるわけです。


見学に来た伊丹監督も心配そう。

「どう? 時間通り録れる?」

そんな雰囲気が伝わると、
ますます楽団員のみなさん硬くなる。


こうして何度目かのテイクで、
「このあたりで手をうつかな。」
という演奏が録れた。

しかし完璧ではない。

後にトラックダウンで、
うまく処理すればなんとか行けるだろう、
という私の個人的判断です。

それに、いくら抜粋とはいえ、
まだまだマーラーの難曲はいくつも残ってる。

演奏を終えた楽団員のなかには、
疲労も見えるし、
もう一回かなあ、という不安そうな表情も見えるし、
練習時間さえあれば、
もっといけるのに、
といった悔しさもみてとれる。


さあ、こういったケースが一番難しい。
「とりあえずOK」をどう言うか。

「まあ、いいんじゃないでしょうか。」
と言えば、
かつて『子連れ狼』のデビュー戦のときのように、
「‘まあ、いい’とはなんだ! バカにするな。」
と怒られるかもしれない。

露骨に「最高です。」
とも言えない。
本人たちも、
時間さえあればもっといけるのに、
と思っているはずだから。

「時間がなくなるから、
 この曲はこの辺で手をうちます。」
とは、
むろん言えない。

ここで気分よく、
次の曲にスムーズに移っていただくためには、
なにか気の利いた ‘OKの出し方’
が必要でした。


そのとき、私の口からとっさに出たフレーズ!


これはうまく行きましたね。

私の人生のなかでも ‘名言’
といっていいかと思います。


途端に、スタジオの中がぱっと華やぎ、
楽団員のみなさんのなかに、
どっと笑いが起き、

リーダーは苦笑いをしながら、

「未熟者ですみません。
 次の曲からはもっと頑張ります。
 なんとかトラック・ダウンで、
 上手く聞こえるようにお願いします。」

そしていっぺんになごやかな雰囲気になり、
困ると私はこのフレーズを2度3度と使い、
そのつど緊張がほぐれ、笑いが起き、
スタジオはスムーズに進行。

無事に時間通り、
録り終えることができました。


さて、私はなんと言ったでしょう?

これ、多分どの世界でも、
使えますよ。


私は、こう言ったのです。

「みなさんはご不満でしょうが、
 私にはとてもいい演奏に思えました。」

とね。



それにしても、
この日本映画界の、
音楽に対する価値観の低さは、
次第に私から、
映画音楽の仕事への興味を、
失わせることになっていきました。

そこへいくと、
アメリカはいいですねえ。

次回は羨望をこめてそんなお話を。


SHUN MIYAZUMI


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October 28, 2006

私と映画音楽「たんぽぽ」

10/27(水) 「代々木ナル」
CHIHARU(チハル)とのライブにお越しのみなさん、
ありがとうございました。

いやあ、燃えました。
やはり彼女のジャズは本物ですね。
ついついこっちも本気で乗っかってしまう。

実に楽しい。

次回このセッションは、1/31(水)です。
まだの方、ぜひ!


さて今日は、
伊丹十三監督の映画 『たんぽぽ』
のお話。


さっき調べたら、
「1985年公開」となってましたから、
ちょうど私がアルファを辞めて、
フリーになった頃のことですね。

(といっても、もう20年以上も前の話か。
 月日の経つのは早いものだ…。)


またまた村井邦彦さんから、
「おい、しゅん、また映画音楽やるぞ。
 手伝え。」
と電話がありました。

『お葬式』という映画で、
一大センセーションを巻き起こした、
伊丹十三監督の、
新作映画の音楽制作です。

わーい。

さっそく村井さんと、
調布の撮影所に伊丹さんを訪ね、
上がったばかりのラッシュを見せてもらい、
監督と入念な打ち合わせ。


いやあ、
この映画は最高でしたね。

私のような素人でも、
ラッシュを観た段階で、
「こりゃヒット間違いなしだな。」
と確信しました。


ある雨の夜、
タンクローリーの運ちゃん(山崎努)が、
とある、さびれたラーメン屋に飛び込む。

小学生の男の子をかかえた母親(宮本信子)が
一人で経営してるのだが、
その店のさびれ方のひどさと、
ラーメンのまずさに驚く。

そしてひょんなことから、
このラーメン屋の再生に力を貸すことになり、
ついには、行列のできるお店にまで仕上げて、
最後は西部劇『シェーン』よろしく、
颯爽とタンクローリーに乗って去っていく。

その間に、
『食』をテーマにした、
いろんなエピソードを、
面白可笑しく交ぜていくというコメディーで、

そのアイディアとドラマ作りのすごさに、
「やはりこの監督はすごい才能だな。」
と驚いたものでした。


さて、この映画の音楽は、
「クラシックでいきたい」
というのが監督の希望。

そして、メイン・テーマは、
リストの『前奏曲』という曲。

これは、
「生は死への前奏曲である。」
という思想のもとに作られたらしい、
リストの有名な管弦楽曲。

そういえば、
最後のタイトル・ロールの画面は、
母親が赤ちゃんに乳を飲ませる、
というシーンでしたね。

「人間の最初の食事は、
 母乳である。」
という意味だったんでしょうかね。


「このリストの前奏曲だけは決定。
あとはおまかせします。」
と伊丹監督。


さあ大変。

村井さんも私も、
クラシックは大好きですが、
何でもかんでも知ってる、
というほどではない。

すると村井さん、
「そうだ!
 東芝EMIのHさんを仲間に入れよう。」
とひらめいた。

このHさん、

確かにすごいクラシック・マニアで、
その知識の豊富さと、
レコードのコレクションは、
驚くべきものでした。


一度彼のお宅にお邪魔したのですが、
家中どこへ行ってもレコードが山積み。

なんでも、
20,000枚以上はあるらしい。

特にすごいのが、
「室内楽」の分野で、
庭にある蔵のなかに、
約6,000枚という膨大な量のレコードがあった。

「これ全部『室内楽』なんですよ。
 特にベートーベンの‘弦楽四重奏曲全集’は、
 世界で発売されてるものは、
 すべて揃ってるんじゃないかな。」
とHさん。

確かに、ひとつのグループで、
10何枚組かはあろうかというベートーベンが、
ずらーっと30数種類揃ってた。

ただ、
「でもこれって、興味のない人にとっては、
 ただのガラクタにすぎないんでしょうね。」
と、ポツリと寂しそうにおっしゃったのも、
妙に印象的ではありましたが…。


「ガラクタだなんて、とんでもない…。」
と私は思う。

ただ、
稼ぎのほとんどが、
‘酒代’に消える私から見れば、
なにやら別の世界から来た不思議なお方、
のように見えたのも事実、

ではありました。


そしてHさんは、
「マーラーを中心に組み立てたら、
 いいんじゃないかな。」
ともおっしゃる。

それまでマーラーの交響曲は、
「やたら長い。」という理由だけで、
なんとなく敬遠してた私でしたが、

あらためて聴いてみて、
確かにこれはピッタリかもしれない、
と思いました。

おかげさまで、
以来私は熱烈なマーラー愛好家。

そういえば、
スピルバーグの映画音楽を一手に担う、
ジョン・ウィリアムスも、
いたるところでマーラーの香りがプンプン。

マーラーの音楽にある「劇的」要素や、
ドラマチックなオーケストレーションが、
映画にはピッタリなのかもしれません。


このHさんの助言を参考にしながら、
「このシーンには、
 マーラーの第五交響曲の2楽章の冒頭。」
とか、
「このシーンには、
  第六交響曲の4楽章のこのあたり。」
などなど、

毎日毎日ミーティングを重ねる、
村井さんとHさんと私。

そしてようやくプランが完成して、
監督のオーケーをもらう。


余談ですが、
先日WOWOWで、久しぶりに、
この『たんぽぽ』を観たのですが、

キザなやくざに扮した役所広司と愛人が、
ホテルの一室で、
卵の黄身をつぶさないように、
交互に口移しするという、
アホなシーン。

そこに流れるのは、
有名なマーラー第五の4楽章のアダージオ。
(映画『ヴェニスに死す』でも使われ、
 一躍有名になった官能的なバラード。)

そのアホなシーンに、
真面目くさったマーラーが朗々と流れることで、
逆にアホらしさが倍増してることに、
今頃気がついた私。

「ああ、コメディーにクラシックというのは、
 こういう逆の効果を生むんだな。」
と、それを狙った伊丹監督のすごさに、
今さらながら感心したのでした。


ということで、
音楽プランもでき、
いよいよレコーディング。

ですが、

長くなったので続きは次回。


なんか、
ラーメン食べたくなってきた。


SHUN MIYAZUMI


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October 23, 2006

もうひとつの「火の鳥」

先日、私の「初レコーディング仕事」の話を書きました。

今日は、私の「初担当アーティスト」のお話です。


1974年。

なにもわからないまま、このレコード業界に飛び込み、
映画音楽「子連れ狼」の録音で、
みるも無惨な‘初ディレクション’をやってのけてから、
まだほんの数日後のこと。

今度は、上司のA課長から、
「宮住くんには制作の仕事をやってもらう。
 とりあえず 『火の鳥』 と 『小坂忠』
 というアーティストのディレクターをやるように。」

というお沙汰がありました。


ディレクターというのは、
今でいうプロデューサーのことですね。

そのアーティストが売れるような作品を作ったり、
作らせたりしながら、
一方ではスタジオで、
予算をにらみながら的確なディレクションをして、
レコーディングをすみやかに進行させる。

もっともアルファの場合は、
社長の村井邦彦さんが絶対的なプロデューサー。

最初の2、3年は、
村井さんの仰せのままに、
ただスタジオ・ワークだけをつかさどる、
文字通り‘ディレクター’という仕事でした。


さあそこで、私の担当になった 『火の鳥』。
(『小坂忠』さんのお話はいずれ。)

といっても、
前回書いた映画『火の鳥』とは、
なんの関係もありません。

関西で少し人気のあった、
当時流行りの‘ 和製フォーク・グループ’。

フォークとはいえ、
演歌っぽいニュアンスで唄うところが、
当時演歌では絶対的な力を誇ってた、
ビクターの目にとまるところとなり、
デビューと相成ったようです。


そのデビュー曲は、
『男と女のブルース』

なぜか彼らのオリジナルではなく、
作曲:村井邦彦、作詞:なかにし礼
という黄金コンビ。


でも、この曲、
私が担当になったときにはもう出来ていた。

したがって私の初仕事は、
制作会社アルファを代表して、
その宣伝会議に出席すること。

私ひとりでは不安だろう、ということで、
(あたりまえです。)
当時アルファで、
『ガロ』というグループのディレクターをやってた、
加藤さんという先輩がついて来てくれました。


朝10時に、青山にあるビクター本社に行くと、
全社員が集まって‘朝礼’をやってる。
私たちは当然待たされる。

偉そうな人が、
入れ替わり訓示を垂れたあと、
全員でビクターの社歌を合唱する。

そのとき私は、
ちょうど私たちの目の前にいたひとりの‘おっさん’、
に目がとまりました。


もうすぐ定年だろうというお年のその方は、
ずいぶん大柄で、頭は禿げ上がっており、油テカテカ。
腰には白い手ぬぐいをぶらさげ、
よれよれのシャツにだぶだぶのズボン。

さながら、東映時代劇の悪役の風貌。
そう、進藤英太郎さんにちょっと似てる。

そして誰よりも大声で、
声高らかに「ビクター〜♪ ビクター〜♪」
と唄う。

彼の席の前にいる若い宣伝マンの後頭部には、
このおっさんの唾が、
情け容赦なくふりそそぐ。

加藤さんは小声で、
「あのおっさんが ‘Y’っていう名物宣伝マンよ。
 ビクターひとすじ、演歌ひとすじでな、
 マヒナ・スターズや橋幸夫のころからいるのよ。
 当然‘ヒラ’なんだけどな、
 怒らせるとやばいから気をつけろよ。」
と、ヒソヒソ。


やがて朝礼が終わり、
ビクター側の制作担当の‘S’さんがやってきて、
「やあ、ようこそ。
 では宣伝会議を始めましょう。」
と、会議室に通される。

そのとき、
このプロジェクトの宣伝担当が、
さっきの ‘Y’ というおっさんであることを知り、
なんか嫌〜な予感。

そして会議。

集まったのは、
私たちと‘S’さんをのぞくと、
ほんの2、3人の宣伝マン。

‘Y’さんは、怒って、
「おい‘N’はどうした、‘T’はどうした。
 みんな会議だって知ってるだろ。」
と言うと、

「じゃ、僕が呼んで来ます。」
「いや、僕が呼んできます。」
と、出席している連中が軒並み退席。

そして入れ替わりに別の人が来るのだが、
呼びに行った人は帰って来ない。


加藤さんは心配そうに、
「しゅん、こりゃビクターやる気ないぞ。」

言われなくたって、
いくら新米の私でもそのくらいのことはわかる。


30分後、ようやく5、6人が揃い、
一応形にはなったところで、

‘Y’さん得意げに、

「えへん、ではこれから『火の鳥』の
宣伝会議を始めます。」

と、おもむろに黒板に向かって、

「火の鳥:雨の日のブルース」
と書いた。

ビクター一同大爆笑。


加藤さん小声で、
「しゅん、こりゃ売れねえぞ。」

「のようですね。」

これが私の記念すべき‘初・宣伝会議’。


案の定売れませんでした。


しかし、せっかく契約したんだし、
いいものは持ってるグループなんだから、
私は担当者として、
なんとかもう一回勝負させたい、

と懇願し、
今度は彼らのオリジナルで、
アルバムを作らせてもらいました。

これが私の記念すべき‘初・プロデュース作品’。


でも…、

それから何度かビクターに足を運ぶものの、
『火の鳥』のサンプル盤は、
その辺りにうず高く積まれているだけ。

つまり誰も動いていない。

それを ‘Y’さんに恐る恐る言おうものなら、
「うちはちゃんとやってるよ。
  お前みたいな新米に何がわかんの?
  売れないのはお前の制作が悪いからよー。」
と大声で叱られる。


『赤い鳥』や『ガロ』が解散目前。
『荒井由実』がデビューしたばかりで、
まだ一向に売れていない、

いわば‘新興音楽制作会社’アルファの悲哀を、
いきなり感じたものでした。

そして私にとっては、

またしても苦いデビュー…。


こうして、

残念ながら、

アルファが仕掛けた『火の鳥』は、
ミシェル・ルグランさん、深町純さんのサントラ、
そしてこのフォーク・グループと、
3作いずれもが惨敗、
という結果に。


永遠の生命をもたらすという『火の鳥』。

巨匠手塚治虫さんの普及の名作ですが、

ひょっとすると、
この鳥は実在していて、

その名前で一儲け企むような我々俗人には、
やはり微笑んではくれないのかも、
しれませんね。


最近、そんな気がしてきました。



さあ、10/25(水)は、久しぶりに、
CHIHARU(チハル)とライブだ。

素晴らしい女性ジャズ・シンガーですよ。
どうぞ「代々木ナル」にいらしてください。

お待ちしています。


SHUN MIYAZUMI


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October 20, 2006

私と映画音楽「火の鳥」

今、私の手元にある、
『レコード・コレクターズ』(10月号)には、

「77年暮れ、アルファ・アンド・アソシエイツは、
アルファ・レコードとして再出発した。」
と記載されています。

(そうか、あれは77年だったのか…。)


そして、アルファが、
『火の鳥』 という映画に投資したことも、
その主題歌を、フランスの大作曲家、
ミシェル・ルグランに依頼したことなども。

(そうだった、そうだった。)


きょうは、その 『火の鳥』 のお話です。


ある日、我々は会議で、

東宝が、巨匠手塚治虫さんの大作『火の鳥』
の映画化権を獲得したこと、
監督は名匠と言われている市川崑監督、
アニメではなく俳優による実写、
その映画に、アルファも投資することになったこと、

などを聞かされました。


社長の村井さんは、
「映画投資はリスクも大きいけど、
当たれば、収入も、
レコードのヒットとはケタが違うのよ。
ま、‘ハイ・リスク、ハイ・リターン’
 ってとこかな。ハハハ。」
と威勢がいい。

そして、その映画の劇音楽、
すなわち「サウンド・トラック」の制作担当には、
私が任命されたのです。


アニメじゃなく実写というのが引っかかるし、
あの口ぶりじゃ「億単位」の投資だろうな、
といささか不安な私でしたが、
新米の私が口をはさむ立場でもなく、

「わかりました。」と一言。


映画は、
あの長大な叙事詩 『火の鳥』の中の、
古代の日本が舞台になっている 「黎明編」。

配役は、
若山富三郎、由美かおる、田中健、
といった人たち。


私は原作を暗記するほど読んだのち、
撮影現場に市川崑監督やプロデューサーさんを
何度も訪ね、
台本を見ながら入念な打ち合わせ。

その結果これは、
シンフォニー・オーケストラを使った、
壮大なものにしたいと思いました。

もちろん派手好きの村井さんも全く同感。


実は、私は子供の頃から映画音楽が大好き。

なかでもとりわけ、
『ベンハー』 『エルシド』
といった古代ローマやスペインを舞台にした、
超スペクタクル映画のサン・トラが大好きでした。

ミクロス・ローザ作曲・指揮による、
ローマ交響楽団が演奏する雄大な序曲は、
それこそレコードの針がすり切れるくらい、
聴いたものです。

Ben Hur


私は絶対これでいきたいと思い、
ポップスの世界で活躍してるものの、
芸大作曲科で学んだ、
深町純さんに作曲を依頼しました。

演奏は新日本フィル・ハーモニー管弦楽団。


いやあ、このレコーディングは鳥肌ものでした。

ショスタコーヴィチの交響曲を思わせるような、
壮大なスケールの素晴らしい音楽、
そして彼も入念に台本を研究していて、
いろんな場面、場面に、
的確な音楽を丁寧に書き込んである。

全体には50分を超えようかという大作で、
これだけでもアルバムとしての聴きごたえは充分。


さらにそれを私は、
「このシーンにはこの音楽のこの部分を約5分。」
「このシーンにはここからここまでを約2分。」

といった具合に、
細かく台本に書き込んで、
音源と一緒にプロデューサーに渡しました。

さあ、あとは映画の完成を待つばかり。


常陸宮殿下・妃殿下もご列席の試写会で、
舞台挨拶に立った市川監督は、
「編集のため、この4日は徹夜の連続。
 ようやくさっき完成して、
 どうにかこの試写会に間に合いました。」

(それは、それはご苦労さまでした…。)

そしていよいよ映画が始まる。


が、

「……。」

「なんじゃこりゃ……。」



私は批評、評論のたぐいは好まず、
ましてや人さまの作ったものを批判する、

という行為は極力慎んでおりますが、

この映画の場合は、
投資までしているアルファ、
つまりクライアントに属する一員として、
言う権利はあると思うので、
言わせてもらいますが、

これは ‘歴史的愚作’
といってもいい代物だと思います。


さらにひどいのは音楽の扱いで、

深町さんの音楽は全くといっていいほど登場せず、
ミシェル・ルグランの書いたほうの、
それもごく3分くらいのものを、
ろくに考えもせず、
適当に何カ所か貼付けてあるだけ。


補足しますと、
このルグランの音楽は、
映画製作の話が具体化する以前に、
イメージだけで作ったもので、

この映画の音楽としては、
深町さんのものこそふさわしい。

いくら編集に時間がかかったとはいえ、
これは音楽というものを冒涜する行為だ、
と私は思いました。


気の毒なのは深町さんで、
映画の半分くらいのところで、

「 FU○K ! 」
と吐き捨てるように言い残して、
顔を真っ赤にして退場していきましたね。


当然ながら、映画は大コケ。

ルグランさんのレコードも、
深町さんのサン・トラ盤も、

まったくといっていいほど売れず。


このプロジェクトは、

‘ハイ・リスク、ノー・リターン’

になってしまったようです。


 〜 映画はこわいですねえ、
   はずれるとこわいですねえ、

   はい、もう時間来ました。
   それでは皆さん、

   サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ 〜

(最後は淀川長治さん口調でお願いします。)


SHUN MIYAZUMI

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October 17, 2006

私と映画音楽「子連れ狼」

毎日いい天気ですね。
さわやかで本当に気持ちがいい。

このまま冬が来なけりゃいいのに…。

さて、

ここんとこ映画音楽の話が続いてますが、
話ついでに、
『私と映画音楽』 と題して、
いくつか面白いエピソードをご紹介したいと思います。

きょうは、

私の記念すべき ‘初・レコーディング’
のお話です。


私が大学を卒業して、
ひとまずジャズ・ピアニストの道をあきらめて、
このレコード業界に入ったのが1974年。

そこは、
作曲家の村井邦彦さんが社長をつとめる、
「アルファ&アソシエイツ」という音楽原盤制作会社。
(後に「アルファ・レコード」というレコード会社に
 出世。)

当時は所属している‘ユーミン’もまだ売れてなくて、
社員が10人くらいの小さな会社でした。


まだ社会人‘一週間目’で、
業界のことなど、なーんにも解らず、
ただ漠然と会社に行ってるだけの私でしたが、
突然、村井さんから、
「しゅん、明日は日曜日だけど仕事だ。付き合え。」
という命令が下りました。

言われるままに、朝早く起きて、
麻布にある「アオイ・スタジオ」というところに行く。

するとそこでは、
ドラム、ベース、ピアノ、ギターといったリズム隊に、
弦楽器、管楽器、和楽器、ハープ、などなど、
大勢のミュージシャンが、
レコーディングの準備をしている。


「俺は何をすればいいのだろう。」
と、ひとりポカーンとしてるところへ、
村井さんが元気に登場。

「やあ、しゅん。おはよう。
 これから ‘子連れ狼’ という映画音楽の録音だ。
 君は調整室に入って、ディレクターをやるのよ。」

「デ、デ、ディレクターって何やるんですか?」

「録音の進行をやればいいだけよ。
 簡単、簡単。 さ、行った、行った。」

「……。」


なにも解らないまま、その調整室とやらへ。

そこは、宇宙戦艦ヤマトの操縦室のような部屋で、
わけのわからない機械がいっぱい。

ガラス越しに見る向こうの大きなスタジオでは、
さっきのミュージシャンたちが準備を終え、
今まさにレコーディングの開始を待ってるところ。

大きなテープ・レコーダーの前にいる、
アシスタント・エンジニアらしき人からは、
「さ、どうぞ。」 と言われたので、
仕方なく私は、
そのディレクター席とやらに座る。

となりには、
「よろしくお願いします。」
と、多分この方がレコーディング・エンジニア。

そして、後ろを見ると、
なんと主役の若山富三郎さんはじめ、
「勝プロダクション」の関係者がソファにずらり。

この頃から、ひたいにはあぶら汗。
胸はドキドキ。


すると指揮台に立ってる村井さんが、
「しゅん、こっちは準備OKだぞ。早く始めろ!」

「始めろ!」 たって…。

どうすりゃいいのだ…。


するととなりのエンジニアさんが、
ニコニコしながら、
「こちらも準備OKですから、
 どうぞ始めて下さい。」と、
卓からニョッキリ出ているマイクらしき物を見る。

私は、
「そうか、これで何かしゃべればいいんだ。」
と、そのマイクに顔を思い切り近づけて、
「ではみなさん。よろしくお願いしまーす。」
と叫んだ。


すると、

中のスタジオの人たちが一斉に、


「うわ〜〜〜っ!」と付けていたヘッド・フォンをはずし、
ハラホロ・ヒレハレの大騒ぎ。

「ばかやろー。鼓膜が破裂するじゃないかー!」
と怒号の嵐。


「あの、スタジオのマイクはとても感度がいいので、
 顔など近づけなくても、よく聞こえるんですよ。」
と親切なエンジニアさんは教えてくれる。

「こりゃ、新米の、ど素人だな。」とばかり、
テープをまわすアシスタント君はクスクス。

(今はマイクは調整卓に内蔵されてるので、
  こんなことにはなりませんが…。)


私は平謝りに謝って、
なんとかレコーディングの開始までこぎつける。

そしてスタジオの中には、
大きなスクリーンが用意されていて、
「子連れ狼」のシーンを見ながら、
みなさん村井さんの指揮に合わせて演奏開始。

「始まった…。」
と私も一息。

ところが、開始早々30秒くらいのところで、
私はギターのノイズらしきものを発見。

しかしかまわず録音は進むので、
「いいのかなあ。」と思いつつも、ついつい放置。

さて演奏が終わって、
「しゅん、どうだった?」
と村井さん。

私は例のギター・ノイズのことをおそるおそる言う。

途端に、
「ばかやろー、じゃそのとき止めろよ。」
と、またまたミュージシャンたちから怒号の嵐。


その後も、

「しゅん、どうだった?」
「いや、なんというか、
 まあ、いいんじゃないでしょうか。」

「まあいいとは、なにごとだー。
 お前それでもディレクターかー!」
とミュージシャンたち。


「しゅん、どうだった?」
「あんまり良くないのでもう一回行きましょう。」

「どこがどう気に入らないんだ。
 納得いくように説明しろよ。」
とミュージシャンたち。

(こりゃいじめだな…。)


後ろで見守る若山さんはじめ、
「勝プロ」の関係者も、
「こんなやつで、大丈夫かなー?」
と心配そう。


てな感じで、

惨憺たるものでした。

これが記念すべき(?)私の、
‘初めて’のディレクター仕事です。

ずいぶん乱暴な話でしょ。

ですよ。

村井さん。


でも、なにがなんだか解らないままに録音を終え、
しょげかえってる私に、
村井さんは優しく、

「しゅん、おつかれ。
 これ勤務外の仕事だから、ギャラあげるよ。」
と、5000円くれ、
「実は来週もあるんだ。
 こんどは ‘野獣死すべし’ という映画なんだけど。」

「えー、またですかー?」 と私。

(これ、後の有名な松田優作さんのじゃなく、
 藤岡弘というひとが主演した映画で、
 あまりヒットしませんでした。)

でも2回目は、少しはまともに出来ましたよ。

私も少し 「弦楽パート」 も書いたりして。


それにしても村井さんって、
映画音楽にも、
並々ならぬ情熱をお持ちだったんですね。

そして私といえば、
この「野獣死すべし」でも、
5000円のアルバイト料をいただきました。


社長自らアルバイトで映画音楽を書き、
社員にそれを手伝わせてバイト料をくれる。

このいい加減さは、
まさに私にピッタリ。


「ひょっとすると…、こりゃ、
  面白い世界に飛び込んだのかもしれないぞ。」

惨憺たるデビューから一週間後には、
早くもそんな予感に胸躍らせる、

ピカピカの一年生の私、


でした。


SHUN MIYAZUMI


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October 13, 2006

続・座頭市と私

10/11(水)の 『ALL OF ME CLUB』
SUITE VOICE との共演も無事終了。

たくさんのお客さんで大いに盛り上がりましたね。

それにしても、
「マンハッタン・トランスファー」
のレパートリーが中心の彼女たちの譜面は、
なかなかに手強く、
いつも緊張感でいっぱい。

でもうまくいったときの達成感は格別です。

次回、このジョイントは、07年1月24日(水)です。


さて、
3年前に書いた『座頭市と私』をリニューアルしたら、
勝新太郎さんのことを、
もう少し書いてみたくなりました。

というわけで今日は、


『続・座頭市と私』


勝さんの代表作といえば、
なんといっても 『座頭市』。

日本映画を代表する大傑作シリーズですね。

しかし、
勝さんという人の持ち味からみれば、
むしろ 『兵隊やくざ』 のほうが、
より実像に近いのではないかと思っています。


学もなく、やくざあがりで喧嘩っ早く、
しかも女好き、酒好きの
でもいっぱしの正義感はある二等兵(勝さん)が、
規律の厳しい軍隊で巻き起こす様々なトラブル。

なぜかそれを必死でかばう、
東大卒のインテリ上等兵(田村高広)。

そしてこのどうしようもない二等兵は、
この上等兵殿の言うことだけは、
不思議によく聞く。

でもついに堪忍袋の緒が切れた二人は、
悪辣な上官どもをぶん殴って隊を脱走、
そしてそのまま珍道中。

というハチャメチャなシリーズでしたが、
そのひっちゃかめっちゃかの、
二等兵に扮した勝さんの
「やんちゃ坊主」ぶりが、

なんだか 勝新太郎そのもの、
という感じがしてならないのです。


それが証拠に、
彼は一度ハワイに行く飛行機の中で、
大麻を所持していることが発覚して
逮捕されました。

なんでもパンツの中に隠し持ってたとか。

もちろん保釈金を払ってさっさと出て来ましたが、
その直後、記者連中に囲まれての受け答えを、
TVで見ていた私は、
腹がよじれるほど笑ってしまいました。


記者「勝さん、大麻所持とは本当なんですか?」
勝 「いやね、なにがなんだか、
   俺にもさっぱり解らないのよ。」

記者「でもパンツの中に大麻があったんでしょ?」
勝 「そこよ。そこが一番解らないところなのよ。」

記者「じゃなんですか、
   大麻が勝手に歩いて、 
   勝さんのパンツの中に入っていったとでも?」
勝 「そこよ。そうとしか考えられないんだけど、
   そこが不思議なところなのよ。」

などと、
もっともらしいしかめっ面をして答える勝さん。

メモを取る女性記者なんかは、
クスクス笑ってましたね。

質問する記者連中も、
あまりのバカバカしさに
「やってられないよー。」
と思ったに違いありません。

こんな人にかかったら、
法律もお手上げですよね。


さて話を、‘座頭市’に戻しましょう。

私が手がけたフジTV 『座頭市物語』には、
実はすごい主題歌があったのです。

勝さんの提案で実現したのですが、

なんと、

「勝新太郎と石原裕次郎のデュエット」!


本当はレコードのジャケットをお見せしたくて、
家捜ししたのですが、
残念ながら発見できませんでした。

どうも私は、
昔からレコードやCDの管理が悪く、
自分が作ったものですら、その多くを所持していない。

やったらやりっぱなし、
過去は振り返らない、
という性格に生まれてきたようです。


いずれにしてもそのジャケットは、

画面の左半分が座頭市の勝さん、
右半分が侍姿の石原裕次郎さん、

というもの。


ところが、これ、
厳密な意味でのデュエットではない。

だって二人は一度も、
一緒にレコーディングなどしていないのです。


まず私が、アルファのスタジオで、
勝さんの唄をレコーディングする。

そしてロビーで待機している、
テイチクのディレクターのTさんに、
マルチ・テープを渡す。

それを彼が持ち帰って、
テイチクのスタジオで、
今度は石原さんの唄をレコーディング。

そして再びマルチ・テープをもらった私が、
アルファ・スタジオでミックス・ダウン。


すごいですねえ。

昭和を代表する大スターのお二人の、

風格とプライドを見せつけられる、

ひとこまでした。


本当に惜しい人を無くしました。

私は、

勝新太郎のような偉大な役者は、
今後もそう簡単には出て来ないのではないか、

そう思います。



えっ?

「ところでそのレコードは売れたのか」

ですって?


「そこよ。
 そこが俺にも、
  
 さっぱり解らないところなのよ。」


SHUN MIYAZUMI


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October 06, 2006

映画とマナー その2

すごい雨だな。
台風も二つ来てるそうですから、
みなさんどうぞ今日はお気をつけて。

さてきょうも「映画とマナー」と題しまして、
前回のつづきであります。


映画好きの私が、
いつしか映画館に行かなくなったもう一つの理由は、

映画が完全に終わってないのに、
がさがさと席を立たれる、

あれが嫌になったからです。


一例をあげると、

『ラスト・エンペラー』

日本陸軍に利用され、
時代に翻弄された最後の満州皇帝「薄儀」

年老いたかつての‘皇帝’も今ではただの市民。
チケットを買って、
自分の住居だった「紫禁城」に行き、
玉座のうしろに隠してあったコオロギを、
たまたまそこにいた少年に見せ、
かつて自分が国王であったことを証明する。

がらっと同じ場所が今になり、
観光ガイドが、
「最後の満州皇帝‘薄儀’は○○年にここで生まれ、
 ○○年に死にました。」
とツアー客に説明、


その瞬間、

ジャーン♪

坂本龍一の素晴らしい音楽が、
朗々と鳴り響く。

そして画面はタイロル・ロールに変わり、
スタッフやキャストの紹介が延々と続く。

私は思わず目頭が熱くなり、
感動的な音楽にうち震えながら、
この長大な叙事詩の余韻に浸る。

ところが…、

お芝居が終わった途端、
あっちでもこっちでも、
がさがさと席を立ち、

「ジョン・ローンってかっこいいいよね。」
だの、
「坂本さんも素敵ー。」
だの、
ペチャクチャ、ペチャクチャ。


 「あのね、
  映画っていうのはね、

  この文字が全部消えて、
  音楽が鳴りやんで、
  場内が明るくなる、
  ここまででひとつの作品なんですよ。

  それに監督は、
  その映画のために書かれた一番いい‘音楽’を、
  このラスト・シーンのために用意して、
  お客さんに余韻と感動を、
  じっくり味わっていただきたい、

  そう思って作ってるのに、
  ここで立ち上がって帰ってしまうのは、
  その映画を観てないのと同じなんですよ。」

と私は言いたいのだが、
その数があまりにも多いので、
いつも悔しい思いをすることになる。


ましてや、
前回書いた‘くそガキ’のように、

「なんかあ、超つまんないって感じー。」
(こういう経験もいっぱいありますが…。)

なんて言われたら、
感動している私が、

阿呆みたいではありませんか。


アメリカではこんなことはありません。
TVでも、最初からロールの最後まで、
ノーCMで完全に放送します。

それが制作者に対する礼儀だからです。


今ではDVDやビデオで、
容易にお茶の間で楽しめるようになりましたが、

我々日本人って、
レンタル・ビデオが出現する以前は、

映画館に行かない限り、
TVの「洋画劇場」なる番組しか、
洋画に触れることのできませんでしたね。


時間の都合で、ズタズタにカットされ、
いいところで情け容赦なくCMが入り、
お芝居がおわるとさっさと解説者が出てくる、

この悪癖に慣らされちゃったのかもしれませんね。


私がもっとも腹立たしかったのは、

「日曜洋画劇場」かなんかでやった、
バーバラ・ストレイザンドの

『追憶』


不自然なカットにも耐え、
情け容赦のないCMの割り込みにも耐え、
下手なアフレコにも耐えながら観ていたのは、

ひとえに、

ラスト・シーンの、
あの素晴らしい歌手バーバラが唄う『追憶』の、
あの感動に浸りたいから、
ただその一点にあったのです。

そしてやってきたラスト・シーン、

「さあ感動するぞー。」
と身を乗り出してTVに集中。

そしてバーバラがゆっくりと美しい声で唄い出す…、

「メーモリー〜♪」

と、その瞬間、

パッと淀川(長治)さんが現れて、
「はい、良かったですねえー、
 バーバラ・ストレイザンド、きれいですねえー。」

「……。」


またしても、

ぬお〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜(怒)!!


私はこれを編集したTV局のスタッフを、
呪い殺してやろうと思いました。


ということで、

私はもっぱら家で、
誰にも邪魔されることなく、

DVDやビデオで映画を楽しんでおります。

そういう意味では、

いい時代になったのかもしれません。


きょうは、

「オヤジの小言。」

でした。

長くてすみませんです……。


さてさて、
10/9(月)は、
恒例 「六本木 ALL OF ME CLUB」
で、ピアノ・トリオ・ライブです。

若手シンガーも交えて、
いつも大いに盛り上がっています。

祝日(体育の日)ですが、
私の演奏も自称「スポーツ・ジャズ!」

うん、こりゃいい。
つじつまが合った。

どうぞいらして下さい。


SHUN MIYAZUMI

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October 04, 2006

映画とマナー

きのう(3日)の「代々木ナル」にお集りのみなさん、
ありがとうございました。
すごい盛況でしたね。

井口真理ちゃん、
初のジャズ・クラブ・ワンマン
がんばりました。

はたけやま裕姉さんも、
どんどんエンターテイナーになってくなあ。

いいことだ。

次回、12/20(水)に再演決定です。


さて、

前回、『007 ロシアより愛をこめて』 の最後に、
ショーン・コネリー主演の映画 『ロシア・ハウス』
のことを書いたら、
こんな話を思い出したので、

きょうはそれを書きます。


『ロシア・ハウス』

この映画で、
コネリーと恋におちるロシア女性を演じたのが、

ミシェル・ファイファー(MICHELL PFEIFFER)
という美しい女優。

そしてミシェル・ファイファーといえば、
私は真っ先に、

『恋のゆくえ/ファビラス・ベイカー・ボーイズ』

という映画を思い出します。


落ち目のピアノ・デュオ・グループに参加する、
ジャズ・シンガーに扮して、
見事唄まで唄ってしまうという熱演ぶりは、
アカデミー賞主演女優賞にノミネートされたそうです。

全編に流れるジャズ・スタンダードの名曲、
淡いタッチの美しい映像、

なかなかに素晴らしい大人の映画でしたね。


でも私にはちょっと腹立たしい思い出が…。


この映画を、
日比谷にある映画館に観に行ったときのことですから、
1990年か91年あたりの話だと思います。

さっき調べたら、1989年製作とありましたから。


平日の昼間にしてはけっこう混んでいて、
館内はほぼ満席。

もちろん半分は音楽映画の要素もありますから、
私は大いに楽しみながら観ていました。


すると、映画が始まって30分くらい経ったころ、
すぐ後ろの若い(まだ10代じゃないかな)カップルが、
‘カッパ・エビセン’ か ‘ポテト・チップ’ かなんかを、
ボリボリ、クシャクシャ、ガサガサと、
大きな音をたてながら食べ始める。

さらに、
映画がつまらないのか、
クチャクチャとくだらないことをしゃべり始める。

しばらくたっても、
まわりの大人が誰も注意しないので、
私は思わず後ろを振り向き、
「あのさー、もうちょっと静かにしてくんない?」
とささやきました。

すると女のほうが相方の男に向かって、
「静かにしろってぇ〜。」
男は黙って、
「うん。」


これだけか…。

「すみません。」
の一言もない…。


それからしばらくはおとなしかった。

でも、しばらくするとまた、
「ボリボリ、クシャクシャ、ガサガサ」
とお菓子を食べる音、袋から取り出す音、
そして、
くだらないおしゃべりの連続。


ロマンチックないい映画なのに、
完全にムードをぶち壊された私は、
ふりむきざま、
今度はやや強い調子で、

「あのさー、うるさいんだよー。」

と言ってやった。


ところが今度も、
女は悪びれもせず男に向かって、
「うるさいってぇ〜。」
(‘さ’を強調し、最後の‘ぇ〜’をだらしなく言う
 今風のギャル語で)
男は黙って
「うん。」


またしても、

これだけ……。


ほんのちょっと、おとなしくなるものの、
10分もするとまた、
ボリボリ、クシャクシャ、ガサガサ、
ペチャクチャ。


普通に注意しても、
一向に効き目がないので、

今度はかなり怖そうな顔をして、

「うるさい!!!」

とおどかしてやった。


ところが…、

私が画面に向かうと、
この女は小声で男に向かって、
こう言ったのです。

「このひとー、なんかあ、怒ってるって感じー。」

「……。」


この映画のラストシーンは、
あの名曲『マイ・ファニー・バレンタイン』。

ミシェル・ファイファーの切ない唄をバックに、
みんなが散り散りに去っていく、
という印象的なシーン。

こいつらのおかげで、
不愉快な思いもしたけれど、
なんとかその美しい余韻だけは楽しもうと、
画面に集中してたら、

まだ映画は終わってないのに、
まだ映画は終わってな〜〜いのに〜〜、
そのカップルは席を立ち、
がしゃがしゃと帰り支度。

おまけに、
この女は、
またしても、
大きな声で男のほうに向かって、

「なんかあ、この映画、超つまんないって感じー。」


ぬお〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!

普段温厚な私ですが、
ついに切れた。

「お前らは、ガキ向けの漫画でも見てろ。
  それがお似合いだあ!」

「……。」
(キョト〜ン)


映画がまだ完全に終わっていないのに、
ガサガサと席を立たれる、

あれも嫌ですねえ。


「映画は映画館で観るもの。」
が持論の私でしたが、
このあたりの時期から、

私は次第に映画館に行くのを、

ためらうようになってしまいました。


SHUN MIYAZUMI


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September 07, 2006

白線流し(学園紛争 最終回)

10年以上も前のことになりますが、

フジTVで『白線流し』という番組がありました。

長野県松本市の高校に通う3年生たちの「学園生活」
をテーマにした青春ドラマで、

自分の進路や将来に対する希望と不安、
思春期特有の、ガラスのように繊細な心の動き、
また、全日制と夜間部に通う生徒どうしの交流や、
その中から生まれた、
みずみずしい恋愛感情などを描いた、
とても素晴らしい作品。

普段ドラマなどあまり見ない私ですが、
これだけは夢中になって観ていました。

その理由のひとつは、

ジャニーズ事務所に所属する、
‘TOKIO’というグループの‘長瀬智也’の、
初主演作品であるということ。

Uwasano Kiss
その当時私は、
この‘ TOKIO’のプロデューサーをやっており、
わずか1年半の間に、

『LOVE YOU ONLY』という
デビュー・シングルを
皮切りに、
『うわさのキッス』
『風になって』など、
8枚のシングルの制作、
そしてそれらを含む
3枚のアルバムの制作、


さらにコンサートの音楽監督など、
他のことが何も出来ないくらいの忙しさで、
このグループの仕事に追われていた時期。

この長瀬も、

松本でのロケを終えてすぐさま帰京、
夜遅くスタジオに飛び込んできて、
そのままレコーディング、

などという時期だっただけに、
よけい親近感の持てる‘ドラマ’だったわけです。


キャスティングも見事で、
どの役柄の子もみんな適役にして好演!

とりわけ、
「大河内渉(わたる)」という、

複雑な家庭に生まれ、
昼間は鉄工所で働き、夜はこの高校の夜間部に通う、
という孤独な少年の役を、
長瀬が見事に演じきっていたのには、
正直ビックリしました。

当時彼はまだ16才くらいじゃなかったかなあ。

もっとも当の本人は、
「セリフが少ないから、けっこう楽っす。」
などという、全く見当違いの理由で、
この役柄を気に入っていたようですが…。


もうひとつの理由は、

言わずもがな、

私の青春時代がオーバーラップしてくることです。

いつも当時を思いだして、ジーンとしてしまう。


さらには、10年前というと、
私の息子も、
反抗期真っ最中の多感な中学生でしたから、

この‘ドラマ’に出てくる親たちの、
子供を心配する心境も痛いほどわかる。

過去の自分の目を通しても、
今の親の目で観ても、
憎いくらいに気持ちが伝わってくるドラマで、
毎週毎週TVの前で、
くぎ付けになって観ていました。


その最終回。

卒業式が終わって、
学生帽の白線を解いて、
みんなで川に流すラストシーンでは、
‘スピッツ’の主題歌の効果も手伝ってか、
不覚にも涙がポロポロ。


そして、

私にとっての高校3年生はというと、


どうしてもあの‘学園紛争’と、
暑い暑い炎天下での、
「松山商ー三沢」の歴史的死闘が、
真っ先に浮かんでしまう。

私と同い年の連中が演じたあの‘ドラマ’は、
いったい何だったんだろう?

あのエネルギーは、
どこから出ていたんだろう?


あれから37年が経ちました…。


当初軽い気持ちで始めた「高校野球の話」が、
こんな展開になるとは、
思ってもみなかったのですが、

いま改めて、
あのことの‘意味’を考えてみると、


これは、
青春時代にこそ存在する
‘熱’というものの仕業ではないか、
と思うようになってきました。

‘熱’にうなされたように、
炎天下で黙々と球を投げ、
‘熱’にうなされたように、
体制を批判して、少年少女の身で政治行動に出る。


すべては‘熱’という、
内在する‘マグマ’のようなもののなせる業、
と解釈し自分を納得させてしまうのが、
私のような人間には、いちばんふさわしい…。


そして、
「もういちど、
 あの‘熱’を手に入れてみたい!」
と願うのは、

もはや欲張りというものでしょうかね。


こうしてみると、

昭和44年(1969年)という年は、
私の人生において、

どうやら、

‘特別に意味深い一年’


だったようです。


(おわり)


さてさて、9/11(月)は、

恒例‘セカンド・マンデー・ドリーム’
六本木『ALL OF ME CLUB』での、
ピアノ・トリオ・ライブです。

前回は、この高校の仲間も
いっぱい来てくれました。

シンガーのみなさんも、
どんどん唄いに来て下さい。


SHUN MIYAZUMI

写真 : (C) Sony Music Entertainment Inc.

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September 04, 2006

学園紛争 その5

神戸(西宮)の実家に帰省中の、
私の中学校以来の大親友、小原(おはら)氏。

頭脳明晰な彼のことですから、

この一連の学生運動に関しても、
あるいはヘーゲルやマルクスの理論に関しても、
明快な、独自の論理をお持ちのはず。

そして、この錯乱した私の脳みそに、
なんらかの光明を与えてくれるに違いない。

と、大いなる期待をこめて、
彼のご高説を賜りに行ったわけですが、

これが、

見事に大はずれ〜。


ノンポリ度に関しては私よりさらに上を行く、
といった感じの雰囲気で、しかも、
「それがどうした!」とばかり、超然としている。


そして彼は、

「人にはみな
 ‘思想の自由’というものがあるのだから、
 ヘーゲルなど理解できなくてもいいではないか。

 もし我々が自分の意思で、
 ‘これは倒さねばならない相手だ’
 と感じたときに立ち上がっても遅くはないし、
 今そうした行動は、彼らにまかせておいて、
 我々は自分たちの道を模索すべきではないか。

 俺は北大に行って‘文学’をやる。
 (当時彼は、ヘッセやマンといった、
  ドイツ文学に傾倒していました。)
 お前は‘音楽’をやれ。

 あくまで自分のやりたい分野で、
 堂々といろんなことを主張すればいいのだ。」

というようなことを、

言ったのか言わなかったのか、

残念ながら私には、

まったく記憶がありません…。


しかし、数日後、
妙にふっ切れて帰京したことは覚えているので、
自分の無知を適当に正当化して、
良くも悪くも‘開き直り’の気分にさせてくれた、
ことだけは確かなのではないでしょうか。


そして私たちは、

「そうだ京都行こう。」
とか、
「それ今日は須磨離宮だ。」
「やれ難波じゃ、ほれ心斎橋じゃ。」
と、昼間はほっつき歩き、

可愛い女子を見つけては、
O「にいさん、あの子可愛いで〜。」
M「どれどれ。」
とか、
M「あっちの子はどう?」
O「うっひょ〜、ええ感じやなあ。」

などという他愛ない思春期の会話をし、

夜は家で、
夏休み以来となる「サッカー・ゲーム」の再戦。

といった毎日を送ったことだけは、

さらに明確に覚えているところをみると、

この小原というお方も、
私に負けず劣らずの、
かなり「お気楽」な性格の持ち主であることは、

疑いの余地もありません。

(補足しますと、
 当時はコンピューター・ゲームはまだありません。
 ここでいう「サッカー・ゲーム」とは、
 おもちゃの卓上盤のことです。

 鉄の棒に、選手の形をした人形がくっついてて、
 ゴール・キーパーも含めて
 卓上のイレブンを全部、
 自分の手前にあるレバーを操作して、
 ガチャガチャ攻めたり、守ったりする、
 という、極めて原始的な代物。
 (すごくうるさいんですよ、これが。)

 そして、
 自主トレの豊富な「ホーム」の小原氏に対し、
 「アウェー」の私は圧倒的に不利。

 生涯、このゲームだけは、
 いまだ彼に勝ったことはありません。)


ま、そんなことはさておき、

帰京してまもなく、
この学園紛争は、
急転直下、一気に解決することとなります。

この急変には、
当時さまざまな説が飛び交いました。

「PTAの一部や強硬派の教師たちが、
 機動隊導入による強制排除を校長に迫って、
 どうやらやむなく学校側も決断したそうだ。」
とか、
「業を煮やした夜間部の‘民青’が、
 他校の支援者も巻き込んで、
 大掛かりな殴り込みをかけるそうだ。」

あるいは、
「早く学園を元に戻せ。」
という一般生徒の署名運動が活発化してきた。

でもひょっとすると、
一段と冷え込みが厳しくなってきたこの頃、
暖房を切られた校舎に立てこもるのが、
辛くなってきたのでは。

などなど、

様々な噂が飛び交いましたが、
当事者ではないので、
真相のほどはわかりません。

いずれにしても、
ようやくバリケードは撤去され、授業も再開。

3ヶ月にも及ぶわが校の‘学園紛争’は、
一応の終結をみることとなりました。


しかし、その爪痕は意外と深く、
夏休み以前の、
やれ修学旅行だ、体育祭だ、学園祭だ、
などに象徴される、
和気あいあいとした‘学園生活’に戻ることは、
ついにありませんでした。


そして、またたく間にその年も終わり、
年が明けると我々3年生は、
大慌てで受験準備をしたり、
各々が進路に向かって勝手に行動を始め、

殺伐としたなか、
あっという間に、駆け足で、

『卒業式』


さすがに卒業証書を手にしたクラスメートの顔には、
元の明るさが戻ってはいましたが、
めいめいが次の進路に向かって、
「じゃお元気で。バイバーイ!」てな感じの、
あっけらかんとした最後。

私も、
「さあ、大学に行ってジャズだ、ジャズだ。」
と、気分はすっかりそっちのほう。


今にして思えば、

ドラマ『白線流し』のような、
感動的なクライマックスなんかも、
やってみたかったなあ、

と、ちょっぴり悔しい気分、

ではありますが…。


(つづく)


SHUN MIYAZUMI


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September 01, 2006

学園紛争 その4

8/29(火)の『代々木ナル』
‘SUITE VOICE’とのライブにお越しのみなさん、
ありがとうございました。

若いお客さんがいっぱいで、
彼女らのファン層の広さにビックリ。

おかげでこっちもノリノリでした。

次回、この共演は
10/11(水)『六本木 ALL OF ME CLUB』です。

みんな、また来てね!


さてさて、まだまだ続く‘学園紛争’


何だか‘ミイラとりがミイラ’のような感じで、
荒れはてた校舎内をうろちょろするうちに、
「化学」の教員室の前を通りかかると、

またしても、

「おい、宮住じゃないか。」
と中から聞いたことのあるような声がして、
立ち止まる私。

なにやら薬品の壜をいじりながら声をかけたのは、
これも同じクラスのT君というやつ。

「おお、Tか。何してんの?」
と中に入る。

「いやね、今宵あたり
 夜間部の‘民青’(という一セクト)が襲撃してくる、
 という噂があってさ。
 だから、これで対決してやろうと思ってんだ。」
と、‘硫酸’や‘塩酸’といった、
なんとも危険な薬品をセレクトしている。

(注:うちの高校には夜間部がありました。)

いくら何でも、そこまでやってはいけないと思い、
私はこれには反論。


すると彼は、
「いや、‘プロレタリアート階級闘争’のためには、
 多少の犠牲は仕方ないのだ。」
と言う。

私は、
「じゃ、何かい、
 あーたの家は、かなりの資産家だそうだけど、
 親父を倒して、
 その財産や資産を山谷の労働者に分け与える、
 とでも言うんですかい?」

とでも言いたかったが、
‘無知’に近い私ではたちまち論破されると思い、
ここはじっと我慢の子。


さらに彼は驚くべきことを言う。


「そういえばお前、
 期末の‘化学’、20点だぞ。」

「なぬっ、どうして知ってる!」

と、教員の机を見ると、
期末試験の答案用紙が全クラス分、
ぶあーっと散乱している。

そのなかから自分のクラスのを探しだしてみると、

確かに私は、

20点…。ぐすっ…。

しかしこのTは、

もっと低い…。

私は、
「あーたね、
 私より‘化学’の成績の悪い分際で、
 そんな危険な薬品扱ってもいいの?」

とも言いたくなったが、
‘硫酸’をぶっかけられるのも嫌なので、
ここでもじっと我慢の子。


しかし、

「革命」というのは、こういうことなのか。
きのうまでの上下関係やら秩序というものが、
まるで正反対の状況になってしまうものなのか、

と、紛争勃発以来初めて、
がく然とした思いで、
私は朝方、むなしく帰宅しました。


翌日。

「これは俺も少し勉強せねばならんわい。」
と思いたち、さっそく本屋へ。

そして、彼らが言ってた本をごっそり買い込む。

「共産党宣言」(マルクス&エンゲルス)
「弁証法」(ヘーゲル)
「共同幻想論」(吉本隆明)
「邪宗門」(高橋和巳)
「死霊」(埴谷雄高)

そして数日で、これらをたちまちにして読破、

と言いたいところですが、

これはウソ!


本当は、

書いてあることが、

な〜〜〜〜〜〜〜んにも解らん!?

どれもこれも難しすぎる……?。

すべてが‘別の惑星’の言葉のように思える。


「彼らはこれを本当に理解しているのか?
 だとしたら俺は、
 本当は‘真性バカ’ではないのか?」

と、かつて経験したことのない劣等感に陥る私。

そして、何度トライしようとしても私の手は、
傍らに置いてある、
「ビッグ・コミック」や「漫画アクション」
に自然に伸びてしまって、
結局は‘ゴルゴ13’や‘ルパン三世’
を読みふけることになってしまう。


もはや、
これらを自力で読破することをあきらめた私は、

「誰か俺に、
 これらを簡単にレクチュアしてくれるやつは
 いないものか?」

と、またしてもイージーな道を模索する。


そうだ!

と、ここで、

またしても小原氏登場!

父親の転勤で、
中学校の2年間を「三重県四日市」というところで、
ともに暮らした級友小原氏が、
連休を利用して、
神戸(西宮)の実家に帰省しているはずだ。

(この小原氏は、
 今後もこのエッセイにたびたび登場するので、
 以後お見知り置きのほどを。)

彼なら、私よりずっと成績も良かったし、
アタマもいいはず。
きっと私にわかりやすく説明してくれるに違いない。

と思い、
夏休み以来再び私は、
西宮の彼の実家に出かけて行ったのでした。

季節は晩秋、
11月も早や下旬を迎えようとしていました。


(つづく)


SHUN MIYAZUMI

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August 28, 2006

学園紛争 その3

思い出は、果てしなく続く…。

昭和44年の秋。
私が高3の秋。

夏休みが終了と同時に生じた、
私が通う高校の‘バリケード封鎖’は、
早や3ヶ月目を迎えようとしていました。


そんなある日、

私は思い切って、
立てこもってるやつらを訪問してみようと思い、
夜も10時をまわった頃、
ひとりで学校に向かいました。

校舎に入ってすぐ、
椅子や机によるバリケードの入り口には、
ひとりの門番らしき男が、
白ヘルに顔をタオルで覆ってどっかと座っている。

すると、その男が私を見て、
「なんだ、宮住じゃないか。」
と、タオルを下にずらして顔を見せる。

同じクラスのK君というやつだった。

普段は物静かで、あまり目立たない男ゆえ、
こんなやつまで参加してたのか、
と二度ビックリ。

K「なんの用だ。」
私「いや、みんな元気かなと思ってさ。」
K「そうか。じゃついてこいよ。」

とあっさり通してくれた。


階段を上って、久しぶりに自分の教室に行くと、
闘争に参加しているたくさんの連中が、
一斉に‘じろっ’とこっちを見る。

教室はがらーんとしていて、
みんなが食べたり飲んだりした残骸や、
吸い殻でいっぱいの灰皿なんかが、
無造作に散らばっている。

そこへ、リーダー格のOという男が現れ、
「おお、宮住じゃないか。
 君も参加してくれるのか。」
と声をかけてくれた。

「いや、そうじゃないんだけど、
 こっちもそろそろ無関心ではいられなくてさ。」
とやんわり私。

そして私は、

「受験を控えた3年生などは、
 必ずしも君たちの行動を
 快く思っていないのでは。」
あるいは、
「学園を通常の形に戻してから、
 教師も交えてみんなで討論を積み重ねる、
 という方法もあるのではないか。」

などということを、もっともらしく語ってみた。


するとO君、さすがにリーダーらしく穏やかに、
「いや、
 もうそんな悠長なことを言ってられないのだ。
 ‘プロレタリアート階級闘争’に関しては、
 君も少しくらいは知識があるだろ?」
ときた。

困った私は、
「い、いや、それが、恥ずかしながら、
 いたって‘政治オンチ’なもんで。」
と、もじもじ。

O君は怒りもせずニコニコと、
「ならヘーゲルの‘弁証法’なんか読むといい。
 マルクスにも影響を与えた哲学者だ。」

すると近くにいたやつが、
「いきなりヘーゲルじゃ難しすぎるよ。
 吉本隆明‘共同幻想論’なんかが、
 手始めにいいんじゃないかな。」
 (ちなみに吉本隆明とは、
  作家‘よしもとばなな’さんのお父さん。)

さらに別のやつが、
「いや、最初は小説のほうがわかりやすいぞ。
 高橋和巳‘邪宗門’とか、埴谷雄高‘死霊’
 あたりだったら知ってるよな。」

とかなんとか、

入れ替わり立ち替わり、
矢継ぎ早に攻勢がかかる。


チンプンカンプンの私は、

「いや、それが、ハハハ、なんとも…。
 『赤頭巾ちゃん気をつけて』なら読んだけど。」
と思わず言いそうになったが、

やめた…。


そうこうするうちに、
過激そうな女闘士のひとりが、

「まさか、あんた、
 ‘共産党宣言’(マルクス&エンゲルス)
 も読んだことなくて、
 ここへ来たんじゃないでしょうね。」
と強い口調で迫ってきた。

にわかに雲行きが怪しくなったので、
「また来るわー。」
と、すみやかに退散。


それから、今度は、
いろんなクラスを覗いてみようと、
荒れ果てた校舎内をうろちょろ。

すると、どのクラスでも、
あちこちに集まって討論会をやってたり、
ギターの弾けるやつを中心に、
「遠い世界に」(五つの赤い風船)など、
学生運動に影響を与えたフォーク歌手(グループ)
の曲を、男女仲良く肩を組んで合唱したりしている。

まるで、
アメリカ映画『いちご白書』
サークル・ゲームのようだ。

「なあんだ、
 けっこう青春してるんじゃないか。」
と、ここでも場違いな感想を持つ私。


それにしても、さすがの私も、
ヘーゲルだの、吉本隆明だの、埴谷雄高だの、
聞いたことのない名前ばかり並べられては、
いささか頭が混乱してきたことは事実。


さらに、

この立てこもってる連中のなかには、
他校の生徒もかなりいたらしい。

いわゆる外人部隊。


これは後日、私が社会人になって、
直接‘本人’から聞いたことなのですが、

今や世界的に著名な音楽家、R.S.氏も、
この輪のなかにいたらしい。

なんでも、自校で人数が揃わず、
こうした闘争にまで至らなかった、
ということで、
ご丁寧に他校の応援部隊として、
馳せ参じていたとのこと。

もっとも後日、彼の、
「駒場は可愛い女子がいっぱいいたからなあ。
 うちなんか、数も少ない上に、
 ‘ブス’ばっかだったからさ。、ハハハ。」
と言うに至っては、

「あーた、うちの学校に、
 何しに来とったんやー。」
と言ってやりましたが、

それもこれも含めて、
いつまでたっても私を混乱させる、

そんな出来事ではありましたね。

この学園紛争。

……。

(つづく)



さあ、29日(火)は『代々木ナル』

素敵な女性ジャズ・コーラス・グループ
‘SUITE VOICE’との共演です。
今年2回目。

ベースは久しぶりに、
山口和与さん。

どうぞ、いらして下さい。

「山谷ブルース」や「受験生ブルース」は
できませんが、

「Cジャム・ブルース」とか
「ハーレム・ブルース」なら、


できます。

ハイ。


SHUN MIYAZUMI

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August 26, 2006

学園紛争 その2

きのうの「A'TRAIN」も盛り上がったなあ。
みなさん、ありがとうございました。

いつもの若手シンガーたちはいなかったけど、
新しいお客さんもいっぱいいて、
それなりに新鮮。
したがって、久しぶりにインストの炸裂。

朝まで年を忘れてギンギンの演奏。
おかげで、きょうは使い物になりません。
ハハハ。


というわけで、
今日も、またまた昭和44年に、
タイム・スリップ。


思ってもみなかった‘学園バリケード封鎖’

しかし、楽観的な私は、
「所詮高校生のやることゆえ、
 そんなに長くは続くまい」
と正直思ってました。

それに‘家での自習’ができるような意志の強さ、
など持ち合わせていないことは、
この夏の四国で実証済み。

したがって「図書館にでも行ってくる」と母に言い、
一応勉強道具だけは持って、学校には出かけていく。

しかし、1週間経っても、2週間経っても、
いっこうに解決する気配はない。

それに聞くところによると、
立てこもってる生徒の数はかなりのもので、
うちのクラスから参加してる数が最も多い、
というではありませんか。

女子も多数いるそう。


そのうち校庭や中庭では、
あちこちで集会が行われるように。

闘争に参加していない一般生徒も、
この問題を真剣に考えよう、
ということらしい。


今まで全くの‘政治オンチ’の私でしたから、
いったい何でこんなことなったのか、
皆目理解ができないというのが本音。

ゆえに、こうなったら私も、
集会に参加してみようかなと思い、
そーっと輪の中にもぐりこむ。
それもなるべく可愛い女子がいるあたりを狙って…。


すると闘争には参加していないものの、
彼らと同じ思想を持つリーダー格の男女が、
‘彼らの行動及びプロレタリア革命の正当性’
‘このままでは日本はだめになる’
などということを、
口角泡を飛ばして理論的にまくしたててる。

それを地べたで膝小僧をかかえながら、
輪になって真剣に聞く男女。

「われわれのー」
とか、
「内なる自己の総括においてー」
といった、
TVでしか見たことのない、
全共闘特有の、実に流暢な言い回しで。

「そんな硬いこと言わないで。」
とか、
「こんな乱暴な手段を取らなくたって、
 他にやりようが。」
などと発言しようものなら、
途端に、周りの男女から
「このバーカ」
といった冷たい視線が浴びせられる。

リーダー格からは、
「この‘日和見(ひよりみ)め’。
 お前のような奴がいるから、日本はだめなのだ。」
と矢のような攻撃。

こりゃいかん、
と早々に退散。


「おや、あっちのほうでは何やら音がするぞ」
とそっちの集会に行ってみると、
そこでは別のクラスのH君による、
フォーク・コンサート。

ギターをかき鳴らしながら、
当時の学生運動のバイブルとも言われていた、
岡林信康、高石ともや、加川良、
などの唄を、実にうまく歌っている。

それを輪になって真剣に聴く男女。

「チューリップのアップリケ」
「受験生ブルース」
「教訓」

それまで洋楽しか聴いたことがなかった私でしたから、
これはこれで実に新鮮。

さらにどこまでいってもNO天気な私は、
「へえー、H君ってあんな才能があったんだ。
 ギターも唄もうまいなあ。」
と全く筋違いな感想を持って聞き入る。


さらに「おや、あれはなんだ」
と別の集会に行くと、
N君という友達が、
ビートルズやローリング・ストーンズの曲を、
見事に弾き語り。

「うああ、こいつもうまいなあ。
 きっと女の子にモテモテなんだろうなあ。
 よおし。俺も大学に行ったら、
 絶対ジャズ・ピアノをマスターしてやる。」
と、またまた大幅に筋違いの感想を持って聞き入る。

ただし政治オンチの私には、理論的な集会よりは、
少なくともこういった音楽コンサートのほうが、
まだピンと来る。

ま、とりあえず学校には行くものの。
毎日、毎日がこんな状況。

そして、9月がすぎ、10月がすぎ…。

事態は一向に進展しない。


そしてどこまで行っても、
誰に話を聞いても、
今回の学園紛争そのものが、
私にはあまりよく理解のできない事柄。

「俺はバカなんだろうか?」
とも真剣に思った。

よおし、

「こうなったら思い切って、
 立てこもってるやつらを表敬訪問して、
 直接話を聞いてやるかな。」

と思い立ったのでした。


(つづく)



ようやく涼しくなってきましたね。

昼は、
夏の終わりを告げる、
物悲しいセミの大合唱。


夜は、

あれ松虫が鳴いている

チンチロチンチロ、チンチロリン…。


SHUM MIYAZUMI


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August 23, 2006

学園紛争

「早稲田実業」「駒大苫小牧」の選手のみなさん、
そしてこの甲子園大会に出場した選手のみなさん、

本当にお疲れさまでした。

素晴らしい大会でしたね。
大いに楽しませてもらいました。

来年も待ってるぞー。


それにしても、
高校野球の話にはじまり、
昭和44年夏の「松山商業−三沢高校」の激闘の話、
なんかを書いていたら、
なんとそれ以来となる‘決勝戦再試合’になるなんて…。

あまりのタイミングのよさに、
自分でもビックリしています。

したがって私の心は今もなお、
昭和44年に戻ったまま。


そしてこの年は、
私の人生において、
もうひとつ衝撃的なことがあったのです。


2学期がはじまり、
「いよいよ本格的に受験勉強だ。
 夏休みの失敗を取り返すぞー。」
と、決意もあらたに登校した私。

ところが、私の通う高校は、
大変なことになっていました。

それは、

「バリケード封鎖!」


校舎に入ってすぐの階段の手前のところに、
うず高く積み上げられた椅子と机。

白いヘルメットをかぶり、
顔をタオルで覆い、
手には何やらぶっそうな棒を持った連中が、
‘通せんぼ’をしていて、
私たちは教室に行くことができない。

靴箱のところには、
「全校生徒は中庭に集まるように。」
という貼り紙。

仕方なく、多くの一般生徒と一緒に中庭に行くと、
困り切った表情の校長先生からお話が。

その内容はというと、

「本日一部の生徒たちにより本校は占拠されました。
 現在教職員が懸命に説得にあたっていますが、
 解決には至っていません。
 ただしみなさんは決して動揺することなく、
 しっかり自習に励んで下さい。」

というもの。


「ありゃりゃ。」

意気揚々と登校したばかりだったので、
こりゃ完全に肩透かし。

さらに我が校には女子が多く、
まあそれなりに学園生活を楽しんでた私でしたから、
「なんだ、つまんねえの。」
というのが、不謹慎ながらもその時の率直な感想。


この数年前から、
日米安全保障条約に反対する学生運動の波は、
全国の大学という大学に拡がり、
前の年には有名な‘安田講堂’事件が起こり、
東大の入試までもが中止になるという、
前代未聞の出来事にまで発展。

その熱風が、
ついに高校にまでやってきた、
とまあこういうわけです。


そして、当初の彼らの標的は、
強引に安保を強行した自民党政府だったのですが、
思想のズレから次第に内部分裂を始め、
「プロレタリア革命!」という名のもとに、
「中核」「革マル」など様々なセクト争いにまで発展。

さながら、
東映映画『仁義なき戦い』
のような様相を呈してきていた、

そんな時代。


そうそう‘セクト争い’といえば、
こんなこともありました。


私の通う高校は、
井の頭線「駒場東大前」というところにあります。

そして駅の向こう側には大きな時計台。

そう‘東大教養学部’です。

私は何人かの友達と、
土曜日の放課後は、この東大の‘学食’に、
よく昼メシを食いに行っていました。

120円のA定食とか、
150円のB定食とか、
これがなかなかうまいんですよ。
(もちろん当時の価格です)


そんなある日のこと。

4、5人の仲間とメシを食い終わり、
「こんなところに入れたらいいなあ。」
と、途方もないことをほざきながら、
のんびりと東大構内を散歩していたその時、

突然‘キーーーーー’と正門が閉まる。
すると間もなく、門の外には不穏なざわめき。

やがて、‘ドーン、ドーン’とドアを開けようとする音。
そして火炎瓶やら石やらが、あられのように降ってきて、
さらには放水車まで用意しているのか、
ドバーっと水までもが門の上から降りかかってくる。

「すわっ、赤穂浪士の討ち入りか!」
と思う間もなく、
門はこじ開けられる。

どうやら日大の全共闘の襲撃らしい。

するとどこに隠れていたのか、
おびただしい数の吉良家のサムライ達が、

じゃなかった、

おびただしい数の東大全共闘が、あちこちから、
ヘルメットにタオル、手にはゲバ棒といったいでたちで、
ブワ〜っと現れて、
構内はたちまち戦場と化す。

石でおもいきり殴られ、
ヘルメットも割れ、
血だらけで倒れる学生。

あっちでもこっちでも、
ゲバ棒で殴り合う学生達で、
構内はもう騒然。

「これがいわゆる‘内ゲバ’というやつか…。」

「大変なところに来てしまった…。」

さあ、あちこちの戦闘シーンをくぐり抜け、
石や火炎瓶が飛び交うなか、
「あわわ」「あわわ」と懸命に逃げ惑う私たち。

ようやく、

ほうほうの体で逃げ切った私たちでしたが、
そんな記憶も冷めやらぬうちに、
まさか自分の通う高校までもが、
そんな紛争に巻き込まれるとは、

夢にも思いませんでした。

(つづく)

ところで、
高校野球が終わると、
一気に‘秋’の雰囲気になりますね。

ちょっぴり寂寥感。

毎年のことですが…。


SHUN MIYAZUMI


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August 17, 2006

松山商業 その5

私の8/6の予言通り、
今年の甲子園は面白すぎますね。

派手な打ち合い。
逆転につぐ逆転。

おかげで、仕事になりません。


きょうの2試合もすごかったー。
特に「帝京-智辯和歌山」は壮絶!

ホームラン7本が飛び交うノーガードの打ち合い。
9回にだめ押し3ランが出て、
帝京が一挙8点を取って12-8と逆転したときは、
正直、帝京の勝ち、と思いました。

しかし9回裏に、
今度は智辯の4番が3ランを打って1点差。
そしてそのまま再逆転、サヨナラ勝ち。(13-12)

「おいおい、
 劇画を見てるんじゃないんだろうな。」

と言いたくなるような凄い試合。

「野球は筋書きのないドラマ」
とはよくいったもの。

これだから、やめられませんね、
高校野球は。


しかし、打ち合いもいいけど、

昭和44年の夏の「松山商業」は、
それはそれは、
芸術的ともいえる、
素晴らしい‘守りの野球’でしたよ。


夏休みを、
四国の素敵な自然環境の中で、
大いに受験勉強に励もうという私の目標は、
生来の‘意志の弱さ’と‘なまけもの’
という性格ゆえ、
もろくも崩れ去ってしまいました。

ということで、
志半ばにして四国を後にした私。

しかしすぐに帰京しないところが、
私のひとすじ縄ではいかないところ。


ちょうどその時、
神戸(西宮)の実家に帰省していた、
中学校時代の親友、小原(おはら)氏を訪ね、
なぜか、そのまま数日逗留。

昼は大阪や神戸の街を散策。
たまたま立ち寄った心斎橋の電気屋で、
「松山商1-0鹿児島商」
と、きょうも完封勝ちしたことを知る。

夜はふたりで「サッカー・ゲーム」に没頭。

でも、いよいよ、本当に「ヤバい」と思い、
今度こそあきらめて帰路につく。

新幹線の中では、
かすかに聞こえるラジオ放送で松山商は、
優勝候補の一角、
藤波(のち中日)のいる静岡商を4-1、
準々決勝で下したことを確認。

久しぶりの我が家で、
それでも翌日は準決勝を観る。
若狭(福井)を5-0でなんなく一蹴した松山商は、
本当に公約通り、
決勝までコマを進めてしまいました。


そしてあの運命の日。

誰もが、
「高校野球史上最高の決勝戦!」
「史上最も感銘を与えた試合!」
と絶賛してやまない、
あの「三沢(青森)」との決勝戦の日を迎えました。

この試合の様子は、
8/9に書いた「松山商業」というエッセイの中で、
当時の新聞記事が読めるようになっていますので、
ここでくどくど解説するのはやめましょう。

とにかく歴史的な死闘とはこのこと。

試合はどっちも譲らず、
スコアボードには 0-0 が果てしなく続く。

特に、
相手、太田幸司投手に手も足もでない松山商が、
踏ん張って踏ん張って、
「こちらも絶対に点をやらないぞ。」
と頑張る姿が、
本当に鳥肌が立つほどの感動を覚えました。

そして私の中に、
あの四国予選で見た、
丸亀商、井原投手との試合が
ありありとよみがえって来たのです。

「ああ、あのときの、あのチームなら、
 再びこんな試合をやってのけても不思議はない。」
と思ったのです。

そして、
今、日本中に、
こんな感動を与えているこいつらは、
私とおない年ではないか、

お前ら、
どうして、こんなに頑張れるんだ!

でもここに来るまで、
想像を絶する練習をしてきたんだろうなあ…、

とも思った。

のほほんとした学園生活や、
自堕落な夏休みを送ってきた私には、
それがよけい衝撃的でした。


延長15回の裏は、
一死満塁、ノー・スリーの絶対絶命をしのぎ、
16回裏も、
一死満塁、ノー・ツーからスクイズを見破り、
これまた奇跡的に守り切る。

そして延長18回。
0-0 のまま再試合に…。

1時に始まった試合は、
5時半になろうとしていました。

しばらくは、声もでないほどの感動…。


その後、2学期が始まるまでの10日間は、
なんの記憶も残ってないところを見ると、
おそらく、私も少しは反省。
人並みには勉強したのではないでしょうか。


そして9月。2学期が始まる。
「松山商」のやつらに負けてたまるか、
と、私にしては珍しく「ヤル気まんまん」で、
始業式に臨むため登校した私。


ところが、

私の通う高校は、

これが大変なことになっていました。


SHUN MIYAZUMI

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August 15, 2006

松山商業 その4

いやあ、すごい試合でした!
「青森山田-駒大苫小牧」

一時は1-7と大劣勢の駒大苫小牧。
青森山田も相当に強く、
私は優勝候補の一角と見ていましたから、
正直「駒大も、もはやここまで」と思ってました。

それが、驚異的な追い上げ。
9回にまさかの同点ホームラン。
そしてサヨナラ逆転勝利。(10-9)

なんという底力でしょうか。
このチームを倒せるところはあるのでしょうか。

いずれにしても、球史に残る名試合でした。


それから、きのうの『ALL OF ME CLUB』ライブ。
「お盆だからお客さん少ないだろうな。」
と思ってたら、これが満員大盛況。
ありがとうございました。

懐かしい高校の仲間も来てくれて、
すごく嬉しかったです。

若手シンガーもみんな良かった。

次は9/11(月)です。
またみんな来てね!


さて、時計の針を‘昭和44年の夏’
に戻しましょう。


母の予感が見事に的中。
素晴らしい環境で、
ほとんど毎日快適に遊んでばかりの私。

しかし、一日1回の海水浴以外は、
けっこう部屋にとじこもってるので、
親戚の人はみんな、
私がちゃんと勉強してると思っていたようです。

まさかその大半を、
‘高校野球観戦’と‘昼寝’に費やしてる
とは誰も思っていない。


そんなある日、伯父が
「しゅんは、よく勉強するから感心だ。
 明日はご褒美に、釣りに連れていってやろう。」
と言ってくれました。

多少の‘うしろめたさ’はあるものの、
「わあい」と素直に喜ぶ私。

きょうはそんな、
瀬戸内特有の‘釣り’のお話です。


翌朝5時ごろ起こされ、居間に行くと、
おばあちゃんや叔母らおなご衆が、
私たちの昼食の‘にぎり飯’を作っている。

そして伯父やら他の親戚の人やら、
総勢6、7人で近くの漁港まで歩く。
もちろん、いとこのおさむも一緒。

そこにはチャーターした舟と船頭さんが待っている。

「ポンポン」というエンジンの音も軽やかに、
舟は美しい瀬戸内の島々の間を、
波をけ立てて進んでいく。

やがて「このあたりで良かろう」と、
船頭さんがエンジンを止め、
プカプカと浮いた舟の上から、
一同‘釣り’の開始。


この瀬戸内特有の‘釣り’とは、
釣りざおを使わないことにあります。

いわゆる‘糸釣り’

舟からおもりをつけた‘糸’を海中に投げる。
瀬戸内の海はさほど深くないので、
すぐに海底に到着。
そこから、糸をほんの少しだけ上に上げて、
ゆらゆらと糸を動かしながら、
潮の流れでやって来る魚が食いつくのを待つのです。

父もこの‘釣り’が大好きで、
私は子供の頃から、
四国に来るたびに、
連れてきてもらってました。

景色も抜群で、本当にのどか。
最高に気持ちがいい。

そして、よく釣れるんです、これが。
‘めばる’‘ベラ’‘さば’など、
煮魚に最適な魚が中心。

ちょっと釣れなくなると船頭さんが、
「潮の流れが変わったな。」
とまた舟を動かし、
良さそうな魚場まで移動。

私には「潮の流れが変わった」なんて
ぜんぜんわかりませんが、
プロってのはすごいですね。


お昼になると、
近くの島(ほとんどが無人島)に舟をつけて、
釣った魚をさばいて‘刺し身’にしたり
切り身を‘みそ汁’の中にぶち込んで、
おばあちゃんたちが作ってくれた
‘にぎり飯’と一緒に食う。

これがまた最高に美味い!

ちなみに、母には男兄弟が6人もいて、
これがみんな上手に魚をさばく。

冬には‘ふぐ’なんかも魚屋から買ってきて、
家で勝手に調理してしまうのです。
どこに毒があるかなんて、
ちゃんとわかってる。

私は伯父(叔父)の調理する
‘ふぐ刺し’や‘てっちり’を、
子供の頃からいやというほど食べているので、
都内の小料理屋で、
何万円もする‘ふぐ料理’なんか、
一向に食べる気がしません。

人のご馳走になるのなら別ですが。


おとな衆がくつろいでる間に、
私とおさむは、
近くの岩場で‘さざえ’取り。

海にもぐって、
岩にへばりついてる‘さざえ’を、
箸で落として拾う。

こどもの頃は、
ほんの30分くらいで、
バケツ一杯分くらいの‘さざえ’が
容易に取れたんですよ。

なんという‘海の幸’の恵みでしょうか。

さて、午後は、
みんなのおみやげ用に、
もうひと釣り。

そして、
水槽にあふれんばかりの大漁となって、
夕方、悠々として漁港に帰って行く。

もちろんこれが夜のおかずです。

素晴らしいですね。

でも、聞くところによると、
最近は高松からの工場用水による汚染で、
瀬戸内の海もかなり被害を受けてるそう。

いけませんねえ、
自然破壊は。


さて、そんな楽しい日々を送ってる間に、
いよいよ「甲子園の本大会」が開幕。
私が注目している「松山商」は、
1回戦で「高知商」を10-0で難なく撃破。


そして、
夏休みも半分が過ぎたこの頃になると、
さすがの私も、いささか心配になってきました。

「こりゃ、東京に戻ってちゃんと勉強しないと、
 やばいかな…。」

というわけで、
予定を大幅に繰り上げて、
(実は休みの間は、
 ずっと四国にいるつもりでした。)
帰京することにしたのです。

(つづく)

さ、親父の墓参りにでも行こうかな。


SHUN MIYAZUMI

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August 13, 2006

松山商業 その3

昭和44年の夏。高3の夏。四国の夏。
その2日目。

おいしい‘朝ご飯’をいただいたあと、
ちょっと海辺を散歩。
「さあ、今日からはしっかり勉強するぞ!」
と決意も新たに部屋に戻る。

30分くらい参考書をめくったあと、
「ちょっとだけだぞ」と言い聞かせてTVをつける。
しかし、そのまま‘高校野球香川県予選’に没頭。

そうこうするうちに、
「しゅんちゃーん、お昼よー。」と叔母の声。
今日のお昼は、これまた本場‘小豆島のそーめん’。

昼食後、少しだけ勉強。
その後またしても野球観戦。
するとまた、ヒマなおさむちゃんが、
「泳ぎに行こうぜー。」と誘惑に来る。
もちろん二つ返事で、優雅にふたりで海水浴。

家に帰って‘すいか’を食って、
少しだけ勉強、そしてまた野球、そのうち昼寝…。

そうこうするうちに、
「しゅんちゃーん、ご飯よー。」と叔母の声。

今日も豪勢な‘海の幸’がドッチャリ。

そして、この瀬戸内の魚が、本当に美味い!
鯛、カレイ、めばる、さば、ままかり、たこetc.etc.
どれもこれも身が引きしまってて抜群のお味。


さらにこの‘庵治(あじ)’という土地は、
表は瀬戸内海に面し、裏は山。
したがって‘山の幸’も豊富。

今でこそ県道が東西に走り、
高松から車で20分くらいで行けますが、
私が小さいころは、
険しい山を登り、そして海に向かって下っていくという、
なかなかに行きづらい場所でした。
高松から、車でも1時間くらいかかった。

前々回、ここは‘平家の落人村’として有名、
と書きましたが、
四方を海と山に囲まれ、
しかも‘海の幸’‘山の幸’が豊富。
平家も実にうまいところに落ち延びたものです。

ちなみに母の旧姓は「兜(かぶと)」。
間違いなく平家の落ち武者の末裔だと思います。


こうして一家団欒。
大勢でワイワイと美味しい食事をするうちに、
きょうも終了。

「いかん。明日からは本当に勉強しなくては!」
と今度こそ言い聞かせて寝る。


しかし翌日も、
さらにその翌日も、
それからさらにその翌日も、

ずっとこんな生活になってしまいました…。

母が抱いていた不安は、
見事に的中したようです。


そんななか、
高校野球の地区予選も終盤をむかえ、
いよいよ北四国大会というクライマックスに突入。

当時は今のように49代表制ではなく、
2県で一代表という厳しいものでした。
甲子園への道は、今の倍険しかったわけです。

四国からは、
北四国(愛媛、香川)から1校、
南四国(徳島、高知)から1校、
が、代表として甲子園に進めます。


その北四国大会の1回戦、
「松山商(愛媛)-丸亀商(香川)」の試合は、
私をくぎ付けにしてしまいました。

試合は、
息詰まる投手戦、
そして両チーム鉄壁の守備。
9回を終わって 0-0 のまま延長戦へ。

しかも特筆すべきは、
「松山商」は9回を終わった時点で、
‘完全試合’をやられていたということです。

それもそのはず、
丸亀商のピッチャーは、
のちにヤクルトのエースとして活躍する、
井原慎一朗。

とても高校生では打てないだろうという、
早いストレートと切れのいい変化球を投げる。

一方、終始劣勢の松山商も、
エース井上の粘り強いピッチングと、
見事な内外野の守備で、守り抜く。

そして延長15回の表。
ついに疲れの見えた井原から、
松山商は一挙5点を奪って、5-0で逃げ切り。

「相手のピッチャーがすごい時は、
 とにかくこっちも粘って点をやらない。
 そして相手が疲れるのを待つ。」
という驚異的な守りの野球。

とにかく、レベルの高い、
感動的な、すごい試合でした。

翌日の決勝戦も、
4-0で高松商(香川)を振り切った松山商が、
晴れて北四国代表として、
甲子園への切符を手にしました。

しかもインタビューアーの、
「甲子園での目標は?」
という問いに対し、
松山商の主将(大森といったかな)はきっぱりと、
「全国制覇です!」
と言いきった。

当時は、
「まず初戦突破です。」とか、
「一戦一戦大事に戦います。」
といった、謙虚な発言が普通だっただけに、
この大胆な発言にもビックリ。

「ようし、よく言った。
 ならばしっかり見届けてやるわい。」

と秘かに思った私でありました。

(つづく)


さて、14日(月)は『六本木 ALL OF ME CLUB』
で、ピアノ・トリオ・ライブです。
素敵な若手シンガーもいっぱい来ます。

お盆休みのない方、
どこといって行くあてのない方、

どうぞ、お集まりください!


SHUN MIYAZUMI


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August 11, 2006

松山商業 その2

昭和44年の夏。
高3の夏。
四国での私の生活が始まりました。

朝。
心地よい、さわやかな潮の香りとともにお目覚め。

おいしい焼き魚の朝ご飯をいただいたあと、
ちょっと海辺を散歩。

そして、
「さあ、頑張って勉強するぞー。」
と決意も新たに部屋に戻る。

私にあてがわれた部屋は6畳くらいの
陽が燦々とふりそそぐ洋室。
そしてご丁寧に小さなテレビまである。

30分くらい参考書をパラパラとめくったあと、
「ちょっとだけだったらいいか。」
と思ってTVをつけてみると…、

「おおっ、やってるやってる!」

高校野球香川県予選!

当時は今よりも、
四国のレベルはずっとずっと高くて、
どこが甲子園に出てきても優勝候補、
といった時代。

そんな地区予選が見れる機会はめったにない。
ということで、しばし食い入るように見る私。


そうこうするうちに、
「しゅんちゃーん、お昼よー。」
という叔母の声。

「はーい。」
と私。

居間に行くと、
スタンドで働く伯父(母の兄)夫婦、
なぜか結婚しないで伯父の仕事を手伝ってる叔母、
一つ年下のいとこのおさむちゃん、
そしておばあちゃん、
が勢ぞろい。

きょうのお昼は、
本場‘讃岐うどん’のせいろがてんこ盛り。
「く〜っ、たまらん。美味い!」
と感動の私。


昼食後。
部屋に戻って、30分くらい参考書をパラパラ。
そのうちに、ちょっと気になってTVをつける。
「おおっ、やっぱり予選とはいえ、
 四国はレベル高いなあ。野球をよく知ってるなあ。」
とひたすら感心する私。

気がつくと、1時間くらい見てるので、
「いかん、いかん。俺は勉強しに来たんだ。」
と、自分を奮い立たせる。

すると、
受験とは関係のない、
ひまを持て余してるいとこの‘おさむ’が、
ドアをコンコンとノック。

「しゅん、ちょっと泳ぎに行こうぜ。
 あんまり勉強ばかりしとると、
 体にわるいぞー。」
と誘いに来る。

「そうだな。まだ休みはたっぷりあるしな。」
とすぐにこれに応じる私。


部屋で水着に着替えて、
サンダルを引っかけて、
ほんの数十メートル歩くと、そこは遠浅の海。

雄大な‘屋島’を仰ぎながら、
波のおだやかな瀬戸内の海に遊ぶ私たち。
もちろん海水浴場ではないので、
他には誰もいない。

さながら、
‘ダイヤモンド・ヘッド’を仰ぎながら、
‘ワイキキ・ビーチ’独り占め〜〜!
って感じですか。

(そう言えば、
 ‘屋島’と‘ダイヤモンド・ヘッド’は、
 どこか雰囲気が似てるなあ…。)

(ガソリン)スタンドのシャワーを浴びて家に帰ると、
おばあちゃんが‘すいか’を切ってくれている。
これをたらふくいただき部屋に戻って、
「さあ、今度こそ勉強!」

しかし猛烈な睡魔が襲ってきて、
「少しだけ」と言い聞かせて昼寝…。


そうこうするうちに、
「しゅんちゃーん、ご飯よー。」
と叔母の声。

「はーい。」
と私。

居間に行くと、
刺し身、煮魚、焼き魚、かまぼこ、ジャコ天、など、
瀬戸内の誇る、美味しい‘海の幸’が、
これまたてんこ盛り。

すると近くに住む、
もうひとつの親戚(母の姉)の家族がやって来て、
さらにワイワイと盛り上がる。

部屋に戻ろうとすると、
叔母たちが、
「しゅんちゃん、夏休みはいっぱいあるんじゃけん、
 ゆっくりしなさい。
 あんまり勉強ばかりしとると、体に悪いよー。」
と言うので、

「それもそうですね。」
と輪に入って、一緒に盛り上がる。食いまくる。

そして一日が終わる。

「あしたからは、ちゃんと勉強するぞ!」
と自分に言い聞かせて、ご就寝。

おやすみなさーい。

スースー……。


SHUN MIYAZUMI


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August 09, 2006

松山商業

せっかく高校野球の話になったので、
今日はもうひとつそんなお話。

ほぼ45年にわたって高校野球を見続けている私ですが、
「この‘1校’を挙げよ。」と言われたら、
私はためらうことなく、
昭和44年(1969年)夏の優勝校、
「松山商業(愛媛)」
を挙げます。

この年の「松山商」といえば、
あの太田幸司のいた三沢高校(青森)と、
延長18回 0-0 引き分け再試合の決勝戦’という、
今や伝説ともなった歴史的死闘を繰り広げた、
あの「松山商」のことです。

というと、
「なあんだ、けっこう妥当な選択じゃないか。」
とおっしゃるオールド・ファンも多いと思いますが、
まあ聞いて下さい。

このチームには、
私しか知りえない、
もうひとつのドラマがあるのです。


昭和44年というと、私も高校3年生。
つまりこの甲子園大会に出た3年生とは‘同期’
ということになります。


受験をひかえた私は、
この大事な大事な夏休みをどう過ごすか、
思案に明け暮れていました。

そして私は、
くそ暑い‘都内の予備校通い’という愚行を捨て、
風光明媚、自然環境抜群の、
母の実家がある四国の片田舎で、
大いに勉強に励もうではないか、
という結論に達したわけです。

そこは、香川県の‘庵治(あじ)’という、
瀬戸内海に面した、
平家の落人村としても有名な美しいところ。

実家はガソリン・スタンドを営んでいて、
すぐ裏に部屋がいくつもある大きな家があり、
さらにそのすぐ裏には松林、そして遠浅の海。

夕暮れに海辺に出ると、
左手には源平の合戦で知られる‘屋島’が雄大に佇み、
美しい瀬戸内の島々が眼前に拡がる。

ベナード・アイグナーならば、
ここで美しい詩などいくつも書きそうですが、
残念ながら私にはそんな才能はない。

さらに実家には、‘修(おさむ)’という、
一つ年下の仲のいい従弟もいて、
話し相手にも事欠かない。

これ以上の環境がありましょうや!

ただし母は心配そう。

母「あんた、大丈夫なの?
  毎日毎日、おさむさんと遊んでばかりいちゃ、
  だめなのよ。」
私「大丈夫だよかあさん。ボクだってバカじゃないよ。
  この夏が受験生にとって大事だってことは、
  百も承知さ。」

と、『渡る世間は鬼ばかり』を思わせるような、
くさい会話を繰り返したのち、
心配そうな母を振り切り、
私は意気揚々と四国に出かけたのでありました

(つづく)


ところで今年の甲子園。

やけに点が入ると思いませんか?

11-10だの、11-8だの、10-7だの、9-6だの。

これって何故でしょう?
ピッチャーのレベルが低いのでしょうか?

違います。

私はある事に気づいたのです。

それは、

‘ストライク・ゾーン’が
プロ並みに厳しくなっている。

去年までだったら、
プロと比べると縦横ボール2個分くらい、
高校野球の‘ストライク・ゾーン’は広かった。

ワンバウンドすれすれのどろんとしたカーブや、
胸元辺りに来るくそ高いストレートが、
「ストライク!」とコールされるシーンはざら。

ま、未熟な高校生ピッチャーゆえ、
こうでもしないと試合が終わらないという配慮だろうと、
この部分は私も目をつぶって観てましたが、
今年は違う。

したがって、ストライクの欲しい投手の球が、
みんな真ん中に集まってきて、
そこを痛打される。

こういうことだと思います。

しかし、野球界全体のことを考えたら、
これは良いこと。

高校から鳴り物入りでプロ入りした投手が、
コントロールの悪さから遂に開花せず、
さみしくプロ野球から去る、
というケースが多々あったわけですから。

‘ストライク・ゾーン’の統一は、
望ましいことだと思いますね。

ついでに欲を言えば、
金属バットもやめてほしいなあ。

高校野球は好きだけど、
あの‘キーン’という金属音だけはいただけない。

それに木のバットでやってないと、
メジャーで通用するバッターも育ちにくいですよ。
野球関係者のみなさま。

ところで、
私って、

ヒマなんでしょうか?


SHUN MIYAZUMI


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August 06, 2006

高校野球のお話

木曜日の「ALL OF ME CLUB」
‘SUITE VOICE’とのジョイントも無事終了。

たくさんのお客さんに盛り上がっていただいて、
良かったです。
次は8/29「代ナル」、10/11「ALL OF ME CLUB」
とこのジョイントは続きます。


さてきょうは、高校野球のお話。

ここんとこ、
過去ログのリニューアルばかり続いていたので、
何か新しい話をしなくては、と思っていたら
ちょうどうまい具合に始まりましたね。

『全国高等学校野球選手権大会』

そう、‘夏の甲子園’。

プロフィールにもありますが、
私の最大の娯楽が‘スポーツ観戦’で、
その中でも野球が一番好き。

そして夏は、やっぱりこれに限る。

日本の夏の風物詩!

この大会の間だけは、
イチローもメジャーも日本のプロ野球も、
私のなかではひと休み。


‘高校野球の魅力’に関しては、
いろんなスポーツ・マスコミやジャーナリストが、
まことしやかに語り継いでいますので、
ここであえて私が言う必要もないでしょう。

それにエンターテインメントは、
理屈じゃなく面白ければいいのですから、
それで充分。


メジャー・リーグ・ファンの友人からは、
「あんな下手くそな子供の野球の、どこが面白いの?」
と言われますが、いいんです。
「負けたら‘青春’が終わる」という一発勝負が、
面白いから。

「あんな炎天下で毎日投げてたら、肩壊して、
 プロでは使い物にならなくなるぞ。」
と言う熱心なプロ野球ファンもいますが、
いいんです。
本人たちが好きでやってるんだから.

「あんな炎天下で毎日やってて、体壊さないかしら。」
と心配する女性もいますが、いいんです。
どうせ‘女の子にもてたい’と思って、
始めたに決まってるんだから。


私にとっての‘高校野球の魅力’
それは、
いろんな時期の、いろんな場所での、
私にとっての‘夏’を思いださせてくれること。

とにかくこの時期は、
日本中どこへ行っても高校野球。

海の家でも、
山荘のロッジでも、
空港のロビーでも、
駅の待合室でも、
田舎のおばあちゃんの家でも、
涼みに入った喫茶店でも、

とにかく高校野球。

日本の‘夏’から甲子園が消えるなんて、
想像もしたくない。

「ああ、あの時は○○商業が勝ったんだなあ。」
とか、
「あの夏の優勝校は、○○学園だったなあ。」
とか、
楽しかった夏の思い出とともに、
その大会での名場面や優勝校が、
私のなかでよみがえってくる。

これだけで充分です。

というわけで、
今年も理屈抜きに、
楽しみたいと思います。

ちなみに、今年は面白いですよ。

「私、昭和35年以降の春夏優勝校
 全部そらで言えます」
とプロフィールに書きましたが、
そんな野球オタクが、
今年の見どころをそっとお教えします。


まず「駒大苫小牧」の夏3連覇なるか!

これ、もし達成したら空前絶後。
3連覇は昭和初期の「中京商」が一回。
他に2連覇が三校ありますが、
これらはいずれも戦前の「中等学校」時代の話。
つまり当時は5年制だったわけで、
参加校の数や野球の普及度なども考えると、
3年制の今のほうが、連覇はずっとずっと難しい。
それが3連覇ともなるとこれはもう大変なこと。

それから「横浜」の春夏連覇なるか!

これは過去に五校ありますが、
もし達成すると「横浜」は二回目、
ということになって、これまた初の大偉業。
(前回は松坂がいましたねえ。)

そして、今年は「春、夏いずれか」
全国優勝した学校が17校もいる。
もちろん全部スラスラ言えますよ、私。

「高知商」「徳島商」「静岡商」「県岐阜商」
「熊本工」「今治西」「三重」「帝京」「早実」
といったかつての名門校も多数復活。

昨夏、今春と旋風を巻き起こした、
さわやかな県立校「清峰」や、
日本最南端、石垣島から来た「八重山商工」が、
「天理」「智辯和歌山」といった強豪とどう戦うのか。

ひょっとすると、
「青森山田」「仙台育英」あたりが、
東北に初の優勝旗を持ち帰るかもしれない。
(もっとも「青森山田」の選手は、
 みな‘大阪弁’ですけどね。笑。)

いずれにしても興味は尽きません。

おっと、
もう試合が始まったな、

見なくては…。


SHUN MIYAZUMI

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July 14, 2006

名古屋ケントス その10

暑い!
たまらん。

私、早くも夏バテです…。


「名古屋ケントス その10」

4/3(月)ジェミニ&レベルス
2日めのリズム・セッション

私、丹羽くん、ミューチャーの田中君、ショーちゃん
の4人は、
ホテルの裏に再び「山本屋本店」を発見。

「なあんだ、本店はここじゃないか。」
「するとこの間の‘山本屋本店’は何だったの?」

と会話しながら、
ここに入って遅めの朝食。

しかし、

やはり味は以前のそれではない。
絶対昔はもっと‘こし’があって美味かった。

しかも私の知ってる「山本屋本店」は、
古びた二階建ての日本家屋。

私は店の女の子にこう尋ねました。

「ここは、山本屋の本店なの?」
女の子
「はい、山本屋本店です。」

「でも、僕の記憶では、
 本店は箸も太くて、もっと風情があって、日本家屋で、
 こんな感じじゃなかったんだけど。」

すると彼女、
「ああ、それは本家の本店のことでしょう。
 それならまだありますけど、
 ここはその分家の‘山本屋本店’のひとつでして。」

で、1枚のパンフレットを持ってきた。

そこには、‘山本屋本店’と称するお店が、
何十軒も写真入りで紹介されており、
しかもそれらはすべて‘山本屋本店’
となっている。
さらに、これに本家のいろんなお店を足すと、
‘山本屋本店’というのは、
名古屋地区だけで無数にあることになる。

私はこう思いました。
‘山本屋本店の本店’
という説明をしないと、
私のめざすところには行けないではないか、と。


さて、二日目のレコーディングも順調に終了。

とてもエネルギッシュな演奏が録れました。

丹羽くん、田中くんは写真撮影のためもう1泊。

私とショーちゃんは、
駅弁とビールと、おみやげの‘ういろう’を買い込んで、
一路東京へ。

ちなみに私、
駅弁は断然「幕の内弁当」が好き。

シャケやら、煮物やら、カツやら、
さまざまなおかずに、
梅干しが中央にあるアレ。

ゴハンはちょっと冷たくなってるが、
それがまた旅の旅情をかもしだしてて、
いいのです。

それから、‘ういろう

名古屋名物のこの‘羊羹’にも似た食い物。
これも独特ですよね。

息子に頼まれたこともあるのですが、
久しぶりにこれも堪能しました。

この後も、
朝は新横浜で「駅弁」を買い、
そのまま名古屋のスタジオでレコーディング、
帰りも駅弁と‘ういろう’を買い込んで帰京。

こんな生活を何回か繰り返した4月でした。

それから名古屋といえば、

赤福

これもなかなかにうまい…。
………。


なんだかこのシりーズは、
食い物の話ばかりのような気が…。

SHUN MIYAZUMI

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July 13, 2006

名古屋ケントス その9

7/10(月)の「ALL OF ME CLUB」
プロ、アマ問わず、
たくさんの歌手のみなさんと共演できて、
とても楽しいライブでした。

次回は8/14(月)です。
又ガンガン来て下さいよ。


「名古屋ケントス その9」

この長い連載をタラタラやってる間に、
なんとCDが発売になってしまいました。(7/12)

当初は名古屋限定発売だそうですが、
いっぱい売れて、
早く全国展開ができることを祈ってます。

とにかく文句なく楽しいアルバム!
ホーム・パーティーに最適。
おじいちゃんもおばあちゃんも、
おとうさんもあかあさんも、
こどももあかちゃんも、
みんなでこれを聴きながらダンス、ダンス!

という感じですか。

さて、「ひつまぶし」をたらふく食べ、
しかもまだ夜の9時。

録音スタッフは「明日がありますので」
と早々に引き上げたものの、
残った我々は、
とりあえず一杯飲みに行くしかない。

丹羽くんだけは、
「さ、食うものも食ったし、
 どこへでもおつきあいしますよー。」
と元気いっぱいなものの、
私、田中、ショーちゃんは、異常な満腹ゆえ、
ホテルの近くのバーへ行っても、
酒はぜんぜん進まない。

どよ〜んと眠くなるし、
話もぜんぜん空回りで、
いわゆるみんな「もぬけの殻」状態。

「しょうがねえ、部屋へ帰って寝るか。」
と解散するしかない。
それでもまだ11時。

苦しいお腹をベッドに横たえて、
トリノ・オリンピックの再放送を
ボケーっと観てたのですが、
そのうち、
満腹で、幸せいっぱいで、
満面笑みをうかべてスースー寝ている丹羽の顔が、
浮かんできたのです。

突如私は、ガバっとはね起き、
冷蔵庫のミニ・バーにある酒という酒を、
かたっぱしから飲み干したのでありました。


ところで、
肝心の「ひつまぶし」のお味ですが、
なかなかけっこうなものでありました。

誤解のないように、
最後に言っておきます。

SHUN MIYAZUMI

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July 12, 2006

gemi II with REVELS


 “名古屋の熱い夜を再現!
  今、何故?
  異様に盛り上がるオールディーズ・ブーム!”


その発信地は、名古屋ケントス。
ここで生まれたgemi II with REVELS。

キュートな双子姉妹、ジェミニが歌い踊り、
クールなバンド、レベルスがビートを固める。
ライブは毎夜、老若男女で溢れ返り、
狂乱のダンスフロアと化します。

演奏されるのは、1950〜60年代ヒット曲の数々。
オリジナルを知る世代にとっては懐かしく、
未知の若者には驚きのグッド・メロディーズです。

今回のデビュー・アルバムは、
200を超すレパートリーの中から
洋邦問わず、珠玉の名曲を多数収録しました。
しかもライブで鍛え上げたサウンドは、
オリジナルよりラウドで激しく、
現代の息吹が注入されています。

さあ、オトナもコドモも、存分に楽しんでください!


●CD

"OLDIES BUT GOODIES"

from NAGOYA KENTO'S 〜恋のヒットパレード〜

Revels.CD

2006年 7月12日発売
¥2,800 (Tax in) / PYCE-2005

01. 恋のフーガ
02. ロコ・モーション
03. 子供じゃないの
04. この世の果てまで
05. 恋のバカンス
06. ダ・ドゥ・ロン・ロン
07. 素敵な16才
08. ボーイハント
09. キッスは目にして!
10. 可愛いベイビー
11. 大人になりたい
12. 悲しき片想い
13. ヴァケーション
14. 砂に消えた涙
15. ふりむかないで
16.スターダスト

全16曲

●同時発売 DVD

"OLDIES BUT GOODIES"

from NAGOYA KENTO'S 〜gemi II with REVELS LIVE SHOW 〜

Revels.DVD

¥3,000 (Tax in) / PYBE-2004

01. 恋のフーガ
02. 恋のバカンス
03. ヴァケーション
04. ロコ・モーション
05. キッスは目にして!
06. この世の果てまで
07. ボーイハント
08. ふりむかないで
09. 大人になりたい
10. スターダスト

全10曲


PRODUCED BY SHUN MIYAZUMI

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July 01, 2006

名古屋ケントス その8

いやあ、きのうの「A'TRAIN」も完全燃焼。
いつもなら0時過ぎてからいっぱいになるのに、
11時の開演の時間ですでに満員。

この時点で、
遊びに来てくれた可愛いチビっ子・シンガーズの4人は、
早くもカウンターの中で立って飲む、
という有り様でした。

途夢♪待人さんは、「代ナル」に続いて連チャン。
(そうそう彼のサイトも面白いですよ。
 LINK貼ってありますので、こちらのほうもぜひどうぞ。)
きのうのワインも美味しかったですか?

そんなわけで、
帰ったのは朝の6時でした。

次の私たちのライブは、
7/10(月)「六本木 ALL OF ME CLUB」です。
また盛り上がりましょう!


『名古屋ケントス その8』

「えへん、さて、みなさん。
 これから‘ひつまぶし’の正しい食べ方について、
 説明します。」

と、丹羽くんの講義が始まりました。

「まず、最初の三分の一はそのまま食べます。
 これだけでも相当にうまい。

 そして、次の三分の一は、
 そこにある薬味やら葱を混ぜて食う。
 これがさらにうまい。

 さらに最後の三分の一は、
 なんと茶漬けにして食う。
 びっくりするでしょうが、
 これがまた、けっこういけるんですよ。
 ぜひ試してみて下さい。

 では、いただきまーす。」

とパクパク食い始めた。

(‘ひつまぶし’についてイメージの湧かない方は、
  『名古屋ケントス その6』に写真を載せてありますので、
  ご覧になってください。)

「しょうがねえな。」
とコップ一杯のビールをあおって、
私も食い始めましたが、
ここはひとつ、
いささかの抵抗のひとつもしなくてはと思い、
私はこう切り出しました。

私「あのさあ、丹羽よ。」

一心不乱に食い続けてる丹羽は、素っ気無く、
「なんです?しゅんさん。」

私「俺、こういうところは、
  やはり‘女子供’の来るところだと思うんだけど。」

すると丹羽、あっけらかんと、

丹羽「何言ってんですか、しゅんさん。
   カップルだっていっぱいいるじゃないですか。
   ほらそこにも、あそこにも。
   ここは、老若男女、みんなに愛されてるんですよ。
   みんな美味しいものはよく知ってるんですね。
   ボクは一度しゅんさんに、
   ここの‘ひつまぶし’を食べてもらいたかったんですよ。」

ときた。

話がかみ合わない…。


そうこうするうちに、

丹羽「さあ、そろそろ次の段階ですね。
   そこの薬味やら葱を混ぜてみて下さい。
   どうです須藤さん、うまいでしょ。
   しゅんさん、うまいでしょ。」

と言い、またもやパクパク、モグモグ。

丹羽のことをよく知らない録音スタッフの人たちは、
「ほんと、美味しいですね。」
と褒めたたえるので、
丹羽くん、ますます上機嫌。

しかし私も負けてはいられない。

私「でもねえ、丹羽よ。」

丹羽「なんです?しゅんさん。うまいでしょ。」

私「ああ、まあ、うまいけど、
  俺こういうところは、
  ‘家族連れ’で来るのが一番だと思うんだけど。」

丹羽、さらに悪びれた様子もなく、

丹羽「そうですね。確かに‘家族連れ’は多いですね。
   なんてったって、食事は家族一緒でするのが、
   一番ですからね。
   ボクも、東京にいるときは、
   どんなに遅くなっても、
   晩メシは家族一緒に食べるんですよ。」

と答えて、パクパク、モグモグ。

いかん、ますます話がかみ合わん…。


そして‘ひつまぶし’は最終段階に。

丹羽「さあ、最後はみなさん、 
   茶漬けにしてみて下さい。
   だまされたと思って。
   これがまた、本当にうまいんですから。」

と言い、率先して食い始める。

私も言われたとおりに茶漬けにしながら、
最後の抵抗を試みる。

私「でもねえ、丹羽よ。」

丹羽「なんです?しゅんさん。
   けっこういけるでしょ、茶漬けにしても。」

私「俺、こういうところは、
  昼間来るところだと思うんだけど。」

すると丹羽、ますます自信たっぷりに、

丹羽「何言ってんですか、しゅんさん。
   ここは昼間は長蛇の列ですよ。
   30分、40分待ちなんてザラなんですよ。
   夜だから、しかも日曜日だから、
   こうして大して待ちもせず、食べられるんです。

   ボクはちゃんとこういうとこまで、
   計算してあったんです。」


こりゃ、だめだ、
まったく話がかみ合わない…。

そうこうするうちに、
またたく間に食事は終了。

丹羽くん、ご機嫌で、
「ごちそうさまでした。」
と伝票をミューチャーの田中に回す。


私は丹羽に聞こえないように、
となりに座ってる田中くんに、
小声でこうささやきました。

「田中、これ以降、
 晩メシのセッティングは、
 丹羽にはやらすな。」

田中も心得てたらしく、
「了解してます。」
と、ひとこと。

そして時計をみると、
まだ夜の9時。
しかも苦しいくらいの満腹感。

これから、どうすればいいのだ。
この異国の地で…。

(つづく)

SHUN MIYAZUMI

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June 30, 2006

名古屋ケントス その7

6/28(水)の「代々木ナル」
CHIHARU(チハル)とのライブにお越しのみなさん、
ありがとうございました。

盛り上がりましたねえ。
お客で来た、はたけやま裕(PER)にも
即席パーカッションで参加してもらったり、

ピロリ菌退治でモヤモヤしてたものが、
一気に爆発、燃焼してしまいました。
やっぱチハルのヴォーカルはご機嫌!
次回このコラボは10/25(水)に再演です。

きょうは恒例、学芸大「A'TRAIN」
ミッドナイト・セッション。
これまた、燃えまっせ〜。


『名古屋ケントス その7』

私の脳裏をよぎった嫌な思い出とは…、

学生時代、私と丹羽くんが
同じサークルに所属していたことは先に述べました。

それは、ジャズのビッグ・バンド。
そして仕事やコンサート、あるいは練習などが終わると、
私たちは先輩、後輩入り乱れて、
よく徒党を組んで飲みに行ったものです。

もっとも頻繁に行ったのが、渋谷は道玄坂小路にある、
『麗郷』という大きな台湾料理や。

ここで大きな丸テーブルを二つくらい占拠して、
名物の‘腸詰め’やら‘がつ炒め’やら‘焼きビーフン’を注文、
さらには、やれビールだ、やれ紹興酒だ
などを浴びるように飲みながら(安かったんです)、
ジャズの話やら、女の話などを夢中になって語り合う。

そんな中、

この丹羽くん、

「しゅんさん、僕‘卵スープ’頼んでいいですかあ。
 あと‘麻婆豆腐’と’ごはん’もいいですかあ。」
と聞いてくる。

「にゃにい〜?」
と思いつつも、
別にひとりくらいそんなのがいても意に介さないから、
「好きにすれば。」
とそっけなく答えて、
またドンチャン騒ぎに参入。

するとこの丹羽だけが、
ひとり満足げな笑みを浮かべて、
‘卵スープ’と‘麻婆豆腐’でメシを食う。


そんな光景が、
今ありありと思いだされたわけです。


「いかん」と私はあせり、
「丹羽、‘御飯’の前に、
 ‘ビール’と‘つまみ’を頼もうよ。」と懇願。

すると丹羽(もはや呼び捨てになってる)、
さらりと、
何言ってんですか、しゅんさん。
 ここの御飯は量が多いんですよ。
 ‘つまみ’なんて頼んだら、
 食べきれなくなりますよ。」

と言ってのける。

なおも抵抗する私、
「でもね、あしたの録音が終わったら、
 すぐさま撤収してみんな帰るんだから、
 いわば今日は打ち上げだろ?
 やはり乾杯くらいしないと。」

すると丹羽、あっけらかんと
「ま、それもそうですね。」と言い、店員に大声で、
「すみませ〜ん、ビール4本。」と注文してくれた。

「しめた、時間は稼げた。
 さ、田中、ショーちゃん、‘つまみ’だ、‘つまみ’」
とメニューを見てるとき、
本当にものの5分で、

「おまちどうさまー。」
と、その‘ひつまぶし’(定食)8人前はやって来た。

丹羽、得意げに
「ねえ、しゅんさん、言ったでしょ。
 ここは回転が早いって。
 頼んだら、こうやってすぐに来るんですよ。
 これも人気のひとつでしょうかね。」
と言い、

「さてみなさん、
 これから‘ひつまぶし’の正しい食べ方をお教えします。」
とのたもうた。

(つづく)

SHUN MIYAZUMI

woodymiyazumi at 13:21|この記事のURLComments(0)TrackBack(0)

June 25, 2006

名古屋ケントス その6

ピロリ菌退治終了。
この間ずっと禁酒。

いやあ、長い1週間でした。
ストレス溜まりまくり。
まるで「もぬけの殻」状態。
ワールド・カップが無ければ発狂していた。

今週からガンガン行きますよー。
さらに、
そんなストレスを一気に吹き飛ばすライブが2本。

6/28(水)は「代々木ナル」
素敵なヴォーカル、CHIHARU(チハル)とのコラボ。
今年2回目ですが、これは必見ですよ!
この日はサッカーも無いし。

6/30(菌、じゃなかった金)は
恒例「学芸大 A'TRAIN」のミッドナイト・セッション。
さ、みんな集まれ集まれ。

そうそう、このブログでは、
過去のエッセイを掘り起こしてますが、
随時、当時の写真なども掲載していきます。
(なかなか探すのが大変なのですが。)

早速、ブログ・メニュー「インフォメーション」
カシオペア向谷くんの本の紹介記事のところに、
若き日の私と向チンの写真を載せておきました。

若い!


『名古屋ケントス その6』

ちょっと間が空きましたが続きです。

「まさか?」
とは思いましたが、
丹羽くんが案内した場所は、
まぎれもなく松坂屋デパートの10階にあるレストラン街。

明るく健全な雰囲気の大きなフロアの一角に、
「ひつまぶし」と書かれたそのきれいなお店。
表には順番を待つお客が10人ほど待っている。
さらに入り口には、大きく「禁煙」と書かれてある。
(ちなみに私は煙草もこよなく愛しております。)

私「おいおい丹羽よ、本気かね。
  それにこんなに並んでるし、他行かない?
  俺は別に‘居酒屋’でもいいんだよ。
  しかもここ禁煙だしさ。」

とやんわり丹羽くんを牽制。

すると丹羽くん、ひるむことなく

何言ってんですか、しゅんさん。
 ここは回転がいいから、こんなのすぐですよ。
 それに煙草なら、あそこに喫煙室がありますから、
 そこでいっぷくしていて下さい。
 番になったら、呼びに行きますから。」

と、隅っこにあるガラス貼りの喫煙室を指さす。

「しょうがねえな。
 ま、‘ひつまぶし’ってのもお初だし、
 あれだけ丹羽が、美味い、美味いというのだから、
 ここはおつきあいするか。
 ま、美味い酒やつまみもあるだろうから。」

と、半ばあきらめて、ひとりプカプカやっておりました。

するとほんの10分くらいで、
ミューチャーの田中くんが呼びに来た。
確かに早い。
でも、これは私にとっては逆に嫌な予感…。

中に入ると、これがまあ大きくて、明るくて、
客はほとんど家族連れかカップルか
おばさんの集団か、品のいい初老の紳士。

その中に、
半分は薄汚れたTシャツにジーンズ、
あとはいかにも業界っぽい若いのに、
得体のしれないオヤジ(私)が加わった、
大のおとなの8人組。

けっこう違和感があると思うのですが、
丹羽くんはそんなのおかまいなし。


ここで‘ひつまぶし’について説明。

辞書をみると
「蒲焼きにしたウナギの身を細かく刻んで、
 ネギ、山菜などを御飯の上に混ぜたもの。」
とある。

hitsumabushi

ま、とりあえずビールとつまみだな。
どれ、つまみは何があるんだろうと、
田中やショーちゃんとメニューを見はじめたとき、
何を思ったのか丹羽くん、
すぐさま店員を呼んで、
「ひつまぶし(定食)8人前、お願いしまーす。」
と、のたもうた。

私、このとき、
嫌な思い出が脳裏をよぎったのでした。

つづく

woodymiyazumi at 22:47|この記事のURLComments(0)TrackBack(0)

June 12, 2006

名古屋ケントス その5

初日のレコーディングも無事終了。

我々レコーディング・スタッフは、
ここ数ヶ月、頻繁に名古屋を訪れてる丹羽くんの、
「ま、私についてきて下さい。」
の自信たっぷりの言葉に促され、
いざ『ひつまぶし』を食さん、
と後についていった次第。

その前に、
この丹羽くんという人、
ちゃんと説明しなくてはいけませんね。

彼は、私の大学のサークルの2年後輩。
現役時代は、
メイナード・ファーガソンばりのハイ・ノート
でブイブイ言わせた、素晴らしいトランペット奏者でした。

その後ワーナーに入り、
主に洋楽のプロモーションを手がけ、
現在もフリーでいろんなプロジェクトを手がけてる、
なかなかのやり手です。

と言うと、いかにもダンディーな業界人を連想しますが、
その風貌は、いささかドラエモン風。

鳥はまったく食えず、
(せっかくの名古屋なのにもったいない)
肉が大好き。
したがって当然のことながら、
ぽっちゃりとした小太り体型で、
それはそれでなんとなくチャーミング。
性格極めて温厚で、
私は、学生の頃から
実に可愛がってあげてるのです。(ほんとか?)

今回のレベルスも、
彼が発見して、
それをミューチャーというレコード会社に売り込み、
彼はそのバンドのマネージメントをやる、
というのが役目。

彼の後を、
餌を求めた子犬のようについていく面々は、

レコード会社のディレクター田中くん、
(彼はWAXもタタヤンも担当です。)
うちのディレクターのショーちゃん、
エンジニアの須藤くん、
(彼も女子十二楽坊、スタジャン、WAXなど、
 ここんとこずっと私の相棒。)
それに、ライブ・レコーディングの機材&オペレーター
をお願いした、「ムーヴ」という会社の人たち3人、
それに私の総勢7人。

いくつもの路地を越え、
大通りを横切り、
また路地に入り、
これを越え。

彼は、「もうすぐです、もうすぐ。」
と言うのですが、
これがなかなか着かない。

せっかちでわがままな私。
「こんな距離だったら、
 タクシーでも良かったんじゃないの?」
とさっそくダダをこねる。

すると、ツアー・コンダクターの丹羽くん、
何言ってんですか、しゅんさん。
 そんな距離じゃないですよ。
 それに、我々くらいの年になったら、
 歩かなくちゃだめですよ、歩かなくちゃ。」

ま、それもそうだ、
と、
小奇麗で、
酒のさかなも豊富で、
粋ないでたちの料亭を想像する私は、
しぶしぶ歩いてついていったのであります。

そうこうするうちに、
大きな通りに出ました。

きれいなビルの立ち並ぶ通りで、
銀座で言えば4丁目。
ニューヨークなら、5番街はティファニーのあたり、
を連想させるようなところ。

その一角に、
「松坂屋」というデパートがあります。

そして丹羽くん、
何を思ったか、
「さ、着きました。」
と、この「松坂屋」に
スタスタと入っていくではありませんか。

「デ、デパート?」
と私。

「そうですよ。ここの10階。
 うまいですよ、ここの‘ひつまぶし’は。」
と、丹羽くん。

つづく

SHUN MIYAZUMI

さ、これからライブだ。
サッカーに興味のない方は、
ぜひお集まり下さい。

「日本チャチャチャ・ブルース」
でもやって、盛り上がりましょう。
(ちょっとヤケ気味…)

woodymiyazumi at 16:41|この記事のURLComments(0)TrackBack(0)

June 07, 2006

名古屋ケントス その4

06/6/6

6がみっつ並ぶという不吉な一日も、
何ごともなく過ぎ去りました。
みなさん、
大事ないですかあ?

というわけで、
名古屋ケントスのつづき。

4月2日(日)
いよいよ、レベルス
レコーディングの初日です。

前日も夜中の2時半までライブをやってたというメンバー。
眠そうな目をこすりながらお昼の12時に集合。
客のいないケントスでは、
朝早くから録音スタッフが、
万事抜かりなくセッティング。

で、私が要求したことは、
普段のライブの倍以上の音量で、
ガッツむき出しで演奏すること。

いつもの営業では、
お客さまに、うるさすぎないよう、
適度な音量で演奏してる彼らゆえ、
最初はかなりとまどいがあったようですが、
「ガッツだ!」「元気がないぞ!」
を、アニマル浜口のように連発する私に乗せられて、
次第にヒート・アップ。

きょうのところは仮歌の双子ちゃんにも、
いつものライブのように、
踊ったりしながら、メンバーを乗せるように指示。

私も、踊ったり、指揮したり、走り回ったり、
とにかく若々しくて、活きのいい演奏を引きだすため、
老体にムチ打って、
体中で音楽を表現しまくってたわけです。

最初は硬かったメンバーも、
次第に慣れてきて、
いい感じの演奏になってきました。

曲はすべてオールディーズ。
私が子供の頃に慣れ親しんだ名曲ばかりで、
ディレクションしながら、
こっちも熱い熱い。

ザ・ピーナッツの「恋のフーガ」「恋のバカンス」
「素敵な16才」「バケーション」「ボーイハント」

いやあ、懐かしいですなあ。
これを、当時はもちろん生まれてもいない人たちが、
今目の前で熱い演奏を繰り広げてる。

正直、
この仕事は誰にも渡したくない、
と思いました。

ほとんどノー・ブレークで11曲。
取り終えたところで、タイム・アップ。
お店は夜の営業があるため、
急いで片づけて、
きょうのところは終了。

終わったらメンバーも私もグッタリ。

でも、順調なすべり出しです。

あしたもがんばりましょう、
ということで、メシ。

私「丹羽くん、どこ連れてってくれんの?」
丹羽「名古屋といえば‘ひつまぶし’。
  ま、私についてきてください。」

つづく

woodymiyazumi at 18:54|この記事のURLComments(0)TrackBack(0)

June 01, 2006

名古屋ケントス その3

4月1日
いよいよレコーディングのため、
夕方の「のぞみ」で名古屋にのりこむ。

私は新横浜からが便利なのですが、
名古屋までたったの1時間23分で着いてしまう。
すごい時代になったもんですねえ。

さてこのレベルスというオールディーズ・バンド。
とにかく「名古屋ケントス」では凄い人気で、
月曜から土曜まで、
毎晩5ステージのライブをこなすという、
(金、土は6ステージなので終了は夜中の2時半)
超ハードな毎日を送っているバンド。

130席もある大きなライブ・ホールなのですが、
週末などはいつも満員。

双子の可愛い姉妹がメイン・ヴォーカル、
(そう、まるで現代の『ザ・ピーナッツ』なのですよ。)
さらにはギターの二人も時々ヴォーカルを取ったり、
『ベンチャーズ』物のインストも交えたりの、
バラエティに富んだ、かつスピーディーな構成で、
聴くものを飽きさせない。
しかもみな若い。
つまり後付けオールディーズ・バンド。

そして驚いたことに、
演奏がはじまると、
ステージ前の通路に、ドバーっとお客さんが立ち並び、
ヴォーカルの女の子のつけた振り付けを真似しながら、
踊り狂うのです。

もちろん曲はすべて50年代、60年代の
アメリカン・ポップス。
その時代が青春の50〜60才くらいの人ならわかる。
ところが、
若い20代の人たちも、おじさんおばさんに混じって、
ぎんぎんに踊って、大騒ぎ。

宣伝主体のレコード会社、
「ミューチャー・コミュニケーションズ」が
着目したのが、
ライブを見てわかりました。

そこで方針変更、
このライブの熱い雰囲気とグルーブを出すには、
慣れないレコーディング・スタジオで、
ヘッドフォンを付けた緊張感の中でやらすより、
この「ケントス」で、客のいない昼間、
ライブ・レコーディング機材を持ち込んでやるほうが、
彼らも普段通りのリラックスした感じで演奏ができ、
結果いいものになりそうな気がして、
レコード会社、お店にもお願いして、
このスタイルで行かせてもらうことにしたのです。

それに結構な広さだし、
天井も高いし、
臨場感のあるいい音が録れそうな気もしましたし。

録音は明日からですが、
エンジニアの須藤くん、
それにライブ録音チームの3人に、
まず会場とバンドの雰囲気を見てもらうために、
先乗りしたわけです。
もちろん企画立案者でマネージメント担当の
丹羽くんも一緒。

あしたは、ミューチャーのディレクター田中くんと、
私の相棒ショーちゃん(湯浅昭二)大先生が、
来ることになっております。

つづく

SHUN MIYAZUMI

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May 29, 2006

名古屋ケントス その2

今日はいい天気だな。
久しぶりに散歩したくなり、
駒沢公園をぶらぶらして来ました。

それにしても、今年の5月は雨続きでしたね。
この後梅雨、猛暑と来られたらたまらない。
もう少し初夏のさわやかさを味わいたいものですが…。

さて、「名古屋ケントス」の続き。

3月上旬、
この名古屋プロジェクトのお話をいただいたとき、
真っ先に頭に浮かんだのが、
山本屋の味噌煮込みうどん

名古屋はずいぶん久しぶりですが、
昔から私は、名古屋といえばコレ。
私のプロフィールにも、
好きな食べ物B級のなかに、
堂々と位置している逸品で、
「おお、またあれが食えるのか。」
と感慨ひとしお。

こしこしの麺、あつあつのスープ、
太い箸で、やけどをしないように味わう。
いやあ、楽しみだ。

さっそく、この企画を立てた丹羽くん、
レコード会社のディレクター田中くんと
3人で名古屋に行き、
「ケントス」でレベルスの演奏を聴き、
彼らとのコミュニケーションを計り、
綿密にレコーディングの作戦を立てる。

その打ち合わせの結果、
どうやら4月は4、5回行ったり来たりになりそう。
「これは、いったい何回味噌煮込みうどんが
 食えるのやら。」
もう、私の胸は高まるばかり。

翌日、スタジオを見学に行き、
空いてる日をブックしたあと、
即座に私たちはタクシーに乗り、
「山本屋の本店に行って下さい。」

私の記憶にあるかぎり、
「山本屋」の本店は二階屋の日本家屋。
風情もあるし、
今いろいろ支店ができてるが、
やはりここが一番美味い、
という地元の人のおすすめがあったようにも思う。

ところが、

案内されたのは、
街中にある普通の近代的な建物。

で、そのお味ですが、

昔のような感動がない。

こっちの舌がぜいたくになったのか。

いや、そうではあるまい。
昔はもっと麺にコシがあったし、
箸も太かったし、もっと味わい深かった。

ように思う。

しかし、表にはちゃんと、
「山本屋本店」
と書いてある。

つづく。

SHUN MIYAZUMI

そういえば、今日は私の誕生日ではないか。
今宵は「A'TRAIN」にでも行って、
静かに祝ってやろうかな…。

woodymiyazumi at 13:19|この記事のURLComments(5)TrackBack(0)

May 27, 2006

名古屋ケントス

少し間が空いてしまった。
そのかわり、といってはなんですが、
スタジャンHP時代のエッセイが無事救出。
これから折に触れ、
少し手直しなどしながら、
随時復活させていきます。

これらはいずれ「2002〜5年 エッセイ・アーカイブ」
のコーナーに整理されていきますが、
時代がぐしょぐしょなので、
トップ・ページにある間は、お間違えのなきように!

とりあえず今日は、
『映画の話』『ウディー・アレンのお話』
を、復活させておきました。

今読むと、ちょっぴり恥ずかしいぞ…。


さて、これからは今のお話。

4月の私は、
月の半分を名古屋で暮らしておりました。

なぜならば、
「名古屋ケントス」という
オールディーズ専門のライブ・ハウスで、
毎晩すごい盛り上がりを見せてるレギュラー・バンド
『レベルス』をレコーディングするため。

「ケントス」といえば、
東京はじめ、いろんなところにありますでしょ?
その「ケントス」のひとつです。

レコード会社は,WAXに続いて、
またまたミューチャー・コミュニケーションズ。
そういえばここの仕事は、
女子十二楽坊(中国)、タタ・ヤン(タイ)、
WAX(韓国)とつづいて、今回は名古屋。
いまだに東京のアーティストがありませんなあ?

ま、そんなことはさておき、
打ち合わせを含め、
1ヶ月に5回も名古屋-東京を往復すると、
さすがに目に見えない疲労が蓄積したようで、
完成したとたん、グッタリしてしまったようです。

これからしばらくは、
この珍道中の話題を中心にいってみようかと、
思ってます。

SHUN MIYAZUMI

woodymiyazumi at 17:33|この記事のURLComments(0)TrackBack(0)

May 17, 2006

WAX NEW CD の紹介


『赤い糸』

AkaiitoJacket
日本デビュー、
先行シングルです。
韓国での大ヒット曲
『化粧を直して』の
日本語ヴァージョン。
松本隆さんに詞をつけて
いただきました。

さすが“バラードの女王”、
この一曲だけでも、
スゴさが分かります。

2006年4月12日発売
PYCM-2001 ¥1,000 (Tax In)

1. 赤い糸
2. 恋におちて - Fall in love -
3. 赤い糸(オリジナル・カラオケ)



『W A X』

Wax1stAlbumJacket
日本デビューアルバムは
韓国でヒットしたナンバーを
中心に
J-Popのカヴァー、
彼女のオリジナル、
と盛り沢山。
素晴らしい内容です。

日本語習得中とは思えない
感情表現力に
驚きを隠せません。


2006年5月24日発売
PYCE-2003 ¥2,800 (Tax In)

1. ブランコ
2. 赤い糸
3. あの日を
4. オリビアを聴きながら
5. 背中
6. 朝の中で
7. SWITCH
8. 冬のポプラ
9. 桜の木の下で
10. ROAD
11. 恋におちて - Fall in love -
12. Love is…


PRODUCED BY SHUN MIYAZUMI

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May 16, 2006

WAX


WAX-Profile
昨年末、
「WAX」という女性シンガーに
ついて触れたことがあります。
覚えてらっしゃいますか?

この WAX 、
韓国ナンバーワン女性シンガー
として高い評価を受けており、


これまで出した5枚のアルバムの
セールスがなんと230万枚。

そんな彼女の日本デビューに際し、
光栄にもプロデュースをさせていただく
ことになりました。

そしてでき上がったシングル『赤い糸』が4/12に発売。
上々の評判らしく、
5/20(土)には「ミュージック・フェア」(フジTV)
にも出演します。
(w/ゴスペラーズ、尾崎亜美)
さらには、5/24にはアルバム(12曲入り)も
発売されます。

とにかく、素晴らしい歌唱力です。
ぜひみなさんも聴いてみて下さい!

日本語詞を担当した松本隆さんも、
「詞の最後の数行で、ぼくは自分の体重を失って、
 髪の先から宙に吊り上げられるような気がした。」
と、最大級の賛辞を寄せておられます。

そんな美しい彼女に、
私は変な日本語ばかりを教えており、
レコード会社からもひんしゅくを買っているのですが、
当のWAXが大喜びでこれを真似するばかりか、
自ら街でおかしな日本語を拾ってきては、
皆を笑わせまくってる。

これは持って生まれたものであり、
まさに私と相性がピッタリだったというわけでしょう。
(と、責任回避)
「ミュージック・フェア」の収録にも立ち会いましたが、
たどたどしい日本語が、やけにユーモラスで、
局のスタッフや、他の歌手、
タレントの人たちにも大受けでした。

ぜひ、ご覧下さい。


SHUN MIYAZUMI

woodymiyazumi at 14:32|この記事のURLComments(2)TrackBack(0)

May 15, 2006

ブログはじめます。


しばらくのご無沙汰でした。
皆さまお元気でしょうか。

今年の3月下旬、
契約していたサーバーの不慮の事故により、
皆さまにあんなに愛されていたHPが、
突如あとかたもなく消滅してしまうという、
前代未聞の悲劇に襲われました。

幸い、
バック・アップ・データの救出には成功したものの、
あの、小田ちゃんのセンス溢れる名作HPの再現までには、
まだまだ幾多の困難な道を通らねばならず、
ここにひとまず、
私の個人ブログを立ち上げることにしました。

滞ってた私の不朽の名作(?)エッセイ

『知られざる、といってどうってことない私の秘密』

も、再開させていただきます。

また、ライブのご案内、最近のニュース等、
これはこれで楽しいものにしていきますので、
皆さまどうぞ一日1回は覗いてやってくださいね。


さ、気を取り直して、
がんばるぞ〜!



SHUN MIYAZUMI



woodymiyazumi at 17:35|この記事のURLComments(0)TrackBack(0)