〜2005 エッセイ 1 

【タイトル一覧】
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  • エロール・ガーナーの思い出
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  • 忠臣蔵と私
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  • シャーロック・ホームズとエルキュール・ポワロ
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  • ジム・インガーとロックンロール
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  • ジェフ・バクスターと牛丼 その2
  • ジェフ・バクスターと牛丼
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  • ウディー・アレンのお話
  • 映画の話

December 23, 2006

エロール・ガーナーの思い出 その3


メリー・クリスマス!

といいながら、
例年この時期は、

ほんと忙しい…。


20日は「代々木ナル」井口真理ライブ。
久々、はたけやま裕ねえさん
のパーカッションも相変わらずご機嫌!


21日は、
「ケネディクス」
という素晴らしい会社のX'mas・パーティーで、
先日ご紹介した「スイート・ボイス」と、
楽しくライブをやってきました。

いやあ彼女たちは、
実にエンターテイナー。

盛りあげ方が、
本当にうまい。

おかげでこっちも、
ノリノリでした。


その「スイート・ボイス」ですが、

24日(日)のイブは、
横浜駅「スカイ・ビル」10Fのレストラン・フロアで、
「スペシャル・クリスマス・ライブ」
を行ないます。
(18:00〜18:30 / 無料)

お近くにお住まいの方、

よろしかったら、
覗いてみてはいかがですか。



さて今日も、エロール・ガーナーのお話。



2003年3月31日(月) No.42
エロール・ガーナーの思い出 その3


朝の6時。

オーストラリアに旅立ったガーナーを見送ったあと、
あまりの感動に、
どうにもまっすぐ帰る気になれなくて、
私はひとり渋谷に出て時間つぶし。

10時になると、
当時よく通ってた、
道玄坂小路にある「デュエット」
というジャズ喫茶に、
開店と同時に飛び込み、
コーヒーとトーストを注文。

そして、
ガーナーの中でも名盤中の名盤といわれてる、
『コンサート・バイ・ザ・シー』
というアルバムをリクエストしたのです。


そこは3階建て構造になっていて、
ジャケットがスルスルと下から上がって来ると同時に、
ものすごい爆音で音がなり始める。

雰囲気も良く、
私のもっともお気に入りのジャズ喫茶でした。


さてこの有名なライブ・アルバム。

録音状況は必ずしもいいとはいえないのですが、
拍手の中から、
彼得意の力強い、しかも人を食ったようなイントロ、
そしてハッとする弱音でテーマが奏でられる
『I REMEMBER APRIL』
で始まります。

さっきまでのアフター・セッションと違って、
これぞガーナー・スタイルの真骨頂!
もういきなりガーナーもお客さんも乗り乗り。

続く『TEACH ME TONIGHT』では、
さながらひとりビッグバンドのような豪快さ。
そして、なんとまあ粋なこと。


そして、そして、4曲目。

来ました、来ました!

このアルバムの白眉ともいうべき、
歴史的名演奏の、


『枯葉』!!!


なんたる独創性、
なんたるスケールのデカさ、
なんたる美しさ。

長いイントロが終わって、
テーマが出て来たとき、
不覚にも涙ポロポロ…。

数時間前目の前にいた、
あのガーナーの真の偉大さに、
改めて圧倒されてしまいました。

長いジャズ体験の中で、
涙がとまらないなどという感動は、
後にも先にもこのときだけでしょう。


「デュエット」を出ると、
さっそく近くのヤマハでこのアルバムを購入。

以来今日まで、
おそらく最も数多く聞いたアルバムが、
これでしょうね。

アナログ時代に2枚を聞きつぶし、
CD時代になってからも、
家のみならず、
よく飲みに行く店でも、
相変わらずリクエストしたりして、
聞いています。


というわけで今日は、
これからガーナーを聞いてみよう、
と思った方のために、

私がお薦めする、
ガーナーのアルバムを、
何枚かピック・アップしてみました。


まずは、もちろん、

『コンサート・バイ・ザ・シー』!

GarnerJacket1
(オリジナルLP・ジャケット)

それから、
この人がいわゆる「スタンダード」
を弾いてるアルバムは、
他にも山のようにあります。

で、良く言えば「駄作」はひとつもありません。

でも言い換えれば、「全部一緒」です。

スタイルそのものが個性なのですから。

ですから、これを聞いて、
もっとガーナーのスタンダードが聞きたくなったら、
自分の知ってる曲がたくさん入ってるのを
選べばいいのではないでしょうか。

ま、有名な『ミスティー』の、
自作自演は押さえておくべきでしょうが。

GarnerJacket2


それよりも、ここでは、
あまり知られてない異色作をご紹介します。


『パリの印象』

GarnerJacket3

このエロール・ガーナー、
実は、当初アメリカの評論家たちの間では、
「カクテル・ピアノ」とバカにされ、
あまり評価されなかったそうです。
そして傷心のあまりフランスに行ったらしい。

ところが、
さすが「芸術のパリ」ですね。

フランスの人達は、
いち早くこの才能を認め、
「芸術大賞」なんか与えて讃えたそうです。

そのニュースを聞いて、
後から徐々に本国でも認められた、
といういきさつがあるらしいのです。

そんな「フランス」に、
感謝の意味をこめて作った、
2枚組のアルバム。

『ラ・ビアン・ローズ』や『ムーラン・ルージュ』
といったフランスの名曲を、
得意の「ガッガッ」や「トイタタトイタタ」スタイルで、
華麗に弾きまくってます。

各面の最後には、
ハープシコード(チェンバロ)も演奏していて、
これがまた、フランス映画の「パリの裏街」
みたいな哀愁が漂ってて、
ほんとイイ感じ!


それから、

もっと異色作で、

『FEELING IS BELIEVING』

GarnerJacket4
(オリジナルLP・ジャケット)

これは、
スティービー・ワンダーの『FOR ONCE IN MY LIFE』
ビートルズの『YESTERDAY』
といったポップスのヒット曲ばかりを、
あのスタイルでユーモラスにやっています。

実に楽しいアルバムです。

ほんとに人間好きな、
あったかいハートの人だったんだなあと、
しみじみ思いますよ。


さあ、これで、

今日からあなたも、


ガーナー・フリーク!


(おしまい)



(感想 2006/12/23)


私が、毎晩のように飲みに行ってる、
学芸大のジャズ・バー
「A'TRAIN」

そこのマスターのKさんも、
大のガーナー・ファン。

そして、
初めて買ったガーナーのアルバムが、
この『ミスティー』
だったそうです。


そして、

その後数年間、

ジャケットを眺めながら、

ずっと、こう思ってたそうですよ。


「エロール・ガーナーって、
 ずいぶん綺麗な女性なんだなあ…。」


ハハハ。


そんなバカな。



SHUN MIYAZUMI

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December 19, 2006

エロール・ガーナーの思い出 その2


偶然の一致ですが、

今年の私のブログは、
なぜか現実の出来事と、
リンクしてしまうことが多い…。


松山商業の話を書いたら、
それ以来となる「決勝戦再試合」

「ジェフ・バクスターと牛丼」を書いたら、
吉野家の牛丼が解禁になる。

この間、牡蠣の話を書いたばかりなのに、
今度は「ノロウイルス」で大騒ぎ。
(小原さん、大丈夫でっか?)


ということは、

次は「宝くじに当たる夢」のお話

でも書きましょうかね…。



さて、前回のつづきです。



2003年3月24日(月) No.41
エロール・ガーナーの思い出 その2


世良譲さんの、
「ガーナーを連れてくる」
という一言に期待をふくらませて行った、
「E」というお店では、
結局お目当てのガーナーに会うことが出来ず、

しかも終電にも乗り遅れ、
仕方なく時間つぶしに行った、
六本木の「N」というお店に、

実はなんと、

ガーナーがいた!


そのお店は、
ピアノ・カウンターの他にテーブルがいくつかの、
30人も入ったら満員、
という小さなジャズ・バー。

「ALL OF ME CLUB」をご存知のかたは、
あれを真四角にして、
少し小さめにした感じをご想像下さい。

ベースは鈴木良雄さん(チンさん)だったでしょうか、
鈴木勲(おまスズ)さんだったでしょうか。
ドラムは誰だか忘れましたが、

とにかく噂を聞いて駆けつけた
日本人プレーヤーを相手に、
ノリノリで演奏していたのです。


で、オーナーのTさんが私のために、
ピアノ・カウンターの席を、
一つ用意して下さいました。

ということは、

私とガーナーの距離は、
ほんの1、2メートル。

目と鼻の先。

おお!

なんたる幸運!

なんたる幸せ者!


さて、
こうした「アフター・セッション」のガーナーですが、

驚いたことに、

例の「ガッガッガッ」という、
独特の左手のガーナー・スタイルは、
いっさいやりません。

バド・パウエルに代表される、
ビ・バップからモダンジャズにいたる、
オーソドックスなスタイルで終始演奏。

しかもそれが、

なにをやっても、

上手い!!

上手すぎる!!!


「枯葉」だって、
名盤「コンサート・バイ・ザ・シー」
のあのスタイルではなく、
私たちが普通やる『タラッタッタ〜♪』の感じ。

アドリブもよどみなく、
ウィントン・ケリーやトミー・フラナガン、
ソニー・クラークなんかより、
ずっと、上手いのでは…。
(ただし例のうなり声は一緒。)

なによりも私は、
「なあんだ、普通にちゃんと弾けるんだ!」
とビックリしましたね。

そして、

「普通に弾けた上に、
 強烈な個性がないと大スターにはなれない。
 やはりアメリカってのはどえらい国だなあ…。」

としみじみ思ったのでした。


とにかく菅野さんはじめ、
みんなが乗せまくるもんだから、
この日のガーナーさん、
終始ご機嫌そのもの。

休憩中は、赤い飲み物、
(「トマト・ジュース」だったのでしょうか?
 「ブラディー・マリー」だったのでしょうか?)
を飲みながら、

いろんな人の話や質問に、
嫌な顔ひとつせずニコニコ笑顔で
応対するのです。


ちっともスターぶらない。

人間的なスケールも超一流。

心の広い、人間味のある、
素晴らしい人物でもありました。

ゆえにあんなに暖かい音楽が出来、
世界中の人から愛されたのでしょう。


こうして、
「休憩しては、また演奏」
を繰り返すこと何度か。

なんと朝の6時まで、
弾きっぱなしだったのです。

リクエストしたって、
何だって知ってる。
すぐにやってくれる。

それを、たった水割り1杯400円で、
至近距離で堪能させていただいた私。

幸せすぎる夜でした…。


そして、菅野さんがガーナーさんを、
羽田空港(当時の国際線はまだ羽田)
まで送っていくことになり、
我々は外に出て手を振りながら、
お見送りしたのでした。


これが、
彼の生涯における、
たった一日の、

日本滞在だったのです。


なぜならその数年後、
50代そこそこ、
という若さで、

この稀代の名ピアニストは、

この世を去ってしまったのですから…。


(つづく)



(感想 2006/12/19)


当時の六本木は、
本当に静かな街でしたね。

ディスコも、クラブも、キャバクラも、
いっさい無し。

ケバい若者も、
怪しげな、ぽん引きのお兄さんも、
ほとんどいなかった。

そして、
あちこちに「粋なジャズ・クラブ」が点々。


先日、
忘年会で賑わう六本木の、
すさまじい人の群れを見て、

ふと、そんな昔を、
思い出してしまいました…。



さて、12/20(水)は、
「代々木ナル」
井口真理とのジョイント・ライブです。

透明感のある、
とても美しい声です。

ベースは「竹馬の友」エディー河野、
そして「美人パーカッション」はたけやま裕、
それに私のピアノ、
というトリオがお相手。

どうぞいらして下さい。



SHUN MIYAZUMI


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December 15, 2006

エロール・ガーナーの思い出


たまにはジャズのお話もしないと…。


2003年3月15日(土) No.40
エロール・ガーナーの思い出

E.Garner

今日は、
独特のスタイルで
一世を風靡した名ジャズ・ピアニスト、

エロール・ガーナーのお話です。


若い人には馴染みがないかもしれませんが、

ものすごいダイナミズム、
強烈な左手のビハインド・ザ・ビート、
お色気たっぷりに弾くメロディー・ライン、
ユーモア・センス、
豪快なスイング感、

と、まあこれほどスケールの大きなピアニストは、
他にはいません。

名曲「ミスティー」の作曲者としても有名ですね。


大学一年の頃(ジャズを勉強しはじめたころです。)
私が夜な夜な修業に訪れていた、
六本木の「N」というお店には、
菅野邦彦さんという、
それはそれは素晴らしいピアニストが、
毎晩ご機嫌なプレイを繰り広げていました。


当時の六本木には、
朝までやってるジャズ・クラブが多く、
このお店も、

早い時間仕事を終えてのジャム・セッションや、
菅野さんの演奏を聞きに来るミュージシャン達が、
深夜になると集まってきて、
いつも朝までごったがえしていたのです。

そんな菅野さんの私へのアドバイスは決まって
「ガーナーを聞け!」「ガーナーはいいよ。」
というものでした。


でも、その頃の私はまったくの初心者。
ゆえに、
トミー・フラナガン、ウィントン・ケリー、といった
オーソドックスなモダン・ジャズ・ピアノ
ばかり研究していましたから、
正直エロール・ガーナーのスタイルには
まだピンとこないものがありましたね。


そういう菅野さんも、メインは、
ハンプトン・ホーズ、フィニアス・ニューボーン
といった軽快にスイングするスタイル。

ただし時折、
ガーナーの独特な左手の奏法やら、
バラードにおけるエッチな旋律の歌わせ方などで、
ガーナー・スタイルの素晴らしさも、
大いにアピールしてはいました。


そんなエロール・ガーナーが来日。

新宿厚生年金会館で、
たった一日だけコンサートを開きました。

ま、あらゆるジャズ・ピアニストの中でも
別格の大物ですから、
チケットはあっというまに完売。

もちろん貧乏学生の私に、
手が出る金額でもありません。


ところが六本木界隈には、

「コンサート終了後、
 どうやら世良譲さんが、
(ご自分が毎晩演奏してる)「E」というお店に、
 ガーナーを連れて来るらしいよ。」

といううわさが流れはじめていました。


有名なジャズ・ピアニスト世良譲さんも、
実は大のガーナー・フリーク。

若輩の身ながら、
11時頃、恐る恐るその六本木の「E」
というお店のドアを開けた私。

うわさとは凄いもので、
「ひょっとしてガーナーが来る」
を聞きつけたお客さんで早くもいっぱい。

日野皓正、元彦ご兄弟はじめ、
有名なミュージシャンもいっぱい。

しかし、

ガーナーはいない…。


なんでも、
翌朝一番の飛行機で、
オーストラリア公演に行かねばならぬ。

ということで、

どうやら世良さんの『拉致カンキン』は
失敗に終わったらしいのです。

で、当の世良さん、
よほど悔しかったのか、
酔っぱらってベロベロになりながら、
やけくそのように、
ガーナーの真似で弾きまくっていました。

そのうちお客さんも一人帰り、二人帰り…。

でもその「世良ガーナー」も素晴らしいもので、
うっとりと聞いてるうちに、ハッと気づいたら
終電の時間が過ぎているではないですか。

「仕方がない。「N」にでも行って、
 菅野さんのピアノでも聞いて、始発で帰ろう。
 あそこだったら水割り1杯400円で
 ねばらせてくれるし…。」


と思い、
そのお店までとぼとぼ歩いてドアを開けると、
これがまたいつもより凄いお客さんの数。

さらに峰厚介さん(サックス)や
鈴木良雄さん(ベース)、鈴木勲さん(ベース)
といった有名ミュージシャンもいっぱい。

当のハウス・ピアニストの菅野さんまでが、
客席から「イェーイ!!」
と演奏中のピアニストに向かって叫んでる。

「いったい誰が演奏してるんだろう?」
とステージの方を見ると、

なんと!

エロール・ガーナーが演奏していたのです!!


(つづく)



(感想 2006/12/15)


当時の六本木は、
ジャズ・ピアノを勉強するには、
最高の街でしたね。

今のジャズ・クラブのように、
毎日いろんな人が演奏したり、唄ったり、
というスタイルではなく、

どのお店にも、
ハウス・バンドがいて、
夜な夜な素晴らしい演奏を聴かせてくれる。

しかもミュージック・チャージなんか無し!

貧乏学生の私には、
本当にありがたい環境でした。


「N」の菅野邦彦さん
「E」の世良譲さん
の他にも、

「P」の杉野喜知郎さん
「B」の山本剛さん
「M」の大野三平さん

こうした名ピアニストの演奏を聴くために、
これらの店を、
ほぼ毎晩のようにハシゴしていた私。

そして、
帰りはほとんど始発電車。

こんな生活でした。


そんなある日、
父が恐そうな顔をして、
こう言いました。


「毎日毎日、
 夜になると出かけて、朝帰り。
 お前は泥棒か!!」


「……。」



SHUN MIYAZUMI

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December 12, 2006

忠臣蔵と私 その2

きのうの「六本木 ALL OF ME CLUB」
にお越しのみなさん、
ありがとうございました。

バラエティーに富んだ、
いろんな歌手が歌いに来てくれて、
楽しゅうございました。


次回、このトリオは、
1/8(月・祝)です。

新春弾き初め!

またお待ちしています。


さて、前回のつづき。


2003年12月14日 No.62
忠臣蔵と私 その2


元禄15年(1702年)12月14日
赤穂浪士47名は、
本所松坂町にある吉良上野介邸を襲撃。
見事、
主君浅野内匠頭の無念を晴らしたのであった。

ということで、この日は、
日本人にとって記念すべき一日なのである。


なんで?

ん?


そうか。

今の若い人には、「忠臣蔵」などといっても、
ピンと来ないかもしれませんねえ。

しかし、この一大叙事詩は、
現代人が忘れかけてる「人情」というものを、
いろんなエピソードを通して、
訴えかけているのです。


前回書いたように、
中学時代からの親友の小原氏と私は、
毎年この季節になると、
「忠臣蔵」を酒の肴に、
あきれかえる友人たちを尻目に、
熱く熱く飲みまくるのですが、

そんな、
数ある「忠臣蔵」エピソードのうち、
我らのなかで、
もっとも話題にのぼる一編がコレ。

「垣見五郎兵衛」のお話。

バカにしないで、
ぜひ一度聞いていただきたい。

ということで、
はじまりはじまり〜〜。



一年半あまり、世間の目をごまかしながら、
遊興生活を繰り返してきた大石内蔵助は、
ついに討ち入りの決意をし、
わずかの供を連れて、
同士の待つ江戸ヘ向かいます。

そしてとある宿場で、
「日野家用人 垣見五郎兵衛」
と偽り宿泊。

ところが運悪く、
そこに本物の垣見五郎兵衛一行が通りかかる。

激怒した垣見は、
一目散に大石の部屋へ怒鳴り込む。


垣見「そ、そのほう何者じゃ!
   なにゆえ拙者の名を語る!!」
大石「これは異なことを。
   拙者こそまことの垣見五郎兵衛。
   お手前こそ、どちらのご仁であらせられるか。」
垣見「なにを!この期に及んで、よくもまあ白々しい。
   事と次第によっては容赦はせぬぞ!!」

とまあ、えらい剣幕。


垣見の家来共も一様に憤慨。
皆、刀の柄に手をかけている。
襖の向こうでは、逆に大石の家来共が、
いざというときのために、
これまた刀の柄に手をかけ、
かたずを呑んで二人のやりとりに耳を傾けている。


こうした押し問答の末に、
大石はこう切り出します。

大石「仕方がない。
   どうしても拙者が垣見五郎兵衛
   でないと言い張るなら、
   今その証拠の書を、したためますゆえ。」

と言って、硯箱と筆を持ってこさせる。


ところが、

その硯箱に彫ってある紋所は、
なんと、

『播州赤穂 浅野家』のそれ!


垣見は一瞬驚き、そして考えます。

「ということは、
 もしやこの男が噂の大石内蔵助では?
 その大石が偽名を使う危険を犯してでも
 江戸に入ろうとしている。
 ということは……。」


全てを察知した垣見は、突如笑いだし、
バツ悪そうに頭を掻きながら、

「いやあ、これはまいった。
 悪いことはできぬもんでござるのお。
 そう、その通り。
 お手前こそが、まことの垣見五郎兵衛殿!
 そうと分かればここは退散退散。
 いや、悪気は無かったのじゃ。
 ひらにお許しを!!」


そして、
訳が分からずきょとーんとしてる家来たちを追い払い、

「これは拙者には不要の物でござる。」

と、本物の通行手形を大石に渡し、

「見事ご本懐を!」

と、深々とお辞儀をして退散するのです。

大石も深々と頭をたれ、
襖の向こうの大石の家来たちも、
ひざまずき、頭をたれ、
そしてその目には、
皆、溢れんばかりの涙が…。



クウ〜〜ッ!!

どや、ええ話やろ?


ということで、
人情味溢れる江戸の昔に思いを馳せながら、

今日もまた酒を飲む私であった…。


おしまい。



(感想 2006/12/12)


ところで、

残念ながらこのお話は、
歌舞伎のための作り話のようですね。

かつて、
箱根関所跡の博物館で、
「播州赤穂 大石内蔵助」
と、書かれた当時の通行名簿を見ましたから。

ちゃんと実名で通過していました。


実は幕府公儀はちゃんとわかっていた。
わかっていて、やらせた。

という説もあります。


「真珠湾」も「9.11」も、
アメリカ政府は、

事前にわかっていた。
わかっていて、やらせた。

とも言われてますね。


いつの時代も、

政治は魑魅魍魎…。



SHUN MIYAZUMI


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December 07, 2006

忠臣蔵と私

きょうは、過去ログの中から、

季節がら、

こんなものを引っ張り出してみました。


2003年12月06日 No.61
忠臣蔵と私


師走(しわす)だなあ。
(加山雄三「君といつまでも」の感じで言って下さい。)

僕は師走になるといつも燃えるものがあるんだあ。


それは、


忠臣蔵!


ご存知赤穂浪士47士が、
主君、浅野内匠頭の無念を晴らすため、
宿敵、吉良上野介邸を襲撃。
見事本懐を遂げるという、
江戸の昔から日本人の心を揺さぶり続けてきた
感動の物語。

何を隠そうこの私も、やはり日本人。
子供の頃から、
この季節になると、

いや燃える燃える。


実はこのエッセイにも何度か登場している
私の中学時代からの親友小原氏。
  
彼とは、今でも時々酒を酌み交わすのですが、
本当に、
どんな話題でも酒の肴になってしまうほどの仲。

そんな二人が、
12月になると決まって、

「忠臣蔵」の話に花が咲く。


O「討ち入りの際、
  近隣の武家屋敷が47士応援のために、
  灯をともしてあげるだろ。
  あれ泣けるねえ。」
M「おうおう。
  でも赤穂城明け渡しの際の、
  脇坂淡路之守と内蔵助のやりとり。
  あれも渋いぞえ。」
O「そうさな。
  脇坂が、
 『大石、してそちの本心を聞かせてはくれまいか?』
  すると大石、
 『本心もなにも、もうそれがしも年。
  どこぞへ仕官でもして、
  家族と共に、のんびりと過ごしまする。』
  と、はぐらかし、脇坂の目をじっと見る。
M「すると脇坂が、大石の心中を察して、
 『大石、できることならそなたとわしと
  入れ替わりたいものよ。』
  あれだろ?」
O「クー〜。ええ話やなあ〜。」


ちなみに小原氏。
酒が進むにつれ、
どんどん関西弁になります。


O「内匠頭が切腹するとき、
  介添人がふと足を止め
 『浅野殿、見事な桜でござるのお』
  とある場所を見る。
M「内匠頭がなにげにそこへ視線をやると、
  そこには国元へ、殿の最後を報告をするため、
  特別に入ることを許された家臣が、
 『殿〜。』
  と涙をいっぱいにためて、ひざまずいている。」
O「クワ〜〜〜ッ。オヤジもう1本酒!!」


O「でも、なんといっても
 『南部坂雪の別れ』やろ。」
M「そうそう。
  討ち入りの前の夜、
  大石が瑤泉院(内匠頭の未亡人)
  を訪ねるんだよな。」
O「おう。
  で、喜んだ瑤泉院が、
 『大石、ではいよいよ亡き殿のご無念を
  晴らしてくれるのですね。』
  と来るわな。」
M「それ。しかしあくまで慎重な大石は、
  それでも油断することなく、
 『いや仇討ちなど滅相もない。
  この度仕官が決まりましたので、
  そのご報告と、お別れに参りました。』
  と、申し訳なさそうに頭を下げる。」
O「そや。
  すると瑤泉院は怒って、
 『大石!見損なったわ。この不忠者。
  顔もみとうないわ。
  さっさと立ち去れい!」
M「うんうん。
  すると大石は、
 『では、これにて失礼つかまつります。』
  と寂しそうに‘一本の巻物’を渡して立ち去る。」
O「で、大石が去ってしばらくして、
  瑤泉院がその巻物を開くと?」
M「そこには47士の連判状があった!!」
O「キ〜〜〜〜〜〜、オヤジ酒無いでえ!!!」


さらに話は進んで、

大石では長谷川一夫が良かっただの、
吉良は何といても月形龍之介だの、
江守徹の大石はアカンだの、
内匠頭は誰が1番だの、
不破数右衛門は誰だの、
堀部安兵衛は誰がいいだの、

おんなじ話を、
毎年、毎年飽きもせず酒の肴にして、
飲みまくるのです。

我らが友人の多くは、
そんな場面に何度も遭遇。

その度に、
半ばあきれ、

しかしあまりのバカバカしさと、
いい年したオヤジが二人、
口角泡を飛ばして話すその風景を、
最後は微笑ましく見ながら、
夜はどんどんふけてゆく。

もうかれこれ40年近くもやっているでしょうかねえ、
コレ。


アハハ。
酒は楽し。

赤穂浪士バンザイ!

日本バンザイ!

そんなバカな我らが、
数々ある「忠臣蔵」のエピソードの中で、
もっとも話題に上る感動の一編。

次回はそれを行ってみたいと思います。



(感想 2006/12/7)


この小原さん。

牡蠣が大好き。

この季節になると、
毎日、
いや「毎食」

牡蠣を食べています。


「きょうはここのカキフライ」
「きょうはあそこの生ガキ」

そして、

ひと冬に4回は、

牡蠣に、

あたる。


のたうちまわる。


しかし毎食、
いろんなところで食べるわけですから、
どこの、どの牡蠣にあたったか、

わからない。


これを繰り返しております。


みなさんも、
いくら好きとはいえ、

食べ過ぎには注意しましょう。


さて、12/11(月)は、
今年最後の「六本木 ALL OF ME CLUB」
ピアノ・トリオ・ライブです。

忘年会も兼ねて、
パーっと盛り上がりましょう。

歌手のみんなも、

唄いに来てね。


SHUN MIYAZUMI


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December 04, 2006

アガサ・クリスティー名作ランキング

早いもので、もう12月か。

あとひと月、

「終わりよければすべて良し」

になるように、

頑張らねば…。


ということで、
ホームズとポワロ・シリーズの最終回です。



2003年3月8日(土) No.39
アガサ・クリスティー名作ランキング


アガサ・クリスティーの生みだした探偵は、
エルキュール・ポワロ以外にもいくつかあります。

そのなかでも有名なのが、
ミス・マープルというおばあちゃん。


実は私、
若い頃はこのマープルばあさん、
あまり好きではありませんでした。

イギリスの片田舎で、
編み物かなんかしながら推理する、
などというシチュエーションが、
どうにも男の私には、
かったるい。

しかし年をとったせいか、
最近では妙にこのばあさんに親近感を覚えます。

近くにこんな人がいたら、
さぞや素敵でしょうね。

しょっちゅうお茶かなんか飲みに行って、
いろいろ話すうちに、
人生や人間関係のヒントなんかもらえたりして。


何度も言うようですが、
クリスティーの創作力、アイディアは、
枯れることがありませんでした。

独創的なトリック、意外な真犯人、
その殺害方法、動機。

真相が分かったうえでもう一度読み直すと、
実はちゃんとヒントはちりばめられている。
「なあんだ、ちゃんと書いてあるじゃないか。」

しかし読者を困惑させる罠が
幾重にもしかけられていて、
我々凡人には、
なかなか真相にたどり着くことはできません。

「意外な真犯人」だろうと思って、
一番犯人らしくないやつに的をしぼっていても、
はぐらかされる。

そしてふたつとして同じ手口のものがない。

見事です!


といったところで、

お約束どおり、

私の推奨する
「アガサ・クリスティー名作ランキング」

行ってみたいと思います。


ただし、あまりにも有名な

「アクロイド殺人事件」
「オリエント急行殺人事件」
「ABC殺人事件」
「そして誰もいなくなった」

は除外しました。

私よりもっと熱心なクリスティー・ファンから
「なんであれが◯◯位なんだよー」
とお叱りを受けそうですから。

では行きます。


第01位 「エッジウェア卿の死」(ポワロ)
第02位 「予告殺人」(マープル)
第03位 「三幕の殺人」(ポワロ)
第04位 「蒼ざめた馬」
      (決してこれを読んで、
       この方法を真似してはいけません。
       でも凄いアイディア。)
第05位 「ポワロのクリスマス」(ポワロ)
第06位 「葬儀を終えて」(ポワロ)
第07位 「鏡は横にひび割れて」(マープル)
第08位 「第三の女」(ポワロ)
第09位 「邪悪の家」(ポワロ)
第10位 「死者のあやまち」(ポワロ)

ええいもっと行っちゃえ。

第11位 「カリブ海の秘密」(マープル)
第12位 「白昼の悪魔」(ポワロ)
第13位 「メソポタミアの殺人」(ポワロ)
第14位 「魔術の殺人」(マープル)
第15位 「ナイルに死す」(ポワロ)
     (これ実は映画を先に見ちゃったんだなあ。
      故に面白みが半減。
      ちなみにクリスティー物の映画は、
      「オりエント急行殺人事件」を除いては、
      ロクな物がありません。
      でも、あれだけはキャスティングが凄くて、
      それだけで楽しめました。)
第16位 「親指のうずき」(トミーとタペンス)
     (スパイ冒険物のおしどり探偵シリーズの中で、
      唯一推理小説的醍醐味があって好きです。)
第17位 「ゴルフ場殺人事件」(ポワロ)
第18位 「死との約束」(ポワロ)
第19位 「ひらいたトランプ」(ポワロ)
     (ただしこれ、
      「コントラクト・ブリッジ」
      をご存知ない方には
      お薦めしません。)
第20位 「無実はさいなむ」


いやあ、もうきりがない。
こんなところにしておきましょう。

ちなみに短編では
有名な「検察側の証人」と
「三匹のめくらのネズミ」が、

やはり秀逸です。

どうぞ、みなさんも、
だまされたと思って、

一度お読みになってみてはいかがですか。



(感想 2006/12/04)


シャーロック・ホームズの生みの親、
コナン・ドイルは実際、

無実なのに有罪になった人から依頼を受け、
独自の調査により真相をあばき出し、
真犯人を見つけ、
依頼人を救ったという話が、

一度ならず二度も、
あるそうです。

ますますもって、
イギリスの「国民的英雄」となったわけですが、

実はドイルそのものが、
名探偵だったわけですね。


ではもしアガサ・クリスティーが、
実際の犯罪を企んだとしたらどうでしょう。

おそらくは、
そのほとんどが、

完全犯罪になったでしょうね。

そのくらい緻密な犯罪方法が、
どの作品にもちりばめられていて、
しかもそれを解明するには、
大変な知恵が要求されるわけですから。

小説家でよかったですね。


おお、こわ。



SHUN MIYAZUMI


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November 30, 2006

シャーロック・ホームズとエルキュール・ポワロ その2

めっきり寒くなってきましたね。

そんな寒い寒い冬の夜は、
部屋を暖かくして、
ミステリーなんぞいかがでしょうか。

と、むりやりこじつけたところで、

前回の過去ログの続きです。



2003年3月2日(日) No.38
シャーロック・ホームズとエルキュール・ポワロ その2


私の大好きなふたりの名探偵、
シャーロック・ホームズとエルキュール・ポワロ。

そのキャラクターの違いについては、
前回述べたとおりですが、
きょうは作者である、
コナン・ドイルとアガサ・クリスティーのお話を少し、
してみたいと思います。


ホームズ物には、
4つの短編集と4つの長編があります。

で、

短編のほうが断然面白い。

事件そのものが風変わりでいて、
でもホームズが解決してしまうと、
「なあんだ」という物ばかりなのですが、
よくあの短い中にあんなにうまくまとめられるものだと、
いつも感心してしまいます。


そこへいくと長編は、
『バスカヴィルの犬』をのぞいては、
だいたい2部構成になっています。

1部で事件とその解決。
2部ではその事件が起きた時代背景や人間模様が、
歴史小説のように語られる。

もともとこのドイルというひとは、
時代小説が本来一番書きたかったようで、
そのために一度ホームズを抹殺したこともある
のですから致し方ないとしても、

やはりホームズの魅力はなんといっても、
珠玉の短編集にあるのではないでしょうか。


一方、
現在日本で入手できるアガサ・クリスティーの作品は、
長編66冊、短編集13冊、戯曲6冊。

その長編物の内訳は、
ポワロが33冊、ミス・マープルが12冊、
トミーとタペンスの冒険物5冊、その他16冊、
とこうなります。

前回も言いましたが、
ポワロ(というよりクリステイー)の魅力は、
なんといっても「犯人当て」ですから、
どうしても登場人物の多い長編のほうが断然面白い。


ここで、
こうした古典推理小説に馴染みのない方のために、
ちょっと楽しみ方をアドバイス。


例えばどこの本屋にもある「ハヤカワ・ミステリー」
の文庫本でこれらを手にしたとします。

すると最初に開いた、
カヴァーのところに登場人物がずらっとでています。

最初の100頁くらいは、
本文に誰かが登場したら、
カヴァーに戻り
その人物の位置関係を確認して下さい。

例えば本文に、
「グラディスがお茶をもって…」とあると、
すぐカヴァーに戻り
「グラディス・ナラコット……ルーム・メード」
と確認する。

すべて外人の名前ですから、
よほど頭に入れておかないと、
あとあと面白みが半減します。

この100頁くらいを克服すると、
あとはポワロやマープルになったつもりで、
クリスティーの仕掛けた罠を見破り、
自分なりに推理していくのです。

しかし大半はクリスティおばさんの勝利ですが…。

ちなみにカヴァーの登場人物欄に
でていない人が登場した場合、
その人は絶対「犯人」ではありません。


それにしても、
このアガサ・クリスティーという人の創作力には
今さらながら恐れ入ります。

たいてい一作でも傑作があると、
その作家はそれだけで後世に名を残しています。

ガストン・ルルー「黄色い部屋の謎」、
クロフツ「樽」、

といったように。

「巨匠」といわれてる
ヴァン・ダインやディクスン・カー
にしたところで、
真の傑作は4つ、5つといったところでしょうか。


そこへいくとクリスティおばさんの66の長編のうち、
スパイ冒険物といくつかを除けば、
3分の2くらいは傑作と呼べるのではないでしょうか。

スパイ冒険物。
あれだけはいけません。

微笑ましいけど、
全然リアリティーがなくて漫画みたい。

ポワロでも「ビッグ4」なんてのがありますが、
ポワロが、
まるでジェームズ・ボンドのごとき活躍をする。

でも、いくらなんでもこりゃ無理というもの。


唯一「トミーとタペンス」という
おしどり探偵の冒険物がありますが、
このふたりのキャラクターが可愛くて、
これはこれで楽しい。

それに、ポワロもマープルも初登場の時から老人。
以来何十年もずっと年を取らないのに、
(いったい最後は何才なんだ?)

このトミーとタペンスは、

「秘密機関」の時は20才そこそこの恋愛カップル、
最後は70才をすぎた老夫婦、
と、これだけが
時代にあわせて年を取っていくのも面白い。


さて、アガサ・クリスティーといえば

「アクロイド殺人事件」
「オリエント急行の殺人」
「ABC殺人事件」
「そして誰もいなくなった」

などが代表作とされています。

事実私もこれらを学生の時に読み、
それで事足りたと思ってました。

ところがどっこい、

もっと凄いのがめじろ押しなのです。


次回はそんな私が推奨する、
クリスティーの名作の数々を、
ランキング形式でお送りしたいと思います。


(つづく)



(感想 2006/11/30)

話は全然変わりますが、


月曜日に病院に行って、
いろいろ検査をしてきました。

そして、

自分でもビックリなのですが、

すべて正常値。


中性脂肪も、肝機能も、血糖値も、

ぜーんぶ正常。

γ-gtp(肝機能)なんか、
たったの40。

お酒飲まないひととおんなじ数字。


医者からは、

「宮住さん、驚きました。
 これ30代の数字ですよ。
 節制のたまものですね。」

と言われました。

おホホホ。


知り合いに見せたら、
みんな、

「これはおかしい。」
「他の人の数字じゃないの?」
「それヤブ医者じゃないの。」

とまあ、
わめくわめく。

ウシシ。


というわけで、

親からもらった健康な体に感謝しながら、

12月も、

大いに頑張りたいと思います。



SHUN MIYAZUMI


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November 27, 2006

シャーロック・ホームズとエルキュール・ポワロ


11/24(金)の学芸大「A'TRAIN」

盛り上がりましたねえ。
ありがとうございました。

あの小さなお店に、
いったい何人入ったんでしょうか?

2nd ステージでは、
オーストラリアから来たサックス奏者や、
女性シンガーなんかも飛び入りの、
さながら日豪交流セッション。

結局終わったの、朝の4時頃でした。

みんな元気だなあ。

次回は、12/29(金)
今年の弾きおさめです。

また盛り上がりましょう!


さて今日は、久しぶりに過去ログの登場です。


2003年2月24日(月) No.37
シャーロック・ホームズとエルキュール・ポワロ


タイトルを見ただけで、
さっさと引いちゃう方もいそうですが、
実は私、
子供の頃から大の推理小説ファン。

それもハードボイルドとかスリラーではなく、
単純な謎解き、犯人当て、
みたいなのが好みです。

となると、
どうしてもイギリスの古典物。

その中でも、
このふたつが、
やはり私の中では群を抜いています。


1983年、
カシオペアを連れて、
初めてロンドンに行くことになった時、

中学校のとき夢中になった
『シャーロック・ホームズ』の文庫本を、
すべて持参しました。

ハイド・パーク、ケンジントン、
オックスフォード・ストリート etc.
暗記するほど親しんでいたその場所に、
初めて立った時の感激。

イギリス人が好んで飲む
「パブ」のなまぬるい黒ビール。

実在はしないものの、
おそらく『ベイカー・ストリート221B』のモデル
になったあたりに佇みながら、
あたかもホームズになったかのような気分で、
ひとり自己陶酔していました。

日本と違って、
戦争で焼けた街をそのまま再現しただけあって、
充分に当時の雰囲気を味わうことができます。


ホームズが活躍したのは、1890年〜1910年頃。
主な乗り物は馬車か汽車。
通信は手紙か電報です。

これがポアロ(1920年代〜70年代)になると、
自動車、地下鉄、飛行機、電話と多岐にわたり、
そのぶんトリックも多様をきわめる。


探偵のキャラクターとしても、
ホームズとポワロは随分異なりますねえ。


ホームズの場合、
最初に依頼者が「なんか風変わりな事件」を持ち込む。

警察でも相手にしないような、
子供だましのような話の中に、
実は依頼者がとんでもない危険にさらされてる、

これを見事に発見して解決する、
てのが多い。

いわば「謎解き」ですね。


かたやポワロは、
初めに殺人事件が起きる。

で、ごっそりいる容疑者を、
最後は一堂に集めて真相を得意げにご披露、
そのまま真犯人を追いつめてしまう、
というのが多いですねえ。

後の探偵小説の先駆者ともいえるスタイルですか。


風貌は、

ホームズが長身のハンサム。
ポワロはチビで禿げの小男。

モルヒネとたばこを愛する、
ストイックで不健康な芸術家肌のホームズに対し、

美味しい料理とワイン、
ご自慢のヒゲと身だしなみと健康に、
ことのほか気を使うポワロちゃん。


とにかく足を使って現場を見、
凡人が見落としてる手がかりを探し出し
推理していく ‘行動的な’ ホームズに対し、

与えられた状況と手がかりを、
部屋でパズルのように構築しながら、
‘頭のなかで’ 解決していく物ぐさなポワロちゃん。

といずれも対称的です。


ちなみにこの両方を合わせ持ち、
すべてにカッコ良すぎる探偵が
ヴァン・ダイン作によるファイロ・ヴァンス氏。
(このお話もいずれ)


ところで、

ときどきNHKでやってますでしょ。

イギリスBBC制作の「ホームズ」と「ポワロ」

あの、グラナダTVが作った『シャーロック・ホームズ』
のビデオ(全23巻)は全て購入しました。

実に素晴らしい出来栄えです。


普通、原作に慣れ親しんだ物の映画化、TV化は、
幻滅させられることが多いのですが、
これは見事です。

原作に忠実、
時代考証も場所の設定も、登場人物も、
私が子供の頃から描いていたイメージそのままです。


そして何よりホームズ役のジェレミー・ブレットさん。

先年惜しまれて亡くなりましたが、
世界中から「これ以上のホームズ役はいない」
と絶賛されたのは至極当然。

皆さんもぜひご覧になってください。

ただし日本語吹き替えバージョンはダメです。

伝統的ブリティッシュ・イングリッシュも
ジェレミーさんの素晴らしいセリフ言い回しも
味わう亊ができません。

大体が「ワトソン君」と君付けなのがいかさない。

ジェレミー・ホームズはいつも
「ワトソーン!!」と吐き捨てるように言ってるのに…。


そこへいくと、
デヴィッド・スーシェ扮するところの
『エルキュール・ポワロ』シリーズはいまイチかな。

スーシェさん自体は
そんなにかけはなれたイメージではないのですが、
金のかけかたといい、
脇役の演技のクオリティーといい、
「ホームズ」シリーズには到底及びません。


まさにBBCが、
シェークスピア、ビートルズと並んで世界に誇る、
イギリス三大エンタテインメントのひとつ、
『シャーロック・ホームズ』にかける執念、
みたいなものを感じるのです。


(つづく)


(感想 2006/11/27)

久しぶりにこれ引っ張り出して、
改めて気がついたのですが、
4、5年前はまだ「ビデオ」の時代だったんですね。

今だったら、絶対DVDで揃えるなあ。

だってビデオ23巻というと、
すごい場所取るんですよ。

この10年のテクノロジーの進歩は、
すさまじいもんです。

ホームズもポワロも、
さしずめ今だったら、
パソコンの前にすわって推理、

といったところでしょうか?


SHUN MIYAZUMI

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October 13, 2006

続・座頭市と私

10/11(水)の 『ALL OF ME CLUB』
SUITE VOICE との共演も無事終了。

たくさんのお客さんで大いに盛り上がりましたね。

それにしても、
「マンハッタン・トランスファー」
のレパートリーが中心の彼女たちの譜面は、
なかなかに手強く、
いつも緊張感でいっぱい。

でもうまくいったときの達成感は格別です。

次回、このジョイントは、07年1月24日(水)です。


さて、
3年前に書いた『座頭市と私』をリニューアルしたら、
勝新太郎さんのことを、
もう少し書いてみたくなりました。

というわけで今日は、


『続・座頭市と私』


勝さんの代表作といえば、
なんといっても 『座頭市』。

日本映画を代表する大傑作シリーズですね。

しかし、
勝さんという人の持ち味からみれば、
むしろ 『兵隊やくざ』 のほうが、
より実像に近いのではないかと思っています。


学もなく、やくざあがりで喧嘩っ早く、
しかも女好き、酒好きの
でもいっぱしの正義感はある二等兵(勝さん)が、
規律の厳しい軍隊で巻き起こす様々なトラブル。

なぜかそれを必死でかばう、
東大卒のインテリ上等兵(田村高広)。

そしてこのどうしようもない二等兵は、
この上等兵殿の言うことだけは、
不思議によく聞く。

でもついに堪忍袋の緒が切れた二人は、
悪辣な上官どもをぶん殴って隊を脱走、
そしてそのまま珍道中。

というハチャメチャなシリーズでしたが、
そのひっちゃかめっちゃかの、
二等兵に扮した勝さんの
「やんちゃ坊主」ぶりが、

なんだか 勝新太郎そのもの、
という感じがしてならないのです。


それが証拠に、
彼は一度ハワイに行く飛行機の中で、
大麻を所持していることが発覚して
逮捕されました。

なんでもパンツの中に隠し持ってたとか。

もちろん保釈金を払ってさっさと出て来ましたが、
その直後、記者連中に囲まれての受け答えを、
TVで見ていた私は、
腹がよじれるほど笑ってしまいました。


記者「勝さん、大麻所持とは本当なんですか?」
勝 「いやね、なにがなんだか、
   俺にもさっぱり解らないのよ。」

記者「でもパンツの中に大麻があったんでしょ?」
勝 「そこよ。そこが一番解らないところなのよ。」

記者「じゃなんですか、
   大麻が勝手に歩いて、 
   勝さんのパンツの中に入っていったとでも?」
勝 「そこよ。そうとしか考えられないんだけど、
   そこが不思議なところなのよ。」

などと、
もっともらしいしかめっ面をして答える勝さん。

メモを取る女性記者なんかは、
クスクス笑ってましたね。

質問する記者連中も、
あまりのバカバカしさに
「やってられないよー。」
と思ったに違いありません。

こんな人にかかったら、
法律もお手上げですよね。


さて話を、‘座頭市’に戻しましょう。

私が手がけたフジTV 『座頭市物語』には、
実はすごい主題歌があったのです。

勝さんの提案で実現したのですが、

なんと、

「勝新太郎と石原裕次郎のデュエット」!


本当はレコードのジャケットをお見せしたくて、
家捜ししたのですが、
残念ながら発見できませんでした。

どうも私は、
昔からレコードやCDの管理が悪く、
自分が作ったものですら、その多くを所持していない。

やったらやりっぱなし、
過去は振り返らない、
という性格に生まれてきたようです。


いずれにしてもそのジャケットは、

画面の左半分が座頭市の勝さん、
右半分が侍姿の石原裕次郎さん、

というもの。


ところが、これ、
厳密な意味でのデュエットではない。

だって二人は一度も、
一緒にレコーディングなどしていないのです。


まず私が、アルファのスタジオで、
勝さんの唄をレコーディングする。

そしてロビーで待機している、
テイチクのディレクターのTさんに、
マルチ・テープを渡す。

それを彼が持ち帰って、
テイチクのスタジオで、
今度は石原さんの唄をレコーディング。

そして再びマルチ・テープをもらった私が、
アルファ・スタジオでミックス・ダウン。


すごいですねえ。

昭和を代表する大スターのお二人の、

風格とプライドを見せつけられる、

ひとこまでした。


本当に惜しい人を無くしました。

私は、

勝新太郎のような偉大な役者は、
今後もそう簡単には出て来ないのではないか、

そう思います。



えっ?

「ところでそのレコードは売れたのか」

ですって?


「そこよ。
 そこが俺にも、
  
 さっぱり解らないところなのよ。」


SHUN MIYAZUMI


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October 10, 2006

座頭市と私

きのうの 『ALL OF ME CLUB』 にお越しのみなさん、
ありがとうございました。

祝日なのにすごい入りでしたね。
楽しんでいただけましたでしょうか。

次回このトリオは、11/13(月)です。


おっと、その前に、

明日(10/11)は、
素敵な女性コーラス・グループ、
「SUITE VOICE」との共演があります。

私のスポーツ・ピアノは、
中一日ではきついのですが、
頑張ります。

どうぞいらして下さい。


さて今日は、
かつて大好評(?)だった過去ログの再登場です。


2003年2月17日(月) No.36
『座頭市と私』


1977、8年頃だったと思います。

アルファのディレクターとして、
少しは仕事らしい仕事ができはじめていた頃、

社長の村井(邦彦)さんが、
「おい、『座頭市』 の音楽をやることになったぞ、
 手伝え!」と言ってきました。

何でも、
映画で大評判の 『座頭市』 をフジテレビがTV化。
その音楽を村井さんが作曲、
そのディレクションを私にやれ、
と言うのです。


さっそく村井さんと一緒に京都へ。
「太秦(うずまさ)」という撮影所での撮影現場や、
できあがったばかりのラッシュを見せてもらい、
勝新太郎さんやスタッフの皆さんと打ちあわせ。

打ちあわせが終わると、
勝さんが京都での定宿としてる
「フジタ・ホテル」というところで3人で食事。

その食事の間も、
勝さんはほとんど芝居の話。
口角泡を飛ばしながら、
熱っぽく演技と作品に対する思いを伝えてきます。

「ここで、こう、市がさあ。
  パっと抜き打ちぎみにバサッ!と」

などと殺陣の真似をすると、
あまりの迫力に思わず腰が浮いて、
椅子から飛び上がらんとする私。

そんな凄みがありましたねえ。

「やはり一流の役者は違う。」
とつくづく思ったのでした。


性格は極めて豪放磊落。
巷で言われてるとおりの方です。

新米の私にも、とてもよく接していただきました。

私が痩せていると言っては,
ご自分の肉をどんどんこっちの皿によこします。
(信じられないでしょうが、
 当時の私は52、3キロしかない痩せっぽちでした。)

「君はもっと食わなきゃダメだ。」
と言ってはどしどしよこす。

ありがた迷惑な話です。


この「フジタ・ホテル」というところは、
東京でいえば 「オークラ」 クラスの超一流ホテル。

で、食事中にボーイが、
何度か勝さんのところにメモを持ってくる。

その度に勝さん。
「よしっ!」とか「ありゃあ〜」とか熱く反応。

何がなんだか解らない私は、
「あのお、さっきから何やってるんですか?」
と恐る恐る聞いてみる。

するとメモには「大洋6-5阪神」とか書いてある。

なんと ‘野球賭博’ だったんですねえ。


食事が終わると勝さん、
意気揚々と、
「さあ祇園へ行こう!」

美しい美女たちに囲まれて、
またまた朝まで、
熱い ‘演技論’ にお付き合い。

上機嫌の勝さん、
「おい、ここの酒と女は最高だろ?」
「ええ、そうですね…。」
と若き日の私。

ありがた迷惑な話です。


それでも、翌朝は早くから元気に撮影に臨む。

東京でもそうですよ。
銀座の超高級クラブで朝まで飲んで、
そのまま朝いちばんの新幹線で京都へ。
そして撮影。

いやあなんという ‘タフさ’ でしょうか。


それから、

一度京都で、
珍しく勝さん自らが運転するご自慢の
‘ムスタング’ に同乗させてもらったことがあります。

すると勝さん、
一方通行の小道を逆に進んでいくではないですか。
もちろん飲酒です。

出口にはしっかりおまわりさんが、
怖い顔をして、いました。

おまわり「ちょっとちょっと、一方通行だよ、
 だめじゃないか」
と、運転席を覗き込むやいなや、
「えっ?、あっ…、これは失礼しました。」

勝さん、何事もなかったように、
「あっ、一方通行なの。そりゃ悪かったな。」
と、今来た道を逆に後戻り。

こんな亊が許されるのも、
この人くらいなもんですかねえ。


こうして何度か京都と東京を行ったり来たりして、
『座頭市物語』 の音楽は、
どんどん作られていったのでした。

思えば楽しい日々でした。

予算が少なくて大変でしたが、
後に様々な劇音楽を制作することになる私にとって、
この経験は本当に勉強になりました。

そして何より、
「勝新太郎」という凄い役者の、
真の人間にも触れることができたことは、
何にもまして尊い経験だったと思います。

先年、惜しまれてお亡くなりになりましたが、
あの豪快な生き方では、
無理からぬことではないでしょうか。


そんな勝さんにひとつだけ不満があるとすれば、
ついに最後まで私の名前を、
ちゃんと覚えてもらえなかったことでしょうか。

ある時は、「宮内(みやうち)くん」
ある時は、「吉住(よしずみ)くん」
そしてある時は、「宮口(みやぐち)くん」


こんなこともありました。

日比谷通りを田町の方へ向かって、
知人の車で走ってるときのことです。

さっきから ‘S字型’に、
とんでもない蛇行運転で前を走ってる、
見覚えのある ‘ムスタング’ を見つけました。

ちょうど増上寺の前の赤信号で停まったので、
急いで横に追いつくと、
やはり勝さんが乗ってました。

車の窓を開けて「勝さあ〜〜ん!」と私。
すると気づいてくれた勝さん、開口一番、


「おおっ!魚住(うおずみ)くん!!」

「……。  なんちゅう運転してるんですかあ〜?」

「さっきから、どっち行こうか迷ってたのよー!」


「……。」


慎んで、ご冥福をお祈り致します。


(感想 2006/10/10)


勝さんの当たり役は、
なんと言っても 『座頭市』 ですが、

私は 『兵隊やくざ』 も大好きでした。

思い出しついでに、
もう少し勝さんのことを、

書いてみようかな。


(ところで、「007 ロシアより愛をこめて」
 のところに、
 その時のショーン・コネリーの写真が、
 掲載されてました。
 うちのショーちゃんの、憎い演出?)


SHUN MIYAZUMI


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October 01, 2006

007 ロシアより愛をこめて

2003年2月9日(日) No.35
007 ロシアより愛をこめて

007

007-SonoSheet
  (懐かしのソノ・シート!)


本場アメリカからやってくるアクションTV映画が、
大好きだった少年時代。

しかし、そんなものを吹き飛ばすような
超弩級のアクション映画が、
スクリーンに登場。

クラスの男どもも大騒ぎしていましたが、
私も完全に魅せられてしまいました。


『007 ロシアより愛をこめて』

TVでは味わうことのできないど迫力、
スリル満点の凄いアクション・シーン、
初めて見るヨーロッパの美しい風景、
そして、中学生の私にはいささか刺激が強すぎる
お色気シーンの数々、
ジョン・バリーのカッコいいテーマ・ソング、
マット・モンローの唄う甘い甘い主題歌。

いやあ、もう何もかもがビックリ。
完全にノックアウト!


で、実はこれシリーズ2作目だったんですね。

最初は『007は殺しの番号』(原題「ドクター・ノオ」)

これは日本ではあまりヒットしなかった。
私もあとから観ましたが、
まだまだ実験段階といった感じの出来。

しかし、

この2作目で、
すべてがスケール・アップ。

マット・モンローの唄う美しい主題歌とともに、
一大センセーションを巻き起こしました。


さらに3作目『ゴールド・フィンガー』
でその人気は最高潮に!
全世界が興奮のるつぼ。

全身金粉を塗られて横たわる美女の、
センセーショナルなポスターと、
シャーリー・バッシーの、
パンチのある主題歌に魅せられて、
何度観たことでしょうか。

続く『サンダーボール作戦』では、
当時絶好調の
トム・ジョーンズが唄ってましたね、
主題歌を。

アクション映画なのに、
その主題歌は美しいバラード。
しかもこれがまたみな大ヒット。

かなりエッチなジェームズ・ボンドさんの、
雰囲気を見事にかもしだしてる上に、
映画宣伝効果も抜群で、
これは今で言うところの、
「タイアップ」
の‘はしり’だったのではないでしょうか。


この、007こと‘ジェームズ・ボンド’に扮するのが、
ショーン・コネリー!

ずっと後になって、
あれがカツラと知った時はショックでしたが、
それまで無名の俳優だっただけに、
「なんてカッコいいやつが出てきたんだ。」
とみな一様に驚き。

だいたいジェームズ・ボンドというやつは、
すべてに秀でた諜報部員であると同時に、
強くてかつ‘スケベ’でなくてはならない。

「ボンド・ガール」なる言葉も流行ったほど、
お色気シーンも満載。

ところが、
この両方を兼ね備えた役者は、
そうはいない。

それが証拠に、
ショーン・コネリーがボンド役を辞してからは、
どれもこれも今イチ。

例えばロジャー・ムーア。

家族思いの真面目なパパ、
という感じで、
日本でいえばさしずめ児玉清か宝田明のイメージ。

最近のピアス・ブロスナンも華奢すぎる。
相手の狡猾な大男と
互角に渡り合えるとは思えない。


ボンドといえば、
何よりも脂ぎってる女大好きスケベ男なんだが、
女に溺れると見せかけて
ちゃっかり任務は遂行しちゃう。

もちろん、男らしさ、強さ、クールさ、
も兼ね備えてなくちゃいけないのは
言うまでもないこと。

当時も今も、
これほど当たりのボンド役はいませんね。

最近では、
マシュー・マコノヒーなんて雰囲気だけど、
ちょっと線が細いかな。

日本では故田宮二朗。
彼しかいない。
惜しい人を亡くした。


改造を加えた名車アストン・マーチンを
さっそうと乗りこなし、
最先端のアイディアを駆使した小道具とともに
単身敵地に乗り込み、
その陰謀をズタズタに破壊する。

そして最後は絶世の美女とよろしくフィナ〜レ!

憎いなあ。

思春期の少年からみたら、
こんなカッコ良くて、憎いやつはいませんよ。


ショーン・コネリーは今でも
渋い性格俳優として活躍中。

ジェームズ・ボンド一辺倒にされたくない、
と、人気絶頂にあって、
スパっと本来の禿頭を披露してボンド役を辞退。

その姿勢はあっぱれではあるものの、
ファンとしては、
あと5、6本は観たかったなあ、
というのが本音です。


このシリーズは今も続いていて、
相変わらずの豪華絢爛さは保っているものの、
CGなんか駆使しちゃってるから、
なんか‘スーパーマン’を見ている感じ。

本来の人間くさい娯楽作品としては、
この3作には、到底およびません。

私の中のジェームズ・ボンドは、
ショーン・コネリーだけで充分。


永遠に悪ガキのアイドルです。


(感想 2006/10/1)

人気絶頂ジェームズ・ボンドを、
スパっと捨てたショーン・コネリーですが、
その後もいい仕事をしてますね。

むしろ今のハゲのコネリーのほうが好き、
という女性も、
私の周りにはいっぱいいます。

そのなかでも特に私が好きなのが、

『ザ・ロック』
(罠にはめられて牢獄暮らしの元諜報部員が、
 ‘釈放’を条件に、
 乗っ取られた難攻不落の刑務所に挑む。)

と、

『ロシア・ハウス』
(引退してポルトガルでのんびり暮らす
 元諜報部員が、
とあるスパイ事件の解決のために担ぎ出されて、
 単身ロシアへ、というラブ・サスペンス。)

ということは、

やはり、引退しても、
コネリーには諜報部員が一番合ってる、
と言ったら、

コネリーさんに叱られますかねえ…。


さて、10/3(火)は、
ファミリー・アーチストでも紹介している、
井口真理という素敵なシンガーと、
「代々木ナル」でライブです。

ベースは河野秀夫、
それに、今や大人気の美人パーカッション、
はたけやま裕、
そして私のピアノというバック。

透明感のある美しい声です。

どうぞいらしてください。


SHUN MIYAZUMI

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September 28, 2006

スパイ大作戦

2003年1月16日(木) No.33
スパイ大作戦

きょうは、
かつて日本のお茶の間を賑わしていた、
アメリカ産アクション・TVドラマのお話です。

その中でも、私がもっともお気に入りのドラマ、

スパイ大作戦!


これを最初に見てたのは、
私が中学から高校にかけてですから、
かれこれ35年以上も前のことになります。

さらに、
15年くらい前にも深夜に再放送してましたから、
かなりの年齢層の方がご存知なのでは?

その再放送のとき、
新聞にある若い女性からこんな投書がありました。

「最近『スパイ大作戦』の再放送が始まりましたね。

 実は私、この番組には苦い想い出があります。
 最初の放送のとき、私は幼稚園でした。
 父が好きで毎週見てるので、
 私も漠然と見ていたのです。
 しかし、
 全くといっていいほど意味が解らなかった。

 一体何をやってるのか、
 一体この人達は悪人なのかいい人なのか、
  全く解らない。

 父は楽しそうに見てるので、
 きっと面白いんだろうなあ,
 きっと私が子供のせいで解らないのだ,
 早く大人になりたいなあ、
 と思ったものでした。

  すると、待望の再放送。
  今や大人になった私。
  今度は楽しむぞーと、
  胸を高ぶらせてブラウン管の前に。

  ところがです。

  今度も全く解らないのです。
  一体この人達は悪人なのかいい人なのか、
  一体何をやってるのか、
  全く解らないのです。

  皆さん、私はバカなのでしょうか?」

というもの。

ハハハ、この人好きです。
失礼ながら、
思わず大笑いしたことを覚えてます。


確かに、
「おはようフェルプス君」で始まる冒頭から、
「このテープは自動的に消滅する。」
までを聞き逃すと、
その日はパーですね。

でも、
よーく聞いてても変装しちゃったりするから、
本当に解らなくなる部分も多々ある。
このひとの言ってることはよく解ります。

でもその仕掛けといい、罠のはめかたといい、
スリリングでよくできてるなあと、
毎回感動したものでした。


それからオープニングの音楽。

マッチをすって、
それがダイナマイトの導火線のように横にのびていく。
ヒュルヒュルヒュル〜〜ジャッジャッジャッジャッジャッ!

これがまたカッコいい。

この音楽を作ったのは、ラロ・シフリンというひと。

クインシー・ジョーンズ(鬼警部アイアンサイドetc.)
ジェリー・ゴールド・スミス(オーメンetc.)
とならんでアメリカでは、
「3大サスペンス音楽家」として知られています。

彼は、
あのブルース・リーの『燃えよドラゴン』シリーズ、
でも有名ですね。

そういえばどこかタッチが似てませんか?


最近トム・クルーズの主演で「ミッション・インポッシブル」
というタイトルで映画化されましたが、
これは私にはイマイチ。

「スパイ大作戦」の持つ、
巧妙に罠をしかけて相手を破滅させる、
という本来のスリリングさが全く無い。

というか全然別ものでしたね。

配役陣も、このTVシリーズのほうが、
渋い職人の集まりって感じでリアリティーがある。

若山弦蔵さんを筆頭に、
アフレコの人たちも渋かった。


そしてこの『スパイ大作戦』に代表される、
アメリカのTVアクション物が、
父も私も大好きで、
我が家にテレビがやって来た昭和33年ころから、
この手の物は全部かかさず見てました。

モノクロ時代の
『FBI』
『ハイウエイ・パトロール』
『アンタッチャブル』
『タイトロープ』(チャック・コナーズ。よっ、二枚目。)
『サンセット77』
『サーフサイド6』
『逃亡者』(おお、デヴィッド・ジャンセン!渋かった。)
『ベン・ケーシー』(これ医者)
『コンバット』(これ戦争物。サンダース軍曹、しびれるー。)

『ナポレオン・ソロ』
『チャーリーズ・エンジェル』
(このあたりからカラー。)
『刑事コジャック』
『スタスキー&ハッチ』
『アイアンサイド』
『白バイ野郎ジョン&パンチ』
『ベガス』
『刑事コロンボ』
『ナイト・ライダー』
etc.etc.

全部見てました。ぜ〜んぶ!!


でも最近こういうの、
全然ないですよね。

もっともっと金のかかったアクション映画が、
気軽にビデオやBSで見られるから、
制作もしてないんでしょうか。

でも、1時間完結のお気楽娯楽物って、
それはそれで楽しいんですがねえ。

私がジャズを好きになるのは、
ずーっと後のことになるのですが、
ガキの頃から
こういった物が好きだったところをみると、
私のアメリカかぶれも相当だったように思います。


そんなTVシリーズしか知らない私が中学に入ったころ、
とてつもないスケールのアクション映画が、
スクリーンに登場しました。

クラスの男どもが大騒ぎをしているので、
早速映画館へ行ってみる。
そしてそのカッコ良さにしびれまくったわけですが、
はたしてその正体は?

ジャーン!

そうです、

『007ロシアより愛をこめて』

ジェームズ・ボンド!

演じるはショーン・コネリー!!


これには仰天しましたね。

それまでのアクション物の常識を打ち破る、
スケールの大きさ、
金のかけ方。

ガキの私の心を揺さぶる、

大事件でした。


(感想 2006/9/28)


ちょっとだけジム・インガーの話に戻ります。

私が初めてロサンゼルスに行ったのは1977年。

そして前回、前々回のジムの話、
すなわち伊東ゆかりさんと一緒に行ったのが、
1992、3年頃。

このとき、ジムの車で、
毎日ロスのフリーウェイを走ってたのですが、
なにか不思議な違和感を覚えました。

「なにかが違う…。」

最初、それがどこから来るのか、
ちっとも解らなかった。

そのうちに私は、
あることに気がつきました。

車がみんな、

日本の車。

ホンダ、マツダ、ニッサン、トヨタなどの、
軽自動車。


私が小さい頃、
アメリカのTVのアクション物で見た車といえば、

キャデラック、ポンティアック、リンカーン、

あのバカでかいアメ車ばかりでした。

80年代も確かそうだった。

そのバカでかいアメ車が、
さっそうとフリーウェイを走ってるさまを見て、

「おお、アメリカだ。」

と感激したのですが、

今や小回りがきいて燃費の安い日本車ばかりが、
走ってるのを見て、
全くアメリカにいるという実感がなかったんですね。

ちょっぴりさみしい気分に…。

そういえばジムの車も、
2ドアの「ホンダ」

でした。


SHUN MIYAZUMI


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September 24, 2006

ジム・インガーとロックンロール  その2

2003年1月8日(水) No.32
ジム・インガーとロックンロール その2

Jim & Miyazumi

わが友、ジム・インガー

とにかくこの男と私、

国境を越えて、
ここまでウマがあうヤツも珍しい。


彼からみれば私は、
他の日本人とは違う‘極めてアメリカ人的’な、
自由奔放なやつに見えてるようです。

自分の仲間のミュージシャンに紹介するときも、
「彼はアメリカ人とおんなじ、
 普通の日本人とは違うから安心しろ。」
というような紹介の仕方をする。

すると彼(彼女)らも、
「ハ〜イ、シュン!」
とたちまちフレンドリーにふるまってくれる。

もっともそういう時はいつも、
「日本人って、なんか嫌われてるのかなあ」
と複雑な気持ちにはなりますけど…。


ところで、
私がロスに滞在するときは、
まずこの男に連絡をします。

理由は、

ただ面白いから。


例の伊東ゆかりさんのプロジェクトでは、
2年続けて、
リッチな『リッツ・カールトン・ホテル』
に泊まったのですが、

毎晩毎晩うれしそうにやって来ては、
今流行りのところへ連れて行ってくれたり、
帰りは送ってくれたついでに、
私の部屋のミニ・バーの酒を全部飲んで、
平気で運転して帰る。

毎回チェック・アウトの酒代をみて、
腰をぬかしそうになりますが…。


帰国の前日、
荷造りをしてるときにもやってきて、
バスローブだのドライヤーだの
詰め込もうとするので、
さすがにそれは、かたくなに拒否しましたが、

それもそのはずで、

彼がマイケル・ボルトン
という歌手と一緒に来日した時は、
毎日ツインの一人使用をいいことに、
使わない浴衣(ゆかた)をせっせとためこみ、
みんなのお土産にしたそうです。

こういうデタラメさも、
ミュージシャンならではですね。

ただし、
良い子の皆さんは絶対マネをしないように。


その来日のときの話。

日本をよく知らない他のメンバーは、
言葉が通じないことに怯えて、
毎日ホテルの、
何の変哲もない、
しかも高いだけの朝食を食べて、
絶対おもてには出なかったそうです。

しかしこの男には私が
『立ち食いそば』
なるものを教えてあったので、
ひとりで赤坂の街をぶらぶら、

たった1ドル(当時のレート)で、
うまい‘そば’や‘うどん’や‘カレーライス’を
毎日堪能してたらしい。

あとから、
「お前のおかげだ」と盛んに感謝されました。

彼も日本の食い物は、
大絶賛でしたね。


私がアメリカ的なら、
やつは日本的。

ま、生まれてきた国は違えど、
根本的には似た者同士ってやつでしょうか。


そんなジムも、

さすがに『カラオケ』の普及には
むかついてましたねえ。
ライブの仕事も随分侵食されてきてたようです。

さらに今は打ち込みやシンセサイザー全盛の時代。
スタジオの仕事も減ってる、
とボヤいてました。

ああいった、伝統的な、
いかにもアメリカ的な素晴らしいミュージシャンが
その仕事場を追われていく。

なんかさみしい気もします。


「もし俺がロスからいなくなってたら…」といって、
故郷ニューヨーク州バッファローの電話番号も、
一応聞いてはありますが、

元気でミュージシャンをやっていて欲しいものです。


ということで、
再び彼と仕事できる日を夢見て、

私も頑張らねば…。


それまで生きてろよ、

ジム・インガー。


(おわり)


(感想 2006/9/24)

1984年
「ロサンゼルス・オリンピック」


開会式のクライマックスで、
100人のピアニストが同時に、
ガーシュインの『ラプソディー・イン・ブルー』を弾く、
という素晴らしいシーンがあったのですが、

覚えておられる方も、
多いと思います。


実はあの中に、
このジム・インガーもいたのです。


なんでも、
ロサンゼルス中の、
プロのピアニストというピアニストが、
総動員されたらしい。


私はその時ニューヨークにいたのですが、
事前に彼からそのことを聞いていたので、
スタジオのテレビを食い入るように見ながら、
彼を探しました。

「おそらく、これだな。」
と思える人物を、
階段の中央付近に見つけましたが、

白いタキシードを着て、
真面目くさって弾いてる様が、
なんとも似合わなくて、
可笑しかった。


でも、
ああいう立派な物もちゃんと弾けるんだなあ、
と、妙に感心したことを、

今でもはっきり覚えています。


SHUN MIYAZUMI

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September 21, 2006

ジム・インガーとロックンロール

2002年12月10日(火) No.31
ジム・インガーとロックンロール

前回まで華々しくご登場いただいた、
ジェフ・バクスター率いる『BILLY & BEATERS』。

このバンドでピアノを弾いていたのが、
今日ご紹介する、
ジム・インガー(JIM EHINGER)というひと。

きょうはそんな彼のお話。

Jim Ehinger
(JIM EHINGER)

名前から察するに北欧系にルーツがありそう。
(本人は、
 「北海を荒らし回ってた海賊の末裔」
と言ってましたが。)

年は私と同じで、
しかもなかなかの男っぷりです。

有名な「ドクター・ジョン」の一番弟子で、
およそロックンロール・ピアノを弾かせたら、
いまだこの男以上の存在を、
私は知りません。

最初三好鉄生のレコーディングで
そのプレイに感心させられ、
ロスに行ってからもなぜかジェフ以上にウマが合い、

三好のセカンド・アルバムの録音のために、
スカンクと一緒に東京に呼んだ時も、
セッションが終わってから毎日つるんで遊んでました。


ジェフとは好対称。
商売の下手な、
本当の意味での純粋なミュージシャン。

しかもシンセサイザー全盛の今も、
古いカントリーや、
ブルース、ロックンロールのピアノ・スタイルに、
こだわり続けているあたり、
頑固一徹、
職人肌的な名人です。


7、8年前でしたか、
伊東ゆかりさんのレコーディングでロスに行きました。

「三好の仕事から10年くらい経ってるし、
ひょっとしてもうここにはいないのかなあ?」
と思いながらジムに電話すると…、

いましたよ! いました! まだロスに。

その時私達一行は、
『リッツ・カールトン』(マリーナ・デル・レイ)
という海沿いの5ツ星ホテルに、
なぜか格安で宿泊できていたのですが、
このジム・インガー、
うれしそうに毎晩のようにやってきました。

そのホテルには、
でっかいプール、ジャグジー、テニス・コートなどがあり、
ヨット・ハーバーにも隣接していて、
部屋のベランダから見るその景色は、
まあリッチなことこの上ない。

海に面した大きなダイニング・ルームもそれはそれは優雅。
『コロンボ』に出てくる犯人役の金持ちが
いつも食事をするところ、
といった感じですか。

アーノルド・シュワルツネッガーが家族でランチにも来ました。

又、ある日曜日には
プールの上にバージン・ロードを作って、
プールサイドでは本物の弦楽隊が
『ゴッドファーザー』を奏でている。

なんとこれがマフィアの結婚式。

まるで映画のような世界。


そのレストランで、
ジムと、彼が連れてきた美しい女性と私の3人で
ディナーをしたときの話です。
(ゆかりさんたちは、
 和食しかダメな事務所の社長と、
 リトル・トーキョーの「和食屋」へ行きました。
 かわいそうに…。)

そして、だだっ広いそのレストランには、
一台の素敵なグランド・ピアノが置いてある。


するとジムが支配人を呼んでなにやら交渉。

「ちょっとピアノ弾いてもいいかなあ?」
「他のお客さまのご迷惑にならないような、
  静か〜な曲ならどうぞ。」
「わかってる、わかってる。」

で、最初は、
『ミスティー』とか『想い出のサンフランシスコ』
といったスタンダードを、
インチキくさい、
カクテル・ピアノのようなスタイルで弾くジム。

ところが、支配人が向こうへ行った瞬間、
「シュン、シュン」と私を呼ぶ声が…。

振り向くと、
私にウインクをして、
突然、ガガガガガガガガガ〜ン!
とロックン・ロール・スタイルに早変わり。
そして次第にノリノリになり、
他のお客もみんなピアノのほうを注目し始める。

でもほとんどが、
「ま、お下品な!」
というしかめっ面の老夫婦といったところですが。

もちろん支配人はあわてて飛んできて
「お客さま、おやめ下さい!
 静かな曲なら、と申し上げたはずです。」
「いや悪い悪い」
とまた『ミスティー』にもどすジム。

で、

また支配人が向こうのほうヘ行くと…、

「シュン、シュン」と再びジムの声がする。

振り向くと、
ニヤッと笑って、
またまた、ガガガガガガガ〜ン!と
激しいロックンロール・ピアノでノリノリ。

するとまたまた支配人が血相変えて飛んでくる。

こうしたことを繰り返した後、
ついに3回目には、この支配人、
怖そ〜〜〜〜うなお兄さんを連れてきたので、
さすがのジム君もそこで終了。


さあそうこうするうちにリッチなディナーも終了。

するとジム君、
「シュン、今から面白いクラブへ連れてってやるよ。」
と、最近ロスで流行ってるナイト・クラブを、
ハシゴで案内してくれる。

ご承知のとおり、
ロスは車がないとどこへも行けません。
でも帰りもこいつが送ってくれるから安心安心。

みなさん、外人とは仲良くしておきましょうね。

およそ日本人同士の観光では行けないようなところも、
現地人がいると安心だし、
ガイド・ブックに乗ってないような面白い所も
大いに楽しむことが出来る、

と、こういうわけです。

それにしても、
この『BILLY & BEATERS』は、
いかにも「アメリカ!」というサウンドにもかかわらず、

スカンクといい、ジムといい、

私とのフィーリングは、まさにピッタンコ!

そんなバンドだったようですね。


(つづく)


(感想 2006/9/21)

懐かしいなあ、ジム・インガー。

元気かなあ…。


ところで私、
ジャズ・ピアニストのくせに、
けっこうロックン・ロール・ピアノも
弾けちゃうんですよ。

ええ、
実はこのジム・インガーのスタイルを間近で見ながら、
こそっと勉強しておいたのです。

もっとも彼のそれは、
超人ともいえるテクニック。

右手と左手が完全に別人が弾いてるよう。

見事でした。

また聞きたい…。


SHUN MIYAZUMI

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September 18, 2006

ジェフ・バクスターと牛丼 その3

2002年11月18日(月) No.29
ジェフ・バクスターと牛丼  その3

1982年。(だったかな)

三好鉄生のデビュー・アルバムが、
予想以上のセールスをあげたため、
アルファでは、
「さっそくセカンド・アルバムを作ろう。」
ということになりました。
それも今度は日本で。

前回の「BILLY & BEATERS」のメンバーから、
ギターのジェフ・バクスターと、
ピアノのジム・インガーという人だけを呼び、
あとは日本のミュージシャンと日米混合バンドでのセッション、
という形で。

ドラムはまたしても村上ポンタ秀一、
ベースが当時『おニャン子クラブ』で荒稼ぎの後藤次利、
そしてアレンジとギターに、今は亡き大村憲司、
という、これまたそうそうたる面々。

鈴木キサブロー(曲)、故大津あきら(詞)
両氏の作品を中心に、
これもなかなかの出来だったとは思うのですが、
残念ながら、
今回は『涙をふいて』のようなシングル・ヒットに恵まれず
敗北。

世の中、そう簡単にはいきませんね。

でもレコーディングは和気あいあい。
素晴らしく楽しいセッションでした。


そのレコーディング中、
スカンクがおかしな言葉を持ち込んできました。

‘ナジマンボ’という言葉なのですが、
これ、「NG」(NO GOOD) という意味のスラングらしく、
どうやら彼はこれを流行らせたいようでした。

例えばこんな感じ。

演奏が終わるとすかさずジェフが
「シュンどうだった?」
と聞く。

そこで、あんまり良くないと私が
‘ナジマンボ’
「ようし、もう1回やろう。」
とこうなるわけです。

じゃあその反対の、「GOOD」を作ろうということになって、
出来上がったのが‘オキマンボ’という言葉。

やはりスラングで、
アメリカのミュージシャンは「OK」のことを、
よく「オキドキ(OKI-DOKI)」と言います。
デーブ・グルーシンのようなインテリは使いませんが…。

その‘オキ’に‘マンボ’を加えただけ。

じゃあ「VERY GOOD」は何か。

彼が気に入ってた日本語の‘イチバン’を加えて、
‘オキ・イチ・マンボ’

これができたときも、
スカンクは得意満面の笑顔でした。

アホくさ…。

でもスタジオというのは娯楽のない職場ですから、
こうやって遊んで、リラックスしながら、
いい演奏しようと頑張るんですね。

ちなみにその年のジェフからのクリスマス・カードには、
『1983 WILL BE OKI-ICHI-ICHI-ICHI-ICHI-ICHI-MANBO!』
と、‘ICHI’が余白いっぱい埋め尽くされてました。


ジェフとの仕事は今のところこれが最後ですが、
その後も何回かは会っています。

一度ニューヨークで、
カシオペアのレコーディングをやってる時、
偶然彼も来ていて、
(なんでも「ドゥービー・ブラザース」が、
 ソ連公演の為に臨時に再結成され、
 そのプロデューサーとして、たまたまNYにいたらしい。)

スタジオのアシスタントがたまたまジェフとも懇意で、
連絡をしてくれたところ、
すぐにスタジオに来てくれました。
スペシャル・紙巻きタバコを持って…。

それから、
「モシモシ、ワタシハ、バクスターデス。」
と変な日本語で自宅に電話があったことも。

翌日、六本木で中華を一緒に食べました。

ところが、
なんだか不良を絵に描いたようなこの男が、
妙に穏やかで普通っぽくなってる。

なんでも結婚したらしく、
きれいな奥さんと、4才になる娘の写真を、
嬉しそうに見せるのです。

「スカンクも人の子。大人になったんだなあ。」
と、なんともほほ笑ましい感じでした。
(やつは私より2、3才年上でしたか?)

で、食事が終わってコーヒーが運ばれる。
私が「砂糖は?」というと、
彼は首をふりながら、真面目な顔をしてこう言いました。

「いや、子供もできたし、
 俺は‘白い粉’はぜんぶやめたんだ。」

「……」


彼の父親は、アメリカでも有名な広告代理店のVIP。
「BILLY & BEATERS」のタイアップなんかも、
父親のおかげかもしれません。

とにかく、腕も一流には違いありませんが、
運も強い!
入ったバンドがことごとくスターになるんですから。

バンド仲間では、そんなジェフを
‘商売上手’と非難する向きもありますが、
そうした営業努力を度外視しても、
やはり強い星の元に生まれてきた一人であることは、

確かなようです。

(おわり)


(感想  2006/9/18)

『吉野家の牛丼』の完全復活を願って、
私流の食べ方をご披露します。

まず、ビールを一本と「牛皿」をひとつ注文。
さらにカウンターのなかから「おしんこ」をひとつ取り出す。

この「牛皿」と「おしんこ」の‘つまみ’が約半分、
そしてビールがほぼ無くなりかけたときに、
「並の牛丼」をひとつ注文。

これがすぐに出てくるので、
注文のタイミングに気をつけなければいけない。

そして「並の牛丼」では、
どうしても肉が足りなくなる。
そこで、半分残ってる「牛皿」の肉を混ぜる。

これで完璧。

「大盛り」や「特盛り」では私には米が多すぎる。

卵は使いません。
なぜなら、
せっかくの‘だし’が卵の黄身の味になるから。

同じ理由で「月見そば、うどん」のたぐいも、
私は好みません。

ええ。


ちなみに、

私がこういうくだらないことを書いてるときは、

‘ひま’か‘アレンジが煮詰まってる’かの、

どっちかです。


SHUN MIYAZUMI


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September 15, 2006

ジェフ・バクスターと牛丼 その2

月曜日に、転んで手首を痛めたと書いたところ、
いろんな方からお見舞いのメールや電話をいただきました。

おかげさまで、かなり回復。
ようやく今日あたりから、
少しずついろんなことができるようになりました。

利き腕が使えないのは、
本当に不便ですねえ。

ご心配おかけしました。

今後は、浮かれて歩かないよう、
心がけます。


というわけで、
過去ログ「ジェフ・バクスターと牛丼」の続きです。


2002年11月8日(金) No.28
ジェフ・バクスターと牛丼  その2

(そうそう、前回9/12の文中に、
  このジェフの写真を掲載しておきました。
  興味のあるかたは、ご覧になってください。)


1981年の秋。(だったかな)

三好鉄生のデビュー・アルバム制作のため、
三好、私、
そして当時アルファのアシスタントだった、
後に日本を代表するエンジニアとなる寺田康彦、
(このときは勉強のために見学参加)
の3人は、ロサンゼルスに向かいました。

バック・ミュージシャンは、
「東京音楽祭」で知り合い、
東京で数曲のセッションに参加してくれた、
『BILLY & BEATERS』の面々。
(ヴォーカルのビリー・ヴェラをのぞく)

いずれもアメリカでも名うてのミュージシャン揃いです。

レコーディングは毎日、
朝10時から夕方6時まで。
ということは、
間に当然昼食をはさむわけですね。

最初はドラム、ベース、ピアノ、ギター
といったリズム録りですから、
エンジニアやらアシスタントやらを加えると、
総勢10人くらいの食事が必要になります。


で、その初日。

リーダーのスカンク(バクスター)が、
ローディー
(日本では“坊や”とも言う、いわゆる楽器運びの人達)
のジョージという男に、
「‘ビーフ・ボール’を買って来てくれないか。」
と指図している。

なんでも『吉野家の牛丼』が、
最近スタジオの近くにオープンしたらしいのです。

「なるほど、こっちでは‘BEEF BOWL’って言うんだ。」
と変なところで感心しつつも、
「どうせロスは何食ってもまずいんだから、
 物珍しくもないけど牛丼でもいいや。」
と、こっちもオーケー。


そのアメリカ版『吉野家の牛丼』ですが、
もちろん味は日本とまったく同じ。

ただしこの人たち、
‘オシンコ’はさすがにだめなようで、
代わりに‘コールスローのサラダ’
みそ汁もだめで‘コーン・スープ’
というメニュー。


さあ、そのリアクション。

これがみんな、

「うまい!うまい!」を連発。
なかには、
「こんなうまい物、生まれて初めて食った。」
というやつまで現れる始末。

「だろっ?」 「だろっ?」と、
いち早くその存在を知ってたスカンクの、
まあ得意満面な顔。

初渡米、北海道の炭鉱町出身で、
和食しかダメな三好君も、
まさかアメリカで‘牛丼’が食えるなんて
思ってもみなかったようで、
もちろん大満足。


しかし、驚いてはいけません。

この人達、

翌日も、その翌日も、そのまた翌日も、
つまり一週間のひるメシという昼飯、
ついに最終日まで、

ぜーんぶ‘牛丼’だったのです。


このときも私は、
日本人で良かった…
と妙な優越感に浸ってしまいました。

本当に我々は、
恵まれた食文化の中に生きているのです。


でもさすがの私も、
最初の2日間はお付きあいしましたが、
3日目にはやんわりお断りして、
ひとり外へ出て他の食い物を探しました。

当たり前です。

すると、
ありましたよ、
‘ゴキゲンな店’が近くに。

その名もずばり、

『レバノン料理』!!

こんがり焼けたチキンにスパイシーな野菜、
甘味のあるやわらかいパン、
「こっちのがずっといいのに。」と
ひとりほくそ笑む私。

それからこの店の‘クラブハウス・サンド’が
またうまい。
レバノンもアジアといえばアジアですからね。
これまたジューシーで抜群でした。

私はこれを交互に食して、
なんとかこの難局を乗りきりました。


さあ‘牛丼’タイムが終わると午後のセッション。

するとスカンク、今度は、
何やら紙巻きたばこのようなものに火をつけ、
他のミュージシャンに回し始めました。

もちろんこっちにも来た。
「いちばんスタッフ!」とか言う怪しげなやつが。
ま、ここはアメリカだし、
お付き合いとも思って私も一服。

ところが、これは強力!!!
たった一服で、頭クラクラ!!
夕方までマヒしてしまいました。

でもこの人たちは平然とプレイを続ける。
しかもゴキゲンなプレイを。
やはりアニマル…。
そしてこれも毎日の日課。

もちろん仕事にならないので、
私は翌日から、
これもパスしました。


さて、このスカンク・バクスターですが、

実はGメンの資格も持ってて、
拳銃所持OK。
飛行機もただで乗り放題。

そしてローディーのジョージは、
シチリア生まれの、
マフィアの流れを組む血の気の多い男。
もちろん太い腕にはちゃんと入れ墨が。

この二人で、
週末になるとロス沖に船を出して、
密入国してくるメキシコ人を銃で威嚇しに行く、
というのが趣味のよう。

二人ともご機嫌な男ですが、
なんとも悪趣味ですね。

でもみんないい感じのヤンキーでした。


こうして一週間後、
レコーディングも無事終了。

『TESSEI』と名付けられた、
この三好鉄生のデビユー・アルバムは、
そこに収められている
『涙をふいて』という曲のヒットにも助けられて,
20万を越える大ヒットになりました。

Namidawofuite

でも、一番の功労者は、
やはり『吉野家の牛丼』

でしょう。


(つづく)


(感想  2006/9/14)

3年前、
「女子十二楽坊」が初来日。

私は日本側の音楽監督として、
リハーサルを取り仕切っていたのですが、
その初日、
「昼食は何がいい?」
と彼女たちに聞いたところ、

ただちに、
「牛丼!」
「吉野家!」
という答が全員から返ってきました。


ということは、

この食い物は、

世界中のミュージシャンを魅了する、
のかもしれませんぞ。

そういえば、
BSEの関係で、
我々もずいぶん久しく食べてませんね。

なんだか、

恋しくなってきました。

ヨシノヤ…。


SHUN MIYAZUMI

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September 12, 2006

ジェフ・バクスターと牛丼

ひさしぶりに、
過去ログのリニューアルです。

2002年10月29日(火) No.27
ジェフ・バクスターと牛丼


ベナード・アイグナーの思い出』の項で、
彼が‘なす肉ピーマン炒め’や‘オムライス’に狂気!

その結果私は、
「日本の食文化の素晴らしさを初めて実感した」
というようなことを、
とうとうと述べましたが、

きょうはそんなお話をもうひとつ。


私はアルファ・レコードという、
極めてアメリカ・ナイズされた会社で育ちましたから、
海外でのレコーディングというものに関しては、
おかげさまで、
けっこうたくさんの機会に恵まれました。

そして、いつも思ったのは、

「日本という国は、
 本当に食い物が美味いんだなあ。」
ということ。


例えば、アメリカでレコーディングをする場合、
スタジオには、
いろんなスタジオ・ミュージシャンがやって来ます。

そして僕が日本人だとわかると、
とたんにみんなで食い物の話になります。


その場合まず、
日本に行ったことのあるやつが、
他のミュージシャンにむかって、
「おい、日本に行ったことあるか?
 あそこは食い物うまいんだぞお。」
と、知ったかぶりに始める。

すると、別のやつが、
「知ってる知ってる。
 俺、先月ボズ・スキャッグスと行ったんだけど、
 何食ってもうめえんだよ。」

またまた別のやつが、
「オー、イエー!‘スシー’‘テンプラー’」
だのと大騒ぎ。

これが私に対する、
めいっぱいの敬意表現というものでしょうが、
別に悪い気はしません。

当時のアメリカは、
本当にまずかったのですから。


傍らで、日本に行ったことのないやつは、
話に参加できないわけですから、
ハンバーガーかサンドウイッチを寂しそうに食ってる。

ただし、日本といえば、
‘食い物’か‘ソープ・ランド’しか話題にならないのも、
いささか残念な気がしましたが、
ま、所詮おバカな‘ミュージシャン’ということで、

ここは大目にみてあげましょう。


ところで、ここに、
「ジェフ・バクスター」というギタリストがいます。

長身で、お茶の水博士のような髭をたくわえ、
通称‘スカンク’と呼ばれてるギタリストですが、
その経歴は華麗です。

ジミ・ヘンドリックスのセカンド・ギターに始まり、
スティーリー・ダン、ドゥービー・ブラザース、と、
彼が入ったバンドはことごとく成功するのですから、
よほどの強運と言えるでしょう。

Doobie Brothers
(ドゥービー・ブラザース、『ミニット・バイ・ミニット』
 のジャケット。左下がジェフ・バクスター。)

そのジェフと最初に出会ったのは1981年頃。

TBSの主催する東京音楽祭というイベントに、
「アルファ・アメリカ」
(当時破竹の勢いで、アルファはアメリカにまで進出。)
の契約アーチスト
「BILLY & BEATERS」のプロデューサー兼ギタリストとして、
来日していたときのことです。

この「BILLY & BEATERS」とは、

ビリー・ヴェラという、
有名なカントリー系の歌手をリード・ヴォーカルに、
伝統的なカントリー、ブルース、ロックなどを混ぜ合わせた、
ホーン・セクションを入れて総勢11人からなる、
いかにも「ジス・イズ・アメーリカ!」
というバンド。

ドゥービー・ブラザースあたりとも共通点がある。
事実交流もあるみたいでした。

その東京音楽祭では、
「AT THIS MOMENNT」という素晴らしいバラードを演奏し、
ノーマークながらなんと金賞を獲得!

そしてこの曲、
その時はヒットしなかったのですが、7年後、
アメリカのホーム・ドラマの主題歌になり、
見事ビルボード誌全米NO.1に輝くのですから、
ここでもジェフ・バクスターの強運たるや、

しぶといものがあります。


ちょうどその時期私は、
「三好鉄生」という人のプロデュースを始めるところ。

で、この「BILLY & BEATERS」のサウンドが
私のイメージにピッタリだったので、
ジェフに頼んで、
数曲レコーディングのバックをお願い。

案の定、社内でも好評で、
引き続き「アルバムも作ろう」ということになり、
その数週間後、
今度は三好を連れて、

こっちがロサンゼルスに飛ぶことになりました。


(つづく)


きのうの「ALL OF ME CLUB」にお越しのみなさん、
ありがとうございました。

で、きのういらした方はご存知なのですが…、

お店に入る直前、
何かにつまずいた私は、
ものの見事に転倒。

とっさに支えた右手首を、

激しく痛めてしまいました。


幸い指は動いたので、
ピアノの演奏に支障はありませんでしたが、

今朝起きてみると、

右手首が、
ぶあーっと腫れてる。

きのうは他にも、
何かと‘転ぶ’ことが多く、
週あたまにして、
いきなり‘出鼻をくじかれた’感じですねえ。


先週が調子良かったものですから、
これは神様の、
「あんまり調子こくなよ!」
という警鐘なのかもしれません。

というわけで、
きょうはおとなしくしています。

みなさんも、
街を歩くときは、
気をつけてください。

それにしても、


痛い……。


トホ…。


SHUN MIYAZUMI

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August 03, 2006

ベナード・アイグナーの思い出   その6

2002年10月16日(水) No.26
ベナード・アイグナーの想い出 その6


帰国してまもなく、
スタジオ’A(アルファ・スタジオ)では、
渡辺香津美とリー・リトナー&ジェントル・ソウツ
のレコーディングが行われました。
それもたった一日で。

渡辺香津美(G)、
リー・リトナー(G)、スティーブ・フォアマン(PER.)、
アンソニー・ジャクソン(B)、デイブ・グルーシン(KEY)、
アーニー・ワッツ(TS)、
そして、ハービー・メイソン(D)
とまあ、今考えると凄いメンバー!

コミュニケーションもバッチリですし、
これだけの顔触れですから、
当然といえば当然の素晴らしいセッションになりました。


翌日からはベナードのトラック・ダウン。

それよりもベナードは
『なす肉ピーマン炒めライス』や『オムライス』との再会に、
ことのほかお喜び。
そして1週間後ようやく完成に至りました。

こうしてできた2枚のアルバム。
新生アルファ・レコードの記念すべき第1弾と第2弾として、
その年(1977年)の冬発売になりました。

渡辺香津美のアルバム『MERMAID BOULEVARD』は、
このジャンルとしては破格の、10万枚を越える大ヒットに。

MermaidBoulevard 1
MermaidBoulevard 2
(『MERMAID BOULEVARD』のジャケット 表/裏 )

一方あれほど大変な思いをし、
膨大な制作費を費やしたベナードのアルバム
『LITTLE DREAMER』はというと…。
ほとんど知られることなく…。

時間をかければいいとか、
金をかければ売れるとか、
あんまり関係ないのかなあと、
若き日の私は妙に悟ったのでした。

でも、本当に素晴らしいアルバムなんですけどね。

その後ロスに行くと、
必ず一度はベナードを訪ね、
彼のプール付きのデッカイ家でくつろいだものでした。

実はその後、
この投資を取り返したいアルファとしては、
あのクインシー・ジョーンズにプロデュースを依頼。
快諾を得たにもかかわらず、
このベナードは、
「いや、たとえクインシーであっても私の音楽は解りえない」
と言って断ってしまったのです。

「あっ、このバカが…。」
と思ったのですが、
逆にそんな人間くさい彼の人柄が、
ますます好きになったことも確かです。


その後たいした仕事もなく、
いつしか彼は私達の前から姿を消しました。
聞くところによると、
「アメリカ人は音楽がわからない」
とかなんとかうそぶいてフランスに行き、
ミュージカルの一員として歌ったり踊ったりしているそうです。

ま、彼のことですから、
フランス人のきれいなお姉さんを横にはべらせて、
あの渋い声で
『EVERYTHING MUST CHANGE』でも歌って聞かせたり、
『なす肉ピーマン炒め』の話でもしながら
盛り上がってるんでしょうか……。

(おわり)


(感想 2006/8/3)

2、3年前に、
音楽評論家の池上比沙之さんと電話で話したとき、
このベナードの話になりました。

彼は今だにベナードと交流があるらしく、
それによると、
なんでも故郷のサンディエゴに帰って、
元気に音楽活動をしている、
とのことでした。

良かった、良かった。

さ、私はきょうは
『六本木 ALL OF ME CLUB』でライブ。
素敵なコーラス・グループ‘SUITE VOICE’
とのジョイントです。
みなさん、どうぞいらして下さい。


ところで!!

私、もうボクシングは見ません!

なんですか、あの判定は!?

あの試合を観て、
「亀田が勝った」
と思った人は、
おそらく一人もいますまい。

私は、とあるバーで、
数人の仲間と観ていたのですが、
そのあとの酒の、
まあ後味悪いこと。


大人のみなさん、
ボクシング関係者のみなさん、
TBSのみなさん、

スポーツはもっとフェアにやりましょうよ。

フェアに!

SHUN MIYAZUMI

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July 30, 2006

ベナード・アイグナーの思い出   その5

2002年10月9日(水) No.25
ベナード・アイグナーの想い出 その5

Harvey & I

(写真:スタジオにて)
コンソールを挟んで
ハービー・メイソン(右)と私(左手前)


『BAKED POTATO』というライブ・ハウスで、
私と渡辺香津美はある賭けをしました。
それは「ハービー・メイソンはどいつだ」というもの。

フュージョン・ミュージック大爆発前夜、
ドラムでは、
ニューヨークのスティーヴ・ガッドと
ロスのハービー・メイソンが、
人気、実力とも双璧と言われていました。

ところが我々は、ハービーの写真を見たことがありません。
黒人だということだけは分かっていましたが。
したがって、ライブ・ハウスにいる大勢の人の中から、
ハービーを当てようじゃないか、
ということになったのです。

一芸に秀でた人間は、
それなりに普通ではないオーラを、
感じさせるはずですから。

香津美「あいつじゃない?」
私「いや、ちょっと鋭さに欠けるなあ。」
香津美「あいつかなあ?」
私「いや、どうみてもミュージシャンには見えない。」

こんなやりとりをしているうちに、
やがてスラっとした長身で、目付きの鋭い、
ちょっとコワモテの男が入ってきました。

私「あいつだ!間違いない。目で分かる。」

案の定、数分後にその男はドラム・セットの前に。

『ゴルゴ 13』にも通じるプロとしての凄みを、
ちゃんと持ってましたねえ、彼は。

その日のジェントル・ソウツの演奏は、
火を吹くがごとき素晴らしさ。
香津美も、リーの紹介でステージに上がり、
2曲ではありましたが、
立派なパフォーマンスをしました。

これで、このプロジェクトもうまくいく!
私はそう確信しました。


さて、話をベナードに戻しましょう。

レコーディングもなんとか無事終了。
オフの日は、
彼が『EVERYTHING MUST CHANGE』の印税で買った
プール付きの大きな家で何日か遊びました。

なにせこの曲、
ベナード自身がクインシーのアルバムで歌った物の他にも、
ジョージ・ベンソンやらナンシー・ウィルソンやら、
50以上にも及ぶカヴァーがあるのです。

たった一曲のヒットでこんな家が買えるのですから、
やはりアメリカはスケールがでかい、
と思いました。

で、このベナード。
極上の葉っぱ(日本ではご禁制の品)をプカプカ、
それに飽きるとプールでひと泳ぎ、
と思いきや、
突然「いい曲浮かんだ」とピアノの前でひとうなり、
そしてまた一服…。

実に優雅な生活をしておりました。

そして腹が減ると
「シュン、メシ食いに行こう。」
と誘ってくる。

ちなみに、まずいロスの食い物のなかで結構いけたのが、
‘タイ・レストラン’で、
彼はこれが大好き。
私も辛いものは好きですから、
これは大いに楽しませてもらいました。
そして、やはりアジアの方が、
‘食’に関しては上を行ってる、
とも思いましたね。


こうして私のロス出張も無事に終了。

JVCアメリカ遠藤さんの計らいで、
初来日のリー・リトナー&ジェントル・ソウツ、
香津美、私、
そしてトラック・ダウンのため再度来日するベナードは、
同じ飛行機で仲良く日本に向かうことになりました。


ここで【業界豆知識コーナー その3】

‘トラック・ダウン’とは、
マルチ・チャンネルに録音されたいろんな音を、
2トラックのステレオに整理整頓すること。

バランスをとり、各楽器の位置を決め、
エコー(リバーブ)を加えたりして、
レコーディングの最後の仕上げをする、
これを‘トラック・ダウン’言います。
略して‘TD’。

アメリカでは‘MIX DOWN’、
略して‘MIX’と言います。


飛行機の中でも、
私の憧れていた凄いミュージシャンたちと、
大いにコミュニケーションが取れましたし、
ベナードも香津美も本当に楽しそうでした。

ベナードが変な日本語を覚えては、
私たちを笑わせていた、
というのは前に述べましたが、
こんなこともありました。

ノースウェスト航空のアメリカ人客室乗務員(スチュワーデス)
に向かって、突然ベナードが笑いながら、
日本語でこう言ったのです。

「あなたは、変なガイジンです。ガハハ。」

もちろん日本就航の会社のスッチーですから、
日本語が分かるに決まってます。
真っ赤な顔で激怒して、
彼女は去っていきました。

そして羽田到着(当時はまだ成田空港はありません)。
到着ロビーには、
ビクターとソニーの社員がノボリを掲げて待ち構えてました。

『歓迎!リー・リトナー&ジェントル・ソウツ 初来日!』

誰も迎えの来ていない私と香津美とベナードは、
リー達に別れを告げて、
さみしく横の通路から出ていったのです。

(つづく)


(感想 2006/7/30)

ハービー・メイソンには、
その後もいろんなプロジェクトで、
本当にお世話になりました。

なかなかの熱血漢で、
実に男っぽい、情熱に溢れた人。
音楽的にも、プロデュースに関することにも、
多くのことを学ばせてもらいました。

当時はアフロ・ヘアーでしたが、
最近の写真やビデオを見ると、
ツルツルのあたまをしてらっしゃいますね。

私もこのころはフサフサでしたけど…。(笑)


さ、いよいよ本格的な夏ですね。
さっき‘関東地方梅雨明け’
というテロップがTVに流れていました。

暑いのはこたえるけど、
やはり‘夏’は暑くないと、
雰囲気出ませんよね。

といいながら、
私はこれから昼寝をむさぼります。

汗だくで昼寝。

これも私の‘夏の風物詩’
のひとつです。


SHUN MIYAZUMI

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July 26, 2006

ベナード・アイグナーの思い出   その4

2002年10月2日(水) No.24
ベナード・アイグナーの想い出 その4


さて最初の関門を突破したものの、
翌日からも毎日ベナードのオーバー・ダビングは続きます。

さすがに、クインシー・ジョーンズのゴーストをやってる
一流どころが書いた譜面ですから抜かりない。
どれも素晴らしい。

スタジオにやって来るミュージシャンも、
いろんなレコードでクレジットされてる一流の面々ですから、
カルチャー・ショックを通り越して、
「やっぱ本場は違うわい」と、
アメリカ文化の神髄を大いに堪能しながら、
レコーディングは順調に進んでいきます。

一方その合間をぬって、
渡辺香津美とリー・リトナーとの打ち合わせやら、
ライブのジョイントの話も進めなくてはなりません。
ま、このへんはカルロス小池君が獅子奮迅の活躍。
そのおかげで全てもくろみ通りの成果が得られる。

ライブのジョイントとはどういうことかと言いますと、

その週に「リー・リトナー&ジェントル・ソウツ」が
『ベイクド・ポテト(BAKED POTATO)』
というライブ・ハウスに出演することになっていて、
なんとか香津美に飛び入りで演奏させられないか、
ということなのです。

すでにリーとは、彼の自宅にも行ったりして、
来たるべきレコーディングのための選曲やら
アレンジの打合わせやらは済ませていたものの、
他のメンバーとは初対面。

なにせレコーディングはたった一日でやってしまう、
ゆえにいいコミュニケーションをとる意味でも、
ぜひ一曲でもやらせておきたい。
これがこちらの意図でした。

しかしこれにはリーが反対。

というのは、彼らがライブをやると、
認めてもらいたい無名の若いギタリストやベーシスト達が
楽器を持って大勢待機している。
従ってそういうシーンを作ると、
収拾がつかなくなるというのです。

そこを粘りに粘ってなんとか2曲だけ、
ということで了解してもらいました。
(これはほんとに価値のあることでした。)


さて当日、「BAKED POTATO」の
バカでかいじゃがいもを食いながらステージを待つ私達。

この頃にはアメリカの「量はすごいが味なし料理」
に慣れてきていた私ではありましたが、
それにしてもどこで何を食ってもまずかった。

今でこそアメリカ人のほとんどが箸を上手に使い、
随分手軽でおいしいところが増えましたが、
私の友人のアメリカ人などは、
「日本人のおかげだよ、こうしてうまいものが食えるのは。」
と言ってくれるほど、日本人の‘味’に対するセンスは抜群。

日本の経済進出は随分アメリカ人に嫌われましたが、
この食文化の輸出だけは大歓迎されてるようです。
調子いいですね。まったく。


もちろん金さえだせばどこにだってうまいものはある。
私が言ってるのはごく‘日常のメシ’の話です。

ベナードも気を利かして
「きょうは今ロスで一番流行ってるイタリアンに行こう。」
とか
「一番有名なステーキ屋に行こう。」とか誘ってくれますが、
正直この程度なら東京だったらどこの街にも1軒や2軒はある。
しかも値段はバカ高い。

それに比べてわが日本はどうです。

そば、うどん、かつどん、天丼、カレーライス、オムライス、
焼き肉、寿司、てんぷら、和食、中華、イタリアン、フランス、
冬は鍋、夏はソーメン……、
もう世界のありとあらゆる料理が、
本場よりもさらにソフィスティケーテッドされて味わえる。

こんな話は他のミュージシャンの逸話も交ぜながら、
時折していきますが、
この初海外出張における私の最大の収穫は、
「日本に暮らしていることの幸せ」
を再認識したことでしょうか。

さて、リー・リトナー・バンドの面々が続々とやって来ました。
みな2週間後、東京で香津美とレコーディングをする連中です。
デイブ・グルーシン(KEY.)スティーブ・フォアマン(PERC.)
ハービー・メイソン(DR.)etc.そうそうたるメンバー。

ここで私と香津美はある賭けをしました。

(つづく)


(感想 2006/7/26)

おお!久しぶりの青空だ。

私、もう日本では、
太陽は拝めないのでは、
と思ってました。

ところで、
この渡辺香津美って、
すごい酒豪なんですよ。
知ってました?

一度、彼とカシオペアの向谷と僕の3人で、
下北沢に飲みに行ったことがあるのですが、
(そこは香津美の行きつけの魚の美味い小料理屋)

店ののれんをくぐって中に入ると大将が、
「香津美さん、きょう酒3本しか無いんだよ。」
と言い、3種類の‘一升瓶’を我々に見せました。

「ええっ?そんな。」
と残念がる香津美。

私は、
たった3種類しかないから、
いろいろな酒を楽しめない。
てっきりそれで悔しがってるものと思いました。

すると彼はこう言ったのです。

「しゅん、3本で足りるか?」

「……。」


SHUN MIYAZUMI

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July 22, 2006

ベナード・アイグナーの思い出   その3

2002年9月24日(火) No.23
ベナード・アイグナーの想い出、その3

With Benard I,

(写真:左から)
吉沢典夫(Engineer)
キース・アイグナー(Bass)
渡辺香津美(Guitar)
私(26才、若い!)
ベナード(Vocal & Keyboard)
村上“ポンタ”秀一(Drums)              
(敬称略)


思いがけず、
ロスでベナードの録音の続きをやることになった私。
飛行機ぎらいの私ですから、
さほど嬉しくもないが、
初めての海外出張ですからまんざらでもない。
そんな複雑な心境でしたね、その時は。

このアルファという会社は、
社員の人数も少なかったせいもあるのですが、
メチャメチャ人使いが荒い。

ちょうど同時進行で、
ギタリスト渡辺香津美に、
当時フージョン・ブームの先駆けとして人気爆発中のグループ
『リー・リトナー&ジェントル・ソウツ』
をからませたアルバムを企画していました。

そしてそのレコーディングは2週間後、
彼らの初来日にあわせて東京でやることになっていました。

折角僕をロスにまで行かせるのだから、
ベナードの仕事一つではもったいない、
と考えたのでしょうね、上層部は。
ならば香津美も一緒に渡米させて、
「リー達とコミュニケーションを取りつつ、
 綿密に打ち合わせして来い!」の命令が下りました。

さあ大変。香津美も私も初渡米。
にわか仕込みの英語でどこまでやれるかドキドキ。
(もっとも当の香津美はちょっとした観光気分でしたが。)

ロスに着いて早速先行していた村井社長と打ちあわせ。
すると開口一番、
「僕は明日帰るけど、レコーディングの段取りはすべて完了。
 しゅん、お前は明日、
 60人のオーケストラとベナードの唄を同時に録るので、
 しっかりディレクションしなさいよ。」

「鬼め!」
私は内心つぶやきました。

幸いロスには、
アルファでアシスタント・エンジニアをやってた
小池君(通称カルロス)がいたので、
車のほうは大丈夫。
しかし彼も他の件で忙しいので、
スタジオまでは送ってくれましたが、通訳はなし。

翌朝9:00。
スタジオにはピアノが2台、ハープが2台、
そして60人のオーケストラが僕を待ちかまえてました。

エンジニア(フィル・シェアーという敏腕)や指揮者、
アレンジャー、ベナードとのやりとりも含めて、
全部英語で仕切らなくちゃなりません。

その後海外レコーディングは死ぬほど経験することになるので、
だんだん面の皮が厚くなって、今では
「意味が通じなければそっちからわかる努力をしろ。」
てな感じでやってますが、その時はもう大変。
私の人生でこんなに緊張したことはありません。


ここで【音楽業界豆知識コーナー その2】

日本ではスタジオ・ミュージシャンをブックする場合、
たいてい1曲いくらとか時間いくらで押さえるのですが、
アメリカの場合は、
3時間でワン・セッションという考え方です。

従ってその範囲であれば、
何曲やろうと、どうやろうと、
プロデューサー側の勝手ですが、そのかわり
約束の時間を1分でもオーバーすると、
情け容赦なく次の3時間分の請求が来る。

このケースは3時間で2曲。
いやあ、もう、なにがなんだかわからないまま、
とりあえず2曲、無事に時間内で終了。

やさしいベナードも目一杯フォローしてくれましたが、
ほんとに何がなんだかわからないうちに終わった感じ。


ようやく最初の大任を終えて、
食事ものどを通るようになって、
ベナード達とアメリカン・レストランに昼食に行きました。

そこで、出された食事にまずビックリ。
とにかく量がすごい!
いったい何人前なんだろう。
そして、味は…、
ま、ま、ま、まず〜〜〜〜〜〜〜い!

翌日も、その翌日も、
ホテルのレストランで頼むものの全てが、
まずい……!!

これではベナードが、
『なす肉ピーマン炒め』や『オムライス』
に狂喜するのもわかる、と思いました。
ホントに…。

(つづく)


(感想 2006/7/22)

「レコード・コレクターズ」の特集で、
このベナードのアルバムが入用になり、
きのう必死で探したら、
ありましたよ、ありました。

多少変色してるものの、
あのなつかしいアルバム『LITTLE DREAMER』が。

私、現在、アナログ盤は聴けないし、
行きつけの学芸大「A'TRAIN」に行って、
20数年ぶりに聴かせてもらいました。

私の26才のときの作品、
とは思えないような素晴らしい出来。
(自画自賛の極み)

ま、それは冗談として(冗談ではない)
ベナードの曲の素晴らしさ、
歌唱力の素晴らしさ、
改めて感動した次第。

よっさん(吉沢さん)のミキシングも国際的、
ポンタもこのころは音数少なくてタイト!いい感じ、
香津美のギターも24才とは思えない円熟ぶり。

至福のひとときでした。
マスター、ありがとう!

なんで、こんな名盤がCD化されないのだろう?
(またしても自画自賛…)

ついでに、
当時の写真を見つけましたので、
掲載しておきますね。

みな、若い……。

SHUN MIYAZUMI

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July 21, 2006

ベナード・アイグナーの思い出   その2

2002年9月17日(火) No.22
ベナード・アイグナーの想い出 その2

ベナードのレコーディングは、
「盛楽」の『なす肉ピーマン炒め定食』
のおかげもあって順調に進み、
1週間ほどでベーシックなリズムを取り終え、
さあ次はオーバー・ダビング。


ここで【音楽業界豆知識コーナー】

通常レコーディングでは、マルチ・レコーダーを使って、
まずリズム・セクション
(ドラム、ベース、ギター、キーボード etc.)
を録音します。
そして必要とあらばその上にストリングス(弦)や,
ホーン・セクション(管)、コーラスなどを加えていきます。
これをオーバー・ダビング(OVER DUBBING)と言います。
外人は略してオーバー・ダブ(OVER DUB)。

で、最後に唄を入れるわけですが、
これはヴォーカル・ダビングと言うわけです。

つまり‘ダビング’とは、
「現在ある音源」の上に何かを足していく作業のことで、
したがってよく皆さんが使う、
「ねえ、このCDダビングさせてくれる?」ってのは
厳密には間違い。
あれはただ写すだけですから、
コピー(COPY)というのが正しいのです。


ま、そんなことはさておいてベナード君、
とある楽曲にトロンボーンをダビングしたいので、
5人用意してくれる?と私に発注してきました。

ハイハイと私。
そしてトロンボーン・ダビングのその日。

彼の書いてきた譜面を見て私はがく然としました。
なんと‘ト音記号’で書いてあるではないですか。
たったの8小節程、しかも全部ユニゾン。
学校の音楽の時間で習ったかと思いますが、
トロンボーンというのは低音の楽器なので、
‘ヘ音記号’で書くのです。
(ちょっと専門的ですみません)

もちろんレコーディングは大失敗。
ギャラだけが空しく消えました。

これはベナード君、
楽典的知識はないなあと察知した私。
翌日のストリングス・セッションもすぐにキャンセルして
村井社長に相談。3人で緊急会議。

しかしこのベナード君、なかなかのがんこ者。
「ジス・イズ・マイ・ミュージック」とか言っちゃって、
どうしても自分で書く、の一点張り。

私達「チェロはヘ音記号でビオラはアルト記号で書くんだよ」
ベナード「それは知らないが、いい音楽はいい音楽。
     僕はいいものにする自信がある。」
私達「だったら、君が充分にイメージを伝えて、
   専門家に書いてもらえばいいじゃないか」
ベナード「しかし私以上に私の音楽を分かりえない。」

などというアホみたいな話し合いの結果、
ベナード君もついにしぶしぶ折れた。
ただし、アレンジャーの選択は自分がする、
レコーディングはロサンゼルスで、という条件。

そして、翌日からのレコーディングはすべてキャンセル。
ベナードは早々と準備のために帰国。
もちろん心配ですから、
村井さんも打ちあわせに参加するために
急きょロスに発つことになりました。


ここでベナードのために一言。

私は譜面の読める読めないは、
音楽家の価値としてはなんら関係ないと思っております。
ジョン・レノンもエロール・ガーナーも譜面読めません。
ベナードも、暖かくて心にしみるいい唄を書いて、
自ら素晴らしいヴォーカルを聞かせる最高のアーティストです。

しかし、チェロのプレイヤーに「ト音記号で演奏しろ」
というのは無理な注文なのです。

ということで、思いもかけぬことに、
このアルバムは日米を又にかけた、
大げさなものになってしまいました。

私の‘初海外出張’
‘初海外レコーディング’
というおまけ付きで。

(つづく)


(感想 2006/7/21)

このベナード君

雰囲気でお分かりでしょうが、極めて温和。
かつユーモア・センスも抜群で、
毎日変な日本語を覚えては、
私たちを笑わせます。

ただし、
興奮すると‘どもる’くせがあるので、
通常はゆっくりしゃべります。

これが、私の英語教育に、
たいそう役立ちました。

文法や単語のすみずみまで、
極めてはっきり聞き取れるのですから、
理想的な英語の先生でしたね。

いまでも、その点だけは
感謝!

SHUN MIYAZUMI

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July 19, 2006

ベナード・アイグナーの思い出

2002年9月4日(水) No.21
ベナード・アイグナーの思い出

きょうは、
ベナード・アイグナー(BENARD IGHNER)という人のお話。

このひと、名前を聞いただけでわかる人は少ないでしょうが、
『EVERYTHING MUST CHANGE』という
素晴らしい楽曲をご存知の方は多いのでは。

その作曲者であり、
クインシー・ジョーンズのアルバム『BODY HEAT』では、
クインシーの素晴らしいアレンジに乗って、
ベナード自ら渋くて甘い歌唱を聞かせてくれています。

Body Heat

さらには名作の誉れ高い、
マレーナ・ショアのアルバム
『WHO IS THIS BITCH ANYWAY?』
のプロデューサーでもあります。

Who Is This Bitch

今から25年くらい前、
当時つとめていたアルファの村井社長がその声と作品に惚れ、
このベナードと契約したのです。
日本で制作した彼を、
全米で売り込もうという野望にもとに…。

そして私がその担当を命じられました。

さてこのベナード・アイグナーという男。
190cmはあろうかと思わせる巨大な黒人。
しかし何ともいえない優しい目をしてて、
私は一発で好きになりました。

そして彼の曲はどれもヒューマンな優しさに包まれている。
名ドラマーのハービー・メイソンは
特に彼の詞を絶賛していました。
なんともいえない人間味と自然賛美があると。

そしていよいよレコーディングのために彼が来日。
ここから彼と私の、
まさに珍道中的な1ヶ月が始まりました。

スタジオは、
芝浦にあった「アルファ・スタジオ STUDIO‘A’」
ベナード自身がキーボードと唄、
そしてベースは彼の弟のキース・アイグナー。
ギターとドラムは日本から、という彼の希望もあって、
渡辺香津美と村上ポンタに依頼。

毎日1:00〜10:00くらいのロング・レコーディングゆえ、
当然出前の食事が必要になる。
で、その初日。

「盛楽」という近くの中華屋のメニューを
にわか仕込みの英語でひとつひとつ説明する私。
しかしなかなか理解できない二人。

日本もはじめて、日本でメシをくうのもはじめて。
それに加えて外人とはじめて仕事をする私。
いやはや、なんともこれにはまいりました。

とりあえず「鳥の唐揚げ定食」
(これは「フライド・チキン」でなんとか理解できたよう。
 まずはむこうも、とりあえず無難な選択をしたようです。)
に落ち着きました。

実はこの「盛楽」では、
「なす肉ピーマン炒め定食」というのが実にうまい!
そして、こんなもん英語で説明などできない。

もちろん私はコレ!

さあ出前が来ました。
ベナードとキース君。
「鳥の唐揚げ定食」を
「オー!デリシャス!グー!ファンタスティック!」
とえらくご満悦。
しかもこの人たち箸も上手に使うんです。
当時のアメリカ人では珍しいことでした。

その時、
「なす肉ピーマン炒め」をうまそうに食ってる私に
ベナードが不思議そうな顔をして聞きました。

「シュン、それ、なに食ってんの?」
説明するの面倒だから、
「一口食う?」と私。

恐々口に入れたベナードの顔が急変しました。
そして一言
「う、う、う、うま〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜い!!!
シュン、あした俺これにする!」と絶叫。
もちろんキース君も同じ。

さて、翌日。
きょうもレコーディングは順調。
そして楽しい出前の時間がやってきました。

もちろんベナードとキース君は
嬉々として「なす肉ピーマン炒め」を注文。

この世の物とは思えないような、
なんとも幸せそうな顔をして、
彼らは食べ続ける。

で、その日の私は「オムライス」。

するとまたベナードが、
「シュン、それなに食ってんの?」
「一口食う?」と私はきのうと同じ返事。
またしてもベナードは絶叫。
「う、う、うま〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜い!!!
シュン、あした俺これにする。」

翌日は彼らが「オムライス」で
私は「レバニラ炒めとギョーザ」
そして、またしても同じことが繰り返されます。

こんなことが5日も続いたある日、
ベナードがしみじみ聞きました。

「シュン、この‘偉大な’レストランはどこにある?」
私は窓越しに(このスタジオはビルの5階。窓の下には川)、
「あそこに見える、こ汚い、ちっちゃな、ほれ、あの店だよ。」
と教える。

するとベナード
「あの店は日本でも有名なんだろうな。」
としみじみ…。

そのときです。
私ははじめて知りました。
日本はなんて食い物のうまい国なんだろうと…。

(つづく)


(感想 2006/7/19)

いやあ、このエッセイもなつかしい。
しかしここでもまた食い物の話になってますね。
……。

今は綺麗になって、
エリート・サラリーマンがたくさん、
といった感じの華やかな芝浦ですが、

当時は汚くて、浮浪者や酔っ払いなども多く、
レコーディングが終わって夜遅く、
駅の向こう側(三田口)にたどり着くまでは、
けっこう緊張したものです。

なによりも、大男の黒人のベナードが、
「シュン、ここニューヨークみたい。怖いよう。」
と怯えながら言ったのにはビックリしました。

「誰がお前なぞ襲うか。
 むこうが逃げるわい。」
と秘かに思ったものです。(笑)

SHUN MIYAZUMI

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July 09, 2006

筒美京平さんのお話

2002年8月9日(金) No.19
筒美京平さんのお話

Mr.Tsutsumi

きょうは筒美京平さんの登場です。
日本のジョージ・ガーシュインが村井邦彦さんなら、
日本のコール・ポーターはこの人(前回のエッセイ参照)。

とにかく1960年代のGS時代から今日に至るまで、
ヒット曲の数では日本音楽史上最高の存在でしょう。

レコーディングされた曲が4,000曲以上、
オリコンで1位を取った曲が90曲以上、
ベスト10以上が400曲以上ということですから、
この先生と比べたら、
小室哲哉やつんくも可愛く見えちゃいます。

私はアルファという、
ニュー・ミュージックあるいはフュージョンといった、
いわゆる歌謡界とは一線を画す会社にいましたから、
筒美京平という巨大な存在はもちろん知っていたものの、
お仕事をする機会はないんだろうなあと、
ずっと思ってました。

その筒美さんに初めてお会いしたのが7、8年前。
確かソニーの酒井政利さんのご紹介でした。

ところが何故か、こんな私に興味を持っていただいて、
以来、週一くらいのペースで、
食事やお茶のお誘いを受けることに。

そして、
ヒット曲作りのご高説やら、
あつかましくも私の悩み相談やら、
業界の人物に対しての接し方のアドバイスやら、
それはそれは本当にお世話になりました。

普通歌謡曲の大先生ともなると、
銀座のクラブやゴルフなどに、
湯水のごとくお金を使う方が多いのですが、
この先生は違います。

美味しいものを食べながら(すごい美食家)、
気に入った仲間と最近の音楽界の傾向やら、
業界のよもやま話などして、
それを次のヒット曲作りに活かす。

オフは南の島でひとりボケーッと本を読むのが好き、
という物静かなジェントルマン。

そんな彼の信条は
“ヒット作りのコツは大衆の半歩先を行く”というもの。
私なんぞは、
「あなたは時々2歩も3歩も先を行きすぎるんですよ。」
とよく苦言を呈されておりました。


昨年、彼の膨大な作品を
8枚組のCDにまとめたものが発売されました。

その懐かしい曲のアレコレを聴きながら解説を読んでみると、
“なるほど”と思うものがありました。
時代のとらえかた、
ほんのちょっとだけ先を行く巧みなテクニック、
やはり怪物と言わざるをえません。

そして、「いつか君と一緒に1位を取りたいねえ。」
と有り難すぎるお言葉をよくいただいてたのですが、
実はほとんど仕事はご一緒したことがなく、
従って残念ながらそれはかなうことなく今日に至っています。

なぜならば、
その後ソニーの契約プロデューサーとして、
しばらくはTOKIOやら宮沢りえなど、
芸能界の仕事が中心になっていった私に対し、
先生の方はピチカート・ファイヴや小沢健二、NOKKO
といったアーチスト系に興味を持たれ、
お互いが過去の作風とは逆の道を歩み始めたたことも、
大きな要因になったのかもしれません。

とにかくヒットを作ることが何より好きなお方で、
その飽くなき執念には本当に驚かされます。

ここ数年はお会いしていませんが、
ますますのご活躍をお祈りしてますし、
本当に一度一緒にヒットを作ってみたい
という願望は私の方は何ら変わってはいません。

でも又ジャズなんか始めちゃったから、
ますますムリかなあ(笑)。
なにはともあれ、
いつまでも素敵な曲を提供し続けていただきたいものです。

ここで、「筒美京平ってどんな曲があるの?」
という方のために、
私の知ってる範囲でその一部をご披露しましょう。

『ブルー・ライト・ヨコハマ』
『あなたならどうする』(いしだあゆみ)
『渚のうわさ』(弘田三枝子)
『バラ色の雲』(ヴィレッジ・シンガーズ)
『マドモアゼル・ブルース』(ザ・ジャガーズ)
『スワンの涙』(オックス)
『粋なうわさ』(ヒデとロザンナ)
『雨がやんだら』(朝丘雪路)
『サザエさん』(宇野ゆう子)
『また逢う日まで』『愛する人はひとり』(尾崎紀世彦)
『真夏の出来事』(平山三紀)
『さらば恋人』(堺 正章)
『お世話になりました』(井上 順)
『夜が明けて』(坂本スミ子)
『雨のエアポート』(欧陽菲菲)
『ひまわりの小径』(チェリッシュ)
『17才』『潮風のメロディー』『純潔』『哀愁のページ』
『色づく街』『ひとかけらの純情』(南 沙織)
『初恋のメロディー』(小林麻美)
『芽ばえ』『私の彼は左きき』(麻丘めぐみ)
『赤い風船』(浅田美代子)
『恋のインディアン人形』(リンリン・ランラン)
『男の子 女の子』『小さな体験』『花とみつばち』
『よろしく哀愁』『誘われてフラメンコ』(郷ひろみ)
『青いリンゴ』『オレンジの雨』『甘い生活』(野口五郎)
『恋する季節』(西城秀樹)
『雨だれ』『木綿のハンカチーフ』(太田裕美)
『二重唱(デュエット)』『ロマンス』『センチメンタル』
『シンデレラ・ハネムーン』(岩崎宏美)
『哀愁トウナイト』
『セクシャル・バイオレットNo.1』(桑名正博)
『東京ララバイ』(中原理恵)
『飛んでイスタンブール』(庄野真代)
『魅せられて』(ジュディー・オング)
『たそがれマイラブ』(大橋純子)
『よろしかったら』(梓みちよ)
『スニーカーぶる〜す』『ギンギラギンにさりげなく』
『情熱・熱風・せれなーで』(近藤真彦)
『センチメンタル・ジャーニー』(松本伊代)
『夏色のナンシー』(早見 優)
『ドラマティック・レイン』(稲垣潤一)
『まっ赤な女の子』『ヤマトナデシコ七変化』
『なんてったってアイドル』『夜明けのMEW』(小泉今日子)
『Romanticが止まらない』『空想Kiss』(C-C-B)
『あなたを・もっと・知りたくて』(薬師丸ひろ子)
『1986年のマリリン』(本田美奈子)
『ツイてるね ノッてるね』
『WAKU WAKUさせて』(中山美穂)
『仮面舞踏会』『君だけに』『A B C』(少年隊)
『人魚』(NOKKO)
『カナディアン アコーデオン』(井上陽水)
『タイムマシーン』(藤井フミヤ)
『強い気持ち・強い愛』(小沢健二)

ああ、疲れた…。


(感想 2006/7/9)

この3月、
酒井政利さんのパーティーで、
久しぶりに筒美先生とお会いしました。
とてもお元気そう。

噂では、
私のジャズ・ライブにも「行こうかな」
とおっしゃってるらしい。

楽しみにしてます。

そんな私の次のライブは、
7月10日(月)、
「セカンドマンデー・ドリーム」
と称してレギュラーになった、
『六本木 ALL OF ME CLUB』

大好きなメンバーとのピアノ・トリオに加え、
次代を担うヴォーカリストたちが、
素敵なパフォーマンスをしてくれます。

サッカーの余韻に浸りながら、
ぜひ楽しんでいって下さい。


さ、いよいよ決勝だ!
イタリアかフランスか…。

SHUN MIYAZUMI

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July 07, 2006

ジョージ・ガーシュインとコール・ポーター

2002年8月2日(金) No.18
ジョージ・ガーシュインとコール・ポーターのお話

ジャズ・スタンダードのほとんどがミュージカルのヒット曲。
そしてそれらのヒット曲を作り出した数多くの作曲家の中で、
この二人が私は大好きです。

まず、ジョージ・ガーシュイン(1898〜1937)

黒人が作り出したジャズに、『RHAPSODY IN BLUE』
に代表されるシンフォニック・ジャズを導入。
ジャズを、黒人だけのものから、
白人にも愛される“芸術”にまで高めた最大の功労者です。

当然その作風は洗練かつ気品があって、
いわゆる“UPPER MIDDLE CLASS”の人々にも
絶大な支持を得ました。

『A FOGGY DAY』
『BUT NOT FOR ME』
『I LOVE YOU PORGY』
『EMBRACEABLE YOU』
『NICE WORK IF YOU CAN GET IT』
『'S WONDERFUL』
『SOMEONE TO WATCH OVER ME』
『SUMMERTIME』
『SWANEE』
『THE MAN I LOVE』
『THEY CAN'T TAKE THAT AWAY FROM ME』
『I'VE GOT A CRUSH ON YOU』
『OUR LOVE IS HERE TO STAY』
『HOW LONG HAS THIS BEEN GOIN' ON』
etc.

とまあ、今でも愛され続けてる名作がめじろ押し。


それから、コール・ポーター(1891〜1964)

彼もヒット曲の多さではガーシュインに勝るとも劣りません。
そしてその作風はもっと庶民的でより大衆に向かっています。
題材も娼婦や愛人やらがテーマになっていたりもします。
しかしアカデミックな要素も随所にちりばめられていて、
一言でいえば軽妙でお洒落。
粋なセンスに満ち溢れています。

『I'VE GOT YOU UNDER MY SKIN』
『ALL OF YOU』
『ANYTHING GOES』
『BEGIN THE BIGUINE』
『SO IN LOVE』
『MY HEART BELONGS TO DADDY』
『NIGHT AND DAY』
『I GET A KICK OUT OF YOU』
『LOVE FOR SALE』
『IN THE STILL OF THE NIGHT』
『IT'S ALL RIGHT WITH ME』
『JUST ONE OF THOSE THINGS』
『YOU DO SOMETHING TO ME』
『WHAT IS THIS THING CALLED LOVE』
『TOO DARN HOT』
『YOU'D BE SO NICE TO COME HOME TO』
etc.

とまあこれ又すさまじいヒット曲の嵐。

どれも半世紀以上も前の曲ながら、
今もって唄われ続けている、恐るべき生命力。
敬服の極みです。

さて前回、
日本のジョージ・ガーシュインは村井邦彦さんの
イメージがすると言いましたが、
すると日本のコール・ポーターは誰になるのでしょう?

私のイメージでは、ずばり、筒美京平さん、
という亊になります。

ともに学生時代は軽音楽部でジャズ・ピアノに興じ
(筒美さんは青山学院大)、
作曲家としても偉大な功績を残されたお二人ですが、
その目指すところはある意味で好対照。

村井さんが、
ニュー・ミュージックの先鞭となる洋楽センスの導入により、
新たなポップスの世界を切り開いたのに対し、
筒美さんはむしろ伝統的な歌謡曲の中で、
より大衆に向かって、
少しづつ時代を先取りしながら、
その粋なセンスで歌謡界に新風を吹き込んでいったのです。

ガーシュインが主にメジャー系のキーを好んだのに対し、
ポーターの名曲には圧倒的にマイナー系の曲が多い。
このあたりも、
村井さんと筒美さんの相関関係に類似するものがあります。
ということで、次回はその筒美先生の登場です。
(いいんでしょうか、こんなに好き勝手にやっちゃって?)


(感想 2006/7/7) 

『アメリカ交響楽』
という映画があります。

1945年のアメリカ映画で、
このジョージ・ガーシュインの生涯を描いた作品。
音楽映画としても、伝記映画としても、
なかなかよく出来た作品で、楽しめます。

ガーシュインの曲の素晴らしさに、
今さらながら驚かされますよ。
今、500円とか1000円といった廉価で、
容易にDVDを手に入れることができますので、
興味のある方は、
ぜひご覧になって下さい。

惜しむらくは、
主役が二枚目すぎること、
髪の毛がふさふさすぎること。

当のガーシュインは若ハゲでしたから。(笑)

SHUN MIYAZUMI

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July 05, 2006

引き続き、村井邦彦さんのお話


2002年7月25日(木) No.17
引き続き、村井邦彦さんのお話

村井さんの数ある名曲の中で、私の一番好きな曲。

それは、ピーターの『夜と朝のあいだに』

高校3年生だったでしょうか?
ラジオでこの曲を聴いて、
「へえ、いい曲だなあ」とまず感心。
     
   夜と朝のあいだに ひとりの私♪

とはじまり、最後は
     
   鎖につながれた むく犬よ♪
   おまえも静かに眠れ♪
    (作詞 なかにし礼)

それまでの歌謡曲とは一味違う洋楽センス。
バックにコロコロと流れるジャージーなピアノのサウンド。
なかにし礼さんのスゴミのある詞。
ピーターの甘い低音。

大都会の朝(私のイメージは新宿でしたが)、
それまでの雑踏がウソのような、
荒廃した静けさのなかに佇む孤独な青年。

目の前にパーッとそうした情景が浮かび、
ちょうどジャズに魅せられ始めてた頃ですから、
よけい心に共感するものがありました。

ちなみに‘夜と朝’は、
ギリシャ語で‘女と男’という意味を兼ねるそうです。
するとこのタイトル…。
ピーターという存在を考えると、なんとも深い意味が…。

プロデューサーはあの酒井政利さん。(当時CBSソニー)
3人の天才クリエイターが、
ピーターというユニークなキャラクターのために作り出した、
見事な一品だったというわけです。

それにしても、この村井さんとその後出会い、
そのことが私の人生を決めてしまう亊になろうとは、
その時はこれっぽっちも考えられませんでした。

話は変わりますが、
アメリカのミュージカル、
或いはジャズ・スタンダードにその名を残す作曲家達の中で、
私が最も敬愛するのが、
ジョージ・ガーシュインとコール・ポーター。

私は村井さんのセンスというのは、
ガーシュイン的だなあとずっと思ってました。

次回はそのガーシュインとポーターのお話を。

(感想 2006/7/5)
朝の4時に‘目覚まし’をかけ、
W杯サッカー「イタリアードイツ」を観てたら、
突然飛び込んできた、
北朝鮮ミサイル発射のニュース。

おかげで、きょうも寝不足です。
それにしても、
何を考えてるんでしょうか?

SHUN MIYAZUMI

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July 04, 2006

村井邦彦さんのお話

2002年7月17日(水) No.16
村井邦彦さんのお話

Mr.Murai

前回の渋谷森久さんの時にもちらっと登場した、
私の師匠、村井邦彦さんのお話です。

大学も卒業間近(1974年)の私、
プロのジャズ・ピアニストになるのを断念して、
「さてこれから、何をやって食っていこうかな」
とのんびり構えていたわけですが、
ある人の紹介でアルファ(当時はまだ原盤制作会社)
という会社に突然就職することになりました。

で、そこの社長が村井邦彦さん。

私が学生時代在籍していたサークル、
「慶応ライト・ミュージック・ソサエティー」の先輩であり、
同じくピアノを担当していたということもあり、
すごいスタジオを持っているということもあり、
「音楽に関係ある会社みたいだから、
 ま、俺でも何とかやっていけるだろう」
今思えば、そのくらい軽い気持ちでの就職でした。

まさかこれが、
その後の自分の人生を決めてしまうとは、
その時はこれっぽっちも考えなかった。

村井邦彦さんといえば、
社長としてプロデューサーとして、
すごい手腕を発揮して、
音楽界の革命児的存在のアルファを作り上げた人ですが、
一方で大変に優れた作曲家でもあります。

今日は作曲家としての彼に、
スポットを当ててみようと思います。

村井さんの曲はとにかくお洒落!
従来の日本の歌謡曲にはなかった洋楽センスに溢れた作風で、
その後のニュー・ミュージックや、
今で言うところのJポップの先駆けになった、
といっても過言ではない。

代表作は何と言っても「赤い鳥」の『翼をください』

学生バンドとして名を馳せてたこのグループを、
直々に関西まで出向いてプロとしてスカウトしただけあって、
村井ミュージックを表現するにふさわしい堂々としたグループ、
そして歴史に残る名曲中の名曲でした。

「赤い鳥」では他にも
『忘れていた朝』や『窓に明かりがともる時』
などの名作があります。

「トワ・エ・モア」も
村井作品の表現者としては最高のグループ。

大学生の頃の私は、
日本の歌謡曲をどこかバカにしていたものですが、
『ある日突然』を巷で聞いたとき、
「へえー、日本にもお洒落な曲が出てきたなあ」
と妙に感心したものです。
(村井さん、生意気言ってごめんなさい。)

『虹と雪のバラード』(札幌冬季五輪のテーマ・ソング)
もフランシス・レイの『白い恋人たち』
(グルノーブル冬季五輪のテーマ)と並ぶ大傑作でしょう。

他にも、
森山良子『美しい星』、テンプターズ『エメラルドの伝説』、
辺見まり『経験』、北原ミレイ『懺悔の値打ちもない』、
ビッキー『待ちくたびれた日曜日』、
ハイファイセット『スカイ・レストラン』などなど
たくさんの美しいヒット曲をお持ちです。

いわば、洗練された村井さんの作風が、
そのままアルファのカラーとなり、
ユーミンに代表されるニュー・ミュージックの
旋風につながっていったのです。

余談ですが、ユーミンも村井さんが発掘。
そしてこの‘ニュー・ミュージック’という言葉は、
ユーミンを売り出すために、
アルファの会議室でみんなで考え出したのです。
これはホントの話。

村井さんという存在がなかったら、
ユーミンがあれほど早く世に出たかどうか分かりません。

そんな村井さんの数々の名曲のなかで、
私が最も好きな曲。

それは、ピーターの『夜と朝のあいだに』という曲。

(つづく)


(感想 2006/7/4)

現在『レコード・コレクターズ』という雑誌で、
4月号から、このアルファの特集をやってます。
私も先日取材を受けました。
たぶん来月号あたりに登場するのでは…。

それにしてもフランスのブラジル戦での戦いは、
本当に見事でしたね。
さすがジダン!

そろそろこの寝不足の毎日から解放。
ホっとする、と同時に、
なんだか寂しい気もしますが…。

SHUN MIYAZUMI

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June 21, 2006

渋谷森久という人のお話

2002年7月8日(月) No.15
渋谷森久という人のお話

Mr.Shibuya

私が大学を卒業してアルファという会社で
新米ディレクターとして仕事を始めた頃(昭和49年頃)、
東芝レコード(現EMI)に渋谷森久さんという、
大プロデューサーがいました。

この渋谷さん、アルファの村井さんと仲がいいらしく
(アルファ創設者の村井邦彦氏は、
 社長であるばかりか有名な作曲家でもありましたから)
しょっちゅうアルファにも来ていた。
 
当時の業界は、レコードというものは
レコード会社のディレクターが作るもの。
したがって、ヒット・アーチストを持ってるディレクターは
肩で風を切って歩いてる。

逆はみじめです。
いくらいいもの作っても、
宣伝や営業から「ホントに売れるの〜?」
と疑心暗鬼の目で見られる。
 
渋谷さんの場合、
越路吹雪、加山雄三の「若大将」シリーズ、
そしてあの「クレージー・キャッツ」シリーズを
立て続けにヒットさせたわけですから、
その鼻息の荒さは天下一品。

彼がアルファに来ると、決まって社長の村井さんが、
「渋チャン、うちの若いディレクターに、
 ヒット作りの極意を教えてやってよ。」と来る。
すると得意満面の渋谷さんのご高説が始まるわけです。

ところでこの渋谷さん、
おそろしく大男!
そんなに太ってはいないのですが、185センチくらいはあった?
そして30才前後にして、頭髪がほとんど無い!!
わずかに残ってる横のほうも白髪なので、
どう考えても60才以下には見えない。

それから声がでかく、しゃべりだしたらとまらない。
おまけにそっ歯なので、彼が口角泡吹いてしゃべりだすと、
彼の机のまわりは、たちどころに唾の海。
性格は極めて豪放磊落!
“ハゲ”も自らジョークにして笑い飛ばします。
例えばこうです。

「宮住、このあいだ○○のパーティーに行ったらよー、
 △△さん(老紳士)がよー、
 “ところで、渋谷さんは陸軍ですか、海軍ですか?”
 って聞きやがってさあ、ワッハッハッ。」

さらに、
「このあいだ、風邪で寝込んじまってよー、
 しょうがなく医者に来てもらってさあ、
 で、往診終わったらその医者が女房によー
 “お父さん、もう大丈夫ですよ”だって。
 ワッハッハハッハ。」

こんなこともあったそうです。
『時間ですよ』で有名なドラマ・プロデューサー久世光彦氏
とも親交があって、
とある飲み屋の客の役で出演することになった渋谷さん。
おシャレな帽子を買って意気揚々と撮影現場に。
するとそれを見た久世さんが開口一番、
「シブ!お前何考えてんだ。
 俺はお前のその頭がほしかったんだぞ!!」
 
音楽プロデューサーとしての渋谷さんは、とにかくアイデア・マン。
乗ってるときの彼は手がつけられません。

70年代後半のディスコ・ブームの頃、
低音の男の声で、
♪サンフランシスコ・ハッスル♪
なんてのが流行ると、
すかさず城達也(FM『ジェット・ストリーム』で有名)
さんを連れてきて、
♪いい娘にあったらドキッ♪(伊藤咲子)

♪アリ!ヴォンバイエ!♪
が流行るとすかさず、
♪猪木!ヴォンバイエ!♪

もっとも、外すことも多く、その外し方も又ダイナミック!
フュージョン(当初は“クロスオーバー”と言ってた)が
流行りだした頃、
村田英雄さんのバックに
ニューヨークのジャズ・フュージョン・グループ『スタッフ』
のようなサウンドをくっつけて
♪クロスオーバー浪曲♪(6枚組)なるものを
お作りになったそうですが、
果たして売れたのでしょうか?
 
東芝の社員でありながら、CMなどのアルバイトも公然と。
(♪今なんどきですか? ハイ!ラーメンどきよ♪
 なんてのも彼のアイデアです。)

劇団「四季」の音楽監督もやってたので、収入もたっぷり。
いつもルイ・ヴィトンのアタッシュ・ケースに、
中の小物までぜーんぶヴィトン。
その頃業界で「ゲーハのルイ・ヴィトン」
といって分からない人はモグリとされていたほどの有名人。
 
ストリングスのレコーディングがあると、
アレンジャーも指揮者も横の椅子に座らせて自分で指揮をする。
(音大出でも指揮の勉強をしたわけでも何でもないのに)

こんなこともあったそうです。

ある日、アシスタントのN君を呼んで、
「おい、これ今度の加山の新曲だ。
 これをレゲエでやれ。これからはレゲエの時代だ。」
するとN君
「大丈夫ですか?加山さん怒りますよ。」
渋谷さん
「大丈夫。俺がよく話しておくから。」

いいのかなと思いつつも命令に従い、
恐る恐るそのオケを加山さんに届けたN君。
案の定翌日、カンカンに怒った加山さんから渋谷さんに電話。
「シブ!何だあのアレンジは?」
すると渋谷さん悠然と、
「いやあ、悪い悪い、ありゃぜんぶNの一存でやったんだよ。
 まったく若い奴は困るよね。
 すぐ直させるから、心配しないで。」

こうしてみると、
彼がクレージー・キャッツをプロデュースした
というのは当たり前すぎるほどの出来事であって、
むしろ、彼こそがあの植木等を介して作られたキャラクター
であったのかもしれないと、最近思うようになりました。

植木さんって、真面目な人だそうですし。
ひょっとして青島(幸男)さん、
あれって、渋谷さんがモデルじゃないんですか?

『無責任一代男』の歌詞なんて、
まったくもって渋谷さんがそのまま当てはまるんですけど…。

そんな渋谷さん、2、3年前にお亡くなりになりました。
まだ50代だったのでは?
若かったんですよ。本当に。

プロデューサーとして大事なのは、
きちんとした音楽を作るだけではなく、
遊び心を持つこと。もっと遊べ遊べ!
これがいつもの彼の口癖でした。
 
面白可笑しく書かせていただきましたが、
ヒットを作れる人というのはああいう人なんだなあと、
今だに自分はあの域にまでは達してないんじゃないだろうか
などとも思ったりします。

そして、ああいう職人がいなくなったなあ、
とこれを書きながら妙にセンチメンタルな気分…。

もっとも当の渋谷さん、今ごろ天国で
「おい宮住、俺がいないと思って好き勝手書きやがって。 
 ま、でも俺様のことをそれだけ書けるってことは、
 お前も少しはマシになってきたのかなあ。ワッハッハ。」
と高笑いしてるのでは。

心からご冥福、お祈り申し上げます。

(感想 2006/6/21)
これも長いなあ。
それにしても、酒飲みて〜。
ドンチャン騒ぎしたい〜。

あと2日だ…。

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June 20, 2006

クレージー・キャッツの話 最終回

2002年6月28日(金) No.14
「クレージー・キャッツの話」最終回

クレージーの唄が人生哲学であり、
人間の煩悩を見事に言い当ててると
再三再四言ってきましたが、極め付けがコレ!

『ホンダラ行進曲』!!
子供の頃は、
なんてことない一連のあほ・ソングだと
思ってましたが、
いやあ、この唄は深い!

年を取るにしたがって、
もっと早くこの唄の真の意味に気づいていれば、
数々の失敗のいくつかは防げたのではないかと後悔。
ホントです。

   ひとつ山越しゃ ホンダラッタホイホイ♪
   もひとつ越しても ホンダラッタホイホイ♪
   越しても越しても 
   ホンダラホダラダホイホイ♪

どうです?
「勝って奢らず負けて腐らず」の人生哲学が、
浮き彫りになってくるじゃありませんか。
そしてサビ!

   どうせこの世は ホンダラッタホイホイ♪
   だからみんなで ホンダラッタホイホイ♪

(合唱)
   ホンダラダ ホンダラダ
   ホンダラホダラダホイホイ♪
   ホンダラホダラダ ホンダラホダラダ♪
   ホンダラホダラダホイホイ♪
   ホンダララッタ ホンダララッタ♪
   ホンダラホダラダホイホイ♪♪

まいった…。

「わかっちゃいるけどやめられねえ」に始まり、
「とかくこの世は無責任」
「そのうち何とかなるだろう」ときて最後は、
「どうせこの世はホンダラッタ ホイホイ」

今の時代に必要なのは、
この開き直りであり、
この明るさではないでしょうか。

それから彼らが作り出した流行語
「無責任」「ゴマすり」「ショボクレ」「サバ読む」
「C調」「およびでない」「ガチョーン」
これ、今でもぜーんぶ生きてます。

流行語というのは必ず死語になる。
これが宿命。
しかし、このクレージー語録は死語にならない。
だからこそ人間哲学であり煩悩であるという
結論に達するのです。

そして、この一連の唄の詞を書き、
これらの言葉を産みだしたのが、
あの青島幸男さん。
青島さん、あんたは偉い!!
こんな偉大な人を
東京都知事なんかにしちゃいけません。
選んだ人、反省しなさい!

あなたは宗教家になるべきだ。
あなたが「アホダラ教」なる教団を作られたなら、
私は即座に入信します。

そして、この一連のヒット曲の背景には、
東芝レコードのプロデューサーだった
渋谷森久という人が、
大きく関与しています。
次回はその渋谷さんという人のお話。
おもしろいですよー。
 
(感想 2006/6/20)
毎晩サッカー見過ぎで眠い。
でもピロリ菌退治で、
今お酒飲めないから、
ちょうどいいかもしれません。

でも、そろそろ盛り場が恋しい。
あと、三日…。

SHUN MIYAZUMI

woodymiyazumi at 21:24|この記事のURLComments(0)TrackBack(0)

クレージー・キャッツの続編

2002年6月19日(水) No.12
「クレージー・キャッツ」の続編

『スーダラ節』が人間哲学と、
人間の煩悩を見事に言い当ててると先週書きましたが、
その後のヒット曲の数々も、
今思い出すと見事にこれに当てはまります。

『五万節』『ドント節』『ハイ!それまでよ』

『ドント節』とはこんな唄です。

  サラリーマンは〜 気楽な稼業と〜きたもんだ!♪
  (ここまでがスロー。ジャズでいうところのヴァース)
  二日酔いでも 寝ぼけていても♪
  タイムレコーダ ガチャンと押せば♪
  どうにか格好がつくもんさ♪
  ハッ チョッコラコイとパーにはなりゃしねえ♪
     あっそれ!
  ドンと行こうぜ ドンとね♪
  ドンガララッタ ドントドント 行きましょう♪

今こんな感じでやってたら即リストラでしょう。

それから『無責任一代男』

この頃から植木等といえば、
「無責任!」というイメージが定着。

この唄はすごい!
こうです。(ああメロディーも伝えたい…)

   おーれーはこの世で一番♪
   無責任と言われた男♪
   ガキの頃から調子良く♪
   楽して儲ける スタイル!

この唄のどこが哲学かというと、
それはラスト・コーラスにちゃんと…。

   人生で大事なことは♪(ほら、人生ときた)
   タイミングにC調に無責任♪
   とかくこの世は無責任♪
   コツコツやるやつあ ごくろうさん!

すごい。
30代のときに、
この曲の意味をもっと把握しておけば良かったなあ。

それから、『日本一のゴマスリ男』 
(ゴマスリという言葉も確かこの頃出来たのでは…)
これはこうです、

   ゴマをすり〜ま〜しょ みんなでゴマをね♪
   口からでまかせ 出放題♪
   手間もかからず 元手もいら〜ず♪
   すれ〜ば〜 す〜るほ〜ど〜
   チョイと(チョイと)チョイと(チョイと)
   チョイと(チョイと)チョイと(チョイと)
   春がく〜る〜〜〜♪

で、みんなで
   ハっ えらいやつあ おだてろ
   ゴマすってのせろ♪
   す〜れ すれすれ ゴマすれホイホイ!ッと♪
これは反面教師の唄。

「モーレツ社員」なんて言葉が流行ってた60年代。
高度経済成長の合言葉に踊らされてた、
日本サラリーマン諸氏に対する警鐘と取れなくもない。

『ショボクレ人生』てのも傑作。

『黙って俺についてこい!』なんてのもあった。

   ゼニのないやつあ 俺んとこへ来い♪
   俺もないけど なんとかするさ♪

   見〜ろよ青い空 白い雲♪(???)
   そ〜のうち何とか な〜るだろ〜♪

とまあ、なんとも無責任な…
でも落ち込んだとき、
随分この唄には助けられました。

これらをタイトルにした映画もいっぱいあって、
ほとんど見たんじゃないかな。
どれもこれも腹の皮がよじれる程傑作でした。

その昔、やはりクレージー信奉者の大瀧詠一氏と
こんな話だけで、
朝の6時まで盛り上がった亊がありました。

それから私の中学校の頃からの親友のO氏とは、
カラオケで『クレージー・メドレー』なるものを
3回連続で一緒に唄い、
4回目を断られたこともあります。
単にコミック・バンドでは片付けられない、
奥の深さがあるんです。クレージーって。

(感想 2006/6/19)
長いですねえ、コレ。
自分ひとりで、盛り上がってる感じ。
ところで私、
現在ピロリ菌退治で、禁酒中。
ただいま三日目。

つらい…。

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June 10, 2006

クレージー・キャッツのお話

2002年6月13日(木) No.11
『クレージー・キャッツ』のお話

小学校4、5年生の頃(昭和36,7年?)
『シャボン玉ホリデー』という人気バラエティーに、
突然変なオッサン達が登場、
あるうたを唄い始めました。

みなさんご存知の『スーダラ節』。

いやもうビックリ!
「なんだなんだこの歌!」と口あんぐり。
翌日学校ヘ行くと、みんなこの話題で持ちきり。

以来我々男子生徒はみな、
右手をブラブラと例のあのスタイルで
『スースースーダララッタ〜♪』と植木等のマネ。
そしてそれを冷ややかな目で眺める女子達。
 
こうして「ハナ肇とクレージー・キャッツ」、
というより“植木等”は、
私のなかで強烈なデビューを果たしました。
 
普通流行歌というのは、
時代とともにその鮮度が失われていくものですが(特に詞)
この『スーダラ節』という歌は今だに不滅です。

なぜでしょう?

それは見事に人生哲学と、
人間の煩悩そのものを言い当ててるからなのです。

     ちょいと一杯のつもりで飲んで♪
     いつの間にやらハシゴ酒♪
     気がつきゃホームのベンチでゴロ寝♪
     これじゃカラダにいいわきゃないよ♪
     わかっちゃいるけどやめられねえ♪
     ア、それ!

ときて、
例の♪スースースーダララッタ スラスラスイスイスイ♪
に突入していくわけですが、
(ああ、メロディーをお伝えできないのが、なんとも歯がゆい)
どうです?今だになんにも変わってないでしょ。
 
40年も前にできた歌ですよ。

 実はハナ肇とクレージー・キャッツというのは
、実力のあるジャズのコンボで、
はじめはお笑いなんかやりたくなかったらしい。
(谷啓なんかは「スイングジャーナル」誌の人気投票で
 いつも3位以内にいるトロンボーン奏者だったのです)。

植木等という人も実は真面目な人で、
こんな歌を唄うのが嫌で嫌で、
最後は父親に相談に行ったらしい。
(この人の実家は三重県のとある寺。
 つまりお父さんは住職さん。)
 
で、そのお父さんが詞をみて開口一番!
「おい等、この詞はすごい。
 人間の煩悩を見事に言い当ててる。ぜひ唄いなさい。」
 と勧めてくれたとか。

彼らの秘めたるボードビリアンの才能を見抜いて、
ギャグ・バンドに仕立て上げた、
渡辺プロダクションの企画力。
東芝の名(名物?)プロデューサー渋谷森久さん
(この人のお話もいずれ)、
青島幸男、萩原哲晶の作詞作曲コンビ。
そして、このお父さん。
 
見事なスタッフワークを後ろ盾に、
クレージーはこの後、歌にTVに映画に、
華々しい活躍をしていったのです。
 
『わかっちゃいるけどやめられねえ』か…。

見事です!

(感想 2006/6/10)
ワールド・カップ初戦
「ドイツ-コスタリカ」戦
みなさん観ました?

いきなりすごい試合でしたねえ。
イチローも絶好調だし。

こりゃ、仕事にならんわい。

woodymiyazumi at 16:04|この記事のURLComments(0)TrackBack(0)

June 09, 2006

またまた映画の話

2002年6月6日(木) No.10
またまた映画の話

めっきり夏めいてきました(早すぎる)が、
皆さま如何お過ごしでしょうか。

とは言っても世の中サッカー一色ですね。
「日本-ベルギー」戦は私も興奮しました。
で、このまま勝ち進むと、
今月のライブはバッチリ重なってしまいます。
う〜ム…複雑。

でもサッカーはビデオに収録して、
スタジャンのほうにお越しいただけるものと、
淡く希望をいだきながら、
またまた映画の話。
 

昭和30年代の終わりから40年代にかけての映画界は、
東宝の時代だったのでしょうか。

黒沢明や稲垣浩のリアルな時代劇、
に夢中になりつつも、
一方で、カップリングとしての、
数々の娯楽シリーズがこれまた大好きでした。
 
まずは森繁久弥の『社長シリーズ』。

いかにも大会社の社長にぴったりの森繁さん。
でもこの社長、どこか頼りなくてちょっとエッチ。
出張ともなると必ず銀座のママ(淡路恵子)か、
若いホステス(団令子)を誘うのですが、
嗅ぎつけた奥さん(久慈あさみ)に先回りされていつも失敗。

脇役も適役ぞろいで、
社長の浮気をフォローしつつも、
どこか間の抜けてる重役に、有島一郎と加東大介。

出張ともなると、
芸者を上げてのドンチャン騒ぎしか頭にない、
部長の三木のり平。

インチキ・ブローカーで、
いつも変な日本語を話すフランキー堺。

このドタバタにいつも困り果てながら、
ちゃんと巻き込まれていく社長秘書に小林桂樹、
その奥さんに司葉子。
そして、ストーリーはいつもワンパターン。
 
余談ですがこの社長、
私が敬愛する某音楽事務所の社長に
どこか似てるところがあって、
いつも妙な親近感を覚えます。
 
これらの俳優に伴淳三郎を加えた、
『駅前シリーズ』というのも人気ありましたが、
これは私にはイマイチ。

やはり森繁という人は商店街のオヤジよりは、
「社長」のほうがピッタリのようです。
 
それから加山雄三の『若大将シリーズ』。

スポーツ万能、作詞作曲に唄、
ピアノにエレキ・ギター(なんとトラディショナルな響き)
まで弾いちゃう出来すぎ野郎。

田中邦衛扮する青大将と、
マドンナ(星由里子)を取りあうのですが、
もちろん勝負になりません。

当時僕ら男子生徒(中学生)のなかには、
加山若大将にでもなったつもりで、
「ふたりを〜ゆうやみが〜♪」(『君といつまでも』)
なーんて気取りながら唄ってるやつが大勢いました。

ちょうどケンさん(高倉健)のヤクザ映画を
見終わったチンピラが肩をいからせて出てくる、
あれと一緒です。

そしてこれもいつもワンパターンの展開。

この日本娯楽映画におけるワンパターンの美学が、
続く「寅さん」に結実しちゃうのでしょうか。
(いささか評論家風)
 
でもなんといっても極め付きは、
ハナ肇とクレージー・キャッツ!
というより、
植木等を中心とする『クレージー・シリーズ』。
この続きはまた来週!

(感想 2006/6/9)
そうか、4年前のちょうど今頃でしたか、
「ワールド・カップ 日韓協同開催」は。
月日の経つのは早いものです。

今日からですね。
ドイツ大会。
日本がんばれ!

なあんて言いながら、
来週6/12(月)は、
「ALL OF ME CLUB」でピアノ・トリオ・ライブ!

「日本-オーストラリア」戦と、
バッチリ重なってしまいました。
ガクッ。

でも、若いシンガーが、
いっぱい遊びに来てくれそうなので、
がんばります。

サッカーに負けないぞー!

(実は観たい…)

SHUN MIYAZUMI

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June 06, 2006

映画の話、その6

2002年5月31日(金) No.9
映画の話、その6

5/25の慶応カルア会(サテンドール)、
5/30「J」のライブも無事終了。
来週ちょっと演奏活動はひと休み。
もっとも世の中ワールド・カップで、
ちょっとしたお祭り騒ぎかもしれませんね。

今回も映画の話、その6。

昭和30年代も後半になると、
東映時代劇にかわって、
もっとリアリティーのある時代劇に、はまって行きました。
殺陣まわり時、バサバサっと音のするあれです。

それを生み出したのが黒沢明。
そう、あのクロサワ! 

時代考証もメイクも、
現存する江戸時代のモノクロ写真を見るようなリアルさ。
なにせ館の前に陣取り、風に砂じんが舞うシーン欲しさに、
1週間もカメラを回しっぱなしにするという徹底ぶり。

三船敏郎の豪快な演技とあわせて、すっかり魅せられ、
あれほどお世話になった東映ものも、どこかに行っちゃいました。
 
ま、ここで有名な黒沢作品を論じるのも野暮ってもんですし、
単に一ファンとして、
勝手に私の好きな黒沢映画ベスト・ワンを、
選ばせてもらうと、

それはですね、
『椿三十郎』って映画なんですよ。
 
例えば『七人の侍』も、それは凄い。
でも凄すぎて、しかも長いので、
リピートするには相当の心構えがいる。

モノクロのほうが絶対リアルなので『影武者』でもない。
時代劇のほうが絶対いいので『天国と地獄』でもない。
娯楽性がないといやなので『生きる』でもない。

となると絶対コレ!
 
この映画、有名な『用心棒』
(マカロニ・ウエスタンのモデルになったやつ)の続編。
ある藩の家老の不正を正すために立ち上がった
頼りない若手藩士たちを、
見るに見かねて助っ人するハメになった一素浪人の話。

ユーモア・センスも抜群で、とにかく楽しい。
迫力も満点。
そして黒沢映画に欠かせない佐藤勝さん(有名な現代音楽家)
の音楽もバッチリ。

そしてあのラスト・シーン!
 
三船と仲代達矢の対決シーン。
なが〜い沈黙のあと、
キーン!という耳をつんざくような効果音とともに、
勝負は一瞬にして決まります。
そして仲代の胸からブワ〜ッと吹きだす血。

初めて映画館で見たとき(小学校5、6年だったかな?)
心臓が飛びだしそうでした。

いやあこのリアルさじゃ、
東映時代劇がすたるのも無理はないと
幼心に思ったものです。とにかくカッコいい〜!
 
で、当時は映画は必ず2本立て。
黒沢は東宝なのですが、
そのカップリングの娯楽作品がこれまた傑作ぞろい。
『社長シリーズ』『若大将シリーズ』『クレージー・シリーズ』などなど。
次回はそんなお話。

(感想 2006/6/6)
うわっ、6がみっつ並んでる。
不吉な…。
今日はみなさん、
気をつけましょう。

「オーメン」を観たことあるひとしか、
分かりませんか?

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June 03, 2006

東映時代劇はミュージカルだった

2002年5月23日(木) No.8
『東映時代劇はミュージカルだった』の巻

さて今週は、《東映時代劇はミュージカルだった》の巻。

昭和32〜35年(私が小学校低学年の)頃、
私の最大の娯楽は東映時代劇を見ることでした。

場内が暗くなり、スクリーンにあの、
岩場に波が打ち寄せて三角の【東映】マークが登場すると、
もう血わき肉躍り、小さな胸は高鳴りっぱなし。

当時の俳優はみな映画会社専属だったのですが、
それにしても東映の抱えてるラインナップのすごいこと!
そして各々がちゃんと当たり役を持っている。

まず御大の片岡千恵蔵の『遠山の金さん』
市川歌右衛門は『旗本退屈男』
ちょっとお兄さん格、
大友柳太朗の『丹下左膳』もカッコ良かった。

それから活きのいい若手、中村錦之助の『一心太助』。
(彼は「森の石松」なんかやらせても、
 ちゃきちゃきで爽快そのもの。)

ここで大久保彦左衛門を演じてるのが好々爺、
月形龍之助。
その彼の当たり役は何と言っても『水戸黄門』。
この月形という人は剣道も6段の腕前で、風格がある。

だいたい黄門さまといえば先の副将軍でしょ。
このくらい気品がないと…。
TVのシリーズなんてみなそのへんの
“酒場のおやじ”みたいのばっかし。
それと、この人は悪役をやらせても実にうまい。

この月形黄門がしたがえてる助さん、格さんに
里見浩太朗と東千代之介という二枚目。
で、道中唄なんか歌っちゃう。
(これって、ミュージカルのスタイルですよね。)
 
そして何と言っても私が一番シビれてたのが、大川橋蔵!
美剣士をやらせたら天下一品で、
『新吾十番勝負』シリーズなんて全部見ました。
哀愁味のある声と雰囲気で、すごい人気でしたね。

この人は股旅物も得意で、
『旅笠道中』では、鳥追い女にふんした美空ひばりが、
これまた道中唄っちゃったりする。
でも今思うとストーリーなんかお構いなしの歌だったりして。
笑っちゃいますけど、おおらかだったんですね。
 
悪役には山形勲か進藤英太朗。
女優陣は、
主役級にキュートな丘さとみと桜町弘子。
品のいい若奥方に大川恵子。
威勢のいい江戸っ子鳥追い女の千原しのぶ。

それからおっちょこちょいな堺駿二(堺正章のお父さん)も
名わき役として、いい味してましたなあ。
 
で、年に2本、(お正月とか夏休みとか)
このオールスターが勢ぞろいの共演ものがある。
出し物は『清水次郎長東海道』か『忠臣蔵』。
それから夏にはご親切にも怪談物。
(『四谷怪談』とか『番町皿屋敷』とか。)
怖いくせに、こんなのもぜーんぶ見ました。

最初は父に連れられて行ってたんですが、
出し物が変わるたびに、
映画館の前で、一人物欲しそうに看板見てたら、
ある日映画館のオジサンが、
「いいよ坊や、入んなよ。」と入れてくれたりして。
以来、ほとんどをタダで見ることができました。。
いい時代だった…。
 
そして、最後は決まって江戸のお祭りシーン。
みんなで“ソレソレ”と、
ミュージカルよろしく唄って踊っているうちに、
(どうです。東映時代劇って、立派なミュージカルなんですよ!)
カメラが上の方にズームしていくと、
これまた決まって富士山。そのむこうから【完】の文字がやってくる。

このワンパターン。
このワンパターンに憧れて何度劇場に足を運んだことか。
 
思い出すも興奮のあまり、ものすごい長さになってしまいました。
ご容赦。
(しかし、この話、40以下の人にはチンプンカンプン?)


(感想 2006/6/3)
このあたりから、
俄然このエッセイも、
バカバカしさが露呈されてきます。

「話がオヤジくさいから、もう読まない。」
と、去っていった女性ピアニストもいれば、
「おもしろいからもっと書け!」
という激励のメールも寄せられたりして、
かなりの問題作だったんでしょうね、これは。
(おおげさな)

SHUN MIYAZUMI

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May 31, 2006

ジャズと映画のお話

2002年5月15日(水) No.7
『ジャズと映画』のお話

5/11(土)は、日頃お世話になってる
佐藤(宏)さんのバースデー・パーティーに、
スタジャンとともにゲスト出演してきました。

笈田(敏夫)大先輩やら、
仲間のミュージシャンもたくさんいて、
いささか緊張気味でしたが、つつがなく終了。
 

さて、今週のご勝手エッセイは『ジャズと映画』のお話。

昭和44、45年頃(私が高3から大学に入ったあたり)、
東京12チャンネル(今のテレビ東京)で毎週金曜日、
『テレビ・ミュージカル劇場』なる番組がありました。
しかも、ゴールデン枠で、
1940年、50年代のアメリカのミュージカル映画が毎週。
 
ちょうどジャズに興味を持ち始めてた頃なので、
覚えたばかりのスタンダード曲が
オリジナルの形で出てくると、もう興奮。

ハンバーグを焼きながらお兄ちゃんがノー天気に唄う
『ON A CLEAR DAY』や、
旅芸人一座が移動中、列車のデッキで恋仲の二人が唄う
『THEY SAY IT'S WONDERFUL』などなど。

「へえー、この曲はこんなシーンで唄われてたのか」とか,
「なんだ、こういう意味の唄だったんだ」とか、
感心することしきり。
勉強にもなりましたし、大いに楽しませてもらいました。

後に唄のシーンだけを編集した『ザッツ・エンターテイメント』
(パート1,2,3)なるものが発表され、
大いに話題になりましたが、
まさにこうしたミュージカルの名場面集を集めたもの。
まだの方はぜひご覧になって下さい。
まさにこれがジャズ・スタンダードの原点!

でも本当はオリジナルで見るほうが、
ストーリーもわかっていいんですけどね。
ただ、探すのが大変かも。
 
ジャズのスタンダード曲というのは、
実はミュージカルでヒットしたものを、
コード進行がアドリブに最適なので、
ジャズメンが好んで取り上げて出来たものなのです。

それにしてもアメリカの、
映画や音楽の奥の深さには今さらながら敬服。
なぜなら、半世紀も前の唄を、
今も日本(世界)のどこかで、
毎日、誰かが、唄ったり演奏したりしてるんですから。
かくゆう私達も…。

いやあ、長くなったのでまた来週。

(感想 2006/5/31)
笈田敏夫さんもその後お亡くなりになりましたねえ。
ほんの数年前のエッセイなのに、
随分昔のことのように思われます。
佐藤さんはいまだに怪気炎ですが。(笑)
いつもありがとうございます。

SHUN MIYAZUMI

woodymiyazumi at 16:04|この記事のURLComments(0)TrackBack(0)

May 28, 2006

私の好きなウディー映画ベスト・スリー

2002年5月9日(木) No.6
私の好きなウディー映画ベスト・スリー

GWも終わり、
なかなか仕事モードに戻れない方も多いのでは。
(かくゆう私がそうですけど)
今月は通常ライブも少なく、
「この機に」とばかり新曲のアレンジと練習に
余念のないスタジャンであります。

もっとも、大量の新曲(オリジナルを含む)導入
を余儀なくされている今日この頃ですが。
(何故って?それはまだ秘密です。)

というわけで、石井さんが増やしてくれたスペースに、
またまたご勝手エッセイ第3回。
ウディー・アレンのお話の続き。

今回は“私の好きなウディー映画ベスト・スリー”!
 
まず、なんといっても、
『アニー・ホール』。
アカデミー賞最優秀作品賞に輝く傑作ですが、
初めて見たのが25、6才の頃だったかな。
伊集院(静)さんに、
「中年になるの嫌になるけど、見たほうがいいよ。」
とか言われてさっそく映画館へ。
今ではすっかり中年の私、
この主人公の気持ちがバッチリわかって、ちょっぴり哀しい?

それから『ラジオ・デイズ』(ウディーは出演してませんが)。
ラジオが家庭での最大の娯楽だった頃のいろんなエピソードを、
数々のジャズ・スタンダードの名曲にのせて、
面白おかしく展開していきます。
これまた脚本がすばらしい。
 
異色作として、『ボギー俺も男だ!』。
ハンフリー・ボガードに憧れてるアホな男の話。
いきなり『カサブランカ』を
口を空けて見ている劇場シーンにはじまり、
何かやらかすと、
決まってトレンチ・コートに帽子を深々とかぶった、
ボガードらしきヤツが現れて、叱咤激励していく。
そしてエンディングでは、ちゃっかり
『カサブランカ』をパロディーにしてしまうその鮮やかな手口。
すごい才能です。
 
もちろん私、映画評論家ではないので、
すべての作品を見たわけではありません。
“これは”というのがあったら、ぜひ教えて下さい。
次はジャズと映画みたいな話、しちゃおうかな。


(感想 2006/5/28)
スタジャンHPのデザイナー、石井ちゃん。
そうか、この頃まだ石井だったんだな。(意味深)

そして、そして、
このエッセイから数年後、
私は素晴らしい「ウディー映画」に遭遇したのでした。

そのタイトルは、
『ブロードウェイと銃弾』

1920年代のニューヨークはブロードウェイが舞台。
キャスティングの妙、時代考証、脚本、
どれもこれも素晴らしく、
初めてWOWOWで観たとき、
まるでウディ・アレンのようなユーモア・センスに驚き、
「こんな粋な映画が、ウディ以外にも作れるんだ、
 アメリカという国は、底が深いなあ。」
と感心したのですが、
実はやっぱりウディ・アレン監督作品だったといういわく付き。

オスカーでは、
作品賞はじめ、助演男優賞、助演女優賞に3人もノミネート、
うち一人が受賞ということですから、
日本では無名ですが、あっちの評価は高かったということですね。

とにかく最高ですよ、これは。
目下のところ、断トツだな、これが。

woodymiyazumi at 20:46|この記事のURLComments(3)TrackBack(0)

May 27, 2006

ウディー・アレンのお話

2002年5月1日(水) No.5
『ウディー・アレンのお話 』

皆様、GWはいかがお過ごしでしょうか。
というわけで、今日はウディー・アレンのお話をば。
 
わたくしこう見えても、
若い時はもう少しマシな風貌をしていたのですが、
40才を過ぎた頃から「ウディー・アレンに似ている」
と言われ続けています。

でもそんな親近感は別にして、
20代の頃から彼の映画の大ファンです。
 
とにかく脚本がいいですねえ。
にくいセリフの連続で、
軽妙な洒落感覚にはいつも感心させられます。

もともと『THE NEWYORKER』という雑誌に
エッセイを書き続けいて、
そのセンスの良さを認められて映画を作り始めたそうですから、
早くからそのセンスは光っていたのでしょう。
(それらをまとめた本もいくつか読みましたが、
 『これでおあいこ』なんてのは抱腹絶倒。傑作です。)
 
それから音楽は、ほとんどがジャズ・スタンダード。
(しかも古いビッグ・バンド・スタイルがお好みのよう。)
舞台もほとんどがニューヨーク。
このあたりも私の好みにはピッタリ。

例えば『マンハッタン』では、
冒頭からいきなりガーシュインの『ラプソディー・イン・ブルー』。
又最近の『世界中がアイ・ラブ・ユー』のラストでは、
甘いジャズの調べにのせての、
セーヌ河っぺりでの素敵なダンスシーンが印象的でした。

主役のウディーが女性(ゴールディ・ホーン)
を抱きかかえてパっと放すと、
ピーター・パンのごとくその女性が宙を舞う。

昨今のドンパチ映画主流の中にあって、
古き良きハリウッド映画の手法に固執してくれてるようで、
本当に嬉しくなっちゃいます。
 
そんな彼、
いまだにニューヨークのジャズ・クラブで、
毎週クラリネットを吹いてるそうですが、
そのライブがあるために、
アカデミー賞の授賞式をボイコットしたという話はあまりにも有名。
(もちろん違う理由もあるのでしょうが。)
 
で、次回は私の好きなウディー映画ベスト・スリー。

(感想 2006/5/27)
ううむ…。まだ文章に照れがあるなあ…。
少しだけ、直してしまおう。

SHUN MIYAZUMI



woodymiyazumi at 16:37|この記事のURLComments(8)TrackBack(0)

映画の話

スタジャンHP消失により懸念されていた、
4年あまりにもわたって書いた私めのエッセイが、
関係各位のご努力により、
このたび無事救出されました。
(良かった、良かった、ホッ。)

そこでこれから、
過去ログの中から、多少の手直しを加えつつ、
再度ここにご紹介していこうと思います。

まずは…、


2002年4月23日(火) No.4
『映画の話 』

きのう(4/22)の「ALL OF ME CLUB」もおかげさまで大盛況。
というわけで、今週から、特別なお知らせのない時はひまつぶしに、
私風のエッセイめいたものでもお送りしてみようと。

題して、
『知られざる(といってどうってことない)私の秘密!』

第一回は「映画の話」

何年か前に「好きな映画ベストテン」なるものを
友達どうしでよくやりました。
アクション好きなヤツ、ラブ・コメディー好きのヤツなど
その好みは千差万別。
そしてそこから不思議なことに、
その人間の性格やら人生観が浮き彫りになってくるのです。

「この人間、以外とロマンチストなんだなあ」とか、
「おとなしそうだけど結構過激なやつなんだなあ」とか。
みなさんもおやりになってはいかがでしょうか。
なかなか面白いですよ。
 
ちなみに私の選んだものは
『グレン・ミラー物語』『アラビアのロレンス』『アマデウス』
『ラスト・エンペラー』『フォレスト・ガンプ』などなど。
これって、どんな共通点があるのかお分かりでしょうか?
 
そうです。
その主人公の「人生、生きざま」がテーマになってる物を
何気に選んでいました。
すると私の性格はどういう亊になるのでしょうか?
 
もう一つの共通点は音楽が素晴らしい亊ですね。

グレン・ミラー、モーリス・ジャール、モーツアルト、坂本龍一。
そして『フォレスト・ガンプ』といえば、
懐かしい60'sのオン・パレード。
このあたりも私のキャラといえばそれはそうかなと。

あとは、番外編としてウディー・アレン物。

ということで、次回はウディー・アレンのお話をば。
「それがどうした」とおっしゃらずに
お付き合いいただければ嬉しいのですが。


(感想 2006/5/27)
なにはさておき、
懐かしいなあ、って感じですか。
これから引っ張り出すのが、
嬉しくも有り、恥ずかしくもあり…。

SHUN MIYAZUMI


woodymiyazumi at 15:12|この記事のURLComments(0)TrackBack(0)