偉大なジャズメンたち
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- ビル・エヴァンス大研究 その9
- ビル・エヴァンス大研究 その8
- ビル・エヴァンス大研究 その7
- ビル・エヴァンス大研究 その6
- ビル・エヴァンス大研究 その5
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October 16, 2011
ビル・エヴァンス大研究 最終回
あれは、1973年のことだったんですねえ。
1973年というと、私は大学3年生。
かつて「ジャズまくり時代」というお話にも書きましたが、
その頃の私は、
プロのジャズ・ピアニストになりたくて、
夜な夜な六本木や赤坂のジャズ・クラブに入り浸り。
大学などそっちのけで、
ピアノの修行や、演奏活動に明け暮れていた、
不良学生真っ盛り時代。
そんなとき飛び込んできた嬉しいニュース。
あのビル・エヴァンスが初めて来日するというのです。
すぐさまチケットを入手した私は、
芝公園の近くにある「郵便貯金ホール」の最前列に陣取り、
胸躍らせながら彼の登場を待ちました。
幸いにも検問で発見されなかった録音機器を、
カバンの中でそっとセットしながら…。
(良い子のみなさんは真似しちゃいけませんよー。)
「どんな弾き方をするんだろう…?」
(ドキドキ)
「どんな曲をやってくれるんだろう…?」
(ワクワク)
そして、場内の明かりが落ち、
司会のアナウンスでメンバーが一人一人登場です。
「ドラム、マーティー・モレル!」
(パチパチパチ)
「ベース、エディ・ゴメス!」
(パチパチパチパチパチ)
そして…、
「ピアノ、、、 ビル・エヴァンス!!!」
(パチパチパチパチパチパチパチパチパチ)
みなさん黒のタキシードに身を包み、
それはそれはクラシックのコンサートのような、
厳粛なムードの中での登場でした。
エヴァンスもまた、
あの「Bill Evans at Town Hall」のジャケット写真の如く、
髪をオール・バックにし、
優雅にピアノの前まで歩いて来て、
ピアノの端に左手を置いて、
丁寧におじぎをする。
そう、ここまでは、
まったくクラシックのコンサートと同じ雰囲気です。
場内みんな固唾をのんで見守っている。
たくさんの女性ファンも緊張の面持ちで、
ステージを見つめています。
そして彼は、
おもむろにピアノに向かい、
静かに両手を鍵盤の上に乗せた…。
……。
と、そのとき、
彼がとったポーズは…、

私は思わず「イエーイ!」と叫んでしまいました。
(やっぱりジャズだ…。)
でも、やっぱり、
エヴァンスはエヴァンスでした。
美しいタッチ。
ロマンチックなフレーズ。
優雅なハーモニー。
レコードでしか知らなかった本物のエヴァンスが、
この夜も素晴らしい演奏を繰り広げたことは、
言うまでもありませんね。
今思い出しても身震いがするほどの感動でした。
♪♪♪
さて、その後の私は、
ジャズ・ピアニストになるのを断念。
アルファというレコード会社に入社し、
ポップスやニュー・ミュージックやフュージョン、
といったレコード制作の道を選ぶことになります。
で、これがまた面白くて、
ついついジャズを忘れがちな毎日だったのですが…、
そんな1980年の9月に、
再びビル・エヴァンスが来日するというニュースを、
知りました。
その頃は結婚もしており、
ときどき家で、
ジャズのレコードをかけていた程度の私だったのですが、
普段あまりジャズには関心を示さない彼女が、
「ビル・エヴァンスだったら行きたい。」
と言うので、
「こりゃ珍しいこともあるもんだ…。」
と、コンサートのチケットを2枚手にして、
来日を楽しみにしていたのです。
ところが…、
その来日を1週間後に控えたある日の新聞を見て、
私は愕然としました…。
「ジャズ・ピアニスト、ビル・エヴァンス氏死去。
享年51才。」
「………。」
長年にわたる飲酒と薬物使用で、
彼の体はボロボロになっていたんだそうです。
最愛の妻だったはずの夫人を捨て、
別の女性と出来てしまったがために起きた、
妻の自殺が原因か…。
最愛の兄の謎の拳銃自殺が原因か…。
彼の友人は、こうも言っています。
「彼の死は、時間をかけたゆるやかな自殺だ。」
「……。」
私のような凡人に、
彼の心の中を推測することは不可能ですが、
ジャズに新風を吹き込み、
あらゆる角度からジャズの可能性を大きく前進させた、
いわば革命児、先駆者、創造主とも言うべき、
彼の私生活は、
実はおそろしく孤独で、
生涯をかけての内面との戦いだったのでしょうか…。
かつての偉大な芸術家たちがそうであったように…。
……。
さ、まだまだ書きたいことはたくさんありますが、
今回はこのへんにしておきましょうか。
最後は彼の遺作ともいうべき、
この上もなく美しいアルバムを聞きながら、
この偉大なピアニストを偲びたいと思います。
なんといっても「秋」は、
エヴァンスを聴くには最高の季節ですからね。
『You Must Believe In Spring』

1. B Minor Waltz
2. You Must Believe In Spring
3. Gary's Theme
4. We Will Meet Again
5. The Peacocks
6. Sometime Ago
7. Theme From M*A*S*H
8. Without A Song
9. Freddie Freeloader
10. All Of You
かつて「トミー・リピューマ」というお話でも、
紹介させていただいたこのアルバムは、
死地に向かうエヴァンスの、
究極の美であり、最後のお別れとも言うべき、
最高の名演ではないでしょうか。
今の彼の魂が安らかならんことを祈って…。
ご愛読ありがとうございました。
……。
(ビル・エヴァンス大研究 おわり)
さあ、今週はいよいよ始まります。
『jammin'Zeb / STB139 4Days』
「ちょっぴり大人で、シックでエレガントな秋の夜」
ううむ…。
大きく出たなあ…。
期待度マックスだなあ…。
責任重大…。
……。
というわけで今回は、
今までのジャミンにはなかった、
さまざまな新しい試みにも恐れず挑戦。
新曲、まさかの曲、おなじみの曲が、
どんな色合いで登場してくるのか…。
わくわく…。
……。
では、みなさん、
STBでお会いしましょうね。
久しぶりに吠えてみようかな…。
ガオ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!
(……。)
SHUN MIYAZUMI
October 08, 2011
ビル・エヴァンス大研究 その9
「ビル・エヴァンス大研究」も、
気がついてみると9回目になるんですねえ。
本当はもっと短い連載のはずだったのですが、
私が最初にジャズの洗礼を受けた人だけあって、
やはり思い入れが強いのでしょうか…。
ついつい長〜いお話になってしまいました。
でもまあ、ここまできたら最後まで行っちゃいましょう。
ジャズに興味の無い方には、
つまらないお話かもしれませんが、
あと少しだけおつきあい下さいませ。
さて、ビル・エヴァンスのサウンドの魅力は、
ひとつには華麗なアドリブ・フレーズ。
そして、それにも増して重要なのが、
考えぬかれたコード・チェンジによって作り出される、
優雅なジャズ・ハーモニーのロマンチックな世界です。
クラシックの名ピアニストたちをも唸らせた、
彼独自のハーモニー感覚は、
古いスタンダード曲に新たな魅力を与え、
再び現代に甦らせたといっても過言ではありません。
一例をあげましょう。
このシリーズの1回目に紹介した、
『Bill Evans at Town Hall』というアルバムの1曲目、
「I Should Care」という曲の最初の部分ですが、
これって、原曲はこんなコード進行です。
F♯m7(♭5)/ B7 | Em7 / A7 |
Dm7 / G7 | C |
これをエヴァンスは、
こんなふうに変えてしまいました。
C7(6)/ B7(6) | B♭7(6)/ A7(6)|
D7(♯9)/ G7(6) | C(6・9) |
原曲では4度進行、エヴァンスのは半音進行。
その代わり左手の3和音が、
“4度の形”でスライドしながら下降して行くという、
斬新なアプローチを試みています。
(お近くにピアノのある方は、
下から「B♭・E・A」つまり「シ♭・ミ・ラ」
という3和音を押さえてみて下さい。
これをこの形のまま半音ずつスライドさせるのです。)
こうすることによって、
この古い古いミュージカルのスタンダード曲が、
見事にコンテンポラリーなサウンドに、
生き生きと変身したのです。
エヴァンスは、このように、
モダンなコード・チェンジを加えることによって、
次々とスタンダード曲をより魅力的にしていったのですが、
それは特にバラード曲において、
素晴らしい効果をあげることになりました。
というわけで、
ここからはジャミン・ゼブのお話。
じつは私もジャミン・ゼブのアレンジをするにあたって、
ビル・エヴァンスの「手法」を、
時々参考にさせてもらっています。
例えば、
アルバム『Garden』に収められている、
「Polka Dots And Moonbeams」という曲。
これはエヴァンス自身も演奏しておりますが、
原曲はいたってシンプルです。
F / Dm | Gm7 / C7 |
(A country dance was being held in a garden)
F / Dm | Gm7 / A7 |
(I felt a bump and heard an oh beg your parden)
これをエヴァンス風に変えるとこうなります。
F / Dm7 |B♭ / C7(11) |
Am7 / Dm7 |Gm7 / Em7・A7|
ま、こんなのは序の口。
さらにコードは次第に複雑に変化をし、
最後の部分なんかは、
もう1拍ずつコードが変わる展開。
転調こそしてはおりますが、
ざっとこんな感じです。
G・D/F♯・Em・G/D |
(Now in a cttage built of)
Cmaj7/ C♯7(11)・F♯7|
(ilacs and laughter)
Bm・F♯/A♯・Dm7/A・G7(6) |
(I know the meaning of the)
C(6) / F♯m7(♭5)・B7 |
(words ever after)
そして優雅なクライマックスに突入していく。
どうです。
最初の形と最後のそれは、
もはや全然別の次元にいることが一目瞭然ですね。
しかもメロディーはまったく同じなのに…。
(そう、メロディーはまったく同じなんだ…。)
もちろんこれは、
エヴァンスの完全なコピーではなく、
私自身の創作によるコード・チェンジも、
随所に含まれています。
そんなときでも、まず私が考えることは、
「今のエヴァンスだったら、
ここをどういう風に変えるかなあ…?」
ということ。
そう、こうしたバラードのアレンジをするときには、
やはりエヴァンスを意識してしまうことは否めませんね。
コードを細かく分解することによって、
また素敵なテンション・ノートを加えることによって、
より緻密で、
よりロマンチックで、
そして、
よりドラマチックな世界が作れるのですから…。
こうしたアプローチは、
エヴァンス大先生によって、
大いに学ばせていただきました。
エヴァンス先生ありがとう!
そしてそのアプローチは、
ジャミン・ゼブのビロードのようなサウンドにも、
実にうまくブレンドするのです。
「都会的」「洗練された」「上品な」「ビロードのような」
ジャミン・サウンドもまた、
こうした表現をされることがままありますが、
よくよく分析してみると、
エヴァンスを意識したコード分解の恩恵と、
言えなくもありませんね。
もちろん、どの曲もというわけではありませんが、
主にバラード曲をアレンジする場合、
例えば、
「Alfie」(『Garden』)
「The Christmas Song」(『Gift』)
「Someone to watch over me」(『Dream』)
などでは、
なんとか「エヴァンスになりきろう」と試みる私…。
「ううむ…。
ここはエヴァンスだったらどう展開するだろうか…?」
「まてよ、このコードは平凡だな。
エヴァンスだったらどんなコードを使うだろうか…?」
などと暗中模索…。
そして苦しみ、苦しみ、苦しみぬいて、
そのあげく、
素敵なコード・チェンジや展開が閃いたときの喜びは、
筆舌に尽くし難い喜びが待っています。
「やったー! やったー!
これだ、これだ、これだ!
わーい、わーい、わ〜〜〜〜〜い!」
と部屋中を狂喜乱舞で踊り狂ってる私の姿は、
知らない人が見たら、
相当おかしな人間に思われることでしょうね。
あははは。
知るか。
あはははははははははは。
ん…?
でね…、
かなり手前味噌になりますが、
その最も顕著な例は、
やはり『Garden』に収められている、
「Nuos Voyageons de Ville En Ville」(町から町へ)
という曲でしょうか。
もちろんこれは私の独断で書いたアレンジですが、
今にして思うと、
よくもこんな面倒くさいアレンジをしたもんです。
(あのときのエネルギーはどこから生まれたんだろう…?)
特に、テーマが終わって、
短いピアノのインターバルのあとに延々と繰り広げられる、
「ダダバダ ダダバダ ダダバ
ダッダッダッ ダッダッダッ」
ではじまる、
すごい「コーラス・ワークの品評会」のような部分は、
気が狂いそうになりました。
(あ〜あ、なんてもん始めちゃったんだろう…?)
しかしもう、ここまで書いたら後へはひけない。
と、ここにエヴァンスの姿がこつ然と登場する。
「くそ、このあとどう展開するんだ…。
エヴァンスだったらどう逃げ切るんだ…?」
「ああ煮詰まった。
エヴァンス先生助けて下さい。
あなただったら、
ここはどんなコード進行でいきますか?」
「まてよ、ここはこっちのほうがカッコいいな。
うん、きっとエヴァンスだったらこうするだろう。
うん、そうだ、うん、うん…。」
とまあ、こんな感じで、
何かに取り憑かれたように夢中で書き上げたのでした。
ふう〜…。
……。
もっとも、エヴァンスが今生きていてこれを読んだら、
「くくく。君もまだ未熟だね。
僕だったら、ほら、こういうサウンドを使うね。」
と言われるかもしれませんが、
まあ、それはそれで仕方のないこと。
ますます精進あるのみですがね。
ぽりぽり…。(と頭をかいて逃げよう…)
ん…?
……。
あら、かなり専門的な話になってしまいましたね。
ま、エヴァンス大先生の偉大さを、
少しでもご理解いただければ幸いと思い、
あえて書かせていただきました。
ご容赦…。
もし、ジャス・ピアノを習ってる方や興味のある方で、
これを読んで、
さらに詳しく知りたい方がいたら、
どうぞ月末の「A'TRAIN」ライブにお越し下さい。
時間のある範囲で、
私のわかる範囲で、
レクチャーいたします。
それにしても、
ビル・エヴァンスのピアノが、
一番似合う季節は、
やはり「秋」じゃないでしょうか。
夏の華やかさや喧噪から解き放たれ、
一抹の哀愁と寂寥感が漂う秋。
センチメンタルでメランコリーな彼のピアノ・サウンドが、
なぜか心にしみてくるのは、
私だけでしょうかね…。
そしてジャミンもまた、
10月18日から始まる「STB 139」4Daysにおいて、
そんな秋を思わせる曲をたくさん用意致しました。
ちょっぴり大人で、シックでエレガントな夜を、
うまく演出できたらいいのですが…。
……。
さあ、このシリーズもいよいよ次回が最終回。
これまた有終の美を飾れますでしょうか。
(責任重大だぞ…。)
ううむ…。
……。
(つづく)
先週の土曜日は、
6時に起きて高崎遠征。
翌日曜日は、
やはり6時起きで名古屋。
そして明日(10/9)は、
これまた6時起きで初の岡山、倉敷遠征です。
まさに「町から町へ」を実践している、
わがジャミン軍団。
でも、たくさんの新しい出会いは、
本当に素晴らしいことですね。
幸せを感じながら、
大いに湧かせて来たいと思っております。
がお〜〜〜〜!
そして、美味しい物との出会いもね。
ウッシッシ。
ダラ〜〜〜〜〜。
(よだれ)

(本日のおまけ。
今回やっと食べられた名古屋のきしめん。
美味しかった〜〜〜〜〜〜。)
ダラダラ〜。
(よだれ)
……。
SHUN MIYAZUMI
September 28, 2011
ビル・エヴァンス大研究 その8
これはあくまで私の推論ですが…、
名だたるクラシックの名ピアニストたちが、
ジャズに興味を持ち、ジャズの演奏に憧れた背景には、
ビル・エヴァンスの存在が、
大きく影響していたのではないか…。
私はそう思っています。
何度も申し上げている通り、
ジャズはアメリカの黒人たちによって作られました。
そして、その花形の楽器といえば、
“サッチモ” ことルイ・アームストロングや、
ディジー・ガレスピー、マイルス・デヴィスに代表される、
トランペット。
チャーリー・パーカーに代表されるアルト・サックス。
コールマン・ホーキンスやソニー・ロリンズに代表される、
テナー・サックス。
つまりは管楽器でした。
しかし、ジャズにおけるピアノの存在といえば…、
リズム・セクションの一人として、
がっちりリズムを支える。
管楽器プレイヤーが演奏しやすいように、
巧みにバッキング(伴奏)をする。
そしてソロが回って来たときだけ、
アドリブによるソロで花を添える。
ま、いわば裏方さんだったわけです。
しかもその多くは、
ファンキーで、
ブルース・フィーリングに溢れた、
黒人ピアニスト。
「イエ〜、メ〜ン♪」
なんて、お下品な言葉を発しながら、
グいグいブルージーにスイングする黒人たちに、
眉をひそめるご婦人も多かったろうと推測しますし、
仮に興味を持ったとしても、
クラシックとは水と油のスタイルですから、
なかなか白人には真似の出来ない音楽だったと思います。
(私は、けっこう得意ですがね。
この ♪イエ〜、メ〜ン♪ なジャズ。
アハハハ。)
と、そこに…、
ビル・エヴァンスという白人ピアニストが、
颯爽と登場してきた。
イエ〜、メ〜ン♪
(違うから)
その風貌は、
長身でハンサムでもの静かで、
ナイーブな芸術家の香りを漂わせ、
そのハーモニーは、
ドビュッシーやラヴェルといった、
優雅なフランス近代音楽をも彷彿とさせ、
そのアドリブ・フレーズは、
まるでショパンやラフマニノフのごとく、
甘く流麗で華麗。
キャー、素敵〜。
こんなの弾いてみた〜い。
とまあ、
すべてにわたって、
それまでのジャズ・ピアニスト、
いやジャズ・プレイヤーの概念を、
根本から覆すセンセーショナルなデビューではなかったか。
そしてクラシックしか知らなかった、
若きピアニストたちが憧れてしまう存在ではなかったか。
私はそう思うわけです。
ま、その後、
ハービー・ハンコック、チック・コリア、
そして、キース・ジャレットといった、
新しい感覚のすごいピアニストたちが、
続々と出現するわけで、
そうした音楽を先に体感した若い人たちにとっては、
ビル・エヴァンスの演奏を後から聞くと、
今となっては物足りないかもしれませんが、
「1950年代当時、
こんなスタイルで演奏していたピアニストは、
彼を置いて他にはいなかった!」
このことを、もっともっと重要視すべきではないか。
最近エヴァンスを再認識している私は、
声を大にして言いたいですねえ。
(そうだ、そうだ)
ん…?
さて、そんなビル・エヴァンスには、
もうひとつ偉大な功績があります。
それは…、
「ピアノ・トリオという演奏形態を花形にした」
ということです。
(これも世間ではあまり言われておりませんが…。)
前述したように、
ジャズの花型楽器といえば、
あくまで管楽器でした。
そしてジャズという音楽のスタイルは、
簡単なテーマの後、
みんなでアドリブ合戦をする。
つまりインプロヴィゼーションが主であり、
ピアノはあくまでリズム・セクションの一部でした。
しかしエヴァンスが、
ピアノという楽器を主役にしてしまった。
「ピアノ」「ダブルベース」「ドラム」というトリオが、
こんなにも新鮮で、
無限に拡がる音楽空間を作れるということを、
最初に教えてくれたのが、
このビル・エヴァンスではなかったか。
私はそう信じて疑いません。
おや、また長くなっちゃいましたね…。
ま、このお話は次回さらに掘り下げてみるとして、
きょうは最後に、
彼が人生をかけて、もう一つのテーマとして追求した、
「対話」(Conversation)
つまり単なるアドリブ合戦に終わる事のない、
プレイヤー同士による、
深い内面の “インタープレイ” にスポットをあてた、
いくつかの名盤をご紹介してみましょうか。
特徴的なのは、
これまた先程申し上げた、
トランペット、アルト・サックス、テナー・サックス
といった、
ジャズの花型ではない楽器の演奏家ばかりを選んでいる、
ということでしょうか。
題して、
ビル・エヴァンス対話集。
『What's New』( with Jeremy Steig)

1. Straight No Chaser
2. Lover Man
3. What's New
4. Autumn Leaves
5. Time Out For Chris
6. Spartacus Love Theme
7. So What
フルートという楽器は、
ジャズの世界ではあくまでマイナーです。
このジェレミー・スタイグという人も、
このアルバムを聞くまではまったく知りませんでした。
1曲目の「Straight No Chaser」では、
火を噴くようなインタープレイが聞かれます。
ただしこれは「対話」というよりは「激しい討論」。
ときには「ののしり合い」のように感じるのは、
私だけでしょうか。
あはは。
『AFFINITY』(with Toots Thielemans)

1. I Do It For Your Love
2. Sno' Peas
3. This Is All I Ask
4. The Days Of Wine And Roses
5. Jesus' Last Ballad
6. Tomato Kiss
7. The Other Side Of Midnight (Noelle's Theme)
8. Blue And Green
9. Body & Soul
ジャズ・ハーモニカといえば、
昔も今もこの人が第一人者。
そう、トゥーツ・シールマンスさん。
この「対話」は、
釣りを極めた二人の名人が、
「フナ」なんか釣りながら、
静かに人生を語り合ってるような趣き。
渋いですよね。
『Undercurrent』(with Jim Hall)

1. My Funny Valentine
2. I Hear A Rhapsody
3. Dream Gypsy
4. Romain
5. Skating In Central Park
6. Darn That Dream
7. Stairway To The Stars
8. I'm Getting Sentimental Over You
9. My Funny Valentine (alternate take)
10. Romain (alternate take)
これは2009年の私のエッセイ、
「ジム・ホール」でもご紹介しましたね。
ジム・ホールというギタリストも、
このアルバムを聞くまでは、
私の中では、なんとなく地味な存在でした。
二人の名人によるデュオはまさに人間国宝級。
特に、1曲目「My Funny Valentine」は歴史的名演で、
究極のインタープレイと、
全世界から絶賛されました。
『Intermodulation』(with Jim hall)

1. I've Got You Under My Skin
2. My Man's Gone Now
3. Turn Out The Stars
4. Angel Face
5. Jazz Samba
6. All Across The City
『Undercurrent』というアルバムは、
1曲目を除くとやや静かめで内向的な世界。
そこへいくとこの続編は、
全体的にもっと楽しく明るい「対話集」です。
私的にはこっちのほうが好きかな…。
『Conversations With Myself』

1. 'Round Midnight
2. How About You?
3. Spartacus Love Theme
4. Blue Monk
5. Stella By Starlight
6. Hey, There
7. N.Y.C.'s No Lark
8. Just You, Just Me
9. Bemsha Swing
10. A Sleepin' Bee
おやおや、エヴァンスという人は、
対話をしたい相手が見つからないときは、
自分自身で対話しちゃうんですねえ。
究極のナルちゃんだなあ…。
といっては失礼ですが、
一人多重録音によるピアノという前代未聞の企画も、
難なく芸術的な位置まで高めてしまえるあたりが、
エヴァンスのエヴァンスたるところでしょうか。
秋の夜長に、
いかがでしょう。
ぴったりだと思いますよ。
メランコリ〜〜♪
ん…?
(つづく)
ちょっと間が空いてしまいました。
失礼致しました。
なんとも忙しくて…。
(ひや〜っ…)
10月のSTB、高崎、名古屋、岡山、倉敷。
その準備に忙殺されておりました。
(どどど…)
「工程表」なんか作っちゃって、
6日間食事もそっちのけで作業、作業、作業。
おかげで腰痛復活。
(むむ…)
でもまあ、少し落ち着きました。
(ほっ…)
そんでもって、
今週の金曜日は「A'TRAIN」ライブですね。
これはご褒美かな…。
(むふふ…)
というわけで、
イエ〜、メ〜ン♪ なピアノで、
お待ちしております。
(ん…?)
(私の内なる対話あれこれ集…)
……??
SHUN MIYAZUMI
September 19, 2011
ビル・エヴァンス大研究 その7
ジャズやロックを演奏するには、
“リズムが安定していること”
これが必要不可欠条件です。
リズム感の悪い人やリズムの不安定な人は、
ジャズやロックを上手に演奏することは出来ません。
最初にテンポを決めたら、
そのテンポやリズムが揺らぐことなく、
その中で、最大の感情表現をもって、
“グルーヴ(乗り)のある” 演奏を心がけねばなりません。
ところが、クラシックの世界では、
必ずしもそれが最優先とは言えない場合もあるようですね。
リズムやテンポ・キープよりも、
“感情表現の方が優先される”
そんな演奏もよく耳にします。
こういう演奏は、
私には受け入れられません。
せっかく気持ちよく乗っているのに、
急にテンポを崩して、リズムが無くなって、
必要以上に感情表現をして自己陶酔の世界に入る。
そんな時私は、
「あ〜あ、何でそんなことすんだよー、バカバカ。」
と白(しら)けてしまいます…。
……。
これは “感情過多” というものではありますまいか。
“ルール違反” ではないか、とも思ってしまう…。
(作曲家が聞いたら化けて出るぞー。)
さらに、そんな演奏を、評論家の先生が、
「これは素晴らしく新しい解釈だ。」
「なんという豊かな歌心であろうか。」
などと褒め讃えるわけですが、
到底これも私には受け入れられない。
「テンポやリズムを無視して、
豊かな歌心もクソもあるものか…。」
これが私の持論です。
「君にはクラシック音楽のなんたるかが、
わかっていない。」
と言われたっていいんです。
気持ちよくないものは気持ちよくないんだから。
いいんだも〜〜ん。
ふん…。
そこへいくと、
前回紹介したピアニストたちは、
「テンポ」「リズム」をしっかりキープした上で、
・・・ ・・・ ・・・・・・・
官能的とも言える演奏をしておりますよー。
演奏に、ちゃんと「グルーヴ(乗り)」がありますよー。
ミケランジェリおじさんも。
フランソワのおっちゃんも。
グールドちゃんも。
シフラの兄貴も。
(それにしても、みんなイケメンだなあ…)
だから聴いてて気持ちがいい。
私にはね…。
……。
では、この「グルーヴ(乗り)」のある演奏をするには、
どうすればいいのでしょうか…。
それはですね…、
……、
“裏のビートを感じながら” 演奏すればいいのです。
ん…?
裏のビート…??
……???
やや専門的になりますが、
ちょっとだけ解明してみせましょうか。
ここに、
♩ ♩ ♩ ♩ | ♩ ♩ ♩ ♩ |
こんなリズムの譜面があるとします。
これ、普通の人なら、
♩ ♩ ♩ ♩ | ♩ ♩ ♩ ♩ |
タ タ タ タ タ タ タ タ
と乗ってしまいがちです。
ところが、それだと、
どうしてもリズムが滑りがちになって、
走ってしまいそうです。
つんのめった、
グルーヴ(乗り)のない演奏になってしまいそう…。
では、どうするか…?
私なら、こう乗ります。
♩ ♩ ♩ ♩ |
タ(ッタ)タ(ッタ)タ(ッタ)タ(ッタ) 〜
この(ッタ)は、譜面には書かれていない音。
つまり「無い」音なんですね。
この世に存在しない「音」。
でもこれが、すなわち、
「裏のビート」なのです。
この「裏のビート」を感じながら演奏することによって、
リズムが安定し、
ご機嫌なグルーヴ(乗り)が生まれてくるのです。
彼らの演奏からは、
この「裏のビート」を感じることが出来る。
つまり「グルーヴ」がある。
だから、
「ああこの人は、ジャズを知ってるな。」
とまあ、こうなるわけです。
そして、彼らに影響を与えた最たるピアニスト、
それが…、
ビル・エヴァンスではなかったか。
私はそう思っております。
なぜかというとですね…、
それはですね…、
えっ…?
もう時間…?
そんな〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜。。。
……。
(つづく)
ジャミン・ゼブのファンの方に、
ちょっとだけ種明かしをしますとね…、
私がジャミンのためにアレンジした曲の中には、
ビル・エヴァンスを意識したものも、
何曲かあるんですよ。
彼のオリジナルの「Waltz For Debby」は言うに及ばず、
アルバム『Garden』に収められている、
「Alfie」や「Polka Dots And Moonbeams」なども、
エヴァンスの優雅なコード・チェンジを、
かなり参考にさせていただきました。
でも、彼自身は演奏しておりませんが、
最もエヴァンスを意識して書いたのは、
やはり『Garden』の中に入っている、
「Nous Voyageons De Ville En Ville」(町から町へ)
という曲でしょうか。
次回は、そんな曲の解明なども合わせて、
してみようかな…。
♪♪♪
さ、もう暑いの飽きました。
寝苦しくて、毎晩睡眠不足で参りました…。
明日あたりから涼しくなるんですかねえ。
早く来い来い。
「食欲の秋」
(またそれかよ)
……。
SHUN MIYAZUMI
September 10, 2011
ビル・エヴァンス大研究 その6
私にはちょいとした特技があります。
(ん…?)
それはですね…、
ジャズの好きな、
あるいはジャズに少なからず興味を持ってるであろう、
クラシックの演奏家を当てることが出来るのです。
演奏を聞いただけでね。
エヘン。
特に、ピアニストに関しては、
絶対的な自信がありますね。
「ああ、この人は絶対ジャズを理解してるな…。」
「この人はジャズをまったく知らないな…。」
絶対と言っていいほどわかるのです。
ええ。
中学生の頃、
クラシック音楽に夢中になり始めていた頃、
私が最初に衝撃を受けたのは、
「ベネデッティ・ミケランジェリ」(1920-1995)
というイタリア人のピアニストでした。
テレビでN響をバックに演奏する、
ラフマニノフ「ピアノ協奏曲第2番」を見た私は、
そのメチャメチャ格好いい風貌も手伝って、
大ファンになってしまいました。
「この人、女にモテるだろうな〜…。」
ちょうど思春期の頃でもありましたからね。
真っ先に考えたのはそんなことでしたか。
あはは。
(なあ〜んだ、ルックスかよ。)
いやいや、冗談じゃなく、
この人は映画俳優にしたいくらいのルックスでした。
面倒くさいので写真は掲載しませんが、
興味のある方は調べてみて下さい。
マカロニ・ウェスタンだったら、
リー・バン・クリーフなみの悪役がぴったり。
コッポラの「ゴッド・ファーザー」にも、
出てもらいたかったなあ…。
マフィアの親分なんかの役で。
ホント、かっこいいんだから…。
えっ、
肝心の演奏はどうだったんだよ、
ですって?
そうでした、そうでした。
その演奏は…、
バックハウス、ケンプといった、
ドイツの正統派の巨匠たちの演奏とは一味も二味も違う、
リズムに躍動感があって、華やかで、ロマンティックで、
そしてなによりも、
官能的。
もっとわかりやすく言うと、
エッチ。
(これこれ)
もう一人。
「サンソン・フランソワ」(1924-1970)
というフランス人のピアノも大好きでしたね。
この人も、エッチなおピアノ。
(こら!)
「当代きってのショパン弾き」
と言われていた名手で、
ショパン、ドビュッシーあたりを弾かせると、
もうもう女性はウットリ〜♡
しかも、このオッサンが、
これまたフランス映画にでも出て来そうな、
いい男なんですね。
(くそ、こいつもモテモテだな…。)
「酒豪」と言われるほどの大酒飲みだったそうですが、
そんな人間臭い(酒臭い?)ところも、
私には好感の持てるところ。
(ん…???)
さて、その後の私は、
高校の終わりくらいから、
ビル・エヴァンスの存在を知り、
ジャズに夢中になり始め、
しばらくクラシック音楽とはおさらば状況だったのですが、
ある日ふと、
このミケランジェリとフランソワの存在を、
思い出したのです。
「もしかして、あの二人は、
ちゃんとジャズを勉強したのではないか…?」
彼らの演奏に共通する、
リズム感、ロマンティック、官能的な響きは、
お堅いクラシックの先生に習っただけでは、
生まれてこないはずだ…。
そして、いろんな本を漁(あさ)っているうちに、
ミケランジェリとフランソワのお弟子さんが、
同時に、こんな証言をしているのを発見したのです。
「うちの先生は、
もうすぐコンサートだというのに、
家ではジャズばっかり弾いてるんですよ。
大丈夫なのかなあ…。」
ほーれ見ろ!
俺は正しかったぞ!!
そのときの私の、
してやったり、得意満面の笑顔を、
思い浮かべてみてください。
アハハハハハハハハハハハハハハ。
(もういいから…)
そして、もう一人、
私が好きなピアニストといえば、
それは、
「グレン・グールド」(1932-1982)でしょうか。
彼の弾く「ゴールドベルク変奏曲」(バッハ)は、
私にはジャズに聞こえますね。
あのうなり声は、
キース・ジャレットみたいだ。
(キースが真似したのか…?)
ニューヨークの美術館に例えると、
「メトロポリタン美術館」では、
オーソドックスなバロック・スタイルが合うのでしょうが、
このグールドのバッハは、
「近代美術館」にこそふさわしい。
そう思うのは私だけでしょうか?
でも、ずいぶんと変わり者だったみたいですね、
グールドちゃん。
数限りない奇行は有名です。
ニューヨークのレコーディング・スタジオに、
待てど暮らせど現れないので、
心配になったマネージャーが、
あちこち探し歩いたら、
ヴィレッジのジャズ・クラブで、
マイルス・デヴィスを聴いていた、
なんてエピソードもあるそうです。
家には、
ビル・エヴァンスのアルバムも何枚かあったそうですね。
「ジュルジュ・シフラ」(1921-1994)
というハンガリーのピアニストも大好き。
リスト「ピアノ協奏曲第一番」「第二番」の、
官能的な演奏の素敵さったらありません。
この人も絶対ジャズ好きと私は睨(にら)んでいます。
「フリードリッヒ・グルダ」(1930-2000)
という、オーストリア生まれのピアニストは、
音楽の都はウィーンに生まれ、
「クラシック以外は音楽じゃない。」
なんて言うようなお堅い人が、
うじゃうじゃいるような環境に育ちながら、
「僕はジャズが大好きー。
ジャズは最高だー。」
なんて、はしゃいだあげくに、
「グルダ・ジャズ」
なんてアルバムまで作っちゃいましたが…、
彼のジャズはいただけません。
ぜんぜんサマになっていない。
ベートーヴェンのほうがずっと素敵です。
「シュタイン指揮/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団」
と一緒に録音した、
ベートーヴェン「ピアノ協奏曲」全集は秀逸でした。
「第4番」「第5番(皇帝)」は、
今でも時々聞いておりますよ。
でも、ジャズはだめです。
意欲は買いますが…。
ジャズとクラシックを、
どちらも完璧にマスターしてしまったのは、
かの「アンドレ・プレヴィン」さん。
(1929- )
今や押しも押されぬ大指揮者の彼は、
その昔、
小粋にスイングする名ジャズ・ピアニストでした。
女性ジャズ・シンガーの、
ダイナ・ショアやドリス・デイとの共演アルバムは、
今でも高い人気を誇っています。
あれ、話が脱線しそうになりましたね。
……。
ではでは、
ジャズが好きな演奏家と、
そうではない演奏家の違いは、
どこでわかるのか?
次回は、
これをもっと掘り下げてお話しようと思います。
ひとつだけヒントです。
ビル・エヴァンスは、
「1929年生まれ-1980年没」です。
前述したピアニストたちと、
比べてみて下さいね。
(あ〜あ、こんな長いシリーズになるとは…。)
ふう〜…。
……。
(つづく)
楽しい楽しいファンミの余韻に浸る間もなく、
今度は10月の「STB 139」(4days)の準備で、
大忙しの私たち。
たくさんお申し込みいただいた、
チケットの調整作業も大変だし、
新曲のアレンジもしなくちゃいけないし、
メニューも決めなくちゃいけないし、
リハーサルも始まるし、
他にもやることいっぱいあるし、
あ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜あ。。。
外では鈴虫が、
チンチロリ〜ン♪
ちと分裂気味…。
……。
SHUN MIYAZUMI
August 30, 2011
ビル・エヴァンス大研究 その5
1959年『Kind of Blue』の名盤を最後に、
マイルス・デヴィスとビル・エヴァンスのコラボは、
たったの7ヶ月で幕を閉じることになります。
一説によると、
マイルスを「黒人の英雄」「帝王」「神」と崇拝する、
マイルス・ファン、黒人ジャズ・ファンからの、
相当に強い反発もあったようですね。
その後マイルスは、
ハービー・ハンコック(ピアノ)
ロン・カーター(ベース)
トニー・ウィリアムス(ドラム)
といった、
新しい感覚を持った素晴らしいトリオを手に入れ、
「モダン・ジャズの帝王」の名を欲しいままに、
疾風怒濤のごとく60年代を駆け抜けます。
一方のビル・エヴァンスも、
スコット・ラファロ(Scott LaFaro)という、
稀代の天才ベーシストと出会うことになります。
(もちろん、この人も白人で、
これも当時では珍しいことでした。
しかもこれが、なかなかのイケメンくん。)
で、このラファロのベースがまた、
当時の常識をくつがえす驚異のプレイ。
それまでのベースのスタイルというのは、
一拍ずつ「ボン、ボン、ボン、ボン」
と、いわゆる4ビートを刻む、
ウォーキング・ベースが主流です。
つまり、トランペット、サックス、ピアノといった、
他の器楽奏者が演奏しやすくするための、
裏方(うらかた)さんなんですね。
ところが彼は、
おそろしいテクニックをもって、
どっちが主役かわからないような、
8部音符や16部音符といった早いパッセージを駆使して、
他の奏者たちに挑んでいきます。
いわゆる「バカテク」。
当時はどこを探しても、
こんなベースはいませんでした。
まさに、ジャズ・ベースに新たな可能性を示した、
これまた稀代の革命児だったのです。
今日のジャズ・ベースは、
彼の存在なくしては語れませんね。
さあ、このラファロ君を見つけたときのエヴァンスさんは、
おそらく狂喜したでしょうね。
彼の生涯をかけてのテーマは、
「対話」(Conversation)
ではなかったかと、私は思っています。
誰か一人が主役になるのではなく、
常にプレイヤーたちがお互いの内面に向かって、
対話を仕掛けていく。
そんな “インタープレイ” をめざす彼は、
しかるべき相棒がいないときは、
ご丁寧に、
『Conversations With Myself』
なんてアルバムまで作っているんですから。
(3台のピアノを一人で多重録音。
自分の中で対話をしていくという、
ナルシストちゃんのエヴァンスならではの実験作。
でも、これも名盤です。
そう、エヴァンスには駄作がないんだなあ…。
これもすごいことです。)
ところが、
これぞ願っていた最高のベーシストが、
いた!
自分のバックで、淡々と4ビートを刻むだけじゃない、
おそるべきテクニックで自分に向かってくる、
驚異の若者が。
……。
そして、
そんなスコット・ラファロを相棒に、
自己のピアノ・トリオの完成をめざして、
「Riverside (リヴァーサイド)」というレーベルに、
素晴らしい4枚のアルバムを残すわけですが…、
なんと、そんな絶頂の61年に…、
相棒のスコット・ラファロが…、
自動車事故で死んでしまう…。
……。
25才という若さでした。
(惜しい…。本当に…。)
ショックのあまり、
ビル・エヴァンスはそれから1年間、
まったくピアノが弾けなくなってしまったそうです。
わかります…。
わかりますよ、エヴァンスさん…。
その4枚のアルバムをご紹介しておきましょう。
いずれもエヴァンスの最高傑作と呼び声の高い作品です。
(ただし、くどいようですが、ビギナーの方は、
「タウン・ホール」「ウィズ・ストリングス」といった、
「Verve」時代のものから入ることをお薦めします。)
『PORTRAIT IN JAZZ』

1. Come Rain Or Come Shine
2. Autumn Leaves
3. Autumn Leaves (Mono)
4. Witchcraft
5. When I Fall In Love
6. Peri's Scope
7. What Is This Thing Called Love
8. Spring Is Here
9. Someday My Prince Will Come
10. Blue In Green (take 3)
11. Blue In Green (take 2)
『Explorations』

1. Israel
2. Haunted Heart
3. Beautiful Love (Take 2)
4. Beautiful Love (Take 1)
5. Elsa
6. Nardis
7. How Deep Is The Ocean
8. I Wish I Knew
9. Sweet & Lovely
10. The Boy Next Door
『Waltz for Debby』

1. My Foolish Heart
2. Waltz for Debby (take 2)
3. Detour Ahead (take 2)
4. My Romance (take 1)
5. Some Other Time
6. Milestones
7. Waltz for Debby (take 1)
8. discussing repertoire
9. Detour Ahead (take 1)
10. My Romance (take 2)
11. Porgy (I Loves You, Porgy)
『Sunday at the Village Vanguard』

1. Gloria's Step (Take 2)
2. Gloria's Step [Take 3]
3. My Man's Gone Now
4. Solar
5. Alice in Wonderland [Take 2]
6. Alice in Wonderland [Take 1]
7. All of You [Take 2]
8. All of You [Take 3]
9. Jade Visions [Take 2]
10. Jade Visions (Take 1)
上の2枚はスタジオ録音。
下の2枚はライブ盤です。
いずれもエヴァンスとラファロの、
火を噴くようなインタープレイを聴くことができます。
そして、
このライブ・レコーディングの10日後に、
スコット・ラファロは、
短い生涯を閉じることになるんですねえ。
ああ、
なんてことだ…。
……。
(つづく)
「世界水泳」が終わり、
「夏の甲子園」が終わったら、
今度は、
「世界陸上」ですか…。
いやあ、まいったなあ。
いつになったら創作モードに入れるのだ、
宮ちゃんたら。
あははは。
ふにゃふにゃ。
ふにゃ〜〜〜〜ん。
(ごまかすな!)
ん…?
SHUN MIYAZUMI
August 24, 2011
ビル・エヴァンス大研究 その4
Miles Davisの名盤『Kind of Blue』について、
もう少しお話してみようと思います。
このアルバムが発表されたのは1959年です。
それまでの「ビーバップ」スタイルや、
「スタンダード・ジャズ」が物足りなくなった、
“モダン・ジャズの帝王” ことマイルス・デヴィスは、
このアルバムにおいて、
「モード・ジャズ」という新たな理論を開発し、
アドリブの可能性を無限に拡げただけでなく、
黒人が生み出した偉大な芸術であるジャズを、
革新的なコンテンポラリー・ミュージックとして、
さらに強烈にアピールしていくことになります。
その起点にもなったアルバム。
これが歴史的名盤と言われる所以なのですが、
そんな、ブラック・コンテンポラリー・ミュージックの、
歴史的な意味合いを持つレコーディングのピアニストに、
なぜ白人のビル・エヴァンスが呼ばれたのでしょう…?
私の推論はこうです。
「他にいなかったから」
……。
ご承知のように、
アメリカで黒人が参政権を勝ち取ったのは、
1964年のことです。
まだ50年にも満たないんですねえ…。
その5年前に、
この『kind of Blue』は作られたわけです。
白人ピアニスト、ビル・エヴァンスの参加によって…。
それまでも、
ガーシュインやベニー・グッドマン(クラリネット)ら、
多くの白人が、人種の垣根を越えて、
ジャズの世界で活躍をし始めてはいましたが、
マイルスとなると話は別。
彼こそは、
“黒人の” 偉大なカリスマであり、
英雄であり、
帝王なのですから。
そして、彼の白人嫌いは有名です。
彼は、死ぬ間際まで、
南アフリカのアパルトヘイト(人種差別)政策を、
痛烈に批判していました。
「南アフリカのことを考えるとヘドが出る。」
しかし、
彼はビル・エヴァンスを迎えた。
……。
本当は黒人でいきたかったんでしょうね、
マイルスさん。
それまで彼のバンドで弾いていた、
レッド・ガーランドやウィントン・ケリーといった、
バド・パウエル系、
ビー・バップ・スタイルのピアニストでは、
もはや飽き足らないマイルスは、
必死でピアニストを探したと思いますよ。
新しい感覚の黒人ピアニストをね。
(これぞバッチリ!
こんなピアノを待っていたのよ!!
そんな「ハービー・ハンコック」を手にするのは、
この数年後のこと…。)
しかし、当時は、いなかった。
……。
ま、それほどエヴァンスの感覚は新しかったわけです。
そして、エヴァンスもまた、
帝王マイルスからの誘いは、
ほっぺをつねりたくなるような出来事ではなかったか…、
と、私は思うわけです。
なんたって、相手はジャズのカリスマなんですから。
そして、あの歴史的名盤は生まれた。
……。
これは凄いことです。
人種差別が当たり前、
黒人に選挙権のない時代に、
ジャズの世界では、
「白人は黒人に学び、黒人は白人に学ぶ。」
素晴らしいではありませんか!
音楽の力は、
政治の世界なんかより一足も二足も早く、
人種の壁など取り払っていたのです。
パチパチパチ。
えっ、
今日は真面目すぎてつまんない、
ですって…?
まあ、まあ、
そんな日もあります。
ということで。。。
ま、これからもジャズのお話は、
折にふれ、書くでしょうから、
このくらいのマメ知識も必要ではないかと思い、
あえて書かせていただいた次第であります。
白人のクラシック音楽も、
黒人の作ったジャズも、
いいものはいい。
人種の垣根なんか超えて、
みんな仲良くいこうじゃないの。
(そうだ、そうだ)
だから私、
「jammin' Zeb」(ジャムするシマウマ)
というネーミングは、とても気に入っているんです。
「覚えにくい」
「舌噛みそう」
などという反論もありましたが、
ええい、かまうもんかということで、
採用したわけなんですね。
ワンワン。
ん?
……。
さ、次回は、
その後のエヴァンスが、
どうなっていったかのお話。
……。
えっ、
前回の答えは?
ですって…?
そうでした、そうでした。
レンセイくんアレンジ「Summertime」でしたね。
Miles Davis『Kind of Blue』の1曲目は、
「So What」(それがどしたの?)という曲です。
ビル・エヴァンスのフリーなイントロが終わると、
低音のベースがテーマを弾き始めます。
♪ミ・ラ・シ・ド・レ・ミ・ド・レ・ラ♪
するとトランペットをリードとした3管が、
♪シーラッ♪と受ける。
レンセイは、ここをオマージュとして使ったのです。
場所はシモンのソロが始まって5小節目。
♪I know that you're gonna be crying♪
すると、他の3人が♪So what?♪と受ける。
はい、この部分でした。
こんな遊びも楽しいですよね。
ちなみに、
このシモンと、
続くスティーヴのソロ・パートの詞やメロディは、
原曲にはありません。
レンセイが新たに書き加えたものです。
がんばりましたね、彼。
なにしろ1年がかりの労作ですからね。
もっと早く仕上げてもいいんだよ、
ね、レンセイ。
……。
(つづく)
8/17、18、20、21
4日間にわたって繰り広げられた、
「jammin'Zeb / STB139 飛び石4Days!」
おかげさまで、
大盛況のうちに終えることができました。
思えば、大震災で延期になってから5ヶ月。
「これが終わらないと、
新たなスタートが切れない‥。」
「とにかく無事で終わって欲しい…。」
その一念で迎えたライブだっただけに、
ホッとしました。
そして、
みなさんの熱狂ぶりや満面の笑顔を見て、
改めて音楽をやれる喜びを実感した次第でございます。
私は幸せ者です…。
みなさん、
本当にありがとうございました。
♡♡♡
というわけで、
なんか肩の力がスーッと抜けた感じです。
新しい曲のアレンジもしなくちゃ、
とは思うのですが、
なんか、力が抜けちゃって…。
ふにゃふにゃ。
ふにゃ〜〜ん。
……。
SHUN MIYAZUMI
August 15, 2011
ビル・エヴァンス大研究 その3
あれは、1970年代の終わり頃だったでしょうか。
当時のクラシック界で、
「帝王」と呼ばれ人気を独り占めしていた大指揮者、
ヘルベルト・フォン・カラヤンが、
これまた「世界最高のオーケストラ」の呼び声高い、
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団を率いて再来日。
私は毎晩のように、
テレビでその演奏を観て(聴いて)いたのですが、
そこにはドキュメンタリー・タッチで、
楽屋裏も紹介するといったお宝映像も、
ふんだんに盛り込まれておりました。
で、そのなかの一シーンに、
私は思わず大笑い。
インタビュアーの男性が、主(おも)だった楽団員に、
こんな質問をして回っているのです。
「カラヤンは本当に帝王だと思いますか?」
ん?
質問する方も勇気がいりますが、
はたしてみなさん、
ちゃんと答えてくれるのでしょうかねえ。
なんたって「帝王」なんですから。
世界に君臨する最高権力者なんですから、カラヤンさん。
みなさん、へたなこと言えませんよ〜。
あははは。
というわけで、その答えや如何に。
(演奏楽器の記憶は曖昧ですが、お許しを。)
まずは一人の “年輩の” ヴァイオリン奏者。
真面目一徹、厳格そうなおじさん。
そのおじさんは気難しそうな顔をして、こう答える。
「もちろんだとも。
天才とはああいう人のことを言うんだね。」
(まあ、そう言うだろうな〜。)
さて、インタビュアーは、
今度は “もっと年輩の” チェロ奏者にマイクを向ける。
ま、はっきり言ってしまえば、“おじいちゃん”。
おじいちゃんチェリストは胸を張ってこう言う。
「そう、カラヤンはまさに帝王だよ。
彼の背中には後光が射しているじゃないか。」
(ま、これも予想の範囲内かな…。)
お次は、ちょっと若めのホルン奏者。
で、この人の答えがケッサク。
私は、こんな答を待っていたのです。
彼はニコニコしながらこう答えました。
「いや、カラヤンは帝王じゃないね。
帝王とは、ベッケンバウアーのことさ。
アハハハ。」
(ちなみにベッケンバウアーとは、
当時世界一と言われていたドイツのサッカー選手。)
そして極めつけは、若いトランペット奏者。
彼はまじめな顔をしてこう言ったのです。
「カラヤンが帝王だって?
とんでもない。
真の帝王は、マイルス・デヴィスだよ。
僕たちは、みなジャズのコンボをいくつか作って、
練習の合間にジャズを勉強してるんだ。
いや、マイルスは本当に偉大だ。」
(す、すごい…。)
……。
どうです。
さすが世界最高峰のオーケストラ団員ではありませんか。
粋ですねえ、この遊び心。
ということで、久しぶりにやりますかね。
( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \
(ん…?)
はい前置きが長すぎました。
でも、私が何が言いたいかというと、
真に優れたクラシック演奏家の多くは、
しっかりジャズを認めているということなのです。
ま、このあたりのお話は次回にまわすことにして、
さっき話が出たマイルス・デヴィスという人は、
「モダン・ジャズの帝王」
と呼ばれています。
「クール」
「ビー・バップ」
「ハード・バップ」
「モダン・ジャズ」
次々と新しい発想で、
ジャズ界に旋風を巻き起こす、
偉大な革命家とも言える彼が、
50年代の最後には、
こんなアルバムを発表して、
さらに世の中を驚かしてしまいました。
『MILES DAVIS / Kind Of Blue』

1. So What
2. Freddie Freeloader
3. Blue In Green
4. All Blues
5. Flamenco Sketches
6. Flamenco Sketches (Alternate Take)
この歴史的なアルバムでマイルスは、
いわゆる「スタンダード・ジャズ」といった、
コード進行に基づくアドリブという概念を捨て、
「モード・ジャズ」という新たなスタイルを確立。
1960年代を、疾風怒濤のごとく駆け抜けました。
まあ、興味があったら聴いてみて下さい。
特に1曲目の「So What」という曲は、
今ではジャズのバイブル的存在とも言えましょう。
ただし、これは辛口です。
クールです。
甘みを排した男の世界です。
ハードボイルドな大都会の夜です。
ワインよりはドライ・マティーニが合いそう。
水割りよりはストレート・ノー・チェイサー。
(くう〜、きつそう…。)
決してビギナー向きではありませんが…。
……。
さらに、このアルバムには、
もうひとつ、
驚くべきことがあります。
メインのピアノが、
あの、
ビル・エヴァンスだからです。
もちろん他は、
ジョン・コルトレーン、
キャノン・ボール・アダレイ、
ポール・チェンバース、
といった当時を代表する、
凄腕の黒人ミュージシャンばかり。
でも、ピアノはエヴァンス。
……???
マイルス・デヴィスとビル・エヴァンス。
どう見たって水と油ではありませんか。
片や、黒人ジャズの革命家であり黒人のアイドル。
黒人によるコンテンポラリー・ミュージックの推進者。
片や、クラシック音楽をジャズと融合させ、
クラシック至上主義の多くの白人をして、
ジャズに目を向けさせた人物。
「スタンダード」に新しいハーモニーやフレーズで、
みずみずしい息吹を与えたロマンティスト。
どう見たって、
水と油だ…。
……。
実際、ビル・エヴァンスの加入は、
多くの黒人ファン、マイルス・ファンから猛反発を受け、
わずか7ヶ月でエヴァンスは退団したそうですが、
そのわずかな間に生まれたこの作品が、
今や歴史的名盤として、
世界中のジャズ・ファンから愛されている。
なんとも不思議かつ皮肉な現実です。
面白いですねえ。
でも、わかるような気が…、
それはですね……、
えっ、
もう時間?
そんな…、、、
……。
(つづく)
6/12の「ZEBLOG」でレンセイが、
「Musical Jokes」というお話を書きました。
ジャミン・ゼブ・ファンの中には、
読まれた方も多いのではないでしょうか。
その中で彼は、
「Summertime」のアレンジのなかに、
Miles Davisのある楽曲の1部分を、
オマージュとして採用したと言っております。
それは、
この『Kind Of Blue』というアルバムの中にあります。
次回は、その種明かしをしますが、
みなさんも考えてみて下さいね。
さ、今週は待ちに待った「STB139 飛び石4Days!」
熱い、熱い、1週間になりそうですね。
くう〜、
燃える〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!
……。
SHUN MIYAZUMI
August 03, 2011
ビル・エヴァンス大研究 その2
ビル・エヴァンスという人は、
自分の将来を決めるにあたって、
「クラシックの道に進むべきか…。
それともジャズをやるべきか…。」
ずいぶん悩んだんだそうです。
私なんか、即決でジャズを選びましたが…。
(一緒にすんな!)
ま、彼の場合は、
クラシックの世界でも十分やっていけるだけの、
技量を持っていたんでしょうね。
しかし、ジャズをやってくれて良かった…。
つくづく思います。
……。
ご承知のように、
ジャズはアメリカの黒人たちによって作られました。
過酷な労働と人種差別に苦しむ黒人たちが、
わずかな余暇に、めいめい楽器を持ち寄って、
日々の苦しさから解放され自由に音楽を楽しむ。
それがそもそもの起源です。
したがって、
当初クラシック至上主義の白人たちからは、
原始的な音楽と蔑(さげす)まれたのでしょうが、
次第にその音楽の素晴らしさは、
白人も認めざるを得ない状況になっていきます。
その最大の功労者は、
ジョージ・ガーシュインでしょうか。
白人の中流家庭に育った彼は、
早くからジャズの素晴らしさを認め、
「ポギーとベス」という、
黒人世界を描いた、黒人だけによるミュージカルを書き、
周囲の猛反対と妨害に敢然と立ち向かい、
ニューヨークの一流劇場で公演することに成功しました。
そして、もう一人の功労者が、
このビル・エヴァンスではないか、、、
私はそう思うわけです。
1950年代の半ばに、
彼が颯爽とジャズ・シーンに登場したとき、
今までのジャズにはなかった、
都会的で洗練された知的なプレイは、
大いに話題になりました。
そして、
「ジャズは不良の音楽」
と、敬遠、軽蔑していた多くのクラシック・ファンからも、
注目されるようになっていくのです。
ジョージ・ガーシュインが初めてパリを訪れたとき、
ラヴェル、シェーンベルグといった、
当時のヨーロッパを代表する大作曲家たちが、
こぞって彼に面会を求めた話はあまりに有名です。
バルトークやリヒャルト・シュトラウス、
ストラヴィンスキーといった大作曲家たちも、
早くからジャズの素晴らしさを認めていました。
そしてビル・エヴァンスの存在もまた、
クラシックを学ぶピアニストたちをも、
“ジャズに目を向けさせる”
大きな原動力になったのでした。
なんたって、
彼らが出現した頃のアメリカは、
まだ、黒人に選挙権のない時代ですからね。
「これジョージ、
そんな黒人の子と遊んではいけません。
これ、あんた、あっち行きなさい。シッ、シッ。」
「まあビルったら、嫌ですねえこの子は。
なんでジャズなみたいな不良な音楽をやってるのざます?
音楽はクラシックざましょ、クラ〜シックよ。
さ、早くあなたの素敵な素敵な、
モーツァルトやショパンを聴かせてちょうだい。」
「……。」
とまあ、そんなひどい時代。
そんな時代に、
いち早くジャズの素晴らしさを認め、
黒人だけのための音楽と思われていたジャズに、
“アカデミック” な要素を加えて、
芸術的な価値を高めていったこの二人の功績は、
国民栄誉賞ならぬ、
世界人類栄誉賞でも差し上げたいくらいの、
快挙なのであります。
この二人がいなかったら、
はたして今のジャズはどうなっていたのか…。
もちろんジャミン・ゼブの音楽も…、、
……。
ん…?
なんだか今日は硬い話になってますねえ。
いけません、いけません。
でもまあ、ビル・エヴァンスの登場は、
そのくらいのセンセーショナルな出来事であった、
と、私は言いたいわけです。
私が史上最大のジャズ・ピアニストと認める、
あの、キース・ジャレットでさえ、
ビル・エヴァンスがいなかったら、
果たしてあのスタイルを築きあげられたかどうか…。
……。
というわけで、今日はここまでにしておきますね。
最後は、
こんなアルバムをご紹介しようかな。
私の大好きなシンガー、トニー・ベネットと、
ビル・エヴァンスが、
二人だけで奏でる、極上の大人の世界。
最高にお酒が美味しくなる1枚です。
『Together Again/Tony Bennett & Bill Evans』

1. The Bad and The Beautiful
2. Lucky To Be Me
3. Make Someone Happy
4. You're Nearer
5. A Child Is Born
6. The Two Lonely People
7. You Don't Know What Love Is
8. Maybe September
9. Lonely Girl
10. You Must Believe In Spring
どうです。
この、粋な男二人の名人芸。
(し、し、渋いかも…。)
ただし…、
このアルバムには欠陥があります。
あまりの心地よさに、
すぐに眠くなってしまうことです。
では、おやすみなさい。
zzz……。
(寝るな、仕事だろ!)
……。。。
(つづく)
遅ればせながら、
7/29(金)学芸大「A'TRAIN」にお越しのみなさん。
ありがとうございました。
ラモーナ(ロペス)も久しぶりに乱入してきて、
大人の歌をたっぷりと聴かせてくれましたね。
最高に楽しい夜でした。
さて、
今週は、なんだかんだ、
ジャミンの仕事で忙しくしております。
先週は「世界水泳」に夢中になりすぎて、
創作がおろそかになりましたからね。
週末からは、
遅れを取り戻さねば…。
えっ?
週末からは「高校野球」が始まるぞ、
ですって?
むむむ…、
それは困った…、
……。。。
SHUN MIYAZUMI
July 26, 2011
ビル・エヴァンス大研究
ビル・エヴァンスを聴いてジャズのファンになった。
こんな方、けっこう多いのではないでしょうか。
特に、クラシック愛好家や、
クラシックのピアノしか知らなかった人には、
新鮮な驚きでしょうね。
かく言う私もそうでしたから。
高校2年の時、
クラスの音楽仲間に薦められて買った、
「ビル・エヴァンス」という名の、
一人の白人ジャズ・ピアニストのベスト・アルバム。
その1曲目に入っている、
「Beautiful Love」という曲に針を下ろしたときの衝撃を、
今だに忘れることはできませんね。
ガーーーーーーーン!
(こ、これは、いったい…?)
それまで愛聴していた、
ショパン、シューマン、リスト、ラフマニノフといった、
ロマン派のピアノ曲の “優雅な香り” を残しつつ、
でも、そうしたクラシック音楽とはまったく違う世界。
「これが即興なの?」と思えるような美しいフレーズを、
次から次へと奏(かな)でながら、
小気味よくスイングしていくそのスタイルは、
それまで私が描いていた、
「ジャズ」「ジャズ・ピアノ」という概念を、
根底から覆(くつがえ)してしまいました。
(レ、レベル高いぞ…。)
はい、これで私の運命は決まってしまいましたね。
ま、これは、かつて、
「レコード買いまくり時代」
「ジャズまくり時代」
(ともに、〜2005エッセイ)
というお話にも詳しく書いておきましたので、
興味のある方はご覧になって下さい。
というわけで、
ここからしばらくは、
私なりにこのビル・エヴァンスの魅力について、
いろいろ解明してみようかと思います。
例によって、
かなりの独断と偏見ではありますが…。
……。
さて、
ビル・エヴァンスの音楽を形容する言葉をざっと拾うと、
こんな感じになるのでしょうか。
「優雅」「お洒落」「リリカル」「洗練」「都会的」
(これ、何かと重なりますかしらん。。。)
でも私には、
「ロマンティック」という言葉が一番ハマりますね。
ま、今でこそ、
世界中のあらゆるピアニストがその影響下のもとに、
彼の音楽を継承しながら様々なスタイルで、
演奏をしておりますが、
ジャズといえば黒人、
ブルース、ファンキー、豪快なグルーヴを売りにしていた、
当時(1950〜60年代)にあっては、
まさにワン・アンド・オンリーな世界だったわけです。
そのサウンドの謎は追々解明するとして、
まずはこのアルバムを聴いてみて下さい。
『Bill Evans at Town Hall』

1. I Should Care
2. Spring Is Here
3. Who Can I Turn To
4. Make Someone Happy
5. Solo-In Memory Of His Father
6. Beautiful Love
7. My Foolish Heart
8. One For Helen (Previously Unreleased)
これは、1966年ニューヨークでのライブ盤ですが、
まず私が驚いたのが、このジャケット写真。
これ、知らない人が見たら、
「クラシック」のジャケットと思うんじゃないでしょうか。
知的な香りがプンプン。
ビル・エヴァンスの代表作といえば、
早逝の天才ベーシスト、スコット・ラファロとの、
火を噴くようなインタープレイが聴ける、
「Riverside」レーベルに残された4枚のアルバム。
とりわけ、
『Portrait In Jazz」と『Explorations』
を挙げる方が多いですし、
私も否定はしません。
でも、
ジャズ・ビギナーの方にはこちらの方がいいのではないか。
私はそう思っています。
「Beautiful love」や「I Should Care」
といったスイング・ナンバーの小気味よさ。
「Spring Is Here」や「My Foolish Heart」
といった美しいバラードにおける優雅なハーモニー。
そして、このレコーディングの前に亡くなった、
彼の父、ハリー・エヴァンスを偲んで弾いた、
13分にも及ぶ美しいソロ・ピアノは、
今聴いても圧巻です。
もう1枚。
『BILL EVANS WITH SYMPHONY ORCHESTRA』

1. Granadas
2. Valse
3. Prelude
4. Time Remembered
5. Pavane
6. Elegia (Elegy)
7. My Bells
8. Blue Interlude
名アレンジャー、クラウス・オガーマン率いる、
シンフォニー・オーケストラと、
ビル・エヴァンス率いるジャズ・トリオの競演。
「1.Granadas」では、
オーケストラ奏でるクラシカルな世界から、
一転してジャズの世界に移行する瞬間、
その瞬間のスリルがたまりません。
そして、「2.Valse」というバラードの美しいこと。
原曲はバッハだそうですが、
彼のインプロビゼーション(即興演奏)の素晴らしさ、
豊かな歌心、リリカルなタッチ。
もう、何度聴いたかわかりませんね、これは。
雨の日のパリの路地裏。
ふと見上げると、ジャンヌ・モローのような美女が、
雨露がしたたり落ちる窓越しにこちらを見ている。
私には、そんなイメージでしたかね。
キャーーー、ロマンティックすぎる〜〜〜〜〜〜〜!
そしてもう1枚。
この2枚で、ビル・エヴァンス・ワールドに馴染んだら、
お次はこれかな。
『BILL EVANS At The Montreux Jazz Festival』

1. Spoken Introduction
2. One For Helen
3. A Sleepin' Bee
4. Mother Of Earl
5. Nardis
6. Quiet Now
7. I Loves You, Porgy
8. The Touch Of Your Lips
9. Embraceable You
10. Someday My Prince Will Come
11. Walkin' Up
これも1968年の録音。
スイスの「モントリュー・ジャズ・フェスティバル」
でのライブ・レコーディングです。
このあたりから彼の相棒となる、
名ベーシスト「エディ・ゴメス」とのインタープレイが、
見事に炸裂しております。
(エディ河野ではありませんよ。ゴメスです、ゴメス。)
とりわけ「7.I Love You, Porgy」の美しいソロは抜群です。
このガーシュインの名曲で、
これ以上の演奏を私は知りませんね。
♪♪♪
そんなわけで、
「ジャズ・ピアノを聴いてみたいんですが。」
「ビル・エヴァンスって、たくさんCDがありすぎて…。
何から聴いたらいいんでしょうか。」
そんな質問を受けたら、
私は、まずこの3枚をお薦めすることにしています。
特にクラシック・ファンにはね。
さあ、あなたも、
素敵なビル・エヴァンスのリリカルな世界に、
身を委(ゆだ)ねてみて下さい。
美味しいハーブ・ティーや、
最高級ワインでも召し上がりながら。
えっ?
私?
私は麦焼酎の麦茶割りですけど…。
……。
(つづく)
ああ、お酒飲みた〜い。
(がまんだ)
遊びた〜い。
(がまん、がまん)
毎日、譜面ばっかり書いてるの飽きたよー。
(それが仕事だろ)
でも、今週の金曜日は「A'TRAIN」ライブだよ。
(それは許す)
……。
SHUN MIYAZUMI
December 08, 2009
ノーマン・シモンズ 後編
「ピアノは、
ノーマン・シモンズ!!」
世界的なジャズ・シンガー『アニタ・オデイ』が、
そう紹介したとき、
私は思わず、
「うそだろう…?」
と、まさに椅子から飛び上がらんばかり。
いやあ、本当に驚きました!
……。
まさか、アニタが、
あのノーマン・シモンズを連れて来ているとは、
まったく知りませんでしたからね。
(この人が、ノーマン・シモンズだったのか。
どうりで上手い訳だ…。)
Norman Simmons
(ノーマン・シモンズ)
私がジャズを始めた、
大学生のときから、
それこそ何度も何度も聴いた名盤、
『カーメン・マクレエ / イン・パーソン』
その中で、
「これぞ歌伴のお手本」とも言うべき、
いぶし銀のようなプレイを聴かせる、
ノーマン・シモンズのピアノは、
ずっと私のバイブルであり、
心の師匠でもあったのです。
その彼が、
今、私のすぐ目の前で、
演奏している。
手を伸ばせば、
触れるようなところで…。
今まで、レコードでしか知り得(え)なかった、
本物のジャズ・ピアノ。
本物の歌伴(うたばん)。
しかも相手は、
あの世界的なアニタ・オデイ。
これが狂喜せずにいられましょうか。
そして、
アニタには申し訳ないのですが、
それからというものは、
歌はほとんど耳に入らず、
私は、もう食い入るように、
そのピアノ・プレイばかりを、
見続けていたのです。
何しろ「生きたお手本」が、
目の前で演奏しているのですから。
「いやあ、いいコード弾くなあ…。」
「なるほど、そこはそう弾くのか…。」
「おっと、粋な間(あい)の手だなあ…。」
「ううむ、そういう押さえ方もあったか…。」
「こりゃ歌いやすいだろうな、歌手は…。」
とまあ、感心しながら、
鍵盤ばかり見ていた私。
♪♪♪
こうして、
約1時間にも及ぶ、
素晴らしいミニ・ライブは、
あっという間に終了。
私にとっての夢のような時間も、
あっという間に過ぎてしまいました。
ライブが終わると、
アニタの周りには、
ジャズ・ファンのおじさま、おばさまで、
たちどころに黒山の人だかり。
なにせ、大スターですからね。
たくさんの花束や、
思い思いのプレゼントを手にしたアニタは、
満面の笑みで、一人ずつていねいに、
ファン・サービスにつとめておりました。
で、私はというと…、
ノーマン・シモンズの後を、
金魚の糞のように、
付いてまわっていた…。
「なんでも形から入れ」
というのが私の持論ですからね。
「盗める物は、なんでも盗んでやれ」
とばかりに、
まるで背後霊のように、
ピタッと彼のそばから離れない。
そうこうするうちに…、
どこかのタニマチ風のおじさんが、
「ノーマンを連れて、
ピアノ・バーへ繰り出そう」
と言いだした。
「いいわね、いいわね。」
とばかりに、
3、4人のご婦人も参加の意思表明。
もちろん私も、
「あ、あの、
ぼ、ぼくも行ってもいいですかあ。」
とおねだりして、
連れてってもらうことになりました。
(ヤッター!)
そして、到着したのが、
永田町は、
自民党会館のすぐそばにある、
ピアノ・バー。
時間は、
深夜の0時を過ぎていたように思います。
そこは、
円形の小さなお店で、
真ん中にグランド・ピアノが、
デーンと置いてあり、
周りにテーブルとソファがいくつかある、
といった、ちょっとリッチな感じのバーでした。
そして、みんなで、
カンパーイ!
ノーマンさんも、
すこぶるご機嫌の様子。
楽しそうに、
お酒を飲みながら、
タニマチやご婦人方と、
会話を楽しんでいましたね。
と、そのうち…、
私の存在に気づいたノーマンさんが、
こんなことを聞いてきました。
「ところで君は、何か楽器はやるの?」
私は、勇気をふりしぼって、
こう答えました。
「え、ええ…、ピアノを少々。
学生時代はプロをめざしてやってたんですが、
今は、レコード会社に就職して、
プロデューサーの卵みたいな仕事を、
やってるんです。」
すると、ノーマンさん、
「どうだい、一曲、
聞かせてくれないか。」
ときた。
(ガーン!)
……。
途端に緊張が走った私でしたが、
でも、こんなチャンスは、
そうあるものではありませんからね。
せっかくだから、
何かご指南でもいただければ幸い…。
というわけで私は、
厚かましさを承知の上でピアノに向かい、
一曲演奏を始めました。
当時の私は、
まだ23、4才の青二才。
もう破れかぶれですが、
とにかく一生懸命演奏しました。
ノーマンさんも、
真剣に聴いてくれてるようでした。
♪♪♪
こうして1曲、
なんとか弾き終えました。
もう、緊張で、
汗びっしょりです…。
すると…、
信じられないことが…、
起きたのです。
……。
ノーマンさんが急に立ち上がり、
ニコニコしながらピアノのそばにやって来て、
「どうだ、一緒に演奏しないか。」
と言ってくれたのです。
そして、ピアノの椅子を二人で分け合い、
彼が主に低音部分を受け持って、
連弾が始まりました。
信じられない出来事です。
夢のような出来事です。
こうして、
彼の伴奏で私は、
ブルースを、
自分の力の限り弾く。
すると、ノーマンさんは、
「イエーイ! いいぞ、もっといけ。」
「ダメダメやめちゃ。
もう1コーラスいこう。」
と、懸命に乗せてくれるのです。
私がソロを終えると、
今度は、彼が低音部でソロを取り始め、
私が上の方で伴奏する。
そのうち、緊張もほぐれ、
私もついノリノリに。
彼も、なんとも楽しそうに、
演奏を続ける。
そして、一曲終わると、
「いやあ、いいねえ君。
もう一曲やろう。
あの曲は知ってるかい。
OK。じゃイントロは僕が弾くから、
テーマを頼むよ。」
そして、私がソロを取りだすと、
「イエーイ! イエーイ!
いいぞ、いいぞ、ゴキゲンだぞ。」
と、またまた乗せてくれるのです。
コンサートを終え、
ミニ・ライブを終え、
もう、かなり疲れてるでしょうに、
彼は、私との連弾をやめようとしない。
「もう一曲いこう。」
「よし、今度はあの曲をやろう。」
「イエーイ! もっと続けろ。
いいぞ、いいソロだぞ!」
こうして、時計の針は、
2時を廻り、
3時を廻り、
私とノーマン・シモンズさんとの連弾は、
約3時間近くにも及び、
終わったときには、
朝を迎えようとしていたのです。
……。
さて、すべての演奏が終わると、
彼は満面の笑みで立ち上がり、
私に握手を求め、
こう言ってくれました。
(これ、自慢話のように聞こえたら、
ごめんなさい。
でも、事実なんです…。)
「君のブルースは本物だ。
最高だ。
君は、ピアノをやめてはいけない。
どんな仕事に就(つ)こうが、
ジャズ・ピアノだけは続けて欲しい。」
「……。」
もちろん、お世辞でしょうが、
でも私にとっては、
涙が出るほど嬉しいお言葉でした。
以来私は、
ジャズ・ピアノと、
ジャズの研究だけは、
細々と続けていたのです。
この、彼のひと言だけを支えに…。
そして、それが、
30年後に、
ジャミン・ゼブのプロジェクトに繋がったことは、
言うまでもありませんね。
ノーマン・シモンズさん♪
私の人生の恩人と言ったら、
言い過ぎでしょうかねえ…。
……。
(おわり)
さあ、怒濤の冬の陣が始まりました。
横須賀、岐阜、
そして、
ジャーン!
九段会館!!
準備万端整いました。
万全のコンディションで臨みたいものです。
熱い盛り上がりをお願いします。
そして九段を、
感動で一杯にしましょう。
やるぞー!
ガオ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!
(まただ…)
……。
SHUN MIYAZUMI
November 30, 2009
ノーマン・シモンズ 中編
私の学生時代から、
「アルファ」に入った頃。
(60年代後半〜70年代)
女性人気ジャズ・ヴォーカルと言えば、
まず、ビリー・ホリデイ(1915ー59)。
それに続くのが、
「四女王」とも言うべき4人の現役。
すなわち、
エラ・フィッツジェラルド
カーメン・マクレエ
サラ・ヴォーン
アニタ・オデイ
これが、自他ともに認める、
人気を兼ね備えた「実力派」の評価でしたね。
この中で、
唯一、白人で、
しかもルックスも抜群で、
まさに「天から二物を与えられた」
とも言うべき幸運の女神が、
『アニタ・オデイ』
というシンガーでした。

ANITA O'DAY(1919−2006)
セクシーなハスキー・ヴォイス。
抜群のアドリブ・センスとスイング感。
類いまれなるテクニック。
代表作は、
オスカー・ピーターソン・カルテットと共演した、
『ANITA SINGS THE MOST』
(アニタ・シングズ・ザ・モースト)
というアルバムでしょうか。
これまた、
私が学生のときから愛聴してきた、
名盤中の名盤です。

あの、スーパー・テクニックの
オスカー・ピーターソンと、
堂々とわたり合える歌手は、
そうはいませんね。
超快速『S'Wonderful(ス・ワンダフル)』は、
まさに、火を噴くような熱演。
前回ご紹介した、
『Carmen McRae / In Person』は、
現在、かなり入手が困難なようですが、
この、アニタのCDは、
今もなお人気抜群のようですから、
容易に手に入ると思います。
ぜひ、聴いてみて下さい。
胸がスカっとする爽快感があります。
さらには、
ジャズ・ファンの間では、
もはや伝説ともなっている、
『真夏の夜のジャズ』という音楽映画。
そのなかで、
映画『マイ・フェア・レデイ』よろしく、
大きな帽子をかぶり、
スカートを風になびかせながら、
爽快に歌い上げるアニタの、
『Sweet Georgia Brown』
(スイート・ジョージア・ブラウン)

いやあ、
その格好よさといったらありません!
まさにアイドル。
まさに歌姫。
実力も美貌も富も名声も、
全部手にした“幸運の女神”。
眩(まぶ)しいばかりの歌手人生…。
♪♪♪
そのアニタが、
来日しました。
1975、6年の頃だと思います。
当時私は、
「アルファ」で、レコード・プロデューサー
の道を歩んでいましたが、
とはいえ、
趣味としてのジャズ・ピアノも、
あい変わらず続けていました。
仕事の合間をぬって、
ジャズ・クラブで演奏したり、
ジャム・セッションに参加したり。
そんな私が、
当時いちばん頻繁に通っていたのが、
六本木にあった、
「Ballentine(バレンタイン)」
というお店。
そんな、ある日のこと。
その「Ballentine」に、
なんと…、
あの、アニタ・オデイがやって来て、
「ミニ・ライブをやる!」
という噂を聞いたのです。
私は狂喜しました。
さあ、待ちに待った当日。
私は、懇意にしていただいてた、
マスターのTさんにお願いして、
ピアノ・カウンターの、
ピアニストと鍵盤を真横に見ることのできる、
私にとって、最高の場所を、
陣取ることができました。
そのお店は、
50人も入ればいっぱいの、
本当に小さな、縦長のジャズ・クラブ。
しかし、噂を聞いて駆けつけた、
常連のジャズ・ファンで、
お店はたちどころにいっぱい。
早くも熱気に溢れています。
やがて…、
拍手、歓声がどこからともなく起こり、
あの、アニタ・オデイと、
バックのピアノ・トリオの面々が登場。
私のすぐ真ん前にピアニストが座り、
その後ろにドラムとベース。
そして、その横に、
アニタ・オデイがマイクを持って、
スタンバイしました。
ステージも狭いので、
窮屈そう。
いずれも、
手を伸ばせば、
触ることのできる至近距離です。
……。
まあ、今だったら、
ちょっと考えにくいシチュエーションですね。
「代々木ナル」や「All Of Me Club」
といった小さなジャズ・クラブの、
一番前の席で、
世界的なアーティストの演奏が、
ナマで聴けるようなもんですから。
かつて書いた、
「エロール・ガーナーの思い出」
のときもそうでしたが、
当時の六本木では、
来日した世界的なジャズ・プレイヤーが、
コンサート終了後に、
平気で、
こうしたセッションをやっていたのです。
いい時代でした…。
♪♪♪
さあ、演奏が始まる。
ピアノ・トリオがイントロを始める。
アニタが唄いだす。
間近に見る、世界の演奏。
もうもう、鳥肌もんでした。
私は、よほど興奮していたのでしょう。
なんの曲をやったのか、
まったく記憶にありませんから。
アハハハ。
バックのピアノ・トリオも素晴らしく、
「これが世界か…。」
と、ただただ感心するばかりです。
特に、同じピアノをやる人間にとって、
目の前で繰り広げられている、
黒人ピアニストの演奏は、
まさにお手本のようなジャズであり、
理想的な「歌伴(うたばん)」でした。
アニタの歌もさることながら、
私は、鍵盤と彼の指さばきを、
食い入るように見ていたのです。
(うまいなあ…。)
こうして、2、3曲を、
たちどころに唄い終えると、
アニタは、
やんややんやの歓声の中、
メンバーを紹介。
「じゃ、きょうのバック・メンバーを
紹介するわね。
ドラムは○○。イエーイ。
ベースは△△。イエーイ。
そして、ピアノは…」
その後にコールされた名前を聞いて、
私はめまいがするような興奮を覚えました。
「ピアノは、
ノーマン・シモンズ!!」
(つづく)
これ、本当は、
2回で終わるつもりでした。
だから前回、
「前編」ってクレジットしたのですが、
アニタ・オデイの話をしていたら、
いろんなことを思い出してきて、
「中編」などという、
司馬遼太郎氏の小説のようなタイトルに、
なってしまいました。
アハハハ。
ま、次回もお楽しみにということで。
……。
ところで、
金曜日(11/27)の「A'TRAIN」も、
盛り上がりましたねえ。
近くのお店で演奏していた、
ベースの佐藤有介も乱入してきて、
久しぶりに一曲共演しましたよ。
こういうハプニングがあるから、
やめられませんね。
いらして下さったみなさん、
ありがとうございました。
次回は、12/25(金)の予定です。
さあ、明日からは、
しばしピアノを忘れて、
「ジャミン・ゼブ 冬の陣」に集中します。
最高の形で、
2009年を締めくくりたいと思っています。
ガオ〜〜〜〜〜!
(またしても、雄叫び)
……。
SHUN MIYAZUMI
November 22, 2009
ノーマン・シモンズ 前編
『ノーマン・シモンズ』
というピアニストを知ってる方は、
かなりの“ジャズ通”ではないでしょうか。
ヒットしたリーダー・アルバムも無いし、
有名なジャズ・ジャイアント達との共演も、
あまり聞いたことがありません。
しかし、何を隠そう、この人は、
稀代の「歌伴(うたばん)」の名手なのです。
(註:歌伴=歌の伴奏)

Norman Simmons(1929〜)
私が彼のピアノを最初に聴いたのは、
大学1年生のとき。
かつて『ジャズまくり時代』というお話を、
長々と書いたことがあります。
ジャズがやりたくて、
ジャズ・ピアノが上手くなりたくて、
K大の「名門ジャズ・オーケストラ」に入部。
それから、
卒業までのジャズ三昧の毎日を、
延々と綴(つづ)ったお話なのですが、
その私が、
まさにジャズを始めたばかりの頃。
とある1枚のアルバムを聴いて、
私は大変な感銘を受けました。
そのアルバムとは、
『Carmen McRae / In Person』
(カーメン・マクレエ / イン・パーソン)

女性ジャズ・ヴォーカルの巨匠、
「カーメン・マクレエ」が、
65年にシカゴのジャズ・クラブで録音した、
ライブ盤なのですが、
その冒頭の、
『SUNDAY(サンデイ)』
という曲のイントロを聴いて、
ガ〜〜ン!
なんと小気味よいピアノ・トリオの演奏。
そして、
そんな、粋なトリオをバックに、
豪快にスイングするカーメンこそ、
これぞ、ジャズ・ヴォーカル!
これぞ、ジャズ・ヴォーカルの女王!!
2曲目の『What Kind Of Fool Am I ?』
というバラードでは、
切々と、情感たっぷりに歌い上げ、
続く『A Foggy Day』では、
快速テンポで、
自由奔放なアドリブを混ぜながら、
リスナーに息をする間も与えない。
そして、
このアルバムの白眉とも言える、
『I Left My Heart In San Francisco』
(思い出のサンフランシスコ)
トニー・ベネットのオリジナルをも、
凌駕するのではないかと思われる、
カーメンの圧倒的なヴォーカルと、
それを支えるピアノ・トリオ…。
♪♪♪
いやあ、
あまりの素晴らしい歌と演奏に、
私は、しばし呆然としてしまいました。
とりわけ、
絶妙なバッキングで、
カーメンを支える「ピアニスト」のプレイは、
私が憧れていた、
まさに、これぞ、
「歌伴(うたばん)のお手本」
……。
それが、
ノーマン・シモンズでした。
それ以来、このアルバムは、
私のバイブルとなってしまいました。
ああ、どのくらい聴いたでしょうか…。
来る日も、来る日も、
このアルバムから聞こえてくる、
カーメンのうねるようなグルーヴに酔いしれ、
ノーマン・シモンズの、
見事なバッキングに、
ただただ感心するばかりの毎日。
(上手いなあ…)
そして、
中本マリさんをはじめとする、
ジャズ・ヴォーカリストのバックで、
ピアノを弾くときは、
この、ノーマンのピアノを思い浮かべながら、
自分なりに、
切磋琢磨していたわけです。
♫♫♫
時は流れて、
私も社会人。
『ジャズまくり時代』でも書いたように、
ジャズ・ピアニストになる夢は捨てて、
アルファという会社で、
「レコード・プロデューサー」
の道を歩み始めていた私でしたが、
そんなある日…、
なんと私は、
このノーマン・シモンズさんと、
運命的な出会いをすることになるのでした。
ああ、
思い出しても胸がときめく…。
……。
(つづく)
今年は、
例年に比べて、
冬の到来が早いような気がしませんか?
寒いのが苦手な私ですから、
もう少し秋を楽しんでいたかったな…。
……。
でも、冬といえば、
まさに「ジャミン・ゼブ」の季節です。
「九段会館」のセット・リストも決まり、
メンバーの猛特訓も始まりました。
まさに『X'mas Fantasy』
のタイトルにふさわしい中身だと思います。
さらには…、
おっと、それ以上言うと、
楽しみが半減するので、
きょうはこのくらいで。
……。
さ、明日は遠征だ。
朝が早いので、
今宵は深酒禁止。
タバコもやめようかな…。
(けっこう、真面目に考えてます。)
ううむ…。
………。
SHUN MIYAZUMI
November 15, 2009
ジム・ホール
『ジム・ホール』という、
ジャズ・ギタリストがいます。

Jim Hall(1930〜)
ビ・バップの昔から今日まで、
センス抜群のプレイを聞かせる、
白人ジャズ・ギターの大御所ですが、
学生時代、
私が彼の演奏を聞いて、
腰を抜かすほどビックリしたのが、
あの、ビル・エヴァンスと共演した、
有名な2枚のアルバムでした。
そのアルバムとは、
『Undercurrent(アンダーカレント)』
『Intermodulation(インターモデュレーション)』
ロマンチックかつ優雅なプレイで、
今なお絶大な人気を誇る、
名ピアニストのビル・エヴァンスと、
これまた繊細かつ知的なプレイで、
ビル・エヴァンスに真っ向勝負を挑んだ、
ジム・ホールとのデュオは、
まさに、最高の“名人芸”のぶつかり合い。
これぞ、
歴史に残る“名盤中の名盤”といっても、
差し支えないのではないでしょうか。
『Undercurrent』

「水面下に浮かぶ女性」という、
美しいモノクロのジャケットも、
話題になりましたが、
まずは1曲目の
「My Funny Valentine」
を聴いてみて下さい。
これぞ、究極のインタープレイ!
圧巻は、
エヴァンスがソロを取っているときの、
ジム・ホールのバッキングですね。
ベースのランニングと、
一拍ごとに目くるめく変化する、
内声の美しいコード・ワークを、
いっぺんにやってしまう。
まさに、
“神業(かみわざ)”とは、
このこと。
『Intermodulation』

このジャケットも好きだなあ。
二人の名人が、
絶妙のインタープレイを繰り広げているサマが、
軽妙に描かれている素敵なイラスト。
ここでも、1曲目の
「I've Got You Under My Skin」から、
いきなり二人の演奏に引き込まれていきます。
選曲がポップなので、
ジャズ初心者の方は、
こっちのアルバムから入ったほうが、
いいかもしれませんね。
ま、なにはともあれ、
この2枚のアルバムを聴くと、
いつも私には、
いろんなシーンが浮かんできます。
まるで、美しい映画を観ているような…。
あるいは、
人生の節目、節目の素敵な出来事が、
目の前に浮かんで来るような…。
本当に、素晴らしいアルバムです。
たった、二人だけで、
こんな感銘を与えられるとは…。
そして、
ともすれば、
ビル・エヴァンスの華麗な名声に、
隠れがちですが、
ジム・ホールという、
こんな凄いギタリストがいたんだなあと、
(おっと、まだ現役でしたね…。)
きっと、おわかりいただけると思います。
みなさんも、
ぜひ聴いてみてください。
♪♪♪
とまあ、普通のブログなら、
これで終わるところでしょうが、
このブログの読者のみなさんは、
そんな“オチ”のない終わり方では、
許してくれそうもありませんね。(笑)
ということで、
最後は、このジム・ホールさんにまつわる、
ちょっとした小話を…。
と言っても、
ご本人には、
なんの関係もありませんが…。
それは、
『夏の6週間』の話から、
何年か経った頃。
あのY田君に代わって、
当時、伊東ゆかりさんのマネージャーをやってた、
K村君から聞いたお話。
あ、またゆかりさんの登場です。
(シ〜〜〜ッ)
ある日のこと。
仕事で福岡に向かう飛行機のなかで、
伊東ゆかりさんは、
あのジャズ・シンガー、中本マリさんと、
バッタリ遭遇。
(中本マリさん。
そういえば、もう一年になりますね。
ジャミン・ゼブとの競演。
私のおねえちゃんのような人。
何の事だかわからない方は、
2008エッセイ「中本マリさん」をどうぞ。)
ゆ「あら、マリちゃん、お久しぶり。
マリちゃんも福岡でお仕事?」
マ「そうなのよ。
これから福岡で、
ジム・ホールと一緒に、
コンサートがあるのよ。
ゆかりちゃんは?」
ゆ「あたしは、相変わらず、
ディナー・ショーよ。」
マ「あら、そう。
ねえ、もし良かったら、
コンサートが終わったあと、
一緒にお食事でもどう?」
ゆ「いいわねえ。
じゃ、仕事が終わったら電話するわ。」
マ「待ってるわー。」
てなことで、
福岡空港に到着後、
二人は別れた。
さて、ディナー・ショーが終わって、
楽屋で化粧を落としながら、
ゆかりさんは、
マネージャーのK村君を呼んで、
こう言いました。
(ちなみに、当時は、
まだ携帯電話の無い時代。)
ゆ「K村さん、悪いんだけど、
マリちゃんに電話してみてくれる。
彼女も、今日、福岡のどこかで、
コンサートやってるのよ。」
K「わかりました。
なんという会館でやってるんですか?
すぐに電話帳で調べますが。」
ゆ「ええと…、
なんて言ったかな、
あの会館…、
ええと…、
あのホール…、
なんとか言うホール…、
なんとかホール…、
ええと…、
……、
………、
そう、思い出したわ!
ジム・ホールよ!!」
お後(あと)の支度(したく)が、
よろしいようで。
(おわり)
アハハハ。
マリさんも、ゆかりさんも、
立派に「無責任党」で、
やっていけますよねえ。
(シッ、内緒ですよ、内緒…。)
……。
さて、私は、この一週間で、
新しい「クリスマス・ソング」を、
3曲も書きましたよ。
セット・リストを考えるのが楽しみです。
これは、
楽しい12月になると思います。
「ビタミンJ」欠乏症の方も、
いらっしゃるようですが、
もうしばらくのご辛抱です。
というわけで、
めっきり寒くなってきましたが、
みなさん、どうぞ、
ご自愛くださいませ。
(責任ある終わり方)
……。
SHUN MIYAZUMI
March 21, 2009
フィニアス・ニューボーンJr.
私が、
若い頃から、
ずっと、不思議に、思っていたこと。
それは…、
「フィニアス・ニューボーンJr.は、
なぜ売れなかったんだろう…?」
私から言わせれば、
「テクニック凄し!」
「スイング感抜群!」
「アドリブ、超カッコいい!」
と、三拍子揃った、
理想的な、素晴らしい、
“ジャズ・ピアニスト”なのに、
なぜか、
売れなかった…。
残念ながら、
今の若いミュージシャンでも、
その存在を知っているのは、
ごくわずかでしょう。
よほどのジャズ通や、
凄腕コレクターを除いては、
ほとんど「知る者無し」の、
伝説のピアニスト…。
これは、私にとっては、
「世界七大不思議」に入れても、
おかしくない出来事です。
(おおげさな)
ですから、
ここ数日、
このブログに寄せられた、
多くの女性たちからの、
「フィニアス観ました。カッコいい!」
「フィニアスの『Lush Life』しびれました。」
「フィニアス、のけぞりました。」
「フィニアス、いけてますねえ。」
といった、
数々の賛辞の投稿には、
本当に驚きました!
昔から、
数少ない「フォニアス信奉者」
を自認している私にとっては、
この上もなく、
嬉しい出来事でしたが…。
そして、
これによって、
長年にわたる、私の謎が、
ようやく解けました!
「彼は、
生まれて来るのが、
早すぎたのだ。」
(単純すぎないか)
<偉大なジャズメンたち・シリーズ>
『フィニアス・ニューボーンJr.』
Phineas Newborn Jr. (1931-89)

バド・パウエルを創始者とする、
いわゆる、
「ビー・バップ系」の名ピアニストで、
『Here Is Phineas』というアルバムで、
颯爽と登場したときは、
まさに、
「バド・パウエルの再来!」
と、騒がれたそうです。
しかし…、
商業的には、
多くの成功をおさめることは、
できませんでした。
同年代にデビューした、
やはり、
同じバド・パウエル系列にある、
他の名ピアニストたちは、
それこそ、各々が、
「ヒット・アルバム」
と言われる作品を持ち、
それを世に認められ、
後世にまで名を残す、
華々しい活躍をしたのに…。
トミー・フラナガン「Overseas」
レッド・ガーランド「Groovin'」
レイ・ブライアント「Golden Earrings」
ウィントン・ケリー「Kelly Blue」
ソニー・クラーク「Cool Struttin'」
ハンプトン・ホーズ「The Trio」
etc.etc.
ま、これらは、
「ジャズ・ピアノのバイブル」とも言うべき、
素晴らしい名盤揃いであることに、
間違いはありませんが、
が、
が…、
(くどい)
フィニアスが世に残した、
いくつかのアルバムが、
これらに劣るとは、
私には、
到底思えません。
そんな、フィニアス・ニューボーン。
不幸にも、
青年時代から、
精神障害で、
入退院を繰り返していたといいますから、
それも、
大いに影響したのでしょう。
加えて、
前述したライバルたちが、
次々と成功をおさめていくのを尻目に、
ちっとも人気が出てこないあせりも、
あったのかもしれません。
なにしろ、
強烈なテクニックの持ち主ですから、
全盛期には、
とあるジャズ・クラブで、
右手を高々と上げて、
「どうだ、俺の上手さを見ろ!」
とばかりに、
左手だけで、
超高速のブルースを、
延々と弾いてのけたそうですが、
こうしたことが、逆に、
みんなの反感を買ったとも、
言われています。
アルバムを発表しても発表しても、
売れない。
人気が出ない…。
そして晩年は、
ご多分にもれず、
彼もまた、
酒びたりとなり、
ついには、
精神障害に加えて、
アルコール中毒でも、
入退院を繰り返す。
……。
私は、
彼が死ぬ直前に発表した、
最後の「ソロ・アルバム」
も聴きましたが、
全盛期を知るものにとっては、
「それはそれは哀れ」
というしかない、
ひどいアルバムでした。
指はもつれ、
ミスタッチは相次ぎ、
「これが、あの、フィニアス…?」
と、思えるほどの、
信じられないような出来…。
最後は、
身も心も、
ボロボロだったのでしょう。
そして、そのまま、
58年の生涯を終えることに。
……。
つくづく、
不運な、
「薄幸の天才」と言わざるをえません。
しかし、
しかし…、
(くどい)
今もなお私は、
彼のピアノ・スタイルを、
心から崇拝しております。
彼の“ジャズ・ピアノ”は、
私の理想とするものであり、
私のなかでは、
永遠のアイドルなのです。
「ビバ、フィニアス!」なのです。
というわけで今日は、
「これからフィニアスを聴いてみよう」
という方のために、
私が推薦する、
3枚のアルバムをご紹介します。
(パチパチパチ)
いずれも、
1950年代後半から、
60年代の初めにかけて、
録音されたもので、
まさに、
フィニアスの絶頂期。
ぜひとも、
多くの方に聴いてもらいたい、
作品ばかりです。
在りし日の、
「フィニアス・ニューボーンJr.」の…。
1.『We Three(ウィー・スリー)』

名ドラマー、ロイ・ヘインズの、
リーダー・アルバムとなっていますが、
内容はまさに、
「Phineas Newborn Jr. Trio」
一曲目の『Reflection』から、
もうもう、あまりのカッコ良さに、
のけぞります。
せつないメロディー、
抜群のアドリブ・センス、
そして、しだいに、
マシンガンのような指さばきが炸裂!
時に豪快に、時に小気味よくスイングする、
フィニアスの魅力が、
これ一発で、おわかり頂けると思います。
『After Hours』
というスロー・ブルースも最高でした…。
2.『Here Is Phineas
(ヒア・イズ・フィニアス)』

ニューヨークは、セントラル・パークの、
池のほとりに佇む、若きフィニアス。
この美しいジャケットを眺めながら、
それこそ、擦り切れるほど聴きました。
一曲目の『Barbados』という、
チャーリー・パーカーのブルースから、
いきなり度肝を抜かれます。
コロコロと、猫が鍵盤の上で、
じゃれるような軽快なテーマ。
「おや、可愛い始まりだなあ。」
と、思いきや…、
しだいに、
彼のスーパー・テクニックが、
スーパー・インプロヴィゼーションが、
鍵盤狭しと疾走をはじめ、
最後は、強烈なブロック・コードが、
じゅうたん爆撃のように、
「ダダダダダダダー」
と襲ってくる。
まいりました…。
3.『A World Of Piano
(ワールド・オブ・ピアノ)』

彼のスタイルを一言で言うと、
「ハードボイルド」
強烈なテクニックとスイング感で、
聴く者を圧倒する、
極めて男性的なピアノなのですが、
このアルバムには、
それが、最も顕著に表れています。
豪快かつ爽やかに疾走する、
スリリングな彼の演奏を、
聴き終わったあと、
「スポーツに汗を流した」
にも似た爽快感が残るのは、
私だけ…?
今、とあるブログで話題の、
「Lush Life」は、このアルバムに、
収められています。
♪♪♪♪♪
ああ、それにしても、
人生は非情だなあ。
上手くても駄目なのかなあ…。
いや、彼の場合は、
上手すぎたのかな…?
ああ、また、
解らなくなってきた…。
……。
SHUN MIYAZUMI
March 16, 2009
ビリー・ストレイホーン その2
一昨日「丸の内オアゾ」で、
ある、ジャミン・ファンの女性から、
「フィニアス・ニューボーンの動画、
You Tubeで観ましたよ。
すごいカッコいいですね〜。」
と言われ、ビックリ!
メカ音痴の私は、
まだそれを観ることはできませんが、
この世に、
そんなものが存在するということを知って、
本当に嬉しくなってしまいました。
動いてるフィニアスなんて、
まったく、見たことありませんから…。
「フィニアス・ニューボーンJr.」
およそ“テクニック”ということにかけては、
あの、オスカー・ピーターソンをすら、
凌駕するだろうと思われる、
強烈な、極めて男性的な、
ジャズ・ピアニスト。
若い頃から、
彼の10数枚に及ぶアルバムは、
ほとんど揃えるという、
熱狂的な「フィニアス患者」の私ですが、
彼もまた、
素晴らしい実力を持ちながら、
ついに名声を勝ちとることのできなかった、
悲劇の天才プレイヤーです。
今では、
よほどのジャズ好きのおっさん以外は、
おそらく、誰も知らない存在、
なのではないでしょうか…。
ですから、
前回のエッセイを書いた後、
何人かの女性のコメントの中に、
「フィニアス・ニューボーン」
の名前が出て来たときには、
同様の嬉しさを覚えたものです。
(フィニアスの名前を、
共有できるなんて…。)
ま、いずれ彼にも、
このコーナーにご登場願わねば、
と思っておりますが、
その前に…、
もう一人の不遇の天才、
「ビリー・ストレイホーン」と、
名曲『Lush Life』のお話の続きを、
「一世一代の恥」とも言うべき、
私の失敗談を交えて、
お話ししておかねば…。
あ〜あ…。
<偉大なジャズメンたち・シリーズ>
『ビリー・ストレイホーン その2』
Billy Strayhornの名曲、
『Lush Life(ラッシュ・ライフ)』
を、初めて知ったのは、
私が、大学生のときでした。
かつて『ジャズまくり時代』
というエッセイにも書きましたが、
その頃の私は、
六本木や赤坂に、
「ジャズのお勉強」と称して、
毎夜毎夜出没する、
いけな〜い大学生でした。
そんなある日のジャズ・クラブで、
私が師と仰ぐ、
名ピアニストの菅野邦彦さんが、
突如、この曲を弾き始めたのです。
それは、
この世のものとは思われぬほど、
美しいバラード。
そして、
鳥肌が立つような、
官能的な演奏でした。
「く〜〜、俺も、この曲弾きたい。」
さっそく、譜面を手に入れた私は、
身の程知らずにも、
この曲の猛特訓を開始したのです。
が…、
全然、面白くならない。
まったく、サマにならないのです。
「フィニアス・ニューボーンJr.」
のレコードも聴いてみましたが、
全然、あんな雰囲気にならない。
コードも、メロディも、
なに一つ間違ってないのに、
私の弾くそれは、
まったくの別物。
てんでお話にならない代物。
(……。)
私は悟りました。
「これは、未熟な若僧に弾ける曲ではない。
もっと人生経験を積んで、
人間的に熟したら、
もう一度挑戦しよう…。」
そう諦(あきら)めて、
いったんお蔵入り。
そして、25才くらいのとき、
再び挑戦したのですが…、
やっぱり、
つまらない。
(なんだかなあ…。)
さあ、30才になりました。
「そろそろ、上手く弾けるのではないかな。」
そんな、淡い希望のもとに、
再度、この譜面を引っぱりだしたのですが、
またまた、惨敗。
(くそ、この未熟者め…。)
こうして、
「挑戦してはお蔵入り」
を繰り返していた私ですが…、
35才にもなろうかという、
ある日のこと。
久しぶりに、
この曲を弾いてみたところ、
なんか、しっくり行くんですね。
弾いていて、
実に気持ちがいい。
我ながら、
“美しい”と思えるような演奏が、
出来ているような、
そんな気がしたのです。
ゆったりとしたテンポも自由に操れ、
メロディもコードも、
雰囲気も、ダイナミクスも、
思うがままに、
しっくりと演奏出来ている…。
指先と精神が、
ついに一体になった気がしたのです。
「ヤッタ〜、ヤッタ〜、ヤッタ〜!!」
私は、部屋中を飛び跳ねました。
「ついに、この曲をマスターしたぞ。
ウシシシ。」
そんな頃です。
とある結婚式に参列した私は、
「なにか、
ピアノを1曲演奏してくれませんか。」
という依頼を受けました。
もちろん、私が選んだのは、
この覚えたての、
『ラッシュ・ライフ』
♪〜〜〜〜〜〜〜♪
ま、満足のいく出来栄えだったでしょうか。
たくさんの拍手をいただき、
意気揚々と、
テーブルに戻る私。
何度も言うようですが、
この曲は、
ドラマチックな展開が何度もあって、
「コンサート効果」も抜群なんですね。
こうした、
晴れやかな席にも、
ピッタリ合うと信じて疑わない私は、
その後も、
こうした結婚式の披露宴で、
何度か、この曲を演奏しました。
調子に乗って。
そんな、ある日のこと…。
やはり、後輩の結婚式に呼ばれた私は、
スピーチとピアノ演奏を、
ダブルで依頼されたのです。
ピアノ演奏は、
『ラッシュ・ライフ』に決めてましたが、
こうした、お固い席で、
「スピーチ」というのは、
どうも苦手な私。
考えがまとまらないのに、
無情にも順番がやってきて、
司会者から紹介を受けた私は、
「ええい、どうなってもいいや。」
とばかりに開き直り、
こんなことを、
ペラペラと喋り始めたのです。
「ええ…、これから弾く曲は、
『ラッシュ・ライフ』という曲です。
ラッシュ・アワーのあの‘ラッシュ’ですね。
慌ただしく殺到するという意味でしょうか。
ま、これを拡大解釈すると…、
人生は慌ただしい。
あっと言う間に終わってしまう。
たから、一日一日を大事に、
今このひと時を大切にしましょう。
そんな教訓があるんですねえ。
きょうは、新郎新婦のお二人に、
そんな気持ちと願いを込めて、
この曲を演奏したいと思います。」
そして、演奏…。
♪〜〜〜〜〜〜〜♪
拍手喝采。
参席者のみなさんの笑顔、
感心したようなため息、
笑顔、拍手、笑顔、拍手…。
自分のテーブルに戻っても、
あちこちから賞賛の声は、
鳴り止まぬ。
「いやあ、良かったですよー。
感動しました。」
「あ、そうですか。それはどうも…。」
と、ポリポリ頭をかく私。
「ほんと、素敵だったわ〜。
お話も、お上手だこと。」
「いや、まあ、それほどでも、
あははは。」
と、照れ笑いの私。
と…、
そこへ、
品のよさそうな、
一人の初老の紳士が現れて、
「あなたねえ。
あれ、全然、意味が違いますよ。
間違っても、
おめでたい結婚式で演奏するような曲じゃ、
ありませんよ。」
こう冷たく言い放って、
立ち去った。
(シラ〜〜〜〜)
でも…、
「もしや」と思い、
家に帰った私は、
すぐに英和辞典を開いてみました。
すると…、
あろうことか私は…、
LとRを間違えていたんですね。
(タラ〜〜〜〜〜)
私が喋ったラッシュ・ライフは、
「Rush Life」
でも、この曲の本当のタイトルは、
「Lush Life」
そして、「Lush」とは、
「飲んだくれ」「酒びたり」「放蕩」
そんな意味だったのです。
(サオマツ…)
「穴があったら入りたい」
とは、このことです。
いやあ、
私のほうこそ、
いい教訓になりました。
いろんな意味で。
もちろん、
結婚式で、この曲を弾いたのは、
このときが最後です。
……。
さて、ビリー・ストレイホーン。
彼の父親は、
飲んだくれの、貧しい工場労働者で、
幼い頃からビリーは、
虐待を受けたと言います。
18才のときの彼は、
そんな父親に皮肉をこめて、
こんな曲を作ったのでしょうか…?
成人してからも、
同性愛が認められなかった時代に、
ホモ・セクシャルという理由で、
世間から迫害を受けたそうです。
また、音楽家になってからも、
結局は、
デューク・エリントンの一書生として、
彼のポケット・マネーで生計をたてるという、
不遇の人生…。
そして、ついに、
彼が望むほどの富と名声を、
得ることはできませんでした。
あれだけの才能を持ちながら…。
そして、
彼自身も、
いつしか、酒とタバコに溺れ、
食道がんで、
51才という短い生涯を終えるのですが、
それは、図(はか)らずも、
18才の時に書いた、
『Lush Life(飲んだくれ人生)』
を、実践してしまうことになりました。
深い曲です。
人生の美しさと哀しさを併(あわ)せ持った、
素晴らしいバラードです。
おそらく、私にとって、
「これで完璧だ!」
などという演奏は、
望むべきもないのでしょうが、
完成しないまでも、
ずっとずっと、
愛し続けていきたい曲であることに、
間違いはありません。
未熟でもいい。
ウィスキーの水割りを飲みながら、
気の合う仲間たちの前で、
いつまでも演奏し続けていきたいなあ、
そう思える曲です。
そんな私も、
また、
『Lush Life』
……。
SHUN MIYAZUMI
March 11, 2009
ビリー・ストレイホーン
たまには、
真面目に(?)
ジャズの話でもしようかな…。
こう見えても、
一応、音楽屋のブログですからね。
みなさんの「脳細胞」を、
これ以上損傷させるのも忍びないし…。
さてさて、
このブログの左上、
『カテゴリー別アーカイブ』の中に、
‘偉大なジャズメンたち’
というコーナーがありますね。
これは、
「かつて、幸運にも私がお会いしたことがある」
あるいは、
「その人から多大な影響を受けた」
あるいは、
「すごい人なのに、あまり知られていない」
「もっともっと評価されていい」
そんな、私なりの偉大なジャズメンを、
取り上げてみようと、
設けたコーナーなのですが、
きょうは、久しぶりの登場です。
たまには真面目な音楽話もしないと、
いけないと思いまして。
いいのかな…?
いいですよね…?
ね…。
<偉大なジャズメンたち・シリーズ>
『ビリー・ストレイホーン』
Billy Strayhorn(1915-67)

デューク・エリントン楽団の、
テーマ・ソングとして、
あまりにも有名な、
『Take The ‘A’ Train』(A列車で行こう)
ジャミン・ゼブも、
結成当初から唄わせていただいてる、
名曲中の名曲ですが、
実はこれ、
デューク・エリントン御大の曲ではなく、
ビリー・ストレイホーン
という作曲家の作品なんですね。
インターネットで調べてみると、
この、
「ビリー・ストレイホーン」という人…。
黄金期のエリントン楽団に、
数々の楽曲を提供した、貴重な作曲家であり、
アレンジャー。
ときには、御大に代わって、
ピアノを弾いたり、
ショーやラジオ番組の音楽監督も務めた、
と言いますから、
エリントンや楽団にとっては、
きわめて重要な人物であったことが、
わかります。
『Chelsea Bridge(チェルシー・ブリッジ)』
という曲も大好きだし、
一説には、
『Satin Doll(サテン・ドール)』
『C-Jam Blues(Cジャム・ブルース)』
といった、有名なエリントン・ナンバーも、
彼の作品と言われています。
しかし…、
今もなお、
「ジャズの歴史」に燦然(さんぜん)と輝く、
デューク・エリントンさんの、
華やかな名声に比べると、
彼のそれは、
ほとんど‘‘無名”に近いもの、
と言わざるを得ません。
なんとなく、
「エリントンの影武者」的な、
不遇な人生を送った、
『孤高の天才』
といった印象を、
ぬぐい去ることができません。
でも…、
私のなかでは、
ビリー・ストレイホーンという存在は、
あの一曲だけで…、
そう、“あの一曲”だけで、
永遠に不滅なのです。
その曲とは、
『Lush Life(ラッシュ・ライフ)』
……。
なんという味わい深い曲でしょうか…。
静かな佇(たたず)まいの中にも、
人生の、様々な人間模様(もよう)が、
万華鏡のように、
出ては消える…。
美しくも哀しい人間模様が…。
こんなドラマチックな、
スケールの大きなバラードは、
ちょっと類がありません。
ベートーヴェンやブラームスの、
晩年のピアノ曲と比べても、
なんら引けをとらない、
深い感動と美しさにつつまれた、
名曲です。
そんな、
『Lush Life(ラッシュ・ライフ)』
ナット・キング・コールも、
愛唱していたといいますし、
有名な、
ジョニー・ハートマン(Vo.)と、
ジョン・コルトレーン(T.Sax)
が共演したアルバムでも、
聴くことができますので、
興味のある方は、
ぜひ聴いてみて下さい。
そうそう、
私の大好きなピアニスト、
「フィニアス・ニューボーンJr.」も、
『A World Of Piano』
という名盤のなかで、
素晴らしい演奏を聴かせてくれますよ。
これもぜひ!
(これらは、今でも、
容易に手に入れることができます)
そして…、
僭越(せんえつ)ながら私も、
この曲は、
今でも、好んで演奏しております。
身の程知らずにも…。
ま、とにかく、
最初のヴァースの一音目から、
いきなり、ニューヨークの摩天楼に、
瞬間移動したかのような、
そんな錯覚に、
私は陥(おちい)ります。
そして、
次から次へと襲ってくる、
ドラマチックな展開に、
演奏中、
感動のあまり、
思わず涙が出ることも、
しばしば、あるのです。
テクニックというよりは、
高いレベルの表現力が必要な曲なので、
大変な集中力が必要ですが、
だからこそ、
うまく演奏できたときの快感は、
また格別です。
なんとも言えない、
達成感があります。
いやあ、
すごい楽曲ですわ。
もちろん、こんな、おっかない曲、
「人生の絵巻物」のような、
とんでもない曲。
若い頃は、
まったく弾けませんでした。
メロディもコードも、
わかっていながら、
表現が追いつかない。
全然、サマにならない。
あまりに、人間が未熟で…。
でも…、
こうして年をとればとるほど、
なんとなく、
どんどん“サマ”になってくるような、
そんな気がするから不思議です。
もちろん、
自己満足でしょうがね…。
でも、
驚くべきことに、
ビリー・ストレイホーンが、
この曲を書いたとき、
彼はまだ、
18才。
(……。)
ま、この事実だけでも、
彼が「真の天才」だということが、
わかりますね。
ああ、おっかない、おっかない。
そんなことも知らずに、
その昔私は、
大変な失態を、
演じ続けていたことがあるのですが、
ああ…、
思い出すだけでも、
恥ずかしい…。
(つづく)
これまで平気だったのに、
今年は私も、
「花粉症」の仲間入りでしょうか。
特に、今日はひどかったなあ…。
お目目うるうる真っ赤っか。
くしゃみ連発。
お鼻ぐしゅぐしゅ。
……。
あ、そうだ。
くしゃみで思い出した。
その昔、
「くしゃみ」まで、
バンド用語でやった、
馬鹿なヤツがいました。
(また、その話かよ)
これ、難しいですよ。
あまり、おススメしませんけど。
鼻を痛めそうですから。
こう、やるのです。
「ハ、ハ…、ハ……、ハ………、
ションハク〜〜〜〜〜〜!」
(おそまつ…)
SHUN MIYAZUMI
July 22, 2007
ハンク・ジョーンズ その2
ご心配おかけしましたが、
ようやく腰も治ったようです。
(そんな気がするだけですが…。)
ということで、
今週のライブ2連発、
7/26(木)「 代々木ナル 」
大好きな‘CHIHARU’との競演
7/27(金)「 学芸大 A'TRAIN 」
ミッドナイト・セッション
では、
いつも以上に、
‘腰ふり満開’
で臨みたいと思います。
スイングしなきゃ損損!
ということで、
お待ちしてますよー。
<偉大なジャズメンたち・シリーズ>
ハンク・ジョーンズ その2
デビューから半世紀以上も経った今なお、
精力的な演奏活動を続けている、
名ピアニスト、
ハンク・ジョーンズ。
さっき調べたら、
1918年7月31日生まれ、
となってましたから、
もうすぐ89才ですね。
しかし、
そのプレイぶりは、
「今のほうが、
若々しいんじゃないの?」
と思えるほど、
相変わらずエネルギッシュ。
恐れ入りました。
腰なんか痛めてる場合じゃない…:。
そして前回も書きましたが、
その参加したレコードの数も、
ジャズ・ピアニストとしては、
もうひとりの名人、
「トミー・フラナガン」と並んで、
史上最も多いのではないでしょうか?
とにかく膨大な数です。
そうそう、
トミー・フラガンと言えば、
こんな話を思い出しました。
私の友人のサックス奏者、
土岐英史(ときひでふみ)くんが、
ハンク・ジョーンズに会ったときの話です。
どんなセッションも、
どんな相手でも、
楽々とこなしてしまうハンクに、
土岐くんは、
「いったいあなたは、
何曲くらい知ってるんですか?」
という質問をしました。
するとハンクは、
平然と、
「そうだね、
10,000曲くらいは、
譜面を見なくても弾けるかな。
ANY KEY(エニー・キー)で。」
と答えたそうです。
ちなみに‘ANY KEY’とは、
12のKEY(調性)全部ということです。
CからBまで。
い、い、10,000曲…;?
しかもエニー・キーで…;?
私の場合だったら、
せいぜい数百曲…?
(そんなに知らないかも)
しかもエニー・キーだったら、
0(ゼロ)かもしれないなあ…?
土岐くんも、
さすがに驚いたそうですが、
彼はめげない。
「おそらく、これは誰も知るまい。」
という曲名をあげて、
「じゃ、もちろん○○という曲も、
知ってるんですよね?」
と、追い打ちをかける。
するとハンクさん、
何事もなかったように涼しい顔で、
「いや、さすがにその曲は知らないが、
おそらく、トミー・フラナガンだったら、
知ってると思うよ。」
「……。」
アメリカの、
エンターテインメント界の層の厚さと、
そのなかで、
ずっとトップでやってきたひとたちの、
並々ならぬ努力と凄さを、
思い知らされたような話でしたね。
さて、
そんな私も、
一度だけ、
このハンクさんに、
お会いしたことがあります。
80年代の半ば頃でしたか、
カシオペアを連れて、
ニューヨークに、
レコーディングで行ってた時のこと。
たまたまその日はオフだったので、
みんなで‘ヴィレッジ’というところへ、
ジャズを聴きに繰り出しました。
で、最初に腹ごしらえを兼ねて、
とあるレストラン・バーに入った。
そこに出演していたのが、
ハンク・ジョーンズ・トリオ。
小気味よくスイングする、
彼の軽やかなピアノを聴きながら、
美味しい食事(ほんとはマズかった)
と酒を楽しむ、
若き日のカシオペアと私。
そして、
ワン・ステージが終わると、
このハンクさん、
各テーブルのお客さん、
ひとりひとりに、
愛想良く挨拶回り。
「Welcome!(ようこそ)」
「Did you enjoy?(楽しかった?)」
「Have a good time!(楽しんでってね)」
そしてついに、
私たちのテーブルにやって来ました。
私たちは、
この大先輩に敬意を表して、
とりあえずナイフとフォークを置いて、
立ってお迎え。
するとこのハンクさん、
私の顔を見るなり、
ニコッと笑って、
渋〜い低音で、
こう言ったのです。
「OH! You look Jazz!」
(おお、お前、ジャズの顔してるな!)
すると、
カシオペアのキーボード向谷くんが、
つたない英語で、
「そ、そうなんです。
か、彼は学生時代、カレッジ・バンドで、
ジ、ジャズ・ピアノを弾いてたんです。」
と、すかさずフォロー。
しかしハンクは、
ニコニコ笑って、
片手でそれを制し、
「I know. I know.(わかってる。わかってる。)」
そして再び私の方を見て、
「You look Jazz!」
その後、
一通り挨拶回りをすませると、
このハンク・ジョーンズさんは、
私のとなりの席に戻って来て、
「日本のジャズはどうなってる?」
とか、
「サダオ・ワタナベは元気か?」
などなどと、
楽しそうに、
次のステージまで、
ずっと話し込んで行ったのです。
嬉しかったですねえ。
これ、
自慢話のように聞こえたら、
大変申し訳ないのですが、
私にとっては、
‘宝物’にも等しい、
大切な思い出話です。
先日は、
101才にして、
今だに毎晩飲み歩いてる、
元気な爺さんの話を書きました。
(「あっと驚くタメゴロ〜」)
このハンクさんも、
100才を超えても、
元気に弾きまくってるんじゃ、
なかろうか…。
そんな気がしてきましたね。
でも、こうなったら、
‘ギネス’をめざして頑張れ、
と言いたいところ。
こうして、幸運にも、
有名な「ジョーンズ3兄弟」のうち、
長男のハンクさん、
次男のサドさん、
には、
お会いすることができた私ですが、
こうなりゃ、
末弟のエルヴィン・ジョーンズさんにも、
お会いしたかった…。
(2004年に他界)
もっとも、
今の私を見たら、
間違いなく彼は、
こう言うでしょうね。
「OH! You look Woody Allen!」
(おお、お前、ウディ・アレンの顔してるな!)
(おわり)
今回のシリーズはこれで、
とりあえずひとくくり。
また折りをみて、
こうしたジャズメンの、
よもやま話を、
私らしく書いてみたいと思ってますので、
そのときはまた、
よろしく、
で、ございます。
なお、かつて書いた、
「エロール・ガーナーの思い出」
というお話を、
この「偉大なジャズメンたち」
というカテゴリーにも入れておきました。
‘まだ’の方は、
どうぞご覧になってください。
それにしても、
老人パワー。
すごいです…。
負けちゃいられまへんな、
こりゃ……。
SHUN MIYAZUMI
July 15, 2007
ハンク・ジョーンズ
やっちゃいました…。
ギックリ腰…。
これで、通算3度目。
MLBオールスター戦で、
イチローが打ったランニング・ホームランに、
思わず興奮。
「行ったあ〜〜!」
と、勢い良く立ち上がった瞬間に、
ギクッ…。
ところが幸いにも、
わが陣営に、
「鍼灸師」の免許を持つスタッフがいて、
翌日‘鍼’をやってもらったところ、
かなり良くなりました。
(かつて「名古屋ケントス」というエッセイで、
私に、得意満面で「ひつまぶし」を食わせた、
あの丹羽くんです。)
ま、とにかく私は、
腰をやられると、
完全にお手上げ。
ピアノも弾けないし、
座ってアレンジをするのもつらい。
ということで、
途方に暮れかかったのですが、
助かりました。
丹羽くん、ありがとう。
でもまだ完治したわけじゃなく、
油断は禁物。
(実はまだ、長く座っているとつらいのです。)
来週も忙しいですからね。
がまん、がまん…。
というわけで、
この週末はおとなしくしてます。
台風も来てることだし。
さて、前回まで、
熱く熱くサド・メルを語ったついでに、
(‘ついでに’と言ってはなんですが)
そのサド・ジョーンズのお兄さん、
「ハンク・ジョーンズ」のお話を、
きょうは、
してみたいと思います。
<偉大なジャズメン・シリーズ>
ハンク・ジョーンズ
(1918〜 )

ビ・バップ全盛の頃から今日まで、
精力的な演奏活動を続けている、
名ピアニストです。
サドのときにも書きましたが、
このハンクは、
有名な「ジョーンズ3兄弟」の長男。

次男があの、
サド・ジョーンズ
(1923〜86)

そして末弟が、
ジョン・コルトレーン・
カルテットのドラマー、
エルヴィン・ジョーンズ
(1927〜2004)
いやあ、改めて、
凄いブラザーズですよ、
これは。
ルックスは、
あまり誉められた兄弟ではありませんがね。
アハハハ。
でも、
音楽家としては、
3人とも、
ジャズの歴史に燦然と輝く存在です。
そして、
下のふたりが早々と世を去ったのに、
この長男のハンクだけが、
88才にしていまだ健在。
(もうすぐ89才…?)
先日、
私の友人の音楽プロデューサー、
伊藤八十八(やそはち)さんのオフィスで、
彼が主宰するレーベル、
「88(エイティ・エイト)レーベル」
(まんまやないか)
のアーティスト、
「ティファニー(Tiffany)」
という女性ジャズ・シンガー、
の新譜を聴かせてもらいました。
ピアノが、このハンクさん。
いやあ、
「これが90近い爺さんのプレイかよー。」
とビックリするような、
若々しい、
エネルギッシュなピアノを、
弾いてましたね。
1918年生まれというと、
私の父(1999年に他界)
と同い年ですからね。
驚きました。
敬服の極みです。
でも、
もともとこの人は、
リーダーになって、
がんがんバンドを引っ張る、
といったタイプではなく、
どちらかというと、
人のバックに廻って、
小気味よくサポートをする、
といった、
職人芸を聴かせるのが持ち味。
どちらかというと、
‘通’好みの、
渋い存在ですかね。
一度だけ、
お会いしたことがあるのですが、
やはり、
人柄も実に温厚でした。
とにかく、
唄の伴奏なんか、
実に上手い!
したがって、
参加したレコードの数も、
ハンパじゃない。
同類のピアニストで、
やはりこれも‘名人’の誉れ高い、
「トミー・フラナガン」と並んで、
史上もっともたくさん、
レコード・ジャケットに名前が載った、
ピアニストではないかと思います。
評論家ではないので、
詳しいことはわかりませんが…。
そういえば、
それにまつわる、
面白い話があるのですが、
ちょっとまた腰が痛くなってきたので、
それは次回に…。
(つづく)
そういえば、
最近忙しさにかまけて、
ちっとも運動してませんでした。
そのせいでしょうか。
このギックリは…。
腰が治ったら、
また「駒沢公園」でも、
歩かなくちゃ。
でも、
これから暑くなるし…。
あっ 痛ッ…。
まいったな…。
……。
SHUN MIYAZUMI
July 08, 2007
サド・ジョーンズ & メル・ルイス・オーケストラ その4(最終回)
7/4(水)の「代々木ナル」
にお越しのみなさん、
ありがとうございました。
久しぶりに大人なムード。
ちゅうまけいこさん、
素敵でした。
また、やりましょう!
7/6(金)は「秋葉原・初音鮨」
jammin' Zeb のライブ。
定員50人と聞いていたのですが、
なんと80人ものお客さんで、
カウンターの中までギッシリ。
これがほんとの、
‘すし詰め’
……。
おっと失礼。
なにはともあれ、
最後まで盛り上げていただき、
本当にありがとうございました。
また、お会いしましょう!
そしてきのうは、
ジャミンのレコーディング。
というわけで、
きょうは、
いささかグッタリ・ムード、
ではありますが、
元気よく、
サド・メル話の最終回、
といきましょう。
<偉大なジャズメンたち・シリーズ>
サド・ジョーンズ & メル・ルイス・オーケストラ その4
(最終回)
私が‘最高のジャズ’として、
今なお敬愛してやまない、
サド・メル楽団。
(正式には、
THAD JONES・MEL LEWIS / JAZZ ORCHESTRA )
その最盛期、最強メンバーの、
『 VILLAGE VANGUARD 』における、
2枚のライブ・アルバム(67年、68年)が、
日本においてCD化されていないのは、
かえすがえすも残念ですが、
幸いなことに、
ほぼ同時期に制作された、
素晴らしいスタジオ録音盤が2枚あって、
どうやらこれはCD化されているようです。
ライブの熱気こそ無いものの、
録音も素晴らしく、
今聴いても、
「これが40年近くも前の作品…?」
と感心させられてしまいます。
1枚目は、
『 CENTRAL PARK NORTH 』(69年)

「セントラル・パーク・ノース」
(セントラル・パーク公園の北側)
とは、すなわち、‘ハーレム’のこと。
タイトルも粋だなあ…。
この時期、早くも、
ロック・ビートを取り入れた曲もあったりして、
サド・ジョーンズの並々ならぬ創作意欲、
がうかがえます。
特に、
『 Quietude 』という優雅な曲の、
ローランド・ハナのピアノ・ソロは絶品!
もう1枚は、
『 CONSUMMATION(極点)』(70年)

堂々たる風格の作品で、
超一流レストランでのディナーのような、
高級感を味わうことができます。
有名なサドのオリジナル、
『 A CHILD IS BORN(誕生)』は、
これが初演…?。
さて、
前回も書きましたが、
70年代の半ばくらいから、
この偉大なバンドにも、
翳りが見えてきます。
相つぐ主力メンバーの脱退により、
しだいにその質が低下。
そして、あろうことか78年には、
当のリーダーたるサド・ジョーンズが、
メンバーにひと言も告げずに退団。
単身デンマークに渡り、
そのままコペンハーゲンで、
86年に、
帰らぬ人となってしまいました。(享年63才)
もう一方のリーダー、メル・ルイスは、
残されたメンバーをまとめ、
『メル・ルイス・オーケストラ』
と改名して演奏活動を続けますが、
再びかつての輝きを取り戻すことは、
ありませんでした。
そして90年、
そのメルも、
これまた61才という若さで他界。
今では、
黄金期のメンバーの大半が故人…。
こうして、
「サド・メル」の名前は、
知る人ぞ知る、
‘伝説のバンド’として、
歴史の彼方に、
消え去ってしまいました。
悲しいことに、
今はその名前すら知らない、
ジャズ・ファンも多かろうと思います。
でも、
本当に素晴らしいバンドでした。
今日ご紹介した、
現在日本で入手できる2枚のアルバムを、
聴いていただければわかります。
特に、
これからジャズをやろうとする若者には、
なおさら聴いてもらいたい。
「あなたたちが生まれる前に、
もう、こんな凄いことをやってた人たちが、
いたんだよ。」
ということを、
知ってもらうためにも…。
ともあれ、
サド・ジョーンズのアレンジは、
今なお私の追い求める、
最高の‘アレンジ’であり、
最盛期のメンバーによるプレイの数々は、
今なお私の理想とする、
‘ジャズ演奏’であることに、
変わりはありません。
“ わがサド・メルは、永遠に不滅です。”
(ん?どこかで聞いたことのあるフレーズ…?)
と、
本来なら、
ここで終わるはずでした。
ところが最近、
私のお仕事のパートナー、
‘湯浅のショーちゃん’が、
インターネット上で、
とんでもない映像をみつけてきました。
たった3分ほどですが、
まさに最盛期のサド・メルをとらえた、
ライブ映像です。
わずか3分ですから、
ほんとにほんとに‘サワリ’、
ほんの‘片鱗’しか、うかがえませんが、
最盛期のサド・メルは、
ほとんど映像が残ってないので、
これは貴重です。
著作権上は違法なのでしょうが、
敢えてここに掲載します。
ひとりでも多くの方に、
私の熱い思いを、
届けたいという、
願いをこめて…。
というわけで、みなさん。
どうぞご覧になって下さい。
これが、
在りし日の、
『サド・ジョーンズ & メル・ルイス・オーケストラ』
です…。
SHUN MIYAZUMI
にお越しのみなさん、
ありがとうございました。
久しぶりに大人なムード。
ちゅうまけいこさん、
素敵でした。
また、やりましょう!
7/6(金)は「秋葉原・初音鮨」
jammin' Zeb のライブ。
定員50人と聞いていたのですが、
なんと80人ものお客さんで、
カウンターの中までギッシリ。
これがほんとの、
‘すし詰め’
……。
おっと失礼。
なにはともあれ、
最後まで盛り上げていただき、
本当にありがとうございました。
また、お会いしましょう!
そしてきのうは、
ジャミンのレコーディング。
というわけで、
きょうは、
いささかグッタリ・ムード、
ではありますが、
元気よく、
サド・メル話の最終回、
といきましょう。
<偉大なジャズメンたち・シリーズ>
サド・ジョーンズ & メル・ルイス・オーケストラ その4
(最終回)
私が‘最高のジャズ’として、
今なお敬愛してやまない、
サド・メル楽団。
(正式には、
THAD JONES・MEL LEWIS / JAZZ ORCHESTRA )
その最盛期、最強メンバーの、
『 VILLAGE VANGUARD 』における、
2枚のライブ・アルバム(67年、68年)が、
日本においてCD化されていないのは、
かえすがえすも残念ですが、
幸いなことに、
ほぼ同時期に制作された、
素晴らしいスタジオ録音盤が2枚あって、
どうやらこれはCD化されているようです。
ライブの熱気こそ無いものの、
録音も素晴らしく、
今聴いても、
「これが40年近くも前の作品…?」
と感心させられてしまいます。
1枚目は、
『 CENTRAL PARK NORTH 』(69年)

「セントラル・パーク・ノース」
(セントラル・パーク公園の北側)
とは、すなわち、‘ハーレム’のこと。
タイトルも粋だなあ…。
この時期、早くも、
ロック・ビートを取り入れた曲もあったりして、
サド・ジョーンズの並々ならぬ創作意欲、
がうかがえます。
特に、
『 Quietude 』という優雅な曲の、
ローランド・ハナのピアノ・ソロは絶品!
もう1枚は、
『 CONSUMMATION(極点)』(70年)

堂々たる風格の作品で、
超一流レストランでのディナーのような、
高級感を味わうことができます。
有名なサドのオリジナル、
『 A CHILD IS BORN(誕生)』は、
これが初演…?。
さて、
前回も書きましたが、
70年代の半ばくらいから、
この偉大なバンドにも、
翳りが見えてきます。
相つぐ主力メンバーの脱退により、
しだいにその質が低下。
そして、あろうことか78年には、
当のリーダーたるサド・ジョーンズが、
メンバーにひと言も告げずに退団。
単身デンマークに渡り、
そのままコペンハーゲンで、
86年に、
帰らぬ人となってしまいました。(享年63才)
もう一方のリーダー、メル・ルイスは、
残されたメンバーをまとめ、
『メル・ルイス・オーケストラ』
と改名して演奏活動を続けますが、
再びかつての輝きを取り戻すことは、
ありませんでした。
そして90年、
そのメルも、
これまた61才という若さで他界。
今では、
黄金期のメンバーの大半が故人…。
こうして、
「サド・メル」の名前は、
知る人ぞ知る、
‘伝説のバンド’として、
歴史の彼方に、
消え去ってしまいました。
悲しいことに、
今はその名前すら知らない、
ジャズ・ファンも多かろうと思います。
でも、
本当に素晴らしいバンドでした。
今日ご紹介した、
現在日本で入手できる2枚のアルバムを、
聴いていただければわかります。
特に、
これからジャズをやろうとする若者には、
なおさら聴いてもらいたい。
「あなたたちが生まれる前に、
もう、こんな凄いことをやってた人たちが、
いたんだよ。」
ということを、
知ってもらうためにも…。
ともあれ、
サド・ジョーンズのアレンジは、
今なお私の追い求める、
最高の‘アレンジ’であり、
最盛期のメンバーによるプレイの数々は、
今なお私の理想とする、
‘ジャズ演奏’であることに、
変わりはありません。
“ わがサド・メルは、永遠に不滅です。”
(ん?どこかで聞いたことのあるフレーズ…?)
と、
本来なら、
ここで終わるはずでした。
ところが最近、
私のお仕事のパートナー、
‘湯浅のショーちゃん’が、
インターネット上で、
とんでもない映像をみつけてきました。
たった3分ほどですが、
まさに最盛期のサド・メルをとらえた、
ライブ映像です。
わずか3分ですから、
ほんとにほんとに‘サワリ’、
ほんの‘片鱗’しか、うかがえませんが、
最盛期のサド・メルは、
ほとんど映像が残ってないので、
これは貴重です。
著作権上は違法なのでしょうが、
敢えてここに掲載します。
ひとりでも多くの方に、
私の熱い思いを、
届けたいという、
願いをこめて…。
というわけで、みなさん。
どうぞご覧になって下さい。
これが、
在りし日の、
『サド・ジョーンズ & メル・ルイス・オーケストラ』
です…。
SHUN MIYAZUMI
July 03, 2007
サド・ジョーンズ & メル・ルイス・オーケストラ その3
暑くなってきましたねえ。
しかし、
そんなもん、
ライブの熱気で吹き飛ばしてしまえ!
というわけで、
今週は2本のライブ。
7/4(水)は、
「代々木ナル」で、
大好きな美人シンガー、
『ちゅうまけいこ』
と競演。
7/6(金)は、
秋葉原「初音鮨」で、
男声コーラス・グループ
『jammin' Zeb』
ぜひ、ご一緒に、
暑気払い…!
(詳細は「最新ライブのご案内」を。)
さて今日も、
「もっと熱い男たち」
のお話。
<偉大なジャズメンたち・シリーズ>
サド・ジョーンズ & メル・ルイス・オーケストラ その3
このバンドは、
サド・ジョーンズの作・編曲が素晴らしい、
ということは言うまでもありませんが、
それに加え、
個々のプレイヤーの力量が、
ケタ違い!
例えば、
「カウント・ベイシー楽団」や
「グレン・ミラー楽団」
の譜面が、
ここにあるとします。
もちろん、
オリジナル・メンバーと、
‘全く’同じような、
素晴らしい演奏をすることは不可能ですが、
ちょっと優秀なプレイヤーが集まれば、
‘似たような’サウンドにはなりますね。
ところが、
「サド・メル」は、
そうはいかない。
アンサンブルはなんとかなっても、
ソロ(アドリブ)が違うのです。
ただ上手いだけではない。
‘名人の落語’を続けざまに聴かされてるような、
そんな味わいがある。
そしてみんな、
個性豊かで、
テクニックが凄くて、
熱い!
興味のない方にも、
ちょっと我慢していただくとして、
ここで全盛期の、
代表的なプレイヤーを挙げてみましょう。
トランペットでは、なんといっても、
「スヌーキー・ヤング」
ベイシー楽団のリード・トランペッターを、
長年に渡って務めた名手です。
アンサンブルでは、
強烈なハイ・ノートで
トランペット・セクションを引っぱり、
一方では、
古今亭志ん生の‘くるわ話’を思わせるような、
茶目っ気たっぷりの色っぽいソロで、
楽しませてくれます。
トロンボーンでは、
バルブ・トロンボーンの名手、
「ボブ・ブルックマイヤー」
驚愕のプレイヤー、
「ガーネット・ブラウン」
あたりが代表的。
特に「ガーネット・ブラウン」は、
前回ご紹介したアルバム、
『LIVE AT VILLAGE VANGUARD』の中の、
『A THAT'S FREEDOM』という曲で、
人間業とは思えないような、
すさまじいソロを吹いています。
サックス・セクションは、
ちょっと信じられないような顔ぶれですね。
アルトが、
クインシー・ジョーンズ楽団でも活躍した、
「ジェローム・リチャードソン」と、
「ジェリー・ダジオン」
テナーに、
後にモダン・クラリネットの分野で、
革新的なアルバムを発表し、
グラミー賞にも輝いた、
「エディ・ダニエルス」
ジョン・コルトレーンの後継者と言われた、
「ジョー・ファレル」
ファレルが抜けたあとにも、
これまた若手のホープとして話題になった、
「ビリー・ハーパー」
そしてバリトンに、
ハリー・カーネイ、ジェリー・マリガンと並んで、
3大バリトン・サックス奏者と言われている、
「ペッパー・アダムス」
最後に、
リズム・セクションが、
これまた凄い。
一方の旗頭、
「メル・ルイス」のドラムは、
‘スカッと爽やか’
‘決めバッチリ〜’
といった、
そんじょそこいらの、
‘ビッグ・バンド・ドラマー’
とは、ひと味もふた味も違う、
コンボとビッグ・バンドを混合させたような、
複雑かつシャープなサウンドを叩き出します。
この「メル・ルイス」の新しい奏法が、
このバンドのサウンドを、
他のバンドとは違う域にまで高めてる、
と言っても過言ではありません。
それから、
「あーた、
ひとりで半拍くらい先に行ってんじゃないの?」
というくらいのビートで、
ぐいぐいバンドを引っ張る、
強烈なベースの、
「リチャード・デイヴィス」
そして、
酌めどもつきぬ名人芸の味わいを聴かせる、
「ローランド・ハナ」
のピアノ。
この人は、
小編成のコンボよりも、
ビッグ・バンドに廻ったほうが、
ずっと面白い。
この辺の才能を見抜いて起用したあたりにも、
サド・ジョーンズの並々ならぬ嗅覚が、
うかがえます。
というわけで、
いささかマニアックになっちゃいましたが、
本当に凄い布陣です。
まさにオール・スター。
NBAバスケット・ボールの
「ドリーム・チーム」
も真っ青…。
そして、
こんな凄い連中を自由奔放に操る、
リーダー、
「サド・ジョーンズ」
の指揮ぶりが、
実にカッコいい!
「スマイリー小原」なんかより、
ずっとカッコイイ〜〜!!
(ん…。誰それ…?)
こうして一時期、
世界中のジャズ・ファンを湧かせた、
サド・メル楽団でしたが、
70年代の半ばあたりから、
しだいに翳りが見えてきます。
各人が、
‘バンド・リーダー’としても充分な、
実力派の連中ですから、
そのうち、
ひとり抜け、ふたり抜け。
その度に新しいメンバーを補充するものの、
やはり質の低下は否めません。
スター軍団のもろさでしょうね。
特に、
ピアノの「ローランド・ハナ」が抜けてからは、
私から見れば、
‘普通に上手いバンド’
に、なってしまいましたね。
そういう意味でも、
前回ご紹介した、
2枚のライブ・アルバムこそは、
まさに最盛期の、
最強メンバーによる、
夢の饗宴でした…。
これをCDにして発売しないとは、
何事だ!
文化的損失だ!
と私は言いたい。
なによりも、
早く出してくれないと、
私の持ってるアナログ盤が、
すり切れてしまうではないか…。
(つづく)
次回はいよいよ、
悲しい結末を迎える、
最終回です。
グシュン;。
SHUN MIYAZUMI
June 29, 2007
サド・ジョーンズ & メル・ルイス・オーケストラ その2
<偉大なジャズメンたち・シリーズ>
サド・ジョーンズ & メル・ルイス・オーケストラ その2
これは私見ですが、
私にとって‘最高のジャズ’とは、
次の4つの条件を満たしたもの、
を言います。
くどいようですが、
あくまで私見です。
1.強力にスイング(グルーヴ)する。
2.サウンド(ハーモニー)が斬新である。
3.インプロヴィゼーション(ソロにおける即興演奏)
が、クリエイティヴ(創造的)かつ熱い。
そして、
私にとってはこれが最も重要なのですが、
4.文句無く楽しい!
この「サド・メル・オーケストラ」が、
私にとって‘最高のジャズ’たる所以は、
まさにこの4条件をすべて満たしてるから、
なんですね。
しかもすべてが、
トップ・レベルの水準で…。
1965〜66年頃。
それまで月曜日はお休みだったはずの、
ニューヨークのジャズ・クラブ・シーンに、
突如出現した、
謎のビッグ・バンド。
老舗ジャズ・クラブ『ヴィレッジ・ヴァンガード』
の月曜の夜に繰り広げられる、
今まで聴いたことのないような、
強烈なバンドの演奏(サウンド)は、
あっという間に話題になり、
ニューヨークのジャズ・ファンは、
この‘MONDAY NIGHT’
に殺到したのです。


ここに掲載した2枚のアルバムは、
その時のライブを収録したもの。
その後10年近くにわたって、
世界のジャズ・シーンに君臨した、
この偉大なバンドの、
最盛期、最強メンバーによる熱い演奏と、
観客の熱狂ぶりが聴ける、
名盤中の名盤なのですが、
なぜか日本では、
CD化されておりません。
理由はわかりませんが、
「カウント・ベイシー楽団」や
「グレン・ミラー楽団」
のように、
リーダーはもとより、
メンバーが全員変わっていても、
いまだに演奏活動を続けているバンドと違って、
素晴らしいプレイヤーたちの、
‘個性’が創り出していた集合体であったこと、
その大半が故人となってしまったこと、
などにより、
「今更CDで出しても、
売れるんかね。」
というレコード会社の判断なのでしょうか。
だとしたら、嘆かわしい…。
当時、
この「サド・メル」に狂喜したのは、
ジャズ・ファンだけではありません。
日曜日の昼下がりには、
ニューヨーク最大の公園、
『セントラル・パーク』
にも、ときどきその勇姿を現し、
全盛期には、
なんと50万人もの人が熱狂した、
と言われています。
いくら無料とはいえ、
およそ‘ジャズ’というジャンルで、
50万人もの聴衆を集める…。
そんなバンドは、
もはや空前絶後でしょうね。
さて、
このバンドの魅力は、
大きくわけて、
2つあります。
ひとつは、
サド・ジョーンズの作品の素晴らしさ。
前にも書きましたが、
彼の作・編曲家としての才能は、
ベートーベンを代表とする、
クラシックの偉大な作曲家と比べても、
なんらひけをとるものではありません。
もうひとつは、
個々のプレーヤーの素晴らしさ。
今、この2枚のアナログ盤に記された、
メンバー・プロフィールを見ているのですが、
改めて、
「よくもまあ、
こんな凄いメンバーが揃ったことよ。」
と感心してしまいます。
ゆえに、
今聴き直しても新鮮かつ、
「これが40年も前の音楽か!」
と驚嘆してしまうほどの、
クォリティーなわけです。
……。
いかん、
ますます興奮してきた…。
(つづく)
さて、
今日、6/29(金)は、
2ヶ月ぶりに、
「学芸大 A'TRAIN」
ミッドナイト・セッションです。
偉大な先輩たちにあやかるべく、
熱い演奏になるといいなあ…。
お待ちしてます。
SHUN MIYAZUMI
June 25, 2007
サド・ジョーンズ & メル・ルイス・オーケストラ
いやあ、
忙しい一週間でした。
四国から帰ってから、
疲れをとる間もなく、
朝早くから夜遅くまで、
‘働きおじさん’の毎日。
で、きょうは久しぶりに、
待望のお休み、
ということで、
のんびり、
ブログの更新でも、
させていただきますか。
<偉大なジャズメンたち・シリーズ>
サド・ジョーンズ & メル・ルイス・オーケストラ

もし私が誰かに、
「あなたにとって、
最高の‘ジャズ’とは何(誰)ですか?」
と尋ねられたら、
私は迷わず、
こう答えると思います。
「それは、サド・メル です。」
1974年の春。
私の大学時代のサークル
「K大ライト・ミュージック・ソサエティ」
の卒業コンサートに、
あのサド・ジョーンズが来てくれたことは、
再三述べました。
実はあの翌日、
ところも同じ、
芝「郵便貯金ホール」では、
このサドがリーダーのビッグ・バンド、
「 サド・ジョーンズ & メル・ルイス・オーケストラ 」
(通称サド・メル)
のコンサートがあったのです。
もちろん私たちは、
全員揃って見に行きましたよ。
いやあ、凄かった…。
いまだかつて、
あれほど凄いジャズ・コンサートには、
お目にかかったことがありませんね。
あの時の感動と興奮は、
今も私のなかに、
強烈に残っています。
文句無く、
私の生涯ベスト・スリーに入る、
コンサートです。
カウント・ベイシー楽団の、
花形トランペッターとして、
名を馳せていたサドは、
一方で、
凄腕のコンポーザー&アレンジャー
としても有名な存在でした。
そして、
ベイシー楽団の仕事の合間を縫って、
新しい発想に基づく斬新な作品を、
せっせと書きためていたそうです。
ある日サドは、
それらの作品群を、
おそるおそる、
御大のベイシーさんに見せました。
しばらくの間、
それらのスコアに目を通していた
ベイシー親分は、
ため息まじりに、
こう言ったそうです。
「いや、実に素晴らしいよ、サド。
でも、こりゃうちのバンドじゃどうかな…。
これをやるには、
もっと若くて、
テクニックの旺盛なメンバーじゃないと、
無理じゃなかろうか…。」
あの、
天下のベイシー楽団をもってしても、
完璧な演奏は不可能と思われるほどの、
高い水準の作品群だったわけですね。
ベイシー楽団を退団した彼は、
この音楽を世に問うべく、
あらゆる方法を模索。
そしてついに、
友人でもある名ドラマー、
メル・ルイスと意気投合。
当時、ニューヨークで活躍していた、
名だたるプレイヤーを、
ごっそり集めて、
リハーサルにまでこぎつけました。
1965年頃のこと。
ただし、
みんなバンド・リーダー級の連中ですから、
なかなかスケジュールが合わない。
みんな生活かかってますもんね。
ところが、
幸いにも、
当時、
ニューヨークのジャズ・クラブは、
月曜日がお休み。
(今は知りません)
そこで、
月曜日に集まって練習。
そしてそのまま、
有名なジャズ・クラブの老舗、
「ヴィレッジ・ヴァンガード」
に出演したところ、
またたく間に、
ニューヨーク子のハートを、
ガッツリとらえてしまいました。
これが、あの、
歴史的な、
『MONDAY NIGHT』
伝説の、
はじまりでした…。
(つづく)
サド・メルの話を始めると、
一回じゃ済まないだろうな、
とは思ってましたが、
やはり…。
ジャズに興味の無い方には、
申し訳ないのですが、
ま、私にとっては、
神のような存在ですから、
次回も、
勝手に興奮させていただきますが、
なにとぞ、
ご容赦…。
SHUN MIYAZUMI
June 14, 2007
サド・ジョーンズ その2
6/11(月)をもちまして、
1年2ヶ月に及んだ、
恒例「 六本木 ALL OF ME CLUB 」の、
ピアノ・トリオ・ライブも、
ひとまず終了の運びとなりました。
最後にふさわしく、
本当にたくさんのお客さんが、
駆けつけてくださり、
感無量です。
グシュン;。
いつも歌いに来てくれた、
若手シンガーのみなさん、
常連の佐藤さん、
高校時代の学友のみなさん、
社長以下、
お店の従業員のみなさん、
ありがとうございました。
しばらく休憩したあと、
またなにか、
おっぱじめるつもりですので、
そのときはまた、
よろしく、
で、ございます。
さてさて、
前回から始めた、
「 偉大なジャズメンたち 」
シリーズ2回目。
サド・ジョーンズ その2
1974年の春。
私たちの卒業コンサートに来てくれた、
偉大なジャズメン&コンポーザー、
サド・ジョーンズ。

(おそらく、
サド・メル・オーケストラを指揮してるもの。
ガッツ石松ではありません。)
彼に会えただけでも幸せなのに、
その数週間後に発売された、
ジャズ専門誌
『 スイング・ジャーナル 』で、
彼によって書かれた、
このコンサートの感想文を読んでビックリ!
私は狂喜しましたね。
要約すると、
こんな内容です。
「先日、日本を代表する、
学生ビッグ・バンドの演奏を数曲聴いた。
正直、日本の学生ジャズ界の
水準の高さに驚いた。
特にリズム・セクションは、
世界的レベルだと思う。」
ビッグ・バンドにおけるリズム・セクションとは、
ピアノ、ベース、ギター、ドラム
のことを言います。
ということは…?
私も入ってるじゃありませんか!
お世辞とはいえ、
嬉しくないわけがありません。
大学4年当時、
私の両親は、
またしても父親の転勤で、
金沢にいました。
私は興奮気味に電話で、
このことを母に伝えました。
すると母は、
さっそく本屋に行ったそうです。
そして、
『 スイング・ジャーナル 』を見つけ、
そのページを一生懸命探した…。
ところが!
周りにいた若者たちが、
不思議なものでも見るかのように、
ジローっと母を眺めていたそうなんですね。
アハハ、
そりゃそうだ。
ネギとか、
大根とかが、
にょきっと出てる買い物袋を持った、
‘普通のおばさん’が、
こともあろうに、
ジャズ専門誌
『 スイング・ジャーナル 』を、
立ち読みしてる。
確かに、
ちょっと不思議な光景ですわね。
その若者たちは、
こう思ったでしょうね。
「 このオバハン、何者? 」
さすがに母も、
いたたまれなくなって、
そそくさと店を出たそうですが。
……。
ま、そんなことはさておき、
話をサド・ジョーンズに戻しましょう。
トランペッターとしても有名な彼ですが、
それにも増して彼の、
コンポーザー(作曲家)
アレンジャー(編曲家)
としての才能は、
今なお、
ジャズの歴史に燦然と輝く存在、
ではないかと、
私は思っております。
というより、
私から見れば、
ベートーベンやブラームス、
マーラーやバルトークやストラヴィンスキー、
などと比較しても、
決して劣るものではない。
ジャズに限っても、
わずかにデューク・エリントンくらいが、
比較対象かな、
と思えるほど、
それほど私は、
彼の音楽を崇拝しております。
その彼の才能が遺憾なく発揮されたのが、
あの伝説のビッグ・バンド、
『 サド・ジョーンズ & メル・ルイス・オーケストラ 』
通称、サド・メル。
次回は、この、
サド・メルの話を、
熱く語ってみたいと思います。
というより、
語らせて下さいな。
SHUN MIYAZUMI
June 08, 2007
サド・ジョーンズ
6/6(水)の「 代々木ナル 」
『 jammin' Zeb 』ライブにお越しのみなさん、
ありがとうございました。
予想をはるかに超えるお客さんの入りで、
立ち見を余儀なくされた方、
また今回も、
お断りをせざるを得なかった方、
大勢いらっしゃいました。
この場を借りまして、
深くお詫びを申し上げます。
今後、一人でも多くの方に、
ますます楽しんでもらえるよう、
ライブ・プランを
しっかり立てなくてはいかんなあ…。
と、大いに肝に銘じたところで、
きょうは、
新シリーズ
『 偉大なジャズメンたち 』
私の大好きな、偉大なジャズメンと、
それにまつわるエピソードなどを、
私らしく、
面白可笑しく書いてみたいと思います。
その一回目は、
『 サド・ジョーンズ 』
エッセイ「 ジャズまくり時代 」の最終回で、
私の学生生活最後の演奏会
「 K大ライト・ミュージック・ソサエティ 」
の卒業コンサートの写真を掲載しました。
1974年3月のことです。
場所は、
芝「 郵便貯金ホール 」
実は、この会場には、
ひとりの偉大なジャズメンが、
お客さんに混じって、
私たちの演奏を聴いていました。
その人の名は、
サド・ジョーンズ!
( Thad Jones:1923-1986 )
50年代には、
カウント・ベイシー楽団の名トランペッター、
兼、凄腕のアレンジャーとして大活躍。
その後コンボでもいくつかの名盤を残し、
66年に、あの伝説のビッグ・バンド
『 サド・ジョーンズ & メル・ルイス・オーケストラ 』
を結成。
全世界を興奮の渦に巻き込んだ、
偉大な偉大なジャズメンです。
このサド・ジョーンズ。
有名な「 ジョーンズ3兄弟 」のまん中。
お兄さんが、
名ピアニストのハンク・ジョーンズ
弟が、
ジョン・コルトレーン・カルテットのドラマー、
エルヴィン・ジョーンズ
まったくもって、
凄いファミリーですね。
折しも彼は、
この『 サド・メル(通称)オーケストラ 』
を率いて来日中であり、
そこを、
日本における友人で、
我がライト・ミュージックの名誉会長でもある、
牧田清志医学部教授が、
(「牧 義雄」というペン・ネームで、
ジャズ評論家としても有名 )
コンサート会場に連れて来た、
とまあ、こういうわけですね。
私たちは、
何も聞かされてなかったもんですから、
コンサートが終わって、
幕が下りたステージ上に突然、
彼が‘満面笑み’で現れたときは、
本当にビックリしました。
これはそのときの写真です。

画面向かって右端にボンヤリ写ってるのが私。
画面向かって、サドの左で大笑いしてるのが、
今も私のベースの相棒、河野秀夫氏。
ええい、もう一枚。

【拡大版】
画面向かって、
サドのすぐ右下にいる美少年(?)が私。
画面下のほうに牧田先生。
右のほうには、
やはりライトの先輩で、ジャズ評論家の、
いそのてるヲ氏と本多俊夫氏の姿が…。
それにしても、
私たちのアイドル、
憧れの、サド・ジョーンズさんは、
スターぶらない、
本当に気さくな人でしたね。
終始ご機嫌で、
我々一人一人に、
暖かい激励の言葉をかけてくださいました。
「良かったよ、良かったよ、ウンウン。」
さらに、
それから数週間後に発売された、
ジャズ専門誌
『 スイング・ジャーナル 』には、
このコンサートの感想記が、
彼によって書かれていたのですが、
そこには、
私(たち)を狂喜させるような内容が、
書かれてあったのです…。
(つづく)
さて、6/11(月)は、
六本木「 ALL OF ME CLUB 」にて、
ピアノ・トリオ・ライブです。
「 ライブのご案内 」にも書きましたが、
種々の事情により、
このライブは、
今回をもちまして、
しばらくお休みとします。
ということで、
最後にふさわしく、
ガンガン盛り上がるつもりです。
歌手のみなさんも、
どしどし歌いに来て下さいね。
ところで、
私の思い出の写真ときたら、
圧倒的にモノクロが多いですね。
もうカラーはあったと思うのだが…。
ううむ、
年を感じる…。
SHUN MIYAZUMI
『 jammin' Zeb 』ライブにお越しのみなさん、
ありがとうございました。
予想をはるかに超えるお客さんの入りで、
立ち見を余儀なくされた方、
また今回も、
お断りをせざるを得なかった方、
大勢いらっしゃいました。
この場を借りまして、
深くお詫びを申し上げます。
今後、一人でも多くの方に、
ますます楽しんでもらえるよう、
ライブ・プランを
しっかり立てなくてはいかんなあ…。
と、大いに肝に銘じたところで、
きょうは、
新シリーズ
『 偉大なジャズメンたち 』
私の大好きな、偉大なジャズメンと、
それにまつわるエピソードなどを、
私らしく、
面白可笑しく書いてみたいと思います。
その一回目は、
『 サド・ジョーンズ 』
エッセイ「 ジャズまくり時代 」の最終回で、
私の学生生活最後の演奏会
「 K大ライト・ミュージック・ソサエティ 」
の卒業コンサートの写真を掲載しました。
1974年3月のことです。
場所は、
芝「 郵便貯金ホール 」
実は、この会場には、
ひとりの偉大なジャズメンが、
お客さんに混じって、
私たちの演奏を聴いていました。
その人の名は、
サド・ジョーンズ!
( Thad Jones:1923-1986 )
50年代には、
カウント・ベイシー楽団の名トランペッター、
兼、凄腕のアレンジャーとして大活躍。
その後コンボでもいくつかの名盤を残し、
66年に、あの伝説のビッグ・バンド
『 サド・ジョーンズ & メル・ルイス・オーケストラ 』
を結成。
全世界を興奮の渦に巻き込んだ、
偉大な偉大なジャズメンです。
このサド・ジョーンズ。
有名な「 ジョーンズ3兄弟 」のまん中。
お兄さんが、
名ピアニストのハンク・ジョーンズ
弟が、
ジョン・コルトレーン・カルテットのドラマー、
エルヴィン・ジョーンズ
まったくもって、
凄いファミリーですね。
折しも彼は、
この『 サド・メル(通称)オーケストラ 』
を率いて来日中であり、
そこを、
日本における友人で、
我がライト・ミュージックの名誉会長でもある、
牧田清志医学部教授が、
(「牧 義雄」というペン・ネームで、
ジャズ評論家としても有名 )
コンサート会場に連れて来た、
とまあ、こういうわけですね。
私たちは、
何も聞かされてなかったもんですから、
コンサートが終わって、
幕が下りたステージ上に突然、
彼が‘満面笑み’で現れたときは、
本当にビックリしました。
これはそのときの写真です。

画面向かって右端にボンヤリ写ってるのが私。
画面向かって、サドの左で大笑いしてるのが、
今も私のベースの相棒、河野秀夫氏。
ええい、もう一枚。

【拡大版】
画面向かって、
サドのすぐ右下にいる美少年(?)が私。
画面下のほうに牧田先生。
右のほうには、
やはりライトの先輩で、ジャズ評論家の、
いそのてるヲ氏と本多俊夫氏の姿が…。
それにしても、
私たちのアイドル、
憧れの、サド・ジョーンズさんは、
スターぶらない、
本当に気さくな人でしたね。
終始ご機嫌で、
我々一人一人に、
暖かい激励の言葉をかけてくださいました。
「良かったよ、良かったよ、ウンウン。」
さらに、
それから数週間後に発売された、
ジャズ専門誌
『 スイング・ジャーナル 』には、
このコンサートの感想記が、
彼によって書かれていたのですが、
そこには、
私(たち)を狂喜させるような内容が、
書かれてあったのです…。
(つづく)
さて、6/11(月)は、
六本木「 ALL OF ME CLUB 」にて、
ピアノ・トリオ・ライブです。
「 ライブのご案内 」にも書きましたが、
種々の事情により、
このライブは、
今回をもちまして、
しばらくお休みとします。
ということで、
最後にふさわしく、
ガンガン盛り上がるつもりです。
歌手のみなさんも、
どしどし歌いに来て下さいね。
ところで、
私の思い出の写真ときたら、
圧倒的にモノクロが多いですね。
もうカラーはあったと思うのだが…。
ううむ、
年を感じる…。
SHUN MIYAZUMI
December 23, 2006
エロール・ガーナーの思い出 その3
メリー・クリスマス!
といいながら、
例年この時期は、
ほんと忙しい…。
20日は「代々木ナル」井口真理ライブ。
久々、はたけやま裕ねえさん
のパーカッションも相変わらずご機嫌!
21日は、
「ケネディクス」
という素晴らしい会社のX'mas・パーティーで、
先日ご紹介した「スイート・ボイス」と、
楽しくライブをやってきました。
いやあ彼女たちは、
実にエンターテイナー。
盛りあげ方が、
本当にうまい。
おかげでこっちも、
ノリノリでした。
その「スイート・ボイス」ですが、
24日(日)のイブは、
横浜駅「スカイ・ビル」10Fのレストラン・フロアで、
「スペシャル・クリスマス・ライブ」
を行ないます。
(18:00〜18:30 / 無料)
お近くにお住まいの方、
よろしかったら、
覗いてみてはいかがですか。
さて今日も、エロール・ガーナーのお話。
2003年3月31日(月) No.42
エロール・ガーナーの思い出 その3
朝の6時。
オーストラリアに旅立ったガーナーを見送ったあと、
あまりの感動に、
どうにもまっすぐ帰る気になれなくて、
私はひとり渋谷に出て時間つぶし。
10時になると、
当時よく通ってた、
道玄坂小路にある「デュエット」
というジャズ喫茶に、
開店と同時に飛び込み、
コーヒーとトーストを注文。
そして、
ガーナーの中でも名盤中の名盤といわれてる、
『コンサート・バイ・ザ・シー』
というアルバムをリクエストしたのです。
そこは3階建て構造になっていて、
ジャケットがスルスルと下から上がって来ると同時に、
ものすごい爆音で音がなり始める。
雰囲気も良く、
私のもっともお気に入りのジャズ喫茶でした。
さてこの有名なライブ・アルバム。
録音状況は必ずしもいいとはいえないのですが、
拍手の中から、
彼得意の力強い、しかも人を食ったようなイントロ、
そしてハッとする弱音でテーマが奏でられる
『I REMEMBER APRIL』
で始まります。
さっきまでのアフター・セッションと違って、
これぞガーナー・スタイルの真骨頂!
もういきなりガーナーもお客さんも乗り乗り。
続く『TEACH ME TONIGHT』では、
さながらひとりビッグバンドのような豪快さ。
そして、なんとまあ粋なこと。
そして、そして、4曲目。
来ました、来ました!
このアルバムの白眉ともいうべき、
歴史的名演奏の、
『枯葉』!!!
なんたる独創性、
なんたるスケールのデカさ、
なんたる美しさ。
長いイントロが終わって、
テーマが出て来たとき、
不覚にも涙ポロポロ…。
数時間前目の前にいた、
あのガーナーの真の偉大さに、
改めて圧倒されてしまいました。
長いジャズ体験の中で、
涙がとまらないなどという感動は、
後にも先にもこのときだけでしょう。
「デュエット」を出ると、
さっそく近くのヤマハでこのアルバムを購入。
以来今日まで、
おそらく最も数多く聞いたアルバムが、
これでしょうね。
アナログ時代に2枚を聞きつぶし、
CD時代になってからも、
家のみならず、
よく飲みに行く店でも、
相変わらずリクエストしたりして、
聞いています。
というわけで今日は、
これからガーナーを聞いてみよう、
と思った方のために、
私がお薦めする、
ガーナーのアルバムを、
何枚かピック・アップしてみました。
まずは、もちろん、
『コンサート・バイ・ザ・シー』!

(オリジナルLP・ジャケット)
それから、
この人がいわゆる「スタンダード」
を弾いてるアルバムは、
他にも山のようにあります。
で、良く言えば「駄作」はひとつもありません。
でも言い換えれば、「全部一緒」です。
スタイルそのものが個性なのですから。
ですから、これを聞いて、
もっとガーナーのスタンダードが聞きたくなったら、
自分の知ってる曲がたくさん入ってるのを
選べばいいのではないでしょうか。
ま、有名な『ミスティー』の、
自作自演は押さえておくべきでしょうが。

それよりも、ここでは、
あまり知られてない異色作をご紹介します。
『パリの印象』

このエロール・ガーナー、
実は、当初アメリカの評論家たちの間では、
「カクテル・ピアノ」とバカにされ、
あまり評価されなかったそうです。
そして傷心のあまりフランスに行ったらしい。
ところが、
さすが「芸術のパリ」ですね。
フランスの人達は、
いち早くこの才能を認め、
「芸術大賞」なんか与えて讃えたそうです。
そのニュースを聞いて、
後から徐々に本国でも認められた、
といういきさつがあるらしいのです。
そんな「フランス」に、
感謝の意味をこめて作った、
2枚組のアルバム。
『ラ・ビアン・ローズ』や『ムーラン・ルージュ』
といったフランスの名曲を、
得意の「ガッガッ」や「トイタタトイタタ」スタイルで、
華麗に弾きまくってます。
各面の最後には、
ハープシコード(チェンバロ)も演奏していて、
これがまた、フランス映画の「パリの裏街」
みたいな哀愁が漂ってて、
ほんとイイ感じ!
それから、
もっと異色作で、
『FEELING IS BELIEVING』

(オリジナルLP・ジャケット)
これは、
スティービー・ワンダーの『FOR ONCE IN MY LIFE』
ビートルズの『YESTERDAY』
といったポップスのヒット曲ばかりを、
あのスタイルでユーモラスにやっています。
実に楽しいアルバムです。
ほんとに人間好きな、
あったかいハートの人だったんだなあと、
しみじみ思いますよ。
さあ、これで、
今日からあなたも、
ガーナー・フリーク!
(おしまい)
(感想 2006/12/23)
私が、毎晩のように飲みに行ってる、
学芸大のジャズ・バー
「A'TRAIN」
そこのマスターのKさんも、
大のガーナー・ファン。
そして、
初めて買ったガーナーのアルバムが、
この『ミスティー』
だったそうです。
そして、
その後数年間、
ジャケットを眺めながら、
ずっと、こう思ってたそうですよ。
「エロール・ガーナーって、
ずいぶん綺麗な女性なんだなあ…。」
ハハハ。
そんなバカな。
SHUN MIYAZUMI
December 19, 2006
エロール・ガーナーの思い出 その2
偶然の一致ですが、
今年の私のブログは、
なぜか現実の出来事と、
リンクしてしまうことが多い…。
松山商業の話を書いたら、
それ以来となる「決勝戦再試合」
「ジェフ・バクスターと牛丼」を書いたら、
吉野家の牛丼が解禁になる。
この間、牡蠣の話を書いたばかりなのに、
今度は「ノロウイルス」で大騒ぎ。
(小原さん、大丈夫でっか?)
ということは、
次は「宝くじに当たる夢」のお話
でも書きましょうかね…。
さて、前回のつづきです。
2003年3月24日(月) No.41
エロール・ガーナーの思い出 その2
世良譲さんの、
「ガーナーを連れてくる」
という一言に期待をふくらませて行った、
「E」というお店では、
結局お目当てのガーナーに会うことが出来ず、
しかも終電にも乗り遅れ、
仕方なく時間つぶしに行った、
六本木の「N」というお店に、
実はなんと、
ガーナーがいた!
そのお店は、
ピアノ・カウンターの他にテーブルがいくつかの、
30人も入ったら満員、
という小さなジャズ・バー。
「ALL OF ME CLUB」をご存知のかたは、
あれを真四角にして、
少し小さめにした感じをご想像下さい。
ベースは鈴木良雄さん(チンさん)だったでしょうか、
鈴木勲(おまスズ)さんだったでしょうか。
ドラムは誰だか忘れましたが、
とにかく噂を聞いて駆けつけた
日本人プレーヤーを相手に、
ノリノリで演奏していたのです。
で、オーナーのTさんが私のために、
ピアノ・カウンターの席を、
一つ用意して下さいました。
ということは、
私とガーナーの距離は、
ほんの1、2メートル。
目と鼻の先。
おお!
なんたる幸運!
なんたる幸せ者!
さて、
こうした「アフター・セッション」のガーナーですが、
驚いたことに、
例の「ガッガッガッ」という、
独特の左手のガーナー・スタイルは、
いっさいやりません。
バド・パウエルに代表される、
ビ・バップからモダンジャズにいたる、
オーソドックスなスタイルで終始演奏。
しかもそれが、
なにをやっても、
上手い!!
上手すぎる!!!
「枯葉」だって、
名盤「コンサート・バイ・ザ・シー」
のあのスタイルではなく、
私たちが普通やる『タラッタッタ〜♪』の感じ。
アドリブもよどみなく、
ウィントン・ケリーやトミー・フラナガン、
ソニー・クラークなんかより、
ずっと、上手いのでは…。
(ただし例のうなり声は一緒。)
なによりも私は、
「なあんだ、普通にちゃんと弾けるんだ!」
とビックリしましたね。
そして、
「普通に弾けた上に、
強烈な個性がないと大スターにはなれない。
やはりアメリカってのはどえらい国だなあ…。」
としみじみ思ったのでした。
とにかく菅野さんはじめ、
みんなが乗せまくるもんだから、
この日のガーナーさん、
終始ご機嫌そのもの。
休憩中は、赤い飲み物、
(「トマト・ジュース」だったのでしょうか?
「ブラディー・マリー」だったのでしょうか?)
を飲みながら、
いろんな人の話や質問に、
嫌な顔ひとつせずニコニコ笑顔で
応対するのです。
ちっともスターぶらない。
人間的なスケールも超一流。
心の広い、人間味のある、
素晴らしい人物でもありました。
ゆえにあんなに暖かい音楽が出来、
世界中の人から愛されたのでしょう。
こうして、
「休憩しては、また演奏」
を繰り返すこと何度か。
なんと朝の6時まで、
弾きっぱなしだったのです。
リクエストしたって、
何だって知ってる。
すぐにやってくれる。
それを、たった水割り1杯400円で、
至近距離で堪能させていただいた私。
幸せすぎる夜でした…。
そして、菅野さんがガーナーさんを、
羽田空港(当時の国際線はまだ羽田)
まで送っていくことになり、
我々は外に出て手を振りながら、
お見送りしたのでした。
これが、
彼の生涯における、
たった一日の、
日本滞在だったのです。
なぜならその数年後、
50代そこそこ、
という若さで、
この稀代の名ピアニストは、
この世を去ってしまったのですから…。
(つづく)
(感想 2006/12/19)
当時の六本木は、
本当に静かな街でしたね。
ディスコも、クラブも、キャバクラも、
いっさい無し。
ケバい若者も、
怪しげな、ぽん引きのお兄さんも、
ほとんどいなかった。
そして、
あちこちに「粋なジャズ・クラブ」が点々。
先日、
忘年会で賑わう六本木の、
すさまじい人の群れを見て、
ふと、そんな昔を、
思い出してしまいました…。
さて、12/20(水)は、
「代々木ナル」
井口真理とのジョイント・ライブです。
透明感のある、
とても美しい声です。
ベースは「竹馬の友」エディー河野、
そして「美人パーカッション」はたけやま裕、
それに私のピアノ、
というトリオがお相手。
どうぞいらして下さい。
SHUN MIYAZUMI
December 15, 2006
エロール・ガーナーの思い出
たまにはジャズのお話もしないと…。
2003年3月15日(土) No.40
エロール・ガーナーの思い出

今日は、
独特のスタイルで
一世を風靡した名ジャズ・ピアニスト、
エロール・ガーナーのお話です。
若い人には馴染みがないかもしれませんが、
ものすごいダイナミズム、
強烈な左手のビハインド・ザ・ビート、
お色気たっぷりに弾くメロディー・ライン、
ユーモア・センス、
豪快なスイング感、
と、まあこれほどスケールの大きなピアニストは、
他にはいません。
名曲「ミスティー」の作曲者としても有名ですね。
大学一年の頃(ジャズを勉強しはじめたころです。)
私が夜な夜な修業に訪れていた、
六本木の「N」というお店には、
菅野邦彦さんという、
それはそれは素晴らしいピアニストが、
毎晩ご機嫌なプレイを繰り広げていました。
当時の六本木には、
朝までやってるジャズ・クラブが多く、
このお店も、
早い時間仕事を終えてのジャム・セッションや、
菅野さんの演奏を聞きに来るミュージシャン達が、
深夜になると集まってきて、
いつも朝までごったがえしていたのです。
そんな菅野さんの私へのアドバイスは決まって
「ガーナーを聞け!」「ガーナーはいいよ。」
というものでした。
でも、その頃の私はまったくの初心者。
ゆえに、
トミー・フラナガン、ウィントン・ケリー、といった
オーソドックスなモダン・ジャズ・ピアノ
ばかり研究していましたから、
正直エロール・ガーナーのスタイルには
まだピンとこないものがありましたね。
そういう菅野さんも、メインは、
ハンプトン・ホーズ、フィニアス・ニューボーン
といった軽快にスイングするスタイル。
ただし時折、
ガーナーの独特な左手の奏法やら、
バラードにおけるエッチな旋律の歌わせ方などで、
ガーナー・スタイルの素晴らしさも、
大いにアピールしてはいました。
そんなエロール・ガーナーが来日。
新宿厚生年金会館で、
たった一日だけコンサートを開きました。
ま、あらゆるジャズ・ピアニストの中でも
別格の大物ですから、
チケットはあっというまに完売。
もちろん貧乏学生の私に、
手が出る金額でもありません。
ところが六本木界隈には、
「コンサート終了後、
どうやら世良譲さんが、
(ご自分が毎晩演奏してる)「E」というお店に、
ガーナーを連れて来るらしいよ。」
といううわさが流れはじめていました。
有名なジャズ・ピアニスト世良譲さんも、
実は大のガーナー・フリーク。
若輩の身ながら、
11時頃、恐る恐るその六本木の「E」
というお店のドアを開けた私。
うわさとは凄いもので、
「ひょっとしてガーナーが来る」
を聞きつけたお客さんで早くもいっぱい。
日野皓正、元彦ご兄弟はじめ、
有名なミュージシャンもいっぱい。
しかし、
ガーナーはいない…。
なんでも、
翌朝一番の飛行機で、
オーストラリア公演に行かねばならぬ。
ということで、
どうやら世良さんの『拉致カンキン』は
失敗に終わったらしいのです。
で、当の世良さん、
よほど悔しかったのか、
酔っぱらってベロベロになりながら、
やけくそのように、
ガーナーの真似で弾きまくっていました。
そのうちお客さんも一人帰り、二人帰り…。
でもその「世良ガーナー」も素晴らしいもので、
うっとりと聞いてるうちに、ハッと気づいたら
終電の時間が過ぎているではないですか。
「仕方がない。「N」にでも行って、
菅野さんのピアノでも聞いて、始発で帰ろう。
あそこだったら水割り1杯400円で
ねばらせてくれるし…。」
と思い、
そのお店までとぼとぼ歩いてドアを開けると、
これがまたいつもより凄いお客さんの数。
さらに峰厚介さん(サックス)や
鈴木良雄さん(ベース)、鈴木勲さん(ベース)
といった有名ミュージシャンもいっぱい。
当のハウス・ピアニストの菅野さんまでが、
客席から「イェーイ!!」
と演奏中のピアニストに向かって叫んでる。
「いったい誰が演奏してるんだろう?」
とステージの方を見ると、
なんと!
エロール・ガーナーが演奏していたのです!!
(つづく)
(感想 2006/12/15)
当時の六本木は、
ジャズ・ピアノを勉強するには、
最高の街でしたね。
今のジャズ・クラブのように、
毎日いろんな人が演奏したり、唄ったり、
というスタイルではなく、
どのお店にも、
ハウス・バンドがいて、
夜な夜な素晴らしい演奏を聴かせてくれる。
しかもミュージック・チャージなんか無し!
貧乏学生の私には、
本当にありがたい環境でした。
「N」の菅野邦彦さん
「E」の世良譲さん
の他にも、
「P」の杉野喜知郎さん
「B」の山本剛さん
「M」の大野三平さん
こうした名ピアニストの演奏を聴くために、
これらの店を、
ほぼ毎晩のようにハシゴしていた私。
そして、
帰りはほとんど始発電車。
こんな生活でした。
そんなある日、
父が恐そうな顔をして、
こう言いました。
「毎日毎日、
夜になると出かけて、朝帰り。
お前は泥棒か!!」
「……。」
SHUN MIYAZUMI
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