2008 エッセイ
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- jammin'Zeb『裏・ギフト』その3
- jammin'Zeb『裏・ギフト』その2
- jammin' Zeb『裏・ギフト』
- ラグビー
- きたかみ
- jammin' Zeb 『GIFT』
- 中本マリさん・後編
- 中本マリさん・前編
- jammin'Zeb『裏・ドリーム』その4
- jammin'Zeb『裏・ドリーム』その3
- 激移動 その2
- 激移動
- jammin'Zeb『裏・ドリーム』その2
- jammin' Zeb『裏・ドリーム』
- jammin' Zeb 『Dream』
- 蚊帳(かや)その3(最終回)
- 蚊帳(かや)その2
- 蚊帳(かや)
- 千葉の海とビーチ・ボーイズ
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- 世にも不思議な物語 その4 最終回
- 世にも不思議な物語 その3
- 世にも不思議な物語 その2
- 世にも不思議な物語
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- 将棋と私 その5
- 東京ドーム・後編
- 東京ドーム・前編
- ジャカルタ その6(最終回)
- ジャカルタ その5
- ジャカルタ その4
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- ジャカルタ その3
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- 将棋と私 その2
- 将棋と私
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December 31, 2008
大晦日
今年も、あと数時間を、
残すのみとなりました。
本当に、いろんなことがあった1年です。
素敵な出会いも、いっぱいありました。
残念ながら、
若くして旅立った先輩や友人もいます…。
でも、私にとっては充実の年。
みなさんのおかげで、
ジャミン・ゼブ号を、
大きく前進させることができました。
先程、ZEBLOGの中にある、
「HISTORY」を見ながら、
今年を振り返っていたのですが、
素晴らしい活躍です。
とても、デビュー1年生の、
スケジュールとは思えません…。
それにしても、
まあ、いろんなところで唄いましたね。
自慢になるかどうかはわかりませんが、
演奏場所のバラエティだけは、
日本一かもしれません…。
野球場、ラグビー場、
コンサート・ホール、ライブ・ハウス、
ジャズ・クラブ.、展覧会場、
海外ジャズ・フェスティバル、
ホテル宴会場、豪華客船、美術館、広場、
高校の講堂、小学校の体育館、
レストラン、神社、大使館、
宝石店、時計店、銀行、
CDショップ、会員制クラブ、
丸の内、お台場、ララポート、六本木ヒルズ、
ショッピング・モール、デパート、
TV局、ラジオ局、雑誌出版社、新聞社、
そして温泉…。
やれやれ…。
さらに、2枚のアルバムをリリース。
ま、快進撃といっても、
いいのではないでしょうか。
よく頑張ったもんです。
そして、行く先々で、
暖かい拍手、歓声。
素晴らしい体験、
素晴らしい出会いを、
たくさんさせていただきました。
いつも応援してくださるみなさん、
ライブに駆けつけてくださったみなさん、
本当に、ありがとうございました。
来年も、
いろんなところへ行きますよー。
ジャミンの唄を、
聴いてくれるのなら、
どこへでも…。
そして、いろんな企画、
新しいレパートリーにも、
果敢に挑戦していくつもりです。
期待していて下さい。
というわけで、今年も、
本当にお世話になりました。
2009年が、みなさんにとって、
素晴らしい年になりますように。
よいお年をお迎え下さい。
感謝をこめて…。
SHUN MIYAZUMI
(追記)きょうのジャミンは、
TVK(テレビ神奈川)で、
カウントダウン・ライブ生中継。
(23:30〜25:30)
名アルト・サックス奏者の、
MALTAさんとも共演します。
というわけで、
私の2009年は、
テレビ局で迎えることとなりました。
謝謝…。
December 27, 2008
はしご食い
はしご酒(ざけ)。
これって、
日本だけの風習ではないでしょうか。
「とりあえずビール!」
から始まって、
「おい、もう一軒行こう、もう一軒。」
徒党を組み、
奇声をあげながら、
あっちの店、こっちの店、
と渡り歩く。
……。
少なくても、こんな光景、
欧米では見たことありませんね。
ビールの前に、
‘とりあえず’という枕詞をつけるのも、
日本人だけでしょう。
これじゃあ、
「今日は死ぬほど飲むぞー。」
と、宣言しているようなものだ。
やれやれ…。
とは言え、私も日本人。
気の合う仲間との「はしご酒」は、
本当に楽しいですねえ。
若い頃は、よくやりました。
しかし、
「寄る年波」というやつでしょうか。
最近では、
行きつけのジャズ・バーで一人、
静かに、心落ち着けて飲むのが、
一番好き。
ガチャガチャした飲み屋での、
賑(にぎ)やかな酒は、
ちょっと苦手になってきましたね。
ただし…、
例外があります。
このブログにも何度か登場した、
中学時代からの大親友、
小原(おはら)氏。
彼と飲むときだけは、
間違いなく「はしご」になる。
彼が、そういう体質だからです。
一カ所に、腰を落ち着けて飲む、
というタイプではないからです。
そんな私たちは、先日、
「はしご酒」ならぬ、
「はしご食(ぐ)い」
というのを、やりました。
彼も私も、
東横線「学芸大学」の近くに、
住んでいます。
そして二人とも、この、
「学芸大学」という街が、
大好き。
かつて「学芸大学」というタイトルで、
この街のいろんなお店を紹介する、
エッセイを書いたことがあります。
(いずれ、新しいお店を加えて、
リニューアルしますね。)
そのときにも書きましたが、
私は、この街がないと、
生きていけません。
ほんとです。
とにかく、飲食店の数は、
東横沿線で一番多い。
小さな街なのに、
自由が丘や中目黒より、
ずっと多いのです。
しかも、なんでもある。
美味(うま)い店がいっぱいある。
さらには、古い街ゆえに、
庶民的であったかい。
そして、
安い…。
B級グルメには、
たまらない、
そんな「学芸大学」商店街の、
ありとあらゆるお店に、
この、小原さんは、
精通しております。
究(きわ)めております。
私たちは、
この商店街を歩くとき、
いつも、こんな会話をします。
M「ここ、どう?」
O「あかん。」
M「ここ、入ったことある?」
O「ランチは結構いけるでえ。」
M「ここの○○はうまい?」
O「ちょっと薄味かな。」
(大阪生まれの小原さんは、
相変わらず関西弁。)
とにかく、
知らないお店がない。
ま、この冒険魂には、
いつも、感心しますね。
どこでも、平気で飛び込む。
失敗を恐れない。
さて、そんな先日のこと…。
私たちは、6時に学芸大駅に集合。
O「久しぶりやのー。」
M「さ、きょうは何食おうか。」
O「おでん、行かない?」
もちろん即決。
東口商店街を少し歩いたところにある、
「やべ」という小さなお店に入る。
ここは私も来たことがある。
なかなか上品なお味の、おでん屋。
ここで、生ビールで乾杯。
そして、ひとり3本ずつ、
おでんを注文。
その3本めを食べ終わらないうちに、
小原さん、
「そや、‘もつ煮込み’の美味い店、
見つけたでえ。
早よ、行こ。
オヤジ、お勘定。」
有無を言わさず、
勘定をすませると、
再び駅のほうに戻り、
線路沿いを左折。
しばらく行った左側にある、
「浅野屋」という居酒屋に入る。
ここは、私は初めてだ。
O「ホッピーと、もつ煮込み二つ、頂戴。
シュン、ここの‘もつ煮込み’
うまいでえ。」
なるほど、
これで450円は安い。
量もたっぷりで、
なかなかの‘もつ煮込み’を堪能。
しばし、ここで飲み、食い、
語り合ってるうちに、
またまた小原さん。
「そや、ええ店見つけたで。
早よ、行こ。
オヤジ、お勘定。」
「……。」
それは、「KACKY'S」という、
オールディーズのバー。
「浅野屋」の真ん前にある、
カウンターだけの小さなお店。
しかし、その、
レコード・コレクションには仰天です。
70年代を中心に、
ありとあらゆるポップスのシングル盤が、
邦洋問わず、何でもある。
以来、ここは、
けっこうハマっているのですが、
いずれ改めてご紹介するとして、
ここで、
なつかしい青春時代のポップスを、
次から次へとリクエスト。
至福の時間を過ごす。
と、そのうちに、
小原さん、
「シュン、腹減って来た。
今度は何がええかなあ。」
「今日食ってないとすると、
中華かな。」
と私。
「よっしゃー。」
とばかりに、
再び東口商店街に戻ると、
私たちは、
「金華苑」という中華屋に入る。
ここも最近お気に入りの店。
ここの「海鮮焼きそば」をつまみに、
今度は紹興酒をぐいぐい。
O「ああ、食った食った。
シュン、今日の食い物は、
もういいか。」
(あたりまえだ…。)
そして仕上げは、
私のホーム・グラウンドのジャズ・バー、
「A'TRAIN」で一杯。
さらには、帰り際に、
駅の真ん前にある、
お洒落で、美味しいカクテルを作る、
「SCENE(シーン)」
というバーで、さらに一杯。
時計の針は、
深夜2時を廻っておりました。
ふ〜…。
でもね。
これで、一人、
7000円も使ってないと思いますよ。
こんなに食って、飲んで…。
こんな「はしご食い」ができるのも、
学芸大学ならではのこと。
私にとっては、
最高の楽園です。
ビバ、ガクダイ!!
そんな「はしご食い」。
いろんな店を、
ちょっとずつ食い歩く企画。
なかなか楽しいもんですよ。
みなさんも、いかがですか。
ただし、これには、
ひとつ条件があります。
決して、同系列店での「はしご」は、
しない、
ということです。
かつて、
伊集院静さん、高平哲郎さん、私、
の3人で、
「屋台のおでんのはしご」
というのを、
やったことがあります。
青山学院大の正面にある屋台に始まり、
「次はどこのおでん。」
「さて、次はあそこの屋台。」
と、3、4軒の屋台をはしごしたのですが、
途中から、
飽きてしまいました。
そりゃそうです。
「おでん」てのは、
どこで食べても、
そんなに味が変わるものでは、
ありませんからね。
単純に、
お腹がふくれていくだけ。
3軒目あたりからは、
みんな無口になってしまいましたね。
企画立案者も、おそらく、
「しまった…。」
と思ったに、
違いありません。
もうひとつ余談。
先日、伊香保温泉に行って、
思い出したのですが、
15年くらい前に、
私と小原さん、そして、
スタッフのショーちゃんは、
伊香保に行ったことがあります。
そのとき、やったのが、
「温泉風呂のはしご」
500円くらい出すと、
いろんな旅館のお風呂に入れるでしょ。
その、いろんな風呂を、
「はしご」したのです。
この企画も、
ダメでした。
なぜか…?
のぼせてしまうから…。
3つ目の風呂から上がったときは、
3人とも、
顔面蒼白でしたね。
みな一様に、
「気持ち悪い…。」
ということになって、
夕飯まで、
旅館の部屋で休むハメになりました。
アハハ。
でも、この「はしご」という風習。
よくよく考えると、
日本人ならではの、
アイディアなのかもしれませんね。
食い物のマズい国では、
やりたくてもできませんからね。
日本人に生まれてよかったかも…。
ビバ、ニッポン!!
(おわり)
学芸大「A'TRAIN」の話が出たので、
ついでに。
昨晩の、
月末恒例「ミッドナイト・セッション」
にお集りの方、
ありがとうございました。
私にとっては、
今年の「ピアノ弾き納め」。
予期せぬスペシャル・ゲストあり、
飛び入り素人シンガー続出と、
なんとも楽しい、
締めくくりとなりました。
来年も、
許される限り、
この月末、最終金曜日のライブだけは、
続けていこうと思っております。
興味のある方、
夜更かしオーケーの方、
門限のない方は、
ぜひ一度、覗いてみて下さい。
100%、狂乱ナイトを…。
……。
さ、あしたから、
大掃除でも始めるかな…。
SHUN MIYAZUMI
December 21, 2008
jammin'Zeb『裏・ギフト』その3
きのう(20日)は、
日本橋、三越本店に行ってきました。
巨大なクリスマス・ツリーがあって、
その後ろに、有名な天女像があって、
そのまた後ろには、
パイプ・オルガンのあるバルコニー。
その2階のバルコニーから、
ジャミン・ゼブの歌う、
クリスマス・ソングが、
ホールいっぱいに響き渡る♪
三越イベント・プロデューサーHさんの、
心憎いばかりの演出に、
スタッフであることをつい忘れて、
観客の一人になって、
大いに楽しませてもらいました。
両側の階段にも、
2F、3Fのバルコニーにも、
ツリーの周りのフロアにも、
本当に大勢のお客さんが、
ギッシリ詰めかけて下さって、
まるで天空から降り注ぐかのような、
彼らの美しいハーモニーに、
聞き入ってらっしゃいましたね。
素晴らしい空間でした。
みなさん、
ありがとうございました。
さあ、今年のクリスマス・シーズンも、
あとわずか。
私も、そろそろ、
仕上げと行きますか…。
jammin'Zeb『裏・ギフト』その3
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♪WE WISH YOU A MERRY CHRISTMAS♪
(ウィ・ウィッシュ・ユー・
ア・メリー・クリスマス)
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このナンバーは、
昨年の丸の内フリー・ライブで、
初披露されました。
以来、ジャミンはこの曲を、
何度となく歌ってるわけですが、
不思議なことに、一度も、
‘不出来’になったことがありません。
いつ、どこで、どんな環境で歌っても、
いつも安心して聴いていられる。
それだけ、アレンジが、
ジャミンに、ぴったりハマってる、
ということなんでしょうね。
シモンのクグケクグケも、
レンセイのリードも、
3人のコン、コン、コンの間(あい)の手も、
いつもドンピシャ。
何もかもが、
ジャミンの4人の持つ雰囲気と個性に、
合っているのです。
アカペラ・カルテットの譜面に詳しい、
スティーブが仕入れてきたのですが、
まるで、ジャミンをよく知った人が、
ジャミンのために、
アレンジしたかのように、
私には聞こえてきます。
------------------------------------------
♪PEACE ON EARTH♪
(ピース・オン・アース)
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この曲をひとことで言い表わすならば、
“白いゴスペル”
でしょうか…。
ちなみに私は、
キリスト教信者ではありません。
(というか無宗教)
したがって、
日曜日には教会に行って、
ミサを歌うという習慣もありません。
大好きなニューヨークでも、
教会に行って、
黒人たちが歌うゴスペル
に身を委ねる、
という経験もない。
でも私は、
「ゴスペル」という音楽が、
大好き。
というより、
偉大なジャズ・ピアニストたちによる、
‘ゴスペル・フィーリング’に溢れた演奏を、
昔から、憧れをもって、
聴いておりました。
オスカー・ピーターソン「自由への賛歌」
フィニアス・ニューボーンJr.
「ハーレム・ブルース」
キース・ジャレット
「Things Ain't What They Used Be」
(昔は良かったね)
他にも、
デューク・エリントン、レイ・ブライアント、
ラムゼイ・ルイス、ダラー・ブランドetc.
そして、もちろん、
レイ・チャールズの唄とピアノ…。
そんな演奏を、好んで聴き、
見よう見まねで鍵盤を叩いてるうちに、
いつしか、私の中にも、
そんなフィーリングが、
備わってきたのでしょうか…。
今では、私の、
もっとも得意とするスタイルに、
なってしまいました。
そんな、
宗教的な意味合いのない、
純粋に音楽として尊敬できる、
この、見よう見まねの、
ゴスペル・フィーリングを、
黒人音楽には、あまり縁のない、
ジャミンがやったら、
どうなるか‥?
その最初の試みが、
ファースト・アルバム『Smile』に入ってる、
『When I Fall In Love』
のアレンジでした。
イントロもクライマックスも、
ゴスペルのコード進行です。
ゴスペルや教会音楽には無縁の、
ジャミン・ゼブが、
愛を、人生を、自由を、平和を、
爽やかに、かつ力強く歌い上げる、
これぞまさに、
“白いゴスペル”
……。
そう、これって、
昔から、ずっと、
やってみたかったことなのです。
あの4人に出会えて、
ようやく実現したというわけです。
今や、ジャミンのステージには、
欠かせないナンバーになりましたね。
さて、
この曲の成功に、
(ほんとか)
気を良くした私は、
今度は、そんなコンセプトで、
オリジナルが、
書いてみたくなりました。
それが、セカンド・アルバム
『Dream』に収録されている、
『New York Life』です。
この曲のサビも、
ゴスペルのコード進行で、
出来ているんですよ。
これも、まあまあ、
うまくいったでしょうか。
で、お調子者の私は、
ついにメッセージ・ソングなんか、
書いてしまったというわけです。
それが、この、
『Peace On Earth』
今年は、本当に、
嫌なことが多かったですからね。
世界恐慌、企業倒産、リストラ、
地球温暖化、環境破壊、テロ、
通り魔、秋葉原事件、振り込め詐欺、
などなど…。
ま、私は、
一介の音楽屋ですから、
政治のことはよくわかりませんし、
経済や宗教のこともわかりませんが、
世界平和や地球環境問題を、
小さなことから、
みんなのできることから、
少しずつ考えていきませんか…?
そのくらいのことだったら、
言ってもいいのではないか。
そして、
そんなことを、
私なりの音楽を通して、
表現できたらいいなあ、
少しでも爽やかな風を、
送ることができたら、
素敵だけどなあ…。
そんな願いをこめて、
作った曲なのです。
分不相応と言われようとも…。
神をも恐れぬやつと言われようとも…。
ゴスペル(Gospel)という、
神に最も近い、
黒人の、崇高な、
スピリチュアルな音楽のモチーフを、
ちょっとだけお借りして…。
無神論者の私でも、
日本人の私でも、
お許し下さるものと信じて…。
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♪CHRISTMAS EVE(クリスマス・イブ)♪
<ボーナス・バック・トラック>
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この‘おまけ’は、
いかがでしたか…?
実はこのアイディア。
過去にも、別のグループで、
やったことがあります。
そしてその時は、
苦い思い出となりました。
その時も、
ピアノは私が弾いたのですが、
何カ所か、
いいかげんに弾いた、
小さなミスをした、
そんな部分があったんですね。
でも、唄が入ると、
さほど気にならないので、
もともと面倒くさがり屋の私は、
「ま、誰にもわかるまい。」
と、そのまま放置しておいたのです。
それが、カラオケになって、
そのまま発売されることになった。
出来上がったCDを聴いたら、
唄がカットされてるので、
その、いいかげんな部分が、
ミス・タッチの部分が、
まあ、目立つ、目立つ。
しかし、時すでに遅し…。
トホホ…。
そんなことがあったので、
今回は、丁寧に、慎重に、
心をこめて弾きました。
ま、今の私の実力で、
できる範囲ではありますが…。
そんなことも、
あわせて聴いてみてください。
というわけで、
この『GIFT(ギフト)』
お楽しみ頂けましたでしょうか。
でも、今年もあとわずかで、
みなさんのCDケースの中に収まって、
また、来年のこのシーズンまで、
「さようなら」
ですね。
ちょっぴり寂しい気がしますが…。
でも、
来年も、再来年も、そのまた次の年も、
クリスマス・シーズンになると、
きっと愛聴していただけるものと、
心から願っております。
では、どうぞ、みなさん、
素敵なクリスマス、
素敵な新年を、
お迎えください。
♪We wish you a Merry Christmas
We wish you a Merry Christmas
We wish you a Merry Christmas
and a Happy
New
Year〜♪
(おわり)
さて、23日(火・祝)は、
いよいよ古内東子さんとの、
ジョイント・コンサートですね。
(恵比寿 The Garden Hall)
なんとか一曲でも、
コラボをやりたくて、
もっか最後の調整中…。
さらに、このコンサートには、
素敵なゲストが、
ジャミンのために来てくれます。
淵野繁雄(ふちの・しげお)さんという、
サックス奏者です。
ユーミン、山下達郎、上田正樹、
といった大物アーチストの、
ツアー、レコーディング参加など、
素晴らしい実績を持った、
名プレイヤーです。
スティービー・ワンダーとも、
共演したことがあるんですよ。
そして彼は、
私が大学時代、
同じバンドで演奏していた、
仲間でもあるのです。
先日の中本マリさんといい、
この淵野さんといい、
私にとっては、
思い出深い、感慨深い方が、
ジャミンと共演してくれますね。
本当にチケット残少々だそうです。
まだの方、
どうぞお早めにご購入を。
(詳しくは、ZEBLOGを。)
それにしても、あっちの更新頻度は、
すごいな。
長編作家(?)の私には、
とても無理…。
SHUN MIYAZUMI
December 15, 2008
jammin'Zeb『裏・ギフト』その2
いやあ、久しぶりの更新だ。
楽しみにされていた方、
お待たせしてしまいました。
でもね…、
遊んでいたわけではありませんよ。
本当に忙しかったのです。
連日のように、
ジャミン・ゼブのライブが入っている。
リハーサルが入っている。
だから…、
真面目に仕事をする。
打ち合わせ、選曲、リハーサル、
段取りの確認、本番、打ち上げ、
翌日の確認、そして…、
解散。
その後…、
真面目に飲む。
時にはメディアの人と、
時にはレコード会社の人と、
時にはイベンターの人と、
時には外部スタッフと、
時にはスタッフのショーちゃんと、
来年のジャミンの展開を考え、
企画を考え、場所を考え、
ターゲットを考え、曲を考え、
真面目に、飲む。
さらに、今月は、
12月ですからね。
忘年会シーズンですからね。
今年お世話になった人と、
ご無沙汰ばかりしている人と、
学生時代の友人と、
好きなミュージシャン仲間と、
行きつけのバーのマスターと、
常連の飲み仲間と、
スタッフのショーちゃんと、
大いに、真面目に、飲む。
で、気がついたら、
時計は深夜の1時、2時…。
「いかん、明日も早いのだ。」
大慌てで帰って寝る。
zzz…。
翌日も、真面目に仕事をする。
そして夜は、
真面目に飲む。
大いに飲む。
で、時計を見ると…、
「いかん、明日も早いのだ…。」
zzz…。
ま、こんな毎日です。
こんな状態が、
2週間以上も続いております。
誰か、助けて下さい。
ん…?
いいから、早く本題に行け…?
はい、そうします。
jammin'Zeb『裏・ギフト』その2
--------------------------------------------
♪THE CHRISTMAS SONG♪
(ザ・クリスマス・ソング)
--------------------------------------------
この曲を書いたのは、
Mel Torme(メル・トーメ)という、
有名な、男性ジャズ・シンガー。
すさまじいテクニシャンで、
声を、まるで機械のように操る。
器楽奏者のようなアドリブを展開する。
完璧な音程、完璧なテクニック。
すごい歌手です。
ただし、人によっては、
やや無機的に感じることもある。
冷たく感じることもある。
完璧すぎるゆえに…。
ですから、
この美しい曲を初めて聴いて、
彼の作曲と知ったときには、
ちょっと、意外な感じがしましたね。
世界中の、
本当にたくさんの歌手が、
クリスマス・シーズンになると、
この曲を歌います。
だから、ジャミンも挑戦だ…。
さて、何度も言うようですが、
私の書く、
ジャミンのアレンジには、
コード・チェンジが不可欠です。
原曲の良さを消すことなく、
なにかサウンドに、
新しい試みがしたい。
新しいサウンドが欲しい。
新しいハーモニーが欲しい。
いつも、そう思って、
オリジナルの譜面と、
格闘しております。
したがって、この曲にも、
私なりの、独特の、
コード・チェンジが、
あちこちに散りばめられております。
きょうは、
ちょっと、そのさわりだけでも、
解明してみましょうか。
あまりに、更新してなかったお詫びに…。
この曲は、32小節の曲です。
32小節でひと区切りの曲。
これを8小節ずつ区切ると、
A-A‘-B-A“
ま、こんな構成です。
それを、ワン・コーラス目は、
シモン、スティーブ、レンセイ、コージローが、
順番にソロをとっていきます。
そして、その、A、A‘、A“、
の部分の、最初の4小節は、
すべて同じメロディなのです。
最初はシモンの、
|Chestnuts roasting on an |open fire|
|Jack Frost nipping at your| nose|
で始まる、あのメロディ。
(歌詞を小節で区切ってみました。)
私は、そこに、
こんなコード・チェンジをしてみました。
少しでもジャズ理論のわかるかたは、
ピアノの鍵盤やギターで、
確かめてみてください。
まず、シモンが唄う、Aの4小節。
これは、ほぼ原曲どおり。
(上から1小節ずつ。
1、3小節目は2拍ずつの変化です。)
|E♭--A♭|
| E♭ |
|B♭m7(11)--E♭7(11)|
| A♭(9) |
注:(11)とか(9)は、
テンションといって、
ジャズ特有の、
優雅なハーモニーが欲しいときに使います。
これの解説を始めると、
これだけで一晩かかるので、
きょうは省略。
さて、お次は、
スティーブの唄う、A‘。
これは、こう変化します。
|E♭-A♭(9)|
|E♭/G-- Cm7-B7|
|B♭m7--E♭7(6)|
|A♭(9)--G♭7(6) |
注:2小節めの、「E♭/G」の2拍は、
分数コードといいます。
左手のベースをG(ソ)の音に。
その上に、
右手でE♭のコードを押さえる。
そんなサウンドです。
そして、最後のコージローでは、
もっと変化します。
こうです。
|E♭--A♭7|
|G7(♯9・♭13)--C7(11・9)-C7|
|Fm7--Dm7(♭5)-G7|
|Cm7--F7(♯11) |
これで、
同じメロディでも、
バックのコードが、
かなり変わってることに、
お気づきのはずです。
ううむ…、
かなり専門的になってしまいましたが、
こんな技を使うことによって、
曲を少しずつ変化させ、
独特の世界を作ることができるのです。
具体的には、よくわからなくても、
大丈夫ですから。
シモンの、スティーブの、コージローの、
最初のソロの部分を、
比較してみて下さい。
同じメロディなのに、
サウンドが少しずつ変化していることに、
気づくはずです。
続けましょう。
さて、間奏後は、
一転してジャズ・ハーモニーの炸裂。
レンセイがトップを唄う、
Bの部分から始まります。
そして、最後にもう一度、
A“が出てきますね。
|so I'm offering this |simple phrase to|
|kids from one to ninety-two|(ninety-two)|
このアレンジのクライマックスです。
もっとも感動的な部分です。
ここを、さらに劇的にするために、
私は、こんな大胆な試みを、
やってみました。
まずレンセイのメロディを、
ちょっとだけ変える。
本当は、
下のE♭(so)から上のE♭(I'm)に、
1オクターブで上がる2つの音を、
上のE♭に揃える。
すると、この2小節のメロディは、
♪E♭-E♭-D-C-B♭-A♭-G-F♯-G♪
と、見事に下降するわけです。
次に、スティーブが、
1オクターブ上げて、
強烈なファルセット(裏声)で、
リードをとる2小節も、
同じように、
下降のメロディになるわけです。
♪C-C-B♭-A♭-G-F-E♭♪
とね。
ところが、この4小節。
コードは1拍ずつ、
下から上昇していく。
ハーモニー・パートは逆に、
下から上がっていくのです。
こんな風に…。
|E♭--Fm7--Gm7--A♭|
|E♭/B♭--G/B--Cm7--A7(♯11)
|A♭--Am7(♭5)--B♭7--G/B|
|Cm7--Cm7/B♭|
先程の、
分数コードの説明を照らし合わせると、
ベースは下から、
♪E♭-F-G-A♭-B♭-B-C-(A)♪
♪A♭-A-B♭-B-C-(B♭)♪
と、上がっていく。
下降するメロディと、
上昇するハーモニー、
の組み合わせ。
これが、この部分を劇的にした、
アレンジ手法だったんですね。
一番最初の、
シモンの唄ったところと比べると、
もはや、別の曲みたいでしょ。
ま、こんなことを、
いつもやってるわけです。
でもね、
こうしてアレンジが出来上がり、
ジャミンが美しく唄ってくれて、
そして、みなさんが、
優しい笑顔で、
楽しそうに聴いて下さるのを見ると、
本当に幸せな気分になれます。
がんばった甲斐があったなあ、
と思うのです。
そんなお話でした。
退屈でしたか?
ま、たまには、
真面目に仕事をしているところも、
見せないと。
なんとなくでも、
おわかりいただけると、
嬉しいのですが…。
最後に、もうひとつ。
この曲では、特に、
はたけやま姐さんの「光り物」が、
大活躍ですね。
前回書いた、
「光り物」パーカッションの、
オン・パレード。
キラキラ、シャンシャン、チリリーン、
カラーン、コローン。
いったい、何種類、
登場するのでしょうか。
まるで、
音のクリスマス・イルミネーションです。
特に、ピアノの間奏のバックに流れる、
教会の鐘の音。
見事に、雰囲気を、
かもしだしてますよね。
素晴らしいです。
あれあれ、
ずいぶん長くなってしまいました。
もう疲れました。
お目目がショボショボ。
本当は、最後まで書こうと思ったのですが、
次回にさせて下さい。
(タイトルも、一度は後編と書いたのを、
その2に訂正しました。)
すみませんです。
ご容赦…。
(早く書かないと、
クリスマス終わっちゃうんだけど。)
ですよね…。
(つづく)
ところで、
一昨日(12日)の、
「日韓POP・FESTIVAL」
(渋谷C・C・レモンホール)
これ、
ちょっとビックリしました。
韓流アイドルに集まった、
女性(女の子)たちが、
あんなにジャミンを、
熱烈に歓迎してくれるとは…。
嬉しかったですねえ。
お礼に、
今度、韓国の曲でも、
アレンジしてみようかな。
ハングル語で。
どうよ、スティーブ君。
リードやってみる…?
SHUN MIYAZUMI
December 06, 2008
jammin' Zeb『裏・ギフト』
今年もあと一ヶ月。
早かったような、長かったような…。
でも、ジャミン・ゼブのおかげで、
みなさんのおかげで、
大変充実した年でもありました。
そんな、“ジャミン・イヤー”を
締めくくるようなアルバムが、
11/19にリリースされました。
クリスマス・アルバム
『GIFT(ギフト)』です。
おかげさまで、
とても好評のようです。
山野楽器さんはじめ、
いろんなCDショップでは、
クリスマス商品の目玉として、
ディス・プレイされてるところも、
多いとか。
というわけで、
今回もやることにしました。
裏シリーズ!!
『Dream』のときも、
好評でしたからね。
(ほんとか。)
このアルバム『GIFT』を、
裏側から覗いてやりましょう。
楽曲の知られざる逸話、
アレンジ上の種明かし、
制作過程におけるエピソード、
などなど。
私なりの、
独断と偏見に満ちた解説を、
面白可笑しく…。
題して、
『jammin'Zeb 裏・ギフト』
---------------------------------------------------------------
♪CHRISTMAS EVE(クリスマス・イヴ)♪
---------------------------------------------------------------
カラーン、コローン♪
いきなり、教会の鐘が鳴り、
原曲とは、かなり趣きの異なる、
『クリスマス・イヴ』のサウンドで、
このアルバムは、
一気にクリスマス・ムード。
さて、このアルバムで、
私が最も重要視したのが、
パーカッションです。
それも、金属系の鳴りもの。
トライアングル、鈴(Sleigh Bell)、
フィンガー・ベル(ハンド・ベル)、
ウィンド・チャイム、ベル・ツリーetc.etc.
キラキラしたサウンドの、
パーカッションのあれこれが、
クリスマス・イルミネーションのごとく、
全体のサウンドに煌(きら)めきを、
与えてくれるのではないか。
そう信じて疑わない私は、
はたけやま裕(ゆう)女史に電話をして、
「光りものをいっぱい持ってきてね。」
そう注文しました。
そう、
私は、こうした金属系の鳴りもののことを、
「光りもの」と呼びます。
私だけかもしれませんが…。
寿司でも「光りもの」は大好物ですからね。
「あじ」「さば」「こはだ」「さより」。
ま、冗談はさておき、
この女史の、
「光りもの」コレクションですが、
いや、あるわ。あるわ。
ビックリしました。
そして、
こちらが欲しいものを、
いとも簡単に引っ張りだしてきては、
そのつど、見事な演奏をしてくれます。
でもね…。
まさか、教会の鐘まであるとは、
思いませんでしたよ。
それも、小さいのから大きいのまで、
可愛いのから荘厳なのまで、
多種多彩。
これぞまさに、
「寿司職人」ならぬ、
「打楽器職人」ですね。
裕ねえさん。
あんたは、エライ。
このあとも、
裕ねえさんの奏でる、
キラキラとしたパーカッション・サウンドが、
どの曲にも、
素晴らしい彩りを添えていくのです。
このアルバムは、
そんな職人が腕によりをかけた、
“音のクリスマス・ツリー”
と言っても、
いいかもしれません。
--------------------------------------------------------------
♪SILENT NIGHT(サイレント・ナイト)♪
--------------------------------------------------------------
この曲のスコアの最後には、
こう日付が記されています。
2008年8月13日。
そして、4曲目の、
『LET IT SNOW! LET IT SNOW! LET IT SNOW! 』
は、8月18日。
7曲目の『Peace On Earth』は、
8月20日。
これ、みんな、
アレンジが完成した日付です。
なにを言いたいのか、
おわかりでしょうが、
これ、みんな、
夏の真っ盛りに書いた作品なのです。
このブログを、
読んでくださってるみなさんは、
私がこの夏、
「都会に居ながらにしてのエコ生活」
に挑戦していたことを、
ご存知のはずです。
エアコンも使わず、
夏バテ防止のために、
あえて熱いウドンや肉をモリモリ食い、
汗だくになって毎日を送る、
そんな真夏に書いたものばかりなのです。
まったく、クリスマスの雰囲気なんか、
これっぽっちも思い出せない、
そんな時期だったのです。
しかも、
しかも、しかも、しかも、しかも…、
この季節は、
私の大好きな、高校野球の季節。
アレンジはしなくちゃいけない。
(もう発売日、決まってましたからね。)
しかし、高校野球が見たい。
ええい、少しだけならいいだろう。
TVをつける。
と、これがいい試合で、
ついつい見てるうちに、
もう夕方…。
「いかん、早く書かなくては…。」
あせる。
あせりまくる。
なんとか気持ちを奮い立たせて、
五線紙に向かう。
それにしても、暑い…。
汗が五線紙にしたたり落ちる…。
しかし、頑張る。
頑張って、ペンを走らせる。
全然、気分じゃないのに、
なんとかクリスマスの雰囲気を、
思い出しながら…。
そうこうするうちに、
オリンピック中継が始まる。
……。
そう、この夏は、
ご丁寧にも、
「北京オリンピック」まであったのです。
プロフィールにもあるように、
私は、大の、
スポーツ観戦オタク。
いったい、どこまで、
私を誘惑すればいいのだ…。
私は、そんな世の無情を呪いながら、
見たいプログラムを我慢しながら、
懸命にアレンジする。
しかし…、
しかし、しかし、しかし…。
「ええい、まだ時間はある。
明日早く起きて、続きをやろう。
今日は、このままオリンピックだ。
それにしても、暑いな…。ふ〜…。」
結局、オリンピックを観る。
……。
翌朝。
「さ、アレンジやるか。
待てよ…。
ちょっとだけならいいか…。」
そして、TVのスイッチをパチン。
「おお、やってるな、高校野球。」
……。
こんな毎日でした。
こんな、汗と努力の毎日でした。
誘惑との戦いとの日々でした。
え…?
それがどうした、ですって…?
ですよね…。
--------------------------------------------------
♪CAROL OF THE BELLS♪
(キャロル・オブ・ザ・ベルズ)
--------------------------------------------------
この曲に関しては、
「ZEBLOG」の方で、
スティーブ君が詳しく解説してますので、
私が特に口を挟むものではありませんが、
ボイス・パーカッションを導入した、
初めてのア・カペラ曲として、
ジャミン・ゼブのレパートリーの中でも、
燦然と輝く一品になりましたね。
私もいずれ、
こうした「ボイパ」をふんだんに使った曲を、
書いてみたいと思っているのですが、
なにせ、次から次へと、
宿題があって、
なかなか…。
----------------------------------------------------------------------
♪LET IT SNOW! LET IT SNOW! LET IT SNOW♪
(レット・イット・スノー)
----------------------------------------------------------------------
ブルース・ウィルス主演の、
『ダイ・ハード』『ダイ・ハード2』は、
私の大好きなアクション映画です。
事件はどっちも、
クリスマス・イブの日に起こります。
かたや高層ビルがジャックされ、
かたや飛行場がジャックされる。
そして、
事件に巻き込まれた、
別居中の妻を救うべく、
ニューヨーク市警の一警官、
ジョン・マクレーン(B・ウィルス)が、
孤軍奮闘、
凶悪なテロリストたちをやっつける、
という、痛快アクション。
そして、見事に悪漢どもをやっつけ、
マクレーン夫妻を乗せた車が、
現場から去っていく。
街は再び、
華やかな、楽しげな、
クリスマス・ムードに戻っていく。
そんな、印象的な、
ラスト・シーンに流れるのが、
この曲でした。
ですから、これはもう、
立派なクリスマス・ソングではないか、
と思い、
この曲を選曲してみたわけです。
4(フォー)ビートの、
オーソドックスなピアノ・トリオをバックに、
楽しげに歌うジャミンの歌唱が、
暖炉の前で、
心暖まるクリスマスを迎える家族の、
楽しい団欒をイメージさせてくれますね。
もちろん、
全編に流れる鈴(Sleigh Bell)の音が、
さらに、そんなムードを、
高めてくれていることは、
言うまでもありません。
もうひとつ。
この詞を書いたのは、
Sammy Cahn(サミー・カーン)という人。
アメリカを代表する作詞家です。
私が知る限りにおいても、
膨大な数のヒット曲があります。
『It's Magic』『Time After Time』
『Bei Mir Bist Du Schon』
『All The Way』『I Should Care』
『I Fall In Love Too Easily』
『Day By Day』『Teach Me Tonight』
『It's Been A Long ,Long Time』
etc.etc.
タイトルだけではピンと来なくても、
曲を聞いたら、
みなさん一度は聞いたことがあるはずの、
名曲ばかりです。
素晴らしい!
かつて、
筒美京平さんを、
日本のコール・ポーター、
村井邦彦さんを、
日本のジョージ・ガーシュイン、
と例えて、
エッセイを書いたことがありますが、
ならば、この、
サミー・カーンさんは、
さしずめ、
アメリカの阿久悠さん、
ということに、
なりましょうか。
いずれにしても、
これからの季節にはピッタリの歌です。
部屋をあったかくして、
お楽しみ下さいませ。
凶悪事件は、
ごめんですよ。
(つづく)
ある、アパレル関係のひとから、
こんな話を聞いたことがあります。
彼らが冬物商品を考えるのは、
真夏。
したがって部屋のエアコンを、
ギンギンに冷やして、
「寒い」「寒い」と毛皮のコートを着て、
クリスマス・ソングかなんかを聞きながら、
考える。
逆に、真冬は、
エアコンを30度以上にして、
汗だくになって、
ハワイアンかなんかを聞きながら、
夏物商品を、
考えるんだそうです。
しかし私は、この夏、
暑さをそのまま受け入れながら、
これらを書きました。
これも、ひとつのエコ。
え…?
それがどうした…?
……。
SHUN MIYAZUMI
November 30, 2008
ラグビー
11月22日(土)
北上をあとにした、
私とジャミン・ゼブの4人は、
東京は青山にある、
「秩父宮ラグビー場」
に向かいました。
ラグビー「日本代表vsアメリカ代表」戦で、
ジャミン・ゼブが、
日米国歌を歌うという大役を、
仰せつかっていたからです。
3月の東京ドーム、
MLB開幕戦でのセレモニーにつづく、
スポーツの祭典での大舞台。
いやあ、
今回も見事に歌ってくれました。
素晴らしい出来映えでした。
一瞬暗くなった場内に静寂が走り、
レンセイが「Oh say can you see〜♪」
と、おごそかに歌い始める。
そして、ジャミンの美しいハーモニーが、
会場いっぱいに響き渡ると同時に、
彼らにスポットがあたる。
その姿が、
大型スクリーンに映し出される。
ゾクッとするような、
感動に包まれました。
3月以来、この両国歌演奏は、
いろんなライブで、
デモンストレーションとして、
歌ってきた彼らですが、
やはり、こういう本物の場所で聴くと、
格別ですね。
ま、あたりまえですが。
私は、
ピッチの、
彼らのすぐ真ん前で聴いていたのですが、
隣にいらした、
森喜朗ラグビー協会会長(元首相)、
真下(ましも)副会長からも、
「彼ら、素晴らしいですねえ。」
という、お褒めの言葉をいただきました。
よかったです。
ほっとしました。
さて、セレモニーが終わると、
さっそく試合開始。
大勢のお客さんで埋め尽くされた場内は、
早くも、熱気と興奮に包まれます。
実は私、恥ずかしながら、
ラグビーの試合を生(ナマ)で見るのは、
これが初めて。
場内どこでも出入りできるパスを、
もらってることだし、
せっかくのいいチャンスだから、
これを機に、
いろんな角度から、いろんな場所から、
このラグビーというスポーツの魅力を、
大いに研究してやろうと思いました。
時には、ピッチのど真ん前で。
時には、ポールの正面の金網の前で。
はたまた、観客席の上から、下から。
横から、ななめから。
……。
場内、所狭しと場所を変え、
あちこちから、この、
イギリスで生まれた、
「紳士のスポーツ」というやつを、
観戦させていただきました。
いや、これが、面白い。
そして、すごい迫力。
TVで見るのとは、雲泥の差。
私の目の前、数メートルのところを、
190cm、100kg、
などという大男たちが、
シモンよりもずっとデカい男たちが、
陸上の短距離選手のような猛スピードで、
ぶわ〜っと駆け抜ける。
いや、速い、速い。
まるで、競馬のラスト・スパートのよう。
ボールを持ってゴールに突進する選手を、
相手選手がつかまえ、押し倒す。
そこに、両軍選手が殺到し、
もみあい、おしあい、つぶしあい、
ボールを持って倒れた選手の上に、
何人もの選手がなだれこむ、重なりあう。
(一番下にいる選手は大丈夫なのか…。)
(圧死しているのではないか…。)
そんな心配をよそに、
ちゃんと、そこから、
ボールは出る。
また、突進が始まる。
それを追いかけた相手がタックルしてつぶす。
襟をつかんで、引きずり倒す。
これを、相撲の決まり手にたとえるなら、
あびせ倒し、とったり、足取り、ちょん蹴り、
すくい投げ、内掛け、外掛け、内無双、
猫だまし…。
いやいや、冗談はさておき、
こりゃ、何でもありなのかな、
と思いきや、
ピーッと笛が鳴り、
審判が整然と両軍選手を分け、
今度はスクラム。
やはり反則があったようなのですが、
私には、
どこまでがOKで、
どこからが反則なのか、
よくわからない…?
すると、
場内では、すぐさま、
「○○選手の反則により、
○○チーム・ボールによるスクラムです。」
といったアナウンスが入る。
実に親切。
わかりやすい。
そして、審判は毅然(きぜん)として、
粛々とゲームは進んでいく。
野球やサッカーのように、
誰も審判に食ってかかったりしない。
激怒した監督が飛び出して、
悪口雑言を浴びせたり、
選手を引き上げて抗議、
などということはしない。
したがって、審判は、
イエロー・カードや、
レッド・カードなるものを、
持ってはいない。
(なるほど、これが「紳士のスポーツ」と、
言われる所以(ゆえん)か…。)
さあ、目の前で、スクラムだ。
両軍選手たちが、
低い姿勢でぶつかり合う。
肉と肉のぶつかる音がする。
ドーン!!
まるで、相撲の、激しい立ち会いのよう。
いや、迫力、迫力。
場内、ワーッという大歓声。
ところで…、
もし、私があの中にいたら、
どうでしょうね。
思わず、そんなことを考えてしまいました。
おそらく…、
試合開始早々にして、
あばら骨、肋骨、腰骨など、
数カ所を骨折。
全身打撲、ムチうち、呼吸器マヒ、
などにより、
全治3年の入院生活を余儀なくされることは、
間違いないところです。
いや、まともな社会復帰すら、
危ういかもしれない。
……。
しかし、男たちは、
大男たちは、
何ごともないかのように、
着々とゲームを進めていく。
そして、観客は、
そのプレイの一部始終を、
時には静かに見守り、かたずをのみ、
時には大いに沸き、手を叩き、喝采し…。
全身で、このスポーツを楽しんでいる。
マナーも素晴らしく、
えげつないヤジもない。
ファン同士の罵倒や、
こぜりあいや、喧嘩もない。
したがって、
野球やサッカーと違って、
おまわりさんなんか、
一人もいませんものね。
若い女性ファンが多いのにも、
ビックリしましたが、
納得です。
誰かが、
「ラグビーはエリートのスポーツなんだよ。」
と言ったのを聞いたことがありますが、
これも、納得です。
紳士のスポーツ。
エリートのスポーツ。
大人のスポーツ。
それが、ラグビーなんですね。
TVではわからなったのですが、
生(ナマ)で見て初めて、
そのことを、
体感することができました。
そして、試合終了。
両軍選手は、
お互いの健闘をたたえ合い、
観客は、両軍選手に、
惜しみない拍手をおくる。
さわやかでした。
感動しました。
さて、
こうしたラグビーの試合の運営は、
「日本ラグビーフットボール協会」
の人たちによって、
行われます。
今回、このお仕事の関係で、
この協会の方々と、
お知り合いになれたのですが、
ほとんどの皆さんが、
元ラガー・マンなんですね。
かつて、自分もラグビーをやっていた、
ラグビーをこよなく愛する男たち。
そうした男たちの、
‘手作り’による試合運営。
心がこもっているのです。
「いい試合をしてほしい。」
「みなさんに楽しんでもらいたい。」
そんな彼らの愛情が、
試合の運営にもあふれているのです。
さわやかなはずです。
試合が終わって、
スタジアムから、
外苑前の地下鉄に向かう、
大勢のお客さんの顔もまた、
さわやかな笑顔で、
満ちあふれていました。
もちろん、私の心も、
ポッカポカ。
(おわり)
ところで、ジャミン・ゼブ。
ハーフ・タイムでも、
歌わせていただきました。
曲は『Peace On Earth』
なんかピッタリでしたよ。
自分で言うのも何ですが、
この曲のもつ爽やかさと、
ラグビーの爽やかさが、
ばっちりハマッていたと感じたのは、
私だけでしょうか…。
中須さんはじめ、
「日本ラグビーフットボール協会」
のみなさんに、
この場を借りて、
あらためてお礼申し上げます。
ありがとうございました。
また、呼んでくださいね。
そんな写真の数々。
ジャミン・ゼブのブログ『ZEBLOG』の、
「三日間のつれづれ その2」に、
たくさん掲載されております。
ぜひ、ご覧になってください。
(ここにも欲しいなあ。
ね、ショーちゃん。)
というわけで、この冬は、
大いにラグビーを見ようと思っております。
おっと、その前に、
ルールを覚えなくちゃ…。
SHUN MIYAZUMI
November 23, 2008
きたかみ
私は、父親の転勤で、
山形に2年ほど、
住んでいたことがあります。
もう、40年以上も、
前の話です。
当時、
東北への出発ターミナルは、
上野でした。
上野から山形まで、
特急で5時間半。
雪深い東北の地は、
私にとっては、
それまで住んでいた世界とは、
まるで別世界。
言葉も風習もまるで違う、
ましてや、
寒さの苦手な私には、
なかなかに、
過酷な2年間ではありましたね。
でも、懐かしい。
それが、どうでしょう。
……。
11月21日(金)
私は、ジャミン・ゼブの4人を連れて、
岩手県まで足を運んだのです。
岩手というと、
遠い北の地という印象がありました。
ところが、
東京駅から、盛岡まで、
東北新幹線「こまち」で、
たったの2時間20分。
私の知る、最北の地、
山形よりも、
さらに北にある盛岡まで、
たったの2時間20分。
これじゃあ、通勤圏です。
こんなに東北が、
近くなっていたとは…。
昔日の感がありますね。
ま、シモンにいたっては、
東北本線が、
上野から出ていたことも、
知りませんでしたがね。
アハハハ。
それでも、盛岡は、
雪でした。
まだ11月だというのに。
オーストラリアでも、
暖かいリゾート地、
「ゴールド・コースト」出身で、
ほとんど雪を見たことのないレンセイは、
目を丸くしていましたね。
さて、私たちは、
駅前からタクシーで、
「エフエム岩手」
というところに向かいます。
1時から、
『Gotta Friday』というワイド番組に、
生出演です。
局の方々から、
暖かいおもてなしを受けたジャミン・ゼブは、
さっそくスタジオに入って、
番組スタート。
「はい、きょうのゲストは、
ジャミン・ゼブのみなさんです。
こんにちはー。」
「こんにちはー。」
そして、
「みなさん、盛岡は初めてですか?
どんな印象ですか?」
という質問に、
コージローは、
さすがにリーダーらしく、
「はい。僕たち、岩手県は、
初めてお邪魔するんです。
9月には、仙台まで来ましたが、
僕たちにとって、盛岡は、
最北の地ということになります。
とても、いいところで、
エキサイティングしています。」
と、立派な受け答え。
(よしよし、その調子だ…。)
そして、スティーブも、シモンも、
無難に自己紹介と盛岡の印象を語り、
いよいよレンセイの番。
ここで、レンセイ。
「ハイ、ソウデスネー…、
テンキハ、チョット、ヤバイデスネー。」
(……。)
早くも、やってくれました。
もちろん、スタジオ大爆笑。
(誰だ、ヘンな日本語教えたヤツは…。)
でも、何を言っても、
いやな印象を与えずに、
笑いにしてしまえるところが、
レンセイのキャラクター。
天然パワー、北の地でも炸裂です。
一瞬、ヒヤッとしましたが、
みなさんの優しい笑顔を見ていると、
まあ、大丈夫でしょうね。
(ふ〜…。)
さて、約30分の生番組が終わると、
別のスタジオで、
こんどは、3本の番組収録。
『GIFT』の宣伝も、
大いにしてくださり、
本当に、感謝感謝のひとときでした。
これらの番組のオン・エア日は、
『ZEBLOG』の「インフォメーション」で、
随時お知らせしますので、
地元の方、
ぜひ、お聞きくださいませ。
その、3本目の番組収録で、
またまたレンセイが、
やってくれました。
「それでは、お一人づつ、
岩手の印象を語ってもらいましょう。
まず、コージローさん。」
コージロー、
「はい、岩手はとてもいいところです。
また絶対来たいです。」
そして、スティーブ、
「ええ、また絶対、岩手に来れるよう、
これからも頑張ります。」
シモン、
「一度と言わず、岩手には、
何度でも来たいです。」
レンセイ、
「ソウデスネー、
センダイ(仙台)ハ、
ホントウニ、イイトコロデスネー。」
ガハハハハハハハ。
ま、許してあげましょう。
レンセイ君だから。
(生番組じゃなくて、良かった…。)
さて、すべての収録を終えると、
私たちは、
「北上(きたかみ)」というところへ移動。
そういえば、その昔、
『北上夜曲』という曲が、
ありましたねえ。
今宵は、
「シティプラザ北上」
というホテルで、
『ワインとジャズで素敵な夜を』
という、ディナー・ショーです。
駅に着くと、
その「ホテルシティプラザ北上」の、
Oさんという方が、
迎えに来て下さいました。
ワン・ボックス・カーに乗り込み、
ホテルに着くと、
それは立派な、ゴージャスなホテル。
大きなロビーの窓の向こうには、
雄大な北上川が、滔々と流れ、
美しい紅葉の山々が、
目の前いっぱいに拡がっていました。
素晴らしい景観に感動です。
そして、ロビーのあちこちには、
今宵のショーのポスターが、
貼ってあるのですが、
右のほうには、
「SOLD OUT!」
と、張り紙がしてありましたね。
聞くところによると、
今宵のお客さまの数、
なんでも、
400人…。
(えっ、そんなに…。)
これまた感動…。
このショー。
実は毎年、
「ボジョレー・ヌーヴォ」の解禁日、
すなわち、
11月20日の開催なんだそうです。
11月20日だったら、
ジャミンは、他にスケジュールが入っており、
行くことはできませんでした。
でも、Oさんはじめ、みなさんが、
「どうしてもジャミンを呼びたい。」
ということで、
わざわざ一日ずらして、
開催してくださったそうなのです。
またまた、感動ですね。
ありがたいことです…。
そして、19時40分。
みなさんのお食事もほぼ終わり、
美味しいワインも、
ほぼ召し上がったところで、
大きな宴会場のステージに、
ジャミンが登場すると、
「待ってましたー。」
とばかりに、
大きな拍手、歓声。
もう一曲めから、
みなさんノリノリ。
「ピー〜」「キャー〜」「イエ〜イ」
……。
私は、
9月の仙台遠征には行けませんでしたが、
仙台でもすごい歓迎ぶりと、
お客さんのノリの良さにびっくりした、
と、関係者から聞きましたが、
ここ、北上でも同じでしたね。
素晴らしい反応と歓待ぶりに、
当のジャミンが、
一番驚いたようです。
北は熱い…。
さらに、
会場が大きいので、
ステージの左右には、
スクリーンまで用意されていましたね。
後ろのテーブルからも、
彼らのアップの表情が見られる、
心憎いばかりの演出。
コンサートは、
そんな素晴らしい雰囲気のなか、
スムーズに進行。
そして最後は、
いつものように、
『When I Fall In Love』
ここで、コージローが、
いつものように、
「残念ながら、次の曲が最後です。」
すると、
満員の会場から一斉に、
「え〜〜〜〜〜〜〜っ。」
なんでしょう、この熱い反応は。
これ、東京では定番となってきましたが、
きょうのお客さんは、
初めてジャミンを見る人ばかりです。
どうして、
こうなるのでしょう…?
びっくりしました。
東北は、本当に、
熱い…。
このあと、
熱いアンコールが、
なんども続き、
コンサートは、つつがなく終了。
ロビーでは、いつものように、
女性を中心に、
即売やサイン会や、
写真撮影でごったがえす光景。
こうして、
とても初めてとは思えない、
岩手県初のジャミン・コンサートは、
大成功に終わったのでした。
関係者のみなさん、
エフエム岩手のみなさん、
そして初共演のバンドのみなさん、
本当にありがとうございました。
お客さんの何人からは、
「また絶対来てくださいよ。
来なかったら怒りますよ。」
と、言われましたね。
嬉しいですねえ。
ええ、来ますとも。
また、お会いしましょうね。
楽しい打ち上げのあと、
部屋に戻ると、
窓の外は、
ボタン雪が降りしきっていました。
でも、私の心は、
ポッカポカ。
(おわり)
ところで、
帰ってみたら、
「『GIFT』素晴らしいぞ。」
のコメントが、
たくさん寄せられていましたね。
みなさん、
ありがとうございます。
トテモ、ウレシイデス。
本当は、
お一人づつ、
お返事しなくちゃいけないところですが、
なにぶん時間もなくて…。
この場をお借りして、
熱くお礼申し上げます。
さて、クリスマスまで、
まだまだ楽しいイベントは続きますよ。
「この冬は、いつになく暖かい。」
そう言われるように、
頑張りましょう。
そんな私とジャミンは、
翌22日、
北上をあとにして、
東京は,「秩父宮ラグビー場」に、
移動したのでした。
ここでも、素晴らしいドラマが、
待っていました。
次回は、そんなお話でも。
SHUN MIYAZUMI
November 15, 2008
jammin' Zeb 『GIFT』
11/19(水)
いよいよ発売になります。
jammin' Zeb のクリスマス・アルバム
『 GIFT(ギフト)』


サンプル盤の帯原稿には、
こんな文章が、
書かれていますね。
“ 聖なる夜に舞い降りた奇蹟のハーモニー
スタイリッシュなコーラス・ワークで彩られた
心暖まるクリスマス・ソングス ”
ちょっと気恥ずかしいうたい文句ですが、
でも、言い得て妙でしょうか。
いずれにしても、これは、
ジャミン・ゼブと私から、
みなさんへの、
クリスマス・ギフト(贈り物)です。
この美しいアルバムが、
みなさんのクリスマス・シーズンに、
素敵な彩りを添えられますように…。
そんな願いをこめて、
今日も、
プロデューサー的見地から、
このアルバムを、
解説してみようと思います。
いつものように、
独断と偏見に満ちた解説を…。
jammin' Zeb『 GIFT 』
01. CHRISTMAS EVE(クリスマス・イヴ)
lyrics & music : Tatsuro Yamashita
arrangement : Shun Miyazumi
山下達郎の名曲『クリスマス・イヴ』を、
「ボーイズ・トゥー・メン」風の、
ちょっとソウルな感覚のリズムで、
アレンジしてみました。
ソロはおもにレンセイ。
ちょっぴり大人な雰囲気を漂わせた、
ジャミンならではの優雅なハーモニーが、
原曲とは、ひと味もふた味も違う、
不思議な世界へ、
誘(いざな)ってくれることでしょう。
Piano & Hammond B-3 Organ : Shun Miyazumi
Bass : Tetsuyuki Kishi
Drums : Hideo Yamaki
Percussion : You Hatakeyama
02. SILENT NIGHT(サイレント・ナイト)
lyrics & music : Traditional
arrangement : Shun Miyazumi
これはいったい、
どんなジャンルなのでしょう。
何と呼べばいいのでしょう。
この『きよしこの夜』は…。
ジャズでもない。
クラシックでもない。
ポップスでもない、ゴスペルでもない、
教会音楽でもない。
でも、美しい…。
だから許してください。
世界中にひとつだけしかない、
ジャミンだけの『聖夜』…。
Fender Rhodes Piano : Shun Miyazumi
Bass : Yusuke Sato
Percussion : You Hatakeyama
Chromatic Harmonica : Tatsuya Nishiwaki
03. CAROL OF THE BELLS
(キャロル・オブ・ザ・ベルズ)
music : Mykola Leontovich
arrangement : Douglas Teel
ウクライナ地方に伝わる、
クリスマス・ソングなんだそうです。
不思議な感じの曲ですね。
でも、いい感じ…。
詳しくは、「Zeblog」でも、
誰かが書くでしょうから、
それは、まかせるとして、
シモンのソウルフルなベース、
スリリングなハーモニー、
ボイス・パーカッションの炸裂、
強烈なパッセージetc.etc.
素晴らしい、
ジャミンの、ア・カペラ・ワークが、
存分にお楽しみいただける逸品です。
04. LET IT SNOW! LET IT SNOW! LET IT SNOW!
(レット・イット・スノー)
lyrics : Sammy Cahn
music : Jule Styne
arrangement : Shun Miyazumi
これは、厳密に言えば、
クリスマス・ソングではありません。
古いアメリカのスタンダード曲です。
映画『ダイ・ハード』『ダイ・ハード2』
のラスト・シーンで使われていましたね。
オーソドックスな、
ジャズ・コーラスのサウンドで、
軽快にスイング!
なんとも楽しい仕上がりになりました。
レンセイのソロも秀逸。
そして、全編に流れる鈴(すず)の音が、
とても暖かい雰囲気にさせてくれます。
はたけやま裕ちゃん、
ありがとう!
Piano : Shun Miyazumi
Bass : Tetsuyuki Kishi
Drums : Hideo Yamaki
Percussion : You Hatakeyama
05. THE CHRISTMAS SONG(ザ・クリスマス・ソング)
lyrics & music : Mel Torme
arrangement : Shun Miyazumi
有名なジャズ・シンガー、
メル・トーメの書いた、
今やクリスマスには欠かせない名曲。
前半は、ひとりずつのソロに、
いろんなコーラス・ワークが絡む、
というポップな世界。
(シモン〜スティーヴ〜レンセイ〜コージロー)
間奏後は、
一転してジャズ・ハーモニーの、
優雅な世界。
そして、
感動的なクライマックスへ…。
これまた、ジャミンならではの、
独特の世界ですが、
ドラマチックな作品になりました。
Piano : Shun Miyazumi
Bass : Yusuke Sato
Drums : Hideo Yamaki
Percussion : You Hatakeyama
06. WE WISH YOU A MERRY CHRISTMAS
(ウィ・ウィッシュ・ユー・
ア・メリー・クリスマス)
lyrics & music : Traditional
arrangement : Douglas Teel
作者不明のトラディショナル楽曲。
でも、欧米では、
古くから愛され続けてきた、
クリスマスを代表する名曲ですね。
風変わりな、シモンのベースで始まる、
コケティッシュな可愛いアレンジは、
発表当初から、
ジャミン・ファンのみなさんにも、
とても好評でした。
聴く者を、
暖かい気持ちにさせてくれる、
ほのぼのとした、
素敵なア・カペラ・ナンバーです。
07. PEACE ON EARTH(ピース・オン・アース)
lyrics : Lensei
music : Shun Miyazumi
arrangement : Shun Miyazumi
『New York Life』に続く、
ジャミン・ゼブ2曲目のオリジナルは、
私なりの、ちょっとした、
メッセージ・ソングです。
世界平和や地球環境問題を、
大げさに考えるのではなく、
みんなのできることから、
身近にある小さなことから、
少しづつ、
やっていきませんか、
考えていきませんか、
そんな歌です。
あなたの大切な家族や友人や、
未来の子供たちのために、
そして、なによりも、
あなた自身のために…。
そんな願いをこめて、
書いた曲です。
レンセイが、
今回も素敵な詞を書いてくれました。
ジャミンの4人が、
感動的な歌唱をしてくれました。
名ドラマーの山木秀夫さん、
ベースの岸徹至くん、
パーカッションのはたけやま裕ちゃん、
素晴らしい演奏をありがとう。
ジャミン・ファンのみなさん、
ジャミンを応援してくださるみなさん、
そして、平和を愛する、
すべての人に、
この曲を捧げたいと思います。
(ちょっと、真面目…。)
Piano & Hammond B-3 Organ : Shun Miyazumi
Bass : Tetsuyuki Kishi
Drums : Hideo Yamaki
Percussion : You Hatakeyama
08. CHRISTMAS EVE(クリスマス・イヴ)
<ボーナス・バック・トラック>
lyrics & music : Tatsuro Yamashita
arrangement : Shun Miyazumi
最後は、ボーナス・トラックです。
1曲目の『CHRISTMAS EVE』から、
リード・ヴォーカルだけをカットした、
“ コーラス付きカラオケ ”
とでも言いましょうか。
ジャミンのコーラスをバックに、
どうぞ、ご一緒に、
お歌いください。
美味しいワインでも、
召し上がりながら…。
Piano & Hammond B-3 Organ : Shun Miyazumi
Bass : Tetsuyuki Kishi
Drums : Hideo Yamaki
Percussion : You Hatakeyama
最後に、
レコーディング・データです。
-----------------------------
jammin' Zeb are :
Kojiro
Steve
Lensei
Simon
Produced by Shun Miyazumi
Associate Producer : Shoji Yuasa
Recorded & Mixed by Takashi Sudoh
Recorded at : ZAK STUDIO,
SUNRISE STUDIO, ZERO STUDIO
Mixed at ZERO STUDIO
Assistant Engineers :
Rie Mimoto, Yasuhiro Nakashima
Mastered by Hiroshi Kawasaki
Mastered at FLAIR Mastering works/Victor Studio
A&R Producer : Sumio Jono
Cover Art and Design : Swingarm
Photographs : Masamitsu Tomita
Styling : Toru Onozawa
Hair and Makeup : Azuma
Supervisors : Seiji Fueki, Koji Niwa
Artist Management : SHUN CORPORATION
Special Thanks :
KAOS (Akinori Kumata & Ayumi Ozaki),
Masafumi Nakao, All Of Me Club,
Shigeo Kurimoto,
Koichi Tsuruyama ("A-TRAIN"),
GENERRA
---------------------------------------
ベースの佐藤有介くん、
ハーモニカの西脇辰弥くん、
エンジニアの須藤高志くん、
そして、
このアルバムに携わってくださった、
すべてのみなさんにも、
メリー・クリスマス!
感謝をこめて…。
SHUN MIYAZUMI
November 07, 2008
中本マリさん・後編
私は一人っ子です。
しかし、私には、
実の姉のように思ってる人がいます。
私を、
実の弟のように思ってくれてる人がいます。
きょうも、
その人のお話です。
『中本マリさん・後編』
あれは、もう、
35年以上も前のこと…。
大学4年生になろうかとしていた私は、
尊敬するギタリスト、
ウエス飯田さんという人のお誘いで、
六本木に出来たばかりの高級クラブ、
『モンシェルバン』というところで、
毎晩、演奏することになりました。
この、『モンシェルバン』というクラブ。
こじんまりとしたお店ですが、
高そうなブランデーやウイスキーが並び、
いかにもお金持ち、セレブ、
といった人たちや、
カモとおぼしき紳士を連れた、
(おっと失礼。)
仕事帰りの銀座のホステスなどで、
毎晩、大変な盛り上がりでした。
景気が良かったんですね、
その頃は。
演奏開始が、夜中の1時。
終了が、朝の5時…。
とんでもない時代です。
そんな、大人の社交場で、
毎晩、ジャズを演奏する私も、
とんでもない学生です。
……。
演奏するメンバーは、
ギターのウエス飯田さん、
横尾さんというベース、
そして私のピアノという、
ドラムレス・トリオ。
そして、ヴォーカルが、
新進気鋭の、
中本マリさんでした。
このグループでの活動は、
約半年続くのですが、
今にして思えば、
私にとって、
本当に貴重な半年でしたね。
飯田さんからは、
ジャズの乗り方、
フレージングの歌わせ方を学び、
マリさんからは、
グルーヴ、歌伴の極意を学び、
そして、何よりも、
おびただしい数のスタンダード・ナンバーを、
知ることができたのです。
毎晩が新鮮でした。
素晴らしい体験でした。
特に、中本マリさんのヴォーカルは、
本当に素晴らしかった…。
伴奏をしていても、
ゾクゾク来るものがありました。
時にガヤガヤと、
お客が、演奏など聞かずに騒いでいても、
彼女が歌いだすと、
ピーンと空気が張りつめる。
そんな空気のなか、
アップ・テンポからバラードまで、
ジャズからポップスまで、
彼女の唄は、
常にその場を支配していました。
「これは、大物になるな…。」
私は、なまいきにも、
そう思いながら、
毎晩ピアノを弾いていたのですが、
やはりです。
こんな逸材を、
メジャーが放っておくわけがありません。
ほどなく彼女は、
『Unforgettable』というアルバムで、
メジャー・デビュー。

またたく間に、
その名前は、
ジャズ・ファンに知られることになります。
そして、
78年からは、8年連続で、
ジャズ専門誌『スイング・ジャーナル』の、
読者人気投票で、堂々の1位。
まさに、スター街道まっしぐら。
一方の私は、
『ジャズまくり時代』にも書いたように、
こうした酒場でピアノを弾くことに、
急速にその興味を失い、
このグループを脱退。
大学4年生の秋には、再び、
『K大ライト・ミュージック・ソサエティ』
に復帰して、
普通の学生として卒業。
今度は、レコード・プロデューサーとしての、
道を歩むことになります。
そんな、
ジャズに明け暮れた、
私の学生生活を締めくくったのが、
芝・郵便貯金ホールで行われた、
ライトの卒業リサイタル。
そして、このときのゲストは、
前年(73年)のメジャー・デビューで、
彗星のごとく現れた、
ジャズ・ヴォーカルの新星、
中本マリさん。
これは、そのときの写真です。

(写真クリックで拡大)
もう一人のゲストは、
やはりライトの大先輩で、
ジャズ・クラリネットの第一人者、
北村英治さん。
もちろん、ピアノは私です。
なつかしいなあ…。
そして、
35年という、
長い長い月日が流れました…。
この写真を見ると、
いつも感無量になります。
……。
もちろん、
このとき、
ジャミン・ゼブの4人は、
まだこの世に、
生を受けておりません。
そんなジャミン・ゼブと、
中本マリさんの、
ジョイント・コンサート。
楽しそうでしょ。
まさに、
時空を超えた競演。
感慨深いものがあります。
ぜひ、いらして下さい。
この一夜のためだけに、
新しいアレンジも書きましたから。
マリさんとジャミンの共演の曲を。
そんな一夜です。
一人でも多くの方とご一緒できたら、
素敵ですね。
本当に…。
(おわり)
中本マリさんと私は、
本当に、
姉と弟のような関係なのですが、
ひとつ困ったことがあります。
いつまでも私を、
子供扱いすることです。
先日も、打ち合わせのとき、
ジャミンの4人や、
イベンターの方がいる前で、
私を指差し、
「この子はねえ、
昔は可愛いかったのよー。」
「……。」
あのね、ねえちゃん。
あたしゃ、もう、
57才のオッサンですよ。
‘この子’は、やめなさい。
‘この子’は。
しかも、息子のようなジャミンの前で、
‘この子’は。
ね、
ねえちゃん…。
SHUN MIYAZUMI
(追加)
いけない!
肝心のこと書くの忘れた。
そのコンサートの詳細です。
12/1(月)
中野ZERO小ホール
18:30 開場
19:00 開演
¥5,250
お問い合わせ
チケットぴあ
0570-02-9999(Pコード304-266)
主催 近代プロダクション
03-3384-4588
来てください、て言っても、
これ書かないと、
無理ですよね。
アハハハ。
「ZEBLOG」のInformationにも、
詳しく出てますが…。
いやあ、また叱られそうだ。
「あんた、何やってんのよー。」
てね…。
SHUN
October 31, 2008
中本マリさん・前編
12月1日(月)に、
興味深い、
ジョイント・コンサートがあります。
『中本マリ&jammin'Zeb
クリスマス・コンサート』
(@中野ZERO小ホール)
このお話を、
イベンターの方からいただいた時、
私の中には、
ある特別な感情が、
なんとも言えない感情が、
沸き起こっていました。
中本マリさん。
35年以上もの長きに渡って、
日本のジャズ・ヴォーカル界をリード。
その魅力を、一般にまで浸透させ、
今日(こんにち)の、
ジャズ・ヴォーカル・ブームを作ってきた、
牽引者です。
そして私は、
彼女が無名の頃から、
彼女を、よく知っています。
彼女もまた、
私が学生の頃から、
私を、よーく知っています。
私は、彼女を姉のように慕い、
彼女も私を、
実の弟のように可愛がってくれる、
そんな関係だったのですが、
そんな私たちに間にも、
35年以上という月日が流れました。
今では、
「中本マリ」という名前や存在すら知らない、
若いジャズ・ヴォーカリストも、
たくさんいることでしょう。
そんな彼女と、
今私が、渾身の力をこめて、
プロデュースしている、
ジャミン・ゼブが競演する…。
私にとっては、
なんとも感慨深い企画です。
これは、ぜひ実現したい…。
私は、二つ返事でお受けしたのですが、
ならばこの機会に、
私と彼女の、
素晴らしい思い出を語るのも、
一興ではないかと、
思うに至りました。
彼女を知らない人たちにも、
ぜひ、その魅力を、
知ってもらいたいし…。
『中本マリさん』
かつて、
『ジャズまくり時代』
というエッセイを、
長々と書いたことがあります。
ジャズ・ピアノに憧れ、
「K大ライト・ミュージック・ソサエティ」
という名門ジャズ・オーケストラに、
入部したものの、
あまりのレベルの高さと、
下級生ゆえの雑用の多さに、
まったく練習することができない不満から、
ついには、
1年生の夏に退部。
今度は、
夜の六本木や銀座で、
プロのピアニストの人たちの演奏を聞き、
教えを請い、
ついには自分も、
ジャズ・クラブや酒場で演奏三昧。
そんな、
いけな〜い大学生活を送っていた頃のお話を、
延々と綴ったものでした。
(まだの方、興味のお有りの方は、
どうぞお読み下さい。)
きょうは、再びその頃のお話です。
あれは、私が、
大学3年生の時でしたか。
少しはジャズが解りかけ、
演奏もマシになってきたかなと思える、
そんなある日、
私が勝手に弟子入りしてしまった、
ピアニストの大沢保郎さんが、
赤坂にある高級クラブ、
『VIPA ROOM』
というところに、
連れて行ってくれました。
そのクラブのハウス・バンドは、
大沢さんとも親交の深い、
横内章次さんという、
有名なギタリストのカルテット。
その演奏も、
若き日の私には、
大いに刺激的なものでしたが、
インストが何曲か終わって、
ひとりの若い女性シンガーが登場。
そして、その彼女が歌いだした、
その瞬間、
私の体に電流が走りました。
まさに、
「鳥肌が立つような感動」
とは、このことです。
「いったい、この人は、何者だ…?」
それが、
中本マリさんでした。
今は、
ジャズ・ヴォーカルが全盛ですね。
プロ、アマ問わず、
ジャズ・ヴォーカルを唄う人は、
女性を中心に、
本当に多い。
どんなジャズ・クラブでも、
ジャズ・ヴォーカルを入れないと、
営業が成り立たないくらい。
アマチュアも入れると、
日本には、一体どのくらいの、
ジャズ・ヴォーカリストがいるのか…?
おそらく、その数、
世界一ではないか…?
私は、そう思います。
しかし、当時は、
そうではありませんでした。
というか、
インストの方が主流で、
しかも名のある巨匠たちが、
でーんと居座って、
なかなかヴォーカルの入る余地がない。
菅野邦彦さん、菅野光亮さん、大野雄二さん、
山本剛さん、杉野喜知郎さん、大沢保郎さん,
などなど。
こうした、
名ピアニストたちは、
それこそ厳しくて、
彼らに伴奏をしてもらうには、
相当の実力がないと、
かなわぬ時代。
ヘボな唄を唄うと、
こっぱみじんにやっつけられる。
いじわるされる。
ののしられる。
ま、プロの洗礼ですな。
そんな時代ですから、
ヴォーカリストは本当に少なかったですね。
しかも、
見よう見まねで歌ってるもんだから、
英語も、ピッチも、
怪しげな人が多かった。
そんな時代です。
昔日の感がありますね。
そんな時代に、
中本マリさんという、
若きヴォーカリストは、
25、6才にして、
堂々たる唄いっぷりでしたね。
アニタ・オデイを思わせる、
ハスキーな声。
ぐいぐいバンドを引っ張る、
強烈なグルーヴ。
そして何よりも、
彼女の唄には、
感動がありました。
彼女が、ロング・ノートで張り上げると、
思わず切なくなってしまう、
そんな感動がありました。
器用に、小手先だけで唄う、
その辺りのジャズ・シンガーとは、
まったく一線を画する、
そんな風格を、
デビューの頃から持っていましたね、
彼女は。
私は、すっかり、
彼女のファンになってしまいました。
そして、
大沢先生にお願いして、
このナイト・クラブに、
自由に出入りすることを、
許可してもらったのです。
ピアノの修行のかたわら、
私は時間を見つけては、
この、赤坂『VIPA ROOM』に、
足繁く通い、
彼女のヴォーカルに、
酔いしれていたのです。
そうこうするうちに、
私も大学4年生になろうとしていました。
学業そっちのけで、
ジャズ・クラブや酒場で、
ピアノ弾きをやってる、
いけな〜い学生生活は、
ますますエスカレートしていきました。
そんなある日、
可愛がっていただいてた、
これも素晴らしいギタリストの、
ウエス飯田という人から、
あるお誘いを受けたのです。
「シュン、今度六本木に、
新しいナイト・クラブが出来るんだが、
どうだ、一緒にやらんか。
月曜から金曜まで毎晩。
夜中の1時から5時までと、
ちょっときついが、
勉強になるぞー。」
(このお話は、
『ジャズまくり時代』にも書きましたね。)
「毎晩、朝までか…。」
私は、一瞬ためらいましたが、
一緒に演奏するメンバーを聞いて、
信じられない気持ちで、
即答したのです。
「やります!」
なぜならば、
そのメンバーの中には、
あの、
中本マリさんが、
いたからです…。
(つづく)
先週、
このコンサートの打ち合わせのため、
10年ぶりくらいに、
彼女に会いました。
そして、ジャミンを紹介。
和気あいあいの雰囲気のなか、
数曲、共演することになりました。
しかも一曲は、
私が書き下ろすことに。
というか、
悪のりした私が、
自分から言い出した…。
「せっかくだから、新曲もやろうよー。
俺、書くからさあ。」
きのう、おとといと、
そのアレンジをやっていたら、
再び、腰痛が、
ぶりかえしてしまいました。
トホホ…。
おまけに今宵は、
「学芸大ミッドナイト・セッション」
朝まで、スポーツ・ピアノ。
そして明日は、朝も早よから、
「銀座ジャズ」で、
ジャミンのリハーサル。
いいのかな…。
この、出たとこ勝負人生…。
計画性のない人生…。
ま、昔からずっと、
こんな感じですけど。
ね、マリさん。
SHUN MIYAZUMI
September 29, 2008
jammin'Zeb『裏・ドリーム』その4
ああ、終った。
ホッ。
23日(火)の名古屋にはじまり、
大阪、東京、
そして昨日の南大沢(八王子)の
チャリティ・コンサートまで、
5日間で6回のコンサート。
移動日なしの過酷スケジュールでしたが、
よくがんばりました、
ジャミン軍団。
特に、
25日(木)の「赤坂BLITZ」の熱狂ぶりは、
すごかったですねえ。
あちら(ZEBLOG)からも、
みなさんの興奮ぶりが伝わってきます。
よかった、よかった…。
でも、どこのライブも、
暖かいお客さんの歓声と拍手。
おかげで、
ジャミンの連中も、
ひと回り、
たくましくなったような気がします。
みなさん、ありがとうございました。
オジサン、
ますます、がんばりますよー。
『jammin'Zeb 裏・ドリーム その4(最終回)』
------------------------------------------------------------------------
♪NEW YORK LIFE(ニューヨーク・ライフ)♪
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この曲は、
とあるCMのプレゼン用に書いたものです。
ニューヨークを舞台にした、
新しい経済雑誌のCMです。
「こんな感じです。」
と言って渡された絵コンテには、
モダンな素敵なイラストが描かれており、
私は、すぐにイメージが湧いてきました。
ジャミンのコンセプトにもピッタリ。
「ようし、いっちょうやるか!」
ところが、
曲を書いた直後に、
プレゼンそのものが中止になってしまいました。
「なあんだ。」
タイアップが付かないのなら意味が無いし、
いっそ捨ててしまおうか、
とも思ったのですが、
それも、もったいないし…。
「じゃあ、遊びのつもりでライブ用に、
軽い気持ちで仕上げてみるか。」
と、思い直してアレンジしたのが、
この曲です。
捨てなくて良かったです。
さて、
表の解説でも述べましたが、
この曲は、
ニューヨークに代表される、
「大都会の持つ二つの相反する顔」
をテーマにしています。
不安と希望、成功と挫折、秩序と混沌etc.
そこで私は、
そんな感じを表現するために、
相反する二つのテーマを考えました。
イントロの最後、
エンディングの最後などに出て来る、
「パドゥパドゥパドゥパドゥパドゥパドゥパドゥパダ♪」
という、奇妙なフレーズは、
「不安」のモチーフです。
一方、
「希望」のモチーフは、
言うまでもなく、
「From the moment〜♪」で始まる、
あのサビの旋律ですね。
夢と希望にあふれていませんか。
そんな、相反する二つのテーマが、
出たり入ったりしながら、
ガチャガチャと曲を構成していく。
「混乱」と「秩序」も、
交互にやって来る。
ピアノ・ソロ後の、
ブリッジの部分も、
そんな雰囲気ですね。
これも、大都会の持つ、
もうひとつの顔ですから。
夢と希望を持った若者たちが、
大都会(ニューヨーク)にやって来て味わう、
不安や挫折。
でも、希望は捨てちゃいけない。
ま、そんな感じの曲です。
そして最後は、
「希望」のテーマを、
朗々と何度も繰り返しながらも、
結局は、
「不安」のテーマで終りますね。
でも、これでいいんです。
若者ですからね。
大団円で終っちゃつまらない。
もうひとつ。
クライマックスで、
みんなが勝手きままにフェイクする場面で、
レンセイが、
「Everybody come on(みんな、おいでよ)♪」
と唄ってるのが、
おわかりでしょうか?
ところが、レンセイは、
ニューヨークに行ったことがありません。
「無責任だなあ。」
と思われる方もいらっしゃるでしょうが、
これも、これでいいんです。
プロフィールにもあるように、
私の心の師匠は、
植木等さんですからね。
以心伝心…。
------------------------------------------------------------------------
♪BRAHMS' LULLABY(ブラームスの子守唄)♪
------------------------------------------------------------------------
アルバム『DREAM』も、
いよいよ最後の曲です。
いやあ、このアルバムの制作は、
時間がかかりました。
というより、かけました。
コーラスは、
ちょっとしたバランスの狂いで、
いっぺんにダメになってしまいます。
あちら立てれば、こちらが立たず。
微妙なコーラス・バランスをとってるうちに、
気がついたら、
5時間、6時間、平気で経ってた、
なんてこともザラ。
でもね、
納得いくまでやりたかったので、
最終日は、
24時間ぶっ通しで作業。
そして最後に出来たのが、
この『ブラームスの子守唄』。
時計をみると、朝の7時。
ここで、エンジニアの須藤君が、
「宮住さん、ちょっとお休みになってて下さい。
これからちょっとした作業がありますから。」
その作業とは、
リップ・ノイズを消したり、
ブレス(息つぎ)を揃えたり、
より美しくするために、
丁寧にトラックを整理する、
エンジニアならではの、
細かい作業。
いいエンジニアの良心。
これが、2時間くらいかかる。
「じゃ、お言葉に甘えて。」
と、ソファに横になった私でしたが、
そのうち、
朦朧とした意識のなかに聴こえてくる、
このブラームスのア・カペラが、
なんかおかしい。
ちっとも美しくない。
音程もバランスも乱れている。
「ん? まさか…。」
私はガバッと跳ね起き、
こう言いました。
「ねえ、須藤。
それ、NGテイクじゃない?」
「ひえ〜っ。」
6月14日のエッセイにも書きましたが、
この何日かは徹夜に次ぐ徹夜。
私と同じように、疲労困憊の須藤君は、
あろうことか、
NGのテイクをファイルから引っぱり出して、
せっせとトラックの掃除をしていたのでした。
時計をみると、9時。
2時間後には、
ビクターのマスタリング・ルームに、
マスターを納品しなくてはならない。
……。
大慌てで、
ファイナル・ミックスを出して作業し直し、
ぎりぎり・セーフで間に合った、
とまあ、こういうお話です。
あぶない、あぶない。
この曲を聴くと、
音楽を楽しむ前に、
この時のことを真っ先に思い出します。
今となっては笑い話ですが。
人間、極限まで追い詰められると、
こんなバカなことも起きるんですねえ。
ま、とにもかくにも
こうして、
アルバム『DREAM』は完成しました。
パチパチ。
そんな『DREAM』の裏話編。
お楽しみいただけましたでしょうか。
えっ?
『聖者の行進』の‘裏’がない?
そうなんです。
あれだけは、
裏話のひとつも浮かびませんでした。
ま、いいんじゃないでしょうか。
試合開始早々、
いきなり、ど真ん中に、
思い切り直球(ストレート)を投げ込む。
審判の手があがる。
「ストラ〜〜〜〜ク!」
これも、ジャミンらしくて。
ね…。
(おわり)
さて個人情報。
今週の水曜日(10/1)に、
「代々木ナル」でピアノ・ライブやります。
お相手は、
大好きな女性ジャズ・シンガー、
CHIHARU(チハル)。
ベースは佐藤有介。
彼女との競演は、
本当に久しぶり。
スイング、スイング!
いやあ、実に楽しみです。
体調万全で臨みたいものです。
酒も控えて、
節制して臨みたいものです。
(やれよ…。)
SHUN MIYAZUMI
September 22, 2008
jammin'Zeb『裏・ドリーム』その3
きのうの「東京ミッドタウン・ライブ」。
お越し下さったみなさん、
ありがとうございました。
でも、残念ながら、雨天中止。
無念…。
でもね、
また絶対、やりますからね。
絶対リベンジしますからね。
ええ、リベンジです。
リベンジャミンです。
……。
『jammin'Zeb 裏・ドリーム その3』
-----------------------------------------------------------------------
♪SOMEONE TO WATCH OVER ME♪
(サムワン・トゥ・ウォッチ・オーヴァー・ミー)
-----------------------------------------------------------------------
これは、典型的な女唄です。
そういえば、
あまり男性は歌っていませんね。
通常、こうしたスタンダード曲の詞は、
男女どちらが歌ってもいいものが多い。
もしくは、
He(彼)を、She(彼女)に変えるだけで、
容易に成立してしまう。
例えば、
ビートルズの『And I love her』
ならば、
『And I love him』
というように、
‘her’を‘him’に変えるだけで、
事足りてしまうのです。
しかし、この曲の場合、
そんな簡単なわけにはいきません。
ひとつ間違えると、
「あらー、コージローさんて、
○○だったの? ヤーだー。」
とか、
「あらら、レンセイさんも、
○○だったのねえ。ウフフ。」
てなことに、なりかねない。
しかし、我がチームには、
レンセイがいます。
彼が、この曲を、
男性が歌ってもいいように、
慎重に、原詞の意味を損ねることなく、
作り変えてくれました。
一例を挙げると、
レンセイが、甘く切なく歌うサビの部分。
Although she may not be the girl
Some guys think of as pretty
(彼女のことを 美人だと思わない男も
中にはいるかもしれない)
これ、原詞では、
こうなっています。
Although he may not be the man
Some girls think of as hand-some
いやあ、チームにこういう人がいると、
助かりますねえ。
おかげで、
とっても美しい、
ジャミンのバラード・ソングが、
出来上がりました。
ありがとう、
レンセイ君。
さて、この曲を作ったのは、
言うまでもなく、
あの、
ジョージ・ガーシュイン。
(1898-1937)
コール・ポーターとならんで、
私の最も敬愛する作曲家です。
かつて、
「ジョージ・ガーシュインとコール・ポーター」
というエッセイにも書きましたが、
短い生涯に書かれた、
おびただしい数のヒット曲、
優雅で、洗練された彼のメロディは、
今なお、全世界で愛され続けています。
さらに、彼の功績は、
これだけではありません。
『ラプソディ・イン・ブルー』
という、不滅の、シンフォニックな名曲を書いて、
それまで、
黒人音楽というだけで蔑視されていた、
‘ジャズ’という音楽の素晴らしさを、
クラシック音楽絶対の白人たちに、
知らしめました。
また、黒人が冷遇されていた時代の、
アメリカ南部を舞台にした、
『ポーギーとベス』というミュージカルでは、
劇場や世論の猛反対を押し切って、
それまで、タブーとされていた、
黒人シンガーを舞台に上げて、
黒人たちだけによる、
歴史的なミュージカルを、
成功させたのです。
この中で歌われる、
『Summertime (サマータイム)』
は、あまりにも有名ですね。
これ以降、
ジャズは立派な文化として、
白人社会にも認められて行きました。
そんな、ガーシュインの生涯を描いた、
『アメリカ交響楽』
という、音楽伝記映画があります。
容易にDVDで手に入るので、
ぜひご覧になって下さい。
ただし、駅や本屋で、
500円くらいで売ってるやつは要注意。
映像が古くて、ぼけていて、
目が悪くなります。
1,500円か2,000円くらい出すと、
デジタル・マスタリングされた、
きれいな映像のやつが買えますから、
そちらがおススメ。
短くも偉大な、
ガーシュインの生涯が、
見事に描かれています。
私の大好きな映画です。
一つだけ、気に入らないのは、
主役のロバート・アルダという人の、
髪の毛がフサフサなこと。
当のガーシュインは、
若禿げでしたからね。
父親の臨終の場面で、
父親はガーシュインにこう言います。
「お前も、だいぶ薄くなってきたなあ。」
私は、嫉妬も手伝ってか、
画面にむかって、
思わず、こう叫んでいました。
「こいつのどこが、禿げとるんじゃい!」
-----------------------------------------------------------------------------
♪STRAIGHTEN UP AND FLY RIGHT♪
(ストレイトゥン・アップ・アンド・フライ・ライト)
-----------------------------------------------------------------------------
この曲を作曲したのは、
あの、ナット・キング・コール。
ナット・キング・コールといえば、
大ポピュラー・シンガーとして、
あまりにも有名ですね。
1950年代を中心に、
ミリオン・セラーを連発。
『モナ・リザ』『トゥー・ヤング』『プリテンド』
『ネイチャー・ボーイ』『80日間世界一周』etc.
甘い美声と、類いまれな歌唱力で、
全世界のポピュラー・ファンを魅了し、
1965年に、惜しまれつつ他界しましたが、
その存在は、今もなお、
「史上最高のシンガー」として君臨。
その名声は、今もなお、
輝きつづけています。
ところが、このキング・コールさん。
一方で、
素晴らしいジャズ・ピアニストでもあるのです。
このことは、
かなりのジャズ通でないと、
あまり知られておりませんが、
小粋にスイングする彼のピアノは、
ジャズ・ピアノのお手本でもあります。
若き日のオスカー・ピーターソンは、
相棒のベーシスト、レイ・ブラウンを連れて、
キング・コールの演奏を聴きに、
夜な夜な、ナイト・クラブに通ったそうですが、
古い録音ながらも、
何枚か残されているアルバムの、
彼の演奏を聴くと、
それも当然だと思いますね。
実にリリカルで、小気味よい。
大好きです。
しかし、
ジャズ・ピアニスト時代のコールさんは、
やはり、生活が大変だったらしく、
一晩に5ドルくらいしか稼げない。
仕方なく、
この『STRAIGHTEN〜』の版権を、
たったの50ドルで、
とある男に、売ってしまったらしいのです。
この曲の作家クレジットに、
見知らぬ男の名前があるのは、
そうした事情なのでしょう。
ところが、後年、
キング・コールが大スターになったおかげで、
この男は、この曲の版権だけで、
なんと2万ドルも稼いでしまった。
つくづく運のいいヤツです。
さて、
ナット・キング・コールが死んだ、
1965年の2月といえば、
私は、中学1年生でした。
何度も言うように、
この時私は、父親の転勤で、
三重県の四日市というところにいました。
ラジオから流れて来た彼の美声に魅せられ、
父親にねだってアルバムを買ってもらい、
『モナ・リザ』や『トゥー・ヤング』
を愛聴していた幼き日の私は、
ある日の新聞で、
キング・コールの死を知り、
大変悲しい気持ちになりました。
翌日、学校に行くと、
当時同級生で、今も親友の小原さんに、
私は、ぼそっと、
こう言ったそうです。
「ナット・キング・コールが死んだ…。」
そんな名前、
聞いたこともない小原さんは、
開口一番、
「誰や、それ?」
「……。」
このときの話は、
今も二人で飲むと、
よく話題になります。
そして彼は、
笑いながら、いつも、
こう言うのです。
「あの1965年当時、
全国の中学1年生のなかで、
ナット・キング・コールの死を悼んでいたのは、
お前だけだと思うよ。」
---------------------------------------
♪SCARBOROUGH FAIR♪
(スカボロー・フェア)
---------------------------------------
私の書いた、
『SCARBOROUGH FAIR』
のアレンジ・スコア(総譜)の最後には、
こう日付が記されています。
2006年12月17日。
ジャミン・ゼブの結成が、
同年の8月25日ですから、
たった4ヶ月後には、
あの4人は、
早くもこんな難解な大作に、
挑んでいたことになりますね。
今にして思えば、
「やれ」という方もムチャだし、
なんのためらいもなく、
平然と挑む方も、
恐れを知らない連中です。
ジャミン軍団は、
最初から、
神をも怖れぬ、
こんな無謀な連中の集まりだったわけです。
まさに、いろんな意味で、
無敵軍団ですね。
私を含めて…。
恐るべき長さ。
恐るべきコーラス数。
恐るべき音符の数。
今では50曲にも及ぶ、
ジャミンのレパートリーのなかでも、
最も難易度の高い曲の一つでは、
ないでしょうか。
初演(2007年9月)までに、
9ヶ月を要し、
レコーディング(2008年5月)までに、
約1年半を要した、
まさに、ジャミンの、
血と汗と涙の労作も、
名ドラマー、山木秀夫さんをはじめとする、
素晴らしいミュージシャンのサポートにより、
こんな美しい仕上がりになりました。
いやあ、ジャミンの諸君、
ごくろうさんでしたなあ。
アハハハ。
いやあ、みやずみさん、
あんたも、
よくこんな面倒くさいアレンジを、
書く気になりましたなあ。
アハハハ。
(;…。)
(つづく)
さあ、明日から激ウィークだ。
すさまじいライブ・ウィークに突入です。
私も、朝5時半に起きて、
名古屋に行ってまいります。
でも、無敵軍団ですからね。
きっと、バッチリ、
乗り切ってくれることでしょう。
ゆけー!
ジャミンガーZ!!
ふう…。
SHUN MIYAZUMI
September 13, 2008
激移動 その2
きょうはいい天気だな。
3連休を利用してお出かけの方には、
絶好の行楽日和ですね。
うらやましい。
さてさて、
早く『激移動』のつづきを書かねば、
と思ってるうちに、
あちらは東北ツアーに入ってしまいました。
めまぐるしく変化する、
ジャミン・ワールド。
たった一週間前のことなのに、
あの、中部・関西ツアーの鮮度が、
いささか落ちてしまいましたね。
やっぱりこういうものは、
熱いうちに書いてしまわないと…。
と、反省したところで、
きょうは『裏・ドリーム』のつづきを、
書くことにします。
その前に、一応、
二日目(9/5)の行程を、
簡単におさらいだけしておきましょう。
9/5(金)8:15「東海テレビ」入り。
『ぴーかんテレビ』という、
朝の人気番組に生出演。
「聖者の行進」を唄って、
スタジオ内、やんやの大喝采。
レギュラー出演の、
奈美悦子さんとKABAちゃんに、
『Dream』のサンプル盤を、
プレゼントしておきました。
その後、
同じビル内にある「東海ラジオ」で、
コメント収録。
それが終ると、
メンバーが待ちに待っていた「味噌カツ・ランチ」
のお時間です。
「ZEBLOG」でもスティーブが、
嬉しそうに紹介してますね。
ただし、私だけは、
普通にロース・カツを注文。
ええ、私は、トンカツは、
ロースしか食べません。
名古屋の「味噌カツ」も、
北関東でよく見かける「ソースかつ丼」も、
私には不向きです。
トンカツといえばロース。
ステーキもロースです。
ロース、ロース、ロース。
あの脂身(あぶらみ)こそ、
豚肉や牛肉の一番美味しいところではないか、
と、私は思っております。
ただし、一説には、
ロースの、
あの脂身をあまり食べると、
禿げると言われていますね。
そういえば若い頃、
周りにいるロース好きのおじさんたちは、
みな禿げていました。
しかし私はかまわない。
食べたいものを食べずして、
なんの人生か。
ロース、ロース、ロース、ロース。
こうして、長年に渡って、
ロースのトンカツやステーキを、
かまわず、ガンガン、食べ続けた結果、
やはり、
私も、
禿げました。
アハハハ。
しかし私は、
後悔などしておりません。
頭髪を気にするあまり、
あんな美味しいものを我慢するなんて、
私には耐えられない。
ジュージューに揚(あ)がった、
肉厚のロースカツ。
(薄っぺらいのはダメですよ。
あくまで肉厚です。にくあつ。)
これを、大きめに、
ザク、ザク、ザクッと切ってもらう。
さらに、‘ころも’は、
カリカリでなければならない。
歯茎にささると、
血が出るくらい、
カリカリでなければならない。
もちろん、キャベツは大盛り。
そうです。
キャベツの量をケチるようなトンカツ屋は、
ロクなもんじゃありません。
きっと、トンカツも、
マズいはずです。
そして、手頃なお値段。
そんな、
私の好みを100%満たした、
日本一と言っても過言ではない、
最高のトンカツ屋が、
私の家のすぐソバにあります。
その名を、
『御代鶴(みよづる)』
と言います。
この、私の理想とする、
『御代鶴(みよづる)』のロース・カツは、
たったの、
1,150円。
なんと、ランチ・タイムは、
850円です!
美味しい炊きたてのご飯と、
トン汁と、
ぬか漬けのお新香が、たっぷり付いて、
この値段です。
信じられません。
駒沢公園のすぐ近く、
駒沢通りに面した、
10人も入ればいっぱいの、
小さなお店ですが、
もちろん、
すごく繁盛しています。
人のいい大将とおかみさんが、
二人で切り盛りしているのですが、
本当にいつも忙しそう。
さらに、この辺りは、有名人も多く、
いつも‘出前’の電話がひっきりなし。
タモリも、巨人の原監督も、
みんなここから‘出前’を取っています。
やはりロース党で、
私と食い物の趣味を同じくする、
B級グルメの帝王、
学芸大のジャズ・バー、
『A'TRAIN』のマスター、Kさんに、
この『御代鶴(みよづる)』の存在を教えたら、
当然のことながら、
見事にハマってしまいましたね。
『A'TRAIN』の常連に、
かたっぱしから、
この『御代鶴(みよづる)』を教えたもんだから、
今では、40人近くもの人が、
ここを訪れたそうです。
おかげで私は、お店に、
大変感謝されております。
ときどき、
鳥の唐揚げやカキフライが一個、
サービスで付いてきたりします。
やはり美味しいものは、
みんなで分け与えないとね。
そうそう、
毎週木曜日には、
ヒレ肉の‘余り’で作られた、
メンチ・カツが登場します。
たったの、1,050円で。
これがまた絶品。
こんな美味いメンチは、
他では食えません。
この『御代鶴(みよづる)』。
興味のある方は、
今度私に会ったとき、
または、
「A'TRAIN」のマスターに聞いて下さい。
そっと場所を、
お教えします。
ん?
何の話だったでしょうか?
そうだ、
ジャミンの話だ。
いかん、
すごい道草を食った…。
はい、せっせとレポート、レポート。
さて、食事が終ると、
13:15の「のぞみ」で、
我々は京都に移動。
北野天満宮からの中継で、
これまた毎日放送(MBS)の人気番組、
『ちちんぷいぷい』に生出演。
ジャミンの歌声とともに、
この神社の紹介がなされるという、
なかなか奇抜なプログラム。
クレーン・カメラも出動した、
大掛かりなロケ。
失敗が許されないロケですから、
リハーサルも入念。
ヤブ蚊に悩まされながらも、
大勢のスタッフ、テレビ・クルーの方たちと、
和気あいあいと、
楽しく番組を作ることができました。
とっても素敵な、
ジャミンのショットを、
たくさん撮っていただきました。
そして、
小川のせせらぎ。
美しい緑の木々。
朱色の橋の欄干。
そんな、古都の由緒ある神社に、
ジャミンのジャズ・ハーモニーが、
いっぱいに鳴り響いていましたね。
ちょっと不思議な感覚でしたが…。
そして、17:30。
「おつかれさまでした〜。」
のディレクターの声とともに、
今回の仕事はすべて終了です。
いやあ、
本当に充実した2日間でした。
メディアのみなさん、
本当にお世話になりました。
そして、
こんな素晴らしいスケジュールを組んで下さった、
ビクター名古屋営業所の大槻君、
大阪営業所の岡村さん、
両営業所のみなさん、
本当にありがとうございました。
今度は、9/23、24に、
ライブ会場でお会いしましょう。
たくさんの人に、
生ジャミンを体感してもらえると、
いいですね。
がんばりましょう。
(追加)
この後、
再び、毎日放送の大きなワゴンで、
京都駅まで送ってもらい、
スティーブを除く3人は、
18:40の「のぞみ」で帰京。
しかし、私とスティーブは、
再び新大阪に移動。
何人かの知り合いと会って、
「9/24・大阪ライブ」の協力をお願い。
時間の許すかぎり、
プロモーションの手を緩めない。
そして22:30。
ようやく予定のすべてを完了。
大阪の知人たちと、
食事をしたり、バーで楽しく飲んだりするうちに、
気が付いたら、またまた深夜。
ホテルに戻るやいなや、
バタンキュー。
zzz…….。。
はい、
これが今回の全行程でした。
まさに『激移動』
いったい新幹線に、
何度乗ったのでしょうね。
でも、実りの多い遠征でした。
ということで、
お待たせしました。
『裏・ドリーム』と、いきますか。
……。
ありゃりゃ…。
こりゃ、もう無理だ。
とんでもない長さになってしまった…。
『裏・ドリーム』のつづきは、
またまた次回ですかね。
いやあ、いかん、いかん。
(トンカツの話なんかするからだ。)
なるべく早く更新しますので、
ご容赦。
このブログも、
激移動…?
(おわり)
「東海道・山陽新幹線」は、
まだ喫煙車両があるから、
私には助かります。
そこへいくと、
全席禁煙車の「ジェイアール東日本」
これは、つらいなあ。
なんとかなりませんかねえ。
だから、仙台に行かなかったわけでは、
ありませんがね。
今頃ジャミンは、
『定禅寺ジャズ・フェスティバル』
か…。
SHUN MIYAZUMI
September 08, 2008
激移動
お久しぶりです。
あまりの忙しさに追われ、
ブログの更新もままならず、
大変失礼致しました。
きょうは、
8/24以来、
久しぶりのお休みを満喫している私です。
やれやれ…。
それにしても、
すごいスケジュールだったこと。
今こうして、
無事でいるのが不思議なくらいです。
ちょっと大げさですが。
特にすごかったのが、
9/4(木)、9/5(金)の、
ジャミン遠征ですね。
スタッフのY浅ショーちゃんが行けないので、
この私が、老体にムチ打って、
引率のマネージャーをやってきました。
というわけで今日は、
『裏・ドリーム』を一回お休みして、
そんな、
『ジャミン・ゼブ遠征日記』
を、お送りします。
あちら(ZEBLOG)でも、
やってるようですが、
いつものように、
こちらはこちらのやり方で。
どうせあっちは、
食い物の話ばかりでしょうし…。
『激移動』
9/4(木)
朝6時 東京駅集合。
前日も、
遅くまでスタジオ・ワークをやっていたので、
結局私は、
一睡もしないで行くハメになりました。
しかし、
気合いが入っているので、
なぜか元気モリモリ。
「今回のマネージャーは手ごわいぞー。
みんな覚悟しろよー。」
と、檄を飛ばし、
颯爽と6:27の「のぞみ」に乗り込む。
禁煙車だったので、
私は一人、
煙草の吸える「自由席」車両に移動し、
すぐさまプカプカ〜。
そして、
人知れず、しばし撃沈。
zzz…。
8:48 京都到着
迎えに来ていた、
ビクター大阪営業所の岡村女史の手配で、
2台のタクシーに乗り、
「KBS京都テレビ」へ。
『ぽじポジたまご』
という朝のバラエティ番組に生出演。
「星に願いを〜聖者の行進」メドレーを唄う。
朝にしては、声も出ていて、
まずまずの出来。
スタジオ内、やんやの喝采。
終了と同時に、
メンバー大急ぎで着替えて、
再びタクシーを拾って、
今度は『Leaf』という女性誌の取材。
女性編集長、女性ライターのリードで、
取材は、なごやかに進行。
ライターの女性の、
「レンセイさん。
日本にやって来て、
ジャミン・ゼブに参加して、
どんなお気持ちでしたか?」
という質問に、
「ハイ、トテモ、タノシソウデスネー。」
と答えるレンセイ。
すかさずシモンが、
「おい、人ごとかよー。」
に、会議室大爆笑。
取材が、一通り終ったところで、
私は、
「どう、みんな、
一曲アカペラでも、ご披露したら。」
と、けしかける。
すると編集長、大喜びで、
「それだったら、
スタッフのみんなにも聞かせたいですわー。」
というわけで、
会議室を出て、
一生懸命仕事をしている編集員のみなさんに、
ちょっと手を休めていただいて、
「STRAIGHTEN UP AND FLY RIGHT」
を披露。
(その数、約30人)
やんやの大喝采を受ける。
よかった、よかった。
「さ、次は大阪です。急ぎましょう。」
ビクターの岡村さんに促(うなが)されて、
再び京都駅までタクシー移動。
それにしても、
京都は暑い。
まだまだ真夏のようでしたね。
さて、
新幹線に乗って約15分。
新大阪駅到着。
毎日放送(MBS)のロビーで、
明日(5日)の『ちちんぷいぷい』
という番組の打ち合わせ。
ロケは京都で行なわれるらしく、
なんだかとってもいい感じ。
ここでも、
和気あいあいと打ち合わせは進む。
プロデューサーからの質問にも、
てきぱきと答えるメンバー。
と、ここで、
「レンセイさん。
オーストラリアでは、
どんな活動(かつどう)をされてたんですか?」
という質問に、
「エッ、カツドン?」
と、レンセイ。
もちろん一同大爆笑。
そういえば、レンセイは、
「カツ丼」が大好きなのです。
さあ、打ち合わせも無事に終わり、
ようやくここで昼食。
岡村さんが、
「ステーキ北野」という、
鉄板ステーキ屋に連れて行ってくれました。
このレストランが入ってるビルの名前が、
「メタボ阪急」
……。
思わずお腹に手をやる私。
ふと横を見ると、
スティーブも同じことをやっている。
「おい、スティーブ。
お前は、まだ早いぞ。」
いや、美味しかった。
食った、食った。
メンバー一同、大満足の表情。
時計を見ると14時半。
「おっと、急がなくては。」
ここで、岡村さんと別れて、
私とメンバーは再び新大阪駅へ。
15:07の「のぞみ」で、
今度は名古屋に向かう。
15:59 名古屋到着
ビクター名古屋営業所の大槻君が、
迎えに来ていました。
ホテルに荷物を置き、
毎日新聞社へ。
「毎日新聞」の取材を終えると、
今度は読売新聞社に、
すぐさま移動。
この移動のすさまじさは、
ジャカルタの最終日のようでしたね。
いや、それよりもすごいか…。
と、ここに、
ビクターJ氏が応援に駆けつけた。
このあとメンバーは、
『渡辺美香のMy Favorite Things』(CBCラジオ)
『Evening-i』(RADIO-i)
という、
二つのラジオ出演が控えています。
しかし私には、
他にやることがある。
二つの重要なアポがある。
私は、
メンバーを、
大槻君とJ氏にゆだね、
一人別行動に移りました。
まずは、
地元で幅広い音楽活動をしている、
古くからの友人、H氏と会食。
さらに、彼の友人のプロモーターの、
Oさんという女性も合流して、
23日の「名古屋クアトロ」公演の協力を要請。
好感触を得る。
20時には、
「名古屋ケントス」に行く。
ここには、
当社役員の丹羽君が、
これまた東京から駆けつける。
あの「ひつまぶし」の丹羽君です。
(エッセイ「名古屋ケントス」参照)
彼の紹介を受けた、
岐阜医師会の会長さんやら、
スズキの社長さんら、
地元の有力者のみなさんに、
熱くジャミンをプレゼン。
これまた、
いい感じで、
和気あいあいと時間は過ぎ、
23時頃お開き。
やれやれ、
やっと開放されました。
あとは残った丹羽君と、
『ジェミニ&レベルス』のライブを見ながら、
痛飲。
なつかしいオールディーズの、
メロディやリズムに酔いしれ、
至福の時間を過ごす。
そのうち私は、
しだいに意識が朦朧としてきました。
なにせ、ほとんど寝てないもんですから。
(いかん、明日も早いし、
今日以上に忙しいのだ…。)
それに気がついた私は、
相変わらず楽しそうに、
ジェミニの可愛い二人を見て、
鼻の下をのばして、
デレデレになってる丹羽を残し、
そそくさと、
ケントスを後にし、
ホテルに戻り、
そのまま、
気絶…。
ようやく一日目終了…。
zzz…….。。
(つづく)
それにしても、
新幹線は速いですねえ。
つくづく、そう思いました。
それに、
山の手線間隔で走ってるし。
ひと昔前なら、
こんなスケジュールは不可能ですね。
すごい時代だ…。
SHUN MIYAZUMI
August 31, 2008
jammin'Zeb『裏・ドリーム』その2
毎日、鬱陶しいですねえ。
スカッと晴れる日がない。
そして、突然の豪雨や雷。
これも、地球温暖化による、
異常気象のひとつでしょうか…。
そんな中、
昨日のジャミン・ゼブは、
爽やかな秋晴れのような、
素敵なステージを見せてくれました。
『TOKYO JAZZ FESTIVAL 2008』
(@東京国際フォーラムA)
わずか3曲のア・カペラ、
10分足らずのステージではありましたが、
ハンク・ジョーンズ、ロン・カーター、
デヴィッド・サンボーン、上原ひろみ、
といった、
世界的なミュージシャンたちの演奏の前の
オープニング・アクトとして、
5,000人の聴衆の前で、
堂々たるパフォーマンスをしてくれました。
左右のスクリーンに映し出される、
彼らの表情も、
実に初々しかったです。
ま、無事に終ってホッとした、
というのが本音ですが。
この模様は、いずれ、
NHK総合、BS-2、BSハイ・ビジョン、
などで、随時放送されますので、
ぜひご覧になってください。
では今日も、
そんなジャミンの、
『Dream』裏話、
とまいりますか。
『jammin'Zeb 裏・ドリーム その2』
--------------------------------------------------------------
♪CRAZY LITTLE THING CALLED LOVE♪
(愛という名の欲望)
--------------------------------------------------------------
すごい邦題だ。(笑)
これって、
かつて日本で『クイーン』を発売していた、
ワーナー洋楽部の宣伝の人たちが、
付けたんだそうです。
フレディ・マーキュリーには、
ピッタリだけど…。
ま、そんなことはさておき、
このア・カペラ・ナンバー。
なんとも楽しいアレンジですね。
この譜面を持って来たスティーブは、
開口一番、
「俺、ベースやる!」
と宣言。
そして、
「リードはコージロー、レンセイはトップ、
シモンがセカンド。」
といった具合に、
さっさとパートを決めてしまった。
何度も言うようですが、
「コーラスの申し子」
スティーブの音域は、
それはそれは大したもの。
通常は、音のラインが複雑で、
一番難しいと思われる3番(バリトン)を、
楽々とこなす一方で、
『聖者の行進』や『Bye Bye Blues』では、
強烈なハイ・ノートのファルセットで、
トップ・テナーも唄う。
かと思うと、この曲のように、
低音のベースも、
簡単にやってのけるのです。
でも、この曲の場合、
確かにベースのパートは楽しそうですね。
というか、目立つ。
今、こうして出来上がったCDを聴いても、
「♪トゥントゥントゥン
パトゥパ トゥントゥントゥン♪」
実に楽しそうに、
スティーブが低音で、
ベースのラインを唄っているのが、
おわかりいただけると思います。
ところが、これによって、
犠牲になったのが、
割を食ったのが、
シモンです。
いつもは重低音で、
どっしりとサウンドを支えるシモンが、
普段唄ったことのない、
ときには、彼の音域の限界を超える、
高いパートを唄うハメになったからです。
「♪パーパラー パーパラー♪」
いきなり、
高音のレンセイの、
たった3度下のバック・コーラスが、
延々と続きますね。
音域の低いシモンにとっては、
これだけでも大変です。
しかし、
温厚なシモンは、
文句ひとつ言わず、
懸命に、黙々と、
そのパートをこなします。
その表情は、まるで、
「先輩のスティーブさんが楽しそうだから、
いいじゃないか。
僕はスティーブさんのために、
頑張ってあげるんだ。」
と、言ってるかのよう。
そんなシモンの努力も、
どこ吹く風で、
楽しそうにスティーブは、
「♪トゥントゥントゥン
パトゥパ トゥントゥントゥン♪」
後半になると、
さらに大変なパートが続きます。
息つぎの場所もないくらい、
音が高くて、難しいパッセージが、
これでもか、これでもか、
といった感じで、
シモンを襲う。
しかし、シモンは頑張る。
悪戦苦闘しながら、
真っ赤な顔をして、
ときには、
あまりの高さに、
声がひっくり返って、
断末魔の象の悲鳴のようになりながらも、
シモンは頑張る。
それでもスティーブは、
相変わらず、
なにごともなかったかのように、
涼しい顔で、
「♪トゥントゥントゥン
パトゥパ トゥントゥントゥン♪」
なんという、美しい友情でしょうか。
なんという、先輩思いの後輩でしょうか。
この曲は、
そんなシモンの、
涙ぐましい努力に支えられて、
出来上がったのです。
いいぞ、シモン。
えらいぞ、シモン。
---------------------------------------------------------------------
♪FUN FUN FUN(ファン・ファン・ファン)♪
---------------------------------------------------------------------
このアレンジは、
ジャミン・ゼブが4人揃う前に、
出来上がっていました。
今でこそ、ジャミン用の五線紙には、
上から、
「Lensei,Kojiro,Steve,Simon」
と、名前が記入されていますが、
この曲のスコアには、
単に、
1、2、3、4
と、数字が並んでるだけ。
コージローとスティーブの、
二人しかいない時点で、
「絶対このグループは完成してやるんだ。」
の、強い決意のもとに書き上げた、
作品なのです。
その時点では、
コージローが2番、
スティーブが3番、
と、決めていました。
ベース・パートと、
トップのパートは、
あくまで想像で書いたのです。
「ベースには、こんな感じの奴が来るといいなあ。
こんなトップを唄える奴、いないかなあ…。」
そこに、シモンがやって来た。
そして最後に、レンセイを見つけた。
そして唄わせてみたところ、
これがバッチリ。
探していたパズルのピースのように、
ピターっとハマってしまいました。
最初に4人で合わせたときの感動は、
今も忘れることができません。
「これだ! ついに出来たぞ!」
ジャミン・ゼブ誕生の瞬間です。
無神論者の私ですが、
この時ばかりは、
神に感謝したい気持ちで、
いっぱいでしたね。
忘れもしない、
2年前(2006年)の、
8月25日のことでした。
もうひとつ逸話。
この曲の最後、
クライマックスの部分では、
4人が、
まったく違うメロディを、
勝手気ままに唄う、
極めて、アバンギャルドなセクションがありますね。
あれ、
みんなが適当に唄ってるようですが、
違うのです。
やや専門的になりますので、
ここで詳しく説明することは避けますが、
あれは、
「Combination of Dminish」
(コンビネーション・オブ・ディミニッシュ)
という、
ジャズ理論のなかでも、
最も難解で、高度な理論と言われている手法で、
綿密に書かれてあるのです。
このパートを書くだけで、
かなりの時間を費やしました。
まさに、
「狂乱の舞踏会」
の世界。
この、
「Combination of Dminish」
(コンビネーション・オブ・ディミニッシュ)
カシオペアなど、
最先端を行くフュージョン・バンドの間では、
「コンディミ、コンディミ」
と言って愛され、
多用されていた、
極めて新しい、複雑な理論です。
ところが、実はこれ、
1930年代の『デューク・エリントン楽団』
の、古〜いサウンドのなかに、
早くも聴くことが出来るのです。
なんともエキゾティックで、
官能的なエリントン・サウンド。
有名な、
『Caravan(キャラバン)』
という曲などは、
まさに、そのいい例ですね。
理論というのは、
後付けです。
1930年代に、
ジャズ理論の本など、
あるわけがありません。
感性のすぐれたミュージシャンが、
「このフレーズ、カッコいいぞ。
このサウンド、イカしてるぞ。」
そんなフレーズやコードを発見して、
好んで演奏するうちに、
理論にたけた音楽家や評論家が、
体系的に理論としてまとめる。
現在のジャズ理論で、
最も高度な理論とされている、
この「コンディミ」。
最初に考えたのは、
最初に演奏したのは、
あの偉大な、
デューク・エリントンだったわけです。
やっぱり、
「ジャズの神様」
ですね。
この譜面を最初に見たレンセイは、
目を丸くして、
こう言いました。
「ミヤズミサン、
クレイジーデスネー。」
「クレイジー(Crazy:狂ってる)」
というのは、
音楽家にとっては「褒め言葉」
と、常々考えてる私ですから、
素直に、
お礼を言っておきました。
レンセイ、
ありがとう!
-------------------------------------------------------------------------
♪BECAUSE OF YOU(ビコーズ・オブ・ユー)♪
-------------------------------------------------------------------------
表の解説でも述べましたが、
この曲は、
古い、白人ダンス・バンドのイメージで、
アレンジされています。
グレン・ミラー楽団、レス・ブラウン楽団、
トミー・ドーシー楽団、ハリー・ジェームス楽団etc.
デユーク・エリントン楽団、
カウント・ベイシー楽団、
といった、
芸術的なビッグ・バンドと違って、
今では、
歴史の彼方に消えてしまいましたが、
1940年代、50年代には、
こうした、当たり障りのない、
優雅な、甘いダンス・バンドのサウンドが、
一世を風靡していたようです。
昔のハリウッド映画には、
こうしたバンドをバックに、
大勢の着飾った紳士、淑女が、
楽しそうにダンスをするシーンが、
数多く見られますね。
そして、そうしたバンドでは、
ハンサムな、
あるいは美人シンガーたちが、
さらなる彩(いろど)りを添えていました。
女性では、
ドリス・デイ、ジューン・クリスティ、
ケイ・スター、アラン・フォレストetc.
男性では、
ディーン・マーティン、ボビー・ダーリン、
パット・ブーン、ペリー・コモetc.
この曲のコーラス部分は、
そんなダンス・バンドのイメージ。
そして、レンセイのソロは、
そんなソロ・シンガーのイメージ。
うまくいってますでしょうか。
そういえば、
5月6日のエッセイに、
こんな記述がありますね。
覚えてますか?
「私は、
休みを返上して、
ジャミン・ゼブのために2曲、
アレンジを書きました。
決して、
メインになる大作ではありませんが、
アルバムの構成上、
こうしたレパートリーも必要かな、
と、思ったものですから…。
‘いいアルバム’というのは、
一流レストランの、
ディナー・コースのようなものですかね。
(と、思うのですが…。)
主食のお肉や魚料理だけでは、
胸焼けしちゃいますから、
数々の洒落たサイド・メニュー、
サラダ、前菜、スープetc.
いろんな物が必要になります。
そう考えると、
きのう書いた一曲は、
メインの肉料理の前に運ばれて来た、
お店ご自慢の赤ワイン。
もう一曲は、
極上のデザート。
かな…。」
種明かしをしますと、
この「お店ご自慢の赤ワイン」
というのが、
実はこの曲だったのです。
言い得て妙でしょ。
では、
「極上のデザート」とは、
いったいどの曲でしょう。
考えてみて下さい。
曲順とは、関係ありません。
ああ、疲れた。
きょうは、このくらいで…。
(つづく)
なんか、
表より裏のほうが、
楽しいぞ。
いいのかな…?
SHUN MIYAZUMI
August 25, 2008
jammin' Zeb『裏・ドリーム』
ジャミン・ゼブ劇場『第二章』が、
幕開けしました。
おかげさまで、
8/20の、セカンド・アルバム『Dream』
発売以降、
みなさんから、
お誉めのコメントやら激励の言葉を、
たくさん頂戴しました。
ありがたいことです。
ますます、がんばらなくては…。
というわけで今日は、
ジャミン・ファンのみなさんへ、
感謝の気持ちをこめまして、
『Dream』制作秘話なるものを、
お届けしようと思います。
前回は、
このアルバム『Dream』を、
真正面から見た楽曲解説でしたが、
きょうは、それを、
裏側から、楽屋から、覗いてやろう、
という企画です。
楽曲の知られざる逸話、
アレンジ上の種明かし、
制作過程におけるエピソード、
などなど、
私がアレンジしたものを中心に、
徒然(つれづれ)なるままに、
面白(おもしろ)可笑(おか)しく、
解説してみようと思います。
題して、
『jammin' Zeb 裏・ドリーム』
では、いきましょう。
まずは、
アルバム・タイトル曲から。
----------------------------------
♪Dream(ドリーム)♪
----------------------------------
この演奏。
最初はシンプルなのに、
気がついたら最後は、
すごーく、ゴージャスな感じになってますね。
でも、最後まで同じ小規模の楽器編成だし、
大げさなストリングスが加わるわけでもない。
しかし、そんな感じがするはずです。
なぜでしょう…?
はい、答え。
それは、
いろんなパーカッションが、
順繰りに加わって行く、
というアレンジだからなのです。
題して、
「トリプル増毛法アレンジ」
この曲は、
サックスのソロも含めると、
全部で5コーラスあります。
それを、
ワン・コーラスにひとつずつ、
5種類のパーカッションが、
順繰りに色どりを添えていく、
という構成です。
だから、知らず知らずのうちに、
気持ちがどんどん高揚して行く。
ラヴェルの『ボレロ』方式ですね。
最初は、
「サクサク」という、
シェイカーひとつだったのが、
最後は5種類のパーカッションが、
同時に鳴り響いて、
ゴージャスなクライマックスを迎える、
という構成の、
なせる技(わざ)でした。
ではいったい、
どんな楽器が入っているのでしょう。
興味のある方は、
当ててみてください。
そんな聴き方も、
一興かもしれませんよ。
そして、それを、
全部ひとりで演奏している、
はたけやま裕(ゆう)ちゃん。
小柄な美人ですが、
パーカッショッンを演奏し始めると、
途端に、男まさりの切れ味と迫力。
ねえさん、
あんたは、エライ!
-------------------------------------------------------------------
♪NIGHT AND DAY(ナイト・アンド・デイ)♪
-------------------------------------------------------------------
私の敬愛する作曲家、
コール・ポーターさん。
かつて、
彼のことを書いたことがありますが、
(「ジョージ・ガーシュインとコール・ポーター」
〜2005エッセイ その1)
彼のメロディは、
本当に素晴らしい。
そして、
彼の曲をアレンジするのは、
本当に難しい。
なぜかというと、
コード(ハーモニ−)進行が完璧なのです。
いじると、いじるだけ、
悪くなってしまう。
世の中がいくら進化しても、
いつの時代にも、
彼の付けたコードが、
ベストなんですね。
おっかない人です。
しかし、
おれっくらいなると、
それではつまらない。
なんか新しい試みがしたい…。
そこで、目をつけたのが、
イントロの部分です。
我々の専門用語では、
「Verse(ヴァース)」と言うのですが、
ピアノとスティーブだけで演奏する、
あの冒頭の部分です。
「Like the beat,beat,beat,of the tom-tom」
で始まる、
あの最初の8小節は、
C(ド)の音しかない。
極めてシンプル。
ようし、
この部分に、
新しい、モダンなハーモニーを付けてやろう。
と、張り切って取り組んだのですが、
結局、この曲のアレンジで、
一番時間がかかったのは、
あそこでした。(笑)
この譜面を、
ベースの岸徹至(きしてつゆき)に見せたら、
「すごいコード進行ですね。」
と、驚いていましたが、
感心していたのか、
呆(あき)れていたのかは、
今もって謎です。
そうそう、もうひとつ逸話。
その昔、私の少年時代、
大好きだった、
NHK『ひょっこりひょうたん島』
という人形劇がありました。
あのテーマ・ソングを覚えてる方も、
多いと思いますが、
あの、
「だけど僕らは、くじけない〜♪
泣くのはいやだ、笑っちゃおう〜♪」
の部分は、
この『NIGHT AND DAY』の、
「Verse」のある部分を、
参考にしたそうですよ。
さて、どこでしょう…?
---------------------------------------------------
♪THE WAY WE WERE(追憶)♪
---------------------------------------------------
この『追憶』という曲は、
同名映画のサウンド・トラックで、
バーバラ・ストレイザンドが大ヒットさせた名曲。
いろんなカヴァーがありますが、
バーバラのを含め、
シンフォニー・オーケストラをバックに、
朗々と唄い上げるものが多い。
あるいは、
渋〜いピアノ・トリオで唄う、
大人の雰囲気。
でも、ジャミンは若者ですからね。
過ぎし日の愛の思い出を、
朗々と唄い上げるには、
まだ早い。
もっと自然で、
若者らしく、
爽やか、かつ敬虔なイメージでやってみたい。
そんなとき思い出したのが、
『RENT』という映画。
AIDS(エイズ)が、
ものすごい脅威になってきた80年代の若者たちの、
ニューヨークは、SOHO(ソーホー)を舞台にした、
ロック・ミュージカル。
ニューヨークの、ソーホーの、
倉庫を改造した自由な雰囲気の住まい。
そこに集まる、
若い芸術家やアーティストたち。
そして街の教会では、
静かなゴスペル・ソングが流れている。
そんなイメージのもとに、
出来上がったのが、
やや変則的とも言える、
この『追憶』、ジャミン・ヴァージョンでした。
冒頭から、
印象的なリフが、
これでもか、これでもかと、
全体のサウンドを支配しています。
いったい何回出てくるんでしょうね。
そして、前回も触れましたが、
間奏部分で、
素晴らしいハーモニカ・ソロを吹いているのが、
西脇辰弥。
実は彼、
本職はピアニスト、キーボード奏者です。
ポップスのアレンジも素晴らしく、
TOKIOの『LOVE YOU ONLY』をはじめ、
私のプロデュース作品には欠かせない、
ミュージシャン。
数年前に、遊びで始めたハーモニカですが、
たった2年くらいでソロ・アルバムを出し、
世界一のジャズ・ハーモニカ奏者、
トゥーツ・シールマンにも絶賛されてしまう。
すごい才能です。
そのうち、
ジャミンのライブにも、
来てもらいましょう。
ええと、お次は…、
あれ、
なんだか長くなっちゃいそうですね。
当初はこれ、
一回で終らせる予定だったのですが、
どうやら無理っぽいです。
ということで、これも連載か…。
続きは次回に。
とはいえ、
まだ寝るには早いので、
もう一曲行っちゃいましょう。
------------------------------------------------------
♪SO IN LOVE(ソー・イン・ラヴ)♪
------------------------------------------------------
うわ、またしても、コール・ポーターだ。
その昔、
『日曜映画劇場』で、
司会の淀川長治さんが、
「ハイ、もう時間来ました。
サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ。」
とやると、
この曲が華麗に流れ始め、
美しいタイトル・バックが現れる。
すると、
「あ〜あ、休み終わっちゃった。
明日から、また学校だ…。」
と、せつない気分にさせられてしまう。
そんな経験をお持ちの方も、
多いのではないでしょうか。
さて、
『NIGHT AND DAY』の時にも言いましたが、
彼の曲をアレンジするのは、
本当に難しい。
この曲も、
コード進行は完璧です。
あまり、いじると、
雰囲気が無くなってしまう。
すると、リズムですね。
リズムを変えることで、
何か新しいことが、
できるかもしれない。
通常は、スロー・ビギンかバラードで、
切々と唄われる大人のバラードですが、
「ええい、サンバ、ラテン・ビートで、
情熱的にやってしまえ。」
と、ひらめいた。
あとは、スイスイでした。
このピアノ演奏は大変です。
この曲のレコーディングのとき、
私は、高血圧に悩まされておりました。
生命の危機を感じた私は、
この曲に関してのみ、
ラテン・ピアノの上手な、
朱恵仁(しゅけいじん)君に、
弾いてもらいました。
いや、正解、正解。
おかげで、こうして、
生き長らえております。
そして、何度も言うようですが、
山木秀夫のドラム。
素晴らしいですねえ。
切れ味が鋭くて、
ドラマティックで、
スリリングで、
そして何よりも、
サウンドが美しい。
私の好きなミュージシャンに共通しているのは、
音色がきれいだということです。
かわ島のサックスも、
音がきれいですよね。
岸君のベースも、有介(佐藤)のベースも、
サウンドが美しい。
自分の楽器を美しく響かせる。
これ、すなわち、
ミュージシャンの感性ですからね。
音楽をやる上で、
最も大切なことではないでしょうか。
私は、そう思います。
……。
ハい、もう時間来ました。
サヨナラ、
サヨナラ、
サヨナラ。
(つづく)
めっきり涼しくなってきました。
みなさん、
お風邪など、ひかれませぬように。
(閉会式は、
アテネの方が感動したな…。)
SHUN MIYAZUMI
August 17, 2008
jammin' Zeb 『Dream』
お待たせしました!!
話題の男性ヴォーカル・グループ
jammin' Zeb セカンド・アルバム『Dream』
いよいよ、8/20に、発売になります。
(ビクター・エンタテインメント
VICJ61568/¥3,150)

おかげさまで、
このジャミン・ゼブ。
昨年(2007年)10/17、
アルバム『Smile』でデビュー以来、
*******************************************
「JVCジャズ・フェスティバル」(2008/03)
「ジャカルタ / JAVA JAZZ FESTIVAL」(同)
「東京ドーム / MLB開幕戦セレモニー」(同)
といった、数々の大舞台。
*******************************************
「NHK / 首都圏ネットワーク」
「フジテレビ / ハピふる!」
「フジテレビ / FNNスピーク」
「テレビ朝日 / 題名のない音楽会21」
「テレビ東京 / ブランニュー」
といった、数々のテレビ番組出演。
*******************************************
そして、
丸の内を中心とした、
数々のフリー・ライブ。
*******************************************
「赤坂BLITZ」「スイート・ベイジル」
「名古屋ブルーノート」
など、
すべてソールド・アウトになる、
数々のワンマン・ライブ。
*******************************************
本当に、夢のような、
素晴らしいデビューを飾ることができました。
素晴らしい経験を、
たくさん積ませていただきました。
そんな彼らが、
感謝の気持ちをこめて、
さらなる飛躍を求めて、
全力で取り組んだ意欲作が、
この『Dream』です。
というわけで、きょうは、
このアルバム『Dream』について、
プロデューサー的見地から、
不肖、この私が、
解説してみようと思います。
収録曲は、全13曲。
うちア・カペラが4曲。
ジャズ・スタンダードを中心に、
ビーチ・ボーイズ、
クイーン、
サイモン&ガーファンクル、
バーバラ・ストレイザンド、
らのポップ・ナンバーや、
クラシック曲(ブラームスの子守唄)、
そして、“オリジナル楽曲”にも挑戦するなど、
前作以上に、
バラエティに富んだ選曲。
そして、それらの楽曲すべてにおいて、
斬新なアレンジと、
彼ら特有の、
若さ溢れる、清々しい歌声を、
存分に、お楽しみいただけるのではないか、
と、思っているのですが…。
さて、そんなアルバム『Dream』
前作『Smile』同様、
今回もサウンドは、
すべてアコースティックです。
そして今回も、
私の大好きなミュージシャンたちが、
ジャミンのために、
素晴らしい演奏をしてくれました。
なかでも特筆すべきは、
私の畏友で、
日本を代表する名ドラマー、
山木秀夫さんの参加でしょう。
彼の、全編にわたっての、
素晴らしいプレイは、
このアルバムを、
一層輝かしいものにしてくれました。
そんな演奏に支えられ、
さまざまな経験を積んだ彼らは、
前作を遥かに上回る、
美しい歌とコーラスを、
たっぷりと聴かせてくれます。
そしてジャケットは、
20頁にもおよぶ、
豪華な写真入りブックレット。
全曲、日本語対訳付きです。
どうぞ、こちらの方も、
お楽しみ下さい。
この美しいアルバムを、
一人でも多くの方に、
聴いていただきたい…。
そんな願いをこめて、
今回も、
一曲ごとの解説を、
私流にやってみたいと思います。
みなさんの鑑賞の手引きになれば、
嬉しいのですが。
-------------------------------------
01. WHEN THE SAINTS GO MARCHING IN
(聖者の行進)
lyrics & music : Traditional
arrangement : Greg Volk
いきなり、強烈なア・カペラ・ナンバーで、
幕開けです。
ジャズのバイブルとも言うべきこの曲。
まずは、コージロー、レンセイ、スティーブが、
有名な、あのメロディーを、ソロ廻し。
そして、シモンがベース・ランニングをする、
中盤あたりからは、
一転してジャズ・テイストに早変わり。
こうした、スリリングな展開こそ、
まさに、ジャミンの真骨頂ですね。
アルバムの冒頭を飾るにふさわしい、
爽快なジャンプ・ナンバーです。
--------------------------------------
02. DREAM(ドリーム)
lyrics & music : Johnny Mercer
arrangement : Shun Miyazumi
1944年に出版された、
古いスタンダード・ナンバーです。
今や、彼らの代表曲になった『Smile』と、
同じようなアレンジ・コンセプトで、
もう一曲書いてみようと思い、
シンプルかつ美しい、
この曲を選んでみました。
ボサと16ビートを組み合わせた
心地よいリズムに乗って、
ソロに、コーラス・ワークに、
素晴らしいジャミン・ワールドを聴かせます。
すべてにおいて、
『Smile』のヴァージョン・アップ版、
といったところでしょうか。
ソロは順に、
コージロー、スティーブ、シモン、レンセイ。
そして感動的なクライマックスへ…。
Piano : Shun Miyazumi
Bass : Tetsuyuki Kishi
Drums : Hideo Yamaki
Percussion : You Hatakeyama
Alto Sax : Taka Kawashima
Flute : Misaki Nishinaka
--------------------------------------
03. NIGHT AND DAY(ナイト・アンド・デイ)
lyrics & music : Cole Porter
arrangement : Shun Miyazumi
敬愛する大作曲家、
コール・ポーターの名曲を、
ビッグ・バンド・スタイルでお贈りします。
スティーブが全編にわたって、
粋なリードを聴かせます。
そして、
フォー・フレッシュメンばりの、
スインギーなコーラスが絡んでいく、
という構成。
ご機嫌なジャンプ・ナンバーになりました。
Piano : Shun Miyazumi
Bass : Yusuke Sato
Drums : Hideo Yamaki
Percussion : You Hatakeyama
--------------------------------------
04. THE WAY WE WERE(追憶)
lyrics & music :
Marvin Hamlisch, Alan Bergman,
Marilyn Bergman
arrangement : Shun Miyazumi
映画『追憶』のテーマ・ソング、
バーバラ・ストレイザンドの大ヒット曲を、
ちょっと教会風の、
軽いゴスペル・タッチで、
アレンジしてみました。
冒頭のリフが全編を支配。
そんなサウンドに乗せて、
コージローが、
爽やかで、みずみずしいリードを、
聴かせてくれます。
間奏の素晴らしいハーモニカ・ソロは、
ジャズ・ハーモニカの第一人者、
トゥーツ・シールマンにも絶賛された名手、
西脇辰弥君。
実に感動的な演奏です。
Piano : Shun Miyazumi
Bass : Yusuke Sato
Drums : Hideo Yamaki
Chromatic Harmonica : Tatsuya Nishiwaki
--------------------------------------
05. SO IN LOVE(ソー・イン・ラブ)
lyrics & music : Cole Porter
arrangement : Shun Miyazumi
その昔、淀川長治さんの名司会で人気だった、
「日曜洋画劇場」。
そのエンディング・テーマとして、
華麗に流れていたのが、この曲。
これまたコール・ポーターの名曲。
通常は、スロー・ビギンかバラードで
演奏されるのがほとんどですが、
ここでは、情熱的なラテン・ビートで、
アレンジしてみました。
レンセイの甘いリード。
美しいコーラス・アンサンブル。
そして、なんといっても、
山木秀夫の、
神がかり的なドラミングが光ります。
特に、間奏後およびエンディングの、
ハイ・ハット・プレイは、
圧倒的です!
Piano : Shu Keijin
Bass : Tetsuyuki Kishi
Drums : Hideo Yamaki
Percussion : You Hatakeyama
Soprano Sax : Taka Kawashima
--------------------------------------
06. CRAZY LITTLE THING CALLED LOVE
(愛という名の欲望)
lyrics & music : Frederick Mercury
arrangement : Aaron Dale
伝説のロック・バンド『クイーン』。
そのリード・ヴォーカルで、
世界中に愛された、
フレディ・マーキュリー作による、
ブルース・ナンバー。
ジャミンらしく、軽快なア・カペラで、
スインギーに展開していきます。
ソロはコージロー。
圧巻は、全編を通して聴かれる、
スティーブのベース・ランニング!
どんなパートでも楽々と唄ってしまう、
まさに「コーラスの申し子」スティーブの、
面目躍如といったところでしょうか。
--------------------------------------
07. FUN FUN FUN(ファン・ファン・ファン)
lyrics & music : Brian Wilson, Mike Love
arrangement : Shun Miyazumi
60'Sを代表するアメリカのロック・バンド、
『ビーチ・ボーイズ』の大ヒット曲を、
ラテン・ファンクのリズムで、
大胆に、ファンキーにアレンジしてみました。
前半は、
レンセイとコージローのソロ・バトルに、
いろんな形のドゥワップ・コーラスが絡み、
ピアノ・ソロをはさんでの後半は、
『TAKE6』的アプローチの、
高度なジャズ・ハーモニーが炸裂します。
そして、4人4樣の、
クレイジーなクライマックス…。
聴き所満載の、楽しいナンバーです。
Piano : Shun Miyazumi
Bass : Tetsuyuki Kishi
Drums : Hideo Yamaki
Percussion : You Hatakeyama
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08. BECAUSE OF YOU(ビコーズ・オブ・ユー)
lyrics & music :
Arthur Hammerstein, Dudley Wilkinson
arrangement : Shun Miyazumi
これも古い歌ですね。
トニー・ベネットの熱唱が大好きでした。
アレンジ的には、
レス・ブラウン楽団、トミー・ドーシー楽団、
といった、古き良き時代のアメリカの、
白人ダンス・バンドの手法ですね。
甘く切ない、レンセイのリードが絶品です。
なかなかに洒落(しゃれ)た一品。
ワインでも召上がりながら、
いかがでしょう。
Piano & Hammond B-3 Organ : Shun Miyazumi
Bass : Yusuke Sato
Drums : Hideo Yamaki
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09. SOMEONE TO WATCH OVER ME
(サムワン・トゥ・ウォッチ・
オーヴァー・ミー)
lyrics : Ira Gershwin
music : George Gershwin
arrangement : Shun Miyazumi
コール・ポーターと並んで、
私が最も尊敬する作曲家、
ジョージ・ガーシュインの書いた、
あまりにも有名なバラード。
コージローが、
彼の持ち味である、
伸びのある、美しい高音で、
見事に唄ってくれました。
有名な、冒頭のメロディは、
4回出てくるのですが、
全部違うコード進行になっています。
難解なハーモニーも、
さらりと響かせてしまうジャミンの、
質の高いコーラス・ワークにも、
ご注目下さい。
Piano : Shun Miyazumi
Bass : Yusuke Sato
Drums : Hideo Yamaki
--------------------------------------
10. STRAIGHTEN UP AND FLY RIGHT
(ストレイトゥン・アップ・
アンド・フライ・ライト)
lyrics & music :
Nat King Cole, Irving Mills
arrangement : Greg Volk
往年の名歌手、
ナット・キング・コールの書いた、
楽しいスイング・ナンバー。
今や、ステージでは欠かせない、
ジャミンの代表的なア・カペラ曲です。
とても、4人だけで唄ってるとは思えない、
バラエティに富んだアレンジで、
ぐいぐいと、
ご機嫌にスイングしていきます。
ソロはレンセイ。
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11. SCARBOROUGH FAIR
(スカボロー・フェア)
lyrics & music :
Arthur Garfunkel, Paul Simon
arrangement : Shun Miyazumi
オリジナルは、スコットランドの作曲家。
サイモン&ガーファンクルが唄って、
60年代に大ヒットしました。
映画『卒業』の中で、
大学のキャンパスをバックに、
美しく流れていたのが、
とても印象的でした。
重厚なベースで、
ジャミンをしっかりと支えてくれている、
シモンのリードから始まります。
そして、一転してジャズ・ワルツのリズム。
前半は、
S&Gのイメージを大切にしたコーラスの世界。
透明感のある、北欧のイメージ。
美しい、かわ島崇文のサックス・ソロからは、
一転して、ジャズ・ムード。
フーガの技法を取り混ぜながら、
息もつかせぬコーラス・ワークが、
これでもか、これでもか、と続いて行きます。
そして劇的なクライマックス…。
ここでも、
山木秀夫の絶妙のドラム・ワークが、
作品を、さらにドラマティックなものに、
してくれました。
Piano : Shun Miyazumi
Bass : Yusuke Sato
Drums : Hideo Yamaki
Soprano Sax : Taka Kawashima
--------------------------------------
12. NEW YORK LIFE(ニューヨーク・ライフ)
lyrics : Lensei
music : Shun Miyazumi
arrangement : Shun Miyazumi
私の大好きな街、ニューヨークは、
大都会の象徴です。
いろんなところから人が集まる大都会は、
常に、二つの顔を持っています。
不安と希望、成功と挫折、秩序と混沌…。
それがまた、
大都会の魔力でもあるのですが、
そんな、相反する二つの要素を、
ジャミンで表現できたらいいな、
と思って書いた、
私のオリジナルです。
詞はレンセイに頼みました。
ゴスペルが基調の、
楽しい、ドラマティックな、
スイング・ナンバーで、
ファースト・アルバムの、
『WHEN I FALL IN LOVE』に続いて、
ライブでは、
最後に盛り上がる曲になるのでは、
ないでしょうか。
そんな気がします…。
Piano : Shun Miyazumi
Bass : Tetsuyuki Kishi
Drums : Hideo Yamaki
Percussion : You Hatakeyama
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13. BRAHMS' LULLABY(ブラームスの子守唄)
music : Johannes Brahms
arrangement : Gene Puerling
アルバムの最後は、
『ブラームスの子守唄』をア・カペラで。
こじんまりとした一品ですが、
味わい深い作品に仕上がりました。
時折、見え隠れする不協和音が、
逆に心地よく響く、
なかなか粋なアレンジですね。
ということで、
おやすみなさい。
また明日も、素敵な一日でありますように…。
--------------------------------------
最後に、レコーディング・データです。
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jammin' Zeb are :
Kojiro
Steve
Lensei
Simon
Produced by Shun Miyazumi
Associate Producer : Shoji Yuasa
Recorded & Mixed by Takashi Sudoh
Recorded at :
ZAK STUDIO, SUNRISE STUDIO, ZERO STUDIO,
STUDIO Dede, KAOS STUDIO
Mixed at ZERO STUDIO
Assistant Engineers :
Rie Mimoto, Yasuhiro Nakashima
Mastered by Hiroshi Kawasaki
Mastered at
FLAIR Mastering works /Victor Studio
A&R Producer : Sumio Jono
Art Direction & Design :Swingarm
Photography :Yuuki Kawamoto
Hair and Makeup : Chika Tamura (tricca)
Costume Support:GENERRA
Sales Promotion:
Minoru Iwabuchi, Takashi Udono,
Hirohisa Goto,Koji Hirashima,
Makoto Morikawa, Atsuhiko Tsujita,
Makoto Nishibe, Ryo Saito, Chika Shiihara,
Kanako Okamura, Takeshi Sasaki,
Kazuhiro Otsuki,Mai Sato,
Yasuo Masubuchi, Yasumichi Shibata
Supervisors : Seiji Fueki, Koji Niwa
Artist Management : SHUN CORPORATION
Special Thanks :
KAOS (Akinori Kumata & Ayumi Ozaki),
Masafumi Nakao, Akihito Yoshikawa,
DISK GARAGE, PROMAX, All Of Me Club,
Shigeo Kurimoto,
Koichi Tsuruyama ("A-TRAIN")
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さ、この夏の終わりからは、
ジャミン・ゼブから、
目が離せませんぞ…。
SHUN MIYAZUMI
August 12, 2008
蚊帳(かや)その3(最終回)
やりましたねえ、
北島康介、オリンピック2連覇!
すごい重圧の中で、
さらにすごいことを、サラリとやってしまう。
すごい精神力です。
素晴らしい!!
この先も、
まだまだ熱いドラマがありそうですね、
北京オリンピック。
(たまらん…。)
そして、高校野球もいよいよ佳境。
(たまらん…。)
というわけで、
ここで、例年のように、
熱心な野球オタクが送る、
大胆優勝予想をひとつ。
(当たったこと、ないけど。)
ズバリ優勝は、
浦添商(沖縄)です。
伊波(いは)という、
超高校級のエースがいる上に、
バッティングも走塁も素晴らしい。
力感、スピード感とも申し分無し。
真っ向、力勝負だと、
ここに勝てるチームはありませんね。
もし、ここを破るとしたら、
経験豊富な名監督のいるところ。
あるいは‘試合巧者’のチーム。
「智弁和歌山」か「常葉菊川」
あたりでしょうか。
いずれにしても、
今年はレベルが高い。
去年の「佐賀北」のような、
ダーク・ホースが勝てる雰囲気では、
ありませんね。
個人的には、
あそこに勝って欲しいのですが。
北神奈川代表のあそこ…。
けっこう、いいチームなんですよ。
(でも、無理だろうなあ…。)
『蚊帳(かや) その3 (最終回)』
私は、
食堂に戻ると、
大声でみんなに、
無実を訴えました。
「僕は、やってない!
これは、何かの間違いだー!」
すると誰かが、
「でも、あんた、
パンツびしょ濡れにして、
お母さんのところに行ったんやろ?」
「……。」
しかし私は、
必死で弁明をする。
「それはー、
寝ぼけててー、
手洗いの洗面器をひっくり返してー、
だから、パンツが濡れたんだよ。
あれは、洗面器の水なんだよ。
絶対に、オシッコじゃないから。」
すると、今度は伯父が、
こわ〜い顔をして、
「シュンよ。
やったことは仕方ないとして、
ウソはいかんぞ、ウソは。
ウソつきは泥棒のはじまりって、
言うんだぞ。」
「……。」
でも私は、負けません。
負けてたまるか。
「ウソじゃないよ。
母さん、なんとか言ってよー。
みんな信じてくれてないよー。」
ところが、この母親。
「でもねー、それだと、
話がうますぎるよねえ。
もう、正直に言ったらどうなの?」
(くそー、実の親まで、こうか。
自分の子が信じられないのか…。)
私の大好きな叔母にいたっては、
「シュンちゃん。
もしかして、きまりが悪いから、
わざと洗面器ひっくり返したんじゃないの?」
(な、なんということを…。)
さらに、おばあちゃんが、
なんとも変な助け舟…。
「シュンが、やってない言うんやから、
そういうことに、してあげまーい。」
(そう、四国弁は、こんな感じです。
「あげまーい」とは、「あげなさい」という意味。
ううむ、のどかだ…。)
おっと…、
そんな悠長なことを言ってる場合ではない!
なにが、
「そういうことにしてあげまーい。」
だ!!
僕はやってないのだ。
およそ「寝小便」などというものは、
とっくに、
幼稚園の頃に、
卒業しているのだ。
(くそ。なんとか無実を証明しなくては…。)
と、そこへ…、
近所に住んでいる、
もう一軒の親戚の、
従姉妹(いとこ)がふたり、
楽しそうにやって来た。
ふたりとも、
私より年上です。
そして、大きな声で、
こう言っているのが、
聞こえてきました。
「ねえ、ねえ、
シュンが寝小便したんだって?
もうすぐ中学生なのに、
恥ずかしいねえ、あの子。
アハハハ。」
(ちきしょう、あの女ども。
いずれ、成敗してやる…。)
田舎というのは、
普段、あんまり刺激がないようで、
こんなくだらない出来事でも、
たちまち大騒ぎになるんですね。
まいりました。
それにしても、
この偶然の重なり具合は、
どうでしょう…?
私は明け方「蚊帳」を出て、
便所に行った。
しかし寝ぼけてて、
洗面器をひっくり返して、
パンツをびしょびしょにしてしまった。
しかたなく、二階に上がり、
母を起こして、
パンツを代えてもらった。
そして、そこで、
そのまま寝た。
ところが、
朝になってみると、
便所に行くまで私が寝ていた、
「蚊帳」の中の布団の、
ちょうど、そのあたりが、
びっしょり濡れていた。
……。
もうだめですね。
状況がそろい過ぎています。
恐ろしすぎます、
この偶然は。
これじゃあ、
誰も私の言うことなど、
信じないのも、
無理はありません。
身の潔白を証明することは、
まず、不可能に近い…。
私は、もはや、
弁解するのをあきらめ、
ただひたすら、
黙々とメシを食うことにしました。
もう、やけくそです。
「おかわり!」
(もういい。勝手にしろ。
みんな、嫌いだ…。)
でも…、
おれっくらいなると…、
崇高な魂を持った、おれっくらいなると…、
こんなことで、めげたりはしない。
ましてや、
「もう、誰も信じられない。
こうなりゃ、親に恥をかかせてやろう。
誰でもいいから殺してやろう。」
などという、バカな発想には、
絶対にならない!
幼いながらも私は、
高い次元に立って、
こう考えていました。
「なるほど…。
冤罪(えんざい)というのは、
こうして生まれるのか…。」
頼んでもいないのに、
親が買って来て、
仕方なく読んだ、
『世界少年少女文学全集』
その中にあった、
『巌窟王』や『レ・ミゼラブル』
でも、そんな悲劇の世界は、
あくまで小説の上での出来事だと、
思っていました。
まさか、
自分の身に、
そんな災難がふりかかろうとは…。
「無実の罪」
「冤罪(えんざい)」
恐ろしいことです。
人類の歴史上、
今まで、どれだけの人々が、
この「冤罪」によって、
尊い命を奪われたのでしょうか。
そんな、
世の不条理を呪いながら、
私はひたすらメシを食う。
……。
と、そのとき、
向こうの方から、
伯父さんの、大きな声が聞こえました。
「おーい、みんな。
ちょっとこっちへ来いよー。」
「なんだろう?」
と思って寝室へ行くと、
伯父は、「蚊帳」を片付けていた。
そして、
「蚊帳」の上の方を指さして、
さらに、天井を見上げる。
どちらも、
うっすらと、
濡れていました。
「こりゃ、シュンの寝小便じゃないぞ。
こりゃ、雨漏りだよ。」
(ほら、見ろ!)
明け方、
雨が降ったみたいですね。
それにしても、
その雨漏りの場所は、
見事に私の寝ていた、
しかも、あのあたりを、
直撃していたのです。
まさに、ピン・ポイント。
すごい偶然です。
でも、
私の身の潔白は、
ようやく証明されました。
(やれやれ…。)
しかし、
この事件以来、私は、
「冤罪」「無実の罪」
というものには、
人並み以上に敏感になりましたね。
世の中には、
こういうこともあるのだと、
しみじみ思いました。
来年からは、
「陪審員制度」も、
導入されるそうですね。
私は決して、
死刑存続には反対ではありませんが、
司法関係者のみなさん、
マスコミのみなさん、
どうか、万に一つも、
間違いのなきよう、
「冤罪」というものを、
絶対に出さないよう、
お願いしますよ。
え?
たかだか、寝小便騒動くらいで、
大げさなこと言うな。
ですって?
それもそうだ。
(おわり)
冗談はさておき、
そろそろ仕事が山積みです。
今日あたりから始めないと、
まずいですわ。
でも、やっぱり、
テレビ見ちゃうんだろうなあ…。
わかっちゃいるけどやめられねえ。
か…。
SHUN MIYAZUMI
August 07, 2008
蚊帳(かや)その2
「暑さと真っ向勝負!」
これが、この夏の、
私のテーマです。
昼は、熱々(あつあつ)の、
「みそ煮込みうどん」や「釜揚げうどん」
を、汗だくになって食う。
「冷やし中華」や「冷やしソーメン」に
逃げない。
夜は、「トンカツ」やら「ステーキ」やら、
とにかく肉をバクバク食う。
部屋のエアコンも、
数えるくらいしか使っていない。
それも26°以下にはしない。
タクシーなんか使わずに、
汗タラタラで歩く。
地球温暖化防止に著しく貢献。
都会に居ながらにしての、
「エコ生活」
いいですよー。
まったく夏バテなんかしてません。
元気モリモリです。
すこぶる元気オヤジです。
すこぶる元気で、
毎日、高校野球ばかり、
見ています。
(ダメじゃん…。)
『蚊帳(かや) その2』
「さ、朝ご飯でも食べよう〜っと。」
すがすがしい気分で、
下におりて行った私でした、
が…、
なにやら、みんなの様子がおかしい。
……?
私が食堂に現れるやいなや、
あわてて会話を中断して、
黙りこくってしまった、
おじいちゃんと伯父さん。
流し目で、私の顔を見ながら、
何やら意味深(いみしん)げに、
いやらしい笑みを浮かべながら、
ヒソヒソ話をする伯母と母。
苦笑しながら、
じーっとこっちを見ている
おばあちゃん。
下を向いて、
顔を真っ赤にして、
クスクス笑ってる叔母。
困ったような、
苦虫をつぶしたような顔の父。
あきれかえったような顔で、
バカにしたような顔で、
私を見つめる、おさむちゃん。
……。
それはもう、
本当に、
いや〜な感じでした。
そして、
私が、話題の中心になってることは、
幼心にも、
よ〜く分かる…。
私は、たまらず聞きました。
「なんだよー、みんな。
僕の顔に何かついてんの?
なんか、やな感じだなあ。」
すると父が、
怒ったような口調で、
こう言いました。
「なまいきな口訊いてないで、
さっさと食べろ。
もうみんな、とっくに終ってるんだぞ。
だいたい、普段から、
だらしない生活をしてるから、
こんなことになるんだ。」
(ん…? 意味がわからんよ、とうちゃん。)
すると、やさしい伯母が、
「まあ、ええのに、お父さん。
そんなに怒らんといてあげてーな。
悪気があったわけやないんやから。
なあ、シュンちゃん。」
(フォローは嬉しいけど、おばさん。
あなたも、意味がわかりません。
まさか、洗面器をひっくり返したことを、
言ってるんですか〜…?)
と、今度は母が、
「でもね、この子、
あっちの方は、
世話のかからん子だったんよ。
小ちゃいときから。」
(おっと、母上。
あんたまで訳の分からんことを…。
みなさん、頭がどうかしたんじゃありませんか…?)
さらに、私の大好きな叔母までが、
「まあまあ。
間違いは誰にでもあるけん、
許したげてーな、みんな。」
(おばさん、気は確かですか?
私が何をしたと言うのでしょう…?)
まったく意味のわからない私は、
もう一度、
今度は強い口調で、
聞いてみました。
「あのさー、みんな。
何を言ってるかわかんないんだけど。
僕が、いったい、何をしたって言うの…?」
でも、みんなは、
ただ黙って、下を向くだけ。
そして、相変わらず、
クスクス笑ってる人もいる。
……?
私にはもう、
何がなんだかわかりません。
そして、
本当に不愉快きわまりない。
(いったい、なにが起こっているのだ、
この家では…?)
すると…、
従兄弟(いとこ)の、おさむちゃんが、
仲のいい、おさむちゃんが、
見るに見かねて、
そっと教えてくれました。
それは、
予想だにしなかった、
衝撃の発言…。
「シュン、
お前、きのう、
寝小便したやろ。」
(……。)
私は、
すぐさま箸(はし)を置いて、
居間のとなりにある寝室に、
飛んで行きました。
「蚊帳」も寝床も、
まだ片付けられてはおらず、
きのうのままの状態です。
私は、
「蚊帳」を持ち上げて、
まだ敷いたままになっている、
布団(フトン)を見ました。
すると…、
きのう私が寝ていたあたり、
しかもちょうど、
下半身の、
まさに、あのあたりが、
びっしょり濡れていたのです。
……。
いったい、これはなんだ…?
どういうことなんだ…?
(つづく)
「蚊帳(かや」は、
今や、東南アジア諸国に、
大受けなんだそうです。
貧しい国では、
エアコンなどありません。
寝苦しい夜には、
自然の風を入れながら寝たい。
しかし、
マラリアの感染源である蚊(か)は、
なによりも恐ろしい。
そこで大活躍なのが、
この「蚊帳」
というわけです。
いやあ、江戸時代の日本人。
いい仕事してますねえ。
SHUN MIYAZUMI
August 04, 2008
蚊帳(かや)
高校野球が始まりましたねえ。
いよいよ夏本番。
今年も面白そう〜。
私にとっては、
たまらない季節です。
というわけで、
今日も夏のお話をひとつ。
古〜い日本の夏のお話です。
えっ?
もうすぐオリンピックも始まる?
そりゃ、困りましたねえ…。
仕事、出来るのかしらん…、
この夏の私ったら…?
『蚊帳(かや)』
夏休み。
少年時代の私にとって、
夏休みの思い出といえば、
真っ先に浮かぶのが、
四国のおばあちゃん家。
もう何度も書きましたが、
私の母の実家は、
四国は香川県の、
庵治(あじ)というところです。
(『松山商業』『四国』
『千葉の海とビーチ・ボーイズ』etc.)
平家の落人村として有名な、
瀬戸内海に面した、
海の幸、山の幸に恵まれた、
それはそれは美しい漁村。
中学生くらいまでは、
毎年、夏休みになると、
両親は私を連れて、
一週間くらい、
この庵治という田舎に行くのですが、
これが、
本当に楽しみでした。
古〜い、
江戸時代からあるんじゃないかと思うような、
木造の大きな家。
家の横の路地を、
サンダルをひっかけて、
ちょこっと歩くと、
もう、そこは海。
毎朝、
漁に出かける「ポンポン船」の音と、
窓から飛び込んで来る、
なんとも心地よい潮風で目が覚める。
魚やうどんは美味しいし、
釣りや海水浴にも最適だし、
幼い私にとっては、
まさに、
最高の楽園でした。
で、
あれは、私が、
小学校6年生の時だったでしょうか…。
この年の夏も、
私は、両親とともに、
夏休みの一週間を、
この、母の実家で過ごしました。
さらに、この家には、
「おさむ」という、
私の一つ下の従兄弟(いとこ)がいて、
遊び相手には事欠きません。
これもまた、
楽しみのひとつでしたね。
(エッセイ『四国』)
その日も、
私とおさむちゃんは、
夜遅くまで遊んでいました。
そのうち両親は、
「いつまでも遊んでないで、早く寝なさいよ。」
と、捨てゼリフを残して、
私たちが、寝室にあてがわれている、
二階の、叔母(母の妹)の部屋に上がって行った。
おじいちゃんとおばあちゃんは、
とっくに、
離れにある、彼らの寝室に。
そうこうするうちに、今度は、
伯父夫婦(おさむちゃんの両親)が、
寝床を作り始め、
大きな「蚊帳(かや)」を、
天井から、ぶら下げた。
そう、
「蚊帳(かや)」
これ、ご存知ですか…?
若い人は、
まず知らないでしょうね。
大きな網で出来た、
半円球のようなもので、
寝床をスッポリ包むことができる。
網の目が小さいので、
蚊(か)が入って来ない。
しかし風は入ってくるので、
とても寝やすい。
江戸時代からある、
日本の夏の風物詩です。
昔の人の、
生活の知恵ですね。
四国の田舎へ行かないと、
この「蚊帳」にはお目にかかれないし、
「蚊帳」の中で寝るチャンスはないし、
もう二階へ行くのも面倒だし、
私は伯父に、
「今日はここで、
おさむと一緒に寝たい。」
と、頼んでみました。
伯父は、ニコニコ笑いながら、
「ああ、いいよ。」
と快諾。
「蚊帳」を持ち上げて、
フトンにすべりこんで、
またまた、おさむちゃんとペチャクチャ。
「蚊帳」の外からは、
蚊取り線香のニオイ。
縁側の風鈴が、
チンチロリン。
いいですねえ。
この、なんとも、のどかな、風流な、
四国の海辺の片田舎の夏の夜は、
こうして、
更けていきました。
私もいつしか、
グ〜、ス〜、zzz…。
……。
と、そんな深夜。
私は、
猛烈な尿意で、目がさめました。
(すみません。またそんな話です。アハハ。)
仕方なく、
「蚊帳」を持ち上げ、
寝ぼけ眼(まなこ)で外に出て、
さっきまで遊んでいた、
だだっ広い居間を、
ふらふら状態で通り抜け、
縁側の廊下右手にある便所に行って、
用を足す。
いや、この場合は、
「厠(かわや)」
と言った方がいいかもしれませんな。
もちろん「水洗便所」などではなく、
古〜い汲取式の便所で、
手を洗うのも、
洗面器に溜めてある水を利用する。
ほんとに、
何から何まで、
江戸時代のような生活なんですね、
ここは。
(もちろん、今は違いますよ。)
さて、
寝ぼけ眼(まなこ)の、
ほとんど夢遊病者のような私は、
用を足したあと、
この洗面器の水で、
手を洗おうとした。
と、その瞬間、
フラっとよろめいた瞬間、
私は、
洗面器をひっくり返してしまった…。
そして、
私のパンツは、
ビショ濡れ。
……。
(あ〜あ。)
しかたなく私は、
もう、「蚊帳」の寝床に戻るのをあきらめ、
この縁側の廊下の端にある、
階段を上って、
二階の叔母の部屋に行きました。
そして、
母親をたたき起こして事情を話し、
新しいパンツを出してもらいました。
そして、
そのまま、
そこで、
グ〜、ス〜、zzz…….
……。
コッケコッコ〜。
朝が来ました。
目を覚ますと、
周りには誰もいません。
窓から外を眺めると、
目の下には、
古い田舎の民家がズラリ。
狭い路地を、
ニワトリが、
忙しそうに走り回っている。
コケ、コケッ、コッコ〜〜。
遠くには、
瀬戸内海の美しい島々。
ポンポン船の音。
心地よい潮風。
(きょうもいい天気だなあ。)
すがすがしい気分で、
朝飯を食いに、
下におりて行った私ですが…、
そこには、
なにか、いつもと違う、
変な雰囲気が、
イヤ〜な雰囲気が、
漂っていたのでした。
(つづく)
一気に、
最後まで書こうかと思ったのですが、
目がしょぼしょぼしてきたので、
つづきはまた次回に…。
それにしても、
風景を、文章で表現するのは、
本当に難しいですね。
雰囲気、
伝わってますか…?
SHUN MIYAZUMI
July 29, 2008
千葉の海とビーチ・ボーイズ
音楽と街。
音楽と景色(風景)。
これは、
切っても切れない関係にある、
と、私は思っています。
初めてニューヨークに行ったとき。(1978年)
深夜、やっとの思いで、
マディソン・アベニュー(4番街)の、
古いホテルの部屋に到着した私は、
スプリングの壊れているベッドや、
お湯の出ないシャワーに、
ガク然としたものの、
すぐに、あの、
『グレン・ミラー物語』や『ベニー・グッドマン物語』
の一シーンが浮かんできて、
逆に、とても嬉しくなりました。
(おお!これだ。
これが、映画で観たニューヨークだ!!)
そして、
窓を開けると、
街の薄明かりと、月明かりの中に、
いろんなビルの裏側、屋上が、
目の前いっぱいに拡がっている。
すぐさま、私の中には、
マイルス・デイヴィス『ラウンド・ミッドナイト』の、
クールなトランペットや、
ビル・エヴァンスの知的なピアノが、
鳴り響いていました。
(やっぱり、ニューヨークはジャズそのものだ。
ニューヨークという街がなければ、
ジャズは生まれていないのだ!!)
今だに、あのときの感動を、
忘れることはできません。
さらに、
初めてロンドンに行ったときのこと。(1983年)
空港まで迎えに来てくれた、
地元のお兄ちゃんの、
カー・ラジオから流れて来る、
『ポリス』や『デュラン・デュラン』や『レベル42』
もう、ドンピシャで街の風景と、
マッチしているんですね。
オックスフォード・ストリート、キングズ・ロード、
ピカデリー・サーカス、ハイド・パークetc.
などを見ながら(通りながら)、
聴こえてくる彼らの音楽は、
まさに、
‘ロンドン’そのものなんです。
残念ながら私は、
ウィーンやザルツブルグには、
行ったことがありませんが、
本場で聴く、
モーツァルトやベートーヴェンやマーラーは、
東京で聴くよりも、
ずっとずっと、
‘本物の香り’なんでしょうね。
では、
この場合は、
どうなのでしょう……?
『千葉の海とビーチ・ボーイズ』
夏ですね。
夏といえば海。
あの開放感は、たまりませんねえ。
最近は、
ほとんど行かなくなりましたが、
(なにせ、もう年ですから、億劫で…。)
10年くらい前までは、
毎年のように、
どこかの海に、
遊びに出かけておりました。
ある夏の日のこと。
私と、スタッフのショーちゃんと、
私の大親友のO氏と、
彼の仕事仲間のT君の4人は、
千葉県は外房にある、
U町というところに、
泊まりがけで、
海水浴に出かけることになりました。
ショーちゃんの運転する、
ご自慢のワン・ボックス・カーに乗り込んで、
いざ出発。
都心を抜け、
千葉県に入り、
しばらくしてから山道に入り、
房総半島を横断するようなコースで、
外房の海に出る。
我々は、そんなコースで、
一路、千葉の海を目指す。
と、ここで、
大親友のO氏が…、
……。
そうそう、
彼はこのブログにも、
ずいぶん登場してますねえ。
(『忠臣蔵と私』『松山商業』『学園紛争』
『レコード買いまくり時代』etc.
まだの方、ぜひ読んでみて下さい。)
ともに父親の転勤で、
中学校の2年間を、
三重県の四日市というところで過ごした、
クラス・メートです。
それ以来、
ずっと親交の厚いO氏が…、
O氏…、
(もう面倒だなあ…)
O氏……、
ええい、本名を明かそう。
このO氏、
小原(おはら)さんと言います。
(アハハ、すまん、小原。)
この小原さん。
この日も、朝からすこぶる上機嫌で、
得意の関西弁が早くも全開。
「さあ、みなさん。
夏やでー。夏休みやでー。海やでー。
夏の海にピッタリの音楽といえば、
何でしょうねー。何でしょうねー。
はい、そうです!
ビーチ・ボーイズです!!
シュン、コレかけて。」
と、一本のカセットを、
前の座席の私に渡す。
それは、
『ビーチ・ボーイズ・ベスト・セレクション』
ビーチ・ボーイズといえば、
私たちの青春時代の音楽。
私も中学生の頃から大ファンで、
それこそ、
レコードが擦り切れるほど聴きました。
これぞ、アメリカン・ポップス。
軽快なロック・ビート。
カッコいいギター・サウンド。
そして何よりも、
スカッとするコーラス。
美しいハーモニー。
そりゃ夏にピッタリなことは、
あんたに言われなくてもわかっている。
しかし、この時ばかりは、
私はすぐに、異議を唱(とな)えました。
「あのね、小原さん。
ビーチ・ボーイズてのはね、
明るい太陽がふりそそぐ、カリフォルニアの音楽よ。
サンタモニカ大通りを、
オープン・カーでドライブしてる感じよ。
ヤシの木立の間を、
爽やかな、カリフォルニアの風を浴びながら、
快適なドライブの雰囲気よ。
ビーチには、
カッコいいヤンキーなお兄ちゃんと、
ドキッとするようなビキニの、ピチピチのヤンキー娘が、
楽しそうにビーチ・バレー。
そんな感じよ。
あるいは、ハワイのワイキキ・ビーチ。
でも、この場合は、
ベンチャーズの方がハマってるな。
しかし、俺たちが行くのは、
外房の海だぜ。千葉だぜ。
しかも今は山林の中を走ってるし。
全然、雰囲気が違うんじゃないの…?」
しかし、小原さんは譲りません。
「何言うてんねん。
カリフォルニアもハワイも外房も、
おんなじ太平洋や。
かまへん、かまへん。
ビーチ・ボーイズやビーチ・ボーイズ。
海や、海や、夏や、夏や。
アハハハハ。」
(……?)
仕方なく私は、
ビーチ・ボーイズをかける。
子供の頃から慣れ親しんだ、
懐かしいサウンドが、
鳴り響く。
『サーフィン・U・S・A』♪
『アイ・ゲット・アラウンド』♪
『ファン・ファン・ファン』♪
『カリフォルニア・ガール』♪
『ヘルプ・ミー・ロンダ』♪
『グッド・ヴァイブレーション』♪
窓の外は、
相変わらず、
房総半島の山林。
(ううむ…。なんか違うけど…。)
私は、再度、小原さんに食い下がる。
「あのさー、やっぱりさー、
全然合ってないと思うんだけど…。」
しかし、小原さんは、ひるまない。
「だいじょう〜〜ぶ。
もうすぐ海が見えてくるから。
そしたらピッタリ合うがな。
ええなあ、やっぱ夏はビーチ・ボーイズやなー。
アハハハハ。」
(……。)
やがて車は、
山道を下りに入り、
ようやく、外房の海が見えてきました。
すると、
ますます上機嫌の小原さん。
「ほら、海が見えてきたでー。
もうすぐやでー。
ビーチ・ボーイズが、もっと合うでえ。
ショーちゃん、ヴォリューム上げて。」
(……。)
さて、
山道を降りきった車は、
U町の、狭〜い道に入りました。
この道を抜けると、
我々の目指す「U館」という旅館があり、
明日は、ここの浜辺で海水浴、
ということになっています。
道の両側には、
古〜い、昔ながらの民家が、
建ち並んでいる。
と、ここで、ショーちゃんが急ブレーキ。
「危ない!」
地元の、
色真っ黒の子供たちが、
どろだらけのシャツに、半ズボンに、
ゴム草履を履いた、鼻たれ小僧が3人、
ゴム・ボールとゴム・バットで、
野球をしている。
私は窓を開け、
「ねえ、坊やたち、
車が通るから、ちょっと道をあけてくれる?」
子供たちは、
すぐに民家の軒下に並んで、
不思議な生き物を見るような目で、
私たちを見ています。
車内では相変わらず、
エンドレス状態で、ビーチ・ボーイズが、
爆音で流れている。
……。
と、その時。
窓から飛び込んできた、
プ〜ンと生ぐさい臭(にお)い。
それは…、
干物(ひもの)の臭(にお)い…。
通りの左側の路地の向こうには、
浜辺と海が見えるのですが、
その浜辺で、
地元のおばさんたちが、
干物を並べている。
……。
そんな臭いを嗅(か)ぎながらも、
ビーチ・ボーイズの美しいハーモニーは続く。
……。。
「おっ、ここは駄菓子屋か。
懐かしいなあ。
昔、四国のおばあちゃん家の町(村)にも、
こんな駄菓子屋があったなあ…。」
「あっ、あれは、雑貨屋だな。
『タモリ3 戦後日本歌謡史』で、
『くつひも〜、かみそり〜、田舎のお店〜♪』
なんて、バカな唄作ったよなあ。ははは。」
のどかな、海辺の町に並ぶ民家を、
一軒一軒見ながら、
そんなことを考えながらも、
車は、ノロノロと走っている。
車内には、スピード感あふれる、
軽快なビーチ・ボーイズ・サウンド。
(もうこの曲、
きょう、何度目だろう…?)
「あれは民宿だな。おっ、あそこにも。
赤い字で 、『空室有り』
と書いてあるから、
明日の海水浴場は、すいてるかも…。」
その民宿の軒先では、
地元の、小太りのおばさんたちが、
けっこう胸の空いた、
ゆったりめのワン・ピースと、
サンダル姿で、
楽しそうに井戸端会議。
ひとりは、赤ん坊を背中に、おぶっている。
このおばさんたちも、
我々の車を、見つけると、
さっと道を空けてくれましたが、
やはり、さっきの子供たちと同じように、
不思議な生き物を見るかのような表情。
車内には、
相変わらず、
干物の臭いがプンプン。。
そして、ビーチ・ボーイズの、
爽やかなハーモニー。。。
……。
さらに進むと、
路地の角では、
手ぬぐいでハチ巻きをしたオッサンが、
赤銅色のたくましい腕をしたオッサンが、
ステテコ、腹巻き、くわえタバコ、
といった格好で座りこんで、
漁師網(あみ)の修繕かなんかをやっている。
……。
この風景には、
『風雪ながれ旅』や『舟唄』
の方が、
バッチリ合ってるように、
私には思える…。
(アハハ、やっぱアカンよ、小原さん。)
私は、最後に、もう一度言ってみました。
「ねえ、小原さん。
やっぱり、ビーチ・ボーイズじゃないと、
思うんだけどねえ…?」
さすがに、この頃になると、
さすがの小原さんも、
そろそろ観念したようで、
力のない声で、
「そうやなあ…。」
……。
誤解のないように言っておきますが、
私は、日本のこうした田舎の風景は、
大好きです。
私の母の実家のある、
四国は香川県の「庵治(あじ)」というところも、
このU町と同じような雰囲気の、
瀬戸内海に面した、
それはそれは美しい、のどかな漁村です。
(『松山商業』『四国』といったお話にも書きましたが。)
決して卑下してるわけではありませんので、
念のため。
あくまで、音楽と景色の話ですからね。
さあ、
U館に着いた私たちは、
さっそく大風呂に入り、
浴衣に着替え、
ビールで乾杯。
(く〜、たまらん。)
そして、
美味しい刺身や焼き魚に、
舌鼓を打つ。
いや、もう最高。
(う、う、うま〜〜い!)
翌日は、朝から海水浴。
目の前に広がる千葉の海。
太陽の熱をたっぷりと浴びた、
サラサラの浜辺。
右手の方に見える松林。
雄渾な岩場。
美しい日本の海景色。
そして、
ひと泳ぎして、
「海の家」で飲むビールがまた、
うま〜〜〜〜〜い!
ラーメンがなぜか、
うま〜〜〜〜〜い!!
私は、こんな日本の夏景色が、
大好きです。
でも…、
やっぱり…、
ビーチ・ボーイズじゃないなあ……。
『風雪ながれ旅』や『舟唄』
とまでは言いませんが、
やっぱり、
日本の夏の海には、
加山雄三やサザン・オールスターズ、
あるいは、
「まつば〜らとおく〜、き〜ゆるところ〜♪」
「う〜み〜はひろいな、おおきいな〜♪」
の方が、
合うんじゃないかな、
小原さん。
悔しいでしょうけど。
気持ちは、わかるけど…。
SHUN MIYAZUMI
July 24, 2008
続・世にも不思議な物語
暑いですねえ。
みなさん、
夏バテしてませんか。
そんな暑さも、
このお話を聞けば、
納涼気分になること請け合い。
ま、そこまでではありませんが、
ちょっと恐〜い体験談をひとつ…。
ああ、思い出すだけで、
身の毛がよだつ…。
(あ、そうだ。
食事中の方、
これから食事の方は、
のちほどお読みになることを、
おすすめします。)
『続・世にも不思議な物語』
あれは、
忘れもしません、
1978年の夏のことでした。
当時、
アルファに在籍していた私にとって、
初めてのニューヨーク出張。
当時のニューヨークは、
今と違って、
世界にも名高い犯罪都市。
出発前から、
いろんな先輩に、
「ニューヨークは恐いぞー。」
「夜の一人歩きは絶対やめろよー。」
「金は持ち歩くなよー。」
「ハーレムやサウス・ブロンクスには行くなよー。」
「夜のセントラル・パークは危ないぞー。」
などなど、
散々おどかされていたので、
不安な気持ちでいっぱいでしたが、
行ってみると、
これが、
私には、ピッタリの街!!
なるほど、
あちこちに酒ビンを持った浮浪者が、
すわり込んでいたり、
夏なのに、
よれよれの冬物コートを着た、
まるで、セロニアス・モンクのようなオッサンが、
ゴミ箱をあさっていたり。
安ホテルの前には、
「ヘイ、メ〜ン。」
といった感じで、
悪そうな黒人のガキが、
大勢で、たむろしていたり、
「けっこう、ヤバいなあ…。」
と思える光景は、
あちこちにありましたが、
でも…、
街中に活気があり、
いろんな映画で観たのと同じ、
古いレンガの高層ビルが建ち並び、
何よりも、
街中にジャズの香りがプンプンで、
私は、イッパツで気に入ってしまいました。
さて、
そんなニューヨークの、
暑い暑い、
夏の日の午後のこと…。
その日は、
レコーディングもなく、
完全オフ。
お天気もいいので、
私は、
マディソン・アベニューにあるホテルを出て、
五番街を、セントラル・パークの方に向かって、
散歩することにしました。
大都会ニューヨークの中でも、
ひときわ活気のある、
五番街(フィフス・アベニュー)は、
それこそ人種のるつぼ。
忙しそうに歩く、エリート・サラリーマンやOL。
思い思いのファッションに身を包んだ若者たち。
世界中から集まった観光客らで、
通りは、人、人、人…。
そんな中を、
摩天楼を見上げたり、
高級ブティックを覗いたりしながら、
まるで映画の主人公にでもなったような気分で、
ルンルンで歩いていた私でしたが、
急に…、
トイレに行きたくなってしまった…。
それも、大きい方…。
(困ったなあ…。)
しばらく我慢しながら歩いたものの、
通りにも、
反対側の通りにも、
用を足せそうなところは、
何一つ見当たらない…。
五番街には、
公衆便所はもちろん、
コンビニも、
コーヒー・ショップも、
パチンコも、ゲーム・センターも、
何一つありません。
(当たり前だ。)
もうダメだ、
もう限界だ、
と、我慢も限界に達した時、
私は、
『高級宝石店ティファニー』
のすぐ近くに、
『JAL(日本航空)』
が入っている、
オフィス・ビルを見つけました。
(そうだ!
帰りの飛行機の確認に来た、
ということにして、
あそこでトイレを借りよう。)
そのビルに入ると、
ここも、すごい人で、
華やいでおりました。
忙しそうに働く従業員、スタッフ、
大勢のお客さんで、
たいそうな賑わいです。
しかし、
そんなことに感激してる場合ではない。
私は、
一人のスタッフをつかまえて、
「すみません、
トイレを貸してもらえませんかあ?」
すると、
「(ちょうどオフィスのまん中あたりにある)
あのドアを出て、
廊下を左に少し行って階段を降りると、
男性用のトイレがありますよ。」
と、そのスタッフは、
親切に教えてくれました。
(ふ〜。助かった…。)
大急ぎでトイレに行き、
ドアを開けると、
そこは、
左側に小用の便器が3つ縦に、
右側に、大用の個室が3つ横に並んでいる。
そして、
それらはすべて空いていました。
なぜ、ひと目で分かるかと言いますと、
アメリカの、こうした個室は、
扉の下が30cmくらい、
空いてるからなのです。
あれ、嫌ですねえ。
私は最初、
あれが大嫌いでした。
ダラ〜ッとズボンを膝までおろして、
用を足してる人の姿が見えるのも不快だし、
自分がああなってる、
という姿を想像するのも嫌だし…。
しかし今は、
そんなことを言ってる場合ではありません。
私は、大急ぎで、
一番手前の個室に入りました。
(ふ〜。)
そうこうするうちに、
しばらくすると、
ギーッと、
トイレのドアが開いて、
誰かが入って来た。
その男は、
ゆっくりとした足取りで、
こっちへやって来る。
コツ、コツ、コツ、コツ、コツ。
そして、その、
ゆったりとした靴音は、
私の個室の真ん前で、
ピタッと止まった。
……。
私の目の前には、
足元には、
大きな黒い靴が2つ。
それも、
30cm以上はあろうかという、
本当に、化け物みたいな、
大きな靴が、
2つ並んでいる…。
それだけで、
この男が、
かなりの大男であることがわかります。
「やれやれ、用も済んだし、
待ってる人もいるようだから、
そろそろ出るとするか。」
と、ズボンに手をかけようかと思った私でしたが…、
……、
待てよ…。
私が入って来た時、
このトイレには誰もいなかったぞ。
小用も、大用の‘個室’も、
すべて空いていたよな…。
その後入って来た人もいない。
なのに、この男は、
なぜ私の前にいる…?
小用なら、あっちへ行けばいいではないか。
大用なら、
隣の2つの個室は、空いているではないか。
なぜだ。
なぜ、こいつは、ここにいるのだ……。
これだけの考えをまとめるのに、
5秒もかからなかったと思います。
その瞬間、私は、
言いようのない恐怖に襲われました。
何やら、自分の身に、
大きな危険が迫っているのを感じました。
そして、
あぶら汗がタラタラ…。
(いかん。
今出てはいかん…。)
私は、
何度も水を流したり、
トイレット・ペーパーを使うフリをしたりして、
とにかく時間稼ぎの作戦に出る。
(誰かが来るまで待つのだ。
今出ては危険だ…。)
しかし、
この男は、
なんら行動を起こすわけでもなく、
微動だにせず、
不気味に、私の前に立ったままです。
(いったい、こいつは何者だ。
いったい何を企(たくら)んでいるのだ…。)
何度も何度も、水を流し、
トイレット・ペーパーを使う私を、
あざ笑うかのように、
相変わらずその男は、
無言のまま、立っている。
無言でいられることぐらい、
不気味なものはありません。
(待つのだ…。
誰かが来るまで、耐えるのだ…。)
考えてもみて下さい。
今このトイレには、
あられもない格好で、
便座に座ってる私と、
目の前の扉一枚隔てて、
無言で立っている、
謎の大男の二人だけなのです。
今まで、味わったことのない恐怖…。
見えない、大きな敵に威嚇されてる恐怖…。
そして、どこにも逃げ場はない…。
その時間は、
10分…。
いや、もっと短い時間だったのかもしれません。
でも私には、
2時間にも、3時間にも、
感じましたね。
(頼む。早く誰か来てくれ…。
こいつが何か行動を起こす前に…。)
………。
と、その時です。
ガヤガヤと楽しそうな笑い声とともに、
2、3人のサラリーマンらしき男たちが、
入って来ました。
その瞬間…、
足元の大きな靴が…、
スーッと消えた…。
「今だ!」
私は、大急ぎで支度をして、
個室の外に飛び出ました。
そこでは、
3人の若いサラリーマンが、
楽しそうに語らいながら、
手を洗っていましたが、
あの‘大きな靴の男’は、
もう、どこにもいませんでしたね。
そのうちの一人が、
「Are you al-right?(大丈夫ですか)」
と聞いてきましたが、
なるほど…、
鏡に映っている私は、
顔面蒼白。
汗びっしょり…。
その後オフィスに戻ると、
さっきまでと同じ、華やかさ。
大勢の人で賑わっておりました。
何事もなかったかのように…。
私は、
注意深く、
周りにいる男性の足元を、
片っ端からチェックしてみましたが、
あんな大きな靴の大男は、
いませんでしたね。
……。
私は思いました。
「やはり、ニューヨークだ…。」
ニューヨークは、
その後何度となく行きましたし、
今も私の大好きな街です。
もちろん、それなりに、
いろんなことがありましたが、
でも、これほど不思議で、不気味な体験は、
その後一度もありません。
いったいあれは、
何だったんでしょう…?
あの男は、
誰だったんでしょう…?
何を企(たくら)んでいたんでしょう…?
本当に不思議な出来事ですが、
ひとつだけ言えることは、
「あれが日本式のトイレだったら…?」
ということですね。
相手は見えてないわけですから、
私は用が済んだら、
さっさと出ていたでしょう。
それを考えただけでも、
ゾーっとしてしまいますね。
あれ以来、私は、
あの、アメリカ式の個室を見ると、
なぜか微笑んでしまうんですね。
そっと、感謝したりもする…。
可笑(おか)しいですか…?
SHUN MIYAZUMI
July 19, 2008
July 16, 2008
世にも不思議な物語 その4 最終回
あ痛ッ。
ただ今、
腰痛で苦しんでおります。
(いかんなあ…。)
ちょっと慢性化してきましたね。
まずいです…。
どなたか、
U崎を探して来てくれませんかー。
……。
『世にも不思議な物語 その4 最終回』
その後のチビ太の話をしましょう。
翌朝、10時頃。
事務所に行ってみると、
段ボール箱の囲いの中に入れておいた、
チビ太がいません。
出入り口を開けておきましたからね。
(おや、どこに行ったんだろう…?)
私は、
「チビ太〜」「チビ太〜」
と、呼んでみました。
すると、
フロアの左側にある、
キッチンの奥から、
のろのろと、
チビ太が出て来た。
そして、
私を見つけると、
ゆっくりと歩いてやって来た。
その足取りは、
まだ、おぼつかないものの、
(そりゃそうだ。
頭蓋骨を骨折してるんだから…。)
その目は、
黒々としており、
しっかりと私を見つめています。
きのうの、
あの灰色の、
焦点の定まらない、
力のない目ではありません。
私は、
買って来たミルクと、
簡単なドッグ・フードを、
チビ太に与えました。
すると、チビ太は、
おいしそうにミルクを飲み、
ドッグ・フードを食べ始めたのです。
きのうのチビ太は、
何かに取り憑かれたように、
クルクルと時計回りに歩くことしかできず、
食事や水には目もくれない。
おそらく、
事故にあってから、
この2日間、
彼は、
食事はおろか、
水一滴飲んでいないはずです。
というか、
脳細胞が破壊していて、
そうした思考回路すら、
遮(さえぎ)っていたのでしょう。
私たちが、
「もう、この犬はダメだろう…。
まず助かるまい…。」
と懸念していたのは、
この事だったんですね。
しかし、
今、私の目の前でチビ太は、
おいしそうにミルクを飲んでいる。
私は安堵しました。
(もう大丈夫だ。)
私は、I嬢に電話をして、
もうしばらくチビ太を、
ここに置いておくよう、
勧めてみました。
幸い、
私と不動産屋との契約は、
あと一週間残っており、
しかも、
人の出入りは、もはや無く、
荷物もすべて運び出してあるので、
危ないものは一つもない。
小犬を預かるには、
最高の環境なのです。
彼女は、
「自分の仕事もあるし、
そうしていただけるなら、
こんな嬉しいことはない。」
と、喜んでおりました。
さあ、
それからのチビ太の回復ぶりが、
これまた、
奇跡的とも言える早さでした。
一日一日と、
見る見るうちに元気になり、
食欲も旺盛になり、
信じられないような、
回復を見せたのです。
そして、5日目のこと…。
私が事務所に現れるやいなや、
猛烈なスピードで、
チビ太は、ダッシュして来た。
ちぎれるんじゃないかと思うくらい尻尾を振り、
私の足元で飛び跳ね、
全身で喜びを表現し、
猛烈なスピードで走り去る。
そしてまた、
猛ダッシュで、やって来る。
さらに、
猛烈な勢いで階段を駆け上がり、
猛烈な勢いで駆け下りる。
……。
今度は、
ちょっと心配になりましたね。
あまりの勢いで、
階段から足を踏み外して落下して、
頭を打ったり、
首の骨でも折られたりしては、
元も子もありません。
私は、I嬢に連絡をして、
早々にチビ太を、
引き取ってもらいました。
はい、こんなお話でした。
世の中には、
不思議な能力を持った人間が、
いるもんです。
しかし…、
私が、もっと不思議に思うのは、
ここに到るまでに起こった、
奇妙に重なり合った、
3つの偶然です。
そう、3つの偶然…。
1つ目は…、
I嬢が私に、
「一日だけ、チビ太を預かって欲しい。」
という電話をしてきたことです。
ご承知のように、
私の事務所は、
引っ越しの準備が、ほぼ完了していて、
危ない荷物もなく、
人の出入りも、もはや無く、
彼女の申し出を受けるには、
絶好の環境にありました。
なによりも、
ここに連れて来なければ、
U崎と会うことも無かった…。
2つ目は…、
言うまでもなく、
あの時、
あの‘絶妙の’タイミングで、
U崎が、
「これからちょっと、
遊びに行ってもいいですかあ…?」
という電話をしてきたことです。
3年前に一度だけ仕事をした、
それほど親密でもない関係の私のところに、
なぜU崎は、
“あの時に限って”
電話をしてきたのでしょうか…?
そして3つ目は…、
それを私が、
スンナリ受け入れてしまったことです。
前にも書きましたが、
私はあの3日間、
引っ越しを理由に、
こうした「訪問要請」の電話を、
すべてお断りしていたのです。
しかし、なぜU崎だけには、
「ああ、いいよ。来れば。」
と、あっさり受け入れてしまったのでしょうか…。
もちろん、彼に、
あんな超能力があるとは、
知る由もありません。
そして、
奇跡は起こった…。
この一連の流れを、
科学的に証明するのは、
まず不可能でしょう。
さらに私は、
‘無神論者’です。
でも…、
もしかすると…、
あの時ばかりは…、
神様は、やっぱりいて、
ヒマつぶしに、
ちょっと可愛いイタズラを、
してくれたのでしょうか…?
それとも…、
メリー・ポピンズやハリー・ポッターが、
そっと現れて、
可愛いチビ太のために、
ちょっとした魔法を、
かけてくれたのでしょうか…?
そんな突飛な発想も、
この場合に限っては、
そんなに的外れじゃないかもしれませんね。
うん…、
そうかもしれない…?
(おわり)
先日、
本当に久しぶりに、
I嬢に連絡をしたところ、
なんと、このチビ太、
まだ元気で、
生きてるんだそうです。
今年で、20才になるんだそうです。
(私の記憶に、
ちょっとだけ誤りがあったようですね。)
犬の20才って、
人間にすると何才ですか…?
いずれにしても、
驚くべき長寿ですね。
一方のU崎は、
……、
そうだU崎だ、
あいつを探さなくては…。
なにしろ、
腰が痛くて、
たまらんのだから…。
SHUN MIYAZUMI
July 12, 2008
世にも不思議な物語 その3
昨夜、
学芸大のジャズ・バーに行ったら、
何人かの人に、
「宮住さん、
チビ太、どうなるんですかあ。」
と聞かれました。
……。
えらいもん書き始めちゃったなあ、
と苦笑したのですが、
もう遅い。
あんまりみなさんを、
じらすのも申しわけないので、
頑張って更新します。
(ああ、二日酔いだ。気持ち悪い…。)
『世にも不思議な物語 その3』
目の前に繰り広げられている光景。
それは、
世にも不思議な光景でした。
つい先程まで、
完全に壊れてしまっていた小犬。
頭蓋骨を骨折し、
脳細胞や三半器官も損傷し、
医者からも見放された小犬。
愛する飼い主の呼びかけにも反応できず、
食事や水の存在にも気づかず、
まっすぐ歩くこともできず、
ただ、
何かに取り憑かれたように、
右回りにクルクルと回ることしかできない、
誰の目からも、
「スクラップ同然の壊れたおもちゃ」
にしか見えなかった小犬が、
U崎の呼びかけだけには反応し、
彼の手のひらに導かれ、
左回りに歩きはじめたのです…。
それまで、
「超能力」「超常現象」といったものには、
かなり懐疑的な私でしたが、
U崎の不思議なパワーに圧倒され、
ここは静かに、
見守るしかありませんでした。
さて、
「よし。今度はまっすぐ歩かせてみましょう。
すみませんが、
段ボールを動かして、
出入り口を作ってくれませんか。」
と、U崎は次なる作戦に出る。
私とショーちゃんは、大急ぎで、
手前の段ボール2つを左右に動かして、
左右に開いて、
出入り口を作りました。
するとU崎、
再びチビ太の頭上
10cmくらいのところに手を置き、
ゆっくり、ゆっくり、
チビ太を誘導して囲いの外に出し、
そのまま、
私たちのいる、
デスクのある、
こちら側に向かって、
まっすぐ歩かせ始めたのです…。
一歩、一歩、
その足取りはおぼつかないものの、
U崎の手のひらに導かれながら、
チビ太はゆっくりと、
まっすぐ歩いて、
まっすぐ歩いて…、
まっすぐ…、
ついに、
こちら側までやって来た。
……。
さらにU崎は、
こちら側までチビ太を誘導すると、
驚くべき行動に出る。
そのまま、
手のひらをチビ太の頭上、
10cmくらいのところに置いたまま、
ゆっくりと、
右回り、
すると今度は左回り、
その次はまっすぐ、
まるで魔法使いのように、
自由自在に、
チビ太を動かし始めたのです。
相変わらずその手は、
一切チビ太に触れません。
まるで、
磁石に吸い寄せられるような感じで、
チビ太は、
U崎の手のひらが動くところに、
ただひたすらついて行く…。
黙々とうつむきかげんで、
歩く。
……。
I嬢とショーちゃんと私は、
目を丸くしながら、
互いに顔を見合わせ、
この受け止め難い現実を、
どう表現していいものかわからず、
ただ呆然と見守るしかなかったのですが、
次第にI嬢の頬に、
赤みがさしてくるのも、
感じ取れました。
「絶望」が「希望」に変わって行くのが、
はっきりと、
見て取れたのです。
そしてクライマックス…。
「よし。今度は自力で歩かせましょう。」
と言ってU崎は、
チビ太を玄関先まで運び、
置いて来た。
(……。)
そして、
7、8メートルくらい離れたこちら側から、
「さあチビ太。
こっちへおいで。」
時には手を叩き、
何度も何度も、
まっすぐ歩いてこちらへ来るように、
呼びかけたのです。
するとチビ太は、
その声に促されて、
ゆっくりと動き始めた。
歩き始めた…。
「よし。いいぞチビ太。
こっちだ。
そうそう。いいぞチビ太。
さあ早くおいで。」
絶え間なく、
U崎は呼びかける。
絶え間なく手をたたく。
その声に、
吸い寄せられるように、
時にヨロッと、
転(ころ)びそうになりながらも、
がんばって立ち直り、
チビ太は、
ついに、
自力でゴールインしたのです。
(信じられない…。)
「さあ、今度は飼い主の番だ。
Iさんが直接、やってみて下さい。」
と、再びチビ太を玄関先に置いて、
U崎は、飼い主のI嬢に、
同じようなことをやるように、
促しました。
「さあチビ太。
こっちへおいで。
早くおいで。
こっちよ。こっちよ。」
U崎がやったように、
手を叩きながら、
何度も何度も、
I嬢は呼びかけた。
最初は、
U崎の時のようには反応せず、
ずっと下を向いたまま、
動こうとしなかったチビ太ですが、
やがて、
ゆっくりと、
歩き始めた。
何かを思い出したのでしょうか。
愛する飼い主の声がわかったのでしょうか。
壊れていた脳細胞が、
再び活動を始めたのでしょうか。
……。
そして、
ゴールイン…。
「チビ太、よかったねえ。」
と、チビ太を抱きあげて、
大粒の嬉し涙を流すI嬢。
それは本当に、
美しい涙でした。
「ああ、疲れた。
今日はこのくらいにしておきましょう。」
と、U崎。
私たちは、
心からの感謝の気持ちを伝えると、
チビ太を再び段ボールの囲いの中に戻し、
(出入り口は開けたままで)
みんなで食事に行くことにしました。
食事中の話題は、
もっぱら、
「このU崎の不思議な能力について」
なのですが、
実のところ、
彼にもよくわからないんだそうです。
何年か前から、
自分に、そんな能力があることに、
気づいてはいたものの、
なにせ、
ここまでの経験はないので、
正直、自分で自分に驚いている。
そう言っておりました。
(なるほど…。)
そんな会話をしているとき、
私はあることに気がつきました。
さっきからU崎は、
右手の人差し指を、
左肩に置いて、
その指を小刻みに左右に動かしている。
何やら小さい物体を、
撫(な)でているように見えました。
私は聞きました。
「ねえ、さっきから、
何やってんの…?」
するとU崎、
「ああ、これね。
アハハハ。」
と笑いながら、
その指を離した。
その瞬間、
U崎の肩から、
何かが、
ぷ〜んと飛び立った。
それは、
一匹の、
蠅(ハエ)でした…。
(つづく)
この食事の最中、
私はU崎に、
「なあU崎よ、
お前、下手なギターなんかやめて、
獣医でも開業したらどうだ。
ハイパー獣医!
ハンド・パワーで奇跡を起こす獣医!!
ワイド・ショーにでも取り上げられたら、
とたんに大金持ちだぜ。
なんなら、投資してもいいぞ。」
と言ってみました。
するとU崎、笑いながら、
こう言ったのです。
「いやいや、
僕が、そんな邪(よこしま)な欲望を、
持った瞬間に、
この能力は消えてしまうんじゃないでしょうか。
僕が無欲だから、
安心して動物たちが、
寄ってくるんじゃないかなー。」
私はそんなU崎が、
ますます好きになりました。
SHUN MIYAZUMI
July 09, 2008
世にも不思議な物語 その2
おや、もう更新ですか?
ずいぶん早いですねえ。
そうなんです。
前回あんな、
もったいぶった、
終り方をしたもんだから、
なんとなく責任を感じて…。
がんばって書いちゃいました。
さてさて、
チビ太の運命やいかに…?
『世にも不思議な物語 その2』
「やあ、宮住さーん、Y浅さーん、
お久しぶりでーす。」
実にノー天気な感じで、
ロック・ギタリストのU崎君は、
やって来ました。
しかし、
その場の空気を、
すぐに察知したようで、
「あれっ? なんか暗いなあ。
お二人とも、どうしたんですかあ…?」
私は、そっと目で合図。
目線の先には、
クルクル、クルクルと、
相変わらず力なく、
時計回りに歩いている小犬。
段ボールの囲いの外から、
しゃがみ込んで、
それを見守るI嬢の、
悲しそうな後ろ姿がありました。
「あの犬、どうしたんですか?」
と、U崎が聞くので、
私は事情を説明しました。
するとU崎は、
とんでもないことを言い出した。
「そりゃ、かわいそうだなあ。
でも僕ね、
動物と会話が出来るんですよ。
さっきも、ここへ来る電車の窓から、
トンボが入って来て、
僕の肩に停まるもんだから、
ずっと、撫(な)でてやってたんです。
アハハハ。」
なーにが、アハハハだ。
この男は、
ギターの腕前はイマイチだけど、
実直な感じがしてて、
私もY浅ショーちゃんも好感を持っていたので、
「こんな大ボラ吹く男だったのか…。」
と、意外な一面を見た思いでしたが、
とはいえ、
他に打つ手も無いので、
「じゃ、あの犬、
なんとかしてくれよ。」
と、冗談半分に言ってみた。
ところがU崎君、意外にも真顔で、
「わかりました。
あの犬、名前は?」
「チビ太だよ。」
と、素っ気なく私。
すると、このU崎君、
段ボールの囲いのところまで行き、
クルクル円を描きながら歩いている、
チビ太にむかって、
「チビ太〜」
と呼びかけました。
すると…、
なんと…、
チビ太が…、
止まった。
反応した。
……。
それまで、
私やショーちゃんはもとより、
最も愛する飼い主のI嬢までもが、
いくら「チビ太〜」と呼びかけても、
全く反応しなかったチビ太が、
なんと反応したのです。
さて、
その場にいた私たち3人が、
あまりの驚きに、
しばし唖然としていると、
再びチビ太が歩き始めた。
ヨロヨロと。
そこにU崎がまた、
「チビ太〜」
と声をかける。
すると…、
またしても…、
チビ太が…、
止まった。
……。
驚きを隠せない私たちでしたが、
U崎は次第に、
真剣そのものの表情に。
今度は囲いの中に入り、
「ところで、
なんでずっと右回り(時計回り)なんですか?」
と聞いてくる。
「いや、いくら反対向きにしてやっても、
すぐに戻しちゃうんだよ。
まっすぐも歩けないし、
ずっとこんな感じなんだよ。」
と、私。
するとU崎、
手のひらを、
チビ太の頭上
10cmくらいのところに置いた。
ここで、
またしても、
チビ太が止まる。
(……。)
そして、
その手のひらを、
ゆっくり左回りに、
つまり、逆方向に動かして、
チビ太を誘導し始めたのです。
その手は、
いっさい、チビ太に触れずにです。
チビ太の頭上、
10cmくらいの距離を保ちながら、
ゆっくり、ゆっくり、
チビ太を誘導して行く。
すると、
チビ太は、
U崎の手のひらに導かれるままに、
左回りに歩きはじめたのです…。
この状況の驚くべきところは、
U崎は、
チビ太の体に、
一切触れていない、
というところでしょうか。
いったい、これは現実なのか…?
目の前に繰り広げられている、
今まで見たこともない、
不思議な光景に、
ただ只、呆然と見守る、
I嬢とショーちゃんと私でしたが、
さらなる驚きは、
こんなもんでは、
ありませんでした。
(つづく)
実を言うと、
それまでの私は、
「超能力」「超常現象」
といったものには、
かなり懐疑的でした。
しかし、
これを見て、
いささか考えが変わりましたね。
さて、物語はこのあと、
どういう展開を見せるのでしょうか…?
あ〜あ、
自分で自分に、
プレッシャーをかけてる感じだ…。
SHUN MIYAZUMI
July 06, 2008
世にも不思議な物語
ときどき、
「宮住さんはUFOの存在を信じますか?」
「幽霊はいると思いますか?」
「超常現象を信じますか?」
「ユリ・ゲラーは本物だと思いますか?」
といった内容の質問をされることがあります。
そんな場合の私の答えは決まって、
「わかりません。」
そう、
直接見たことがないし、
体験したこともないので、
「わかりません。」
と言うしかないのです。
ところが、そんな私にも、
「いったいあれは何だったんだろう…?」
「もしもあの時…?」
といった不思議な体験が、
一度や二度はあるんですね。
きょうは、そんなお話です。
題して、
『世にも不思議な物語』
あれは、
91年か92年頃のこと、
だったでしょうか。
当時の私は、
中目黒にある、
かなりお洒落な、
メゾネット・タイプのマンションに、
事務所を構えていました。
そこは、
上下2フロアをぶち抜いて作ってあって、
1階部分は大きなリビング。
2階には小さな部屋がいくつかあって、
なかなかに快適なオフィスでした。
もちろんお家賃も相当なもの。
私だけでは負担も大きいし、
こんなに広いスペースも必要ないので、
知り合いの、
映像関係の事務所や、
ライターの集団。
アパレル系のお店、
料理研究家、
といった個人事業主。
などに声をかけて、
みんなで家賃を分担して、
利用しておりました。
そのうち、
いろんな事情から、
一社抜け、一人抜け。
すると、
残った人(事務所)の家賃負担が大きくなる。
最後まで残ったのは、
私の事務所と料理研究家のF女史。
これじゃ、
家賃が高すぎるな、
もったいないな、
ということで、
ここはひとまず解散。
私と、スタッフのショーちゃんは、
近くに手頃なマンションを見つけて、
引っ越しをすることになりました。
3日くらいかけて、
引っ越し準備は完了。
ガランとしたフロアには、
デスクが1つと電話が一本。
あとは大きな段ボールが、
いくつも山積状況。
そんな時です。
一時期ここにいた、
アパレル関係のお店をやっている、
I嬢という女性から電話がありました。
なんでも、
彼女の飼っている愛犬が、
車に、はねられたらしい。
すぐに医者に連れていったところ、
一命はとりとめたものの、
頭蓋骨が骨折しており、
脳細胞や三半器官も、
かなり損傷している。
手術をしたいところだが、
まだ生後一才の小犬だし、
体力的に持ちこたえられまい。
残念だが、
当医院では、
如何ともしがたい。
ということで、
なんの治療も受けられずに、
追い帰された、
と言うのです。
自分の部屋に連れて帰ったものの、
まともに歩けないので、
あちこち頭をぶつけて、
とても危なくて見てられない。
明日、実家(栃木)に連れて帰るので、
一日、事務所で預かってもらえないか、
といった内容の電話でした。
私は、
「そんなことなら仕方がない。
すぐに連れて来なさい。」
と言ったのですが、
実はこれが、
‘奇跡’のはじまりでした。
この犬。
「チビ太」と言います。
生後一才の、
マルチーズ系のオスの小犬で、
なんとも愛くるしい顔をしている。
何度か事務所に来たことがあるのですが、
とにかく元気がよく、
部屋中狭しと走りまくり、
誰にでも、じゃれて愛想をふりまく、
やんちゃな小犬。
本当に可愛いやつ。
ところが、
しばらくして現れたチビ太には、
そんな面影もありません。
床に置いてみると、
なるほどフラフラと力なく歩くものの、
すぐにデスクの角に頭をぶつけて、
倒れ込んでしまう。
(確かに、これは危ない…。)
あんなに愛していた飼い主のI嬢が、
いくら「チビ太〜」
と声をかけても、
無反応…。
そこで、
私とショーちゃんは、
たくさんの段ボールの箱で、
長方形の‘囲い’を作って、
その中にチビ太を入れてやりました。
こうしておけば、
ここからは出られないし、
ひとまず安心。
すると、このチビ太。
突然、時計回りに、
円を描くように、
クルクル歩きはじめたのです。
力なく、ヨロヨロしながら。
I嬢が、
いくら「チビ太〜」と声をかけても、
相変わらず無反応。
黙々と、
クルクル、クルクル、
円を描くように歩いている。
そして疲れると、
バタッと倒れて動かなくなる。
しばらくすると、
ヨロ〜ッと立ち上がり、
また、時計回りに黙々と歩き出す。
食事や水を入れてやっても、
まったく無視。
クルクル、クルクル。
反対側(左回り)に向きを変えてやっても、
すぐに自分で時計回りに戻して、
クルクル、クルクル。
そして、バタッと倒れる。
動かなくなる…。
目にも力がなく、
どちらかというと灰色。
視点も定まらず。
もはや、あの、
元気いっぱいで走りまくっていた、
やんちゃ坊主のチビ太は、
どこにもいません。
泣きじゃくりながら、
憔悴しきった声で、
「チビ太〜」「チビ太〜」
と、声をかけるI嬢の哀れな姿が、
なんとも痛ましい…。
そんな状況が、
2時間あまりも続いたでしょうか。
料理研究家のF女史も、
私の耳元でそっと、
「宮住さん、
可哀相だけど、
この犬は、もうダメね。」
と呟きましたが、
彼女のみならず、
私もショーちゃんも、
「この犬は、保(も)って3日。
まず助かるまい…。」
そう思っておりました。
そこにかかってきた、
一本の電話。
ロック・ギタリストの、
U崎という男でした。
「宮住さーん。
ご無沙汰してまーす。
今、事務所の近くに来てるんですが、
ちょっと遊びに行ってもいいですかー。」
このU崎君。
3年前に一度仕事をしただけで、
それ以来の電話。
どちらかというと、
その存在すら忘れていた。
そんな程度の関係だったのですが、
なぜか私は、
「いいよ。
ただし、引っ越しの最中だし、
なんのおもてなしもできないよ。」
と、訪問の要請に応じました。
実は私、
この3日間、
こうした、
訪問の電話は、
すべてお断りしていたのです。
「今、引っ越しの真っ最中だから、
打ち合わせは来週にしませんかー。」
「引っ越しの最中なので、
ロクにお相手もできないので…。」
「来週には、新しいオフィスに移るから、
そこでゆっくりお話しましょうよ。」
ところが、
このU崎だけには、
「いいよ。来れば。」
と言ってしまったんですね。
今にして思えば、
このことは、
大変重要な意味を持つのですが。
……。
しばらくして、
U崎君は、やって来ました。
そして、
信じられないような、
奇跡が起きたのです…。
(つづく)
いやですねえ、
この終り方。(笑)
まるで、
一番いいところで、
CMが入るTV番組、
『アンビリーバボー』
のような感じ。
でも、
このあとに目撃した、
不思議な出来事の数々をお話すれば、
納得していただけると、
思うのですが…。
それにしても、
暑いですね。
もう、梅雨明けですか…?
SHUN MIYAZUMI
May 25, 2008
将棋と私 その6(最終回)
またまた一週間のごぶさたです。
毎回同じセリフで恐縮なのですが、
毎日が、
本当にあわただしく、
なかなか更新もできず、
あいすみません。
しかし、
多くのジャミン・ファンのみなさまから、
「次のアルバム、楽しみですー。」
という、
ありがたいコメントを、
頂戴しておりますからね。
励みになります。
がんばりますぞー。
そんな私の唯一の息抜きは、
これを書いてるとき…。
「将棋と私 その6(最終回)」
時の名人、
中原誠さんの著書、
『中原誠の三間飛車退治』
を丸暗記した私は、
‘23連敗阻止’
という大目標に向かって、
「今日こそは…。」
宿敵、川口真さんのオフィスへ、
決意も新たに、
出かけて行ったのでした。
さあ、
弱い私が、
先手をもらって、
いよいよ対局の開始です。
(頼むぞ。覚えててくれよ…。)
まず私が、
「7六歩」と角道を空ける。
すかさず川口さん、
「3二飛」と飛車を振ってくる。
(やはり今日も‘三間飛車’で来たか。
しめしめ…。)
ホッとする私。
他の手を指されちゃ、
苦労が水の泡ですからね。
そして30手までは、
本に書いてあった通り、
全く同じ手で、
進んで行きました。
正直これには驚きましたね。
中原名人の本には、
相手にとっても、
常にその場その場で、
最善手が書かれてあるのですが、
さすがです、
川口さん。
相手が‘ヘボ’だと、
本とは違う手を指してくるので、
その時点で、
私の丸暗記は、
無効になります。
その手は、
本来、相手にとっては‘悪手’なのですが、
その時点から私は、
自力で戦わねばなりません。
それは困る。
私が恐れていたのは、
そこなのですが、
さすがに上級者の川口さんです。
見事に、
中原さんの手と、
全く同じ手の連続で来ました。
私の期待どおりです。
そして、
最初の分岐点。
中原さんの教え通り、
私は「3七桂」と跳ねる。
最初の勝負手です。
(「将棋と私 その5」参照)
すると、川口さん、
「ん…?」
と、言って、
しばらく考え込んだ。
やはりこの手は、
‘意表をつく’好手、
だったようです。
私には、
サッパリわかりませんが…。
悩んだあげくに、
川口さんは、
やはり本に書いてある、
1)の「5五歩」で応戦してきました。
「こうかなあ…?」
そう、これが、
彼にとっては最善手なのです。
(さすがだ。
やっぱり川口さんは強い…。)
しかし、
これこそ私の思うつぼ。
その後の展開は、
完全に丸暗記しているので、
‘待ってました’とばかり、
私は中原さんの教えどおり、
悠然と手を進めて行く。
川口さんも、
相変わらず、
本と全く同じ手で応戦。
しかし、
その表情は、
次第に、
こわばっていく。
「何かが違う…。」
と、感じ始めてるようです。
そうこうするうちに50手目。
第2の分岐点がやってきました。
私が指した手を見て、
川口さん、
「ええっ…!?」
再び、考え込んだ。
「いやあ、こりゃ、いい手だねえ。
ううむ…。
……。
しかし宮住君、
腕上げたねえ。
いや、まいったな、こりゃ…。」
狼狽、驚愕。
顔面は硬直。
普段は簡単に打ち負かしている相手の、
思いもよらぬ善戦に、
興奮も手伝ってか、
川口さんのお顔は、
真っ赤っか。
その時私は、
思わず、
吹き出しそうになりましたね。
なぜなら、
今、川口さんが、
顔を真っ赤にして、
対決している相手は、
私ではなく、
まさに、
‘中原名人そのもの’
なんですから。
そして、
考えに考えたあげく、
やはり川口さんは、
本にあるとおりの手を指して来ました。
(やっぱりそう来たか。
するとこっちは、こうだ。)
とばかりに、
私は、
バシッ!
と、次の手を打つ。
またしても、
こわばる川口さん。
「いやあ、どうすりゃいいんだろう?
こうかなあ…。」
と、恐る恐る次の手を指す、
川口さん。
(そうそう。
それでいいんです。
中原さんもそう書いてます。
しかし、それなら、
こっちは、これでいくのだ。)
ビシッ!
「なぬっ…?」
その後も私が、
バシッ!
「えっ…?」
と、川口さん。
(あはは。)
ビシッ!
「な、なんだと…?」
(ウシシ。)
バシッ!
「うわあ、まいったなあ、その手は。」
(ガハハ。)
いやあ快感、快感。
愉快、愉快。
ビシッ!
「ギャーッ。」
バシッ!
「ひえ〜っ。」
こうして、
次第に優位に立って行く私。
追い詰められて行く川口さん。
そして70手目。
本局は、
見事に、
本に書いてあるとおりの
展開になりました。
これは、
本当に驚くべきことです。
川口さんは、
中原名人が想定したとおりの手を、
完璧に指したことになります。
これだけでも、
彼が相当の実力者であることが、
わかりますね。
さて、
ここから先は自力です。
オリジナルによる戦いです。
さすがに終盤は、
ヒヤっとする場面もありましたし、
じりじりと追い上げを食らいましたが、
序盤の貯金がものをいい、
ついに念願の初勝利!
私は、
23連敗を免れたのでした。
(ふ〜。勝った…。)
局後、
負けてはいけない相手に負けたショックで、
しばし呆然と盤面を眺めている、
川口さんの姿は、
かつて学生時代に、
私に負けた時のF井君のそれと、
まったく同じでしたね。
私は、
事の真相を話そうかとも思いましたが、
やめました。
だって、
22連敗もしていたんですからね。
ま、しばらくは、
悔しがっていただきましょう。
そして私は、
この日を境に、
これ以上将棋が強くなることを、
断念しました。
20代半ばにして、
私の将棋歴は、
終わりです。
なぜなら、
本屋に行くと、
その中原名人の著書は他にも、
『中原誠の中飛車退治』
『…穴熊退治』『…棒銀退治』
『…矢倉退治』『…四間飛車退治』
などなど、
おびただしい数があるのです。
川口さんが、
次に、
‘三間飛車’ではなく、
別の戦法で来たら、
あるいは別の強豪が、
『四間飛車(しけんびしゃ)』で来たら、
私はまた、
その研究で、
仕事もメシも放り出し、
睡眠時間まで、
おびやかされることになる。
あっというまに、
私の記憶力は限界に達し、
私の小さな灰色の脳細胞は、
(ん?どこかで聞いたフレーズ…。)
オーバー・ヒートして、
燃え尽きてしまうことでしょう。
なによりも、
1970年代、
あれほど隆盛を極めた、
当の中原誠名人ですら、
その後の若手の台頭で、
あっさりその座を、
奪われてしまったのですから。
これは、
谷川浩司さんが、
「『中原誠の三間飛車退治』を退治」
という戦法を編み出した、
からなのでしょうか。
その谷川さんを打ち負かした羽生さんは、
「『中原誠の三間飛車退治を退治』を退治」
を考案したものの、
森内現名人による、
「『退治を退治を退治』を退治」
に、苦戦を強いられている。
……。
すごい世界ですねえ。
プロというのは。
というわけで、
これ以降私は、
いかなる将棋の本も、
研究しておりません。
もとのヘボ将棋に戻って、
TVの将棋対局をボンヤリ眺めたり、
暇つぶしに、
コンピューター・ゲームを相手に、
対局したり、
その程度の将棋ファンを、
それなりに楽しんでおります。
そして、
それは又それで、
この上もなく幸せで、
穏やかな時間であることも、
事実なのです。
少なくとも、
私にとってはね…。
(おわり)
好奇心旺盛な私は、
将棋以外でも、
ありとあらゆる物に興味を持ち、
そのつど夢中になりましたが、
どれも長続きはせず、
どれも大成しておりません。
麻雀、パチンコ、ポーカー、ブリッジ、
ビリヤード、競馬、ゴルフetc.
この点、
どれも一流の域にある、
大橋巨泉さんとは、
大違いですね。
唯一、
長続きしているのは、
音楽だけですかね。
あ、これは仕事か…。
SHUN MIYAZUMI
May 18, 2008
将棋と私 その5
一週間のご無沙汰です。
あわただしい一週間でしたが、
おかげさまで、
「赤坂BLITZ」も大盛況。
みなさん、
ありがとうございました。
さらには、
ファン・クラブも立ち上がったし、
レコーディングも順調です。
今週も、
この勢いで、
がんばりますよー。
そんな中、今日は、
待ちに待った、
久しぶりのお休みでした。
こんな、
のんびりモードにぴったりの、
将棋の話にでも、
華を咲かせることにしましょうか。
私が敬愛する名アレンジャー、
川口真さんに登場してもらいます。
「将棋と私 その5」
私が、川口真さんと、
初めてご一緒させていただいた仕事は、
例のディスコ演歌、
『涙の海峡』
ではなかったか、
と記憶していますから、
もう30年以上も前のことになりますね。
(過去ログ「演歌と私」)
この川口真さん。
この方も、
東京芸大作曲科などという、
立派なところを卒業しながら、
なぜか歌謡曲の世界に身を投じる。
でも、そのアレンジは素晴らしく、
1970年〜80年代には、
それこそ、
‘引っ張りだこ’の存在でした。
作曲家としても、
弘田三枝子『人形の家』
金井克子『他人の関係』
由紀さおり『手紙』
などのヒット曲があります。
(すでにコメント欄では、
いち早く盛り上がってるようですがね…。)
ちなみに、
テレサ・テンさんの、
一連のヒット曲のアレンジも、
彼の手によるものです。
そんなお忙しい川口先生ですが、
なぜか私とは、
一発で意気投合してしまいました。
その最大の理由は…、
ごひいきのプロ野球チームが、
同じだったからです。
二人とも、
当時としては稀少とも言える、
およそ人気のない球団を、
熱烈に応援していました。
そのチームとは…、
『阪急ブレーブス』
(現在の『オリックス』)
ですから、
仕事を離れても、
一緒に、
「後楽園球場」や「東京ドーム」に足を運び、
ガラガラのスタンドから、
「福本、走れ〜!」だの、
「高志(山口)、頼むぞ〜!」
などと、
声援を送っていたわけですね。
懐かしいです…。
ま、この野球話も、
いずれ書くとして、
そんなこともあって、
歌謡ポップス系の仕事があるときは、
真っ先に川口さんに、
アレンジをお願いする。
いつしか、
それが定番になってしまっている、
そんな私でした。
さて、
この川口さんには、
3つの趣味があって、
1つは阪急の応援。
2つめがゴルフ。
そして、もうひとつが、
将棋です。
打ち合わせで、
彼のオフィスに行くと、
必ずと言っていいほど、
将棋盤を出してくる。
「宮住君、一局やろう。」
そして、
この先生が、
また、
強いのなんの。
初段あるいは二段クラスの実力、
だそうですから、
私が到底かなう相手ではありません。
学生時代、
あのF井君に、
少しは鍛えられましたので、
(過去ログ「将棋と私 その2」「その3」)
途中までは、
善戦することがあるものの、
最後は、
絶対だめです。
絶対勝てません。
ここまで、
なんと私の、
0勝22敗。
22連敗…。
……。
ここまで負け続けると、
さすがの私も、
次第に腹が立ってきました。
私にだって、
意地というものがありますから。
(くそ。なんとか勝つ方法はないものか…。)
そんなとき、
私はあることに気づきました。
最近の川口さんの戦法が、
十中八九、
「三間飛車(さんげんびしゃ)」
というものであることに…。
将棋には、
「飛車」「角行」
という強力な2枚の大駒があります。
「飛車」は、
縦横まっすぐ何コマでも動かせる。
「角行」は、
斜めなら何コマでも動かせる。
そして、どちらも、
相手陣内に入ると、
裏返って、
縦横斜めにひとコマ、
どこでも自在に動かせる、
さらに強力な駒になります。
この2枚を相手に取られたら、
まず勝ち目はありません。
さて通常、将棋は、
------------------------------
歩歩歩歩歩歩歩歩歩
角 飛
香桂銀金王金銀桂香
------------------------------
こんな形からスタートします。
飛車が定位置に居たまま進行する場合、
これを、
「居飛車(いびしゃ)」
と言います。
「三間飛車」とは、
飛車を横に一気に動かして、
「角行」のとなりに持ってくる形。
------------------------------
歩歩歩歩歩歩歩歩歩
角飛
香桂銀金王金銀桂香
------------------------------
展開が早いので、
急戦向きと言われています。
実は、
川口さんの、
ほとんどの作戦が、
これなのです。
「よし。なんとか一矢報いよう。」
と、私は本屋に行き、
『中原誠の三間飛車退治』
という本を購入しました。
当時の将棋界で、
絶対的な強さを誇っていた、
中原名人の、
数ある著書の中のひとつです。
それからの私は、
毎晩家に帰ると、
なにはさておき、
この、
『中原誠の三間飛車退治』
の研究。
本を片手に、
将棋盤とにらめっこしながら、
駒を動かす日々。
そして、ひたすら、
丸暗記の日々。
本には、
「まずは30手くらいまではこのように進む。」
と手順が書かれてあるので、
はい、これを丸暗記。
「さて、ここで先手(私)が3七桂とはねる。
これがまず、最初の‘好手’。
ここで後手(川口さん)には、
3つの受け方がある。
1)5五歩 2)6四銀 3)8八角成」
とあって、
各々にまた、
20手くらいの攻防が全部書いてある。
うわあ、大変だ…。
実のところ私には、
それが‘好手’かどうかは、
サッパリわかりませんが、
「中原名人が‘好手’と言うのだから、
きっといい手なんだろう。」
と信じることにして、
これらをまた、
丸暗記。
(注:これらの手はすべて例えであって、
実際どういう手だったかは、
もう忘れました。)
ちなみに相手が上級者であればあるほど、
1)2)3)の順番を選ぶようです。
つまり、
相手の手順もまた、
すべて相手にとっての、
‘最善手’であるわけなのです。
そして中原名人は、
相手のどの手に対しても、
こちらが有利になるような名手を、
そっと教えてくれるのです。
したがって、相手が、
本に無い手を指したとしたら、
その手は、‘悪い手’なのです。
その瞬間から私は、
が然有利になるはずなのですが、
私にとっては、
そっちのほうが困る…。
なぜならば、
その瞬間から、
私は‘自力で’戦うことになってしまうから、
これは困るのです。
でも、
「川口さんクラスの実力者ならば、
きっと本のように指すだろう。」
という期待をこめて、
来る日も来る日も、
ひたすら丸暗記の日々。
しだいに本は、
赤鉛筆で真っ赤っか…。
さて、本局は、
相手にとっての‘最善手’
1)を想定して進められて行くうちに、
(念のため、2)3)の発展形も暗記済み。)
50手目くらいで、
また<分岐点>がやってくる。
こちらの‘あっと驚く好手’に対して、
相手は再び3種類の受けがある。
(この辺りまで来ると、
さすがの私にも、
それが‘いい手’だということくらいは、
わかります。)
ということで、
これらの発展形を、
またまた全部、
丸暗記。
電車の中でも、
「ええと、あそこは銀だったかな…?」
と、わからなくなっては本を開き、
仕事中も、
「あそこは、どうするんだったかな…?」
と、そっと本を盗み見みし、
ベッドの中でも、
「あれ、あの後、相手は、
どう指すんだっけ…?」
と思い出しては、
ガバっと跳ね起き本を開く。
そんな日々が、
10日も続いたでしょうか。
そしてようやく<70手目>。
「これで先手(私)の圧倒的優位。」
とあって、
本はそこで終了しています。
(なるほど…。
確かにこりゃ、
こちらの方が良さそうだな。)
そして、
ここから先は、
自力で戦わなければなりません。
(もう少し先まで、
書いてくれるといいのに…。)
でも、欲は言いますまい。
(でも、まあこれで何とか、
がんばってみるか…。)
ということで、
いよいよ勝負です。
すべての手順を丸暗記した私は、
さっそく、
ヤボ用ができたフリをして、
川口さんのオフィスへ、
出かけて行きました。
忘れてしまわないうちに…。
(つづく)
この川口さん。
ゴルフもお上手です。
何度かご一緒しましたが、
プロ並みのスコアで、
回ってきます。
練習場でも、
一球でも変な当たりが出ると、
「チッ。」
と、不機嫌になり、
ひたすら打ち込んで修正する。
真剣そのものです。
私なんぞ、
一球でもいい当たりが出ると、
「よし。完璧だ。
これで明日はバッチリだ。」
と、さっさとやめてしまいますが…。
すぎやまこういちさんも、
そうですが、
このクラスの方々になると、
仕事も遊びも、
真剣にやりますね。
遊びは遊びで、
真剣に遊ぶ。
いい勉強になりました。
私なんぞ、
まだまだ、その域には、
達しておりません。
……。
ということで、
レコーディングが終ったら、
大いに、真剣に、
遊ぼうと思っております。
ん?
もう充分だろ、って…?
いえいえ。
まだまだ私なんぞ、
その域には、
達しておりませんから…。
はい。
……。
SHUN MIYAZUMI
May 06, 2008
東京ドーム・後編
ゴールデン・ウィーク。
みなさん、
いかがお過ごしでしょうか。
私は、
休みを返上して、
ジャミン・ゼブのために2曲、
アレンジを書きました。
決して、
メインになる大作ではありませんが、
アルバムの構成上、
こうしたレパートリーも必要かな、
と、思ったものですから…。
‘いいアルバム’というのは、
一流レストランの、
ディナー・コースのようなものですかね。
(と、思うのですが…。)
主食のお肉や魚料理だけでは、
胸焼けしちゃいますから、
数々の洒落たサイド・メニュー、
サラダ、前菜、スープetc.
いろんな物が必要になります。
そう考えると、
きのう書いた一曲は、
メインの肉料理の前に運ばれて来た、
お店ご自慢の赤ワイン。
もう一曲は、
極上のデザート。
かな…。
なーんちゃって。
アハハ。
ま、そうなるように、
頑張ってレコーディングしましょう。
さて、
話はガラリと変わって、
再びあの‘熱狂の大舞台’に、
思いを馳せることにしましょうか。
「東京ドーム・後編」
3月25日(火) 夜6:50
アメリカ・メジャー・リーグ開幕戦
いよいよ、
ジャミンゼブの出番が近づいてきました。

グラウンドでは、
和太鼓、剣舞、阿波踊り、といった、
日本の古典芸能が、
華々しく行なわれております。
そして、それが終ると、
「ボストン・レッドソックス」
「オークランド・アスレチックス」
の、選手、監督、コーチが、
一人ずつアナウンスされ、
大拍手と歓声のなか、
一人、また一人と、
グラウンドに登場。
各々、
一塁、三塁のベース・ライン上に、
整列です。
そして、
場内には一瞬の静寂。
……。
ここで、
英語、日本語の両方で、
「これより、
アメリカ合衆国国歌を、
日本のジャズ・コーラス・グループ、
ジャミン・ゼブが歌います!」
という、アナウンスに導かれて、
ジャミン・ゼブが登場。
そして、
レンセイが静かに歌い出す…。
「Oh,say can you see〜♪」
それに続いて、
ジャミンの、
美しく、力強いハーモニーが、
場内いっぱいに響き渡る。

胸に手を当てて、
厳粛な面持ちで、
聴き入る大リーガーたち。
……。
そしてスクリーンには、

いやあ、感動しましたよ。
あの、ラミレスや、オルティーズや、
バリテックや岡島らが、
ジャミンの唄を、
真剣に聴き入ってるんですからね。
(なんじゃ、そっちかい…?)
いやいや、
本当に素晴らしかったです。
素晴らしく感動的な、
パフォーマンスでした。
みなさんにも、
お見せしたかった…。
歌い終わった瞬間の、
場内の拍手、歓声のすごさが、
それを物語っていましたね。
やれやれ、
これで一段落。
楽屋へ戻ると、
主催の読○新聞の方や、
某広告代理店‘D通’の方やらが、
次々にやって来て、
「いやあ、良かったですよ。
素晴らしかった。」
と、みな大絶賛。
(よかった、よかった。)
そして、D通の人が、
「みなさん、どうします?
この後、野球ご覧になりますか?
チケット、ご用意できますけど。」
(待ってました。)
すると、
普段から、しつけのいいジャミン君は、
「うわ〜い。」
などとは飛びつかず、
ちょっとためらいがちに、
「どうするみんな…?見て行く…?」
と、協議に入る。
私は、内心、
あせりましたね。
(バカ。
「はい、見ます!」と言え。
君らが遠慮したら、
私もショーちゃんも、
「では、私たちだけでも見て行きますかー。」
とは、言えなくなるではないか…。)
ちょっとした協議の結果、
リーダーのコージローが、
ニコニコしながら、
「では、お言葉に甘えて、
見させていただきます。」
と言ったので、
ひと安心。
(よし、いい子だ…。)
みんなで、
チケットとお弁当をもらって、
席に案内されると、
……、
これがまあ、
特等席中の特等席。
ネット裏の真正面、
前から10列目くらい。
チケットには、
「スコアラー席 非売品」
と、書いてある。
普段、各球団の、
先乗りスコアラーたちが陣取る、
‘プロ向けの最上席’
というわけですね。

テレビにも映るような席らしく、
さっそくレンセイの友達から、
「レンセイ、映ってるよー。」
というメールが入って来ました。
周りを見ると、
すぐ後ろには、
代議士の「塩川○十郎先生」
そして、
普段よく見る著名人たちが、
どっちゃり。
(みなさん、ジャミンの唄を、
どう思ったかなあ…?)
などと感慨深く考えてる暇は、
まったくありません。
直後に、
アスレチックスのバッターが、
カキーンと、
タイムリー・ヒット。
今日のレッドソックスの、
栄えある先発投手松坂は、
今イチの調子のようです。
「ショーちゃん、松坂どうかねー?」
試合は、
白熱の打撃戦で、
文字通り、
「手に汗握る」大熱戦。
そして、
私は過去にも、
何度もプロ野球を、
‘ナマ’で観ていますが、
こんなに盛り上がってる試合というものを、
知りません。
野茂に始まり、
イチローや松井ら、
日本人選手の活躍で、
大リーグの魅力は、
確実に日本のスポーツ・ファンに、
定着しているようですね。
とにかくみなさん、
本当に、
野球をよく知っています。
一投一打に、
もうもう、
大騒ぎです。
試合は、
中心選手がごっそり抜け、
若手ばかりになって、
「どうなるんだろう?」
と、言われていたアスレチックスが、
前年度ワールド・チャンピオン
「ボストン・レッドソックス」を相手に、
大善戦。
「あわや、勝つかな?」
と思った9回表に、
ボストンに、
貴重な同点ホームランが飛び出す。
「うわ〜〜〜。」
場内大興奮。
私もスタンディング・オベーション。
そして、
出ました、
この人…。
岡島。

4-4、同点の9回裏。
「もう球場が壊れるのではないか」
と思わせるような、
今日一番の大歓声の中、
かつて巨人時代に、
何度も登板した、
この東京ドームのマウンドに、
まさに‘凱旋’登板の、
オ・カ・ジ・マ…。
そして見事に、
9回裏アスレチックスの攻撃を、
ピシャリと押さえ、
試合は延長戦に。
すると、
10回表に、
ラミレスの2点タイムリーが飛び出す。
「やった〜〜〜。」
「いや、さすが4番だね。」
こうなると、
ボストンの押さえ(クローザー)は、
当然、あの人です。
と、ここで、
スティーブが、
「社長、ボストンのクローザーは、
今誰ですか?」
などという、
間の抜けた質問をするので、
「もちろん、
パペルボンに決まってるじゃないかー。」
と、私は軽く一蹴。
その通り、
出てきましたよ。
パペルボン。
今や、
大リーグを代表する、
クローザーです。
160キロ近いスピードで、
バッタバッタと相手をねじ伏せる、
闘志あふれる若武者ですね。
私の大好きな選手。
いやー、もう、
最高の試合ですよ、
これは。
松坂に始まり、
岡島も見られ、
主砲ラミレスのタイムリーに、
最後はパペルボン。
そして試合は、
6-5でレッドソックスの勝ち。
いや、もう、たまりません。
帰りの電車でも、
私は、ショーちゃん相手に、
もっぱら野球の話です。
M「メジャーの試合をナマで観るのは、
初めてだけど、
やっぱ、迫力あるねえ。」
Y「でも松坂は、どうなんでしょうねー。
大丈夫かなあ…。」
M「いや、例年スロー・スターターだし、
今年は期待できるんじゃないかな。」
Y「それにしても、
アスレチックスは強いですよ。
若手ばかりになったけど、
あなどれませんよー。」
そして次第に、
私の興奮は増し、
私は貰ったパンフレットを見ながら、
今年のメジャー・リーグを大分析。
「うん、相変わらずエンジェルスはいいな。
カブスの福留は、けっこうやると思うよ。
ドジャースは、カージナルスは…、
マリナーズのイチローは…、
松井のヤンキースは……、」
などと、
口角泡を飛ばしながら、
夢中になってしゃべってると…、
ショーちゃんが、
こう言いました。
「今日、何しに行ったんですかー?」
「……。」
(おわり)
この翌日(3/26)
第2戦前のセレモニーでも、
ジャミンは、
「君が代」を、
見事に歌いました。
残念ながら、
2戦とも、
全国中継のTVには、
間に合いませんでしたが、
球場に詰めかけた、
延べ10万人のお客さん、
そして、
両軍選手、スタッフ、
野球関係者のみなさんの心に、
彼らの唄は、
しっかりと、
届いたことと思います。
読○新聞、D通はじめ、
関係各位の皆様、
本当にありがとうございました。
この場をお借りしまして、
心よりお礼申し上げます。
で、
試合の方ですが、
え?
もういい…?
……。
SHUN MIYAZUMI
April 28, 2008
東京ドーム・前編
ゴールデン・ウィークも間近。
そして毎年、
この季節になると、
TVの前で、
プロ野球中継にかじりつくことが、
多くなります。
プロフィールにもありますが、
私は大のスポーツ観戦オタク。
なかでも野球が、
一番のお気に入りです。
毎日、NHKのBS放送でやってる、
メジャー・リーグ中継は、
時間の許すかぎり観ております。
(許さなくても、観る場合もある…。)
メジャー・リーグ…。
今年も興味は尽きませんねえ。
イチローは、
今年も200安打打つのだろうか?
松井秀喜の膝はどうなんだろう。
完治したのか?
新加入の福留(カブス)、黒田(ドジャース)は、
活躍できるのだろうか?
くう〜、たまらん…。
そんなメジャー・リーグの開幕戦が、
なんと今年は、
日本で行なわれました。
3月25日、26日の両日。
場所は「東京ドーム」。
みなさん、
よくご存知ですね。
昨年度ワールド・チャンピオン
「ボストン・レッドソックス」
対
西海岸の名門チーム
「オークランド・アスレチックス」
その開幕セレモニーで、
わがジャミン・ゼブが、
光栄にも、
二日間にわたって、
両国国歌を唱うことになろうとは…。
3月は、
本当に大舞台の連続だったジャミンですが、
なかでも極めつけは、
やはりコレでしょうね。
時間がかなり経ってしまったので、
話題としてはどうかな、
とも思ったのですが、
こんな話は、
そうそうあるもんじゃ、
ありませんからね。
一応、記念に、
レポートしておこうと思います。
3月25日(火)
野球の練習が始まる前に、
セレモニーのリハーサルをやりましょう。
ということで、
我々は朝10時に、
「東京ドーム」集合。
人気のないドームの、
5万人を収容するというスタジアムの、
人工芝に足を踏み入れた瞬間、
レンセイは、
「な、なんだコレ〜。」
コージローは、
「ち、ちょっと、マジかよ〜。」
と、興奮気味。
そして、マイクを渡されて、
アメリカ国歌をア・カペラで歌いだした、
その瞬間、
ワーン、ワーン、ワーンと、
ドーム中に響き渡る残響。

最初は、音をとるのに、
四苦八苦という感じでしたね。
そんな光景は、
3/27に放送された、
フジテレビ「FNNスピーク」でも、
紹介されておりました。

そして、
私は、といえば、
「ああ、本当に、
やつら、ここで唱うんだ…。」
何とも言えない、
身震いがするような感動に、
しばし呆然。
しかし、
私が舞い上がってはいけない。
いけない…。
私は感動と身震いを胸にしまいこみ、
平然とした表情で、
かつ、彼らの緊張をほぐそうと思い、
こう言いました。
「いいか、本番は、
みんな楽しむんだぞ。
こんな機会は、
滅多にないんだからね。」
するとリーダーのコージローが、
メンバーを代表して、
とびきりの笑顔で、
「ええ、もう十分楽しんでます。」
(……。い、いい度胸だ…。)
ところが、ここに、
もうひとり楽しんでる男がいました。
わがスタッフの、
Y浅ショージこと、
ショーちゃん。
この男も、
私に負けず劣らずの、
野球オタク。
さっそく3塁ベンチに入り、
監督になりきったポーズで、
「おい、シモン。
一枚撮ってくれ。」
「……。」

そんな、
約30分のリハーサルも無事終了。
ここで、いったん解散して、
夕方5時に再集合。
早くもドームには、
どんどん人が集まり始め、
まさにお祭りムード一色。
そして私たちは、
パスをもらって、
「関係者入り口」から、
中へ入る。
そのまま地下通路から、
グラウンドに出ることができるので、
メンバーを楽屋に入れると、
私は、すぐさまグラウンドに。

「おお…!」
目の前で、
オークランド・アスレチックスの選手が、
バッティング練習をしている。
一塁側のベンチ前には、
レッドソックスの選手たちが、
キャッチ・ボールをしたり、
ストレッチをしたり。
それを取り巻く、
多くの報道陣や野球関係者。
その中に、
私もいる…。
私もいる〜!
「おっと、そこにいるのは東尾ではないか。」
「おお、後ろにいるのは、
フランコーナ(レッドソックスの監督)だ。」
「あ、ラミレスがいるぞ。
うわー、オルティーズだ。
でっかいなあ…。」
はい、もういけません。
私、この音楽界、芸能界には、
長く生息しておりますゆえ、
身近に芸能人がいても、
なんの感慨も起きませんが、
野球選手がいると、
もうダメです。
その瞬間に、
顔は赤らみ、
胸の鼓動は高鳴り、
一(いち)少年に逆戻り。
「あ、あの〜、
サ、サインしてください…。」
などと、
口走ってしまいそうになる。
ましてや、
普段テレビでしかお目にかかれない、
世界のプレイヤーたちが、
すぐ、目の前に、
手の届くところにいるんですからね。
と、そこへ、
ジャミンの連中もやってくる。
「おお、本物だ。
すげえなあ。
でかいなあ。」
と、これまた感動のご様子。
ええ、彼らはいいんですよ。
彼らは。
若いんですからね。
でも、いい年とったオッサンが、
赤ら顔で、
興奮してちゃ、
話になりません。
ここでも私は、
ぐっと感情をこらえて、
さも、何事でもないかのように、
「ハッハッハッ、
いやあ、君たちも、
いい経験をしてるねえ。」
などと、
悠然と口走る。
しかし、内情は、
まったく逆です。
アハハハ。
そんなとき、
またもY浅ショージこと、
ショーちゃんが、
バッティング・ケージのところに立ち、
さも、スポーツ・キャスターのような顔で、
「おい、シモン。
一枚撮ってくれ。」
「……。」

そんな間にも、
お客さんはどんどん増え、
場内の熱気は、
否が応でも、
高まっていくのでした…。
(つづく)
ちなみに、
わが愛するスタッフ、
Y浅ショージこと、
ショーちゃん。
(ほとんど、匿名になっていない…。)
神奈川生まれ育ちのくせに、
熱狂的‘トラキチ’です。
そして、
彼が球場に応援に行くと、
まず‘絶対’と言っていいほど、
阪神は、
負ける。
可哀想なくらい、
阪神は勝てません。
一度、
阪神に久しぶりに優勝のかかった試合が、
横浜球場でありました。
途中経過をTVで見ていると、
3回を終って、
7-0で阪神リード。
「よかった、よかった。
今日こそは勝てそうだ。
さぞやショーちゃんも、
お喜びだろう。」
ところが、
4回くらいから、
横浜の猛反撃が始まり、
1点、また1点と追い上げられ、
あろうことか、
9-7で、
逆転負けを喫してしまったのです。
私は、
「もしや…?」
と思い、
彼に電話しました。
「ねえ、ショーちゃん。
もしかして今日、
横浜球場に行かなかった?
それも4回くらいから。」
すると彼、
驚いたように、
こう答えたのです。
「どうして、知ってるんですかー?」
「……。」
SHUN MIYAZUMI
April 20, 2008
ジャカルタ その6(最終回)
長々と続いたジャカルタ・レポも、
今日が最終回。
そんな折、
またまたタイミング良く、
こんな番組に出演することになりましたよ、
ジャミン・ゼブ。
3月25日(金)
NHK BS-1
「アジア・クロスロード」(16:40〜17:58)
「アジアに響け 4人のハーモニー」
ということで、
ジャカルタ道中記を中心に、
15分くらいの出演だそうです。
お時間のある方、
どうぞ、見てやって下さい。
さあ、
そんな道中記の最終日は、
いったい、
いかなることが、
待ち受けていたのでしょう…。
「ジャカルタ・レポート その6(最終回)」
感動のライブから一夜明けた、
3月10日(月)
昨夜のライブ終了後、
プロモーターのWirastiさんから、
「明日早朝に、
FMの取材を一本お願いします。」
と言われていたので、
朝8時。
眠そうなジャミン共々、
ロビーに集合。
ところがです。
彼女から渡された、
今日のスケジュール・メモを見て、
一同仰天!
なんと…、
FMの‘生放送’出演が3本、
有名女性誌の取材、
ジャカルタ新聞の取材、
などなどが、
タイム・スケジュールとともに、
びっしり書き込まれており、
ホテル戻り時間は、
夕方の6時、
と、なっている。
……。
彼女曰く、
昨夜のライブには、
地元メディアの人も多数来ており、
みなさん、
ジャミンのライブに感心し、
急遽、
出演や取材がバタバタと決まった、
と言うのです。
いやあ、
これは喜ばしいこと。
どうせ、
飛行機は深夜の0時だ。
時間はたっぷりある。
「よし、行こうじゃないか!」
とばかりに、
彼女が手配してくれた、
2台の車に分乗して、
意気揚々と、
ホテルを出発したのでした。
最初に到着したのは、
インドネシアでも最大と言われている、
FMステーション。
『DELTA FM』
それは、
丸の内、日比谷、
といった感じの、
オフィス街の一角にある、
近代的なビルの中にありました。
さっそく、
今日の番組のDJの男性がやって来て、
「こんにちは、ジャミン・ゼブ。
いやあ、きのうのライブは、
素晴らしかったよ。(Marvelous!)
さ、いろんな話を聞かせてくれよ。」

そして、メンバー、
彼とともにスタジオに入り、
番組スタート。

この番組は、
インドネシアでも人気の音楽番組で、
スラバヤを始め、
6大都市でもネットされてるそうです。
ここでも、
会話はすべて英語。
したがって、
ジャミン・チームは、
今日もレンセイが主役です。
普段は、
たどたどしい日本語で、
悪戦苦闘のレンセイが、
メンバーを代表して、
嬉々としてインタビューに答えてる樣は、
頼もしくもあり、
可笑しくもありましたね。
番組は、
4曲のオンエアを含め、
30分にも及ぶ、
素晴らしいものでした。
さっそく、
これを聴いた、
地元の大手コンサート会社から、
局に問い合わせがあったそうです。
いいぞ…。
それにしても、
今日のジャカルタは、
いい天気だこと。

お次は、
車を飛ばすこと約1時間。

ぐっと庶民的な雰囲気の街並の中にある、
『radioA 96.7FM』
ここは、
ブースが、
飛行機のコックピットのような、
模型の中にある、
こじんまりしたFM局でした。

DJは可愛い女の子。
彼女の英語も、
実に流暢だ。
「ハーイ、みんな昨日のジャワ・ジャズ、
行ったかなー?
きょうは、そんなジャワ・ジャズに出演していた、
ジャミン・ゼブが来てるよ。
ハーイ、ジャミン・ゼブ。
きのうは盛り上がったねえ。」

そして、
楽しいトークの後、
またしてもア・カペラのリクエスト。
もちろん、
喜んでご披露するジャミン。
『BYE BYE BLUES』
を歌い終えると、
それまでデスクで仕事をしていた局員が、
一斉に立ち上がって拍手。
前の放送局同様、
私も、いろんな人から声を掛けられましたが、
まあ、みなさん、
英語がお上手です。
まるで母国語のように喋る。
これには、
本当に驚きました。
さてお次は、
再び都心に戻って、
『999 Fm』
ここも近代的なビルの中にある、
見晴らしのいいスタジオ。

この番組のオンエア中、
リスナーの若い男の子から、
電話が入って来たので、
DJの女性がつなぐ。
DJ「ジャミン・ゼブ、
◯◯君から電話が入ってるんだけど、
喋ってあげてくれる?」
ジャミン一同「もちろん!」
◯◯君「こ、こんにちは、ジャミン・ゼブ。
ぼ、ぼくは◯◯です。
きのうのジャワ・ジャズは最高でした。
こ、こんどは、いつ、インドネシアに、
来てくれますかぁ?」
(ちょっと緊張気味)
レンセイ「ハーイ、◯◯君、ありがとう。
まだ決まってないけど、
また絶対来るからねえ。」
すると今度は、
△△ちゃんという、
若い女性からファックスが入ったそうだ。
それをDJが読み上げる。
「こんにちは、ジャミン・ゼブ。
ジャワ・ジャズ感動しました。
(…中略)
また絶対、ジャカルタに来てねー。」
レンセイ
「△△ちゃん、ありがとう。
これからもジャミン・ゼブを応援してねー。」
(おいおい、
こりゃ、アイドル・スターだぜ…。
どうなってんの、ジャミン…?)
ここで、やっと休憩。
時計を見ると2時。
そういえば、
メンバーも私も、
朝から何も食べていない。
Wirastiさんがお気に入りの、
美味しいインドネシア・レストランに、
連れて行ってくれました。
ジャミン一同、
「やったー!」
私も、昔から、
インドネシア料理大好きですからね。
ひそかに小躍りしました…。
(ウッシッシ)
というわけで、
いただきまーす。

はい、ごちそうさまでした。
「さあ。急ぎましょう。」
お次は、
有名な女性誌を数多く出している、
出版社に向かう。
と、ここで、
私はあることに気がつきました。
ジャカルタの道路は、
信号がない…。
大都市ジャカルタは、
東京に負けず劣らず、
ものすごい車の量で、
どこへ移動するにも、
かなりの時間を要するのですが、
それにしても、
信号というものを、
一度も見た事が無い。
何キロかにひとつくらい、
歩道橋があるのみ。
いったい歩行者は、
どうやって道路を横切るのでしょうか。
今もって謎です…。
さて、そんなことを考えてる間に、
車は出版社に到着。
ここは静かな、
住宅街の中にありました。
車を出ると、
夕方なのに、
まだまだ暑い、暑い。
さて、ここは、
こんな本をはじめ、
数多くの人気女性誌を発売している、
大手の出版社だそうです。

ここでのインタビューも、
つつがなく終わり、
記者の女性と記念撮影。

そして最後は、
再び都心に戻り、
ジャカルタ新聞の取材。

ようやく、
ようやく、
日本人記者による、
日本語のインタビューです。
ここで、
それまで、
たどたどしい英語でがんばってきた、
コージローとスティーブが、
息を吹き返しました。
明るく、楽しそうに、
ペラペラと、
インタビューに答える傍らで、
「エエト、アノー、
ニホンゴ、シャベルトキハ、
チョット、キンチョーシマスネー。」
と、いつもの汗だく状況に戻ったレンセイの、
あまりの変わりようが、
可笑しくもあり、
可愛くもあり。
笑っちゃいけないんだけど、
アハハハ、
笑ってしまいました。
そして、
シモンは…、
いつも同じ。
どこでも同じ。
穏やかに、
ニコニコしながら、
静かに、
みんなの会話を聞き、
日本語の質問を受けると、
「えっ、あ、はい。
ぼそぼそ。
あははは。」
英語の質問では、
「Yes,well,
ボソボソ。
Ahaha.」
渋い低音で、
ゆったりと英語で答える。
アハハ、
いいぞ、シモン。
こうして長い一日が終了。
そして最終日も、
Wirastiさんの素晴らしい仕切りのもと、
充実した一日となったのです。
さらに、
ホテルに戻るタクシーの中で、
今回、唯一お目にかかってなかった、
インドネシア名物の、
ある物にも、
遭遇することができました。
それは…?
そう、
スコール。
突然、
なんの前触れもなく、
シャワーのような雨が、
ドバーーーーーッ。
あっというまに、
道路は川のようになっていく。
しかしドライバーは、
平然と水しぶきをあげながら、
無表情に運転。
さながら、
「水中翼船が行く」
状況でしたね。
ちょっと恐かったですが…。
夜の7時頃、
ようやくホテルに戻ると、
ジャズ・フェス事務局の人が、
「雨のため、
空港への高速道路が渋滞しています。
ちょっと早めに出ましょう。」
と言うので、
部屋に戻って、
あわててパッキング。
スタッフのみなさんの、
あたたかいお見送りを受けながら、
一同バスに乗って、
空港へ向かったのでした。
深夜0時発の、
ガルーダ・インドネシア便は、
成田までの直行でした。
(ふ〜、助かった。)
ガラガラの飛行機の中では、
みな勝手に席を移動し、
ただただ爆睡…。
3月11日 午前8時半。
成田空港に到着。
ただちに解散。
ええ、
これが今回の全行程でした。
お疲れさまでした。
そして、
みなさん、
本当にお世話になりました。
また来年も、
行けるといいですねえ。
そうなるように、
ジャミン・ゼブも、
ますます頑張ることでしょう。
もちろん、
この私も…。
Thank You Jakarta!
See You Agai〜〜〜〜n!!
(おわり)
はい。
これをお読みくださったみなさんも、
お疲れさまでした。
ホント長かったですねえ。
すみません…。
早く書かないと、
忘れちゃいそうで…。
さてさて、
東京に着いた私のもとに、
最初にかかってきた一本の電話。
それは、
3月25日、26日。
「東京ドーム」での、
アメリカ大リーグ開幕戦における、
ジャミン・ゼブ「日米国歌斉唱」決定!
と、いうものでした。
いいのか、ジャミン?
順調すぎないか?
……。
というわけで、
次回は、
そんなお話でもしてみましょうかね。
なにせ私、
野球オタクですからね。
違った視線から、
面白可笑しく実況中継…?。
SHUN MIYAZUMI
April 15, 2008
ジャカルタ その5
最近、また、
血圧が上昇気味ですわい。
優雅な船旅で、
身も心もまったりして帰って来た私を、
‘レコーディング’という、
ハードな仕事が、
待ちかまえておりました。
しかもその間、
激しいライブが一本。
あまりの環境の激変に、
私の血圧君もビックリ、
と、いうことでしょうか。
やれやれ…。
ま、少しお酒を控えて、
健康管理に気を配りながら、
(似合わな〜い)
アルバム制作に精を出したい、
と、思っております。
がんばるぞ〜!
さあ、ジャミン・ファンのみなさん。
お待ちかね、
ジャカルタの続編です。
ジャミン・ゼブの初海外ステージの時間が、
迫ってきましたよ…。
「ジャカルタ・レポート その5」
3月9日(日) 夜7時
予定時刻を、
かなりオーバーして、
ようやく前のバンドの演奏が、
終りました。
さあ、
フェスティバル・クルー、スタッフ総出で、
ジャミン用にステージ転換です。
その間、
ドアは空きっぱなしですから、
自由にお客さんが出入りする。
クローズにしたまま、
入念なリハーサル、
というわけには、
いかないようですね、
どうやらこれは…。
この辺が、
新人のつらいところです。
20分くらいで、
大急ぎで、
楽器、マイク、ステージの転換が終わり、
バンドのサウンド・チェック。
とりあえずリハーサルの体制が、
整ったところで、
ようやくステージに、
ジャミン・ゼブの4人が登場。
すると…、
会場のあちこちから、
「うお〜…。」
といった、
ざわめきが起こる。
それまで、
ステージの方を向いて、
いろいろ指示を出していた私ですが、
そんなざわめきに、
驚いて振り返ると…、
さっきのバンドでは、
ガラガラだった会場が、
どんどん、人で埋まっている、
ではありませんか。
(……。)
そして、
リハーサルの一曲を始めたら、
早くも拍手と歓声。
あわてたレンセイが英語で、
「すみません、これリハーサルです。
本番はもう少し待って下さいネ。」
と言うと、
どっと笑い声。
場内には、
とても暖かい空気が、
満ち溢れていました。
ここで早くも、
司会者がステージに上がり、
「みなさん、お待たせしました。
次のステージは、
日本から来た素敵なグループ、
……、」
と、やりかけたので、
私は、あわててストップ。
「ちょっと、ちょっとー、
たったこれだけかよ、リハーサル。
まだサウンドも出来てないし、
もうちょっと、やらせてよー。」
すると、
別のコンサート・スタッフの女性がやってきて、
「いや、もうお客さんはいっぱいだし、
随分押してるし、
始めてください。」
(押したのは、前のバンドであって、
ジャミンではないではないか…。)
実はこの日、
インドネシアで人気のある、
『Andien(アンディエン)』
という、
若い女性ジャズ・シンガーとの共演も、
一曲予定されておりました。
その彼女とは、
さっき、
「はじめまして」
をしたばかり。
一回も合わせたことがない。
いくらなんでも、
彼女とのジョイント曲くらいは、
リハーサルをやらないと、
彼女も不安だろう、
と思い、
それだけは、
やらせてもらうことにしました。
曲は「Smile」
これは、
私の勝ちでしたね。
だって、
彼女に用意されていたマイクは、
接触不良で、
音が出なかったんですから。
そんなわけで、
本当は、
もっとリハーサルをやりたかったところですが、
ま、これも‘フェスティバル(祭り)’
ということか、
やりながら修正していくかと、
ここはあきらめ、
司会者に、OKのサイン。
満を持していた司会者の、
「ジャミン・ゼーーーーーーーーブ!!」
の高らかな声とともに、
ドラム・ロールが始まりました。
一曲目は、
「Take The "A" Train」
そして、
ラテン・ビートに変わって、
ステージ上のジャミンにスポットがあたると、
場内は、もう大歓声。
「イエ〜イ。」
「ピーー〜〜。」
「キャー〜〜。」
(受けてる…。)

そして、
お客さんも、
どんどん増える一方で、
あっという間に、
立ち見が出る状況に、
なってしまいました。
これには、
「嬉しい」を越して、
本当にビックリしましたね。
そして、
女性を中心に、
圧倒的に若い人が多いのにも…。

凄い拍手、歓声のなか、
一曲目が終わり、
すぐさまドラムは、
激しいロック・ビートに変わる。
間髪を入れずレンセイが、
「Hello, Everybody !
We're jammin' Zeb.
From Tokyo, Japan !!」
そして流暢な英語で、
「みんな、楽しんでってねー。
2曲目は、シクスティーズ(60's)の名曲だよ。
FUN…、FUN…、FUN…!」
とやると、
場内手拍子、足踏み、歓声。
もう最初から、
すごい盛り上がりになってしまいました。
ア・カペラになると、
拍手は、さらにすごいものに。
プロモーターのWirastiさんによると、
こちらの人は、
特にジャミンの‘ア・カペラ’に、
大きな期待をしていたようです。
「You've Got A Friend In Me」では、
インドネシアで発売された、
アルバム『Smile』を片手に、
一緒に口ずさむ女性がいたり、
各人がソロを取り出すと、
「コージロ〜〜!」
「シモ〜〜〜ン!」
といった黄色い声が起こったり。
……。
(これは、現実なのか。
ここは本当にインドネシアなのか…。)
とても、
これが初めての海外ライブとは思えない、
いつもの東京でのライブではないのかと、
錯覚するような、
観客の熱狂ぶりに、
不思議な感覚と、
鳥肌が立つような感動を覚えました。
「Smile」では、
現地の人気歌手
『Andien』との共演に沸き、

「So In Love」でも、
日本と同じように大喝采、
「You Raise Me Up」では、
レンセイのソロが終った瞬間、
まだ曲が終っていないのに、
まだバンドはエンディングをやってるのに、
「ウワ〜〜〜ッ」
という大歓声と拍手。
そして、
いつものように、
「When I Fall In Love」
で、最高潮のエンディング。
すごいアンコールのなか、
「Bye Bye Blues」
の強烈なア・カペラに再び、
沸きに沸いて、
この日のコンサートは、
すべて終了しました。
(大成功だ…。)
終ってからがまた大変でした。
ステージを降りたジャミンの4人めがけて、
女性を中心にお客さんが殺到。
サインに、記念写真に、握手に、
嫌な顔ひとつせず応じるジャミンも、
いつもにも増して、
嬉しそうでしたね。

ええい、もう一枚。

このままでは、
次のバンドのステージが組めない、
ということなので、
別の会場に移して、
ここでもサイン会。

新しくファンになった人たちとの、
こうした記念撮影も、
ひっきりなしに行なわれました。

次の写真は、
そのサイン会場にあった、
CD売り場なのですが、
よーく見て下さい。
中央に、
もうわずかしか残っていないのが、
『 jammin' Zeb / Smile 』
です。

嬉しいですねえ。
帰りがけに、
すれ違った若い女性たちが、
「あっ、ジャミン・ゼブよ。キャー。」
と、掛け戻って来て、
「スミマセン。写真一枚いいですかー。」

こんなシーンも、
何度かありました。
この後メンバーは、
ホテルの部屋で着替え、
また、一リスナーに戻って、
最後のジャワ・ジャズを、
心ゆくまで堪能したそうですが、
疲れきった私は、
部屋に戻って、
静かにひとり、
乾杯…。
大成功と言っていい、
ライブの余韻を、
いつまでも楽しんでいました…。
(つづく)
きょうもまた、
長くてすみません。
これから、
レコーディングも佳境に入り、
いつ更新できるかわからないので、
一気にいっちゃいました。
で、予告をしちゃうと、
この翌日もまた、
素晴らしいことが、
待っておったのです。
ああ、これも、
早く書きたい…。
SHUN MIYAZUMI
April 07, 2008
ジャカルタ その4
まだ揺れてます…。
竜宮城後遺症てやつでしょうか。
どなたかもおっしゃってましたが、
‘プチ浦島太郎’というやつでしょうか。
夢のような船上生活から、
なかなか現実に戻れず、
ボ〜ッとした毎日なのですが、
若いジャミンは、
どうなのでしょう?
それにしても、
すごい1ヶ月でしたね。
数えたら、
東京に半分くらいしか、
いませんでした。
そして、
ジャミン・ゼブにとっては、
数々の国際舞台。
よく無事に乗り切れたもんだ…。
おかげで、
ブログの更新もままならず、
大変失礼致しました。
ま、今月は遠征がありませんからね。
ゆっくり、楽しく、
いろんなことを、
更新していきたいと思ってます。
さて今日は、
時計の針をちょっとだけ戻して、
ジャカルタの続き、
と、まいりましょう。
ええと、
3月8日からだったかな…。
「ジャカルタ・レポート その4」
3月8日(土)
よく寝ました。
11時くらいまでグッスリ。
ご機嫌なイギリス風バスタブで
まったりして、
いつものレストランに行くと、
ハービー・メイソンがいた。
かつて、
「ベナード・アイグナーの思い出 その5」
にも登場した、
世界的名ドラマーです。
渡辺香津美やカシオペアなど、
私との仕事も多く、
懐かしい気持ちいっぱいで、
声をかけました。
「ハービー!」
最初は、
私の風貌が、
あまりにも老けていたため、
「誰だろう?」
と、キョトーンとしていましたが、
そのうち思い出したようで、
「イエー、イエー、イエ〜〜〜イ、
シュ〜〜ン!」
と熱いハグハグ。
ここで彼と、
しばらく立ち話をしたあと、
「今夜、ライブ見に行くから。」
と言うと、
「おお、そりゃ嬉しい!」
そんな感動のご対面の後、
ジャミン・ゼブご一行樣が、
仲良くランチを食べていたので、
そこに合流。

(写真:手前4人がジャミン。
右奥がサックスのかわ島崇文、
左奥がピアノの朱恵仁。)
みな一様に、
きのうのジャワ・ジャズの凄さに、
興奮していましたね。
サックスのかわ島などは、
大好きな、
スムース・ジャズ系のプレイヤーが、
10人あまりも出ていたらしく、
それらを、
ハシゴに次ぐハシゴ。
だったようです。
「宮住さん。
きのう僕が観たライブを、
東京で、お金払って観たら、
楽に3万円は越しますよー。」
と、興奮気味。
「そりゃ良かった。
じゃ今回、
お前はノー・ギャラでいいな。」
と言うと、
「そりゃ、ないッスよー。」
ま、そりゃそうだ…。
みんなで楽しくランチの後、
今日もジャミン組は、
これといって何もないので、
「じゃ今日も、
せいぜい楽しんでちょうだい。」
と、解散。
帰りがけに、
渡辺香津美を見つけたので、
ここでもパチリ。

午後は、
ビクターJ氏と、
明日のジャミン・ライブの段取りや、
今宵遅れてやってくる、
ベースの有介(佐藤)、ドラムの昭仁(吉川)
の迎えのケアなどを、
ジャズ・フェス事務局と打ち合わせ。
それが終ったら、
もう何もやることがないので、
夜に備えて、
お部屋で酒を飲んだり、
まったり昼寝をしたり。
そうこうするうちに夜。
さっそく会場に行くと、
きのうよりも凄い人の数。
どのホールも、
ロビーも、
人、人、人…。
そして、
きょうもすごいプログラムが、
組まれています。
前回も書きましたが、
一番大きな「PLENARY」というホールでは、
「JOE SAMPLE & THE CRUSADERS」
(18:00〜19:15)
「THE MANHATTAN TRANSFER」
(20:30〜21:45)
「GEORGE CLINTON “FUNKADELIC”」
(23:00〜0:30)
次に大きな「EXIBITION HALL B STAGE 1」では、
「JODY WATLEY」
(19:00〜20:15)
「MEYSA LEAK」
(22:00〜23:15)
おお、メイサ・リーク!
この人も最近話題の女性シンガー。
こんな人まで来ていたか…。
と、遠くから一枚パチリ。

「ASSEMBLY 1」というホールでは、
「TETSUO SAKURAI」(櫻井哲夫)
(18:00〜19:15)
「TERUMASA HINO」(日野皓正)
(19:45〜20:45)
「KAZUMI WATANABE」(渡辺香津美)
(21:30〜22:30)
と、日本人アーチストが続いた後、
この日のトリは、
「THE HARVEY MASON TRIO」
(23:30〜0:30)
他にも、
最近スティービー・ワンダー二世と話題の、
「RAUL MIDON」(ラウル・ミドン)
「MATT BIANCO」(マット・ビアンコ)
素晴らしいキューバン・ピアニストの、
「OMAR SOSA」(オマール・ソーサ)
そして、
「BOBBY COLDWELL」(ボビー・コールドウェル)
などなど。
ふ〜。
いったい、
どれを見ればいいんじゃい?
といった、
贅沢さですね、
コレは。
……。
10時頃、
いったんホテルに帰り、
無事に到着した、
ベースの有介と、
ドラムの昭仁を、
ロビーで出迎える。
「やれやれ。
これでジャミン組も勢揃いだ。」
と、安堵し、
荷を解いた彼らに、
この凄いジャズ・フェスの雰囲気を見せるべく、
再び会場に行き、
ひととおり案内。
バークレーにいたことのある、
吉川昭仁も、
「僕はニューポート・ジャズ・フェスティバル
にも何回か行きましたが、
これほどではなかったですよ。
こりゃ世界最大じゃないですかねえ。」
と、度肝を抜かれた様子でした。
こうして、
この日も私はライブ三昧。
最後は、
相変わらずの、
ハービー・メイソンの、
スーパーなドラミングを、
心ゆくまで堪能して、
地下通路を、
ホテルに向かったのでした。
途中、
ジョージ・クリントンの、
‘おむつファンク’に圧倒された
レンセイにバッタリ。
汗びっしょりで、
「スゴカッタデスネー。
ジョージ・クリントン。
ミマシタカー?」
と興奮していたのが、
印象的でした。
オヤスミナサーイ…。
……。
と、ここで、
本来は終る予定でした。
が…、
あまりにも更新していなかった‘お詫び’に、
翌3月9日の様子を、
少しだけ追加レポートしようと思います。
あの‘運命的な一日’の、
始まりだけでも…。
(ま、ここで、
お茶など飲んで、
一服して下さい。)
では、いきます。
3月9日(日)
「JAVA JAZZ FESTIVAL 最終日」
いよいよこの日は、
ジャミンの初海外ステージです。
12:00にロビー集合。
プロモーターの、
Wirasti(ウィラスティ)さんの仕切りで、
現地FM局のインタビューが2本。
ホテルの一室を借りて、
行なわれました。

驚いたのは、
インドネシアの人は、
ちゃんとした教育を受けた人は、
みな英語が堪能ということ。
こういった番組も、
英語とインドネシア語を交えて、
行なわれます。
「ハーイ、きょうは日本からのゲストだよ。
今宵、ジャワ・ジャズ・フェスに出演する、
ジャミン・ゼブの4人だ。
こんにちは、ジャミン・ゼブ。」
ここでが然、力を発揮するのが、
言うまでもなくレンセイ。
日本のこうした番組では、
「エエト、アノー、
ニホンゴ、シャベルトキハ、
チョット、キンチョーシマスネ。」
と、汗だくで応対する彼ですが、
海外では逆です。
水を得た魚のごとく、
立て板に水を流すがごとく、
ペラペラと質問に応じる。
ま、あたりまえですが。
でも、他の3人も、
頑張ってましたね。
たどたどしくも、
立派に英語で、
受け答えしていました。
(頼もしい…。)
2本目の番組では、
ナビゲーターの女性のリクエストもあり、
ア・カペラを一曲ご披露。
こうした光景は、
日本でも、
よく見られるのですが、
海外にいっても、
状況は何ら変わらない、
ということを、
再認識したのです。
「うわー、すごーい!
みんな、聞いたかな?
これがジャミン・ゼブだよ。
きょうは、絶対ジャワ・ジャズ、
行かなくちゃねー。」

(頼もしい…。)
こうして、
インタビュー(ラジオ出演)も、
なにごともなかったように、
つつがなく終わり、
あとは、
夜の本番を待つばかり。
思い思いの午後をすごし、
夕方再集合。
ちょっと早めに会場に行くと、
プロモーターのWirastiさんが、
「何枚かCDにサインしておいてください。」
と言うので、
さっそく、
会場前にあるCD売り場でサイン。

ええい、もう一枚。

会場(Merak 1&2)では、
前のバンドが演奏していますが、
やはりここだけは、
寂しい入り。
2、300人のホールですが、
30人くらいしかいない。
本当に、
地下にあるここだけは、
場所が悪い。
新人だから、
仕方ないけど…。
しかし、
若いジャミンは、
いたって元気です。
「なあに、僕らは、
お客さんがいようがいまいが、
一生懸命演奏するだけですよ。
アッハッハッ。」
(頼もしい…。)
そして、
会場入り口まで、
メンバーを連れて行き、
記念の写真を一枚。

(いざ、出陣!!)
不安と期待と感動が入り交じった、
複雑な心境の私、
でした…。
(つづく)
ああ、長かった…。
ゆうに2回分は、
ありましたかねえ。
でも、ジャミン・ファンのみなさまには、
期待のもてる次回に、
なったのではないでしょうか。
とりあえずきょうは、
こんなところで。
ふーっ…。
SHUN MIYAZUMI
March 27, 2008
旅づくし
いやあ、
すさまじいスケジュールでした。
まさに、ジャミン・ウィーク。
ジャミン漬け…。
とりわけ、
この年にもなると、
先週の名古屋、福岡の移動は、
なかなかにハードなものでしたね。
そんな疲れも、
25日、26日の「MLB開幕戦」(東京ドーム)
における、
彼らの熱唱(アメリカ国歌、君が代)と、
連日5万を越える大観衆の、
熱い拍手と歓声に、
吹き飛んでしまいました。
そして先程の、
フジテレビ『FNNスピーク』!!
その国歌熱唱シーンを中心に、
ジャミン・ゼブが、
素晴らしい紹介をしていただきました。
感無量でございます。
というわけで、
書きたいこと、
書かなければいけないことが、
山のようにあるのですが、
順をおって、
きょうは、
先週の道中記を、
書いてみようと思います。
いろんな‘乗り物’に乗った、
ということで、
‘乗り物’を中心に、
駆け足で…。
3月21日(金)
前日の「六本木アリーナ」
(J-WAVE特番)
の、凍えるような寒さが続いてるかのような、
冷たい風が吹く中。
出がけに電話ラッシュがあり、
遅れそうなので、
最寄り駅の「都立大」(東横線)まで、
あわてて【タクシー】。
「菊名」まで【東横線】で行き、
【横浜線】に乗り換えて、
「新横浜」に、ぎりぎりセーフで滑り込む。
ふ〜…。
10:39の【新幹線・のぞみ号】に乗ると、
ジャミン一同、スタッフのショーちゃんらが、
元気に乗っていました。(彼らは「東京駅」から)
「名古屋」につくと、
すっかり春の風。
汗ばむような陽気です。
ここから【中央本線】に乗り換え、
「大曽根駅」まで各駅停車の旅。
ここは、
‘名古屋ドーム’があるんですね。

「大曽根」で、
【名鉄】の赤い電車に乗り換えて、
終点の、
「尾張瀬戸」に無事到着です。

明日のライブ会場である、
「瀬戸蔵つばきホール」で、
CBC顧問の近藤さんに、
お昼をごちそうになり、
さっそくリハーサル。
このイベントは、
「国際ソロプチミスト瀬戸 認証20周年記念」
というもの。
異文化コミュニケーター、
マリ・クリスティーヌさんがナビゲーターで、
環境問題や自然の尊さを、
彼女のトークと、ジャミンの唄で綴って行く、
という文化的なコンサートです。
リハが終ると、
CBC近藤さんが手配してくださった
【ジャンボ・タクシー】に乗って、
宿泊先の「名古屋東急ホテル」まで。
タクシーに待っててもらい、
急いでチェック・イン。
部屋に荷物を置いて、
再び【ジャンボ・タクシー】で、
「加瀬」という一流料亭へ。
これまた近藤さんの仕切りで、
マリさんらとともに、
豪勢な「懐石料理」をごちそうになる。
(おい、ジャミンよ。幸せだなあ〜。)
マリさんとのコミュニケーションもバッチリで、
満腹で、幸せ気分で、
【タクシー】に分乗して、
「ホテル」に戻る。
メンバーと別れるものの、
私とショーちゃんは、
なんか飲み足らず、
久しぶりに、
「名古屋ケントス」に
行くことにしました。
【タクシー】を拾って、
ケントスに行くと、
メンバーは大幅に変わってるものの、
双子の「ジェミニ」を中心に、
懐かしい「レベルス」が、
ご機嫌な‘オールディーズ’
を演奏していました。
可愛い「ジェミニ」の二人と、
感動的な再会を果たし、
気分よく‘ジン・トニック’を、
2、3杯飲んで、
再び【タクシー】でホテルに帰る。
で、この日は、
これで終わり。
私とショーちゃんは、
食べ過ぎで、
まだ苦しかったのですが、
ジャミンのメンバーは、
あれから‘味噌煮込みうどん’を、
食べに行ったそうです。
……。
3月22日(土)
午前11時。
ロビーに集合。
チェック・アウトをすませ、
またまたお迎えの、
【ジャンボ・タクシー】に乗って、
「瀬戸蔵・つばきホール」まで、
約一時間の旅。
きょうもいい天気だ。
本番の「つばきホール」のライブは、
早々と満席になったそうで、
(350人)
肝心の「国際ソロプチミスト」の、
主要メンバーが、
コンサートを聴くことができない。
ということで、
彼女らのために、
ちょっとしたパーティーが催されました。
(約150人)
ここでも、
マリさんの紹介で、
3曲ほど歌い、
やんやの喝采をあびる。

そして本番。
マリさんの素敵なリードで、
約11曲を歌い、
さらには、
環境問題や自然についても、
一緒にトークをしたりして、
なごやかなムードのなか、
コンサートも無事に終了。
マリさん、
スタッフのみなさん、
ありがとうございました。
CBC近藤さんらのお見送りで、
【ジャンボ・タクシー】で、
「名古屋駅」まで送っていただき、
ここでショーちゃんと別れる。
近藤さん、
本当にお世話になりました。
ここから、
18:59の【新幹線・のぞみ号】で、
「博多」まで、約3時間半の長旅。
近藤さんに頂いた、
「加瀬」の美味しいお弁当を食べ、
(一流料亭のお弁当ですからね。
本当に美味しかったですよ、これは…。)
22:30に「博多」に到着。
2台の【タクシー】で、
宿泊先の「プラザ天神」まで行く。
疲れてるとはいうものの、
ほとんどが、
初の「福岡」ということなので、
「どうだ、すこし散歩でもしてみるか。」
と聞くと、
みな声をあわせて、
「ハイ、お腹すきました。」
「……。」
しかたなく歩いていると、
近くによさそうな「居酒屋」があったので、
そこに入る。
みんなで、ビールで、
乾杯〜〜。
そして、
「さあ、すきなもの注文しなさい。」
と言うと、
ま、頼む頼む。
食う食う。
(さっき弁当食ったのに、
よく食えるよなあ…。)
私なんぞ、
さっきの弁当が残っていて、
ほんの少ししか入らないのに、
こいつら、
つまみの料理をしこたま食ったあと、
最後に、
ラーメンまで食べました。
「ああ、お腹いっぱい。
これで、よく眠れます。
ごちそうさまでしたー。」
「……。」
3月23日(日)
午前10:15
この日は雨。
ほんとに、
野外、公開ライブになると、
雨がふるなあ…。
誰だ、雨男は…。
ビクター福岡営業所の方が手配してくれた
2台の【タクシー】に乗って、
今日の会場である
「大丸エルガーラ パサージュ広場」へ。
LOVE FMの公録で、
「シンガポール航空 福岡就航 20周年記念」
イベント。
アーケードの下に特設されたステージで、
約4曲を歌う。

福岡、九州での、
初のジャミン・ライブですね。
雨のなか、駆けつけてくれた、
たくさんのお客さんの前で、
きょうも立派なライブが出来ました。
時間があったので、
メンバーと別れ、
そのへんをプラプラ。
メンバーも、
思い思いの福岡を、
楽しんでいたそうです。
ちょっと早めに、
【地下鉄】で「福岡空港」へ。
ここでメンバーと合流。
お土産の‘明太子’を買って、
18:40の【飛行機】に乗って、
20:10「羽田」到着。
やれやれ、
お疲れさまでした。
みんなと別れ、
【モノレール】で浜松町。
【京浜東北線】で大井町。
【大井町線】で自由が丘。
【東横線】で学芸大学。
これが今回の、
全行程です。
……。
いったい、この3日間で、
いくつ‘乗り物’に乗ったのでしょう?
【 】が乗り物ですが、
ひとつ、ふたつ、………
22個もありました。
それも、
新幹線から飛行機からモノレールから…。
これで、
乗ってない物は、
というと…、
そうだ、船だ!
ところが、
これから船にも乗るのです。
「 飛鳥 II 」という、
豪華客船のクルーズに、
今から出かけるのです。
ジャカルタにはじまり、
今月は本当に、
「旅づくし」でしたな。
その最後が、
お船…。
この航海記も、
いずれ書きますね。
ということで、
行ってきまーす。
(いかん、遅刻する。
急げ、急げ…。)
SHUN MIYAZUMI
March 18, 2008
ジャカルタ その3
またまた続きです。
ワッショイ、ワッショイ。
「ジャカルタ・レポート その3」
3月7日(金) 夜 18:30
『 JAVA JAZZ FESTIVAL 2008 』
の会場である、
「コンベンション・センター」
に、足を踏み入れた瞬間、
その人の多さにビックリ!
そして、
若い人が多いのにも、
ビックリ!!

インドネシア人の平均月収が14,000円。
このチケットは5,000円。
(3日間通しで13,000円)
と聞いてましたから、
正直、こんなに人がいるとは、
思わなかった…。
ここにいる人たちは、
相当に裕福な層、
あるいはその子供たちなのでしょうね。
さらには、
シンガポール、マレーシア、タイ、
といった近隣諸国からも、
大勢来ているように見受けられました。

そんな中、
会場に入ってすぐの、
メイン・ロビーでは、
地元の、若いピアノ・トリオが、
さっそく演奏を始めました。

PAも、
かなりの音量ですから、
いきなり会場中に、
そのサウンドが響き渡る。
その周りには、
早くも黒山の人だかり。
そして、
ソロが終るたびに、
ヤンヤの大喝采。
もう熱気ムンムン。
しかも、外には、
まだまだ入場できない多くの人が、
厳しいセキュリティー・チェックに臨む、
行列を作っています。

爆音が流れるロビー内には、
いたるところに、
いろんな企業がブースを出して、
さながら博覧会の如き様相。
まさに、
お祭りムード一色です。
さあ、そして、
今回集まった、
世界に名だたるミュージシャンたちが、
一つのスタジアムがすっぽり収まろうかという、
このバカでかい建物の中にある、
いろんなステージで、
これから3日間、
熱い演奏を聴かせてくれるのです。
さっそく私は、
スケジュール表を片手に、
いろんな会場を見て回りました。
パスをもらってますから、
一般のお客のように、
どの会場も自由に、
出たり入ったりできるのです。
まずは、
1F中央にある「PLENARY」
ここは、武道館の半分くらいの大きさの、
半円形ホールで、2階席もある。
アリーナはスタンディング。
入ってみると、
もうギッシリの人、人、人。
『INCOGNITO(インコグニート)』が、
熱い演奏を繰り広げていました。
ステージ両側には、
大きなスクリーン。
観客は、
ピ〜〜、キャ〜〜、イェ〜〜イの、
大盛り上がり。

そしてここは、
大物ばかりが出演する、
一番大きなホールですね。
きょうは、この後、
『JAMES INGRAM(ジェームズ・イングラム)』
(20:30〜21:45)
『BOBBY CALDWELL(ボビー・コールドウェル)』
(23:00〜0:30)
明日(8日)は、
『JOE SAMPLE & THE CRUSADERS』
(18:00〜19:15)
『THE MANHATTAN TRANSFER』
(20:30〜21:45)
『GEORGE CLINTON “FUNKADELIC”』
(23:00〜0:30)
となっています。
(信じられない顔ぶれだ…。)
インコグをちょっと見て、
今度はホール左をずっと歩いて行く。
右手にも、
いくつか部屋があって、
ちょっと覗くと、
地元のジャズ・バンドやら、
さほど有名ではないバンドが、
これまた、
そこそこのお客さんを集めて、
素敵な演奏をしておりました。
その1Fの奥にたどり着くと、
またまた凄い爆音が聴こえてきた。
ここは、
「EXHIBITION HALL B STAGE2」
というところ。
ここにも、3,000人くらいは、
いるのではないか…。
熱狂的な歓声の中、
『LEE RITENOUR(リー・リトナー)』
グループの、
の素晴らしい演奏が繰り広げられていました。
(なんだなんだ、このイベントは…?)

かつて、リー・リトナーとは、
何度か仕事をしたこともあって、
(「ベナード・アイグナーの思い出」etc.)
懐かしい思いいっぱいで、
見ておりましたね。
彼と私は同い年。
私もずいぶん禿げましたが、
スクリーンに映し出される彼も、
けっこう禿げてるぞ。
「よしよし…。」
変な感心をしながら、
ここを後にして、
人をかき分けかき分け、
再びロビー中央に戻り、
今度は右のほうにあるホールに入る。
「ASSEMBLY 3」
という、4、500人のホール。
なんだか小粋なピアノ・トリオ。
そして美しい女性シンガーが演奏している。
「おおっ、サラ・ギャザレック(SARA GAZAREK)
ではないか!」
最近お気に入りの美人シンガーで、
私のホーム・グラウンド
「学芸大A'TRAIN」でも、
よくCDが、かかっている。
マスターも大好き。
まさか、
ここで聴けるとは思わなんだ…。

スクリーンにも映ってるので、
ええい、もう一枚。

ここで、20分ほど彼女の唄を堪能し、
今度は右手奥の会場へ。
「EXHIBITION HALL B STAGE1」
ここもでかい。
きょうはこれから、
『EARTH WIND & FIRE』
(アース・ウィンド&ファイアー)
(ちょっと、ちょっと、なによこれ…?)
こんな感じで、
全18会場。
同時多発ゲリラのように、
文字通り‘世界の演奏’が、
繰り広げられるわけです。
それを、
自由に出入り、
見聞きできる…。
そしてどの会場も、
いっぱいで熱気ムンムン。
素晴らしいオーディエンス!!
まさに全身で、
音楽を楽しんでいる。
いやあ、
私もずいぶん、
こうしたフェスティバルを見てきてますが、
こんな贅沢な、
こんな凄いスケールのものは、
初めてです。
「アジアで最大の…。
とは聞いていたが、
“世界最大”と言ってもいいんじゃないの…?」
こうなると、
気になるのは、
あさって(9日最終日)、
ジャミン・ゼブが演奏する会場ですね。
それは地下にありました。
ロビー中央のエスカレーターを降りると、
目の前は「YAMAHA」のブース。
地元の学生らが、
シンセ・ドラムやキーボードを、
真剣な面持ちで演奏、
品定めをしている。
上のロビーで演奏している音も、
当然聞こえてきますから、
まるで‘秋葉原’状況。
「まあいい、これもお祭りだから…。」
左は、大きなバー・ラウンジ。
ここで缶ビールを一本買って、
今度は右のほうへ。
通路の右側は、
「ジャズ・フェス事務局」
のいろんな部屋があり、
黒い、ジャズ・フェスのT-シャツを着た若者が、
忙しそうに立ち振る舞ってる。
その左側に、
二つの会議場をぶちぬいて作った部屋があり、
ここが、
ジャミンが演奏するところです。
(「MERAK 1&2」)
さすがに、
ここだけは人が少なく、
名も無いバンドが演奏していました。
「はたして、お客は、
ここまで来るのか?」
少し心配になりましたが、
「まあいい、参加出来ただけで幸せだ、
というか奇跡だ。
本当に駆け出しなんだから…。」
と、自分に言い聞かせる。
会場を出ると、
目の前に「CDショップ」がありました。
このフェスティバルに出演する、
アーティストのCDが、
ズラリと並んでいるのですが、
ドキドキしながら探していくと、
「あったー!」
それも、大きなスペースを占領して、
jammin' Zeb『 Smile 』が…。

さらには、他の売り場でも、
「あったー!!」

感無量でしたね…。
こうして、
この「巨大フェスティバル」会場のあちこちで、
心ゆくまで、
世界の演奏を堪能し、
そうした音楽を、
全身で楽しみ、
いい演奏には、
惜しみない拍手と歓声をあげる、
アジアの若者たちの、
素晴らしい姿に感動しているうちに、
気がついたら時計は、
午前1時を廻っておりました…。
心地よい疲れで、
部屋に戻り、
缶ビールをあけてグイッ。
ぼーっとTVなんぞ観ていた私ですが、
しみじみ、
こう思いましたね。
「こりゃ、酒なんかいらないかも…。」
(つづく)
ZEBLOGの更新がないなあ、
と思ってたら、
風邪をひいてたんですね。
ま、あちらはあちらで、
楽しいお話がいっぱいあることでしょう。
しばらくは、
ダブル、
ジャワ。
SHUN MIYAZUMI
March 17, 2008
ジャカルタ その2
つづけて更新します。
記憶の鮮明なうちに、
やっておかないと…。
「ジャカルタ・レポート その2」
3月7日(金) 快晴
リリリリーン。
部屋の電話が鳴る。
「Hello.」
「シャチョー、朝メシ行こうよー。」
ビクターJ君だった。
時計をみると、
朝の8時。
それにしても、
一夜明けて、
冷静に見回してみると、
これがなかなか快適なお部屋。

(写真:全員こんな、ゆったりルーム?)
窓から外を見ると、
広々とした庭園に、
大きなプールまであるようだ。
こりゃ、さぞかし、
メンバーもおお喜びだろう。

(写真:私の部屋から見た風景)
昨晩、コンサート・スタッフから、
4日分の食事クーポン券をもらっていたので、
それを持って、
B-1の大きなレストランに行く。
うわあ、いるいる…。
今回参加するミュージシャンは、
みなここで食事をとります。
毎食ここで、
‘世界の顔’
とご一緒するわけですね。

「おっ、マントラがいるぞ!」
「おや、あそこにいるのは、
ジョー・サンプルかな。」
「インコグも、朝から元気そうだな。」
なーんて、
感激している場合ではない。
バイキングなので、
早く取らないと、
美味しいものがなくなってしまう…。
早起きジャミンの連中は、
もう食べ終えていたので、
私たちにテーブルを譲ってくれ、
元気に、
ジムに、散歩に、
出かけました。
(ここは、ジムもあるらしい。)
食事を終えたころ、
インドネシアで、
ジャミン・ゼブのCDを発売した、
コーディネーターの、
Wirasti(ウィラスティ?)さん、
という女性が、
訪ねてきたので、
「ナイス・トゥ・ミーチュー!」
そして、
ビクターJ君を交えて、
いろんな打ち合わせ。
そこで彼女から、
インドネシア盤『Smile』
を見せてもらう。
「ん? なんか、こっちのほうが立派だぞ…。」
曲順も大幅に変わっており、
1.When I Fall In Love
2.You Raise Me Up
3.Smile
:
10.Bye Bye Blues

打ち合わせを終え、
部屋に戻って、
のんびり、イギリス風バスタブ
なんぞにつかって、
(おいおい、風呂まで大理石かよ…?)
まったりしてると、
もうお昼。
きょうは、
食うことくらいしか、
やることがない。
クーポンは一日3食分あるので、
もったいないから、
またまた食べに行く。
そこで、
早朝散歩したレンセイが、
「大きなショッピング・センターを見つけたヨ。」
と言うので、
酒を仕入れることが、
この日の‘最重要課題’である、
私とビクターJ君は、
さっそくレンセイに、
案内してもらうことにしました。
(コージロー、スティーブ、恵仁も一緒)
外へ出てみると、
どうやらここらあたりは、
東京で言えば青山か。
大きな企業ビルが建ち並び、
「リッツ・カールトン・ホテル」
などの高級ホテルも近くにあって、
車の量も多い。

(写真:これは私たちが泊ったスルタン・ホテル)
そして、
あちこちに、
『JAVA JAZZ FESTIVAL』
の、のぼりが、
風にそよそよ。

(写真:シモンは、かわ島とプールに行ったので、
同行せず)
レンセイに案内されるままに、
いくつもの大きな通りを横切って、
目的地に行くと、
これが、
高級感ただよう近代的ビル。
まるで、
『六本木ヒルズ』
か、
『東京ミッドタウン』
ま、そんな感じ。
若者たちは、
水着が欲しいようなので、
さっさと、そんなやつらとは別れ、
「Information」
の綺麗なおねえさんに、
「あのー、お酒、ありませんかあ?」
と聞いてみると、
「あらー、そんなものはありませんわ。」
と、笑顔でばっさり。
「;…。」
そんなとき、
「そうだ、シャチョー!
『ハイアット・リージェンシー』の近くに、
でっかいスーパーがあったぞ。
あそこなら、絶対酒おいてるよー。」
と、突然ビクターJ君が思い出した。
(やつは去年も来ている。)
「早く言えよー。」
二人で、大急ぎでタクシーを拾って、
その場所まで行くと、
あった、あった。
ファミリー・マートの大きいやつが…。
(うんうん、庶民的。
ここなら何でもあるだろう…。)
しかし、
酒は、
ない…。
わずかに、
ビールと、
見たこともない果実酒くらい。
「こりゃ、インドネシアの人にも、
ウィスキーや焼酎の素晴らしさを、
教えねばならんなあ…。」
と、私はこのとき、
切実に思いましたね。
しかたなく、
そんなのをいっぱい買い込んで、
またまたタクシーを拾って、
ホテルに帰る。
そして、
部屋で、しこたま飲んでるうちに、
もう夜。
そして、
いよいよ、
『JAVA JAZZ FESTIVAL 2008』
の開幕です!
前回も書きましたが、
このホテルの地下から、
この会場までは、
直接行くことができます。
これがまた、
空港なみの大きな、
きれいな地下通路ですが…。
(ここも壁は全部大理石…?)
かなりの道のりを経て、
ようやく、
会場となっている、
『コンベンション・センター』に到着。
厳しいセキュリティー・チェックの後、
会場ロビーに入る。
と、ここで、
私は、
信じられないような、
“衝撃の巨大フェスティバル”の実体を、
まざまざと、
見せつけられたのでした。
……。
(つづく)
こんな風に終ると、
早く続きが読みたくなりますよねえ。
ええ、頑張りますよ。
来週後半は、
またまた旅が続きますからね。
やれるうちに、
やっておかないと…。
SHUN MIYAZUMI
March 16, 2008
ジャカルタ
はっくしょ〜ん。
ぐしゅぐしゅ。
いやあ、
6日ぶりに帰国してみると、
日本はすっかり春ですねえ。
嬉しい半面、
一昨年から始まった花粉攻撃が、
私を待ちかまえておりました。
ぐしゅん…。
というわけで今日は、
将棋のお話を、
ちょっとお休みして、
素晴らしかった
「ジャカルタ」レポートを、
お送りしたいと思います。
ZEBLOGに先がけて…。
3月6日(木)
8:30 a.m.
成田空港集合。
眠い、眠い。
この日は、
ジャミンの4人に、
ピアノの朱恵仁、サックスのかわ島崇文、
そしてビクターのJ氏と私の計8人。
ベースの佐藤有介とドラムの吉川昭仁は、
8日に来ることになっています。
カウンターでチェック・インをしていると、
すぐ後ろに、
ギターを持った男が一人、
心細そうな顔をして並んでいました。
よく見ると、
かつて、よくスタジオで一緒した、
ミュージシャンの古川望君。
「古川君?」
と声をかけると、
「うわ〜、宮住さんだ。」
と、嬉しそうにしがみついてきた。
子供みたいに…。
なんでも、
元カシオペアの桜井哲夫のグループで、
同じく『JAVA JAZZ FESTIVAL』
に出演するらしいのですが、
仕事の都合で、
後から一人で行くことになったらしい。
(他のメンバーは、4日に入ったそうです。)
「ジャカルタは治安が悪いよー。」
とか、
「人を見れば泥棒と思え。」
とか、
「鳥インフルエンザが流行ってるらしいぞー。」
などなど、
いろんなことを言われたらしく、
さらには、
ちゃんと迎えがいるのかも分からず、
不安な気持ちで、
一人並んでいたら、
偶然にも私を見つけた、
というわけです。
その後も彼は、
金魚の糞のように、
ずっと私の後を、
ついてきておりました。
……。
そんなわけで、
この8人に、
古川君を加えた一行9人は、
一路ジャカルタへ向かって、
飛び立ったのでありました。
飛行機のなかには、
先日『JVC ジャズ・フェスティバル』で、
ジャミンと同じステージに出演した、
「INCOGNITO(インコグニート)」の面々、
「日野皓正」さんバンド、
それに、
ブルーノート東京のKさんなどもいて、
さながら、
ジャズ民族大移動、
といった雰囲気でしたね。
約7時間のフライトの後、
飛行機は「バリ空港」に到着。
ここで、3時間もの、
なが〜いトランジットです。
(ガルーダ・インドネシア航空は、
ジャカルタまでの直行便がない。)
しかたなく、
私とビクターJ氏と古川君は、
空港のレストランで、
ただひたすらビールを飲む。
おやじは、
これしかやることがない…。
若いジャミンやバンド・メンバーは、
免税店を覗いたり、
それなりに、この長い待ち時間を、
満喫していたようです。
若い連中は、
退屈な時間も、
うまく、しのぐんですね。

(写真:手前のめがねがJ氏、隣が古川君)

(写真:コージローとスティーブ)
ようやく時間になり、
もうひとつの便に乗り込んで、
約1時間半のフライト。
ジャカルタに到着したのが、
現地時間の夜10時。
(日本時間の深夜0時)
さすがに、くたびれましたが、
ジャミンの4人は元気そのものでしたね。

(写真:ボケてるけど4人の集合写真)
外に出ると、
湿気をたっぷりと含んだ、
南洋のじと〜っとした風。
夜でも、
30°近くはありそうだ。
蒸し暑い…。
『JAVA JAZZ FESTIVAL』
事務局が手配してくれた
送迎バスに乗り込んで約30分。
ようやく宿舎の、
「THE SULTAN」(スルタン)
ホテルに到着です。
豪華なホテルのロビーに入ると、
正面に、
『JAVA JAZZ FESTIVAL』
の大きな看板。

そしてロビーは、
続々と到着する、
世界のミュージシャンたち、
観光客、
ジャズ・フェスのスタッフの面々で、
ごったがえしておりました。
古川君を迎えに出ていた、
桜井哲夫君とも、
ほんとに久しぶりに対面できましたよ。
さて、
今回参加するミュージシャンは、
みなここに泊まります。
そして、
ここから地下通路を通って、
そのままジャズ・フェスの会場に、
行くことができる。
ロビー奥には、
そのジャズ・フェスのスタッフが、
ずらっと待機しています。
我々は、
そのスタッフのひとりから、
部屋のキー、
ジャズ・フェスのパンフレット、
ジャズ・フェス会場に出入りするパス、
スケジュール表、
ジャズ・フェスのT-シャツなどをもらい、
めいめいの部屋に。
荷をほどき、
部屋のミニ・バーを空けると、
「……」
あれ、酒がない…?。
わずかに缶ビールが2本。
しかたなくフロントに降り、
「あのお、どこか静かに飲める
バーはありますか?」
と聞くと、
「そんなものはありません。」
という答えが返ってきました。
ロビー奥左側には、
ラウンジがあるのですが、
地元のうるさいロック・バンドが、
けたたましい音で演奏していて、
ここは、
とても入る気にならない。
「そうか、
ここはイスラム国家なんだ…。」
私は、ハタと現実に返りました。
「しまった!
酒を買ってくるの忘れた。
……。」
(つづく)
帰国早々、
とっても悲しいニュースを聞きました。
往年の大歌手で、
私のピアノも、
いつも誉めて下さってた、
沢村美司子さんが、
お亡くなりになったそうです。
(享年68才)
心筋梗塞…。
この方も、
お酒の好きな方でした。
慎んで、
ご冥福をお祈りいたします。
SHUN MIYAZUMI
March 05, 2008
将棋と私 その3
『JVC ジャズ・フェスティバル』
(3/1 渋谷オーチャード・ホール)
の興奮も冷めやらぬまま、
明日から、
ジャミン・ゼブとともに、
インドネシア・ジャカルタに行ってきます。
『JAVA JAZZ FESTIVAL』(3/7〜9)
アジア最大のジャズ・フェスティバルです。
あの凄いJVCをすら凌駕する、
‘世界の顔’が勢揃いです。
私が知ってるだけでも…、
ボビー・コールドウェル、ジェームズ・イングラム、
ジェフ・ローバー、ハービー・メイソン、リー・リトナー、
クルセイダーズ&ランディ・クロフォード、
スティーヴ・ガッド、レイ・パーカーJr.、
マット・ビアンコ、ベビー・フェイス、インコグニート、
アース・ウィンド&ファイアー、
マンハッタン・トランスファーetc.etc.
日本からは、
日野皓正さん、
私との関係も深い、
渡辺香津美、桜井哲夫(元カシオペア)
そして、jammin'Zeb…。
話が来た時は、
驚きましたねえ。
いいのか、
って感じ。
でも、せっかくのチャンスですからね。
むこうでも、
ジャミン旋風が吹き荒れるよう、
頑張ってきたいと思います。
では、リクエストもあったことだし、
出発前の時間を利用して、
意外にも好評(??)
「将棋シリーズ」の更新。
『将棋と私 その3』
憎っくき「F井君」に、
屈辱的なまでの敗北を喫した私…。
しかし私は、
へこたれません。
負けても、負けても、
ののしられても、
嘲笑されても、
何度でも挑戦です。
ただし、
「将棋の本」を買って勉強、
などということは、
しません。
なぜか?
面倒くさいから。
研究してると、
頭が痛くなるから。
実践あるのみ!
でも、
不思議なもので、
負け将棋を繰り返しながらも、
少しづつではありますが、
見様見まねで、
上達もしていくのです。
やはり、こういったことは、
‘上手いやつ’とやらなければ
ダメですね。
さて、
そんな私たちも、
大学3年生になっていました。
そしてあの日…。
ああ、思い出すだけでも、
胸がスカッとする!
『ジャズまくり時代』にも書きましたが、
当時の私は、「ライト」を離れ、
銀座や六本木のジャズ・クラブやバーで、
夜な夜なピアノを弾く、
といった生活を送っておりました。
一方のF井君。
上級生が卒業して、
「これで次のレギュラーは俺だ!」
と喜んだのもつかの間、
強力なギターの1年生が入ってきて、
あっさりその座を奪われてしまった。
(だから、将棋のほうがプロに向いてる、
と言ったではないか。)
そんな傷心の彼が、
代わりにお熱をあげていたのが、
跡見女子短大の、
「某、女の子バンド」のコーチ。
せっせとアレンジも書いてあげたりして、
それはそれは、
夢中になって指導しておりました。
当然、
こんな楽しそうなことを、
我ら仲間が、
見逃すはずはありませんね。
1年のときから、
徒党を組んで遊んでいる「ライト」
そして仲良しのヴォーカル・バンド「カルア」
の同期約10人も、
このコーチ業に、
喜んで加わったのです。
そんな夏のある日。
この「女の子バンド」に、
『大磯ロング・ビーチのレストラン』で演奏、
という仕事が入りました。
もちろん私たちは、
揃って応援に出かけました。
そして演奏後は、
彼女らの宿泊している大部屋に、
勝手に上がりこんで、
わいわいと、
楽しい打ち上げです。
あるグループは‘トランプ’に興じ、
あるカップルは‘意味深げ’に語らい、
あるグループはひたすら‘飲み’‘食い’‘笑い’。
(おお、なんだか青春してるぞ今日は…。)
そんな中、
私は、と言えば、
またまたF井君と、
将棋対局。
ところが、
この日の私は絶好調。
打つ手打つ手が、
面白いように、
決まっていきます。
ただし、ほとんどは、
「奇手」「妙ちくりんな手」
の連続です。
それを、
「勝ったな。」
と、余裕たっぷりに呟いたり、
「ふふふ」
とか、ほくそ笑んで、
自信ありげに、ピシャッと指す。
さも、いい手のようにふるまう。
相手に、
「ん?こりゃ何かあるな?」
と、疑心暗鬼にさせる、
そんな芝居の連続。
理論、定跡に優れた、
真面目な、勉強熱心な、
F井君の裏をかく。
やつの常識に、
混乱を与える。
これこそが、
この日の私の作戦でした。
(というか、これしかない。)
冷静に考えれば、
大した手じゃないのに、
しだいに、
真剣な顔になって考えこむF井君。
そして、
「お前、強くなったなあ…。」
と、ぼそり。
(いいぞ、その調子だ。)
そのうち、
むこうの方で、
トランプなどに興じていた連中の間に、
「おい、なんだかシュンが、
善戦してるみたいだぞ。」
「まさかー。」
といった声が起こる。。
そして、
一人また一人と、
将棋盤の前に、
ギャラリーが増えていく。
いつもは、コロッと負ける私なのに、
やけに長い勝負になっている。
いつもは人を小バカにし、
ニヤニヤしながら指しているF井君が、
やけに真剣な表情になっている。
これだけでも、
私が善戦(?)していることが分かりますね。
そして終盤、
私が、‘ある手’をビシッと指す。
(実はこれも、大した手ではない。)
途端にF井君の表情がこわばる。
「む?」
そして顔を紅潮させて、
長考…。
もう、このあたりになると、
ギャラリーも次第に興奮。
みんな普段から、
将棋ではF井君に、
木っ端みじんにやっつけられ、
ののしられてる連中ですから、
この時ばかりは、
私の味方です。
「おい、F井が考え込んでるぞ。」
「うん。こりゃどうもいい手らしいぞ。」
「そうか、きっといい手なんだろうな、うんうん。」
「シュン、がんばれよー。
ひょっとすると勝てるぞー。」
そんなギャラリーの声に、
焦りの表情がありありのF井君は、
ますます変な手ばかりを、
指してくる。
調子づいた私は、
ここで、
強烈な手を思いつき、
ビシッ!!
しかし、
よくよく考えると、
これも凡手。
これまた、
ハッタリだけの手。
F井君ともあろう者が、
こんな手に引っかかるわけがない。
しかも、
これは、かえって、
反撃をくらう恐れのある悪手。
(あわわ;気づくなよ…。)
ところが、
‘魔が差す’
とは、このことです。
やつは、
「まさか…。」
と思うような、
さらなる悪手を指してきた。
……。
「常勝の男がピンチになると、
意外と、もろいんだなあ。」
と、
私はこのとき、
初めて知りました。
「負ける訳が無い。」
と、思っていた相手の思わぬ善戦に、
我を忘れて、
混乱してしまったのでしょう。
そんな、
もうかれこれ、
2時間になろうかという
この大熱戦。
みな、かたずをのんで、
この勝負を、
見守っている。
そして、
急所の一撃…。
腕組みをし、
じっと盤面を見つめていたF井君が、
顔を真っ赤にして、
信じられないひと言を吐きました。
「負けた…。」
巨象を倒した瞬間です!
「うお〜っ。」
「おい、シュンがF井に勝ったぞー。」
「見たか。F井が負けたぞ。」
「信じられなーい。」
もう、大騒ぎです。
そして私は、
握手攻め!抱擁攻め!!
「新名人誕生!」
「新王将誕生!」
の瞬間とは、
まさにこんな感じなのでしょうか…。
ドンちゃん騒ぎの一方で、
「負けちゃいけない相手に負けた」
哀れなF井君は、
腕組みをしたまま、
ひとり、
真っ赤な顔をして、
ずっと盤面を見ておりました。
……。
後にも先にも、
私が彼に勝ったのは、
これ一回だけです。
でも人生、
こういうことがあるから、
捨てたもんじゃありませんねえ…。
(つづく)
そういえば現地では、
今インドネシアで人気のある、
若手女性ジャズ・シンガーと一曲、
共演もあるそうです。
「何をやるの?」
と聞いたところ、
「‘Smile’をやりたーい。」
と言ったそうです。
これも楽しみですね。
さ、荷造りだ…。
SHUN MIYAZUMI
February 29, 2008
将棋と私 その2
『敬愛なるベートーヴェン』
(Copying Beethoven)
という映画、
ご存知でしょうか。
新しい映画です。
耳のほとんど聞こえなくなった、
晩年のベートーヴェンが、
ある女性の手助けにより、
無事、あの「第九交響曲(合唱)」
の初演にたどりつく、
というお話。
暮れにも書きましたが、
この「第九」。
いけませんねえ。
やはり、この曲だけは別格です。
ましてや、
ベートーヴェンが自ら指揮をして、
あの歴史的な初演を行なう、
(もちろんこれはフィクションですが…)
という設定ですから、
もういけません。
あまりの感動に、
涙が止まりませんでした。
続けて2回観ました。
まだの方、
どうぞご覧になって下さい。
「TSUTAYA」に、
いっぱいあります。
レンタルで。
さて、話はがらりと変わって、
(変わりすぎ?)
『将棋と私 その2』
私が大学1年生のときのお話です。
ジャズ・ピアノがやりたくて、
「K大ライト・ミュージック・ソサエティ」
に入部した私。
ま、そのへんのくだりは、
『ジャズまくり時代』
というエッセイに、
詳しく書いてありますので、
興味おありの方は、
ぜひ、お読み下さい。
実はそのとき、
一緒に入部した新入生のなかに、
とてつもなく将棋の強い男が、
いたのです。
仮に、
「F井君」としておきましょうか。
一浪で工学部に入学した、
このF井君。
埼玉県の地主の息子で、
親はお金持ち。
「埼玉からじゃ通学に不便だろ。」
てなことで、この親、
世田谷の野沢あたりに、
お洒落な2DKのマンションをひとつ、
ポンと買い与えた。
当然のように、
ここが、
我ら1年生の溜まり場となります。
そして当時は、
「コンピューター・ゲーム」
などというものは無かった。
娯楽といえば、
麻雀かトランプか将棋。
特に将棋は、
二人で出来ますから、
すぐに成立します。
てなわけで、
さっそく、
このF井君と、一局指した。
ところが…、
これが…、
強いのなんの……。
まったく歯が立たない。
というか、
誰が対戦しても、
あっと言う間に、
みんな、
木っ端みじん…。
しかも、
対局中の言い草が憎たらしい。
「おお、そうきたかー。
助かるよなあ‘ヘボ’が相手だと。
考える必要がないもんなあ、アハハ。」
だの、
「あ〜あ、見てらんないよー。
よくそんなバカな手思いつくよなー。」
だの、
あざけり、嘲笑、コケにしまくり。
ところで、
彼の専門楽器はギター。
入学当初から、
「俺はライトで腕を磨いて、
絶対プロのギタリストになってやる。」
と息まいておりました。
でも、ギターは、
へたくそです。
なーんにも面白くない。
だから、
私、のみならず、
みな、こう思ってましたよ。
「ギターより、
将棋のほうが、
ずっと‘プロ’に近いんだけどなあ…。」
さて、そんなF井君に、
一度、
忘れることの出来ない、
屈辱的な敗北を喫したことがあります。
ある日の夜遅く、
私はひとりで、
F井君のマンションに遊びに行きました。
すると彼は、
机に向かって、
レポートらしきものを書いている。
私が、
「おっ、感心だなあ。
勉強かよ。」
と聞くと、
「ああ、明日までに提出なんだ。」
と、さらりと答える。
「どう、休憩して一局やんない?」
と私。
すると、
「いいよ、じゃ並べろよ。」
と、あっさり。
駒を並べ終わって、
「ほら、並べたぞー。
早く来いよ。」
と言うと、
「俺はここでいいから、
早く指せよ。」
と、のたもうた。
「‘指せよ’たって、
盤を見なくていいのか?」
と聞くと、
「ああ、お前なんか、
見なくても勝てるよ。」
と、ぬかしやがった。
(みてろよ、このヤロー。)
なめられまくった私は、
怒りにふるえながら初手を宣言。
「7六歩」
すると、
向こう向きの彼は、
せっせとレポートを書きながら、
「3四歩」
と、平然と答える。
将棋盤は、
こちら側(先手)から見て、
横に「9〜1」
縦に「一〜九」
という番号がつけられています。
最初の形で言うと、
一番右上が「1一香」
一番左下が「9九香」
と、なるわけです。
こう表示することで、
どの駒がどの位置にいるのかが、
分かる仕組みになっているのです。
それにしても、
見ないで指すとは…。
しだいに怒りは、
驚きに変わっていきます。
何手か進んで、
私が、
「5五桂」
と言うと、
向こうの方から背中越しに、
「おおい、それじゃ飛車がタダだぞー。」
という声が聞こえる。
よくよく見ると、
私の「飛車」は、
遠くにいる、やつの「角行」に、
獲物のように狙われている。
「待った。
じゃここは6六銀だ。」
と訂正すると、
「それだと、「金」が死ぬぞー。」
「……。」
この光景、
お分かりでしょうか。
私は必死に盤を見ている。
やつは、
レポートかなんか書きながら、
向こうの方で、
平然と指手だけを言ってくる。
やつには、
今、盤面がどうなってるか、
すべて分かっているのです。
こっちの手も、
すべてお見通しなのです。
そして終盤、
「王手!」
という声がかかり、
彼の言う通りに駒を動かすと、
詰んでいる…。
無惨にも、
私の王は、
やつの強力な駒軍団に取り囲まれて、
行き場を失っていました。
……。
なんたる屈辱でしょうか。
盤面を見てるやつが、
見てないやつに負けるなんて…。
(つづく)
さ、これから、
月末恒例「学芸大A'TRAIN」
ミッドナイト・セッションです。
ガンガン弾いてきます。
そして明日は、
渋谷「オーチャード・ホール」で、
早朝からジャミンのリハーサル&本番です。
なが〜い夜が、
始まります。
明日、お会いしても、
「ウッ、酒くさ〜い。」
などと、
言わないように、
お願いしますね。
しかし、
このスケジュールは、
無謀だったかなあ…?
SHUN MIYAZUMI
February 23, 2008
将棋と私
昨日、今日と、
暖かいですねえ。
明日から、
また寒さが戻るそうですが、
この時期、
こういう日があると、
春の足音が聞こえてきそうで、
浮き浮きしてしまいますね。
さて、ジャミン・ゼブ。
そろそろ、
次のアルバムに向けて始動です。
私も、
せっせとアレンジをしなければならない。
しかし、
これが、
おっくうなのですよ。
実は…。
試験勉強とおんなじです。
始めるまでが長い。
なんだかんだと理由をつけて、
なかなか始めない。
そのうち時間がどんどん過ぎて、
しだいにあせってくる。
毎日、これの繰り返しです。
きょうも「書き日」の予定だったのですが、
こんなもん、
書き始めてしまいました。
あ〜あ…。
『将棋と私』
将棋。
けっこう好きです。
日曜日の朝は、
いつもNHK教育の「将棋講座」を、
観ています。
しかし、
‘定跡(じょうせき)’なんか、
ほとんど知らない。
覚えようともしない。
わずかに、
「矢倉(やぐら)」「ミノ囲い」「穴熊(あなぐま)」
といった、
簡単な守り方を知ってる程度ですから、
ま、‘ヘボ将棋’
の部類だと思います。
ただし、その棋風は、
典型的、
‘攻め将棋’
ロクに守りも固めないで、
とにかく攻める。
攻めて、攻めて、攻めまくる。
そんな先の手まで読めるわけがないので、
とにかくこの一手。
感と度胸だけで、
ガンガン行く。
特に上級者とやるときは、
がっちり守られたら、
なす術(すべ)がないので、
相手が守りに入る前に、
ガンガン行く。
相手の理論の裏をかく。
混乱を与える。
題して、
「肉を切らせて骨を切る戦法。」
これで、
10回に一回くらいは勝つ。
そのかわり、
攻め損なったら、
詰め損なったら、
一巻の終わりです。
相手に、
ごっそり駒を渡してしまってるのですから、
「あっ…。」
というまに終わり。
ま、こんな感じですね。
さて、
私が将棋を覚えたのは、
いつのことだったのでしょうか…。
幼稚園か、
小学校低学年か…。
そして、
相手はいつも父親でしたから、
最初に手ほどきを受けたのは、
おそらくこの人だったのでしょう。
ただし、この人は、
私に輪をかけた‘ヘボ将棋’。
私が知ってる、
数少ない‘守り方’すら、
知りません。
したがって、
小学校の高学年にもなると、
もう相手になりません。
どうせ私が勝つに決まってるんだから、
もう、この人と指すのは、
やめました。
‘ヘボ’のくせして、
負けると真っ赤な顔になって、
悔しがるし…。
そんなとき、
親戚のおじさんの中に、
すさまじい強豪がいることを、
知ったのです。
なるほど遊びに行くと、
いつも本を片手に、
難しい顔をしながら、
立派な将棋盤の上の駒を、
動かしている。
アマチュア5段とも6段とも言われ、
近所では‘敵なし’
の実力者だったそうです。
「よし、あのおじさんに、
一手ご指南を受けよう。」
ある日、幼い私は、
いそいそと出かけて行きました。
「おじさーん、
一局やろうよー。」
すると、おじさん、
嬉しそうに、
「おう、シュン坊か。
なになに将棋を覚えたのか。
感心、感心。
よしよし相手してやろう。」
が…。
ほんの5分くらいで、
イチコロに負けた。
おじさん、困った顔になり、
「うーん…、
シュン坊だと、
これだけでいいかな。」
と、
あろうことか、
このおじさんが選んだ駒は、
歩(ふ)が3枚だけ。
そして王。
……。
歩(ふ)というのは、
前にひと駒しか動けない、
一番弱い駒。
この3枚の下に、
王様を置いて、
ちょこちょこ進んでくる。
私は当然、フル装備。
そのうち、
盤面上で戦いが始まる。
たちどころに、
私の駒はどんどん取られる。
取られた駒を、
矢継ぎ早に使ってくるおじさん。
こうして、
ものの10分もすると、
形勢は大逆転。
今度は、
おじさんの駒ばかりが増えて、
私はしだいに丸裸。
これまた、
あっと言う間に、
負けました。
父親を負かしてばかりで、
「なんだ、
将棋なんてチョロいもんだな。」
と、思い上がっていた私には、
ショックでしたねえ。
そして、
あまりのレベルの違いに、
逆に将棋に対する興味が失せ、
以来、
同じ程度のやつをつかまえては、
適当に‘ヘボ将棋’を楽しむ。
そんな、
少年時代を送ったのでした。
時は流れて、
私も大学生。
かつて、
「ジャズまくり時代」
というお話にも書いたように、
ジャズ・ピアノがやりたくて、
「ライト・ミュージック・ソサエティ」
という名門サークルに入った私。
実は、
このとき一緒に入部した新入生のなかに、
とんでもない、
「将棋の強豪」が、
いたのです…。
(つづく)
ところで、
これって、
将棋を知らないひとには、
面白くない話でしょうかね…?
ま、いいや。
せっかく始めたので、
行くところまで行っちゃいましょう。
なにせ、
何手も先が読めないのは、
将棋に限ったことではない私。
「人生これ、インプロビゼーション」
をモットーとしておりますからね。
よろしかったら、
おつきあい下さいませ。
(さ、今度こそアレンジ…。)
SHUN MIYAZUMI
January 10, 2008
私の映画ベストテン 2007
きょうは、
新春企画第二弾!
去年、私が観た映画のなかから、
印象に残ったものを、
ランキング形式で、
お送りしたいと思います。
映画好きの私は、
例年、100本くらい観るのを
目標にしているのですが、
昨年後半は多忙につき、
半分くらいしか観ることができませんでした。
でも、
なかなかに素敵な作品が、
いっぱいありましたね。
まだご覧になってない方、
どうぞ参考にしてみて下さい。
ただし、
ほとんどはレンタルDVDで観たものなので、
古いものもたくさんあります。
映画通の方からは、
「なあんだ、それ随分昔の作品だよ。」
とお叱りを受けるかもしれませんが、
あくまで、
‘私が初めて観た’
ということで、
ご容赦。
1.ゴスフォード・パーク(Gosford Park)
1930年代のイギリス貴族とその従者たちの、
複雑な人間模様が見事に描かれています。
まるで、アガサ・クリスティの如き世界が、
絢爛豪華な画面いっぱいに繰り広げられる。
英演劇界の名優がずらりと登場。
即興でやったという食事シーンなどなど、
見どころ満載です。必見!
2.インサイド・マン(Inside Man)
文句無しに面白かった。
これぞ究極の完全犯罪!「頭いい〜〜。」
『ゴスフォード・パーク』でも渋い演技を魅せた、
クライヴ・オーウェンに、
デンゼル・ワシントン、ジョディ・フォスター
といったオスカー俳優が見事に絡んで行きます。
監督は鬼才スパイク・リー。
3.フォン・ブース(Phone Booth)
ニューヨークの昼下がり。
ある日何気に立ち寄った電話ボックスに、
かかってきた一本の電話。
「電話を切ったら殺す!」
見えない敵に、次第に追い詰められていく男を、
コリン・ファレルが見事な一人芝居で魅せます。
これ観て、一発で彼のファンになりました。
4.サイドウェイ(Sideways)
ワイン好きの人にはたまらない映画でしょうか。
ワイン好きのダメ男と、
親友のプレイボーイ男が、
‘人生の寄り道’と洒落こんだ珍道中。
主役のポール・ジアマッティが、
いい味の演技を見せてくれています。
普段見れないカリフォルニアの田園風景も、
新鮮でした。
5.ターミナル(The Terminal)
トム・ハンクスは、こうした、
ちょっと間抜けな、それでいて憎めない、
ひょうきんな役をやらせたら天下一品ですね。
『フォレスト・ガンプ』は言うに及ばず、
『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』の、
冴えない刑事役も素敵でした。
そこへいくと『ダヴィンチ・コード』の、
真面目くさった役だと、逆に不満が残るのです。
「別に彼じゃなくてもいいのに…。」
6.ボーン・アイデンティティ(The Bourne Identity)
マット・デイモン主演のアクション映画。
続編の『ボーン・スプレマシー』も観ましたが、
アクション系では、この二つが一番良かった。
ヨーロッパの美しい景色も満載で、
ピアス・ブロスナンの007より、
ずっと楽しめました。
7.カポーティ(Capote)
トルーマン・カポーティの名作『冷血』。
これが誕生するいきさつを描いた伝記映画。
暗い映画ですが、
なんと言っても主役の、
フィリップ・シーモア・ホフマンの演技。
圧倒的でした。素晴らしい!
オスカー取ったのかなあ?
8.彼と彼女の第2章(Forget Paris)
1995年の作品だそうです。友人に借りました。
『アナライズ・ミー』『アナライズ・ユー』で、
コミカルで軽妙な演技を披露してくれた
ビリー・クリスタルが監督、主演した、
ロマンティック・ラブコメディー。
どこかタッチがウディ・アレンに似てて好きです。
かつて『愛と青春の旅立ち』で、
リチャード・ギアの恋人役を演じていた
デブラ・ウィンガーが年をとってて、
いい女になってるんだなー、これが…。
9.マッチスティック・メン(Matchstick Men)
これ2003年の映画。
で、びっくりしたのが煙草吸うシーンの多いこと。
最近では希有なこと。
主役のニコラス・ケイジも、共演者も、
果ては娘(?)に到るまで、
みんなパカパカ、プカ〜〜ッ。
これって舞台はロスでしょ?
……。
その逆が『サンキュー・スモーキング』という映画。
「煙草アカデミー」に勤める男が、
‘禁煙ブーム’に敢然と立ち向かう。
私なんぞ「そうだ、いけいけ〜〜」とエール。
ところがこの映画。
煙草吸うシーンは一回も無いんですね。
……。
10.プロデューサーズ(The Producers)
悩んだあげく、最後の一本はこれ。
「えー、なんでー?」
そう、確かに、こんなくだらない映画も珍しい。
喜劇なのに、笑えないギャグの連発。
大げさなクサい芝居の品評会…。
でもね、 これって
「絶対に失敗するミュージカルを作ろう!」
がストーリーなのです。
すると映画全体にも、そのトリックが…。
そう思ってもう一度観ると、
やはり製作者のしたたかな作戦が読み取れる。
エンタテインメントに関しては、
あなどれませんよ、
アメリカという国は…。
いやあ、10本選ぶのって大変だー。
他にもいい映画いっぱいあったのですが、
きりがないので、もうヤメ。
今年は、どんな映画にめぐり会うのでしょうか。
楽しみです。
しかし、
暇な夜に、ひとり映画を観て、
こうしてランキング。
私もかなり‘おたく’ですかね。
ちょっと暗いかも…。
SHUN MIYAZUMI
January 04, 2008
私の10大ニュース 2007


明けましておめでとうございます。
今年も晴天に恵まれ、
穏やかな、
いいお正月でしたね。
今年も一年、
よろしくお願い致します。
というわけで、
去年に引き続き、
こんな‘幕開け’といきましょう。
『 私の10大ニュース 2007 』
2007年は私にとって、
どんな年だったのでしょうか。
1. どこまで行くのだ“ 禁煙ブーム ”
5月。親父の墓参り(甲府)に行くため、
中央本線の特急「 あずさ号 」に乗るものの、
「 JR東日本では、3月より全車両禁煙です。」
のアナウンスを聞いて愕然…。
楽しいはずの旅行が、一転して‘イライラ’の旅。
その後も、
10月の「 ぱしふいっくびいなす号 」の船旅。
(エッセイ「 ぱしふいっくびいなす号航海記 」参照)
丸の内(千代田区)のジャミン・ライブの際の
「 喫煙所探し 」と、
後半は、煙草のストレスが最高潮に達しました。
今年も、ますますエスカレートするんでしょうね、
‘禁煙ブーム’
……。
2. エロ・ダンサー、河野秀夫 逮捕(2月)
平穏な私のブログに、突如飛び込んで来た
‘248’という膨大な訪問者数。
でもほとんどが、「 ダンサー河野秀夫逮捕 」
を検索して引っかかってきたものと判明。
私の相棒のベーシストと同姓同名のダンサーが、
わいせつ容疑で逮捕されたらしい。
人騒がせなやつだ。
しかし、ライブにおけるMCネタには、
事欠きませんでしたね。
(すまん、河野)
3. 植木等さん逝去(3月)
私が‘心の師匠’と慕う植木等さんが、
お亡くなりになりました。
うう、悲しい…。
前年の青島幸男さんに続いて、
またひとり偉大な人を失いました。
今年は、彼の出演映画すべてを手に入れ、
再度観るつもりです。
4. あっと驚くタメゴロー(4月)
このタイトルで、エッセイにも書きましたが、
地元学芸大の居酒屋で、
‘101才の老人’と一緒に飲みました。
この爺さん、まだまだ元気そのもので、
一日5合の日本酒を飲んでおります。
めざせギネス!
5. 30年ぶりに四国に行く(6月)
これもエッセイ「 四国 」に書きましたが、
いとこの息子の結婚式に参列するため、
30年ぶりに母の故郷を訪れました。
まるで‘浦島太郎’の心境でしたが、
相変わらず瀬戸内海は、
美しかった…。
6. 佐賀北高校、さわやか全国制覇(8月)
夏の甲子園。
下馬評最下位、無名の進学校「 佐賀北 」が、
いわゆる‘野球校’という強豪を次々となぎ倒し、
見事全国制覇。
これぞミラクル!
前年の‘ハンカチ王子’に続いて、
‘さわやか旋風’吹き荒れる。
今年は音楽界にも、
‘さわやか旋風’が吹くといいのですがね。
(ん?意味ありげ…)
7. イチロー、「 MLBオールスター 」でMVP(7月)
彼が打ったランニング・ホームランに興奮し、
「 やった〜〜! 」と飛び上がった瞬間、
私はギックリ腰をわずらいました。
ところでこのイチロー、
昼メシは、毎日‘カレーライス’だそうです。
毎日…。
完璧をめざすプロフェッショナルとはいえ、
なにも昼メシまで徹底する必要は、
ないと思うんですがねえ…。
8. 「 タモリ3 戦後日本歌謡史 」(9月)が大反響!?
この「 タモリ3 戦後日本歌謡史 」というシリーズを、
書いてからというもの、
私のブログの訪問者数は激増しました。
調べてみると、
いろんな方が、
「ここに当事者だった宮住氏のブログがある。
これは必読です。」
といった推薦をされてるんですね。
すごいですね、インターネット時代。
ちょっと複雑な気もしますが…。
さて、最後の二つは、去年の10大ニュースを受けて、
9. 六本木「三州屋」復活!(10月)
前年、突然閉店して私を哀しませた、
肴の美味い居酒屋「 六本木 三州屋 」が、
別の場所で復活しました。
私の大好きな「 焼きタラコ 」や「 すじこおろし 」
そして「 生タマゴ 」の無料サービスも健在です。
ただし、今度の店は狭い。
10人も入ればいっぱいです。
だから、場所は教えません。(せこいぞ!)
「 東京ミッドタウンのそば 」
とだけ、言っておきましょうか。
10. ジャミン・ゼブ号 好発進(10月〜)
去年の今頃は、
まだグループ名も決まっていませんでした。
それが、
あれよあれよという間にメジャー・デビュー。
その後の活躍は、彼らのブログ(ZEBLOG)の、
「History」をご覧いただければわかります。
おかげさまで、
素晴らしいスタートになりましたね。
今年が本当に楽しみです。
さあ、2008年。
今年はどんな年になるのでしょうか。
みなさん、
素晴らしい一年でありますように!
はじまり、はじまり〜。

SHUN MIYAZUMI